永日小品

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元日[編集]

 ぞうにを食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮するかたむきがある。あとのものは皆和服で、かつふだんぎのままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いたしょうこである。自分も一番あとで、やあと云った。

 フロックは白いハンケチを出して、用もない顔をいた。そうして、しきりにとそを飲んだ。ほかの連中も大いにぜんのものをつッついている。ところへきょしが車で来た。これは黒い羽織に黒いもんつきを着て、きわめて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはりのうをやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つうたいませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。

 それから二人してとうぼくと云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだあいまいである。その上、我ながらおぼつかない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来うたいのうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、しろうとでも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。

 すると虚子が近来つづみを習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいとしょもうしている。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これははやしの何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、またざんしんという興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所からしちりんを持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮をあぶり始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんとはじいた。ちょっと好いがした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓のめにかかった。もんぷくの男が、赤い緒をいじくっているところが何となくひんが好い。今度はみんな感心して見ている。

 虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓をんだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つかけんとうがつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここでかけごえをいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいとねんごろに説明してくれた。自分にはとてもめない。けれどもがてんの行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減にりょうしょうした。そこではごろもくせを謡い出した。はるがすみたなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子がくずれるから、いびいんじゅんのまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、つづみをかんと一つ打った。

 自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美なゆうちょうなものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分のこまくを動かした。自分のうたいはこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合からおどかした。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。

 それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分のつづみに、自分の謡を合せて、めでたくうたおさめた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫をくさした末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、じゅばんそでがぴらぴら見えたが、大変好い色だったとめている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。



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 木戸を開けて表へ出ると、大きな馬のあしあとの中に雨がいっぱいたまっていた。土を踏むと泥の音があしのうらへ飛びついて来る。かかとを上げるのが痛いくらいに思われた。ておけを右の手にげているので、足のさしに都合が悪い。きわどくこたえる時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものをほうしたくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底にえてしまった。あやうく倒れるところを手桶のかかって向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。みのを着た肩のうしろから、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時かぶったかさが少し動いた。笠のなかからひどいみちだと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。

 石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間からされて来る。ふだんくろぶしの上を三寸とはえない底に、長いが、うつらうつらとうごいて、見てもきれいな流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨がたたく、真中をうずが重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、

れる」と云った。

 二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れのあとけて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人さびしく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空はちゃつぼふたのように暗く封じられている。そのどこからか、すきまなく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見えるきおうもりにあたる音も遠くから交って来るらしい。

 森の上には、黒い雲が杉のこずえに呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それがじねんの重みでだらりと上の方からさがって来る。雲の足は今杉の頭にからみついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。

 気がついて足元を見ると、うずかぎりなくみなかみから流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急にいきおいづいたように見える。叔父さんはまたく渦を見守って、

れる」とさも何物をか取ったように云った。やがてみのを着たまま水の中に下りた。勢いのすさまじい割には、さほど深くもない。立って腰までつかるくらいである。叔父さんは河の真中に腰をえて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩にかついだ網をおろした。

 二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦のかっこうを眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心にすごい水の色を見つめていた。水はもとより濁っている。うわかわの動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでもまばたきもせずに、みずぎわまで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。

 あまあしはしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦のもんはげしくみなかみからめぐって来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変ったもようが見えた。まばたきゆるさぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きなうなぎだなと思った。

 とたんに流れにさからって、網のを握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上までかえるように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たいなわのような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりとかまくびを一尺ばかり持上げた。そうして持上げたままきっと二人を見た。

「覚えていろ」

 声はたしかに叔父さんの声であった。同時にかまくびは草の中に消えた。叔父さんはあおい顔をして、へびを投げた所を見ている。

「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」

 叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。



泥棒[編集]

 寝ようと思って次の間へ出ると、こたつにおいがぷんとした。かわやの帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないとさいに注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、はんしょうの音も耳にこたえなかった。熟睡が時の世界をつぶしたように正体を失った。

 するとこつぜんとして、女の泣声で眼がめた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いてうろたえるといつでも泣声を出す。この間うちの赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊がゆけあがって、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。すすげるようにして早口に物を云う。訴えるような、くどくような、わびを入れるような、じょうじんの死を悲しむような――とうてい普通のきょうがくの場合に出る、鋭くって短いかんとうしの調子ではない。

 自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかにさいの寝ている、次の部屋から出る。同時にふすまれて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開けるまぶたの裏に、この光が届くや否や自分は火事だとがってんして飛び起きた。そうして、いきなりへだてのからかみをがらりと開けた。

