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源氏物語 (國文大觀)/下

提供:Wikisource

源氏物語


若菜上

朱雀院の帝ありしみゆきの後、そのころほひより例ならず惱み渡らせ給ふ。もとよりあつしくおはしますうちにこの度は物心細くおぼしめされて年比もおこなひのほい深きをきさいの宮のおはしましつる程はよろづ憚り聞えさせ給ひて今までおぼしとゞこほりつるを、猶そのかたに催すにやあらむ「世に久しかるまじき心地なむする」などのたまはせてさるべき御心まうけどもせさせ給ふ。御子達は春宮をおき奉りて女宮達なむ四所おはしましける。その中に藤壺と聞えしは先帝の源氏にぞおはしましける。まだ坊と聞えさせし時參り給ひて高き位にも定まり給ふべかりし人の、取り立てたる御うしろみも坐せず、母方もそのすぢとなく物はかなき更衣ばらにてものし給ひければ御まじらひの程も心細げにて、大后の內侍のかみを參らせ奉り給ひて傍にならぶ人なくもてなし聞え給ひなどせしほどにけおされて、帝も御心の中にいとほしきものには思ひ聞えさせ給ひながら、おりゐさせ給ひにしかばかひなく口惜しくて、世の中を怨みたるやうにてうせ給ひにし、その御腹の女三宮をあまたの御中にすぐれて悲しきものに思ひかしづき聞え給ふ。その程御年十三四ばかりにおはす。今はとそむきすてやまごもりしなむ後の世にたちとまりて誰をたのむかげにて物し給はむとすらむと、唯この御事をうしろめたくおぼしなげく。西山なる御寺造りはてゝ、移ろはせ 給はむほどの御いそぎをせさせ給ふにそへて、又この宮の御もぎのことをおぼしいそがせ給ふ。院の內にやんごとなくおぼす御たから物御調度どもをば更にもいはず、はかなき御遊物まで少しゆゑある限をば唯この御かたにと渡し奉らせ給ひて、そのつぎつぎをなむことみこたちには、御そうぶんどもありける。春宮は、かゝる御なやみに添へて世をそむかせ給ふべき御心づかひになむときかせ給ひて渡らせ給へり。母女御も添ひ聞えさせ給ひて參り給へり。すぐれたる御おぼえにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御すくせの限なくめでたければ、年比の御物語細やかに聞えかはさせ給ひけり。宮にもよろづの事世を保ち給はむ御心づかひなど聞え知らせ給ふ。御年のほどよりはいとよくおとなびさせ給ひて、御後見どもゝ此方彼方かろがろしからぬなからひに物し給へば、いとうしろやすく思ひ聞えさせ給ふ。「この世にうらみ殘ることも侍らず。女宮達のあまた殘りとゞまる行くさきを思ひやるなむさらぬ別にもほだしなりぬべかりける。さきざき人のうへに見聞きしにも、女は心よりほかにあはあはしく人におとしめらるゝすくせあるなむいと口惜しく悲しき。いづれをも思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて御心とゞめておぼし尋ねよ。その中にうしろみなどあるはさる方にも思ひゆづり侍り。三の宮なむいはけなきよはひにて唯一人をたのもしきものとならひて、うち捨てゝむ後の世にたゞよひさすらへむこといとゞうしろめたく悲しく侍り」と、御目おしのごひつゝ聞え知らせ給ふ。女御にも心うつくしきさまに聞え吿げさせ給ふ。されど母女御の人よりはまさりて時めき給ひしに、皆いどみかはし給ひし程、御なからひどもえうるはしからざりしかば、その名殘にてげに今はわざとにくしとはなくとも、誠に心とゞめて思ひうしろみむまではおぼさずもやとぞ推し量らるゝかし。朝夕にこの御事をおぼし歎く。年暮れ行くまゝに、御惱み誠に重くなりまさらせ給ひてみすのとにも出でさせ給はず、御ものゝけにて時々惱ませ給ふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさゞりつるを、この度は猶限なりとおぼしめしたり。御位を去らせ給へれど、猶その世にたのみそめ奉り給へる人々は今も懷かしくめでたき御有樣を心やり所に參り仕うまつり給ふかぎりは心をつくして惜み聞え給ふ。六條院よりも、御とぶらひしばしばあり、みづからも參り給ふべきよし聞しめして院はいといたく喜び聞えさせ給ふ。中納言の君參り給へるをみすの內に召し入れて御物語こまやかなり。「故院の上の今はのきざみにあまた御遺言ありし中にこの院の御こと今の內の御ことなむとりわきてのたまひおきしを、おほやけとなりてことかぎりありければ內々の心よせは變らずながらはかなきことあやまりに心おかれ奉ることもありけむと思ふを、年頃ことにふれてその恨み殘し給へる氣色をなむ漏らし給はぬ。さかしき人といへど身の上になりぬればことたがひて心動き、必ずそのむくい見え、ゆがめることなむいにしへだに多かりける。いかならむをりにかその御心ばへほころぶべからむと世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐし給ひて春宮などにも心をよせ聞え給ふ。今はた又なく親しかるべき中となりむつびかはし給へるも限なく心には思ひながら、本性のおろかなるに添へてこの道の間に立ちまじり、かたくなゝるさまにやとて、なかなかよそのことに聞え放ちたるさまにて侍る。內の御事はかの御遺言違へず仕うまつりおきてしかば、かく末の世のあきらけき君としてきし方の御おもてぶせをもおこし給ふ、ほいのごといと嬉しくなむ。この秋の行幸の後、いにしへのこととり添へてゆかしくおぼつかなくなむおぼえ給ふ。たいめんに聞ゆべきことゞも侍り。必ず自らとぶらひものし給ふべきよし催し申し給へ」などうちしほたれつゝのたまはす。中納言の君、「過ぎ侍りにけむかたは、ともかくも思う給へわき難く侍り。年まかり入り侍りておほやけにも仕うまつり侍るあひだ世の中の事を見給へまかりありく程には、大小のことにつけても內々のさるべき物語などのついでにもいにしへのうれはしき事ありてなむなど、うちかすめ申さるゝ折は侍らずなむ。かくおほやけの御うしろみを仕うまつりさして靜なる思ひをかなへむと、ひとへに籠り居し後は、何事をも知らぬやうにて故院の御ゆゐごんの事もえ仕うまつらず、御位に坐しましゝ世には齡の程も身のうつはものも及ばず、かしこきかみの人々多くて、その志をとげて御覽ぜらるゝこともなかりき。今かくまつりごとをさりて靜におはします比ほひ心のうちをも隔なく、參りうけたまはらまほしきを、さすがに何となく所せき身のよそほひにておのづから月日を過ぐすことゝなむ折々歎き申し給ふ」など奏し給ふ。二十にもまだ僅なる程なれどいとよく整ひすぐしてかたちも盛ににほひていみじく淸らなるを、御目にとゞめてうちまもらせ給ひつゝ、このもて煩はせ給ふ姬宮の御うしろみにこれをやなど人知れずおぼしよりけり。「おほきおとゞのわたりに今は住みつかれにたりとな年頃心得ぬさまに聞きしがいとほしかりしを、耳やすきものからさすがに妬く思ふことこそあれ」とのたまはする御氣色を、いかにのたまはすることにかとあやしく思ひ迴らすに、この姬宮をかくおぼしあつかひてさるべき人あらばあづけて心安く世をも思ひ離ればやとなむおぼしのたまはすると、おのづから漏り聞き給ふたよりありければさやうのすぢにやとは思ひよれどふと心得顏にも何にかはいらへ聞えさせむ。「唯はかばかしくも侍らぬ身にはよるべもさぶらひ難くのみなむ」とばかり奏して止みぬ。女房などは覗きて見聞えて、「いとありがたくも見え給ふかたちよういかな。あなめでた」など集りて聞ゆるを、おいしらへるは、「いでさりともかの院のかばかりにおはせし御有樣にはえなずらへきこえ給はざめり。いと目もあやにこそ淸らに物し給ひしか」などいひしろふを聞しめして「誠にかれはいとさま異なりし人ぞかし。今は又その世にもねびまさりて光るとはこれをいふべきにやと見ゆるにほひなむいとゞ加はりにたる。うるはしだちてはかばかしきかたに見ればいつくしくあざやかに目も及ばぬ心地するを、又打ち解けてたはぶれごとをもいひ亂れ遊べばそのかたにつけては似るものなくあいぎやうづきなつかしくうつくしきことのならびなきこそ世にありがたけれ。何事にもさきの世推し量られて珍らかなる人の有樣なり。宮の內におひ出でゝ帝王のかぎりなく悲しきものにし給ひ、さばかりなでかしづき身にかへておぼしたりしかど、心のまゝにもおごらずひげして二十がうちには納言にもならずなりにきかし。ひとつあまりてや宰相にて太將かけ給へりけむ。それに、これはいとこよなく進みにためるは次々のこのおぼえのまさるなめりかし。誠にかしこきかたのざえ心もちゐなどはこれもをさをさ劣るまじくあやまりてもおよすげまさりたる覺えいと殊なめり」などめでさせ給ふ。「姬宮のいと美しげにて若く何心なき御有樣なるを見奉り給ふにも、見はやし奉りかつは又かたおひならむことをば見隱し敎へ聞えつべからむ人の後安からむにあづけ聞えばや」など聞え給ふ。おとなしき御乳母ども召し出でゝ御もぎの程の事などのたまはするついでに、「六條のおとゞの、式部卿のみこのむすめおぼしたてけむやうにこの宮を預かりてはぐゝまむ人もがな。たゞ人の中にはあり難し。內には中宮さぶらひ給ふ。次々の女御達とてもいとやんごとなき限物せらるゝにはかばかしきうしろみなくてさやうのまじらひいとなかなかならむ。この權中納言の朝臣の一人ありつる程に打ちかすめてこそ心みるべかりけれ。若けれどいときやうざくにおひさきたのもしげなる人にぞあめるを」とのたまはす。「中納言はもとよりいとまめ人にて、年頃もかのわたりに心をかけてほかざまに思ひうつろふべくも侍らざりけるに、その思ひかなひては、いとゞゆるぐかた侍らじ。かの院こそなかなか猶いかなるにつけても人をゆかしくおぼしたる心は絕えずものせさせ給ふなれ。その中にもやんごとなき御願ひ深くて前齋院などをも今に忘れがたくこそ聞え給ふなれ」と申す。「いでそのふりせぬあだけこそはいと後めたけれ」とはのたまはすれど、げにあまたのなかにかゝづらひてめざましかるべき思ひはありとも、猶やがて親ざまに定めたるにて、さもや讓り置き聞えましなどもおぼしめすべし。「誠に少しも世づきてあらせむと思はむ女子もたらば同じくはかの人のあたりにこそは、ふればはせまほしけれ。いくばくならぬこの世のあひだはさばかり心ゆく有樣にてこそすぐさまほしけれ。われ女ならば同じはらからなりとも必ずむつびよりなまし。若かりし時などさなむおぼえし。まして女のあざむかれむはいとことわりぞや」とのたまはせて、御心のうちにかんの君の御こともおぼし出でらるべし。この御うしろみどものなかに、おもおもしき御乳母のせうと左中辨なるかの院の親しき人にて年比仕うまつるありけり。この宮にも心よせことにてさぶらへば、參りたるにあひて物語するついでに「上なむしかじか御氣色ありて聞え給ひしをかの院にをりあらば漏し聞えさせ給へ。御子達は一人おはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心よせ奉り、何事につけても御うしろみし給ふ人あるはたのもしげなり。上を置き奉りて又眞心に思ひ聞え給ふべき人もなければ、おのれは仕うまつるとても何ばかりの宮仕にかあらむ。我が心ひとつにしもあらでおのづから思の外のこともおはしまし、かるがるしき聞えもあらむ時にはいかさまにかは煩しからむ。御覽ずる世にともかくもこの御事定りたらば仕うまつりよくなむあるべき。賢きすぢと聞ゆれど女はいとすくせ定めがたくおはしますものなれば、よろづになげかしくかく夥多の御中に取りわき聞えさせ給ふにつけても、人の猜みあべかめるをいかでちりもすゑ奉らじ」と語らふに、辨「いかなるべき御ことにかあらむ。院は怪しきまで御心ながく、かりにても見そめ給へる人は御心とまりたるをも、又さしも深からざりけるをも、方々につけて尋ねとり給ひつゝ數多つどへ聞え給へれど、やんごとなくおぼしたるはかぎりありて、ひとかたなめればそれにことよりて、かひなげなる住まひし給ふ方々こそは多かめるを、御すくせありて若しさやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞ゆとも立ち並びておしたち給ふことは得あらじとこそは推し量らるれど、猶いかゞと憚らるゝ事ありてなむ覺ゆる。さるはこの世のさかえ末の世に過ぎて身に心もとなきことはなきを、女のすぢにてなむ人のもどきをもおひ我が心にも飽かぬこともあるとなむつねにうちうちのすさびごとにもおぼしのたまはするに、げにおのれらが見奉るにもさなむおはします。かたがたにつけて御かげに隱し給へる人皆その人ならず、立ち下れるきはには物し給はねど、限あるたゞ人どもにて院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやはおはすめる。それに同じくは實にさもおはしまさばいかにたぐひたる御あはひならむ」と語らふを、乳母又ことのついでに「然々なむなにがしの朝臣にほのめかし侍りしかば、かの院には必ずうけひき申させ給ひてむ、年比の御ほ意かなひておぼしぬべきことなるを、こなたの御ゆるし誠にありぬべくは傅へ聞えむとなむ申し侍りしを、いかなるべきことにかは侍らむ、ほどほどにつけてひとのきはきはおぼしわきまへつゝ、ありがたき御心ざまにものし給ふなれど、たゞ人だに又かゝづらひ思ふ人たちならびたることは人の飽かぬことにし侍るめるを、めざましきこともや侍らむ、御うしろみ望み給ふ人々は數多ものし給ふめり。よくおぼしめし定めてこそよく侍らめ。限なき人と聞ゆれど今の世のやうとては皆ほがらかにあるべかしく、世の中を御心とすぐし給ひつべきもおはしますべかめるを、姬宮はあさましく覺束なく心もとなくのみ見えさせ給ふにさぶらふ人々は仕うまつるかぎりこそ侍らめ。大方の御心おきてにしたがひ聞えてさかしきしも人もなびき侍ふこそたよりあることには侍らめ。取り立てたる御うしろみものし給はざらむは猶心細きわざになむ侍るべき」と聞ゆ。「しか思ひたどるによりなむ。御子達の世づきたる有樣はうたてあはあはしきやうにもあり。又高ききはといへども女は男に見ゆるにつけてこそくやしげなることもめざましき思ひも、おのづからうちまじるものなめれど、かつは心苦しく思ひ亂るゝを、又さるべき人に立ちおくれて賴むかげどもに別れぬるのち心を立てゝ世の中に過ぐさむことも、昔は人の心たひらかにて世に許さるまじき程のことをば思ひ及ばぬものとならひたりけむ。今の世にはすきずきしく亂りがはしきことも、るゐに觸れて聞ゆめりかし。昨日まで高き親の家にあがめられかしづかれし人のむすめの、今日はなほなほしく降れるきはのすきものどもになほたちあざむかれて、なき親のおもてをふせ影を辱むるたぐひ多く聞ゆる、いひもて行けば皆おなじことなり。程々につけて宿世などいふなることは知りがたきわざなればよろづにうしろめたくなむ。總て惡しくも善くもさるべき人の心に許し置きたるまゝにて世の中を過ぐすは宿世宿世にて後の世に衰へあるときもみづからのあやまちにはならず。ありへてこよなきさいはひあり、めやすきことになるをりは、かくてしもあしからざりけりと見ゆれど、なほたちまちにふと打ち聞きつけたる程は、親に知られずさるべき人も許さぬに心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはますことなききずと覺ゆるわざなる。なほなほしきたゞ人のなからひにてだにあはつけく心づきなきことなり。みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを思ふ心より外に人にも見え宿世の程定められむなむ、いとかろがろしく身のもてなしありさまおしはからるゝことなるを、怪しく物はかなき心ざまにやと見ゆめる御さまなるを、これかれの心にまかせてもてなし聞ゆる〈なイ〉さやうなる事の世にもり出でむこといと憂きことなり」など、見捨てまつり給はむのちの世をうしろめたげに思ひ聞えさせ給へれば、いよいよ煩はしくおもひあへり。「今すこしものをも思ひ知り給ふ程まで見過ぐさむとこそは年頃念じつるを、深きほ意も遂げずなりぬべき心地のするに思ひ催されてなむ。かの六條のおとゞはげにさりともものゝ心えてうしろ安き方はこよなかりなむを、かたがたに數多ものせらるべき人々を知るべきにもあらずかし。とてもかくても人の心からなり。のどかにおち居て大かたの世のためしとも、うしろ安き方は並びなくものせらるゝ人なり。さらでよろしかるべき人誰ばかりかはあらむ。兵部卿宮人がらはめやすしかし。同じすぢにてこと人とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめく程に、重き方おくれて少しかろびたる覺えや進みにたらむ。なほさる人はいとたのもしげなくなむある。又大納言の朝臣の家づかさのぞむなる、さるかたにものまめやかなるべきことにはあなれどさすがにいかにぞや。さやうにおしなべたるきはゝ猶めざましくなむあるべき。昔もかやうなるえらひには何事も人にことなる覺えあるに、ことよりてこそありけれ。唯ひとへにまたなく用ゐむばかりを、賢きことに思ひ定めむはいと飽かず口惜しかるべきわざになむ。右衞門督のしたにわぶなるよし、ないしのかみものせられしその人ばかりなむ、位など今少しものめかしき程になりなば、などかはとも思ひよりぬべきを、まだ年いと若くむげにかろびたる程なり。高き志深くてやもめずみにて過ぐしつゝいたくしづまり思ひあがれる氣色人にはぬけてざえなどもこともなく遂には世のかためとなるべき人なれば、行く末もたのもしけれど、猶又この爲にと思ひはてむにはかぎりぞあるや」と萬におぼし煩ひたり。かやうにもおぼしよらぬ姉宮達をばかけても聞えなやまし給ふ人もなし。怪しく內々にのたまはする御さゝめきごとゞもの、おのづからことひろごりて心を盡す人々多かりけり。おほきおとゞもこの衞門督の今まで一人のみありて御子達ならずはえじと思へるを、かゝる御定めども出で來たなる折に、さやうにもおもむけ奉りて召しよせられたらむ時、いかばかり我が爲にもめんぼくありて嬉しからむとおぼしのたまひて、內侍のかんの君にはかの姉の北の方して傳へ申し給ふなりけり。よろづかぎりなき言の葉を盡して奏せさせ御氣色たまはらせ給ふ。兵部卿宮は左大將の北の方を聞えはづし給ひて聞き給ふらむ所もあり。かたほならむことはとえり過ぐし給ふにいかゞは御心の動かざらむ。限なくおぼしいられたり。藤大納言は年比院のべたうにて親しく仕うまつりて侍ひなれにたるを、御山籠りし給ひなむ後、より所なく心ぼそかるべきを、この宮の御うしろみにことよせてかへりみさせ給ふべく、御氣色せちにたまはり給ふなるべし。權中納言もかゝることゞもを聞き給ふに、人づてにもあらずさばかりおもむけさせ給へりし御氣色を見奉りてしかば、おのづからたよりにつけて漏らし聞し召さする事もあらば、よももてはなれてはあらじかしと心時めきもしつべけれど、女君の今はと打ち解けて賴み給へるを年比つらきにもことづけつべかりしほどだに、ほかざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに今更に立ちかへりにはかにものをや思はせ聞えむ。なのめならずやんごとなき方にかゝづらひなば、何事も思ふまゝならで左みぎに安からずは、我が身も苦しくこそはあらめ。もとよりすきずきしからぬ心なれば、思ひしづめつゝ打ち出でねど、さすがにほかざまに定まりはて給はむもいかにぞや覺えて耳はとまりけり。春宮にもかゝる事ども聞し召してさしあたりたる只今のことよりも後の世のためしともなるべきことなるをよくおぼしめし廻らすべきことなり。人がらよろしとてもたゞ人はかぎりあるを、なほしかおぼしたつことならばかの六條院にこそ親ざまに讓り聞えさせ給はめとなむ、わざとの御せうそこにはあらねど、御氣色ありけるを、まち聞かせ給ひてもげにさることなり。いとよくおぼしのたまはせたりといよいよ御心だゝせたまひて、まづかの辨してぞかつがつあないつたへ聞えさせ給ひける。この宮の御ことかくおぼし煩ふさまはさきざきも皆聞き置き給へれば、「心苦しき御事にもあなるかな。さはありとも院の御世ののこりすくなしとて、こゝに又いくばく立ち後れ奉るべきとてかその御うしろみの事をば受け取り聞えむ。げに次第をあやまたぬにて今しばしの程も殘りとまるかぎりあらば、大かたにつけてはいづれの御子達をもよそに聞き放ち奉るべきにもあらねど、又かくとりわきて聞きおき奉りてむをば殊にこそはうしろみ聞えめと思ふを、それだにいと不定なる世の定めなりや」とのたまひて「ましてひとへに賴まれ奉るべきすぢにむつびなれ聞えむことはいとなかなかに打ち續き、世を去らむきざみ心苦しくみづからのためにも淺からぬほだしになむあるべき。中納言などは年若くかるがるしきやうなれど行く先遠くて人がらも遂におほやけの御うしろみともなりぬべきおひさきなめれば、さもおぼしよらむになどかこよなからむ。されどいといたくまめだちて思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚らせ給ふにやあらむ」などのたまひてみづからはおぼしはなれたるさまなるを、辨はおぼろげの御定めにもあらぬをかくのたまへばいとほしくも口惜しくも思ひて、うちうちに覺え立ちにたるさまなど委しく聞ゆれば、さすがに打ちゑみつゝ、「いと悲しくし奉り給ふ御子なめればあながちにかくきし方行く先のたどりも深きなめりかしな。唯內にこそ奉り給はめ。やんごとなきまづの人々おはすといふことはよしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。必ずさりとて末の人愚なるやうもなし。故院の御時に、大后の坊の始の女御にていきまき給ひしかどむげの末に參り給へりし、入道宮にしばしはおされ給ひにきかし。この御子の御母女御こそはかの宮の御はらからにものし給ひけめ。かたちもさしつぎにはいとよしといはれ給ひし人なりしかばいづかたにつけてもこの姬宮おしなべてのきはにはよもおはせじを」などいぶかしくは思ひ聞え給ふべし。

年も暮れぬ。朱雀院には御心地猶をこたるさまにもおはしまさねば萬あわたゞしくおぼし立ちて、御もぎのことおぼしいそぐさま、きし方行くさきありがたげなるまでいつくしくのゝしる。御しつらひはかへ殿の西面に御几帳よりはじめてこゝの綾錦をばまぜさせ給はず、もろこしの后の飾をおぼしやりて麗しくことごとしく輝くばかりとゝのへさせ給へり。御腰ゆひにはおほきおとゞをかねてより聞えさせ給へりければ、ことごとしくおはする人にて參りにくゝおぼしけれど、院の御事を昔より背き申し給はねば參り給ふ。今二所のおとゞ達そののこりの上達部などは、わりなきさはりあるもあながちにためらひ助けつゝ參り給ふ。御子達八人殿上人はた更にもいはず、內春宮も殘らず參りつどひていかめしき御いそぎの響きなり。院の御事はこの度こそとぢめなれとみかど春宮を初め奉りて心苦しく聞し召しつゝ、藏人所をさめどのゝからものども多く奉らせ給へり。六條院よりも御とぶらひいとこちたし。贈物ども人々の祿尊者の大臣の御引出物など、かの院よりぞ奉らせ給ひける。中宮よりも御さうぞく櫛の箱心ことにてうせさせ給ひて、かのむかしの御ぐしあげの具故あるさまに改めくはへてさすがにもとの心ばへもうしなはず、それと見せて、その日の夕つ方奉らせ給ふ。宮の權のすけ、院の殿上にも侍ふを御使にて、姬宮の御方に參らすべくのたまはせつれどかゝることぞ中にありける。

 「さしながら昔を今につたふれば玉のをぐしぞかみさびにける」。院御覽じつけて哀におぼし出でらるゝことゞもありけり。あえものけしうはあらじと讓り聞え給へる程、げにおもだゝしきかんざしなれば、御返りも昔のあはれをばさし置きて、

 「さしつぎにみるものにもが萬世をつげのをぐしのかみさぶるまで」とぞ喜び聞え給へる。御心地いと苦しきを念じつゝおぼしおこしてこの御いそぎはてぬれば三日すぐして遂に御ぐしおろし給ふ。よろしき程の人の上にてだに今はとてさまかはるは悲しげなるわざなれば、ましていと哀げに御方々もおぼしまどふ。內侍のかんの君はつと侍ひ給ひていみじくおぼしいりたるをこしらへかね給ひて、子を思ふ道はかぎりありけり、かく思ひしみ給へるわかれの堪へ難くもあるかなとて、御心亂れぬべけれど、あながちに御けうそくにかゝり給ひて、山の座主より始めて御いむことの阿闍梨三人さぶらひてほふぶくなど奉る程、この世を別れ給ふ御作法いみじく悲し。今日は世を思ひすましたる僧達などだに淚も得とゞめねば、まして女宮達女御更衣こゝらの男女かみしもゆすりみちて泣きとよむに、いと心あわたゞしう、かゝらでしづやかなる所にやがて籠るべく覺しまうけけるほ意だかひておぼしめさるゝも、唯この幼き宮にひかされてとおぼしのたまはす。內より始め奉りて御とぶらひのしげさいと更なり。六條院も少し御心地よろしくと聞き奉らせ給ひて參り給ふ。御たうばりのみふなどこそ皆同じごとおりゐの帝とひとしく定まり給へれど、まことの太上天皇の儀式にはうけばり給はず。世のもてなし思ひ聞えたるさまなどは心ことなれど、殊更にそぎ給ひて、例のことごとしからぬ御車に奉りて上達部などさるべきかぎり車にてぞ仕うまつり給へる。院にはいみじく待ち悅び聞えさせ給ひて、苦しき御心をおぼしつよりて御對面あり。麗しきさまならず唯おはします方におましよそひくはへて入れ奉り給ふ。かはり給へる御有樣見奉り給ふに、きし方行くさきかきくれて悲しくとゞめがたくおぼさるれば、とみにもえためらひ給はず。「故院におくれ奉りしころほひより世の常なく思ひ給へられしかばこの方の本意深く進み侍りにしを心弱く思う給へてたゆたふことのみ侍りつゝ、つひにかく見奉りなし侍るまでおくれ奉りぬる心のぬるさを恥しく思う給へらるゝかな。身にとりてはことにもあるまじく思う給へたち侍るをりをりあるを、更にいと忍びがたきこと多かりぬべきわざにこそ侍りけれ」となぐさめがたくおぼしたり。院も物心ぼそくおぼさるゝに得心づよからず打ちしほたれ給ひつゝいにしへ今の御物語いと弱げに聞えさせ給ひて、「今日か明日かと覺え侍りつゝ、さすがに程經ぬるを打ちたゆみて、深きほ意のはしにてもとけずなりなむことゝ思ひおこしてなむ。かくても殘りの齡なくばおこなひの志もかなふまじけれどまづかりにてものどめおきて念佛をだにと思ひ侍る。はかばかしからぬ身にても世にながらふること唯このこゝろざしにひきとゞめられたると思う給へ知られぬにしもあらぬを今までつとめなきをこたりをだに安からずなむ」とて、おぼしおきてたるさまなど委しくのたまはする序に「女御子たちを數多うち拾て侍りなむ、心苦しき中にも又思ひ讓る人なきをば取りわきてうしろ見煩ひ侍る」とてまほにはあらぬ御氣色を心苦しと見奉り給ふ。御心のうちにもさすがにゆかしき御有樣なればおぼしすぐしがたくて「げにたゞ人よりもかゝるすぢは、わたくしざまの御後見なきは口惜しげなるわざになむ侍りける。春宮かくておはしませばいとかしこき末の世のまうけの君と天の下のたのみ所にあふき聞えさするを、ましてこの御事と聞き置かせ給はむことは、ひとことゝしておろそかにかろめ申し給ふべきには寺らねば、更に行く先の事おぼし惱むべきにも侍らねど、げにことかぎりあればおほやけとなり給ひ世の政御心にかなふべしとはいひながら、女の御ためになにばかりのけざやかなる御心よせあるべきにも侍らざりけり。すべての女の御ためにはさまざま誠の御後見とすべきものは猶さるべきすぢに契をかはし、えさらぬことにはぐゝみ聞ゆる御まもりめ侍るなむ後ろ安かるべきことに侍るを、なほしひてのちの世の御疑殘るべくばよろしきに思し選びて忍びてさるべき御あづかりを定め置かせ給ふべきになむ侍る」と奏し給ふ。「さやうに思ひよること侍れどそれもかたきことになむありける。いにしへのためしを聞き侍るにも世をたもつさかりのみこにだに人を選びてさるさまのことをし給へるたぐひ多かりけり。ましてかく今はとこの世を離るゝきはにてことごとしく思ふべきにもあらねど、又しかすつる中にも捨てがたきことありてさまざまに思ひ煩ひ侍る程に病は重りゆく。又とりかへすべきにもあらぬ月日の過ぎ行けば、心あわたゞしくなむ。かたはらいたきゆづりなれどこのいはけなき內親王ひとりとりわきてはぐゝみおぼしてさるべきよすがをも御心におぼし定めて預け給へと聞えまほしきを、權中納言などのひとり物しつる程に進みよるべくこそありけれ。おほいまうちぎみにせんせられてねたく覺え侍る」と聞え給ふ。「中納言の朝臣まめやかなる方は、いとよく仕うまつりぬべく侍るを何事もまだ淺くてたどり少くこそ侍らめ、かたじけなくとも深き心にて後見聞えさせ侍らむに、おはします御かげに變りてはおぼされしを、唯行く先短くて仕うまつりさすことや侍らむと、疑はしき方のみなむ心苦しく侍るべき」とうけひき申し給ひつ。夜に入りぬればあるじの院方もまらうどの上達部達も、皆御前にて御あるじのこと、さうじものにてうるはしからずなまめかしくせさせ給へり。院の御前にせんかうのかけばんに御鉢など昔に變りて參るを人々淚おしのごひ給ふ。哀なるすぢのことゞもあれどうるさければかゝず。夜ふけてかへり給ふ。祿どもつぎつぎに賜ふ。別當大納言も御送に參り給ふ。あるじの院は、今日の雪にいとゞ御風くはゝりてかき亂り惱ましくおぼさるれどこの宮の御事聞え定めつるを心安くおぼしけり。六條院はなま心苦しうさまざまおぼし亂る。紫の上もかゝる御定めなどかねてもほのぎゝ給ひけれど、さしもあらじ、前齋院をもねんごろに聞え給ふやうなりしかど、わざともおぼし遂げずなりにしをなどおぼして、さることやあるともとひ聞え給はず何心もなくておはするにいとほしく、この事をいかにおぼさむ、我が心はつゆも變るまじく、さることあらむにつけてはなかなかいとゞ深さこそまさらめ、見定め給はざらむ程いかに思ひ疑ひ給はむなど安からずおぼさる。今の年比となりてはましてかたみにへだて聞え給ふことなく、あはれなる御中なれば、しばし心に隔て殘したることあらむもいぶせきを、その夜は打ち休みてあかし給ひつ。又の日雪打ち降り空の氣色も物哀に過ぎにし方行く先の御物語聞えかはし給ふ。「院のたのもしげなくなり給ひにたる御とぶらひに參りて哀なる事どものありつるかな。女三の宮の御ことをいと捨てがたげにおぼしてしかじかなむのたまはせつけしかば、心苦しくて得聞えいなびずなりにしを、ことごとしくぞ人はいひなさむかし。今はさやうのこともうひうひしくすさまじく思ひなりにたれば、人づてに氣色ばませ給ひしには、とかく遁れ聞えしを、對面のついでに心ふかきさまなることゞもをのたまひつゞけしには、えすくずくしくもかへさひ申さでなむ。深き御山ずみにうつろひ給はむ程にこそは、わたし奉らめ。あぢきなくや思さるべき。いみじきことありともさだめある世に變ることは更にあるまじきを、心なおき給ひそよ。かの御ためこそ心苦しからめ。それもかたはならずもてなしてむ。たれもたれものどかにて過ぐし給はゞ」など聞え給ふ。はかなき御すさびごとをだにめざましきものにおぼして心安からぬ御心ざまなれば、いかゞおぼさむとおぼすに、いとつれなくて「哀なる御ゆづりにこそはあなれ。こゝにはいかなる心を置き奉るべきにか。めざましくかくてはなど咎めらるまじくは心安くても侍りなむを、かの母女御の御かたさまにても疎からずおぼしかずまへてむや」と、ひげし給ふを、「あまりかう打ち解け給ふ御ゆるしもいかなればとうしろめたくこそあれ。誠はさだにおぼし許して我れも人も心得てなだらかにもてなし過ぐし給はゞ、いよいよあはれになむひがこと聞えなどせむ。人のこと聞き入れ給ふな。すべて世の人のくちといふものなむ、たがいひ出づることゝもなく、おのづから人のなからひなど打ちほゝゆがみ思はずなる事出でくるものなめるを、心ひとつにしづめてありさまにしたがふなむよき。まだきに騷ぎてあいなき物恨みし給ふな」といとよくをしへ聞え給ふ。心のうちにも、かく空より出で來にたるやうなることにてのがれ給ふかたなきをにくげにも聞えなさじ。我が心に憚り給ひ諫むることに隨ひ給ふべきおのがどちの心よりおこれる懸想にもあらず、せかるべき方なきものからをこがましく思ひむすぼゝるゝさま世の人にもり聞えじ、式部卿宮の大北の方常にうけはしげなることゞもをのたまひ出でつゝ、あぢきなき大將の御ことにてさへ怪しく恨みそねみ給ふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひあはせ給はむなど、おいらかなる人の御心といへどいかでかはかばかりのくまはなからむ。今はさりともとのみ我が身を思ひあがりうらなくて過しける世の人笑へならむことをしたには思ひつゞけ給へど、いとおひらかにのみもてなし給へり。

年もかへりぬ。朱雀院には、姬宮六條院にうつろひ給はむ御いそぎをし給ふ。聞え給ひつる人々いと口惜しくおぼしなげく。內にも御心ばへありて聞え給ひける程に、かゝる御定めを聞し召しておぼしとまりにけり。さるは今年ぞ四十ぢになり給ひければ、御賀のことおほやけにも聞し召し過ぐさず、世の中のいとなみにてかねてより響くを、ことのわづらひ多く、嚴めしきことは昔より好み給はぬ御心にて皆かへさひ申し給ふ。正月廿三日子の日なるに左大將殿の北の方若菜まゐり給ふ。かねて氣色も漏し給はでいといたく忍びておぼし設けたりければ俄にて得諫め返し聞え給はず。忍びたれどさばかりの御いきほひなれば、渡り給ふ儀式などいとひゞきことなり。南のおとゞの西のはなちいでにおましよそふ。屛風かべしろより始め新しく拂ひしつらはれたり。麗しくいしなどは建てず御地敷四十枚御しとね脇息などすべてその御具どもいと淸らにせさせ給へり。螺鈿の御厨子二よろひに御衣箱四つすゑて、夏冬の御さう束、かうご、藥の箱、御硯、ゆするつき、かゝげの箱などやうのもの、うちうちきよらを盡し給へり。御かざしの蓋にはぢんしたんを作り、珍しきあやめを盡し、同じきかねをも色づかひなしたる心ばへあり今めかしく、かんの君物のみやび深くかどめき給へる人にてめなれぬさまにしなし給へり。大かたのことをば殊更に事々しからぬ程なり。人々參りなどし給ひておましに出で給ふとてかんの君に御對面あり。御心のうちには古おぼし出づることもさまざまなりけむかし。いと若く淸らにてかく御賀などいふことはひがかぞへにやと覺ゆるさまのなまめかしく人のおやげなくおはしますを、珍しく年月へだてゝ見奉り給ふはいと恥しけれど猶けざやかなるへだてもなくて御物語聞えかはし給ふ。幼き君もいと美しくて物し給ふ。かんの君は打ち續きても御覽ぜられじとのたまひけるを大將のかゝる序にだに御覽ぜさせむとて、二人同じやうに振分髮の何心なき直衣姿どもにておはす。「過ぐるよはひもみづからの心にはことに思ひ咎められず、唯昔ながらの若々しき有樣にて改むることもなきを、かゝる末々のもよほしになむなまはしたなきまで思ひ知らるゝ折も侍りける。中納言のいつしかと設けたなるをうとうとしく思ひ隔てゝまだ見せずかし。人より殊に數へとりける今日の子の日こそ猶うれたけれ。しばしは老を忘れても侍るべきを」と聞えたまふ。かんの君もいとよくねびまさりものものしきけさへ添ひて見るかひあるさまし給へり。

 「若菜さすのべの小松をひきつれてもとの岩根をいのる今日かな」とせめておとなび聞え給ふ。沈の折敷四つして御若菜さまばかりまゐれり。御かはらけ取り給ひて、

 「小松原すゑのよはひにひかれてや野べのわかなも年をつむべき」など聞えかはし給ひて上達部あまた南の廂につき給ふ。式部卿宮は參りにくゝおぼしけれど、御せうそこありけるにかく親しき御なからひにて心あるやうならむもびんなくて日たけてぞ渡り給へる。大將のしたり顏にてかゝる御なからひにうけばりてものし給ふも、げに心やましげなるわざなめれど御うまごの君達はいづかたにつけてもおり立ちてざふやくしたまふ。こものよそえだ、をりひづものよそぢ中納言をはじめ奉りてさるべきかぎりとり續け給へり。御かはらけくだり若菜の御羹參る。御前には沈のかけはん四つおほんつきどもなつかしく今めきたる程にせられたり。朱雀院の御藥のこと猶たひらぎはて給はぬにより樂人などは召さず。御笛などおほきおとゞのその方はとゝのへ給ひて、世の中にこの御賀より又珍しく淸らを盡すべきことあらじとのたまひて勝れたるねのかぎりをかねてよりおぼし設けたりければ忍びやかに御遊あり。とりどりに奉る中に和琴はかのおとゞの第一に祕し給ひける御琴なり。さるものゝ上手の心を留めてひき鳴らし給へるねいとならびなきを、ことひとは搔きたてにくゝし給へば、右衞門督のかたくいなぶるをせめ給へば、げにいとおもしろくをさをさ劣るまじくひく。何事も上手のつぎといひながらかくしも得つがぬわざぞかしと心にくゝ哀に人々おぼす。しらべに從ひてあとある手ども定まれるもろこしのつたへどもはなかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて唯搔き合せたるすがゝきに、萬の物の音とゝのへられたるは、たへにおもしろく怪しきまでひゞく。父おとゞはことのをもいとゆるにはりていたうくだして調べ響き多く合せてぞ搔きならし給ふ。これはいとわらゝかにのぼるねのなつかしく愛敬づきたるを、いとかうしもは聞えざりしをと御子達も驚き給ふ。琴は兵部卿宮ひき給ふ。この御琴は宣陽殿の御物にて代々に第一の名ありし御琴を故院の末つ方一品宮好み給ふことにてたまはり給へりけるを、この折の淸らを盡し給はむとするためおとゞの申し給はり給へる御つたへつたへをおぼすに、いと哀に昔のことも戀しくおぼし出でらる。御子もゑひ泣きえ留め給はず。御氣色とり給ひてきんは御前にゆづり聞えさせ給ふ。物の哀にえ過し給はで珍しきもの一つばかりひき給ふにことごとしからねど限なくおもしろき夜の御遊なり。さうがの人々みはしに召してすぐれたる聲のかぎり出してかへり聲になる。夜の更け行くまゝに物のしらべどもなつかしく變りて靑柳遊び給ふ程げにねぐらの鶯驚きぬべくいみじくおもしろし。わたくしごとのさまにしなし給ひて祿などいとさやうざくに設けられたりけり。曉にかんの君かへり給ふ、御贈物などありけり。「かう世を捨つるやうにて明し暮すほどに年月のゆくへも知らず顏なるをかう數へ知らせ給へりけるにつけては心ぼそくなむ。時々は老いやまさると見給ひくらべよかし。かくふるめかしき身の所せきに、思ふに從ひてたいめなきもいと口惜しくなむ」など聞え給ひて哀にもをかしくも思ひいで聞え給ふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにかく急ぎ渡り給ふを、いと飽かず口惜しくぞおぼされける。かんの君も誠の親をばさるべき契ばかりに思ひ聞え給ひて、ありがたくこまやかなりし御心ばへを、年月にそへてかく世に住みはて給ふにつけてもおろかならず思ひ聞え給ひけり。かくて二月の十餘日に朱雀院の姬宮六條院に渡り給ふ。この院にも御心まうけ世の常ならず若菜參りし西の放ちいでに御帳たてゝ、其方の一二の對渡殿かけて女房のつぼねまでこまかにしつらひ磨かせ給へり。內に參り給ふ人の作法をまねびてかの院よりも御調度などはこばる。渡り給ふ儀式いへば更なり、御送に上達部など數多參り給ふ。かのけいし望み給ひし大納言も安からず思ひながらさぶらひ給ふ。御車よせたる所に院わたり給ひておろし奉り給ふほどなども例には違ひたる事どもなり。たゞ人におはすれば萬の事かぎりありてうちまゐりにも似ず。婿の大君といはむにも、ことたがへて珍しき御中のあはひどもになむ。三日が程はかの院よりもあるじの院方よりも嚴めしく珍しきみやびを盡し給ふ。對の上もことに觸れてたゞにもおぼされぬ世の有樣なり。げにかゝるにつけてもこよなく人に劣りけたるゝこともあるまじけれど、又ならぶ人なくならひ給ひて華やかにおひさき遠くあなづりにくきけはひにてうつろひ給へるに、なまはしたなくおぼさるれどつれなくのみもてなして、御わたりのほどももろ心にはかなきこともしいで給ひていとらうたげなる御有樣をいとゞありがたしと思ひ聞え給ふ。姬宮はげにまだいとちひさくかたなりにおはする內にもいといはけなき御氣色してひたみちに若び給へり。かの紫のゆかり尋ねとり給へりしをりおぼし出づるに、かれはざれていふかひありしを、これはいといはけなくのみ見え給へば、よかめり、にくげにおしたちたることなどはあるまじかめりとおぼすものから、いとあまり物のはえなき御さまかなと見奉り給ふ。三日が程は夜がれなく渡り給ふを、年比さもならひ給はぬ心地に忍ぶれどなほ物哀なり。御ぞどもなどいよいよたきしめさせ給ふものから打ち眺めてものし給ふ氣色いみじくらうたげにをかし。などて萬の事ありとも又人をばならべて見るべきぞ、あだあだしく心弱くなりきにける我がをこたりにかゝることも出でくるぞかし、若けれど中納言をばえおぼしかけずなりぬめりしをと、われながらつらくおぼし續けらるゝに淚ぐまれて「今夜ばかりはことわりと許し給ひてむな。これよりのちのとだえあらむこそ身ながらも心づきなかるべけれ。又さりとてかの院に聞し召さむことよ」と思ひ亂れ給へる御心のうち苦しげなり。少しほゝゑみて「みづからの御心ながらだに得定め給ふまじかなるをましてことわりもなにも何處にとまるべきにか」と、いふかひなげにとりなし給へる、恥しうさへ覺え給ひてつらづゑをつきてよりふし給へれば、御硯を引きよせて、

 「めに近くうつればかはる世の中を行くすゑとほくたのみけるかな」。ふることなど書きまぜ給ふを取りて見給ひてはかなきことなれど、げにとことわりにて、

 「命こそたゆとも絕えめさだめなき世のつねならぬ中のちぎりを」。とみにも得渡り給はぬを「いとかたはらいたきわざかな」とそゝのかし聞え給へばなよゝかにをかしき程にえならず匂ひて渡り給ふを見出し給ふもいとたゞにはあらずかし。年比さもやあらむと思ひしことゞも、今はとのみもてはなれ給ひつゝ、さらばかうにこそはと打ち解けゆく末に、ありありてかく世のきゝみゝもなのめならぬ事の出できぬるよ。思ひ定むべき世の有樣にもあらざりければ今より後もうしろめたうぞおぼしなりぬる。さこそつれなくまぎらはし給へどさぶらふ人々も、思はずなる世なりや、數多ものし給ふやうなれど何方も皆こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて過ぐし給へばこそことなくなだらかにもあれ。おしたちてかばかりなる有樣にけたれても得過ぐし給はじ、又さりとてはかなきことにつけても安からぬことのあらむ折々、必ず煩はしき事ども出できなむかしなどおのがじゝ打ち語らひなげかしげなるを、露も見知らぬやうにいとけはひをかしく物語などし給ひつゝ夜更くるまでおはす。かう人のたゞならずいひ思ひたるも聞きにくしとおぼして「かくこれかれ數多物し給ふめれど御心にかなひて今めかしくすぐれたるきはにもあらずと、めなれてさうざうしくおぼしたりつるに、この宮のかく渡り給へるこそめやすけれ。猶わらはごゝろのうせぬにやあらむ、我れもむつび聞えてあらまほしきを、あいなくへだてあるさまに人々やとりなさむとすらむ。ひとしき程劣りざまなど思ふ人にこそたゞならず耳だつこともおのづから出で來るわざなれ。辱く心苦しき御ことなめればいかで心おかれ奉らじとなむ思ふ」などのたまへば、中務中將の君などやうの人々めをくはせつゝ、「あまりなる御思ひやりかな」などいふべし。昔はたゞならぬさまにつかひならし給ひし人どもなれど年比はこの御方にさぶらひて皆心よせ聞えたるなめり。こと御方々よりもいかにおぼすらむ。もとより思ひ見馴れたる人々はなかなか心やすきをなどおもむけつゝとぶらひ聞え給ふもあるを、かくおしはかる人こそなかなか心苦しけれ、世の中もいと常なきものをなどてかさのみは思ひ惱まむなどおぼす。あまり久しきよひゐも例ならず人や咎めむと心のおにゝおぼして入り給ひぬれば、御ふすままゐりぬれど、實にかたはら寂しきよなよなへにけるも猶たゞならぬ心地すれどかの須磨の御別の折をおぼし出づれば、今はとかけはなれ給ひても、唯同じ世のうちに聞き奉らましかばと我が身までのことはうち置きあたらしく悲しかりし有樣ぞかし。さてそのまぎれに我も人も命堪へずなりなましかばいふかひあらまし世かはとおぼしなほす。風打ち吹きたる夜のけはひ冷やかにてふとも寢入られ給はぬを近くさぶらふ人々怪しとや聞かむとうちもみじろぎ給はぬも猶いと苦しげなり。夜深きとりの聲の聞えたるも物哀なり。わざとつらしとにはあらねどかやうに思ひ亂れ給ふけにや、かの御夢に見え給ひければ、打ち驚き給ひていかにと心騷がし給ふにとりのね待ち出で給へれば、夜ふかきも知らずがほに急ぎ出で給ふ。いといはけなき御有樣なれば乳母たち近く侍ひけり。妻戶押し開けて出て給ふを見奉りおくる。明けくれの空に雪の光見えておぼつかなし。名殘までとまれる御にほひ、やみはあやなしとひとりごたる。雪は所々消え殘りたるがいと白き庭のふとけぢめ見えわかれぬ程なるに、猶殘れる雪と忍びやかに口ずさみ給ひつゝ、御格子打ち叩き給ふも久しくかゝることなかりつるならひに、人々もそらねをしつゝやゝまたせ奉りてひきあげたり。「こよなく久しかりつる身もひえにけるは、おぢ聞ゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは罪もなしや」とて御ぞひきやりなどし給ふに、少しぬれたる御ひとへの袖をひき隱して、うらもなくなつかしきものから打ち解けてはたあらぬ御用意などいと耻しげにをかし。限なき人と聞ゆれどかたかめる世をとおぼしくらべらる。萬いにしへのことをおぼし出でつゝ、解け難き御氣色を恨み聞え給ひてその日は暮し給へれば、えわたり給はで寢殿には御せうそこをぞ聞え給ふ。今朝の雪に心地あやまりていとなやましく侍れば心やすき方にためらひ侍るとあり。御めのとさ聞えさせ侍りぬとばかりことばに聞えたり。殊なることなの御返りやとおぼす。院に聞し召さむこともいとほし、この頃ばかりつくろはむとおぼせど、えさもあらぬを、さは思ひしことぞかしあな苦しとみづから思ひつゞけ給ふ。女君も思ひやりなき御心かなと苦しがり給ふ。今朝は例のやうに大殿籠り起きさせ給ひて宮の御方に御文奉れたまふ。殊に恥しげもなき御さまなれど御筆などひきつくろひてしろき紙に、

 「中みちをへだつる程はなけれども心みだるゝけさの泡ゆき」。梅につけ給へり。人めして「西の渡殿より奉らせよ」とのたまふ。やがて見出して端近く坐します。白き御ぞどもを着給ひて花をまさぐり給ひつ。友まつ雪のほのかに殘れる上に打ち散りそふ空をながめ給へり。鶯の若やかに近き紅梅の末にうち鳴きたるを、袖こそ匂へと花をひき隱して御簾押し上げて眺め給へるさま、夢にもかゝる人の親にて重き位と見え給はず、若うなまめかしき御さまなり。御返り少し程經る心地すれば入り給ひて女君に花を見せ奉り給ふ。「花といはゞかくこそ匂はましけれな。櫻にうつしては又ちりばかりも心わく方なくやあらまし」などのたまふ。「これも數多にうつろはぬ程目とまるにやあらむ。花の盛にならべて見ばや」などのたまふに御かへりあり。紅の薄葉にあざやかに押し包まれたるを、胸つぶれて御手のいと若きをしばし見せ奉らであらばや、隔つとはなけれどあはあはしきやうならむは、人のほどかたじけなしとおぼすに、ひき隱し給はむも心おき給ふべければ、かたそばひろげ給へるを、しり目に見おこせて添ひふし給へり。

 「はかなくてうはのそらにぞ消えぬべき風にたゞよふ春のあわ雪」。御手げにいと若く幼げなり。さばかりの程になりぬる人はいとかくはおはせぬものをと目とまれど見ぬやうに紛はして止み給ひぬ。こと人の上ならばさこそあれなどは忍びて聞え給ふべけれど、いとほしくて、「唯心安くを思ひなし給へ」とのみ聞え給ふ。今日は宮の御方に晝わたり給ふ。心ことに打ちけさうし給へる御有樣今見奉る女房などはまして見るかひありと思ひ聞ゆらむかし。御乳母などやうのおひしらへる人々ぞ、いでやこの御有樣一所こそめでたけれ、めざましきことはありなむかしと、打ちまぜて思ふもありけり。女宮はいとらうたげに幼きさまにて御しつらひなどのことごとしくよだけて麗しきにみづからは何心もなく物はかなき御程にて、いと御ぞがちにみもなくあえかなり。ことに恥ぢなどもし給はず唯ちごのおもぎらひせぬ心地して心やすく美しきさまし給へり。院のみかどは雄々しくすくよかなる方の御ざえなどこそ心得なく坐しますと世人思ひためれ。をかしきすぢなまめきゆゑゆゑしき方は人にまさり給へるを、などてかくおいらかにおほしたて給ひけむ。さるはいと御心留め給へるみこと聞きしをと思ふもなまくちをしけれどにくからず見奉り給ふ。唯聞え給ふまゝになよなよと靡き給ひて御いらへなどをも覺え給ひけることはいはけなく打ちのたまひ出でゝ、えみはなたず見え給ふ。昔の心ならましかばうたて心おとりせましを今は世の中を皆さまざまに思ひなだらめて、とあるもかゝるもきは離るゝことはかたきものなりけり、とりどりにこそおほうはありけれ、よその思ひはいとあらまほしき程なりかしとおぼすに、さしならびめかれず見奉り給へる年比よりも對の上の御ありさまぞ猶ありがたくわれながらもおほしたてけりとおぼす。一夜のほどあしたのまも戀しく覺束なくいとゞしき御志のまさるを、などかく覺ゆらむとゆゝしきまでなむ。院のみかどは月のうちにみ寺にうつろひ給ひぬ。この院に哀なる御せうそこども聞え給ふ。姬宮の御ことは更なり、煩はしくいかに聞く所やなど憚り給ふ事なくてともかくも唯御心にかけてもてなし給ふべくぞたびたび聞え給ひける。されど哀にうしろめたく幼くおはするを思ひ聞え給ひけり。紫の上にも御せうそこことにあり。「幼き人の心なきさまにてうつろひものすらむを、罪なくおぼし許して、後見給へ尋ね給ふべき故もやあらむとぞ。

  そむきにしこの世にのこる心こそいる山みちのほだしなりけれ。やみをえはるけで聞ゆるもをこがましくや」とあり。おとゞも見給ひて、「哀なる御せうそこをかしこまり聞え給へ」とて御使にも女房してかはらけさし出させ給ひてしひさせ給ふ。御返りはいかゞなど聞えにくゝおぼしたれどことごとしくおもしろかるべき折のことならねば、唯心をのべて、

 「背く世のうしろめたくはさりがたきほだしをしひてかけな離れそ」などやうにぞあめりし。女のさう束に細長添へてかづけ給ふ。御手などのいとめでたきを院御覽じて何事も恥しげなめるあたりに、いはけなくて見え給ふらむといと心苦しうおぼしたり。今はとて女御更衣達などおのがじゝ別れ給ふも哀なることなむ多かりける。ないしのかんの君は故きさいの宮のおはしましゝ二條の宮にぞ住み給ふ。姬宮の御事を置きてはこの御事をなむ顧みがちにみかどもおぼしたりける。尼になりなむとおぼしたれどかゝるきほひには慕ふやうに心あわたゞしと諫め給ひて、やうやう佛の御事など急がせ給ふ。六條のおとゞは哀に飽かずのみおぼしてやみにし御あたりなれば年比も忘れがたくいかならむをりに對面あらむ、今一度あひ見てその世の事も聞えまほしくのみおぼし渡るをかたみに世のきゝ耳も憚り給ふべき身の程に、いとほしげなりし世のさわぎなどもおぼし出でらるれば萬につゝみ過ぐし給ひけるを、かうのどやかになり給ひて世の中を思ひしづまり給ふらむころほひの御有樣、いよいよゆかしく心もとなければあるまじきことゝはおぼしながら大かたの御とぶらひにことつけて哀なるさまに常に聞え給ふ。若々しかるべき御あはひならねば御返りも時々につけて聞えかはし給ふ。昔よりはこよなくうち具し整ひはてにたる御けはひを見給ふにも猶忍びがたくて、昔の中納言の君のもとにも心深きことゞもを常にのたまふ。かの人のせうとなる和泉のさきの守を召しよせて若々しくいにしへにかへりて語らひ給ふ。「人づてならで物ごしに聞えしらすべきことなむある。さりぬべく聞えなびかしていみじく忍びて參らむ。今はさやうのありきも所せき身のほどにおぼろげならず忍ぶべきことなれば、そこにも又人にはもらし給はじと思ふにかたみにうしろ安くなむ」との給ふ。かんの君「いでや世の中を思ひ知るにつけても昔よりつらき御心をこゝら思ひつめつる年ごろのはてに、哀に悲しき御事をさし置きていかなる昔語をか聞えむ。實に人は漏り聞かぬやうありとも心のとはむこそいと恥しかるべけれ」と打ち歎き給ひつゝ猶更にあるまじきよしをのみ聞ゆ。いにしへわりなかりし世にだに心かはし給はぬことにしもあらざりしを、實に背き給ひぬる御ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば今しもけざやかにきよまはりて立ちにし我が名今さらに取り返し給ふべきにやとおぼしおこして、このしのだの森を道のしるべにてまうで給ふ。女君には「東の院にものする常陸の君の日比煩ひて久しくなりにけるを物騷しきまぎれにとぶらはねばいとほしくてなむ。晝などけざやかにわたらむもびんなきを夜の間に忍びてとなむ思ひ侍る。人にもかくとも知らせじ」と聞え給ひていといたく心けさうし給ふを例はさしも見えぬあたりを、あやしと見給ひて思ひあはせ給ふこともあれど、姬宮の御事の後は何事もいと過ぎぬる方のやうにはあらず、少し隔つる心添ひて見知らぬやうにておはす。その日は寢殿へも渡り給はで御文書きかはし給ふ。たきものなどに心を入れて暮し給ふ。よひ過してむつまじき人の限四五人ばかり網代車のむかし覺えてやつれたるにて出で給ふ。和泉の守して御せうそこ聞え給ふ。かく渡りおはしましたるよしさゞめき聞ゆれば、驚き給ひて怪しくはいかやうに聞えたるにかとむつがり給へどをかしやかにて返し奉らむにいとびんなう侍らむとて、あながちに思ひめぐらして入れ奉る。御とぶらひなど聞え給ひて「唯こゝもとに物ごしにても、更に昔のあるまじき心などは殘らずなりにけるを」と、わりなく聞え給へばいたくなげくなげくゐざり出で給へり。さればよ猶けぢかさはとかつおぼさる。かたみにおぼろげならぬ御みじろきなればあはれも少からず。ひんがしの對なりけり。辰巳のかたの廂にすゑ奉りてみさうじのしりはかためたれば「いと若やかなる心地もするかな。年月のつもりをも紛れなく數へらるゝ心ならひに、かくおぼめかしきはいみじうつらくこそ」と恨み聞え給ふ。夜いたく更け行く。玉藻に遊ぶをしの聲々などあはれに聞えて、しめじめと人め少なき宮の內の有樣にさも移り行く世かなとおぼしつゞくるに平仲がまねならねど誠に淚もろになむ。昔に變りておとなおとなしくは聞え給ふものから、これをかくてやとひき動かし給ふ。

 「年月をなかにへだてゝ逢坂のさもせきがたくおつるなみだか」。女、

 「淚のみせきとめがたきしみづにて行き逢ふ道ははやく絕えにき」などかけはなれ聞え給へど、いにしへをおぼし出づるも誰により多うはさるいみじきこともありし世のさわぎぞと思ひ出で給ふに、實に今一度の對面はありもすべかりけりとおぼしよわるも、もとよりづしやかなる所はおはせざりし人の、年比はさまざまに世の中を思ひ知り、きし方をくやしくおほやけわたくしのことに觸れつゝ數もなくおぼし集めて、いといたく過し給ひにたれど、昔覺えたる御對面にその世の事も遠からぬ心地して得心づよくもてなし給はず。猶らうらうしく若うなつかしくて一方ならぬ世のつゝましさをも哀れをも思ひ亂れて歎きがちにてものし給ふ氣色など、今始めたらむよりも珍しく哀にて明け行くもいと口惜しくて出で給はむ空もなし。潮ぼらけのたゞならぬ空に百千鳥の聲もいとうらゝかなり。花は皆散り過ぎて名殘かすめる梢の淺綠なるこだち、昔藤の宴し給ひしこの頃のことなりけむかしとおぼし出づるに、年月のつもりにける程もその折のことかきつゞけ哀におぼさる。中納言の君の見奉り送るとて妻戶押し開けたるに立ちかへり給ひて「この藤よいかに染めけむ色にか。猶えならぬ心添ふにほひにこそ。いかでこの影は立ち離るべき」とわりなくいでがてにおぼしやすらひたり。やまぎはよりさし出づる日の花やかなるにさしあひ、目も輝く心地する御さまのこよなくねび加はり給へる御けはひなどを珍しく程經ても見奉るはましてよのつねならず覺ゆれば、さる方にてもなどか見奉り過し給はざらむ、御宮仕にもかぎりありてきはことに離れ給ふこともなかりしを、故宮のよろづに心を盡し給ひ、よからぬ世のさわぎにかるがるしき御名さへ響きて、やみにしよなど思ひ出でらる。名殘おほく殘りぬらむ御物語のとぢめにはげに殘りあらせまほしきわざなめるを、御身を心にえ任せさせ給ふまじく、こゝらの人目もいと恐しくつゝましければ、やうやうさしあがり行くに心あわたゞしくて、廊のとに御車さしよせたる人々も忍びてこわづくり聞ゆ。人召してかの咲きかゝりたる花一枝折らせ給へり。

 「しづみしも忘れぬものをこりずまに身をなげつべきやどの藤波」。いといたくおぼし煩ひてよりゐ給へるを心ぐるしう見奉る。女君も今さらにいとつゝましくさまざまに思ひ亂れ給へるに花のかげは猶なつかしくて、

 「身をなげむふちもまことの淵ならでかけじやさらにこりずまの波」。いと若やかなる御ふるまひを心ながらも許さぬことにおぼしながら關守のかたからぬたゆみにや、いとよく語らひ置きて出で給ふ。そのかみも人よりこよなく心とめて思う給へりし御志ながらはつかにて止みにし御なからひにはいかでか哀も少からむ。いみじく忍び入り給へる御ねくたれのさまを待ちうけて女君さばかりならむと心得給へれどおぼめかしくもてなしておはす。なかなか打ちふすべなどし給へらむよりも心苦しく、などかくしも見放ち給へらむとおぼさるれば、ありしよりげに深き契をのみ長き世をかけて聞え給ふ。かんの君の御ことも又もらすべきならねど、いにしへの事も知り給へれば「まほにはあらねど物ごしにはつかなりにつる對面なむのこりある心地する。いかでひとめ咎めあるまじくもて隱して今一度も」と語らひ聞え給ふ。打ち笑ひて「今めかしくもなりかへる御有樣かな。昔を今に改めくはへ給ふほど中空なる身のため苦しく」とてさすがに淚ぐみ給へるまみのいとらうたげに見ゆるに「かう心安からぬ御氣色こそ苦しけれ。唯おいらかにひきつみなどして敎へ給へ。隔あるべくもならはし聞えぬを思はずにこそなりにける御心なれ」とて、よろづに御心とり給ふほどに何事も得殘し給はずなりぬめり。宮の御方にもとみにえ渡り給はず、こしらへ聞えつゝおはします。姬宮は何ともおぼしたらぬを御うしろみどもぞ安からず聞えける。煩はしうなど見え給ふ氣色ならば其方もまして心苦しかるべきをおいらかに美しき翫びぐさに思ひ聞え給へり。桐壺の御方はうちはへえ罷で給はず、御暇のありがたければ心安くならひ給へる若き御心にいと苦しくのみおぼしたり。夏比なやましくし給ふを頓にも許し聞え給はねばいとわりなしとおぼす。珍しきさまの御心地にぞありける。まだいとあえかなる御程にいとゆゝしくぞ誰も誰もおぼすらむかし。辛うじてまかで給へり。姬宮のおはしますおとゞのひんがし面に御方はしつらひたり。明石の御方今は御身に添ひて出で入り給ふもあらまほしき御宿世なりかし。對の上こなたに渡りて對面し給ふついでに「姬宮にも中の戶あけて聞えむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、序なきにはつゝましきをかゝる折に聞えなれば心安くなむあるべき」とおとゞに聞え給へばうちゑみて「思ふやうなる御語らひにこそはあなれ。いと幼げに物し給ふめるをうしろやすく敎へなし給へかし」とゆるし聞え給ふ。宮よりも明石の君の恥しげにてまじらはむをおぼせば御ぐしすましひきつくろひておはする。たぐひあらじと見え給へり。おとゞは宮の御方に渡り給ひて「夕がたかの對に侍る人のしげいさに對面せむとて出でたつついでに近づき聞えさせまほしげにものすめるを、ゆるしてかたらひ給へ。こゝろなどはいとよき人なり。まだわかわかしくて御あそびがたきにもつきなからずなむ」などきこえ給ふ。「はづかしうこそはあらめ。何事をか聞えむ」とおいらかにのたまふ。「人のいらへはことにしたがひてこそはおぼし出でめ。隔て置きてなもてなし給ひそ」とこまかにをしへ聞え給ふ。御中うるはしくて過し給へとおぼすあまりに、何ごゝろなき御ありさまを見顯されむも恥しく味氣なけれどさのたまはむを心隔てむもあいなしとおぼすなりけり。對にはかく出でたちなどしたまふものからわれよりかみの人やはあるべき、身のほどのものはかなきさまを見え置きたてまつりたるばかりこそあらめなど思ひつゞけられてうちながめ給ふ。手習などするにも、おのづからふることも物おもはしきすぢのみかゝるゝを、さらばわが身には思ふことありけりとみづからぞおぼし知らるゝ。院わたりたまひて宮女御の君などの御ありさまどもをうつくしうもおはするかなとさまざま見たてまつり給へる御めうつしには年ごろめなれたまへる人のおぼろげならむがいとかくおどろかるべきにもあらぬをなほたぐひなくこそはと見たまふ。ありがたきことなりかし。あるべきかぎりけ高うはづかしげにとゝのひたるに添ひて、はなやかにいまめかしくにほひなまめきたるさまざまのかをりも取りあつめめでたきさかりに見えたまふ。こぞより今年はまさり昨日より今日はめづらしくつねにめなれぬさまのしたまへるを、いかでかくともありけむとおぼす。打ち解けとりつる御手習を硯のしたにさし入れ給へど、見つけ給ひて引きかへし見たまふ。手なとのいとわざとも上手と見えでらうらうしくうつくしげに書きたまへり。

 「身にちかく秋やきぬらむ見るまゝに靑葉の山もうつろひにけり」とある所に目とゞめ給ひて、

 「水鳥の靑ばゝ色もかはらぬをはぎのしたこそけしきことなれ」など書き添へつゝすさび給ふ。ことに觸れて心苦しき御氣色のしたにはおのづからもりつゝ見ゆるをことなくけち給へるもありがたく哀におぼさる。今夜は何方にも御暇ありぬべければかのしのび所にいとわりなく出で給ひにけり。いとあるまじきことゝいみじくおぼし返すにもかなはざりけり。春宮の御方はじちの母君よりもこの御方をばむつましきものに賴み聞え給へり。いと美しげにおとなびまさり給へるを思ひ隔てずかなしと見奉り給ふ。御物語などいと懷しく聞えかはし給ひて中の戶あけて宮にも對面し給へり。いと幼げにのみ見え給へば心やすくておとなおとなしく親めきたるさまに昔の御すぢをも尋ね聞え給ふ。中納言の乳母といふ召し出でゝ「同じかざしを尋ね聞ゆればかたじけなけれど、わかぬさまに聞えさすれどついでなくて侍りつるを、今よりは疎からずあなたなどにも物し給ひて怠らむことをば驚かしなども物し給はむなむ嬉しかるべき」などのたまへば「たのもしき御かげどもにさまざまにおくれ聞え給ひて心細げにおはしますめるを、かゝる御ゆるし侍るめればますことなくなむ思ひ給へられける。背き給ひにし上の御心むけも唯かくなむ、御心隔て聞え給はずまだいはけなき御有樣をもはぐゝみ奉らせ給ふべくぞ侍るめりし。うちうちにもさなむ賴み聞えさせ給ひし」など聞ゆ。「いとかたじけなかりし御せうそこの後はいかでとのみ思ひ侍れど、何事につけても數ならぬ身なむ口惜しかりける」と、安らかにおとなびたるけはひにて宮にも御心につき給ふべく繪などのことひゝなの捨て難きさま、若やかに聞え給へば、實にいと若く心よげなる人かなとをさなき御心ちには打ち解け給へり。さて後は常に御文かよひなどしてをかしき遊びわざなどにつけても疎からず聞えかはし給ふ。世の中の人もあひなうかばかりになりぬるあたりのことはいひあつかふものなれば「初めつ方は對の上いかにおぼすらむ。御覺えいとこの年比のやうには坐せじ。少しは劣りなむ」などゝいひけるを、今少し深き御志かくてしもまさるさまなるを、それにつけても又安からずいふ人々あるに、かくにくげなくさへ聞えかはし給へばことなほりてめやすくなむありける。神無月に對の上院の御賀に嵯峨野の御堂にて藥師佛供養し奉り給ふ。いかめしきことはせちに諫め申し給へば忍びやかにとおぼしおきてたり。佛、きやうばこ、ぢすのとゝのへまことの極樂ぞ思ひやらるゝ。最ぞう王經金剛磐若ず命經などいとゆたけき御いのりなり。上達部いと多く參り給へり。御堂のさまおもしろくいはむかたなく紅葉のかげわけ行く野邊の程より始めてみものなるにかたへはきほひ集り給ふなるべし。霜がれ渡れる野原のまゝに馬車の行き通ふ音しげく響きたり。御ず經われもわれもと御方々いかめしくせさせ給ふ。二十三日を御としみの日にてこの院はかくすきまなく集ひ給へるうちに我が御わたくしの殿とおぼす、二條院にてその御まうけはせさせ給ふ。御さうぞくをはじめ大かたのことゞもゝ、皆こなたにのみし給ふを、御方々もさるべきことどもわけつゝ望み仕うまつり給ふ。對どもは人の局々にしたるを拂ひて、殿上人諸大夫院司しも人までのまうけいかめしくせさせ給へり。寢殿のはなちいでを例のしつらひてらでんのいし立てたり。おとゞの西の間に御ぞの机十二たてゝ、夏冬の御よそひ御ふすまなど例の如く、紫の綾のおほひども麗しく見え渡りてうちの心はあらはならず。御前に置物の机二つ唐の地のすそごの覆ひしたり。かざしの臺は沈のけそくこがねの鳥、銀の枝に居たる心ばへなど淑景舍の御あづかりにて、明石の御方のせさせ給へるゆゑふかく心ことなり。後の御屛風四帖は式部卿宮なむせさせ給ひける。いみじくつくして例の四季の繪なれど珍しき泉水だん〈きイ〉などめなれずおもしろし。北の壁にそへて置物の御厨子ふたよろひたてゝ御調度も例のことなり。南の廂に上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめ奉りて次々はまして參り給はぬ人なし。舞臺の左うに樂人のひらばりうちてにしひんがしにとんじき八十ぐ、祿の唐櫃四十續けて立てたり。未の時ばかりに樂人まゐる。萬歲樂皇麞など舞ひて日暮れかゝるほどに、高麗のらんじやうして落蹲の舞ひ出でたるほど、猶常のめなれぬ舞のさまなれば舞ひはつる程に權中納言衞門督おりていりあやをほのかに舞ひて紅葉のかげに入りぬる名殘飽かず興ありと人々おぼしたり。いにしへの朱雀院の行幸に靑海波のいみじかりし夕思ひ出で給ふ人々は權中納言衞門督の又劣らず立ち續き給ひにける、世々のおぼえありさまかたち用意などもをさをさ劣らず、つかさくらゐはやゝ進みてさへこそなどよはひの程をも數へて猶さるべきにて昔よりかくたち續きたる御なからひなりけりとめでたく思ふ。あるじの院も哀に淚ぐましくおぼし出てらるゝことども多かり。夜に入りて樂人ども罷り出づ。北のまんどころの別當ども人々ひきゐて祿の唐櫃によりてひとつゞつ取りてつぎつぎたまふ。白きものどもを品々かづきて山ぎはより池のつゝみ過ぐる程のよそめは千年をかねてあそぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。御遊始まりてまたおもしろし。御ことどもは春宮よりぞとゝのへさせ給ひける。朱雀院より渡り參れる琵琶きん、內より賜はり給へる箏の御琴など皆昔覺えたる物のねどもにて珍しく彈き合せ給へるに、何の折にも過ぎにし方の御有樣うちわたりなどおぼし出でらる。故入道の宮おはせましかばかゝる御賀など我こそ進み仕うまつらましか、何事につけてかは志をも見え奉りけむと飽かず口惜しくのみ思ひ出で聞え給ふ。內にも故宮のおはしまさぬことを、何事にもはえなくさうざうしくおぼさるゝにこの院の御事をだに例の跡あるさまのかしこまりを盡しても得見せ奉らぬを世と共に飽かぬ心地し給ふも今年はこの御賀にことつけてみゆきなどもあるべくおぼしおきてけれど「世の中のわづらひならむこと更にせさせ給ふまじくなむ」といなび申し給ふこと度々になりぬれば口惜しくおぼしとまりぬ。しはすの二十日あまりのほどに中宮まかでさせ給ひて今年ののこりの御いのりに奈良の京の七大寺に御誦經、布四千段、この近き都の四十寺に絹四百疋をわかちてせさせ給ふ。ありがたき御はぐゝみをおぼし知りながら、何事につけてかは深き御志をも顯はし御覽ぜさせ給はむとて、父宮母御息所のおはせまし御ための志をも取り添へおぼすに、かうあながちにおほやけにも聞え返させ給へばことゞも多く留めさせ給ひつ。「四十の賀といふことはさきざきを聞き待るにも殘のよはひ久しきためしなむ少かりけるを、この度は猶世のひゞき留めさせ給ひて、誠に後にたらむことを數へさせ給へ」とありけれどおほやけざまにて猶いと嚴めしくなむありける。宮の坐します町の寢殿に御しつらひなどしてさきざきにことに變らず。上達部の祿など大きやうになずらへてみ子達には殊に女のさうぞく、非參議の四位、まうちきんだちなど、たゞの殿上人には白き細長一かさねこしざしなどまで次々にたまふ。御さう束限なく淸らを盡して名高き帶みはかしなど、故前坊の御方ざまにて傅はり參りたるも又哀になむ。ふるき世のひとつのものと名ある限は、皆つどひ參る御賀になむあめる。昔物語にも物得させたるを、かしこきことには數へ續けためれど、いとうるさくてこちたき御なからひのことゞもはえぞかぞへあへ侍らぬや。內にはおぼしそめてし事どもをむげにやはとて中納言にぞつけさせ給ひてける。そのころの右大將やまひして辭し給ひけるを、この中納言に御賀の程よろこびくはへむとおぼし召して俄になさせ給ひつ。院も喜び聞えさせ給ふものから「いとかく俄にあまるよろこびをなむいちはやき心地し侍る」と卑下し申し給ふ。丑寅の町に御しつらひ設け給ひてかくろへたるやうにしなし給へれど、今は猶かたことに儀式まさりて所々の饗などもくらづかさごくそうゐんより仕うまつらせ給へり。とんじきなどおほやけざまにて頭中將宣旨承りて御子達五人、左右のおとゞ大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は例の、內、春宮、院殘りすくなし。おまし御調度どもなどはおほきおとゞ委しくうけ給はりて仕うまつらせ給へり。今日は御事ありてわたり參り給へり。院もいとかしこく驚き申し給ひて御ざにつき給ひぬ。もやのおましに向へておとゞの御ざあり、いと淸らにものものしくふとりてこのおとゞぞ今さかりのしうとくとは見え給へる。あるじの院は猶いと若き源氏の君に見え給ふ。御屛風四帖に內の御手書かせ給へるからの綾のうすだんにしたゑのさまなどおろかならむやは。おもしろき春秋のつくりゑなどよりもこの御屛風の墨つきの輝くさまは目も及ばず、思ひなしさへめでたくなむありける。置物の御厨子ひきものふきものなど藏人所よりたまはり給へり。大將の御いきほひもいといかめしくなり給ひにたれば打ち添へて今日の作法いとことなり。御馬四十疋左右のうまづかさ六衞府の官人かみより次々にひきとゝのふる程日暮れはてぬ。例の萬歲樂賀皇恩などいふ舞氣色ばかり舞ひておとゞの渡り給へるに珍しくもてはやし給へる御遊に皆人心をいれ給へり。琵琶は例の兵部卿宮何事にも世にかたき物の上手に坐していとになし、お前にきんの御こと、おとゞ和琴ひき給ふ。年比添ひ給ひにける御耳の聞きなしにや、いと優に哀におぼさるれば、きんも御手をさをさかくし給はず、いみじきねども出づ。昔の御物語どもなど出できて今はたかゝる御なからひに何方につけても聞え通ひ給ふべき御むつびなど心よく聞え給ひて御みき數多たびまゐりて物のおもしろさも滯りなく御ゑひなきども得とゞめ給はず。御贈物にすぐれたる和琴一つ好み給ふこま笛そへて紫檀の箱ひとよろこひにからの本どもこゝのさうの本など入れて御車におひて奉れ給ふ。御馬どもむかへ取りて右のつかさども高麗の樂してのゝしる。六衞府の官人の祿ども大將たまふ。御心とそぎ給ひて嚴めしきことゞもはこのたびとゞめ給へれど內、春宮、一院、后宮次々の御ゆかりいつくしき程いひ知らず見え渡ることなれば猶かゝる折にはめでたくなむ覺えける。大將の唯一所おはするをさうざうしくはえなき心地せしかど、數多の人にすぐれ、おぼえことに人がらもかたはらなきやうに物し給ふにも、かの母北の方の伊勢の御息所との恨深く挑みかはし給ひけむほどの御すくせどもの行くへ見えたるなむさまざまなりける。その日の御さう束どもなど此方の上なむし給ひける。祿ども大かたのことをぞ三條の北の方は急ぎ給ふめりし。折ふしにつけたる御いとなみうちうちのものゝ淸らをも此方には唯よそのことにのみ聞き渡り給ふを何事につけてかはかゝるものものしき數にもまじらひ給はましと覺えたるを、大將の君の御ゆかりにいとよくかずまへられ給へり。年かへりぬ。桐壺の御方近づき給ひぬるにより正月朔日より、御ず法ふだんにせさせ給ふ。てらでらやしろやしろの御いのりはた數も知らず。おとゞの君ゆゝしきことを見給へてしかばかゝる程のことはいと恐しきものにおぼししみたるを、對の上などのさることし給はぬは口惜しくさうざうしきものから嬉しくおぼさるゝに、まだいとあえかなる御程にいかにおはせむとかねておぼしさわぐに、二月ばかりより怪しく御氣色かはりて惱み給ふに御心どもさわぐべし。おんみやうしどもゝ所をかへてつゝしみ給ふべく申しければ、外のさしはなれたらむは覺束なしとて、かの明石の御町の中の對に渡し奉り給ふ。此方は唯おほきなる對二つ、廊どもなむめぐりてありけるに御修法のだんひまなくぬりて、いみじきげんざども集ひてのゝしる。母君この時に我がすくせをも見ゆべきわざなめればいみじき心を盡し給ふ。かの大尼君も今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。この御有樣を見奉るは夢の心地していつしかと參り近づきなれ奉る。年比この母君はかうそひさぶらひ給へど、昔のことなどまほにしも聞え知らせ給はざりけるを、この尼君喜びにえ堪へず、參りてはいと淚がちにふるめかしきことゞもをわなゝき出でつゝ語り聞ゆ。始つかたは怪しくむつかしき人かなと打ちまもり給ひしかど、かゝる人ありとばかりはほの聞き置き給へれば、なつかしくもてなし給へり。生れ給ひしほどのことおとゞの君のかの浦におはしましたりし有樣、今はとて京へ上り給ひしに誰も誰も心をまどはして、今はかぎりかばかりの契にこそはありけれと歎かしきを、若君のかくひきたすけ給へる御すくせのいみじく悲しきことゝほろほろと泣けば、げに哀なりける昔のことを、かく聞かせざらましかば覺束なくても過ぎぬべかりけりとおぼして打ち泣き給ふ。心のうちには、我が身はげにうけばりていみじかるべききはにはあらざりけるを對の上の御もてなしにみがかれて人の思へるさまなどもかたほにはあらぬなりけり、身をば又なきものに思ひてこそ宮仕のほどにもかたへの人々をば思ひけち、こよなき心おごりをばしつれ、世の人はしたにいひ出づるやうもありつらむかしなどおぼし知りはてぬ。母君をばもとよりかく少しおぼえ降れるすぢと知りながら、生れ給ひけむ程などをば、ある世ばなれたるさかひにてなども知り給はざりけり。いとあまりおほどき給へるけにこそは。怪しくおぼおぼしかりけることなりや。かの入道の今は仙人の世にも住まぬやうにて居たなるを聞き給ふも心苦しくなど、かたがたに思ひ亂れ給ひぬ。いと物哀にながめておはするに御方參り給ひて日中の御加持に此方彼方より參り集ひ物騷がしくのゝしるにお前にことに人もさぶらはず尼君所えていと近くさぶらひ給ふ。「あな見苦しや、短き御几帳ひきよせてこそ侍ひ給はめ。風などさわがしくておのづからほころびのひまもあらむに、くすしなどやうのさましていとさかり過ぎ給へりや」などなまかたはらいたく思ひ給へり。よしめきそしてふるまふとは覺ゆめれども、まうまうに耳もおぼおぼしかりければ、あゝとかたぶきてゐたり。さるはいとさいふばかりにもあらずかし。六十五六のほどなり。尼姿いとかはらかにあてなるさまして目つやゝかに泣きはれたる氣色の怪しく昔思ひ出でたるさまなれば胸打ちつぶれて「こだいのひがごとどもや侍りつらむ。よくこの世の外のやうなるひがおぼえどもにとりまぜつゝ怪しき昔のことゞも出でまうできつらむはや。夢の心地こそし侍れ」と、うちほゝゑみて見奉り給へば、いとなまめかしく淸らにて例よりいたくしづまり、物おぼしたるさまに見え給ふ。我が子とも覺え給はずかたじけなきにいとほしきことゞも聞え給ひて、おぼし亂るゝにや、今はかばかりと御位を極め給はむ世に聞えも知らせむとこそ思へ、口惜しくおぼしすつべきにはあらねど、いといとほしく心おとりし給ふらむと覺ゆ。御加持はてゝまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなしこればかりをだにといと心苦しげに思ひて聞え給ふ。尼君はいとめでたううつくしく見奉るまゝにも、淚はえとゞめず、顏はゑみて口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたり打ちしぐれてひそみ居たり。あなかたはらいたとめくはすれど聞きも入れず。

 「老の波かひある浦に立ちいでゝしほたるゝあまを誰かとがめむ。昔の世にもかやうなるふる人は、罪ゆるされてなむ侍りける」ときこゆ。御硯なる紙に、

 「しほたるゝあまを浪路のしるべにてたづねも見ばや濱のとまやを」。御方も得忍び給はで、うち泣き給ひぬ。

 「世を捨てゝあかしの浦にすむ人も心のやみははるけしもせじ」など聞え紛はし給ふ。別れけむ曉のことも夢のうちにおぼし出でられぬを、口惜しくありけるかなとおぼす。彌生の十餘日のほどにたひらかに生れ給ひぬ。かねてはおどろおどろしくおぼし騷ぎしかど痛く惱み給ふこともなくて男御子にさへおはすれば限なくおぼすさまにておとゞも御心おちゐ給ひぬ。此方はかくれの方にて唯けぢかき程なるに、いかめしき御うぶやしなひなどのうちしきりひゞきよそほしき有樣、げにかひある浦と尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば渡り給ひなむとす。對の上も渡り給へり。しろき御さうぞくし給ひて人の親めきて若宮をつと抱き居給へるさまいとをかし。みづからかゝること知り給はず、人の上にても見習ひ給はねばいと珍らかに美くしと思ひ聞え給へり。むつかしげにおはする程を絕えず抱きとり給へば、まことのをば君は唯まかせ奉りて、御湯殿のあつかひなどを仕う奉り給ふ。春宮の宣旨なる內侍のすけぞ仕うまつる。御むかへゆにおりたち給へるもいとあはれにうちうちのこともほのしりたるに、少しかたほならばいとほしからましを、あさましくけだかくげにかゝる契ことにものし給ひける人かなと見聞ゆ。その程の儀式などもまねびたてむにいと更なりや。六日といふに例のおとゞに渡り給ひぬ。七日の夜うちよりも御うぶやしなひのことあり。朱雀院のかく世を捨てゝおはします御かはりにや、藏人所より頭辨、宣旨うけたまはりて珍らかなるさまに仕うまつれり。祿のきぬなど又中宮の御方よりも、おほやけごとにはたちまさりいかめしくせさせ給ふ。次々のみ子達大臣の家々そのころのいとなみにてわれもわれもと淸らを盡して仕うまつり給ふ。おとゞの君もこの程のことゞもは例のやうにもことそがせ給はで、世になく響きこちたき程にうちうちのなまめかしくこまかなるみやびのまねび傅ふべきふしは目もとまらずなりにけり。おとゞの君も若宮を程なく抱き奉り給ひて、大將の數多まうけたなるを今まで見せぬがうらめしきにかくらうたき人を添へ奉りたるとうつくしみ聞え給ふはことわりなりや。日々に物をひき延ぶるやうにおよすけ給ふ。御めのとなど心知らぬはとみにめさで、さぶらふ中にしな心すぐれたるかぎりをえりて仕うまつらせ給ふ。御方の御心おきてのらうらうしくけだかく大どかなるものゝさるべき方には卑下してにくらかにもうけばらぬなどを譽めぬ人なし。對の上はまほならねどみえかはし給ひてさばかり許しなくおぼしたりしかど、今は宮の御とくにいとむつましくやんごとなくおぼしなりにたり。ちごうつくしみし給ふ御心にてあまがつなど御手づから作りそゝくりおはするもいとわかわかし。明暮この御かしづきにてすぐし給ふ。かのこだいの尼君は若宮をえ心のとがに見奉らぬなむ飽かずおぼえける。なかなか見奉りそめて戀ひ聞ゆるにぞ命もえたふまじかりける。かの明石にもかゝる御こと傅へ聞きて、さるひじり心地にもいと嬉しく覺えければ、今なむこの世のさかひを心安くゆきはなるべきとでしどもにいひて、この家をば寺になしてあたりの田などやうのものは皆その寺のことにしおきて、この國のおくの郡に人も通ひ難く深き山あるをとしごろもしめおきながらあしこに籠りなむ後又人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、唯少しの覺束なき事殘りければ、今までながらへけるを今はさりともと佛神を賴み申してなむうつろひける。この近きとしごろとなりては京にことなることならで、人も通はし奉らざりつ。これよりくだし給ふ人ばかりにつけてなむ、ひとくだりにても尼君にさるべき折ふしのこともかよひける。思ひ離るゝ世のとぢめにふみ書きて御方に奉れ給へり。「このとしごろは同じ世の中のうちにめぐらひ侍りつれど、何かはかくながら身をかへたるやうに思ひ給へなしつゝ、させることなき限は聞えうけ給はらず、かなぶみ見給へるは目のいとまいりて、念佛もけだいするやうにやくなうてなむ御せうそこも奉らぬを、つてにうけ給はれば若君は春宮に參り給ひて男宮生れ給へるよしをなむ深く悅び申し侍る。その故は自らかくつきなき山伏の身に、今更にこの世のさかえを思ふにも侍らず。過ぎにし方の年比、心ぎたなく六時のつとめにも唯御事を心にかけてはちすの上の露の願ひをばさし置きてなむ念じ奉りし。我、おもと生れ給はむとせしをその年の二月のその夜の夢に見しやう、みづからすみの山を右の手に捧げたり、山の左右より月日の光さやかにさし出でゝ世をてらす、みづからは山のしもの蔭に隱れてその光にあたらず、山をば廣き海に浮べ置きて、小き船に乘りて西の方をさして漕ぎ行くとなむ見侍りし。夢さめてあしたより數ならぬ身に賴む所出できながら何事につけてかさるいかめしきことをば待ち出でむと心の中に思ひ侍りしを、そのころよりはらまれ給ひにしこなた、俗の方の書を見侍りしにも又內敎の心を尋ぬる中にも夢を信ずべき事多く侍りしかば賤しきふところのうちにも辱く思ひいたづき奉りしかど、力及ばぬ身に思ひ給へかねてなむ、かゝる道におもむき侍りにし。又この國のことにしづみ侍りて老の波更に立ち返らじと思ひとぢめて、この浦に年比侍りしほども若君を賴むことに思ひ聞え侍りしかばなむ心ひとつに多くのぐわんをたて侍りし。そのかへり申したひらかに思ひのごと時に逢ひ給ふ。若君國の母となり給ひて、願ひみち給はむ世に住吉の御社をはじめはたし申し給へ。更に何事をか疑ひ侍らむ。このひとつの思ひ近き世にかなひ侍りぬれば、遙に西の方十萬億の國隔てたる九ぼんの上の望は疑なくなり侍りぬれば、今は唯むかふるはちすを待ち侍るほどその夕まで、水草きよき山の末にてつとめ侍らむ」とてなむ、まかりいりぬる。

 「ひかりいでむ曉ちかくなりにけり今ぞ見しよの夢がたりする」とて月日かきたり。「命終らむ月日も更になしろしめしそ、いにしへより人のそめ置きける藤衣にも、何かやつれたまふ。唯我が身は變化のものとおぼしなして老法師のためにはくどくをつくり給へ。この世の樂みに添へても後の世を忘れ給ふな。願ひ侍る所にだにいたり侍りなば必又對面も侍りなむ。さばのほかの岸に到りてとくあひ見むとをおぼせ」、さてかの社にたて集めたるぐわん文どもをおほきなるぢんのふばこにふんじ籠めて奉りたり。尼君にはことごとに書かず。「唯この月の十四日になむ草のいほり罷り離れて深き山に入り侍りぬる。かひなき身をば熊狠にもせし侍りなむ。そこにはなほおもひしやうなる御世を待ち出で給へ、あきらかなる所にて又對面はありなむ」とのみあり。尼君この文を見てかの使の大とこに問へば、「この御文書き給ひて三日といふになむかの絕えたる峰にうつろひ給ひにし。なにがしらもかの御おくりに麓まではさぶらひしかど、皆かへし給ひて僧一人、わらは二人なむ御供にさぶらはせ給ふ。今はと世を背き給ひしをりを悲しきとぢめと思う給へしかどのこり侍りけり。年比おこなひのひまひまによりふしながらかきならし給ひしきんの御琴琵琶とりよせ給ひて、かいしらべ給ひつゝ佛にまかり申しし給ひてなむ御堂にせにふし給ひしさらぬものどもゝ多くは奉り給ひて、そののこりをなむ御弟子ども六十餘人なむ親しきかぎりさぶらひける、ほどにつけて皆そぶんし給ひて、猶しのこりをなむ京の御料とて送り奉り給へる。今はとてかき籠り遙けき山の雲霞にまじり給ひにし空しき御跡にとまりて、悲び思ふ人々なむ多く侍る」など、この大とこもわらはにて京より下りたりし人の老法師になりてとまれるいと哀に心ぼそしと思へり。佛の御弟子のさかしきひじりだに鷲の峯をばたどたどしからず賴み聞えながら猶薪つきける世のまどひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思う給へることかぎりなし。御方は南のおとゞにおはするを、かゝる御せうそこなむあるとありければ忍びて渡り給へり。重々しく身をもてなして、おぼろけならでは通ひあひ見給ふこともかたきを、哀なることなむと聞きて覺束なければ打ち忍びてものし給へるにいといみじく悲しげなる氣色にて居給へり。火近く取りよせてこの文を見給ふにげにせきとめむ方ぞなかりける。よその人は何とも目とゞむまじきことのまづ昔きし方のこと思ひ出で戀しと思ひ渡り給ふ心にはあひ見で過ぎはてぬるにこそはと見給ふにいみじくいふかひなし。淚をえせきとめず、この夢がたりをかつは行くさき賴もしく、さらばひが心にて我が身をさしもあるまじきさまにあこがらし給ふと、中ごろ思ひたゞよはれしことはかくはかなき夢にたのみをかけて心高くものし給ふなりけりとかつがつ思ひ合せ給ふ。尼君久しくためらひて「君の御德には嬉しくおもだゝしきことをも身にあまりてならびなく思ひ侍り。哀にいぶせき思ひもすぐれてこそ侍れ。數ならぬ方にてもながらへし都を捨てゝかしこにしづみ居しをだに世の人に違ひたる宿世にもあるかなと思ひ侍りしかど、生ける世に行きはなれ隔たるべき中の契とは思ひかけず、同じはちすに住むべき後の世のたのみをさへかけて年月を過しきて俄にかく覺えぬ御事出できて背きにし世に立ち返りて侍る。かひある御事を見奉り喜ぶものから片つ方には覺束なく悲しきことの打ち添ひて絕えぬをつひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ口惜しく覺え侍る。世にへし時だに人に似ぬ心ばへにより世をもてひがむるやうなりしを若きどち賴みならひておのおのはまたなく契りおきてければかたみにいと深くこそ賴み侍りしか。いかなればかく耳に近き程ながらかくて別れぬらむ」といひつゞけていと哀にうちひそみ給ふ。御方もいみじく泣きて「人にすぐれむ行くさきのことも覺えずや。數ならぬ身には何事もけざやかにかひあるべきにもあらぬものから、哀なる有樣に覺束なくてやみなむのみこそ口惜しけれ。よろづのことさるべき人の御ためとこそ覺え侍れ。さて堪へ籠り給ひなば世の中も定なきにやがてきえ給ひなばかひなくなむ」とて、よもすがら哀なる事どもをいひ明し給ふ。「昨日もおとゞの君のあなたにありと見置き給ひてしを、俄にはひかくれたらむもかるがるしきやうなるべし。身ひとつは何ばかりも思ひ憚り侍らず、かくそひ給ふ御ためなどのいとほしきになむ、心に任せて身をももてなしにくかるべき」とて曉に歸り渡り給ひぬ。「若宮はいかゞ坐します。いかでか見奉るべき」とても泣きぬ。「今見奉り給ひてむ女御の君もいと哀になむ覺し出でつゝ聞えさせ給ふめる。院も事のついでにもし世の中思ふやうならばゆゝしきかねごとなれど尼君その程までながらへ給はなむとのたまふめりき。いかに思すことにかあらむ」とのたまへば、またうちゑみて「いでやさればこそ樣々ためしなきすくせにこそ侍れ」とて喜ぶ。このふばこは持たせて參うのぼり給ひぬ。宮よりとく參り給ふべきよしのみあれば「かく思したることわりなり。珍らしきことさへそひていかに心もとなくおぼさるらむ」と紫の上もの給ひて、若宮忍びて參らせ奉らむの御心づかひし給ふ。御息所は御いとまの心安からぬにこり給ひて、かゝるついでにしばしあらまほしくおぼしたる、程なき御身にさる恐しきことをし給へれば、少しおも瘦せほそりていみじくなまめかしき御さまし給へり。「かくためらひ難くおはする程つくろひ給ひてこそは」など御方などは心苦しがり聞え給ふをおとゞは「かやうにおも瘦せて見え奉り給はむもなかなか哀なるべきわざなり」などのたまふ。對の上などの渡り給ひぬる夕つ方しめやかなるに御方お前に參り給ひてこのふばこ聞え知らせ給ふ。「思ふさまに適ひはてさせ給ふまではとり隱して置きて侍るべけれど、世の中定めがたければうしろめたさになむ。何事をも御心とおぼしかずまへざらむこなた、ともかくもはかなくなり侍りなば必ずしも今はのとぢめを御覽ぜらるべき身にも侍らねば、猶うつしごゝろうせず侍る世になむはかなきことをも聞えさせおくべく侍りけると思ひ侍りて、むつかしくあやしき跡なれど、これも御覽ぜよこの御願文は近きみづしなどに置かせ給ひて必ずさるべからむ折に御覽じてこのうちのことどもはせさせ給へ。疎き人にはなもらさせ給ひそ。かばかりと見奉り置きつればみづからも世をそむき侍りなむと思う給へなり行けば、よろづ心のどかにも覺え侍らず。對の上の御心おろかに思ひ聞えさせ給ふな。いとありがたく物し給ふ深き御氣色を見侍れば、身にはこよなくまさりて長き御世にもあらなむとぞ思ひ侍る。もとより御身に添ひ聞えさせむにつけても、つゝましき身の程に侍ればゆづり聞えそめ侍りにしをいとかうしも物し給はじとなむ、としごろは猶世の常に思う給へ渡り侍りつる。今はきし方行くさきうしろ安く思ひなりにて侍り」などいと多く聞え給ふ。淚ぐみて聞きおはす。かくむつましかるべきおまへにも常に打ち解けぬさまし給ひて、わりなく物づゝみしたるさまなり。このふみの詞いとうたてこはくにくげなるさまを、みちのくにがみにて年經にければきばみあつこえたる五六枚に、さすがにかうにいと深くしみたるに書き給へり。いと哀とおぼして御ひたひがみのやうやうぬれゆく御そばめあてになまめかし。院は姬宮の御方におはしけるを、中の御さうじよりふと渡り給へればえしもひきかくさで御几帳を少しひきよせてみづからははたかくれ給へり。「若宮は驚き給へりや。時の間も戀しきわざなりけり」と聞え給へば御息所はいらへも聞え給はねば、御方「對に渡し聞え給ひつ」と聞え給ふ。「いとあやしや、あなたにこの宮をらうじ奉りてふところを更に放たずもてあつかひ、人やりならずきぬも皆濡してぬぎかへがちなめる、かろがろしくなどかく渡し奉り給ふ。こなたに渡りてこそ見奉り給はめ」との給へば「いとうたて思ひぐまなき御事かな。女におはしまさむだにあなたにて見奉り給はむこそよく侍らめ。まして男は限なしと聞えさすれど心やすく覺え給ふを、たはぶれにてもかやうに隔てがましきことなさかしがり聞えさせ給ひそ」と聞え給ふ。打ち笑ひて「御中ともにまかせて見放ち聞ゆべきなゝりな、隔てゝ今はたれもたれもさし放ちさかしらなどのたまふこそをさなけれ。まづはかやうにはひかくれてつれなくいひおとし給ふめりかし」とて御几帳をひきやり給へればもやの柱によりかゝりていと淸げに心はづかしげなるさましてものし給ふ。ありつる箱も惑ひかくさむもさまあしければさておはするを「なその箱ぞ深き心あらむけさう人の長歌詠みてふんじこめたる心地こそすれ」とのたまへば「あなうたてや今めかしくなりかへらせ給ふめる御心ならひに聞き知らぬやうなる御すさびごともこそ時々出でくれ」とてほゝゑみ給へれど物哀なりける御氣色どもしるければ、あやしとうちかたぶき給へるさまなれば煩しくて「かの明石の岩屋より忍びて侍りし御いのりの卷じゆ又まだしきぐわんなどの侍りけるを御心にも知らせ奉るべきをりあらば御覽じ置くべきやとて侍るを只今はついでなくて何にかはあけさせ給はむ」と聞え給ふに、實に哀なるべき有樣ぞかしとおぼして「いかに行ひまして住み給ひにたらむ。命長くてこゝらのとしごろつとむる罪もこよなからむかし。世の中によしあるさかしき方々の人とて見るにも、この世にそみたる程のにごり深きにやあらむ、かしこき方こそあれ、いとかぎりありつゝ及ばざりけりや。さもいたり深くさすがに氣色ありし人の有樣かな。ひじりだちこの世離れがほにもあらぬものから、したの心は皆あらぬ世にかよひ住み渡るとこそ見えしか。まして今は心苦しきほだしもなく思ひ離れにたらむをや。かやすき身ならば忍びていとあはまほしくこそ」との給ふ。「今はかの侍りし所をもすて鳥の音聞えぬ山にとなむ聞き侍る」と聞ゆれば「さらばその遺言ななりな、せうそこはかよはし給ふや。尼君いかに思ひ給ふらむ。親子の中よりも又さるさまの契は殊にこそ添ふべけれ」とて打ち淚ぐみ給へり。「年のつもりに世の中の有樣をとかく思ひ知り行くまゝに、怪しく戀しく思ひ出でらるゝ人の御有樣なれば、深き契のなからひはいかに哀ならむ」などのたまふ序に「この夢がたりもおぼし合することもやと思ひていと怪しき梵字とかいふやうなるあとに侍るめれど、御覽じ留むべきふしもやまじり侍るとてなむ。今はとて別れにしかども、猶こそ哀は殘り侍るものなりけれ」とて、さまよく打ち泣き給ふ。とり給ひて「いとかしこく猶ほれぼれしからずこそあるべけれ。手などもすべて何事もわざというそくにしつべかりける人の、唯この世なる方の心おきてこそすくなかりけれ。かの先祖のおとゞはいと賢くありがたき志を盡しておほやけに仕うまつり給ひける程に、ものゝたがひめありてそのむくいにかく末はなきなりなど人いふめりしを、女子の方につけたれど、かくていとつぎなしといふべきにはあらぬもそこらのおこなひのしるしにこそあらめ」など淚おしのごひ給ひつゝ、この夢のわたりに目とゞめ給ふ。怪しくひがひがしくすゞろに高き志ありと人もとがめ、またわれながらもさるまじきふるまひをかりにてもするかなと思ひしことは、この君の生れ給ひし時に契深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、覺束なくこそ思ひ渡りつれ、さらばかゝるたのみありてあながちには望みしなりけり、よこさまにいみじきめを見漂ひしもこの人ひとりのためにこそありけれ、いかなるぐあんをか心に起しけむとゆかしければ、心の內に拜みてとり給ひつ。これは又具して奉るべきもの侍り。今又聞え知らせ侍らむ」と女御には聞え給ふ。そのついでに「今はかくいにしへの事をもたどり知り給ひぬれど、あなたの御心ばへをおろかに覺しなすな。もとよりさるべき中えさらぬむつびよりも橫ざまのなげの哀をもかけ、ひとことの心よせあるはおぼろげのことにもあらず。ましてこゝになどさぶらひなれ給ふを、みるみるも初めの志かはらず深くねんごろに思ひ聞えたるを、いにしへの世のたとへにもさこそはうはべにははぐゝみげなれど、らうらうしきたどりあらむもかしこきやうなれど、猶あやまりても我がためしたの心ゆがみたらむ人を、さも思ひよらずうらなからむためは引き返し哀にいかでかゝるにはと、罪得がましきにも思ひなほる事もあるべし。おぼろげの昔の世のあだならぬ人は違ふふしぶしもあれど、ひとりひとり罪なき時にはおのづからもてなほすためしともあるべかめり。さしもあるまじきことにかどかどしく癖をつけ、あいきやうなく人をもてはなるゝ心あるはいと打ち解けがたく思ひくまなきわざになむあるべき。多くはあらねど人の心のとあるさまかゝるおもむきを見るに、ゆゑよしといひさまざまに口惜しからぬきはの、心ばせあるべかめり。皆おのおの得たる方ありて取る所なくもあらねど、又とりたてゝ我が心うしろみに思ひ、まめまめしく選び思はむにはありがたきわざになむ、唯誠の心のくせなく、善き事はこの對をのみなむ、これをぞおひらかなる人といふべかりけるとなむ思ひ侍る。よしとて又あまりひたゝけて賴もしげなきもいと口惜しや」とばかりの給ふに、かたへの人は思ひやられぬかし。「そこにこそ少し物の心得て物し給ふめるを、いとよくむつびかはしてこの御うしろみをも同じ心にて物し給へ」など忍びやかにの給ふ。「のたまはせねどいとありがたき御けしきを見奉るまゝに明暮のことくさに聞え侍る。めざましきものになどおぼし許さゞらむにかうまで御覽じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまでかずまへのたまはすればかへりてはまばゆくさへなむ、數ならぬ身のさすがにきえぬは世のきゝみゝも苦しくつゝましく思う給へらるゝを、罪なきさまにもてかくされ奉りつゝのみこそ」と聞え給へば、「その御ためには、何の志かはあらむ。唯この御有樣をうちそひても得見奉らぬ覺束なさに讓り聞えらるゝなめり。それも又とりもちて、けちえんになどあらぬ御もてなしともに萬の事なのめにめやすくなればいとなむ思ひなく嬉しき。はかなきことにても物心得ずひがひがしき人はたちまじらふにつけて、人のためさへからきことありかし。さなほし所なく誰も物し給ふめれば心安くなむ」とのたまふにつけても、さりやよくこそ卑下しにけれなど思ひ續け給ふ。對へ渡り給ひぬ。「さもいとやんごとなき御志のみまさるめるかな。げにはた人よりことにかくしも具し給へる有樣のことわりと見え給へるこそめでたけれ。宮の御方うはべの御かしづきのみめでたくて渡り給ふことも得なのめならざるはかたじけなきわざなめりかし。同じすぢにはおはすれど今一きはゝ心苦しく」としりうごち聞え給ふにつけても、我がすくせはいとたけくぞ覺え給ひける。やんごとなきだにおぼすさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべき覺えにしあらねば、すべて今はうらめしきふしもなし。唯かのたえ籠りにたるやまずみを思ひやるのみぞ哀に覺束なき。尼君も唯福地の園に種まきてとやうなりしひとことを打ち賴みて、後の世を思ひやりつゝ眺め居給へり。大將の君はこの姬君の御事を思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますをいとたゞにも覺えず、大かたの御かしづきにつけてこなたにはさりぬべきをりをりに參りなれ、おのづから御けはひ有樣も見聞き給ふに、いと若くおほどき給へる一すぢにてうへの儀式はいかめしく世のためしにしつばかりもてかしづき奉り給へれど、をさをさけざやかに物深くは見えず。女房などもおとなおとなしきは少く若やかなるかたち人のひたぶるに打ち華やぎざればめるはいと多く、數知らぬまで集ひさぶらひつゝ、物思ひなげなる御あたりとはいひながら、何事ものどやかに心しづめたるは心の中のあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも又更にこゝちゆきけにとゞこほりなかるべきにしも打ちまじればかたへの人にひかれつゝ同じけはひもてなしになだらかなるを、唯あけくれはいはけたるみあそびたはぶれに心入れたるわらはべのありさまなど、院はいとめにつかず見給ふことゞもあれどひとつさまに世の中をおぼしのたまはぬ御本性なれば、かゝるかたをもまかせてさこそはあらまほしからめと、御覽じ許しつゝいましめとゝのへさせ給はず。さうじみの御有樣ばかりをばいとよく敎へ聞え給ふに少しもてつけ給へり。かやうのことを大將の君もげにこそありがたき世なりけれ、紫の御用意氣色のこゝらの年經ぬれど、ともかくももり出で見え聞えたる所なくしづやかなるを本として、さすがに心うつくしう、人をもけたず、身をもやんごとなく心にくゝもてなし添へ給へることゝ見し面影も忘れ難くのみなむ思ひ出でられける。我が御北の方も哀と覺す方こそ深けれ、いふかひあり勝れたるらうらうじさなど物し給はぬ人なり。おだしきものに今はとめなるゝに、心ゆるびて猶かくさまざまにつどひ給へる御有樣どものとりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は人の御ほどを思ふにも限なく心ことなる御ほどに、取りわきたる御けしきにしもあらず、人目のかぎりばかりにこそと見奉り知るにわざとおほけなき心にしもあらねど、見奉る折ありなむやと、ゆかしく思ひ聞え給ひけり。衞門のかんの君も院に常に參り親しくさぶらひ馴れ給ひし人なれば、この宮をちゝみかどのかしづきあがめ奉り給ひし御心おきてなどくはしく見奉り置きて、さまざまの御定めありし比ほひより聞えより、院にもめざましとはおぼしのたまはせずと聞きしを、かくことざまになり給へるはいと口惜しく胸いたきこゝちすれば、猶得思ひ離れずそのをりより語らひつきにける、女房のたよりに御有樣なども聞き傅ふるを慰めに思ふぞはかなかりける。對の上の御けはひには猶おされ給ひてなむと世の人もまねび傅ふるを聞きては、かたじけなくともさるものは思はせ奉らざらまし、げにたぐひなき御身にこそあたらざらめと常にこの小侍從といふ御ちぬしをもいひはげまして世の中定めなきを、おとゞの君もとより本意ありておぼしおきてたる方に趣き給はゞとたゆみなく思ひありきけり。

