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万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第六

提供:Wikisource

巻第六むまきにあたるまき


雑歌くさぐさのうた


養老やうらう七年ななとせといふとし癸亥みづのとゐ夏五月さつき、芳野の離宮とつみやいでませる時、笠朝臣金村がよめる歌一首ひとつ、また短歌みじかうた

0907 たぎの 三船の山に 水枝みづえさし しじに生ひたる

   つがの木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ

   み吉野の 秋津あきづの宮は 神柄かみからか 貴かるらむ

   国柄か 見が欲しからむ 山川を あつさやけみ

   大宮と うべし神代ゆ 定めけらしも

かへし歌二首

0908 毎年としのはにかくも見てしかみ吉野の清き河内かふちたぎつ白波

0909 山高み白木綿花しらゆふはなに落ち激つたぎの河内は見れど飽かぬかも

或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、

 0910 神柄か見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも

 0911 み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまた還り見む

 0912 泊瀬女はつせめの造る木綿花み吉野の滝の水沫みなわに咲きにけらずや


車持朝臣千年くらもちのあそみちとせがよめる歌一首、また短歌

0913 味凝うまこり あやにともしき 鳴神の 音のみ聞きし

   み吉野の 真木立つ山ゆ 見くだせば 川の瀬ごとに

   明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなり

   紐解かぬ 旅にしあれば のみして 清き川原を 見らくし惜しも

反し歌一首

0914 たぎの三船の山は見つれども思ひ忘るる時も日も無し

或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、

 0915 千鳥泣くみ吉野川の川音かはとなす止む時なしに思ほゆる君

 0916 茜さす日並べなくにが恋は吉野の川の霧に立ちつつ

     右、年月ツマビラカナラズ。但歌類ヲ以テ此ノ次

     ニ載ス。或ル本ニ云ク、養老七年五月、芳野

     離宮ニ幸セル時ニ作ム。


神亀じむき元年はじめのとし甲子きのえね冬十月かみなつき五日いつかのひ、紀伊国に幸せる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0917 やすみしし 我ご大王おほきみの 外津宮とつみやと 仕へまつれる