 その時自分はひっくりかえったこたつを想像していた。げたふとんを想像していた。みなぎる煙と、燃えるたたみとを想像していた。ところが開けて見ると、ランプは例のごとくともっている。妻と子供は常の通り寝ている。こたつよいの位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。

 下女は妻の蒲団のすそおさえるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、しきいぎわつったったまま、ぼんやり部屋の中をみまわした。とたんに下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳にはいるや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋をおおまたに横切って、つぎに飛び出しながら、何だ――とどなりつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚はずれて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人のすまいの奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。すあしのまま板の間へ出て台所のながしもとまで来て見ると、あたりしんとしている。表をのぞくと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。

 引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何もられやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、たんすの前にかざした。かんのんびらきがはずされている。ひきだしが明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者のやくれいその他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いてえんがわの方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。

 そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前にこように起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼がえていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、とおになる長女は、泥棒が台所からはいったのも、泥棒がみしみしえんがわを歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとおふささんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へはいって寝た。

 明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、あさめしをやっていると、台所で下女が泥棒のあしあとを見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。めんどうだから書斎へ引き取った。引き取って十分もったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査がこうしの前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。とじまりは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、しまりが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へくぎを差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査にってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、ふとりしまりな主人であるような心持になった。

 巡査は台所へ廻った。そこでさいつらまえて、ふんじつした物を手帳に書き付けている。しゅちんの丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……

 下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯もはらあわせもいっこう知らない。すこぶるたんかんな面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、するとしめて百五十円になりますねと念を押して帰って行った。

 自分はこの時始めて、何をられたかをめいりょうに知った。くなったものは十点、ことごとく帯である。ゆうべ這入ったのは帯泥棒であった。御正月を眼前にひかえた妻はな顔をしている。子供がさんがにちにも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。

 昼過には刑事が来た。座敷へあがっていろいろ見ている。おけの中にろうそくでも立てて仕事をしやしないかと云って、台所のこおけまでしらべていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。

 泥棒はたいてい下谷、浅草あたりから電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていはつかまらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。きみつひは警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。

 でいりのものを呼んで戸締りを直そうと思ったらあやにく、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった。仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである。自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手にとりしまるべきものであると警察から宣告されたと一般だからである。

 それでもきのうきょうだから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕にいた。するとまた夜中にさいから起された。さっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云う。なるほどがたがたいう。妻はもう泥棒がはいったような顔をしている。

 自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、へだてのふすまそばまでくると、次の間では下女がいびきをかいている。自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立った。ごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入口である。暗いなかを影の動くようにみあしほど音のする方へちかづくと、もう部屋の出口である。しょうじが立っている。そとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てた。やがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、とだなの奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常のしょさをして、妻の部屋へ帰って来た。ねずみが何かかじっているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。

 朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛ったかつぶしを、ぜんの前へ出して、ゆうべのはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中むざんにやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、おかかをしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。



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 いちゃんと云う子がいる。なめらかなひふと、あざやかなひとみを持っているが、ほおの色は発育の好い世間の子供のようにさえざえしていない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。おっかさんがあまりかわいがり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りのおんなかみゆいが評した事がある。御母さんは束髪のはやる今の世に、昔風のまげを四日目四日目にきっとう女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃんづけにして呼んでいる。このおっかさんの上に、またきりさげおばあさんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃんおことおけいこに行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。

 いちゃんは、これがためにめったに表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前にしおせんべいやがある。その隣にかわらしがある。少し先へ行くとげたの歯入と、かけじょうまえなおしがある。ところが喜いちゃんのうちは銀行の御役人である。へいのなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭にかれまつばを一面に敷いて行く。

 喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏はおっかさんや、おばあさんがはりものをする所である。よしが洗濯をする所である。暮になるとむこうはちまきの男がうすかついで来て、もちく所である。それからつけなに塩を振ってたるへ詰込む所である。

 喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相手にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事がある。その時は浅いいけがきの間から、よく裏の長屋をのぞき込む。

 長屋は五六軒ある。生垣の下が三四尺がけになっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よくみおろすようにできている。喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出るたつさんが肌を抜いで酒をんでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す。大工のげんぼうておのいでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほかけんかをしててよ、やきいもを食べててよなどと、見下した通りを報告する。すると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う。喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。

 喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊のせがれの与吉と顔を合わす事がある。そうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでもけんかになってしまう。与吉がなんだあおぶくれと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、とさげすむように丸いあごをしゃくって見せる。一遍は与吉が怒って下からものほしざおを突き出したので、喜いちゃんは驚いてうちへ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸できれいかがったゴムまりがけしたへ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった。御返しよ、ほうっておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張ってつったっている。あやまれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、しごとをしている御母さんのそばへ来て泣き出した。御母さんはむきになって、おもてむきよしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。

 それから三日って、喜いちゃんは大きな赤いかきを一つ持って、また裏へ出た。すると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った。与吉は下から柿をにらめながら、なんでえ、なんでえ、そんなものらねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めた。すると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、ぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した。欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。

 こんな問答を四五遍くりかえしたあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した。与吉はあわてて、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた。

 その時与吉の鼻の穴がふるえるように動いた。厚いくちびるが右の方にゆがんだ。そうして、食いかいた柿のいっぺんをぺっと吐いた。そうして懸命のぞうおひとみうちあつめて、しぶいや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんにほうりつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあいくいしんぼうと云いながら、してうちはいった。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。



火鉢[編集]

 眼がめたら、ゆうべいて寝たかいろが腹の上で冷たくなっていた。ガラスどごしに、ひさしの外を眺めると、重い空が幅三尺ほどなまりのように見えた。胃の痛みはだいぶれたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下にはきのうの雪がそのままである。

 風呂場は氷でかちかち光っている。水道はこおいて、せんかない。ようやくの事でおんすいまさつを済まして、茶の間で紅茶をちゃわんに移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子はおとといも一日泣いていた。昨日も泣き続けに泣いた。さいにどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようである。けれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る。時によるとこにくらしくなる。大きな声でしかりつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする。一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃はあさめしを食わぬおきてにしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へしりぞいた。

 ひばちに手を翳して、少しあったまっていると、子供は向うの方でまだ泣いている。そのうちてのひらだけはけむが出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒い。ことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた。少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それがとげにでもさわったほど神経にこたえる。首をぐるりと回してさえ、くびの付根が着物のえりにひやりとすべるのがえがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中にすくんでいた。この書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、じゅうたんを敷いて、普通のたたみのごとくに想像して坐っている。ところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間がしに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、すくんでいると、男の子がまだ泣いている。とても仕事をする勇気が出ない。

 ところへさいがちょっと時計を拝借とはいって来て、また雪になりましたと云う。見ると、こまかいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る。

「おい、去年、子供の病気で、ストーブいた時には炭代がいくらったかな」

「あの時はつきずえに廿八円払いました」

 自分は妻の答を聞いて、ざしき煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置にころがっているのである。

「おい、もう少し子供を静かにできないかな」

 妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。

「おまささんがおなかが痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」

 お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちからうながすように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。ふすまてるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。

 まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人のさくを手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横にうずたかく積んである。この一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくる。その上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いである。けれども、どう考えても、寒くておっくうで、ひばちから手を離す事ができない。

 すると玄関に車を横付けにしたものがある。下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢のそばに竦んだまま、うわめづかいをして、はいって来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った。長沢はふところから手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である。長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがない。いっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、てぬぐいげて玄関へ出かかると、ごめんくださいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出した。そのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出した。とうとう湯に行った。

 湯から上ったら始めてったかになった。せいせいして、うちへ帰って書斎に這入ると、ランプいてまどかけが下りている。火鉢には新しいきりずみけてある。自分はざぶとんの上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云ってそばゆを持って来てくれた。お政さんのようだいを聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。

 さいが出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪のである。泣く子は幸いに寝たらしい。熱いそばゆすすりながら、あかるいランプの下で、ぎ立てのきりずみのぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤いかっきが、囲われた灰の中でほのかに揺れている。時々薄青いほのおが炭のまたから出る。自分はこの火の色に、始めて一日のあたたかみを覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。



下宿[編集]

 始めて下宿をしたのは北の高台である。あかれんがの小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二ポンドしゅくりょうを払って、裏の部屋をひとま借り受けた。その時表をせんりょうしているK氏は目下スコットランド巡遊中でしばらくは帰らないのだと主婦の説明があった。

 主婦と云うのは、眼のくぼんだ、鼻のしゃくれた、あごと頬のとがった、鋭い顔の女で、ちょっと見ると、としかっこうの判断ができないほど、女性を超越している。かんひがみ、意地、かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんにもてあそんだ結果、こうねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。