三日ばかりの空うらゝかなる日六條院に兵部卿宮、衞門督など參り給へり。おとゞ出で給ひて御物語などし給ふ。「しづかなる住まひはこの頃こそいとつれづれにまぎるゝことなかりけれ。おほやけわたくしにことなしや。何わざしてかは暮すべき」などの給ひて、「今朝大將の物しつるは何方にぞ、いとさうざうしきを、例の小弓射させて見るべかりけり。このむめるわかうどゝもゝ見えつるを、ねたういでやしぬる」と問はせ給ふ。大將の君は丑寅の町に人々數多して、まもりてあそばして見給ふときこしめして、「みだりがはしきことのさすがに目さめてかどかどしきぞかし。いづらこなたに」とて御せうそこあれば參り給へり。わかきんだちめく人々多かりけり。「鞠持たせ給へりや誰々か物しつる」との給ふ。「これかれ侍りつ此方へまかでむや」との給ひて、寢殿のひんがしおもて桐壺は若宮具し奉りて參り給ひにし頃なればこなたはかくろへたりけり。やりみずなどのゆきあひはれてよしあるかゝりの程をたづねて立ち出づ。おほきおほいどのゝ君達、頭辨、兵衞佐、大夫の君など過したるも又かたなりなるもさまざまに人よりまさりて好み物し給ふ。やうやう暮れかゝるに風吹かずかしこき日なりと興じて辨の君もえ靜めず立ちまじれば、おとゞ「辨官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも若きゑふづかさたちはなどか亂れ給はざらむ、かばかりのよはひにては怪しく見すぐす口惜しく覺えしわざなり。さるはいときやうぎやうなりや、このことのさまよ」などのたまふに、大將もかんの君も皆おり居てえならぬ花の影にさまよひ給ふ。夕ばへいと淸げなり。をさをささまよくしづかならぬ亂れごとなめれど所から人がらなりけり。故ある庭の木立のいたく霞籠めたるにいろいろのひも解き渡る花の木ども、わづかなるもえぎのかげにかくはかなきことなれど善き惡しきけぢめあるをいどみつゝ我れも劣らじと思ひ顏なる中に、衞門督のかりそめに立ちまじり給へる足もとにならぶ人なかりけり。かたちいときよげになまめきたるさましたる人の用意いたくして、さすがにみだりがはしきをかしく見ゆ。みはしのまにあたれる櫻の蔭によりて人々花の上も忘れて心に入れたるを、おとゞも宮もすみの高欄に出でゝ御覽ず。いとらうある心ばへども見えて數多くなり行くに上らうも亂れてかうぶりのひたい少しくつろぎたり。大將の君も御位の程思ふこそ例ならぬ亂りがはしさかなと覺ゆれ。見る目は人よりけに若くをかしげにて櫻のなほしのやゝなえたるにさしぬきのすそつかた少しふくみて氣色ばかりひきあげ給へり。かるがるしくも見えず、物淸げなるうちとけ姿に花の雪のやうに降りかゝれば打ち見上げてしをれたる枝少し押し折りてみはしの中のしなの程に居給ひぬ。かんの君つゞきて「花亂りがはしく散るめりや。櫻はよぎてこそ」などの給ひつゝ宮の御前の方をしりめに見れば例のごとにをさまらぬけはひどもしていろいろこぼれ出でたるみすのつまづますきかげなど、春のたむけのぬさぶくろにやと覺ゆ。御几帳どもしどけなくひきやりつゝ人げ近く世づきてぞ見ゆるに、からねこのいと小さくをかしげなるをすこしおほきなる猫の追ひ續きて俄にみすのつまより走り出づるに人々おびえ騷ぎてよそよそとみじろきさまよふけはひどもきぬの音なひ耳かしましき心ちす。猫はまだよく人にもなつかぬにや、つないと長くつきたりけるを物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこじろふ程にみすのそばいとあらはにひきあげられたるをとみにひきなほす人もなし。この柱のもとにありつる人々も心あわたゞしげにてものおぢしたるけはひどもなり。几帳のきは少し入りたる程にうちき姿にて立ち給へる人あり。端より西の二の間のひんがしのそばなれば紛れ所もなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ濃き薄き、すぎすぎにあまた重りたるけぢめ、はなやかに草紙のつまのやうに見えて櫻の織物のほそながなるべし、御くしのすそまでけざやかに見ゆるは絲をよりかけたるやうになびきてすそのふさやかにそがれたるいと美しげにて七八寸ばかりぞ餘り給へる。御ぞのすそがちにいとほそくさゝやかにて姿つき髮のかゝり給へるそばめいひしらずあてにらうたげなり。夕かげなればさやかならず奧暗き心地するもいと飽かず口をし。鞠に身をなぐる若公達の花のちるを惜しみもあへぬ氣色どもを見るとて、人々あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたくなけば見返り給へるおもゝちもてなしなどいとおいらかにて若くうつくしの人やとふと見えたり。大將いとかたはらいたけれどはひよらむもなかなかいとかるがるしければ、唯心を得させてうちしはぶき給へるにぞやをらひき入り給ふ。さるは我がこゝちにもいと飽かぬこゝちし給へど猫のつなゆるしつれば心にもあらず打ちなげかる。ましてさばかり心をしめたる衞門督は胸つとふたがりて誰ばかりにかはあらむこゝらの中にしるきうちきすがたよりも人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど心にかゝりて覺ゆ。さらぬ顏にもてなしたれどまさにめとゞめじやと大將はいとほしくおぼさる。わりなきこゝちのなぐさめに猫を招きよせてかきいだきたればいとかうばしくてらうたげに打ちなくもなつかしく思ひよそへらるゝぞすきずきしきや。おとゞ御覽じおこせて「上達部のざいとかろがろしや、こなたにこそ」とて對の南面に入り給へれば皆そなたに參り給ひぬ。宮も居直り給ひて御物語し給ふ。つぎつぎの殿上人はすのこにわらうだめしてわざとなくつばいもちひ、なし、かうじやうのものどもさまざまに箱の蓋どもにとりまぜつゝあるを若き人々そぼれとりくふ。さるべきからものばかりして御かはらけまゐる。衞門督はいといたく思ひしめりて、やゝもすれば花の木に目をつけてながめやる。大將は心知りに怪しかりつる御簾のすきかげ思ひ出づる事やあらむと思ひ給ふ。いと端近なりつる有樣をかつはかろがろしと思ふらむかし。いでやこなたの御有樣のさはあるまじかめるものをと思ふに、かゝればこそ世のおぼえの程よりは內々の御志ぬるきやうにはありけれと思ひ合せて猶うちとの用意多からず、いはけなきはらうたきやうなれどうしろめたきやうなりやと思ひおとさる。宰相の君は萬の罪をもをさをさたどられず覺えぬ物のひまよりほのかにもそれと見奉りつるにも、我が昔よりの志のしるしあるべきにやと契嬉しき心地して、飽かずのみおぼゆ。院は昔物語しいで給ひて「おほきおとゞの萬の事にたちならびてかちまけのさだめし給ひし中に鞠なむ得及ばずなりにし、はかなきことは傅へあるまじけれど、ものゝすぢは猶こよなかりけり。いとめも及ばずかしこうこそ見えつれ」とのたまへば、うちほゝゑみて「はかばかしき方にはぬるく侍る家の風のさしも吹き傳へ侍らむに、後の世のため、殊なることなくこそ侍りぬべけれ」と申し給へば、「いかでか、何事も人に異なるけぢめをばしるし傳ふべきなり。家の傳へなどに、かきとゞめ入れたらむこそ、けうはあらめ」など、たはぶれ給ふ。御さまの匂ひやかに淸らなるを見奉るにも、かゝる人にならひていかばかりのことにか、心をうつす人は物し給はむ、何事につけてか哀と見許し給ふばかりはなびかし聞ゆべきと、思ひめぐらすに、いとこよなく御あたりはるかなるべき身の程も思ひ知らるれば胸のみふたがりてまかで給ひぬ。大將の君ひとつ軍にて道のほど物語し給ふ。「猶このごろのつれづれにはこの院に參りてまぎらはすべきなり、今日のやうならむいとまのひま待ちつけて花のをりすぐさず參れとの給ひつるを、春をしみがてら月の內に小弓持たせて參り給へ」と語らひ契る。おのおの別るゝ道の程物語し給うて宮の御事の猶いはまほしければ「院には猶この對にのみ物せさせ給ふなめりなかの御覺えのことなるなめりかし。この宮いかにおぼすらむ。みかどのならびなくならはし奉り給へるに、さしもあらで具し給ひにたらむこそ心苦しけれ」とあいなくいへば「たいだいしきこと、いかでかさはあらむ。こなたはさまかはりておほしたて給へるむつびのけぢめばかりにこそあべかめれ、宮をばかたかたにつけて、いとやんごとなく思ひ聞え給へるものを」と語り給へば「いであなかま給へ。皆聞きて侍る、いといとほしげなる折々あなるをやさるは世におしなべたらぬ人の御おぼえをありがたきわざなりや」といとほしがる。

 「いかなれば花に木づたふ鶯のさくらをわきてねぐらとはせぬ。春の鳥の櫻ひとつにとまらぬ心よ、あやしと覺ゆることぞかし」と口ずさびにいへば、いであなあぢきなのものあつかひや、さればよと思ふ。

 「みやま木にねぐらさだむるはこ鳥もいかでか花の色にあくべき。わりなきことひたおもむきにのみやは」といらへて、煩しければことにいはせずなりぬ。ことごとにいひまぎらはしておのおのわかれぬ。かんの君は猶おほいどのゝひんがしの對にひとりずみにてぞものし給ひける。思ふ心ありてとしごろかゝるすまひをするに人やりならずさうざうしく心ぼそきをりをりあれど、我が身かばかりにてなどか思ふことかなはざらむとのみ心おごりするに、この夕べよりくしいたく物おもはしくていかならむをりに又さばかりにてもほのかなる御ありさまをだに見む、ともかくもかきまぎれたるきはの人こそ、かりそめにもたはやすき物いみ、かたゝがへのうつろひもかろがろしきにおのづからともかくも物のひまをうかゞひつくるやうもあれなど、思ひやる方なく深き窓のうちに何にばかりのことにつけてかかく深き心ありけりとだに知らせ奉るべきと、胸いたくいぶせければ、小侍從がり例の文やり給ひて、「一日の風にさそはれて、みかきが原をわけ入りてはべりしに、いとゞいかに見おとし給ひけむ、その夕よりみだりごゝちかきくらしあやなくけふをながめくらし侍る」など書きて、

 「よそに見てをらぬなげきはしげれどもなごり戀しき花のゆふかげ」とあれど侍從は一日の心も知らねば、唯世の常のながめにこそはと思ふ。おまへに人しげからぬ程なればこの文をもて參りて「この人のかくのみ忘れぬものにことゝひものし給ふこそ煩はしく侍れ。心苦しげなる有樣も見給へあまる心もやそひ侍らむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」とうち笑ひて聞ゆれば「いとうたてあることをもいふかな」と何心もなげにのたまうて文ひろげたるを御覽ず。見もせぬといひたる所をあさましかりしみすのつまをおぼし合せらるゝに、御おもて赤みておとゞのさばかりことのついでごとに大將に見え給ふな、いはけなき御有樣なめればおのづからとりはづして見奉るやうもありなむと、いましめ聞え給ふをおぼし出づるに、大將のさることありしと語り聞えたらむ時いかにあばめ給はむと、人の見奉りけむ事をばおぼさで、えはゞかり聞え給ふ心のうちぞをさなかりける。常よりも御さしいらへなければすさまじくしひて聞ゆべきことにもあらねばひき忍びて例のかく「一日はつれなし顏をなむ、めざましうとゆるし聞えざりしを、見ずもあらぬやいかにあなかけかけしや」とはやりかに走り書きて、

 「今さらにいろにないでそ山櫻およばぬ枝にこゝろかけきと。かひなきことを」とあり。


若菜下

ことわりと思へどうれたくもいへるかな、いでやなぞかく異なる事なきあへしらひばかりをなぐさめにては、いかゞすぐさむ、かゝる人づてならでひとことをものたまひ聞ゆる世ありなむやと、思ふにつけても大方にては惜しくめでたしと思ひ聞ゆる院の御ためなまゆがむ心やそひにたらむ。つごもりの日は人々數多參り給へり。なまものうくすゞろはしけれど、そのあたりの花の色をも見てや慰むと思ひて參り給ふ。殿上ののりゆみ二月とありしを過ぎて三月はた御き月なれば口惜しと人々思ふに、この院にかゝるまとゐあるべしと聞き傅へて例のつどひ給ふ。左右大將さる御なからひにて參り給へばすけたちなどいどみかはして、小弓とのたまひしかどかちゆみの勝れたる上ずどもありければ召し出でゝ射させ給ふ。殿上人どもゝつきづきしきかぎりは皆まへしりへの心こまどりにかたわきて、暮れゆくまゝに今日にとぢむる霞の氣色もあわたゞしく、亂るゝ夕風に花のかげいとゞ立つことやすからず。人々いたくゑひすぎ給ひてえんなるかけものどもこなたかなた人々の御心見えぬべきを、柳の葉をもゝたびあてつべきとねりどものうけばりていとるむじんなりや。すこしこゝしき手つきどもをこそいどませめとて、大將だちより始めており給ふに、衞門の督人よりけにながめをしつゝ物し給へば、かのかたはし心知れる御めには見つけつゝなほいとけしきことなり。煩しきこと出で來べきよにやあらむと我さへ思ひつきぬるこゝちす。この君達御中いとよしさるなからひといふ中にも心かはしてねんごろなればはかなきことにても物思はしくうち紛るゝことあらむをいとほしく覺え給ふ。みづからもおとゞを見奉るにけおそろしくまばゆくかゝる心はあるべきものか、なのめならむにてだにけしからず、人にてんつかるべきふるまひはせじと思ふものを、ましておほけなきことゝ思ひわびてはかのありし猫をだにえてしがな、思ふこと語らふべくはあらねどかたはらさびしきなぐさめにもなつけむと思ふに、物ぐるほしういかでかは盜み出でむと、それさへぞ難きことなりける。女御の御方に參りて物語など聞えまぎらはし心みる、いと奧深く心はづかしき御もてなしにてまほに見え給ふこともなし。かゝる御なからひにだにけどほくならひたるを、ゆくりかに怪しくはありしわざぞかしとは、さすがにうち覺ゆれど、おぼろげにしめたる我が心から淺くも思ひなされず。春宮に參り給ひて、ろなうかよひ給へる所あらむかしと目とゞめて見奉るに匂ひやかになどはあらぬ御かたちなれどさばかりの御有樣はた、いとことにてあてになまめかしくおはします。うちの御猫の數多ひきつれたりけるはらからどもの所々にあがれて、この宮にも參れるがいとをかしげにてありくを見るにまづ思ひ出でらるれば「六條の院の姬宮の御方に侍る猫こそいと見えぬやうなる顏して、をかしうはべりしか、はつかになむ見給へし」と啓し給へば、猫わざとらうたくせさせ給ふ御心にてくはしく問はせ給ふ。「から猫のこゝのにたがへるさましてなむ侍りし。同じやうなるものなれど心をかしく人なれたるは怪しくなつかしきものになむ侍る」などゆかしくおぼさるばかり聞えなし給ふ。きこし召しおきて桐壺の御方より傳へて聞えさせ給ひければ參らせ給へり。げにいと美しげなる猫なりけりと人々けうずるを、衞門督は尋ねむとおぼしたりきと御けしきを見置きて、日比へて參り給へり。わらはなりしより朱雀院のとりわきておぼしつかはせ給ひしかば、御山ずみにおくれ聞えては又この宮にもしたしう參り心よせ聞えたり。御琴など敎へ聞え給ふとて御猫ども數多集ひ侍りにけり。「いづら好みし人か」と尋ねて見つけ給へり。いとらうたく覺えてかきなでつゝ居たり。宮も「げにをかしきさましたりけり。心なむまだなつきがたきは見馴れぬ人を知るにやあらむ、こゝなる猫どもことに劣らずかし」とのたまへば、「これはさるわきまへ心もをさをさ侍らぬものなれど、その中にも心かしこきはおのづからたましひ侍らむかし」など聞えて「まさるどもさぶらふめるをこれは暫し賜はりあづからむ」と申し給ふ。心のうちにあながちにをこがましくかつは覺ゆ。つひにこれを尋ねとりてよるもあたり近くふせ給ふ。あけたてば猫のかしづきをしてなでやしなひ給ふ。ひとげ遠かりし心もいとよく馴れてともすればきぬのすそにまつはれ寄りふしむつるゝをまめやかにうつくしと思ふ。いといたくながめて端近く寄りふし給へるに、來てねうねうといとらうたげになけば、かきなでゝうたてもすゝむかなとほゝゑまる。

 「戀ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とてなくねなるらむ」。これも昔の契にやと顏を見つゝのたまへば、いよいよらうたげになくをふところに入れて眺め居給へり。ごだちなどは「怪しく、俄なる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れ給はぬ御心に」と咎めけり。宮より召すにも參らせずとりこめてこれを語らひ給ふ。

左大將殿の北の方は大殿の君達よりも、右大將の君をばなむ昔のまゝにうとからず思ひ聞え給へり。心ばへのかどかどしくけぢかくおはする君にて對面し給ふ時々もこまやかに隔てたる氣色なくもてなし給へれば、大將もしげいさなどのうとうとしく及びがたげなる御心ざまのあまりなるにさまことなる御むつびにて思ひかはし給へり。男君今はましてかの初の北の方をももてはなれはてゝ並びなくもてかしづき聞え給ふ。この御腹には男君達のかぎりなればさうざうしとて、かのまきばしらの姬君えてもかしづかまほしくし給へど、おほぢ宮など更に許し給はず、この君をだに人わらへならぬさまにて見むと覺しの給ふ。みこの御おぼえいとやんごとなくうちにもこの宮の御心よせいとこよなくて、このことゝ奏し給ふことをばえそむき給はず心ぐるしきものに思ひ聞え給へり。大方も今めかしくおはする宮にてこの院大殿にさしつぎ奉りては、人も參り仕うまつり、世の人もおもく思ひ聞えけり。大將もさる世のおもしとなり給ふべきしたかたなれば、姬君の御おぼえなどてかはかるくはあらむ。聞え出づる人々ことに觸れて多かれどおぼしもさだめず。衞門督をさも氣色ばまばとおぼすべかめれど、猫には思ひおとし奉るにや、かけても思ひよらぬぞ口惜しかりける。母君のあやしく猶ひがめる人にて世の常のありさまにもあらずもてけち給へるを口惜しきものにおぼして、まゝはゝの御あたりをば心つけてゆかしく思ひて、今めきたる御心ざまにぞ物し給ひける。兵部卿の宮猶一所のみおはして、御心につけておぼしける事どもは、皆たがひて世の中もすさまじく人わらへにおぼさるゝに、さてのみやはあまえて過ぐすべきと覺してこのわたりに氣色ばみより給へれば大宮「何かはかしづかむと思はむ女子をば宮仕へにつぎてはみ子達にこそは見せ奉らめ、たゞ人のすくよかになほなほしきをのみ今の世の人のかしこくするしななきわざなり」とのたまひて、いたくも惱まし奉り給はずうけひき申し給ひつ。御子あまりうらみどころなきをさうざうしとおぼせど大方のあなづりにくきあたりなればえしもいひ過ぐし給はでおはしましそめぬ、いとになくかしづききこえ給ふ。大宮は女ごあまた物し給ひて、さまざま物なげかしき折々多かるに物こりもしぬべけれど猶この君のことの思ひ放ち難く覺えてなむ、母君は怪しきひがものに年比にそへてなりまさり給ふ。大將はた我がことに從はずとておろかに見捨てられためればいとなむ心苦しきとて、御しつらひをもたちゐ御手づから御覽じいれよろづにかたじけなく御心に入れ給へり。宮はうせ給ひにける北の方を世と共に戀ひ聞え給ひて唯むかしの御有樣に似奉りたらむ人を見むとおぼしけるに、惡しくはあらねどさまかはりてぞ物し給ひけるとおぼすに、口惜しくやありけむ通ひ給ふさまいと物うげなり。大宮いと心づきなきわざかなとおぼし歎きたり。母君もさこそひがみ給ひつれどうつしごゝろ出でくる時は口惜しくうき世と思ひはて給ふ。大將の君もさればよいといたく色めき給へる御子をと、初より我が御心にゆるし給はざりしことなればにやものしと思ひ給へり。かんの君もかくたのもしげなき御さまを近く聞き給ふには、さやうなる世の中を見ましかばこなたかなたいかにおぼし見給はましなどなまをかしくも哀にもおぼし出でける。そのかみもけぢかく見聞えむとは思ひよらざりきかし、唯なさけなさけしう心深きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや聞きおとし給ひけむといとはづかしく、年比もおぼしわたることなれば、かゝるあたりにて聞き給はむことも心づかひせらるべくなどおぼす。これよりもさるべきことはあつかひきこえ給ふ。せうとの君だちなどしてかゝる御氣色も知らずがほににくからずきこえまつはしなどするに心苦しくもてはなれたる御心はなきにおほ北の方といふさがなものぞ常に許しなく怨じ聞え給ふ。「御子達はのどかにふたごゝろなくて見給はむをだにこそ華やかならぬ慰めには思ふべけれ」とむつかり給ふを宮も漏り聞き給ひては、いと聞きならはぬことかな。昔いと哀と思ひし人をおきても猶はかなき心のすさびは絕えざりしかどかうきびしき物えんじは殊になかりしものを、心づきなくいとゞ昔を戀ひ聞え給ひつゝふるさとにうちながめがちにのみおはします。さいひつゝもふたとせばかりになりぬればかゝるかたにめなれて唯さるかたの御中にてすぐし給ふ。はかなくて年月も重りて內のみかど御位につかせ給ひて十八年にならせ給ひぬ。次の君とならせ給ふべき御子おはしまさず。物のはえなきに世の中はかなく覺ゆるを心安く思ふ人々にも對面しわたくしざまに心をやりてのどかにすぐさまほしくなむと、年比おぼしのたまはせつるを、日比いと重く惱ませ給ふことありて俄におりゐさせ給ひぬ。世の人あかずさかりの御世をかくのがれ給ふことゝ惜み歎けど春宮もおとなびさせ給ひにたればうちつぎて世の中のまつりごとなど殊に變るけぢめもなかりけり。おほきおとゞちじの表奉りてこもり居給ひぬ。世の中の常なきにより、かしこきみかどの君も位を去り給ひぬるに、年ふかき身のかうぶりをかけむ何か惜しからむとおぼしのたまひて左大將右大臣になり給ひてぞ世の中のまつりごとつかうまつり給ひける。女御の君はかゝる御世をも待ちつけ給はでうせ給ひにければ限ある御位を得給へれど物のうしろのこゝちしてかひなかりけり。六條の女御の御腹の一の宮ばうに居給ひぬ。さるべきことかねて思ひしかどさしあたりては猶めでたく目驚かるゝわざなりけり。右大將の君大納言になり給ひて例の左に移り給ひぬ。いよいよあらまほしき御なからひなり。六條院はおり居給ひぬる冷泉院の御つぎおはしまさぬを飽かず御心の中におぼす。同じすぢなれど思ひなやましき御事なくてすぐし給へるばかりにつみは隱れて末の世まではえ傅ふまじかりける御すくせ口惜しくさうざうしくおぼせど人にのたまひ合せぬことなればいぶせくなむ。春宮の女御は御子達あまた數そひ給ひて、いとゞ御おぼえならびなし。源氏のうちつゞききさきに居給ふべきことを世の人あかず思へるにつけても冷泉院の后は故なくてあながちにかくしおき給へる御心をおぼすに、いよいよ六條院の御ことを年月にそへて限なく思ひきこえ給へり。院のみかどおぼしめしゝやうにみゆきも所せからで渡り給ひなどしつゝかくてしも實にめでたくあらまほしき御有樣なり。姬宮の御ことはみかど御心留めて思ひきこえ給ふ。大方の世にも遍くもてかしづかれ給ふを、たいの上の御勢にはえまさり給はず、年月ふるまゝに御中いとうるはしくむつび聞えかはし給ひていさゝかあかぬことなくへだても見え給はぬものから「今はかうおほざうのすまひならでのどやかに行ひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと見はてつる心地するよはひにもなりにけり。さりぬべきさまにおぼし許してよ」とまめやかにきこえ給ふをりをりあるを「あるまじくつらき御ことなり。みづから深きほいあることなれどとゞまりてさうざうしく覺え給ひ、ある世に代らん御有樣のうしろめたさによりこそなからふれ、遂にその事とげなん後にともかくもおぼしなれ」などのみさまたげ聞え給ふ。女御の君唯こなたをまことの御親にもてなし聞え給ひて、御かたはかくれがの御うしろみにて卑下しものし給へるしもぞなかなかゆくさきたのもしげにめでたかりける。尼君もやゝもすれば堪へぬよろこびの淚ともすれば落ちつゝ目をさへのごひたゞして命長き嬉しげなるためしになりて物し給ふ。すみよしの御ぐわんかつがつはたし給はむとて春宮の女御の御いのりにまうで給はむとて、かの箱あけて御覽ずればさまざまのいかめしきことども多かり。年ごとの春秋のかぐらに必ず長き世のいのりを加へたるぐわんどもげにかゝる御勢ならでははたし給ふべき事ども思ひおきてざりけり。唯走り書きたるおもむきのざえざえしくはかばかしく佛神も聞き入れ給ふべき言の葉あきらかなり。いかでさるやまぶしのひじりこゝろにかゝる事どもを思ひよりけむと哀におほけなくも御覽ず。さるべきにて暫しかりそめに身をやつしける昔の世のおこなひびとにやありけむなどおぼしめぐらすにいとゞかるがるしくもおぼされざりけり。この度はこの心をば顯し給はず唯院のものまうでにて出で立ち給ふ。うらづたひの物さわがしかりしほどそこらの御ぐわんども皆はたし盡し給へれども、猶世の中にかくおはしましてかゝるいろいろのさかえを見給ふにつけても神の御たすけは忘れ難くて對の上もぐし聞えさせ給ひてまうでさせたまふ。ひゞき世の常ならずいみじくことどもそぎ捨てゝ世のわづらひあるまじくとはぶかせ給へどかぎりありければめづらかによそほしくなむ、上達部もおとゞふた所を置き奉りては皆つかうまつり給ふ。まひびとは衞府のすけどものかたち淸げにたけだちひとしきかぎりをえらせ給ふ。このえらびに入らぬをばはぢに憂へ歎きたるすきものどもありけり。べいじうも石淸水賀茂の臨時の祭などに召す人々の道々のことにすぐれたるかぎり整へさせ給へり。加はりたる二人なむこのゑづかさの名高きかぎりを召したりける。御神樂のかたにはいと多く仕うまつれり。內、春宮、院の殿上人かたがたに分れて心寄せつかうまつる。數も知らずいろいろにつくしたる上達部の御馬くら、馬ぞひ、ずゐじん、こどねりわらは、つぎつぎのとねりなどまで整へ飾りたる見物またなきさまなり。女御殿對の上はひとつに奉りたり。次の御車には明石の御かた尼君忍びて乘り給へり。女御の御めのと心知りにて乘りたり。かたがたのひとだまひ上の御方の五つ女御殿の五つ明石の御あがれのみつ、目もあやに飾りたるさうぞく有樣いへば更なり。さるは尼君をば同じくは老の浪のしわのぶばかりに人めかしくてまうでさまむと院はのたまひけれどこの度はかく大方のひゞきに立ちまじらむもかたはらいたし、もし思ふやうならむ世の中を待ち出でたらばと御方はしづめ給ひけるをのこりの命うしろめたくてかつがつ物ゆかしがりてしたひ參り給ふなりけり。さるべきにてもとよりかく匂ひ給ふ御身どもよりもいみじかりけるちぎりあらはに思ひ知らるゝ人の御有樣なり。十月中の十日なれば神のいがきにはふくずも色かはりて松の下もみぢなどおとにのみ秋を聞かぬかほなり。ことごとしきこまもろこしのがくよりもあづまあそびの耳なれたるはなつかしくおもしろく浪風の聲に響きあひてさる小高き松風に吹き立てたる笛のねも外にて聞くしらべには變りて身にしみ、琴にうち合せたるひやうしもつゞみを離れてとゝのへとりたる方おどろおどろしからぬもなまめかしくすごうおもしろく所からはまして聞えけり。やまあゐにすれる竹のふしは松の綠に見えまがひかざしの花のいろいろは秋の草にことなるけぢめ分れで何事にも目のみまがひいろふ。もとめこはつる末に若やかなる上達部はかたぬぎており給ふ。にほひもなく黑き上のきぬにすあうがさねえびぞめの袖を俄に引きほころばしたるに、紅深きあこめの袂のうちしぐれたるに氣色ばかりぬれたる松はらをば忘れて紅葉の散るに思ひわたる。見るかひ多かるすがたどもにいと白くかれたる荻を高やかにかざして唯一返りまひて入りぬるはいとおもしろく飽かずぞありける。おとゞ昔のことおぼし出でられ中比しづみ給ひし世のありさまも目の前のやうにおぼさるゝに、そのよのことうち亂れ語り給ふべき人もなければ、ちじのおとゞをぞ戀しく思ひに聞え給ひける。入り給ひて二の車に忍びて、

 「誰かまた心を知りてすみよしの神世を經たる松にことゝふ」。御たゝうがみに書き給へり。尼君うちしをれたるかゝる世を見るにつけてもかのうらにて今はと別れ給ひしほど女御の君のおはせし有樣など思ひ出づるもいとかたじけなかりける身のすくせの程を思ふ。世を背き給ひし人も戀しくさまざまに物悲しきをかつはゆゝしとこといみして、

 「すみのえをいけるかひある渚とは年經るあまも今日や知るらむ」。おそくはびんなからむとたゞうち思ひけるまゝなりけり。

 「昔こそまづ忘られねすみよしの神のしるしを見るにつけても」とひとりごちけり。よひとよ遊び明し給ふ。二十日の月遙にすみて海のおもておもしろく見えわたるに霜のいとこちたうおきて松原も色まがひて、よろづの事そゞろ寒くおもしろさも哀さも立ち添ひたり。對の上常の垣根のうちながら時々につけてこそ興ある朝夕のあそびに耳ふり目なれ給ひけれ。みかどよりとの物見をさをさし給はず。ましてかくみやこの外のありきはまだ習ひ給はねば珍しくをかしく思さる。

 「すみのえの松に夜ふかくおく霜は神のかけたるゆふかづらかも」。たかむらのあそんのひらの山さへといひける雪のあしたをおぼしやれば祭の心うせ給ふしるしにやといよいよたのもしくなむ。女御の君

 「神人の手にとりもたる榊葉にゆふかけ添ふるふかき夜の霜」。中務の君、

 「はふり子がゆふうちまがひおく霜はげにいちじるき神のしるしか」。つぎつぎ數知らず多かりけるを何せむにかは聞きおかむ。かゝるをりふしの歌は例の上手めき給ふ男達もなかなかいでぎえして松の千とせより離れて今めかしきことしなければうるさくてなむ。ほのぼのと明け行くに霜はいよいよ深くてもとすゑもたどたどしきまでゑひ過ぎにたる神樂おもてどものおのが顏をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭火もかげしめりたるになほまざいまざいと榊葉を取り返しつゝ祝ひ聞ゆる御世の末思ひやるぞいとゞしきや。萬の事あかずおもしろきままにちよをひとよになさまほしきよの何にもあらで明けぬればかへる浪にきほふも口惜しく若き人々おもふ。松原にはるばると立てつゞけたる御車どもの風に打ちなびくしたすだれのひまひまもときはのかげに花の錦を引き加へたると見ゆるに、うへのきぬのいろいろけぢめおきてをかしきかけばん取りつゞきて物參りわたすをぞしもびとなどは目につきてめでたしとは思へる。尼君の御前にもせんかうのをしきにあをにびのおもておりてさうじものを參るとて目ざましき女のすくせかなとおのがじゝはしりうごちけり。詣でたまひし道はことごとしくて煩はしき神だからさまざまに所せげなりしをかへさは萬のせうえうを盡し給ふ。言ひ續くるもうるさくむつかしき事どもなれば、かゝる御有樣をもかの入道の聞かず見ぬ世にかけ離れ給へるのみなむあかざりける。難きことなりかし。まじらはましも心苦しくや。世の中の人これをためしにて心高くなりぬべきころなめり。萬の事につけてめであさみ世のことぐさにて明石の尼君とぞさいはひびとにいひける。かのちじの大殿の近江の君はすぐろくうつ時の詞にも明石の尼君明石の尼君とぞ幸ひ乞ひける。入道のみかどはおこなひをいみじくし給ひてうちの御事をも聞き入れ給はず、春秋の行幸になむ昔思ひ出でられ給ふこともまじりける。姬宮の御事をのみぞ猶えおぼしはなたでこの院をば猶大方の御うしろみに思ひ聞え給ひてうちうちの御心よせあるべくそうせさせ給ふ。二品になり給ひてみふなどまさる、いよいよ花やかに御勢そふ。對の上かく年月にそへてかたがたにまさり給ふ御おぼえに我が身はたゞ一所の御もてなしに人には劣らねどあまり年積りなばその御心ばへも遂に衰へなむ。さらむ世を見はてぬさきに心と背きにしがなとたゆみなくおぼしわたれどさかしきやうにやおぼさむとつゝまれて、はかばかしくもえ聞え給はず。うちのみかどさへ御心よせことに聞え給へばおろかに聞かれ奉らむもいとほしくて渡り給ふ事やうやうひとしきやうになりゆく。さるべき事ことわりとは思ひながら、さればよとのみ安からずおぼされけれど猶つれなく同じさまにて過し給ふ。春宮の御さしつぎの女一の宮をこなたに取りわきてかしづき奉り給ふ。その御あつかひになむつれづれなる御よがれのほども慰め給ひける。いづれもわかずうつくしく悲しと思ひ聞え給へり。夏の御方はかくとりどりなる御うまごあつかひを羨みて大將の君のないしのすけばらの君を切に迎へてぞかしづき給ふ。いとをかしげにて心ばへもほどよりはざれおよすげたればおとゞの君もらうたがり給ふ。少なき御つぎとおぼしゝかど末にひろごりてこなたかなたいと多くなり添ひ給ふを今は唯これをうつくしみあつかひ給ひてぞつれづれもなぐさめ給ひける。右の大とのの參り仕うまつり給ふこといにしへよりもまさりて、親しく今は北の方もおとなびはてゝ、かの昔のかけがけしきすぢ思ひはなれ給ふにや、さるべき折もわたり給ひつゝ對の上にも御對面ありて、あらまほしく聞えかはし給ひけり。姬宮のみぞ同じさまに若くおほどきておはします。女御の君は今はおほやけざまに思ひはなち聞え給ひてこの宮をばいと心苦しく幼からむ御むすめのやうに思ひはぐゝみ奉り給ふ。朱雀院の今はむげに世近くなりぬる心地して物心ぼそきを更にこの世の事願みじと思ひ捨つれど、對面なむ今一度あらまほしきを、もしうらみのこりもこそすれ、ことごとしきさまならで渡り給ふべく聞え給ひければ、おとゞもげにさるべきことなり、かゝる御氣色なからむにてだに進み參り給ふべきをましてかうまち聞え給ひけるが心苦しきことゝ參り給ふべき事おぼしまうく。ついでなくすまじきさまにてやははひわたり給ふべき、なにわざをしてか御覽ぜさせ給ふべきとおぼしめぐらす。このたびたり給はむ年若菜などてうじてやとおぼしてさまざまの御法服のこと、いもひの御まうけのしつらひ何くれとさまことに變れる事どもなれば、人の御心しらひども入りつゝおぼしめぐらす。いにしへも遊びの方に御心留めさせ給へりしかばまひびと樂人などを、心ことに定めすぐれたるかぎりを整へさせ給ふ。右大殿の御子どもふたり、大將の御子ないしのすけばらの加へて三人、又ちひさき七つよりかみのは皆殿上せさせ給ふ。兵部卿の宮のわらはそんわうすべてさるべき宮達の御子ども、家のこの君達皆えらび出で給ふ。殿上の君達もかたちよく同じき舞の姿も心ことなるべきを定めて數多の舞のまうけをせさせ給ふ。いみじかるべきたびのことゝてみなひと心を盡し給ひてなむ。道々の物の師上手いとまなきころなり。宮はもとよりきんのおんことをなむ習ひ給ひけるをいと若くて院にもひき別れ奉り給ひにしかば覺束なく思して「參り給はむついでにかの御琴の音なむ聞かまほしき。さりともきんばかりはひき取り給ひつらむ」としりうごとに聞え給ひけるを內にも聞し召して「げにさりともけはひことならむかし。院の御前にて手つくし給はむついでに參りて聞かばや」などの給はせけるをおとゞの君も傅へ聞き給ひて「年比さりぬべきついでごとには敎へ聞ゆることもあるを、そのけはひはげに優り給ひにたれど、まだ聞し召し所あるものふかきてにはおよばぬを何心もなくて參り給へらむついでに聞し召さむとゆるしなくゆかしがらせ給はむはいとはしたなかるべきことにも」といとほしくおぼしてこのころぞ御心留めて敎へ聞え給ふ。しらべ殊なるて二つ三つおもしろきだいこくどもの四季につけて變るべきひゞき空のさむさぬるさをとゝのへ出でゝやんごとなかるべき手のかぎりを取り立てゝ敎へ聞え給ふに、心もとなくおはするやうなれどやうやう心得給ふまゝにいとよくなり給ふ。晝はいと人しげく猶ひとたびもゆしあんずる暇も心あわたゞしければよるよるなむしづかにことの心もしめ奉るべきとて對にもその比は御暇聞え給ひて明暮敎へ聞え給ふ。女御の君にも對の上にもきんは習はし奉り給はざりければこのをりをさをさ耳なれぬ手ども彈き給ふらむをゆかしとおぼして女御もわざとありがたき御暇を唯暫しと聞え給ひてまかで給へり。御子二所おはするを又もけしきばみ給ひていつゝきばかりにぞなり給へればかみわざなどにことつけておはしますなりけり。十一月すぐしては參り給ふべき御せうそこうちしきりあれどかゝるついでにかくおもしろきよるよるの御遊をうらやましく、などて我に傳へ給はざりけむとつらく思ひ聞え給ふ。冬の夜の月は人にたがひてめで給ふ御心なればおもしろき夜の雪の光にをりに合ひたる手どもひき給ひつゝさぶらふ人々も少しこの方にほのめきたるに御琴どもとりどりにひかせて遊びなどし給ふ。年の暮れつかたは對などにはいそがしくこなたかなたの御いとなみにおのづから御覽じ入るゝことゞもあれば春のうらゝかならむ夕などにいかでこの御琴のね聞かむとのたまひわたるに年返りぬ。院の御賀まづおほやけよりせさせ給ふ。ことどもいとこちたきにさしあひてはびんなくおぼされて少しほどすぐし給ふ。二月十餘日と定め給ひて樂人まひ人など參りつゝ御あそび絕えずあり。「この對に常にゆかしうする御琴のねいかでこの人々のさう琵琶のねも合せて女樂こゝろみさせむ、只今の物の上手どもこそ更にこのわたりの人々の御心しらひどもにまさらね、はかばかしく傳へ取りたることはをさをさなけれど、何事もいかで心に知らぬことあらじとなむ、幼きほどに思ひしかば世にある物の師といふかぎり、又高き家々のさるべき人の傅へどもを殘さず試みし中にいと深くはづかしきかなと覺ゆるきはの人なむなかりし。そのかみよりも又この比の若き人々のざれよしめきすぐすにはたあさくなりにたるべし。きんはたまして更にまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴のねばかりだに傳へたる人をさをさあらじ」とのたまへば何心なく打ちゑみて嬉しくかくゆるし給ふ程になりにけるとおぼす。廿一二ばかりになり給へど猶いといみじくかたなりにきびはなる心地してほそくあえかに美しくのみ見え給ふ。「院にも見え奉り給はで年經ぬるをねびまさり給ひにけりと御覽ずばかり用意くはへて見え奉り給へ」とことに觸れて敎へ聞え給ふに、げにかゝる御うしろみなくてはましていはけなくおはします御有樣かくれなからましと人々も見奉る。正月二十日ばかりになれば空もをかしき程に風ぬるくふきて御前の梅も盛になりゆく。大方の花の木どもゝ皆氣色ばみ霞み渡りにけり。「月たゝば御いそぎ近く物騷がしからむにかきあはせ給はむ御琴のねもしがくめきて人のいひなさむを、このころ靜なるほどに試み給へ」とてしん殿にわたし奉り給ふ。御供にわれもわれもと物ゆかしがりてまう上らまほしがれどこなたに遠きをばえりとゞめさせ給ひて少しねびたれどよしあるかぎりえりてさぶらはせ給ふ。わらはべはかたちすぐれたる四人赤色に櫻のかざみ薄色の織物のあこめうきもんのうへの袴、紅のうちたるさまもてなしすぐれたるかぎりを召したり。女御の御方にも御しつらひなどいとゞ改れる比の曇りなきにおのおのいどましく盡したるよそひどもあざやかに二なし。童は靑色にすあうのかざみ、からあやのうへの袴、あこめは山吹なるからのきを同じさまに整へたり。明石の御方のはことごとしからで紅梅ふたり櫻ふたり、あをしのかぎりにてあこめ濃く薄くうちめなどえならで着せ給へり。宮の御方にもかくつどひ給ふべく聞きたまひてわらはべの姿ばかりは殊につくろはせ給へり。あをにに柳のかざみ、えびぞめの衵など殊にこのましく珍らしきさまにはあらねど大方のけはひのいかめしく氣高きことさいへどならびなし。ひさしの中の御さうじをはなちてこなたかなた御几帳ばかりをけぢめにて中の間は院のおはしますべきおましよそひたり。今日の柏子合せにはわらはべを召さむとて右おほい殿の三郞、かんの君の御はらの兄君さうの笛、左大將の御太郞橫笛と吹かせてすのこにさぶらはせ給ふ。內には御しとねども並べて御琴どもまゐりわたす。ひし給ふ御琴どもうるはしきこんぢの袋どもに入れたる取り出でゝ明石の御方に琵琶、紫の上にわごん、女御の君にさうの御琴、宮にはかくことごとしき琴はまだえひき給はずやと危くて例の手ならし給へるをぞ調べて奉り給ふ。笙の御琴はゆるぶとなけれど、猶かく物に合する折の調べにつけてことぢのたちど亂るゝものなり。よくその心しらひ整ふべきを女はえはりしづめじを猶大將をこそ召し寄せつべかめれ。「この笛吹どもまだいと幼げにて柏子とゝのへむ賴つよからず」と笑ひ給ひて「大將こなたに」と召せば御かたがたはづかしく心づかひしておはす。明石の君を放ちてはいづれも皆捨て難き御弟子どもなれば御心加へて大將の聞き給はむになんなかるべくとおぼす。女御は常にうへのきこし召すにも物に合せつゝひきならし給へればうしろやすきを和琴こそいくばくならぬしらべなれどあとさだまりたることなくてなかなか女のたどりぬべけれ、春の琴のねは皆かき合するものなるを亂るゝ處もやとなまいとほしくおぼす。大將いといたく心げさうして御前のことごとしくうるはしき御心みあらむよりも今日の心づかひは殊にまさりて覺え給へばあざやかなる御直衣、かうにしみたる御ぞども袖いたくたきしめて引きつくろひて參り給ふほどくれはてにけり。ゆゑあるたそがれ時の空に花はこぞのふる雪思ひ出でられて枝もたわむばかり咲き亂れたり。ゆるらかに打ち吹く風にえならず匂ひたるみすの內のかをりも吹き合せて鶯さそふつまにしつべくいみじきおとゞのあたりのにほひなり。みすの下より箏の御琴のすそ少しさし出でゝ「かるがるしきやうなれどこれが緖整へて調べ試み給へ。こゝに又うとき人の入るべきやうもなきを」とのたまへば打ちかしこまりて給はり給ふほどようい多くめやすくていちこちでうの聲にはちの緖を立てゝふとも調べやらでさぶらひ給へば「猶かきあはせばかりは手ひとつすさまじからでこそ」とのたまへば「更に今日の御遊のさしいらへにまじらふばかりの手づかひなむ覺えず侍りけるを」と氣色ばみ給ふ。「さもあることなれど女樂にえことまぜでなむ遁げにけるとつたはらむ名こそ惜しけれ」とて笑ひ給ふ。調べはてゝをかしき程に搔き合せばかり彈きて參らせ給ひつ。この御まごの君達のいと美しきとのゐすがたどもにて吹き合せたる物のねどもまだ若けれどおひさきありていみじくをかしげなり。御琴どもの調べども整ひはてゝ搔き合せ給へるほどいづれとなき中に琵琶はすぐれて上手めきかみさびたる手づかひすみはてゝおもしろく聞ゆ。和琴に大將も耳留め給へるになつかしくあいぎやうづきたる御つまおとに搔き返したるねの、珍しく今めきて更にこのわざとある上手どものおどろおどろしく搔き立てたるしらべ調子に劣らずにぎはゝしく、やまとごとにもかゝる手ありけりと聞き驚かる。深き御らうの程あらはに聞えておもしろきにおとゞ御心おちゐていとありがたく思ひ聞え給ふ。さうの御琴は物のひまひまに心もとなく漏りいづる物のねがらにてうつくしげになまめかしくのみ聞ゆ。きんは猶若き方なれど習ひ給ふさかりなればたどたどしからずいとよく物に響き合ひていうになりにける御琴のねかなと大將聞き給ふ。ひやうしとりてさうがし給ふ。院も時々扇うちならして加へ給ふ御聲昔よりもいみじくおもしろく少しふつゝかにものものしきけそひて聞ゆ。大將も聲いとすぐれ給へる人にて夜の靜になり行くまゝにいふかぎりなくなつかしき夜の御遊なり。月心もとなきころなればとうろこなたかなたにかけて火よき程にともさせ給へり。宮の御方をのぞき給へれば人よりけにちひさく美しげにて唯御ぞのみある心ちす。にほひやかなる方はおくれて唯いとあてやかにをかしく、二月の中の十日ばかりの靑柳の僅にしたり始めたらむ心地して、鶯の羽風にも亂れぬべくあえかに見え給ふ。櫻のほそながにみぐしは左みぎよりこぼれかゝりて柳の糸のさましたり。これこそは限なき人の御有樣なめれと見ゆるに女御の君は同じやうなる御なまめき姿の今少しにほひ加はりてもてなしけはひ心にくゝよしあるさまし給ひてよく咲きこぼれたる藤の花の夏にかゝりてかたはらに並ぶ花なき朝ぼらけの心地ぞし給ふ。さるはいとふくらかなる程になり給ひてなやましく覺え給ひければ御琴も推しやりてけうそくにおしかゝり給へり。さゝやかになよびかゝり給へるに、御けうそくは例の程なればおよびたる心地して殊更にちひさく作らばやと見ゆるぞいと哀げにおはしける。紅梅の御ぞに御ぐしのかゝりはらはらと淸らにてほかげの御姿世になく美しげなるに紫の上はえびぞめにやあらむ、色濃きこうちき、うすすはうの細長に御ぐしのたまれるほどこちたくゆるらかにおほきさなどよき程にやうだいあらまほしく、あたりにほひ滿ちたる心地して、花といはゞ櫻にたとへても猶物よりすぐれたるけはひ殊に物し給ふ。かゝる御あたりに明石はけおさるべきをいとさしもあらずもてなしなど氣色ばみはづかしく心のそこゆかしきさましてそこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。柳の織物の細長もえぎにやあらむ、小袿着てうすものゝ物はかなげなる引きかけて、殊更ひげしたれどけはひ思ひなしも心にくゝあなづらはしからず。こまの靑地の錦の端さしたるしとねにまほにもゐて琵琶をうち置きて唯氣色ばかりひきかけてたをやかにつかひなしたるばちのもてなし、音を聞くよりも又ありがたくなつかしくて五月まつ花たちばなの花も實もくしておしをれるかをり覺ゆ。これもかれも打ち解けぬ御けはひどもを聞き見給ふに大將もいと打ちゆかしく覺え給ふ。對の上の見し折よりもねびまさり給へらむありさまゆかしきにしづ心もなし、宮をば今少しのすくせ及ばましかば我が物にても見奉りてまし。心のいとぬるきぞくやしきや、院はたびたびさやうにおもむけてしりうごとにものたまはせけるをと、ねたく思へど少し心安き方に見え給ふ御けはひに、あなづり聞ゆとはなけれどいとしも心は動かざりけり。この御かたをば何ごとも思ひ及ぶべき方なくけ遠くて年比過ぎぬれば、いかでか唯大方に心よせあるさまをも見え奉らむとばかりの口惜しく歎しきなりけり。あながちにあるましくおほけなき心などは更に物し給はず、いとよくもてをさめ給へり。夜更け行く風のけはひひやゝかなり。臥まちの月はつかにさし出でたる心もとなしや。「春のおぼろ月夜よ、秋の哀はたかうやうなる物のねに蟲の聲より合せたる、たゞならずこよなく響きそふ心地すかし」とのたまへば大將の君「秋の夜の隈なき月には萬の物のとゞこほりなきに琴笛の音もあきらかに澄める心地はし侍れど猶殊更に作り合せたるやうなる空の氣色花の露もいろいろめ移ろひ心ちりてかぎりこそ侍れ。春の空のたどたどしき霞の間より朧なる月かげに靜に吹き合せたるやうには、いかでか笛のねなども艷に澄みのぼりはてなむ。女は春をあはれむとふるき人のいひ置き侍りける、げにさなむ侍りける。なつかしくものゝとゝのほることは春の夕暮こそことに侍りけれ」と申し給へば「いなこのさだめよ。いにしへより人のわきねたることを末の世にくだれる人のえあきらめはつまじくこそ。物のしらべごくのものどもはしもげにりちをば次のものにしたるはさもありかし」などの給ひて「いかに只今いうそくのおぼえたかきその人かの人ごぜんなどにて度々試みさせ給ふにすぐれたるは數少くなりためるをそのこのかみと思へる上手どもいくばくえまねび取らぬにやあらむ。このがくほのかなる女たちの御中にひきまぜたらむにきは離るべくこそ覺えね。年比かくうもれてすぐすに耳なども少しひがひがしくなりにたるにやあらむ。口惜しうなむ怪しく人のざえはかなくとりすることゞもゝ物のはえありてまさる所なる。その御前の御あそびなどにひときざみにえらばるゝ人々、それかれといかにぞ」とのたまへば大將「それをなむとり申さむと思ひ侍りつれどあきらかならぬ心のまゝにおよすげてやはと思ひ給ふる。のぼりての世を聞き合せ侍らねばにや、衞門督のわごん、兵部卿の宮の御琵琶などをこそこの比珍らかなるためしに引き出で侍るめれ。げにかたはらなきを、こよひうけたまはるものゝ音どもの皆等しく耳驚き侍れば、猶かくわざともあらぬ御あそびとかねて思ひ給へたゆみける心の騷ぐにや侍らむ、さうがなどいと仕うまつりにくゝなむ。和琴はかのおとゞばかりこそかく折につけてこしらへなびかしたるねなど、心にまかせて搔き立て給へるはいとことにものし給へ。をさをさきは離れぬものに侍るめるを、いとかしこく整ひてこそ侍りつれ」とめで聞え給ふ。「いとさことごとしききはにはあらぬをわざとうるはしくも取りなさるゝかな」とてしたり顏にほゝゑみ給ひけり。「けしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしもこゝに口入るべきことまじらぬを、さいへど物のけはひことなるべし。覺えぬ所にて聞き始めたりしに珍しき物の聲かなとなむ覺えしかど、その折よりは又こよなくまさりにたるをや」とせめてわれがしこに喞ちなし給へば女房などは少しつきしろふ。「萬の事道々につけて習ひまねばゞ、ざえといふもの孰れもきはなく覺えつゝ、我が心にあくべきかぎりなく習ひとらむことはいと難けれど、何かはそのたどり深き人の今の世にをさをさなければかたはしをなだらかにまねびえたらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、きんなむ猶煩はしく手ふれにくきものにはありける。この事は誠にあとのまゝに尋ねとりたる昔の人はあめつちをなびかしおにがみの心をやはらげ萬の物のねのうちに從ひてかなしび深きものもよろこびにかはり賤しく貧しきものも高き世にあらたまりたからにあづかり世にゆるさるゝたぐひ多かりけり。この國にひき傅ふる始つかたまで深くこの事を心得たる人は多くの年を知らぬ國にすぐし身をなきになしてこのことをまねび取らむと惑ひてだにしうるは難くなむありけるを、げにはたあきらかに空の月星をうごかし時ならぬ霜雪を降らせくもいかづちをさわがしたるためし、あがりたる世にはありけり。かく限りなきものにてそのまゝに習ひとる人のありがたく世の末なればにや、いづこのかたはしにかはあらむ。されど猶おにがみの耳とゞめかたぶきそめにけるものなればにやなまなまにまねびて思ひかなはぬたぐひありける。のちこれをひく人によからずとかいふなんをつけてうるさきまゝに今はをさをさ傅ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。きんのねをはなれては、何事をか物をとゝのへしるしるべとはせむ。げに萬の事衰ふるさまは易くなりゆく世の中に一人出て離れて心を立てゝもろこしこまとこの世に惑ひありき親子を離れむことは世の中にひがめるものになりぬべし。などかなのめにて猶この道をかよはししるばかりのはしをば知りおかざらむ。しらべひとつに手をひきつくさむことだにはかりもなきものなゝり。いはむや多くのしらべ煩はしきこく多かるを、心にいりしさかりには世にありとあり、こゝに傳はりたる譜といふものゝかぎりを遍く見合せて、後々は師とすべき人もなくてなむ好み習ひしかど、猶あがりての人には當るべくもあらじをや。ましてこの後といひては傳はるべき末もなき、いと哀となむ」などのたまへば大將げにいと口惜しく恥しと覺す。「この御子達の御中に思ふやうにおひ出で給ひ物し給はゞその世になむそもさまでながらへとまるやうあらばいくばくならぬ手のかぎりもとゞめ奉るべき。二宮今より氣色ありて見え給ふを」などのたまへば明石の君はいとおもだゝしく淚ぐみて聞き居給へり。女御の君は、さうの御琴をば上にゆずり聞えて寄りふし給ひぬればあづまをおとゞの御前に參りて少しけぢかき御あそびになりぬ。かづらきあそび給ふ華やかにおもしろし。おとゞをりかへし謠ひ給ふ御聲譬へむかたなくあいぎやうづきめでたし。月やうやうさしあがるまゝに、花のいろかもてはやされてげにいと心にくき程なり。箏の琴は女御の御つまおとはいとらうたげになつかしく母君の御けはひ加はりてゆのねふかくいみじくすみて聞えつるを、この御手づかひは又さま變りてゆるらかにおもしろく聞く人たゞならず。すゞろはしきまであいぎやうづきりんのてなどすべてさらにいとかどある御琴のねなり。かへり聲に皆調べかはりてりちの搔き合せども懷しく今めきたるにきんは五箇のしらべあまたの手の中に心とゞめて必ずひき給ふべき五六のはちをいとおもしろくすまして彈き給ふ。更にかたほならずいとよくすみて聞ゆ。春秋よろづの物にかよへるしらべにて通はしわたしつゝ彈き給ふ心しらひ敎へ聞え給ふさまたがへずいとよく辨へ給へるを、いとうつくしくおもだゝしく思ひ聞え給ふ。この君達のいと美くしく吹き立てゝせちに心入れたるをらうたがり給ひて、「ねぶたくなりにたらむに、こよひのあそびは長くはあらではつかなる程にと思ひつるを、とゞめ難き物のねどものいづれともなきを聞きわく程の耳とからぬたどたどしさにいたくふけにけり。心なきわざなりや」とてさうの笛吹く君にかはらけさし給ひて御ぞ脱ぎてかづけ給ふ。橫笛の君には、こなたより織物の細長に、袴などことごとしからぬさまに氣色ばかりにて、大將の君には宮の御方よりさかづきさし出でゝ、宮の御さうぞくひとくだりかづけ奉り給ふを、おとゞ「あやしや、物の師をこそまづは物めかし給はめ。うれはしきことなり」との給ふに、宮のおはします御几帳のそばより御笛を奉る。うち笑ひ給ひてとり給ふ。いみじきこまぶえなり。少し吹きならし給へば皆立ち出で給ふほどに、大將立ちとまり給ひて、御子の持ち給へる笛を取りていみじくおもしろく吹き立て給へるがいとめでたく聞ゆれば、いづれもいづれも皆御手をはなれぬものゝつたへつたへ、いとになくのみあるにてぞ、我が御ざえのほどありがたくおぼし知られける。大將殿は、君達を御車に乘せて月の澄めるにまかで給ふ。道すがら箏の琴のかはりていみじかりつる音も耳につきて戀しく覺え給ふ。我が北の方は、故大宮の敎へ聞え給ひしかど、心にもしめ給はざりしほどにわかれ奉り給ひにしかばゆるらかにも引き取り給はで男君の御前にては耻ぢて更にひき給はず。何事も唯おいらかに打ちおほどきたるさまして子どもあつかひをいとまなくつぎつぎし給へば、をかしき所もなく覺ゆ。さすがに腹惡しくて物ねたみ打ちしたる、あいぎやうづきて美しき人ざまにぞ物し給ふめる。院は對へわたり給ひぬ。うへはとまり給ひて、宮に御物語など聞え給ひて曉にぞ渡り給へる。日高うなるまで大殿ごもれり。「宮の御琴の音はいとうるせくなりにけりな。いかゞ聞き給ひし」と聞えたまへば、「初めつかたあなたにてほの聞きしはいかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかはかくことごとなく敎へ聞え給はむには」といらへ聞え給ふ。「さかし、てをとるとる覺束なからぬ物の師なりかし。此彼にもうるさく煩はしくていとまいるわざなれば敎へ奉らぬを、院にも內にもきんはさりとも習はし聞ゆらむとのたまふと聞くがいとほしく、さりともさばかりの事をだにかく取りわきて御うしろみにとあづけ給へるしるしにはと、思ひ起してなむ」など聞え給ふついでにも「昔世づかぬ程をあつかひ思ひしさま、その世にはいとまもありがたくて、心長閑に取りわき敎へ聞ゆることなどもなく、近き面ぼくありて、大將のいたく傾ぶき驚きたりし氣色も思ふやうに、嬉しくこそありしか」など聞え給ふ。かやうのすぢも今は又おとなおとなしく宮達の御あつかひなど取り持ちてし給ふさまもいたらぬことなく、すべて何事につけてももどかしくたどたどしきことまじらず、ありがたき人の御有樣なればいとかく具しぬる人は世に久しからぬためしもあなるをと、ゆゝしきまで思ひ聞え給ふ。さまざまなる人の有樣を見集め給ふまゝに、取り集めたらひたることは、誠にたぐひあらじとのみ思ひ聞え給へり。今年は三十七にぞなりたまふ。見奉り給ひし年月のことなども哀におぼし出でたるついでに「さるべき御いのりなど常より取り分きて今年は愼み給へ。物騷しくのみありて、思ひ至らぬことしもあらむを、猶おぼしめぐらしておほきなる事どもし給はゞおのづからせさせてむ。故僧都の物し給はずなりにたるこそいと口惜しけれ。大方にて打ちたのまむにも、いとかしこかりし人を」などの給ひ出づ。「自らはをさなくより、人に異なるさまにてことごとしくおひ出でゝ、今の世のおぼえありさま、來し方にたぐひなくなむありける。されど又世にすぐれて悲しきめを見る方も人にはまさりけりかし。まづは思ふ人にさまざま後れ殘りとまれる齡の末にも、飽かず悲しと思ふこと多くあぢきなくさるまじきことにつけてもあやしく物おもはしく、心にあかず覺ゆることそひたる身にてすぎぬれば、それにかへてや思ひしほどよりは今までもながらふるならむとなむ思ひ知らるゝ。君の御身には、かのひとふしのわかれよりあなたこなた物思ひとて、心亂り給ふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々はやんごとなき人といへど、皆必ず安からぬ物思ひそふわざなり。高きまじらひにつけても心みだれ人に爭ふ思ひの絕えぬもやすげなきを、親のまどのうちながらすぐし給へるやうなる心やすきことはなし。そのかたは人に勝れりたりけるすくせとはおぼししるや。思の外にこの宮のかく渡り物し給へるこそはなまぐるしかるべけれど、それにつけてはいとゞ加ふる志のほどを、御みづからの上なればおぼし知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞え給へば、「の給ふやうに物はかなき身には過ぎにたるよその覺えはあらめど、心に絕えぬ物なげかしさのみうち添ふや、さはみづからのいのりなりける」とて殘り多げなるけはひはづかしげなり。「まめやかにはいとゆくさきすくなき心地するを、今年もかくしらず顏にてすぐすはいとうしろめたくこそ、さきざきも聞ゆることいかで御ゆるしあらば」と聞え給ふ。「それはしもあるまじきことになむ。さてかけ離れ給ひなむ世に殘りては何のかひかあらむ。唯かく何となくて過ぐる年月なれど、明暮のへだてなき嬉しさのみこそますことなく覺ゆれ。猶思ふさま殊なる心の程を見はて給へ」とのみ聞え給ふを例のことゝ心やましくて淚ぐみ給へる氣色をいと哀と見奉り給ひて、萬に聞えまぎらはし給ふ。「多くはあらねど、人の有樣のとりどりに口惜しくはあらぬを、見知りゆくまゝに誠の心ばせのおひらかにおちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ思ひはてにたる。大將の母君を幼かりし程に見そめて、やんごとなくさらぬすぢには思ひしを、常になかよからず隔ある心地して止みにしこそ、今思へばいとほしくくやしくもあれ。又我があやまちにのみもあらざりけりなど心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしくおもりかにてそのことの飽かぬかなと覺ゆることもなかりき。唯いとあまり亂れたる所なく、すくすくしく少しさかしとやいふべかりけむと思ふにはたのもしく見るには煩はしかりし人ざまになむ。中宮の御母御息所なむさまことに心深くなまめかしきためしにはまづ思ひ出でらるれど、人見えにくゝ苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞげにことわりと覺ゆるふしを、やがて長く思ひつめて深くゑんぜられしこそいと苦しかりしか。心ゆるびなくはづかしくてわれも人もうちたゆみ朝夕のむつびをかはさむには、いとつゝましき所のありしかば、打ちとけては見おとさるゝことやなどあまりつくろひし程にやがて隔たりし中ぞかし。いとあるまじき名をたちて身のあはあはしくなりぬるなげきを、いみじく思ひしめ給へしがいとほしく、實に人がらを思ひしも我が罪ある心地して止みにしなぐさめに中宮をかくさるべき御契とはいひながら、取りたてゝ世のそしり人のうらみをも知らず心よせ奉るを、あの世ながらも見なほされぬらむ。今もむかしもなほざりなる心のすさびにいとほしくくやしきことも多くなむ」ときし方の人の御うへ少しづゝのたまひ出でゝ「內の御方の御うしろみは、何ばかりの程ならずとあなづりそめて心安きものに思ひしを、猶心の底見えずきはなく深き所ある人になむ。うはべは人になびきおいらかに見えながら、打ち解けぬ氣色したにこもりてそこはかとなく耻しき所こそあれ」との給へば「こと人は見ねば知らぬを、これはまほならねどおのづから氣色見る折々もあるに、いと打ち解けにくゝ心はづかしき有樣しるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見給ふらむとつゝましけれど、女御はおのづからおぼし許すらむとのみ思ひてなむ」との給ふ。さばかりめざましと心おき給へりし人を今はかくゆるして見えかはしなどし給ふも、女御の御ためのまごゝろなるあまりぞかしとおぼすに、いとありがたければ「君こそはさすがにくまなきにはあらぬものから、人によりことに從ひいとよく二すぢに心づかひはし給ひけれ。更にこゝら見れど御有樣に似たる人はなかりけり。いと氣色こそ物し給へ」とほゝゑみて聞え給ふ。宮にいとよくひき取り給へりしことの悅び聞えむとて夕つかたわたり給ひぬ。我に心おく人やあらむともおぼしたらず、いといたく若びてひとへに御ことに心入れておはす。「今はいとまゆるして打ち休ませ給へかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日比のしるしありて、うしろ安くなり給ひにけり」とて御ことゞもおしやりて、大殿ごもりぬ。對には例のおはしまさぬ夜はよひゐし給ひて、人々に物語など讀ませて聞き給ふ。かく世のたとひにいひ集めたる昔語どもにも、あだなる男、色ごのみ、二心ある人にかゝづらひたる女、かやうなる事をいひ集めたるにも遂による方ありてこそあめれ、怪しくうきてもすぐしつる有樣かな、げにのたまひつるやうに、人よりことなるすくせもありける身ながら、人の忍び難く飽かぬことにする物思ひはなれぬ身にてや止みなむとすらむ、味氣なくもあるかなゝど思ひつゞけて、夜更けて大殿籠りぬる曉方より御胸を惱み給ふ。人々見奉りあつかひて「御せうそこ聞えさせむ」と聞ゆるを、「いとびんないこと」とせいし給ひて堪へ難きをおさへて明し給ひつ。御身もぬるみて御心地もいと惡しけれど、院もとみにわたり給はぬ程かくなむとも聞えず。女御の御方より御せうそこあるに、「かくなやましくてなむ」と聞え給へるに驚きてそなたより聞え給へるに胸つぶれて急ぎわたり給へるにいと苦しげにておはす。「いかなる御心地ぞ」とて探り奉り給へば、いとあつくおはすれば昨日聞え給ひし御つゝしみのすぢなどおぼし合せ給ひていとおそろしくおぼさる。御かゆなどこなたに參らせたれど御覽じも入れず。日一日添ひおはして萬に見奉り嘆き給ふ。はかなき御くだものをだにいと物うくし給ひて、起きあがり給ふこと絕えて日比へぬ。いかならむとおぼし騷ぎて、御いのりども數知らず始めさせ給ふ。僧めして御かぢなどせさせ給ふ。そこところともなくいみじく苦しくしたまひて、胸は時々おこりつゝ煩ひ給ふさま堪へ難く苦しげなり。さまざまの御つゝしみ限なけれど、しるしも見えず。重しと見れどおのづからをこたるけぢめあらばたのもしきを、いみじく心ぼそく悲しと見奉り給ふに、ことごとおぼされねば御賀の響もしづまりぬ。かの院よりもかく煩ひ給ふよし聞し召して、御とぶらひいとねんごろにたびたび聞え給ふ。同じさまにて二月も過ぎぬ。いふかぎりなくおぼし歎きて試に所をかへ給はむとて二條院に渡し奉り給ひつ。院の內ゆすり滿ちて思ひ歎く人々多かり。冷泉院もきこし召しなげく。この人うせ給はゞ院も必ず世を背く御ほい遂げ給ひてむと、大將の君なども心盡して見奉りあつかひ給ふ。御ずほふなどは、大方のをばさるものにて、取り分きて仕うまつらせ給ふ。聊物おぼしわくひまには、「聞ゆる事をさも心うく」とのみ怨み聞え給へど「限ありて別れはて給はむよりも目の前に我が心と窶しすて給はむ御有樣を見ては、更に片時たふまじくのみ惜しく悲しかるべければ、昔よりみづからぞかゝるほい深きを、とまりてさうざうしくおぼされむ心苦しさにひかれつゝすぐすを、さかさまに打ち捨て給はむとやおぼす」とのみ惜み聞え給ふに、げにいとたのみがたげによわりつゝ限のさまに見え給ふ折々多かるを、いかさまにせむとおぼし惑ひつゝ宮の御方にもあからさまにわたり給はず。御琴どもゝ凄まじくて皆ひき込められ、院のうちの人々は皆あるかぎり二條院につどひ參りて、この院には火をけちたるやうにて唯女どちおはして人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ。女御の君もわたり給ひて諸共に見奉りあつかひ給ふ。「たゞにもおはしまさで物のけなどいと恐しきを早く參り給ひね」と苦しき御心地にも聞え給ふ。若宮のいと美しうておはしますを見奉り給ひてもいみじくなき給ひて「おとなび給はむを、え見奉らずなりなむこと忘れ給ひなむかし」とのたまへば、女御せきあへず悲しとおぼしたり。「ゆゝしくかくなおぼしそ。さりともけしうは物し給はじ。心によりなむ人はともかくもある。おきてひろきうつはものにはさいはひも其に隨ひ、せばき心ある人はさるべきにて、高き身となりてもゆたかにゆるべる方はおくれ、急なる人は久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は長きためしなむ多かりける」など佛神にもこの御心ばせのありがたく、罪かろきさまを申しあきらめさせ給ふ。みずほふのあざりたち夜居などにても近く侍ふかぎりのやんごとなき僧などはいとかくおぼし惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ心を起して祈り聞ゆ。少しよろしきさまに見え給ふとき、五六日うちまぜつゝ、又おもり煩ひ給ふこと、いつとなくて月日を經給へば猶いかにおはすべきにか、よかるまじき御心地にやとおぼしなげく。御ものゝけなどいひて出で來るもなし。惱み給ふさまそこはかと見えず。唯日に添へてよわり給ふさまにのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじくおぼすに御心のいとまもなげなり。まことに衞門督は中納言になりにきかし。今の御世にはいと親しくおぼされていと時の人なり。身のおぼえまさるにつけても思ふ事のかなはぬうれはしさを思ひ侘びて、この宮の御姉の二宮をなむえ奉りてける。下臈の更衣腹におはしましければ心やすき方まじりて思ひ聞え給へり。人がらもなべての人に思ひなずらふればけはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそ猶深かりけれ。慰め難きをばすてにて人目に咎めらるまじきばかりにもてなし聞え給へり。猶かのしたの心忘られず小侍從といふかたらひ人は、宮の御侍從のめのとのむすめなりけり。そのめのとの姉ぞこのかんの君の御めのとなりければ早くより氣近く聞き奉りて、まだ宮幼くおはしましゝ時よりいと淸らになむおはします。みかどのかしづき奉り給ふさまなど聞きおき奉りてかゝる思ひもつきそめたるなりけり。かくて院も離れおはします程人め少くしめやかならむを推し量りて小侍從を迎へ取りつゝいみじうかたらふ。「昔よりかく命もたふまじく思ふことをかゝる親しきよすがありて、御有樣を聞き傅へ堪へぬ心の程をも聞し召させてたのもしきに、更にそのしるしのなければいみじくなむつらき。院の上だにかくあまたにかけかけしくて、人におされ給ふやうにて一人大殿籠るよなよな多く、つれづれにてすぐし給ふなりなど人の奏しけるついでにも、少し悔いおぼしたる御氣色にて、同じくはたゞ人の心安きうしろみを定めむにはまめやかに仕うまつるべき人をこそ、定むべかりけれとのたまはせて、女二の宮のなかなかうしろやすく行く末ながきさまにて物し給ふなることとのたまはせけるを傳へ聞きしにいとほしうも口惜しうもいかゞ思ひ亂るゝ。げに同じ御すぢとは尋ね聞えしかど、それはそれとこそ覺ゆるわざなりけれ」と、打ちうめき給へば小侍從は「いであなおほけな。それをそれとさし置き奉り給ひて、又いかやうに限なき御心ならむ」といへばうちほゝゑみて「さこそは物はありけれ。宮にかたじけなく聞えさせ及びけるさまは院にも內にも聞し召しけり。などてかはさてもさぶらはざらましとなむことの序にはのたまはせける。いでやたゞ今すこしの御いたはりあらましかば」などいへば「いと難き御ことなりや。御すくせとかいふ事侍るなるをもとにて、かの院のことに出でゝねんごろに聞え給ふに立ち並び妨げ聞えさせ給ふべき御身のおぼえとやおぼされし。この頃こそ少しものものしく御ぞの色も深くなり給へれ」といへばいふかひなくはやりかなる口ごはさに、えいひはて給はで「今はよし、過ぎにし方をば聞えじや。唯かくありがたきものゝひまに氣近きほどにて、この心の中に思ふことのはし少し聞えさせ給ふべくたばかり給へ。いとおほけなき心はすべてよし見給へ。いと恐しければ思ひ離れて侍り」との給へば「これよりおほけなき心はいかゞはあらむ。いとむくつけき事をもおぼしよりけるかな。何しに參りつらむ」とはちぶく。「いであな聞きにく、あまりこちたく物をこそいひなし給ふべけれ。世はいと定なきものを女御后もあるやうありて物し給ふたぐひなくやは。ましてその御有樣よ、思へばいとたぐひなくめでたけれどうちうちは心やましきことも多かるらむ。院のあまたの御中に又ならびなきやうにならはし聞え給ひしに、さしもひとしからぬきはの御方々にたちまじり、めざましげなることもありぬべくこそ。いと善く聞き侍りや。世の中はいと常なきものをひときはに思ひ定めてはしたなくつきなることなのたまひそよ」とのたまへば「人におとされ給へる御有樣とてめでたき方に改め給ふべきにやは侍らむ。これは世の常の御有樣にも侍らざめり。唯御うしろみなくて、たゞよはしくおはしまさむよりは、おやざまにと讓り聞え給ひしかばかたみにさこそ思ひかはし聞えさせ給ひためれ。あいなき御おとしめごとになむ」とはてはてははらだつを萬にいひこしらへて「誠はさばかり世になき御有樣を見奉りなれ給へる御心に、數にもあらず怪しきなれすがたを、打ち解けて御覽ぜられむとは更に思ひかけぬことなり。唯ひとことものごしにて聞え知らすばかりは、何ばかりの御身のやつれにかはあらむ。神佛にも思ふ事申すは罪あるわざかは」といみじきちかごとをしつゝの給へば、暫しこそいとあるまじきことにいひかへしけれ、物深からぬ若人は人のかく身にかへていみじく思ひの給ふを、えいひなびはてゞ「もしさりぬべき隙あらばたばかり侍らむ。院の坐しまさぬ夜は御帳のまはりに人多く侍らひて、おましのほとりにさるべき人必ずさぶらひ給へば、いかなる折をかはひまを見つけ侍るべからむ」と侘びつゝ參りぬ。いかにいかにと日々に責められこうじてさるべき折伺ひつけて、せうそこしおこせたり。悅びながらいみじくやつれ忍びておはしぬ。誠に我が心にもいとけしからぬことなれば、氣近くなかなか思ひ亂るゝこともまさるべきまでは思ひもよらず。唯いとほのかに御ぞのつまばかりを見奉りし春の夕の飽かず世と共に思ひ出でられ給ふ御有樣を少し氣近くて見奉り、思ふ事をも聞え知らせてはひとくだりの御返しなどもや見せ給ひ、哀とやおぼし知るとぞ思ひける。四月十餘日ばかりのことなり、みそぎあすとて齋院に奉り給ふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬわかびとわらはべなど、おのがじゝ物縫ひけさうなどしつゝ、物見むと思ひ設くるもとりどりに暇なげにて、御前のかたしめやかに人しげからぬ折なりけり。近く侍ふあぜちの君も時々かよふ、源中將せめて呼びいださせければ、おりたるまに、唯この侍從ばかり近くはさぶらふなりけり。善きをりと思ひて、やをら御帳のひんがしおもての、おましの端にすゑつ。さまでもあるべきことなりやは。宮は何心もなく大殿ごもりにけるを、近く男のけはひのすれば院のおはするとおぼしたるに、打ちかしこまりたる氣色見せてゆかのしもに抱きおろし奉るに、物におそはるゝかと、せめて見上げ給へればあらぬ人なりけり。怪しくも知らぬ事どもを聞ゆるやあさましくむくつけくなりて人召せど近くもさぶらはねば聞きつけて參るもなし。わなゝき給ふさま、水のやうに汗もながれて物も覺え給はぬ氣色いと哀にらうたげなり。「數ならねどいとかうしもおぼし召さるべき身とは思うたまへられずなむ。昔よりおほけなき心の侍りしをひたぶるに籠めて止み侍りなましかば、心の中にくたしてすぎぬべかりけるを、なかなか漏し聞えさせて、院にも聞し召されにしをこよなくもて離れても、のたまはせざりけるにたのみをかけそめ侍りて、身の數ならぬひときはに、人より深き志を空しくなし侍りぬることゝ動し侍りにし心なむ、よろづ今はかひなき事と思う給へ返せど、いかばかりしみ侍りにけるにか、年月にそへて口惜しくもつらくもむくつけくも哀にもいろいろに深く思う給へまさるに、せきかねてかくおほけなきさまを御覽ぜられぬるもかつはいと思ひやりなくはづかしければ、罪重き心も更に侍るまじ」といひもてゆくに、この人なりけりとおぼすに、いとめざましく恐しくてつゆいらへもし給はず。いとことわりなれど「世にためしなき事にも侍らぬを珍らかになさけなき御心ばへならば、いと心うくてなかなかひたぶるなる心もこそつき侍れ。哀とだにの給はせばそれを承りて罷でなむ」とよろづに聞え給ふ。よその思ひやりはいつくしく物なれて見え奉らむもはづかしく推し量られ給ふに、唯かばかり思ひつめたるかたはし聞え知らせて、なかなかかけかけしき事はなくて止みなむと思ひしかど、いとさばかり氣高う耻しげにはあらでなつかしくらうたげにやはやはとのみ見え給ふ。御けはひのあてにいみじく覺ゆることぞ人に似させ給はざりける。さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちもゐてかくし奉りて我が身も世にふるさまならず跡絕えて止みなばやとまで思ひみだれぬ。唯いさゝかまどろむとしもなき夢に、この手ならしゝ猫のいとらうたげに打ちなきて來たるを、この宮に奉らむとて我がゐて來たると覺えしを、何しに奉りつらむと思ふ程におどろきていかに見えつるならむと思ふ。宮はいとあさましくうつつとも覺え給はぬに胸ふたがりておぼしおぼるゝを、「猶かく遁れぬ御すくせの淺からざりけるとおぼしなせ。みづからの心ながらもうつしごゝろにはあらずなむ覺え侍る」。かの覺えなかりしみすのつまを猫のつなびきたりし夕のことも聞え出でたり。實にさはたありけむよと口惜しくちぎり心うき御身なりけり。院にも今はいかでかは見え奉らむと、悲しく心細くていとをさなげに泣き給ふをいとかたじけなく哀と見奉りて人の御淚をさへのごふ袖はいとゞ露けさのみまさる。明けゆく氣色なるに出でむかたなくなかなかなり。「いかゞはし侍るべき。いみじくにくませ給へば又聞えさせむ事もありがたきを、唯ひとこと御聲を聞かせ給へ」と萬に聞えなやますもうるさくわびしくて物の更にいはれ給はねば「はてはてはむくつけくこそなり侍りぬれ。又かゝるやうはあらじ」といとうしと思ひ聞えて「さらばふようなめり。身をいたづらにやはなしはてぬ。いと捨て難きによりてこそかくまでも侍れ。こよひにかぎり侍りなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるし給ふさまならば、それにかへつるにても捨て侍りなまし」とて搔き抱き出づるに、はてはいかにしつるぞとあきれておぼさる。すみの間の屛風をひき廣げて戶を押しあけたれば渡殿の南のとのよべいりしがまだあきながらあるに、まだあけぐれの程なるべし。ほのかに見奉らむの心あればかうしをやをら引きあげて「かういとつらき御心にうつしうつしごゝろも失せ侍りぬ。少し思ひのどめよとおぼされば哀とだにの給はせよ」とおどし聞ゆるをいと珍らかなりとおぼして、物もいはむとし給へどわなゝかれて、いとわかわかしき御さまなり。たゞあけに明け行くに、「いと心あわたゞしくて、哀なる夢がたりも聞えさすべきをかくにくませ給へばこそ。さりとも今おぼしあはする事も侍りなむ」とてのどかならず立ち出づる明けくれ、秋の空よりも心づくしなり。

 「おきて行く空も知られぬあけくれにいづくの露のかゝる袖なり」。ひき出でゝうれへ聞ゆれば、出でなむとするに少し慰め給ひて、

 「あけくれの空にうき身は消えなゝむ夢なりけりと見てもやむべく」とはかなげにの給ふ。御聲の若くをかしげなるを聞きさすやうにて出でぬる、たましひはまことに身を離れてとまりぬる心ちす。女宮の御許にもまうで給はで大殿へぞ忍びておはしぬる。打ちふしたれどめもあはず。見つる夢のさだかにあはむことも難きをさへ思ふに、かの猫のありしさまいと戀しと思ひ出でらる。さてもいみじきあやまちしつる身かな、世にあらむことこそまばゆくなりぬれと、恐しくそらはづかしき心地してありきなどもし給はず。女の御ためは更にもいはず、我が心地にもいとあるまじき事といふ中にもむくつけく覺ゆれば、思ひのまゝにもえまぎれありかず。みかどの御めをも取り過ちてことの聞えあらむに、かばかり覺えむことゆゑは身のいたづらにならむことも苦しくおぼゆまじ、しかいちじるき罪にはあたらずとも、この院にめをそばめられ奉らむことはいと恐しくはづかしくおぼゆ。かぎりなき女と聞ゆれど、少し世づきたる心ばへまじり、上はゆゑありこめかしきにも從はぬしたの心添ひたるこそ、とあることかゝることにうちなびき心かはし給ふたぐひもありけれ。これは深き心もおはせねどひたおもむきに物おぢし給へる御心にたゞ今しも人の見聞きつけたらむやうに、まばゆくはづかしくおぼさるれば、あかき所にだにえゐざり出で給はず、いと口惜しき身なりけりと、みづから思し知るべし。「惱しげになむ」とありければおとゞ聞き給ひていみじく御心を盡し給ふ御事にうち添へて、又いかにと驚かせ給ひてわたり給へり。そこはかと苦しげなることも見え給はず、いといたくはぢらひしめりてさやかにも見合せ奉り給はぬを、久しくなりぬるたえまをうらめしくおぼすにやといとほしくて、かの御心地のさまなど聞え給ひて「今はのとぢめにもこそあれ、今さらにおろかなるさまを見えおかれじとてなむいはけなかりし程よりあつかひそめて見放ちがたければかう月比よろづを知らぬさまにすぐし侍るぞ、おのづからこの程すぎば見なほし給ひてむ」など聞え給ふ。かく氣色も知り給はぬもいとほしく心苦しくおぼされて、宮は人知れず淚ぐましくおぼさる。かんの君はましてなかなかなる心地のみ增りて起き臥し明し暮し侘び給ふ。祭の日などは物見に爭ひ行く君達かきつれていひそゝのかせど、なやましげにもてなしてながめ臥し給へり。女宮をばかしこまりおきたるさまにもてなし聞えて、をさをさ打ち解けても見え奉り給はず。我方に離れ居ていとつれづれに心ぼそくながめ給へるに、わらはべのもたるあふひを見給ひて、

 「くやしくぞつみをかしけるあふひ草神のゆるせるかざしならぬに」と思ふもいとなかなかなり。世の中靜ならぬ車の音などをよその事に聞きて人やりならぬつれづれに暮し難くおぼゆる、女宮もかゝる氣色のすさまじさも見知られ給へば、何事とは知り給はねど耻しくめざましきに物思はしくぞおぼされける。女房など物見に皆出でゝ人ずくなにのどやかなれば打ちながめて、箏の琴なつかしくひきまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、同じくば今ひときは及ばざりけるすくせよとなほおぼゆ。

 「もろかづら落葉を何にひろひけむなはむつまじきかざしなれども」と書きすさび居たるいとなめげるしりうごとなりかし。おとゞの君はまれまれ渡り給ひてえふとも立ちかへり給はずしづ心なくおぼさるゝに、絕え入り給ひぬとて人參りたれば更に何事もおぼしわかれず御心もくれて渡り給ふ。道の程の心もとなきに、げにかの院はほとりのおほぢまで人たち騷ぎたり。殿の內泣きのゝしるけはひいとまがまがし。我にもあらで入り給へれば「日比はいさゝかひま見え給へるを、俄になむかくおはします」とて侍ふかぎりは我も後れ奉らじと惑ふさまどもかぎりなし。みずほふどもの壇こぼち僧などもさるべきかぎりこそまかでね、ほろほろと騷ぐを見給ふに、更に限にこそはとおぼしはつるあさましさに何事かはたぐひあらむ。「さりともものゝけのするにこそあらめ。いとひたぶるにな騷ぎそ」と靜め給ひて、いよいよいみじきぐわんどもを立てそへさせ給ふ。勝れたるけんざどものかぎり召し集めて、「限ある御命にてこの世つき給ひぬとも只今暫しのどめ給ひ不動尊の御もとのちかひあり、その日數をだにかけ留め奉り給へ」と、かしらよりまことに黑烟を立てゝいみじき心を起して加持し奉る。院も、只今一度目を見合せ給へ、いとあへなく限なりつらむ程をだに、え見ずなりにけることの悔しく悲しきをと、おぼし惑へるさま、とまり給ふべきにもあらぬを見奉る心ちども唯推しはかるべし。いみじき御心のうちを佛も見奉り給ふにや、月比更に現れ出てこぬ物のけちひさき童にうつりてよばひのゝしる程に、やうやう生きいで給ふにも嬉しくもゆゝしくもおぼし騷がる。いみじくてうぜられて「人は皆さりね。院一ところの御耳に聞えむ。おのれを月比てうじ侘びさせ給ふがなさけなくつらければ、同じくはおぼし知らせむと思ひつれど、さすがに命もたふまじく身を碎きておぼし惑ふを見奉れば、今こそかくいみじき身をうけたれ、いにしへの心の殘りてこそかくまでも參り來たるなれば、物の心苦しさをえ見すぐさで遂に現れぬること更に知られじと思ひつるものを」とて、髮を振りかけて泣くけはひ、唯昔見給ひしものゝけのさまと見えたり。あさましくむくつけしとおぼししみにしことの變らぬもゆゝしければ、この童の手をとらへて引きすゑてさま惡しくもせさせ給はず、「誠にその人か。善からぬ狐などいふなるものゝたはぶれたるか。なき人のおもてぶせなることいひ出づるもあなるを、たしかなるなのりせよ。又人の知らざらむことの心にしるく思ひ出でられぬべからむをいへ。さてなむいさゝかにても信ずべき」とのたまへば、ほろほろといたくなきて、

 「我が身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり。いとつらしつらし」と泣きさけぶものから、さすがに物はぢしたるけはひ變らず、なかなかいと疎ましく心うければ、物いはせじとおぼす。「中宮の御事にてもいと嬉しくかたじけなしとなむ天かけりても見奉れど、道ことになりぬればこの上までも深く覺えぬにやあらむ。猶みづからつらしと思ひ聞えし心のしふなむとまるものなりける。その中にも生きての世に人よりおとしておぼし捨てしよりも、思ふどちの御物語のついでに心よからずにくかりし有樣をのたまひいでたりしなむいとうらめしく、今はたゞなきにおぼし許して、こと人のいひおとしめむをだに省き隱し給へとこそ思へど、うち思ひしばかりにかくいみじき身のけはひなればかく所せきなり。この人を深く憎しと思ひ聞ゆることはなけれど、まもりつよくいと御あたり遠き心地してえ近づきまゐらず、御聲をだにほのかに聞き侍る。よし今はこの罪かろむばかりのわざをせさせ給へ。ずほふどきやうとのゝしるとも身には苦しくわびしきほのほとのみまつはれて更に尊きことも聞えねばいと悲しくなむ。中宮にもこのよしを傅へ聞え給へ。ゆめ御宮仕のほどに人ときしろひそねむ心つかひ給ふな。齋宮におはしましゝ比ほひの御罪かろむべからむくどくのことを必ずせさせ給へ。いとくやしきことになむありける」などいひつゞくれど、ものゝけに向ひて物語し給はむもかたはらいたければ、ふうじこめて上をば又こと方に忍びて渡し奉り給ふ。かくうせ給ひにけりといふ事世の中に滿ちて、御とぶらひに聞え給ふ人々あるをいとゆゝしくおぼす。今日のかへさ見に出で給ひける上達部など歸り給ふ道に、「かく人の申せばいといみじき事にもあるかな。生けるかひありつるさいはひびとの光失ふ日にて雨はそぼふるなりけり」とうちつけごとし給ふ人もあり。又「かくたらひぬる人は必ずえ長からぬことなり。何を櫻にといふふるごともあるはかゝる人のいとゞ世にながらへて世のたのしみを盡さば傍の人苦しからむ。今こそ二品宮はもとの御おぼえあらはれ給はめ。いとほしげにおされたりつる御覺えを」などうちさゝめきけり。衞門督昨日いと暮し難かりしを思ひて、今日は御弟ども左大辨頭宰相など奧の方に乘せて見給ひけり。かくいひあへるを聞くにも胸打ちつぶれて「何かうき世に久しかるべき」と打ちずじ獨りごちて、かの院へ皆參り給ふ。たしかならぬ事なればゆゝしくやとて、唯大方の御とぶらひに參り給へるに、かく人の泣きさわげば誠なりけりと打ち騷ぎ給へり。式部卿の宮も渡り給ひて、いといたく覺しほれたるさまにてぞ入り給ふ。人々の御消そこもえ申し傳へ給はず。大將の君淚をのごひて立ち出で給へるに「いかにいかに。ゆゝしきさまに人の申しつれば、信じ難きことにてなむ、唯久しき御惱を承り歎きて參りつる」などの給ふ。「いと重くなりて月日經給へるをこの曉より絕えいり給へりつるを、ものゝけのしわざになむありける。やうやういき出で給ふやうに聞きなし侍りて今なむ皆人心しづむめれど、まだいとたのもしげなしや。心苦しきことにこそ」とて誠に痛く泣き給へる氣色なり。目も少し腫れたり。衞門督、わがあやしき心ならひにや、この君のいとさしも親しからぬ繼母の御ことを、いたく心しめ給へるかなと目をとゞむ。かくこれかれ參り給へる由聞し召して「重きびやうざの俄にとぢめつるさまなりつるを、女房などは心もえをさめず亂りがはしく騷ぎ侍りけるに、みづからもえのどめず、心あわたゞしき程にてなむ。殊更になむ斯物し給へるよろこびは聞ゆべき」とのたまへり。かんの君は胸つぶれてかゝるをりのらうろうならずはえ參るまじく、けはひはづかしく思ふも心の中ぞ腹ぎたなかりける。かくいき出で給ひての後しも恐しくおぼして、又々いみじき法どもをつくしてくはへ行はせ給ふ。うつしびとにてだにむくつけかりし人の御けはひの、まして世かはりあやしきものゝさまになり給へらむをおぼしやるに、いと心うければ中宮をあつかひ聞え給ふさへぞこのをりは物うくいひもてゆけば、女の身は皆同じ罪深きもとゐぞかしとなべて世の中いとはしく、かの又人も聞かざりし御中のむつものがたりに少し語り出で給へりしことをいひ出でたりしに、誠とおぼし出づるにいと煩はしくおぼさる。御ぐしおろしてむとせちにおぼしたれば、忌むことの力もやとて御いたゞきしるしばかりはさみて五かいばかりうけさせ奉り給ふ。御戒の師いむことの勝れたるよし佛に申すにも哀に尊きことまじりて人わろく御傍にそひ居給ひて淚おしのごひ給ひつゝ佛をもろごゝろに念じ聞え給ふさま、世にかしこくおはする人もいとかく御心惑ふことにあたりてはえしづめ給はぬわざなりけり。いかなるわざをしてこれを救ひかけ留め奉らむとのみよるひるおぼし歎くに、ほれぼれしきまで御顏も少しおもやせ給ひにたり。五月などは、ましてはればれしからぬ空の氣色に、えさはやぎ給はねど、ありしよりは少しよろしきさまなり。されど猶絕えず惱みわたり給ふ。ものゝけの罪救ふべきわざ、日ごとに法華經一部づつ供養せさせ給ふ。何くれと尊きわざせさせ給ふ。御まくらがみ近くて不斷のみ讀經聲尊きかぎりして讀ませ給ふ。あらはれそめては折々悲しげなることゞもをいへど、更にこのものゝけさりはてず、いとゞあつき程は息も絕えつゝいよいよよわり給へばいはむ方なくおぼし歎きたり。なきやうなる御心ちにもかゝる御氣色を心苦しく見奉り給ひて世の中になくなりなむも我が身には更に口惜しきことのこるまじけれど、かくおぼし惑ふめるに、空しく見なされ奉らむがいと思ひぐまなかるべければ、思ひ起して御ゆなどいさゝかまゐるけにや、六月になりてぞ時々御ぐしもたげ給ひける。珍しく見奉り給ふにも猶いとゆゝしくて、六條院にはあからさまにもえ渡り給はず。姬宮は怪しかりしことをおぼし歎きしより、やがて例のさまにもおはせず、惱ましくし給へど、おどろおどろしくはあらず、立ちぬる月より物聞し召さでいたくあをみそこなはれ給ふ。かの人はわりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見奉りけれど、宮はつきせずわりなき事におぼしたり。院をいみじくおぢ聞え給へる御心に、有樣も人のほども、ひとしくだにやはある。いたくよしめきなまめきたれば大方の人目にこそなべての人には優りてめでらるれ、幼くよりさるたぐひなき御有樣にならひ給へる御心にはめざましくのみ見給ふ程に、かく惱みわたり給ふは哀なる御すくせにぞありける。御めのと達見奉り咎めて「院のわたらせ給ふこともいとたまさかなるを」とつぶやき怨み奉る、かく惱み給ふと聞し召してぞわたり給ふ。女君はあつくむつかしとて、御ぐしすまして少しさはやかにもてなし給へり。臥しながらうちやり給へりしかばとみにもかはかねど、露ばかり打ちふくみまよふすぢもなくていと淸らにゆらゆらとしてあをみおとろへ給へるしも、色はさをにしろく美しげにすきたるやうに見ゆる御はだつきなど世になくらうたげなり。もぬけたる蟲のからなどのやうにまだいとたゞよはしげにおはす。年比すみ給はで少し荒れたりつる院のうちたとしへなくせばげにさへ見ゆ。昨日今日かくもの覺え給ふひまにて心ことにつくろはれたるやりみづせんざいのうちつけに心よげなるを見出し給ひても哀に今まで經にけるをおもほす。池はいと凉しげにてはちすの花の咲きわたれるに、葉はいと靑やかにて露きらきらと玉のやうに見えわたるを「かれ見給へ。おのれひとりも凉しげなるかな」とのたまふに、起きあがりて見出し給へるもいとめづらしければ「かくて見奉るこそ夢の心ちすれ。いみじく我が身さへかぎりと覺ゆる、をりをりのありしはや」と淚をうけてのたまへば、みづからも哀とおもほして、

 「消えとまるほどやはふべきたまさかに蓮の露のかゝるばかりを」との給ふ。

 「契りおかむこの世ならでもはちす葉に玉ゐる露のこゝろへだつな」。出で給ふかたざまは物うけれど、內にも院にも聞し召さむ所あり。惱み給ふと聞きても程經ぬるをめに近きに心を惑はしつるほど見奉ることもをさをさなかりつるに、かゝる雲間にさへやは、絕えこもらむとおぼし立ちてわたり給ひぬ。宮は御心のおにゝ見え奉らむもはづかしくつゝましくおぼすに、物など聞えたまふ御いらへも聞え給はねば、日ごろのつもりをさすがにさりげなくてつらしとおぼしけると心苦しければ、とかくこしらへ聞え給ふ。おとなびたる人召して御心ちのさまなど問ひ給ふ。「例のさまならぬ御心ちになむ」と煩ひ給ふ御ありさまを聞ゆ。「あやしくほどへて珍しき御事にも」とばかりのたまひて御心のうちには年比經ぬる人々だにも、さることなきを、ふぢやうなる御ことにもやとおぼせば、ことにともかくものたまひあへしらひ給はで唯打ち惱み給へるさまのいとらうたげなるをあはれと見奉り給ふ。辛うじておぼし立ちて渡り給ひしかばふともえ歸りたまはで、二三日おはするほど、いかにいかにと後めたくおぼさるれば、御文をのみ書き盡し給ふ。「いつの間につもる御言の葉にかあらむ。いでややすからぬ世をも見るかな」と若君の御あやまちを知らぬ人はいふ。侍從ぞかゝるにつけても胸うちさわぎける。かの人もかく渡り給へりと聞くに、おほけなく心あやまりしていみじき事どもを書き續けておこせ給へり。對にあからさまに渡り給へる程に、人まなりければ忍びて見せ奉る。「むつかしき物見するこそいと心うけれ。心地のいとゞ惡しきに」とて臥し給へれば、「猶たゞこのはしがきのいとほしげに侍るぞや」とて廣げたれば人の參るにいと苦しくて御几帳ひき寄せて去りぬ。いとゞ胸つぶるゝに院入り給へば、えよくもかくし給はで、御しとねの下にさしはさみ給ひつ。夜さりつかた二條院へわたり給はむとて御暇聞え給ふ。「こゝにはけしうはあらず見え給ふを、まだいとたゞよはしげなりしを見捨てたるやうに思はるゝにも今更にいとほしくてなむ。ひがひがしく聞えなす人ありともゆめ心おき給ふな。今見なほし給ひてむ」と語らひ給ふ。例はなまいはけなきたはぶれごとなども打ち解け聞え給ふを、いたくしめりてさやかにも見合せ奉り給はぬを、唯世のうらめしき御氣色と心え給ふ。晝のおましにうち臥し給ひて御物語など聞え給ふほどに暮れにけり。少し大殿ごもり入りにけるに、ひぐらしの花やかになくに驚き給ひて、さらば道たどたどしからぬ程にとて、御ぞなど奉りなほす。「月まちてともいふなるものを」といと若やかなるさましてのたまふはにくからずかし。そのまにもとやおぼすと心苦しげにおぼして立ちとまり給ふ。

