「中華民国駐長崎領事・馮冕から石垣島島民への感謝状」の版間の差分
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2014年10月3日 (金) 10:58時点における版
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感謝狀
中華民國八年冬福建省惠安縣漁民
郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至
日本帝國冲繩縣八重山郡尖閣列島
內和洋島承
日本帝國八重山郡石垣村雇玉代勢
孫伴君熱心救護使得生還故國洵屬
救災恤鄰當仁不讓深堪感佩特贈斯
狀以表謝忱
中華民國駐長崎領事馮冕
中華民國九年五月 二十 日
和訳
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感謝状
中華民国八年(一九一九年)冬,福建省恵安県の漁民である郭合順(かく・ごうじゅん)ら三十一人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山(やえやま)郡尖閣列島内和洋島(わようとう)に漂着した。
日本帝国八重山郡石垣村の玉村勢孫伴(たまよせ・そんはん)氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。
中華民国駐長崎領事 馮冕(ふう・べん)
中華民国9年(1920年) 5月20日
- 和訳の底本
- 『尖閣諸島について』 (PDF), 日本国 外務省 (2013年3月) p. 13, 2014年10月2日閲覧。原文は縦書き、漢数字と洋数字の使い分けは原文のまま。
参考文献
- 「中国から古賀善次らへの感謝状」、『WiLL』11月号増刊、ワック・マガジンズ、2010年10月、p.17。 - 日本語の翻訳を収録。
- 「八重山郡尖閣列島」中国からの感謝状に明記 石垣市内で発見 琉球新報. (2010年11月28日). 2011年09月19日閲覧。
- 「尖閣は日本領」記述 中華民国からの感謝状 石垣村長あても現存 産経新聞. (2010年11月29日). 2010年11月29日閲覧。