   雑賀野さひかぬゆ 背向そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に

   風吹けば 白波騒き 潮れば 玉藻刈りつつ

   神代より しかぞ貴き 玉津たまづ島山

反し歌二首

0918 沖つ島荒磯ありその玉藻潮干満ちていかくろひなば思ほえむかも

0919 若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺あしへをさしてたづ鳴き渡る

     右、年月記サズ。但称ハク玉津島ニ従駕セリキト。

     因リテ今行幸ノ年月ヲ検注シ、以テ載ス。


二年ふたとせといふとし乙丑きのとのうし夏五月さつき、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌

0920 あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の

   川の瀬の 浄きを見れば 上辺かみへには 千鳥しば鳴き

   下辺しもへには かはづ妻呼ぶ 百敷の 大宮人も

   をちこちに しじにしあれば 見るごとに あやにともしみ

   玉葛たまかづら 絶ゆることなく 万代よろづよに かくしもがもと

   天地あめつちの 神をぞ祈る 畏かれども

反し歌二首

0921 万代に見とも飽かめやみ吉野のたぎつ河内の大宮所

0922 人皆の命もあれもみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも


山部宿禰赤人がよめる歌二首、また短歌

0923 やすみしし 我ご大王おほきみの 高知らす 吉野の宮は

   たたなづく 青垣ごもり 川並の 清き河内かふち

   春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ち渡る

   その山の いや益々に この川の 絶ゆること無く

   百敷の 大宮人は 常に通はむ

反し歌二首

0924 み吉野の象山きさやま木末こぬれにはここだも騒く鳥の声かも

0925 ぬば玉の夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く


0926 やすみしし 我ご大王は み吉野の 秋津の小野の

   野のには 跡見とみ据ゑ置きて み山には 射目いめ立て渡し

   朝狩に しし踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て

   馬めて 御狩そ立たす 春の茂野に

反し歌一首

0927 あしひきの山にも野にも御狩人さつ矢挟み騒ぎたり見ゆ

     右、先後ヲ審ラカニセズ。但便ヲ以テノ故ニ此次ニ載ス。


冬十月かみなづき、難波の宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌

0928 押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし里と

   人皆の 思ひ安みて 連れもなく ありし間に

   続麻うみをなす 長柄ながらの宮に 真木柱 太高敷きて

   す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味經あぢふの原に

   物部もののふの 八十伴雄やそとものをは 廬りして 都と成れり 旅にはあれども

反し歌二首

0929 荒野らに里はあれども大王の敷きす時は都と成りぬ

0930 海未通女あまをとめ棚無小舟榜ぎらし旅の宿りに楫の聞こゆ


車持朝臣千年がよめる歌一首、また短歌

0931 鯨魚いさな取り 浜辺を清み 打ち靡き 生ふる玉藻に

   朝凪に 千重ちへ波寄り 夕凪に 五百重いほへ波寄る

   沖つ波 いや益々に つ波の いやしくしくに

   月にに 日々に見がほし 今のみに 飽き足らめやも

   白波の い咲きもとへる 住吉すみのえの浜

反し歌一首

0932 白波の千重に来寄する住吉の岸の黄土生はにふににほひて行かな


山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0933 天地の 遠きが如く 日月ひつきの 長きが如く

   押し照る 難波の宮に 我ご大王 国知らすらし

   御食みけつ国 日々の御調みつきと 淡路の 野島の海人の

   わたの底 沖つ海石いくりに 鮑玉あはびたま さはかづき出

   船めて 仕へまつるか 貴し見れば

反し歌一首

0934 朝凪に楫の聞こゆ御食つ国野島の海人の船にしあるらし


三年みとせといふとし丙寅ひのえとら秋九月ながつき十五日とをかまりいつかのひ、播磨国印南野いなみぬいでませる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌

0935 名寸隅なきすみの 船瀬ふなせゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に

   朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ

   海未通女あまをとめ ありとは聞けど 見に行かむ 由のなければ

   大夫ますらをの 心は無しに 手弱女たわやめの 思ひたわみて

   徘徊たもとほり あれはそ恋ふる 船楫ふねかぢを無み

反し歌二首

0936 玉藻刈る海未通女ども見に行かむ船楫もがも波高くとも

0937 往き還り見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜に頻る白波


山部宿禰赤人がよめる歌一首 、また短歌

0938 やすみしし 我が大王の 神ながら 高知らせる

   印南野の 大海おほうみの原の 荒栲あらたへの 藤江の浦に

   しび釣ると 海人船騒ぎ 塩焼くと 人そさはなる

   浦をみ うべも釣はす 浜を吉み 諾も塩焼く

   あり通ひ さくもしるし 清き白浜

反し歌三首

0939 沖つ波辺波静けみいざりすと藤江の浦に船そ騒げる

0940 印南野の浅茅押しなべさる夜の長くしあれば家し偲はゆ

0941 明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば


辛荷からにの島を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0942 あぢさはふ 妹が目れて 敷細しきたへの 枕も巻かず

   桜皮かには巻き 作れる舟に 真かぢき が榜ぎ来れば

   淡路の 野島も過ぎ 印南嬬いなみつま 辛荷の島の

   島のゆ 我家わぎへを見れば 青山の そことも見えず

   白雲も 千重になり来ぬ 榜ぎたむる 浦のことごと

   行き隠る 島の崎々 くまも置かず 思ひそが来る 旅の長み

反し歌三首

0943 玉藻刈る辛荷の島に島する鵜にしもあれや家はざらむ

0944 島隠りが榜ぎ来ればともしかも大和へ上る真熊野の船

0945 風吹けば波か立たむと伺候さもらひ都太つたの細江に浦隠り居り


敏馬みぬめの浦を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0946 御食みけ向ふ 淡路の島に ただ向ふ 敏馬の浦の