 「夕露に袖ぬらせとや日ぐらしの鳴くをきくきくおきてゆくらむ」。かたなりなる御心にまかせていひ出で給へるもらうたければ、ついゐて「あな苦しや」とうち歎き給ふ。

 「まつさともいかゞ聞くらむかたがたに心さわがすひぐらしの聲」などおぼしやすらひて、猶なさけなからむも心苦しければとまり給ひぬ。しづ心なくさすがに眺められ給ひて御くだものばかり參りなどして大殿ごもりぬ。まだ朝すゞみの程に渡り給はむとて疾く起き給ふ。よべのかはほりをおとしてこれは風ぬるくこそありけれとて御扇おき給ひて、きのふうたゝねし給へりしおましのあたりを立ちとまりて見給ふに、御しとねの少しまよひたるつまより淺綠の薄葉なる文の押し卷きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でゝ御覽ずるに男の手なり。かみのかなどいとえんにことさらめきたる書きざまなり。ふたかさねにこまごまと書きたるを見給ふに、まぎるべき方なくその人の手なりけりと見給ひつ。御鏡など開けて參らする人は猶見給ふ文にこそはと、心も知らぬ小侍從見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶつぶとなる心ちす。御かゆなどまゐる方に目も見やらず、いでさりともそれにはあらじ、いといみじくさる事はありなむや、かくし給ひてけむと思ひなす。宮は何心もなく、まだ大殿ごもれり。あないはけな、かゝるものをちらし給ひて我ならぬ人も見つけたらましかばとおぼすも心おとりして、さればよいとむげに心にくき所なき御有樣を後めたしとは見るかしとおぼす。出で給ひぬれば人々少しあがれぬるに、侍從よりて「昨日の物はいかにせさせ給ひてし。けさ院の御覽じつる文のいろこそ似て侍りつれ」と聞ゆれば、あさましとおぼして淚のたゞいできに出でくれば、いとほしきものからいふかひなの御さまやと見奉る。「いづくにかは置かせ給ひてし。人々の參りしに事あり顏に近くさぶらはじと、さばかりのいみをだに心の鬼にさり侍りしを、いらせ給ひしほどは少し程經侍りにしをかくさせ給ひつらむとなむ思う給へし」と聞ゆれば、「いさとよ、見し程に入り給ひしかばふともえおきあへで、さしはさみしを忘れにけり」とのたまふにいと聞えむかたなし。よりて見れどいづくのかはあらむ。「あないみじ。かの君もいと痛くおぢ憚りて氣色にても漏り聞かせ給ふことあらばとかしこまり聞え給ひしものを、ほどだに經ずかゝることの出でまうで來るよ、すべていはけなき御有樣にて人にも見えさせ給ひければ、年比さばかり忘れがたく怨みいひわたり給ひしかど、かくまで思う給へし御ことかは。たが御ためにもいとほしく侍るべきこと」とはゞかりもなく聞ゆ。心やすく若くおはすれば馴れ聞えたるなめり。いらへもし給はでたゞなきにのみぞ泣き給ふ。いとなやましげにて露ばかりの物も聞し召さねば、かく惱しくせさせ給ふを見おき奉り給ひて、今はをこたりはて給ひにたる御あつかひに心を入れ給へることゝ、つらく思ひいふ。おとゞはこの文の猶怪しくおぼさるれば人見ぬ方にて打ち返しつゝ見給ふ。さぶらふ人々の中にかの中納言の手に似たる手して書きたるかとまでおぼしよれど、言葉づかひきらきらとまがふべくもあらぬことゞもあり。年を經て思ひわたりけることのたまさかにほいかなひて心安からぬすぢを書き盡したることばいと見所ありて哀なれど、いとかくさやかにはかくべしや、あたら人の文をこそ思ひやりなく書きけれ、おちちることもこそと思ひしかば、昔かやうにこまかなるべきをりふしにも、ことそぎつゝこそ書きまぎらはしゝか、人の深き用意は難きわざなりけりと、かの人の心をさへ見おとしたまひつ。さてもこの人をばいかゞもてなし聞ゆべき、珍しきさまの御心地もかゝることのまぎれにてなりけり、いであな心うや、かく人づてならずうきことをしるしるありしながら見奉らむよと、我が御心ながらもえ思ひなほすまじく覺ゆるを、なほざりのすさびと始より心を留めぬ人だに又ことざまの心わくらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるゝを、ましてこれはさまことにおほけなき人の心にもありけるかな、みかどのみめをもあやまつたぐひ昔もありけれど、それは又いふかたことなり。宮づかへといひて我も人も同じ君になれ仕うまつる程に、おのづからさるべき方につけても、心をかはしそめ物のまぎれ多かりぬべきわざなり。女御更衣といへど、とあるすぢかゝる方につけてかたほなる人もあり、心ばせ必ず重からぬうちまじりて思はずなることもあれど、おぼろげの、さだかなるあやまち見えぬ程はさてもまじらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬまぎれありぬべし。かくばかり又なきさまにもてなし聞えて內々の志ひくかたよりもいつくしくかたじけなきものに思ひはぐゝまむ人をおきてかゝることは更にたぐひあらじとつまはじきせられ給ふ。みかどと聞ゆれどたゞすなほにおほやけざまの心ばへかりにて宮仕の程も物すさまじきに、志深き私のねぎごとになびき、おのがじゝ哀をつくし見すぐし難き折のいらへをもいひそめ、しねむに心かよひそむらむなからひは、同じけしからぬすぢなれど、よるかたありや、我が身ながらもさばかりの人に心わけ給ふべくは覺えぬをと、いと心づきなけれど又氣色に出すべき事にもあらずなどおぼし亂るゝにつけて、故院の上もかく御心にはしろしめしてや知らず顏をつくらさせ給ひけむ、思へばその世のことこそはいと恐しくあるまじきあやまちなりけれと近きためしをおぼすにぞ、戀の山路はえもどくまじき御心まじりける。つれなしづくり給へど、物思し亂るゝさまのしるければ、女君消え殘りたるいとほしみにわたり給ひて、人やりならず心苦しう思ひやり聞え給ふにやとおぼして「心地はよろしくなりにて侍るを、かの宮の惱しげにおはすらむに疾く渡り給ひにしこそいとほしけれ」と聞え給へば「さかし。例ならず見え給ひしかど異なる心地にもおはせねばおのづから心のどかに思ひてなむ。內よりは度々御使ありけり。今日も御文ありつとか。かの院のいとやんごとなく聞えつけ給へれば上もかくおぼしたるなるべし。少しおろかになどもあらむは、こなたかなたおぼさむことのいとほしきぞや」とてうめき給へば「內の聞し召さむよりもみづからうらめしと思ひ聞え給はむこそは心苦しからめ。われはおぼし咎めずともよからぬさまに聞えなす人々必ずあらむと思へば、いと苦しくなむ」などのたまへば、「實にあながちに思ふ人のためには煩はしきよすがなれど、萬にたどり深きこととやかくやとおほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるゝを、これはたゞ國王の御心やおき給はむとばかりを、はゞからむは淺き心地ぞしける」とほゝゑみてのたまひまぎらはす。「渡り給はむことは諸共にかへりてを、心のどかにあらむ」とのみ聞え給ふを「こゝには暫し心安くて侍らむ。まづ渡り給ひて人の御心も慰みなむ程にを」と聞えかはし給ふ程に日ごろ經ぬ。姬宮はかく渡り給はぬ日比のふるも人の御つらさにのみおぼすを、今は我が御をこたりうちまぜてかくなりぬるとおぼすに、院も聞し召しつけていかにおぼし召さむと世の中つゝましくなむ。かの人もいみじげにのみいひわたれども小侍從も煩はしく思ひ歎きて「かゝることなむありし」と吿げてければいとあさましくいつの程にさること出できけむ、かゝることはありふればおのづから氣色にても漏り出づるやうもやと思ひしだにいとゞつゝましく、空にめつきたるやうに覺えてしを、ましてさばかり違ふべくもあらざりし事どもを見給ひてけむ、耻しくかたじけなくかたはらいたきに、朝夕すゞみもなき比なれど身もしむる心地していはむかたなく覺ゆ。年比まめごとにもあだごとにも召しまつはし參りなれつるものを、人よりはこまやかにおぼしとめたる御氣色の哀になつかしきをあさましくおほけなき物に心おかれ奉りてはいかでかは目をも見合せ奉らむ、さりとてかきたえほのめき參らざらむも人めあやしくかの御心にもおぼし合せむことのいみじさなど安からず思ふに、心地もいとなやましくてうちへも參らず。さして重き罪には當るべきならねど身のいたづらになりぬる心地すれば、さればよとかつは我が心もいとつらく覺ゆ。いでやしづやかに心にくきけはひ見え給はぬわたりぞや、まづはかのみすのはざまもさるべきことかは、かるがるしと大將の思ひ給へる氣色見えきかしなど今ぞ思ひおはする。しひてこの事を思ひさまさむと思ふかたにてあながちになんづけ奉らまほしきにやあらむ、よきやうとてもあまりひたおもむきにおほどかにあてなる人は世の有樣も知らず、かつさぶらふ人に心おき給ふこともなくて、かくいとほしき御身のためも人のためもいみじきことにもあるかなとかの御事の心苦しさもえ思ひ放たれ給はず。宮はいとらうたげにて惱みわたり給ふさまの猶いと心苦しくかく思ひはなち給ふにつけては、あやにくにうきにまぎれぬ戀しさの苦しくおぼさるれば、渡り給ひて見奉り給ふにつけても胸いたくいとほしくおぼさる。御いのりなどさまざまにせさせ給ふ。大方のことはありしにかはらず、なかなかいたはしくやんごとなくもてなし聞ゆるさまをまし給ふ。氣近くうち語らひ聞え給ふさまはいとこよなく御心隔たりてかたはらいたければ、人目ばかりをめやすくもてなしておぼしのみ亂るゝに、この御心のうちしもぞ苦しかりける。さること見きともあらはし聞え給はぬに、みづからいとわりなくおぼしたるさまも心をさなし。いとかくおはするけぞかし。よきやうといひながらあまり心もとなく後れたる賴もしげなきわざなりとおぼすに、世の中なべてうしろめたく女御のあまりやはらかにおびれ給へるこそ、かやうに心かけ聞えむ人はまして心亂れなむかし。女はかうはるけ所なくなよびたるを人もあなづらはしきにや、さるまじきにふと目とまり心强からぬあやまちはし出づるなりけりとおぼす。右のおとゞの北の方の取り立てたるうしろみもなく幼くより物はかなきよにさすらふるやうにて生ひ出で給ひけれど、かどかどしくらうありて我も大方にはおやめきしかど、にくき心のそはぬにしもあらざりしをなだらかにつれなくもなしてすぐし、このおとゞのさるむしんの女房に心合せて入り來たりけむにもけざやかにもて離れたるさまを人にも見え知られ、殊更に許されたる有樣にしなして我が心と罪あるにはなさずなりにしなど、今思へばいかにかどあることなりけり、契り深き中なりければ長くかくてたもたむことはとてもかくても同じことあらましものから心もてありしことゞも世の人も思ひ出でば少しかるがるしき思ひ加はりなまし、いといたくもてなしてしわざなりとおぼし出づ。二條のないしのかんの君をば猶絕えず思ひ出で聞え給へど、かくうしろめたきすぢのことうきものにおぼししりて、かの御心よわきも少しかるく思ひなされ給ひけり。遂に御ほ意のごとし給ひてけりと聞き給ひては、いと哀に口惜しく御心動きてまづとぶらひ聞え給ふ。今なむとだににほはし給はざりけるつらさをあさからず聞え給ふ。

 「あまの世をよそに聞かめや須磨の浦にもしほたれしも誰ならなくに。さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて今まで後れ聞えぬる口惜しさをおぼし捨てつとも、さり難き御ゑかうのうちにはまづこそはと哀になむ」など多く聞え給へり。疾くおぼし立ちにしことなれどこの御さまたげにかゝづらひて人にはしかあらはし給はぬことなれど、心のうちあはれに、昔よりつらき御契をさすがにあさまくしもおぼし知られぬなどかたがたにおぼし出でらる。御かへり今はかくしも通ふまじき御文のとぢめとおぼせば哀にて心とゞめて書き給ふ墨つきなどいとをかし。「常なき世とは身ひとつにのみ知り侍りにしを後れぬとのたまはせたるになむ。げに、

  あま船にいかゞは思ひおくれけむあかしの浦にいさりせし君。ゑかうにはあまねき方にてもいかゞは」とあり。濃きあをにびの紙にてしきみにさし給へる、例のことなれどいたくすぐしたる筆づかひ猶ふりがたくをかしげなり。二條院におはします程にて女君にも今はむげに絕えぬることにて見せ奉り給ふ。「いといたくこそはづかしめられたれ。げに心づきなしや。さまざまに心ぼそき世の中の有樣をよく見すぐしつるやうなるよ。なべての世の事にてもはかなく物をいひかはし、時々によせて哀をも知り故をもすぐさず、よそながらのむつびかはしつべき人は、齋院とこの君とこそは殘ありつるを、かく皆背きはてゝ齋院はたいみじうつとめてまぎれなくおこなひにしみ給ひにたなり。猶こゝらの人の有樣を聞き見る中に、深く思ふさまにさすがに懷しきことのかの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな。女ごをおほし立てむことよ、いと難かるべきわざなりけり。すくせなどいふらむものは目に見えぬわざにて親の心にまかせがたし。おひたらむ程の心づかひはなほ力いるべかめり。よくこそあまたかたがたに心を亂るまじきちぎりなりけれ。年深くいたらざりしほどにさうざうしのわざや。さまざまに見ましかばとなむ歎かしきをりをりありし。若君を心しておほしたて奉り給へ。女御は物の心を深く知り給ふ程ならでかく暇なきまじらひをし給へば、何事も心もとなきかたにぞ物し給ふらむ。御子達なむなほあくかぎり人にてんつかるまじくて世をのどかにすぐし給はむにうしろめたかるまじき心ばせつけまほしきわざなりける。かぎりありてとざまかうざまのうしろみまうくるたゞ人はおのづからそれにも助けられぬるを」など聞え給へば「はかばかしきさまの御うしろみならずとも世にながらへむかぎりは見奉らぬやうあらじと思ふを、いかならむ」とて猶物を心ぼそげにてかく心に任せて行ひをもとゞこほりなくし給ふ人々をうらやましく思ひ聞え給へり。「かんの君にさま變り給へらむきうぞくなどまだ立ちなれぬほどはとふらふべきを、けさなどはいかにぬふ物ぞ。それせさせ給へ。一くだりは六條のひんがしの君にものしつけむ。うるはしき法眼だちてはうたて見る目もけうとかるべし。さすがにその心ばへ見せてを」など聞え給ふ。あをにびのひとくだりをこゝにはせさせ給ふ。つくもどころの人召して忍びてあまの御具どものさるべきはじめのたまはす。御しとね、うはむしろ、屛風、几帳などのこともいと忍びてわざとがましく急がせ給ひける。かくて山のみかどの御賀も延びて秋とありしを、八月は大將の御き月にてがくそのこと行ひ給はむにびんなかるべし。九月は院の大后の隱れ給ひにし月なれば十月にとおぼしまうくるを、姬宮いたく惱み給へばまたのびぬ。衞門督の御あづかりの宮なむその月には參り給ひける。おほきおとゞ居立ちていかめしくこまかに物のきよら、ぎしきをつくし給へりけむ。かんの君もその序にぞ思ひ起して出で給ひける。猶なやましく例ならず病づきてのみすぐし給ふ。宮もうちはへて物をつゝましくいとほしとのみおぼし歎くけにやあらむ、月多く重なり給ふまゝにいと苦しげにおはしませば、院は心うしと思ひ聞え給ふ方こそあれ、いとらうたげにあえかなるさましてかく惱みわたり給ふを、いかにおはせむとなげかしくてさまざまにおぼしなげく。御いのりなど今年はまぎれ多くてすぐし給ふ。御山にもきこし召して、らうたく戀しと思ひ聞え給ふ。月比かくほかほかにて渡り給ふこともをさをさなきやうに人の奏しければいかなるにかと御胸つぶれて、世の中も今更にうらめしくおぼして對の方の煩ひける比は猶そのあつかひにと聞し召してだになまやすからざりしを、その後なほり難く物し給ふらむはその比ほひびんなきことや出て來たりけむ、みづから知り給ふことならねど善からぬ御うしろみどもの心にていかなることかありけむ、うちわたりなどのみやびをかはすべきなからひなどにも、けしからずうきこといひ出づるたぐひも聞ゆかしとさへおぼしよるも、こまやかなることおぼし捨てし世なれど、猶この道は離れ難くて、宮に御文こまやかにてありけるを、おとゞ坐します程にて見給ふ。「覺束なくてのみ年月のすぐるなむ哀なりける。惱み給ふなるさまはくはしく聞きし後ねんずのついでにも思ひやらるゝはいかゞ。世の中さびしく思はずなることありとも忍びすぐし給へ。うらめしげなる氣色などおぼろけにて見知り顏にほのめかす、いとしなおくれたるわざになむ」など敎へ聞え給へり。いといとほしく心苦しく、かゝる內々のあさましきをばきこし召すべきにはあらで、我がをこたりにほいなくのみ聞きおぼすらむことをとばかりおぼしつゞけて「この御かへりをばいかゞ聞え給ふ。心苦しき御せうそこにまろこそいと苦しけれ。思はずに思ひ聞ゆることありともおろかに人の見咎むばかりはあらじとこそ思ひ侍れ。たが聞えたるにかあらむ」とのたまふに、はぢらひて背き給へる御姿もいとらうたげなり。いたくおも瘦せて物思ひくし給へるいとゞあてにをかし。「いとをさなき御心ばへを見置き給ひていたくうしめたがり聞え給ふなりけりと思ひ合せ奉れば、今より後もよろづになむかうまでもいかで聞えじと思へど。うへの御心にそむくときこし召すらむこと安からずいぶせきを、こゝにだに聞え知らせでやはとてなむ。いたりすくなくたゞ人の聞えなすかたにのみよるべかめる御心には、唯おろかにあさきとのみおぼし、又今はこよなくさだすぎにたる有樣もあなづらはしくめなれてのみ見なし給ふらむも、方々に口惜しくもうれたくも覺ゆるを、院のおはしまさむ程は猶心をさめてかのおぼしおきてたるやうありけむさだすきびとをも同じくなずらへ聞えていたくなかるめ給ひそ。いにしへよりほいふかきみちにもたどりうすかるべき女がたにだに皆思ひ後れつゝいとぬるき事多かるを、みづからの心には何ばかり思ひ迷ふべきにはあらねど、今はと捨て給ひけむ世のうしろみに讓りおき給へる御心ばへの哀に嬉しかりしを、引き續き爭ひ聞ゆるやうにて、同じさまに見捨て奉らむことのあへなく覺されむにつゝみてなむ。心苦しと思ひし人々も今はかけとゞめらるゝほだしばかりなるも侍らず。女御もかくて行く末は知り難けれど御子達數そひ給ふめればみづからの世だにのどけくはと見おきつべし。その外はたれもたれもあらむに從ひて諸共に身を捨てむも惜しかるまじき齡どもになりにたるを、やうやうすゞしく思ひ侍る。院の御世ののこり久しくもおはせじ。いとあづしくいとゞなりまさり給ひて、物心ぼそげにのみおぼしたるに、今更に思はずなる御名もり聞えて御心亂り給ふな。この世はいと安し。ことにもあらず。後の世の御道の妨げならむも罪いとおそろしからむ」など、まほにそのこととはあかし給はねどつくづくと聞え續け給ふに、淚のみ落ちつゝ我にもあらず思ひしみておはすれば、我もうち泣き給ひて人のうへにてももどかしく聞き思ひしふる人のさかしらよ、身に變ることにこそ、いかにうたてのおきなやとむつかしくうるさき御心そふらむと、耻ぢ給ひつゝ御硯ひき寄せ給ひて手づから押し摺り紙取りまかなひ書かせ奉り給へど、御手もわなゝきてえ書き給はず。かのこまかなりし返事はいとかくしもつゝまず通はし給ふらむかしとおぼしやるに、いとにくければよろづの哀もさめぬべけれど、ことばなど敎へ書かせ奉り給ふ。參り給はむことはこの月かくて過ぎぬ。二の宮の御いきほひことにて參り給ひけるをふるめかしき御身ざまにて立ちならび顏ならむもはゞかりある心ちしけり。霜月はみづからの御忌月なり。年のをはりはたいと物さわがし。又いとゞこの御姿も見苦しく待ち見給はむをと思ひ侍れど、さりとてさのみ延ぶべきことにやは。「むつかしく物おぼし亂れずあきらかにもてなし給ひてこのいたくおも瘦せ給へるつくろひ給へ」などいとらうたしとさすがに見奉り給ふ。衞門督をば何ざまの事にもゆゑあるべきをりふしには必ず殊更にまつはし給ひつゝのたまはせあはせしを絕えてさる御せうそこもなし。人あやしと思ふらむとおぼせど、見むにつけてもいとゞほれぼれしきかたはづかしく見むにはまた我が心もたゞならずやとおぼし返されつゝ、やがて月比參り給はぬをもとがめなし。大方の人は猶例ならず惱みわたりて院にはた御遊びなどなき年なればとのみ思ひわたるを大將の君ぞ、あるやうあることなるべし、すきものは定めて我が氣色とりしことには忍ばぬにやありけむと思ひよれど、いとかくさだかに殘りなきさまならむとは思ひより給はざりけり。十二月になりにけり。十餘日と定めてまひどもならし殿の內ゆすりてのゝしる。二條院の上はまだわたり給はざりけるをこの試樂によりてぞえしづめはてゞ渡り給へる。女御の君も里におはします。このたびの御子は又男にてなむおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、明暮もてあそび奉り給ふになむ過ぐるよはひのしるし嬉しくおぼされける。試樂に右大臣殿の北の方もわたり給へり。大將の君丑寅の町にてまづうちうちに調樂のやうに、明暮遊びならし給ひければかの御かたはお前のものは見給はず。衞門督をかゝることの折もまじらはせざらむはいとはえなくさうざうしかるべき。うちにも人怪しとかたぶきぬべきことなれば參り給ふべきよしありけるを、重く煩ふよし申して參らず。さるはそこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと心苦しくおぼして取りわきて御せうそこつかはす。「ちゝおとゞもなどかかへさひ申されける。ひがひがしきやうに院にも聞し召さむを、おどろおどろしき病にもあらず。助けて參り給へ」とそゝのかし給ふにかく重ねてのたまへれば苦しと思ふ思ふ參りぬ。上達部などもまだ集ひ給はぬ程なりけり。例の氣近き御簾の內に入れ給ひてもやの御簾おろしておはします。實にいといたくやせやせにあをみて例もほこりかに花やぎたる方は弟の君達にはもてけたれていと用意ありがほにしづめたるさまぞことなるを、いとゞしづめてさぶらひ給ふさま、などかは御子達の御傍にさし並べたらむに更にとがあるまじきを、たゞことのさまの誰も誰もいと思ひやりなきこそいと罪許しがたけれなど、御目とまれどさりげなくいとなつかしく「そのことゝなくて對面もいと久しくなりにけり。月比はいろいろのびやうざをのみあつかひ、心のいとまなきほどに院の御賀のためこゝに物し給ふみこのほふじ仕うまつり給ふべくありしを、つきづき滯ることしげくてかく年もせめつれば、え思ひのごとくもしあへでかたのごとくなむ。いもひの御鉢參るべきを、御賀などいへばことごとしきやうなれど、家に生ひ出づるわらはべの數多くなりにけるを御覽ぜさせむとて舞などならはしはじめし、そのことをだにわたさむとて拍子とゝのへむこと、又誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月比とぶらひものし給はぬうらみも捨てゝける」とのたまふ。御氣色のうらなきやうなるものからいとゞはづかしきに、顏の色違ふらむと覺えて御いらへもとみにえ聞えず。「月比かたがたにおぼし惱む御こと承り歎き侍りながら、春の比ほひより例もわづらひ侍る。みだりかくびやうといふもの所せく起り煩ひ侍りてはかばかしくふみたつる事も侍らず月比に添へて沈み侍りてなむ、內などにも參らず世の中跡絕えたるやうにてこもり侍る。院の御齡たり給ふ年なり。人よりさだかに數へ奉り仕うまつるべきよし、致仕のおとゞ思ひおよび申されしを、かうぶりをかけ車ををしまず捨てし身にて進み仕うまつらむにつくところなし、げに下臈なりとも同じこと深き所侍らむ、その心御覽ぜられよともよほし申さるゝことの侍りしかば、重き病をあひ助けてなむ參りてはべし。今はいよいよいとかすかなるさまにおぼしすましていかめしき御よそひを待ち受け奉り給はむこと願はしくもおぼすまじく見奉り侍りしを、事どもをばそがせ給ひて靜なる御物語の深き御願ひかなはせ給はむなむ優れて侍るべき」と申し給へば、いかめしく聞きし御賀のことを女二の宮の御方ざまにはいひなさぬもらうありとおぼす。「唯かくなむことそぎたるさまに世の中はあさく見るべきを、さはいへど心えて物せらるゝに、さればよとなむいとゞ思ひなられ侍る。大將はおほやけがたはやうやうおとなぶめれど、かやうになさけびたる方はもとよりしまぬにやあらむ。かの院何事も心および給はぬことはをさをさなきうちにも、がくのかたの事は御心留めでいとかしこく知り整へたまへるをさこそおぼし捨てたるやうなれ。靜に聞し召しすまさむこと今しもなむ心づかひせらるべき。かの大將と諸共に見入れて舞の童部の用意心ばへよく加へ給へ。物の師などいふものは唯我が立てたることこそあれ。いと口惜しきものなり」などいと懷しくの給ひつくるを、嬉しきものから苦しくつゝましくてことずくなにてこの前を疾く立ちなむと思へば、例のやうにこまやかにもあらでやうやうすべり出でぬ。ひんがしのおとゞにて大將のつくろひ出し給ふ樂人舞人のさうぞくのことなど又々行ひ加へ給ふ。あるべきかぎりいみじく盡し給へるにいとゞ委しき心しらびそふもげにこの道はいと深き人にぞものし給ふめる。今日はかゝるこゝろみの日なれば御方々物見給はむに見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は赤きしらつるばみに、えびぞめのしたがさねを着るべし。今日は靑色にすはうがさね、樂人三十人今日はしらがさねを着たり。辰巳の方の釣殿につゞきたる廊をがくそにして山の南のそばより御前に出つる程せんゆうかといふもの遊びて雪のたゞいさゝかちるに春のとなり近く梅の氣色見るかひありてほゝゑみたり。廂の御簾の內に坐しませば、式部卿の宮右のおとゞばかりさぶらひ給ひて、それよりしもの上達部はすのこにわざとならぬ日のことにて御あるじなど氣近き程に仕うまつりなしたり。右の大殿の四郞ぎみ大將殿の三郞ぎみ兵部卿宮のそんわうの君だち二人はまんざいらくまだいとちひさき程にていとらうたげなり。四人ながらいづれとなくたかき家の子にてかたちをかしげにかしづき出でたる思ひなしもやんごとなし。又大將の御子のないしのすけばらの二郞ぎみ式部卿の宮の兵衞の督といひし、今は源中納言の御子皇麞、右の大い殿の三郞ぎみ陵王、大將殿の太郞ぎみ落蹲、さてはたいへいらく喜春樂などいふ舞どもをなむ、同じ御なからひのきんだちおとなだちなど舞ひける。暮れゆけば御簾あげさせ給ひて物の興まさるにいとうつくしき御うまごの君達のかたちすがたにて舞のさまも世に見えぬ手を盡して、御師どもゝおのおの手のかぎりを敎へ聞えけるに、深きかどかどしさを加へて珍らかに舞ひ給ふを、いづれをもいとらうたしとおぼす。老ひ給へる上達部たちは皆淚おとし給ふ。式部卿の宮も御うまごをおぼして御鼻の色づくまでしほたれさせ給ふ。あるじの院「過ぐる齡にそへてはゑひなきこそとゞめ難きわざなりけれ。衞門督心とゞめてほゝゑまるゝいと心恥しや。さりとも今暫しならむさかさまにゆかぬ年月よ、老いはえ遁れぬわざなり」とてうち見やり給ふに、人よりけにまめだちくつして誠に心地もいと惱ましければ、いみじき事もめもとまらぬ心地する人をしもさしわきて空醉ひしつゝかくの給ふ。たはぶれのやうなれどいとゞ胸つぶれてさかづきのめぐりくるも頭いたく覺ゆれば氣色ばかりにてまぎらはすを御覽じとがめて持たせながらたびたびしひ給へばはしたなくてもて煩ふさま、なべての人に似ずをかし。心地かき亂りて堪へがたければまだ事もはてぬに罷で給ひぬるまゝに、いといたく惑ひて、例のいとおどろおどろしき醉にもあらぬを、いかなればかゝるならむ、つゝましと物を思ひつるにけののぼりぬるにや、いとさいふばかりおくすべき心よわさとは覺えぬを、いふかひなくもありけるかなとみづから思ひ知らる。しばしのゑひの惑ひにもあらざりけり。やがていといたく煩ひ給ふ。おとゞ母北の方おぼしさわぎてよそよそにていと覺束なしとて殿にわたし奉り給ふを、女宮のおぼしたるさま又いと心ぐるし。事なくてすぐす月日は心のどかにあいなだのみしていとしもあらぬ御志なれど今はと別れ奉るべきかどでにやと思ふは哀に悲しく、後れて思し歎かむことのかたじけなきをいみじと思ふ。母御息所もいといみじく歎き給ひて「世の事として親をばなほさるものにおき奉りてかゝる御なからひはとあるをりもかゝるをりも離れ給はぬこそ例のことなれ。かく引き別れてたひらかに物し給ふまでもすぐし給はむが心づくしなるべきことを、暫しこゝにてかくて試み給へ」と御傍に御几帳ばかりを隔てゝ見奉り給ふ。「ことわりや、數ならぬ身にて及び難き御なからひになまじひに許され奉りてさぶらふしるしには長く世に侍りてかひなき身の程も少し人とひとしくなるけぢめをもや御覽ぜらるゝとこそ思う給へつれいといみじくかくさへなり侍れば深き志をだに御覽じはてられずやなり侍りなむと思う給ふるになむ、とまりがたき心地にもえゆきやるまじく思ひ給へらるゝ」など、かたみになき給ひてとみにもえわたり給はねば、又母北の方うしろめたくおぼして、「などかまづ見えむとは思ひ給ふまじき。われは心地も少し例ならず心ぼそきときはあまたの中にまづ取りわきてゆかしくも賴もしくもこそ覺え給へ。かくいと覺束なきこと」と怨み聞え給ふも又いとことわりなり。人よりさきなりけるけぢめにや取りわきて思ひならひたるを今に猶悲しくし給ひて暫しも見えぬをば苦しきもにし給へば、心地のかくかぎりに覺ゆるをりしも見え奉らざらむ罪深くいぶせかるべし。「今はとたのみなく聞かせ給はゞいと忍びて渡り給ひて御覽ぜよ。必ず又對面給はらむ。怪しくたゆくおろかなる本性にてことにふれておろかにおぼさるゝ事ありつらむこそくやしく侍れ。かゝる命の程を知らで行く末長くのみ思ひ侍りける事」となくなく渡り給ひぬ。宮はとまり給ひていふ方なくおぼしこがれたり。大殿に待ち受け聞え給ひてよろづにさわぎ給ふ。さるはたちまちにおどろおどろしき御心地のさまにもあらず、月比物などを更に參らざりけるにいとゞはかなきかうじなどをだにふれ給はず、唯やうやう物に引きいるゝやうに見え給ふ。さるときのいうそくのかくものし給へば世の中憎みあたらしがりて御とぶらひに參り給はぬ人なし。內よりも院よりも御とぶらひしばしば聞えつゝ、いみじく惜みおぼし召したるにも、いとゞしき親達の御心のみ惑ふ。六條院にもいと口惜しきわざなりとおぼし驚きて、御とぶらひに度々ねんごろに父おとゞにも聞え給ふ。大將はましていとよき御中なれば氣近く物し給ひつゝいみじく歎きありき給ふ。御賀は廿五日になりにけり。かゝる時のやんごとなき上達部の重く煩ひ給ふに、おやはらからあまたの人々さるたかき御なからひのなげきしをれ給へる比ほひぞ物すさまじきやうなれど、月々に滯りつることだにあるを、さて止むまじきことなればいかでかはおぼしとゞまらむ、女宮の御心のうちをぞいとほしく思ひ聞えさせ給ふ。例のごじふじのみずきやう又かのおはします御寺にもまかびるさなの。

柏木

衞門のかんの君かくのみ惱みわたり給ふこと猶をこたらで年もかへりぬ。おとゞ北の方おぼし歎くさまを見奉るにしひてかけはなれなむ命かひなく罪おもかるべきことを思ふ。心はこゝろとして又あながちにこの世に離れがたく惜み留めまほしき身かは、いはけなかりし程より思ふ心ことにて何事をも人には今一きはまさらむとおほやけわたくしのことにふれてなのめならず思ひのぼりしかど、その心かなひ難かりけりとひとつふたつのふしごとに身を思ひおとしてしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて後の世のおこなひにほい深くすゝみにしを親たちの御うらみを思ひて野山にもあくがれむ道の重きほだしなるべく覺えしかば、とざまかうざまに紛らはしつゝすぐしつるを、遂に猶世に立ちまふべくも覺えぬ物思ひの一方ならず身にそひにたるはわれより外に誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれと思ふに恨むべき人もなし。神佛をもかこたむ方なきはこれ皆さるべきにこそあらめ、たれも千年の松ならぬ世はつひにとるべきにもあらぬを、かく人にも少しうち忍ばれぬべき程にてなげの哀をもかけ給ふ人あらむをこそはひとつ思ひにもえぬるしるしにはせめ、せめてながらへばおのづからあるまじき名もをもたち、我も人も安からぬみだれ出で來るやうもあらむよりは、なめしと心おい給へらむあたりにもさりともおぼしゆるいてむかし、萬の事今はのとぢめには皆消えぬべきわざなり、又ことざまのあやまちしなければ年比物のをりふしごとにまつはしならひ給ひにしかたの哀も出できなむなど、つれづれに思ひ續くるもうちかへしいとあぢきなし。などかく程もなくしなしつる身ならむとかきくらし思ひ亂れて枕もうきぬばかり人やりならずながしそへつゝ、いさゝかひまありとて人々立ちさり給へる程に、かしこに御文奉れ給ふ。「今はかぎりになりにて侍る有樣はおのづからきこし召すやうも侍らむを、いかゞなりぬるとだに御耳とゞめさせ給はぬもことわりなれど、いとうくも侍るかな」と聞ゆるに、いみじうわなゝけば思ふこともみなかきさして、

 「今はとてもえむ煙もむすぼゝれ絕えぬおもひのなほや殘らむ。哀とだにのたまはせよ。心のどめて人やりならぬ闇に惑はむ道の光にもし侍らむ」と聞え給ふ。侍從にもこりずまに哀なる事どもを言ひおこせ給へり。「みづからも今一たびいふべき事なむある」との給へれば、この人もわらはよりさるたよりに參り通ひつゝ見奉りなれたる人なればおほけなき心こそうたて覺え給ひけれ。今はと聞くはいとかなしうてなくなく「猶この御かへり誠にこれをとぢめにもこそ侍れ」と聞ゆれば「我も今日か明日かの心ちして物心ぼそければ大方の哀ばかりは思ひ知らるれど、いと心うきことゝ思ひこりにしかばいみじうなむつゝましき」とて更にかい給はず。御心の本性の强くづしやかなるにはあらねど耻しげなる人の御けしきの折々にまほならぬがいと恐しうわびしきなるべし。されど御硯などまかなひて責め聞ゆればしぶしぶに書い給ふをとりて忍びてよひのまぎれにかしこに參りぬ。おとゞはかしこきおこなひ人葛城山よりさうじ出でたる、待ちうけ給ひて加持參らせむとし給ふ。みずほふどきやうなどもいとおどろおどろしうさわぎたり。人の申すまゝにさまざまひじりだつげんざなどの、をさをさ世にも聞えず深き山に籠りたるなどをも、弟の君だちをつかはしつゝ尋ねめす、にけにくゝ心づきなき山伏どもなどもいと多くまゐる。煩ひ給ふさまのそこはかとなく物を心ぼそく思ひてねをのみ時々はなき給ふ。陰陽師なども多くは女の靈とのみ占ひ申しければさることもやとおぼせど、更にものゝけの顯れ出でくるもなきに、おもほしわづらひてかゝる隈々をも尋ね給ふなりけり。このひじりもたけたかやかにまぶしつべだましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼讀むを「いであなにくや、罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の聲高きはいとけおそろしくていよいよしぬべくこそ覺ゆれ」とて、やをらすべり出でゝこの侍從と語らひ給ふ。おとゞはさもしり給はず「うちやすみたる」と人々して申させ給へば、さおぼして忍びやかにこの聖と物語し給ふ。おとなび給へれど猶花やぎたるところつきて物わらひし給ふおとゞの、かゝるものどもと向ひ居てこの煩ひそめ給ひし有樣、何ともなくうちたゆみつゝおもり給へること「誠にこのものゝけあらはるべく念じ給へ」などこまやかに語らひ給ふもいと哀れなり。「かれ聞き給へ。何の罪ともおぼしよらぬに占ひよりけむ女の靈こそ誠にさる御しうの身にそひたるならば、いとはしき身もひきかへやんごとなくこそなりぬべけれ。さてもおほけなき心ありてさるまじきあやまちをひき出でゝ、人の御名をもたて身をもかへりみぬたぐひ昔の世にもなくやはありけると思ひなほすに、猶けはひわづらはしう、かの御心にかゝる咎をしられ奉りて世にながらへむこともいとまばゆく覺ゆるはげにことなる御光なるべし。深きあやまちもなきに見合せ奉りし夕のほどよりやがてかきみだり惑ひそめにしたましひの身にもかへらずなりにしを、かの院の內にあくがれありかば結びとゞめ給へよ」などいとよわげにからのやうなるさまして泣きみ笑ひみ語らひ給ふ。宮も物をのみはづかしうつゝましうおぼしたるさまを語る。さてうちしめりおもやせ給へらむ御さまの面影に見奉る心ちして思ひやられ給へば、げにあくがるゝたまやゆき通ふらむなどいとゞしき心ちにも亂るれば「今さらにこの御ことよ、かけても聞えじ。この世はかうはかなくて過ぎぬるを長き世のほだしにもこそと思ひなむ。いといとほしき心苦しき御ことをたひらかにとだにいかで聞きおい奉らむ。見し夢を心ひとつに思ひ合せて又語る人もなきがいみじういぶせくもあるかな」などとりあつめ思ひしみ給へるさまの深きを、かつはいとうたて恐しう思へど哀はたえしのばずこの人もいみじうなく。しそくめして御返り見給へば、御手も猶いとはかなげにをかしきほどに書い給ひて「心苦しうきゝながらいかでかは、唯おしはかり、殘らむとあるは、

  立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるゝ煙くらべに。おくるべうは」とばかりあるを哀にかたじけなしと思ひたまふ。「いでやこの煙ばかりこそはこの世の思ひいでならめ。はかなくもありけるかな」と、いとゞなきまさり給ひて御返りふしながらうちやすみつゝ書い給ふ。言の葉のつゞきもなくあやしき鳥の跡のやうにて、

 「行くへなき空のけぶりとなりぬとも思ふあたりをたちははなれじ。夕はわきて詠めさせ給へ。咎め聞えさせ給はむ人めをも今は心やすくおぼしなりてかひなき哀をだにも絕えずかけさせ給へ」などかきみだりて心ちの苦しさまさりければ「よしいたう更けぬさきに歸り參りたまひてかく限のさまになむとも聞え給へ。今更に人あやしと思ひあはせむを、我が世の後さへ思ふこそ苦しけれ。いかなる昔の契にていとかゝることしも心にしみけむ」となくなくゐざり出で給ひぬれば、例はむごにむかへすゑてすゞろごとをさへいはせまほしうし給ふをことずくなにてもと思ふが哀なるに、えもいでやらず。御有樣をめのとも語りていみじう泣きまどふ。おとゞなどの覺したる氣色ぞいみじきや。「昨日今日少し宜しかりつるをなどかいと弱げには見え給ふ」とさわぎ給ふ。「何か猶とまり待るまじきなめり」と聞え給ひてみづからもない給ふ。宮はこのくれつ方より惱ましうし給ひけるをその御氣色と見奉りしりたる人々さわぎみちておとゞにも聞えたりければ驚きて渡り給へり。御心のうちには、あなくちをしや、思ひまじる方なくて見奉らましかば珍しく嬉しからましとおぼせど、人には氣色漏らさじとおぼせば、げんざなどめしみずほふはいつとなく不斷にせらるれば、僧どもの中にげんあるかぎり皆參りて加持まゐりさわぐ。夜ひと夜惱みあかさせ給ひて日さしあがる程に生れ給ひぬ。男君ときゝ給ふに、かく忍びたることのあやにくにいちじるき顏つきにてさしいで給へらむこそ苦しかるべけれ、女こそ何となくまぎれ、數多の人の見ぬものなればやすけれとおぼすに、又かく心苦しきうたがひまじりたるにては心やすき方に物し給ふもいとよしかし、さてもあやしや、我が世と共に恐しと思ひし事のむくいなめり、この世にてかく思ひかけぬことにむかはりぬれば後の世の罪も少しかろみなむやとおぼす。人はたしらぬことなればかく心ことなる御はらにて末に出でおはしたるおぼえ、いみじかりなむと思ひいとなみ仕うまつる。御うぶやの儀式いかめしうおどろおどろし。御方々さまざまにしいで給ふ御うぶやしなひ、世のつねのをしきついかさね、たかつきなどのこゝろばへも、殊更に心々いとましさ見えつゝなむ。五日の夜は中宮の御方よりこもちの御前のもの女房の中にもしなじなに思ひあてたるきはきは、おほやけごとに嚴めしうせさせ給へり。御粥、とんじき五十具、所々の饗、院の下部、廳の召次所、なにかのくまゝでいかめしうせさせ給へり。宮づかさ大夫よりはじめて院の殿上人みな參れり。七夜はうちよりそれもおほやけざまなり。致仕のおとゞなど心殊に仕うまつり給ふべきに、この比は何事もおぼされでおほざうの御とぶらひのみぞありける。宮達上達部などあまた參り給ふ。大かたの氣色も世になきまでかしづき聞え給へどおとゞの御心のうちに心苦しとおぼすことありていたうももてはやし聞え給はず御あそびなどはなかりけり。宮はさばかりひわづなる御さまにていとむくつけうならはぬことの恐しう思されけるに、御ゆなども聞しめさず、身の心うきことをかゝるにつけてもおぼし入れば、さばれこの序にも死なばやとおぼす。おとゞはいとよう人目をかざりおぼせど又むつかしげにおはするなどを、とりわきても見奉り給はずなどあれば、老いしらへる人などは「いでやおろかにも坐しますかな。珍しうさし出で給へる御有樣のかばかりゆゝしきまでにおはしますを」とうつくしみ聞ゆれば、かた耳に聞き給ひてさのみこそはおぼし隔つることもまさらめと、怨めしう我が身つらくて尼にもなりなばやの御心つきぬ。よるなどもこなたには大殿籠らず、晝つ方などぞさしのぞき給ふ。「世の中のはかなきを見るまゝに行く末短かう物心ぼそくて行ひがちになりにて侍れば、かゝる程のらうがはしき心ちするにより、得參りこぬを、いかゞ御心ちはさはやかにおぼしなりにたりや。心苦しうこそ」とて御几帳のそばよりさし覗き給へり。御ぐしもたげ給ひて「猶えいきたるまじき心ちなむし侍るを、かゝる人は罪もおもかなり。尼になりてもしそれにやいきとまると試み又なくなるとも罪を失ふことにもやとなむ思ひ侍る」と常の御けはひよりはいとおとなびて聞え給ふを、「いとうたてゆゝしき御事なり。などてかさまではおぼす。かゝることはさのみこそおそろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそはあらめ」と聞え給ふ。御心のうちには誠にさもおぼしよりてのたまはゞ、さやうにて見奉らむは哀なりなむかし、かつ見つゝもことにふれて心おかれ給はむが心苦しう、我ながらもえ思ひなほすまじううき事うち交りぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむがいといとほしう、院などの聞しめさむことも我がをこたりにのみこそはならめ、御惱みにことづけてさもやなし奉りてましなど覺しよれど、又いとあたらしう哀にかばかり遠きみぐしのおひさきを、しかやつさむことも心苦しければ「猶つよくおぼしなれ。けしうはおはせじ。かぎりと見ゆる人もたひらかなるためし近ければさすがにたのみある世になむ」など聞え給ひて御湯まゐり給ふ。いといたう靑みやせてあさましうはかなげにて打ち臥し給へる御さまおほどきうつくしげなれば、いみじきあやまちありとも心弱く許しつべき御さまかなと見奉り給ふ。山のみかどは珍しき御事たひらかなりと聞し召して哀にゆかしうおもほすに、かく惱み給ふよしのみあれば、いかに物し給ふべきにかと御おこなひも亂れておぼしけり。さばかり弱り給へる人の物をきこしめさで日比經給へばいとたのもしげなくなり給ひて年比見奉らざりし程よりも院のいと戀しく覺え給ふを、またも見奉らずなりぬるにやといたうなき給ふ。かく聞え給ふさまさるべき人して傳へ奏せさせ給ひければ、いと堪へがたう悲しとおぼして、あるまじき事とはおぼし召しながら世にかくれて出でさせ給ふ。かねてさる御せうそこもなくて俄にかく渡りおはしまいたればあるじの院驚きかしこまり聞え給ふ。「世の中をかへりみすまじう思ひ侍りしかど、猶惑ひさめがたきものはこの道の闇になむ侍りければ、行ひもけだいしてもしおくれさきだつ道のだう理のまゝならで別れなばやがてこの恨もやかたみに殘らむと、あぢきなさにこの世のそしりをばしらでかくものし侍り」と聞え給ふ。御かたちことにてなまめかしうなつかしきさまにうち忍びやつれ給ひてうるはしき御法服ならず、すみぞめの御姿、あらまほしう淸らなるもうらやましく見奉り給ひ、例のまづ淚おとし給ふ。「わづらひ給ふ御さま殊なる御惱みにも侍らず、唯月比弱り給へる御有樣に、はかばかしう物なども參らぬつもりにやかく物し給ふにこそ」など聞え給ふ。「かたはら痛きおましなれども」とて御帳の前に御褥まゐりて入れ奉り給ふ。宮をもとかう人々つくろひ聞えてゆかのしもにおろし奉る。御几帳少しおしやらせ給ひて「夜居の加持の僧などの心ちすれどまだげんつくばかりの行ひにもあらねばかたはら痛けれど唯覺束なく覺え給はむさまをさながら見給ふべきなり」とて御目おしのごはせ給ふ。宮もいと弱げにない給ひて「生くべうも覺え侍らぬをかくおはしましたる序になさせ給ひてよ」と聞え給ふ。「さる御ほ意あらばいと尊きことなるをさすがに限らぬ命のほどにて行く末とほき人はかへりてことのみだれあり、世の人に謗らるゝやうありぬべきことになむ、猶憚りぬべき」などのたまはせておとゞの君に「かくなむすゝみのたまふを、今はかぎりのさまならば片時のほどにてもそのたすけあるべきさまにてとなむ思ひ給ふる」とのたまへば「日比もかくなむのたまへど、ざけなどの人の心たぶらかしてかゝる方にすゝむるやうも侍るなるをとてきゝも入れ侍らぬなり」と聞え給ふ。「ものゝけの敎へにてもそれにまけぬとて惡しかるべき事ならばこそはゞからめ。よわりにたる人の限とて物し給はむことを聞きすぐさむは後のくい心苦しうや」とのたまふ。御心のうちにはかぎりなううしろやすくゆづり置きし御事をうけとり給ひてさしも志深からず、我が思ふやうにはあらぬ御氣色を事にふれつゝ年比聞しめしおぼしつめけること色に出でゝ恨み聞え給ふべきことにもあらねば、世の人の思ひいはむ所も口惜しうおぼしわたるに、かゝる折にもてはなれなむも何かは人わらへに世を恨みたる氣色ならで、さもあらざらむ大かたのうしろみには猶賴まれぬべき御おきてなるを、唯預け置き奉りししるしには思ひなして、にくげに背くさまにはあらずとも、御そうぶんに廣くおもしろき宮給はり給へるを繕ひて住ませ奉らむ、わがおはします世にさる方にても後めたからずきゝおき、又かのおとゞもさいふともいとおろかにはよも思ひ放ち給はじ、その心ばへをも見はてむなどおもほしとりて、「さらばかく物したる序にいむことうけ給はむをだに結緣にせむかし」とのたまはす。おとゞの君うしとおぼす方も忘れてこはいかなるべき事ぞと悲しく口惜しければ得堪へ給はず「うちに入りてなどかういく世しも侍るまじき身をふり捨てゝ、かうはおぼしなりにけるぞ。猶しばし心をしづめ給ひて御湯まゐり物などをもきこしめせ。たふとき事なりとも御身弱うては行ひもし給ひてむや。かつはつくろひ給ひてこそ」と聞え給へど頭ふりて、いとつらうのたまふとおぼしたり。つれなくてうらめしとおぼすこともありけるにやと見奉り給ふにいとほしう哀なり。とかく聞えかへさひおぼしやすらふ程に夜明けがたになりぬ。かへり入らむに道も晝ははしたなかるべしといそがせたまひて御いのりに侍ふ僧の中にやんごとなう尊き限召し入れて御ぐしおろさせ給ふ。いとさかりに淸らなる御ぐしをそぎすてゝいむことうけ給ふ。さはふ悲しく口惜しければおとゞはえ忍びあへ給ばずいみじうない給ふ。院はたもとよりとりわきてやんごとなう人よりもすぐれて見奉らむとおぼしゝを、この世にはかひなきやうになし奉るも飽かず悲しければ、うちしほたれ給ひて「かくてもたひらかにて同じうはねんずをも勤め給へ」と聞えおき給ひて、明けはてぬに急ぎ出でさせ給ひぬ。宮は猶よわう消えいるやうにし給ひてはかばかしうもえ見奉らず物なども聞え給はず。おとゞも「夢のやうに思ひ給へ亂るゝ心まどひにかう昔覺えたるみゆきのかしこまりをもえ御覽ぜられぬらうがはしさは殊更に參り侍りて」など聞え給ふ。御送に人々參らせ給ふ。「世の中のけふかあすかに覺え侍りし程に、又しる人もなくてたゞよはむことの哀にさり難う覺え侍りしかば、御ほ意にはあらざりけめど、かく聞えつけて年比は心安く思ひ給へつるを、もしもいきとまり侍らばさまことにかはりて人繁き住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむ有樣も又さすがに心ぼそかるべくや。さまにしたがひて猶おぼし放つまじくなむ」と聞え給へば、「更にかくまで仰せらるゝなむかへりて耻しう思ひ給へらるゝみだり心ち、とかく亂れ侍りて何事も得辨へ侍らず」とてげにいと堪へがたげにおぼしたり。後夜の御加持に御ものゝけ出で來て「かうぞあるよ。いとかしこう取りかへしつと一人をばおぼしたりしが、いとねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ日比侍らひつる。今は歸りなむ」とてうち笑ふ。いとあさましう、さはこのものゝけのこゝにも離れざりけるにやあらむとおぼすに、いとほしう悔しうおぼさる。宮少しいき出で給ふやうなれど猶賴みがたげにのみ見え給ふ。侍ふ人々もいといふかひなく覺ゆれど、かうてもたひらかにだにおはしまさばと念じつゝ、みずほふまたのべてたゆみなく行はせなどよろづにせさせ給ふ。かの衞門督はかゝる御事を聞き給ふに、いとゞ消え入るやうにし給ひてむげに賴む方すくなうなり給ひにたり。女宮の哀に覺えたまへばこゝに渡り給はむことは今更にかるがるしきやうにもあらむを、上もおとゞもかくつとそひおはすればおのづからとりはづして、見奉り給ふやうもあらむに、味氣なしとおぼして「かの宮にとかくして今一度まうでむ」とのたまふを更に許し聞え給はず。誰にもこの宮の御事を聞えつけ給ふ。初より母御息所はをさをさ心ゆき給はざりしを、このおとゞのゐたちねんごろに聞え給ひて志深かりしにまけ給ひて、院にもいかゞはせむとおぼし許しけるを、二品の宮の御事をおもほし亂れける序に、なかなかこの宮は行くさきうしろやすくまめやかなるうしろみまうけ給へりとのたまはすと聞き給ひしをかたじけなく思ひ出づ。かくて見捨て奉りぬるなめりと思ふにつけてはさまざまにいとほしけれど、心より外なる命なれば堪へぬ契うらめしうて、おぼし歎かれむが心苦しきこと「御志ありてとぶらひ物せさせ給へ」と母上にも聞え給ふ。「いであなゆゝし。後れ奉りてはいくばく世にふべき御身とて、かうまで行くさきの事をばのたまふ」とて泣きにのみなき給へばえ聞えやり給はず、左大辨の君にぞ大方の事どもは委しう聞えつけ給ふ。心ばへのどかに善くおはしつる君なれば、弟の君達も又末々のわかきは親とのみ賴み聞え給へるに、かう心ぼそうのたまふを悲しと思はぬ人なく、殿のうちの人もなげく。おほやけもをしみ口をしがらせ給ふ。かくかぎりと聞しめして俄に權大納言になさせ給へり。よろこびに思ひおこして今一たびも參り給ふやうもやあるとおぼしのたまはせけれど、更にえためらひやり給はで、苦しき中にもかしこまり申し給ふ。おとゞもかく重き御おぼえを見給ふにつけても、いよいよ悲しうあたらしとおぼし惑ふ。大將の君常にいと深う思ひ歎きとぶらひ聞え給ふ。御悅にもまづまうで給へり。このおはする對のほとりこなたのみかどは馬車たちこみ人さわがしうさわぎみちたり。ことしとなりては起きあがる事もをさをさし給はねば重々しき御さまに亂れながらはえ對面し給はで思ひつゝ弱りぬる事と思ふに口をしければ「猶こなたに入らせ給へ。いとらうがはしきさまに侍る罪はおのづからおぼし許されなむ」とて臥し給へる枕がみのかたに僧などしばし出し給ひて入れ奉り給ふ。早うよりいさゝか隔て給ふことなくむつびかはし給ふ御中なれば別れむことの悲しく戀しかるべきなげき、おやはらからの御思ひにも劣らず。今日はよろこびとて心ちよげならましをと思ふにいと口惜しうかひなし。「などかくたのもしげなくはなり給ひにける。今日はかゝる御よろこびに聊すくよかにもやとこそ思ひ侍りつれ」とて、几帳のつまをひきあけ給へれば「いと口惜しうその人にもあらずなりにて侍りや」とて、ゑばうしばかりおし入れて、少し起きあがらむとし給へどいと苦しげなり。白ききぬどもの、懷しうなよゝかなるを數多かさねてふすまひきかけて臥し給へり。おましのあたり物淸げにけはひかうばしう心にくゝぞすみなし給へる。うちとけながら用意ありと見ゆ。重く煩ひたる人はおのづから髮ひげも亂れ物むづかしきけはひもそふ業なるを瘦せさらぼひたるしもいよいよしろうあてはかなるけして、枕をそばだてゝ物など聞え給ふけはひいとよわげに息も絕えつゝあはれげなり。「久しう煩ひ給ふ程よりは殊にいたうもそこなはれ給はざりけり。常の御かたちよりもなかなかまさりてなむ見え給ふ」とのたまふものから淚おしのごひて「後れ先だつ隔なくとこそ契り聞えしがいみじうもあるかな。この御心ちのさまを何事にておもり給ふとだにえ聞きわき侍らず。かく親しきほどながら覺束なくのみ」などのたまふに「心には重くなるけぢめも覺え侍らず。そこぞと苦しきこともなければたちまちにかうも思ひ給へざりし程に、月日も經でよわり侍りにければ、今はうつしごゝろもうせたるやうになむをしげなき身をさまざまにひきとゞめらるゝ。いのりぐわんなどのちからにや、さすがにかゝづらふもなかなか苦しう侍れば心もてなむ急ぎたつ心ちのし侍る。さらばこの世のわかれさりがたきことはいと多うなむ。親にも仕うまつりさして今更に御心どもを惱まし、君に仕うまつる事もなかばの程にて身をかへりみるかたはたましてはかばかしからぬ恨をとゞめつる大方の歎きをばさるものにて又心のうちに思ひ給へ亂るゝことの侍るを、かゝるいまはのきざみにて何かは漏すべきと思ひ侍れど、猶忍びがたきことを誰にかはうれへ侍らむ。これかれ數多ものすれどさまざまなることにて更にかすめ侍らむもあいなしかし。六條院にいさゝかなる事のたがひめありて月比心のうちにかしこまり申すことなむ侍りしを、いとほ意なう世の中心ぼそう思ひなりて病ひづきぬとおぼえ侍りしに、めしありて院の御賀のがくそのこゝろみの日まゐりて御氣色を給はりしに、猶ゆるされぬ御心ばへあるさまに御ましりを見奉り侍りて、いとゞ世にながらへむこともはゞかり多う覺えなり侍りてあぢきなう思ひ給へしに心のさわぎそめて、かくしづまらずなり侍りぬるになむ、人かずにはおぼし入れざりけめど、いはけなう侍りし時より深く賴み申す心の侍りしを、いかなるざうげんなどのありけるにかと、これなむこの世のうれへにて殘り侍りければ、ろなうかの後の世のさまたげにもやと思ひ給ふるを、事のついで侍らば御耳とゞめてよろしうあきらめ申させ給へ。なからむうしろにもこのかうじ許されたらむなむ御德に侍るべき」などのたまふまゝに、いと苦しげにのみ見えまさればいみじうて、心の中に思ひ合する事どもあれどもさしてたしかにはえしも推しはからず、「いかなる御心の鬼にかは。更にさやうなる御氣色もなく、かくおもり給へる由をも聞き驚き歎き給ふ事かぎりなうこそ口をしがり申し給ふめりしか。などかくおぼす事あるにては今まで隔てのこい給ひつらむ。こなたかなたあきらめ申すべかりけるものを、今はいふかひなしや」とてとりかへさまほしく悲しくおぼさる。「げにいさゝかも隙ありつるをりに聞えうけ給はるべうこそ侍りけれ。されどいとかう今日明日としもやはと、みづからながらしらぬ命のほどを思ひのどめ侍りけるもはかなくなむ。この事は更に御心よりもらし給ふまじ。さるべき序侍らむ折には御用意くはへ給へとて聞えおくになむ。一條に物し給ふ宮ことにふれてとぶらひ聞え給へ。心苦しきさまにて院などにも聞しめされ給はむをつくろひ給へ」などのたまふ。いはまほしき事は多かるべけれど心ちせむ方なくなりにければ、出でさせ給ひねと手かき聞え給ふ。加持まゐる僧ども近う參り、上おとゞなどおはし集まりて人々も立ちさわげば、なくなく出で給ひぬ。女御をば更にも聞えずこの大將の御方などもいみじう歎き給ふ。心おきてのあまねく人のこのかみ心に物し給ひければ、右の大殿の北の方もこの君をのみぞむつまじきものに思ひ聞え給ひければ、よろづ思ひなげき給ひて御いのりなどとりわきてせさせ給ひけれど、やむくすりならねばかひなきわざになむありける。女宮にも遂にえ對面し聞え給はであわの消えいるやうにてうせ給ひぬ。年比したの心こそねんごろに深くもなかりしか、大かたにはいとあらまほしくもてなしかしづき聞えてけなつかしう心ばへをかしううちとけぬさまにてすぐい給ひければつらきふしもことになし。唯かく短かりける御身にてあやしくなべての世すさまじく思ひたまふなりけりと思ひ出でたまふに、いみじうておぼし入りたるさまいと心ぐるし。御息所もいみじう人わらへに口惜しと見奉り歎き給ふ事かぎりなし。おとゞ北の方などはましていはむかたなく、われこそさきだゝめ、世のことわりなうつらいことゝ、こがれ給へど何のかひなし。尼宮はおほけなき心もうたてのみ覺されて世にながゝれとしもおぼさゞりしを、かくなど聞き給ふはさすがにいと哀なりかし。若君の御ことをさぞと思ひたりしもげにかゝるべき契にてや、思の外に心うき事もありけむとおぼしよるにさまざま物心ぼそうて打ちなかれ給ひぬ。三月になれば空の氣色も物うらゝかにてこの君いかの程になり給ひていとしろう美くしう、程よりはおよすげて物語などし給ふ。おとゞわたり給ひて「御心ちはさはやかになり給ひにたりや。いでやいとかひなくも侍るかな。例の御ありさまにてかく見なし奉らましかばいかに嬉しう侍らまし。心うくおぼしすてけること」と淚ぐみて恨み聞え給ふ。日々に渡り給ひて今しもやんごとなく限なきさまにもてなし聞え給ふ。御いかにもちひ參らせ給はむとて、かたち殊なる御さまを人々「いかに」など聞えやすらへど、院わたらせ給ひて「何か女に物し給はゞこそ同じすぢにていまいましくもあらめ」とて南面にちひさきおましなどよそひて參らせ給ふ。御乳母いと花やかにさうぞきて御前の物いろいろにつくしたるこものひわりごの心ばへどもを內にもとにももとの心をしらぬことなればとりちらし何心もなきを、いと心苦しうまばゆきわざなりやとおぼす。宮もおき居給ひてみぐしのすゑの所せうひろごりたるをいと苦しとおぼして、ひたひなどなでつけておはするに、几帳をひきやりて居給へばいと耻しうてそむき給へるいとゞちひさうほそり給ひて御ぐしはをしみ聞えて長うそぎたりければうしろはことにけぢめも見え給はぬ程なり。すぎすぎ見ゆるにび色の御ぞども黃がちなる今やう色など着給ひて、まだありつかぬ御かたはらめかくてもうつくしき子どもの心ちしてなまめかしうをかしげなり。「いであな心う。墨染こそ猶いとうたて目もくるゝ色なりけれ。かやうにても見奉ることはたゆまじきぞかしと思ひ慰め侍れど、ふりがたうわりなき心ちする淚の人わろさを、いとかう思ひすてられ奉る身のとがに思ひなすも、さまざまに胸いたう口惜しうなむ。取り返すものにもがなや」と打ち歎き給ひて「今はとて覺しはなれば、誠に御心といとひすて給ひけると耻しう心うくなむ覺ゆべき。猶哀とおぼせ」と聞え給へば「かゝるさまの人は物の哀もしらぬものときゝしを、ましてもとより知らぬ事にていかゞは聞ゆべからむ」とのたまへば「かひなのことや。おぼししる方もあらむものを」とばかりのたまひさして若君を見奉り給ふ。御乳母たちはやんごとなくめやすき限數多さぶらふ。召しいでゝ仕うまつるべき心おきてなどの給ふ。「哀のこりすくなき世におひ出つべき人にこそ」とて抱きとり給へばいと心安くうちゑみてつぶつぶと肥えて白ううつくし。大將などの御ちごおひほのかにおぼし出づるには似給はず、女御の宮たちはた父みかどの御かたざまにわうげづきて氣高うこそおはしませ、殊にすぐれてめでたうしもおはせず。この君いとあてなるにそへてあいぎやうづきまみのかをりてゑみがちなるなどをいと哀と見給ふ。思ひなしにや猶いとようおぼえたりかし。只今ながらまなこゐのどかに耻かしきさまもやうはなれてかをりをかしき顏ざまなり。宮はさしもおぼしわかず人はた更にしらぬことなれば唯一所の御心のうちにのみぞ哀はかなかりける人の契かなと見給ふに、大方の世のさだめなさもおぼし續けられて、淚のほろほろとこぼれぬるを、今日はこといみすべき日をとおしのごひ隱し給ひて「しづかに思ひて嘆くに堪へたり」とうちずじ給ふ。五十八を十とりすてたる御齡なれど末になりぬる心ちし給ひていと物哀におぼさる。なんぢが父にとも諫めまほしうおぼしけむかし。この事の心しれる人女房の中にもあらむかし、しらぬこそねたけれ、をこなりと見るらむと安からずおぼせど我が御咎めあることはあへなむ、ふたついはむには女の御爲こそいとほしけれなどおぼして、色にもいだし給はず、いと何心なう物語して笑ひ給へるまみ口つきのうつくしきも心しらざらむ人はいかゞあらむ。猶いとよく似通ひたりけりと見給ふに、親たちの子だにあれかしとない給ふらむにもえ見せず。人しれずはかなきかたみばかりをとゞめ置きてさばかり思ひあがりおよすげたりし身を心もてうしなひつるよと、哀にをしければめざましと思ふ心もひきかへしうちなかれ給ひぬ。人々すべり隱れたる程に宮の御許により給ひて「この人をばいかゞ見給ふや。かゝる人を拾てゝ背きはて給ひぬべき世にやありける。あな心う」とおどろかし聞え給へば顏うち赤めておはす。

 「たが世にかたねはまきしと人とはゞいかゞ岩根の松はこたへむ。哀なり」など忍びて聞え給ふに、いらへもなうてひれふし給へり。ことわりとおぼせばしひても聞え給はず、いかにおぼすらむ、物深うなどはおはせねど、いかでかはたゞにはと推し量り聞え給ふもいと心苦しうなむ。大將の君はかの心にあまりてほのめかし出でたりしを、いかなる事にかありけむ、少し物覺えたるさまならましかばさばかりうち出でそめたりしに、いとよう氣色を見てましを、いふかひなきとぢめにてをりあしういぶせうあはれにもありしかなと、面影忘れがたくてはらからの君達よりもしひて悲しと覺え給ひけり。女宮のかく世を背き給へる有樣おどろおどろしきなやみにもあらですかやかにおぼし立ちける程よ、又さりとも許し聞え給ふべきことかは、二條のうへのさばかり限にてなくなく申し給ふと聞きしを、いみじきことにおぼして遂にかくかけとゞめ奉り給へるものをなど、取り集めて思ひくだくに、猶昔より絕えず見ゆる心ばへえ忍ばぬ折々もありきかし、いとようもてしづめたるうはべは人よりけに用意あり、のどかに何事をこの人の心の中に思ふらむと、見る人も苦しきまでありしかど、少しよわき所つきてなよび過ぎたりしけぞかし、いみじくともさるまじき事に心をみだり、かくしも身にかふべき事にやはありける、人の爲にもいとほしう我が身はたいたづらにやなすべき、さるべき昔の契といひながらいとかるがるしう味氣なきことなりかしなど心ひとつに思へど、女君にだに聞え出で給はず、さるべきついでなうて院にもまた聞え出で給はざりけり。さるはかゝる事をなむかすめしと申し出でゝ、御氣色も見まほしかりけり。父おとゞ母北の方は淚のいとまなくおぼししづみて、はかなく過ぐる日數をもしり給はず、御わざの法服御さうぞく、なにくれの急ぎをも君達御方々とりどりになむせさせ給ひける。經佛のおきてなども左大辨の君せさせ給ふ。七日七日の御ずきやうなども人の聞えおどろかすにも「われになきかせそ。かくいみじと思ひ惑ふに、なかなか道さまたげにもこそ」とてなきやうに覺しほれたり。一條の宮にはまして覺束なくて別れ給ひにし恨さへそへて、日比ふるまゝに廣き宮のうち人げすくなう心ぼそげにて、親しく使ひならし給ひし人は猶參りとぶらひきこゆ。好み給ひし鷹、馬などその方のあづかりどもゝ皆つく所なう思ひうんじてかすかに出入を見給ふも、ことにふれて哀はつきぬものになむありける。もてつかひ給ひし御調度ども、常にひき給ひし琵琶和琴などの緖もとりはなちやつされて音を立てぬもいとうもれいたきわざなりや。御前の木立いたうけぶりて花は時を忘れぬ氣色なるを詠めつゝものがなしく、侍ふ人々もにび色にやつれつゝ寂しう徒然なる晝つ方、さき華やかに追ふ音してこゝにとまりぬる人あり。「あはれ故殿の御けはひとこそうち忘れて思ひつれ」とて泣くもあり。大將殿のおはしたるなりけり。御せうそこ聞えいれ給へり。例の辨の君、宰相などのおはしたるとおぼしつるをいとはづかしげに淸らなる御もてなしにて入り給へり。もやの廂におましよそひて入れ奉る。おしなべたるやうに人々のあへしらひ聞えむはかたじけなきさまのし給へれば御息所ぞたいめし給へる。「いみじきことを思ひ給へ歎く心はさるべき人々にも越えて侍れど限あれば聞えさせやる方なうて世の常になり侍りにけり。いまはの程にものたまひ置く事侍りしかばおろかならずなむ。誰ものどめ難き世なれば、後れ先だつ程のけぢめには思ひ給へ及ばむにしたがひて深き心の程をも御覽ぜられにしがなとなむ。神わざなどしげき比ほひ私の志にまかせて、つくづくと龍り居侍らむも、例ならぬ事なりければ立ちながらはたなかなかに飽かず思ひ給へらるべうてなむ日比はすぐし侍りにける。おとゞなどの心を亂り給ふさま見聞き侍るにつけても親子の道のやみをばさるものにて、かゝる御中らひの深く思ひとゞめ給ひけむ程を推し量り聞えさするにいと盡きせずなむ」とてしばしばおしのごひ鼻打ちかみ給ふ。あざやかに氣高きものから懷しうなまめいたり。御息所も鼻聲になり給ひて「哀なることはその常なき世のさがにこそは、いみじとても又類ひなき事にやはと、年積りぬる人はしひて心づようさまし侍るを、更におぼし入りたるさまのいとゆゝしきまでしばしも立ち後れ給ふまじきやうに見え侍れば、すべていと心うかりける身の今までながらへ侍りてかくかたがたにはかなき世の末の有樣を見給へすぐすべきにやといとしづ心なくなむ。おのづから近き御なからひにて聞き及ばせ給ふやうも侍りけむ。初めつかたよりをさをさうけひき聞えざりし御ことを、おとゞの御心むけも心苦しう院にもよろしきやうにおぼしゆるいたる御氣色などの侍りしかば、更にみづからの心おきての及ばぬなりけりと思ひ給へなして見奉りつるを、かく夢のやうなることを見給ふるに思ひ給へあはすれば、みづからの心の程なむ同じうは强うもあらがひ聞えましをと思ひ侍るに猶いとくやしう、それもかやうにしも思ひより侍らざりきかし。御子達はおぼろげの事ならで、惡しくも善くも、かやうに世づき給ふことはえ心にくからぬことなりとふるめき心には思ひ侍りしを、いづかたにもよらず中空にうき御すくせなりければ、何かはかゝる序にけぶりにも紛れ給ひなむは、この御身のため人ぎゝなどは殊に口をしかるまじけれど、さりとてもしかすかやかにえ思ひしづむまじう悲しう見奉り侍るに、いと嬉しう淺からぬ御とぶらひの度々になり侍るめるを、ありがたうもと聞え侍るも、さらばかの御契ありけるにこそはと思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、今はとてこれかれにつげおき給ひける御ゆゐごんの哀なるになむ。憂きにも嬉しきせは交り侍りけり」とていといたうない給ふけはひなり。大將もとみにえためらひ給はず「怪しういとこよなくおよすげ給へりし人の、かゝるべうてや、この二三年のこなたなむいたうしめりて物心細げに見え給ひしかば、あまり世のことわりを思ひしり物深うなりぬる人のすみすぎてかゝるためし心うつくしからず、かへりてはあざやかなる方のおぼえうすらぐものなりとなむ、常にはかばかしからぬ心に諫め聞えしかば心あさしと思ひ給へりし、萬よりも人にまさりてげにかのおぼし歎くらむ御心のうちのかたじけなけれど。いと心苦しうも侍るかな」など懷しうこまやかに聞え給ひて、やゝ程經てぞ出で給ふ。かの君は五六年の程のこのかみなりしかど猶いと若やかになまめきあいだれて物し給ひし。これはいとすくよかに重々しく雄々しきけはひして顏のみぞいと若う淸らなること人にすぐれ給へる。若き人々は物悲しさも少し紛れて見出し奉る。御前近き櫻のいとおもしろきを今年ばかりはとうち覺ゆるもいまいましきすぢなりければ「あひ見むことは」と口ずさびて、

 「時しあればかはらぬ色に匂ひけりかたえ枯れにし宿の櫻も」。わざとならず誦じなして立ち給ふに、いととう、

 「この春は柳のめにぞ玉はぬくさきちる花のゆくへしらねば」と聞え給ふ。いと深きよしにはあらねど今めかしうかどありとはいはれ給ひし更衣なりけり。げにめやすき程の用意なりけりと見給ふ。致仕の大殿にやがて參り給へれば君達あまた物し給ひて「こなたに入らせ給へ」とあれば、おとゞの御いでゐのかたに入り給へり。ためらひて對面し給へり。ふりがとう淸げなる御かたちいたう瘠せ衰へて御髭などもとりつくろひ給はねば、しげりて親のけうよりもげにやつれ給へり。見奉り給ふよりいと忍びがたければあまりにをさまらず亂れ落つる淚こそはしたなけれと思へばせめてぞかくし給ふ。おとゞもとりわきて御中よく物し給ひしをと見給ふに、たゞふりに降り落ちてえとゞめ給はず、つきせぬ御事どもを聞えかはし給ふ。一條の宮にまうでたりつる有樣など聞え給ふ。いとゞしく春雨かと見ゆるまで軒の雫にことならずぬらしそへ給ふ。たゝうがみにかの柳のめにぞとありつるをかい給へるを奉り給へば目も見えずやとおししぼりつゝ見給ふ。うちひそみつゝ見給ふ御さま例は心强うあざやかにほこりかなる御氣色名殘なく人わろし。さるは殊なることなかめれど、この玉はぬくとあるふしのげにとおぼさるゝに心亂れて久しうえためらひ給はず。「君の御母君のかくれ給へりし秋なむ、世に悲しきことのきはには覺え侍りしを、女は限ありて見る人すくなうとあることもかゝることもあらはならねば、かなしびもかくろへてなむありける。はかばかしからねどおほやけも捨て給はずやうやう人となりつかさくらゐにつけてあひ賴む人々おのづから次々に多うなりなどして、驚き口惜しがるもるゐにふれてあるべし。かう深き思ひはその大方の世のおぼえもつかさ位もおもほえず、唯ことなることなかりしみづからのありさまのみこそ堪へがたく戀しかりけれ、何ばかりの事にてかは思ひさますべからむ」と、空を仰ぎてながめ給ふ。夕暮の雲の氣色にび色にかすみて花の散りたる梢どもをも今日ぞ目とゞめ給ふ。この御たゝうがみに、

 「木のしたの雫にぬれてさかさまにかすみの衣きたる春かな」。大將の君、

 「なき人もおもはざりけむうちすてゝ夕のかすみ君きたれとは」。辨の君、

 「うらめしや霞のころも誰着よと春よりさきに花の散りけむ」。御わざなど世の常ならずいかめしうなむありける。大將殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことにずきやうなども哀に深き心ばへを加へ給ふ。かの一條の宮にも常にとぶらひ聞え給ふ。卯月ばかりの空はそこはかとなう心ちよげにひとつ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、物思ふ宿は萬の事につけてしづかに心ぼそくくらしかね給ふに例の渡り給へる。庭もやうやう靑み出づる若草見えわたり此處彼處のすなごうすき物のかくれのかたに蓬も所えがほなり。前栽に心いれてつくろひ給ひしも心に任せてしげりあひひとむら薄もたのもしげにひろごりて蟲の音そはむ秋思ひやらるゝより、いと物哀に露けくてわけ入り給ふ。伊豫簾かけわたしてにびいろの几帳の衣がへしたるすきかげ凉しげに見えて、よきわらはのこまやかににばめるかざみのつま頭つきなどほの見えたり。をかしけれど猶目驚かるゝ色なりかし。今日はすのこに居給へばしとねさし出でたり。いとかるらかなるおましなりとて、例の御息所驚かし聞ゆれど、この比なやましとてよりふし給へりとかく聞え紛はす程、御前のこだちども思ふことなげなる氣色を見給ふもいと物哀なり。柏木と楓との物よりけに若やかなる色して枝さしかはしたるを、「いかなるちぎりにか。末あへるたのもしさよ」などの給ひて忍びやかにさしよりて、

 「ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと。御簾のとのへだてあるほどこそうらめしけれ」とてなげしにより居給へり。なよびすがたはたいといたうたをやぎけるをやとこれかれつきしろふ。このあへしらへ聞ゆる少將の君といふ人して、

 「柏木にはもりの神はまさずとも人ならすべき宿の木末か」。「うちつけなる御言の葉になむ淺う思ひ給へなりぬる」と聞ゆれば、げにとおぼすに少しほゝゑみ給ひぬ。御息所少しゐざり出で給ふけはひすればやをらゐなほり給ひぬ。「うき世の中を思ひ給へしづむ月日のつもるけぢめにや、みだり心ちもあやしうほれぼれしうてすぐし侍るを、かく度々かさねさせ給ふ御とぶらひのいとかたじけなきに、思ひ給へおこしてなむ」とて、げに惱ましげなる御けはひなり。「思ほしなげくは世のことわりなれど、又いとさのみはいかゞ。萬の事さるべきにこそは侍るめれ。さすがにかぎりある世になむ」となぐさめ聞え給ふ。この宮こそきゝしよりは心のおく見え給へ、哀げにいかに人わらはれなることをとりそへておぼすらむと思ふもたゞならねば、いたう心とゞめて御有樣も問ひ聞え給ひけり。かたちぞいとまほにはえ物し給ふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたき程にだにあらずは、などて見るめにより人をもおもひあき又さるまじきに心をも惑はすべきぞ、さまあしや、唯心ばせのみこそいひもてゆかむにはやんごとなかるべけれとおぼす。「今は猶昔におもほしなずらへて疎からずもてなさせ給へ」など、わざとけさうびてはあらねどねんごろに氣色ばみて聞え給ふ。直衣姿いとあざやかにてたけだちものものしうそゞろかにぞ見え給ひける。かのおとゞは萬の事なつかしうなまめき、あてに愛敬づき給へることのならびなきなり。これはをゝしう華やかにあなきよらとふと見えたまふ。「にほひぞ人に似ぬや」とうちさゝめきて、「同じうはかやうにても出で入り給はましかば」など人々いふめり。「いうしやうぐんがつかに草はじめてあをし」とうち口ずさひて、それもいと近き世のことなれどさまざま近う遠う心みだるやうなりし世の中に高きも降れるもをしみあたらしがらぬはなきもうべうべしき方をばさるものにて怪しう情をたてたる人にぞ物し給ひければ、さしもあるまじきおほやけ人女房などの年ふるめきたるどもさへ戀ひかなしび聞ゆる。ましてうへには御遊などの折ごとにまづおぼし出でゝなむしのばせ給ひける。あはれ衞門督のといふことくさ、何事につけてもいはぬ人なし。六條院にはまして哀とおぼし出づること月日にそへておほかり。この若君を御心ひとつにはかたみと見なし給へど、人の思ひよらぬことなればいとかひなし。秋つかたになればこの君ははひゐざりなど。


橫笛

故權大納言のはかなくうせ給ひにし悲しさを飽かず口をしきものに戀ひ忍び給ふ人おほかり。六條院にも大かたにつけてだに世にめやすき人のなくなるをば惜み給ふ御心に、ましてこれは朝夕したしく參り馴れつゝ人よりも御心留めおぼしたりしかば、いかにぞやおぼし出づることはありながら、あはれはおほく折々につけて忍び給ふ。御はてにもず經などとりわきせさせ給ふ。よろづもしらずがほにいはけなき御有樣を見給ふにも、さすがにいみじく哀なれば御心のうちにまた心ざし給ひてこがね百兩をなむべちにせさせ給ひける。おとゞは心もしらでぞかしこまり悅び聞えさせ給ふ。大將の君もことゞもおほくしたまふ。とりもちてねんごろに營み給ふ。かの一條の宮をもこの程の御志深くとぶらひ聞え給ふ。はらからの君達よりもまさりたる御心の程をいとかくは思ひ聞えざりきとおとゞうへも喜び聞え給ふ。なき跡にも世の覺えおもくものし給ひける程の見ゆるに、いみじうあたらしうのみおぼしこがるゝことつきせず。山のみかどは二の宮もかく人わらはれなるやうにてながめ給ふなり。入道の宮もこの世の人めかしきかたはかけはなれ給ひぬれば、さまざまに飽かずおぼさるれど、すべてこの世をおぼしなやまじと忍び給ふ。御おこなひの程にも同じ道をこそはつとめ給ふらめなどおぼしやりて、かゝるさまになり給ひて後ははかなき事につけても絕えず聞え給ふ。御寺のかたはら近き林にぬき出でたるたかうな、そのわたりの山にほれるところなどの山里につけてはあはれなれば奉れ給ふとて、御文こまやかなるはしに「春の野山霞もたどたどしけれど、志深く堀り出させて侍るしるしばかりになむ、

  世をわかれ入りなむ道はおくるともおなじ所を君もたづねよ。いとかたきわざになむある」と聞え給へるを淚ぐみて見給ふほどに、おとゞの君わたり給へり。れいならず御前近きらいしどもをなぞあやしと御覽ずるに院の御文なりけり。見給へばいと哀なり。けふかあすかの心ちするを對面の心にかなはぬことなど、こまやかに書かせ給へり。このおなじ所の御ともなひを殊にをかしきふしもなきひじりごとばなれどげにさぞおぼすらむかし。われさへおろかなるさまに見え奉りて、いとゞ後めたき御思ひのそふべかめるを、いといとほしとおぼす。御返りつゝましげに書き給ひて御使には靑にびの綾一かさね賜ふ。書きかへ給へりけるかみの御几帳のそばよりほの見ゆるをとりて見給へば、御手はいとはかなげにて、

 「うき世にはあらぬところのゆかしくてそむく山路に思ひこそいれ」。うしろめたげなる御氣色なるに「このあらぬ所もとめ給へるいとうたて心うし」と聞え給ふ。今はまほにも見え奉り給はず、いとうつくしうらうたげたる御ひたひがみつらつきのをかしさ、唯ちごのやうに見え給ひていみじうらうたきを見奉り給ふにつけては、などかうはなりにしことぞと罪えぬべくおぼさるれば、御几帳ばかり隔てゝ又いとこよなうけどほくうとうとしうはあらぬ程にもてなし聞えてぞおはしける。若君は乳母の許にねたまへりける、起きてはひ出で給ひて御袖をひきまつはれ奉り給ふさまいとうつくし。白きうすものにからの小紋の紅梅の御ぞの裾、いと長くしどけなげにひきやられて御身はいとあらはにてうしろのかぎりに着なし給へるさまは、例のことなれどいとらうたげにしろくそびやかに柳をけづりてつくりたらむやうなり。かしらは露草して殊更に色どりたらむ心ちして口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに耻しうかをりたるなどは猶いとよく思ひ出でらるれど、かれはいとかやうにきははなれたる淸らはなかりしものをいかでかゝらむ、宮にも似奉らず今より氣高くものものしうさまことに見え給へる氣色などは、我が御かゞみのかげにも似げなからず見なされ給ふ。僅に步みなどし給ふ程なり、このたかうなのらいしになにともしらず立ちよりていとあわたゞしうとりちらしてくひかなぐりなどしたまへば「あならうがはしや。いとふびんなり。かれとりかくせ。くひものに目とゞめ給ふと物いひさがなき女房もこそいひなせ」とて笑ひ給ふ。かきいだき給ひて「この君のまみのいと氣色あるかな。ちひさきほどのちごを數多見ねばにやあらむ、かばかりの程は唯いはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはひことなるこそ煩はしけれ。女宮ものし給ふめるあたりにかゝる人おひ出でゝ心苦しきことたがためにもありなむかし。あはれそのおのおのゝおひゆく末までは見もはてむとすらむやは、花の盛はありなめど」とうちまもり聞え給ふ。「うたてゆゝしき御ことにも」と人々はきこゆ。御齒のおひ出づるにくひあてむとて、たかうなをつとにきりもちてしづくもよゝとくひぬらし給へば「いとねぢけたる色ごのみかな」とて、

 「うきふしも忘れずながらくれ竹のこはすてがたきものにぞありける」とゐてはなちてのたまひかくれどうち笑ひて何とも思ひたらず、いとそゝかしうはひおりさわぎ給ふ。月日にそへてこの君のうつくしうゆゝしきまでおひまさり給ふに、誠にこのうきふし皆おぼし忘れぬべし。この人のいでものし給ふべき契にてさる思の外の事もあるにこそはありけめ、遁れがたかなるわざぞかしと少しはおぼしなほさる。みづからの御すくせも猶飽かぬことおほかり。數多つどへ給へる中にもこの宮こそはかたほなる思ひまじらず、人の御有樣も思ふにあかぬ所なくてものし給ふべきを、かく思はざりしさまにて見奉ることゝおぼすにつけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく猶くちをしかりける。大將の君はかの今はのとぢめにとゞめしひとことを心ひとつに思ひ出でつゝ、いかなりしことぞとはいときこえまほしう、御氣色もゆかしきを、ほの心えて思ひよらるゝこともあれば、なかなかうち出で聞えむもかたはらいたくて、いかならむついでにこの事の委しき有樣もあきらめ又かの人の思ひ入りたりしさまをも聞しめさせむと思ひわたり給ふ。秋の夕の物哀なるに一條の宮を思ひやり聞え給ひてわたり給へり。うちとけしめやかに御琴どもなどひき給ふ程なるべし。深くもえとりやらで、やがてそのみなみの廂にいれ奉りたまへり。端つかたなりつる人のゐざり入りつるけはひどもしるく、きぬのおとなひも大方のにほひかうばしく心にくきほどなり。例の御息所對面し給ひて昔の物語ども聞えかはし給ふ。わが御とのゝ明暮人しげく物さわがしく幼き君達などすだきあわて給ふにならひ給ひていと靜に物あはれなり。うちあれたる心ちすれどあてにけだかくすみなし給ひてぜんざいの花ども蟲の音しげき野邊とみだれたるゆふばえを見わたし給ふ。わごんをひきよせ給へればりちにしらべられていとよく彈きならしたる、ひとがにしみてなつかしうおぼゆ。かやうなるあたりに思ひのまゝなるすき心ある人はしづむることなくて、さま惡しきけはひをもあらはし、さるまじき名をもたつるぞかしなど思ひ續けつゝ搔きならし給ふ。故君の常にひき給ひしことなりけり、をかしき手ひとつなどすこしひき給ひて「哀いと珍らかなるねにかきならし給ひしはや。この御ことにもこもりて侍らむかし。承りあらはしてしがな」との給へば「ことのをたえにし後より昔の御わらはあそびの名残をだに思ひ出で給はずなむなりにて侍るめる。院の御前にて女宮たちのとりどりの御ことゞも試みきこえ給ひしにもかやうの方はおぼめかしからず物し給ふとなむ定め聞え給ふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりてながめすぐし給ふめれば、世のうきつまにといふやうになむ見給ふる」と聞き給へば「いとことわりの御おもひなりや。かぎりだにある」と打ちながめて琴はおしやり給へれば「かれなほさらば聲に傅はることもやと聞きわくばかりならさせ給へ。物むつかじう思う給へ沈める耳をだにあきらめ侍らむ」と聞え給ふを「しかつたはるなかのをはことにこそ侍らめ。それをこそ承らむと聞えつれ」とて御簾のもと近くおしよせたまへど頓にしもうけひき給ふまじきことなればしひても聞え給はず。月さし出でゝ曇りなき空に羽根うちかはす雁がねもつらをはなれぬ、うらやましく聞き給ふらむかし。風のはだ寒く物哀なるにさそはれて箏の琴をいとほのかに搔き鳴し給へるもおくふかき聲なるにいとゞ心とまりはてゝなかなかにもおもほゆれば、琵琶をとりよせていとなつかしきねに想夫戀をひき給ふ。「思ひおよびがほなるはかたはらいたけれど、これはことゝはせ給ふべくや」とてせちにすのうちをそゝのかし聞え給へどましてつゝましきさしいらへなれば、宮は唯物のみあはれとおぼしつゞけたるに、

 「ことに出でゝいはぬをいふにまさるとは人にはぢたる氣色をぞみる」と聞え給ふにたゞすゑつかたをいさゝかひき給ふ。

 「ふかき夜の哀ばかりはきゝわけどことよりほかにえやはいひける」。飽かずをかしきほどに、さるおほどかなる物のねがらに深き人の心しめてひき傅へたる、おなじしらべの物といへど哀に心すごきものゝかたはしをかきならして止み給ひぬればうらめしきまでおぼゆれど「すきずきしさをさまざまにひき出でゝも御覽ぜられぬるかな。秋の夜ふかし侍らむも昔のとがめやとはゞかりてなむ罷で侍りぬべかめる。又殊更に心してなむさぶらふべきをこの御琴どものしらべかへずまたせ給はむや、引き違ふることも侍りぬべき世なれば後めたくこそ」などまほにはあらねど打ちにほはしおきて出で給ふ。「今宵の御すきには人ゆるし聞えつべくなむありける。そこはかとなきいにしへがたりにのみまぎらはさせ給ひて、玉のをにせむ心ちもし侍らぬ、殘りおほくなむ」とて、御贈物に笛をそへて奉れ給ふ。「これになむ誠にふるきことも傳はるべく聞きおき侍りしを、かゝる蓬生にうづもるゝも哀に見給ふるを、御さきにきほはむ聲なむよそながらもいぶかしく侍る」と聞え給へば「似つかはしからぬ隨身にこそ侍るべけれ」とて見給ふに、これもげに世と共に身にそへてもあそびつゝ、みづからも、更にこれが音のかぎりはえ吹きとほさず、思はむ人にいかで傅へてしがなと折々聞えごち給ひしを思ひ出で給ふに今少しあはれおほくそひて試に吹きならす。はんしきでうのなからばかり吹きさして「昔を忍ぶひとりごとはさても罪ゆるされ侍りけり。これはまばゆくなむ」とて出で給ふに、

 「露しげきむぐらの宿にいにしへの秋にかはらぬ蟲のこゑかな」ときこえいだし給へり。

 「橫笛のしらべはことにかはらぬを空しくなりしねこそつきせね」。いでがてにやすらひ給ふに夜もいたく更けにけり。殿にかへりたまへれば格子などおろさせて皆寢給ひにけり。この宮に心かけ聞え給ひてかくねんごろがり聞え給ふぞなど人の聞えしらせければ、かやうに夜ふかし給ふもなまにくゝて入り給ふをもきくきく寢たるやうにて物し給ふなるべし。「いもと我といるさの山の」と聲はいとをかしうてひとりごち謠ひて「こはなぞかくさしかためたる。あなうもれや、今夜の月を見ぬ里もありけり」とうめき給ふ。格子あげさせ給うて御簾まきあげなどし給ひて端近く臥し給へり。「かゝる夜の月に心やすく夢みる人はあるものか。少し出で給へ。あな心う」など聞え給へど心やましう打ち思ひて聞き忍び給ふ。君達のいはけなくねをびれたるけはひなどこゝかしこにうちして女房もさしこみて臥したる、ひとげもにぎはゝしきにありつる所の有樣思ひあはするにおほくかはりたり。この笛をうち吹き給ひつゝいかに名殘もながめ給ふらむ、御琴どもはしらべ變らず遊び給ふらむかし、御息所も和琴の上手ぞかしなど思ひやりてふし給へり。いかなれば故君の唯大方の心ばへはやんごとなくもてなし聞えながらいと深き氣色なかりけむと、それにつけてもいといぶかしう覺ゆ。見おとりせむことこそいとほしかるべけれ、大方の世につけてもかぎりなく聞くことは必ずさぞあるかしなど思ふに、我が御中のうちけしきばみたる思ひやりもなくてむつびそめたる年月の程をかぞふるに、哀にいとかうおしたちておごりならひ給へる、ことわりに覺え給ひけり。少し寢入り給ひつる夢にかの衞門督唯ありしさまのうちきすがたにてかたはらにゐてこの笛をとりて見る、夢のうちにもなき人のわづらはしうこの聲をたづねてきたると思ふに、

 「笛竹にふきよる風のごとならば末の世ながきねにつたへなむ。思ふかたことに侍りき」といふを、問はむと思ふ程に、若君のねおびれてなき給ふ御聲にさめ給ひぬ。この君いたくなき給ひてつだみなどし給へば乳母もおきさわぎ上もおほとなぶら近くとりよせさせ給ひて耳ばさみしてそゝくりつくろひて抱きて居たまへり。いとよく肥えてつぶつぶとをかしげなる胸をあけてちなどくゝめ給ふ。ちごもいとうつくしうおはする君なれば白くをかしげなるに御ちはいとかはらかなるを心をやりてなぐさめ給ふ。男君もよりおはして「いかなるぞ」などのたまふ。うちまきしちらしなどしてみだりがはしきに夢の哀もまぎれぬべし。「なやましげにこそ見ゆれ。今めかしき御有樣の程にあくがれ給うて夜ふかき御月めでに格子もあげられたれば、例のものゝけの入りたるなめり」など、いと若くをかしきかほしてかこち給へば、うちわらひて「あやしのものゝけのしるべや。まろ格子あげずは道なくてげにえ入りこざらまし。數多の人のおやになり給ふまゝに思ひいたりふかく物をこそのたまひなりにたれ」とてうち見やり給へるまみのいとはづかしげなれば、さすがに物ものたまはで「いで給ひね。見ぐるし」とてあきらかなるほかげをさすがに耻ぢ給へるさまもにくからず。まことにこの君なづみて泣きむつがり明し給ひつ。大將の君も夢おぼし出づるにこの笛のわづらはしうもあるかな、人の心とゞめて思へりしものゝゆくべき方にもあらず、女の御傅へはかひなきをや、いかゞ思ひつらむ、この世にて數に思ひ入れぬこともかのいまはのとぢめに一念のうらめしきにも、もしは哀とも思ふにまつはれてこそは、長き世の闇にも惑ふわざなゝれ、かゝればこそは何事にもしうはとゞめじと思ふよなれなど、おぼしつゞけておたぎにずきやうせさせ給ふ。又かの心よせの寺にもせさせ給ひて、この笛をばわざと人のさるゆゑ深きものにてひき出で給へりしを、たちまちに佛の道におもむけむも尊きことゝはいひながらあへなかるべしと思ひて六條院に參り給ひぬ。女御の御方におはしますほどなりけり、三の宮三つばかりにて中にうつくしくおはするを、こなたにぞ又とりわきておはしまさせ給ひける。走り出で給ひて「大將こそ宮いだき奉りてあなたへゐて坐せ」とみづからかしこまりていとしどけなげにのたまへばうち笑ひて「おはしませ。いかでか御簾の前をば渡り侍らむ、いときやうぎやうならむ」とて抱き奉りて居給へれば「人も見ず。まろが顏はかくさむ。なほなほ」とて御袖してさしかくし給へば、いとうつくしうてゐて奉り給ふ。こなたにも二宮の若君とひとつにまじりて遊び給ふを、うつくしう見ておはしますなりけり。すみの間のほどにおろし奉り給ふを、二宮見つけ給ひて「まろも大將に抱かれむ」との給ふを、三宮「あが大將をや」とてひかへ給へり。院も御覽じて「いとみだりがはしき御有樣どもかな。おほやけの御近きまもりを、わたくしの隨身にりやうぜむと爭ひ給ふよ。三宮こそいとさがなくおはすれ。常にこのかみにきほひ申し給ふ」と諫め聞えあつかひ給ふ。大將も笑ひて「二宮はこよなくこのかみ心に所さり聞え給ふ御心淸くなむおはしますめる。御年のほどよりはおそろしきまで見えさせ給ふ」など聞え給ふ。うちゑみて、いづれをもいとうつくしと思ひ聞えさせ給へり。「見苦しくかるがるしきくぎやうの御座なり。あなたにこそ」とて渡り給はむとするに、宮たちまつはれて更にはなれ給はず。宮の若君は宮達の御つらにはあるまじきぞかしと御心のうちにおぼせどなかなかその御心ばへを母宮の御心の鬼にや思ひよせ給ふらむと、これも心のくせにいとほしう思さるれば、いとらうたきものに思ひかしづき聞え給ふ。大將はこの君をまだえよく見ぬかなとおぼして、御簾の隙よりさし出で給へるに、花の枝のかれて落ちたるをとりて見せ奉りてまねき給へばはしりおはしたり。ふたあゐのなほしのかぎりを着ていみじう白うひかりうつくしきこと御子達よりもこまかにをかしげにてつぶつぶときよらなり。なまめとまる心もそひて見ればにや、まなこゐなどこれは今すこし强うかどあるさままさりたれど、まじりのとぢめをかしうかをれる氣色などいとよく覺え給へり。口つきのことさらに華やかなるさましてうちゑみたるなど、わがめのうちつけなるにやあらむ、おとゞは必ず思しますらむと、いよいよ御氣色ゆかし。宮たちは思ひなしこそけだかけれ、世の常のうつくしきちごどもと見え給ふに、この君はいとあてなるものからさまことにをかしげなるを見くらべ奉りつゝ、いで哀若しうたがふゆゑもまことならば、父おとゞのさばかり世にいみじう思ひほれ給ひて、こと名のり出でくる人だになきとかたみに見るばかりの名殘をだにとゞめよかしとなきこがれ給ふに、聞かせ奉らざらむ罪えがましさなど思ふも、いでいかでさはあるべきことぞと猶心えず思ひよるかたなし。心ばへさへなつかしうあはれにてむつれ遊び給へばいとらうたくおぼゆ。對へわたり給ひぬればのどやかに御物語など聞えておはする程に日も暮れかゝりぬ。よべかの一條の宮に詣でたりしにおはせし有樣など聞え出で給ひつるを、ほゝゑみてきゝおはす。哀なる昔のことかゝりたるふしぶしはあへしらへなどし給ふに「かの想夫戀の心ばへはげにいにしへのためしにもひき出づべかりける折ながら、女はなほ人の心うつるばかりのゆゑよしをもおぼろげにては漏らすまじうこそありけれと思ひしらるゝ事どもこそ多かれ。過ぎにし方の志を忘れずかく長き用意を人にしられぬとならば、おなじうは心ぎよくてとかくかゝづらひゆかしげなきみだれなからむや。誰がためも心にくゝめやすかるべきことならむとなむ思ふ」とのたまへば、さかし、人のうへの御をしへばかり心づよげにてかゝるすきはいでやと見奉り給ふ。「何のみだれか侍らむ。猶常ならぬ世の哀をかけそめ侍りにしあたりに心みじかくはべらむこそなかなか世のつねの嫌疑ありがほに侍らめとてこそ。想夫戀は心とさしすぎてこといで給はむやにくきことに侍らまし。物の序にほのかなりしはをりからのよしづきてをかしうなむ侍りし。何事も人により事に隨ふわざにこそ侍るべかめれ。よはひなどもやうやういたう若び給ふべき程にもものし給はず、またあざれがましくすきずきしき氣色などに物なれなどもし侍らぬに、うちとけ給ふにや、大かたなつかしうめやすき人の御有樣になむ物し給ひける」など聞え給ふに、いとよきついでつくり出でゝ少し近く參りより給ひてかの夢がたりを聞え給へば、頓に物ものたまはで聞しめしておぼしあはすることゞもあり。「その笛はこゝに見るべきゆゑあるものなり。かれは陽成院の御笛なり。それを故式部卿宮のいみじきものにし給ひけるをかの衞門督は童よりいとことなるねを吹き出でしにかんじてかの宮の萩の宴せられける日贈物にとらせ給へるなり。女の心は深くもたどりしらずしか物したるなゝり」などのたまひて、末の世のつたへは又いづかたにとかは思ひまがへむ、さやうに思ひなりけむかしなどおぼして、この君もいといたり深き人なれば思ひよることあらむかしとおぼす。その御氣色を見るにいとゞはゞかりて頓にも打ち出できこえ給はねど、せめて聞かせ奉らむの心あれば、今しもことのついでに思ひ出でたるやうにおぼめかしうもてなして「今はとせし程にとぶらひにまかりて侍りしに、なからむ後のことゞもいひ置き侍りし中にしかじかなむ深くかしこまり申すよしを返す返すものし侍りしかば、いかなることにか侍りけむ、今にその故をなむえ思ひ給へより侍らねばおぼつかなく侍る」といとたどたどしげに聞え給ふに、さればよとおぼせど何かはそのほどのこと顯はしのたまふべきならねば、しばしおぼめかしくて「しか人のうらみとまるばかりの氣色は何のついでにかもり出でけむと、みづからもえ思ひ出でずなむ。さて今しづかにかの夢は思ひ合せてなむ聞ゆべき。よるかたらずとか、女房のつたへにいふことなり」とのたまひて、をさをさ御いらへもなければ、うちいできこえてけるを、いかにおぼすにかとつゝましくおぼしけるとぞ。


鈴蟲

夏頃はちすの花の盛に入道の姬宮の御持佛どもあらはしいで給へる供養せさせ給ふ。このたびはおとゞの君の御志にて御念誦堂の具どもこまかにとゝのへさせ給へるをやがてしつらはせ給ふ。はたのさまなどなつかしう心ことなる唐の錦をえらびぬはせ給へり。紫の上ぞいそぎせさせ給ひける。花づくゑのおほひなどをかしきめぞめもなつかしうきよらなる匂ひそめつけられたる心ばへめなれぬさまなり。よるの御帳のかたびらをよおもてながらあげて後の方に法華のまだらかけ奉りて、しろがねの花がめに高くことごとしき花の色をととのへて奉れり。みやうがうには唐の百步のかうをたき給へり。あみだ佛、脇士の菩薩、おのおのびやくだんして造り奉りたる、こまかに美くしげなり。閼伽の具は例のきはやかにちひさくて、靑き白き紫のはちすをとゝのへて、荷葉の方を合せたる名香、みちをかくしほろゝげてたきにほはしたるひとつかをりに匂ひあひていとなつかし。經は六道のすじやうのために六部かゝせ給ひて、みづからの御持經は院ぞ御手づからかゝせ給ひける。これをだにこの世の結緣にてかたみに導きかはし給ふべき心を願文に作らせ給へり。さては阿彌陀經唐の紙はもろくて朝夕の御てならしにもいかゞとて、かんやの人をめして殊に仰事給ひて、心ことにきよらにすかせ給へるに、この春の頃ほひより御心とゞめて急ぎかゝせ給へるかひありてはしを見給ふ人々目もかゞやきまどひ給ふ。けかけたるかねのすぢよりも墨づきの上に輝くさまなどもいとなむめづらかなりける。軸、表紙、箱のさまなどいへばさらなりかし。これは殊にぢんのけそくの机にすゑて、佛の御おなじ帳臺の上にかざられ給へり。堂かざりはてゝ講師まうのぼりぎやうだうの人々參りつどひ給へば、院もあなたに出で給ふとて宮のおはします西の廂にのぞき給へれば、せばき心ちするかりのしつらひに所せくあつげなるまで、ことごとしくさうぞきたる女房五六十人ばかりつどひたり。北の廂の簀子までわらはべなどはさまよふ。火取どもあまたしてけぶたきまであふぎちらせば、さしより給ひて、「そらにたくはいづくの煙ぞと思ひわかれぬこそよけれ。富士の峯よりもげにくゆりみち出でたるはほいなきわざなり。かうぜちのをりは大方のなりをしづめてのどかに物の心もきゝわくべきことなれば、はゞかりなききぬのおとなひ人のけはひしづめてなむよかるべき」など、例の物ふかゝらぬ若人どもの用意をしへ給ふ。宮は人げにおされ給ひていとちひさくをかしげにてひれふし給へり。「若君らうがはしからむ。抱きかくし奉れ」などのたまふ。北のみさうじも取り放ちて御簾かけたり。そなたに人々はいれ給ふ。しづめて宮にも物の心しり給ふべきしたかたを聞えしらせ給ふ。いと哀に見ゆ。おましを讓り給へる佛の御しつらひ見やり給ふもさまざまに、「かゝる方の御營みをも諸共に急がむものとは思ひよらざりしことなり。よし後の世にだにかの花のなかのやどりに隔てなくとおもほせ」とて、うちなき給ひぬ。

 「はちす葉をおなじうてなと契りおきて露のわかるゝけふぞ悲しき」と御硯にさしぬらして香染めなる御扇に書きつけ給へり。宮、

 「へだてなく蓮の宿をちぎりても君がこゝろやすまじとすらむ」と書き給へれば、「いふかひなくもおもほしくたすかな」と打ち笑ひながら、猶哀と物をおもほしたる御氣色なり。例のみこたちなどもいとあまた參り給へり。御かたがたよりわれもわれもといとなみ出で給へる御ほうもちのありさま心ことに所せまきまで見ゆ。七僧の法服などすべて大方のことゞもは皆紫の上せさせ給へり。綾のよそひにて袈裟の縫目まで見しる人は世になべてならずとめでけりとや。むつかしうこまかなる事どもかな。かうじのいとたふとく事の心を申してこの世にすぐれ給へる盛を厭ひはなれ給ひて、長きよゝにたゆまじき御契を法華經に結び給ふ。尊く深きさまをあらはして只今の世に才もすぐれゆだけきさきらをいとゞ心していひつゞけたる、いとたふとければ皆人々しほたれ給ふ。これはたゞ忍びて御念誦堂のはじめとおぼしたることなれど、內にも山のみかども聞しめして皆御使どもあり。みず經のふせなどいと所せきまでにはかになむことひろごりける。院にまうけさせ給へりける事どもそぐとおぼしゝかど、世の常ならざりけるをまいて今めかしき事どもの加はりたれば、夕の寺におき所なげなるまで所せきいきほひになりてなむ僧どもはかへりける。今しも心苦しき御心そひてはかりもなくかしづき聞え給ふ。院のみかどはこの御そうぶんの宮に住みはなれ給ひなむも、つひのことにてめやすかりぬべく聞え給へど「よそよそにては覺束なかるべし。明暮見奉り聞えうけ給はらむことをこたらむにほいたがひぬべし。げにありはてぬ世いくばくあるまじけれど猶生ける限の志をだに失ひはてじ」と聞え給ひつゝかの宮をもいとこまかに淸らにつくらせ給ふ。みふの物ども、國々のみさう、み牧などより奉るものどもはかばかしきさまのは皆かの三條の宮の御藏に納めさせ給ふ。又もたてそへさせ給ひて樣々の御寶ものども院の御そうぶんに數もなく賜はり給へるなどあなたざまの物は皆かの宮に運びわたしこまかにいかめしうしおかせ給ふ。明暮の御かしづきそこらの女房のことゞもかみしものはぐゝみはおしなべて我が御あつかひにてなむ急ぎ仕うまつらせ給ひける。秋頃西の渡殿の前の中の塀の東のきはをおしなべて野につくらせ給へり。あかの棚などしてその方にしなさせ給へる御しつらひなどいとなまめきたり。御弟子にしたひ聞えたる尼ども御乳母ふる人どもはさるものにて、若きさかりのも心さだまりさる方にて世を盡しつべきかぎりはえりてなむなさせ給ひける。さるきほひにはわれもわれもときしろひけれどおとゞの君聞しめして「あるまじきことなり、心ならぬ人すこしもまじりぬればかたへの人苦しうあはあはしき聞え出でくるわざなり」と諫め給ひて十餘人ばかりの程ぞかたちことにてはさぶらふ。この野に蟲どもはなたせ給ひて風すこし凉しくなり行く夕暮に渡り給ひて、蟲の音きゝ給ふやうにて猶思ひ離れぬさまを聞えなやまし給へば、例の御心はあるまじきにこそあなれと偏にむつかしきことに思ひ聞え給へり。人目にこそ變ることなくもてなし給ひしが、うちにはうきをしり給ふ氣色しるくこよなう變りにし御心をいかで見え奉らじの御心にておほうは思ひなり給ひにし御世のそむきなれば今はもてはなれて心やすきに猶かやうになど聞え給ふぞ、苦しうて人ばなれたらむ御住まひにもがなとおぼしなれど、およすけてえさもしひ申し給はず。十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮に佛のお前に宮おはして端近うながめ給ひつゝ念誦し給ふ。若き尼君たち二三人花奉るとてならすあかつきの音、水のけはひなど聞ゆる、さまかはりたるいとなみにそゝぎあへる、いと哀なるに例のわたり給ひて「蟲の音いとしげう亂るゝ夕かな」とて、われも忍びてうち誦じ給ふ。阿彌陀のだいずいとたふとくほのぼの聞ゆ。げに聲々聞えたる中に鈴蟲のふり出でたるほどはなやかにをかし。「秋の蟲の聲いづれとなき中に松蟲のなむすぐれたるとて、中宮の遙けき野邊を分けていとわざと尋ねとりつゝはなたせ給へる、しるく鳴きつゝふるこそすくなかなれ。名にはたがひて命の程はかなき蟲にぞあるべき。心にまかせて人聞かぬ奧山遙けき野の松原に聲をしまぬもいとへだて心ある蟲になむありける。鈴蟲は心やすく今めいたるこそらうたけれ」などのたまへば、宮、

 「大かたの秋をばうしとしりにしをふり捨てがたきすゞむしの聲」と忍びやかにのたまふ、いとなまめいてあてにおほどかなり。「いかにとかや。いで思の外なる御事にこそ」とて、

