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  • 、御子あまたおはしまし、奥州へも御下向有、篠川の御所と聞えしは、彼氏満の一男満貞の御事也、関東をたなこゝろのうちにおさめ、已に京都を責落し、一天下を一旗にとおほしめしたち給ふ、その比の管領上杉刑部大夫憲春に請合られしかは、上杉承り大に驚き諫しは、扨は此殿は武威にほこり、終に御身を亡し給ふへし、其故は…
    47バイト (2,462 語) - 2024年4月5日 (金) 23:09
  • 一出陣時祝︀次第。同可酌事。一軍陣にて弓可持次第事。 一軍陣にて乘替の馬に鞍置てひかせべき事。一菖蒲革前緖後緖の事。 一をひ征矢の事。 同幡さをの事。一軍陣の鞭の事。 同幡袋の事。一旗の事。 同幡さすべき次第事。 一日本の弓のおこりの事。一御たらしといふ事。一弦の事。 一弦卷の事。一弓の鳥打の事。一矢ほろの事。 一扇の事。一具足の毛の事。一產引目可射事。…
    44キロバイト (9,167 語) - 2023年12月9日 (土) 23:11
  • 無​(ク)㆑疑定めて勝つ事有るやと尋ね給ふに【升形五八人数積 一大頭十人連ル一小頭八人連ル一足軽大将七人連ル以上三頭主共廿八人一足軽廿人一長柄四十本一旗二本持者六人付四人ハ煩ノ替也足軽、旗、長柄十六人都合二百九十四人也一升形五七ハ部合二百六十四人也五六ハ部合二百三十四人也】、勘介申上る大敵強敵に勝ち…
    297バイト (4,463 語) - 2024年2月2日 (金) 18:03
  • き様有と案出して、塩冶隠謀の企有由を様々に讒を運し、将軍・左兵衛督にぞ申ける。塩冶此事を聞ければ、とても遁るまじき我命也。さらば本国に逃下て旗を挙、一旗を促て、師直が為に命を捨んとぞたくみける。高貞三月二十七日の暁、弐ろ有まじき若党三十余人、狩装束に出立せ、小鷹手毎にすへて、蓮台野・西山辺へ懸狩の為…
    50キロバイト (12,063 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 出航したのであるが、そこであるぐに最後の力を使い果たしてしまいた。幸いなことに、私は教師としての仕事に就き、ショックから立ち直り、フランスの植民地で一旗揚げようなどと思い始めた頃、再び舗道に倒れこんでしまったのである。最初のチャンスに飛びつくしかなかったのである。そのきっかけがトンプソンというわけだ…
    43キロバイト (7,847 語) - 2023年4月28日 (金) 23:38
  • まだ達者で女のさかりの頃に、一度ならず二度ならず既にその事があった。旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎(らっこ)の毛皮の帽子を冠(かぶ)った頃だ。まだお新も生れな…
    101キロバイト (20,958 語) - 2019年9月29日 (日) 04:46
  • 正・木村常陸、北国両将に加はりては、功をなしたりとも、隠れて顕れず、両将の功とならん事を猜みてにや。安房・上総・常陸近隣の国境端々の小城へ取懸りて、一旗立てゝの働をなし、両将家と首尾を合せざる故、秀吉公、御機嫌宜しからずして、浅野・木村両人へ、御書を下さる。 急度被㆓仰遣㆒候。鉢形之城、越後宰相中将…
    283バイト (25,327 語) - 2023年12月2日 (土) 18:50
  • それが最後に来た手紙でした。多分……支那の方へでも行く積りらしい……」こう正太は言い紛(まぎら)して、委(くわ)しいことを母に知らせまいとした。 「一旗(ひとはた)挙げて来る気かいナア」  と母が力を落したように言ったので、思わず豊世は胸が迫って来た。女同志は一緒に成って泣いた。…
    437キロバイト (86,210 語) - 2022年9月18日 (日) 11:16
  • 貞治六年南方正平二十二年正月嵯峨法輪寺炎上スト云々 三月廿九日京都内裏ニ於テ中殿御会題ハ花多春友ト云々 同日天龍寺炎上スト云々 去ヌル二月東国宇都宮氏綱并平一旗等南方ノ御方ニ参リ兵ヲ揚蜂起ス鎌倉左馬頭殿病ニヨツテ其子全(金カ)王丸ヲ大将トシ上杉等以下発向武蔵国河越城ヲ打巻テ攻戦フト云々 四月下旬鎌倉左兵衛督基氏逝去スト云々年二十八ト云々…
    47バイト (20,390 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • 「それじゃ今では御両親と音信を絶っておられるんですか」 「いいえ。いつも手紙を往復しておりますの。それからタッタ一人の兄も東京で一旗上げると言って今、丸ビルの中の罐詰(かんづめ)会社に奉公しております」 「学校は何処をお出になったの」 「青森の県立女学校を出ておりますの」 「看護婦の仕事に御経験がありますか」…
    328キロバイト (62,142 語) - 2023年10月29日 (日) 00:38
  • 、伊那からもわざわざ運動に京都まで出かけたものもありましたっけ。暮田正香も今じゃ日陰の身でさ。でも、あの先生のことだから、京都の同志と呼応して伊那で一旗あげるなんて、なかなか黙ってはいられない人なんですね。とにかく、わたしが出かけて行った時分と、今とじゃ、伊那も大違い。あの谷も騒がしい。」…
    704キロバイト (133,425 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04