 主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒いひとみをもっていた。けれども言語は普通のイギリスじんと少しも違ったところがない。引き移った当日、したから茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人さしむかいに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上にさびしい水仙がけてあった。主婦は自分に茶だのトーストすすめながら、よもやまの話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、フランスであるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、うしろガラスびんしてある水仙をかえりみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通りきれいでないと教えたつもりなのだろう。

 自分ははらの中でこの水仙のとぼしく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色のめた血のしたたりとを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼のうちには、いくねんの昔に消えた春のにおいむなしき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先をさえぎって、二三句続けざまに、なめらかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝ったのどから、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。

 その夕、ばんさんの時は、頭のげたひげの白い老人が卓に着いた。これが私のおやじですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙なことばづかいをする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、ロンドンへ落ちついたものだなとがてんした。すると老人が私はドイツじんであると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少しけんとうはずれたので、そうですかと云ったきりであった。

 部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気にかかってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中はあがったようにふくれている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻がねころんで、細い眼が二つ着いている。なんあの大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちのひとみに映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方がわきを欠いている。歯がかなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘もおやじに対するときは、けんそうな顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。

 翌日朝飯を食いに下りると、ゆうべの親子のほかに、また一人家族がえている。新しく食卓につらなった人は、血色の好い、あいきょうのある、四十がっこうの男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。マイ ブラザー と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらいかおだちが違っていた。

 その日はちゅうじきを外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へはいると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人ストーブの横に茶器をひかえてすわっていた。石炭をもやしてくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりのほのおに照らされた主婦の顔を見ると、うすくほてった上に、心持おしろいけている。自分は部屋の入り口で化粧のさびしみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたようなめづかいをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。

 主婦の母は、二十五年の昔、あるフランスじんとついで、この娘をげた。幾年か連れ添ったのち夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再びドイツじんもとに嫁いだ。その独逸人がゆうべの老人である。今ではロンドンのウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。ひとうちにいても、口をいた事がない。むすこは夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いでたびはだしになって、おやじに知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前にくなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんなおやじの手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をしてこづかいこしらえるのである。アグニスは――

 主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見たむすこの顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスはトーストかかえてくりやから出て来た。

「アグニス、トーストを食べるかい」

 アグニスは黙って、いっぺんの焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。

 一箇月ののち自分はこの下宿を去った。



過去の匂い[編集]

 自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君はスコットランドから帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人がロンドンの山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互になのかわした事がないので、身分も、すじょうも、経歴も分らない外国婦人の力をりて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張ってあぶらの脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。

 自分は老令嬢の態度が、いかにも、おごそかで、一種重要の気にちた形式を具えているのに、すくなからず驚かされた。K君は自分のむこうに立って、きれいふたえまぶちの尻にしわを寄せながら、微笑をらしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾のさびしみを感じた。幽霊のばいしゃくで、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音になかこうべめぐらした。

 老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしいじゅうたんが敷いてあって、しらぎぬまどかけが下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している。何よりうれしいのは断えずストーブに火をいて、おしげもなく光った石炭をくずしている事である。

 これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所のりょうりやへいっしょに出かけた。かんじょうは必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた。うちにいると、えびちゃしゅすに花鳥のぬいとりのあるドレッシング・ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶよごれて、みともない始末であった。K君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。

 二週間の間K君と自分とはいろいろな事を話した。K君が、今にけいおうないかくを作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共にすうきに参する権利を失うところであった。

 こんな面白い話をしている間に、時々下の家族がうわさのぼる事があった。するとK君はいつでもまゆをひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番かわいそうだと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタとパンを持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見てもあおざめた顔をして、大きなうるおいのある眼でちょっとあいさつをするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。

 ある時自分は、不愉快だから、このうちを出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いているからだだから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をした。その時K君は地中海のむこうがわへ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。

 自分が下宿を出るとき、老令嬢はせつに思いとまるようにと頼んだ。下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった。

 二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た。当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北のはてまでしかける時間がなかった。一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。

 表二階の窓から、例のはぶたえの窓掛がしぼったままガラスに映っている。自分は暖かいストーブと、えびちゃしゅすぬいとりと、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段をあがるようにノッカーをとんとんと打った。戸のむこうがわに足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとするとたんに、戸がじねんいた。自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、びるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わした。その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分のきゅうかくを、いなずまひらめくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似たむすこと、息子の影のようなアグニスと、彼らの間にわだかまる秘密を、一度にいっせいに含んでいた。自分はこの匂をいだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄のうちに認めた。自分は二階へ上がってK君にうにえなかった。



猫の墓[編集]