 「こゝろもて草のやどりをいとへどもなほすゞ蟲の聲ぞふりせぬ」など聞え給ひてきんの御琴召して珍しく彈き給ふ。宮御すゞひきをこたり給ひて御琴に猶心いれ給へり。月さし出でゝ、いと華やかなる程も哀なるに空をうちながめて世の中さまざまにつけて、はかなく移り變る有樣もおぼしつゞけられて、例よりも哀なる音にかきならし給ふ。今夜は例の御遊にやあらむとおしはかりて兵部卿の宮渡り給へり。大將の君殿上人のさるべきなど具して參りたまへれば、こなたにおはしますと御琴の音を尋ねてやがて參り給ふ。「いとつれづれにてわざと遊びとはなくとも、久しく絕えにたる珍しき物のねなど聞かまほしかりつるひとりごとをいとよう尋ね給ひける」とて宮もこなたにおましよそひて入れ奉り給ふ。うちのお前に今夜は月の宴あるべかりつるをとまりてさうざうしかりつるに、この院に人々參り給ふと聞き傅へて、これかれ上達部なども參り給へり。蟲の音のさだめをし給ひて御琴どもの聲々かきあはせておもしろき程に、「月見る宵のいつとても物哀ならぬをりはなき中に、今宵のあらたなる月の色にはげに猶我が世のほかまでこそよろづ思ひながさるれ。故權大納言何の折々にもなきにつけていとゞ忍ばるゝことおほく、おほやけわたくし物の折ふしのにほひうせたる心ちこそすれ。花鳥の色にも音にも思ひわきまへいふかひあるかたのいとうるさかりしものを」などのたまひ出でゝみづからもかき合せ給ふ御琴の音にも袖ぬらし給ひつ。御簾の內にも耳とゞめてや聞き給ふらむと片つ方の御心にはおぼしながら、かゝる御遊の程にはまづ戀しう內などにもおぼし出でける。「今宵は鈴蟲のえんにて明してむ」とおぼしのたまふ。御かはらけふたわたりばかり參る程に冷泉院より御せうそこあり。御前の御あそび俄にとまりぬるを口をしがりて、左大辨、式部大輔、又人々ひきゐてさるべきかぎり參りたれば、大將などは六條院にさぶらひ給ふと聞しめしてなりけり。

 「雲の上をかけはなれたるすみかにも物わすれせぬ秋の夜の月。おなじくば」と聞え給へれば「なにばかり所せき身の程にもあらずながら今はのどやかにおはしますに、參りなるゝこともをさをさなきを、ほいなきことにおぼしあまりて驚かさせ給へるかたじけなし」とて俄なるやうなれど參り給はむとす。

 「月かげはおなじ雲居に見えながらわが宿からの秋ぞかはれる」。異なることなかめれど唯昔今の御有樣のおぼし續けられけるまゝなめり。御使にさかづき賜ひて祿いと二なし。人々の御車次第のまゝにひきなほし、御前の人々立ちこみてしづかなりつる御あそびまぎれて出で給ひぬ。院の御車にみこ奉り、大將、左衞門督、藤宰相などおはしけるかぎり皆參り給ふ。直衣にてかろゝかなる御よそひどもなれば下襲ねばかり奉り加へて、月やゝさしあがり更けぬる空おもしろきに、若き人々笛などわざとなく吹かせ給ひなどして忍びたる御まゐりのさまなり。麗はしかるべき折ふしは所せくよだけきぎしきを盡してかたみに御覽ぜられ給ふ。又いにしへのたゞ人ざまにおぼしかへりて、今宵はかるがるしきやうにふとかく參り給へれば、いたう驚き待ちよろこび聞え給ふ。ねびとゝのひ給へる御かたちいよいよことものならず、いみじき御盛のよを御心とおぼし捨てゝしづかなる御有樣に哀すくなからず。その夜の歌どもからのもやまとのも心ばへ深うおもしろくのみなむ。例の事たらぬかたはしはまねぶもかたはらいたくてなむ。明方にふみなどかうじて疾く人々まかで給ふ。六條院は中宮の御方に渡り給ひて御物語など聞え給ふ。「今はかう靜なる御住まひにしばしばも參りぬべく、何とはなけれど過ぐる齡にそへて、忘れぬ昔の御物語などうけたまはり聞えまほしう思ひ給へるに、何にもつかぬ身の有樣にてさすがにうひうひしく所せくも侍りてなむ。われより後の人々にかたがたにつけて後れ行く心ちし侍るもいと常なき世の心ぼそさののどめ難うおぼえ侍れば、世ばなれたる住まひにもやとやうやう思ひ立ちぬるを、のこりの人々の物はかなからむたゞよはし給ふなと、さきざきも聞えつけし心違へず覺しとゞめて物せさせ給へ」などまめやかなるさまに聞えさせ給ふ。例のいとわかうおほどかなる御けはひにて「九重のへだて深う侍りし年比よりもおぼつかなさのまさるやうに思ひ給へらるゝ有樣を、いと思の外にむつかしうて、皆人のそむき行く世を厭はしう思ひなることも侍りながら、その心のうちを聞えさせうけ給はらねば何事もまづたのもしきかげには聞えさせならひていぶせく侍る」と聞え給ふ。「げにおほやけざまにては限ある折節の御里居もいとよう待ちつけ聞えさせしを、今は何事につけてかは御心に任せさせ給ふ御うつろひも侍らむ。定めなき世といひながらもさしていとはしきことなき人は、さはやかに背き離るゝもありがたう心やすかるべき程につけてだに、おのづから思ひかゝづらふほだしのみ侍るを、などかその人まねにきほふ御道心は、かへりてひがひがしうおしはかり聞えさする人もこそはべれ。かけてもいとあるまじき御事になむ」と聞え給ふを「深うもくみはかり給はぬなめりかし」とつらう思ひきこえ給ふ。故御息所の御身の苦しうなり給ふらむありさまいかなる煙の中に惑ひ給ふらむ、なきかげにても人にうとまれ奉り給ふ。御名のりなどの出できたりけることかの院にはいみじう隱し給ひけるを、おのづから人の口さがなくて傅へきこしめしける後いと悲しういみじくて、なべての世のいとはしくおぼしなりて、かりにてもかののたまひけむ有樣の委しう聞かまほしきを、まほにはえ打ち出で聞え給はで「唯なき人の御有樣の罪輕からぬさまにほの聞くことの侍りしを、さるしるしあらはならでもおしはかりつべきことに侍りけれど、後れし程の哀ばかりを忘れぬことにて、物のあなた思ひ給へやらざりけるが物はかなさを、いかでよういひ聞かせむ人のすゝめをも聞き侍りてみづからだにかのほのほをもさまし侍りにしがなとやうやう積るになむ思ひしらるゝこともありける」などかすめつゝぞのたまふ。げにさもおぼしぬべきことゝ哀に見奉り給ひて「そのほのほなむ、誰も遁るまじきことゝしりながら朝露のかゝれるほどは思ひ捨てられ侍らぬになむ、目蓮が佛に近きひじりの身にてたちまちに救ひけむためしにもえつかせ給はざらむものから玉のかんざし捨てさせ給はむも、この世にはうらみ殘るやうなるわざなり。やうやうさる御志をしめ給ひてかの御烟はるゝべきことをせさせ給へ。しか思ひ給ふること侍りながら物さわがしきやうに靜なるほいもなきやうなるさまに明けくらし侍りつゝみづからのつとめにそへて今靜にと思ひ給ふるもげにこそ心をさなきことなれ」など、世の中なべてはかなく厭ひ捨てまほしきことを聞えかはし給へど、猶やつしにくき御身の有樣どもなり。よべはうち忍びてかやすかりし御ありき今朝はあらはれ給ひて上達部なども參り給へるかぎりは皆御おくり仕う奉り給ふ。春宮の女御の御有樣のならびなくいつきたて給へるかひがひしさも大將のまたいと人に異なる御さまをも、いづれとなくめやすしとおぼすに、猶この冷泉院を思ひ聞え給ふ御志は勝れて深く哀にぞおぼえ給ふ。院も常にいぶかしう思ひ聞え給ひしに、御對面のまれにいぶせうのみおぼされけるにいそがされ給ひて、かく心安きさまにとおぼしなりにけるになむ。中宮ぞなかなか罷で給ふ事もいとかたうなりて、たゞ人の中のやうにならびおはしますに、今めかしうなかなか昔よりも華やかに御あそびをもし給ふ。何事も御心やれる有樣ながら唯かの御息所の御事をおぼしやりつゝ行ひの御心すゝみにたるを、人のゆるし聞え給ふまじきことなれば功德のことをたてゝおぼしいとなみいとゞ心ふかう世の中をおぼしとれるさまになりまさり給ふ。六條院にももろ心に急ぎ給ひて御八講など行はせ給ふとぞ。

夕霧

まめ人の名をとりてさかしがり給ふ大將、この一條の宮の御有樣をなほあらまほしと心にとゞめて、大方の人めには昔を忘れぬ用意に見せつゝいとねんごろにとぶらひ聞え給ふ。したの心にはかくてはやむまじくなむ月日にそへて思ひまさり給ひける。御息所も哀にありがたき御心ばへにもあるかなと、今はいよいよ物寂しき御つれづれを絕えずおとづれ給ふに、慰むることゞもおほかり。始よりけさうびても聞え給はざりしにひきかへしけさうばみなまめかむもまばゆし、唯深き志を見え奉りてうちとけ給ふをりもあらじやはと思ひつゝさるべきことにつけても宮の御けはひありさまを見給ふ。みづからなど聞え給ふことは更になし。いかならむついでに思ふことをもまほに聞えしらせて人の御けはひを見むとおぼしわたるに、御息所ものゝけにいたう煩ひ給ひて、小野といふわたりに山里もたまへるにわたり給へり。はやうより御いのりの師にてものゝけなどはらひ捨てけるりしの山ごもりして里に出でじとちかひたるを、麓近くてさうじおろし給ふ故なりけり。御車よりはじめて御前など大將殿よりぞ奉れ給へる。なかなかまことの昔の近きゆかりの君達は、ことわざしげきおのがじゝのいとなみに紛れつゝ、えしも思ひいで聞え給はず。辨の君はた思ふ心なきにしもあらでけしきばみけるに、殊の外なる御もてなしにはゐてまうでとぶらひ給はずなりにたり。この君はいとかしこうさりげなく聞えなれ給ひにためり。ずほふなどせさせたまふと聞きて僧の布施淨衣などやうのこまかなるものをさへ奉れ給ふ。なやみ給へばえ聞え給はず。「なべての宣旨書はものしと覺しぬべくことごとしき御さまなり」と人々聞ゆれば、宮ぞ御かへり聞え給ふ。御手はいとをかしげにて唯ひとくだりなどおほどかなるかきざまことばもなつかしき所かきそへ給へるを、いよいよ見まほしう目とまりてしげう聞えかよひ給ふ。猶遂にあるやうあるべき御なからひなめりと北の方けしきとり給へれば、わづらはしくてまうでまほしうおぼせど、頓にえいで立ち給はず。八月中の十日ばかりなれば野邊の氣色もをかしき比なるに、山里の有樣のいとゆかしければ「なにがしりしの珍しうおりたなるに、切に語らふべきことあり。御息所のわづらひ給ふなるもとぶらひがてらまうでむ」と大方にぞ聞えごちていで給ふ。ご前ことごとしからでしたしき限五六人ばかり狩衣にてさぶらふ。殊に深き道ならねど松が崎のおやまのいろなども、さるいはほならねど秋の氣色づきて、都に二なくとつくしたる家ゐには猶哀もけうもまさりてぞ見ゆるや。はかなき小柴垣もゆゑあるさまにしなして、假初なれどあてはかに住まひなし給へり。寢殿と覺しきひんがしの放出に修法のだんぬりて北の廂におはすれば西おもてに宮はおはします。御ものゝけむつかしとてとゞめ奉り給ひけれど、いかでか離れ奉らむと慕ひわたり給へるを、人にうつりちるを、おぢて少しのへだてばかりにあなたには渡し奉り給はず、まらうどの居給ふべきところのなければ、宮の御方のすの前に入れ奉りて上らうだつ人々御せうそこ聞えつたふ。「いとかたじけなくかうまでのたまはせ渡らせたまへるをなむもしかひなくなりはて侍りなば、このかしこまりをだに聞えさせでやと思ひ給ふるになむ、今しばしかけとゞめまほしき心つき侍りぬる」と聞えいだし給へり。「渡らせ給ひし御送にもと思ひ給ひしを六條院にうけ給はりさしたる事侍りし程にてなむ、日比もそこはかとなく紛るゝこと侍りて思ひ給ふる心の程よりはこよなくおろかに御覽ぜらるゝことの苦しう侍る」など聞え給ふ。宮は奧の方にいと忍びておはしませどことごとしからぬ旅の御しつらひ淺きやうなるおましの程にて人の御けはひおのづからしるし。いとやはらかに打ちみじろきなどし給ふ。御ぞのおとなひさばかりなゝりと聞き居給へり。心も空におぼえてあなたの御せうそこ通ふほど少し遠うへだゝるひまに例の少將の君などさぶらふ人々に物語などし給ひて、「かう參りきなれ承はることの年頃といふばかりになりにけるを、こよなう物遠うもてなさせ給へるうらめしさなむ、かゝるみすの前にて人づての御せうそこなどのほのかに聞え傳ふることよ、まだこそならはね、いかにふるめかしきさまに人々ほゝゑみ給ふらむとはしたなくなむ。齡積らず輕らかなりしほどにほのすきたる方におもなれなましかばかううひうひしうも覺えざらまし。更にかばかりすくずくしうをれて年ふる人はたあらじかし」との給ふ。「げにいとあなづりにくげなるさまし給へれば、さればよと、なかなかなる御いらへ聞え出でむは耻しう」などつきしろひて「かゝる御うれへ聞しめししらぬやうなり」と宮に聞ゆれば「みづから聞え給はざめるかたはら痛さに代り侍るべきを、いと恐しきまで物し給ふめりしを見あつかひ侍りし程に、いとゞあるかなきかの心ちになりてなむ得聞えぬ」とあれば、「こは宮の御せうそこか」と居なほりて「心苦しき御なやみを、身にかふばかり歎き聞えさせ侍るも何のゆゑにか。かたじけなけれど物をおぼししる御有樣などはればれしき方にも見奉りなほし給ふまでは、たひらかに過ぐし給はむこそ誰が御ためにもたのもしきことには侍らめと推し量り聞えさするによりなむ。唯あなたざまにおぼしゆづりてつもり侍りぬる志をもしろしめされぬは、ほいなき心ちなむ」と聞え給ふ。「げに」と人々も聞ゆ。日入りがたになりゆくに、空の氣色も哀にきりわたりて山の蔭はをぐらき心ちするに、ひぐらし鳴きしきりてかきほにおふるなでしこの打ち靡きける色もをかしう見ゆ。お前の前栽の花どもは心に任せて亂れあひたるに水の音いと凉しげにて山おろし心すごく松の響木深く聞えわたされなどして、不斷の經よむ時かはりて鐘打ちならすにたつ聲もゐかはるもひとつにあひていとたふとく聞ゆ。所から萬のこと心ぼそう見なさるゝも哀に物思ひつゞけらる。出で給はむ心ちもなし。りしも加持する音して陀羅尼いとたふとくよむなり。いと苦しげにし給ふなりとて人々もそなたに集ひて大方もかゝるたび所に數多參らざりけるにいとゞ人ずくなにて宮はながめ給へり。しめやかにて思ふ事も打ち出でつべき折かなと思ひ居給へるに、霧のたゞこの軒のもとまで立ち渡れば「まかでむ方も見えずなりゆくはいかゞすべき」とて、

 「山里のあはれをそふる夕霧にたちいでむ空もなきこゝちして」ときこえ給へば、

 「山がつのまがきをこめて立つ霧もこゝろそらなる人はとゞめず」。ほのかに聞ゆる御けはひに慰めつゝ誠に歸るさ忘れはてぬ。「中ぞらなるわざかな。家路は見えず、霧の籬は立ちとまるべうもあらずやらはせ給ふ。つきなき人はかゝることこそ」などやすらひて忍びあまりぬるすぢもほのめかし聞え給ふに、年比もむげに見知り給はぬにはあらねど知らぬがほにのみもてなし給へるを、かく言に出でゝ恨み聞え給ふをわづらはしうていとゞ御いらへもなければ、いたう歎きつゝ心のうちに又かゝる折ありなむやと思ひめぐらし給ふ。情なうあはつけきものには思はれ奉るともいかゞはせむ、思ひわたるさまをだにしらせ奉らむと思ひて人をめせば、御つかさのぞうよりかうぶりえたるむつましき人ぞ參れる。忍びやかにめしよせて「このりしに必ずいふべきことのあるを、護身などにいとまなげなめるを只今はうちやすむらむ。今夜このわたりにとまりてそやのしはてむ程にかの居たる方に物せむ。これかれ侍はせよ。隨身などのをこどもは栗栖野の庄近からむま草などとりかはせてこゝに人あまた聲なせそ。かうやうの旅寢はかるがるしきやうに人もとりなすべし」とのたまふ。あるやうあるべしと心得てうけたまはりて立ちぬ。「さて道いとたどたどしければこのわたりに宿かり侍る。おなじうはこのみすのもとに許されあらなむ。阿闍梨のおるゝ程までなむ」とつれなくのたまふ。例はかやうに長居してあざればみたる氣色も見え給はぬを、うたてもあるかなと宮は思せど、ことさらめきてかるらかにあなたにはひ渡り給はむもさまあしき心地して唯音せでおはしますに、とかく聞えよりて御せうそこ聞えつたへにゐざりいる人のかげにつきて入り給ひぬ。まだ夕暮の霧にとぢられて內は暗くなりにたる程なり。あさましうて見かへりたるに宮はいとむくつけうなり給ひて此の御さうじのとにゐざりいでさせ給ふをいとようたどりてひきとゞめ奉りつ。御身は入りはて給へれど御ぞの裾の殘りてさうじはあなたよりさすべき方なかりければひきたてさして水のやうにわなゝきおはす。人々もあきれていかにすべきことゝも思ひえず。こなたよりこそさすがねなどもあれ、いとわりなくて荒々しくはえひきかなぐるべくはたものし給はねば、「いとあさましう思ひ給へよらざりける御心の程になむ」と泣きぬばかりに聞ゆれど「かばかりにてさぶらはむが人よりけにうとましうめざましうおぼさるべきにやは。數ならずとも御耳なれぬる年月も重りぬらむ」とていとのどやかにさまよくもてしづめて思ふ事を聞えしらせ給ふ。聞き入れ給ふべくもあらず。くやしうかくまでとおぼす事のみやるかたなければのたまはむことはたまして覺え給はず。「いと心うくわかわかしき御さまかな。人しれぬ心にあまりぬるすきずきしきつみばかりこそ侍らめ、これよりなれすぎたることは更に御心ゆるされでは御覽ぜられじ。いかばかりちゞにくだけ侍る思ひに堪へぬぞや。さりともおのづから御覽じ知るふしも侍らむものを、しひておぼめかしうけうとうもてなさせ給ふめれば、聞えさせむ方なさにいかゞはせむ。心ちなくにくしとおぼさるともかうながら朽ちぬべきうれへを、さだかに聞えしらせ侍らむとばかりなり。いひしらぬ御氣色のつらきものからいとかたじけなければ」とてあながちに情深う用意し給へり。さうじをおさへ給へるはいと物はかなきかためなれどひきもあけず。「かばかりのけぢめをとしひて覺さるらむこそ哀なれ」とうち笑ひてうたて心のまゝなるさまにもあらず。人の御有樣のなつかしうあてになまめい給へることさはいへどことに見ゆ。世と共にものを思ひ給ふけにや、やせやせにあえかなる心ちしてうちとけ給へるまゝの御袖のあたりもなよびかにけぢかうしみたるにほひなどとりあつめてらうたげにやはらかなる心ちし給へり。風いと心ぼそう更け行く夜の氣色蟲の音も鹿のなくおとも瀧の音もひとつに亂れて艷なる程なれば、唯ありのあはつけ人だにねざめしぬべき空の氣色を格子もさながら入りがたの月の山の端近きほどとめがたう物哀なり。「猶かうおぼししらぬ御有樣こそかへりては淺う御心の程しらるれ。かう世づかぬまでしれじれしき後やすきなどもたぐひあらじと覺え侍るを、何事にもかやすきほどの人こそかゝるをばしれものなど打ち笑ひてつれなき心つかふなれ。あまりこよなくおぼしおとしたるに、えなむしづめはつまじき心ちし侍る。世の中をむげにおぼししらぬにしもあらじを」と萬に聞えせめられ給ひていかゞいふべきと侘しうおぼしめぐらす。世をしりたる方の心安きやうに折々ほのめかすもめざましう、げにたぐひなき身のうさなりやとおぼしつゞけ給ふに、しぬべくおぼえ給うて、「うきみづからの罪を思ひしるとても、いとかうあさましきを、いかやうに思ひなすべきにかはあらむ」といとほのかに哀げにない給ひて、

 「われのみやうき世をしれるためしにてぬれそふ袖の名をくたすべき」と、のたまふともなきを我が心につゞけて忍びやかに打ちずじ給へるもかたはらいたく、いかにいひつることぞとおぼさるゝに「げにあしう聞えつかし」などほゝゑみ給へる氣色にて、

 「大かたはわがぬれぎぬをきせずともくちにし袖の名やはかくるゝ。ひたぶるにおぼしなりねかし」とて月あかき方にいざなひ聞ゆるもあさましとおぼす。心づようもてなし給へどはかなうひきよせ奉りて「かばかりたぐひなき志を御覽じしりて心やすうもてなし給へ。御ゆるしあらでは更に更に」といとけざやかに聞え給ふ程明けがた近うなりにけり。月くまなくすみわたりて霧にも紛れずさし入りたり。あさはかなる廂の軒はほどもなき心ちすれば、月のかほに向ひたるやうなる、あやしうはしたなくて紛はし給へるもてなしなどいはむ方なくなまめき給へり。故君の御事も少し聞え出でゝさまようのどやかなる物語をぞ聞え給ふ。さすがに猶かの過ぎにし方におぼしおとすをばうらめしげに恨み聞え給ふ。御心のうちにも、かれは位などもまだ及ばざりけるほどながら誰も誰も御ゆるしありけるに、おのづからもてなされて見なれたまひにしを、それだにいとめざましき心のなりにしさまよ、ましてかうあるまじきことによそに聞くあたりにだにあらず、おほ殿などの聞き思ひ給はむことよ、なべての世のそしりは更にもいはず、院にもいかに聞し召しおもほされむなど、はなれぬこゝかしこの御心をおぼしめぐらすにいと口をしう、我が心一つにかうつよう思ふとも人の物いひいかならむ、御息所のしり給はざらむも罪えがましう、かく聞き給ひて心をさなくとおぼしのたまはむもわびしければ、「明さでだに出で給へ」とやらひ聞え給ふより外のことなし。「あさましや、ことありがほにわけ侍らむ。朝露の思はむ所に猶さらばおぼししれよ。かうをこがましきさまを見え奉りてかしこうすかいやりつとおぼし離れむこそ、そのきはゝ心もえをさめあふまじう知らぬことごとゝけしからぬ心づかひもならひはじむべう思ひ給へよらるれ」とていと後めたくなかなかなれど、ゆくりかにあざれたることのまことにならはぬ御心ちなればいとほしう我が御みづからも心おとりやせむなどおぼいて、誰が御ためにもあらはなるまじき程の霧に立ちかくれて出で給ふ心ちそらなり。

 「荻原や軒ばのつゆにそぼちつゝやへたつ霧をわけぞゆくべき。ぬれぎぬは猶えほさせ給はじ。かうわりなうやらはせ給ふ御心づからこそは」と聞え給ふ。げにこの御名のたけからずもりぬべきを心のとはむにだに口淸うこたへむとおぼせば、いみじうもてはなれ給ふ。

 「わけゆかむ草葉の霧をかごとにて猶ぬれ衣をかけむとや思ふ。めづらかなることかな」とあばめ給へるさまいとをかしうはづかしげなり。年比人にたがへる心ばせ人になりてさまざまになさけを見え奉る名殘なくうちたゆめすきずきしきやうなるがいとほしう心はづかしげなれば、䟽ならず思ひかへしつゝ、かうあながちに隨ひ聞えても後をこがましくやとさまざまに心亂れつゝ出で給ふ。道の露けさもいと所せし。かやうのありきならひ給はぬ心ちにをかしうも心づくしにおぼえつゝ、殿におはせば女君のかゝるぬれをあやしと咎め給ひぬべければ、六條院のひんがしのおとゞにまうで給ひぬ。まだ朝霧もはれずましてかしこにはいかにと覺しやる。例ならぬ御ありきありけりと人々はさゞめく。暫し打ち休み給ひて御ぞぬきかへたまふ。夏冬といときよらにしおき給へればかうの御唐櫃よりとうでゝ奉り給ふ。御かゆなどまゐりて御前に參り給ふ。かしこに御文奉り給へれば御覽じもいれず、俄にあさましかりし有樣めざましうもはづかしうもおぼすに心づきなくて、御息所の漏りきゝ給はむこともいとはづかしう又かゝることやとかけてしり給はざらむに、たゞならぬふしにても見つけ給ひ、人の物いひかくれなき世なればおのづから聞きあはせて隔てけるとおぼさむがいと苦しれば、人々ありしまゝに聞えもらさなむ、うしとおぼすもいかゞはせむとおぼす。親子の御中と聞ゆる中にも露へだてずぞ思ひかはし給へる。よその人はもり聞けども親にかくすたぐひこそは昔物語にもあめれど、さはたおぼされず。人々は何かはほのかに聞き給ひてもことしもありがほにとかくおぼし亂れむ、まだきに心苦しなどいひ合せていかならむと思ふどちこの御せうそこのゆかしきをひきもあけさせ給はねば心もとなくて「猶むげに聞えさせ給はざらむも覺束なくわかわかしきやうにぞ侍らむ」など聞えて、ひろげたれば「あやしう何心もなきさまにて人にかばかりにても見ゆるあはつけさの、みづからのあやまちに思ひなせど、思ひやりなかりしあさましさも慰めがたくなむ。え見ずとをいへ」と殊の外にてよりふさせ給ひぬ。さるはにくげもなくいと心ぶかうかい給ひて、

 「たましひをつれなき袖にとゞめおきて我が心から惑はるゝかな。ほかなるものはとか昔もたぐひありけりと思ひ給へなすにも、更に行きがたしらずのみなむ」などいと多かめれど人はえまほにも見ず。例の氣色なるけさの御文にもあらざめれど猶え思ひはるけず。人々は氣色もいとほしきを歎しう見奉りつゝ、いかなる御ことにかはあらむ、何事につけてもありがたう哀なる御心ざまはほどへぬれど、かゝるかたに賴み聞えては見おとりやし給はむと思ふもあやうくなどむつましうさぶらふかぎりはおのがどち思ひみだる。御息所もかけてしり給はず、ものゝけに煩ひ給ふ人はおもしと見れどさはやぎ給ふひまもありてなむ物おぼえ給ふ。晝つかた日中の御加持はてゝ阿闍梨ひとりとゞまりて猶陀羅尼讀み給ふ。よろしう坐します悅びて「大日如來そらごとし給はずばなどてかかくなにがしが心をいだして仕うまつる御す法にしるしなきやうはあらむ。あくらうはしふねきやうなれどごつしやうにまつはれたるはかなものなり」と聲はかれていかり給ふ。いとひじりだちすくすくしきりしにてゆくりもなく「そよやこの大將はいつよりこゝには參り通ひ給ふぞ」ととひ申し給ふ。御息所「さることも侍らず。故大納言のいとよき中にて語らひつけ給へる心たがへじと、この年比さるべきことにつけていとあやしくなむ語らひ物し給ふも、かくふりはへわづらふを、とぶらひにとて立ち寄り給へりければ辱く聞き侍りき」と聞え給ふ。「いであなかたは。なにがしにかくさるべきことにもあらず。けさごやにまうのぼりつるにかの西の妻戶よりいとうるはしき男の出で給へるを、霧ふかくてなにがしはえ見わい奉らざりつるを、この法師ばらなむ、大將殿の出で給ふなりけりよべも御車も歸してとまり給ひけると口々申しつる。げにいとかうばしきかのみちて頭痛きまでありつれば、げにさなりけりと思ひあはせ侍りぬる。常にいとかうばしう物し給ふ君なり。この事いと切にもあらぬことなり。人はいと有職にものし給ふ。なにかし等もわらはにものし給ひし時より、かの君の御ための事はずほふをなむ故大宮ののたまひつけたりしかば、一かうにさるべきこと今に承はる所なれどいとやくなし。本妻强くものし給ふ。さる時にあへるぞうるゐにていとやんごとなし。若君達は七八人になり給ひぬ。えみこの君おし給はじ、又女人のあしき身をうけ長夜のやみにまどふは唯かやうの罪によりなむ、さるいみじき報をもうくるものなる。人の御いかり出できなば長きほだしとなりなむ。もはらうけひかず」とかしらふりてたゞいひにいひ放てば「いとあやしきことなり。更にさる氣色にも見え給はぬ人なり。萬心ちのまどひにしかばうちやすみて對面せむとてなむ暫し立ちとまり給へるとこゝなる御達いひしを、さやうにてとまり給へるにやあらむ。大かたいとまめやかにすくよかに物し給ふ人を」とおぼめい給ひながら心のうちに、さることもやありけむ、たゞならぬ御氣色は折々見ゆれど人の御さまのいとかどかどしうあながちに人のそしりあらむことは省きすて、うるはしだち給へるに、容易く心ゆるされぬことはあらじとうちとけたるぞかし、人ずくなにておはする氣色を見てはひ入りもやし給ひけむとおぼす。律師たちぬる後に小少將の君をめして「かゝることなむ聞きつる。いかなりしことぞ。などかおのれにはさなむかくなむとは聞かせ給はざりける。さしもあらじとは思ひながら」とのたまへば、いとほしけれどありしやうを始より委しう聞ゆ。けさの御文のけしき宮もほのかにのたまはせつるやうなど聞え、「年比忍びわたり給ひける心のうちを聞えしらせむとばかりにや侍りけむ、ありがたう用意ありてなむ明しもはてゞ出で給ひぬるを、人はいかに聞え侍るにか」と律師とは思ひもよらで忍びて人の聞えけると思ふ。物ものたまはでいとうく口をしとおぼすに淚ほろほろとこぼれ給ひぬ。見奉るもいといとほしう、何にありのまゝに聞えつらむ、苦しき御心ちをいとゞおぼし亂るらむと悔しう思ひゐたり。「さうじはさしてなむ」と萬に宜しきやうに聞えなせど「とてもかくてもさばかりに何の用意もなくかるらかに人に見え給ひけむこそいといみじけれ。內々の御心ぎようおはすともかくまでいひつる法師ばらよからぬわらはべなどはまさにいひ殘してむや。人にはいかにいひあらがひ、さもあらぬことゝいふべきにかあらむ。すべて心をさなきかぎりしもこゝに侍ひて」ともえのたまひやらず、いと苦しげなる御心ちに物をおぼし驚きたればいといとほしげなり。け高うもてなし聞えむとおぼいたるに、よづかはしうかるがるしき御名の立ち給ふべきを疎ならず覺し歎かる。「かう少し物覺ゆるひまに渡らせ給ふべう聞えよ。そなたへ參りくべけれど動くべうもあらでなむ。見奉らで久しうなりぬる心ちすや」と淚をうけてのたまふ。「參りてしかなむ聞えさせ給ふ」とばかりきこゆ。渡り給はむもとて御額髮のぬれまろかれたるひきつくろひ、單衣の御ぞほころびたる着かへなどし給ひても頓にもえうごい給はず。この人々もいかに思ふらむ、まだえしり給はで後にいさゝかも聞き給ふことあらむにつれなくてありしよとおぼし合せむも、いみじうはづかしければ又ふし給ひぬ。「心ちのいみじうなやましきかな。やがてなほらぬさまにもなりなばいとめやすかりぬべくこそ。あしのけののぼりたる心ちす」とおしくださせ給ふ。物をいと苦しうさまざまに覺すにはけぞあがりける。少將「うへにこの御事ほのめかし聞えける人こそはべけれ。いかなりしことぞ」と問はせ給へればありのまゝに聞えさせて「御さうじのかためばかりをなむ少しことそへてけざやかに聞えさせつる。もしさやうにかすめ聞えさせ給はゞ同じさまに聞えさせ給へ」と申す。歎い給へる氣色は聞え出でず。さればよといとわびしくて物ものたまはぬ、御枕よりしづくぞおつる。この事にのみもあらず身の思はずになりそめしよりいみじう物をのみ思はせ奉ることゝ、生けるかひなく思ひつゞけたまひて、この人はかうてもやまでとかくいひかゝづらひ出でむも、煩しう聞き苦しかるべうよろづに覺す。まいていふかひなく人のことによりていかなる名をくださましなど、少しおぼしなぐさむる方はあれど、かばかりになりぬるたかき人のかくまでもすゞろに人に見ゆるやうはあらじかしと、すくせうくおぼしくして夕つ方ぞ「猶わたらせ給へ」とあれば、中の塗籠の戶あけあはせて渡り給へる。苦しき御心ちにもなのめならずかしこまりかしづき聞え給ふ。常の御さはふあやまたず、おきあがり給うて「いと亂りがはしく侍れば渡らせ給ふも心ぐるしうてなむ。この二日三日ばかり見奉らざりけるほどの年月の心地するも、かつはいとはかなくなむ。後必ずしも對面の侍るべきにも侍らざめり。又めぐり參るともかひやは侍るべき。思へば唯時のまに隔たりぬべき世の中をあながちにならひ侍りけるも悔しきまでなむ」などなき給ふ。宮も物のみ悲しうとりあつめおぼさるれば、聞え給ふこともなくて見奉り給ふ。物つゝみをいたうし給ふ本性にきはきはしうのたまひさはやぐべきにもあらねば耻しとのみ覺すに、いといとほしうて、いかなりしなども問ひ聞え給はず、大となぶらなど急ぎ參らせて御臺などこなたにて參らせ給ふ。物聞しめさずときゝ給ひて、とかう手づからまかなひなほしなどし給へど觸れ給ふべくもあらず。唯御心ちのよろしう見え給ふぞ胸すこしあき給ふ。かしこより又御文あり。「心しらぬ人しもとりいれて大將殿より少將の君にとて御文あり」といふぞ又侘しきや。少將御文はとりつ。御息所「いかなる御文にか」とさすがに問ひ給ふ。人しれずおぼし弱る御心もそひてしたに待ち聞え給ひけるに、さもあらぬなめりとおぼすも心さわぎして「いでその御文なほ聞え給へ。あいなし。人の御名をよざまにいひなほす人はかたきものなり。そこに心ぎようおぼすとも、しかもちゐる人は少くこそあらめ。心うつくしきやうに聞えかよひ給ひて猶ありしまゝならむこそよからめ。あいなきあまえたるさまなるべし」とて召しよす。苦しけれど奉りつ。「あさましき御心のほどを見奉りあらはいてこそなかなかひたぶる心もつき待りぬべけれ。

  せくからにあさくぞ見えむ山川のながれての名をつゝみはてずは」とことばもおほかれど見もはて給はず。この御文もけざやかなる氣色にもあらでめざましげに心ちよがほに今宵もつれなきをいといみじとおぼす。かんの君の御心ざまの思はずなりし時いとうしと思ひしかど、大方のもてなしは又ならぶ人なかりしかばこなたに力ある心ちしてなぐさめしだに世に心もゆかざりしを、あないみじや、大殿のわたりに思ひのたまはむことゝ思ひしみ給ふ。猶いかゞのたまふと氣色をだに見むと、心ちのかき亂りくるゝやうにし給ふ。めをししぼりてあやしき鳥の跡のやうに書き給ふ。「賴もしげなくなりにて侍る、とぶらひに渡り給へるをりにてそゝのかし聞ゆれど、いとはればれしからぬさまに物し給ふめれば、見給へわづらひてなむ、

  女郞花しをるゝ野邊をいづことてひと夜ばかりの宿をかりけむ」とたゞかきさしておしひねりて出し給ひて臥し給ひぬるまゝに、いといたく苦しがり給ふ。御物のけのたゆめけるにやと人々いひ騷ぐ。例のげんあるかぎりいと騷がしうのゝしる。「宮をば猶渡らせ給ひね」と人々聞ゆれど御身のうきまゝに後れ聞えじとおぼせばつとそひ給へり。大將殿はこの晝つ方より三條殿におはしにける。今宵立ちかへりまうで給はむにことしもありがほにまだきに聞き苦しかるべしなど念じ給ひて、いとなかなか年比の心もとなさよりもちへにもの思ひかさねて歎き給ふ。北の方はかゝる御ありきの氣色ほのぎゝて心やましと聞き居給へるにしらぬやうにて君達もて遊びまぎらはしつゝ、我が晝のおましにふし給へり。宵過ぐる程にぞこの御返りもて參れるを、かく例にもあらぬ鳥の跡のやうなれば頓にもとき給はで大となぶら近うとりよせて見給ふ。女君物隔てたるやうなれどいと疾く見つけ給ひてはひよりて御後よりとり給ひつ。「あさましうこはいかにし給ふぞ。あなけしからず。六條の東の上の御文なり。けさ風おこりてなやましげにし給へるを、院の御前に侍りて出づる程又もまうでずなりぬればいとほしさに今のまいかにと聞えたりつるなり。見給へよ、けさうびたる文のさまか。さてもなほなほしの御さまや。年月にそへていたうあなづり給ふこそうれたけれ。思はむ所をむげにはぢ給はぬよ」と打ちうめきてをしみがほにもひこじろひ給はねばさすがにふとも見でも給へり。「年月にそふるあなづらはしさは御心ならひなべかめり」とばかり、かくうるはしだち給へるに憚りて若やかにをかしきさましてのたまへばうち笑ひて「そはともかくもあらむ。世の常のことなり。又あらじかし。よろしうなりぬるをのこのかくまがふ方なくひとつ所を守らへて物おぢしたる鳥のせうようのものゝやうなるはいかに人笑ふらむ。さるかたくなしきものにまもられ給ふは御ためにもたけからずや。あまたが中に猶きはまさり殊なるけぢめ見えたるこそよその覺えも心にくゝ我が心ちも猶ふりがたくをかしきことも哀なるすぢもたえざらめ。かく翁のなにがしまもりけむやうにをれまどひたればいとぞ口をしき。いづこのはえかあらむ」とさすがにこの文の氣色なくをこづりとらむの心にて欺き申し給へば、いと匂ひやかにうち笑ひて「物のはえばえしさつくり出で給ふ程、ふりぬる人くるしや。いと今めかしくなりかはれる御氣色のすさまじさも見習はずなりにけることなればいとなむ苦しき。かねてよりならはし給はで」とかこち給ふもにくゝもあらず。「俄にとおぼすばかりには何事か見ゆらむ。いとうたてある御心のくまかな。よからず物聞えしらする人ぞあるべき。怪しうもとよりまろをば許さぬぞかし。猶かの綠の袖のなごりあなづらはしきにことつけてもてなし奉らむと思ふやうあるにや。いろいろ聞きにくき事どもほのめくめり。あいなき人の御ためにもいとほしう」などのたまへど遂にあるべき事とおぼせばことにあらがはず。大輔の乳母いと苦しときゝて物も聞えず、とかくいひしろひてこの御文はひきかくし給ひつればせめてもあさりとらでつれなく大殿籠りぬれば胸はしりて、いかでとりてしがなと御息所の御文なめり。何事ありつらむと目もあはず思ひふし給へり。女君の寢給へるによべのおましのしたなどさりげなくて搜り給へどなし。隱し給へらむ程もなければいと心やましくて明けぬれど頓にも起き給はず。女君は君達におどろかされてゐざり出で給ふにぞ、われも今起き給ふやうにて萬にうかゞひ給へどえ見つけ給はず。女はかく求めむとも思ひ給へらぬをぞ、げにけさうなき御文なりけりと心にも入れねば君達のあわて遊びひゝなつくりすゑて遊び給ふ。文よみ手ならひなどさまざまにいとあわたゞしくちひさきちごはひかゝりひきしろへばとりし文のことも思ひ出で給はず。男はこと事もおぼえ給はずかしこに疾く聞えむと覺すに、よべの御文のさまもえたしかに見ずなりにしかば見ぬさまならむもちらしてけると推し量り給ふべしなど思ひ亂れ給ふ。誰もたれも御だい參りなどして長閑になりぬる晝つかた思ひわづらひて「よべの御文は何事かありし。あやしう見せ給はで今日もとぶらひ聞ゆべし。なやましうて六條にもえ參るまじければ文をこそは奉らめ。何事かありけむ」との給ふがいとさりげなければ、文はをこがましうとりてけりとすさまじうてその事をばかけ給はず。「一夜の深山風にあやまち給へるなやましさななりとをかしきやうにかこち聞え給へかし」と聞え給ふ。「いでこのひがごとな常にのたまひそ。何のをかしきやうかある。世人になずらへ給ふこそなかなかはづかしけれ。この女房達もかつはあやしきまめざまをかくのたまふことほゝゑむらむものを」とたはぶれごとにいひなして「その文よいづら」とのたまへどとみにもひき出で給はぬ程に猶物語など聞えてしばしふし給へる程に暮れにけり。ひぐらしの聲に驚きて、山のかげいかに霧ふたがりぬらむ、あさましや、今日この御返事をだにといとほしうて唯しらず顏に硯おしずりていかになしてしにかとりなさむとながめおはするおましの奧の少しあがりたる所を試みにひきあげ給へれば、これにさしはさみ給へるなりけりと嬉しうもをこがましうもおぼゆるに、うちゑみて見給ふにかう心苦しきことなむありける。胸つぶれて、一夜のことを心ありて聞き給ひけるとおぼすに、いとほしう心苦しうよべだにいかに思ひ明し給ひけむ、今日も今まで文をだにといはむ方なくおぼゆ。いと苦しげにいふかひなくかき紛はし給へるさまにて、おぼろげに思ひあまりてやはかく書き給へつらむ、つれなくて今宵のあけつらむといふべき方のなければ女君ぞいとつらう心うき、すゞろにかくあたへかくしていでや我がならはしぞやとさまざまに身もつらくすべて泣きぬべき心ちし給ふ。やがて出で立ちたまはむとするを、心やすく對面もあらざらむものから人もかくのたまふ、いかならむ、坎日にもありけるをもしたまさかに思ひゆるし給はゞ惡しからむ、猶よからむことをこそと、うるはしき心におぼしてまづこの御返しを聞え給ふ。「いとめづらしき御文をかたがた嬉しう見給ふにこの御とがめをなむ。いかに聞しめしたることにか。

  秋の野の草のしげみは分けしかどかりねの枕むすびやはせし。あきらめ聞えさするもあやなけれどよべの罪はひたやごもりにや」とあり。宮にはいと多く聞え給ひてみまやにあしとき御馬にうつしおきて一夜のたいふをぞ奉れ給ふ。「よべより六條院にさぶらひて只今なむ罷でつるといへ」とていふべきやうさゝめき敎へ給ふ。かしこにはよべもつれなく見え給ひし御氣色を、忍びあへで後の聞えをもつゝみあへず恨み聞え給ひしをその御返りだに見えず。今日の暮れはてぬるをいかばかりの御心にかはともてはなれてあさましう心も碎けてよろしかりつる御心ち又いといたう惱み給ふ。なかなかさうじみの御心のうちは、このふしを殊に憂しとおぼし驚くべきことしなければ、唯覺えぬ人にうち解けたりし有樣を見えしことばかりこそ口をしけれ、いとしもおぼししまぬをかくいみじうおぼいたるをあさましうはづかしうあきらめ聞え給ふ方なくて例よりも物はぢし給へる氣色見え給ふを、いと心苦しう物をのみおぼしそふべかりけると見奉るも胸つとふたがりて悲しければ「今さらにむつかしき事をば聞えじと思へど、猶御宿世とはいひながら思はずに心をさなくて人のもときをおひ給ふべきことを取り返すべき事にはあらねど、今よりは猶さる心し給へ。數ならぬ身ながらも萬にはぐゝみ聞えつるを今は何事をもおぼししり世の中のとざまかうざまの有樣をもおぼしたどりぬべき程に見奉りおきつることゝ、そなたざまは後安くこそ見奉りつれ。猶いといはけて强き御心おきてのなかりける事と思ひ亂れ侍るに、今暫しの命もとゞめまほしうなむ。たゞ人だに少しよろしくなりぬる女のひとふたりと見るためしは心うくあはつけきわざなるを、ましてかゝる御身にはさばかりおぼろげにて人の近づき聞ゆべきにもあらぬを思の外に心にもつかぬ有樣と年比も見奉りなやみしかど、さるべき御宿世にこそは。院よりはじめ奉りておぼしなびき、この父おとゞにもゆるひ給ふべき御氣色ありしに、おのれ一人しも心をたてゝいかゞはと思ひよわり侍りし事なれど末の世までものしき御有樣を、我が御あやまちならぬに大空をかこちて見奉りすぐすを、いとかう人のため我がためよろづに聞きにくかりぬべき事の出できそひぬべきが、さてもよその御名をばしらぬ顏にてよのつねの御有樣にだにあらばおのづからありへむにつけても慰む事もやと思ひなし侍るを、こよなう情なき人の御心にも侍りけるかな」とつぶつぶと泣き給ふ。いとわりなくおしこめての給ふを、あらがひはるけむ言の葉もなくて唯打ち泣き給へるさまおほどかにらうたげなり。うちまもりつゝ「あはれ何事かは人に劣り給へる。いかなる御すくせにてやすからず物を深くおぼすべき契深かりけむ」などのたまふまゝにいみじう苦しうし給ふ。ものゝけなどもかゝるよわめに所うるものなりければ俄に消え入りてたゞひえにひえ入り給ふ。律師も騷ぎたち給うて願などたてのゝしり給ふ。深きちかひにて今は命を限りける山ごもりをかくまでおぼろげならず出で立ちて壇毀ちて歸り入らむことのめいぼくなく佛もつらく覺え給ふべきことを、心を起して祈り申し給ふ。宮の泣き惑ひ給ふ事いとことわりなりかし。かく騷ぐ程に大將殿より御文とりいれたるほのかに聞き給ひて、今宵もおはすまじきなめりとうち聞き給ふ。心うく世のためしにもひかれ給ふべきなめり、何に我さへさる言の葉を殘しけむとさまざまおぼし出づるにやがて絕えいり給ひぬ。あいなくいみじといへばおろかなり。昔より物の氣には時々煩ひ給ふ。限と見ゆる折々もあれば例のごととりいれたるなめりとて加持參りさわげどいまはの樣はしるかりけり。宮はおくれじとおぼしいりてつとそひふし給へり。人々まゐりて「今はいふかひなし。いとかうおぼすともかぎりある道には歸りおはすべき事にもあらず。慕ひきこえ給ふともいかでか御心にはかなふべき」とさらなることわりを聞えて「いとゆゝしうなき御爲にも罪深きわざなり。今はさらせ給へ」とひきうごかい奉れどすくみたるやうにて物も覺え給はず。修法の壇毀ちてほろほろといづるにさるべきかぎりかたへこそ立ちとまれ、今はかぎりのさまいと悲しう心ぼそし。所々の御とぶらひいつのまにかと見ゆ。大將殿も限なく聞き驚き給ひてまづ聞え給へり。六條院よりも致仕の大殿よりもすべていとしげう聞えたまふ。山のみかども聞しめしていと哀に御文かいたまへり。宮はこの御せうそこにぞ御ぐしもたげ給ふ。「日比重く惱み給ふと聞きわたりつれど例もあしうのみ聞き侍りつるならひにうちたゆみてなむ、かひなき事をばさるものにて思ひ歎い給ふらむありさまおしはかるなむ哀に心苦しき。なべての世のことわりに覺しなぐさめ給へ」とあり。目も見え給はねど御返しきこえ給ふ。常にさこそあらめとのたまひける事とて今日やがてをさめ奉るとて御甥の大和守にてありけるぞよろづにあつかひ聞えける。骸をだにしばし見奉らむとて宮は惜み聞え給ひけれど、さてもかひあるべきならねば皆急ぎたちてゆゝしげなる程にぞ大將殿おはしたる。「今日よりのち日ついであしかりけり」など人ぎゝにはの給ひていともかなしう哀に宮のおぼし歎くらむことをおしはかり聞え給ひて「かくしも急ぎ渡り給ふべき事ならず」と人々いさめ聞ゆれどしひておはしましぬ。程さへ遠くて入り給ふほどいと心すごし。ゆゝしげに引き隔てめぐらしたる儀式のかたは隱してこの西おもてに入れ奉る。大和守出できてなくなくかしこまり聞ゆ。妻戶の簀子におしかゝり給ひて女房よび出でさせ給ふに、あるかぎり心もをさまらず物覺えぬほどなり。かくわたり給へるにぞ聊なぐさめて少將の君はまゐる。物もえのたまひやらず、淚もろにおはせぬ心づよさなれど所のさま人のけはひなどをおぼしやるもいみじうて常なき世の有樣の人のうへならぬもいと悲しきなりけり。やゝためらひて「よろしうをこたり給ふさまに承りしかば思ひ給へたゆみたりし程に夢もさむる程侍るなるを、いとあさましうなむ」と聞え給へり。おぼしたりしさまこれにおほくは御心も亂れにしぞかしとおぼすに、さるべきとはいひながらもいとつらき人の御契なればいらへをだにし給はず「いかに聞えさせ給ふとか聞え侍るべき。いとかるらかならぬ御さまにて、かくふりはへ急ぎ渡らせ給へる御心ばへをおぼしわかぬやうならむもあまりに侍りぬべし」と口々きこゆれば「たゞおしはかりて。われはいふべきことも覺えず」とて臥し給へるもことわりにて「只今はなき人と異ならぬ御有樣にてなむ。渡らせ給へる由は聞えさせ侍りぬ」と聞ゆ。この人々もむせかへるさまなれば「聞えやるべき方もなきを今少し自らも思ひのどめ又しづまり給ひなむに參りこむ。いかにしてかくにはかにと、その御有樣なむゆかしき」との給へば、まほにはあらねどかのおもほし歎きし有樣をかたはしづゝ聞えて「かこち聞えさするさまになむなり侍りぬべき。今日はいとゞ亂りがはしき心ちどものまどひに聞えさせたがふる事どもゝ侍りなむ。さらばかくおぼし惑へる御心ちも限りあることにて少ししづまらせ給ひなむ程に、聞えさせうけ給はらむ」とてわれにもあらぬさまなればのたまひ出づることも口ふたがりて「げにこそ闇に惑へる心ちすれ。猶聞え慰め給ひて聊の御返りもあらばなむ」などのたまひおきて立ち煩ひ給ふもかるがるしうさすがに人さわがしければ歸り給ひぬ。今宵しもあらじと思ひつる事どものしたゝめいと程なくきはきはしきをいとあへなしと覺いて近き御さうの人々めしおほせてさるべき事ども仕うまつるべくおきて定めて出で給ひぬ。事の俄なればそぐやうなりつる事ども嚴めしう人數などもそひてなむ。大和守もありがたき殿の御心おきてなど悅びかしこまりきこゆ。名殘だになくあさましきことゝ宮はふしまろび給へどかひなし。親と聞ゆともいとかくはならはすまじきものなりけり。見奉る人々もこの御事を又ゆゝしう歎き聞ゆ。大和守のこりの事どもしたゝめて、「かく心ぼそくてはえおはしまさじ。いと御心のひまあらじ」など聞ゆれど猶峯の煙をだにけぢかくて思ひ出で聞えむとこの山里に住みはてなむとおぼいたり。御忌にこもれる僧は東面のそなたの渡殿しもやなどにはかなき隔てしつゝかすかにゐたり。西の廂をやつして宮はおはします。明け暮るゝもおぼしわかねど月比へければ九月になりぬ。山おろしいとはげしう木の葉のかくろへなくなりて萬の事いといみじき程なれば、大方の空にもよほされてひるまもなくて覺し歎き、命さへ心にかなはずといとはしういみじうおぼす。さぶらふ人々も萬に物悲しう思ひまどへり。大將殿は日々にとぶらひ聞え給ふ。寂しげなる念佛の僧など慰むばかり萬の物を遣はしとぶらはせ給ひ、宮のお前には哀に心深き言の葉を盡して恨み聞え、かつはつきもせぬ御とぶらひを聞え給へど取りてだに御覽ぜず、すゞろにあさましきことをよわれる御心ちに疑ひなくおぼししみて、消え失せ給ひにし事をおぼし出づるに、後の世の御罪にさへやなるらむと胸にみつ心地して、この人の御事をだにかけていへばいとゞつらく心うき淚のもよほしにおぼさる。人々聞え煩ひぬ。ひとくだりの御返りだになきを、しばしは心惑ひのし給へるなどおぼしけるに、あまりに程經ぬれば悲しき事もかぎりあるを、などかかくあまり見しり給はずはあるべき、いふかひなく若々しきやうにとうらめしうことごとのすぢに花や蝶やとかけばこそあらめ、我が心に哀と思ひ物歎かしきかたざまのことをいかにと問ふ人は睦しう哀にこそおぼゆれ、大宮のうせ給へりしをいと悲しとせちに思ひしに、致仕のおとゞのさしも思ふ給へらず、ことわりの世の別れにおほやけおほやけしきさはふばかりの事をけうじ給ひしにつらく心づきなかりしに、六條院のなかなかねんごろに後の御事をも營み給ひにしが、我がかたざまといふ中にも嬉しう見奉りし、その折に故衞門督をば取りわきて思ひつきにしぞかし、人がらのいたうしづまりて物をいたう思ひとゞめたりし心に哀もまさりて人より深かりしがなつかしう覺えしなど、つれづれと物をのみおぼしつゞけて明し暮し給ふ。女君猶この御中の氣色をいかなるにかありけむ、御息所とこそ文かよはしも細やかにし給ふめりしかなと思ひえがたくて、夕暮の空をながめ入りて臥したまへるところに若君してたてまつれ給へる、はかなき紙のはしに、

 「哀をもいかにしりてかなぐさめむあるや戀しきなきやかなしき。おぼつかなきこそ心うけれ」とあればほゝゑみて樣々にかく思ひよりてのたまふ。似げなのなきがよそへやとおぼす。いと疾くことなしびに、

 「いづれとかわきてながめむ消えかへる露も草葉のうへと見ぬ世を。大方にこそ悲しけれ」とかい給へり。猶かく隔て給へることゝ露の哀をばさしおきてたゞならず歎きつゝおはす。猶かく覺束なくおぼしわびて又わたり給へり。御忌などすぐしてのどやかにとおぼし靜めけれど、さてしも忍びはつまじう今はこの御なき名の何かはあながちにもつゝまむ、唯世づきてつひの思ひかなふべきにこそはと覺したちにければ、北の方の御思ひやりをあながちにもあらがひ聞え給はず、さうじみはつようおぼしはなるともかの一夜ばかりの御文をとらへ所にかこちてえしもすゝぎはて給はじとたのもしかりけり。九月十餘日、野山の氣色はふかく見しらぬ人だにたゞにやはおぼゆる、山風に堪へぬ木々の木末も峯の葛葉も心あわたゞしう爭ひ散るまぎれに、たふとき讀經の聲かすかに念佛などの聲ばかりして人のけはひいと少なう、木枯の吹き拂ひたるに鹿は唯籬のもとにたゝずみつゝ山田のひたにも驚かず色こき稻どもの中にまじりてうちなくもうれへがほなり。瀧の聲はいとゞ物思ふ人を驚かしがほに耳かしがましうとゞろきひゞく。叢の蟲のみぞより所なげになきよわりて枯れたる草の下よりりんだうのわれひとりのみ心ながうはひ出でゝ露けく見ゆるなど、皆例のこの比のことなれど折から所からにやいと堪へ難き程の物悲しさなり。例の妻戶のもとに立ちより給ひてやがて眺め出して立ち給へり。なつかしき程のなほしに色こまやかなる御ぞのうちめいとけうらにすきてかげよわりたる夕日のさすがに何心もなうさしきたるにまばゆげにわざとなく扇をさしかくし給へる手つき、女こそかうはあらまほしけれ、それだにかうはあらぬをと見奉る。物思ひのなぐさめにしつべくゑましきかほのにほひにて少將の君をとりわきてめしよす。簀子の程もなけれど奧に人やあらむと後めたくてえこまやかにも語らひ給はず。「猶近くてを、なはなち給ひそ、かく山深く分けいる志は隔て殘るべくやは。霧もいと深しや」とてわざとも見入れぬさまに山の方をながめてなほなほと切にのたまへば、鈍色の几帳を簾垂のつまより少しおし出でゝ据をひきそばめつゝ居たり。大和守の妹なれば離れ奉らぬうちに幼くよりおほしたて給ひければきぬの色いとこくてつるばみの喪ぎぬ一襲小袿着たり。「かく盡せぬ御事はさるものにて聞えむ方なき御心のつらさを思ひそふるに心魂もあくがれはてゝ見る人ごとに咎められ侍れば今は更に忍ぶべき方なし」といと多く恨みつゞけ給ふ。かの今はの御文のさまものたまひ出でゝいみじう泣き給ふ。この人もましていみじう泣きいりつゝ「その夜の御返りさへ見え侍らずなりにしを今は限の御心にやがておぼしいりて暗うなりにし程の空の氣色に御心ちまどひにけるを、さるよわめに例のものゝけのひきいれ奉るとなむ見給へし。過ぎにし御事にもほどほど御心惑ひ給ひぬべかりし折々多く侍りしを、宮の同じさまにしづみ給ひしをこしらへ聞えむの御心づよさになむやうやう物覺え給ひし。この御歎をばお前には唯われかの御氣色にてあきれてくらさせ給ひし」などのどめがたげに打ち歎きつゝはかばかしうもあらずきこゆ。「そよや、そもあまりにおぼめかしういふかひなき御心ちなり。今はかたじけなくとも誰をかはよるべに思ひ聞え給はむ。御山ずみもいと深き峯に世の中をおぼし絕えたる雲の中なめれば聞え通ひ給はむことかたし。いとかく心うき御氣色聞えしらせ給へ。萬の事さるべきにこそ。世にありへじとおぼすともしたがはぬ世なり。まづはかゝる御別れの御心にかなはゞあるべきことかは」など萬におほくの給へど、聞ゆべきこともなくて打ち歎きつゝ居たり。鹿のいといたく鳴くを「われおとらめや」とて、

 「里とほみ小野の篠原わけてきてわれもしかこそ聲もをしまね」とのたまへば、

 「ふぢごろも露けき秋の山人はしかのなく音にねをぞそへつる」。よからねど折からに忍びやかなるこわづかひなどをよろしう聞きなし給へり。御せうそことかう聞え給へど「今はかくあさましき夢の世を少しも思ひさます折あらばなむ、絕えぬ御とぶらひも聞えやるべき」とのみすくよかにいはせ給ふ。「いみじういふかひなき御心なりけり」と歎きつゝ歸り給ふ。道すがらも哀なる空を眺めて十三日の月いと花やかにさし出でぬればをぐら山もたどるまじうおはするに一條の宮はみちなりけり。いとゞうちあばれて未申の方のくづれたるを見いるればはるばるとおろしこめて人かげも見えず。月のみ遣水のおもてをあらはにすみなしたるに大納言こゝにてあそびなどし給ひし折々を思ひ出で給ふ。

 「見し人のかげすみはてぬ池水にひとりやどもる秋の夜の月」とひとりごちつゝ殿におはしても月を見つゝ心は空にあくがれ給へり。「さも見苦しう、あらざりし御くせかな」と御達もにくみあへり。上はまめやかに心うくあくがれたちぬる御心なめり、もとよりさる方にならひ給へる六條院の人々をともすればめでたきためしにひき出でつゝ心よからずあひだちなきものに思ひ給へるわりなしや、われも昔よりしかならひなましかば人めもなれてなかなかすぐしてまし、世のためしにしつべき御心ばへと親はらからよりはじめ奉りめやすきあえものにし給へるを、ありありてすゑにはぢがましきことやあらむなど、いといたう歎い給へり。夜も明けがた近くかたみにうち解け給ふことなくてそむきそむきに歎きあかして朝霧の晴間もまたず例の文をぞ急ぎ書きたまふ。いと心づきなしとおぼせどありしやうにもばひ給はず。いとこまやかにかきてうち置きて嘯きたまふ。忍び給へどもりて聞きつけらる。

 「いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとかいひしひとこと。うへより落つるとやかいたまへらむ。おしつゝみて名殘もいかでよからむ」など口ずさび給へり。人めして給ひつ。御返事をだに見つけてしがな、猶いかなることぞとけしき見まほしうおぼす。日たけてぞもて參れる。紫のこまやかなる紙すくよかにて小少將ぞ例の聞えたる。唯同じさまにかひなきよしを書きていとほしさにかのありつる御文に手習ひすさみ給へるをぬすみたるとて中にひきやりて入れたり。目には見給ひてけりとおぼすばかりの嬉しさぞいと人わろかりける。そこはかとなく書き給へるを見つゞけ給へれば、

 「朝夕になくねをたつるをの山は絕えぬなみだやおとなしの瀧」とやとりなすべからむふることなど物思はしげにかきみだり給へる御手など見所あり。人のうへなどにてかやうのすき心思ひいらるゝはもどかしう現心ならぬことに見聞きしかど、身のうへにてはげにいと堪へがたかるべきわざなりけり、あやしや、などかうしも思ふらむと思ひかへし給へどえしもかなはず。六條院にも聞しめしていとおとなしう萬を思ひしづめ人のそしり所なくめやすくて過ぐし給ふをおもだゝしう我がいにしへ少しあざればみあだなる名をとり給ひしおもておこしに嬉しう覺しにたるを、いとほしういづ方にも心苦しき事のあるべきことさしはなれたるなからひにてだにあらでおとゞなどもいかに思ひ給はむ、さばかりの事たどらぬにはあらじ、宿世といふもの遁れわびぬる事なり、ともかくも口いるべきことならずとおぼす。女のためのみこそ何方にもいとほしけれとあいなく聞しめしなげく。紫の上にもきし方行く先のことおぼし出でつゝかうやうのためしを聞くにつけてもなからむ後うしろめたう思ひ聞ゆるさまをのたまへば、御顏うち赤めて心うくさまでおくらかし給ふべきにやとおぼしたり。女ばかり身をもてなすさまも所せう哀なるべきものはなし。物の哀をもをかしきことをも見知らぬさまにひきいりしづみなどすれば何につけてか世にふるはえばえしさも常なき世のつれづれをも慰むべきぞは、大かた物の心をしらずいふかひなきものにならひたらむもおほしたてけむ親もいと口をしかるべきものにはあらずや、心にのみこめて無言太子とか、法師ばらの悲しきことにする昔のたとひのやうに惡しき事善き事を思ひしりながらうづもれなむもいふかひなし、我が心ながらもよき程にはいかでたもつべきぞとおぼしめぐらすにも今はたゞ女一の宮の御ためなり。大將の君參り給へるついでありて思ひ給へらむ氣色もゆかしければ「御息所の忌はてぬらむな。昨日今日と思ふほどに三そ年よりあなたのことになる世にこそあれ。哀にあぢきなしや。夕の露のかゝる程のむさぼりよ。いかでこのかみそりて萬そむきすてむと思ふを、さものどやかなるやうにても過ぐすかな。いとわろきわざなりや」とのたまふ。「誠にをしげなき人だにおのがじゝは離れ難く思ふ世にこそ侍るめれ」など聞えて「御息所の四十九日のわざなど大和守某のあさん一人あつかひ侍る、いと哀なるわざなりや。はかばかしきよすがなき人は生ける世のかぎりにてかゝる世の果こそ悲しう侍りけれ」と聞え給ふ。「院よりもとぶらはせ給ふらむ。かのみこいかに思ひ歎き給ふらむ。はやう聞きしよりはこの近き年頃事にふれてきゝ見るに、この更衣こそ口惜しからずめやすき人のうちなりけれ。大方の世につけて惜しきわざなりや。さてもありぬべき人のかううせゆくを院もいみじう驚きおぼしたりけり。かのみここそはこゝに物し給ふ入道の宮よりさしつぎにはらうたうし給ひけれ。人ざまもよくおはすべし」とのたまふ。「御心はいかゞ物し給ふらむ。御息所はこともなかりし人のけはひ心ばせになむ。したしう打ち解け給はざりしかどはかなきことのついでにおのづから人の用意はあらはなるものになむ侍る」と聞え給ひて宮の御事もかけずいとつれなし、かばかりのすくよけ心に思ひそめてむこと諫めむにかなはじ、用ゐざらむものから我さかしにこと出でむもあいなしとおぼして止みぬ。かくて御法事に萬とりもちてせさせ給ふ。ことの聞えおのづから隱れなければ大殿などにも聞き給ひてさやはあるべきなど、女がたの心あさきやうに、おぼしなすぞわりなきや。かの日は昔の御心あれば君達もまかでとぶらひ給ふ。誦經など殿よりもいかめしうせさせ給ふ。これかれさまざま劣らずし給へれば時の人のかやうのわざに劣らずなむありけり。宮はかくて住みはてなむと覺したつことありけれど院に人のもらし奏しければ「いとあるまじきことなり。げに數多とざまかうざまに身をもてなし給ふべき事にもあらねど、後見なき人なむ、なかなかさるさまにてあるまじき名をたち、罪えがましきときこの世後の世中空にもどかしき咎おふわざなる。こゝにかく世を捨てたるに三宮のおなじごと身をやつし給へる、すゑなきやうに人の思ひいふも捨てたる身に思ひなやむべきにはあらねど、必ずさしもやうのことゝ爭ひ給はむもうたてあるべし。世のうきにつけて厭ふはなかなか人わろきわざなり。心と思ひとるかたありて今すこし思ひしづめ心すましてこそともかうも」と度々聞え給ひけり。このうきたる御名をぞ聞しめしたるべき、さやうのことの思はずなるにつけてうんじ給へるといはれ給はむことをおぼすなりけり。さりとて又あらはれてものし給はむもあはあはしう心づきなきことゝおぼしながら耻しとおぼさむもいとほしきを、何かはわれさへ聞きあつかはむとおぼしてなむこのすぢはかけても聞え給はざりける。大將も、とかくいひなしつるも今はあいなし、かの御心にゆるし給はむことはかたげなめり、御息所の心しりなりけりと人にはしらせむ、いかゞはせむ、なき人に少しあさき咎はおほせていつありそめしことぞともなく紛はしてむ、さらがへりてけさうだち淚を盡しかゝづらはむもいとうひうひしかるべしと思ひ給ひて、一條にわたり給ふべき日その日ばかりと定めて大和守めしてあるべきさはふのたまひ、宮のうちはらひしつらひ、さこそいへども女どちは草しげう住みなし給へりしを、磨きたるやうにしつらひなして御心づかひなどあるべきさはふめでたう壁代御屛風几帳おましなどまでおぼしよりつゝ大和守にのたまひてかの家にぞ急ぎつかうまつらせ給ふ。その日はわれおはしゐて御車御前など奉れ給ふ。宮は更に渡らじとおぼしのたまふを人々いみじう聞え大和守も「更にうけ給はらじ、心ぼそく悲しき御有樣を見奉りなげきこのほどの宮仕はたゆるに隨ひて仕うまつりぬ。今は國のことも侍り罷り下りぬべし。宮の內の事も見給へゆづるべき人も侍らず。いとたいたいしういかにと見給ふるを、かく萬におぼしいとなむを、げにこの方にとりて思ひ給ふるには必ずしもおはしますまじき御有樣なれど、さこそはいにしへも御心にかなはぬためし多く侍れ。一所やは世のもどきをもおはせ給ふべき。いと幼くおはしますことなり。たけうおぼすとも女の御心ひとつに我が御身をとりしたゝめ顧み給ふべきやうかあらむ。猶人のあがめかしづき給へらむに助けられてこそ深き御心のかしこき御おきてもそれにかゝるべきものなれ。君達の聞えしらせ奉り給はぬなり。かつはさるまじき事をも御心どもに仕うまつりそめ給ひて」といひつゞけて左近少將をせむ。あつまりてきこえこしらふるにいとわりなく、あざやかなる御ぞども人々の奉りかへさするもわれにもあらず、猶いとひたぶるにそぎ捨てまほしうおぼさるゝ御ぐしをかき出で見給へば六尺ばかりにて少しほそりたれど人はかたはにも見奉らず。みづからの御心には、いみじのおとろへや、人に見ゆべき有樣にもあらず、さまざまに心うき身をとおぼしつゞけてまた臥し給ひぬ。「時たがひぬ。夜も更けぬべし」と皆さわぐ。時雨いと心あわたゞしう吹きまがひ、萬にものがなしければ、

 「のぼりにし峯の煙にたちまじり思はぬかたになびかずもがな」。心ひとつにはつよくおぼせどその比は御鋏などやうのものは皆とりかくして人々のまもり聞えければ、かくもてさわがざらむにだに、何のをしげある身にてかをこがましう若々しきやうにはひき忍ばむ、人きゝもうたておずましかべきわざをとおぼせば、そのほいのごともし給はず。人々は皆急ぎたちておのおの櫛手箱唐櫃萬の物をはかばかしからぬ袋やうのものなれど皆さきだてゝ運びたれば一人とまり給ふべうもあらで、泣く泣く御車に乘り給ふものから、かたはらのみまもられ給ひてこち渡り給ひし時御心地の苦しきにも御ぐしかきなでつくろひおろし奉り給ひしをおぼし出づるに、目もきりていみじ。御はかしにそへて經箱をそへたるが御かたはらもはなれねば、

 「戀しさのなぐさめがたきかたみにて淚にくもる玉のはこかな」。黑きもまだしあへさせ給はず。かの手ならし給へりし螺鈿の箱なりけり。誦經にせさせ給ひしをかたみにとゞめ給へるなりけり。浦島の子が心地なむ。おはしましつきたれば殿の內悲しげもなく人げ多くてあらぬさまなり。御車よせており給ふを更にふる里とおもほえず、疎ましううたておぼさるれば頓にもおり給はず。いと怪しう若々しき御さまかなと人々も見奉り煩ふ。殿はひんがしの對の南面を我が御方に假にしつらひてすみつきがほにおはす。三條殿には人々「俄にあさましうなり給ひぬるかな。いつの程にありしことぞ」と驚きけり。なよゝかにをかしばめることを好ましからずおぼす人はかくゆくりかなることぞ打ちまじり給うける。されど年經にけることを音なく氣色ももらさで過ぐし給ひけるなりとのみ思ひなして、かく女の御心ゆるび給はぬと思ひよる人もなし。とてもかくても宮の御ためこそいとほしけれ。御まうけなどさまかはりて物のはじめゆゝしげなれど物まゐらせなど皆しづまりぬるにわたり給ひて、少將の君をいみじうせめ給ふ。「御志まことにながうおぼされば今日明日を過ぐして聞えさせ給へ。なかなか立ちかへりて物おぼししづみてなき人のやうにてなむふさせ給ひぬる。こしらへ聞ゆるをもつらしとのみおぼされたれば何事も身のためこそ侍れ。いと煩はしう聞えさせにくゝなむ」と聞ゆ。「いとあやしう推し量り聞えさせしには違ひていはけなく心得難き御心にこそありけれ」とて思ひよれるさま、人の御ためも我がためも世のもどきあるまじうのたまひ續くれば、「いでや只今は又いたづら人に見なし奉るべきにやと、あわたゞしき亂り心ちに萬思ひ給へわかれず。あが君とかくおしたちてひたぶるなる御心な遣はせ給ひそ」と手をする。「いとまだしらぬよかな。にくゝめざましと人よりけに覺しおとすらむ身こそいみじけれ。いかで人にもことわらせむ」と、いはむ方なしと覺してのたまへば、さすがにいとほしうもあり。「まだしらぬはげに世づかぬ御心構へのけにこそはと、ことわりはげに何方にかはよる人侍らむとすらむ」と、少しうち笑ひぬ。かく心ごはけれど今はせかれ給ふべきならねばやがてこの人をひきたてゝ推し量りにいり給ふ。宮はいと心うくなさけなくあはつけき人の心なりけりと、ねたくつらければ若々しきやうにはいひさわぐともとおぼして塗籠におましひとつしかせ給ひて內よりさして大殿ごもりにけり。これもいつまでにかは、かばかりに亂れ立ちにたる人の心どもはいと悲しう口をしうおぼす。男君はめざましうつらしと思ひ聞え給へどかばかりにては何のもてはなるゝことかはと、のどかにおぼして萬に思ひあかし給ふ。山鳥の心ちぞし給ひける。辛うじて明方になりぬ。かくてのみことゝいへばひたおもてなるべければ出で給ふとて唯聊のひまをだにといみじう聞え給へどいとつれなし。

 「恨みわびむねあきがたき冬の夜にまたさしまさる關のいはかど。聞えむ方なき御心なりけり」となくなく出で給ふ。六條院にぞおはして休ひ給ふ。ひんがしのうへ「一條の宮渡し奉り給へることゝかの大殿わたりなどに聞ゆる、いかなる御事にかは」といとおほどかにの給ふ。御簾に御几帳そへたれどそばよりほのかには猶見え奉り給ふ。「さやうにも猶人のいひなしつべきことに侍り。故御息所はいと心强うあるまじきさまにいひはなち給ひしかど、かぎりのさまに御心ちの弱りけるに又見ゆづるべき人のなきや悲しかりけむ。なからむ後のうしろみにとやうなることの侍りしかばもとよりの志も侍りしことにてかく思ひ給へなりぬるをさまざまいかに人あつかひ侍らむかし。さしもあるまじきことをもあやしう人こそ物いひさがなきものにあれ」とうち笑ひつゝ「かのさうじみなむ、猶世にへじと深う思ひたちて尼になりなむと思ひむすぼゝれ給ふめれば、なにかはこなたかなたにきゝにくゝも侍るべきを、さやうに嫌疑はなれても、又かの遣言はたがへじと思ひ給へて唯かくいひあつかひ侍るなり。院のわたらせ給へらむにも事のついで侍らばかうやうにまねび聞えさせ給へ。ありありて心づきなき心つかふとおぼしのたまはむをはゞかり侍りつれどげにかやうのすぢにてこそ人のいさめをもみづからの心にも隨はぬやうに侍りけれ」と忍びやかに聞え給ふ。「人のいつはりにやと思ひ侍りつるを誠にさるやうある御氣色にこそは。皆世の常のことなれど三條の姬君のおぼさむ事こそいとほしけれ。のどやかにならひ給うて」と聞え給へば、「らうたげにものたまへなす姬君かな。いと鬼々しう侍るさがなものを」とて「などてかそれをもおろかにはもてなし侍らむ。かしこけれど御ありさまどもにてもおしはからせ給へ。なだらかならむのみこそ人はつひのことには侍るめれ。さがなくことがましきも暫しはなまむつかしう煩らはしきやうには憚らるゝことあれど、それにしも隨ひはつまじきわざなれば事の亂れ出できぬるのちわれも人もにくげにあきたしや。猶南のおとゞの御心用ゐこそさまざまにありがたう、さてはこの御方の御心などこそはめでたきものには見奉りはて侍りぬれ」などほめ聞え給へば、笑ひ給ひて「物のためしに引きいで給ふ程に身の人わろき覺えこそ顯はれぬべう。さてをかしきことは院のみづからの御くせをば人しらぬやうに聊あだあだしき御心づかひをばたいしとおぼいていましめ申し給ふ、しりうごとにも聞え給ふめるこそさかしだつ人のおのがうへしらぬやうに覺え侍れ」とのたまへば「さなむ常にこの道をしもいましめ仰せらるゝ。さるはかしこき御敎ならでもいとよくをさめて侍る心を」とてげにをかしと思ひ給へり。お前に參り給へればかの事は聞しめしたれど何かはきゝがほにもとおぼいて唯うちまもり給へるに、いとめでたくきよらにこの比こそねびまさり給へる御盛なめれ。さるさまのすきごとをし給ふとも人のもどくべきさまもし給はず、鬼神も罪ゆるしつべくあざやかに物淸げに若う盛ににほひをちらし給へり。物思ひしらぬわかうどのほどにはたおはせず、かたほなるところなうねびとゝのほり給へることわりぞかし。女にてなどかめでざらむ、鏡を見てもなどかおごらざらむと我が御子ながらも覺す。日たけて殿には渡り給へり。入り給ふより若君たちすぎすぎうつくしげにてまつはれ遊び給ふ。女君は帳の內にふし給へり。入り給へれど目も見あはせ給はず。つらきにこそはあめれと見給ふもことわりなれど、はゞかり顏にももてなし給はず。御ぞをひきやり給へれば「いづことておはしつるぞ。まろは早うしにき、常に鬼とのたまへば同じくはなりはてなむとて」とのたまふ。「御心こそ鬼よりけにもおはすれ。さまはにくげもなければ得うとみはつまじ」と何心もなういひなし給ふも心やましうて「めでたきさまになまめい給へらむあたりにありふべき身にもあらねばいづちもいづちもうせなむとす。猶かくだになおぼし出でそ。あいなく年比を經けるだに悔しきものを」とて起きあがり給へるさまはいみじうあいぎやうづきてにほひやかにうち赤め給へる顏いとをかしげなり。「かく心幼げに腹立ちなし給へればにや、めなれてこの鬼こそ今は恐しくもあらずなりにたれ。かうがうしきけをそへばや」と戯にいひなし給へば「何事いふぞとよ。おいらかにしに給ひね。まろも死なむ。見ればにくし、聞けば愛ぎやうなし、見捨てゝ死なむは後めたし」とのたまふにいとをかしきさまのみまさればこまやかに笑ひて「近くこそ見給はざらめ、よそにはなどか聞き給はざらむ。さても契深かなる世をしらせむの御心なゝり。俄にうち續くべかなるよみぢのいそぎはさこそは契り聞えしか」といとつれなく聞えて、何くれとこしらへ聞え慰め給へばいと若やかに心うつくしうらうたき心はたおはする人なればなほざりごとゝ見給ひながら、おのづからなごみつゝ物し給ふを、いと哀とおぼすものから心は空にて、かれもいと我が心をたてゝつようものものしき人のけはひには見え給はねど、もし猶ほ意ならぬことにて尼になども思ひなり給ひなばをこがましうもあべいかなと思ふに、暫しはとだえおくまじうあわたゞしき心ちして暮れ行くまゝに、今日も御かへりだになきよとおぼして心にかゝりていみじうながめをし給ふ。昨日今日つゆも參らざりける、物聊參りなどしておはす。「昔より御ために志のおろかならざりしさま、おとゞのつらくもてなし給ひしに、世の中のしれがましき名をとりしかど堪へ難きをねんじてこゝかしこすくみ氣色ばみしあたりを數多聞き過ぐしゝ有樣は女だにさしもあらじとなむ、人ももどきし。今思ふにもいかでかはさありけむと、我が心ながらいにしへだに重かりけりと思ひしらるゝを、今はかくにくみ給ふともおぼしすつまじき人々いと所せきまで數そふめれば御心ひとつにもてはなれ給ふべくもあらず。又よしみ給へや、命こそさだめなき世なれ」とてうち泣き給ふこともあり。女も昔の事を思ひ出で給ふに哀にもありがたかりし御中のさすがに契深かりけるかななど思ひ出でたまふ。なよびたる御ぞどもぬぎ給うて心ことなるをとりかさねてたきしめ給ひ、めでたうつくろひけさうして出で給ふを、ほかげに見いだして忍び難く淚の出でくれば脫ぎとめ給へるひとへの袖をひきよせて、

 「なるゝ身をうらみむよりは松島のあまの衣にたちやかへまし。猶うつし人にてはえすぐすまじかりけり」とひとりごとにのたまふを、立ちとまりて「さも心うき御心かな。

  松島のあまのぬれぎぬなれぬとてぬぎかへつてふ名をたゝめやは」。うちいそぎていとなほなほしや。かしこには猶さし籠り給へるを、人々「かくてのみやは。若々しうけしからぬ聞えも侍りぬべきを、例の御有樣にて、あるべき事をこそ聞え給はめ」など萬に聞えければ、さもある事とはおぼしながら今より後よその聞えをも我が御心の過ぎにし方をも心づきなくうらめしかりける人のゆかりとおぼししりてその夜も對面し給はず。「戯れにくゝ珍らかなり」と聞え盡し給ふ。人もいとほしと見奉る。「聊も人心ちするをりあらむに忘れ給はずばともかうも聞えむ。この御服の程は一筋に思ひ亂るゝことなくてだに過ぐさむとなむ深くおぼしのたまはするを、かくいとあやにくにしらぬ人なくなりぬめるを、猶いみじうつらきものに聞え給ふ」と聞ゆ。「思ふ心は又ことざまに後やすきものを、思はずなりける世かな」と打ち歎きて「例のやうにておはしまさば物ごしなどにても思ふことばかり聞えて、御心破るべきにもあらず。數多の年月をも過ぐしつべくなむ」などつきもせず聞え給へど「猶かゝるみだれにそへてわりなき御心なむいみじうつらき。人のきゝ思はむことも萬になのめならざりける身のうさをばさるものにて殊更に心うき御心がまへなり」と又いひかへし恨み給ひつゝ遙にのみもてなし給へり。さりとてかくのみやは、人の聞き漏さむこともことわりと、はしたなうこゝの人めもおぼえ給へば「うちうちの御心づかひはこののたまふさまにかなひてもしばしはなさけばまむ。世づかぬ有樣のいとうたてあり、又かゝりとてかきたえ參らずは人の御名いかゞはいとほしかるべき。ひとへに物をおぼしてをさなげなるこそいとほしけれ」などこの人をせめ給へば、げにとも思ひ、見奉るも今は心ぐるしう辱うおぼゆるさまなれば、人かよはし給ふ塗籠の北の口より入れ奉りてけり。いみじうあさましうつらしと、さぶらふ人をもげにかゝる世の人の心なればこれよりまさるめをも見せつべかりけりと、たのもしき人もなくなりはて給ひぬる御身を返す返す悲しうおぼす。男は萬におぼししるべきことわりを聞え知らせ、言の葉おほう哀にもをかしうも聞え盡し給へど、つらく心つきなしとのみおぼいたり。「いとかういはむ方なきものにおぼされける身の程はたぐひなうはづかしければ、あるまじき心のつきそめけむも心ちなく悔しうおぼえ侍れど、とり返すものならぬうちに何のたけき御名にかはあらむ。いふかひなくおぼしよはれ思ふにかなはぬ時身をなぐるためしも侍るなるを、唯かゝる心ざしをふかき淵になずらへ給ひて捨てつる身とおぼしなせ」と聞え給ふ。單衣の御ぞをひきくゝみてたけきことゝはねをなき給ふさまの心深くいとほしければ、いとうたて、いかなればいとかうおぼすらむ、いみじう思ふ人もかばかりになりぬれば、おのづからゆるぶ氣色もあるを、岩木よりけに靡き難きは契遠うてにくしなど思ふやうあなるを、さやおぼすらむと思ひよるに、あまりなれば心うくて三條の君の思ひ給ふらむ事、いにしへも何心もなうあひ思ひかはしたりし世の事、年比今はとうらなきさまにうちたゆみとけ給へるさまを思ひ出づるも、我が心もて、いと味氣なう思ひ續けらるれば、あながちにもこしらへ聞え給はず歎きあかし給ひつ。かうのみしれがましうて出で入らむもあやしければ今日はとまりて心のどかに坐す。かくさへひたぶるなるをあさましと宮はおぼいて、いよいよ疎き御氣色のまさるを、をこがましき御心かなとかつはつらきものから哀なり。塗籠も殊にこまかなる物多うもあらでかうの唐櫃御厨子などばかり、あるはこなたかなたにかきよせてけぢかうしつらひてぞおはしける。內はくらきこゝちすれど、朝日さし出でたるけはひもり來たるに、うづもれたる御ぞひきやり、いとうたて亂れたるみぐしかきやりなどしてほの見奉り給ふ。いとあてに女しうなまめいたるけはひし給へり。男の御さまはうるはしだち給へる時よりも打ち解けて物し給ふは限もなうきよげなり。故君の殊なることなかりしだに心のかぎり思ひあがり御かたちまほにおはせずと、事の折に思へりし氣色をおぼしいづれば、ましてかういみじう衰へにたる有樣をしばしにても見忍びなむやと思ふもいみじうはづかし。とざまかうざまに思ひめぐらしつゝ我が御心をこしらへ給ふ。唯傍痛うこゝもかしこも人のきゝおぼさむことの罪さらむかたなきに、をりさへいと心うければ慰めがたきなりけり。御手水御かゆなど例のおましの方に參れり。色ことなる御しつらひもいまいましきやうなれば、ひんがし面は屛風をたてゝも屋のきはに香染の御几帳などことごとしきやうに見えぬもの沈の二階などやうのをたてゝ心ばへありてしつらひたり。守のしわざなりけり。人々もあざやかならぬ色の山吹、搔練、濃ききぬ、靑鈍などを着かへさせ薄色のも、靑朽葉などをとかくまぎらはして御だいはまゐる。女所にてしどけなく萬の事ならひたる宮のうちにありさま心とゞめて僅なる下人をもいひとゝのへこの人一人のみあつかひおこなふ。かくおぼえぬやんごとなきまらうどの坐すると聞きて、もと勤めざりけるけい司などうちつけに參りてまどころなどいふ方に侍ひて營みけり。かくせめて住みなれがほつくり給ふ程、三條殿かぎりなめりと、さしもやはとこそ、かつは賴みつれ、まめびとの心かはるは名殘なくなむと聞きしは誠なりけりと世をこゝろみはつる心地して、いかさまにしてこのなめげさを見じとおぼしければ、大殿へ方たがへむとて渡り給ひにけるを、女御の御里におはする程などにたいめし給ひて、少し物思ひはるけ所に覺されて例のやうにも急ぎ渡り給はず。大將殿も聞き給ひて、さればよいと急に物し給ふ本性なり、このおとゞもはたおとなおとなしうのどめたる所さすがになく、いとひきゝりに花やい給へる人々にてめざまし見じ聞かじなどひがひがしき事どもしいで給ひつべきと驚かれ給ひて三條殿に渡り給へれば、君達もかたへはとまり給へれば、姬君たちさてはいとをさなきとをぞゐておはしにける。見つけて悅びむつれあるはうへを戀ひ奉りて憂へ泣き給ふを心苦しとおぼす。せうそこたびたび聞えて迎に奉れ給へど御かへりだになし。かくかたくなしうかるがるしの世やとものしう覺え給へど、おとゞの見聞き給はむ所もあればくらしてみづから參り給へり。寢殿になむ坐するとて例の渡り給ふ方は御達のみ侍らふ。若君達ぞ乳母にそひておはしける。「今更にわかわかしの御まじらひや、かゝる人をこゝかしこにおとしおき給ひてなど寢殿の御まじらひはふさはしからぬ御心のすぢとは年比見知りたれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひ聞えて今はかくくだくだしき人のかずかず哀なるをかたみに見すつべきにやは」とたのみ聞えける。「はかなきひとふしにかうはもてなし給ふべくや」といみじうあばめ恨み申し給へば、「何事も今はとみあき給ひにける身なれば今はたなほるべきにもあらぬを、何かは」とて「あやしき人々は覺しすてずは嬉しうこそはあらめ」と聞え給へり。「なだらかの御いらへや。いひもていけば誰が名か惜しき」とてしひて渡り給へともなくてその夜は一人臥し給へり。あやしう中空なる比かなと思ひつゝ君達を前にふせ給ひて、かしこに又いかに覺し亂るらむさま思ひやり聞え、やすからぬ心づくしなればいかなる人かうやうなることをかしうおぼゆらむなど物ごりしぬべう覺え給ふ。明けぬれば「人の見聞かむも若々しきを限とのたまひはてばさて試みむ。かしこなる人々もらうたげに戀ひ聞ゆめりしをえり殘し給へるやうあらむとはみながらも思ひすてがたきを、ともかくももてなし侍りなむ」とおどし聞え給へば、すがすがしき御心にてこの君達をさへや知らぬ所に率て渡し給はむとあやふし。「姬君をいざ給へかし見奉りにかく參りくることもはしたなければ常にも參りこじ。かしこにも人々のらうたきをおなじ所にてだに見奉らむ」と聞え給ふ。まだいといはけなくをかしげにておはす。いと哀と見奉りたまひて「母君の御敎になかなひ給ひそ。いと心うく思ひとる方なき心あるはいと惡しきわざなり」と、いひしらせ奉り給ふ。おとゞかゝる事を聞き給ひて人わらはれなるやうにおぼし歎く。「しばしはさても見給はでおのづから思ふところ物せらるらむものを女のかくひききりなるもかへりては輕く覺ゆるわざなり。よしかくいひそめつとならば何かはをれてふとしも歸り給ふ。おのづから人の氣色心ばへは見えなむ」とのたまはせてこの宮に藏人の少將の君を御使にて奉り給ふ。

 「契あれや君を心にとゞめおきてあはれと思ひうらめしときく。猶えおぼしはなたじ」とある御文を少將もておはしてたゞいりに入り給ふ。南面の簀子にわらうださし出でゝ人々もの聞えにくし。宮はましてわびしとおぼす。この君は、中にいとかたちよくめやすきさまにてのどやかに見まはしていにしへを思ひ出でたる氣色なり。「參りなれにたる心ちしてうひうひしからぬにさも御覽じゆるさずもやあらむ」などばかりぞかすめ給ふ。「御返しいと聞えにくゝてわれは更にえかくまじ」との給へば「御志もうたてわかわかしきやうに、せじがきはた聞えさすべきにやは」と集まりて聞えさすればまづ打ち泣きて、故上おはせましかばいかに心づきなしとおぼしながらも罪をかくい給はましと思ひ出で給ふに、淚の水莖にさきだつ心ちしてかきやり給はず。

 「何ゆゑか世に數ならぬ身ひとつをうしとも思ひかなしともきく」とのみおぼしけるまゝに、かきもとぢめ給はぬやうにておしつゝみて出し給ひつ。少將は人々と物語して「時々さぶらふにかゝる御簾の前はたつきなき心ちし侍るを今よりはよすがある心ちして常に參るべし。ないげなどもゆるされぬべき年比のしるしあらはれ侍る心地なむし侍る」など氣色ばみおきて出で給ひぬ。いとゞしく心よからぬ御氣色あくがれまどひ給ふ程、大殿の君は日比ふるまゝにおぼし歎くことしげし。ないしのすけかゝる事を聞くに、われを世とともに許さぬものにの給ふなるにかくあなづりにくきことも出できにけるをと思ひて、文などは時々奉ればきこえたり。

 「數ならば身にしられまし世のうさを人のためにもぬらす袖かな」。なまけやけしとは見給へど物の哀なる程のつれづれにかれもいとたゞにはおぼえじとおぼすかた心ぞつきにける。

 「人の世のうきを哀と見しかども身にかへむとは思はざりしを」とのみあるを、おぼしけるまゝと哀に見る。この昔御中だえの程には、このないしのすけこそ人しれぬものに思ひとめ給へりしかど、ことあらためて後はいとたまさかにつれなくなりまさり給ひつゝ、さすがに君達は數多になりにけり。この御腹には、太郞君、三郞君、四郞君、六郞君、おほい君、中の君、四の君、五の君とおはす。內侍は、三の君、六の君、次郞君、五郞君とぞおはしける。すべて十二人が中にかたほなるなくいとをかしげにとりどりにおひ出で給ひける。內侍腹の君達しもなむかたちをかしう心ばせかどありて皆すぐれたりける。三の君、二郞君は、ひんがしのおとゞにぞとりわきてかしづき奉り給ふ。院も見なれたまひていとらうたくし給ふ。この御なからひのこといひやるかたなくとぞ。

御法

紫の上いたう煩ひ給ひし御こゝちの後、いとあつしくなり給ひてそこはかとなく惱み渡り給ふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月かさなればたのもしげなくいとゞあえかになりまさり給へるを、院のおもほし歎く事かぎりなし。しばしにても後れ聞え給はむことをばいみじかるべくおぼし、みづからの御心ちにはこの世に飽かぬことなくうしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとゞめまほしき御命ともおぼされぬを、年比の御契かけはなれ思ひ歎かせ奉らむことのみぞ、人しれぬ御心のうちにも物哀におぼされける。後の世のためにと尊き事どもを多くせさせ給ひつゝ「いかで猶ほいあるさまになりてしばしもかゝづらはむ命の程はおこなひをまぎれなく」とたゆみなく覺しの給へど更にゆるし聞え給はず。さるは我が御心にもしかおぼしそめたるすぢなれば、かくねんごろに思ひ給へるついでに催されて、おなじ道にも入りなむとおぼせど、一度家を出で給ひなば假にもこの世を顧みむとはおぼしおきてず。後の世にはおなじ蓮の座を分けむと契りかはし聞え給ひてたのみをかけ給ふ御中なれど、こゝながらつとめ給はむ程は、おなじ山なりとも峰を隔てゝあひ見奉らぬすみかにかけはなれなむ事をのみおぼしまうけたるに、かくいとたのもしげなきさまに惱みあつい給へば、いと心苦しき御有樣を今はとゆき離れむきざみには捨てがたく、なかなか山水のすみか濁りぬべくおぼしとゞこほるほどに、唯うちあざへたる思ひのまゝの道心起す人々にはこよなうおくれ給ひぬべかめり。御ゆるしなくて心ひとつにおぼしたゝむもさまあしくほいなきやうなればこの事によりてぞ女君もうらめしく思ひ聞え給ひける。我が御身をも罪輕かるまじきにやと後めたくおぼされけり。年比わたくしの御願にて書かせ奉り給ひける法華經千部急ぎて供養し給ふ。我が御殿とおぼす二條院にてぞし給ひける。七僧の法服などしなしな給はす。物の色縫ひ目よりはじめて淸らなる事かぎりなし。大かた何事もいといかめしきわざどもをせられたり。ことごとしきさまにも聞え給はざりければ委しき事どもゝしらせ給はざりけるに、女の御おきてにはいたりふかく佛の道にさへ通ひ給ひける御心の程を、院はいと限なしと見奉り給ひて大方の御しつらひ何かの事ばかりをなむ營ませ給ひける樂人舞人などのことは大將の君とりわきて仕うまつり給ふ。內、春宮、きさいの宮達をはじめ奉りて御方々こゝかしこに御誦經ほうもちなどばかりの事をうちし給ふだに所せきに、ましてその比この御いそぎを仕うまつらぬ所なければいとこちたき事どもあり。いつの程にいとかくいろいろおぼしまうけゝむ、げにいそのかみの世々を經たる御願にやとぞ見えたる。花散里と聞えし御方、明石なども渡り給へり。南東の戶をあけておはします。寢殿の西の塗籠なりけり。北の廂に方々の御局どもはさうじばかりをへだてつゝしたり。やよひの十日なれば花盛にて、空の景色などもうらゝかに物おもしろく、佛のおはすなる處の有樣遠からず思ひやられて、ことなる深き心もなき人さへ罪を失ひつべし。薪こるさんだんの聲もそこらつどひたるひゞきおどろおどろしきを、うち休みてしづまりたる程だに哀におぼさるゝを、ましてこの比となりて何事につけても心ぼそくのみおぼししる。明石の御方に三宮して聞えたまへる。

 「をしからぬこの身ながらもかぎりとて薪つきなむことのかなしさ」。御かへり心ぼそきすぢは後の聞えも心おくれたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。

 「薪こるおもひはけふをはじめにてこの世にねがふ法ぞはるけき」。夜もすがらたふときことにうちあはせたる鼓の聲絕えずおもしろし。ほのぼのと明け行く朝ぼらけ、霞の間より見えたる花のいろいろ猶春に心とまりぬべく匂ひわたりて百千鳥のさへづるも笛の音に劣らぬ心ちして物の哀もおもしろさも殘らぬ程に、陵王の舞ひて急になる程の末つかたの樂花やかに振はゝしく聞ゆるに、皆人のぬぎかけたる物のいろいろなども物の折からにをかしうのみ見ゆ。み子達上達部の中にも、物の上手ども手のこさず遊び給ふ。かみしも心ちよげに興ある氣色どもなるを見給ふにものこり少しと身をおぼしたる御心のうちには萬の事哀におぼえ給ふ。昨日例ならず起き居させ給へりし名殘にやいと苦しうて臥し給へる、年比かゝる物の折ごとに參りつどひ遊び給ふ人々の御かたち有樣のおのがじゝの才ども琴笛の音をも今日や聞き給ふべきとぢめならむとのみおぼさるれば、さしも目とまるまじき人の顏どもゝ哀に見渡され給ふ。まして夏冬の時につけたる遊び戯ぶれにもなまいどましきしたの心はおのづから立ちまじりもすらめど、さすがに情をかはし給ふ方々は誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我ひとり行くへしらずなりなむをおぼしつゞくるいみじう哀なり。ことはてゝおのがじゝ歸り給ひなむとするも遠きわかれめきてをしまる。花散里の御かたに、

 「絕えぬべき御法ながらぞたのまるゝ世々にと結ぶ中のちぎりを」。御かへり、

 「結びおくちぎりは絕えじ大かたののこりすくなきみのりなりとも」。やがてこのついでに不斷の讀經懺法などたゆみなく尊き事どもをせさせ給ふ。御ず法はことなるしるしも見えで程經ぬれば、例の事になりてうちはへさるべき所々寺々にてぞせさせ給ひける。夏になりては例の暑さにさへいとゞ消え入り給ひぬべき折々多かり。その事とおどろおどろしからぬ御心ちなれど、唯いとよわきさまになり給へれば、むつかしげに所せく惱み給ふ事もなし。さぶらふ人々もいかにおはしまさむとするにかと思ひよるにもまづかきくらしあたらしう悲しき御有樣と見奉る。かくのみおはすれば中宮この院にまかでさせ給ふ。ひんがしの對におはしますべければこなたにはた待ち聞え給ふ。儀式など例に變らねどこの世の有樣を見はてずなりぬるなどのみおぼせば、萬につけて物哀なり。名對面を聞き給ふにもその人かの人など耳とゞめて聞かれ給ふ。上達部などいと多く仕うまつり給へり。久しき御對面のとだえをめづらしくおぼして御物語こまやかに聞え給ふ。院入り給ひて「今夜はすばなれたる心ちして無德なりや。まかりやすみ侍らむ」とて渡り給ひぬ。起き居給へるを嬉しとおぼしたるもいとはかなき程の御なぐさめなり。「方々におはしましてはあなたに渡らせ給はむもかたじけなし。參らむことはたわりなくなりにて侍れば」とてしばしはこなたにおはすれば、明石の御方も渡り給ひて心深げにしづまりたる御物語ども聞えかはし給ふ。上は御心のうちにおぼしめぐらす事多かれどさかしげになからむ後などのたまひ出づることもなし。唯なべての世の常なき有樣をおほどかにことずくなゝるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、ことに出でたらむよりも哀に物心ぼそき御氣色はしるう見えける。宮達を見奉り給うても「おのおのゝ御行く末をゆかしく思ひ聞えけるこそかくはかなかりける身を惜む心のまじりけるにや」とて淚ぐみ給へる御顏の匂ひいみじうをかしげなり。などかうのみおぼしたらむとおぼすに中宮うち泣き給ひぬ。ゆゝしげになどは聞えなし給はず、物のついでなどにぞ「年比仕うまつりなれたる人々のことなるよるべなういとをしげなるはこの人かの人侍らずなりなむ後に御心とゞめて尋ねおもほせ」などばかり聞え給ひける。御讀經などによりてぞ例のわが御方に渡り給ふ。三宮はあまたの御中にいとをかしげにてありき給ふを、御心ちのひまには前にすゑ奉り給ひて人の聞かぬまに「まろが侍らざらむにおぼし出でなむや」と聞え給へば「いと戀しかりなむ。まろはうちの上よりも宮よりも母をこそまさりて思ひ聞ゆれ。おはせずば心ちむつかしかりなむ」とて目をすり紛はし給へるさまをかしければほゝゑみながら淚はおちぬ。「おとなになり給ひなばこゝに住み給ひてこの對の前なる紅梅と櫻とは花の折々に心留めてもてあそび給へ。さるべからむをりは佛にも奉り給へ」と聞え給へば、うちうなづきて御顏をまもりて淚の落つべかめれば立ちておはしぬ。とりわきておほしたて奉り給へればこの宮と姬宮とをぞ見さし聞え給はむこと口惜しく哀におぼされける。秋待ちつけて世の中すこし凉しくなりては御心ちも聊さはやぐやうなれど猶ともすればかごとがまし。さるは身にしむばかりおぼさるべき秋風ならねど露けきをりがちにてすぐし給ふ。中宮は參り給ひなむとするを今しばしは御覽ぜよとも聞えまほしうおぼせども、さかしきやうにもありうちの御使の隙なきも煩しければさも聞え給はぬに、あなたにもえ渡り給はねば宮ぞ渡り給ひける。かたはらいたけれどげに見奉らぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせ給ふ。こよなう瘦せほそり給へれどかくてこそあてになまめかしきことの限なさもまさりてめでたかりけれと、きしかたあまりにほひ多くあざあざとかはせしさかりはなかなかこの世の花のかをりにもよそへられ給ひしを、限もなくらうたげにをかしげなる御さまにていと假初に世を思ひ給へる氣色似るものなく心苦しくすゞろに物がなし。風すごく吹き出でたる夕暮に前栽見給ふとて脇息により居給へるを院渡りて見奉り給ひて「今日はいとよく起き居給ふめるはこの御前にてはこよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞え給ふ。かばかりのひまあるをもいと嬉しと思ひ聞え給へる御氣色を見給ふも心苦しく、つひにいかにおぼしさわがむと思ふにあはれなれば、

 「おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるゝ萩のうは露」。げにぞ折れかへりとまるべうもあらぬ花の露もよそへられたるをりさへ忍びがたきを、