   沖辺には 深海松ふかみる摘み 浦廻には 名告藻なのりそ苅り

   深海松の 見まく欲しけど 名告藻の 己が名惜しみ

   間使も 遣らずてあれは 生けるともなし

反し歌一首

0947 須磨の海人の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ

     右ノ作歌、年月詳ラカナラズ。但類ヲ以テノ故ニ

     此ノ次ニ載ス。


四年よとせといふとし丁卯ひのとのう春正月むつき諸王おほきみたち諸臣子等おみたちみことのりして、授刀寮に散禁はなちいましめたまへる時によめる歌一首、また短歌

0948 真葛まくずふ 春日の山は 打ち靡く 春さりゆくと

   山のに 霞たな引き 高圓たかまとに 鴬鳴きぬ

   物部もののふの 八十伴男やそとものをは 雁が音の 来継ぎこの頃

   かく継ぎて 常にありせば 友めて 遊ばむものを

   馬並めて 行かまし里を 待ちがてに がせし春を

   かけまくも あやに畏し 言はまくも 忌々ゆゆしからむと

   あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に

   いそに生ふる 菅の根採りて しぬふ草 祓ひてましを

   行く水に みそぎてましを 大王の 命畏み

   百敷の 大宮人の 玉ほこの 道にも出でず 恋ふるこの頃

反し歌一首

0949 梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びし事を宮もとどろに

     右、神亀四年正月、数王子マタ諸臣子等、春日野ニ

     集ヒ、打毬ノ楽ヲ作ス。其ノ日、忽チニ天陰リ、雨

     フリカミナリイナビカリス。此ノ時宮中ニ侍従マタ侍衛無

     シ。勅シテ刑罰ニ行ヒ、皆授刀寮ニ散禁シテ、妄リ

     ニ道路ニ出ヅルコトヲ得ザラシメタマフ。時ニ悒憤

     シテ、即チ斯ノ歌ヲ作ム。作者ハ詳ラカナラズ。


五年いつとせといふとし戊辰つちのえたつ、難波の宮に幸せる時よめる歌四首

0950 大王の境ひたまふと山守やまもり据ゑるちふ山に入らずはやまじ

0951 見渡せば近きものからいそ隠りかがよふ玉を取らずはやまじ

0952 韓衣からころも着奈良の里の君松に玉をし付けむき人もがも

0953 さ牡鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君にはた逢はざらむ

     右、笠朝臣金村ガ歌ノ中ニ出ヅ。或ハ云ク、車持

     朝臣千年作ムト。


膳王かしはでのおほきみの歌一首

0954 あしたには海辺にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも

     右ノ作歌ノ年ハ審ラカナラズ。但歌類ヲ以テ便チ

     此ノ次ニ載ス。


太宰少弐おほみこともちのすなきすけ石川朝臣足人たりひとが歌一首

0955 刺竹さすだけの大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君

かみ大伴卿おほとものまへつきみこたふる歌一首

0956 やすみしし我が大王の食す国は大和もここもおやじとそ


冬十一月しもつき、太宰の官人つかさひと等、香椎の廟ををろがみ奉り、へて退帰まかれる時、馬を香椎の浦にとどめて、おのもおのもおもひを述べてよめる歌

かみ大伴のまへつきみの歌一首

0957 いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ

大弐おほきすけ小野老朝臣が歌一首

0958 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな

豊前守とよくにのみちのくちのかみ宇努首男人うぬのおびとをひとが歌一首

0959 往き還り常にが見し香椎潟明日ゆ後には見むよしもなし


帥大伴の卿の芳野の離宮とつみや遥思しぬひてよみたまへる歌一首

0960 隼人はやひとの瀬戸のいはほも鮎走る吉野の滝になほしかずけり


帥大伴の卿の、次田すきた温泉に宿りて、たづを聞きてよみたまへる歌一首

0961 湯の原に鳴く葦鶴はが如く妹に恋ふれや時わかず鳴く