 早稲田へ移ってから、猫がだんだんせて来た。いっこうに小供と遊ぶけしきがない。日が当るとえんがわに寝ている。前足をそろえた上に、四角なあごを載せて、じっと庭のうえこみを眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらそのそばで騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度のめしを、台所のすみに置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別におこる様子もなかった。けんかをするところを見たためしもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなくゆとりがない。んびり楽々と身を横に、日光をりょうしているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。ものうさのをある所まで通り越して、動かなければさびしいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色いひとみを、ぼんやりところに落ちつけているのみである。彼れがうちの小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在をはっきりと認めていなかったらしい。

 それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫からおっかけられる。そうして、こわいものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってあるしょうじを突き破って、いろりの傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。

 これがたび重なるにつれて、猫の長いしっぽの毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、のちにはあかはだに脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、からだし曲げて、しきりに痛い局部をめ出した。

 おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、さいしごく冷淡である。自分もそのままにしてほうっておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。のどの所に大きな波をうたして、くしゃみとも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければたたみの上でも、ふとんの上でもようしゃなく汚す。来客の用意にこしらえたはったんざぶとんは、おおかた彼れのために汚されてしまった。

「どうもしようがないな。ちょういが悪いんだろう、ほうたんでも水にいて飲ましてやれ」

 さいは何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口をきませんという答をしたあとで、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少しけんどんに叱りながら書見をしていた。

 猫ははきけがなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身をすくめるようにして、自分の身を支えるえんがわだけがたよりであるという風に、いかにも切りつめたうずくまり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、しょうぜんたるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちてかすかないなずまがあらわれるような気がした。けれどもほうっておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。

 ある晩、彼は小供の寝る夜具のすそはらばいになっていたが、やがて、自分のった魚を取り上げられる時に出すようなうなりごえげた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまたうなった。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でもかじられちゃ大変だと云った。まさかと妻はまたじゅばんそでを縫い出した。猫は折々唸っていた。

 明くる日はいろりふちに乗ったなり、一日唸っていた。茶をいだり、やかんを取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置にまきを出しに行った時は、もう硬くなって、古いへっついの上に倒れていた。

 妻はわざわざそのしにざまを見に行った。それから今までの冷淡にえて急に騒ぎ出した。でいりの車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下にいなずま起るよいあらんとしたためた。車夫はこのまま、めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女がひやかした。

 小供も急に猫をかわいがり出した。墓標の左右にガラスびんを二つけて、はぎの花をたくさんした。ちゃわんに水をんで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃのしゃくしをおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水のしたたりは、静かな夕暮の中に、いくたびあいこの小さいのどうるおした。

 猫の命日には、妻がきっとひときれのさけと、かつぶしをかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間のたんすの上へ載せておくようである。



暖かい夢[編集]

 風が高い建物に当って、思うごとくまっすぐに抜けられないので、急にいなずまに折れて、頭の上から、はすしきいしまで吹きおろして来る。自分は歩きながらかぶっていたやまたかぼうを右の手でおさえた。前に客待のぎょしゃが一人いる。ぎょしゃだいから、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、ひとさしゆびたてに立てた。乗らないかと云うふちょうである。自分は乗らなかった。すると御者は右の手にげんこつを固めて、はげしく胸のあたりを打ち出した。二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。ロンドンの御者はこうして、おのれとわが手を暖めるのである。自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。かかった堅い帽子の下から、しもおかされた厚い髪の毛がしている。ケットぎ合せたようなあらい茶のがいとうの背中の右にそのひじを張って、肩と平行になるまでいからしつつ、とんとん胸をたたいている。まるで一種の器械の活動するようである。自分は再び歩き出した。

 道を行くものは皆追い越して行く。女でさえおくれてはいない。腰のうしろでスカートを軽くつまんで、かかとの高い靴がまがるかと思うくらいはげしく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女はわきめも触らず、ひたすらにわがこころざかたへと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。まゆは深くとざしている。鼻はけわしくそびえていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかもおうらいは歩くにえん、戸外はいるにしのびん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、しょうがいの恥辱である、かのごとき態度である。

 自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした。上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、きりぎしのごとくそびえる左右のむねに余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝からねずみいろであるが、しだいしだいにとびいろに変じて来た。建物はもとより灰色である。それが暖かい日の光にてたように、遠慮なく両側をふさいでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうにおうらいする。自分はその黒く動くもののうちで、もっともかんまんなる一分子である。谷へはさまって、ではを失った風が、この底をすくうようにして通り抜ける。黒いものは網の目をれたざこのごとく四方にぱっと散って行く。のろい自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。