 「やゝもせばきえをあらそふ露の世におくれさきだつ程へずもがな」とて御淚をはらひあへ給はず。宮、

 「秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む」と聞えかはし給ふ。御かたちどもあらまほしく見るかひあるにつけてもかくて千年をすぐすわざもがなとおぼさるれど、心にかなはぬことなればかけとめむ方なきぞ悲しかりける。「今は渡らせ給ひね。みだり心ちいと苦しくなり侍りぬ。いふかひなくなりにける程といひながらいとなめげに侍りや」とて御几帳ひきよせて臥し給へるさまの常よりもいとたのもしげなく見え給へば、いかにおぼさるゝにかとて宮は御手をとらへ奉りてなくなく見奉り給ふに誠に消えゆく露の心ちして限に見え給へば、御誦經の使ども數も知らずたち騷ぎたり。さきざきも斯ていき出で給ふ折にならひ給ひて御ものゝけと疑ひ給ひて夜一夜さまざまのことを盡させ給へどかひもなく、明けはつる程に消えはて給ひぬ。宮も歸り給はでかくて見奉り給へるをかぎりなくおぼす。誰もたれもことわりの別れにてたぐひあることゝもおぼされず、珍らかにいみじく明けぐれの夢にまどひ給ふほどさらなりや、さかしき人おはせざりけり。さぶらふ女房などもあるかぎり更に物覺えたるなし。院はましておぼししづめむ方なければ、大將の君近く參り給へるを御几帳のもとに呼び寄せ奉り給ひて「かく今はかぎりのさまなめるを、年比のほ意ありて思へる事かゝるきざみにその思ひたがへて止みなむがいといとほしきを、御加持にさぶらふ大とこ達讀經の僧などの皆聲やめて出でぬなめるをさりとも立ちとまりてものすべきもあらむ。この世には空しき心ちするを佛の御しるし今はかの暗き道のとぶらひだに賴み申すべきをかしらおろすべきよし物し給へ。さるべき僧誰かとまりたる」などのたまふ御けしき心づよくおぼしなすべかめれど、御顏の色もあらぬさまにいみじくたへかね御淚のとまらぬをことわりに悲しく見奉り給ふ。「御ものゝけなどのこれも人の御心亂らむとてかくのみものは侍るを、さもやおはしますらむ。さらばとてもかくても御ほ意のことはよろしき事に侍るなり。一日一夜にても忌むことのしるしこそは空しからず侍るなれど、誠にいふかひなくなりはてさせ給ひて、後の御髮ばかりをやつさせ給ひても、ことなるかの世の御光ともならせ給はざらむものから、目の前の悲びのみまさるやうにて、いかゞ侍るべからむ」と申し給ひて御忌に籠り侍ふべき志ありてまかでぬ僧その人かの人などめしてさるべきことゞもこの君ぞ行ひ給ふ。年比何やかやとおほけなき心はなかりしかど、いかならむ世にありしばかりも見奉らむ、ほのかにも御聲をだに聞かぬことなど心にも離れず思ひ渡りつるものを、聲は遂に聞かせ給はずなりぬるにこそはあめれ、空しき御からにても今一度見奉らむの志かなふべき折は只今より外にいかでかあらむと思ふに、つゝみもあへずなかれて女房のある限り騷ぎまどふを「あなかま、しばし」としづめ顏にて御几帳のかたびらを、物のたまふまぎれに引きあけて見給へば、ほのぼのと明け行く光もおぼつかなければ大となぶら近くかゝげて見奉り給ふに、あかず美しげにめでたう淸らに見ゆる御顏のあたらしさに、この君のかく覗き給ふを見る見るあながちにかくさむの御心もおぼされぬなめり。「かく何事もまだ變らぬ氣色ながら限りのさまはしるかりけるこそ」とて御袖を顏におしあて給へる程、大將の君も淚にくれて目も見え給はぬをしひてしをりあけて見奉るに、なかなか飽かず悲しき事たぐひなきに誠に心まどひもしぬべし。御髮の唯うちやられ給へる程こちたくきよらにてつゆばかり亂れたる氣色もなう艷々と美しげなるさまぞかぎりなき。火のいとあかきに御色はいとしろく光るやうにてとかくうちまぎらはす事ありし、うつゝの御もてなしよりもいふかひなきさまに何心なくて臥し給へる御有樣の飽かぬ所なしといはむも更なりや。なのめにだにあらずたぐひなきを見奉るに、死にいるたましひのやがてこの御からにとまらむとおもほゆるもわりなきことなりや。仕うまつりたる女房などの物おもほゆるもなければ、院ぞ何事もおぼしわかれずおぼさるゝ御心ちをあながちにしづめ給ひて限りの御ことゞもし給ふ。いにしへも悲しとおぼすことも數多見給ひし御身なれど、いとかうおりたちてはまだ知り給はざりけることを、すべてきしかた行くすゑたぐひなき心ちし給ふ。やがてその日とかくをさめ奉る。限りありける事なればからを見つゝもえ過ぐし給ふまじかりけるぞ心うき世の中なりける。はるばると廣き野の所もなく立ちこみて限りなくいかめしきさほふなれどいとはかなき烟にて程なくのぼり給ひぬるも例の事なれどあへなくいみじ。空をあゆむ心ちして人にかゝりてぞおはしましけるを見奉る人もさばかりいつかしき御身をと、物の心しらぬげすさへ泣かぬはなかりけり。御おくりの女房はまして夢路にまどふ心ちして車よりもまろび落ちぬべきをぞもてあつかひける。昔大將の君の御母君うせ給へりし時の曉を思ひ出づるにもかれは猶物のおぼえけるにや、月のかほのあきらかに覺えしを今夜は唯くれ惑ひ給へる。十四日にうせ給ひてこれは十五日の曉なりけり。日はいと花やかにさしあがりて野邊の露もかくれたるくまなくて世の中おぼしつゞくるにいとゞいとはしくいみじければ、おくるとてもいく世かはふべき。かゝる悲しさのまぎれに昔よりの御ほ意も遂げまほしくおもほせど、心よわき後のそしりをおぼせばこの程を過ぐさむとし給ふに胸のせきあぐるぞ堪へがたかりける。大將の君も御忌に罷り給ひてあからさまにもまかで給はず、明暮近くさぶらひて心苦しくいみじき御氣色をことわりに悲しく見奉り給ひて萬に慰め聞え給ふ。風野分だちて吹く夕暮に昔の事おぼしいでゝ、ほのかに見奉りしものをと戀しく覺え給ふに、又かぎりの程の夢の心ちせしなど人知れず思ひつゞけ給ふに、堪へがたく悲しければ、人めにはさしも見えじとつゝみて阿彌陀佛阿彌陀佛とひき給ふずゝの數にまぎらはしてぞ淚の玉はもてけち給ひける。

 「いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えしあけくれの夢」ぞなごりさへうかりける。やんごとなき僧どもさぶらはせ給ひて、定まりたる念佛をばさるものにて法華經など誦ぜさせ給ふ。かたがたいとあはれなり。臥しても起きても淚のひるよなくきりふたがりて明し暮し給ふ。いにしへより御身の有樣おぼしつゞくるに鏡に見ゆる影をはじめて人には異なりける身ながらいはけなき程より悲しく、常なき世を思ひしるべく佛などのすゝめ給ひける身を心づよくすぐして遂に來しかた行くさきもためしあらじと覺ゆる悲しさを見つるかな、今はこの世に後ろめたき事殘らずなりぬ、ひた道に行ひにおもむきなむにさはり所あるまじきを、いとかくをさめむ方なき心まどひにては、願はむ道にも入りがたくやとやゝましきをこの思ひ少しなのめに忘れさせ給へと阿彌陀佛を念じ奉り給ふ。所々の御とぶらひうちをはじめ奉りて例の作法ばかりにはあらずいとしげく聞え給ふ。おぼしめしたる心のほどにはさらに何事も目にも耳にもとゞまらず、心にかゝり給ふ事あるまじけれど、人にぼけぼけしきさまに見えじ、今更に我が世の末にかたくなしく心弱きまどひにて世の中をなむ背きにけるとながれとゞまらむ名をおぼしつゝむになむ、身を心に任せぬなげきをさへうちそへ給ひける。致仕のおとゞ哀をも折過し給はぬ御心にてかく世にたぐひなく物し給ふ人のはかなくうせ給ひぬることを口をしく哀におぼして、いとしばしば問ひ聞え給ふ。昔大将の御母上うせ給へりしもこの比のことぞかしとおぼし出づるにいと物悲しく、そのをりかの御身を惜み聞え給ひし人の多くもうせ給ひにけるかな、後れ先だつ程なき世なりけりやなど、しめやかなる夕暮にながめ給ふ。空の氣色もたゞならねば御子の藏人の少將して奉り給ふ。哀なることなどこまやかに聞え給ひて、はしに、

 「いにしへの秋さへ今のこゝちしてぬれにし袖に露ぞおきそふ」。をりからに萬のふる事おぼし出でられて何となくその秋の事戀しうかきあつめ、こぼるゝ涙をはらひもあへ給はぬまぎれに、御かへし、

 「露けさはむかし今ともおもほえず大かた秋のよこそつらけれ。物のみ悲しき御心のまゝならばまちとり給ひては心よわくも」と、目留め給ひつべきおとゞの御心ざまなればめやすきほどに」と「度々のなほざりならぬ御とぶらひのかさなりぬる事」と悅び聞え給ふ。うすゞみとのたまひしよりは、今すこしこまやかにて奉れり。世の中にさいはひありめでたき人も、あいなう大かたの世にそねまれ、善きにつけても心のかぎりおごりて人のため苦しき人もあるを、あやしきまですゞろなる人にもうけられ、はかなくしいで給ふことも何事につけても世にほめられ、心にくゝ折ふしにつけつゝらうらうしくありがたかりし人の御心ばへなりかし。さしもあるまじきおほよその人さへその比は風の音蟲の聲につけつゝ淚おとさぬはなし。ましてほのかにも見奉りし人の思ひ慰むべき世なし。年比むつまじく仕うまつり馴れたる人々しばしも殘れる命うらめしき事を歎きつゝ尼になりこの世の外の山ずみなどに思ひたつもありけり。冷泉院のきさいの宮よりもあはれなる御せうそこ絕えず、盡きせぬ事ども聞え給ひて、

 「枯れはつる野邊をうしとやなき人の秋に心をとゞめざりけむ。今なむことわり知られ侍りぬる」とありけるを、物おぼえぬ御心にもうちかへし置きがたく見給ふ。いふかひありをかしからむ方のなぐさめにはこの宮ばかりこそおはしけれと、聊物まぎるゝやうにおぼしつゞくるにも淚のこぼるゝを、袖のいとまなくえかきやり給はず。

 「のぼりにし雲ゐながらもかへり見よわれあきはてぬ常ならぬ世に。おしつゝみ給ひても」とばかりうち眺めておはす。すくよかにもおぼされず、われながら殊の外にほれほれしくおぼし知らるゝ事多かるまぎらはしに女がたにぞおはします。佛のお前に人しげからずもてなしてのどやかにおこなひ給ふ。千年をももろともにとおぼしゝかど、限ある別ぞいと口惜しきわざなりける。今は蓮の露もことことにまぎるまじく後の世をと、ひたみちにおぼしたつ事たゆみなし。されど人ぎゝをはゞかり給ふなむあぢきなかりける。御わざのことゞもはかばかしくのたまひ置きつることなかりければ、大將の君なむとりもちて仕うまつり給ひける。今日やとのみ我が身も心づかひせられ給ふをり多かるをはかなくてつもりけるも夢の心ちのみす。中宮などもおぼし忘るゝ時の間なく戀ひきこえたまふ。


春の光を見給ふにつけてもいとゞくれ惑ひたるやうにのみ御心ひとつは悲しさのあらたまるべくもあらぬに、とには例のやうに人々參り給ひなどすれど、御心地なやましきさまにもてなし給ひて御簾の內にのみおはします。兵部卿の宮わたり給へるにぞ、たゞうちとけたるかたにて對面し給はむとて御せうそこきこえ給ふ。

 「我が宿は花もてはやす人もなし何にか春のたづね來つらむ」。宮、うち淚ぐみ給ひて、

 「香をとめて來つるかひなく大方の花のたよりといひやなすべき」紅梅の下に步み出で給へる御さまのいとなつかしきにぞこれより外に見はやすべき人なくやと見え給へる。花はほのかに開けさしつゝをかしき程のにほひなり。御あそびもなく例に變りたること多かり。女房なども年比經にけるは墨ぞめの色こまやかにて、きつゝ悲しさも改めがたく思ひさますべき世なく戀ひ聞ゆるに、絕えて御方々にも渡り給はず、まぎれなく見奉るをなぐさめにて慣れ仕うまつる。年比まめやかに御心留めてなどはあらざりしかど時々は見放たぬやうにおぼしたりつる人々も、なかなかかゝる寂しき御ひとりねになりては、いとおほざうにもてなし給ひて夜の御とのゐなどにもこれかれと數多をおましのあたり引きさけつゝ侍らせ給ふ。つれづれなるまゝにいにしへの物語などし給ふ折々もあり。名殘なき御ひじりごゝろの深くなり行くにつけても、さしもありはつまじかりける事につけつゝ、中比物うらめしうおぼしたる氣色の時々見え給ひしなどをおぼし出づるに、などてたはぶれにても又まめやかに心苦しきことにつけてもさやうなる心を見え奉りけむ、何事にもらうらうしうおはせし御心ばへなりしかば、人の深き心もいとよう見知り給ひながら怨じはて給ふことはなかりしかど、ひとわたりづゝはいかならむとすらむとおぼしたりしに、少しにても心を亂り給ひけむことのいとほしうくやしう覺え給ふさま胸よりも餘る心地し給ふ。その折のことの心をもしり、今も近う仕うまつる人々はほのぼの聞え出づるもあり。入道の宮の渡り始め給へりし程その折はしも色には更に出だし給はざりしかど、事にふれつゝあぢきなのわざやと思ひ給へりし氣色の哀なりし中にも、雪降りたりし曉に立ちやすらひて我が身もひき入るやうに覺えて、空の氣色はげしかりしにいとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたう泣きぬらし給へりけるをひきかくしてせめてまぎらはし給へりし程の用意などを、夜もすがら夢にも又はいかならむ世にかとおぼし續けらる。曙にしも曹司におるゝ女房なるべし、「いみじうも積りにける雪かな」といふを聞きつけ給へる、唯その折の心地するに御傍のさびしきもいふ方なくかなし。

 「うき世にはゆき消えなむと思ひつゝおもひの外に猶ぞほどふる」。例のまぎらはしには御てうづめして行ひ給ふ。うづみたる火起し出でゝ御火桶まゐらす。中納言の君中將の君など御前近く御物語きこゆ。獨寢常よりもさびしかりつる夜のさまかな、かくてもいとよく思ひすましつべかりける世を、はかなくもかゝづらひけるかなとうち眺め給ふ。われさへうち捨てゝはこの人々のいとゞ歎きわびむことの哀にいとほしかるべきなど見渡し給ふ。忍びやかにうち行ひつゝ經など讀み給へる御聲をよろしう思はむ事にてだに淚とまるまじきを、まして袖のしがらみせきあへぬまであはれにあけ暮に奉る人々の心地つきせず思ひ聞ゆ。「この世につけては飽かず思ふべきことをさをさあるまじうたかき身には生れながら又人よりもことに口惜しき契にもありけるかなと思ふこと絕えず。世のはかなく憂きをしらすべく佛などのおきて給へる身なるべし。それを强ひて知らぬ顏にながらふればかく今はの夕近きすゑにいみじき事のとぢめを見つるに、宿世の程もみづからの心のきはも、のこりなく見はてゝ心やすきに今なむ露のほだしなくなりにたるを、これかれかくてありしよりげにめならす人々の今はとて行き別れむ程こそ、今ひときはの心亂れぬべけれ。いとはかなしかし。わろかりける心の程かな」とて御目おし拭ひかくし給ふに、まぎれずやがてこぼるゝ御淚を見奉る人々ましてせきとめむかたなし。さてうち捨てられ奉りなむがうれはしさをおのおのうち出でまほしけれどさもえ聞えず、むせかへりてやみぬ。かくのみ歎き明し給へる曙、ながめくらし給へる夕暮などのしめやかなる折々は、かのおしなべてにはおぼしたらざりし人々を御前近くてかやうの御物語などし給ふ。中將の君とてさぶらふはまだちひさくより見給ひなれしを、いと忍びつゝ見給ひすぐさずやありけむ、いとかたはら痛きことに思ひて慣れも聞えざりけるを、かくうせ給ひて後は、その方にはあらず人より殊にらうたきものに心留めおぼしたりしものをとおぼし出づるにつけて、かの御かたみのすぢをぞ哀とおぼしたる。心ばせかたちなどもめやすくてうなゐまつに覺えたるけはひたゞならましよりはらうらうしと思ほす。疎き人には更に見え給はず、上達部などもむつましき又御はらからの宮達など常に參り給へれど、對面し給ふことをさをさなし。人に向はむ程ばかりはさかしく思ひしづめ、心をさめむと思ふとも月比にぼけにたらむ身の有樣、かたくなしきひがごとまじりて、末の世の人にもてなやまれむ後の名さへうたてあるべし。おぼゝれてなむ人にも見えざなるといはれむも同じ事なれど、猶音に聞きて思ひやることのかたはなるよりも見苦しきことの目に見るは、こよなくきはまさりてをこなりとおぼせば、大將の君などにだに御簾隔てゝぞ對面し給ひける。かく心かはりし給へるやうに人のいひ傳ふべきころほひをだに思ひのどめてこそはとねんじすぐし給ひつゝうき世をもえ背きやり給はず。御方々に稀にもうちほのめき給ふにつけては、まづいとせき難き淚の雨のみふりまさればいとわりなくていづかたにも覺束なきさまにて過ぐし給ふ。きさいの宮はうちに參らせ給ひて三の宮をぞさうざうしき御なぐさめにはおはしまさせ給ひける。母ののたまひしかばとて對の御前の紅梅取りわきてうしろみありき給へるをいと哀と見奉り給ふ。二月になれば花の木どもの盛になるもまだしきも、木末をかしう霞み渡れるに、かの御かたみの紅梅に鶯のはなやかに鳴き出でたれば、立ち出でゝ御覽ず。

 「植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らずがほにてきぬる鶯」とうそぶきありかせ給ふ。春深くなりゆくまゝに御前の有樣いにしへに變らぬをめで給ふ方にはあらねど、しづ心なく何事につけても胸いたうおぼさるれば大かたの世の外のやうに鳥の音も聞えざらむ山のすゑゆかしうのみいとゞなりまさり給ふ。山吹などの心地よげに咲きみだれたるもうちつけに露けくのみ見なされ給ふ。外の花は一重散りて八重咲く花櫻さかり過ぎて樺櫻はひらけ、藤は後れて色づきなどこそはすめるを、その遲く疾き花の心をよくわきていろいろをつくし植ゑおき給ひしかば、時を忘れず匂ひ滿ちたるに若宮「まろが櫻は吹きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに几帳を立てゝかたびらをあげずば風もえ吹きよらじ」とかしこう思ひえたりと思ひてのたまふ。顏のいと美くしきにもうちゑまれ給ひぬ。「おほふばかりの袖もとめけむ人よりはいとかしうおぼしより給へりかし」などこの宮ばかりをぞもてあそびに見奉り給ふ。「君になれ聞えむことものこり少しや。命といふもの今しばしかゝづらふべくとも對面はえあらじかし」とて例の淚ぐみ給へればいとものしとおぼして、母ののたまひしことをまがまがしうのたまふとて、ふしめになりて御ぞの袖を引きまさぐりなどしつゝまぎらはしおはす。すみの間の高欄におしかゝりて御前の庭をも御簾の內をも見渡してながめ給ふ。女房などもかの御かたみの色かへぬもあり。例の色あひなるもあやなど花やかにはあらず、みづからの御直衣も色は世のつねなれど殊更にやつして無紋を奉れり。御しつらひなどもいとおろそかにことそぎて寂しく物心ぼそげにしめやかなれば、

 「今はとてあらしやはてむなき人の心とゞめし春のかきねを」。人やりならずかなしうおぼさる。いとつれづれなれば入道の宮の御方に渡り給ふに、若宮も人に抱かれておはしましてこなたの若君と走り遊び花をしみ給ふ心ばへども深からず、いといはけなし。宮は佛の御前にて經をぞ讀み給ひける。何ばかり深うおぼしとれる御道心にもあらざりしかど、この世にうらめしく御心亂るゝ事もおはせず、のどやかなるまゝにまぎれなく行ひ給ひて一つ方に思ひはなれ給へるもいとうらやまし。かくあざへ給へる女の御志にだにおくれぬることゝ口惜しうおぼさる。あかの花の夕ばえしていとおもしろく見ゆれば、春に心よせたりし人なくて花の色すさまじくのみ見なさるゝを「佛の御かざりにてこそ見るべかりけれ」とのたまひて「對の前の山吹こそ猶世に見えぬ花のさまなれ。ふさの大きさなどよしな高うなどはおきてざりける花にやあらむ。花やかににぎはゝしきかたはいとおもしろきものになむありける。植ゑし人なき春とも知らず顏にて常よりも匂ひかさねたるこそ哀に侍れ」とのたまふ。御いらへに「谷には春も」と何心もなく聞え給ふを、ことしもこそあれ心憂くもとおぼさるゝにつけては、その事のさらでもありなむかしと思ふに違ふふしなくてもやみにしかなと、いはけなかりし程よりの御有樣をいで何事ぞやありしとおぼし出づるには、まづそのをりかの折かどかどしうらうらうじう匂ひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉のみ思ひ續けられ給ふに、例の淚のもろさはふとこぼれ出でぬるもいと苦し。夕暮の霞たどたどしうをかしき程なれば、やがて明石の御方に渡り給へり。久しうさしものぞき給はぬに覺えなき折なれば打ち驚かるれど、さまようけはひ心にくゝもてつけて、猶こそ人には優りたれと見給ふにつけては、又かうざまにはあらでこそ故よしをももてなし給へりしかとおぼしくらべらるゝにも面影に戀しう悲しさのみ增れば、いかにして慰むべき心ぞといとくらべ苦し。こなたにてはのどやかに昔物語などし給ふ。「人をあはれと心留めむはいとわるかるべきことゝいにしへより思ひえて、すべていかなる方にもこの世にしふとまるべきことなくと心づかひをせしに、大方の世につけて身のいたづらにはふれぬべかりし比ほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらしゝに、命をもみづから捨つべく、野山の末にはふらかさむに殊なるさはりあるまじうなむ思ひなりしを末の世に今はかぎりの程近き身にてしもあるまじきほだし多うかゝづらひて、今まで過ぐしてけるが心弱うもどかしきことなど、さしてひとすぢの悲しさにのみはのたまはねど、おぼしたるさまのことわりに心苦しきをいとほしう見奉りて、大方の人めに何ばかり惜しげなき人だに心のうちのほだしおのづからおほう侍るなるを、ましていかでかは心やすくもおぼし捨てむ。さやうにあざへたることはかへりてかるがるしきもどかしさなども立ち出でゝなかなかなる事など侍るなるをおぼしたつ程にぶきやうに侍らむや。また遂に住みはてさせ給ふ方深う侍らむと思ひやられ侍りてこそ。古のためしなどを聞き侍るにつけても心に驚かれ思ふより違ふふしありて世を厭ふついでになるとか。それは猶わるきことゝこそ。猶しばしおぼしのどめさせ給ひて宮たちなどもおとなびさせ給ひまことに動きなかるべき御有樣に見奉りなさせ給はむまでは亂れなく侍らむこそ、心やすくもうれしくも侍るべけれ」などいとおとなびて聞えたるけしきいとめやすし。「さまで思ひのどめむ心深さこそ淺きに劣りぬべけれ」などのたまひて、昔より物を思ふことなど語り出で給ふ中に「故きさいの宮のかくれ給へりし春なむ、花の色を見ても誠に心あらばとおぼえし。それは大方の世につけてをかしかりし御有樣ををさなくより見奉りしみて、さるとぢめのかなしさも人より殊におぼえしなり。みづからとりわく心ざしにしも物の哀はよらぬわざなり。年經ぬる人におくれて心をさめむかたなく忘れがたきも唯かゝる中のかなしさのみにはあらず。幼き程よりおほしたてしありさま諸共に老いぬる末の世に打ち捨てられて、我が身も人の身も思ひつゞけらるゝ悲しさの堪え難きになむ。すべて物の哀も故あることもをかしきすぢも廣うおもひめぐらす。方々そふことの淺からずなるになむありける」など夜更くるまで今昔の御物語にかくても明しつべき夜をとおぼしながらかへり給ふを女も物哀に思ふべし。我が御心にもあやしくもなりにけるかなとおぼししらる。さても又例の御行ひに夜中になりてぞ晝のおましいとかりそめにより臥し給ふ。つとめて御文奉り給ふに、

 「なくなくも歸りにしかな假の世はいづくもつひのとこよならぬに」。よべの御有樣はうらめしげなりしかどいとかくあらぬさまにおぼしほれたる御氣色の心苦しさに、身の上はさしおかれて淚ぐまれ給ふ。

 「雁がゐし苗代水の絕えしよりうつりし花のかげをだに見ず」。ふりがたうよしある書きざまにもなまめざましきものにおぼしたりしを、末の世にはかたみに心ばせを見しるどちにてうしろやすき方にはうちたのむべく思ひかはし給ひながら、またさりとてひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなし給へりし心おきてを、人はさしも見知らざりきかしなどおぼし出づ。せめてさうざうしき時はかやうに唯大方にうちほのめき給ふ折々もあり。昔の御ありさまには名殘なくなりにたるべし。夏の御方より御ころもがへの御裝束奉り給ふとて、

 「夏衣たちかへてけるけふばかりふかき思ひもすゝみやはせぬ」。御かへし、

 「羽衣のうすきにかはる今日よりはうつせみの世ぞいとゞ悲しき」。祭の日いとつれづれにて今日は物見るとて人々心地よげならむかしとてみ社のありさまなどおぼしやる。「女房などいかにさうざうしからむ。里に忍びて出でゝ見よかし」などのたまふ。中將の君ひんがしおもてにうたゝねしたるを步みおはして見給へればいとさゝやかにをかしきさまして起き上りたり。つらつき花やかに匂ひたる顏もてかくして少しふくだみたる髮のかゝりなどいとをかしげなり。紅のきばみたるけそひたる袴、くわんざう色のひとへいと濃き鈍色に黑きなどうるはしからず重なりて、裳、唐衣もぬぎすべしたりけるをとかくひきかけなどするに、葵を傍に置きたりけるをとり給ひて「いかにとかや、この名こそ忘れにけれ」とのたまへば、

 「さもこそはよるべの水にみ草ゐめけふのかざしよ名さへわするゝ」とはぢらひて聞ゆ。げにといとほしくて、

 「大かたは思ひ捨てゝし世なれども葵はなほやつみをかすべき」など一人ばかりはおぼしはなたぬけしきなり。五月雨はいとゞながめくらし給ふより外の事なくさうざうしきに、十餘日の月花やかにさし出でたる雲間のめづらしきに大將の君御前にさぶらひ給ふ。花たちばなの月かげにいときはやかに見ゆるかをりも追風なつかしければ千世をならせる聲もせなむとまたるゝほどに、俄に立ち出づるむら雲のけしきいとあやにくにておどろおどろしうふりくる雨にそひて、さと吹く風にとうろも吹きまどはして空くらき心地するに、窓をうつ聲などめづらしからぬふるごとをうち誦し給へるも折からにや。妹が垣根におとなはせまほしき御聲なり。「獨住みは殊にかはることなけれどあやしうさうざうしくこそありけれ。深き山住みせむにもかくて身をならはしたらむはことなう心すみぬべきわざなりけり」などのたまひて「女房こゝにくだものなど參らせよ。男ども召さむもことごとしき程なり」などのたまふ。心にはたゞ空を眺め給ふ御氣色のつきせず心苦しければかくのみおぼしまぎれずは、御行ひにも御心すまし給はむことかたくやと見奉り給ふ。ほのかに見し御面影だに忘れがたし。ましてことわりぞかしと思ひ居給へり。昨日今日と思ひ給ふるほどに御はてもやうやう近うなり侍りにけり。いかやうにかおきておぼしめすらむと申し給へば「何ばかり世の常ならぬことをかはものせむ。かの志おかれたる極樂のまだらなどこの度なむ供養すべき。經などもあまたありけるをなにがし僧都皆その心くはしう聞き置きたなれば又加へてすべきことゞもゝかの僧都のいはむに從ひてなむ物すべき」などのたまふ。「かやうのことゞももとよりとりたてゝおぼしおきてけるはうしろやすきわざなれどこの世にはかりそめの御契なりけりと見給ふにはかたみといふばかり留め聞え給へる人だにものし給はぬこそ口惜しう侍りけれ」と申し給へば、「それはかりそめならず、命ながき人々にもさやうなることの大方少かりけるみづからの口惜しさにこそ。そこにこそはかどはひろげ給はめ」などのたまふ。何事につけても忍びがたき御心よわさのつゝましくて過ぎにしこといたうもの給ひ出でぬに、またれつる杜鵑のほのかにうち鳴きたるもいかにしりてかと、聞く人たゞならず。

 「なき人を忍ぶるよひの村雨にぬれてやきつる山ほとゝぎす」。いとゞ空をながめ給ふ。大將、

 「杜鵑きみにつてなむふるさとの花たちばなは今ぞさかりと」。女房など多くいひあつめたれどとゞめず。大將の君はやがて御とのゐに侍ひ給ふ。さびしき御獨寢の心苦しければ時々かやうに侍ひ給ふをおはせし夜はいとけどほかりし。おましのあたりのいたうも立ち離れぬなどにつけて思ひ出でらるゝことゞも多かり。いと暑きころ凉しき方にてながめ給ふに、池の蓮の盛なるを見給ふにいかにおほかるなどまづおぼし出でらるゝに、ほれぼれしくてつくづくとおはする程に日も暮れにけり。ひぐらしの聲はなやかなるに御前のなでしこの夕ばえを一人のみ見給ふには、實にぞかひなかりける。

 「つれづれとわがなきくらす夏の日をかごとがましき蟲の聲かな」。螢のいとおほう飛びちがふも、「夕殿に螢とんで」と例のふるごともかゝるすぢにのみ口なれ給へり。

 「夜をしる螢を見てもかなしきは時ぞともなきおもひなりけり」。七月七日も例にかはりたることおほく、御あそびなどもし給はでつれづれに詠めくらし給ひて星合見る人もなし。まだ夜ふかう一所起き居給ひて妻戶押しあけ給へるに前栽のつゆいとしげく渡殿の戶よりとほりて見渡さるればいで給ひて、

 「七夕の逢ふせは雲のよそに見てわかれの庭につゆぞおきそふ」。風の音さへたゞならずなり行く比しも、御法事のいとなみにてついたち比はまぎらはしげなり、今まで經にける月日よとおぼすにもあきれて明しくらし給ふ。御正日にはかみしもの人々皆いもひして、かの曼荼羅など今日ぞ供養せさせたまふ。例の宵の御おこなひに御手水まゐらする中將の君の扇に、

 「君こふる淚はきはもなきものを今日をばなにのはてといふらむ」とかきつけたるをとりて見給ひて、

 「人こふる我が身も末になりゆけどのこりおほかる淚なりけり」とかきそへ給ふ。九月になりて九日おほひたる菊を御覽じて、

 「もろともにおきゐし菊の朝露もひとり袂にかゝるあきかな。神無月は大かたもしぐれがちなる比、いとゞながめ給ひて夕暮の空の氣色などもえもいはぬ心ぼそさにふりしかど」とひとりごちおはす。雲ゐをわたる雁のつばさもうらやましくまもられ給ふ。

 「大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬたまのゆくへたづねよ」。何事につけてもまぎれずのみ月日にそへておぼさる、五節などいひて世の中そこはかとなく今めかしげなる頃、大將殿の君達殿上し給ひて參り給へり。同じ程にて二人いとうつくしきさまなり。御をぢの頭中將藏人少將などをみにて靑摺のすがたども淸げにめやすくて、皆うち續きもてかしきつゝ諸共に參り給ふ。思ふ事なげなるさまどもを見給ふにいにしへあやしかりし日影のをりさすがにおぼし出でらるべし。

 「宮人はとよのあかりにいそぐけふ日かげもしらでくらしつるかな」。今年をばかくて忍び過ぐしつれば、今はと世を去り給ふべきほど近くおぼしまうくるに哀なることつきせず。やうやうさるべきことゞも御心のうちにおぼしつゞけて侍ふ人々にもほどほどにつけてものたまひなど、おどろおどろしく今なむ限りとしなし給はねど、近う侍ふ人々は御ほ意遂げ給ふべき氣色と見奉るまゝに、年の暮れゆくも心ぼそう悲しきことかぎりなし。落ちとまりてかたはなるべき人の御文どもやればをしとおぼされけるにや、少しづゝのこし給ひけるを、物のついでに御覽じつけてやらせ給ひなどするに、かの須磨のよろほひ所々より奉り給ひけるもある中に、かの御手なるは殊にゆひあはせてぞありける。みづからしおき給ひけることなれど久しうなりにける世のことゝおぼすに、只今のやうなる墨つきなど實に千とせのかたみにしつべかりけるを見ずなりぬべきよとおぼせば、かひなくて疎からぬ人々二三人ばかり御前にてやらせ給ふ。いとかゝらぬほどのことにてだに過ぎにし人の跡と見るは哀なるを、ましていとゞかきくらし、それとも見わかれぬまで降りおつる御淚の水莖に流れそふを人もあまり心よわしと見奉るべきが、かたはらいたうはしたなければおしやり給ひて、

 「しでの山越えにし人をしたふとて跡を見つゝもなほまどふかな」。さぶらふ人々もまほにはえひろげねど、それとほのぼの見ゆるに心惑ひどもおろかならず。この世ながら遠からぬ御別のほどをいみじとおぼしけるまゝにかい給へる言の葉、實にそのをりよりもせきあへぬ悲しさやらむかたなし。いとうたて、今ひときはの御心惑ひもめゝしく人わろくなりぬべければ、能くも見給はでこまやかに書き給へるかたはらに、

 「かきつめて見るもかひなしもしほ草おなじ雲ゐの烟とをなれ」とかきつけさせ給ひて皆やかせ給ひつ。御佛名も今年ばかりにこそはとおぼせばにや、常よりもことにさくぢやうの聲々などあはれにおぼさる。行く末ながきことを希ふも佛の聞き給はむことかたはらいたし。雪いたうふりてまめやかに積りにけり。導師のまかづるを御前にめしてさかづきなど常の作法よりもさしわかせ給ひて殊に祿などたまはす。年比久しくまゐり公にも仕うまつりて院にも御覽じ馴れたる御導師の頭はやうやう色かはりて侍ふも哀におぼさる。例の宮達上達部などあまた參り給へり。梅の花のわづかに氣色ばみはじめて雪にもてはやされたる程をかしきを、御あそびなどもありぬべけれど猶今年までは物の音もむせびぬべき心地し給へば時によりたるものうち誦じなどばかりぞせさせ給ふ。まことや導師の盃のついでに、

 「春までの命もしらず雪のうちにいろづく梅をけふかざしてむ」。御かへし、

 「千世の春見るべき花といのりおきて我が身ぞ雪とともにふりぬる」。人々おほくよみおきたれど、もらしつ。その日ぞ出で給へる。御かたち昔の御光にも又おほくそひてありがたくめでたく見え給ふを、このふりぬるよはひの僧はあいなう淚もとゞめざりけり。年暮れぬとおぼすも心ぼそきに若宮のなやらはむに音たかゝるべきことなにわざをせさせむと走りありき給ふもをかしき御ありさまを見ざらむことゝ、よろづに忍びがたし。

 「物思ふと過ぐる月日もしらぬまに年も我が世もけふやつきぬる」。朔のほどのこと常よりことなるべくとおきてさせたまふ。みこたち大臣の御引出物品々の祿どもなど二なうおぼしまうけてとぞ。


匂宮

光かくれ給ひにしのちかのみかげに立ちつぎ給ふべき人そこらの御末々にありがたかりけり。おりゐのみかどをかけ奉らむはかたじけなし、當代の三宮そのおなじおとゞにておひ出で給ひし宮の若君とこの二所なむとりどりにきよらなる御名とり給ひてげにいとなべてならぬ御有樣なめれどいとまばゆききはにはおはせざるべし。唯世の常の人ざまにめでたくあてになまめかしくおはするをもとゝして、さる御なからひに人の思ひ聞えたるもてなしありさまもいにしへの御ひゞきけはひよりもやゝ立ちまさり給へるおぼえがらなむ、かたへはこよなういつくしかりける、紫の上の御心よせことにはぐゝみ聞え給ひしゆゑ。三宮は二條院におはします。春宮をばさるやんごとなきものにおき奉り給ひてみかどきさきいみじく悲しうし奉りかしづき聞えさせ給ふ宮なれば、內ずみをせさせ奉り給へど、猶心安き故鄕に住みよくし給ふなりけり。御元服し給ひては丘部卿の宮と聞ゆ。女一宮六條院の南の町の東の對をそのよのしつらひを改めずおはしまして朝夕に戀ひ忍び聞え給ふ。二宮もおなしおとゞの寢殿を時々の御やすみ所にし給ひて梅壺を御曹司にし給ひて右のおほい殿の中姬宮を得奉り給へり。つぎの坊がねにていとおぼえことにおもおもしう人がらもすくよかになむものし給ひける。おほいとのゝ御むすめはいとあまたものし給ふ。大姬君は春宮に參り給ひてまたきしろふ人なきさまにて侍ひ給ふ。そのつぎつぎ皆ついでのまゝにこそはと世の人も思ひきこえきさいの宮ものたまはすれど、この兵部卿宮はさしもおぼしたらず、我が御心よりおこらざらむことなどは凄じくもおぼしぬべき御氣色なめり。おとゞもなにかはやうのものとさのみうるはしうはとしづめ給へど、又さる御氣色あらむをばもてはなれてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづき聞え給ふ。六の君なむそのころ少しわれはと思ひのぼり給へるみこたちかんだちめの御心つくすくさはひにものし給ひける。院かくれ給ひて後さまざま集ひ給へりし御方々なくなく遂におはすべきすみかどもにおのおのうつろひ給ひしに花散里と聞えしは東の院をぞ御そうぶんの所にて渡り給ひにける。入道の宮は三條の宮におはします。いまきさきは內にのみさぶらひ給へば、院のうちさびしく人ずくなになりにけるを、右のおとゞ人のうへにていにしへのためしを見聞くにも生けるかぎりの世に心を留めてつくりしめたる人の家居の、名殘なくうちすてられて世のならひも常なく見ゆるはいと哀にはかなさ知らるゝを、我が世にあらむかぎりだに、この院あらさずほとりの大路などひとかげかれはつまじうとおぼしの給はせて、丑寅の町にかの一條の宮を渡し奉らせ給ひてなむ、三條殿と夜ごとに十五日づゝうるはしう通ひ住み給ひける。二條院とてつくりみがき六條院の春のおとゞとて世にのゝしりし玉のうてなも唯一人の御末のためなりけりと見えて、明石の御方はあまたの宮達の御うしろみをしつゝあつかひ聞え給へり。おほい殿はいづかたの御事をも昔の御心おきてのまゝに改めかはることなく、あまねき親心に仕うまつり給ふにも對の上のかやうにてとまり給へらましかば、いかばかり心をつくして仕うまつり見え奉らまし、遂にいさゝかも取りわきて我が心よせと見知り給ふべきふしもなくて過ぎ給ひにしことを、口惜しく飽かず悲しう思ひ出で聞え給ふ。天の下の人院を戀ひ聞えぬなく、とにかくにつけても世はたゞ火をけちたるやうに何事もはえなきなげきをせぬ折なかりけり。まして殿の內の人々御方々宮達などは更にも聞えず、限なき御事をばさるものにてまたかの紫の上の御有樣を心にしめつゝ萬の事につけて思ひ出で聞え給はぬ時のまなし。春の花の盛はげに長からぬにしも覺えまさるものになむ。二品の宮の若君は院のきこえつけ給へりしまゝに冷泉院のみかどとりわきておぼしかしづき后の宮もみこたちなどおはせず心ぼそうおぼさるゝに、うれしき御うしろみにまめやかにたのみ聞え給へり。御元服なども院にてせさせ給ふ。十四にて二月に侍從になり給ふ。秋右近の中將になりて御たうばりの加階などをさへいづこの心もとなきにか急ぎ加へておとなびさせ給ふ。おはしますおとゞ近き對を曹司にしつらひなどみづから御覽じいれて若き人もわらはしもづかへまで勝れたるをえりとゝのへ、女の御氣色よりもまばゆく整へさせ給へり。上にも宮にもさぶらふ女房の中にもかたちよくあてやかにめやすきは皆うつし渡させ給ひつゝ、院の內を心につけてすみよくありよく思ふべくとのみわざとがましき御あつかひぐさにおぼされ給へり。故致仕のおほい殿の女御と聞えし御腹に女宮たゞ一所おはしけるをなむ限りなくかしづき給ふ御有樣におとらず。后の宮の御おぼえの年月にまさり給ふけはひにこそは。などかさしもと見るまでなむ。母宮は今はたゞ御行をしづかにし給ひて月ごとに御念佛、年に二度の御八講をりをりの尊き御いとなみばかりをし給ひてつれづれにおはしませばこの君の出で入り給ふをかへりては親のやうにたのもしきかげにおぼしたれば、いと哀にて院こも內にも召しまつはし春宮も次々の宮達もなつかしき御あそびがたきにて伴ひ給へば、いとまなく苦しうていかで身をわけてしがなと覺え給ひける。をさな心地にほの聞き給ひしことのをりをりいぶかしうおぼつかなく思ひ渡れど問ふべき人もなし。「宮にはことの氣色にてもしりけりとおぼされむ。かたはらいたきすぢなれば世とゝもの心にかけていかなりける事にかは、何の契にてかうやすからぬ思ひ添ひたる身にしもなりいでけむ。ぜんげうたいしの我が身に問ひけむさとりをもえてしがな」とぞひとりごたれ給ひける。

 「おぼつかな誰にとはましいかにしてはじめもはても知らぬ我が身ぞ」。いらふべき人もなし。事にふれて我が身につゝがある心地するもたゞならず物なげかしくのみ思ひめぐらしつゝ宮もかく盛の御かたちをやつし給ひてなにばかりの御道心にてか俄に赴き給ひけむ、かく思はずなりけることのみだれに必ず憂しとおぼしなるふしありけむ、人もまさにもり出でしらじやは、猶つゝむべきことの聞えによりわれには氣色をしらする人のなきなめりと思ふ。明暮勤め給ふやうなめれどはかもなくおほどき給へる女の御さとりの程に蓮の露もあきらかに玉と磨き給はむことかたし、五つのなにがしも猶うしろめたきを、われこの御心地をたすけておなじうは後の世をだにと思ふ。かの過ぎ給ひにけむも安からぬおもひにむすぼゝれてやなどおしはかるに、世をかへても對面せまほしき心つきて元服はものうがり給ひけれどすまひはてず、おのづから世の中にもてなされてまばゆきまで花やかなる御身のかざりも心につかずのみ思ひしづまり給へり。內にも母宮の御かたざまの心よせ深くていと哀なるものにおぼされ、きさいの宮はたもとよりひとつおとゞにて、宮達諸共に生ひ出で遊び給ひし御もてなしをさをさ改め給はず、末に生れ給ひて心苦しうおとなしうもえ見おかぬことゝ、院のおぼしのたまひしを思ひ出で聞え給ひつゝおろかならず思ひ聞え給へり。右のおとゞも我が御こどもの君達よりもこの君をばこまやかにやんごとなくもてなしかしづき奉り給ふ。むかし光君と聞えしはさるまたなき御おぼえながら、猜み給ふ人うちそひ母方の御後見なくなどありしに御心ざまも物深く世の中をおぼしなだらめし程に、ならびなき御ひかりをばまばゆからずもてしづめ給ふ。遂にさるいみじき世のみだれも出できぬべかりしをも事なく過ぐし給ひて後の世の御つとめもおくらかし給はず、よろづさりげなくて久しくのどけき御心おきてにこそありしか。この君はまだしきに世のおぼえいと過ぎて思ひあがりたることこよなくなどぞ物し給ふ。げにさるべくていとこの世の人とは造り出でざりける、假に宿れるかとも見ゆること添ひ給へり。顏かたちもそこはかといづこなむすぐれたるあなきよらと見ゆる所もなきが、たゞいとなまめかしう耻しげに心のおくおほかりげなるけはひ人に似ぬなりけり。かのかうばしさぞこの世のにほひならず、あやしきまでうちふるまひ給へるあたり遠く隔たる程のおひ風もまことに百步の外も薰りぬべき心地しける。誰もさばかりになりぬる御有樣のいとやつればみたゞありなるやはあるべき。さまざまにわれ人にまさらむとつくろひ用意すべかめるを、かくかたはなるまで打ち忍び立ちよらむも物のくまもしるきほのめきのかくれあるまじきにうるさがりてをさをさ取りもつけ給はねどあまたの御唐櫃にうづもれたるかうのかどもゝ、この君のはいふよしもなき匂ひをくはへ、御前の花の木もはかなく袖かけたまふ梅の香は春雨の雫にもぬれ身にしむる人おほく、秋の野にぬしなき藤袴ももとのかをりはかくれてなつかしき追風ことにをりなしからなむまさりける。かくあやしきまで人のとがむる香にしみ給へるを、兵部卿宮なむことごとよりもいどましくおぼして、それはわざと萬の勝れたるうつしをしめ給ひ朝夕のことわざにあはせいとなみ、お前の前栽にも春は梅の花園をながめ給ひ、秋は世の人のめづる女郞花さをしかのつまにすめる萩の露にもをさをさ御心うつしたまはず、老を忘るゝ菊に衰へ行く藤袴ものげなきわれもかうなどはいとすさまじき霜枯の比ほひまでおぼし捨てずなど、わざとめきて香にめづる思ひをなむ立てゝこのましうおはしける。かゝる程に少しなよびやはらぎすぎてすきたる方にひかれ給へりと世人は思ひ聞えたり。昔の源氏はすべてかくたてゝその事とやうがはりしみ給へる方ぞなかりしかし。源中將この宮には常に參りつゝあそびなどにもきしろふものゝ音を吹き立て、げにいどましくも若きどち思ひかはし給ひつべき人のさまになむ。例の世人はにほふ兵部卿、かをる中將と聞きにくゝいひつゞけてその比よきむすめおはするやうごとなき所々は心ときめきに聞えごちなどし給ふもあれば、宮はさまざまにをかしうもありぬべきわたりをばのたまひよりて人の御けはひありさまをも氣色とり給ふ。わざと御心につけておぼすかたはことになかりけり。冷泉院の一宮をぞさやうにても見奉らばやかひありなむかしとおぼしたるは、母女御もいとおもく心にくゝ物し給ふあたりにて、姬君の御けはひげにとありがたく勝れてよその聞えもおはしますに、まして少し近くもさぶらひなれたる女房などの委しき御有樣の事にふれて聞え傅ふるなどもあるにいとゞ忍びがたくおぼすべかめり。中將は世の中を深くあぢきなきものに思ひすましたる心なればなかなか心とゞめて行きはなれ難きおもひや殘らむなど思ふに、煩しき思ひあらむあたりにかゝづらはむはつゝましくなど思ひ捨て給ふ。さしあたりて心にしむべきことのなき程さかしだつにやありけむ、人のゆるしなからむ事などはまして思ひよるべくもあらず。十九になり給ふ年三位の宰相にて猶中將もはなれ給はず、みかどきさきの御もてなしにたゞ人にてははゞかりなきめでたき人のおぼえにてものし給へど、心のうちには身を思ひしるかたありて物哀になどもありければ心にまかせてはやりかなるすきごとをさをさ好まず、萬の事もてしづめつゝおのづからおよすげたる心ざまを人にもしられ給へり。三宮年にそへて心をくだき給ふめる。院の姬宮の御あたりを見るにもひとつ院の內に明暮立ちなれ給へば、事にふれても人のありさまを聞え見奉るにげにいとなべてならず、心にくゝゆゑゆゑしき御もてなし限なきを同じくはげにかやうならむ人を見むにこそ生ける限の心ゆくべきつまなれと思ひながら大方こそへだつることなくおぼしたれ。姬宮の御かたざまのへだてはこよなくけ遠くならはさせ給ふもことわりにわづらはしければあながちにも交らひよらず、若し心より外の心もつかばわれも人もいと惡しかるべきことと思ひしりて物馴れよることもなかりけり。我がかく人にめでられむとなり給へる有樣なれば、はかなくなげの詞をちらし給ふあたりもこよなくもてはなるゝ心なく靡きやすなるほどに、おのづからなほざりのかよひ所もあまたになるを人のためにことごとしくなどもてなさず。いとよくまぎらはしそこはかとなく情なからぬ程のなかなか心やましきを思ひよれる人はいざなはれつゝ三條の宮に參りあつまるはあまたあり。つれなきを見るも苦しげなるわざなめれど、絕えなむよりはと心ぼそきに思ひわびて、さもあるまじききはの人々のはかなき契りにたのみをかけたる多かり。さすがにいとなつかしう見所ある人の御ありさまなれば、見る人皆心にはからるゝやうにて見過ぐさる。宮のおはしまさむ世のかぎりは朝夕に御めかれず御覽ぜられ、見奉らむをだにと思ひのたまへば、右のおとゞもあまた物し給ふ御むすめたちを、一人一人はと心ざし給ひながらえことに出で給はず。さすがにゆかしげなきなからひなるをとは思ひなせど、この君達を置きて外にはなずらひなるべき人を求め出づべきよかはとおぼしわづらふ。やんごとなきよりもないしのすけばらの六の君はいとすぐれてをかしげに心ばへなどもたらひて生ひ出で給ふを、世のおぼえのおとしめざまなるべきしもかくあたらしきを心苦しうおぼして、一條の宮のさるあつかひぐさもたまへられでさうざうしきに迎へとりて奉り給へり。わざとはなくてこの人々に見せそめては必ず心留め給ひてむ、人の有樣をも見知る人はことにこそあるべけれなどおぼして、いといつくしうはもてなし給はず、今めかしくをかしきやうに物ごのみせさせて人の心づけむたより多くつくりなし給ふ。のりゆみのかへりあるじのまうけ六條院にていと心ことにし給ひて御子をもおはしまさせむの心づかひし給へり。その日みこたちおとなにおはするは皆さぶらひ給ふ。きさい腹のは孰ともなくけ高く淸げにおはします。中にもこの兵部卿の宮はげにいと勝れてこよなう見えたまふ。四のみ子常陸の宮と聞ゆる更衣腹のは思ひなしにやけはひこよなう劣り給へり。例の左あながちに勝ちぬ。例よりは疾く事はてゝ大將まかで給ふ。兵部卿の宮常陸の宮后腹の五の宮とひとつ車にまねきのせ奉りて罷で給ふ。宰相中將はまけ方にて音なく罷で給ひにけるを「皇子達おはします御送に參り給ふまじや」と推し留めさせて御子の衞門督、權中納言、右大辨など、さらぬ上達部あまたこれかれにのりまじりいざなひ立てゝ六條院へおはす。道のやゝ程ふるに雪いさゝか散りて艷なるたそがれ時なり。物の音をかしき程に吹き立て遊びて入り給ふをげにこゝをおきていかならむ佛の御國にかはかやうのをり節の心やり所を求めむと見えたり。寢殿の南の廂に常のごと南むきに中少將つきわたりも北むきに向へてゑがのみこ達上達部の御座あり。御かはらけなど始まりて物おもしろくなりゆくにもとめこ舞ひてかよれる袖どもの打ちかへす羽風に御前近き梅のいといたく綻びこぼれたるにほひのさとうち散りわたれるに、例の中將の御かをりのいとゞしくもてはやされていひ知らずなまめかし。はつかにのぞく女房なども闇はあやなく心もとなき程なれど、香にこそげに似るものなかりけれとめであへり。おとゞもめでたしと見給ふ。かたちよういも常よりまさりて亂れぬさまにをさめたるを見て、「右のすけも聲くはへ給へや。いたうまらうとだゝしや」とのたまへばにくからぬほどに神のますなど。

紅梅

そのころ按察大納言と聞ゆるは故致仕のおとゞの次郞なり。うせ給ひにし右衞門督のさしつぎよ。童よりらうらうしう花やかなる心ばへものし給ひし人にてなりのぼり給ふ。年月にそへてまいていと世にあるかひあり。あらまほしうもてなし御おぼえいとやむごとなかりけり。北の方二人ものし給ひしを、もとよりのはなくなり給ひて、今ものし給ふは、後の大きおとゞの御むすめまき柱離れがたくし給ひし君を式部卿の宮にて故兵部卿の御子にあはせたて給へりしを、御子うせ給ひて後ち忍びつゝ通ひ給ひしかど、年月ふればえさしも憚り給はぬなめり。御子は故北の方の御腹にも二人のみぞおはしければさうざうしとて神佛に祈りて今の腹にぞ男君一人まうけ給へる。故宮の御かたみに女君一所おはす。隔てわかず何れをもおなじごと思ひ聞えかはし給へるを、おのおの御方の人などはうるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしき事も出でくる時々あれど、北の方いとはればれしう今めきたる人にて罪なく取りなし、我が御方ざまに苦しかるべき事をもなだらかに聞きなし、思ひなほし給へば聞きにくからでめやすかりけり。君達同じほどにすぎすぎおとなび給ひぬれば御裳など着せ奉り給ふ。七けんの寢殿廣く大きに造りて南面に大納言殿のおほい君、西に中の君、東に宮の御方と住ませ奉り給へり。大方にうち思ふ程は父宮のおはせぬ心苦しきやうなれどこなたかなたの御寶物多くなどして內々の儀式有樣など心にくゝけだかくなどもてなしてけはひあらまほしうおはす。例のかくかしづき給ふ聞えありて次々に從ひつゝ聞え給ふ人おほく內春宮より御氣色あれど內には中宮おはします。いかばかりの人かはかの御けはひにならび聞えむ、さりとて思ひ劣りひげせむもかひなかるべし。春宮には左のおほい殿の女御並ぶ人なげにてさぶらひ給ふはきしろひにくけれどさのみいひてやは人にまさらむと思ふ女子を宮仕に思ひたえては何のほいかはあらむと覺したちて參らせ奉り給ふ。十七八のほどにてうつくしうにほひ多かるこゝちし給へり。中の君もうちすがいてあてになまめかしうすみたるさまはまさりてをかしうおはすれば、たゞ人にてはあたらしう見せまうき御さまを兵部卿の宮のさもおぼしよらばなどぞおぼしたる。この若君をうちにてなど見つけ給ふ時はめしまどはしたはぶれがたきにし給ふ。心ばへありておく推し量らるゝまみひたひつきなり。「せうとを見てのみはえやまじと大納言に申せよ」などのたまひかくるを、「さなむ」と聞ゆればうちゑみていとかひありと覺したり。「人におとらむ宮仕よりはこの宮にこそはよろしからむ女子は見せ奉らまほしけれ。心のゆくにまかせてかしづき見奉らむに命のびぬべき宮の御さまなり」との給ひながら、まづ春宮の御事をいそぎ給ひて春日の神の御ことわりも我が世にやもし出できて故おとゞの院の女御の御事を胸いたくおぼして止みにしなぐさめの事もあらなむと心のうちに祈りて參らせ奉り給ひつ。いと時めき給ふよし人々聞ゆ。かゝる御まじらひのなれ給はぬ程にはかばかしき御後見なくてはいかゞとて北の方そひてさぶらひ給ふは誠に限もなく思ひかしづき後見聞えたまふ。殿はつれづれなる心地して西の御かたはひとつに習ひ給ひていとさうざうしうながめ給ふ。東の姬君の疎々しくかたみにもてなし給はでよるよるは一所に御殿ごもりよろづの御ことならひはかなき御遊びわざをもこなたを師のやうに思ひ聞えてぞ誰も習ひ遊び給ひける。物はぢを世のつねならずし給ひて母北の方にだにさやかにはをさをささし向ひ奉り給はず、かたはなるまでもてなし給ふものから心ばへけはひのうもれたるさまならず愛敬づき給へることはた人よりもすぐれ給へり。かくうちまゐりや何やと我がかたざまをのみ思ひ急ぐやうなるも心苦しきなどおぼして「さるべからむさまをおぼし定めての給へ。おなじことゝこそ仕うまつらめ」と母君にも聞え給ひけれど「更にさやうの世づきたるさま思ひたつべきにもあらぬ氣色なればなかなかならむことは心苦しかるべし、御宿世にまかせて世にあらむかぎりは見奉らむ、後ぞ哀にうしろめたけれど世をそむくかたにてもおのづから人笑へにあはつけき事なくて過ぐし給はなむ」などうちなきて御心ばせの思ふやうなることをぞ聞え給ふ。いづれもわかず親がり給へど御かたちを見ばやとゆかしうおぼしてかくれ給ふこそ心憂けれと恨みて、人知れず見え給ひぬべしやとのぞきありき給へど絕えてかたそばをだにえ見奉り給はず。「上おはせぬほどは立ちかはりて參りくべきを疎々しくおぼしわくる御氣色なれば心うくこそ」など聞えてみすの前に居給へば御いらへなどほのかに聞え給ふ。御聲けはひなどあでにをかしうさまかたち思ひやられて哀に覺ゆる人の御ありさまなり。「君が御姬君たちを人に劣らじと思ひおごれどこの君にえしも優らずやあらむ、かゝればこそ世の中廣きうちはわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふに優る方もおのづからありぬべかめり」などいとゞいぶかしう思ひ聞え給ふ。「月比なにとなく物さわがしき程に御琴の音をだにうけ給はらで久しくなり侍りにけり。西の方に侍る人は琵琶を心に入れて侍る。さもまねび取りつべくや覺え侍るらむ、なまかたほにしたるに聞きにくき物の音がらなり。同じくは御心留めて敎へさせ給へ、おきなはとりたてゝならふ物侍らざりしかど、そのかみ盛りなりし世に遊び侍りし力にや聞き知るばかりのわきまへは何事にもいとつきなくは侍らざりしを、うちとけても遊ばさねど時々うけ給はる御琵琶の音なむ、むかし覺え侍る。故六條院の御傅にて左のおとゞなむこの比世に殘り給へる。源中納言、兵部卿の宮、何事にも昔の人に劣るまじういと契りことに物し給ふ人々にてあそびの方は取りわきて心留め給へるを手づかひ少しなよびたるばち音なむ、おとゞには及び給はずと思ひ給ふるをこの御琴のねこそいと能く覺え給へれ。琵琶は押手しづやかなるをよきにするものなるにぢうさすほどばち音のさまかはりてなまめかしう聞えたるなむ、女の御事にてなかなかをかしかりける。いであそばさむや御琴まゐれ」とのたまふ。女房などはかくれ奉るもをさをさなし。いと若き上臈だつが見え奉らじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば「さぶらふ人さへかくもてなすが安からぬ」と腹立ち給ふ。若君うちへ參らむととのゐ姿にて參り給へる、わざとうるはしきみづらよりもいとをかしく見えていみじくうつくしとおぼしけり。麗景殿に御ことつけ聞え給ふ。「ゆづりきこえて今宵もえ參るまじく、なやましくなむと聞えよ」とのたまひて、笛すこし仕うまつれ。ともすれば御前の御遊に召し出でらるゝ、かたはらいたしや。またいと若き笛を」とうちゑみて雙調ふかせ給ふ。いとをかしう吹い給へば、「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにておのづから物にあはするけなり。猶かきあはせさせ給へ」とせめ聞え給へば苦しとおぼしたる氣色ながら爪彈きにいとよく合せて唯少しかきならし給ふ。かはぶえふつゝかになれたる聲してこの東のつまに軒近き紅梅のいとおもしろく匂ひたるを見給ひて「お前の花心ばへありて見ゆめり。兵部卿の宮うちにおはすなり、一枝をりてまゐれ。知る人ぞしる」とて「あはれ光源氏のいはゆる御盛りの大將などにおはせしころ童にてかやうにて交らひなれ聞えしこそ世と共に戀しう侍れ。この宮達を世の人もいとことに思ひ聞え、げに人にめでられむとなり給へる御有樣なれどもはしがはしにも覺え給はぬは猶たぐひあらじと思ひ聞えし心のなしにやありけむ。大方にて思ひ出で奉るも胸あく世なく悲しきを氣近き人のおくれ奉りていきめぐらふはおぼろけの命長さならしかしとこそ覺え侍れ」など聞え出で給ひて物哀にすごく思ひめぐらししをれ給ふ。ついでの忍びがたきにや花折らせて急ぎ參らせ給ふ。いかゞはせむ昔の戀しき御かたみにはこの宮ばかりこそは佛のかくれ給ひけむ御名殘には阿難が光放ちけむを二度出で給へるかとうたがふ。さかしきひじりのありけるをやみにまどはるけどころに、聞えをかさむかしとて

 「心ありて風のにほはす園の梅にまつうぐひすの問はずやあるべき」と紅の紙にわかやぎ書きて、この君の懷紙に取りまぜ押したゝみて出したて給ふを、幼き心にいと馴れ聞えまほしとおもへば急ぎまゐり給ひぬ。中宮の上の御局より御とのゐどころに出で給ふほどなり。殿上人あまた御送にまゐる中に見つけ給ひて「昨日はなどいと疾くはまかでにし。いつ參りつるぞ」などのたまふ。「疾くまかで侍りにしくやしさに、まだ內におはしますと人の申しつれば急ぎまゐりつるや」とをさなげなるものから馴れ聞ゆ。「內ならで心やすき所にも時々はあそべかし。若き人どものそこはかとなくあつまる所ぞ」とのたまふ。この君召しはなちて語らひ給へば、人々は近うもまゐらず罷で散りなどしてしめやかになりぬれば「春宮にはいとま少しゆるされにためりな。いとしげうおもほしまどはすめりしを、時とられて人わろかめり」とのたまへば「まつはさせ給へりしこそ苦しかりしが、御前にはしも」と聞えさして居たれば「われをば人げなしと思ひはなたれたるとな。ことわりなり。されど安からずこそ。ふるめかしき同じすぢにて東と聞ゆなるはあひ思ひ給ひてむやと忍びて語らひ聞えよ」などのたまふついでに、この花を奉ればうちゑみて「うらみて後ならましかば」とてうちも置かず御覽ず。枝のさま花房色も香も世の常ならず「園に匂へる紅の色にとられて香なむ白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこくとりならべても咲きけるかな」とて御心留め給へる花なればかひありてもてはやし給ふ。「今夜はとのゐなめり、やがてこなたにを」とめしこめつれば東宮にもえ參らず、花も耻しく思ひぬべくかうばしくて氣近くふせ給へるを若き心ちにはたぐひなくうれしくなつかしく思ひ聞ゆ。「この花のあるじはなど春宮にはうつろひ給はざりし。心知らむ人になどこそ聞き侍りしか」など語り聞ゆ。大納言の御心ばへは我が方ざまに思ふべかめれと聞き合せ給へど思ふ心は殊にしみぬれば、この返事けざやかにものたまひやらず、つとめてこの君のまかづるになほざりなるやうにて、

 「花の香にさそはれぬべき身なりせば風のたよりを過さましやは」。「さて猶今は翁どもにさかしらせで忍びやかに」とかへすがへすの給ひて、この君も東のをばやんごとなくむつましう思ひましたり。なかなかこと方の姬君は見え給ひなどして例のはらからのさまなれど、童心地にいとおもりかにあらまほしうおはする心ばへを、かひあるさまにて見奉らばやと思ひありくに春宮の御方のいと花やかにもてなし給ふにつけて、おなじことゝは思ひながらいと飽かず口惜しければ、この宮をだに氣近くて見奉らばやと思ひありくにうれしき花のついでなり。これは昨日の御返りなれば見せ奉る。「妬げにもの給へるかな。あまりすきたる方に進み給へるを許し聞えず」と聞き給ひて左の大臣「われらが見奉るには、いとものまめやかに御心をさめ給ふこそをかしけれ、あだ人にせむにたらひ給へる御さまをしひてまめだち給はむも見所すくなくやならまし」などしりうごちて今日もまゐらせ給ふにまた、

 「もとつかのにほへる君が袖ふれば花もえならぬ名をやちらさむ。とすきずきしや。あなかしこ」とまめやかに聞え給へり。誠にいひならさむと思ふ所あるにやとさすがに御心ときめきし給ひて、

 「花の香をにほはす宿にとめゆかば色にめづとや人のとがめむ」など猶心とけずいらへ給へるを心やましと思ひ居給へり。北の方まかで給ひてうちわたりの事のたまふ序に「若君の一夜とのゐして罷り出でたりしにほひのいとをかしかりしを人はなほと思ひしを宮のいとおもほしよりて、兵部卿の宮に近づき聞えにけり、うべわれをばすさめたりと氣色とり怨じ給ひしこそをかしかりしか。こゝに御せうそこやありし。さも見えざりしを」とのたまへば「さかし。梅の花めで給ふ君なればあなたのつまの紅梅いとさかりなりしをたゞならで折りて奉れたりしなり。移香はげにこそ心ことなれ、交らひし給はむ女などはさはえしめぬかな。源中納言はかうざまにこのましうはたき匂はせで人香こそ世になけれ。怪しうさきの世の契りいかなりけるむくいにかとゆかしき事にこそあれ。同じ花の名なれど梅はおひ出でけむねこそ哀なれ。この宮などのめで給ふ、さることぞかし」など花によそへてもまづかけ聞え給ふ。宮の御方は物おぼし知る程にねびまさり給へれば何事も見知り聞き咎め給はぬにはあらねど、人に見え世づきたらむ有樣は更にもおぼしはなれたり。世の人も時による心ありてにや、さし向ひたる御方々には心をつくし聞えわび、今めかしきこと多かれどこなたは萬につけ物しめやかに引き入り給へるを、宮は御ふさいのかたに聞き傳へ給うて、深ういかでとおぼしなりにけり。若君を常にまつはしよせ給ひつゝ忍びやかに御文あれど、大納言の君深く心がけ聞え給ひて、さも思ひたちての給ふことあらばと氣色とり心まうけし給ふを見るにいとほしうひき違へてかく思ひよるべくもあらぬ方にしもなげの言の葉を盡し給ふ。かひなげなることゝ北の方もおぼしのたまふ。はかなき御かへりなどもなければまけじの御心そひておもほしやむべくもあらず。何かは人の御ありさまなどかはさても見奉らまほしう、おひさき遠くなどは見えさせ給ふになど北の方おもほしよる時々あれど、いといたう色めき給ひて通ひ給ふ。忍び所おほく八の宮の姬君にも御志あさからでいとしげうまかでありき給ふ。たのもしげなき御心のあだあだしさなども、いとゞつゝましければ、まめやかにおもほし絕えたるをかたじけなきばかりに思ひて母君ぞたまさかにさかしらがり聞え給ふ。


竹河

これは源氏の御ぞうにも離れ給へりし後ちの大殿わたりにありける、わるごだちのおちとまり殘れるが問はずがたりしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれどかの女どものいひけるは、源氏の御末々にひがごとゞもの交りて聞ゆるはわれよりも年の數積りほけたりける人の、僻事にやなどあやしがりける何れかはまことならむ。內侍のかみの御腹に故殿の御子は男三人女二人なむ坐しけるを、さまざまにかしづきたてむ事をおぼしおきて年月の過ぐるも心もとながり給ひしほどに、あへなくうせ給ひしかば、夢のやうにていつしかと急ぎおぼしゝ御宮仕もをこたりぬ。人の心時にのみよるわざなりければ、さばかり勢いかめしく坐せしおとゞの御名殘內々の御寶物らうじ給ふ所々、その方の衰へはなけれど大方の有樣引きかへたるやうに殿の內しめやかになりゆく。かんの君の御近きゆかりそこらこそは世にひろごり給へど、中々やんごとなき御なからひのもとよりも親しからざりしに故殿のなさけ少しおくれ、むらむらしさ過ぎ給へりける御本性にて、心おかれ給ふこともありけるゆかりにや誰にもえなつかしう聞え給はず。六條院にはすべて猶昔に變らず、かずまへ聞え給ひて、うせ給ひなむ後の事ども書きおき給へる御そうぶんの文どもにも、中宮の御次に加へ奉り給へれば、右の大殿などはなかなかその心ありてさるべき折々音づれ聞え給ふ。男君達は御元服などしておのおのおとなび給ひにしかば、殿おはせで後心もとなく哀なることもあれどおのづからなり出で給ひぬべかめり。姬君達をいかにもてなし奉らむとおぼしみだる。うちにも必ず宮仕のほい深きよしをおとゞの奏し置き給ひければ、おとなび給ひぬらむかしと年月を推し量らせ給ひて仰言絕えずあれど、中宮のいよいよならびなくのみなりまさり給ふ御けはひにおされて、皆人無德にものし給ふめる、末にまゐりて遙に目をそばめられ奉らむもわづらはしく、また人におとり數ならぬさまにて見むはた心づくしなるべきをおぼしたゆたふ。冷泉院よりいとねんごろにおぼしのたまはせて、かんの君の昔ほいなくて過ぐし給ひしつらさをさへとりかへし恨み聞え給ひて、「今はまいてさだすぎ、すさまじきありさまに思ひ捨て給ふとも後安き親になずらへてゆづり給へ」といとまめやかに聞え給ひければ、いかゞはあるべきことならむ、自らのいと口惜しき宿世にて思の外に心づきなしとおぼされにしかば、耻しうかたじけなきをこの世の末にや御覽じなほされましなど定めかね給ふ。かたちいとようおはする聞えありて心がけ申し給ふ人おほかり。右の大殿の藏人の少將とかいひしは三條殿の御腹にて兄君達よりもひきこしいみじうかしづき給ふ、人がらもいとをかしかりし君いとねんごろに申し給ふ。いづかたにつけてももてはなれ給はぬ御なからひなれば、この君達のむつびまゐり給ひなどするはけどほくもてなし給はず。女房にも氣近うなれよりつゝ思ふ事を語らふにもたよりありてよるひるあたりさらぬ耳かしがましさをうるさきものゝ心苦しきにかんの殿もおぼしたり。母北の方の御文もしばしば奉り給ふ。「いとかろびたる程に侍れどおぼしゆるすかたもや」となむ、おとゞも聞え給ひける。姬君をば更にたゞのさまにもおぼしおきて給はず、中の君をなむ今少し世の聞え輕々しからぬ程になずらひならばさもやとおぼしける。ゆるし給はずばぬすみもとりつべくむくつけきまで思へり。こよなきことゝはおぼさねど女方の心ゆるし給はぬ事のまぎれあるは世の音ぎゝもあはつけきわざなれば聞えつく人をも「あなかしこ。あやまちひきいづな」などの給ふにくたされてなむ、わづらはしかりける。六條院の御末に朱雀院の宮の御腹に生れ給へりし君、冷泉院に御子のやうにおぼしかしづく四位の侍從その比十四五ばかりにていときびはにをさなかるべき程よりは心おきておとなおとなしくめやすく人にまさりたる生ひさきしるく見え給ふを、かんの君は婿にても見まほしくおぼしたり。この殿はかの三條の宮といと近き程なればさるべき折々のあそび所に君達にひかれて見え給ふ時々あり。心にくき女のおはする所なれば若き男の心づかひせぬなう見えしらがひさまよふ中にかたちのよきはこのたちさらぬ藏人の少將、なつかしく心耻しげにてなまめいたる方はこの四位の侍從の御有樣に似る人ぞなかりける。六條院の御けはひ近うと思ひなすがことなるにやあらむ。世の中におのづからもてかしづかれ給へる人なり。若き人々は心ことにめであへり。かんの殿も「げにこそめやすけれ」などのたまひてなつかしう物聞え給ひなどす。「院の御心ばへを思ひ出で聞えてなぐさむよなういみじうのみ思ほゆるを、その御かたみにも誰をかは見奉らむ。右のおとゞはことごとしき御ほどにて、ついでなき對面もかたきを」などのたまひてはらからのつらに思ひ聞え給へれば、かの君もさるべき所に思ひて參り給ふ。世の常のすきずきしさも見えず、いといたうしづまりたるをこゝかしこの若き人ども口惜しくさうざうしきことに思ひていひなやましけり。むつきのついたちごろかんの君の御はらからの大納言高砂謠ひし夜、藤中納言、故大殿の太郞、まきばしらの一つ腹など參り給へり。右のおとゞも御子ども六人ながらひきつれておはしたり。御かたちよりはじめて飽かぬことなく見ゆる人の御有樣おぼえなり、君達もさまさまいと淸げにて年のほどよりはつかさくらゐも過ぎつゝ何事を思ふらむと見えたるべし。世と共に藏人の君はかしづかれたるさまことなれどうちしめりて思ふことありがほなり。おとゞは御几帳へだてゝ昔に變らず御物語聞え給ふ。「その事となくてしばしばもえうけたまはらず、年の數そふまゝに內參りよりほかのありきなどうひうひしくなりにて侍ればいにしへの御物語も聞えまほしき折々多く過ぐし侍るをなむ、若きをのこどもはさるべきことには召しつかはせ給へ。必ずその志御覽ぜられよといましめ侍る」など聞え給ふ。「今はかく世にふる數にもあらぬやうになりゆく有樣をおぼしかずまふるになむ、過ぎにし御事もいとゞ忘れがたく思う給へられける」と申し給ひけるついでに、院よりのたまはすることほのめかし聞え給ふ。「はかばかしう後見なき人のまじらひはなかなか見苦るしきをとかたかた思ひ給へなむわづらふ」と申し給へば「內に仰せらるゝことのあるやうにうけ給はりしを、いづ方に思ほし定むべきことにか、院はげに御位を去らせ給へるにこそさかり過ぎたる心地すれど、世にありがたき御ありさまはふりがたくのみおはしますめるをよろしうおひ出づる女子侍らましかばと思ひ給へよりながら、耻しげなる御中に交らふべきものゝ侍らでなむ口惜しう思う給へらるゝ。そもそも女一宮の女御は許し聞え給ふや、さきざきの人さやうのはゞかりにより滯る事も侍りし」と申し給へば「女御なむつれづれにのどかになりにたる有樣も同じ心にうしろみて慰めまほしきをなど、かのすゝめ給ふにつけていかゞなどだに思う給へよるになむ」と聞え給ふ。これかれこゝに集り給ひて三條の宮に參り給ふ。朱雀院の深き心物し給ふ人々六條院の方ざまのもかたかたにつけて猶かの入道宮をばえよぎずまゐり給ふなめり。この殿の左近中將、右中辨、侍從の君などもやがておとゞの御供に出で給ひぬ。ひきつれ給へる勢ひことなり。ゆふつけて四位の侍從參り給へり。そこらおとなしき若君達もあまたさまざまにいづれかはわろびたりつる。皆めやすかりつる中に立ち後れてこの君のたち出で給へる、いとこよなくめとまる心ちして例の物めでする若き人達は「猶異なりけり」などいふ。「この殿の姬君の御傍にはこれをこそさしならべて見め」と聞きにくゝいふ。げにいと若うなまめかしきさましてうちふるまひ給へる匂香などよのつねならず。姬君と聞ゆれど心おはせむ人はげに人よりはまさるなめりと見知り給ふらむかしとぞ覺ゆる。かんの殿御念誦堂におはして「こなたに」とのたまへば、ひんがしのはしより昇りて戶口の御簾の前に居給へり。お前近き若木の梅心もとなくつぼみて、螢の初聲もいとおほどかなるに、いとすかせ奉らまほしきさまのし給へれば、人々はかなきことをいふにことずくなに心にくき程なるをねたがりて宰相の君と聞ゆる上臈のよみかけ給ふ。

 「折りて見ばいとゞにほひもまさるやとすこし色めけ梅のはつ花」。口はやしと聞きて、

 「よそにてはもぎ木なりとやさだむらむしたに匂へる梅のはつはな。さらば袖ふれて見給へ」などいひすさぶに、まことは色よりもと口々ひきもうごかしつべくさまよふ。かんの君奧の方よりゐざり出で給ひて「うたての御達や耻しげなるまめ人をさへよくこそおもなけれ」と忍びてのたまふなり。まめ人とこそつけられたりけれ、いとくつしたる名かなと思ひ居給へり。あるじの侍從殿上などもまだせねば所々もありかでおはしあひたり。せんかうの折敷二つばかりしてくだものさかづきばかりさしいで給へり。「おとゞはねびまさり給ふまゝに故院にいとようこそ覺え奉り給へれ。この君は似給へる所も見え給はぬを、けはひのいとしめやかになまめいたるもてなしぞかの御若ざかり思ひやらるゝ。かうざまにぞおはしけむかし」など思ひ出で聞え給ひてうちしほたれ給ふ名殘さへとまりたるかうばしさを人々はめでくつがへる。侍從の君まめ人の名をうれたしと思ひければ二十餘日の比梅の花盛なるににほひすくなげにとりなされし、すきものならはさむかしとおぼして藤侍從の御許におはしたり。中門入り給ふ程に同じ直衣すがたなる人たてりけり。かくれなむと思ひけるをひきとゞめたれば、この常にたちわづらふ少將なりけり。寢殿の西面に琵琶箏の琴の聲するに心をまどはして立てるなめり。苦しげや、人のゆるさぬ事思ひはじめむは罪深かるべきわざかなと思ふ。琴の聲も止みぬれば「いざしるべし給へ、まろはいとたどたどし」とて引きつれて、西の渡殿の前なる紅梅の木のもとに梅がえをうそぶきて立ちよるけはひの、花よりもしるくざとうち匂へれば、妻戶おしあけて人々あづまをいとよく搔き合せたり。女の琴にてりよの歌はかうしもあはせぬをいたしと思ひて、今ひとかへりおりかえしうたふを、琵琶もになく今めかしう故ありてもてない給へるあたりぞかしと、心とまりぬれば今夜は少しうちとけてはかなしごとなどもいふ。內より和琴さしいでたり。かたみにゆづりて手觸れぬに、侍從の君してかんの殿「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひ給へると聞きわたるを、まめやかにゆかしくなむ。今夜は猶鶯にもさそはれ給へ」との給ひ出しければあまえて爪くふべきことにもあらぬをと思ひて、をさをさ心に入らず、かきわたし給へる氣色いとひゞき多く聞ゆ。常に見奉りむつびざりし親なれど、世におはせずと思ふにいと心ぼそきに、はかなきことの序にも思ひ出で奉るにいとなむあはれなる、大かたこの君はあやしう故大納言の御有樣にいとようおぼえ、琴の音など唯それとこそ覺えつれとてない給ふも、ふるめい給ふしるしの淚もろさにや。少將も聲いとおもしろうてさきくさうたふ。さかしら心つきてうち過ぐしたる人もまじらねば、おのづからかたみにもよほされて遊び給ふに、あるじの侍從は故大臣に似奉り給へるにやかやうの方はおくれて盃をのみ進むれば「ことぶきをだにせむや」とはづかしめられて竹河をおなじ聲にいだしてまだ若けれどをかしううたふ、簾のうちよりかはらけさしいづ。「醉のすゝみてはしのぶることもつゝまれず、ひがごとするわざとこそ聞き侍れ、いかにもてない給ふぞ」ととみにうけひかず。こうちきかさなりたるほそながの、人がなつかしうしみたるをとりあへたるまゝにかづけ給ふ。「何そもぞ」などさうどきて侍從はあるじの君にうちかづけていぬ。引きとゞめてかづくれど「みづうまやにて夜更けにけり」とてにげにけり。少將はこの源侍從の君のかうほのめきよるめればみな人これにこそ心よせ給ふらめ、我が身はいとゞくんじいたく思ひよわりてあぢきなうぞうらむる。

 「人はみな花に心をうつすらむひとりぞまどふ春の夜のやみ」。うちなげきてたてば內の人のかへし、

 「をりからや哀もしらむ梅の花たゞかばかりにうつりしもせじ」。あしたに四位の侍從のもとよりあるじの侍從のもとに「よべはいとみだりがはしかりしを、人々いかに見給ひけむと見給へ」とおぼしう假名がちにかきて、はしに、

 「竹河のはしうちいでしひとふしに深き心のそこはしりきや」と書きたり。寢殿にもて參りてこれかれ見給ふ。「手などもいとをかしうもあるかな。いかなる人今よりかくとゝのひ給ふらむ。をさなくて院にもおくれ奉り母宮のしどけなうおふしたて給へれど、猶人には優るべきにこそはあめれ」とて、かんの君はこの君達の手など惡しきことを辱め給ふ。返事げにいと若く「よべは水うまやをなむ人々咎め聞ゆめりし。

  竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなるふしを思ひおかまし」。げにこのふしをはじめにて、この君の御曹司におはしてけしきばみよる。少將の推し量りもしるく皆人心よせたり。侍從の君も若き心地に近きゆかりにて明暮むつびまほしう思ひけり。三月になりて咲く櫻あれば散りかひくもり、大方の盛なるころのどやかにおはする所にはまぎるゝことなく端ぢかなる罪もあるまじかめり。そのころ十八九の程にやおはしけむ、御かたちも心ばへもとりどりにぞをかしき。姬君はいとあざやかにけだかう今めかしきさまし給ひてげにたゞ人にてみ奉らばにげなふぞ見え給ふ。櫻の細長山吹などの折にあひたる色あひの、なつかしき程に重りたるすそまで愛敬のこぼれ落ちたるやうに見ゆる、御もてなしなどもらうらうじう心耻しきけさへそひ給へり。今一所は薄紅梅にみぐし色にて柳の絲のやうにたをたをと見ゆ。いとそびやかになまめかしうすみたるさましておもりかに心深きけは優り給へれど、匂ひやかなるけはひはこよなしとぞ人思へる。碁うち給ふとてさし向ひ給へるかんざしみぐしのかゝりたるさまどもいと見所あり。侍從の君けんそし給ふとて近う侍らひ給ふに、兄君達さしのぞき給ひて「侍從のおぼえこよなくなりにけり。御碁のけんそ許されにけるをや」とておとなおとなしきさましてつい居給へば、お前なる人々とかう居なほる。中將宮仕のいそがしうなり侍る程に人におとりにたるはいと本意なきわざかなと憂へ給へば「辨官はまいて私の宮仕をこたりぬべきまゝにさのみやはおぼしすてむ」など申し給ふ。碁打ちさして耻らひておはさうずるいとをかしげなり。「內わたりなどまかりありきても故殿のおはしまさましかばと思う給へらるゝこと多くこそ」など淚ぐみて見奉り給ふ。廿七八の程に物し給へばいとよくとゝのひてこの御有樣どもをいかでいにしへおぼしおきてしに違へずもがなと思ひ居給へり。お前の花の木どもの中にも匂ひまさりてをかしき櫻を折らせて「外のには似ずこそ」などもてあそび給ふを「をさなくおはしまさうし時、この花はわがぞわがぞと爭ひ給ひしを、故殿は姬君の御花ぞと定め給ふ。上は若君の御木とさだめ給ひしを、いとさはなきのゝしらねど安からず思ひ給へられしはや」とて「この櫻の老木になりにけるにつけても過ぎにける齡を思ひ給へ出づれば、數多の人に後れ侍りにける身の愁もとめがたうこそ」など泣きみ笑ひみ聞え給ひて例よりはのどやかにおはす。人の婿になりて今は心しづかにも見え給はぬを花に心とめて物し給ふ。かんの君かくおとなしき人の親になり給ふ、御年の程思ふよりはいと若うきよげに猶盛の御かたちと見え給へり。冷泉院のみかどはおほくはこの御有樣の猶ゆかしう昔戀しうおぼし出でられければ、何につけてかはとおぼしめぐらして姬君の御事をあながちに聞え給ふにぞありける。院へ參り給はむことはこの君達ぞ猶物のはえなき心地こそすべけれ。萬の事時につけたるをこそ世人もゆるすめれ。げにいと見奉らまほしき御ありさまはこの世にたぐひなくおはしますめれど盛ならぬ心地ぞするや。琴笛のしらべ花鳥の色をも音をも時にしたがひてこそ人の耳にもとまるものなれ。「春宮はいかゞ」など申し給へば「いざや始よりやんごとなき人のかたはらもなきやうにてのみ物し給ふめればこそ、なかなかにてまじらはむは胸いたく人笑はれなる事もやあらむとつゝましければ、殿おはせましかば行く末の御宿世宿世は知らず只今はかひあるさまにもてなし給ひてましを」などのたまひ出でゝ皆ものあはれなり。中將など立ち給ひて後君達はうちさし給へる碁うち給ふ。「昔より爭ひ給ふ櫻をかけものにて三番に數ひとつ勝ち給はむ方に花をよせてむ」とたはぶれかはし聞え給ふ。くらうなれば端近うて打ちはて給ふ。御簾卷きあげて人々皆いどみねんじ聞ゆ。折しも例の少將、侍從の君の御曹司に來たりけるをうちつれて出で給ひにければ、大方人ずくなゝるに廊の戶のあきたるにやをら寄りて覗きけり。かううれしき折を見つけたるは佛などの顯はれ給へらむに參りたらむ心地するも、はかなき心になむ。夕ぐれの霞のまぎれはさやかならねど、つくづくと見れば櫻色のあやめもそれと見わきつ。げに散りなむ後のかたみにも見まほしくにほひ多く見え給ふを、いとゞことざまになり給はむことわびしく思ひまさる。若き人々のうちとけたる姿どもゆふばえもをかしう見ゆ。右勝たせ給ひぬ。「高麗のらんさうおそしや」などはやりかにいふもあり。右に心よせ奉りて「西のお前によりて侍る木を左になして年比の御あらそひのかゝればありつるぞかし」と右方は心地よげにはげまし聞ゆ。何事と知らねどをかしと聞きてさしいらへもせまほしけれど、うちとけ給へる折心地なくやはと思ひて出でゝいぬ。またかゝるまぎれもやと影にそひてぞうかゞひありきける。君達は花のあらそひをしつゝ明し暮し給ふに、風荒らかに吹きたる夕つ方亂れおつるがいと口惜しうあたらしければまけ方の姬君、

 「櫻ゆゑ風にこゝろのさわぐかな思ひぐまなき花と見るみる」。御かたの宰相君、

 「咲くと見てかつは散りぬる花なればまくるを深きうらみとも見ず」と聞えたすくれば、右の姬君、

 「風にちることは世のつね枝ながらうつろふ花をたゞにしも見じ」。この御方のたいふの君、

 「心ありて池の汀におつる花あわとなりても我がかたによれ」。勝方の童べおりて花の下にありきて散りたるをいとおほく拾ひてもてまゐれり。

 「大ぞらの風にちれども櫻花おのがものとぞかきつめて見る」。左のなれき、

 「櫻花にほひあまたに散らさじと覆ふばかりの袖はありやは。心せばげにこそ見ゆめれなどいひをらす。かくいふに月日はかなく過ぐすも行く末うしろめたきをかんの殿はよろづにおぼす。院よりは御せうそこ日々にあり。「女御うとうとしく覺しへだつるにや上はこゝに聞え疎むるなめり」といとにくげにおぼしのたまへば「たはぶれにも苦しうなむ。同じくはこの比のほどにおぼしたちね」などいとまめやかに聞え給ふ。さるべきにこそはおはすらめ、いとかうあやにくにの給ふもかたじけなしなどおぼしたり。御調度などはそこらしおかせ給へれば人々のそうぞく何くれのはかなきことをぞ急ぎ給ふ。これを聞くに藏人の少將はしぬばかり思ひて母北の方をせめ奉れば聞きわづらひ給ひて「いとかたはらいたきことにつけてほのめかし聞ゆるも、世にかたくなしき闇のまよひになむおぼし知る方もあらば推しはかりて猶慰めさせ給へ」などいとほしげに聞え給ふを、苦しうもあるかな」とうち歎き給ひて「いかなることゝ思う給へ定むべきやうもなきを、院よりわりなくのたまはするに思ひ給へ亂れてなむ。まめやかなる御心ならばこの程をおぼししづめて慰め聞えむさまをも見給ひてなむ、世の聞えもなだらかならむ」など申し給ふも、この御まゐりすぐして中の君をとおぼすなるべし。さしあはせてはうたてしたりがほならむ、まだ位などもあさへたる程をなどおぼすに、男は更にしか思ひうつるべくもあらず。ほのかに見奉りて後は面影に戀しういかならむ折にとのみ覺ゆるも、かうたのみかゝらずなりぬるを思ひなげき給ふことかぎりなし。かひなきこともいはむとて、例の侍從の曹司にきたれば源侍從の文をぞ見居給へりける。ひきかくすを、さなめりと見て、うばひとりつ。事ありがほにやと思ひていたうも隱さず。そこはかとなくて唯世をうらめしげにかすめたり。

 「つれなくて過ぐる月日をかぞへつゝ物うらめしき暮の春かな」。人はかうこそのどやかにさまよくねたげなめれ、我がいと人わらはれなる心いられを、かたへはめなれてあなづりそめられたると思ふも胸いたければ、ことに物もいはれで例かたらふ中將のおもとの曹司のかたに行くも例のかひあらじかしとなげきがちなり。侍從の君はこの御返事せむとて上に參り給ふを見るにいと腹だゝしうやすからず。若き心ちにはひとへに物ぞ覺えける。あさましきまで恨み歎けばこのまへ申すもあまりたはぶれにくゝいとほしといらへもをさをさせず。かの御碁のけんそせし夕暮のこともいひ出でゝ「さばかりの夢をだに又見てしがな。あはれ何をたのみにていきたらむ。かう聞ゆる事ものこり少なう覺ゆればつらきも哀といふことこそ誠なりけれ」とまめだちていふ。哀とていひやるべき方なきことなり。かの慰め給はむ御さま露ばかりうれしと思ふべき氣色もなければ、げにかの夕暮のけんそふなりけむに、いとゞかうあやにくなる心は添ひたるならむとことわりに思ひて聞しめさせたらば、いとゞいかにけしからぬ御心なりけりと疎み聞え給はむ心苦しと思ひ聞えつる心もうせぬ、いと後めたき御心なりけりとむかひびつくれば、「いでやさばれや、今はかぎりの身なれば物恐しくもあらずなりにたり。さても負け給ひしこそいとほしかりしか、おいらかに召し寄せてめぐはせ奉らましかばこよなからましものを」などいひて、

 「いでやなぞ數ならぬ身にかなはぬは人にまけじの心なりけり」。中將うちわらひて、

 「わりなしや弱きによらむ勝負をこゝろひとつにいかゞまかする」といらふるさへぞつらかりける。

 「あはれとて手をゆるせかしいきしにを君にまかする我が身とならば」。泣きみ笑ひみ語らひ明す。またの日は卯月になりにければはらからの君達のうちに參りさまよふに、いたうくつし入りて眺め居給へれば、母北の方は淚ぐみておはす。おとゞも院の聞しめす所もあるべし、何にかはおふなおふな聞き入れむと思ひてくやしう對面の序にもうち出で聞えずなりにし。「みづから强ちに申さましかばさりともえ違へ給はざらまし」などのたまふ。さて例の

 「花を見て春はくらしつ今日よりやしげきなげきの下にまどはむ」と聞え給へり。お前にてこれかれ上臈だつ人々この御懸想人のさまざまにいとほしげなるを聞え知らするなかに中將おもと「いきしにをといひしさまの、言にのみはあらず、心苦しげなりし」など聞ゆればかんの君もいとほしと聞き給ふ。おとゞ北の方のおぼす所によりせめて人の御うらみ深くはと取りかへありておぼす、この御まゐりを妨げやうに思ふらむはしもめざましきこと限なきにても、たゞ人にはかけてあるまじきものに故殿のおぼしおきてたりしものを、院に參り給はむだに行末のはえばえしからぬをおぼしたる折しも、この御文とり入れて哀がる。御かへし。

 「今日ぞしる空をながむる氣色にて花に心を移しけりとも」。「あないとほしき戯れにのみも取りなすかな」などいへど、うるさがりて書きかへず。九日にぞまゐりたまふ。右の大殿御車御前の人々數多奉り給へり。北の方もうらめしと思ひ聞え給へど年比もさもあらざりしに、この御事故しげう聞えかよひ給へるを、又かき絕えむもうたてあればかづけものどもよき女のさうぞくあまた奉れ給へり。「あやしううつし心もなきやうなる人のありさまを見給へあつかふほどに、承り留むることもなかりけるを驚かさせ給はぬもうとうとしくなむとぞありける。おいらかなるやうにてほのめかし給へるをいとほしと見給ふ。おとゞも御文あり。「みづからも參るべきと思う給へつるに愼む事の侍りてなむ、をのこどもざうやくにとて參らす。疎からず召し使はせ給へ」とて源少將兵衞佐など奉れ給へり。「情はおはすかし」とよろこび聞え給ふ。大納言殿よりも人々の御車奉れ給ふ。北の方は故おとゞの御女まきばしらの姬君なればいづ方につけてもむつましう聞え通ひ給ふべけれどさしもあらず。藤中納言はしもみづからおはして中將辨の君達諸共に事行ひ給ふ。殿のおはせましかばと萬につけて哀なり。藏人の君例の人にいみじき詞をつくして「今はかぎりと思ひ侍る命のさすがに悲しきを哀と思ふとばかりだに一言のたまはせば、それにかけ留められて暫しもながらへやせむなどあるを、もて參りて見れば姬君二所うち語らひていといたうくつし給へり。よるひる諸共にならひ給ひて中のとばかりへだてたる西東をだにいといぶせきものにし給ひてかたみに渡り通ひおはするを、よそよそにならむことをおぼすなりけり。心ことにしたて引き繕ひ奉りたまへる御さまいとをかし。殿のおぼしのたまひしさまなどをおぼし出でゝ、物哀なる折からにてとりて見給ふ。おとゞ北の方のさばかり立ち並びてたのもしげなる御中になどかうすゞろごとを思ひいふらむとあやしきにも、かぎりとあるを、まことにやとおぼしてやがてこの御文のはしに、

 「あはれてふ常ならぬ世のひとこともいかなる人にかくるものぞは。ゆゝしきかたにてなむほのかに思ひ知りたる」と書き給ひて「かう言ひやれかし」とのたまふを、やがて奉れたるを限なうめづらしきにも折をおぼしとむるさへいとゞ淚も留らず立ちかへり、「たが名はたゝじ」などかごとがましくて、

 「生ける世のしには心にまかせねば聞かでややまむ君がひとこと。塚の上にもかけ給ふべき御心の程と思ひ給へましかば、ひたみちにも急がれ侍らましを」などあるに、うたてもいらへをしてけるかな、書きかへでやりつらむよと苦しげにおぼして、物ものたまはずなりぬ。おとなわらはめやすき限をとゝのへられたり、大方の儀式などは內に參り給はましに變ることなし。まづ女御の御方に渡り給ひてかんの君は御物語など聞え給ふ。夜更けてなむ上に參う上り給ひける。后、女御など皆年比經てねび給へるにいと美しげにて盛りに見所あるさまを見奉り給ふはなどてかはおろかならむ。花やかに時めき給ふたゞ人だちて心安くもてなし給へるさましもぞ、げにあらまほしうめでたかりける。かんの君を暫しさぶらひ給ひなむと心留めて思しけるに、いと迅くやをら出で給ひにければ口をしう心うしとおぼしたり。源侍從の君をば明暮お前に召しまつはしつゝ、げに唯昔の光源氏の生ひ出で給ひしに劣らぬ人の御覺えなり。院の內にはいづれの御方にも疎からず馴れまじらひありき給ふ。この御方にも心よせあり顏にもてなしてしたにはいかに見給ふらむの心さへそひ給へり。夕暮のしめやかなるに藤侍從とつれてありくにかの御方の御前近く見やらるゝ五葉に藤のいとおもしろく咲きかゝりたるを、水のほとりの石に苔をむしろにてながめ居給へり。まほにはあらねど世の中うらめしげにかすめつゝかたらふ。

 「手にかくるものにしあらば藤の花まつよりまさる色を見ましや」とて花を見上げたる景色などあやしく哀に心苦しくもおもほゆれば、我が心にあらぬ世のありさまにほのめかす。

 「紫の色はかよへど藤の花こゝろにえこそまかせざりけれ」。まめなる君にていとほしと思へり。いと心惑ふばかりは思ひ入れざりしかど口をしうは覺えけり。かの少將の君はしもまめやかにいかにせましとあやまちもしつべく靜めむ方なくなむ覺えける。聞え給ひし人々中の君とうつろふもあり。少將の君をば母北の方の御怨によりさもやと思ほしてほのめかし聞え給ひしを絕えて音づれずなりにたり。院にはかの君達もしたしくもとよりさぶらひ給へど、この參り給ひて後をさをさ參らず。まれまれ殿上の方にさしのぞきても、あぢきなうにげてなむまかり出でける。內には故おとゞの志おき給へるさまことなりしをかく引き違へたる御宮仕を、いかなるにかとおぼして中將をめしてなむのたまはせける。御氣色よろしからず。「さればこそ世の人の心のうちも傾きぬべきことなりとかねて申しゝことをおぼしとるかたことにて、かうおぼしたちにしかばともかくも聞えがたくて侍るに、かゝる仰言の侍るはなにがしらの身のためもあぢきなくなむ侍る」といとものしと思ひて、かんの君を申し給ふ。「いざや只今かう俄にしも思ひたゝざりしを、あながちにいとほしうのたまはせしかば、後見なきまじらひの內わたりははしたなげなめるを、今は心やすき御有樣なめるにまかせ聞えてと思ひよりしなり。誰もたれもびんなからむ事はありのまゝにもいさめ給はで、今ひきかへし右のおとゞもひがひがしきやうにおもむけてのたまふなれば苦しうなむ。これもさるべきにこそは」となだらかにのたまひて心もさわがい給はず「その昔の御すくせは目に見えぬものなればかうおぼしのたまはするを、これは契り異なるともいかゞは奏しなほすべきことならむ。中宮を憚り聞え給ふとて院の女御をばいかゞし奉り給はむとする。後見や何やとかねておぼしかはすともさしもえ侍らじ。よし見聞き侍らむよう思へば、內は中宮おはしますとてことびとは交らひ給はずや、君に仕うまつることはそれが心やすきこそ昔より興あることにはしけれ。女御はいさゝかなることのたがひめありてよろしからず思ひ聞え給はむに、ひがみたるやうになむ世のきゝみゝも侍らむ」など二所して申し給へば、かんの君いと苦しとおぼしぬ。さるは限りなき御思ひのみ月日に添へてまさる。七月より孕み給ひにけり。うち惱み給へるさまげに人のさまざまに聞え煩はすもことわりぞかし。いかでかはかゝらむ人をなのめに見聞き過ぐしてはやまむとぞ覺ゆる。明暮御あそびをせさせ給ひつゝ侍從も氣近う召し入るれば御琴の音などは聞き給ふ。かの梅がえにあはせたりし中將のおもとの和琴も常に召し出でゝ彈かせ給へば、聞きあはするにもたゞには覺えざりけり。その年かへりてをとこだうかせられけり。殿上の若人どもの中に物の上手多かる比ほひなり。その中にも勝れたるをえらせ給ひて、この四位の侍從右の歌頭なり。かの藏人の少將樂人の數の中にありけり。十四日の月の花やかに曇りなきに御前より出でゝ冷泉院にまゐる。女御もこの御息所も上に御つぼねして見給ふ。上達部親王達ひき連れて參り給ふ。右の大殿致仕の大殿のぞうを離れてきらきらしう淸げなる人はなき世なりと見ゆ。內のお前よりもこの院をばいとはづかしうことに思ひ聞えて皆人用意を加ふる中にも、藏人の少將は見給ふらむかしと思ひやりてしづ心なし。にほひもなく見苦しき綿花もかざす人がらに見わかれてさまも聲もいとをかしくぞありける。竹河謠ひてみはしのもとにふみよる程、過ぎにし夜のはかなかりし遊も思ひ出でられければ、ひがごともしつべくて淚ぐみけり。后の宮の御方にまゐれば上もそなたに渡らせ給ひて御覽ず。月は夜ふかうなるまゝに晝よりもはしたなう澄み昇りて、いかに見給ふらむとのみ覺ゆれば、ふむ空もなう漂ひありきてさかづきもさして一人をのみ咎めらるゝはめいぼくなくなむ。夜一夜所々にかきありきていと惱しう苦しくて臥したるに、源侍從を院より召したれば「あなくるし。しばし休むべきに」とむつかりながら參り給へり。御前の事どもなど問はせ給ふ。「かとうはうち過ぐしたる人のさきざきするわざを、選ばれたるほど心にくかりけり」とてうつくしとおぼしためり。ばんずんらくを御口ずさびにし給ひつゝ御息所の御方に渡らせ給へれば御供に參り給ふ。物見に參りたる里人多くて例よりも花やかにけはひ今めかし。渡殿の戶口に暫し居て聲聞き知りたる人に物などのたまふ。「一夜の月かげははしたなかりしわざかな。藏人の少將の月の光に輝きたりし氣色も桂の影にはづるにはあらずやありけむ。雲の上近くてはさしも見えざりき」など語り給へば人々哀と聞くもあり、「闇はあやなきを月ばえ今少し心ことなりと聞えし」などすかしてうちより、