天平てむひやう二年庚午かのえうまみことのりして駿馬ときうまえらぶ使大伴道足みちたり宿禰を遣はせる時の歌一首

0962 奥山の岩に苔むし畏くも問ひ賜ふかも思ひあへなくに

     右、勅使みかどつかひ大伴道足宿禰を帥の家にあへす。此の日

     衆諸を会集へ、駅使はゆまづかひ葛井連廣成を相誘ひ、歌詞

     を作むべしと言ふ。登時すなはち廣成声に応へて、此の歌

     をうたへりき。


冬十一月しもつき、大伴坂上郎女が帥の家より上道みちだちして、筑前国宗形郡名兒山を超ゆる時よめる歌一首

0963 大汝おほなむぢ 少彦名すくなびこなの 神こそは 名付けそめけめ

   名のみを 名兒山と負ひて が恋の 千重の一重も 慰めなくに


おやじ坂上郎女がみやこのぼ海路うみつぢにて浜の貝を見てよめる歌一首

0964 我が背子に恋ふれば苦しいとまあらば拾ひて行かむ恋忘れ貝


冬十二月しはす太宰帥おほみこともちのかみ大伴の卿の京に上りたまふ時、娘子をとめがよめる歌二首

0965 おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖をしぬひてあるかも

0966 大和道は雲隠れたりしかれどもが振る袖を無礼なめしとふな

     右、太宰帥大伴の卿の大納言に兼任され、京にのぼらむ

     として上道みちだちしたまふ。此の日水城に馬駐め、府家を顧

     み望む。時に卿を送る府吏つかさひとの中に遊行女婦うかれめあり。其の

     兒島こしまと曰ふ。是に娘子、此の別れ易きを傷み、彼の

     会ひ難きを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌をうたふ。

大納言おほきものまをすつかさ大伴の卿の和へたまへる歌二首

0967 大和道の吉備の兒島を過ぎて行かば筑紫の子島思ほえむかも

0968 大夫ますらをと思へるあれ水茎みづくき水城みづきの上に涙のごはむ


三年辛未かのとひつじ、大納言大伴の卿の、寧樂の家に在りて故郷ふるさとしぬひてよみたまへる歌二首

0969 しましくも行きて見てしか神名備かむなびの淵はあせにて瀬にか成るらむ

0970 群玉の栗栖くるすの小野の萩が花散らむ時にし行きて手向けむ


四年壬申みづのえさる、藤原宇合の卿の西海道にしのうみつぢの節度使に遣はさるる時、高橋連蟲麻呂がよめる歌一首、また短歌

0971 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に

   打ち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ

   あた守る 筑紫に至り 山のそき 野の極せと

   伴のを あがち遣はし 山彦の 答へむ極み

   蟾蜍たにぐくの さ渡る極み 国形を したまひて

   冬籠り 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早還り来ね

   龍田道の 岡辺の道に 紅躑躅につつじの にほはむ時の

   桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば

反し歌一首

0972 千万ちよろづいくさなりとも言挙げせずりてぬべきをとことぞ


天皇すめらみことの節度使の卿等まへつきみたちおほみき賜へる御歌おほみうた一首、また短歌

0973 す国の 遠の朝廷みかどに いましらし かく罷りなば

   平けく あれは遊ばむ 手抱てうだきて あれはいまさむ

   天皇すめらが うづの御手もち 掻き撫でそ ぎたまふ

   打ち撫でそ 労ぎたまふ 還り来む日 相飲まむそ この豊御酒とよみき

反し歌一首

0974 大夫ますらをの行くちふ道そおほろかに思ひて行くな大夫の伴

     右ノ御歌ハ、或ハ云ク、太上天皇ノ御製ナリト。


中納言なかのものまをすつかさ安倍廣庭の卿の歌一首

0975 かくしつつ在らくをみぞ玉きはる短き命を長く欲りする


五年癸酉みづのととり、草香山を超ゆる時、神社忌寸老麿かみこそのいみきおゆまろがよめる歌二首

0976 難波潟潮干の名残よく見てむ家なる妹が待ち問はむため

0977 直越ただこえのこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも


