コンテンツにスキップ

検索結果

  • 誰か之を称せんや。扨又、爰に池田恒之の孫池田三郎恒利といふあり。永正より大永・享禄の頃の人と云々。摂州を出でて、始め足利将軍義晴公に属し奉り、紀伊守に任じ、故ありて後に江州に来り、佐々木定頼の扶助を受けてありける。独身たるに依つて、江州建部の一族池田又三郎が娘を娶りて、室とすといふ。然れども或人曰…
    177バイト (12,011 語) - 2024年2月13日 (火) 16:22
  • 候。伊予守在国の儀に付、此段私より御届申上候。以上。 【 NDLJP:194】   九月十四日             ​松平伊予守家来​​    今田長八​​ ​ 但追々到著の者共、仙石道之助より届書差出、伊予守家来より、同様揚り屋入御預り書付差出候。文面同様に付略㆑之。 九月六日御呼出し ​江戸詰​​ 青木弾右衛門​​ ​…
    85バイト (11,803 語) - 2024年3月24日 (日) 09:34
  • 作左衛門といふ剛勇の武士ありけるは、何様此者の出でたるなるべしと、見えたりとぞ。   安次村安八太夫の事   安八郡安次村の辺に、髻つけ池というて、今田所の中に、葭の生ひたる古池あり。并に安次村の大百姓に、高橋伝右衛門といふ者ありけるが、其先祖を、安八太夫と号して、大なる長者なりと、世の人々旧くいひ…
    177バイト (10,377 語) - 2024年2月13日 (火) 16:23
  • 方迄追々取続き、左右向より進懸る。故に大坂衆、牧方の普請成らずして、遥に引下りて、本道の大坂堤を掘切り候。此時、足軽攻合、少々之ありつる由承及び候。今田切と申す所、大坂より切れたる塘なり。是に依つて、河州茨田郡大久保仁和寺焼野の辺迄、悉く水押入り候故、権現様御備押、和州奈良へ御旗を向けられ、中一日御…
    283バイト (27,286 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35
  • NDLJP:145】を添へて、連龍奉る。遊佐備前守は落失せける。是に依つて、九郎左衛門、一国を打随へ、館の浜〈今田鶴浜といふ〉に城を築き、扨信長へ註進して、目代を下さるべき旨、申遣しける故、管屋九右衛門・福富平左衛門下向して、九郎左衛門へは、鹿島半郡を下され、一…
    4キロバイト (33,938 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09