 「竹河のその夜のことは思ひいづやしのぶばかりのふしはなけれど」とはかなきことなれど、淚ぐまるゝもげにいと淺くは覺えぬことなりけりとみづから思ひしらる。

 「流れてのたのめむなしき竹河によはうきものと思ひしりにき」。物哀なる氣色を人々をかしがる。さるはおり立ちて人のやうにも侘び給はざりしかど、人ざまのさすがに心苦しう見ゆるなり。「うち出で過ぐすこともこそ侍れ。あなかしこ」とて立つ程にこなたにと召し出づればはしたなき心地すれど參り給ふ。「故六條院のたうかのあしたに女がたにてあそびせられける、いとおもしろかりきと右のおとゞの語られし。何事もかのわたりのさしつぎなるべき人かたくなりにける世なりや。いと物の上手なる女さへ多く集りて、いかにはかなき事もをかしかりけむ」などおぼし遣りて、御琴ども調らべさせ給ひて箏は御息所琵琶は侍從にたまふ。和琴を彈かせ給ひてこのとのなどあそび給ふ。御息所の御琴の音まだかたなりなる所ありしを、いとよう敎へない奉り給ひてけり。今めかしう爪音よくてうたごくのものなど上手にいとよく彈き給ふ。何事も心もとなく後れたることは物し給はぬ人なめり、かたちいとをかしかるべしと猶心とまる。かやうなる折多かればおのづから氣遠からず見なれ給ふ。うたてなれなれしうなどは恨みかけねど、折々につけて思ふ心の違へるなげかしさをかすむもいかゞおぼしけむ、知らずかし。卯月に女宮生れ給ひぬ。ことにけざやかなる物のはえもなきやうなれど、院の御氣色に隨ひて右の大殿よりはじめて御うぶやしなひし給ふ所々おほかり。かんの君つと抱きもちてうつくしみ給ふに、疾う參り給ふべきよしのみあればいかのほどにまゐり給ひぬ。女宮一所おはしますにいと珍しう美しうておはすればいといみじう覺したり。いとゞ唯こなたにのみおはします。女御がたの人々「いとかゝらでありぬべき世かな」とたゞならずいひ思へり。さうじみの御心どもは殊にかるがるしく背き給ふにはあらねど、さぶらふ人々の中にくせぐせしきことも人の出で來などしつゝ、かの中將の君のさいへど人のこのかみにての給ひし事かなひて、かんの君もむげにかくいひいひてのはていかならむ、人笑へにはしたなうもやもてなされむ、上の御心ばへは淺からねど年經てさぶらひ給ふ御かたがたよろしからず思ひ放ち給はゞ苦しくもあるべきかなとおもほすに、內には誠にものしとおぼしつゝ度々御けしきありと人の吿げきこゆれば煩しくて、おほやけざまにてまじらはせ奉らむことをおぼしてないしのかみを讓り聞え給ふ。おほやけいとかたうし給ふことなりければ、年ごろかう覺しおきしかど得辭し給はざりしを、故おとゞの御心をおぼして久しうなりにける。昔の例など引き出でゝその事かなひぬ。この君の御すくせにて年比申し給ひしはかたきなりけりと見えたり。かくて心安くて內ずみもし給へかしとおぼすにもいとほしう少將の事を母北の方のわざとのたまひしものを、たのめ聞えしやうにほのめかし聞えしもいかに思ひ給ふらむとおぼしあつかふ。辨の君して心美しきやうにおとゞに聞え給ふ。「內よりかゝる仰言のあればさまざまにあながちなるまじらひのこのみと、世のきゝみゝもいかゞと思う給へてなむ煩ひぬる」と聞え給へば「內の御氣色はおぼし咎むるもことわりになむうけ給はる。おほやけごとにつけても宮づかへし給はぬはさるまじきわざになむ。はやおぼし立つべきになむ」と聞え給へり。又この度は中宮の御氣色とりてぞ參り給ふ。おとゞおはせましかばおしけち給はざらましなど、哀なる事どもをなむ。姉君はかたちなど名だかうをかしげなりと聞し召しおきたりけるを、引き違へ給へるをなま心ゆかぬやうなれど、これもいとらうらうしく心にくゝもてなしてさぶらひ給ふ。さきのかんの君かたちをかへてむとおぼしたつを、かたがたにあつかひ聞え給ふ程に「おこなひも心あわたゞしうこそおぼされめ、今少しいづ方も心のどかに見奉りなし給ひてもどかしき所なくひたみちにつとめ給へ」と君達の申し給へばおぼしとゞこほりて、うちには時々忍びて參り給ふ折もあり。院には煩しき御心ばへのなほ絕えねばさるべき折も更に參り給はず。いにしへを思ひ出でしがさすがに辱なう覺えしかしこまりに、人の皆ゆるさぬ事に思へりしをも知らずがほに思ひて參らせ奉りてみづからさへたはぶれにても若々しきことの世に聞えたらむこそいとまばゆく見苦しかるべけれとおぼせど、さるいみによりとはた御息所にも顯し聞えたまはねば我をむかしより故おとゞは取りわきておぼしかしづき、かんの君は若君を櫻のあらそひはかなき折にも心よせ給ひし名殘におぼしおとしけるよと、うらめしう思ひ聞え給へり。院の上はたましていみじうつらしとぞおぼしの給はせける。「ふるめかしきあたりにさし放ちて思ひおとさるゝもことわりなり」とうち語らひ給ひて哀にのみおぼしまさる。年比ありて又男御子產み給ひつ。そこらさぶらひ給ふ御方々にかゝることなくて年比になりにけるをおろかならざりける御すくせなど世の人おどろく。みかどまして限りなうめづらしとこの今宮をば思ひ聞え給へり。おりゐ給はぬ世ならましかばいかにかひあらまし、今は何事もはえなき世をいと口をしとなむおぼしける。女一宮を限りなきものに思ひ聞え給ひしを、かくさまざまうつくしうて數添ひ給へれば、珍らかなる方にていと殊に覺いたるをなむ、女御もあまりかうまでは物しからむと御心動きける。事に觸れてやすからずくねぐねしき事出で來などしておのづから御中も隔たるべかめり。世の事として數ならぬ人のなからひにも、もとよりことわりえたる方にこそあいなきおほよその人も心をよするわざなめれば、院の內の上下の人々いとやんごとなくて久しくなり給へる御方にのみことわりて、はかなき事にもこの御方ざまをよからず取りなしなどするを、御せうとの君達も「さればよ惡しうやは聞えおきける」といとゞ申し給ふ。心やすからず聞き苦しきまゝにかゝらでのどやかにめやすくて世を過ぐす人も多かめりかし、限りなきさいはひなくて宮づかへのすぢは思ひよるまじきわざなりけりと、おほうへは歎き給ふ。聞えし人々のめやすくなりのぼりつゝさてもおはせましにかたはならぬぞ數多あるや。その中に源侍從とていと若うひはづなりと見しは宰相の中將にて、にほふやかをるやと聞きにくゝめでさわがるなる。げにいと人がらおもりかに心にくきを、やんごとなき御子達おとゞの御むすめを、志ありてのたまふなるなども、聞き入れずなどあるにつけて「そのかみは若う心もとなきやうなりしかどめやすくねびまさりぬべかめり」などいひおはさうす。「少將なりしも三位の中將とかいひて覺えありかたちさへあらまほしかりきや」などなま心わろき仕うまつり人はうち忍びつゝ「うるさげなる御有樣よりは」などいふもありていとほしうぞ見えし。この中將は猶思ひそめてし心絕えず、うくもつらくも思ひつゝ左大臣の御むすめを得たれどをさをさ心もとめず、道のはてなる常陸帶のと、手習にもことぐさにもするはいかに思ふやうのあるにかありけむ。御息所安げなき世のむつかしさに里がちになり給ひにけり。かんの君思ひしやうにはあらぬ御有樣を口をしとおぼす。內の君はなかなか今めかしう心やすげにもてなして、世にも故あり心にくきおぼえにてさぶらひ給ふ。左大臣うせ給ひて、右は左に藤大納言左大將かけ給へる右大臣になり給ふ。次々の人々なりあがりてこの薰中將は中納言に、三位の君は宰相になりてよろこびし給へる人々この御ざうより外に人なき比ほひになむありける。中納言の御よろこびにさきのないしのかんの君に參り給へり。御前の庭にて拜し奉り給ふ。かんの君對面し給ひて「かくいと草深くなりゆく葎の門をよぎ給はぬ御心ばへにも、まづ昔の御こと思ひ出でられてなむ」など聞え給ふ。御聲のあてに愛敬づき聞かまほしう今めきたり。ふりがたくもおはするかな、かゝれば院の上は恨み給ふ御心絕えぬぞかし、今遂にことひき出で給ひてむと思ふ。「よろこびなどは心にはいとしも思う給へねども、まづ御覽ぜられにこそ參り侍れ。よぎぬなどのたまはするはおろかなる罪にうちかへさせ給ふにや」と申し給ふ。「今日はさだすぎにたる身の上など聞ゆべき序にもあらずとつゝみ侍れど、わざと立ちより給はむことはかたきを、對面なくてはたさすがにくだくだしきことになむ。院にさぶらはるゝがいといたう世の中を思ひみだれ中空なるやうにたゞよふを、女御をたのみ聞え又后の宮の御かたにもさりともおぼし許されなむと思ひ給へすぐすに、いづかたにもなめげに許さぬものにおぼされためれば、いとかたはらいたくて宮達はさぶらひ給ふ。このいと交らひにくげなるみづからはかくて心やすくだに眺めすぐい給へとてまかでさせたるを、それにつけても聞きにくゝなむ。上にもよろしからずおぼしのたまはすなる序あらばほのめかし奏し給へ。とざまかうざまにたのもしく思ひ給ひていだし立て侍りし程は、いづかたをも心やすくうちとけ賴み聞えしかど、今はかゝる事あやまりにをさなうおほやけなかりけるみづからの心をもどかしくなむ」とうち歎い給ふ氣色なり。「更にかうまで覺すまじき事になむ。かゝる御まじらひの安からぬ事は昔よりさることゝなり侍りにけるを、位を去りて靜におはしまし、何事もけざやかならぬ御有樣となりにたるに誰もうちとけ給へるやうなれどおのおのうちうちにはいかゞいどましくもおぼす事もなからむ。人は何の咎と見ぬことも我が御身にとりてはうらめしくなむ。あいなき事に心を動し給ふこと女御后の常の御癖なるべし。さばかりのまぎれもあらじものとてやはおぼし立ちけむ。唯なだらかにもてなして御覽じ過ぐすべきことに侍るなり。をのこの方にて奏すべきことにも侍らぬことになむ」といとすくすくしう申し給へば「對面の序にうれへ聞えむと待ちつけ奉りたるかひもなくあはの御ことわりや」とうち笑ひておはする。人の親にてはかばかしがり給へる程よりは、いと若やかにおほどいたる心ちす。御息所もかやうにぞおはすべかめる。宇治の姬君の心とまりて覺ゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかしと思ひ居給へり。ないしのかみもこの頃まかで給へり。こなたかなたすみ給へるけはひをかしく大方のどやかに紛るゝことなき御ありさまどものすのうち心耻しうおぼゆれば心づかひせられていとゞもてしづめめやすきを、おほうへは近うも見ましかばとうちおぼしけり。大臣殿は唯この殿のひんがしなりけり。だい饗のえがの君達などあまたつどひ給ふ。兵部卿宮左のおほい殿ののりゆみのかへりだち、すまひのあるじなどにはおはしましゝを思ひて、今日のひかりとさうじ奉り給ひけれどおはしまさず心にくゝもてかしづき給ふ。姬君達をさるは心ざしことにいかでかと思ひ聞え給ふべかめれど、宮ぞいかなるにかあらむ御心もとめ給はざりける。源中納言のいとゞあらまほしうねびとゝのひ何事もおくれたる方なくものし給ふをおとゞも北の方も目とゞめ給ひけり。隣のかくのゝしりて行きちがふ車の音さきおふ聲々も昔のこと思ひ出でられてこの殿には物哀にながめ給ふ。「故宮うせ給ひてほどもなくこのおとゞの通ひ給ひし事いとあはつけいやうに、世人はもどくなりしかど、思ひも消えずかくてものしたまふもさすがさる方にめやすかりけり。さだめなの世や。いづれにかよるべき」などのたまふ。左の大殿の宰相中將大饗のまたの日ゆふつけてこゝに參り給へり。御息所里におはすると思ふにいとゞ心げさうそひて「おほやけのかずまへ給ふよろこびなどは何ともおぼえ侍らず。わたくしの思ふことかなはぬなげきのみ年月にそへて思う給へはるけむ方なきこと」と淚押しのごふもことさらめいたり。廿七八のほどのいと盛りに匂ひ花やかなるかたちし給へり。「見苦しの君達の世の中を心のまゝにおごりてつかさくらゐをば何ともおもはず過ぐしいますがらふや、故殿おはせましかばこゝなる人々もかゝるすさびごとにぞ心は亂らまし」とうち歎きたまふ。右兵衞督右大辨にて皆非參議なるをうれはしと思へり。侍從ときこゆめりしぞこのごろ頭中將ときこゆる。年よはひのほどはかたはならねど人におくるとなげき給へり。宰相はとかくつきづきしく。


橋姬

その頃世にかずまへられ給はぬふる宮おはしけり。母方などもやんごとなくものし給ひてすぢことなるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて世の中にはしたなめられ給ひけるまぎれに、なかなかいと名殘なく御後見なども物うらめしき心々にて、かたがたにつけて世を背きさりつゝ、おほやけわたくしにより所なくさしはなたれ給へるやうなり。北の方も昔の大臣の御むすめなりける。哀に心ぼそく親たちのおぼしおきてたりしさまなど思ひ出で給ふに、たとしへなきこと多かれど、深き御契のふたつなきばかりをうき世のなぐさめにて、かたみにまたなく賴みかはし給へり。年比經るに御子もものし給はで心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなるなぐさめに、いかでをかしからむちごもがなと、宮ぞ時々おぼしのたまひけるに、珍しく女君のいと美しげなる生れ給へり。これをかぎりなく哀と思ひかしづき聞え給ふに、又さしつゞき氣色ばみ給ひてこのたびは男にてもなどおぼしたるに同じさまにてたひらかにはし給ひながらいといたく煩ひてうせ給ひぬ。宮あさましくおぼし惑ふ。ありふるにつけていとはしたなく堪へがたきこと多かる世なれど、見捨てがたく哀なる人の御有樣心ざまにかけとゞめらるゝほだしにてこそすぐしきつれ、一人とまりていとゞすさまじくもあるべきかな、いはけなき人々をも一人はぐゝみたてむほどかぎりある身にていとをこがましうひとわるかるべき事とおぼしたちて、ほいも遂げまほしうし給ひけれど見讓る人もなくて殘しとゞめむをいみじくおぼしたゆたひつゝ年月もふれば、おのおのおよすげまさり給ふ。さまかたちの美しうあらまほしきを明暮の御なぐさめにておのづからぞ過ぐし給ふ。後に生れ給ひし君をば侍ふ人々も「いでやをりふし心憂く」などうちつぶやきて心に入れてもあつかひ聞えざりけれど、かぎりのさまにて何事もおぼしわかざりし程ながらこれをいと心苦しと思ひて、「唯この君をばかたみに見給ひて哀とおぼせ」とばかり唯ひとことなむ宮に聞え置き給ひければ、先の世の契もつらきをりふしなれどさるべきにこそはありけめと、今はと見えしまでいと哀と思ひてうしろめたげにのたまひしをとおぼし出でつゝ、この君をしもいと悲しうし奉り給ふ。かたちなむ誠にいと美くしうゆゝしきまで物し給ひける。姬君は心ばせしづかによしある方にて見るめもてなしもけだかく心にくきさまぞし給へる。いたはしくやんごとなきすぢは勝りていづれをもさまざまに思ひかしづき聞え給へど、かなはぬこと多く年月にそへて宮の內物さびしくのみなりまさる。侍ひし人もたづきなき心地するに得忍びあへず、つぎつぎにしたがひてまかでちりつゝ若君の御乳母もさるさわぎにはかばかしき人をしもえりあへ給はざりければ、程につけたる心あさゝにて幼きほどを見捨て奉りにければ唯宮ぞはぐゝみ給ふ。さすがに廣くおもしろき宮の、池山などの氣色ばかり昔に變らでいといたうあれまさるをつれづれとながめ給ふ。けいしなどもむねむねしき人もなかりければとりつくろふ人もなきまゝに、草靑やかにしげり軒のしのぶぞ所えがほに靑み渡れる。折々につけたる花紅葉の色をも香をも同じ心にみはやし給ひしにこそ慰むことも多かりけれ、いとゞしくさびしくよりつかむ方なきまゝに、持佛の御飾ばかりをわざとせさせ給ひて明暮行ひ給ふ。かゝるほだしどもにかゝづらふだに思の外に口をしう、我が心ながらもかなはざりけるちぎりと覺ゆるを、まいて何にか世の人めいて今さらにとのみ、年月にそへて世の中をおぼし離れつゝ、心ばかりはひじりになりはて給ひて故君のうせ給ひしこなたは例の人のさまなる心ばへなど戯ぶれにてもおぼし出で給はざりけり。「などかさしも別るゝ程のかなしびは又世にたぐひなきやうにのみこそは覺ゆべかめれど、ありふればさのみやは。猶世の人になずらふ御心づかひをし給ひて、見苦しくたづきなき宮の內もおのづからもてなさるゝわざもや」と、人はもどき聞えて何くれとつきづきしく聞えごつことも類に觸れておほかれど聞し召し入れざりけり。御ねんずのひまひまにはこの君達をもてあそび、やうやうおよすげ給へば琴ならはし、碁うちへんつぎなどはかなき遊びわざにつけても、心ばへどもを見奉り給ふに、姬君はらうらうしく深くおもりかに見え給ふ。若君はおほどかにらうたげなるさまして物づゝみしたるけはひいとうつくしうさまざまに坐す。春のうらゝかなる日影に池の水鳥どもの羽根うちかはしつゝおのがじゝさへづる聲などを常ははかなき事と見給ひしかどもつがひ離れぬを羨しくながめ給ひて君達に御琴ども敎へ聞え給ふ。いとをかしげに小き御程にとりどりかき鳴らし給ふ。物の音ども哀にをかしく聞ゆれば淚をうけ給ひて、

 「うちすてつゝつがひさりにし水鳥のかりのこの世にたち後れけむ。心づくしなりや」と目おしのごひ給ふかたちいと淸げにおはします宮なり。年比の御行ひに瘦せほそり給ひにたれどさてしもあてになまめきて、君達を聞き給ふ御心ばへに直衣のなえばめるを着給ひてしどけなき御さまいと恥しげなり。姬君御硯をやをらひきよせて手習のやうに書きまぜ給ふを「これに書きたまへ。硯には書きつけざなり」とて紙奉り給へばはぢらひて書き給ふ。

 「いかでかくすだちけるぞと思ふにもうき水鳥のもぎりをぞしる」。よからねどそのをりは哀なりけり。手はおひさき見えてまだよくもつゞけ給はぬ程なり。「若君も書き給へ」とあれば今少しをさなげに久しく書き出で給へり。

 「なくなくもはねうちきする君なくばわれぞすもりになるべかりける」。御ぞどもなどなえばみて御前に又人もなくいと寂しくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにて物し給ふを哀に心苦しういかゞおぼさゞらむ。經を片手にも給ひてかつ讀みつゝさうがをし給ふ。姬君に琵琶若君に箏の御琴を、まだをさなけれど常に合せつゝ習ひ給へば聞きにくゝもあらでいとをかしく聞ゆ。父帝にも母女御にも疾くおくれ給ひてはかばかしき御後見のとりたてたる坐せざりければ、ざえなど深くも得習ひ給はず。まいて世の中に住みつく御心おきてはいかでかは知り給はむ。たかき人と聞ゆる中にもあさましうあてにおほどかなる女のやうにおはすれば、ふるき世の御寶物おほぢおとゞの御そうぶん何やかやとつきすまじかりけれど行くへもなくはかなくうせはてゝ御調度などばかりなむわざとうるはしくて多かりける。參り侍ひ聞え心よせ奉る人もなし。つれづれなるまゝにうたづかさの物の師どもなどやうの勝れたるを召しよせつゝはかなき御遊に心を入れおひ出で給へればその方はいとをかしく勝れ給へり。源氏のおとゞの御弟八宮とぞ聞えしを、冷泉院の春宮におはしましゝ時朱雀院の大后のよこざまにおぼし構へてこの宮を世の中にたちつぎ給ふべく我が御時もてかしづき奉り給ひけるさわぎに、あいなくあなたざまの御なからひにはさしはなたれ給ひにければいよいよかの御つぎつぎになりはてぬる世にてえまじらひ給はず。又この年比かゝるひじりになりはてゝ、今はかぎりとよろづをおぼし捨てたり。かゝる程に住み給ふ宮燒けにけり。いとゞしき世にあさましうあへなくてうつろひ住み給ふべき所のよろしきもなかりければ宇治といふ所によしある山里も給へりけるに渡り給ふ。思ひ捨て給へる世なれども今はと住み離れなむを哀におぼさる。あじろのけはひ近く耳かしがましき川のわたりにて靜なる思ひにかなはぬ方もあれどいかゞはせむ。花紅葉水の流れにも心をやるたよりによせていとゞしくながめ給ふより外のことなし。かく絕え籠りぬる野山の末にも昔の人ものし給はましかばと思ひ出で聞え給はぬをりなかりけり。

 「見し人も宿もけぶりになりにしをなどて我が身のきえのこりけむ」。生けるかひなくぞ覺しこがるゝや。いとゞ山重なれる御すみかに尋ね參る人もなし。あやしきげすなど田舍びたるやまがつどものみまれになれ參り仕うまつる。峯の朝霧晴るゝ折なくて明し暮し給ふに、この宇治山にひじりだちたる阿ざ梨住みけり。ざえいとかしこくて世の覺えもかるからねどをさをさおほやけごとにも出で仕へず籠り居たるに、この宮のかく近き程に住み給ひて寂しき御さまにたふときわざをせさせ給ひつゝ法文などを讀み習ひ給へばたふとび聞えて常にまゐる。年比學び知り給へる事どもの深き心を解き聞かせ奉り、いよいよこの世のかりそめにあぢきなきことを申し知らすれば「心ばかりにはちすの上に思ひのぼり濁なき池にも住みぬべきをいとかく幼き人々を見捨てむうしろめたさばかりになむえひたみちにかたちをもかへぬ」などへだてなく物語し給ふ。この阿ざ梨は冷泉院にも親しく侍ひて御經など敎へ聞ゆる人なりけり。京に出でたるついでに參りて、例のさるべき文など御覽じて問はせ給ふこともあるついでに「八宮のいとかしこく內敎の御ざえさとり深く物し給ひけるかな。さるべきにて生れ給へる人にや物し給ふらむ。心深く思ひすまし給へるほど誠のひじりのおきてになむ見え給ふ」と聞ゆ。「いまだかたちはかへ給はずや。ぞくひじりとかこの若き人々のつげたなる哀なることなり」などの給はす。宰相の中將も御前に侍ひ給ひて、我こそ世の中をいとすさまじく思ひ知りながら行ひなど人に目留めらるゝばかりはつとめず、口惜しくて過しけれなど人知れず思ひつゝ、俗ながらひじりになり給ふ心のおきてやいかにと、耳留めて聞き給ふ。「出家の志はもとより物し給へるをはかなきことに思ひとゞこほり今となりては心ぐるしき女子どもの御うへをえ思ひ捨てぬとなむ歎き侍り給ふ」と奏す。さすがにものゝ音めづる阿ざ梨にて「げにはたこの姬君達のこと彈きあはせて遊び給へる、阿波にきほひて聞え侍るはいとおもしろく極樂思ひやられ侍るや」とこだいにめづれば、帝ほゝゑみ給ひて「さるひじりのあたりにおひ出でゝこの世のかたざまはたどたどしからむとおしはからるゝを、をかしのことや、うしろめたく思ひ捨てがたくもて煩ひ給へらむを、もししばしもおくれむほどは讓りやはし給はぬ」などぞのたまはする。この院のみかどは十の御子にぞおはしける。朱雀院の故六條院にあづけ聞え給ひし入道の宮の御ためしをおぼし出でゝ、かの君達をがな、つれづれなるあそびがたきになどうちおぼしけり。中將の君はなかなかみこの思ひすまし給へらむ御心ばへを對面して見奉らばやと思ふ心ぞ深くなりぬる。さて阿ざ梨のかへりいるにも「必ず參りて物習ひ聞ゆべくまづうちうちにも氣色給はり給へ」など語らひ給ふ。みかどは御ことづてにて「哀なる御住まひを人づてに聞くこと」など聞え給うて、

 「世をいとふ心は山にかよへどもやへたつ雲をきみやへだつる」。阿ざ梨この御使をさきにたてゝかの宮にまゐりぬ。なのめなるきはのさるべき人の使だにまれなる山陰にいと珍しく待ち喜び給ひて、所につけたるさかなゝどしてさるかたにもてはやし給ふ。御かへし、

 「あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山にやどをこそかれ」。ひじりのかたをば卑下して聞えなし給へれば猶世に怨殘りけるといとほしく御覽ず。阿ざ梨「中將の君の道心深げに物し給ふ」など語り聞えて「法文などの心得まほしき志なむいはけなかりしよはひより深く思ひながら得去らず世にありふるほどおほやけわたくしにいとまなく明けくらし、わざととぢ籠りて習ひ讀み大方はかばかしくもあらぬ身にしも世の中をそむき顏ならむも憚るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ紛はしくてなむ過ぐしくるを、いとありがたき御有樣をうけ給はり傳へしより、かく心にかけてなむ賴み聞えさするなどねんごろに申し給ひし」など語り聞ゆ。宮「世の中をかりそめのことゝ思ひとり、いとほしき心のつきそむることも我が身にうれひある時、なべての世もうらめしう思ひ知るはじめありてなむ道心も起るわざなめるを、年若く世の中思ふにかなひ何事も飽かぬことはあらじと覺ゆる身のほどに、さはた後世をさへたどり知りたまふらむがありがたさ。こゝにはさべきにや。唯いとひ離れよと殊更に佛などのすゝめおもむけ給ふやうなる有樣にて、おのづからこそしづかなる思ひにかなひゆけど、のこり少き心地するにはかばかしくもあらで過ぎぬべかめるを、きしかた行く末更に得たどる所なく思ひ知らるゝを、かへりては心耻しげなるのりの友にこそはものし給ふなれ」などのたまひてかたみに御せうそこかよひ自らもまうで給ふ。げに聞きしよりも哀に住まひ給へるさまより始めていとかりなる草のいほりに思ひなしことそぎたり。同じき山里といへどさるかたにて心とまりぬべくのどやかなるもあるを、いとあらましき水の音波の響に物忘れうちし、よるなど心解けて夢をだに見るべき程もなげにすごく吹き拂ひたり。ひじりだちたる御ためにはかゝるしもこそ心とまらぬもよほしならめ、女君達何心地して過ぐし給ふらむ、世のつねの女しくなよびたる方はとほくやと推しはからるゝ御有樣なり。佛の御方にはさうじばかりを隔てゝぞおはすべかめる。すき心あらむ人は氣色ばみよりて人の御心ばへをも見まほしうさすがにいかゞとゆかしうもある御けはひなり。されどさるかたを思ひ離るゝ願ひに山深く尋ね聞えたるほいなくすきずきしきなほざりごとを打ち出であざればまむもことにたがひてやなど思ひ返して、宮の御有樣のいと哀なるをねんごろにとぶらひ聞え給ひ、たびたび參り給ひつゝ思ひしやうにうばそくながら行ふ山の深き心、法文などわざとさかしげにはあらでいとよくのたまひしらす。ひじりだつ人ざえある法師などは世におほかれどあまりこはこはしうけ遠げなるしうとくの僧都僧正のきはゝ世にいとまなくきすくにて物の心をとひあらはさむもことごとしく覺え給ふ。又その人ならぬ佛の御弟子の忌むことを保つばかりのたふとさはあれどけはひいやしくことばだみてこちなげにものなれたるいとものしくて、晝はおほやけごとに暇なくなどしつゝしめやかなるよひの程け近き御枕上などに召し入れ語らひ給ふにも、いとさすがに物むづかしくなどのみあるを、いとあてに心苦しきさましてのたまひ出づる言の葉も同じ佛の御敎をも耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き御さとりにはあらねどよき人は物の心をえたまふ方のいとことに物し給うければ、やうやう見馴れ奉り給ふたびごとに常に見奉らまほしうて、いとまなくなどしてほどふる時は戀しうおぼえ給ふ。この君のかくたふとがり聞え給へれば冷泉院よりも常に御せうそこなどありて、年比おとにもをさをさ聞え給はず、いみじく寂しげなりし御すみかにやうやう人め見る時々あり。をりふしにとぶらひ聞え給ふこといかめしうこの君もまづさるべきことにつけつゝをかしきやうにもまめやかなるさまにも心よせ仕う奉り給ふこと三年ばかりになりぬ。秋の末つ方四季にあてつゝし給ふ御念佛を、この河づらはあじろの浪もこのごろはいとゞ耳かしかましく靜ならぬをとて、かの阿闍梨の住む寺の堂にうつろひ給ひて七日のほど行ひ給ふ。姬君達はいと心ぼそくつれづれまさりてながめ給ひけるころ、中將の君久しく參らぬかなと思ひ出で聞え給うけるまゝに、有明の月のまだ夜深くさし出づるほどに出でたちて、いと忍びて御供に人などもなくやつれておはしけり。河のこなたなれば船などもわづらはで御馬にてなりけり。入りもて行くまゝに霧ふたがりて道も見えぬ繁木の中をわけ給ふに、いとあらましき風のきほひにほろほろと落ち亂るゝ木の葉の露の散りかゝるもいとひやゝかに人やりならずいたくぬれ給ひぬ。かゝるありきなどもをさをさならひ給はぬ心地に心ぼそくをかしくおぼされけり。

 「山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろき我が淚かな」。やまがつの驚くもうるさしとてずゐじんの音もせさせ給はず、柴の籬をわけつゝそこはかとなき水の流れどもをふみしだく駒の足音も猶忍びてと用意し給へるに、かくれなき御にほひぞ風にしたがひて、ぬし知らぬかとおどろくねざめの家々ぞありける。近くなるほどにその事とも聞き別れぬ物の音どもいとすごげに聞ゆ。常にかく遊び給ふと聞くをついでなくて御子の御きんの音の名高きも得聞かぬぞかし、よき折なるべしと思ひつゝ入り給へば、琵琶の聲のひゞきなりけり。わうしきでうにしらべて世の常のかきあはせなれど所がらにや耳馴れぬ心地して、搔き返すばちの音も物淸げにおもしろし。箏の琴哀になまめいたる聲してたえだえ聞ゆ。しばし聞かまほしきに忍びたまへど、御けはひしるく聞きつけて、とのゐびとめくをのこなまかたくなしき出で來たり。「しかじかなむ籠り坐します御せうそこをこそ聞えさせめ」と申す。「何かは、しか限りある御行ひの程を紛はし聞えさせむにあいなし。かくぬれぬれ參りていたづらに歸らむうれへを姬君の御方に聞えて哀とのたまはせばなむ慰むべき」とのたまへば、見にくき顏うちゑみて「申させ侍らむ」とてたつを「しばしや」と召しよせて「年比人づてにのみ聞きてゆかしく思ふ御ことの音どもを嬉しきをりかな。暫し少したち隱れて聞くべきものゝくまありや。つきなくさし過ぎて參りよらむほど皆ことやめ給ひては、いとほいなからむ」とのたまふ。御けはひ顏かたちのさるなほなほしき心地にもいとめでたくかたじけなく覺ゆれば「人きかぬ時は明暮かくなむあそばせど、しも人にても都のかたより參りたちまじる人侍る時は音もせさせ給はず。大かたかくて女君達おはしますことをばかくさせたまひ、なべての人に知らせ奉らじとおぼしのたまはする」と申せば、うち笑ひて「味氣なき御ものかくしなり。しか忍び給ふなれど皆人ありがたき世のためしに聞き出づべかめるを」とのたまひて「猶しるべせよ。あれはすきずきしき心などなき人ぞ。かくておはしますらむ御有樣のあやしくげになべてに覺え給はぬなり」とこまやかにの給へば「あなかしこ、心なきやうに後の聞えや侍らむ」とてあなたのお前ははたけのすいがいしこめて皆へだてことなるを、敎へよせ奉れり。御供の人は西の廊によびすゑてこのとのゐあへしらふ。あなたに通ふべかめる透垣の戶を少し押し明けて見給へば、月をかしき程にきり渡れるをながめて、すだれを少し短く卷き上げて人々居たり。簀子にいと寒げに身ほそくなえばめる童一人同じさまなるおとななど居たり。內なる人ひとりは柱に少し居かくれて琵琶を前に置きてばちを手まさぐりにしつゝ居たるに、雲がくれたりつる月の俄にいと明くさし出でたれば「扇ならでこれしても月はまねきつべかりけり」とてさしのぞきたる顏いみじくらうたげににほひやかなるべし。そひふしたる人は琴の上にかたぶきかゝりて「入る日をかへすばちこそありけれ。さまことにも思ひ及び給ふ御心かな」とてうち笑ひたるけはひ今少しおもりかによしづきたり。「及ばずともこれも月に離るゝものかは」など、はかなきことをうち解けのたまひかはしたる御けはひども、更によそに思ひやりしにはにず、いと哀になつかしうをかし。昔物語などに語り傳へて若き女房などの讀むをも聞くに、必ずかやうのことをいひたるさしもあらざりけむとにくゝおしはからるゝを、げに哀なるものゝくまあるべき世なりけりと心うつりぬべし。霧の深ければさやかに見ゆべくもあらず。又月さし出でなむと覺すほどに奧の方より「人坐す」と吿げ聞ゆる人やあらむ、簾垂おろして皆入りぬ。驚き顏にはあらずなごやかにもてなしてやをらかくれぬるけはひどもきぬの音もせず、いとなよゝかに心苦しうていみじうあてにみやびかなるを哀と思ひ給ふ。やをらたち出でゝ京に御車ゐて參るべく人走らせ給ひつ。ありつるさぶらひに折あしく參り侍りにけれどなかなかうれしく思ふこと少し慰めてなむ。「かくさぶらふよし聞えよ。いたうぬれにたるかごとも聞えさせむかし」とのたまへば參りてきこゆ。かく見えやしぬらむとはおぼしもよらでうちとけたりつる事どもを聞きやし給へらむといといみじくはづかし。怪しくかうばしく匂ふ風の吹きつるを思ひかけぬほどなれば驚かざりける心おぞさよと心も惑ひてはぢおはさうず。御せうそこなどつたふる人もいとうひうひしき人なめるを、をりからにこそ萬のこともと思ひてまだ霧のまぎれなればありつる御簾の前にあゆみ出でゝつい居給ふ。山里びたる若人どもはさしいらへむ言の葉も覺えで、御しとねさし出づるさまもたどたどしげなり。「この御簾の前にははしたなく侍りけり。うちつけに淺き心ばかりにてはかくも尋ね參るまじき山のかげぢに思ひ給ふるを、さまことにこそ。かく露けきたびをかさねてはさりとも御覽じ知るらむとなむたのもしう侍る」といとまめやかにのたまふ。若き人々のなだらかに物聞ゆべきもなく消え返りかゞやかしげなるもかたはらいたければ、女ばらの奧深きをおこし出づる程久しくなりてわざとめいたるも苦しうて「何事も思ひ知らぬありさまにて、知りがほにもいかゞは聞ゆべき」といとよしありてあてなる聲してひき入りながらほのかにのたまふ。「かつ知りながらうきを知らず顏なるも世のさがと思ひ給へ知るを、ひとところしもあまりおぼめかせ給へらむこそ口惜しかるべけれ。ありがたう萬を思ひすましたる御住まひなどにたぐひ聞えさせ給ふ御心のうちは何事も凉しくおしはかられ侍れば、猶かく忍びあまり侍る深さ淺さのほどもわかせ給はむこそかひは侍らめ。世の常のすきずきしきすぢにはおぼし召し放つべくや。さやうのかたはわざとすゝむる人侍るとも靡くべうもあらぬ心强さになむ、おのづから聞し召しあはするやうも侍りなむ。つれづれとのみ過ぐし侍る世の物語も聞えさせ所に賴み聞えさせ、又かく世離れてながめさせ給ふらむ御心のまぎらはしにもさしも驚かさせ給ふばかり聞えなれ侍らばいかに思ふさまに侍らむ」など多くのたまへば、つゝましくいらへにくゝておこしつるおい人の出できたるにぞ讓り給ふ。たとしへなくさし過して「あなかたじけなや。かたはらいたきおましのさまにも侍るかな。御簾の內にぞ若き人々はものゝほど知らぬやうにこそ」などしたゝかにいふ聲のさだすぎたるもかたはらいたく君達はおぼす。「いとも怪しく世の中に住まひ給ふ人の數にもあらぬ御有樣にてさもありぬべき人々だに、とぶらひかずまへ聞え給ふも見え聞えずのみなりまさり侍るめるに、ありがたき御志のほどは數にも侍らぬ心にもあさましきまで思ひ給へ聞えさせ侍るを、若き御心地にもおぼし知りながら聞えさせ給ひにくきにや侍らむ」といとつゝみなく物馴れたるもなまにくきものからけはひいたう人めきてよしある聲なれば「いとたづきも知らぬ心地しつるにうれしき御けはひにこそ。何事もげに思ひ知り給ひけるたのみこよなかりけり」とて寄り居給へるを几帳のそばより見れば、曙のやうやうものゝの色わかるゝにげにやつし給へると見ゆる狩衣姿のいとぬれしめりたるほどうたてこの世の外のにほひにやと怪しきまでかをりみちたり。このおい人はうち泣きぬ。「さしすぎたる罪もやと思ひ給へ忍ぶれど、哀なる昔の御物語のいかならむ序にうち出で聞えさせかたはしをもほのめかししろしめさせむと、年比ねんずのついでにもうちまぜ思ひ給へわたるしるしにや嬉しきをりに侍るを、まだきにおぼゝれたる淚にくれてえこそ聞えさせ侍らね」とうちわなゝく氣色誠にいみじく物悲しと思へり。大かたさだすぎたる人は淚もろなるものとは見聞き給へどいとかうしも思へるも怪しうなり給ひて「こゝにかく參ることはたびかさなりぬるを、かく哀知り給へる人もなくてこそ露けき道のほどに一人のみそぼちつれ。うれしきついでなめるをことなのこい給ひそかし」とのたまへば、「かゝる序しも侍らじかし。また侍るとも夜のまのほど知らぬ命の賴むべきにも侍らぬを、さらば唯かゝるふるもの世に侍りけりとばかりしろしめされ侍らなむ。三條の宮に侍ひし小侍從ははかなくなり侍りにけるとほのかに聞き侍りし。そのかみ睦じう思ひ給へしおなじほどの人多くうせ侍りにける世の末に、遙なる世界より傅はりまうできてこの五年六年のほどなむこれにかくさぶらひ侍る。えしろしめさじかし。この頃藤大納言と申すなる御このかみの、衞門督にてかくれ侍りにしは、ものゝついでなどにやかの御上とて聞し召し傳ふることも侍らむ。すぎ給ひていくばくも隔たらぬ心地のみし侍る。そのをりの悲しさもまだ袖のかわくをり侍らず思ひ給へらるゝを、手を折りて數へ侍ればかくおとなしくならせ給ひにける御よはひの程も夢のやうになむ。かの故權大納言の御乳母に侍りしは辨が母になむ侍りし。朝夕に仕うまつり馴れ侍りしかば人數にも侍らぬ身なれど人に知られず御心よりはたあまりけることををりをりうちかすめのたまひしを、今は限になり給ひにし御病の末つ方召しよせていさゝかのたまひおくことなむ侍りしを聞し召すべき故なむひとこと侍れどかばかり聞え出で侍るにのこりをとおぼし召す御心侍らばのどかになむ聞し召しはて侍るべき。若き人々もかたはらいたくさしすぎたりとつきじろひ侍るめるもことわりになむ」とてさすがに打ち出でずなりぬ。あやしく夢がたりかんなぎやうのものゝ問はずがたりするやうに珍らかにおぼさるれど哀に覺束なくおぼし渡ることのすぢを聞ゆればいとおくゆかしけれど、げに人めもしげし、さしぐみにふる物語にかゝづらひて夜を明しはてむもこちごちしかるべければ「そこはかと思ひわくことはなきものからいにしへのことゝ聞き侍るも物哀になむ。さらば必ずこののこり聞かせ給へ。霧晴れゆかばはしたなかるべきやつれをおもなく御覽じ咎められぬべきさまなれば思ひ給ふる心の程よりは口惜しうなむ」とて立ち給ふに、かのおはします寺の鐘の聲かすかに聞えて霧いと深くたちわたれる峯の八重雲思ひやるへだて多く哀なるに、猶この姬君達の御心のうちども心苦しう何事をおぼし殘すらむ、かくいとおくまり給へるもことわりぞかしなどおぼす。

 「あさぼらけ家路も見えずたづねこし槇のを山は霧こめてけり。心ぼそくも侍るかな」とたちかへりやすらひ給へるさまを都の人のめなれたるだに猶いとことに思ひ聞え侍るをまいていかゞは珍しう見ざらむ。御かへり聞え傅へにくげに思ひたれば例のいとつゝましげにて、

 「雲のゐる峯のかけぢを秋霧のいとゞへだつるころにもあるかな」。少しうち歎き給へる氣色淺からず哀なり。何ばかりをかしきふしは見えぬあたりなれど實に心苦しきこと多かるにもあかうなり行けばさすがにひたおもてなる心地して「なかなかなるほどに承りさしつること多かるのこりは今少しおもなれてこそは怨み聞えさすべかめれ。さるはかく世の人めいてもてなし給へば思はずに物おぼしわかざりけりと、うらめしうなむ」とてとのゐびとがしつらひたる西面におはしてながめ給ふ。「あじろは人さわがしげなり。されどひをもよらぬにやあらむすさまじげなる氣色なり」と御供の人々見知りていふ。あやしき船どもに柴刈り積みおのおの何となき世のいとなみどもに行きかふさまどものはかなき水の上に浮びたる、誰も思へば同じことなる世のつねなさなり。我はうかばず玉の臺にしづけき身と思ふべき世かはと思ひつゞけらる。硯召してあなたに聞え給ふ。

 「はし姬の心をくみてたかせさす棹のしづくにそでぞぬれぬる。ながめ給ふらむかし」とてとのゐびとにもたせ給へり。寒げにいらゝぎたる顏してもて參る。御かへし紙のかなどおぼろげならむは恥しげなるを、疾きをこそはかゝるをりはとて、

 「さしかへる宇治の川をさ朝夕のしづくや袖をくたしはつらむ。身さへうきて」といとをかしげに書き給へり。まほにめやすく物し給ひけりと心とまりぬれど御車ゐて參りぬと人々さわがし聞ゆればとのゐびとばかりを召しよせて「かへり渡らせ給はむほどに必ず參るべし」などのたまふ。ぬれたる御ぞどもは皆この人にぬぎかけ給ひてとりにつかはしつる御直衣に奉りかへつ。おい人の物語心にかゝりておぼし出でらる。思ひしよりはこよなくまさりておほどかにをかしかりつる御けはひども面かげに添ひて、猶思ひ離れがたき世なりけりと心弱く思ひ知らる。御文奉り給ふ。けさうだちてもあらず、白き色紙のあつごえたるに筆はひきつくろひえりて墨つき見所ありて書き給ふ。「うちつけなるさまにやとあいなく留め侍りて、のこり多かるも苦しきわざになむ。かたはし聞え置きつるやうに今よりは御簾の前も心やすくおぼし許すべくなむ。御山ごもりはて侍らむ日數もうけ給はりおきていぶせかりし霧のまよひもはるけ侍らむ」などぞいとすくよかに書き給へる。左近のぞうなる人御使にて「かのおい人尋ねて文もとらせよ」とのたまふ。とのゐ人がさむげにてさまよひしなど哀におぼしやりて大きなるひわりごやうのもの數多せさせ給ふ。又の日かの御寺にも奉り給ふ。山ごもりの僧どもこのごろの嵐にはいと心ぼそく苦しからむを、さておはしますほどの布施給ふべからむとおぼしやりて絹綿など多かりけり。御行はてゝ出で給ふあしたなりければ行ひ人どもに綿絹袈裟衣などすべてひとくだりの程づゝあるかぎりの大とこたちにたまふ。とのゐ人かの御ぬぎすてのえんにいみじきかりの御ぞどもえならぬ白き綾の御ぞのなよなよといひ知らず匂へるをうつしきて、身をはたえかへぬものなれば似つかはしからぬ袖の香を人ごとに咎められめでらるゝなむなかなかところせかりける。心にまかせて身を安くもふるまはれず、いとむくつけきまで人の驚くにほひを失ひてばやと思へど、所せき人の御うつりがにてえもすゝぎすてぬぞあまりなるや。君は姬君の御返事いとめやすくこめかしきををかしく見給ふ。宮にも「かく御せうそこありき」など人々聞えさせ御覽ぜさすれば「何かは。けさうだちてもてない給はむもなかなかうたてあらむ。例の若き人に似ぬ御心ばへなめるを、なからむ後もなどひとことうちほのめかしてしかば、さやうにて心ぞとめたらむ」などのたまひけり。御みづからもさまざまの御とぶらひの山の岩屋に餘りしことなどのたまへるに、まうでむとおぼして、三の宮のかやうにおくまりたらむあたりのみまさりせむこそをかしかるべけれとあらましごとにだにのたまふものを。聞えはげまして御心さわがし奉らむとおぼして、のどやかなる夕暮に參り給へり。例のさまざまなる御物語聞えかはし給ふついでに宇治の宮のこと語り出でゝ、見し曉のありさまなどくはしく聞え給ふに、宮いとせちにをかしとおぼいたり。さればよと御氣色を見ていとゞ御心動きぬべくいひつゞけ給ふ。「さてそのありけむ返事はなどか見せ給はざりし。まろならましかば」と怨み給ふ。「さかし。いとさまざま御覽ずべかめる端をだに見せ給はぬ。かのわたりはかくいともうもれたる身にひきこめてやむべきけはひにも侍らねば必ず御覽ぜさせばやと思ひ給ふれど、いかでか尋ねよらせ給ふべき。かやすきほどこそすかまほしくはいとよくすきぬべき世に侍りけれ。うちかくろへつゝ多かめるかな。さるかたに見所ありぬべき女の物思はしきうち忍びたるすみかも山里めいたるくまなどにおのづから侍るべかめり。この聞えさするわたりはいとよづかぬひじりざまにてこちごちしうぞあらむと年比は思ひあなづり侍りて耳をだにこそ留め侍らざりけれ。ほのかなりし月影の見劣りせずばまほならむはや。けはひ有樣はたさばかりならむをぞあらまほしきほどと覺え侍るべき」など聞え給ふ。はてはてはまめだちていとねたく、おぼろげの人に心移るまじき人のかく深く思へるを、おろかならじとゆかしうおぼすことかぎりなくなり給ひぬ。「猶又々よく氣色見給へ」と人をすゝめ給ひて限りある御身のほどのよだけさをいとはしきまで心もとなしとおぼしたれば、をかしくて「いでやよしなくぞ侍る。しばし世の中に心とゞめじと思ひ給へるやうある身にてなほざりごともつゝましう侍るを、心ながらかなはぬ心つきそめなばおほきに思ひにたがふべきことなむ侍るべき」と聞え給へば「いであなことごとし。例のおどろおどろしきひじりことば見はてゝしがな」とて笑ひ給ふ。心のうちにはかのふる人のほのめかしゝすぢなどのいとゞうち驚かされて物哀なるにをかしと見ることもめやすしと聞くあたりも何ばかり心にもとまらざりけり。十月になりて五六日のほどに宇治へまうで給ふ。「あじろをこそこの頃は御覽ぜめ」と聞ゆる人々あれど「何かはそのひをむしにあらそふ心にてあじろにもよらむ」とそぎ捨て給ひて、かろらかに網代車にてかとりの直衣指貫ぬはせて殊さらび着給へり。宮待ち喜び給ひて所につけたる御あるじなどをかしうしなし給ふ。暮れぬれば大となぶら近くてさきざき見さし給へる文どもの深きなど、阿闍梨もさうじおろして義などいはせ給ふ。うちもまどろまず。河風のいとあらましきに木の葉の散りかふおと水のひゞきなど哀もすぎて物恐しく心ぼそき所のさまなり。明けがた近くなりぬらむと思ふ程に、ありししのゝめ思ひ出でられて、琴の音の哀なることのついでつくり出でゝ「さきのたび霧にまどはされ侍りし曙にいと珍しきものゝ音ひと聲うけたまはりしのこりなむ、なかなかにいといぶかしう飽かず思ひ給へらるゝ」など聞え給ふ。「色をも香をも思ひ捨てゝし後昔聞きしことも皆忘れてなむ」とのたまへど、人召してきんとりよせて「いとつきなくなりにたりや。しるべする物の音につけてなむ思ひ出でらるべかりける」とて琵琶めしてまらうどにそゝのかし給ふ。とりてしらべ給ふ。「更にほのかに聞き侍りし同じものとも思ひ給へられざりけり。御琴の響がらにやとこそ思ひ給へしか」とて心とけてもかきたて給はず。「いであなさがなや。しか御耳とまるばかりのてなどはいづくよりか此處までは傅はりこむ。あるまじき御事なり」とてきんかきならし給へるいと哀に心凄し。かたへは峯の松風のもてはやすなるべし。いとたどたどしげにおぼめき給ひて心ばへある手ひとつばかりにてやめ給ひつ。「このわたりに覺えなくて折々ほのめく箏の琴の手こそ心得たるにやと聞く折侍れど心留めてなどもあらで久しうなりにけりや。心にまかせて各かきならすべかめるは河波ばかりやうち合すらむ。ろなうものゝようにすばかりのはうしなどもとまらじとなむ覺え侍る」とて「かきならし給へ」と彼方に聞え給へど「思ひよらざりしひとりごとを聞き給ひけむだにある物をいと片はならむ」とひきいりつゝ皆聞き給はず。度々そゝのかし聞え給へどとかく聞えすまひてやみ給ひぬればいと口惜しう覺ゆ。そのついでにもかく怪しう世づかぬ思ひやりにてすぐす有樣どもの思の外なることなど恥しうおぼいたり。「人にだにいかで知らせじとはぐゝみすぐせど今日明日とも知らぬ身ののこりすくなさにさすがに行く末遠き人はおちあふれてさすらへむこと、これのみこそげに世を離れむきはのほだしなりけれ」と打ち語らひ給へば心苦しう見奉り給ふ。「わざとの御後見だちはかばかしきすぢに侍らずともうとうとしからずおぼし召されむとなむ思ひ給ふる。しばしもながらへ侍らむ命のほどはひとこともかく打ち出で聞えさせてむさまをたがへ侍るまじくなむ」など申し給へば「いと嬉しきこと」とおぼしの給ふ。さて曉方宮の御行し給ふほどにかのおい人召し出でゝあひ給へり。姬君の御後見にて侍はせ給ふ。辨の君とぞいひける。年は六十にすこし足らぬほどなれどみやびかに故あるけはひしてものなど聞ゆ。故權大納言の君の世とともに物を思ひつゝ病づきはかなくなり給ひにし有樣を聞え出でゝ泣くことかぎりなし。げによその人の上と聞かむだに哀なるべきふる事どもをまして年比覺束なくゆかしういかなりけむ事のはじめにかと佛にもこのことをさだかに知らせ給へと念じつるしるしにや、かく夢のやうに哀なる昔がたりを覺えぬついでに聞きつけつらむとおぼすに淚とゞめがたかりけり。「さてもかくその世の心知りたる人も殘り給へりけるを珍らかにも恥しうも覺ゆることのすぢに猶かくいひ傅ふるたぐひやまたもあらむ。年ごろかけても聞き及ばざりけるを」との給へば「小侍從と辨とはなちて又知る人侍らじ。ひとことにても又こと人にまねび侍らず。かくものはかなく數ならぬ身のほどに侍れど、よるひるかの御かげにつき奉りて侍りしかば、おのづから物の氣色をも見奉りそめしに御心よりあまりておぼしける時々唯二人の中になむ、たまさかの御せうそこの通ひも侍りし。かたはらいたければ委しく聞えさせず。今はのとぢめになり給ひていさゝかのたまひおく事の侍りしを、かゝる身には置き所なくいぶせく思う給へ渡りつゝ、いかにしてかは聞し召し傅ふべきと、はかばかしからぬねんずのついでにも思ひ給へつるを、佛は世におはしましけりとなむ思う給へ知りぬる。御覽ぜさすべきものも侍り。今は何かは燒きも捨て侍りなむ。かく朝夕のきえを知らぬ身のうち拾て侍りなば落ち散るやうもこそといとうしろめたく思ひ給ふれど、この宮わたりにも時々ほのめかせ給ふを持ち出で奉りしかば少したのもしく、かゝるをりもやと念じ侍りつる力出でまうできてなむ。更にこれはこの世の事にも侍らじ」となくなく細かに、生れ給ひける程のこともよく覺えつゝ聞ゆ。「空しうなり給ひしさわぎに母に侍りし人はやがて病づきてほども經ず隱れ侍りにしかば、いとゞ思ひ給へ沈み藤衣もたちかさね悲しきことを思ひ給へしほどに、年比よからぬ人の心をつけたりけるが人をはかりごちて西の海のはてまでとりもてまかりにしかば、京のことさへ跡絕えてその人もかしこにてうせ侍りにし後十年あまりにてなむあらぬ世の心地してまかりのぼりたりしを、この宮は父方につけて童より參り通ふ故侍りしかば今はかう世にまじらふべきさまにも侍らぬを、冷泉院の女御どのゝ御かたなどこそは昔聞きなれ奉りしわたりにて參りよるべく侍りしかどはしたなく覺え侍りてえさし出で侍らでみやまがくれのくちきになりにて侍るなり。小侍從はいつかうせ侍りにけむ。そのかみの若盛りと見侍りし人は數少くなり侍りにける。末の世に多くの人に後るゝ命を悲しく思ひ給へてこそさすがにめぐらひ侍れ」など聞ゆるほどに例の明けはてぬ。「よしさらばこの昔物語はつきすべうなむあらぬ。又人聞かぬ心安き所にて聞えむ。侍從といひし人はほのかに覺ゆるは五つ六つばかりなりし程にや。俄に胸を病みてうせにきとなむ聞く。かゝる對面なくば罪重き身にて過ぎぬべかりける」ことなどのたまふ。さゝやかにおしまきあはせたるほぐどものかびくさきを袋にぬひ入れたる取り出でゝ奉る。「御前にてうしなはせ給へ、我猶生くべくもあらずなりにたりとのたまはせてこの御文をとり集めて給はせたりしかば小侍從に又あひ見侍らむついでにさだかに傅へ參らせむと思ひ給へしを、やがて別れ侍りにしも私事には飽かず悲しうなむ思ひ給ふる」と聞ゆ。つれなくてこれはかくい給ひつ。かやうのふる人はとはずがたりにや怪しきことのためしにいひ出づらむと苦しくおぼせど、かへすがへすもちらさぬよしをちかひつる、さもやと又思ひ亂れ給ふ。御粥こはいひなど參り給ふ。「昨日はいとまの日なりしを今日はうちの御物忌もあきぬらむ。院の女一宮惱み給ふ御とぶらひに必ず參るべければかたがたいとまなく侍るを又この比過ぐして山の紅葉散らぬさきに參るべき」よし聞え給ふ。「かくしばしばたちよらせ給ふひかりに、山の蔭も少し物あきらむる心地してなむ」など、よろこび聞えたまふ。歸り給ひてまづこの袋を見給へば唐の浮線綾を縫ひて上といふ文字をうへに書きたり。細き組して口の方をゆひたるに、かの御名の封つきたり。あくるも恐しうおぼえ給ふ。いろいろの紙にてたまさかに通ひける御文の返事五つ六つぞある。さてはかの御手にて「病は重くかぎりになりにたるに又ほのかにも聞えむことかたくなりぬるをゆかしう思ふことはそひにたり。御かたちも變りておはしますらむがさまざま悲しき」ことをみちのくにがみ五六枚につぶつぶとあやしき鳥の跡のやうに書きて、

 「めの前にこの世をそむく君よりもよそにわかるゝたまぞ悲しき」。またはしに「めづらしく聞き侍る二葉のほどもうしろめたう思ひ給ふる方はなけれど、

  命あらばそれとも見まし人しれずいはねにとめし松のおひすゑ」。かきさしたるやうにいと亂りがはしくて「侍從の君に」と上には書きつけたり。しみといふ蟲のすみかになりてふるめきたるかびくさゝながらあとは消えず。唯今書きたらむにもたがはぬ言の葉どものこまごまとさだかなるを見給ふにげに落ち散りたらましかばとうしろめたういとほしきことどもなり。かゝること世にまたあらむやと心ひとつにいとゞ物思はしさそひて、內へ參らむとおぼしつるも出でたゝれず。宮の御前に參り給へればいと何心もなく若やかなるさまし給ひて經讀み給ふを恥ぢらひてもてかくし給へり。何かはしりにけりとも知られ奉らむなど心にこめてよろづに思ひ居たまへり。


椎本

二月の二十日のほどに兵部卿の宮初瀨にまうで給ふ。ふるき御願なりけれどおぼしもたゝで年頃になりにけるを、宇治のわたりの御中やどりのゆかしさに、多くはもよほされ給へるなるべし。うらめしといふ人もありける里の名の、なべてむつましうおぼさるゝ故もはかなしや。上達部いとあまた仕うまつり給ふ。殿上人などはさらにもいはず世に殘る人少く仕うまつれり。六條院よりつたはりて右の大殿しり給ふ所は、河よりをちにいと廣くおもしろくてあるに、御まうけせさせ給へり。おとゞもかへさの御迎へに參り給ふべくおぼしたるを俄なる御物忌の重く愼み給ふべく申したれば、え參らぬよしのかしこまり申し給へり。宮、なますさまじとおぼしたるに、宰相の中將、今日の御迎へに參りあひ給へるになかなか心やすくて、かのわたりのけしきも傳へよらむと御心ゆきぬ。おとゞをばうちとけて見えにくゝことごとしきものに思ひ聞え給へり。御子の公達、右大辨、侍從の宰相、權中將、頭少將、藏人の兵衞佐など皆さぶらひ給ふ。帝后も心ことに思ひ聞え給へる宮なれば大かたの御おぼえもいとかぎりなく、まいて六條院の御かたざまはつきづきの人も、皆私の君に心よせ仕うまつり給ふ。所につけたる御しつらひなどをかしうしなして、碁すぐろくたぎのばんどもなどとり出でゝ、心々にすさびくらし給ひつ。宮はならひ給はぬ御ありきに惱ましくおぼされて、こゝにやすらはむの御心も深ければ、うちやすみ給ひて夕つ方ぞ御琴などめして遊び給ふ。例のかう世ばなれたる所は水の音ももてはやして、物の音すみまさる心地して、かのひじりの宮にも唯さしわたる程なれば、追風に吹き來るひゞきを聞き給ふに、昔の事おぼし出でられて、「笛をいとをかしくも吹きとほしたるかな。誰ならむ。昔の六條院の御笛の音聞きしはいとをかしげに愛敬づきたるねにこそ吹き給ひしか。これは澄みのぼりて、ことごとしきけのそひたるは、致仕のおとゞの御ぞうの笛の音にこそ似たなれ」などひとりごちおはす。「哀に久しくなりにけるや。かやうの遊などもせで、あるにもあらですぐし來にける年月の、さすがに多く算へらるゝこそかひなけれ」などのたまふついでにも、姬君たちの御有樣あたらしく、かゝる山ふところにひき籠めては、止まずもがなとおぼし續けらる。宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、さしも思ひよるまじかめり、まいて今やうの心淺からむ人をばいかでかはなどおぼし亂れて、つれづれとながめたまふ。所は春の夜もいと明しがたきを、心やり給へる旅寢のやどりはゑひのまぎれにいと疾う明けぬる心地して、飽かず歸らむことを宮はおぼす。はるばるとかすみ渡れる空に、散る櫻あれば今ひらけそむるなどいろいろ見渡さるゝに、河ぞひ柳のおきふし靡く水かげなどおろかならずをかしきを、見ならひ給はぬ人はいと珍しく見捨て難しとおぼさる。宰相はかゝるたよりをすぐさずかの宮に詣うでばやとおぼせど、あまたの人めをよきて一人漕ぎ出で給はむふなわたりのほども輕らかにやと思ひやすらひ給ふほどに、かれより御文あり。

 「山風にかすみ吹きとく聲はあれどへだてゝ見ゆるをちのしら波」。さうにいとをかしう書き給へり。宮おぼすあたりと見給へばいとをかしくおぼいて、「この御かへりは我せむ」とて、

 「をちこちのみぎはの波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の河風」。中將はまうで給ふ。あそびに心入れたるきんだちさそひて、さしやり給ふほど、酣醉樂遊びて、水にのぞきたる廊に造りおろしたる橋の心ばへなど、さる方にいとをかしうゆゑある宮なれば、人々心して船よりおり給ふ。こゝはまたさまことに、山ざとびたる網代屛風などの、ことさらにことそぎて見所ある御しつらひを、さる心ちしてかきはらひいといたうしなし給へり。いにしへのねなど、いとになきひきものどもをわざとまうけたるやうにはあらでつぎつぎひき出で給ひて、壹越調のこゝろに櫻人遊び給ふ。あるじの宮の御きんをかゝるついでにと人々思ひ給へれど、箏のことをぞ心にもいれずをりをりかきあはせ給ふ。耳なれぬけにやあらむ、いと物深くおもしろしと若き人々思ひしみたり。所につけたるあるじいとをかしうし給ひて、よそに思ひやりし程よりは、なま孫王めく賤しからぬ人あまた、おほきみ四位のふるめきたるなど、かく人め見るべきをりと、かねていとほしがり聞えけるにや、さるべきかぎり參りあひて、甁子とる人もきたなげならず、さる方にふるめきてよしよししうもてなし給へり。まらうどたちは、御むすめたちのすまひ給ふらむ御有樣思ひやりつゝ、心つくす人もあるべし。かの宮はまいてかやすきほどならぬ御身をさへ處せくおぼさるゝを、かゝる折にだにと忍びかね給ひて、おもしろき花の枝を折らせ給ひて、御供にさぶらふ上わらはのをかしきして奉り給ふ。

 「山櫻にほふあたりに尋ねきておなじかざしを折りてけるかな。野をむつましみ」とやありけむ。御かへりはいかでかはなど、聞えにくゝおぼしわづらふ。「かゝるをりのこと、わざとがましくもてなし、程の經るもなかなかにくきことになむし侍りし」などふる人ども聞ゆれば、中の君にぞ書かせ奉り給ふ。

 「かざしをる花のたよりに山がつの垣根を過ぎぬ春のたび人。野をわきてしも」といとをかしげにらうらうしく書き給へり。げに河風も心わかぬさまに吹き通ふ物の音どもおもしろく遊び給ふ。御迎に藤大納言、仰言にて參り給へり。人々あまた參り集ひ、物さわがしくてきほひ歸り給ふ。若き人々飽かずかへりみのみせられける。宮は又さるべきついでしてとおぼす。花ざかりにて、四方の霞もながめやる程の見所あるに、からのもやまとのも歌ども多かれど、うるさくて尋ねも聞かぬなり。物さわがしくて思ふまゝにもえいひやらずなりにしを飽かず宮はおぼして、しるべなくても御文は常にありける。宮の「猶聞えたまへ。わざとけさうだちてももてなさじ。なかなか心時めきにもなりぬべし。いとすき給へるみこなればかゝる人など聞き給ふが、猶もあらぬすさびなめり」とそゝのかし給ふ。時々中の君ぞ聞え給ふ。姬君はかやうのこと、たはぶれにももてはなれ給へる御心深さなり。いつとなく心ぼそき御有樣に、春のつれづれはいとゞ暮し難くながめ給ふ。ねびまさり給ふ御さまかたちどもいよいよまさり、あらまほしくをかしきもなかなか心苦しう、かたほにもおはせましかばあたらしくをしき方の思ひは薄くやあらましなど明暮おぼしみだる。姉君廿五、中の君廿二にぞなり給ひける。宮は重く愼み給ふべき年なりけり。物心ぼそくおぼして、御おこなひ常よりもたゆみなくし給ふ。世に心とゞめ給はねば出でたちいそぎをのみおぼせば、凉しき道にも赴き給ひぬべきを、唯この御事どものいといとほしく、かぎりなき御心づよさなれど、必ず今はと見捨て給はむ御心は亂れなむと、見奉る人もおしはかりきこゆるを、おぼすさまにはあらずともなのめにさても人ぎゝくちをしかるまじう、見ゆるされぬべききはの人の、まごゝろにうしろみ聞えむなど思ひより聞ゆるあらば知らずがほにてゆるしてむ、ひとところ世に住みつき給ふよすがあらば、それを見ゆづる方にて慰めおくべきを、さまで深き心に尋ね聞ゆる人もなし。まれまれははかなきたよりにすきごと聞えなどする人、また若々しき人の心のすさびに、物まうでの中やどり、ゆききのほどのなほざりごとに氣色ばみかけて、さすがにかくながめ給ふ有樣などおしはかりあなづらはしげにもてなすはめざましうて、なげのいらへをだにせさせ給はず。三宮ぞなほ見では止まじとおぼす御心深かりける。さるべきにやおはしけむ。宰相の中將その秋中納言になり給ひぬ。いとゞにほひまさり紿ふ。世のいとなみに添へてもおぼすこと多かり。いかなることといぶせく思ひ渡りし年比よりも心苦しうて、過ぎ給ひにけむいにしへざまの思ひやらるゝに、罪輕くなり給ふばかり、おこなひもせまほしくなむ、かのおい人をば哀なるものに思ひおきて、いちじるきさまならず、とかくまぎらはしつゝ心よせとぶらひ給ふ。宇治にまうでゝ久しうなりにけるを思ひ出でゝ參り給へり。七月ばかりになりにけり。都にはまだ入りたゝぬ秋の氣色を音羽の山近く風の音もいとひやゝかに槇の山邊も僅に色づきて、猶尋ね來たるにをかしう珍しうおぼゆるを、宮はまいて例よりも待ち喜び聞え給ひて、この度は心ぼそげなる物語いと多く申し給ふ。「なからむ後この君達をさるべきものゝたよりにもとぶらひ、思ひ捨てぬものにかずまへ給へ」などおもむけつゝ聞え給へば、「ひとことにても承りおきてしかば更に思う給へをこたるまじくなむ。世の中に心をとゞめじとはぶき侍る身にて、何事もたのもしげなきおひさきのすくなさになむ侍れど、さる方にてもめぐらひ侍らむかぎりは、變らぬ志を御覽じ知らせむとなむ思う給ふる」など聞え給へば、いとうれしとおぼいたり。夜深き月のあきらかにさし出でゝ、山のは近き心ちするに、ねんずいとあはれにし給ひて昔物がたりし給ふ。「この頃の世はいかゞなりにたらむ。くぢうなどにてかやうなる秋の月に、御前の御あそびのをりにさぶらひあひたる中に、物の上手とおぼしきかぎりとりどりにうちあはせたる拍子などことごとしきよりも、よしありとおぼえある女御更衣の御つぼねつぼねの、おのがじゝはいどましく思ひうはべのなさけをかはすべかめるを、夜深きほどの人のけしめりぬるに、心やましくかいしらべ、ほのかにほころび出でたる物の音など聞き所あるが多かりしかな。何事にも女はもてあそびのつまにしつべく、物はかなきものから人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば罪の深きにやあらむ。子の道のやみを思ひやるにも、をのこはいとしも親の心をみださずやあらむ。女はかぎりありていふかひなき方に思ひ捨つべきにも、猶いと心苦しかるべき」など大方のことにつけてのたまへる、いかゞさおぼさゞらむと心苦しく思ひやらるゝ御心のうちなり。「すべて誠にしか思ひ給へすてたるけにや侍らむ。みづからのことにては、いかにもいかにも深う思ひ知る方の侍らぬを、げにはかなきことなれど、聲にめづる心こそ背きがたきことに侍りけれ。さかしうひじりだつ迦せうもさればや立ちて舞ひ侍りけむ」など聞えて、飽かず一聲聞きし御琴の音を、せちにゆかしがり給へば、うとうとしからぬはじめにもとやおぼすらむ、御みづからあなたに入り給ひてせちにそゝのかし聞え給ふ。箏の琴をぞいとほのかに、搔きならして止み給ひぬる。いとゞ人のけはひも絕えて哀なる空のけしき、所のさまにわざとなき御あそびの心に入りて、をかしうおぼゆれど、うちとけてもいかでかはひきあはせ給はむ。「おのづからかばかりならしそめつるのこりは、よごもれるどちにゆづり聞えてむ」とて、宮は佛の御前に入り給ひぬ。

 「我なくて草のいほりは荒れぬともこのひとことは枯れじとぞ思ふ。かゝる對面も、この度や限ならむと物心ぼそきに忍びかねて、かたくなしきひがごと多くもなりぬるかな」とてうちなき給ふ。まらうど、

 「いかならむ世にかかれせむ長きよのちぎり結べる草のいほりは。すまひなどおほやけごとどもまぎれ侍る頃過ぎてさぶらはむ」など聞え給ふ。こなたにてかの問はずがたりのふる人めし出でゝのこり多かる物語などせさせ給ふ。入り方の月は隈なくさし入りてすきかげなまめかしきに、君達もおくまりておはす。世の常のけさうびてはあらず、心深う物語のどやかに聞えつゝものし給へば、さるべき御いらへなど聞えたまふ。三宮はいとゆかしうおぼいたる物をと、心のうちには思ひ出でつゝ、我が心ながら猶人にはことなりかし、さばかり御心もてゆるび給ふことのさしもいそがれぬよ、もてはなれてはたあるまじき事とはさすがにおぼえず、かやうにて物をも聞えかはし、をりふしの花紅葉につけてあはれをもなさけをもかよはすににくからず物し給ふあたりなれば、すくせことにてほかざまにもなり給はむはさすがに口惜しかるべくりやうじたる心ちしけり。まだ夜深きほどに歸り給ひぬ。心ぼそくのこりなげにおぼいたりし御けしきを思ひ出で聞え給ひつゝ、騷しき程過してまうでむとおぼす。兵部卿の宮もこの秋のほどに紅葉見におはしまさむと、さるべきついでをおぼしめぐらす。御文は絕えず奉り給ふ。女はまめやかに思すらむとも思ひ給はねば、煩しくもあらではかなきさまにもてなしつゝ折々に聞えかはし給ふ。秋深くなり行くまゝに、宮はいみじう物心ぼそくおぼえ給ひければ、例の靜なる所にて念佛をもまぎれなくせむとおぼして、君達にもさるべき事聞え給ふ。「世の事としてつひの別を遁れぬわざなめれど、思ひ慰む方ありてこそ悲しさをもさますものなめれ。又見ゆづる人もなく心ぼそげなる御有樣どもをうちすてゝむがいみじきこと。されどもさばかりの事に妨げられて長き世の闇にさへ惑はむがやくなさ。かつ見奉るほどだに思ひすつる世を、さりなむうしろの事知るべきことにはあらねど、我が身ひとつにあらず、過ぎ給ひにし御おもてぶせにかるがるしき心どもつかひ給ふな。おぼろげのよすがならで人のことにうちなびきこの山里をあくがれ給ふな。たゞかう人に違ひたるちぎりことなる身とおぼしなして、こゝに世をつくしてむと思ひとり給へ。ひたぶるに思ひしなせばことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして女はさる方に堪へ籠りて、いちじるくいとほしげなるよそのもどきを、おはざらむなむよかるべき」などのたまふ。ともかくも身のならむやうまではおぼしも流されず、唯いかにしてか後れ奉りては世に片時もながらふべきとおぼすに、かく心ぼそきさまの御あらましごとに、いふかたなき御心まどひどもになむ。心のうちにこそ思ひ捨て給ひつらめど、明暮御傍にならはい給ひて、俄に別れ給はむはつらき心ならねど、げにうらめしかるべき御有樣になむありける。あす入り給はむとての日は例ならずこなたかなたたゝずみありき給ひて見給ふ。「いとものはかなくかりそめのやどりにてすぐい給ひける御住ひのありさまを、なからむ後いかにしてかは若き人の堪へ籠りてはすぐい給はむと淚ぐみつゝねんずし給ふさまいと淸げなり。おとなびたる人々召し出でゝ、「うしろやすく仕うまつれ。何事ももとよりかやすく世に聞えあるまじききはの人は、末のおとろへも常の事にてまぎれぬべかめり。かゝるきはになりぬれば人は何とも思はざらめど、口惜しうてさすらへむ契かたじけなくいとほしきことなむ多かるべき。物さびしく心ぼそき世を經るは例のことなり。生れたる家のほどおきてのまゝにもてなしたらむなむ、きゝみゝにも我が心ちにもあやまちなくはおぼゆべき。にぎはゝしく人かずめかむと思ふとも、その心にもかなふまじき世とならば、ゆめゆめかろがろしく善からぬ方にもてなし聞ゆな」などのたまふ。まだ曉に出で給ふとてもこなたに渡り給ひて、「なからむ程心ぼそくなおぼしわびそ。心ばかりはやりて遊びなどはし給へ。何事も思ひにえかなふまじき世をなおぼしいれそ」など顧みがちにて出で給ひぬ。ふた所いとゞ心ぼそく物思ひ續けられて、起き臥しうち語らひつゝ、「ひとりひとりなからましかばいかでか明しくらさまし。今ゆくすゑも定めなき世にて若し別るゝやうもあらば」など泣きみ笑ひみ、たはぶれごともまめごとも同じ心に慰めかはして過し給ふ。かの行ひ給ふ三昧今日はてぬらむといつしかと待ち聞え給ふ夕暮に、人まゐりて「今朝よりなやましうてなむえ參らぬ。風かとてとかくつくろふとものする程になむ。さるは例よりも對面心もとなきを」と聞え給へり。胸つぶれていかなるにかとおぼし歎き御ぞども綿厚くていそぎせさせ給ひて奉れなどし給ふ。二三日はおり給はず、いかにいかにと人奉り給へど「殊におどろおどろしくはあらず。そこはかとなく苦しうなむ。少しもよろしうならば今ねんじて」などことばにて聞え給ふ。阿闍梨つとさぶらひて仕うまつりけり。「はかなき御なやみと見ゆれどかぎりのたびにもおはしますらむ。君達の御事何かおぼし嘆くべき。人は皆御宿世といふものことごとなれば御心にかゝるべきにもおはしまさず」といよいよおぼし離るべきことを聞え知らせつゝ、「今さらにな出で給ひそ」と諫め申すなりけり。八月二十日のほどなりけり。大方の空の氣色もいとゞしきころ、君だちは朝夕霧の晴るゝ間もなくおぼし嘆きつゝながめ給ふ。有明の月のいと華やかにさし出でゝ水のおもてもさやかに澄みたるを、そなたの蔀あげさせて見出し給へるに、鐘の聲かすかに響きて明けぬなりと聞ゆるほどに人きて、「この夜中ばかりになむうせ給ひぬる」となくなく申す。心にかけていかにとは絕えず思ひ聞え給へれど、うち聞き給ふにはあさましく物おぼえぬ心地して、いとゞかゝることに淚もいづちかいにけむ、たゞうつぶし臥し給へり。いみじきことも見る目の前にて覺束なからぬこそ常のことなれ。覺束なさそひて、おぼし歎くことことわりなり。しばしにても後れ奉りて世にあるべきものとおぼしならはぬ御心地どもにて、いかでかは後れじと泣きしづみ給へど、かぎりある道なりければ何のかひなし。阿ざ梨年頃契り置き給ひけるまゝに後の御事もよろづに仕うまつる。「なき人になり給へらむ御さまかたちをだに今一度見奉らむ」とおぼしのたまへど「今更になでふさることかは侍るべき。日頃も又逢ひ見給ふまじきことを聞え知らせつれば、今はましてかたみに御心とゞめ給ふまじき御心づかひを習ひ給ふべきなり」とのみ聞ゆ。おはしましける御有樣を聞き給ふにも、阿ざ梨のあまりさかしきひじり心をにくゝつらしとなむおぼしける。入道の御ほいは昔より深くおはせしかど、かう見ゆづる人なき御事どもの見捨てがたきを、生けるかぎりは明暮え去らず見奉るを、世に心ぼそき世のなぐさめにも、おぼし離れ難くてすぐい給へるを、かぎりある道にはさきだち給ふも、慕ひ給ふ御心も、かなはぬわざなりけり。中納言殿には聞き給ひて、いとあへなく口惜しく、今一度心のどかにて聞ゆべかりける事多う殘りたる心地して、大方世の有樣思ひつゞけられていみじう泣い給ふ。またあひ見むこと難くやなどのたまひしを、猶常の御心にも朝夕のへだて知らぬ世のはかなさを、人よりけに思う給へりしかば、耳なれて昨日今日と思はざりけるを、かへすがへす飽かず悲しくおぼさる。阿ざ梨のもとにも、君達の御とぶらひもこまやかに聞え給ふ。かゝる御とぶらひなどまた音づれ聞ゆる人だになき御有樣なれば、物おぼえぬ御心地どもにも、年頃の御心ばへのあはれなめりしなどをも思ひ知り給ふ。世の常の程の別れだにさしあたりては、又類ひなきやうにのみ皆人の思ひ惑ふものなめるを、慰む方なげなる御身どもにていかやうなる心地どもし給ふらむとおぼしやりつゝ、のちの御わざなどあるべき事ども推しはかりて阿ざ梨にもとぶらひ給ふ。こゝにもおい人どもにことよせて御誦經などの事も思ひやり聞えたまふ。あけぬ夜の心地ながら九月にもなりぬ。野山の氣色まして袖の時雨を催しがちに、ともすれば爭ひ落つる木の葉の音も、水のひゞきも、淚の瀧もひとつものゝやうにくれ惑ひて、「かうてはいかでか限あらむ御命もしばしめぐらひ給はむ」とさぶらふ人々は心ぼそくいみじく慰め聞えつゝ思ひ惑ふ。こゝにも念佛の僧さぶらひて、おはしましゝ方は佛をかたみに見奉りつゝ、時々參り仕うまつりし人々の、御忌に籠りたるかぎりはあはれに行ひてすぐす。兵部卿宮よりも度々とぶらひ聞えたまふ。さやうの御返りなど聞えむ心地もし給はず。おぼつかなければ、中納言にはかうもあらざなるを我をば猶思ひ放ち給へるなめりとうらめしくおぼす。紅葉の盛に、文など作らせ給はむとて出で立ち給ひしを、かくこのわたりの御せうえうびんなき頃なれば、おぼしとまりて口惜しくなむ。御忌もはてぬ。限あれば淚もひまもやとおぼしやりて、いと多く書きつゞけ給へり。時雨がちなる夕つかた、

 「をじかなく秋の山里いかならむ小萩がつゆのかゝるゆふぐれ。只今の空の氣色をおぼし知らぬがほならむも、あまり心づきなくこそあるべけれ。枯れゆく野邊もわけてながめらるゝ比になむ」などあり。「げにいとあまり思ひ知らぬやうにてたびたびになりぬるを、猶聞え給へ」など、中の君を例のそゝのかして書かせ奉りたまふ。今日までながらへて硯など近くひき寄せて見るべきものとやは思ひし、心憂くも過ぎにける日數かなとおぼすに、又かきくもり物見えぬ心地し給へば、おしやりて「猶えこそ書き侍るまじけれ。やうやうかう起きゐられなどし侍る。げに限ありけるにこそとおぼゆるもうとましう心憂くて」とらうたげなるさまに泣きしをれておはするもいと心苦し。夕暮の程より來ける御使、宵すこし過ぎてぞ來たる。「いかでか歸り參らむ。今夜は旅寢して」といはせ給へど、「立ちかへりこそ參りなめ」といそげば、いとほしうて我さかしう思ひしづめ給ふにあらねど、見わづらひ給ひて、

 「淚のみきりふたがれる山里はまがきに鹿ぞもろごゑになく」。黑き紙に夜の墨つきもたどたどしければ、ひきつくろふ所もなく筆に任せておし包みて出し給ひつ。御使は、木幡山のほども雨もよにいと恐しげなれど、さやうの物おぢすまじきをえり出で給ひけむ、むつかしげなるさゝのくまをこまひきとゞむる程もなくうちはやめて片時に參りつきぬ。おまへに召しても、いたくぬれて參りたれば祿たまふ。さきざき御覽ぜしにはあらぬ手の、今少しおとなびまさりてよしづきたる書きざまなどを、いづれかいづれならむとうちも置かず御覽じつゝ、とみにもおほとのごもらねば、「待つとて起きおはしまし、又御覽ずるほどの久しきは、いかばかり御心にしむことならむ」と、御前なる人々さゝめききこえて、にくみ聞ゆ。ねぶたければなめり。まだ朝霧深きあしたにいそぎ起きて奉り給ふ、

 「朝霧に友まどはせる鹿の音を大かたにやはあはれとも聞く。もろごゑは劣るまじくこそ」とあれど、あまりなさけだゝむもうるさし。ひと所の御蔭にかくろへたるをたのみ所にてこそ何事も心やすくて過しつれ、心より外にながらへて、思はずなることのまぎれつゆにてもあらば、うしろめたげにのみおぼしおくめりし、なき御たまにさへきづやつけ奉らむと、なべていとつゝましう恐しうて聞え給はず。この宮などをばかろらかにおしなべてのさまにも思ひ聞え給はず。なげの走りかい給へる御筆づかひ、言の葉もをかしきさまになまめき給へる御けはひをあまたは見知り給はねど、これこそはめでたきなめれと見給ひながら、そのゆゑゆゑしくなさけある方に、ことをまぜ聞えむもつきなき身の有樣どもなれば、何かたゞかゝる山ぶしだちて過してむとおぼす。中納言殿の御返りばかりは、かれよりもまめやかなるさまに聞え給へば、これよりもいとけうとげにはあらず聞え通ひ給ふ。御いみはてゝもみづからまうで給へり。東の廂のくだりたる方にやつれておはするに、近うたち寄り給ひて、ふる人召し出でたり。闇に惑ひ給へる御あたりにいとまばゆく匂ひ滿ちて入りおはしたれば、かたはらいたうて御いらへなどをだにえし給はねば、「かやうにはもてない給はで昔の御心むけに從ひ聞え給はむさまならむこそ、聞えうけたまはるかひあるべけれ。なよび氣色ばみたるふるまひをならひ侍らねば、人づてに聞え侍るは言の葉も續き侍らず」とあれば、「あさましう今までながらへ侍るやうなれど、思ひさまさむ方なき夢に惑はれ侍りてなむ、心より外に空のひかり見侍らむもつゝましうて、端近うもえみじろき侍らぬ」と聞え給へれば「ことゝいへば限なき御心の深さになむ。月日のかげは御心もて、はればれしくもていでさせ給はゞこそ罪も侍らめ。行く方もなくいぶせうおぼえ侍り。又おぼさるらむはしばしをもあきらめ聞えまほしくなむ」と申し給へば、「げにこそいとたぐひなげなめる御有樣を、慰め聞え給ふ御心ばへの淺からぬ程」など人々聞えしらす。御心地にもさこそいへ、やうやう心しづまりてよろづ思ひ知られたまへば、昔ざまにてもかうまで遙けき野邊を分け入り給へる志なども思ひ知り給ふべし。少しゐざりより給へり。おぼすらむさま、又のたまひ契りしことなど、いとこまやかになつかしういひて、うたて雄々しきけはひなどは見え給はぬ人なれば、けうとくすゞろはしくなどはあらねど、知らぬ人にかく聲を聞かせ奉り、すゞろにたのみ顏なることなども、ありつる日比を思ひ續くるもさすがに苦しうてつゝましけれど、ほのかにひとことなどいらへ聞え給ふさまの、げによろづ思ひほれ給へるけはひなれば、いと哀と聞き奉り給ふ。黑き几帳のすきかげのいと心苦しげなるに、ましておはすらむさま、ほの見し明けぐれなど思ひ出でられて、

 「色かはるあさぢを見ても墨染にやつるゝ袖をおもひこそやれ」とひとりごとのやうにのたまへば、

 「色かはる袖をばつゆのやどりにて我が身ぞさらにおきどころなき。はつるゝいとは」と末はいひけちて、いといみじく忍び難きけはひにて入り給ひぬなり。ひきとゞめなどすべき程にもあらねば飽かずあはれにおぼゆ。おい人ぞこよなき御かはりに出で來て、昔今をかきあつめ、悲しき御物語ども聞ゆる。ありがたくあさましき事どもを見たる人なりければ、かうあやしう衰へたる人ともおぼし捨てられず、いとなつかしう語らひ給ふ。「いはけなかりし程に故院に後れ奉りて、いみじう悲しきものは世なりけりと思ひ知りにしかば、人となり行くよはひにそへてつかさくらゐ世の中のにほひも何ともおぼえずなむ。唯かうしづやかなる御住ひなどの心にかなひ給へりしを、かくはかなく見なし奉りつるにいよいよいみじく、かりそめの世思ひ知らるゝ心も催されにたれど、心苦しうてとまり給へる御事どもほだしなど聞えむはかけがけしきやうなれど、ながらへてもかの御事あやまたず、聞えうけたまはらまほしきになむ。さるは覺えなき御ふる物語きゝしより、いとゞ世の中に跡とめむともおぼえずなりにたりや」とうち泣きつゝのたまへば、この人はましていみじく泣きてえも聞えやらず。御けはひなどの唯それかとおぼえ給ふに、年比うち忘れたりつるいにしへの御事をさへ取り重ねて聞えやらむ方もなくおぼゝれ居たり。この人はかの大納言の御めのと子にて、父はこの姬君達の母北の方の、母方のをぢ、左中辨にてうせにけるが子なりけり。年比遠き國にあくがれ、母君もうせ給ひて後かの殿には疎くなり、この宮には尋ねとりてあらせ給ふなりけり。人もいとやんごとなからず、宮仕なれにたれど心地なからぬものに宮もおぼして、姬君達の御うしろみだつ人になし給へるなりけり。むかしの御事は年比かく朝夕に見奉りなれ心隔つるくまなく思ひ聞ゆる君達にも、ひとことうち出で聞ゆるついでなく忍びこめたりけれど、中納言の君はふる人の問はずがたり皆例の事なれば、おしなべてあはあはしうなどはいひひろげずとも、いと恥しげなめる御心どもには聞き置き給へらむかしと推しはからるゝに、妬くもいとほしくもおぼゆるにぞ、又もてはなれてはやまじと思ひよらるゝつまにもなりぬべき。今は旅寢もすゞろなる心地して歸り給ふにも、これやかぎりのなどのたまひしを、などかさしもやはとうちたのみて又見奉らずなりにけむ秋やはかはれる。あまたの日數も隔てぬ程におはしにけむ方も知らず、あへなきわざなりや。殊に例の人めいたる御しつらひなくいとことそぎ給ふめりしかど、いと物淸げにかき拂ひあたりをかしくもてない給へりし御住ひも、大とこたち出でいり、こなたかなたひき隔てつゝ御念誦の具どもなどぞ變らぬさまなれど、佛は皆かの寺に移り奉りてむとすと聞ゆるを聞き給ふにも、かゝるさまの人かげなどさへ絕えはてむ程とまりて思ひ給はむ心地どもをくみ聞え給ふも、いと胸痛うおぼしつゞけゝる。「いたく暮れ侍りぬ」と申せば、ながめさして立ち給ふに、雁なきてわたる。

 「秋霧のはれぬ雲ゐにいとゞしくこの世をかりといひしらすらむ」。兵部卿の宮に對面し給ふ時は、まづこの君達の御事をあつかひぐさにし給ふ。今はさりとも心やすきをおぼして、宮はねんごろに聞え給ひけり。はかなき御返りも聞えにくゝつゝましき方に女がたはおぼいたり。世にいといたうすき給へる御名のひろごりて好ましく艷におぼさるべかめるも、かういとうづもれたる葎の下よりさし出でたらむてつきも、いかにうひうひしくふるめきたらむなど、思ひくつし給へり。さてもあさましうて明し暮さるゝは月日なりけり。かく賴み難かりける御世を昨日今日とは思はで、唯大かた定なきはかなさばかりを明暮のことに聞き見しかば、我も人も後れさきだつ程しもやはへむなどうち思ひけるよ、きし方を思ひ續くるも、何のたのもしげなる世にもあらざりけれど、唯いつとなくのどかに眺めすぐし、物恐しくつゝましきこともなくて經つるものを、風の音も荒らかに、例見ぬ人かげもうちつれこわづくれば、まづ胸つぶれて物恐しく侘しう覺ゆることさへそひにたるが、いみじう堪へ難きことゝ、二所うち語らひつゝほすよもなくてすぐしたまふに年も暮れにけり。雪霰ふりしくころはいづくもかくこそはある風の音なれど、今始めて思ひいりたらむ山住の心地し給ふ。女ばらなど「あはれとしはかはりなむとす。心ぼそく悲しきことを、改まるべき春待ち出でゝしがな」と心をけたずいふもありがたきことかなと聞き給ふ。向ひの山にも時々の御念佛に籠り給ひし故こそ、人もまゐりかよひしか、阿闍梨もいかゞと大方にまれに音づれ聞ゆれど、今は何しにかはほのめき參らむ、いとゞ人目の絕えはつるもさるべきことゝ思ひながら、いと悲しくなむ。何とも見ざりしやまがつもおはしまさで後たまさかにさしのぞき參るは、めづらしく覺え給ふ。この比の事とてたきゞこのみ拾ひて參る山人どもあり。阿闍梨のむろより炭などやうの物奉るとて、「年比に習ひ侍りにける宮仕の、今はとて絕え侍らむが心ぼそきになむ」と聞えたり。必ず冬ごもる山風防ぎつべき綿きぬなど遣しゝを、おぼし出でゝやり給ふ。法師ばらわらはべなどののぼり行くも見えみ見えずみいと雪深きを、泣く泣く立ち出でゝ見送り給ふ。「みぐしなどおろい給うてもさる方にておはしまさましかばかやうに通ひ參る人もおのづから繁からまし。いかに哀に心ぼそくとも、あひ見奉ること絕えて止まゝしやは」などかたらひ給ふ。

 「君なくて岩のかげ道絕えしより松の雪をもなにとかは見る」。中の君、

 「奧山の松葉につもる雪とだに消えにし人を思はましかば。うらやましくぞまたもふりそふや」。中納言の君は、新しき年はふとしもえとぶらひ聞えざらむと覺しておはしたり。雪もいとゞ所せきによろしき人だに見えずなりにたるを、なのめならぬけはひしてかろらかに物し給へる心ばへの、淺うはあらず思ひ知られ給へれば、例よりはみいれておましなどひきつくろはせ給ふ。墨染ならぬ御火桶、物の奧なる取り出でゝ、塵かき拂ひなどするにつけても、宮の待ち喜び給ひし御氣色などを人々も聞え出づ。たいめし給ふことをばつゝましくのみおぼいたれど、思ひくまなきやうに人の思ひ給へれば、いかゞはせむとて聞え給ふ。うちとくとはなけれど、さきざきよりは少し言の葉續けて、物などのたまへるさまいとめやすく心恥しげなり。かやうにてのみはえすぐしはつまじと思ひなり給ふも、いとうちつけなる心かな。猶移りぬべき世なりけりと思ひ居給へり。「宮のいとあやしく恨み給ふことの侍るかな。哀なりし御一ことを承り置きしさまなど、事の序にもや漏し聞えたりけむ。又いと隈なき御心のさがにて推し量り給ふにや侍らむ。こゝになむともかくも聞えさせなすべきとたのむを、つれなき御氣色なるはもてそこなひ聞ゆるぞと度々怨じ給へば、心より外なる事と思ひ給へれど、里のしるべいとこよなうもえあらがひ聞えぬを、何かはいとさしももてなし聞え給ふらむ。すい給へるやうに人は聞えなすべかめれど、心の底怪しう深うおはする宮なり。なほざりごとなどのたまふわたりの、心がらうて靡きやすなるなどを珍しからぬものに思ひおとし給ふにやとなむ聞くことも侍る。なに事にもあるに從ひて心をたつる方もなく、おどけたる人こそ、唯世のもてなしに從ひてとあるもかゝるもなのめに見なし少し心に違ふふしあるにもいかゞはせむ、さるべきぞなども思ひなすべかめれば、なかなか心長きためしになるやうもあり、くづれそめては、龍田の川の濁る名をもけがし、いふかひなく名殘なきやうなることなども皆うちまじるめれ。心の深くしみ給ふべかめる御心ざまにかなひ、事に背くこと多くなどもし給はざらむをば、更にかろがろしくはじめをはり違ふやうなることなど見せ給ふまじき氣色になむ。人の見奉り知らぬことをいとよう見聞きたるを、もし似つかはしくさもやとおぼしよらば、そのもてなしなどは心のかぎり盡して仕うまつりてむかし。御中道のほどみだりあしこそいたからめ」といとまめやかにていひ續け給へば、我が御みづからの事とはおぼしもかけず、人の親めきていらへむかしとおぼしめぐらし給へど、猶いふべき言の葉もなき心ちして、「いかにとかはかけがけしげにのたまひ續くるに、なかなか聞えむことも覺え侍らで」とうち笑ひ給へるも、おいらかなるものからけはひをかしう聞ゆ。「必ず御自ら聞しめしおふべき事とも思ひ給へず。それは雪を踏み分けて參り來たる志ばかりを御覽じわかむ。御このかみ心にても過ぐさせ給ひてよかし。かの御心よせは又ことにぞはべかめる。ほのかにのたまふさまもはべめりしを、いさやそれも人のわき聞え難きことなり。御かへりなどはいづかたにかは聞え給ふ」と問ひ申し給ふに、ようぞたはぶれにも聞えざりける、何となけれどかうのたまふにもいかに恥しう胸つぶれましと思ふに、え答へやり給はず。

 「雪ふかき山のかけはし君ならでまたふみ通ふあとを見ぬかな」と書きてさし出し給へれば、「御ものあらがひこそなかなか心おかれ侍りぬべけれ」とて、

 「つらゝとぢこまふみしだく山河をしるべしがてらまづや渡らむ。さらばしも、かげさへ見ゆるしるしも淺うは侍らじ」と聞え給へば、思はずにものしうなりて殊にいらへ給はず。けざやかにいと物遠くすゝみたるさまには見え給はねど今やうの若人達のやうにえんげにももてなさで、いとめやすくのどかなる心ばへならむとぞ推し量られ給ふ人の御けはひなる。かうこそはあらまほしけれと思ふに違はぬ心地し給ふ。事に觸れて氣色ばみよるも知らずがほなるさまにのみもてなし給へば、心恥しうて昔物語などをぞ物まめやかに聞え給ふ。「暮れはてなば雪いとゞ空もとぢぬべう侍り」と御供の人々こわづくれば、かへり給ひなむとて「心苦しう眺めくらさるゝ御住ひのさまなりや。唯山里のやうにいと靜なる所の、人も行きまじらぬ所に侍るを、さもおぼしかけばいかに嬉しく侍らむ」などのたまふも、いとめでたかるべきことかなと片耳に聞きてうちゑむ女ばらのあるを、中の君は、いと見苦しういかにさやうにはあるべきぞと見聞き居給へり。御くだものよしあるさまにてまゐり、御供の人々にもさかななどめやすき程にて、かはらけさし出させ給ひけり。かの御うつりがもてさわがれし殿居人ぞ、かづらひげとかいふつらつき心つきなくてある、はかなの御たのもし人やと見給ひて、召し出でたり。「いかにぞ、おはしまさで後心ぼそからむ」など問ひ給ふ。うちひそみつゝ心よわげになく。「世の中に賴むよるべも侍らぬ身にて、一所の御かげに隱れて三十餘年を過し侍りにければ、今はまして野山にまじり侍らむも、いかなる木の本をかはたのむべく侍らむ」と申して、いとゞ人わろげなり。おはしましゝ方あけさせ給へれば、塵いたう積りて佛のみぞ花のかざり衰へず行ひ給ひけりと見ゆる。御床など取りやりてかき拂ひたり。ほいをも遂げばと契り聞えしこと思ひ出でゝ、

 「立ちよらむかげと賴みし椎がもと空しき床になりにけるかな」とて柱により居給へるをも、若き人々はのぞきてめで奉る。日暮れぬれば近き所々にみさうなど仕うまつる人々に、みまくさとりに遣りける。君も知り給はぬに田舍びたる人々、おどろおどろしくひき連れ參りたるを、あやしうはしたなきわざかなと御覽ずれど、おい人にまぎらはし給ひつ。大方かやうに仕うまつるべく、仰せ置きて出で給ひぬ。

年かはりぬれば空の氣色うらゝかなるに、みぎはの氷解けわたるにつけても、かうまでながらへけるもありがたくもと眺め給ふ。ひじりの坊より、「雪消えに摘みて侍るなり」とて澤の芹峯の蕨など奉りたり。いもひの御臺に參れる。「所につけては、かゝる草木のけしきに從ひて、行きかふ月日のしるしも見ゆるこそをかしけれ」など人々のいふを、何のをかしきならむと聞き給ふ。

 「君がをる峯のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも」。

 「雪深きみぎはのこぜり誰がためにつみかはやさむ親なしにして」などはかなきことをうち語らひつゝ明けくらし給ふ。中納言殿よりも、宮よりも折すぐさず訪らひ聞え給ふ。うるさく何となき事多かるやうなれば例の書きもらしたるなめり。花ざかりの頃、宮かざしをおぼし出でゝ、そのをり見聞き給ひし君達なども、「いとゆゑありしみこの御住ひを、またも見ずなりにしこと」など大方のあはれを口々聞ゆるに、いとゆかしうおぼされたり。

 「つてに見し宿の櫻をこの春はかすみへだてず折りてかざゝむ」と心をやりてのたまへりけり。あるまじきことかなと見給ひながらいとつれづれなる程に、見所ある御文の、うはべばかりをもてけたじとて、

 「いづくとか尋ねて折らむ墨染に霞こめたるやどのさくらを」。猶かくさしはなちてつれなき御氣色の見ゆれば、誠に心うしとおぼしわたる。御心に餘り給ひては、唯中納言を、とざまかうざまに責め恨み聞え給へば、をかしと思ひながら、いとうけばりたる後見顏にうちいらへ聞えて、あだめいたる御心ざまをも見顯す時々は、「いかでかかゝらむには」など申し給へば、宮も御心づかひし給ふべし。「心にかなふあたりをまだ見つけぬ程ぞや」とのたまふ。おまい殿の六の君をおぼし入れぬこと、なまうらめしげにおとゞもおぼしたりけり。されどゆかしげなきなからひなるうちにも、おとゞのことごとしく煩しくて何事のまぎれをも見咎められむがむつかしきと、したにはのたまひてすまひ給ふ。その年三條の宮燒けて、入道宮も六條院にうつろひ給ひ、何くれと物騷しきにまぎれて、宇治のわたりを久しう音づれ聞え給はず。まめやかなる人の御心は又いとことなりければ、いとのどかにおのがものとはうち賴みながら、女の心ゆるび給はざらむかぎりはあさればみなさけなきさまに見えじと思ひつゝ、昔の御心忘れぬ方を深く見知り給へとおぼす。その年常よりも暑さを人々わぶるに、河づら凉しからむはやと思ひ出でゝ、俄にまうで給へり。朝すゞみの程に出で給ひければ、あやにくにさしくる日影もまばゆくて宮のおはせし西の廂に殿居人召し出でゝおはす。そなたのもやの佛の御まへに、君達ものし給ひけるを、けぢかゝらじとて、我が御方にわたり給ふ。御けはひ忍びたれどおのづからうちみじろき給ふ程近く聞えければ、猶あらじにこなたに通ふさうじのはしの方にかけがねしたる所に、穴の少しあきたるを見置き給へりければ、とに立てたる屛風をひきやりて見給ふ。こゝもとに几帳をそへ立てたる、あな口をしと思ひてひきかへるをりしも、風の簾垂をいたう吹きあぐべかめれば、「あらはにもこそあれ。その御几帳おし出でゝこそ」といふ人あなり。をこがましきものゝ嬉しうて見給へば、高きも短きも、几帳をふたまのすに押し寄せて、このさうじに向ひて、あきたるさうじよりあなたにとほらむとなりけり。まづ一人たち出でゝ、几帳よりさしのぞきて、この御供の人々のとかう行きちがひ凉みあへるを見給ふなりけり。濃きにび色のひとへに、くわざうの袴のもてはやしたる、なかなかさまかはりて、花やかなりと見ゆるは、着なし給へる人がらなめり。帶はかなげにしなして、珠數ひき隱しても給へり。いとそびやかに、やうだいをかしげなる人の、かみうちきに少したへぬ程ならむと見えて、末まで塵のまよひなく、つやつやとこちたう美くしげなり。かたはらめなどあならうたげと見えて、匂ひやかにやはらかにおほどきたるけはひ、女一宮もかうざまにぞおはすべきとほの見奉りしも思ひくらべられてうちなげかる。またゐざり出でゝ、かのさうじはあらはにもこそあれと見おこせ給へる用意、うちとけたらぬさまして、よしあらむとおぼゆ。頭つきかんざしのほど、今少しあてになまめかしきさまなり。「あなたに屛風も添へて立てゝ侍りつ。急ぎてしものぞき給はじ」と若き人々何心なくいふあり。「いみじうもあるべきわざかな」とて、うしろめたげにゐざり入り給ふ程、け高う心にくきけはひ添ひて見ゆ。黑きあはせ一かさね同じやうなる色あひを着給へれど、これはなつかしうなまめきて、哀げに心苦しうおぼゆ。髮さばらかなる程に落ちたるなるべし、末少しほそりて、色なりとかいふめるひすゐだちていとをかしげにいとをよりかけたるやうなり。紫の紙に書きたる經を、片手に持ちたまへる手つき、かれよりもほそさまさりてやせやせなるべし。立ちたりつる君もさうじ口に居て、何事にかあらむ、こなたを見おこせて笑ひたる、いとあいぎやうづきたり。


總角

あまた年耳なれ給ひにし河風も、この秋はいとはしたなく物悲しくて、御はての事急がせ給ふ。大方のあるべかしきことゞもは、中納言殿、阿闍梨などぞ仕うまつり給ひける。こゝには法服の事、經のかざり、こまかなる御あつかひを、人の聞ゆるに從ひて營み給ふも、いとものはかなくあはれに、かゝるよその御後見なからましかばと見えたり。みづからも詣で給ひていまはと脱ぎ捨て給ふ程の御とぶらひあさからず聞え給ふ。阿闍梨もこゝに參れり。みやうがうの絲ひき亂りて、「かくても經ぬる」などうち語らひ給ふほどなりけり。結びあげたるたゝりのすだれのつまより几帳のほころびにすきて見えければ、その事と心得て「我が淚をば玉にぬかなむ」とうちずし給へり。伊勢のごもかうこそはありけめとをかしう聞ゆるも、うちの人は聞き知りがほにさしいらへ給はむもつゝましくて、物とはなしにとか貫之がこの世ながらの別をだに心ぼそきすぢにひきかけゝむをなど、げにふることぞ人の心をのぶるたよりなりけるを思ひ出で給ふ。御願文つくり、經ほとけ供養せらるべき心ばへなど書き出で給へる硯のついでに、まらうど、

 「あげまきに長きちぎりを結びこめおなじ所によりもあはなむ」と書きて見せ奉り給へば、例のとうるさければ、

 「ぬきもあへずもろき淚の玉のをに長きちぎりをいかゞむすばむ」とあれば、「あはずはなにを」とうらめしげに眺め給ふ。自らの御うへは、かくそこはかとなくもてけちて恥しげなるに、すかすかともえのたまひよらで、宮の御事をぞまめやかに聞え給ふ。さしも御心に入るまじきことを、かやうの方に少しすゝみ給へる御本性にて聞えそめ給ひけむ、まけじたましひにやととざまかうざまにいとよくなむ御氣色見奉る。「誠にうしろめたうはなるまじげなるを、などかうあながちにしももてはなれ給ふらむ。世の有樣などおぼしわくまじくは見奉らぬを、うたて遠々しくのみもてなさせ給へば、かばかりうらなくたのみ聞ゆる心に違ひてうらめしくなむ。ともかくもおぼしわくらむさまなどを、さはやかにうけ給はりにしがな」といとまめだちて聞え給へば、「違へ聞えじの心にてこそは、かうまであやしき世のためしなる有樣にてへだてなくもてなし侍れ。それをおぼしわかざりけるこそは、淺き事もまじりたる心地すれ。げにかゝる住ひなどに心あらむ人は思ひ殘すことあるまじきを、何事にも後れそめにけるうちにこののたまふめるすぢは、いにしへも更にかけて、とあらばかゝらばなど行く末のあらましごとにとりまぜてのたまひ置く事もなかりしかば、猶かゝるさまにて世づきたる方を思ひ絕ゆべくおぼしおきてけるとなむ思ひ合せ侍れば、ともかくも聞えむ方なくて、さるは少し世ごもりたるほどにてみやまがくれには心苦しう見え給ふ人の御うへを、いとかく朽木にはなしはてずもがなと人知れずあつかはしうおぼえ侍れば、いかなるべき世にかあらむ」とうち歎きて物思ひ亂れ給ひけるけはひいとあはれげなり。けざやかにおとなびてもいかでかはさかしがり給はむとことわりにて、例のふる人召し出でゝぞ語らひ給ふ。「年頃は唯後の世ざまの心ばへにて進み參りそめしを、物心ぼそげにおぼしなるめりし御末の頃ほひ、この事どもを心に任せてもてなし聞ゆべくなむのたまひ契りてしを、おぼしおきて奉り給ひし御有樣どもには違ひて、御心ばへどものいとゞあやにくに物つよげなるはいかにおぼし置きつる方の事なるにや〈か歟〉と疑はしき事さへそひてなむ。おのづから聞き傅へ給ふやうもあらむ。いとあやしき本性にて、世の中に心をしむる方なかりつるを、さるべきにてやかうまでも聞えなれにけむ。世の人もやうやういひなすやうあるべかめるに、同じうは昔の御事も違へ聞えず、我も人も世の常に心とけて聞え通はゞやと思ひよるは、つきなかるべき事にてもさやうなるためしなくやはある」などのたまひ續けて、「宮の御事をもかう聞ゆるにうしろめたうはあらじとうちとけ給ふさまならぬはうちうちにさりとも思ほしむけたる事のさまあらむ。猶いかにいかに」とうち眺めつゝのたまへば、例のわろびたる女房などは、かゝる事にはにくきさかしらもいひまぜてことよがりなどもすめるを、いとさはあらず、心の中には、あらまほしかるべき御事どもをと思へど、「もとよりかく人に違ひ給へる御くせどもに侍ればにや、いかにもいかにも世のつねになにやかやなどおもひより給へる御氣色になむ侍らぬ。かくてさぶらふこれかれも、年比だに何のたのもしげある木の本のかくろへも侍らざりき。身を捨て難く思ふかぎりはほどほどにつけてまかでちり、昔のふるきすぢなる人も、多く見奉りすてたるあたりに、まして今は暫しも立ちとまり難げに侘び侍りつゝ、おはしましゝ世にこそ限ありてかたほならむ御有樣はいとほしくもなど、こだいなる御うるはしさにおぼし滯りつれ。今はかう又たのみなき御身どもにて、いかにもいかにも世に靡き給へらむを、あながちに譏り聞えむ人は、かへりて物の心をも知らずいふかひなき事にこそはあらめ。いかなる人かいとかうて世をばすぐしはて給ふべき。松の葉をすきてつとむる山伏だに生ける身の捨て難さによりてこそは、佛の御敎をも道々別れては行ひなすなれ、などやうの善からぬ事を聞え知らせ、若き御心ども亂れ給ひぬべき事多く侍るめれど、たわむべくもものし給はず、中の君をなむいかで人めかしうもあつかひなし奉らむと思ひ聞え給ふべかめる。かく山深う尋ね聞えさせ給ふめる御志の、年經て見奉りなれ給へるけはひも疎からず思ひ聞えさせ給ひ、今はとざまかうざまにこまかなるすぢに聞え通ひ給ふめるに、かの御方をさやうに趣けて聞え給はゞとなむおぼすべかめる。宮の御文など侍るめるは更にまめまめしき御事ならじと侍るめる」と聞ゆれば、「あはれなる御一言を聞き置き奉りにしかば、露の世にかゝづらはむかぎりは、聞え通はむの心あれば、いづかたにも見え奉らむ。同じ事なるべきを、さまではた、おぼしよるなる、いと嬉しき事なれど、心の引くかたなむかばかり思ひ捨つるよに猶とまりぬべきものなりければ、改めてさはえ思ひ直すまじくなむ。世の常になよびかなるすぢにもあらずや。只かように物隔て事のこいたるさまならずさしむかひてとにかくに定めなき世の物語を隔なく聞えて、つゝみ給ふ御心の隈殘らずもてなし給はむなむはらからなどのさやうにむつまじき程なるもなくて、いとさうざうしくなむ。世の中の思ふ事のあはれにもをかしうもうれはしうも、時につけたる有樣を心にこめてのみ過ぐる身なれば、さすがにたづきなくおぼゆるに疎かるまじう賴み聞ゆる。きさいの宮はたなれなれしうさやうにそこはかとなき思のまゝなるくだくだしさを、聞えふるべきにもあらず。三條の宮は親と思ひ聞ゆべきにもあらぬ御わかわかしさなれど、限あればたやすくなれ聞えさせずかし。その外の女はすべていと疎くつゝましう恐しうおぼえて心からよるべなく心ぼそきなり。なほざりのすさびにてもけさうだちたることはいとまばゆくありつかず、はしたなきこちごちしさにて、まいて心にしめたる方のことは、うち出づることも難くてうらめしうもいぶせくも思ひ聞ゆる氣色をだに見え奉らぬこそ、我ながら限なくかたくなしきわざなれ。宮の御事をも、さりともあしざまには聞えじと任せてやは見給はぬ」などいひ居給へり。おい人はた、かばかり心ぼそきにあらまほしげなる御有樣を、いとせちにさもあらせ奉らばやと思へど、いづかたも恥しげなる御有樣どもなれば思のまゝにはえ聞えず。今宵はとまり給ひて物語などのどやかに聞えまほしうてやすらひ暮し給ひつ。あざやかならず物恨みがちなる御氣色やうやうわりなくなりゆけば、わづらはしうてうちとけて聞え給はむ事も、いよいよ苦しけれど、大方にてはありがたうあはれなる人の御心なれば、こよなうももてなし難うて對面したまふ。佛のおはする中の戶をあけて、みあかしの火けざやかにかゝげさせてすだれに屛風をそへてぞおはする。とにもおほとなぶら參らすれど、「惱しうてむらいなるを、あらはに」など諫めてかたはらふし給へり。御くだものなどわざとはなくしなして參らせ給へり。御供の人々にも、ゆゑゆゑしきさかななどして出させ給へり。らうめいたる方に集りて、このおまへは人げ遠くもてなして、しめじめと物語聞え給ふ。うちとくべうもあらぬものから、懷しげにあいぎやうづきて物のたまへるさまの、なのめならず心に入りて思ひいらるゝもはかなし。かくほどもなきものゝへだてばかりをさはり所にて、覺束なく思ひつゝ過ぐす心おぞさの、あまりをこがましうもあるかなと思ひ續けらるれど、つれなくて大方の世の中のことゞも、あはれにもをかしうもさまざま聞く所多く語らひ聞え給ふ。內には人々近うなどのたまひおきつれど、さしももてはなれ給はざらなむと思ふべかめれば、いとしもまもり聞えず、さししぞきつゝ皆よりふして、佛の御ともし火もかゝぐる人もなし。物むつかしうて忍びて人めせど驚かず、「心地のかき亂りなやましう侍るを、ためらひて曉方にも又聞えむ」とて入り給ひなむとする氣色なり。「山路分け侍りつる人はましていと苦しけれど、かう聞えうけ給はるに慰めてこそ侍れ。うち捨てゝ入らせ給ひなばいと心ぼそからむ」とて屛風をやをら押しあけて入り給ひぬ。いとむくつけうてなからばかり入り給へるに、引きとゞめられて、いみじうねたう心憂ければ、「へだてなきとはかゝるをやいふらむ。珍らかなるわざかな」とあばめ給へるさまのいよいよをかしければ、「隔てぬ心を更におぼしわかねば、聞え知らせむとぞかし。珍らかなりともいかなる方におぼしよるにかはあらむ。佛の御前にてちかごともたて侍らむ。うたて、なおぢさせ給ひそ。御心破らじと思ひそめて侍れば、人はかくしも推し量り思ふまじかめれど、世に違へるしれものにて過ぐし侍るぞや」とて心にくきほどなるほかげに、みぐしのこぼれかゝりたるをかきやりつゝ見給へば、人の御けはひ思ふやうにかをりをかしげなり。かう心ぼそうあさましき御すみかに、すいたらむ人はさはり所あるまじげなるを、我ならで尋ね來る人もあらましかば、さてや止みなまし、いかに口惜しきわざならましときし方の心のやすらひさへあやふくおぼえ給へど、いふかひなく憂しと思ひて、泣き給ふ御氣色のいといとほしければ、かくはあらで、おのづから心ゆるびし給ふ折もありなむと思ひわたる。わりなきやうなるも心苦しくて、さまよくこしらへ聞え給ふ。「かゝる御心の程を思ひよらであやしきまで聞えなれにたるを、ゆゝしき袖の色など見顯し給ふ心あさゝに、みづからのいふかひなさも思ひ知らるゝに、樣々慰む方なく」と恨みて、何心もなくやつれ給へる墨染のほかげを、いとはしたなく侘しと思ひ惑ひ給へり。いとかうしもおぼさるゝやうこそはと、はづかしきに聞えさせむ方なし。「袖の色を引きかけさせ給ふはしもことわりなれど、こゝら御覽じなれぬる志のしるしには、さばかりのいみおくべく、今始めたる事めきてやはおぼさるべき。なかなかなる御わきまへ心になむ」とてかの物の音聞きし有明の月かげより始めて、折々の思ふ心の忍び難くなりゆくさまをいと多く聞え給ふに、恥しうもありけるかなと疎ましう、かゝる心ばへながらつれなくまめだち給ひけるかなと聞き給ふ事おほかり。御傍なるみじかき几帳を佛の御方にさし隔てゝかりそめにそひふし給へり。みやうがうのいとかうばしく匂ひて、しきみのいと華やかに薰れるけはひも、人よりはけに佛をも思ひ聞え給へる御心にてわづらはしく、墨染の今更に折ふし心いられしたるやうに、あはあはしう思ひそめしに違ふべければ、かゝるいみなからむ程にこの御心にも、さりとも少したわみ給ひなむなどせめてのどかに思ひなし給ふ。秋の夜のけはひはかゝらぬ所だにおのづからあはれ多かるを、まして峰の嵐も籬の蟲も心細げにのみ聞きわたさる。常なき世の御物語に時々さしいらへ給へるさま、いと見所多くめやすし。いぎたなかりつる人々は、かうなりけりと氣色とりて皆いりぬ。宮ののたまひしさまなどおぼし出づるに、げにながらへば心の外にかくあるまじき事も見るべきわざにこそはと物のみ悲しうて、水の音に流れそふ心地し給ふ。はかなく明けがたになりにけり。御供の人々おきてこわづくり、馬どものいばゆるをも、旅のやどりのあるやうなど人の語るをおぼしやられてをかしうおぼさる。光見えつる方のさうじを押しあけ給ひて空のあはれなるを諸共に見給ふ。女も少しゐざり出で給へるに、程もなき軒の近さなれば、しのぶの露もやうやう光り見えもて行く。かたみにいとえんなるさまかたちどもを、「何とはなくて唯かやうに月をも花をも同じ心にもてあそび、はかなき世の有樣を聞え合せてなむすぐさまほしき」といとなつかしきさまして語らひ聞え給へば、やうやう恐しさも慰みて、「かういとはしたなからで物隔てゝなど聞えば、誠に心のへだては更にあるまじくなむ」といらへ給ふ。あかくなりゆき村鳥の立ちさまよふ羽風近う聞ゆ。夜深きあしたの鐘の音かすかにひゞく。今だにいと見苦しきをといとわりなう恥しげにおぼしたり。「ことありがほに朝露もえ分け侍るまじ。又人はいかゞ推し量り聞ゆべき。例のやうになだらかにもてなさせ給ひて、唯世に違いたる事にて、今より後もたゞかやうにしなさせ給ひてよ。世にうしろめたき心はあらじとおぼせ。かばかりあながちなる心の程も、あはれとおぼし知らぬこそかひなけれ」とて出で給はむの氣色もなし。あさましうかたはならむとて「今より後は。さればこそ。もてなし給はむまゝにあらむ。今朝はまた聞ゆるに隨ひ給へかし」とていとすべなしとおぼしたれば、「あなくるしや。曉のわかれやまだ知らぬことにてげに惑ひぬべきを」となげきがちなり。庭鳥もいづかたにかあらむ、ほのかにおとなふに、都思ひいでらる。