 長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つはしごだんのぼると、ばねじかけの大きな戸がある。からだの重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、じねんと身は大きなガレリーの中にすべり込んだ。眼の下はまばゆいほど明かである。うしろをふり返ると、戸はいつの間にかしまって、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、ひとみらすために、眼をぱちぱちさせた。そうして、左右を見た。左右には人がたくさんいる。けれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らずゆるんで見える。たくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いをやわらげている。自分は上を見た。上はおおまるがたてんじょうごくさいしきの濃く眼にこたえる中に、あざやかなきんぱくが、胸をおどらすほどに、さんとして輝いた。自分は前を見た。前はてすりで尽きている。手欄の外にはにもない。大きな穴である。自分は手欄のそばまで近寄って、短い首をのばして穴の中をのぞいた。するとはるかの下は、絵にかいたような小さな人でうまっていた。その数の多い割にあざやかに見えた事。人の海とはこの事である。白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、おおうなばらに起るはもんのごとく、そうぜんとして、遠くの底に、五色のうろこならべたほど、小さくかつきれいに、うごめいていた。

 その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった。今まで何千となくいならんでいたものはやみの中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくにしんとしている。と、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつのにやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇のだんどりが違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかにやわらかな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分はきりのような光線の奥に、不透明な色をみいだす事ができた。その色は黄とむらさきあいであった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものをまたたきもせずみつめていた。もやは眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照りかがやく海をひかえて、うわぎを着た美しい男と、紫のそでを長くいた美しい女が、青草の上に、はっきりあらわれて来た。女がかんらんの下にえてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女をみおろした。その時南から吹く温かい風に誘われて、のどかがくが、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。

 穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった。闇の中で暖かなギリシャを夢みていたのである。



印象[編集]

 表へ出ると、広い通りがまっすぐに家の前をつらぬいている。試みにその中央に立って見廻して見たら、眼にる家はことごとく四階で、またことごとく同じ色であった。隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない。不思議な町である。

 ゆうべは汽車の音にくるまって寝た。十時過ぎには、馬のひづめと鈴の響に送られて、暗いなかを夢のようにけた。その時美しいともしびの影が、点々として何百となくひとみの上をおうらいした。そのほかには何も見なかった。見るのは今が始めてである。

 二三度この不思議な町を立ちながら、みあげみおろしたのち、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出た。よく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今度は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車がいくりょうとなく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶やこんであったり、しきりなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方をかして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、うしろから背の高い人がかぶさるように、肩のあたりを押した。けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。

 自分はこの時始めて、人の海におぼれた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いてもつかえている。左を見てもふさがっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調をそろえて一歩ずつ前へ進んで行く。

 自分は歩きながら、今出て来た家の事をおもい浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしい。どこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんどおぼつかない気がする。よし帰れても、自分の家はみいだせそうもない。その家は昨夕暗い中に暗く立っていた。

 自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった。曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じた。すると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道路が五つ六つ落ち合う広場のように思われた。今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。

 坂の下には、大きないしぼりししがある。全身灰色をしておった。尾の細い割に、たてがみうずいた深い頭はしとだるほどもあった。前足をそろえて、波を打つ群集の中に眠っていた。獅子は二ついた。下はしきいしで敷きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼をげて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高くまっすぐに立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているようにそびえていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなくさがって行った。しばらくして、ふり返ったら、さおのような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。



人間[編集]

 おさくさんは起きるが早いか、まだかみゆいは来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結はゆうべたしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までにはあがりますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにもれったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんはおよごしになって、しょうじの前に取り出した鏡台を、立ちながらのぞき込んで見た。そうして、わざとくちびるを開けて、うえしたともきれいそろった白い歯を残らずあらわした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、あいふすまを開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、おそくなるじゃありませんかと云った。御作さんのだんなは九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。

 御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、ようじはみがきしゃぼんてぬぐいまとめにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっとひげって来るよと、めいせんどてらの下へゆかたを重ねた旦那は、くつぬぎへ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へけ込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんはようだんすひきだしから小さいのしぶくろを出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口がけないものだから、黙って、袋を受取ってこうしまたいだ。御作さんは旦那の肩のうしろへ、てぬぐいの余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へひっこんで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首をかたむけた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとはていねいにしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間もしじゅう心配そうに柱時計を眺めていた。ようやくいしょうそろえて、大きなうこんもめんの風呂敷にくるんで、座敷のすみに押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口からはいって来た。どうも遅くなってすみません、と息をはずませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長いきせるを出して髪結にたばこました。