山上臣憶良が沈痾やみこやれる時の歌一首

0978 をとこやも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして

     右ノ一首ハ、山上憶良臣ガ沈痾ル時、藤原朝臣八束、

     河邊朝臣東人ヲシテ、疾メル状ヲ問ハシム。是ニ憶良

     臣、報フル語已ニ畢リ、須ク有リテ涕ヲ拭ヒ、悲シミ

     嘆キテ此ノ歌ヲ口吟ウタヒキ。


大伴坂上郎女が、をひ家持が佐保より西のいへ還帰かへるときにおくれる歌一首

0979 我が背子がる衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで


安倍朝臣蟲麻呂が月の歌一首

0980 雨隠り三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜はくだちつつ


大伴坂上郎女が月の歌三首

0981 獵高かりたかの高圓山を高みかも出で来む月の遅く照るらむ

0982 ぬば玉の夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ

0983 山の端の細愛壮士ささらえをとこ天の原渡る光見らくしよしも


豊前国とよくにのみちのくちの娘子が月の歌一首 娘子字ヲ大宅ト曰フ。姓氏詳ラカナラズ。

0984 雲隠り行方を無みとが恋ふる月をや君が見まく欲りする


湯原王の月の歌二首

0985 あめにます月読壮士つくよみをとこまひはせむ今宵の長さ五百夜いほよ継ぎこそ

0986 しきやし間近き里の君来むと言ふしるしにかも月の照りたる


藤原八束朝臣が月の歌一首

0987 待ちがてにがする月は妹がる三笠の山にこもりたりけり


市原王の宴に父安貴王をきませる歌一首

0988 春草は後は散り易し巌なす常盤にいませ貴き吾君あきみ


湯原王の打酒さかほかひの歌一首

0989 焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿豊御酒とよみきあれ酔ひにけり


紀朝臣鹿人かひと跡見とみ茂岡しげをかの松の樹の歌一首

0990 茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく

同じ鹿人が泊瀬河のほとりに至りてよめる歌一首

0991 石走いはばしたぎち流るる泊瀬川絶ゆること無くまたも来て見む


大伴坂上郎女が元興寺の里を詠める歌一首

0992 古郷の飛鳥はあれど青丹よし奈良の明日香を見らくしよしも


同じ坂上郎女が初月みかつきの歌一首

0993 月立ちてただ三日月の眉根まよね掻き長く恋ひし君に逢へるかも


大伴宿禰家持が初月の歌一首

0994 振りけて三日月見れば一目見し人の眉引まよびき思ほゆるかも


大伴坂上郎女が親族うがらと宴せる歌一首

0995 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りぬる


六年むとせといふとし甲戌きのえいぬ海犬養宿禰あまのいぬかひのすくね岡麿がみことのりうけたまはりてよめる歌一首

0996 御民あれ生けるしるしあり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば


春三月やよひ、難波の宮に幸せる時の歌六首

0997 住吉すみのえ粉浜こばまの蜆開けも見ずこもりのみやも恋ひ渡りなむ

     右の一首ひとうたは、作者よみひと未詳しらず

0998 まよのごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて榜ぐ舟とまり知らずも

     右の一首は、船王ふねのおほきみのよみたまへる。

0999 茅渟廻ちぬみより雨そ降り来る四極しはつの海人綱手干したり濡れあへむかも

     右の一首は、住吉の浜に遊覧あそびて、宮に還りたまへる時

     の道にて、守部王もりべのおほきみの詔をうけたまはりてよみたまへる歌。

1000 児らがあらば二人聞かむを沖つ洲に鳴くなるたづの暁の声

     右の一首は、守部王のよみたまへる。

1001 大夫ますらをは御狩に立たし娘子をとめらは赤裳裾引く清き浜びを

     右の一首は、山部宿禰赤人がよめる。