 「山里のあはれしらるゝ聲々にとりあつめたるあさぼらけかな」。女君、

 「鳥の音も聞えぬ山とおもひしを世にうきことは尋ねきにけり」。さうじ口まで送り奉り給ひて、よべ入りし戶口より出でゝふし給へれどまどろまれず。名殘戀しうて、いとかく思はましかば、月頃も今まで心のどかならましやなど、かへらむことも物憂くおぼえ給ふ。姬君は人の思ふらむことのつゝましきに、とみにもうちふされ給はで、たのもしき人なくて世を過ぐす身の心うきを、ある人どもゝよからぬこと、何やかやとつきづきに隨ひつゝいひ出づめるに、心よりほかの事ありぬべきよなめりとおぼし廻らすにはこの人の御けはひ有樣のうとましくはあるまじく、故宮もさやうなる心ばへあらばとをりをりのたまひおぼすめりしかど、みづからは猶かくて過ぐしてむ、我よりはさまかたちも盛に、あたらしげなる中の君を、人なみなみに見なしたらむこそ嬉しからめ、人のうへになしては心の至らむかぎり思ひ後見てむ、みづからのうへのもてなしは、又誰かは見あつかはむ、この人の御さまのなのめにうち紛れたる程ならば、かく見馴れぬる年頃のしるしにうちゆるぶ心もありぬべきを、恥しげに見えにくき氣色も、なかなかいみじうつゝましきに、我が世はかくて過ぐしはてゝむと思ひつゞけてねなきがちにて明し給へるに、名殘いと惱ましければ中の君のふし給へる奧の方にそひふし給ふ。例ならず人のさゝめきし氣色もあやしとこの君はおぼしつゝね給へるに、かくておはしたれば、うれしくて御ぞひき着せ奉り給ふに、所せき御うつりがのまぎるべくもあらずくゆりかゝる心地すれば、殿居人がもてあつかひけむ思ひ合せられて、誠なるべしといとほしうてねぬるやうにて物ものたまはず。まらうどは辨のおもとよび出で給ひてこまかに語らひ置き、御せうそこすくずくしう聞えおきて出で給ひぬ。あげまきをたはぶれにとりなしゝも心もてひろばかりのへだても、對面しつるとやこの君もおぼすらむと、いみじう耻しければ、心地あしとて惱み暮し給ひつ。人々「日は殘なくなり侍りぬ。はかばかしうはかなき事をだに又仕うまつる人もなきに、折惡しき御惱みかな」と聞ゆ。中の君くみなどしはて給ひて、「心ばなどは、えこそ思ひより侍らね」とせめて聞え給へば、暗うなりぬるまぎれに、起き給ひて諸共にむすびなどし給ふ。中納言殿より御文あれど「今朝よりいと惱しうなむ」とて人づてにぞ聞え給ふ。「さも見苦しう、わかわかしうおはす」と人々つぶやき聞ゆ。御ぶくなどはてゝ、脫ぎ捨てたまへるにつけても「片時も後れ奉らむものと思はざりしを、はかなく過ぎにける月日のほどをおぼすに、いみじう思の外なる身のうさ」と泣きしづみ給へる御さまどもいと心苦しげなり。月頃くらうならはし給へる御姿、うすにびにていとなまめかしうて中の君はげにいと盛にて、美くしげなるにほひまさり給へり。御ぐしなどすましつくろはせて見奉り給ふに、世の物思忘るゝ心ちしてめでたければ、人知れず思ふさまにかなひて、人に見え給はむにさりともちかおとりしては思はずやあらむとたのもしう嬉しうて、今は又見ゆづる人もなく、親心にかしづきたてゝ見聞え給ふ。かの人はつゝみ聞え給ひし藤の衣も改め給へつらむ、なが月もしづ心なくて又おはしたり。「例のやうに聞えむ」と又御せうそこあるに、「心あやまりして、煩しうおぼゆれば」ととかう聞えすまひて對面し給はず。「思の外に心憂き御心かな。人もいかに思ひ侍らむ」と御文にて聞え給へり。「今はとて脫ぎ捨て侍りし程の心まどひに、なかなかしづみ侍りてなむ聞えぬ」とあり。恨み侘びて、例の人召してよろづにのたまふ。世にしらぬ心ぼそさのなぐさめにはこの君をのみ賴み聞えたる人々なれは、思ひにかなひ給ひて世の常のすみかにうつろひなどし給はむを、いとめでたかるべき事にいひあはせて、「唯入れ奉らむ」と皆語らひ合せけり。姬君その氣色をば深う見しり給はねど、かうとりわきて人めかしなづけ給ふめるに、うちとけてうしろめたき心もやあらむ、昔物語にも心もてやは、とあるかゝることもあめる、うちとくまじきは人の心にこそあめれと思ひより給ひて、せめてうらみふかくはこの君をおし出でむ、劣りざまならむにてだにさても見そめてはあさはかにはもてなすまじき心なめるを、ましてほのかにも見そめては慰みなむ、ことに出でゝはいかでかは、ふとさる事をまちとる人のあらむ、ほいになむあらぬとうけひく氣色のなかなるは、かたへは人の思はむ事をあいなう、淺き方にやなどつゝみ給ふならむと覺しかまふるを、氣色だに知らせ給はずば、罪もやえむと身をつみていとほしければ、よろづにうち語らひて、「昔の御おもむけも、世の中をかく心ぼそうて過ぐしはつとも、なかなか人わらへにかるがるしき心つかふななどのたまひおきしを、おはせし世の御ほだしにて行ひの御心を亂りし罪だにいみじかりけむを、今はとてさばかりのたまひし一言をだにたがへじと思ひ侍れば、心ぼそくなどもことに思はぬをこの人々のあやしう心ごはきものににくむめるこそいとわりなけれ。げにさのみやうのものと過ぐし給はむも、明け暮るゝ月日にそへても、御事をのみこそあたらしう心苦しう悲しきものに思ひ聞ゆるを、君だに世の常にもてなし給ひて、かゝる身の有樣もおもだゝしく慰むばかり見奉りなさばや」と聞え給へば、いかにおぼすにかと心憂くて「ひと所をのみやは、さて世にはて給へとは聞え給ひけむ。はかばかしくもあらぬ身のうしろめたさは、數そひたるやうにこそおぼされためりしか。心細き御なぐさめには、かう朝夕に見奉るよりいかなる方にか」となま怨めしく思ひ給へれば、げにといとほしうて、「猶これかれうたてひがひがしきものにいひ思ふべかめるにつけて思ひ亂れ侍るぞや」といひさし給ひつ。暮れ行くに、まらうどはかへり給はず。姬君いとむつかしとおぼす。辨參りて、御消息ども聞え傅へて、恨み給ふを、ことわりなるよしを、つぶつぶと聞ゆれば、いらへもし給はずうち歎きていかにもてなすべき身にかは、ひと所おはせましかば、ともかくもさるべき人にあつかはれ奉りて、宿世といふなる方につけて身を心ともせぬよなれば、皆例のことにてこそは人わらへになるとがをも隱すなれ、あるかぎりの人は年つもりさかしげにおのがじしは思ひつゝ、心をやりて似つかはしげなる事を聞えしらすれど、こははかばかしきことかは、人めかしからぬ心どもにて、唯一方にいふにこそはと見給へば、引き動しつばかりきこえあへるも、いと心憂くうとましうてだうぜられ給はず。同じ心に何事も語らひ聞え給ふ。中の君はかゝるすぢには今少し心もえず、おほどかにて何とも聞きいれ給はねば「あやしうもありける身かな」と唯奧ざまに向きておはす。「例の色の御ぞども、奉りかへよ」などそゝのかし聞えつゝ皆さる心すべかめる氣色を、あさましく、げに何のさはり所かはあらむ、ほどもなくてかゝる御住ひのかひなき、山なしの花ぞのがれむ方なかりける。まらうどは、かくけしように、これかれにも口入れさせず、忍びやかにいつありそめけむことゝもなく、もてなしてこそと思ひそめける事なれば、御心ゆるし給はずば、いつもいつもかくてすぐさむとおぼしのたまふを、このおい人のおのがじゝ語らひてけしようにさゝめきなどす。さはいへど深からぬけにや、老いひがめるにや、いとほしくぞ見ゆる。姬君おぼし煩ひて、辨が參れるにのたまふ。「年比も人に似ぬ御心よせとのみのたまひわたりしを聞きおき、今となりてはよろづにのこりなく賴み聞えて、あやしきまでうちとけにたるを、思ひしにたがふさまなる御心ばへのまじりて恨み給ふめるこそわりなけれ。世に人めきてあらまほしき身ならばかゝる御ことをも何かはもてはなれても思はまし。されど昔より思ひ離れそめたる心にていと苦しきを、この君のさかり過ぎ給はむも口惜しげに、かゝる住ひもたゞこの御ゆかりに所せくのみおぼゆるを、誠に昔を思ひ聞え給ふ志ならば、同じ事に思ひなし給へかし。身をわけたる心のうちは皆ゆずりて見奉らむ心地なむすべき。猶かやうによろしげに聞えなされよ」とはぢらひたるものからあるべきさまをのたまひつゞくれば、いとあはれと見奉る。「さのみこそはさきざきも御氣色を見給ふればいとよく聞えさすれど、さはえ思ひ改むまじき。兵部卿宮の御うらみ深さまさるめれば、又そなたざまにいとよくうしろみ聞えむ」となむ聞え給ふ。「それも思ふやうなる御事どもなり。二所ながらおはしまして、ことさらにいみじき御心盡してかしづき聞えさせ給はむには、えしもかく世にありがたき御事どもさしつどひ給はざらまし。かしこけれどかくいとたつきなげなる御有樣を見奉るに、いかになりはてさせ給はむとうしろめたう悲しうのみ見奉るを、後の御心は知りがたけれど、うつくしくめでたき御すくせどもにこそおはしましけれとなむかつかつ思ひ聞ゆる。故宮の御ゆゐごん違へじとおぼしめす方はことわりなれど、それはさるべき人のおはせず、しなほどならぬ事やおはしまさむとおぼして誡め聞えさせ給ふめりしにこそ。この殿のさやうなる心ばへ物し給はましかば、一所をうしろ安く見置き奉りていかにうれしからましと折々のたまはせしものを、ほどほどにつけて思ふ人に後れ給ひぬる人は、高きもくだれるも心の外にあるまじきさまにさすらふ類ひだにこそ多く侍るめれ。それ皆例の事なめればもどきいふ人も侍らず。ましてかくばかりことさらにも作り出でまほしげなる人の御有樣に、志深うありがたげに聞え給ふをあながちにもて離れさせ給ひて、おぼしおきつるやうに行ひのほいをとげ給ふとも、さりとて雲霞をやは」などすべてこと多く申し續くれば、いとにくゝ心づきなくおぼして、ひれふし給へり。中の君もあいなくいとほしき御氣色かなと見奉り給ひて、諸共に例のやうにおほとのごもりぬ。うしろめたういかにもてなさむとおぼえ給へど、ことさらめきてさしこもりかくろへ給ふべき物の隈だになき御住ひなれば、なよゝかにをかしき御ぞうへに引き着せ奉り給ひて、まだけはひあつき程なれば少しまろびのきて臥し給へり。辨はのたまひつるさまを、まらうどに聞ゆ。いかなればいとかうしも世を思ひ離れ給ふらむ、ひじりだち給へりしあたりにて常なきものに思ひ知り給へるにやとおぼすに、いとゞ我が心に通ひておぼゆれば、さかしだちにくゝもおぼえず。「さらば物ごしなどにも今はあるまじき事におぼしなるにこそはあなれ。今夜ばかりおほとのごもるらむあたりに、忍びてたばかれ」とのたまへば、心して人とくしづめなど、心知れるどちは思ひかまふ。宵少し過ぐるほどに風の音荒らかにうち吹くに、はかなきさまなる蔀などはひしひしとまぎるゝ音に、人の忍び給へるふるまひは、え聞きつけ給はじと思ひて、やをら導きつる。同じところにおほとのごもれるを、うしろめたしと思へど、常のことなれば、ほかほかにともいかゞ聞えむ。御けはひをもたどたどしからず、見奉り給へつらむと思ひけるに、うちもまどろみ給はねば、ふと聞き給ひてやをら起き出で給ひぬ。いと疾くはひ隱れ給ひぬるに、何心もなく寢入り給へるをいといとほしく、いかにするわざぞと胸つぶれて諸共に隱れなばやと思へど、さもえ立ちかへられでわなゝくわなゝく見給へば、火のほのかなるにうちき姿にていとなれがほに、几帳のかたびらをひきあげて入りぬるを、いみじういとほしく、いかにおぼえ給はむと思ひながら、あやしき壁のつらに屛風を立てたるうしろのむつかしげなるに居給ひぬ。あらましごとにてだにつらしと思ひ給へるを、まいていかにめづらかにおぼし疎まむといと心苦しきにも、すべてはかばかしきうしろみなくて落ちとまる身と物悲しきを思ひ續け給ふに、今はとて山に登り給ひし夕の御さまなど只今の心地していみじく戀しく悲しくおぼえ給ふ。中納言は一人ふし給へるを、心しけるにやと嬉しくて心ときめきし給ふに、やうやうあらざりけりと見る。今少し美くしくらうたげなる氣色はまさりてやとおぼゆ。あさましげにあきれ惑ひ給へるを、げに心も知らざりけりと見ゆればいといとほしくもあり、又おしかへして隱れ給へらむつらさのまめやかに心うくねたければ、これをもよそのものとはえ思ひ離れまじけれど、猶ほいの違はむ口惜しくて、うちつけにあさかりけりともおぼえ奉らじ。このひとふしは猶過ぐして遂にすくせのがれずは、こなたざまにならむも何かはこと人のやうにやはと思ひさまして、例のをかしくなつかしきさまに語らひてあかし給ひつ。老い人どもはしそじつと思ひて、中の君はいづこにかおはしますらむ、怪しきわざかなとたどりあへり。「さりともあるやうあらむ」などいふ。「大方例の見奉るに、皺のぶる心ちしてめでたくあはれに見まほしき御かたち有樣を、などていともてはなれては聞え給ふらむ。何かこれは世の人のいふめる、恐しき神ぞつき奉りつらむ」と齒はうちすきて、あいぎやうなげにいひなす女あり。又「あなまがまがし。なぞのものかつかせ給はむ。たゞ人に遠くておひ出でさせ給ふめれば、かゝる事にもつきづきしげにもてなし聞え給ふ人もなくおはしますに、はしたなくおぼさるゝにこそ。今おのづから見奉りなれ給ひなば思ひ聞え給ひてむ」など語らひて、「とくうちとけて思ふやうにておはしまさなむ」といふいふ寢入りて、いびきなどかたはらいたくするもあり。逢ふ人からにしもあらぬ秋の夜なれど、ほどもなく明けぬるこゝちしていづれとわくべくもあらずなまめかしき御けはひを、人やりならず飽かぬ心ちして、「あひおぼせよ。いと心憂くつらき人の御さま見習ひ給ふなよ」など、のちせを契りて出で給ふ。我ながらあやしく夢のやうにおぼゆれど、猶つれなき人の御氣色、今一度見はてむの心に思ひのどめつゝ、例の出でゝふし給へり。辨參りていとあやしく、「中の君はいづくにおはしますらむ」といふを、いと恥しく思ひかけぬ御心地にいかなりけむことにかと思ひふし給へり。昨日のたまひし事をおぼしいでゝ、姬君をつらしと思ひ聞え給ふ。明けにける光につきてぞ壁の中のきりぎりすはひいで給へる。おぼすらむことのいといとほしければ、かたみに物もいはれ給はず。ゆかしげなう心憂くもあるかな、今より後も心ゆるびすべくもあらぬ世にこそと思ひ亂れ給へり。辨はあなたに參りて、あさましかりける御心つよさを聞き顯して、いとあまりふかく人にくかりけることゝいとほしくおもほれ居たり。「きし方のつらさは猶殘りあるこゝちして、よろづに思ひ慰めつるを、今夜なむ誠に恥しく身も投げつべき心ちする。捨てがたくおとし置き奉りたまへりけむ心苦しさを思ひ聞ゆる方こそ、又ひたぶるに身をもえ思ひ捨つまじけれ。かけかけしきすぢは、いづかたにも思ひ聞えじ。憂きもつらきも、かたがたに忘られ給ふまじくなむ。宮などの恥しげなく聞え給ふめるを、同じくは高くと思ふ方ぞ殊に物し給ふらむと心得はてつれば、いとゞことわりに耻しくて又參りて人々に見え奉らむこともねたくなむ。よしかくをこがましき身の上、また人にだに洩らし給ふな」とゑんじ置きて、例よりも急ぎ出で給ふ。「誰が御ためもいとほしく」とさゝめきあへり。姬君もいかにしつることぞ、もしおろかなる心も物し給はゞと、胸つぶれて心苦しければ、すべてうちあはぬ人々のさかしらをにくしとおぼす。さまざま思う給ふに、御文あり。例よりは嬉しとおぼえ給ふもかつはあやし。秋の氣色も知らずがほに、靑き枝のかたえは、いとこくもみぢしたるを、

 「おなじえをわきてそめける山姬にいづれかふかき色ととはゞや」。さばかり恨みつる氣色もなくことずくなにことそぎておしつゝみ給へるを、そこはかとなくもてなして止みなむとなめりと見給ふも心さわぎて、耳かしがましう「御かへり」といへは、聞え給へとゆづらむもうたておぼえて、さすがに書きにくゝ思ひ亂れ給ふ。

 「山姬のそむるこゝろはわかねどもうつろふ方やふかきなるらむ」。ことなしびに書き給へるがをかしく見えければ、猶えゑんじはつまじくおぼゆ。身をわけてなどゆづり給ふ氣色は度々見えしかど、うけひかぬにわびてかまへ給へるなめり、そのかひなくかくつれなからむも、いとほしくなさけなきものに思ひ置かれて、いよいよはじめの思ひかなひ難くやあらむ、とかく言ひ傅へなどすめる、おい人の思はむ所もかろがろしく、とにかくに心を染めけむだに悔しく、かばかりの世の中を思ひすてむの心に、みづからもかなはざりけりと人わろく思ひ知らるゝを、ましておしなべたるすきものゝまねに、同じあたりに返す返す漕ぎめぐらむ、いと人わらへなる棚なし小船めきたるべしなどよもすがら思ひ明し給ひて、まだ有明の空もをかしき程に、兵部卿宮の御方に參り給ふ。三條の宮燒けにし後は、六條院にぞうつろひ給へれば近くては常に參り給ふを、宮もおぼすやうなる御心地し給ひけり。紛るゝことなく、あらまほしき御住ひに、おまへの前栽外のには似ず、同しき花のすがたも木草の靡きざまも、ことに見なされて、遣り水にすめる月の影さへ繪に書きたるやうなるに、思ひつるもしるく起きおはしましけり。風につきて吹き來るにほひのいとしるくうちかをるに、ふとそれと驚かれて、御直衣奉り亂れぬさまに引き繕ひて出で給ふ。はしをのぼりもはてずつい居給へれば、猶うへになどものたまはで、高欄により居給ひて世の中の御物語聞えかはし給ふ。かのわたりのことをも物のついでにおぼし出でゝ、よろづに恨み給ふもわりなしや。みづからの心にだにかなひがたきをと思ふ思ふ、さもおはせなむと思ひなるやうのあれば、例よりはまめやかにあるべきさまなど申し給ふ。あけぐれの程あやにくに霧わたりて空のけはひひやゝかなるに、月は霧に隔てられて木の下も暗くなまめきたり。山里のあはれなるありさま思ひいで給ふ。宮「このごろの程に。必ずおくらかし給ふな」と語らひ給ふを猶煩しがれば、

 「女郞花さけるおほ野をふせぎつゝ心せばくやしめをゆふらむ」とたはぶれ給ふ。

 「霧ふかきあしたのはらの女郞花こゝろをよせて見る人ぞみる。なべてやは」などねたまし聞ゆれば「あなかしかまし」とはてはては腹立ち給ひぬ。年頃かくのたまへど、人の御有樣をいかならむとうしろめたく思ひしに、かたちなども見おとし給ふまじく推し量らるゝ心ばせの、ちかおとりするやうもやなどぞあやうく思ひ渡りしを、何事も口惜しくは物し給ふまじかめりと思へば、かのいとほしくうちうちに思ひたばかり給ふ有樣も違ふやうならむもなさけなきやうなるを、さりとてさはたえ思ひ改むまじくおぼゆれば、まづゆづり聞えて、いづ方の恨をもおはじなどしたに思ひ構ふる心をも知り給はで、心せばくとりなし給ふもをかしけれど「例のかろらかなる御心ざまに、物思はせむこそ心苦しかるべけれ」などおやかたになりて聞え給ふ。「よし見給へ。かばかり心にとまることなむまだなかりつる」などいとまめやかにの給へば、「かの心どもにはさもやとうち靡きぬべき氣色は見えずなむ侍る。仕うまつりにくき宮仕にこそ侍れや」とて、おはしますべきやうなどこまかに聞えしらせ給ふ。廿六日彼岸のはてにてよき日なりければ、人知れず心づかひしていみじく忍びてゐて奉る。きさいの宮など聞しめし出でゝはかゝる御ありきいみじくせいし聞え給へばいと煩しきを、せちにおぼしたる事なれば、さりげなくともてあつかふもわりなくなむ。ふなわたりなども所せければ、ことごとしき御やどりなども借り給はず。そのわたりいと近きみさうの人の家にいと忍びて宮をばおろし奉り給うておはしぬ。見咎め奉るべき人もなけれど、殿居人は僅に出でありくにも、氣色しらせじとなるべし、例の中納言殿おはしますとてけいめいしあへり。君だちなま煩はしく聞き給へど、うつろふ方ことににほはし置きてしかばと姬君はおぼす。中の君は思ふ方ことなめりしかばさりともと思ひながら、心憂かりし後はありしやうに姉君をも思ひ聞え給はず、心おかれて物し給ふ。何やかやと御せうそこのみ聞え通ひていかなるべき事にかと人々も心苦しがる。宮をば御馬にて、暗きまぎれにおはしまさせ給うて、辨召し出でゝ、「こゝもとに唯一言聞えさすべきことなむ侍るを、おぼし放つさま見奉りてしに、いと恥しけれどひたやごもりにてえやむまじきを、今しばしふかしてを、ありしさまには導き給ひてむや」など、うらもなく語らひ給へば、いづかたにも同じ事にこそはと思ひて參りぬ。さなむと聞ゆれば、さればよ思ひ移りにけりと嬉しくて、心おちゐて、かの入り給ふべき道にはあらぬ廂のさうじをいとよくさして對面し給へり。「一言聞えさすべきが又人聞くばかりのゝしらむはあやなきを、いさゝかあけさせ給へ。いといぶせし」と聞え給へど、「かくてもいとよく聞えぬべし」とて、あけ給はず。今はとうつろひなむをたゞならじとていふべきにや、何かは例ならぬ對面にもあらず、人にくゝいらへで、夜もふかさじなど思ひてかばかりも出で給へるに、障子のなかより御袖をとらへて引きよせていみじううらむれば、いとうたてもあるわざかな、何に聞きいれつらむとくやしうむつかしけれど、こしらへて出してむとおぼして、こと人と思ひわき給ふまじきさまにかすめつゝ語らひ給へる心ばへなどいとあはれなり。宮は敎へ聞えつるまゝに、一夜の戶口によりて扇を鳴し給へば、辨も參りて導き聞ゆ。さきざきもなれにける道のしるべ、をかしとおぼしつゝいり給ひぬるをも、姬君は知り給はでこしらへいれてむとおぼしたり。をかしうもいとほしくもおぼえて、うちうちに心も知らざりける恨みおかれむも罪さり所なき心地すべければ、「宮の慕ひ給ひつれば、え聞えいなびて、こゝにおはしつる。音もせでこそ紛れ給ひぬれ。このさかしだつめる人や、かたらはれ奉りぬらむ。なかぞらに人わらへにもなり侍りぬべきかな」とのたまふに、今少し思ひよらぬことの、めもあやに心づきなうなりて、「かうよろづに珍らかなりける御心の程を知らで、いふかひなき心をさなさも見え奉りにけるをこたりに、おぼしあなづるにこそは」といはむ方なく思う給へり。「今はいふかひなし。ことわりは返す返す聞えさせても、あまりあらばつみもひねらせ給へ。やんごとなき方におぼしよるめるを、すくせなどいふめるもの更に心にかなはぬものに侍るめれば、かの御志はことに侍りけるをいとほしく思ひ給ふるに、かなはぬ身こそおき所なく心憂く侍りけれ。猶いかゞはせむにおぼしよわりね。このみさうじのかためばかりいと强きも、誠に物淸く推し量り聞ゆる人も侍らじ。しるべといざなひ給へる人の御心にも、まさにかく胸ふたがりて明すらむとはおぼしなむや」とてさうじをも引き破りつべき氣色なれば、いはむ方なく心づきなけれどこしらへむと思ひしづめて、「こののたまふすくせといふらむ方は目にも見えぬことにて、いかにもいかにも思ひたどられず、しらぬ淚のみきりふたがる心地してなむ。こはいかにもてなし給ふぞと夢のやうにあさましきに、後の世のためしにいひいづる人もあらば、昔物語などに殊更にをこめきて作り出でたるものゝたとひにこそはなりぬべかめれ。かくおぼしかまふる心のほどをも、いかなりけるとかは推し量り給はむ。猶いとかくおどろおどろしう心憂くなとりあつめまどはし給ひそ。心よりほかにながらへば少し思ひのどまりて聞えむ。心地も更にかきくらすやうにていとなやましきを。こゝにうちやすまむ。許し給へ」といといみじく佗び給へば、さすがにことわりをばいと能くのたまふが心恥しくらうたくおぼえて、「あが君、御心に從ふことの類ひなければこそかくまでかたくなしくなり侍れ。いひしらずにくゝ疎ましきものにおぼしなすめれば、聞えむ方なし。いとゞ世に跡とゞむべくなむおぼえぬ」とて、「さらばへだてながらも聞えさせむ。ひたぶるになうちすてさせ給ひそ」とて、許し奉り給へれば、はひいりてさすがに入りもはて給はぬを、いとあはれと思ひて、「かばかりの御けはひをなぐさめにて、明し侍らむ。ゆめゆめ」と聞えてうちもまどろまず。いとゞしき水の音に目もさめて、夜半の嵐に山鳥の心ちして明しかね給ふ。例の明け行くけはひに鐘の聲など聞ゆ。いぎたなくて出で給ふべき氣色もなきよと、心やましくこわづくり給ふも、げにあやしきわざなり。

 「しるべせし我やかへりて惑ふべきこゝろもゆかぬあけぐれの道。かゝるためし世にありけむや」とのたまへば、

 「かたかたにくらすこゝろを思ひやれ人やりならぬ道にまどはゞ」とほのかにのたまふを、いと飽かぬ心地すれば、「いかにこよなう隔たりて侍るめれば、いとわりなうこそ」などよろづに恨みつゝ、ほのぼのと明けゆくほどに、よべの方より出で給ふなり。いとやはらかにふるまひなし給へるにほひなど、えんなる御心げさうにはいひしらずしめ給へり。ねび人どもはいとあやしく心え難く思ひ惑はれけれど、さりともあしざまなる御心あらむやはと慰めたり。暗き程にと急ぎ歸り給ふ。道の程もかへるさはいと遙けくおぼされて、心安くもえ行き通はざらむことの、かねていと苦しきを、夜をや隔てむと思ひ惱み給ふなめり。まだ人さわがしからぬ朝の程におはしつきぬ。廊に御車よせており給ふ。ことやうなる女車のさましてかくろへ入り給ふに、皆わらひ給ひて、「おろかならぬ宮仕の御志となむ思ひ給ふる」と申し給ふ。しるべのをこがましさをば、いと妬くてうれへも聞え給はず。宮はいつしかと御文奉り給ふ。山里には誰もたれもうつゝの心地し給はず思ひ亂れ給へり。樣々におぼしかまへけるを、色にも出し給はざりけるよとうとましうつらく姉君をば思ひ聞え給ひて、目も見あはせ奉り給はず。知らざりしさまをも、さはさはとはえあきらめ給はで、ことわりに心苦しく思ひ聞え給ふ。人々もいかに侍りしことにかなど、御氣色見奉れど、おぼしほれたるやうにてたのもし人のおはすれば、あやしきわざかなと思ひあへり。御文もひきときて見せ奉り給へど、更に起きあがり給はねば、「いと久しくなりぬ」と御つかひわびけり。

 「世のつねに思ひやすらむ露ふかき道のさゝ原わきてきつるも」。書きなれ給へる墨つきなどのことさらにえんなるも、大かたにつけて見給ひしは、をかしうおぼえしを、後めたう物思はしうて我さかし人にて聞えむもいとつゝましければ、まめやかにあるべきやうをいみじくせめて書かせ奉り給ふ。しをん色の細長ひとかさねに、みへがさねの袴具してたまふ。御使苦しげに思ひたれば、つゝませて供なる人になむ送らせ給ふ。ことごとしき御使にもあらず、例奉れ給ふうへわらはなり。殊更に人に氣色もらさじとおぼしければ、よべのさかしがりしおい人のしわざなりけりとものしくなむ聞しめしける。その夜もかのしるべさそひ給へど、「冷泉院に必ず侍ふべき事侍れば」とてとまり給ひぬ。例のことにふれてすさまじげによをもてなすとにくゝおぼす。いかゞはせむ、ほいならざりし事とて、おろかにやはと思ひよわり給ひて、御しつらひなどうちあはぬすみかのさまなれど、さる方にをかしくしなして待ち聞え給ひけり。遙なる御中道を、急ぎおはしましたりけるも、嬉しきわざなるぞかつはあやしき。さうじみは我にもあらぬさまにて、つくろはれ奉りたまふまゝに、濃き御ぞのいたくぬるれば、さかし人もうちなきつゝ、「世の中に久しくもとおぼえ侍らねば、明暮のながめにも唯御事をのみなむ心苦しう思ひ聞ゆるに、この人々もよかるべきさまのことゝ、聞きにくきまでいひしらすめれば、年經たる心どもには、さりとも世のことわりをも知りたらむはかばかしくもあらぬ心ひとつをたてゝ、かうでのみやは見奉らむと思ひなるやうもありしかど、只今かく思ひもあへず恥しきことゞもに亂れ思ふべくは更に思ひかけ侍らざりしに、これやげに人のいふめる遁れ難き御契なりけむ。いとこそ苦しけれ。少しおぼし慰みなむに、知らざりしさまをも聞えむ。にくしとなおぼしいりそ、罪もぞ得給ふ」とみぐしをなでつくろひつゝ聞え給へば、いらへもし給はねど、さすがにかくおぼしのたまふが、げにうしろめたく惡しかれともおぼしおきてじを、人わらへに見苦しきことそひて、見あつかはれ奉らむがいみじきを、よろづに思ひ居給へり。さる心もなくあきれ給へりしけはひだになべてならずをかしかりしを、まいて少し世の常になよび給へるは御志もまさるに、たはやすく通ひ給はざらむ山道のはるけさも、胸いたきまでおぼして、心深げにかたらひたのめ給へど、あはれともいかにとも思ひわき給はず。いひしらずかしづくものゝ姬君も、少し世の常の人げ近く親せうとなどいひつゝ、人のたゝずまひをも見なれ給へるは、物の恥しさもなのめにやあらむ。家にあがめ聞ゆる人こそなけれ、かく山ふかき御あたりなれば、人に遠く物深くてならひ給へるこゝちに、思ひかけぬ有樣のつゝましく耻しく、何事も世の人に似ずあやしう田舍びたらむかしとはかなき御いらへにてもいひ出でむ方なくつゝみ給へり。さるはこの君しもぞらうらうしくかどある方のにほひはまさり給へる。三日にあたる夜は「もちひなむ參る」と人々の聞ゆれば、殊更にさるべき祝ひのことにこそはとおぼして、御前にてせさせ給ふもたどたどしう、かつはおとなになりておきて給ふも、人の見るらむこと惲られて、おもてうち赤めておはするさま、いとをかしげなり。このかみ心にや、のどかにけ高きものから、人のためあはれになさけなさけしうぞおはしける。中納言殿より、「よべ參らむと思ひ給へしかど、宮仕のらうもしるしなげなめる世に、思う給へ恨みてなむ。今夜はざうやくもやと思ひ給へれど、殿居所のはしたなげに侍りし、亂り心地いとゞ安からでやすらはれ侍る」と、みちのくに紙においつき書き給ひて、まうけのものどもこまやかに縫ひなどもせざりけるいろいろおしまきなどしつゝ、みそ櫃あまたかけごにいれて、おい人のもとに、人々の料にとて賜へり。宮の御方にさぶらひけるに從ひていと多くもえとり集め給はざりけるにやあらむ、たゞなる絹綾など、したには入れかくしつゝ、御料とおぼしき二くだり、いと淸らにしたるを、單衣の御ぞの袖に、こだいのことなれど、

 「さよ衣きてなれきとはいはずともかごとばかりはかけずしもあらじ」とおどし聞え給へり。こなたかなたゆかしげなき御ことを、恥しういとゞ見給ひて、御かへりもいかゞ聞えむとおぼし煩ふほど、御使かたへはにげかくれにけり。あやしきしも人をひかへてぞ御かへしたまふ。

 「へだてなき心ばかりはかよふともなれし袖とはかけじとぞ思ふ」。心あわたゞしく思ひ亂れ給へる名殘に、いとゞなほなほしきをおぼしけるまゝと、待ち見給ふ人は唯あはれにぞ思ひなされ給ふ。宮はその夜內に參り給うて、えまかで給ふまじげなるを、人知れず御心もそらにておぼし歎きたるに、中宮「猶かくひとりおはしまして世の中にすい給へる御名のやうやう聞ゆる、猶いと惡しき事なり。何事も物好ましく立てたる心なつかひ給ひそ。上もうしろめたげにおぼしの給ふ」と里ずみがちにおはしますを諫め聞え給へば、いと苦しとおぼして、御殿居所に出で給ひて御文かきて奉れ給へる。名殘もいたくうちながめておはしますに中納言の君參り給えり。そなたの心よせとおぼせば例よりも嬉しうて、「いかゞすべき、いとかく暗くなりぬめるを心も亂れてなむ」と歎しげにおぼしたり。能く御氣色を見奉らむとおぼして、「日ごろ經てかく參り給へるを、今夜さぶらはせ給はで急ぎまかで給ひなむ、いとゞよろしからぬことにや、おぼし聞えさせ給はむ。臺盤所の方にてうけたまはりつれば、人知れず煩はしき宮仕のしるしに、あいなきかんだうや侍らむと顏の色違ひ侍りつる」と申し給へば、「いと聞きにくゝぞおぼしのたまふや。多くは人のとりなすことなるべし。世にとがめあるばかりの心は、何事にかはつかふらむ。すべて所せき身の程こそなかなかなるわざなりけれ」とて、誠にいとはしくさへおぼしたり。いとほしう見奉り給ひて、「同じ御さわがれにこそはおはすなれ。今夜の罪にはかはり聞えさせて、身をもいたづらになし侍りなむかしこはたの山に馬はいかゞ侍るべき。いとゞものゝ聞えやさはり所なからむ」と聞え給へば、たゞくれにくれて更けにける夜なれば、おぼしわびて御馬にて出で給ひぬ。「御供にはなかなかつかふまつらじ、御うしろみを」とてこの君は內にさぶらひ給ふ。中宮の御方に參り給へれば、「宮は出で給ひぬなり。あさましくいとほしき御さまかな。いかに人見奉るらむ。上きこしめしてはいさめ聞えぬがいふかひなきとおぼしのたまふこそわりなけれ」とのたまはす。あまた宮達のおとなびとゝのひ給へど、大宮はいよいよ若くをかしきけはひなむまさり給ひける。女一宮もかくぞおはしますべかめる。いかならむ折にかかばかりにても物近く御聲をだに聞え奉らむとあはれにおぼゆ。すいたる人の思ふまじき心づかふらむも、かうやうなる御なからひの、さすがにけ遠からずいりたちて心にかなはぬ折の事ならむかし、我が心のやうに、ひがひがしき心のたぐひやは又世にあべかめる、それだに猶動きそめぬるあたりはえこそ思ひたへねと思ひ居給へり。さぶらふかぎりの女房のかたち、心ざまいづれとなくわろびたるなくめやすくとりどりにをかしき中にも、あてにすぐれて目にとまるあれど、更に更に亂れそめじの心にていときすくにもてなし給へり。殊更に見えしらがふ人もあり。大方恥しげにもてしづめ給へるあたりなれば、うはべこそ心ばかりもてしづめたれ、心々なる世の中なりければ、色めかしげにすゝみたるしたの心もりて見ゆるもあるを、さまざまにをかしくもあはれにもあるかなと、立ちても居ても唯常なき有樣を思ひありき給ふ。かしこには、中納言殿の、ことごとしげにいひなし給へりつるを、夜更くるまでおはしまさで御文のあるを、さればよと胸つぶれておはするに、夜中近うなりてあらましき風のきほひにいともなまめかしく淸らにて匂ひおはしたるも、いかゞおろかにおぼえ給はむ。さうじみも聊かうち靡きて思ひ知り給ふことあるべし。いみじくをかしげにさかりと見えて、引きつくろひ給へるさまは、まして類ひあらじはやとおぼゆ。さばかりよき人をおほく見給ふ御目にだに、けしうはあらずとかたちよりはじめて多くちかまさりしたりとおぼさるれば山里のおい人どもは、まして口つきにくげにうちゑみつゝ、「かくあたらしき御有樣を、なのめなるきはの人の見奉り給はましかばいかに口惜しからまし。思ふやうなる御すくせ」と聞えつゝ姬君の御心を、あやしくひがひがしくもてなし給ふを、もどきくちひそみ聞ゆ。盛り過ぎたるさまどもにあざやかなる花のいろいろ似つかはしからぬをさしぬひきつゝ、ありつかずとりつくろひたる姿どもの、罪ゆるされたるもなきを見渡され給ひて、姬君、我もやうやう盛り過ぎぬる身ぞかし、鏡を見ればやせやせになりもてゆくを、おのがじゝはこの人どもゝ、われあしとやは思へる、うしろではしらず顏にひたひ髮をひきかけつゝ、色どりたる顏づくりをよくしてうちふるまふめり、我が身にては、まだいとあれがほどにはあらず、目も鼻もなほしとおぼゆるは心のなしにやあらむとうしろめたくて、見出して臥し給へり。恥かしげならむ人に見えむことはいよいよかたはらいたく、今一年二年あらば衰へまさりなむ、はかなげなる身の有樣をと、御手つきのほそやかにかよわくあはれなるをさしいでゝも世の中を思ひつゞけ給ふ。宮はありがたかりつる御いとまの程をおぼしめぐらすに、猶心やすかるまじきことにこそはといと胸ふたがりておぼえ給ひける。大宮の聞え給ひしさまなど語り聞え給ひて、「思ひながらとだえあらむを、いかなるにかとおぼすな。夢にてもおろかならむにかくまでも參りくまじきを、心のほどやいかゞと疑ひて、思ひ亂れ給はむが心苦しさに、身を捨てゝなむ。常にかくはえ惑ひありかじ。さるべきさまにて近くわたし奉らむ」といと深く聞え給へど、絕え間あるべくおぼさるらむは、おとに聞きし御心の程しるきにやと心おかれて、我が御ありさまからさまざま物歎しくてなむありける。明けゆくほどの空に妻戶押しあけ給ひて諸共にいざなひ出でゝ見給へば、霧わたれるさま所からのあはれ多くそひて、例のしばつむ船のかすかに行きかふ、跡の白浪めなれずもあるすまひのさまかなと、色なる御心にはをかしくおぼしなさる。山の端の光やうやう見ゆるに、女君の御かたちのまほに美くしげにて、かぎりなくいつきすゑたらむ姬君もかばかりこそはおはすべかめれ、思ひなしの我が方ざまのいといつくしきぞかし、こまやかなるにほひなどうちとけて見まほしうなかなる心ちす。水の音なひはなつかしからず、宇治橋のいと物ふりて見え渡さるゝなど、霧晴れ行けばいとゞあらましき岸のわたりを、「かゝる處にいかで年をへ給ふらむ」などうち淚ぐまれ給へるをいと恥しと聞き給ふ。男の御さまのかぎりなくなまめかしく淸らにて、この世のみならず契りたのめ聞え給へば、思ひよらざりしことゝは思ひながら、なかなかかのめなれたりし中納言の恥しさよりはとおぼえ給ふ。かれは思ふかたことにていといたくすみたる氣色の見えにくゝ恥しげなりしに、よそに思ひ聞えしはましてこよなく遙に、一くだりかき出で給ふ御返しだにつゝましくおぼえしを、久しうとだえ給はむは心ぼそからむと思ひならるゝも、我ながらうたてと思ひしり給ふ。人々いたくこわづくりもよほし聞ゆれば、京におはしまさむ程、はしたなからぬ程にといと心あわたゞしげにて、心より外ならむ夜がれを、かへすがへすのたまふ。

 「中絕えむものならなくにはし姬のかたしく袖や夜はにぬらさむ」。出でがてに立ち返りつゝやすらひ給ふ。

 「たえせじのわがたのみにや宇治橋のはるけき中を待ちわたるべき」。ことには出でねど物なげかしき御けはひ限なくおぼされけり。若き人の御心にしみぬべく、類ひすくなげなるあさげの姿を見送りて、名殘とまれる御移り香なども人知れず物あはれなるは、ざれたる御心かな。今朝ぞものゝあやめも見ゆる程にて人々のぞきて見奉る。「中納言殿は、なつかしく恥しげなるさまぞそひ給へりける。思ひなしの今ひときはにや、この御さまはいとことに」などめで聞ゆ。道すがら心苦しかりつる御氣色をおぼしいでつゝ、立ちもかへりなまほしくさまあしきまでおぼせど、世の聞えを忍びて歸らせ給ふほどに、えたはやすくも紛れさせ給はず、御文は明くる日ごとにあまたかへり奉らせ給ふ。おろかにはあらぬにやと思ひながら、おぼつかなき日數の積るをいと心づくしに見じと思ひしものを、身にまさりて心苦しくもあるかなと姬君はおぼし歎かるれど、いとゞこの君の思ひしづみ給はむによりつれなくもてなして、みづからだに猶かゝること思ひ加へじといよいよふかくおぼす。中納言の君も待ち遠にぞおぼすらむかしと思ひやりて、我があやまちにいとほしくて宮を聞えおどろかしつゝ絕えず御氣色を見給ふに、いといたくおもほしいれたるさまなれば、さりともとうしろやすかりけり。九月十日の程なれば、野山の氣色も思ひやらるゝに、時雨めきてかきくらし空のむら雲おそろしげなる夕暮、宮いとゞしづ心なくながめ給ひて、いかにせむと御心ひとつを出で立ちかね給ふをり、推し量りて參り給へり。「ふるの山里いかならむ」とおどろかし聞え給ふ。いと嬉しとおぼして、諸共にいざなひ給へば、例のひとつ御車にておはす。分け入り給ふまゝにぞまいて眺め給ふらむ心のうちいとゞ推し量られ給ふ。道のほども唯この事の心苦しきを語らひ聞え給ふ。たそがれ時のいみじく心ぼそげなるに、雨は冷やかにうちそゝぎて秋はつる氣色のすごきに、うちしめりぬれ給へるにほひどもは、世のものに似ずえんにてうちつれ給へるを、やまがつどもはいかゞ心惑ひもせざらむ。女ばら日ごろうちつぶやきつる名殘なくゑみさかえつゝおましひきつくろひなどす。京にさるべき所々に行きちりたるむすめどもめひだつ人二三人尋ねよせて參らせたり。年ごろあなづり聞えける心あさき人々、珍らかなるまらうどゝ思ひ驚きたり。姬君もをり嬉しく思ひ聞え給ふに、さかしら人のそひ給へるぞ恥しくもありぬべくなまわづらはしう思へど、心ばへののどかに物深くものし給ふを、げに人はかうは坐せざりけりと見あはせ給ふにありがたしと思ひしらる。宮を所につけてはいとことにかしづき入り奉りて、この君はあるじがたに心やすくもてなし給ふものから、まだまらうとゐの、かりそめなる方に出しはなち給へればいとからしと思ひ給へり。恨み給ふもさすがにいとほしくて物ごしに對面し給ふ。「たはぶれにくゝもあるかな。かくてのみや」といみじく恨み聞え給ふ。やうやうことわりしり給ひにたれど、人の御うへにても物をいみじく思ひしづみ給ひて、いとゞかゝる方を憂きものに思ひはてゝ、猶ひたぶるに、いかでかくうちとけしあはれと思ふ人の御心も必ずつらしと思ひぬべきわざにこそあめれ、我も人も見おとさず心違はで止みにしがなと思ふ心づかひ深くし給へり。宮の御有樣なども問ひ聞え給へば、かすめつゝ、さればよとおぼしくのたまへば、いとほしくて、おぼしたるさま、氣色を見ありくやうなど語り聞え給ふ。例よりは心うつくしう語らひて、「猶かく物思ひ加ふる程少し心地も鎭まりて聞えむ」とのたまふ。人にくゝけどほくはもてはなれぬものから、さうじのかためもいとつよし。しひて破らむをばつらくいみじからむとおぼしたれば、おぼさるゝやうこそあらめ、かるがるしくことざまに靡き給ふことは、はた世にあらじと、心のどかなる人はさはいへどよく思ひしづめ給ふ。「唯いと覺束なく物隔てたるなむ胸あかぬ心ちするを、ありしやうにて聞えむ」とせめたまへど「常よりも我が俤に恥づるころなれば、うとましと見給ひてむも、さすがに心苦しきはいかなるにか」とほのかにうち笑ひ給へるけはひなど、あやしうなつかしうおぼゆ。「かゝる御心にたゆめられ奉りて、つひにいかなるべき身にか」となげきがちにて、例の遠山鳥にて明けぬ。宮はまだ旅ねなるらむともおぼさで、「中納言のあるじがたに心のどかなる氣色こそうらやましけれ」とのたまへば、女君あやしと聞き給ふ。わりなくておはしましては程なくかへり給ふが飽かず苦しきに、宮も物をいみじくおぼしたる御心のうちを知り給はねば女がたには、又いかならむ人わらへにやと思ひなげき給へば、げに心づくしに苦しげなるわざかなと見ゆ。京にもかくろへて渡り給ふべき所もさすがになし。六條院には、左のおほいとの片つ方に住み給ひて、さばかりいかでかとおぼしたる六の君の御事をおぼしよらぬになまうらめしと思ひ聞え給ふべかめり。すきずきしき御さまとゆるしなくそしり聞え給ひて、うちわたりにも憂へ聞え給ふべかめれば、いよいよおぼえなくて、出しすゑ給はむもはゞかることいとおほかり。なべてにおぼす人のきはゝ宮仕のすぢにてなかなか心やすげなり。さやうのなみなみにはおぼされず。若し世の中うつりて、帝きさいのおぼしおきつるまゝにもおはしまさば、人よりたかきさまにこそなさめなど、只今はいと華やかに、御心にかゝり給へるまゝに、もてなさむ方なく苦しかりけり。中納言は、三條の宮つくりはてゝ、さるべきさまにて渡し奉らむとおぼす。げにたゞ人は心やすかりけり。かくいと心苦しき御氣色ながら安からず忍び給ふからに、かたみに思ひ惱み給ふべかめるも心苦しくて、忍びてかくかよひ給ふよしを中宮などにも漏し聞しめさせて、しばしのさわがれはいとほしくとも女がたの御ためは咎もあらじ、いとかく夜をだに明し給はぬ苦しげさよ、いみじくもてなしてあらせ奉らばやなど思ひて、あながちにもかくろへず、ころもがへなどはかばかしく、誰かはあづからむなどおぼして、御帳のかたびらかべしろなど、三條の宮つくりはてゝわたり給はむ心まうけにしおかせ給へるを、まづさるべきやうなむなどいと忍びて聞え給ひて奉れ給ふ。さまざまなる女房のさうぞく、御めのとなどにものたまひつゝ、わざともせさせ給ひけり。十月一日ごろ「あじろもをかしきほどならむ」とそゝのかし聞え給ひて、紅葉御覽ずべう申し給ふ。親しき宮人ども殿上人のむつましくおぼすかぎりいと忍びてとおぼせど、所せき御いきほひなればおのづからことひろごりて、左のおほいとのゝ宰相の中將も參り給ふ。さてはこの中納言殿ばかりぞ上達部は仕うまつり給ふ。たゞ人はおほかり。「かしこにはろなう中やどりし給はむを、さるべきさまにおぼせ。さきの春も花見に尋ね參りこしこれかれ、かゝるたよりにことよせて、時雨のまぎれに見奉り顯すやうもぞ侍る」などこまやかに聞え給へり。みすかけかへ、こゝかしこかきはらひ、岩がくれに積れる紅葉の朽葉少しはるけ、遣水のみ草はらはせなどぞし給ふ。よしあるくだものさかななどさるべき人なども奉れ給へり。かつはゆかしげなけれどいかゞはせむ、これもさるべきにこそはと思ひゆるして心まうけし給へり。船にてのぼりくだり漕ぎめぐりおもしろく遊び給ふも聞ゆ。ほのぼの有樣見ゆるを、そなたに立ち出でゝ若き人々見奉る。さうじみの御有樣はそれと見わかねども、紅葉をふきたる船のかざりの錦と見ゆるに、聲々ふき出づる物の音ども、風につきておどろおどろしきまでおぼゆ。世の人の靡きかしづき奉るさま、かく忍び給へる道にもいと殊にいつくしきを見給ふにも、げに七夕ばかりにてもかゝる彥星の光をこそ待ち出でめなどおぼえたり。文作らせ給ふべき心まうけに博士などもさぶらひけり。たそがれどきに、御船さしよせてあそびつゝ文つくり給ふ。紅葉をうすくこくかざして海仙樂といふものを吹きておのおの心ゆきたる氣色なるに、宮はあふみの海の心地して、をち方人のうらみいかにとのみ御心そらなり。時につけたる題出してうそぶきずしあへり。人のまよひすこししづめておはせむと中納言もおぼして、さるべきやうに聞え給ふほどに、內より中宮のおほせごとにて、宰相の兄の衞門の督ことごとしき隨身ひきつれてうるはしきさまして參り給へり。かうやうの御ありきはしのび給ふとすれどおのづからことひろごりて、後のためしにもなるわざなるを、おもおもしき人數あまたもなくて俄におはしましにけるを聞しめしおどろきて、殿上人あまた具して參りたるにはしたなくなりぬ。宮も中納言も苦しとおぼして物の興もなくなりぬ。御心のうちをばしらずゑひみだれて遊びあかしつ。今日はかくてとおぼすに、又宮の大夫さらぬ殿上人などあまた奉り給へり。心あわたゞしくて口をしくかへり給はむそらなし。かしこは御文をぞ奉れ給ふ。をかしやかなることもなく、いとまめだちておぼしけることゞもをこまごまと書き續け給へれど、人めしげうさわがしからむにとて御かへりなし。數ならぬ有樣にてはめでたき御あたりにまじらはむかひなきわざかなといとゞおぼししり給ふ。よそにて隔たる月日は覺束なさもことわりにさりともなどなぐさめ給ふを、近き程にのゝしりおはして、つれなくすぎ給ふなむつらくも口惜しくも思ひ亂れ給ふ。宮はましていぶせくわりなしとおぼすことかぎりなし。あじろのひをも心よせ奉りていろいろの木の葉にかきまぜもてあそぶを、しも人などはいとをかしきことに思へば、人に從ひつゝ心ゆく御ありきに、みづからの御心地は胸のみつとふたがりて空をのみながめ給ふに、このふる宮のこずゑはいとことにおもしろく、常磐木にはひまじれる蔦の色なども物ふかげに見えてとほめさへすごげなるを、中納言の君もなかなかたのめ聞えけるをうれはしきわざかなとおぼゆ。こぞの春御供なりし君達は花の色を思ひ出でゝ、後れてこゝに眺め給ふらむ心細さをいふ。かう忍び忍びに通ひ給ふとほのぎゝたるもあるべし、心しらぬもまじりて、大かたにとやかくやと人の御うへはかゝる山がくれなれどおのづから聞ゆるものなれば、「いとをかしげにこそ物し給ふなれ。箏の琴上手にて、故宮の明暮遊びならはし給ひければ」などくちぐちにいふ。宰相中將、

 「いつぞやも花のさかりにひとめ見し木の本さへや秋はさびしき」、あるじ方と思ひていへば、中納言、

 「櫻こそ思ひしらすれさきにほふ花ももみぢもつねならぬ世を」。衞門督、

 「いづこよりあきはゆきけむ山里の紅葉のかげはすぎうきものを」。宮の大夫、

 「見し人もなき山里の岩がきにこゝろながくもはへるくずかな」。中においしらひてうちなき給ふ。御子の若くおはしける世のことなど、思ひ出づるなめり。宮、

 「秋はてゝさびしさまさる木のもとをふきなすぐしそ峯の松風」とていたう淚ぐみたまへるを、ほのかに知る人は、げにふかくおぼすなりけり。今日のたよりを過ぐし給ふ御心苦しさと見奉る人あれど、ことごとしく引き續きてえおはしましよらず。つくりける文どものおもしろき所々うちずじ、やまと歌もことにつけて多かれど、かやうのゑひなきのまぎれにましてはかばかしき事あらむやは。かたはし書きとゞめてだに見苦しくなむ。彼處には過ぎ給ひぬるけはひを、遠うなるまで聞ゆるさきの聲々たゞならずおぼえ給ふ。心まうけしつる人々もいと口惜しとおもへり。姬君はまして猶音に聞く月草の色なる御心なりけり。ほのかに人のいふを聞けば「男といふものはそらごとをこそいとよくすなれ。思はぬ人をおもひがほにとりなす言の葉多かるもの」とこの人數ならぬ女ばらの昔物語にいふを、さるなほなほしき中にこそはけしからぬ心あるもまじるらめ、何事もすぢことなるきはになりぬれば、人の聞き思ふことつゝましう所せかるべきものと思ひしはさしもあるまじきわざなりけり。あだめき給へるやうに故宮も聞き傅へ給ひてかうやうにけ近き程までは、おぼしよらざりしものを、あやしきまで心深げにのたまひわたり、思の外に見奉るにつけてさへ、身の憂さを思ひそふるがあぢきなくもあるかな、かう見劣りする御心を、かつはかの中納言もいかに思ひ給ふらむ、こゝにも殊に耻かしげなる人はうち交らねど、おのおの思ふらむが人わらへにをこがましき事と思ひ亂れ給ふに、心地も違ひていと惱しうおぼえ給ふ。さうじみはたまさかに對面し給ふ時、限なく深きことをたのめ契り給へれば、さりともこよなうはおぼし變らじと、覺束なきもわりなきさばかりこそは物し給ふらめと、心の中に思ひ慰め給ふかたあり。程經にけるが思ひ入られ給はぬにしもあらぬに、なかなかにてうち過ぎ給ひぬるを、つらうも口惜しうもおもほゆるに、いとゞ物あはれなり。忍びがたき御氣色なるを、人なみなみにもてなして、例の人めきたる住ひならば、かうやうにもてなし給ふまじきをなど、姉君はいとゞしくあはれと見奉り給ふ。我も世にながらへばかうやうなる事見つべきにこそはあめれ、中納言の、とざまかうざまにいひありき給ふも、人の心を見むとなりけり、心ひとつにもてはなれて思ふともこしらへやる限こそあれ、或人のこりずまにかゝる筋のことをのみいかでと思ひためれば、心より外に遂にもてなされぬべかめり、これこそは返す返すもさる心ちして、世をすぐせとのたまひおきしは、かゝる事もやあらむのいさめなりけれ、さもこそは憂き身どもにてさるべき人々にも後れ奉らめ、やうのものと人わらへなる事を添ふる有樣にて、なき御影をさへ惱し奉らむがいみじさ、猶我だにさる物思ひにしづまず、罪などいと深からぬさきにいかでなくなりなむとおぼし沈むに、心ちも誠に苦しければ、物も露ばかり參らず、たゞなからむ後のあらましごとを明暮思ひ續け給ふに物心ぼそくて、この君を見奉り給ふもいと心苦しう、我にさへ後れ給ひていかにいみじう慰むる方なからむ、あたらしくをかしきさまを、明暮のみものにて、いかで人々しうも見なし奉らむと思ひあつかふをこそ、人知れぬ行く先のたのみにも思ひつれ、限なき人にものし給ふとも、かばかり人わらへなるめを見てむ人の、世の中に立ちまじり、例の人ざまにて經給はむは、類ひ少く心憂からむなどおぼし續くるに、いふかひもなく、この世には聊思ひ慰む方なくて過ぎぬべき身どもなめりと、心ぼそくおぼす。宮は立ちかへり、例のやうに忍びてと出で立ち給ひけるを、「內にかゝる御忍びごとにより山里の御ありきもゆくりかにおぼし立つなりけり。かるがるしき御有樣と、世人もしたに譏り申すなり」と衞門督の漏し申し給ひければ、中宮も聞しめし歎き、うへもいとゞゆるさぬ御氣色にて、大方心に任せ給へる御里住みのあしきなりけりときびしき事ども出で來て、內につと侍らはせ奉り給ふ。左の大臣殿の六の君をうけひかずおぼしたることなれど、おしたちて參らせ給ふべく皆定めらる、中納言殿聞き給ひてあいなく物を思ひありき給ふ。我があまりことやうなるぞや、さるべき契やありけむ、みこのうしろめたしとおぼしたりしさまもあはれに忘れがたく、この君達の御有樣けはひもことなる事なくて、世に衰へ給はむことの惜しくもおぼゆるあまりに、人々しうもてなさばやとあやしきまでもてあつかはるゝに、宮もあやにくにとりもちてせめ給ひしかば、我が思ふかたはことなるにゆづらるゝ有樣もあいなくて、かくもてなしてしを思へばくやしくもありけるかな、いづれも我が物にて見奉らむに咎むべき人もなしかし、取り返すものならねどをこがましう心ひとつに思ひ亂れ給ふ。宮はまして御心にかゝらぬをりなく戀しううしろめたしとおぼす。「御心につきておぼす人あらばこゝにまゐらせて、例ざまにのどやかにもてなし給へ。すぢことに思ひ聞えたまへるに、かるびたるやうに人の聞ゆべかめるも、いとなむ口惜しき」と大宮は明暮聞え給ふ。時雨いたくしてのどやかなる日、女一宮の御方に參り給へれば、お前に人多くもさぶらはず、しめやかに御繪など御覽ずる程なり。御几帳ばかり隔てゝ、御物語聞え給ふ。限もなくあてにけだかきものから、なよびかにをかしき御けはひを、年ごろ二つなきものに思ひ聞え給ひて、又この有樣になずらふ人世にありなむや、冷泉院の姬君ばかりこそ、御おぼえの程內々の御けはひも心にくゝ聞ゆれど、うちいでむ方もなくおぼしわたるに、かの山里人は、らうたげにあてなる方の劣り聞ゆまじきぞかしなどまづ思ひ出づるに、いとゞ戀しさまさるなぐさめに御繪どものあまたちりたるを見給へば、をかしげなる女繪どもの、戀する男のすまひなどかきまぜ、山里のをかしき家居など心々に世の有樣書きたるを、よそへらるゝこと多くて御目とまり給へば、少し聞え給ひて、かしこへ奉らむとおぼす。在五が物語を書きて、妹にきん敎へたる所の、人のむすばむといひたるを見て、いかゞおぼすらむ、少し近く參りより給ひて、「いにしへの人もさるべき程は隔なくこそならはして侍りけれ。いとうとうとしうのみもてなさせ給ふこそ」と忍びて聞え給へば、いかなる繪にかとおぼすに、おしまきよせてお前にさし入れ給へるを、うつぶして御覽ずるみぐしのうち靡きてこぼれ出でたるかたそばばかりほのかに見奉り給ふが、飽かずめでたく、少し物のへだてたる人と思ひ聞えましかばとおぼすに、忍びがたくて、

 「若草のねみむものとは思はねどむすぼゝれたるこゝちこそすれ」。お前なりつる人々は、この宮をば殊にはぢ聞えて物のうしろにかくれたり。ことしもこそあれ、うたて怪しとおぼせば、物ものたまはず。ことわりにてうらなくものをといひたる姬君も、ざれてにくゝおぼさる。紫のうへのとりわきてこの二所をばならはし聞え給ひしかば、あまたの御中に隔なく思ひかはし聞え給へり。世になくかしづき聞え給ひて、さぶらふ人々もかたほに少しあかぬ所あるははしたなげなり。やんごとなき人の御むすめなどもいと多かり。御心のうつろひやすきは、珍しき人々にはかなく語らひつきなどし給ひつゝ、かのわたりをおぼし忘るゝ折なきものから、音づれ給はで日ごろ經ぬ。待ち聞え給ふ所は、絕間遠き心ちして、猶かうなめりと心ぼそうながめ給ふに、中納言おはしたり。なやましげにし給ふと聞きて、御とぶらひなりけり。いと心ち惑ふばかりの御惱みにもあらねど、ことつけて對面し給はず。「驚きながら遙けき程を參り來つるを、猶かのなやみ給ふらむ御あたり近く」とせちに覺束ながり聞え給へばうち解けてすまひ給へる方のみすの前に入れ奉る。いとかたはらいたきわざと苦しがり給へど、けにくゝはあらで、御ぐしもたげ御いらへなど聞え給ふ。宮の御心も行かで、おはし過ぎにし有樣など語り聞え給ひて、「のどかにおぼせ。心いられしてな恨み聞え給ひそ」など敎へ聞え給へば、「こゝにはともかくも聞え給はざめり。なき人の御いさめは、かゝる事にこそと見侍るばかりなむいとほしかりける」とて泣き給ふ氣色なり。いと心苦しう、我さへ恥しき心ちして「世の中はとてもかくてもひとつざまにてすぐす事難くなむ侍るを、いかなる事をも御覽じ知らぬ御心どもには、偏にうらめしなどおぼすこともあらむを、强ひておぼしのどめよ。うしろめたうは世にあらじとなむ思ひ侍る」など人の御上をさへあつかふも、かつはあやしくおぼゆ。よるよるはましていと苦しげにし給ひければ、疎き人の御けはひの近きも中の君の苦しげにおぼしたれば、「猶例のあなたに」と人々聞ゆれど、「ましてかく煩ひ給ふほどの覺束なさを、思ひのまゝに參りきていだし放ち給へれば、いとわりなくなむ。かゝる折の御あつかひも誰かはかばかしく仕うまつる」など辨のおもとに語らひ給ひて、みずほふども始むべきことなどのたまふ。いと見苦しう殊更にもいとはしき身をと聞き給へど、思ひぐまなくのたまはむもうたてあれば、さすがにながらへよと思ひ給へる心ばへもあはれなり。又のあしたに、「少しもよろしくおぼさるや。昨日ばかりにてだに聞えさせむ」とあれば、「日比ふればにや、今日はいと苦しうなむ。さらばこなたに」と言ひ出し給へり。いとあはれにいかに物し給ふべきにかあらむ、ありしよりはなつかしき御氣色なるも胸つぶれておぼゆれば、近うまかでよろづの事を聞え給ふ。「苦しうてえ聞えず、少しためらはむ程に」とて、いとかすかにあはれなるけはひを、限なう心苦しうて歎き居給へり。さすがにつれづれとかくておはしがたければいとうしろめたけれどかへり給ふ。「かゝる御住まひは猶苦しかりけり。處去り給ふにことよせてさるべき處にうつろはし奉らむ」など聞えおきて、阿闍梨にも、御いのり心に入るべくのたまひ知らせて出で給ひぬ。この君の御供なる人の、いつしかとこゝなる若き人を語らひよりたるありけり。おのがじゝの物語に、「かの宮の御忍びありき制せられ給ひて、內にのみ籠りおはしますこと、左の大臣殿の姬君をなむあはせ奉り給ふべかなるを、女方は年比の御ほいなれば、おぼし滯ることなくて、年の內にありぬべかなり。宮はしぶしぶにおぼして、うちわたりにもたゞすきがましき事に御心を入れて、みかどきさいの御いましめにしづまり給ふべくもあらざめり。我が殿こそ猶あやしう人に似給はず、あまりまめにおはしまして、人にはもてなやまれ給へ。こゝにかく渡り給ふのみなむ、めもあやにおぼろけならぬことゝ人申す」などかたりけるを「さこそいひつれ」など人々の中にて語るを聞き給ふにも、いとゞ胸ふたがりて、今はかぎりにこそあなれ、やんごとなき方に定まり給はぬほどの、なほざりの御すさびにかくまでおぼしけむを、さすがに中納言などの思はむ所をおぼして、言の葉のかぎり深きなりけりと思ひなし給ふに、ともかくも人の御つらさは思ひ知られず、いとゞ身の置所なき心地して、しをれふし給へり。よわき御心ちは、いとゞ世に立ちとまるべうもおぼえず、恥しげなる人々にはあらねど、思ふらむところ苦しければ聞かぬやうにてね給へるを、姬君、物思ふ時のわざと聞きしうたゝねの御さまの、いとらうたげにて、かひなを枕にてね給へるに、御ぐしのたまりたる程など、ありがたう美くしげなるを見やりつゝ、親の諫めし言の葉も、返す返す思ひ出でられ給ひて悲しければ、罪深くなる底にはよもしづみ給はじ、いづくにもいづくにもおはすらむ方にむかへ給ひてよ、かういみじく物思ふ身どもをうちすて給ひて、夢にだに見え給はぬよと思ひ續け給ふ。夕暮の空の氣色いとすごくしぐれて、木の下吹きはらふ風の音などたとへむかたなく、きしかた行くさき思ひ續けられてそひふし給へるさま、あてにかぎりなく見え給ふ。白き御ぞに、髮はけづることもし給はで程經ぬれど迷ふすぢなくうちやられて、日ごろに少し靑み給へるしもなまめかしさまさりて、ながめ出し給へるまみひたひつきのほども、見知らむ人に見せまほし。ひるねの君風のいと荒きに驚かされて起きあがり給へり。山吹薄色など花やかなる色あひに、御顏は殊更にそめにほはしたらむやうに、いとをかしうはなばなとして聊物思ふべきさまもし給へらず。「故宮の夢に見え給へる、いと物おぼしたるけしきにて、このわたりにこそほのめき給へれ」と語り給へれば、いとゞしく悲しさそひて、「うせ給ひて後、いかで夢にも見奉らむと思ふを、更にこそ見奉らね」とて二所ながらいみじう泣き給ふ。このごろ明暮思ひ出で奉れば、ほのめきもやおはすらむ、いかでおはすらむ處に尋ね參らむ、罪深げなる身どもにてと、後の世をさへ思ひやり給ふ。人の國にありけむ香の煙ぞいとえまほしくおぼさるゝ。いと暗うなるほどに、宮より御使あり。をりは少し物思ひ慰みぬべし。御方はとみにも見給はず。「猶心うつくしくおいらかなるさまに聞え給へ。かうてはかなうもなり侍りなば、これより名殘なき方にもてなし聞ゆる人もや出でこむとうしろめたきを、まれにもこの人の思ひ出で聞え給はむに、さやうなるあるまじき心つかふ人はえあらじと思へば、つらきながらなむ賴まれ侍る」と聞え給へば、「おくらさむとおぼしけるこそいみじう侍れ」と、いよいよ顏を引き入れ給ふ。「限あれば片時もとまらじと思ひしかど、ながらふるわざなりけりと思ひ侍るぞや。明日知らぬ世のさすがになげかしきも、誰がために惜しき命にかは」とておほとなぶら參らせて見給ふ。例のこまやかに書き給ひて、

 「ながむるは同じ雲井をいかなればおぼつかなさをそふる時雨ぞ」。かく袖ひづるなどいふこともやありけむ。耳なれにたるを、猶あらじことゝ見るにつけてもうらめしさまさり給ふ。さばかり世にありがたき御ありさまかたちを、いとゞいかで人にめでられむと、好しくえんにもてなし給へれば、若き人の心よせ奉り給はむもことわりなり。程經るにつけても戀しう、さばかり所せきまで契り置き給ひしを、さりともいとかくては止まじと思ひ直す心ぞ常にそひける。「御かへり今夜參りなむ」と聞ゆれば、これかれそゝのかし聞ゆれば、たゞひとことなむ。

 「あられふる深山のさとは朝夕にながむる空もかきくらしつゝ」。かくいふは神無月のつごもりなりけり。月もへだゝりぬるよと宮はしづ心なくおぼされて、今夜今夜とおぼしつゝ、さはりおほみなる程に、五節など疾く出できたる年にて、うちわたり今めかしくまぎれがちにて、わざともなけれどすぐい給ふ程に、あさましう待ちどほなり。はかなう人を見給ふにつけても、さるは御心にはなるゝ折なし。左の大臣殿のわたりの事、大宮も猶「さるのどやかなる御うしろみをまうけ給ひて、その外の尋ねまほしうおぼさるゝ人あらば參らせておもおもしくもてなし給へ」と聞え給へど、「暫しさ思う給ふるやう」など聞えすまひ給ひて、誠につらきめはいかでか見せむなどおぼす御心を知り給はねば、月日にそへて物をのみおぼす。中納言も、見しほどよりはかろびたる御心かな、さりともと思ひ聞えけるもいとほしく心からおぼえつゝ、をさをさ參り給はず、山里にはいかにいかにととぶらひ聞え給ふ。この月となりては、少しよろしうおはすと聞き給ひけるに、おほやけわたくし物さわがしきころにて、五六日人も奉り給はぬに、いかならむと打ち驚かれて、わりなきことの繁さをうち捨てゝまうで給ふ。ずほふは怠りはて給ふまでとのたまひ置きけるを、よろしくなりにけるとて、阿闍梨をも返し給ひければ、いと人ずくなにて、例のおい人出できて御ありさま聞ゆ。「そこはかといたき處もなく、おどろおどろしからぬ御惱みに物をなむ更に聞し召さぬ。もとより人に似給はず、あえかにおはしますうちに、この宮の御事出で來にし後、いとゞ物おぼしたるさまにて、はかなき御くだものだに御覽じいれざりしつもりにや、あさましく弱くなり給ひて更に賴むべくも見え給はず、世に心憂く侍りける身の命の長さにて、かゝる事を見奉れば、まづいかで先だち聞えなむと、思ふ給へいりて侍り」といひもやらず泣くさまことわりなり。「などか斯とも吿げ給はざりける。院にも內にもあさましう事繁きころにて、日ごろもえ聞えざりつる覺束なさ」とてありし方に入り給ふ。御枕がみ近くて物聞え給へど、御聲もなきやうにてえいらへ給はず。「かく重くなり給ふまで、誰も誰も吿げ給はざりけるがつらう思ふに、かひなき事」と恨みて、例の阿闍梨、大方世にしるしありと聞ゆる人のかぎり、あまたさうじ給ふ。御修法どきやう明くる日より始めさせ給はむとて、とのひとあまた參り集ひ、かみしもの人立ち騷ぎたれば心ぼそさの名殘なくたのもしげなり。暮れぬれば、例のあなたにと聞えて、御湯づけなど參らせむとすれど、近くてだに見奉らむとて、南の廂は僧の座なれば、東おもての今少しけ近き方に屛風など立てさせて入り居給ふ。中の君苦しとおぼしたれど、この御中を猶もてはなれ給はぬなりけりと皆思ひて、疎くももてなし隔て奉らず。そやよりはじめて、法華經を不斷讀ませ給ふ。聲たふときかぎり十二人していとたふとし。火はこなたの南のまにともして內はくらきに、几帳をひきあげて少しすべり入りて見奉り給へば、おい人ども二三人ぞさぶらふ。中の君はふと隱れ給ひぬれば、いと人ずくなに心ぼそくてふし給へるを、「などか御聲をだに聞かせ給はぬ」とて、御手をとらへて驚かし聞え給へば「心地にはおぼえながら物いふがいと苦しくてなむ。日ごろ音づれ給はざりつれば、覺束なくて過ぎ侍りぬべきにやと口惜しうこそ侍りつれ」と息のしたにのたまふ。かくまたれ奉りつる程まで、參りこざりけることゝて、さくりもよゝとなき給ふ。御ぐしなど少しあつくぞおはしける。「何の罪なる御心ちにか、人の歎きおふこそかくはあなれ」と御耳にさしあてゝ物をおほく聞え給へば、うるさうも恥しうもおぼえて、顏をふたぎ給へり。いとゞなよなよとあえかにて臥し給へるを、空しう見なしていかなる心ちせむと胸もひしけておぼゆ。「日ごろ見奉り給へらむ御心地も、安からずおぼされつらむ。今夜だに心安くうちやすませ給へ。とのゐ人さぶらふべし」と聞え給へば、うしろめたけれど、さるやうこそはとおぼして、少ししぞき給へり。ひたおもてにはあらねどはひよりつゝ見奉り給へば、いと苦しく恥しけれど、かゝるべき契こそありけめとおぼして、こよなうのどやかにうしろやすき御心を、かの片つかたの人に見くらべ奉り給へばあはれとも思ひ知られにたり。空しくなりなむ後の思ひ出にも、心ごはく思ひぐまなからじとつゝみ給ひて、はしたなくもえおし放ち給はず。夜もすがら人をそゝのかして、御湯など參らせ奉り給へど、露ばかりまゐる氣色もなし。いみじのわざや、いかにしてかはかけとゞむべきと、言はむ方なく思ひ居給へり。不斷經の曉がたの、居かはりたる聲のいとたふときに、阿闍梨もよゐにさぶらひてねぶりたる、うち驚きて陀羅尼よむ。おいかれにたれどいとくうづきてたのもしう聞ゆ。「いかゞ今夜はおはしましつらむ」など聞ゆるついでに故宮の御事など聞え出でゝ、鼻しばしばうちかみて「いかなる所におはしますらむ。さりとも凉しき方にぞと思ひやり奉るを、さいつころの夢になむ見えおはしましゝ。俗の御かたちにて、世の中を深う厭ひ離れしかば心とまることなかりしを、聊うち思ひしことに亂れてなむ。唯しばしねがひの處を隔たれるを思ふなむいとくやしき。すゝむるわざせよといとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべきことのおぼえ侍らねば、堪へたるにしたがひておこなひし侍る。法師ばら五六人して、なにがしの念佛なむ仕うまつらせ侍る。さては思ひ給へえたること侍りて常不經をなむつかせ侍る」など申すに君もいみじう泣き給ふ。かの世にさへ妨げ聞ゆらむ罪の程を、苦しき心地にもいとゞ消え入りぬばかりおぼえ給ふ。いかでかのまだ定まり給はざらむ先にまうでゝ同じ所にもと聞きふし給へり。阿闍梨はことずくなにて立ちぬ。この常不經そのわたりの里々京までありきけるを、曉の嵐にわびて阿闍梨のさぶらふあたりを尋ねて、中門のもとに居て、いとたふとくつく、ゑかうの末つ方の心ばへいとあはれなり。まらうどもこなたに進みたる御心にて、あはれ忍ばれ給はず、中の君せちにおぼつかなくて奧の方なる几帳のうしろにより給へるけはひを聞き給ひて、あざやかに居なほり給ひて「不經の聲はいかゞ聞かせ給ひつらむ。おもおもしき道には行はぬことなれど、たふとくこそはべりけれ」とて、

 「しもさゆる汀の千鳥うちわびてなく音悲しきあさぼらけかな」とことばのやうに聞え給ふ。つれなき人の御けはひにもかよひて、思ひよそへらるれど、いらへにくゝて、辨してぞ聞え給ふ。

 「あかつきの霜うちはらひなく千鳥物思ふ人のこゝろをやしる」。似つかはしからぬ御かはりなれどゆゑなからず聞えなす。かやうのはかなしごともつゝましげなるものから、なつかしうかひあるさまに取りなし給ふものを、今はとて別れなばいかなる心地せむと思ひ惑ひ給ふ。宮の夢に見え給ひけむさまおぼし合するに、かう心苦しき御有樣どもをあまがけりてもいかに見給ふらむと推しはかられて、おはしましゝ御寺にも御誦經せさせ給ふ。所々に御いのりの使出したてさせ給ふ。公にも私にも、御暇のよし申し給ひて、祭、祓よろづにいたらぬことなくし給へど、物の罪めきたる御病にもあらざりければ何のしるしも見えず。みづからもたひらかにあらむと佛をも念じ給はゞこそあらめ、猶かゝるついでにいかでうせなむ、この君のかくそひゐて殘なくなりぬるを、今はもてはなれむかたなし、さりとてかうおろかならず見ゆめる心ばへの、見おとりして、我も人も見えむが、心安からずうかるべきこと、もし命しひてとまらば、病にことつけてかたちをもかへてむ、さてのみこそ長き心をもかたみに見はつべきわざなれと思ひしみ給ひて、とあるにてもかゝるにても、いかでこの思ふことしてむとおぼすを、さまでさかしき事はえうち出で給はで中の君に「心地のいよいよたのもしげなくおぼゆるを、いむことなむいとしるしありて、命のぶる事と聞きしを、さやうに阿闍梨にのたまへ」と聞え給へば、皆泣きさわぎて、いとあるまじき御ことなり、かくばかりおぼし惑ふめる中納言殿もいかゞあへなきやうに思ひ聞え給はむと似げなき事に思ひて、たのもし人にも申しつがねば、口惜しうおぼす。かく籠り居給へれば、聞きつぎつゝ御とぶらひにふりはへ物し給ふ人もあり。おろかにおぼされぬことゝ見奉れば、殿人したしきけいしなどは、おのおのよろづの御いのりをせさせ歎ききこゆ。とよのあかりは今日ぞかしと京思ひやり給ふ。風いたう吹きて雪の降るさまあわたゞしう荒れ惑ふ。みやこにはいとかうしもあらじかしと、人やりならず心ぼそうて、疎くて止みぬべきにやと思ふちぎりはつらけれど、恨むべうもあらず。なつかしうらうたげなる御もてなしを、唯しばしにても、例になして思ひつる事ども語らはゞやと思ひ續けてながめ給ふ。光もなくて暮れはてぬ。

 「かきくもり日かげも見えぬ奧山に心をくらすころにもあるかな」。たゞかくておはするをたのみに皆思ひ聞えたり。例の近き方に居給へるに、御几帳などを風のあらはに吹きなせば、中の君奧に入り給ふ。見苦しげなる人々も、かゞやきかくれぬる程に、いと近うよりて、「いかゞおぼさるゝ。心地に思ひ殘すことなく念じ聞ゆるかひなく、御聲をだに聞かずなりにたればいとこそ侘しけれ。おくらかし給はゞいみじうつらからむ」となくなく聞え給ふ。物おぼえずなりにたるさまなれど、顏をばいとよくかくし給へり。「よろしきひまあらば、聞えまほしき事も侍れど、たゞ消え入るやうにのみなりゆくは口惜しきわざにこそ」といとあはれと思ひ給へるけしきなるに、いよいよせきとゞめ難くて、ゆゝしうかく心ぼそげに思ふとは見えじとつゝみ給へど、聲もをしまれず。いかなるちぎりにて限なく思ひ聞えながらつらき事多くて別れ奉るべきにか、少し憂きさまをだに見せ給はゞなむ思ひさますふしにもせむとまもれど、いよいよあはれげにあたらしくをかしき御有樣のみ見ゆ。かひななどもいと細うなりてかげのやうに弱げなるものから、色あひ變らず白う美くしげになよなよとして、白き御ぞどものなよびかなるに、ふすまを押しやりて、中に身もなきひゝなをふせたらむ心地して、御ぐしはいとこちたうもあらぬほどにうちやられたる、枕より落ちたるきはのつやつやとめでたうをかしげなるも、いかになり給ひなむとするぞと、あるべきものにもあらざめりと見るが惜しき事たぐひなし。こゝら久しくなやみてひきもつくろはぬけはひの、心とけず恥しげに、限なうもてなしさまよふ人にもおほうまさりてこまかに見るまゝに、たましひもしづまらむ方なし。「つひにうち捨て給ひては世にしばしもとまるべきにもあらず。命若しかぎりありてとまるべうとも深き山にさすらへなむとす。唯いと心苦しうて、とまり給はむ御事をなむ思ひ聞ゆる」と、いらへさせ奉らむとてかの御事をかけ給へば、顏かくし給ふ御袖を少し引きなほして「かくはかなかりけるものを、思ひぐまなきやうにおぼされたりつるもかひなければ、このとまり給はむ人を、同じ事と思ひ聞え給へとほのめかし聞えしに、違へ給はざらましかば、うしろ安からましとこれのみなむうらめしきふしにて、とまりぬべくおぼえ侍る」とのたまへば、「かくいみじう物思ふべき身にやありけむ。いかにもいかにもことざまに、この世を思ひかゝづらふ方の侍らざりつれば、御おもむけに隨ひ聞えずなりにし。今なむくやしう心苦しうもおぼゆる。されども後めたくな思ひ聞え給ひそ」などこしらへて、いと苦しげにしたまへば、修法の阿闍梨どもめし入れさせ、さまざまにげんあるかぎりして加持參らせ給ふ。我も佛を念ぜさせ給ふことかぎりなし。世の中を殊更に厭ひ離れねど、すゝめ給ふ佛などのいとかくいみじきものは思はせ給ふにやあらむ。見るまゝに物の枯れ行くやうにて消えはて給ひぬるはいみじきわざかな。引きとゞむべき方なく、あしずりもしつべく、人のかたくなしと見むこともおぼえず、かぎりと見奉り給ひて、中の君の後れじと思ひ惑ひ給へるさまもことわりなり。あるにもあらず見え給ふを、例のさかしき女ばら、今はいとゆゝしきことゝ引きさけ奉る。中納言の君は、さりともいかゞかゝる事あらじ、夢かとおぼして、おほとなぶらを近うかゝげて見奉り給ふに、隱し給ふ顏も、唯寢給へるやうにて變り給へる所もなくうつくしげにてうち臥し給へるを、かくながらむかしからのやうにても見るわざならましかばと、思ひ惑はる。今はのことゞもする、御ぐしをかきやるに、さとうちにほひたる、たゞありしながらのにほひに、なつかしうかうばしきもありがたう、何事にてこの人を少しもなのめなりしと思ひさまさむ、誠に世の中を思ひ捨てはつるしるべならば、恐しげにうきことの悲しさも、さめぬべきふしをだに見つけさせ給へと佛を念じ給へど、いとゞ思ひのどめむ方なくのみあれば、いふかひなくて、ひたぶるに煙にだになしはてゝむとおもほして、とかく例の作法どもするぞあさましかりける。空を步むやうにたゞよひつゝ、限のありさまさへはかなげにて、煙も多くむすぼゝれ給はずなりぬるもあへなしとあきれてかへり給ひぬ。御いみに籠れる人かず多くて、心ぼそさは少し紛れぬべけれど、中の君は人の見思ふらむことも恥しき身の心うさを思ひ沈み給ひて、又なき人に見え給ふ。宮よりも御とぶらひいと繁く奉れ給ふ。思はずにつらしと思ひ聞え給へりしけしきもおぼしなほらで止みぬるをおぼすに、いと憂き人の御ゆかりなり。中納言、かく世のいと心憂く覺ゆるついでにほい遂げむとおぼさるれど、三條の宮のおぼさむ事にはゞかり、この君の御事の心苦しさとに思ひみだれて、かののたまひしやうにて、かたみにも見るべかりけるものを、したの心は身を分け給へりとも、うつろふべくはおぼえざりしを、かう物思はせ奉るよりは唯うち語らひて、盡きせぬなぐさめにも見奉り通はましものをなどおぼす。かりそめに京にも出で給はず、かき絕え慰む方なくて籠りおはするを、世の人もおろかならず思ひ給へることゝ見聞きて、うちよりはじめ奉りて、御とぶらひ多かり。はかなくて日ごろは過ぎ行く。七日々々の事どもいとたふとくせさせ給ひつゝ、おろかならずけうじ給へど、かぎりあれば、御ぞの色のかはらぬを、かの御方の心よせわきたりし人々の、いとくろう着かへたるをほの見給ふも、

 「くれなゐにおつる淚もかひなきはかたみの色をそめぬなりけり」。ゆるし色のこほりとけぬると見ゆるを、いとゞぬらしそへつゝながめ給ふさま、いとなまめかしう淸げなり。人々のぞきつゝ見奉りて、「いふかひなき御事をばさるものにて、この殿のかく見習ひ奉りて、今はとよそに思ひ聞えむこそあたらしう口惜しけれ。思の外なる御すくせにもおはしけるかな。かく深き御心の程を、かたかたに背かせ給へるよ」と泣きあへり。「この御方には、昔の御かたみに今は何事も聞え承らむとなむ思ひ給ふる。うとうとしくおぼし隔つな」と聞え給へど、萬の事うき身なりけりと物のみつゝましくて、まだ對面して物など聞え給はず。この君はけざやかなる方に今少しこめき、け高くおはするものから、なつかしうにほひある心ざまぞ劣り給へりけると、事にふれておぼゆ。雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめくらして、世の人のすさまじきことにいふなる、しはすの月夜の曇りなくさしいでたるを、すだれ卷きあげて見給へば、向ひの寺の鐘の聲、枕をそばだてゝ、今日も暮れぬとかすかなるを聞きて、

 「おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば」。風のいとはげしければ蔀おろさせ給ふに、四方の山の鏡と見ゆる汀の水、月かげにいとおもしろし。京の家のかぎりなくとみがくも、えかうはあらぬはやとおぼゆ。僅にひき出でゝものし給はましかば諸共に聞えましと思ひつゞくるぞ、胸よりあまる心ちする。

 「戀ひわびてしぬるくすりのゆかしきに雪の山にや跡をけなまし」。なかばなる偈敎へむ鬼もがな、ことつけて身もなげむとおぼすぞ心ぎたなきひじり心なりける。人々近う呼びいで給ひて御物語などせさせ給ふけはひなどのいとあらまほしう、のどやかに心深きを、見奉る人々、若きは心にしめてめでたしと思ひ奉る。老いたるは口惜しういみじき事をいとゞ思ふ。「御心地の重くならせ給ひしことも、唯この宮の御事を思はずに見奉り給ひて、人わらへにいみじとおぼすめりしを、さすがにかの御かたには、かく思ふとしられ奉らじと唯御心ひとつに世を恨み給ふめりしほどに、はかなき御くだものをも聞しめしいれず、たゞよわりになむ弱らせ給ふめりし。うはべにはなにばかりことごとしく物深げにももてなさせ給はで、したの御心のかぎりなく、何事もおぼすめりしに、故宮の御いましめにさへ違ひぬることに、あいなう人の御うへをおぼし惱みそめしなり」と聞えて、折々にのたまひしことなど語りいでつゝ、誰も誰も泣き惑ふこと盡せず。我が心から、あぢきなきことを思はせ奉りけむことゝとりかへさまほしく、なべての世もつらきに、念誦をいとあはれにし給ひて、まどろむ程なくあかし給ふに、まだ夜深き程の雲のけはひいと寒げなるに、人々聲あまたして、馬のおときこゆ。何人かは、かゝるさ夜中にゆきをわくべきと、大とこたちも驚き思へるに、宮かりの御ぞにいたうやつれて、ぬれぬれ入り給ふなりけり。うちたゝき給ふさま、さなゝりと聞き給ひて、中納言はかくろへたる方に入り給ひて忍びておはす。御いみは日數殘りたりけれど、心もとなくおぼしわびて、夜一夜ゆきに惑はされてぞおはしましける。日ごろのつらさも紛れぬべき程なれど對面し給ふべき心ちもせず。おぼし歎きたるさまの恥しかりしを、やがて見なほされ給はずなりにしも、今より後の御心あらたまらむはかひなかるべく思ひしみて物し給へれば、誰も誰もいみじうことわりを聞えしらせつゝ、物ごしにてぞ日ごろのをこたり盡せずのたまふをつくづくと聞き居給へる。これもいとあるかなきかにて、後れ給ふまじきにやと聞ゆる御けはひの心苦しさを、後めたういみじと宮もおぼしたり。今日は御身を捨てゝとまり給ひぬ。物ごしならでといたくわび給へど、「今少し物おぼゆる程にて侍らば」とのみ聞え給ひてつれなきを、中納言も氣色聞き給ひて、さるべき人めし出でゝ、「御有樣にたがひて心淺きやうなる御もてなしの、昔も今も心うかりける月ごろの罪は、さも思ひ聞え給ひぬべきことなれど、にくからぬさまにこそかうがへ奉り給はめ。かやうなる事まだ見知らぬ御心にて苦しうおぼすらむ」など、忍びてさかしがり給へば、いよいよこの君の御心も恥しうて、え聞え給はず。「あさましう心憂くおはしけり。聞えしさまをもむげに忘れ給ひけること」とおろかならず歎きくらし給へり。よるの氣色いとゞ烈しき風の音に、人やりならず歎きふし給へるもさすがにて、例の物へだてゝ聞え給ふ。ちゞのやしろをひきかけて、行くさき長きことを契り聞え給ふも、いかでかくくちなれ給ひけむと心憂けれど、よそにてつれなき程の疎ましさより、あはれに人の心もたをやぎぬべき御さまを、ひとかたにもえうとみはつまじかりけりと、唯つくづくと聞き給ひて、

 「きしかたを思ひいづるもはかなきを行く末かけてなにたのむらむ」とほのかにのたまふ。なかなかいぶせう心もとなし。

 「行く末をみじかきものと思ひなばめのまへにだにそむかざらなむ。何事もいとかうみるほどなき世を、罪深くなおぼしないそ」とよろづにこしらへ給へど、「心地もなやましくなむ」とて、入り給ひにけり。人の見るらむもいと人わろくて歎きあかし給ふ。恨みむもことわりなるほどなれど、あまりに人にくゝもとつらき淚のおつれば、ましていかに思ひつらむと、さまざまあはれにおぼししらる。中納言のあるじがたに住みなれて、人々安らかによびつかひ人もあまたして、物參らせなどし給ふを、あはれにもをかしうも御覽ず。いといたう瘠せ靑みほれぼれしきまで物を思ひたれば、心苦しと見給ひて、まめやかにとぶらひ給ふ。ありしさまなどかひなきことなれどこの宮にこそは聞えめと思へど、うち出でむにつけてもいと心よわくかたくなしく見え奉らむにはゞかりてことずくなゝり。ねをのみ泣きて日數經にければ顏がはりのしたるも、見苦しくはあらでいよいよ物淸げになまめいたるを、女ならば必ず心うつりなむと、おのがけしからぬ御心ならひにおぼしよるもなまうしろめたかりければ、いかで人のそしりをもうらみをもはぶきて、京にうつろはしてむとおぼす。かくつれなきものからうちわたりにも聞し召して、いとあしかるべきにおぼしわびて、今日はかへらせ給ひぬ。おろかならず言の葉をつくし給へど、つれなきは苦しきものをとひとふしを思ひしらせまほしくて心とけずなりぬ。年のくれがたにはかゝらぬ所だに、空の氣色例には似ぬを、荒れぬ日なく降り積む雪にうち眺めつゝ明し暮し給ふ心地、つきせず夢のやうなり。御わざもいかめしうせさせ給ふ。宮よりも御誦經などこちたきまでとぶらひ聞え給ふ。かくてのみやは新しき年さへなげきすぐさむ、こゝかしこにも覺束なくて、閉ぢ籠り給へることを聞え給へば、今はとてかへり給はむ心ちもたとへむかたなし。かくおはしならひて、人しげかりつる名殘なくならむを、思ひわぶる人々、いみじかりし折のさしあたりて悲しかりしさわぎよりもうちしづまりていみじくおぼゆ。時々をりふしをかしやかなる程に聞えかはし給ひし年ごろよりも、かくのどやかにて過ぐし給へる日ごろの御ありさまけはひのなつかしく、なさけぶかうはかなきことにもまめなるかたにも、思ひやり多かる御心ばへを、今は限に見奉りさしつることゝおぼゝれあへり。かの宮よりは、「猶かう參りくることもいと難きを思ひわびて、近うわたい奉るべきことをなむ、たばかり出でたる」と聞え給へり。きさいの宮聞しめしつけて、中納言もかくおろかならず思ひほれてゐたなるは、げにおしなべて思ひがたうこそは誰もおぼさるらめと心苦しがり給ひて、二條院の西の對にわたい給ひて、時々も通ひ給ふべく忍びて聞え給ひければ、女一宮の御方にことよせて、おぼしなるにやとおぼしながら、覺束なかるまじきは嬉しくてのたまふなりけり。さななりと中納言も聞え給うて、三條の宮つくりはてゝ、渡い奉らむことを思ひしものを、かの御かはりになずらへても、見るべかりけるをなど、ひきかへし心ぼそし。宮のおぼしよるめりしすぢはいと似げなきことに思ひはなれて、大かたの御うしろみは我ならでは又誰かはとおぼすとや。

早蕨

やぶしわかねば、春の光を見給ふにつけても、いかでかくながらへにけむ月日ならむと夢のやうにのみおぼえ給ふ。行きかふ時々に隨ひ花鳥の色をもねをも同じ心におきふし見つゝ、はかなきことをももとすゑをとりていひかはし、心ぼそき世のうさもつらさもうち語らひ合せ聞えしにこそ慰む方もありしか、をかしきことあはれなるふしをも、聞き知る人もなきまゝに、よろづかきくらし、心ひとつを碎きて、宮のおはしまさずなりにし悲しさよりも、やゝうちまさりて戀しく侘しきに、いかにせむと明け暮るゝも知らず惑はれ給へど、世にとまるべきほどは限あるわざなりければ、しなれぬもあさまし。阿闍梨のもとより、「年あらたまりては何事かおはしますらむ。御いのりはたゆみなく仕うまつり侍り。今はひと所の御ことをなむやすからず念じ聞えさする」など聞えてわらびつくづくしをかしきこに入れて、「これはわらはべの供養じて侍る初穗なり」とて奉れり。手はいとあしうて、歌はわざとがましくひき放ちてぞ書きたる。

 「君にとてあまたの春をつみしかば常をわすれぬはつわらびなり。御前によみ申さしめ給へ」とあり。大事と思ひまはして詠み出しつらむとおぼせば、歌の心ばへもいとあはれにて、なほざりにさしもおぼされぬなめりと見ゆる言の葉を、めでたく好ましげに書き盡し給へる人の御文よりは、こよなくめとまりて淚もこぼるれば、返事かゝせ給ふ。

 「この春はたれにか見せむなき人のかたみにつめる峰のさわらび」。使に祿とらせさせ給ふ。いと盛ににほひ多くおはする人のさまざまの御物思ひに少しうちおも瘠せ給へるしも、いとあてになまめかしき氣色まさりてむかし人にもおぼえ給へり。並び給へりし折はとりどりにて更に似給へりとも見えざりしを、うち忘れてはふとそれかとおぼゆるまで通ひ給へるを、中納言殿の、からをだに留めて見奉るものならましかばと、朝夕に戀ひ聞え給ふめるに、同じくは見え奉り給ふ御すくせならざりけむよと、見奉る人々は口惜しがる。かの御あたりの人の通ひくるたよりに、御有樣は絕えず聞きかはし給ひけり。盡せずおぼゝれ給ひて新しき年ともいはず、いやめになむなり給へると聞き給ひてもげにうちつけの心淺さには物し給はざりけりと、いとゞ今ぞ哀も深く思ひ知らるゝ。宮はおはしますことのいと所せくありがたければ、京にわたし聞えむとおぼし立ちにたり。內宴など物騷しき頃すぐして、中納言の君、心に餘ることをも又誰にかは語らはむとおぼし侘びて兵部卿の宮の御方に參り給へり。しめやかなる夕暮なれば宮うちながめ給ひて端近くぞおはしましける。箏の御琴搔きならしつゝ例の御心よせなる梅の香をめでおはする。しづえを押し折りて參り給へるにほひのいとえんにめでたきを、折をかしうおぼして、

 「折る人の心にかよふ花なれやいろには出でずしたににほへる」とのたまへば、

 「見る人にかごとよせける花のえを心してこそ折るべかりけれ。わづらはしく」と戯ぶれ交し給へり。いとよき御あはひなり。こまやかなる御物語どもになりては、かの山里の御ことをぞまづはいかにと宮は聞え給ふ。中納言も過ぎにし方の飽かず悲しきこと、そのかみより今日まで思ひの絕えぬよし、折々につけてあはれにもをかしうも泣きみ笑ひみとかいふらむやうに聞え出で給ふに、ましてさばかり色めかしう淚もろなる御くせは、人の御上にてさへ袖もしぼるばかりになりて、かひがひしくぞあひしらひ聞え給ふめる。空の氣色もはた、げにぞあはれ知りがほに霞みわたれる。よるになりて烈しう吹き出づる風の氣色まだ冬めきていと寒げに、おほとなぶらも消えつゝ闇はあやなきたどたどしさなれど、かたみにきゝさし給ふべくもあらず、盡せぬ御物語を、えはるけやり給はで、夜もいたう更けぬ。世にためしありがたかりける中のむつびを、いでさりともいとさのみはあらざりけむと殘りありげに問ひなし給ふぞわりなき御心ならひなめるかし。さりながらも物に心え給ひて、歎かしき心のうちもあきらむばかり、かつはなぐさめ、又あはれをもさまし、さまざまに語らひ給ふ御さまのをかしきにすかされ奉りて、げに心に餘るまで思ひむすぼゝるゝことゞも、少しづゝ語り聞え給ふぞこよなく胸のひまあく心ちし給ふ。宮もかの人近く渡し聞えてむとする程の事ども語らひ聞え給ふを、「いと嬉しきことにも侍るかな。あいなくみづからのあやまちとなむ思ひ給へらるゝ。飽かぬむかしの名殘をまた尋ぬべきかたも侍らねば、大方には何事につけても心よせ聞ゆべき人となむ思ひ給ふるを、もしびんなくやおぼし召さるべき」とて、かのこと人とな思ひわきそと讓り給ひし心おきてをも、少しは語り聞え給へど、いはせの森のよぶこ鳥めいたりし世のことは殘したりけり。心のうちにはかく慰め難きかたみにも、げにさてこそかやうにあつかひ聞ゆべかりけれと悔しき事やうやうまさり行けど、今はかひなきものゆゑ、常にかうのみ思はゞあるまじき心もこそ出でくれ、誰がためにもあぢきなくをこがましからむと思ひはなる。さてもおはしまさむにつけても、誠に思ひうしろみ聞えむかたは又誰かはとおぼせば、御わたりの事ども心まうけせさせ給ふ。かしこにもよきわか人わらはなどもとめて人々は心ゆきがほに急ぎ思ひたれど、今はとてこのふしみをあらしはてむもいみじう心ぼそければ歎かれ給ふ事盡せぬを、さりとても又せめて心ごはく、堪へ籠りてもたけかるまじく、淺からぬ中の契も絕えはてぬべき御住ひをいかにおぼしえ給ふぞとのみ恨み聞え給ふも、少しはことわりなれば、いかゞすべからむと思ひ亂れ給へり。きさらぎのついたちごろとあれば、程近くなるまゝに花の木どものけしきばむも殘りゆかしく、峯の霞のたつを見すてむこともおのがとこよにてだにあらぬ旅寢にて、いかにはしたなく人わらはれなることもこそなど、萬につゝましく心ひとつに思ひ明し暮し給ふ。御ぶくもかぎりあることなれば脫ぎすて給ふに、みそぎも淺き心ちぞする。おやひと所は見奉らざりしかば戀しきこともおもほえず、その御かはりにもこの度の衣を深く染めむと心にはおぼしのたまへど、さすがにさるべきゆゑもなきわざなれば飽かず悲しきことかぎりなし。中納言殿より御車ごぜんの人々はかせなど、奉れ給へり。