 すきてが来ないので、髪をうのにだいぶひまが取れた。旦那は湯にって、ひげって、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日はいちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私もおともをしたいもんだなどと、だいぶじょうだんまじりの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。

 旦那はうこんもめんの風呂敷を、ちょっとはぐって見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちのわたいればおりを着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんはかすりの綿入羽織を出さなかった。

 やがて、御化粧が出来上って、流行のうずらちりめんみちゆきを着て、毛皮のえりまきをして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那のまわしはねつらまえて、伸び上がりながら、ぐんじゅの中をのぞき込んだ。

 真中にしるしばんてんを着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変ったはんてんがびたびたにれて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、ろれつの回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。こわい眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こうえたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、いきなり思い出したように、人間だいと大きな声を出す。

 ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いはうれしそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりとあおむけに寝た。かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、べらぼうめ、こうえたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男はわらなわで酔払いを荷車の上へしっかりしばりつけた。そうしてほふられた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、しめかざりの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つえたのを喜んだ。



山鳥[編集]

 五六人寄って、ひばちを囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状もたずさえずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へしょうじたら、青年は大勢いる所へ、一羽のやまどりげてはいって来た。初対面のあいさつが済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。

 その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥のあつものこしらえて食った。山鳥をりょうる時、青年ははかまながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉をいて、骨をことこととたたいてくれた。青年はこづくりのおもながたちで、あおじろい額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒いくちひげよりも、彼のいていた袴であった。それはこくらおりで、普通の学生にはみいだべからざるほどに、太いしまがらはでな物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分はなんぶのものだと云った。

 青年は一週間ほどってまた来た。今度は自分の作った原稿をたずさえていた。あまりくできていなかったから、遠慮なくそのむねを話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間ののち、また原稿をふところにして来た。かようにしてれは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっともすぐれたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただへんしゅうしゃおなさけで誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれからぶんを売って口をのりするつもりだと云っていた。

 或時妙なものを持って来てくれた。菊の花をして、薄いのりのように一枚一枚に堅めたものである。しょうじんたたみいわしだと云って、居合せたこうしが、さっそくひたしものに湯がいて、はしくだしながら、酒を飲んだ。それから、すずらんの造花を一枝持って来てくれた事もある。妹がこしらえたんだと云って、指のまたで、枝のしんになっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った。きょうだいしてまきやの二階を一間借りて、妹は毎日ぬいとりけいこかよっているのだそうである。その次来た時にはおなんどの結び目に、白いちょうぬいとったえりかざりを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云って置いて行った。それをやすのが私に下さいと云って取って帰った。

 そのほか彼は時々来た。来るたびに自分の国のけいしょくやら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。てんこくうまいという事も話した。おばあさんは去る大名の御屋敷に奉公していた。さるの年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿にちなんだものを時々下さった。その中にかざんいたてながざるふくがある。今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。

 すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、ひとえただ一枚つけて、じっとしょけんをしていてさええがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た。

 相変らず例のはではかまいて、あおしろい額ににじんだ汗をこくめいにてぬぐいいている。少しせたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという。実は友人が急病にかかったから、さっそく病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がった。と説明した。

 自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例のごとく両手をひざの上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人のうちはそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間てば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である。自分は金のちょうだつを引き受けた。その時れは風呂敷包の中から一幅のかけものを取り出して、これがせんだって御話をしたかざんじくですと云って、紙表装のはんせつものをべて見せた。うまいのかまずいのかはっきりとは解らなかった。いんぷをしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄ったらっかんがない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った。翌日また金を取りに来た。それっきりおとさたがない。約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分はだまされたのかも知れないと思った。さるの軸は壁へけたまま秋になった。

 あわせを着て気のまる時分に、ながつかが例のごとく金をしてくれと云って来た。自分はそうたびたび借すのがいやであった。ふと例の青年の事を思い出して、こう云う金があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろうと云うと、長塚は頭をいて、少ししゅんじゅんしていたが、やがて思い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿のかけものを添えて、長塚に持たせてやった。

 長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否やふところから手紙を出したから、受け取って見るときのう自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚はひたいに八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、さんたんたるものです、きたない所でしてね、さいくんぬいをしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、かけものだけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。

 あく、青年から、どうもうそいてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云うはがきが来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、みだればこの中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。