1002 馬の歩み抑へ留めよ住吉の岸の黄土はにふににほひて行かむ

     右の一首は、安倍朝臣豊継がよめる。


筑後守つくしのみちのしりのかみ外従五位とのひろきいつつのくらゐしもつしな葛井連大成が海人の釣船を遥見みさけてよめる歌一首

1003 海女をとめ玉求むらし沖つ波かしこき海に船出せり見ゆ


按作村主益人くらつくりのすくりますひとが歌一首

1004 思ほえず来ませる君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも

     右、内匠大属按作村主益人、聊カ飲饌ヲ設ケ、以テ長官

     佐為王ヲ饗ス。未ダ日クタツニ及バズシテ王既ク還帰カヘル。

     時ニ益人、カズシテ帰ルコトヲ怜惜ヲシミテ、仍チ此ノ歌

     ヲ作ム。


八年やとせといふとし丙子ひのえね夏六月みなつき、芳野の離宮とつみやいでませる時、山部宿禰赤人が詔をうけたまはりてよめる歌一首、また短歌

1005 やすみしし 我が大王の したまふ 吉野の宮は

   山だかみ 雲そ棚引く 川速み 瀬のそ清き

   神さびて 見れば貴く よろしなへ 見ればさやけし

   この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ

   百敷の 大宮所 止む時もあらめ

反し歌一首

1006 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川を


市原王の独り子を悲しみたまへる歌一首

1007 言問はぬ木すらいもありちふをただ独り子にあるが苦しさ


忌部首黒麿いみべのおびとくろまろが友の来ること遅きを恨むる歌一首

1008 山の端にいさよふ月の出でむかとが待つ君が夜は降ちつつ


冬十一月しもつき左大弁ひだりのおほきおほともひ葛城王かづらきのおほきみたちに、橘のうぢ賜姓たまへる時、みよみませる御製歌おほみうた一首

1009 橘は実さへ花さへその葉さへに霜降れどいや常葉とこはの木

     右、冬十一月九日、従三位葛城王、従四位上佐為王等、

     皇族ノ高名ヲ辞シ、外家ノ橘姓ヲ賜フコト已ニ訖リヌ。

     時ニ太上天皇、皇后、共ニ皇后宮ニ在シテ、肆宴ヲ為シ、

     即チ橘ヲク歌ヲ御製シ、マタ御酒ヲ宿禰等ニ賜フ。

     或ハ云ク、此ノ歌一首、太上天皇ノ御歌ナリ。但シ天皇

     皇后ノ御歌ハ各一首有リ。其ノ歌遺落シテ探リ求ムルコ

     トヲ得ズ。今案内ヲ検フルニ、八年十一月九日、葛城王

     等橘宿禰ノ姓ヲ願ヒ表ヲ上ル。十七日ヲ以テ表ニ依リ乞

     ヒ橘宿禰ヲ賜フト。


橘宿禰奈良麿が詔を応りてよめる歌一首

1010 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すともつちに落ちめやも


冬十二月しはす十二日とをまりふつかのひ歌舞所うたまひどころ諸王臣子等おほきみまへつきみたち、葛井連廣成が家に集ひて宴せる歌二首

比来古舞盛ニ興リテ、古歳ヤヤレヌ。理、共ニ古情ヲ尽シテ、同ニ此ノ歌ヲ唄フベシ。故ニ此ノ趣ニ擬ヘテ、スナハチ古曲二節ヲ献ル。風流意気ノ士、シ此ノ集ノ中ニ在ラバ、発念ヲ争ヒ、心々ニ古体ニ和ヘヨ。

1011 我が屋戸の梅咲きたりと告げ遣らばちふに似たり散りぬともよし

1012 春さればををりに撓り鴬の鳴く山斎しまそ止まず通はせ


九年ここのとせといふとし丁丑ひのとうし春正月むつき橘少卿たちばなのおとまへつきみ、また諸大夫等まへつきみたちの、弾正尹ただすつかさのかみ門部王の家に集ひて宴せる歌二首

1013 あらかじめ君来まさむと知らませば門に屋戸にも玉敷かましを

     右の一首は、主人あろじ門部王 後、大原真人氏ヲ賜姓フ。

1014 一昨日をとつひも昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも

     右の一首は、橘宿禰文成あやなり 少卿ノ子ナリ。

榎井王の後に追ひて和へたまへる歌一首

1015 玉敷きて待たえしよりはたけそかに来たる今宵し楽しく思ほゆ


春二月きさらき、諸大夫等、左少弁ひだりのすなきおほともひ巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集ひて宴せる歌一首