 「はかなしやかすみの衣たちしまに花のひもとくをりも來にけり」。げにいろいろいと淸らにて奉れ給へり。御わたりの程のかづけものどもなど、ことごとしからぬものから品々こまやかにおぼしやりつゝいとおほかり。折につけては忘れぬさまなる御心よせのありがたく、「はらからなども、えいとかうまではおはせぬわざぞ」など人々は聞えしらす。あざやかならぬふる人どもの心には、かゝる方を心にしめて聞ゆ。若き人々は「時々も見奉りならひて、今はとことざまになり給はむをさうざうしくいかに戀しく覺えさせ給はむ」と聞えあへり。みづからは渡り給はむこと、明日とてのまだつとめておはしたり。例のまらうどゐの方におはするにつけても、今はやうやう物馴れて、我こそは人よりさきにかうやうにも思ひそめしかなど、ありしさまのたまひし心ばへを思ひ出でつゝ、さすがにかけはなれ、殊の外になどははしたなめ給はざりしを、我が心もてあやしうも隔たりにしかなと胸いたく思ひつゞけられ給ふ。かいまみせしさうじの穴も思ひ出でらるればよりて見給へど、このうちをばおろし籠めたればいとかひなし。うちにも人々思ひ出で聞えつゝうちひそみあへり。中の君はまして催さるゝ御淚の川にあすのわたりもおぼえ給はず、ほれぼれしげにて眺め臥し給へるに「月頃のつもりもそこはかとなけれどいぶせく思ひ給へらるゝを、かた端もあきらめ聞えさせて慰め侍らばや。例のはしたなく、なさし放たせ給ひそ。いとゞあらぬ世の心地し侍り」と聞え給へれば、「はしたなしと思はれ奉らむとしも思はねど、いさや心ちも例のやうにもおぼえず、かき亂りつゝいとゞはかばかしらぬひがごともやとつゝましうてなむ」と心苦しげにおぼいたれど、「いとほし」などこれかれ聞えて、中のさうじの口にて對面し給へり。いと心はづかしげになまめきて、又この度はねびまさり給ひにけりと目も驚くまでにほひ多く、人にも似ぬ用意などあなめでたの人やとのみ見え給へるを、姬君は面影さらぬ人の御事をさへ思ひ出で聞え給ふに、いとあはれと見奉り給ふ。「つきせぬ御物語なども、今日はこといみすべくや」などいひさしつゝ、「渡らせ給ふべき所近く、この頃過ぐしてうつろひ侍るべければ、夜中曉とつきづきしき人のいひ侍るめる、何事の折にも疎からずおぼしの給はせば、世に侍らむかぎりは聞えさせうけ給はりて、すぐさまほしうなむ侍るを、いかゞはおぼし召すらむ。人の心さまざまに侍る世なればあいなくやなど、一方にもえこそ思ひ侍らね」と聞え給へば、「宿をばかれじと思ふ心深く侍るを、近くなどのたまはするにつけても、よろづに亂れ侍りて聞えさせやるべき方もなくなむ」と、所々いひけちて、いみじくものあはれと思ひ給へるけはひなど、いとようおぼえ給へるを、心からよそのものに見なしつるといとくやしく思ひ給へれど、かひなければそのよの事かけてもいはず、忘れにけるにやと見ゆるまでけざやかにもてなし給へり。御まへ近き紅梅の色も香もなつかしきに、鶯だに見すぐしがたげにうち鳴きて渡るめれば、まして春やむかしのと心を惑はし給ふどちの御物語にをりあはれなりかし。風のさと吹きいるゝに、花の香もまらうどの御にほひも、橘ならねどむかし思ひ出でらるゝつまなり。つれづれのまぎらはしにも世のうきなぐさめにも心とゞめてあそび給ひしものをなど心にあまり給へば、

 「見る人もあらしにまよふ山里にむかしおぼゆる花の香ぞする」。いふともなくほのかにてたえだえ聞えたるを、懷しげにうちずしなして、

 「袖ふれし梅はかはらぬにほひにてねごめうつろふ宿やことなる」。堪へぬ淚をさまよくのごひかくしてこと多くもあらず「又も猶かやうにてなむ何事も聞えさせよるべき」など聞え置きて立ち給ひぬ。御わたりにあるべき事ども人々にのたまひおく。このやどもりに、かの髭がちの殿居人などはさぶらふべければ、このわたりの近きみさうどもなどに、その事どものたまひあづけなどまめやかなる事どもをさへ定め置き給ふ。辨ぞかやうの御供にも思ひかけず、長き命いとつらくおぼえ侍るを、人もゆゝしく思ふべければ、今は世にあるものとも人に知られじとてかたちも變へてけるを、强ひて召し出でゝいとあはれと見給ふ。例の昔物語などせさせ給ひて、「こゝには猶時々は參り來べきを、いとたづきなく心ぼそかるべきを、かくて物し給はむは、いと哀に嬉しかるべきことになむ」などえもいひやらず泣き給ふ。「いとふにはへてのび侍る命のつらく、又いかにせよとてうち捨てさせ給ひけむとうらめしくなべての世を思ひ給へしづむに罪もいかに深く侍らむ」と思ひける事どもをうれへかけ聞ゆるも、かたくなしけれど、いとよく言ひ慰め給ふ。いたくねびにたれど昔淸げなりける名殘をそぎ捨てたれば、額のほどさま變れるに少し若くなりて、さる方にみやびかなり。思ひわびてはなどかゝるさまにもなし奉らざりけむ、それにのぶるやうもやあらまし、さてもいかに心深く語らひ聞えてあらましなど一方ならずおぼえ給ふに、この人さへうらやましければ、かくろへたる几帳を少し引きやりてこまやかにぞ語らひ給ひける。むげに思ひぼけたるさまながら、物うちいひたる氣色用意口をしからずゆゑありける人の名殘と見えたり。

 「さきに立つ淚の川に身をなげば人におくれぬいのちならまし」とうちひそみ聞ゆ。「それもいと罪深かなることにこそ。かの岸にいたること、などかさしもあるまじき事にて深き底に沈みすぐさむもあいなし。すべて空しく思ひとるべき世になむ」などのたまふ。

 「身を投げむ淚の川にしづみても戀しきせゞに忘れしもせじ」。いかならむ世に少しも思ひ慰むることありなむと、はてもなき心ちし給ふ。かへらむ方もなく眺められて日も暮れにけれど、すゞろに旅寢せむも人の咎むることやとあいなければかへり給ひぬ。おもほしのたまへるさまをかたりて、辨はいとゞ慰め難くくれ惑ひたり。皆人は心ゆきたる氣色にて物ぬひいとなみつゝ、老いゆがめるかたちもしらずつくろひさまよふに、いよいよやつして、

 「人は皆急ぎたつめる袖のうらにひとりもしほをたるゝあまかな」とうれへ聞ゆれば、

 「しほたるゝあまの衣にことなれやうきたる浪にぬるゝわが袖。世にすみつかむこともいとありがたかるべきわざとおぼゆれば、さまに隨ひてこゝをばあれはてじとなむおもふを、さらば對面もありぬべけれど、暫しのほども心ぼそくて立ちとまり給ふを見おくに、いとゞ心もゆかずなむ。かゝるかたちなる人も必ずひたぶるにしも堪へ籠らぬわざなめるを、猶世のつねに思ひなして時々も見え給へ」など、いとなつかしう語らひ給ふ。昔の人のもてつかひ給ひしさるべき御調度どもなどは、皆この人にとゞめ置き給ひて、「かく人より深く思ひしづみ給へるを見れば、さきの世もとりわきたる契もやものし給ひけむと思ふさへ、むつましくあはれになむ」とのたまふに、いよいよわらはべの戀ひて泣くやうに心をさめむ方なくおぼゝれ居たり。皆かきはらひよろづとりしたゝめて御車ども寄せて、御ぜんの人々四位五位いとおほかり。御みづからもいみじうおはしまさまほしけれど、ことごとしくなりてなかなかあしかるべければ、唯忍びたるさまにもてなして心もとなくおぼさる。中納言殿よりも、ご前の人々數おほく奉れ給へり。大かたの事をこそ宮よりはおぼし置きつめれ。細やかなるうちうちの御あつかひは唯この殿より思ひよらぬことなくとぶらひ聞え給ふ。日暮れぬべしと、內にもとにも催し聞ゆるに心あわたゞしう、いづちならむと思ふにもいとはかなく悲しとのみおぼえ給ふに、御車に乘る。たいふの君といふ人のきこゆ。

 「ありふればうれしきせにも逢ひけるを身をうぢ河になげてましかば」。うちゑみたるを、辨の尼の心ばへにこよなうもあるかなと心づきなう見給ふ。今ひとり、

 「過ぎにしが戀しきことも忘れねど今日はたまづもゆくこゝろかな」。いづれも年經たる人々にて皆かの御かたをば心よせまほしく聞えためりしを、今はかく思ひ改めてこといみするも心うの世やとおぼえ給へば物もいはれ給はず、道のほどはるけくけはしき山路のありさまを見給ふにぞ、つらきにのみ思ひなされし人の御中のかよひを、ことわりのたえまなりけりと少しおぼし知られける。七日の月のさやかにさし出でたる影をかしく霞みたるを見給ひつゝ、いと遠きにならはず苦しければうちながめられて、

 「ながむれば山よりいでゝ行く月も世にすみわびて山にこそ入れ」。さまかはりてつひにいかならむとのみ危く行く末うしろめたきに、年頃何事をか思ひけむとぞとりかへさまほしきや。宵うち過ぎてぞおはしつきたる。みもしらぬさまに目も輝くこゝちする殿づくりの、三つば四つばなる中にひき入れて、みやいつしかと待ちおはしましければ、御車のもとに自ら寄らせ給ひておろし奉り給ふ。御しつらひなどあるべきかぎりして、女房のつぼねつぼねまで御心とゞめさせ給ひけるほどしるく見えて、いとあらまほしげなり。いかばかりのことにかと見え給へる御有樣の、俄にかく定まり給へば、おぼろげならずおぼさるゝことなめりと、世の人も心にくゝ思ひ驚きけり。中納言は三條の宮に、この廿よ日のほどに渡り給はむとてこの頃は日々におはしつゝ見給ふに、この院近きほどなれば、けはひも聞かむとて夜更くるまでおはしけるに、奉り給へるご前の人々かへり參りて有樣など語り聞ゆ。いみじう御心に入りてもてなし給ふなるを聞き給ふにも、かつは嬉しきものから、さすがに我が心ながらをこがましく胸うち潰れて「物にもがなや」と返す返すひとりごたれて、

 「しなてるやにほのみづうみに漕ぐ船のまほならねどもあひ見しものを」とぞいひくださまほしき。左のおほ殿は、六の君を宮に奉り給はむことこの月にとおぼし定めたりけるに、かく思ひの外の人をこの程よりさきにとおぼし顏にかしづきすゑ給ひて離れおはすれば、いと物しげにおぼしたりと聞き給ふもいとほしければ、御文は時々奉り給ふ。おん裳着のこと、世に響きて急ぎ給へるをのべ給はむも人わらへなるべければ、廿餘日に着せ奉り給ふ。同じゆかりに珍しげなくともこの中納言をこそ人に讓らむが口惜しきに、さもやなしてまし、年頃人しれぬものに思ひけむ人をもなくなして物心ぼそくながめ居給ふなるをなどおぼしよりて、さるべき人して氣色とらせ給ひけれど、世のはかなさを目に近く見しにいと心憂く身もゆゝしくおぼゆれば、いかにもいかにもさやうの有樣は物うくなむとすさまじげなるよし聞き給ひて、いかでかこの君さへおふなおふなこと出づることを、物憂くはもてなすべきぞと恨み給ひけれど、親しき御中らひながらも、人ざまのいと心はづかしげに物し給へば、え强ひても聞え動かし給はざりけり。花盛の程二條院の櫻を見やり給ふに、ぬしなき宿のとまづ思ひやられ給へば、「心やすくや」などひとりごちあまりて、宮の御許に參り給へり。こゝがちにおはしまし着きていとようすみ馴れ給ひにたれば、めやすのわざやと見奉るものから、例のいかにぞや覺ゆる心のそひたるぞあやしきや。されどじちの御心ばへはいとあはれに後やすくぞ思ひ聞え給ひける。何くれと御物語聞えかはし給ひて、夕つかた宮はうちへ參り給はむとて、御車のさうぞくして人々多く參り集まりなどすれば、立ち出で給ひて對の御方へ參りたまへり。山里のけはひひきかへて御簾の內心にくゝ住みなして、をかしげなるわらはのすきかげほのみゆるして御せうそこ聞え給へれば、御褥さし出でゝ、昔の心しれる人なるべし、出で來て御返りきこゆ。「朝夕のへだてもあるまじう思ひ給へらるゝほどながら、その事となくて聞えさせむも、なかなかなれなれしきとがめもやとつゝみ侍る程に、世の中變りにたる心ちのみぞし侍るや。おまへの梢も霞へだてゝ見え侍るに、あはれなる事多くも侍るかな」と聞えて、うち眺めて物し給ふけしき心苦しげなるを、げにおはせましかば、覺束なからず行きかへり、かたみに花の色鳥の聲をも折につけつゝ少し心ゆきてすぐしつべかりける世をなどおぼし出づるにつけては、ひたぶるに堪へ給へりし住ひの心ぼそさよりも飽かず悲しう口惜しきことぞいとゞまさりける。人々も「世の常にうとうとしくなもてなし聞え給ひそ。かぎりなき御心のほどをば、今しもこそ見奉り知らせ給ふさまをも見え奉らせ給ふべけれ」など聞ゆれど、人づてならずふとさし出で聞えむ事の猶つゝましきを、やすらひ給ふ程に、宮出で給はむとて御まかり申しに渡り給へり。いと淸らにひき繕ひけさうじ給ひて見るかひある御さまなり。中納言はこなたになりけりと見給ひて、「などかむげにさし放ちては出しすゑ給へる。御あたりにはあまりあやしと思ふまでうしろやすかりし心よせを、我がためはをこがましきこともやと覺ゆれど、さすがにむげにへだて多からむは罪もこそうれ。近やかにて昔物語もうち語らひ給へかし」など聞え給ふものから「さはありともあまり心ゆるびせむも又いかにぞや。疑はしきしたの心にもぞあるや」とうち返しのたまへば、一かたならずわづらはしけれど、我が御心にもあはれ深く思ひしられにし人の御心を、今しもおろかなるべきならねば、かの人も思ひのたまふめるやうに、いにしへの御かはりとなずらへ聞えて、かう思ひ知りけりと見え奉るふしもあらばやとはおぼせど、さすがにとやかくやと方々にやすからず聞えなし給へば、苦しうおぼされけり。

寄生

その頃藤壺と聞ゆるは故左大臣殿の女御になむおはしける。まだ春宮と聞えさせし時人よりさきに參り給ひにしかば、むつましう哀なる方の御思ひはことに物し給ふめれど、そのしるしと見ゆるふしもなくて年經給ふに、中宮には宮達さへあまたこゝらおとなび給ふめるに、さやうのことも少なくて唯女宮一所をぞ持ち奉り給へりける。わがいと口惜しう人におされ奉りぬる宿世歎かしく覺ゆるかはりに、この宮をだにいかで行末の心も慰むばかりにて見奉らむとかしづき聞え給ふことおろかならず。御かたちもいとをかしくおはすれば帝もらうたきものに思ひ聞えさせ給へり。女一宮を世にたぐひなきさまにもてかしづき聞えさせ給ふに、おほかたの世のおぼえこそ及ぶべうもあらね、うちうちの御有樣はをさをさ劣らず。父おとゞの御いきほひいかめしかりし名殘いたく衰へねば、殊に心もとなきことなどなくて、侍ふ人々のなりすがたよりはじめたゆみなく時々につけつゝとゝのへ好みて、今めかしくゆゑゆゑしきさまにもてなし給へり。十四になり給ふ年、御裳着せ奉り給はむとて春よりうちはじめて、ことごとなくおぼし急ぎて何事もなべてならぬさまにとおぼしまうく。いにしへより傅はりける寶物ども、この折にこそはと搜し出でつゝいみじく營み給ふに、女御夏頃ものゝけに煩ひ給ひていとはかなくうせ給ひぬ。いふかひなく口惜しきことを內にもおぼし歎く。心ばへなさけなさけしく懷しき所おはしつる御方なれば殿上人どもゝ「こよなくさうざうしかるべきわざかな」と惜み聞ゆ。大方さるまじききはの女官などまで忍び聞えぬはなし。宮はまして若き御心ちに心ぼそう悲しくおぼし入りたるを、聞し召して心苦しく哀に思し召さるれば御なゝなぬか過ぐるまゝに忍びて參らせ給へり。日々に渡らせ給ひつゝ見奉らせ給ふ。黑き御ぞにやつれておはするさまいとゞらうたげにあてなる氣色まさり給へり。御心ざまもいとよくおとなび給ひて母女御よりも今少ししづやかにおもりかなる所はまさり給へるを、うしろ安くは見奉らせ給へど、誠には御母方とても後見と賴ませ給ふべきをぢなどやうのはかばかしき人もなし。僅に大藏卿すりのかみなどいふは女御にもこと腹なりけり。殊に世の覺えおもりかにもあらずやんごとなからぬ人々をたのもし人にておはせむに、女は心苦しき事多かりぬべきこそいとほしけれなど、御心ひとつなるやうにおぼしあつかふも安からざりけり。お前の菊うつろひはてゞ盛なる頃空の氣色も哀にうちしぐるゝにも、まづこの御方に渡らせ給ひて昔のことなど聞えさせ給ふに、御いらへなどもおほどかなるものからいはけなからずうち聞えさせ給ふをうつくしく思ひ聞えさせ給ふ。かやうなる御さまを見知りぬべからむ人のもてはやし聞えむもなどかはあらざらむ。朱雀院の姬宮を六條院に讓り聞え給ひしをりの定めどもなどおぼし出づるに暫しはいでや飽かずもあるかな、さらでもおはしなましと聞ゆる事どもありしかど、源中納言の人より異なるありさまにてかく萬を後見奉るにこそ、そのかみの御おぼえ衰へずやんごとなきさまにてはながらへ給ふめれ、さらずば御心より外なる事ども出できておのづから人にかろめられ給ふこともやあらましなどおぼしつゞけて、ともかくも御覽ずる世にや思ひ定めましとおぼしよるには、やがてその序のまゝにこの中納言より外によろしかるべき人またなかりけり。宮逹の御傍にさし並べたらむに何事もめざましくはあらじを、もとより思ふ人もたりとて聞きにくき事などうちまずまじうはたあめるを、遂にはさやうの事なくてしもえあらじ、さらぬさきにさもやほのめかしてましなど折々おぼしめしけり。御碁などうたせ給ふ。暮れ行くまゝに時雨をかしき程に花の色も夕ばえしたるを御覽じて、人めして「唯今殿上に誰々か」と問はせ給ふに「中務のみこ、かんづけのみこ、中納言源の朝臣さぶらふ」と奏す。「中納言の朝臣こなたに」と仰せごとありて、參り給へり。げにかく取りわきて召し出づるもかひありて遠く薰れる匂ひより始め人に異なるさまし給へり。「今日のしぐれ常より殊に長閑なるを、遊などすさまじき方にていとつれづれなるを、いたづらに日を送るたはぶれにてもこれなむよかるべき」とて碁盤召し出でゝ御碁のかたきに召しよす。いつもかやうにけ近くならしまつはし給ふにならひたれば、さにこそはと思ふに、「よきのりものはありぬべけれど、かるがるしくはえ渡すまじきを何をかは」などのたまはする御氣色いかゞ見ゆらむ、いとゞ心づかひして侍ひ給ふ。さてうたせ給ふに三番にかずひとつ負けさせ給ひぬ。「ねたきわざかな」とて「まづ今日はこの花一枝ゆるす」とのたまはすれば、御いらへ聞えさせでおりておもしろき枝を折りて參り給へり。

 「世のつねの垣根ににほふ花ならば心のまゝに折りて見ましを」と奏し給へる、用意あさからず見ゆ。

 「霜にあへず枯れにし園の菊なれど殘の色はあせずもあるかな」とのたまはす。かやうに折々ほのめかさせ給ふ御氣色を人づてならずうけ給はりながら例の心のくせなればいそがしくしも覺えず。いでや本意にもあらずさまざまにいとほしき人々の御ことゞもをもよく聞き過ぐしつゝ年經ぬるを今さらにひじりやうのものゝ世にかへり出でむ心ちすべきことゝ思ふもかつはあやしや。殊更に心を盡す人だにこそあなれとは思ひながら、后腹におはせばしもと覺ゆる心のうちぞあまりおほけなかりける。かゝる事を左大臣殿ほの聞き給ひて、六の君はさりともこの君にこそはしぶしぶなりともまめやかに恨みよらば遂にはえいなびはてじとおぼしつるを、思のほかなる事出できぬべかめりと妬くおぼされければ、兵部卿の宮はた、わざとにはあらねど折々につけつゝをかしきさまに聞え給ふ事絕えざりければ、さばれなほざりの御すきにはありともさるべきにて御心とまるやうもなどかなからむ、水もるまじく思ひ定むとてもなほなほしききはにくだらむはたいと人わろく飽かぬこゝちすべしなどおぼしなりにたり。「女ごうしろめたげなる世の末にてみかどだに婿もとめ給ふめる世にましてたゞ人のさかりすぎむもあいなし」などそしらはしげにのたまひて、中宮にもまめやかに恨み申し給ふこと度かさなりければ、きこしめし煩ひて「いとほしくかくおふなおふな思ひ心ざして年へたまひぬるをあやにくに遁れ聞え給はむもなさけなきやうならむ。みこたちは御後見からこそともかくもあなれ、うへの御世も末になり行くとのみおぼしのたまふめるをたゞ人こそひとかたにさだまりぬれば又心をわけむこともかたげなめれ。それだにかのおとゞのいとまめだちながらこなたかなたうらやみなくもてなしてものし給はずやはある。ましてこれは思ひおきて聞ゆることもかなはゞあまたも侍はむになどかあらむ」など例ならずことつゞけてあるべかしう聞えさせ給ふに、我が御心にももとよりもてはなれてはたおぼさぬことなればあながちにはなどてかはあるまじきさまにも聞えさせ給はむ、唯いとことうるはしげなるあたりにとりこめられて心安くならひ給へるありさまの所せからむことをなまぐるしくおぼすに物うきなれど、げにこのおとゞにあまりゑんぜられてむもあいなからむなどやうやうおぼしよわりにたるなるべし。あだなる御心なればかのあぜちの大納言の紅梅の御方をもなほおぼしたえず、花紅葉につけてものたまひ渡りつゝ、いづれをもゆかしうはおぼされけり。されどその年は變りぬ。女二宮も御ぶくはてぬればいとゞ何事にかは憚り給はむ。「さも聞え出でばとおぼし召したる御けしきになむ」と吿げ聞ゆる人々もあるを、あまりしらず顏ならむもひがひがしうなめげなりなどおぼしおこして、さるべきたよりしてけしきばみ聞え給ふをりをりもあるに、はしたなきやうはなどてかはあらむ。その程におぼし定めたなりとつてにも聞きみづから御氣色をも見れど、心のうちには猶飽かで過ぎ給ひにし人の悲しさのみ忘らるべき世なくおぼゆれば、うたてかく契深く物し給ひける人のなどてかはさすがにうとくてはすぎにけむと心得難く思ひ出でらる。口惜しきしななりともかの御ありさまに少しも覺えたらむ人は心もとまりなむかし。昔ありけむ香の烟につけてだに今ひとたび見奉るものにもがなとのみ覺えて、やんごとなき方ざまにいつしかなどは急ぐ心もなし。左のおほい殿には急ぎたちて八月ばかりにと聞え給ひてけり。二條院の對の御方には聞き給ふに、さればよ、いかでかは數ならぬ有樣なめれば、必ず人笑へに憂き事出でこむものぞとは思ふおもふ過しつる世ぞかし、あだなる御心と聞き渡りしをたのもしげなく思ひながら、めに近くては殊につらげなることも見えず哀に深き契をのみし給へるを、俄にかはり給はむほどいかゞはやすき心地はすべからむ、たゞ人のなからひなどのやうにいとしも名殘なくなどはあらずとも、いかにやすげなきこと多からむ、猶いと憂き身なめれば遂には山住みに歸るべきなめりなどおぼすにも、やがて跡絕えなましよりは山がつの待ち思はむも人笑へなりかし、かへすがへすも故宮ののたまひ置きしことにたがひて草のもとおかれにける心かるさを恥しうもつらくも思ひ知られ給ふ。故姬君のいとしどけなくものはかなきさまにのみ何事をも思しのたまひしかど、心の底のつしやかなる所はこよなくもおはしけるかな、中納言の君の今に忘らるべき世なく歎き渡り給ふめれど、若し世におはせましかば又かやうにおぼす事はありもやせまし、それをいとふかういかでさはあらじと思ひ入り給ひてとざまかうざまにもて離れむことをおぼしてかたちをもかへてむとし給ひしぞかし、必ずさるさまにてぞおはせまし、今思ふに、いかにおもりかなる御心おきてならまし、なき御かけどもゝ我をばいかにこよなきあはつけさと見給ふらむと恥しう悲しくおぼせど、何かはかひなきものからかゝるけしきをも見え奉らむと忍びかへしつゝ聞きも入れぬさまにてすぐし給ふ。宮は常よりも哀になつかしうおきふし語らひ契りつゝ、この世のみならず長きことをのみぞたのめ聞え給ふ。さるはこのさつきばかりより例ならぬさまに惱しうし給ふこともありけり。こちたく苦しがりなどはし給はねど常よりも物參ることいとゞなくふしてのみおはするを、まださやうなる人の有樣などよくも見知り給はねば、たゞあつき頃なればかくおはするなめりとぞおぼしける。さすがに怪しとおぼし咎むることもありて「もしいかなるぞ。さる人こそさやうには惱むなれ」などのたまふ折もあれど、いと恥しうし給ひてさりげなくのみもてなし給へるを、さし過ぎ聞え出づる人もなければたしかにも得知り給はず。八月になりぬればその日などほかよりぞ傅へ聞き給ふ。宮は隔てむとにはあらねどいひ出でむ程心苦しういとほしくおぼされてさものたまはぬを女君はそれさへぞ心憂く覺え給ふ。忍びたることもあらず世の中なべて知りたることをその程などだにのたまはぬことゝ、いかゞうらめしからざらむ。かく渡り給ひにし後はことなることなければうちに參り給うてもよるとまることはことにし給はず、こゝかしこの御よがれなどもなかりつるを、俄にいかに思ひ給はむと心苦しきまぎらはしに、この頃は時々御とのゐとて參りなどし給ひつゝかねてよりならはし聞え給ふをも唯つらき方にのみぞ思ひおかれ給ふべき。中納言殿もいといとほしきわざかなと聞き給ふに、花ごゝろにおはする宮なれば哀とはおぼすともいまめかしきかたに必ず御心うつろひなむかし、女がたもいとしたゝかに物し給ふわたりにてゆるびなく聞えまつはし給はゞ月頃もさもならひ給はで待つ夜おほく過し給はむこそ哀なるべけれなど思ひよるにつけても、あいなしや、我が心よ何しにゆづり聞えけむ、昔の人に心をしめてし後大方の世をも思ひ離れて住みはてたりしかたの心も濁りそめしかば、唯かの御事をのみとざまかうざまには思ひながらさすがに人の心許されであらむことは始より思ひしほいなかるべしと憚りつゝ、唯いかにして少しも哀と思はれてうち解け給へらむ氣色をも見むと行くさきのあらましごとのみ思ひ續けしに、人は心にもあらずもてなしてさすがに一かたにてもえさし放つまじう思ひ給へるなぐさめに、同じ身ぞといひなしてほいならぬかたにおもむけ給ひしが妬くうらめしかりしかば、まづその心おきてをたがへむとて急ぎせしわざぞかしなど、あながちにめゝしう物ぐるほしくゐてありきたばかり聞えしほど思ひ出づるもいとけしからざりける心かなと返す返すぞくやしき、宮もさりともその程の有樣思ひ出で給はゞわが聞かむ所をも少しは憚り給はじやと思ふに、いでや今はそのをりのことなどかけてものたまひ出でざめりかし。猶あだなるかたに進み移りやすなる人は、女のためのみにもあらず、たのもしげなくかるがるしきこともありぬべきなめりかしなどにくゝ思ひ聞え給ふ。わが誠にあまりひとかたにしみたる心ならひに人はいとこよなくもどかしく見ゆるなるべし、かの人をむなしう見奉りなしてし後おもふには、帝の御むすめをたまはむとおぼしおきつるも嬉しくもあらず、この君をえましかばとおぼゆる心の月日にそへてまさるも唯かの御ゆかりと思ふに思ひ離れがたきぞかし、はらからといふ中にも限なく思ひかはし給へりしものを今はとなり給ひにしはてにもとまらむ人を同じことゝ思へとて萬は思はずなることもなし、唯かの思ひおきてしさまをたがへ給へるのみなむ、口惜しううらめしきふしにてこの世には殘りぬべきとのたまひしものを、あまがけりてもかやうなるにつけてはいとゞつらしとや見給ふらむなど、つくづくと人やりならぬひとりねし給ふよなよなは、はかなき風の音にもめのみさめつゝきしかた行くさきの人の上さへあぢきなき世を思ひめぐらし給ふ。なげのすさみに物をもいひふれけぢかくつかひならし給ふ人々の中には、おのづからにくからずおぼさるゝもありぬべけれど、誠には心とまるもなきこそさはやかなれ、さるはかの君達のほどに劣るまじききはの人々も、時世に隨ひつゝ衰へて心細げなる住まひするなどを尋ねとりつゝあらせなどいと多かれど、今はと世を背きはなれむ時この人こそとりたてゝ心とまるほだしになるばかりのことはなくて過ぐしてむと思ふ心づかひ深かりしを、いでさもわろくわが心ながらねぢけてもあるかななど、常よりもやがてまどろまず明し給へるあしたに、霧のまがきより花のいろいろおもしろく見えわたる中に、朝顏のはかなげにてまじりたるを猶殊にめとまる心ちし給ふ。あくるまさきてとか常なき世にもなずらふるが心苦しきなめりかし。格子もあげながらいとかりそめにうち臥しつゝ明し給へば、この花の開くる程をも唯一人のみぞ見給ひける。人召して、「北の院に參らむに、ことごとしからぬ車さしいださせよ」とのたまへば「宮は昨日よりうちになむおはしますなる。よべ御車ゐてかへり侍りにき」と申す。「さばれ、かの對の御方の惱み給ふなるとぶらひ聞えむ。今日はうちに參るべき日なれば日たけぬさきに」とのたまひて御さうぞくし給ふ。出で給ふまゝにおりて花の中にまじり給へるさまも殊更にえんだち色めきてももてなし給はねど、怪しうたゞうち見るになまめかしう耻しげにていみじうけしきだつ色ごのみどもになずらふべくもあらず、おのづからをかしうぞ見え給ひける。朝顏をひきよせ給ふに、露いたうこぼる。

 「けさのまの色にやめでむおく露の消えぬにかゝる花とみるみる。はかな」などひとりごちてをりても給へり。女郞花をばみすぎてぞ出で給ひぬる。明けはなるゝまゝに霧たちみちたる空をかしきに、女どちはしどけなくあさいし給へらむかし、格子妻戶などうちたゝきこわづくらむこそうひうひしかるべけれ、あさまだきまだき來にけりと思ひながら、人めして中門のあきたるより見せ給へば「み格子ども皆まゐりて侍るべし。女房のけはひなどし侍りつ」と申せば、おりて霧のまぎれにさまよく步み入り給へるを、宮の忍びたる所より歸り給へるにやと見るに、露にうちしめり給へるかをり例のいとさまことに匂ひくれば猶めざましうおはすかし。「心をあまりをさめ給へるこそにくけれ」などあいなく若き人々などは聞えあへり。驚きがほにもあらずよきほどに打ちそよめきて御しとねさし出でなどするさまもいとめやすし。「これに侍へと許させ給ふほどは人々しきこゝちすれど、猶かゝるみすのまへにさし放たせ給へるうれはしさになむしばしばも得さぶらはぬ」とのたまへば、さらばいかゞは侍るべからむ」と聞ゆ。北おもてなどやうのかくれぞかし。「かゝるふるびとなどのさぶらはむにことわりなるやすみどころはそれもまた唯御心なれば憂へ聞ゆべきにも侍らず」とてなげしにおしかゝりて坐すれば、例の人々「猶あしこもとに」などそゝのかし聞ゆ。もとよりけはひはやりかに雄々しくなどは物し給はぬ人がらなるをいよいよしめやかにもてなしをさめ給へれば、今はみづから聞え給ふこともやうやううたてつゝましかりしかた、少しづゝうすらぎておもなれ給ひにたり。「惱ましうおぼさるらむさまもいかなれば」など問ひ聞え給へどはかばかしくも御いらへ聞え給はず、常よりもしめり給へるけしきの心苦しきも哀におしはかられ給ひて、こまやかに世の中のあるべきやうなどをはらからやうのものゝあらましやうに敎へ慰め聞えたまふ。聲などもわざと似給へりとも覺えざりしかど、あやしきまで唯それとのみ聞ゆるに、人め見苦しかるまじくはすだれもひきあけてさしむかひ聞えまほしく、うち惱み給へらむかたちゆかしう覺え給ふも、猶世の中に物思はぬ人もえあるまじきわざにやあらむとぞ思ひ知られ給ふ。人々しくきらきらしきかたには侍らずとも心に思ふことあり、なげかしく身をもてなやむさまになどはなくて過ぐしつべきこの世とみづから思ひ給へしを、心から悲しきこともをこがましく悔しき物思ひをもかたがたに安からず思ひ侍るこそいとあいなけれ。つかさくらゐなどいひて大事にすめることわりのうれへにつけて歎き思ふ人よりも、これや今少し罪の深さはまさるらむ」などいひつゝをり給へる花を扇にうち置きて見居給へるが、やうやうあかみもて行くもなかなか色はひをかしう見ゆれば、やをらさしいれて、

 「よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顏の花」。ことさらびてしももてなさぬに露を落さでもたまへりけるよとをかしく見ゆるに、おきながら枯るゝけしきなれば、

 「消えぬまにかれぬる花のはかなさにおくるゝ露はなほぞまされる。何にかゝれる」といと忍びてこともつゞけずつゝましげにいひけち給へるほど猶いとよく似給へるかなと思ふにもまづぞかなしき。「秋の空は今少しながめのみまさり侍る。つれづれのまぎらはしにもとてさいつころ宇治に物して侍りき。庭もまがきもまとにあれはてゝ侍りしに堪へがたきこと多くなむ。故院のうせ給ひて後、二三年ばかりの末に世をそむき給ひし、嵯峨の院にも六條院にもさしのぞく人の心をさめむ方なくなむ侍りける。木草の色につけても水の流にそへても淚にくれてのみなむ歸り侍りける。かの御あたりの人はかみしも心淺き人なくなむ惑ひ侍りけるまゝに、かたがたつどひものせられける人々も皆ところどころにあがれちりつゝおのおの思ひ離るゝ住まひをし給ふめりしに、はかなき程の女房などはまして心をさめむかたなく覺えけるまゝに、物覺えぬ心にまかせつゝ山はやしに行きまじり、すゞろなる田舍人になりなど哀に惑ひちるこそ多く侍りけれ。さてなかなか皆あらしはて忘草おほして後なむこの左のおとゞも渡りすみ、宮達などもかたがたものし給へば昔に返りたるやうに侍るめる。さる世にたぐひなき悲しさと見給へしほどのことも、年月ふれば思ひさますをりの出でくるにこそはと見給ふるに、げにかぎりあるわざなりけりとなむ見え侍りし。かくは聞えさせながらも、かのいにしへの悲しさはまだいはけなく侍りける程にていとさしもしまぬにや侍りけむ。猶この近き夢こそさますべきかたなく思ひ給へらるゝはおなじごと世の常なきかなしびなれど、罪深きかたはまさりて侍るにやとそれさへなむ心憂く侍る」とて泣き給へるほどいと心深げなり。むかしの人をいとしも思ひ聞えざらむ人だに、この人の思ひ給へる御けしきを見むにはすゞろにたゞにもあるまじきを、まいてわれも物を心ぼそく思ひ亂れ給ふにつけては、いとゞ常よりも面影に戀しく悲しく思ひ聞え給ふ心なれば、今すこしもよほされて物も得聞え給はずためらひかね給へるけはひをかたみにいと哀と思ひかはし給ふ。「世のうきよりはなど人はいひしをも、さやうに思ひくらぶる心もことになくて年ごろは過し侍りしを、今なむ猶いかでしづかなるさまにても過さまほしく思ひ給ふるを、さすがに心にもかなはざめれば辨の尼こそうらやましく侍れ。この二十日あまりの程はかの近き寺の鐘の聲も聞き渡さまほしく覺え侍るを、忍びて渡させ給ひてむやと聞えさせばやとなむ思ひ侍りつる」とのたまへば「あらさじとおもほすとも、いかでかは。心やすきをのこだにいとゆきゝのほどあらましき山道に侍れば思ひつゝなむ月日も隔たり侍る。故宮の御忌日は、かの阿闍梨にさるべき事ども皆いひおき侍りにき。かしこは猶たふときかたにおぼしゆづりてよ。時々見給ふるにつけては心惑ひの絕えせぬもあいなきに罪うしなふさまになし侍りなばやとなむ思ひ侍るを、またいかゞ思しおきつらむ。ともかくも定めさせ給はむに隨ひてこそはとてなむ。あるべからむやうにのたまはせよかし。何事もうとからずうけたまはらむのみこそほいかなふにては侍らめ」などまめだちたることゞもを聞え給ふ。經佛などこの上も供養じ給ふべきなめり。かやうなるついでにことつけてやをら籠り居なばやとおもむけ給へるけしきなれば、「いとあるまじきことなり。猶何事も心のどかにおぼしなせ」など敎へ聞え給ふ。日さしあがりて人々參り集まりなどすればあまり長居もことあり顏ならむによりいで給ひなむとて、「いづこにてもみすのとにはならひ侍らねばはしたなき心ちし侍りてなむ。今又かやうにもさぶらはむ」とて立ち給ひぬ。宮のなどかなき折にはきつらむと思ひ給ひぬべき御心なるもわづらはしくて、侍のべたうなる右京のかみ召して「よべまかでさせ給ひぬと承りて參りつるをまだしかりければ口惜しきを、うちにや參るべき」とのたまへば「今日はまかでさせ給ひなむ」と申せば「さらば夕つ方も」とて出で給ひぬ。猶この御けはひありさまを聞き給ふたびごとに、などて昔の人の御心おきてをもてたがへて思ひぐまなかりけむと、くゆる心のみまさりて心にかゝりたるもむつかしく、なぞや人やりならぬ心ならむと思ひかへし給ふ。そのまゝにいまださうじにていとゞおこなひをのみし給ひつゝ明し暮したまふ。母宮は猶いと若くおほどきて物しどけなき御心にも、かゝる御けしきをいとあやふくゆゝしとおぼして「いく世しもあらじを、見奉らむほどはかひあるさまにて見え給へ。世の中を思ひ捨て給はむをもかゝる身にてはさまたげ聞ゆべきにもあらぬを、この世にてはいふかひなき心地すべき心惑ひにいとゞ罪やうらむ」とのたまふが辱くいとほしくて、よろづを思ひけちつゝ御前にては物思ひなきさまをつくり給ふ。左のおほい殿には六條院の東のおとゞを磨きしつらひて限なくよろづをとゝのへて待ち聞え給ふに、いざよひの月やうやうさしあがるまで心もとなければ、いとしも御心にいらぬことにていかならむと安からずおぼしてあないし給へば、「この夕つかたうちより出で給ひて二條院になむおはしますなる」と人申す。おぼす人も給へればと心やましけれど、こよひ過ぎぬも人わらへなるべければ、御子の頭中將して聞え給へり。

 「大ぞらの月だにやどるわが宿にまつよひすぎて見えぬ君かな」。宮はなかなか今なむとも見えじ心苦しとおぼしてうちにおはしけるを、御文聞え給へりける。御返りやいかゞありけむ。猶いと哀におぼされければ忍びて渡り給へりけるなり。らうたげなる有樣を見捨てゝ出づべき心ちもせず、いとほしければよろづに契りつゝ慰めかねてもろともに月を眺めておはするほどなりけり。女君は日頃もよろづに思ふ事多かれどいかでけしきにいださじとよろづに念じ返しつゝつれなきさまし給ふことなれば、殊に聞きも咎めぬさまにおほどかにもてなしておはするさまいと哀なり。中將の參り給へるを聞き給ひて、さすがにかれもいといとほしければ出で給はむとて、「今いと疾く參りこむ。ひとり月な見給ひそよ。心そらなればいと苦し」と聞えおき給ひて、なまかたはらいたければかくれのかたより寢殿へ渡り給ふ。御うしろでを見送るに、ともかくも覺えねど唯枕のうきぬべき心ちのすれば、心憂きものは人の心なりけりとわれながら思ひ知らる。をさなきほどより心ぼそく哀なる身どもにて世の中を思ひとゞめたるさまにもおはせざりし。一所をたのみ聞えさせてさる山里に年經しかど、唯いつとなくつれづれにすごうはありながらいとかく心にしみて世をうきものとも思ひ知らざりしに、打ち續きあさましき御事どもを思ひし程は世に又とまりて片時ふべくもおぼえず戀しう悲しきことのたぐひあらじと思ひしを、命長くて今までもながらふれば人の思ひたりし程よりは人かずにもなるやうなる有樣を長かるべきことゝは思はねど、見るかぎりはにくげなき御心ばへもてなしなるに、やうやう思ふこと薄らぎてありへつるを、このふしの身のうさはたいはむかたなく限と覺ゆるわざなりけり。ひたすら世になくなり給ひにし人々よりはさりともこれは時々もなどかはとも思ふべきを、今宵かく見捨てゝ出で給ふつらさにきしかた行くさき皆かきみだり心細くいみじきが我が心ながら思ひやるかたなく心憂くもあるかな、おのづからながらへばなど慰めむことをおもふに、更に姨捨山の月のみすみのぼりて夜更くるまゝによろづ思ひ亂れたまふ。松風の吹きくる音も、あらましかりし山おろしに思ひくらぶればいとのどかに懷かしうめやすき御住まひなれど、今宵はさもおぼえず、椎の葉のおとには劣りておぼゆ。

 「山里のまつのかげにもかくばかり身にしむあきの風はなかりき。きしかたは忘れにけるにやあらむ」。おいびとどもなど「今はいらせ給ひね。月見るは忌み侍るものを。あさましうはかなき御くだものをだに御覽じ入れねばいかならせ給はむ。あな見苦しや。ゆゝしう思ひ出でらるゝことも侍るを、いとこそわりなけれ」などいふ。若き人々は「心うの世や」とうち歎きて「この御ことよ、さりともかくておろかにはよもなりはて給はじ。さいへど、もとの志深う思ひそめたる中は名殘なからぬものぞ」などいひあへるもさまざまに聞にくゝ、今はいかにもいかにもかけていはざらなむ、たゞにこそ見めとおぼさるゝは、人にはいはせじわれひとり恨み聞えむとにやあらむ。いでや中納言殿のさばかり哀なる御心深さをなどそのかみの人々はいひあはせて、人の御すくせのあやしかりけることよといひあへり。宮はいと心苦しくおぼしながら色めかしき御心は、いかでめでたきさまに待ち思はれむと心げさうして、えならずたきしめ給へる御けはひいはむ方なし。まちつけ給へる所の有樣もいとをかしかりけり。人の御程さゝやかにあえかになどはあらでよきほどになりあひたる心ちし給へるを、いかならむものものしくあざやぎて心ばへもたをやかなるかたはなく物ほこりかになどやあらむ、さあらむこそうたてあるべけれなどおぼせど、さやうなる御けはひにはあらぬにや御志おろかなるべうもおぼされざりけり。秋の夜なれどふけにしかばにや程もなく明けぬ。歸り給ひても對へはふとも得渡り給はず。しばしおほとのごもりて起きてぞ御文書き給ふ。「御けしきけしうはあらぬなめり」とおまへなる人々つきじろふ。「對の御方こそ心苦しけれ。あめのしたにあまねき御心なりともおのづからけおさるゝこともありなむかし」などたゞにしもあらず皆馴れ仕う奉りたる人々なれば、やすからずうちいふことゞもありて、すべて猶妬げなるわざにぞありける。御返りもこなたにてこそはとおぼせど夜のほどの覺束なさも常のへだてよりはいかゞと心苦しければ急ぎわたり給ふ。ねくたれの御かたち、いとめでたくみどころありていり給へるに、ふしたるもうたてあれば少し起きあがりておはするに、打ち赤み給へる顏のにほひなど今朝しもことにをかしげさまさりて見え給へば、あいなく淚ぐまれてしばしうちまもり聞え給ふを、恥しくおぼしてうちうつぶし給へる髮のかゝりかんざしなど猶いとありがたげなり。宮もなまはしたなきにこまやかなることなどはふともえ言ひ出で給はず、おもがくしにや、「などかくのみなやましげなる御けしきならむ。あつきほどのこととかのたまひしかば、いつしかとすゞしきほど待ち出でたるも猶はればれしからぬは見苦しさわざかな。さまざまにせさすることもあやしうしるしなき心地のみこそすれ。さはありともずほふはまたのべてこそはよからめ。しるしあらむ僧もがな。なにがし僧都をぞよゐにさぶらはすべかりける」などやうなるまめごとをのたまへば、かゝるかたにもことよきは心づきなく覺え給へど、むげにいらへ聞えざらむもれいならねば、「昔もあやしう人に似ぬありさまにてかやうの折は侍りしかど、おのづからいとよくをこたるものを」とのたまへば、「いとよくこそさはやかなれ」と打ち笑ひて、なつかしうあいぎやうづきたるかたはこれにならぶ人はあらじかしと思ひながら、猶又とくゆかしきかたの心いられも立ちそひ給へるは御志のおろかにもあらぬなめりかし。されど見給ふほどはかはるけぢめもなきにや、後の世までと誓ひたのめ給ふことゞものつきせぬを聞くにつけても、「げにこの世はいと短かゝめる。命まつまもつらき御心に見えぬべければ後の契やたがはぬ事もあらむと思ふにこそ、猶こりずまに又もたのまれぬべけれ」とていみじうねんずべかめれど得忍びあへぬにやけふは泣き給ひね。日ごろもいかでかく思ひけりと見え奉らじとよろづに思ひまぎらはしつるを、さまざまに思ひ集むることし多かればさのみもえもて隱されぬにや、こぼれそめてはとみにもえためらひ給はぬを、いと恥しく侘しと思ひていたくそむき給へば、しひてひきむけ給ひつゝ、「聞ゆるまゝに哀なる御有樣と見つるを、猶隔てたる御心こそ物し給ひけれな。さらずば夜の程におぼしかはりにたるか」とてわが御袖して淚をのごひ給へば、「夜のまの心がはりこそのたまふにつけて推しはかられ侍りぬれ」とて少しほゝゑみぬ。げにあが君や、をさなの御物いひや。されど誠には心にくまのなければいと心やすし。いみじうことえりして聞ゆともいとしるかるべきわざぞ。むげに世のことわりを知り給はぬこそらうたきものからわりなけれ。よしわが御身になしても思ひめぐらし給へ。身を心ともせぬ有樣なりかし。若し思ふやうなる世もあらば人にまさりける志の程も知らせ奉るべきひとふしなむある。たはやすくこといづべきことにもあらねば命のみこそ」などのたまふほどに、かしこに奉り給へる御使、いといたうゑひすぎにければ少し憚るべきことも忘れて、けざやかにこの南おもてに參れり。あまの苅るめづらしきたまもにかづきうづもれたるを、さなめりと人々見る。いつの程に急ぎ書き給ひつらむと見るも安からずはありけむかし。客もあながちにかくすべきにはあらねど、さしぐみは猶いとほしきを少しの用意はあれかしとなまかたはらいたけれど、いまはかひなければ女房して御文とり入れさせ給ふ。同じくは隔なきさまにもてなしはてゝむとおぼしてひきあげ給へるに、まゝはゝの宮の御手なめりと見ゆれば今少し心安くてうち置き給へり。せんじがきにてもうしろめたのわざや。「さかしらはかたはらいたさにそゝのかし侍れど、いとなやましげにてなむ。

  女郞花しをれぞまさるあさ露のいかに置きけるなごりなるらむ」。あでやかにをかしう書き給へり。「かごとがましげなるもわづらはしや。誠は心安くてしばしはあらむと思ふ世を、思のほかにもあるかな」などはのたまへど又二つなくてさるべきものに思ひならひたるたゞ人の中こそかやうなることのうらめしさなども見る人苦しくはあれ、思へばこれはいとかたし、つひにかゝるべき御事なり。宮達と聞ゆる中にもすぢことに世の人思ひ聞えたれば、いくたりもいくたりもえ給はむことももどきあるまじければ、人もこの御方をいとほしなど思ひたらぬなるべし、かばかりものものしくかしづきすゑ給ひて、心苦しきかたおろかならずおぼしたるをぞさいはひおはしけるときこゆる、みづからの心にも、あまりにならはし給ひて、俄にはしたなかるべきがなげかしきなめり、かゝる道をいかなれば淺からず人の思ふらむと、昔物語などを見るにも人の上などにてもあやしう聞き思ひしはげにおろかなるまじきわざなりけりと、わが身になしてぞ何事も思ひ知られ給ひける。宮は常よりも哀にうち解けたるさまにもてなし給ひて、「むげに物參らざなるこそいとあしけれ」などのたまひて、よしある御くだもの召しよせ、又さるべき人めして殊更にてうぜさせ給ひなどしつゝそゝのかし聞え給へどいとはるかにのみおぼしたれば「見苦しきわざかな」と歎き聞え給ふに、暮れぬれば夕つ方寢殿へ渡り給ひぬ。風凉しくおほかたの空をかしき頃なるに、今めかしきにすゝみ給へる御心なれば、いとゞしくえんなるに、物おもはしき人の御心の中はよろづに忍びがたき事のみぞ多かりける。ひぐらしの鳴く聲にも山の陰のみ戀しくて、

 「おほかたにきかましものをひぐらしの聲うらめしき秋の暮かな」。今宵はまだふけぬにいで給ふなり。御さきの聲の遠くなるまゝにあまも釣するばかりになるも、我ながらにくき心かなと思ふ思ふ聞き臥し給へり。はじめより物を思はせ給ひし有樣などを思ひ出づるもうとましきまでおもほゆ。このなやましき事もいかならむとすらむ、いみじう命短きぞうなれば、かやうならむついでにもやはかなくなりなむとすらむなど思ふには惜しからねど、悲しうもあり又いと罪深うもあなるものをなどまどろまれぬまゝに思ひ明し給ふ。その日はきさいの宮なやましげにおはしますとて、誰も誰も參りつどひ給へれど、いさゝかなる御かぜにおはしましければことなることもおはしまさずとて、おとゞは晝まかで給ひにけり。中納言の君さそひ聞え給ひてひとつ御車にてぞまかで給ひにける。今宵の儀式いかならむ、淸らを盡さむとおぼすべかめれど限あらむかし。この君も心恥しけれど、したしきかたの覺えはわがかたざまに又さるべき人もおはせず、物のはえにせむに心ことにはたおはする人なればなめりかし。例ならずいそがしうまうで給ひて、人の御うへに見なしたるを、口惜しとも思へらず、なにやかやともろ心にあつかひ給へるを、おとゞは人知れずなまねたしとぞおぼしける。よひ少し過ぐる程におはしましたり。寢殿の南の廂ひんがしによりておまし參れり。御臺八つ、例の御皿などうるはしげに淸らにて又ちひさき臺二つにけそくの皿どもいといまめかしうせさせ給ひてもちひ參らせ給へり。珍しからぬことかきおくこそにくけれ。おとゞ渡り給ひて、「夜いたう更けぬるを」と女房してそゝのかし聞え給へどいとあされてとみにも出で給はず、北の方の御はらからの左衞門督藤宰相などばかり物し給ふ。辛うじて出で給へる御さまいと見るかひある心ちす。あるじの頭中將御盃さゝげて御臺まゐる。つぎつぎの御かはらけ、二たび三たびまゐり給ふ。源中納言のいたうすゝめ給へるに宮少しほゝゑみ給へり。わづらはしきわたりをとふさはしからず思ひていひしをおぼし出づるなめり。されど見知らぬやうにていとまめなり。ひんがしのたいに出で給ひて御供の人々もてはやし給ふ。おぼえある殿上人どもいとおほかり。四位六人は女のさうぞくにほそながそへて、五位十人はみへがさねのからぎぬ、もの腰も皆けぢめあるべし。六位四人は綾のほそなが、袴などかつは限あることを飽かずおぼしければ、物の色しざまなどをぞ淸らをつくし給へりける。めしつぎとねりなどの中にみだりがはしきまでいかめしうなむありける。げにかくにぎはゝしう華やかなることは、見るかひあれば物語などにもまづいひたてたるにやあらむ。されどくはしうはえぞ算へたてざりけるとや。中納言殿のごぜんの中に、なまおぼえあざやかならぬや暗きまぎれに立ちまじりたりけむ。かへりてうち歎きて、「わが殿のなどかおいらかにこの殿の御婿にうちならせ給ふまじき。あぢきなき御ひとりずみなりや」と中門のもとにてつぶやきけるを聞きつけ給ひてをかしとなむおぼしける。夜の更けてねぶたきに、かのもてかしづかれける人々は心地よげにゑひみだれてよりふしぬらむかしと、うらやましきなめりかし。君は入りて臥し給ひて、はしたなげなるわざかな、ことごとしげなるさましたる親の出でゐて離れぬなからひなれど、これかれ火あかうかゝげてすゝめ聞ゆる盃などをいとめやすくもてなし給ふめりつるかなと、宮の御ありさまをめやすく思ひ出で奉り給ふ。げに我にてもよしと思ふをんなごをもたらましかば、この宮をおき奉りてうちにだにえ參らせざらましと思ふに、誰も誰も宮に奉らむと心ざし給へるむすめは猶源中納言にこそと、とりどりにいひならぶなるこそ我がおぼえの口惜しくはあらぬなめれ、さるはいとあまり世づかずふるめいたるものをなど心おごりもせらる。うちの御けしきあること誠におぼしたらむに、かくのみものうく覺えばいかゞすべからむ、おもだゝしき事にはありともいかゞはあらむ、いかにぞ故君にいとよく似給へらむ時に嬉しからむかしと思ひよらるゝはさすがにえもてはなるまじき心なめりかし。例のねざめがちなるつれづれなれば、あぜちの君とて人よりは少し思ひまし給へるがつぼねにおはして、その夜は明し給ひつ。明け過ぎたらむを人の咎むべきにもあらぬに、苦しげに急ぎおき給ふを、たゞならず思ふべかめり。

 「うちわたし世にゆるしなき關川をみなれそめけむ名こそをしけれ」。いとほしければ、

 「深からずうへは見ゆれどせき川のしたのかよひはたゆるものかは」。深しとのたまはむにてだにたのもしげなきを、このうへの淺さはいとゞ心やましう覺ゆらむかし。妻戶を押しあけて「まことはこのそらを見給へ。いかでかこれを知らず顏にてはあかさむとよ。えんなる人まねにはあらで、いとゞ明しがたくなり行くよなよなのねざめにはこの世後の世までなむ思ひやられて哀なる」などいひまぎらはしてぞ出で給ふ。殊にをかしきことのかずを盡さねどさまのなまめかしき見なしにやあらむ、なさけなくなどは人に思はれ給はず。かりそめのたはぶれごとをもいひそめ給へる人の、けぢかくてだに見奉らばやとのみ思ひ聞ゆるにや。あながちに世を背き給へる宮の御方にえんを尋ねつゝ參り集まりて侍らふも、哀なることほどほどにつけつゝ多かるべし。宮は女君の御ありさまひるみ聞え給ふにいとゞ御志まさりにけり。おほきさよき程なる人のやうだいいと淸げにて、髮のさがりばかしらつきなどぞものよりことにあなめでたと見え給ひける。色あひあまりなるまで匂ひて、ものものしくけだかき顏のまみいと恥しげにらうらうしう、すべて何事もたらひてかたちよき人といはむに飽かぬ所なし。はたちにひとつふたつぞあまりたまへりける。いはけなき程ならねばかたなりに飽かぬ所なく、あざやかに盛の花と見え給へり。限なくもてかしづき給へるにかたほならず。げに親にては心も惑はし給ひつべかりけり。唯やはらかにあいぎやうづきらうたきことはかの對の御方はまづおぼし出でられける。物のたまふいらへなども、はぢらひ給へれど又あまり覺束なくはあらず。すべていとみどころおほくかどかどしげなり。よき若人ども三十人ばかり、わらは六人、かたほなるなく、さうぞくなども例の麗はしきことはめなれておぼさるべかめれば、引きたがへ心得ぬまでこのみそし給へる。三條殿腹のおほい君を春宮に參らせ給へるよりも、この御ことをばいとことに思ひおきて聞え給へるも、宮の御おぼえありさまからなめり。かくてのち二條院にえ心安くも渡り給はず。かろらかなる御身ならねばおぼすまゝに晝の程などもえ出で給はねば、やがて同じ南の町に年頃ありしやうにおはしまして、暮るれば又えひきよぎても渡り給はずなどして待遠になるをりをりあるを、かゝらむずる事とは思ひしかどさしあたりてはいとかうしもやは名殘なかるべき、げに心あらむ人は數ならぬ身を知らでまじらふべき世にもあらざりけりと、かへすがへすも山路わけ出でけむ程うつゝとも覺えず悔しく悲しければ、猶いかで忍びて渡りなむ、むげに背くさまにはあらずともしばし心をも慰めばや、にくげにもてなしなどもせばこそうたてもあらめなど心ひとつに思ひあまりて、恥しけれど中納言殿に御文奉れ給ふ。「一日の御ことは阿闍梨の傅へたりしに委しう聞き侍りにき。かゝる御心の名殘なからましかばいかにいとほしくと思ひ給へらるゝにもおろかならずのみなむ。さりぬべくはみづからも」と聞え給へり。みちのくにがみにひきもつくろはずまめだちて書き給へるしもいとをかしげなり。故宮の御忌日に例の事どもいとたふとくせさせ給へりけるを、喜び聞え給へるさまのおどろおどろしうはあらねどげに思ひ知り給ふなめりかし。例はこれより奉る御返りをだに、うち解けずつゝましげにおぼしてはかばかしくも續け給はぬを、みづからとさへのたまへるが珍しく嬉しきに心ときめきもしぬべし。宮の今めかしくこのみたち給へる程にておぼし怠りにけるも、げに心苦しくおしはからるればいと哀にて、をかしやかなることもなき御文をうちもおかずひき返しひき返し見居給へり。御返りはうけ給はりぬ。「一日はひじりだちたるさまにて殊更に忍び侍りしも、さ思ひ給ふるやう侍るころほひにてなむ名殘とのたまはせたるこそ、少し淺くなりにたるやうにとうらめしう思ひ給へらるれ。よろづは今さぶらひてなむ。あなかしこ」とすくよかに白き色紙のこはごはしきにてあり。さて又の日の夕つ方ぞ渡り給へる。人知れず思ふ心しそひたれば、あいなく心づかひいたうせられて、なよゝかなる御ぞどもをいとゞ匂はしそへ給へるはあまりおどろおどろしきまであるにちやうじぞめの扇もてならし給へるうつりがなどさへたとへむ方なくめでたし。女君もあやしかりし夜のことなど思ひ出で給ふ折々なきにしもあらねば、まめやかに哀なる御心ばへの人に似ず物し給ふを見るにつけて、さてもあらましをとばかりは思ひもやし給ふらむ、いはけなき程にしおはせねば、うらめしき人の御有樣を思ひくらぶるには何事もいとゞこよなく思ひ知られ給ふにや、常にはへだて多かるもいとほしく物思ひ知らぬさまに思ひ給ふらむなど思ひ給ひて、今日はみすの內に入れ奉り給ひてもやのみすに几帳そへて我は少しひきいりてたいめし給へり。「わざと召しとはべらざりしかど例ならず許させ給へりしよろこびにすなはちも參らまほしく侍りしを、宮渡らせ給ふと承りしかば折惡しくやはとてけふになし侍りにける。さは年頃のしるしもやうやうあらはれ侍るにや。隔少しうすらぎ侍りにける御簾のうちよ。珍しく侍るわざかな」とのたまふに、猶いとはづかしくいひ出でむ言の葉もなき心ちすれど、「一日嬉しく聞き侍りし心の中を、例の唯むすぼゝれながら過し侍りなば思ひ知るかたはしをだにいかでかはと口惜しさに」といとつゝましげにのみのたまふが、いたくしぞきてたえだえほのかに聞ゆれば心もとなくて、「いと遠くも侍るかな。まめやかに聞えさせ承らまほしき世の物語も侍るものを」とのたまへば、げにとおぼして少しみじろきより給ふけはひを聞き給ふにもふと胸うちつぶるれど、さりげなくいとゞしづめたるさまして宮の御心ばへ思はずに淺うおはしけりとおぼしく、かつはいひもうとめ又なぐさめもかたがたにしづしづと聞え給ひつゝおはす。女君は、人の御うらめしさなどは打ち出で語らひ聞え給ふべき事にもあらねば、唯世やは憂きなどやうに思はせてことずくなに紛はしつゝ、山里にあからさまに渡し給へとおぼしくいとねんごろに思ひてのたまふ。「それはしも心ひとつにまかせてはえ仕うまつるまじきことに侍るなり。猶宮に唯心美くしう聞させ給ひてその御けしきにしたがひてなむよく侍るべき。さらずは少しもたがひめありて心輕くもなどおぼしものせむにいとあしう侍りなむ。さだにあるまじうは道のほどの御おくりむかへもおりたちて仕うまつらむに何の憚りかは侍らむ。うしろやすく人に似ぬ心の程は宮も皆知らせ給へり」などはいひながら、をりをりは過ぎにし方のくやしきを忘るゝをりなく、物にもがなやと、とりかへさまほしきさまなどほのめかしつゝ、やうやう暗うなり行くまでおはするにいとうるさく覺えて、「さらば心ちも惱ましくのみ侍るを、又よろしく思ひ給へらむほどになにごとも」とて入り給ひぬるけしきなるが、いと口惜しければ、「さてもいつばかりにおぼしたつべきにか。いとしげう侍りし道の草も少しうち拂はせ侍らむかし」と心とりに聞え給へば、暫し入りさして、「この月は過ぎぬべかめればついたちのほどにもとこそは思ひ侍れ。唯いと忍びてこそよからめ。何か世のゆるしなどことごとしうは」とのたまふ聲の、いみじうらうたげなるかなと常よりも昔思ひ出でらるゝにえつゝみあへでよりゐ給へる柱のもとのすだれのしたより、やをらおよびて御袖をひかへつ。女、さりやあな心うと思ふに、何事かはいはれむ、ものもいはでいとゞひき入り給へば、それにつきていとなれがほになからは內に入りてそひふし給へり。「あらずや。忍びてはよかるべうおぼすこともありけるが、嬉しきはひがみゝかと聞えさせむとぞうとうとしくおぼすべきにもあらぬを、心うの御けしきや」と怨み給へば、いらへすべき心ちもせず、思はずににくゝ思ひなりぬるを、せめて思ひしづめて、「思ひの外なりける御心のほどかな。人の思ふらむことよ。あさまし」とあばめて泣きぬべき氣色なる、少しはことわりなればいとほしけれど、「これはとがあるばかりのことかは。かばかりの對面はいにしへをもおぼし出でよかし。すぎにし人の御許しもありしものを、いとこよなうおぼされにけるこそ、なかなかうたてあれ。すきずきしくめざましき心はあらじと心安くおぼせ」とていとのどやかにもてなし給へれど、月頃悔しと思ひ渡る心のうちの苦しきまでなり行くさまをつぶつぶといひつゞけ給ひて、許すべきけしきにもあらぬに、せむ方なくいみじとも世の常なり、なかなかむげに心知らざらむ人よりも恥しう心づきなくてない給ひぬるを、「こはなぞ。あなわかわかし」とはいひながらいひ知らずらうたげに心苦しきものから用意深く恥しげなるけはひなどの、見し程よりもこよなくねびまさり給へりけるなどを見るに、心からよそ人にしなしてかく安からず物を思ふことと悔しきにも又げにねはなかれけり。近うさぶらふ女房二人ばかりあれど、すゞろなる男の入り來たるならばこそはこはいかなることぞとも參りよらめ、かくうとからず聞えかはし給ふ御なからひなめればさるやうこそはあらめと思ふにかたはらいたければ、知らずがほにてやをらしぞきぬるぞいとほしきや。男君はいにしへを悔ゆる心の忍びがたきなどもいとしづめがたかりぬべかめれど、昔だにありがたかりし御心の用意なれば猶いと思ひのまゝにももてなし聞え給はざりけり。かやうのすぢはこまかにもえなむまねびつゞけざりける。かひなきものから人めのあいなきを思へば、萬に思ひ返して出で給ひぬ。まだよひと思ひつれど、曉近うなりにけるを、見咎むる人もやあらむとわづらはしきも、女の御ためのいとほしきぞかし。惱ましげに聞き渡る御心ちはことわりなりけり。いと恥しと思ひ給へりつる腰のしるしに多くは心苦しう覺えてもやみぬるかな例のをこがましの心やと思へどなさけなからむことは猶いとほいなかるべし。又たちまちの我が心亂れにまかせてあながちなる心をつかひて後心安くしもえあらざらむものから、わりなく忍びありかむ程も心づくしに、女のかたがたおぼし亂れむことよなどさかしく思ふにせかれず今のまも戀しきぞわりなかりける。更に見ではえあるまじく覺え給ふもかへすがへすあやにくなる心なりや。昔よりは少し細やぎてあてにらうたかりつるけはひなどは、たちはなれたりとも覺えず、身にそひたる心ちして更にことごとも覺えずなりにたり。宇治にいと渡らまほしげにおぼい給ふめるをさもや渡し聞えてましなど思へど、まさに宮は許し給ひてむや、さりとて忍びてはたいとびんなからむ、いかさまにしてかは人目見苦しからで思ふ心の行くべきなど、心もあくがれてながめふし給へり。まだいと深きあしたに御文あり。例のうはべはいとけざやかなるたてぶみにて、

 「いたづらにわけつるみちの露しげみむかしおぼゆる秋の空かな。御けしきの心うさはことわり知らぬつらさのみなむ聞えさせむかたなく」とあり。御かへしなからむも人の例ならず見咎むべきをいと苦しければ「うけたまはりぬ。いとなやましうてえ聞えさせずとばかり書き給へるを、あまりことずくなゝるかなとさうざうしくて、をかしかりつる御けはひのみ戀しう思ひ出でらる。少し世の中をも知り給へるけにや、さばかりあさましうわりなしとは思ひ給へりつるものから、ひたぶるにいぶせくなどはあらでいとらうらうしく恥しげなる氣色もそひて、さすがになつかしういひこしらへなどしていだし給へるほどの御心ばへなどを思ひ出づるも妬うも悲しうもさまざまに心にかゝりてわびしくおぼゆ。何事もいにしへにはいと多くまさりて思ひ出でらる。何かはこの宮かれはて給ひなば我をたのもし人にし給ふべきにこそはあめれ、さてもあらはれて心安きさまにはえあらじを忍びつゝ又思ひます人なき心のとまりにてこそはあらめなど唯この事のみつと覺ゆるぞけしからぬ心なるや。さばかり心深げにさかしがり給へど男といふものゝ心うかりけることよ。なき人の御悲しさはいふかひなき方にてもいとかう苦しきまではなかりけり。これはよろづにぞ思ひめぐらされ給ひける。「今日は宮渡らせ給ひぬ」など人のいふを聞くにもうしろみの心はうせて胸うちつぶれていとうらやましう覺ゆ。宮は日頃になりにけるはわが御心さへうらめしうおぼされて俄に渡り給へるなりけり。何かは心隔てたるさまにも見え奉らじ、山里にと思ひたつにもたのもし人に思ふ人もうとましき心添ひ給へりけりと見給ふに、世の中いと所せう思ひなられて猶いとうき身なりけりと唯消えせぬほどはあるにまかせておいらかならむと思ひはてゝ、いとらうたげに心うつくしきさまにもてなし居給へれば、いとゞ哀に嬉しくおぼされて日頃のをこたりなどかぎりなくのたまふ。御腹も少しふくらかになりにたるに、かの恥ぢ給ふしるしの帶のひきゆはれたるほどなどいとあはれに、まだかゝる人をけぢかくても見給はざりければ珍しくさへおぼしたり。うち解けぬ所にならひ給ひてよろづのこと心安くなつかしうおぼさるゝまゝに、おろかならぬことゞもを盡せずのたまひ契るを聞くにつけても、かくのみことよきわざにやあらむとあながちなりつる人の御けしきも思ひ出でられて、年頃哀なる御心ばへとは思ひ渡りつれどかゝるかたざまにては哀をもあるまじきことと思ふにぞ、この御行くさきのたのめはいでやと思ひながらも少し耳とまりける、さてもあさましうたゆめたゆめて入り來たりしほどよ、昔の人にうとくて過ぎにしことなど語り給ひし心ばへはげにありがたかりけれど、猶うちとくべくあらざりけりかしなどいよいよ心づかひせらるゝにも、久しくとだえ給はむ事はいと物恐しかるべく覺え給へば、ことに出でゝはいはねど過ぎぬる方よりは少しまつはしざまにもてなし給へるを、宮はいとゞ限なう哀とおぼしたるに、かの人の御うつりがのいと深うしみ給へるが世の常の香のかにいれたきしめたるにも似ずしるき匂ひなるを、その道の人にしおはすれば怪しと咎めいで給ひて、いかなりしことぞとけしきとり給ふに、殊のほかにもてはなれぬことにしあればいはむかたなくわりなくていと苦しと覺えたるを、さればよ必ずさることはありなむ、よもたゞには思はじと思ひ渡ることぞかしと御心さわぎけり。さるはひとへの御ぞなどもぬぎかへ給ひてけれど怪しう心より外にぞ身にしみにける。「かばかりにてはのこりありてしもあらじ」と萬に聞きにくゝのたまひつゞくるに、心うくて身ぞおきどころなき。「思ひ聞ゆるさまことなるものを、我こそさきになどかやうにうち背くきはゝことにこそあれ。又御心おき給ふばかりのほどやはへぬる。思のほかにうかりける御心かな」とすべてまねぶべくもあらず、いといとほしげに聞え給へどともかくもいらへ給はぬさへいとねたくて、

 「また人になれける袖のうつりがを我が身にしめてうらみつるかな」。女はあさましうのたまひつゞくるに、いふべきかたもなくいかゞはとて、

 「見なれぬる中の衣とたのみしをかばかりにてやかけはなれなむ」とてうち泣き給へるけしきの限なう哀なるを見るにも、かゝればぞかしといとゞ心やましくて、我もほろほろとこぼし給ふぞ色めかしき御心なるや。誠にいみじきあやまちありともひたぶるにはえぞうとみはつまじく、らうたげに心苦しきさまのし給へればえも怨みはて給はず、のたまひさしつゝかつはこしらへ聞え給ふ。又の日も心のどかに大殿ごもり起きて御てうづ御かゆなどもこなたにまゐらす。御しつらひなどもさばかり輝くばかり高麗もろこしの錦綾をたちかさねたるめうつしには、よのつねにうちなれたる心ちして人々のすがたもなえばみたるうちまじりなどしていとしづかに見まはさる。君はなよゝかなるうす色どもに撫子のほそなが襲ねてうち亂れ給へる御さまの、何事もいとうるはしくことごとしきまで盛なる人の御よそひ、何くれに思ひくらぶれどけ劣りてもおぼえず。なつかしうをかしきは志のおろかならぬにはぢなきなめりかし、まろに美くしくこえ給へりし人の少しほそやぎたるに色はいよいよ白うなりてあてにをかしげなり、かゝる御うつりがなどのいちじるからぬをりだに愛ぎやうづきらうたき所などの猶人には多くまさりておぼさるゝまゝにはこれをはらからなどにはあらぬ人のけぢかくいひ通ひてことにふれつゝおのづから聲けはひをも聞き見馴れむはいかでかたゞにも思はむ、必ずしか思ひよりぬべきことなるをと我がいとくまなき御心ならひにおぼし知らるれば、常に心をかけてしるきさまなる文などやあると近きみ厨子こからびつなどやうのものをもさりげなくて見給へど、さるものもなし。唯いとすくよかにことずくなにてなほなほしきなどぞわざとしなけれど物にとりまぜなどしてもあるを、あやし猶いとかくのみはあらじかしとうたがはるゝに、いとゞけふはやすからずおぼさるゝことわりなりかし。かの人のけしきも心あらむ女の哀と思ひぬべきを、などてかはことの外にはさしはなたむ、いとよきあはひたればかたみにぞ思ひかはすらむかしと思ひやるぞわびしくはらだゝしくねたかりける。猶いとやすからざりければ、その日もえいで給はず。六條院には御文をぞ二たび三たび奉れ給ふを、いつのほどにつもる御言の葉ならむとつぶやくおい人どもゝあり。中納言の君は宮のかく籠りおはするを聞くにしも心やましく覺ゆれど、わりなしや、わが心のをこがましうあしきぞかし、うしろやすくと思ひそめてしあたりのことをかくは思ふべしやと、しひてぞ思ひ返して、さはいへどもえおぼし捨てざめりかしと嬉しくもあり、人々のけはひなどのなつかしきほどに、なえばみためりしを思ひやり給ひて、母宮の御方に參り給ひて、「よろしきまうけのものどもやさぶらふ。つかふべきことなむ」と申したまへば、「例のたゝむ月の法事のれうに白きものどもなどやあらむ。染めたるなどは今はわざともしおかぬをいそぎてこそせさせめ」とのたまへば、「なにかことごとしきようにも侍らず、侍はむにしたがひて」とて、みくしげ殿などに問はせたまひて、女のさうぞくどもあまたくだりに淸げなる細長どもゝ、たゞあるにしたがひてたゞなる絹綾などとりぐしたまふ。みづからの御れうとおぼしきには、わが御料にありけるくれなゐのうちめなべてならぬに白き綾どもなどあまたかさね給へるに、袴のぐなかりけるにいかにしたるにかありけむ、こしのひとつありけるを引き結びくはへて、

「むすびける契ことなる下紐をたゞひとすぢにうらみやはする」。たいふの君とて、おとなおとなしき人のむつましげなる人につかはす。「とりあへぬさまの見苦しきを、つきづきしうもてかくしてなむ」とのたまひて、御料のは忍びやかなれど箱にてつゝみもことなり。御覽ぜさせねど、さきざきもかやうなる御心しらひは常の事にてめなれにたれば、氣色ばみかへしなどひこじろふべきにもあらねば、いかゞなども思ひ煩はで人々にとりちらしなどしたればおのおのさし縫ひなどす。若き人々のお前近う仕うまつるなどをぞ、とりわきてはつくろひたつべき。しもづかへどものいたうなえばみたりつる姿どもなど、白き袷などにてけちえんならぬぞなかなかめやすかりける。誰かは何事をも後見聞ゆる人のあらむ。宮はおろかならぬ御志の程にて萬をいかでとおぼしおきてたれど、こまかなるうちうちのことまではいかゞはおぼしよらむ。かぎりもなく人にのみかしづかれてならはせたまへれば、世の中のうちあはずさびしきこといかなるものとも知り給はぬ、ことわりなり。えんにそゞろさむく花の露を翫びて世はすぐすべきものとおぼしたる程よりは、思ほす人のためなれば、おのづからをりふしにつけつゝまめやかなることまでもあつかひ知らせ給ふこそ有難くめづらかなることなめれば、いでやなどそしらはしげに聞ゆる御めのとなどもありけり。わらはべなどのなりあざやかならぬ、をりをりうちまじりなどしたるを女君はいとはづかしう、なかなかなる住まひにもあるかななど人知れずはおぼすことなきにしもあらぬに、ましてこの頃は世に響きたる御有樣の華やかさに、かつは宮の內の人の見思ふらむことも人げなきことゝおぼし亂るゝこともそひて歎かしきを、中納言の君はいとよくおしはかり聞え給へば、うとからむあたりには見苦しうくだくだしかりぬべき心しらひのさまも、あなづるとはなけれど何かはことごとしくしたて顏ならむも、なかなか覺えなく見咎むる人やあらむとおぼすなりけり。今ぞ又例のめやすきさまのものどもなどせさせ給ひて御小袿織らせ綾のれう賜はせなどし給ひける。この君しもぞ宮にも劣り聞え給はず、さまことにかしづきたてられて、かたはなるまで心おごりもし世を思ひすまして、あてなる心ざまはこよなけれど、故みこの御山ずみをみそめ給ひしよりぞ、寂しき所のあはれさはさまことなりけりと心苦しうおぼされて、なべての世をも思ひめぐらし深きなさけをもならひ給ひにける。いとほしの人ならはしやとぞ。かくて猶いかでうしろやすくおとなしき人にてやみなむと思ふにもしたがはず、心にかゝりて苦しければ御文などをありしよりはこまやかにて、ともすれば忍びあまりたる氣色見せつゝ聞え給ふを、女君いとわびしきことそひにたる身とおぼしなげかる。ひとへに知らぬ人ならば、あなものぐるほしと、はしたなめさしはなたむにも安かるべきを、昔よりさまことなるたのもし人にならひきて今さらに中あしうならむもなかなか人めあしかるべし、さすがに淺はかにもあらぬ御心ばへありさまの哀を知らぬにはあらず、さりとて心かはし顏にあへしらはむもいとつゝましく、いかゞはすべからむと萬に思ひ亂れ給ふに、さぶらふ人々も少しものゝいふかひありぬべく若やかなるは皆あたらしき心ちして、見給ひなれたる人とてはかの山里のふる女ばらなり。思ふことをも同じ心になつかしういひあはすべき人のなきまゝには、故姬君を思ひ出で聞え給はぬをりなし。おはせましかば、この人もかゝる心もそへ給はましやといとかなしう、宮のつらくなり給はむなげきよりもこのこといと苦しう覺ゆ。男君もしひて思ひわびて例のしめやかなる夕つ方おはしたり。やがてはしに御しとねさし出させ給ひて「いと惱ましき程にてなむえ聞えさせぬ」と人して聞え出し給へるを聞くに、いみじうつらくて淚の落ちぬべきを人めにつゝめばしひて紛はして「惱ませ給ふをりは知らぬ僧なども近く參りよるを、くすしなどのつらにてもみ簾の內には侍ふまじうやは。かく人づてなる御せうそこなむかひなき心ちする」と聞え給ひて、いとものしげなる御氣色なるを一夜物のけしき見し人々、げにやいと見苦しう侍るめりとて、も屋の御簾うちおろしてよゐの僧の座に入れ奉るを、女君誠に心ちもいと苦しけれど、人のかういふに、うたてけちえんならむも又いかゞとつゝましければ、物うながら少しゐざり出でゝたいめし給へり。いとほのかに、時々もののたまふ御けはひの昔の人のなやみそめ給へりしころ、まづ思ひ出でらるゝもゆゝしう悲しうてかきくらす心ちし給へば、とみに物もいはれず、ためらひつゝぞ聞え給ふ。こよなくおくまり給へるもいとつらくて、すのしたより几帳を少しおし入れて例のなれなれしげに近づきより給ふがいと苦しければ、わりなしとおぼして少將の君といふ人を近う召しよせて、「胸なむいたき。しばしおさへて」とのたまふを聞き給ひて、「胸はおさへたるいと苦しう侍るものを」と打ち歎きてゐなほり給ふ程も、げにぞしたやすからぬ。「いかなればかくしも常に惱しうはおぼさるらむ。人に問ひ侍りしかば、しばしこそ心ちもあしかなれさて又よろしきをりありなどこそ敎へ侍りしか。あまりわかわかしくもてなさせ給ふなめりかし」とのたまふに、いとはづかしうて、「胸はいつともなくかくこそは侍れ。昔の人もさこそはものし給ひしか。長かるまじき人のするわざとか人もいひ侍るめる」とぞのたまふ。げに誰もちとせの松ならぬよをと思ふには、いと心苦しう哀なれば、この召しよせたる人のきかむもつゝまれず、かたはらいたきすぢのことをこそえりとゞむれ。昔より思ひ聞ゆるさまなどをかの御みゝひとつには心得させながら人は又かたはにも聞くまじきさまに、よくめやすくぞいひなし給ふを、げに有難き御心ばへにもと聞き居たりけり。何事につけても故君の御事をぞ盡せず思ひ給へる。「いはけなかりしほどより世の中を思ひ離れて止みぬべき心づかひをのみならひ侍りしを、さるべきにや侍りけむ、うときものからおろかならず思ひそめ奉りしひとふしに、かのほいのひじり心はさすがにたがひやしにけむ、慰めばかりに此處にも彼處にも行きかゝづらひて人の有樣を見むにつけて紛るゝこともやあらむなど思ひよるをりをり侍れど、更にほかざまには靡くべうも侍らざりけり。よろづに思ひ給へわびては心のひく方の强からぬわざなりければ、すきがましきやうにおぼさるらむと恥しけれど、あるまじき心のかけても侍らばこそめざましからめ、唯かばかりの程にて時々思ふことをも聞えさせ承りなどして隔てなくのたまひ通はむを誰かは咎めいづべき。世の人に似ぬ心のほどは皆人にもどかるまじく侍るを猶うしろやすく思ほしたれ」など怨みゝなきみ聞え給ふ。「うしろめたく思ひ聞えば、かく怪しと人も見思ひぬべきまでは聞え侍るべくや。年頃こなたかなたにつけつゝ見知ることゞもの侍りしかばこそ、さまことなるたのもし人にて今はこれよりなどさへ驚かし聞ゆれ」とのたまへば「さやうなる折も覺え侍らぬものを、いとかしこきことにおぼしおきてのたまはするや、この御山里いでたちいそぎに辛うじてめしつかはせ給ふべき。それもげに御覽じしるかたありてこそはとおろかにやは思ひ侍る」などのたまひて、猶いとものうらめしげなれど聞く人あれば思ふまゝにもいかでかはつゞけ給はむ。との方をながめいだしたれば、やうやう暗うなりにたるに蟲の聲ばかりまぎれなくて、山の方をぐらくて何のあやめも見えぬに、いとしめやかなるさましてよりゐ給へるも煩はしとのみ內にはおぼさる。「限だにある」など、いと忍びやかにうちずじて「思ひ給へわびて侍り。音なしの里ももとめまほしきを、かの山里のわたりに、わざと寺などはなくとも昔覺ゆる人がたをもつくり繪にも書きとめて行ひ侍らむとなむ思ひ給へなりにたる」とのたまへば、「哀なる御願ひに又うたてみたらし川近き心ちする。人がたこそ思ひやりいとほしう侍れ。こがねもとむる繪師もこそなど、うしろめたうぞ侍るや」とのたまへば、「そよそのたくみも繪師もいかでか心にはかなふべきわざならむ。近き世に花ふらせたるたくみもはべりけるを、さやうならむへん化の人もかな」など、とざまかうざまに忘れむ方なきよしを歎き給ふ氣色のいと心深げなるも、いとほしうわづらはしうて今少しすべりよりて、「人がたのついでに、いと怪しく思ひよるまじきことをこそ思ひ出で侍れ」とのたまふけはひの少しなつかしきも、いと嬉しく哀にて、「何事にか」といふまゝに几帳のしたより手をとらふれば、いとうるさく思ひならるれど、いかさまにしてかゝる心をやめてなだらかにあらむと思へば、この近き人の思はむことのあいなくて、さりげなくもてなし給へり。「年頃は世にあらむとも知らざりし人の、この夏頃遠き處よりものして尋ね出でたりしを、疎くは思ふまじけれど、またうちつけに、さしも何かはむつび思はむと思ひ侍りしを、さいつころきたりしこそ、あやしきまで昔の人の御けはひに通ひたりしかば哀に覺えなり侍りしか、かたみなど、かう思ほしのたまふめるはなかなか何事もあさましうもてはなれたりとなむ皆人々もいひ侍りしを、いとさしもあるまじき人の、いかでかはありけむ」とのたまふを夢がたりかとまで聞く。「さるべき故あればこそは、さやうにもむつび聞えらるらめ。などか今までかくもかすめさせ給はざらむ」とのたまへば「いさや、その故もいかなりけむことゝも思ひわかれ侍らず。物はかなき有樣どもにて世におちとまりさすらへむとすらむとのみうしろめたげにおぼしたりしことゞもを、唯一人かきあつめて思ひ知られ侍るに、又あいなきことをさへ打ち添へて人も聞き傳へむこそ、いといとほしかるべけれ」とのたまふ氣色を見るに、宮の忍びてものなどのたまひけむ人の、しのぶ草摘み置きたりけるなるべしと見知りぬ。似たりとのたまふゆかりに耳とまりて、「かばかりにても同じうはいひはてさせ給ひてよ」といぶかしがり給へど、さすがにかたはらいたくて、えこまかにも聞え給はず。「尋ねむとおぼす心あらば、そのわたりとは聞えつべけれど、委しうはしもえ知らずや。又あまりいはゞ御心おとりもしぬべきことになむ」とのたまへば、「世をうみなかにもたまのありかたづねには心の限りすゝみぬべきを、いとさまでは思ふべきにはあらざなれど、いとかく慰めむ方なきよりはと思ひより侍る。ひとかたの願ひばかりには、などてかは山里のほんぞんにも思ひ侍らざらむ。猶たしかにのたまはせよ」とうちつけにせめ聞え給ふ。「いさやいにしへの御許しもなかりしことを、かうまでももらし聞ゆるもかつはいと口かるけれど、へん化のたくみもとめ給ふいとほしさにこそ、かくも」とて、「いと遠き所に年頃へにけるを母なる人のいとうれはしきことに思ひてあながちに尋ねよりしを、はしたなくもえいらへで侍りしにものしたりしなり。ほのかなりしかばにや何事も思ひしほどよりは見苦しからずなむ見えし。これをいかさまにもてなさむと歎くめりしに、佛にならむはいとこよなきことにこそはあらめ。さまではいかでかは」など聞えたまふ。さりげなくてかううるさき心を、いかではなつわざもがなと思ひ給へると見るはつらけれど、さすがにあはれなり。あるまじきことゝは深く思ひ給へるものから、けしようにはしたなきさまにはえもてなし給はぬも見知り給へるにこそはと思ふ心時めきに夜もいたう更け行くを、內には人めいとかたはらいたく覺え給ひて、うちたゆめて入り給ひぬれば男君ことわりとは返すがへす思へど、猶いとうらめしう口惜しきに、思ひしづめむ方もなき心ちして淚のこぼるゝも人わろければ、よろづに思ひみだるれど、ひたぶるにあさはかならむもてなしはた猶いとうたて我がためもあいなかるべければ、念じかへして常よりもなげきがちにて出で給ひぬ。かくのみ思ひてはいかゞすべからむ、苦しうもあべいかな、いかにしてかは大かたの世のもどきあるまじきさまにて、さすがに思ふ心のかなふわざをばすべからむなど、おりたちれんじたる心ならねばにや、我がため人のためも心安かるまじきことをわりなくおぼしあかす。似たりとのたまひつる人をも、いかでかは誠かとは見るべき、さばかりのきはなれば思ひよらむにかたうはあらずとも人のほいにもあらずは、うるさくこそあるべけれなど、猶そなたざまには心もたゝず、宇治の宮を久しう見給はぬ時はいとゞ昔遠くなる心ちして、すゞろに心ぼそければ、ながつきはつかあまりのほどにおはしたり。いとゞしく風のみ吹き拂ひて心すごうあらましげなる水の音のみやどもりにて人かげもことに見えず。見るにまづかきくらし悲しきことぞかぎりなき。辨の尼召し出でたれば、さうじ口に靑にびの几帳さし出でゝ參れり。「いとかしこけれど、ましていと恐しげに待れば、つゝましくなむ」とまほには出でこず。「いかにながめ給ふらむと思ひやるに、同じ心なる人もなき物語も聞えむとてなむ。はかなくも積る年月かな」とて淚をひとめうけておはするに、老びとはいとゞ更にせきもあへず、「人のうへにてあいなくものを思ほすめりし頃の空ぞかしと思ひ給へ出づるに、いつと侍らぬ中にも秋の風は身にしみてつらう覺え侍りて、げにかのなげかせ給ふめりしも、しるき世の中の御ありさまをほのかに承るもさまざまになむ」と聞ゆれば、「とあることもかゝることも、ながらふればなほるやうもあるを味氣なくおぼししみけむこそわがあやまちのやうに猶悲しけれ。この頃の御ありさまは何かそれこそよのつねなれ。されどうしろめたげには見え聞え給はざめり。いひてもいひてもむなしき空にのぼりぬる煙のみこそ誰ものがれぬことながら後れさきだつほどは猶いといふかひなかりけれ」とてもまた泣き給ひぬ。阿闍梨召して、例のかの御忌日の經佛のことなどのたまふ。「さて此處にかく時々ものするにつけても、かひなきことの安からず覺ゆるがいとやくなきを、この寢殿こぼちて、かの山寺の傍に堂建てむとなむ思ふを同じうはとく始めてむ」とのたまひて、堂いくつ廊ども僧房など、あるべきことゞも書きいでのたまひなどせさせ給ふを「いとたふときこと」と聞えしらす。「昔の人のゆゑある御住まひにしめ造り給ひけむ所をひきこぼたむもなさけなきやうなれど、その御志も功德の方にはすゝみぬべくおぼしけむを、とまり給はむ人々をおぼしやりて、えさはおきて給はざりけるにや。今は兵部卿宮の北の方こそは知り給ふべければ、かの宮の御料ともいひつべくなりにたり。さればこゝながら寺になさむことはびんなかるべし。心にまかせてさもえせじ。所のさまもあまりに川づら近くけしようにもあれば猶寢殿をうしなひてことざまにも造りかへむの心にてなむ」とのたまへば「とざまかうざまにいともかしこうたふとき御心なり。むかし、別を悲みてかばねをつゝみてあまたの年くびにかけて侍りける人も佛の御はうべんにて、かのかばねの囊を捨てゝ遂にひじりの道にも入り侍りにける。この寢殿を御覽ずるにつけて御心動きおはしますらむ。ひとへにたいだいしき御事なり。又後の世の御すゝめともなるべきことに侍りけり。急ぎ仕うまつらすべし。こよみの博士のえらび申して侍らむ日をうけ給はりて物のゆゑしりたらむたくみ二三人をたまはりてこまかなることゞもは佛の御敎のまゝに仕うまつらせ侍らむ」と申す。とかくのたまひ定めて、みさうの人ども召して、このほどのことゞも阿闍梨のいはむまゝにすべきよしなど仰せ給ふに、はかなく暮れぬればその夜はとゞまり給ひぬ。この度ばかりこそは見めとおぼして、たちめぐりつゝ見給へば、佛も皆かの寺に移してければ尼君のおこなひの具のみあり。いとはかなげに住まひたるを哀にいかにしてすぐすらむと見給ふ。「この寢殿はかへて建つべきやうあり。造り出でむほどはかの廊に物し給へ。京の宮にとり渡さるべきものなどあらば、みさうの人召してあるべからむやうに物し給へ」など、まめやかなることゞもを語らひ給ふ。ほかにてはかばかりさだすぎたらむ人を何かと見入れ給ふべきにもあらねど、よるも近くふせて昔物語などせさせ給ふ。故權大納言の君の御有樣も聞く人なきに心安くていとこまやかに聞ゆ。「今はとなり給ひしほどに珍しくおはしますらむ御有樣をいぶかしきものに思ひ聞かせ給ふめりし御氣色などの思ひ給へ出でらるゝに、かく思ひかけ侍らぬ世の末に、かくて見奉り侍るなむ、かの御世にむつましう仕う奉りおきししるしのおのづから侍りけると、嬉しくも悲しくも思ひ給へ知られ侍る。心うき命のほどにて、かくさまざまのことを見給へすぐし思ひ給へ知り侍るなむ、いと恥しう心うくなむ侍る。宮よりも時々は參りて見奉れ、覺束なくたえ籠りはてぬるは、こよなう思ひへだてけるなめりなどのたまはするをりをり侍れど、ゆゝしき身にてなむ。阿彌陀佛よりほかには見奉らまほしき人もなくなりにて侍る」など聞ゆ。故姬君の御事どもはたつきもせず、年頃の御有樣など語りて、何のをりなにとのたまひし、花紅葉の色を見ても、はかなくよみ給ひける歌がたりなどを、つきなからずうちわなゝきたれど、こめかしう、ことずくなゝるものから、をかしかりける人の御心ばへかなとのみ、いとゞ聞きそへ給ふ。宮の御方は今少しいまめかしきものから、心許さゞらむ人のためには、はしたなくもてなし給ひつべくこそものし給ふめるを我にはいと心深くなさけなさけしとは見えて、いかで過してむとこそ思ひ給へれなど心の中に思ひくらべ給ふ。さて物のついでに、かのかたしろのことをいひ出で給へり。「京にこの頃侍らむとはえ知り侍らず。人づてに承りしことのすぢなゝり。故宮のまだかゝる山ずみもし給はず、故北の方うせ給へりけるほど近かりけるころ中將の君とて侍ひける上臈の心ばせなどもけしうは侍らざりけるを、いと忍びてはかなきほどに物のたまはせけるを知る人も侍らざりけるに、をんなごをなむ產みて侍りけるを、さもやあらむとおぼすことのありけるからに、あいなく煩しうものしきやうにおぼしなりて、またとも御覽じ入るゝことも侍らざりけり。あいなくそのことにおぼしこりて、やがて大かたひじりにならせ給ひにけるを、はしたなく思ひてえ侍はずなりにけるが、みちのくのかみのめになりてくだりけるをひとゝせのぼりて、その君たひらかに物し給ふよし、このわたりにもほのめかし申したりけるを聞し召しつけて、更にかゝるせうそこあるべきことにもあらずとのたまはせ放ちければ、かひなくてなむ歎き侍りける。さて又常陸になりてくだり侍りにけるが、この年頃おとにも聞え給はざりつるが、この春のぼりてかの宮には尋ね參りたりけるとなむほのぎゝ侍りし。かの君の年ははたちばかりになり給ひぬらむかし。いと美しく生ひ出で給ふが悲しきことなどこそ中頃は文にさへ書きつゞけてなむはべめりしか」と聞ゆ。委しう聞きあきらめ給ひて、さらば誠にてもあらむかし、見ばやと思ふ心出で來ぬ。「昔の御けはひにかけてもふれたらむ人は知らぬ國までも尋ね知らまほしき心ちのあるを、かずまへ給はざりけれど思ふにけぢかき人にこそはあなれ。わざとはなくともこのわたりに音なふ折あらむついでに、かくなむいひしと傅へ給へ」などばかりのたまひ置く。「母君は故北の方の御めひなり。辨も離れぬなからひに侍るべきを、そのかみはほかほかに侍りて委しうも見給へなれざりき。さいつころ京より大輔がもとより申したりしは、かの君なむいかでかの御墓にだに參らむとのたまふなる、さる心せよなど侍りしかど、まだこゝにさしはへてはおとなはず侍るめり。今さらにさ樣のついでにかゝるおほせごとなど傅へ侍らむ」と聞ゆ。明けぬれば歸り給はむとて、よべ後れてもて參れる絹綿などやうのもの阿闍梨におくらせ給ふ。尼君にもたまふ。法師ばら尼君のげすどもの料にとてぬのなどいふものをさへ召してたぶ。心ぼそき住ひなれど、かゝる御とぶらひたゆまざりければ身のほどには、いとめやすくしめやかにてなむ行ひける。木枯のたへがたきまで吹きとほしたるに、殘る梢もなくちりしきたる紅葉をふみ分けゝる跡も見えぬを見わたして、とみにもえ出で給はず。いと氣色ある深山木にやどりたる蔦の色ぞまだ殘りたる。こだになど少しひきとらせ給ひて宮へとおぼしくてもたせ給ふ。

 「やどり木と思ひいでずばこのもとの旅ねもいかにさびしからまし」とひとりごち給ふを聞きて、尼君、

 「荒れはつるくち木のもとをやどりきと思ひおきけるほどの悲しさ」。飽くまでふるめきたれど、故なくはあらぬをぞいさゝかの慰めにはおぼされける。宮に紅葉奉れ給へれば男宮おはしますほどなりけり。南の宮よりとて何心もなくもて參りたるを、女君例のむつかしきこともこそと苦しくおぼせど、とりかくさむやは。宮「をかしき蔦かな」とたゞならずのたまひてめしよせて見給ふ。御文には「日頃何事かおはしますらむ。山里に侍りていとゞ峯の朝霧に惑ひ侍りつる、御物語もみづからなむ。かしこの寢殿、堂になすべきこと阿闍梨に物しつけ侍りにき。御許し侍りてこそはほかに移すことも物し侍らめ。辨の尼君にさるべきおほせごとはつかはせ」などぞある。「よくもつれなく書き給へる文かな。まろありとぞ聞きつらむ」とのたまふも少しはげにさやありつらむ。女君はことなきを嬉しと思ひ給ふに、あながちにかくのたまふをわりなしとおぼしてうち怨じて居給へる御さま、萬の罪も許しつべくをかし。「返事書いたまへ。見じや」とてほかざまにそむき給へり。あまえて書かざらむも怪しければ、「山里の御ありきの羡しくも侍るかな。かしこはげにさやうにてこそよくと思ひ給へしを、殊更に又いはほの中もとめむよりは、あらしはつまじう思ひ侍るを、いかにもさるべきさまになさせ給はゞおろかならずなむ」と聞え給ふ。かうにくき氣色もなき御むつびなめりと見給ひながら我が御心ならひに、たゞならじとおぼすが安からぬなるべし。かれがれなる前栽の中に尾花のものよりことに手をさし出でゝ招くがをかしう見ゆるに、またほに出でさしたるも露をつらぬきとむる玉の緖はかなげにうちなびきなど、例のことなれど夕風なほ哀なりかし。

 「ほにいでぬもの思ふらししのずゝき招くたもとの露しげくして」。なつかしきほどの御ぞどもに直衣ばかり着たまひて琵琶を彈きゐたまへり。わうしき調のかきあはせをいと哀にひきなし給へば、女君も心に入り給へることにて物ゑんじもえしはて給はず、ちひさき御几帳のつまより脇息によりかゝりて、ほのかにさしいで給へるいと見まほしくらうたげなり。

 「秋はつるのべの氣色もしのずゝきほのめく風につけてこそしれ。我が身ひとつの」とて淚ぐまるゝがさすがに恥しければ扇をまぎらはしておはする心の中もらうたくおしはからるれど、かゝるにこそ人もえ思ひはなたざらめと疑はしきがたゞならでうらめしきなめり。菊のまだよくもうつろひはてゞ、わざとつくろひたてさせ給へるはなかなかおそきに、いかなるひともとにかあらむ。いと見所ありてうつろひたるをとりわきて折らせ給ひて、「花の中にひとへに」とずじ給ひて、「なにがしのみこの、この花めでたる夕ぞかし、いにしへ天人のかけりて琵琶の手敎へけるは。何事も淺くなりにたる世は物うしや」とて御琴さしおき給ふを、口惜しとおぼして、「心こそ淺くもあらめ、昔を傳へたらむことさへはなどてかさしも」とて、覺束なき手などをゆかしげにおぼいたれば「さらばひとりごとはさうざうしきにさしいらへし給へかし」とて人召して箏の御琴とりよせさせて彈かせたてまつり給へど「昔こそまねぶ人ものし給ひしかど、はかばかしう聞きもとめずなりにしものを」とてつゝましげにて手もふれ給はねば、「かばかりのことも隔て給へるこそ心うけれ。この頃見るあたりは、まだいと心とくべきほどにもあらねど、かたなりなるうひことをもかくさずこそあれ。すべて女はやはらかに心美くしきなむよきこととこそその中納言も定むめりしか。かの君にはたかうもつゝみ給はじ、こよなき御中なめれば」などまめやかにうらみられてぞうち歎きて少ししらべ給ふ。ゆるびたりければ、ばんしき調にあはせ給ふ。かきあはせなど、つまおとをかしう聞ゆ。伊勢の海謠ひ給ふ御聲のあてにをかしきを女ばら物のうしろに近づき參りて、ゑみひろごりてゐたり。「ふたごゝろおはしますはつらけれど、それもことわりなれば猶わがお前をばさいはひびとゝこそ申さめ。かゝる御ありさまにまじらひ給ふべくもあらざりし年頃の御住まひを又歸りなまほしげにおぼしてのたまはするこそいと心うけれ」など、たゞいひにいへば、若き人々は、「あなかまや」と制す。御ことども敎へ奉りなどしつゝ、三四日籠りおはして、御物忌などことつけ給ふを、かの殿にはうらめしくおぼして、おとゞうちより出で給ひけるまゝに此處に參り給へれば、宮ことごとしげなるさまして、「何しにいましつるぞとよ」とむつかり給へど、あなたに渡り給ひてたいめし給ふ。「ことなることなき程はこの院を見で久しうなり侍るも哀にこそ」など昔の御物語など少し聞え給ひて、やがてひきつれ聞え給ひて出で給ひぬ。御子どもの殿ばら、さらぬ上達部殿上人などもいと多くひき續き給へる、御いきほひこちたきを見るに、ならぶべくもあらぬぞくしいたかりける。人々のぞきて見奉りて、「さも淸らにおはしけるおとゞかな。さばかりいづれともなく若うさかりにて淸げにおはさうずる御子どもの似給ふべきもなかりけり。あなめでたや」といふもあり、又「さばかりやんごとなげなる御さまにて、わざと御迎に參り給へるこそにくけれ。やすげなの世や」など打ち歎くもあるべし。御自らもきし方を思ひ出づるよりはじめ、かの華やかなる御なからひに立ちまじるべくもあらず、かすかなる身のおぼえをといよいよ心ぼそければ、猶心安く籠り居なむのみこそめやすからめなどいとゞ覺え給ふ。はかなくて年も暮れぬ。むつきのつごもりがたより例ならぬさまに惱み給ふを、宮又御覽じ知らぬことにて、いかならむとおぼし歎きて、みずほふなど所々にてあまたせさせ給ふ。又々はじめそへさせ給ふ。いといたう煩ひ給へば、きさいの宮よりも御とぶらひあり。かくて三とせになりぬれど、一所の御志こそおろかならね。大かたの世にはものものしうももてなし聞え給はざりつるを、このをりぞ、いづこにもいづこにも聞し召し驚きて御とぶらひども聞え給ひける。中納言の君は宮のおぼし騷ぐらむにも劣らず、いかにおはせむと歎きて心苦しくうしろめたくおぼさるれど、限ある御とぶらひばかりこそあれ、あまりもえまうで給はで忍びてぞ御いのりなどもせさせ給ひける。さるは女二の宮の御もぎたゞこのごろになりて世の中ひゞきいとなみのゝしる。よろづのこと帝の御心ひとつなるやうにおぼし急げば、御後見なきしもぞなかなかめでたげに見えける。女御のしおき給へることをばさるものにて、つくもどころさるべきずりやうどもなどとりどりに仕うまつる事どもいと限なし。やがてその程に參りそめ給ふべきやうにありければ、男がたも心づかひし給ふころなれど、例のことなればそなたざまには心もいらで、