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  • 引分て、西南の小路を立切、搦手にこそ廻けれ。四方より火を懸て焼責にすべしと聞へしかば、兵火の余烟難遁とて、其辺近卿相雲客の、長講堂・三宝院へ資財雑具を運び、僧俗男女東西に逃ふ。内裏も近ければ、軍勢事に触て狼藉をも可致とて、俄に竜駕を被促持明院殿へ行幸なる。摂禄大臣諸家の卿相、周章騒で馳参る。宮…
    46キロバイト (11,096 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • つた。「一年為客四移蹤。来去自由無物従。」此より嵯峨生活の後期に入るのである。林崎より竹里(ちくり)へ、竹里より任有へ、任有より梅陽軒へ、以上三移である。移と云ふは、竹里と任有との間に市中に住んだ二旬余があるからであらう。  梅陽軒は空僧院(くうそうゐん)である。「幽寺無僧住。随縁暫寄身。」…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • じき殿造らる。大多勝院と聞ゆるは、寢殿のつゞき御持佛すゑ奉らせ給へり。かやうの引き離れたる道は、廊渡殿そり橋などをはるかにして、すべていかめしう三葉四葉に磨きたてられたるいとめでたし。正元元年三月五日西園寺の花ざかりに大宮院一切經供養せさせ給ふ。年比おぼしおきてけるをもいたくしろしめさぬに、女の御願…
    398バイト (103,351 語) - 2022年10月1日 (土) 00:56
  • 敷殿造らる。大多勝院と聞ゆるは、寝殿の続き、御持仏すゑ奉らせ給へり。かやうの引き離れたる道は、廊・渡殿・そり橋などを遙かにして、すべていかめしう三葉四葉に磨きたてられたる、いとめでたし。 正元元年三月五日、西園寺の花ざかりに、大宮院、一切経供養せさせ給ふ。年頃思しおきてけるをも、いたくしろしめさぬに…
    424キロバイト (97,325 語) - 2022年10月1日 (土) 01:23