1016 海原の遠き渡りを遊士みやびをの遊ぶを見むとなづさひそ来し

     右ノ一首ハ、白紙ニ書キテ屋ノ壁ニ懸ケ著ケタリ。

     題シテ云ク、蓬莱ノ仙媛ノ作メル。謾ニ風流秀才ノ

     士ノ為ナリ。斯凡客ノ望ミ見ル所ニアラズカト。


夏四月うつき、大伴坂上郎女が賀茂の神社かみのやしろをろがみ奉る時、相坂山を超え、近江の海を望見みさけて、晩頭ゆふへに還り来たるときよめる歌一首

1017 木綿畳ゆふたたみ手向たむけの山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ吾等あれ


十年ととせといふとし戊寅つちのえとら元興寺ぐわむこうじほうしが自ら嘆く歌一首

1018 白珠は人に知らえず知らずともよし知らずともあれし知れらば知らずともよし

     右ノ一首ハ、或ハ云ク、元興寺ノ僧、独リ覚リテ智多ケレドモ、

     顕聞スルトコロ有ラズ、衆諸狎侮アナヅリキ。此ニ因リテ僧此ノ歌ヲ

     ミ、自ラ身ノ才ヲ嘆ク。


石上乙麿いそのかみのおとまろまへつきみの、土佐の国にはなたえし時の歌三首、また短歌

1019 石上いそのかみ 布留ふるみことは 手弱女たわやめの さどひによりて

   馬じもの 縄取り付け ししじもの 弓矢かくみて

   大王おほきみの みことかしこみ 天ざかる 夷辺ひなへまか

   古衣ふるころも 真土の山ゆ 帰り来ぬかも

1020 大王の 命畏み さし並の 国に出でます

   はしきやし 我が背の君を

(1021)かけまくも 忌々ゆゆし畏し 住吉すみのえの 現人神あらひとかみ

   船のに うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々

   依りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風に遇はせず

   つつみなく み病あらず すむやけく 帰したまはね もとの国辺に

     右の二首は、石上の卿のがよめる。

1022 父君に あれ愛子まなごぞ 母刀自おもとじに あれは愛子ぞ

   参上まゐのぼり 八十氏人やそうぢひとの 手向する かしこの坂に

   ぬさまつり あれはぞ退まかる 遠き土佐道を

反し歌一首

1023 大崎の神の小浜をはまは狭けども百船人ももふなひとも過ぐと言はなくに

     右の二首は、石上の卿のよめる。

秋八月はつき二十日はつかのひ右大臣みぎのおほまへつきみ橘の家に宴せる歌四首

1024 長門なる沖つ借島奥まへてふ君は千年にもがも

     右の一歌は、長門守巨曽倍對馬こそべのつしま朝臣。

1025 奥まへてあれを思へる我が背子は千年五百年いほとせありこせぬかも

     右の一歌は、右大臣の和へたまへる歌。

1026 百敷の大宮人は今日もかも暇を無みと里に出でざらむ

     右の一首は、右大臣の伝へりたまはく、

     もと豊島采女てしまのうねべが歌。

1027 橘の本に道踏み八衢やちまたに物をそ思ふ人に知らえず

     右の一歌は、右大弁みぎのおほきおほともひ高橋安麿の卿語りけらく、

     故の豊島采女がよめるなり。

     但シ或ル本ニ云ク、三方沙彌、妻ノ苑臣ヲ恋ヒテ作メル歌ナリト。

     然ラバ則チ、豊島采女、当時当所ニ此ノ歌ヲ口吟ウタヘルカ。


十一年ととせまりひととせといふとし己卯つちのとう天皇すめらみこと高圓の野に遊猟みかりしたまへる時、小さきけだもの堵里さとうちで走る。是に勇士ますらを適値ひて生きながららえぬ。即ち此の獣を御在所みもとに献上るとき副ふる歌一首 獣ノ名ハ俗ニ牟射佐妣ムササビト曰フ

1028 大夫ますらをの高圓山に迫めたれば里にるむささびそこれ

     右の一歌は、大伴坂上郎女がよめる。但シ奏ヲ

     逕ズシテ小獣死シ斃レヌ。此ニ因リテ献歌停ム。


十二年ととせまりふたとせといふとし庚辰かのえたつ冬十月かみなつき太宰少弐おほみこともちのすなきすけ藤原朝臣廣嗣が反謀みかどかたぶけむとしていくさおこせるに、伊勢国にいでませる時、河口の行宮かりみやにて内舎人うちとねり大伴宿禰家持がよめる歌一首

1029 河口かはくちの野辺に廬りて夜のれば妹が手本し思ほゆるかも


天皇のみよみませる御製歌おほみうた一首

1030 妹に恋ひが松原よ見渡せば潮干の潟にたづ鳴き渡る


丹比屋主真人たぢひのいへぬしのまひとが歌一首

1031 後れにし人をしぬはく四泥しでの崎木綿取りでて往かむとそ


独り行宮におくれゐて大伴宿禰家持がよめる歌二首

1032 天皇おほきみ行幸いでましのまに我妹子わぎもこが手枕巻かず月そ経にける

1033 御食みけつ国志摩の海人あまならし真熊野の小船をぶねに乗りて沖へ榜ぐ見ゆ


美濃国多藝たぎの行宮にて、大伴宿禰東人がよめる歌一首

1034 いにしへよ人の言ひる老人の変若つちふ水そ名に負ふ滝の瀬

大伴宿禰家持がよめる歌一首

1035 田跡川たどかはたぎを清みか古ゆ宮仕へけむ多藝の野の


不破の行宮にて、大伴宿禰家持がよめる歌一首

1036 関なくば帰りにだにも打ち行きて妹が手枕巻きて寝ましを


十五年ととせまりいつとせといふとし癸未みづのとひつじ秋八月はつき十六日とをかまりむかのひ、内舎人大伴宿禰家持が久邇くにの京を讃へてよめる歌一首

1037 今造る久邇の都は山河のさやけき見ればうべ知らすらし


高丘河内連たかをかのかふちのむらじが歌二首

1038 故郷は遠くもあらず一重山越ゆるがからに思ひぞがせし

1039 我が背子と二人し居れば山高み里には月は照らずともよし


安積親王の左少弁ひだりのすなきおほともひ藤原八束朝臣が家に宴したまふ日、内舎人大伴宿禰家持がよめる歌一首

1040 久かたの雨は降りしけ思ふ子が屋戸に今夜は明かしてゆかむ


十六年ととせまりむとせといふとし甲申きのえさる春正月むつき五日いつかのひ諸卿大夫まへつきみたち安倍蟲麻呂朝臣が家に集ひて宴せる歌一首

1041 我が屋戸の君松の木に降る雪の行きには行かじ待ちにし待たむ


同じ月十一日とをかまりひとひ活道いくぢの岡に登り、一株松ひとつまつもとに集ひてうたげせる歌二首

1042 一つ松幾代か経ぬる吹く風の声のめるは年深みかも

     右の一首は、市原王のよみたまへる。

1043 玉きはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ

     右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


寧樂ならみやこ荒墟あれたる傷惜をしみてよめる歌三首 作者不審

1044 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき

1045 世の中を常無きものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば

1046 石綱いはつなのまた変若ちかへり青丹よし奈良の都をまた見なむかも


寧樂の京の故郷あれたるを悲しみよめる歌一首、また短歌

1047 やすみしし 我が大王おほきみの 高敷かす 大和の国は

   皇祖すめろきの 神の御代より 敷きませる 国にしあれば

   れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知ろしめさむと

   八百万やほよろづ 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は

   陽炎かぎろひの 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に

   桜花 木のくれ隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く

   露霜の 秋さり来れば 射鉤いかひ山 飛火とぶひたけ

   萩のを しがらみ散らし さ牡鹿は 妻呼びとよ

   山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし

   物部もののふの 八十伴の男の うちはへて 里並みしけば

   天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと

   思ひにし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を

   新代あらたよの 事にしあれば 大王の 引きのまにまに

   春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば

   刺竹さすだけの 大宮人の 踏み平し 通ひし道は

   馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも

反し歌二首

1048 建ち替り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり

1049 つきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし増さる


久邇くに新京にひみやこを讃ふる歌二首、また短歌

1050 あきつ神 我が大王の 天の下 八島の内に

   国はしも 多くあれども 里はしも さはにあれども

   山並の よろしき国と 川並の 立ち合ふ里と

   山背の 鹿背かせ山のに 宮柱 太敷きまつり

   高知らす 布當ふたぎの宮は 川近み 瀬のぞ清き

   山近み 鳥がとよむ 秋されば 山もとどろに

   さ牡鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺もしじ

   巌には 花咲きををり あなおもしろ 布當の原

   いとたふと 大宮所 うべしこそ 我が大王は

   君のまに 聞かしたまひて 刺竹の 大宮ここと 定めけらしも

反し歌二首

1051 三香みかの原布當の野辺を清みこそ大宮所定めけらしも

1052 山高く川の瀬清し百代までかむしみゆかむ大宮所


1053 吾が大王 神の命の 高知らす 布當の宮は

   百木盛る 山は木高こだかし 落ちたぎつ 瀬のも清し

   鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り

   錦なす 花咲きををり さ牡鹿の 妻呼ぶ秋は

   天霧あまぎらふ 時雨をいたみ さ丹頬にづらふ 黄葉もみち散りつつ

   八千年やちとせに れ付かしつつ 天の下 知ろしめさむと

   百代にも 変るべからぬ 大宮所

反し歌五首

1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ

1055 布當山山並見れば百代にも変るべからぬ大宮所

1056 娘子らが続麻うみを懸くちふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ

1057 鹿背の山木立を繁み朝さらず来鳴き響もす鴬の声

1058 狛山に鳴く霍公鳥ほととぎす泉川渡りを遠みここに通はず


春日はるのころ三香原みかのはらの都の荒墟あれたる悲傷かなしみよめる歌一首、また短歌

1059 三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み

   在りよしと 人は言へども 住みよしと あれは思へど

   古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず

   里見れば 家も荒れたり しけやし かくありけるか

   三諸みもろつく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく

   百鳥の 声なつかしき ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも

反し歌二首

1060 三香の原久邇の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば

1061 咲く花の色は変らず百敷の大宮人ぞたち変りける


難波の宮にてよめる歌一首、また短歌

1062 やすみしし 我が大王の あり通ふ 難波の宮は

   鯨魚いさな取り 海片付きて 玉ひりふ 浜辺を近み

   朝羽振る 波の騒き 夕凪に 楫の音聞こゆ

   暁の 寝覚に聞けば 海近み 潮干のむた

   浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には たづが音響む

   見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする

   御食みけ向ふ 味経あぢふの宮は 見れど飽かぬかも

反し歌二首

1063 あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる船見ゆ

1064 潮干れば葦辺に騒く白鶴あしたづの妻呼ぶ声は宮もとどろに


敏馬みぬめの浦を過ぐる時よめる歌一首、また短歌

1065 八千桙やちほこの 神の御代より 百船ももふねの 泊つる泊と

   八島国 百船人ももふなひとの 定めてし 敏馬の浦は

   朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る

   白沙しらまなご 清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず

   諾しこそ 見る人毎に 語り継ぎ しぬひけらしき

   百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜

反し歌二首

1066 真澄鏡敏馬の浦は百船の過ぎて行くべき浜ならなくに

1067 浜清み浦うるはしみ神代より千船の泊つる大和太おほわだの浜

     右ノ二十一首ハ、田邊福麻呂ガ歌集ノ中ニ出ヅ。