 そのうち冬が来た。例のごとくせわしい正月を迎えた。客の来ないすきまを見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。さしだしにんの名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙をぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。そののちいろいろの事情があって、今国へ帰っている。ごおんしゃくきんすは三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易にはがれなかった。

 その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥のあつものを食った。そうして、はでこくらはかまを着けたあおしろい青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件ごかいいに及ばずと云う一句を添えた。



モナリサ[編集]

 いぶかは日曜になると、えりまきふところでで、そこいらの古道具屋をのぞき込んで歩るく。そのうちでもっともきたならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうなみせっては、あれの、これのとひねくりまわす。もとより茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。

 井深は一箇月ほど前に十五銭でてつびんふただけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄のつばを買って、これまたぶんちんにした。今日はもう少し大きい物をめがけている。かけものでも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、いろずりの西洋の女のが、ほこりだらけになって、横に立てけてあった。みぞれた井戸車の上に、何とも知れぬかびんが載っていて、その中から黄色い尺八のうたぐちがこのの邪魔をしている。

 西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、そのかみの空気の中に黒くうまっている。いかにもこの古道具屋にあってしかるべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首をひねったが、ガラスも割れていないし、がくぶちもたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。

 井深がこの半身の画像をいだいて、うちへ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそくがくはだかにして、壁へ立てけて、じっとその前へすわり込んでいると、ランプを持ってさいくんがやって来た。井深は細君にを画のそばかざさして、もういっぺんとっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけがばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君をかえりみて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。

 飯を食ってから、踏台をしてらんまくぎを打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのはすが好いと云ってしきりにめたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。

 細君は茶の間へさがる。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全くえかきの光線のつけ方である。薄いくちびるが両方のはじで少しかえって、その反り返った所にちょっとくぼみを見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。またはいた口をわざと、じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。

 調べものとはじょう、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少しったら、また首をげて画の方を見た。やはり口元に何かいわくがある。けれども非常に落ちついている。切れ長のひとえまぶちの中から静かなひとみが座敷の下に落ちた。井深はまた机の方に向き直った。

 その晩井深はなんべんとなくこの画を見た。そうして、どことなく細君の評が当っているような気がし出した。けれどもあくる日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。四時頃うちへ帰って見ると、ゆうべの額はあおむけに机の上に乗せてある。ひる少し過に、らんまの上から突然落ちたのだという。道理でガラスがめちゃめちゃにこわれている。井深は額の裏を返して見た。昨夕ひもを通したかんが、どうした具合か抜けている。井深はそのついでに額の裏を開けて見た。すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、インキで妙な事が書いてある。

「モナリサの唇にはにょしょうなぞがある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」

 あくるひ井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、みんなに聞いた。しかし誰も分らなかった。じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。井深は細君のすすめまかせてこのえんぎの悪い画を、五銭でくずやに売り払った。



火事[編集]

 息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火のがもう頭の上を通る。しもを置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来てはそつぜんと消えてしまう。かと思うと、すぐあとからあざやかなやつが、一面に吹かれながら、おっかけながら、ちらちらしながら、さかんにあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、すきまなく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太いもみが静かな枝をに張って、土手から高くそびえている。火はそのうしろから起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所はまっかである。火元はこの高い土手の上にちがいない。もう一町ほど行って左へ坂をあがれば、げんばへ出られる。

 また急ぎ足に歩き出した。後から来るものは皆追越して行く。中には擦れ違に大きな声をかけるものがある。暗い路はおのずと神経的にきて来た。坂の下まで歩いて、いよいよのぼろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいにうずめて、上から下までひしめいている。ほのおは坂の真上からようしゃなく舞い上る。この人のうずかれて、坂の上まで押し上げられたら、くびすめぐらすうちにげてしまいそうである。

 もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。のぼるならこちらが楽で安全であると思い直して、であいがしらの人をわずらわしくけて、ようやく曲り角まで出ると、向うからはげしくベルを鳴らしてじょうきポンプが来た。かぬものはことごとくころすぞと云わぬばかりに人込の中を全速力でり立てながら、高いひづめの音と共に、馬のはなづらを坂の方へひとひねりむけなおした。馬は泡を吹いた口をのどりつけて、とがった耳を前に立てたが、いきなり前足をそろえてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、はんてんを着た男のちょうちんかすめて、びろうどのごとく光った。べにいろに塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほどきわどく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂をけ上がった。

 坂の中途へ来たら、前は正面にあったほのおが今度はすじかいに後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。よこちょうを見つけていると、細いろじのようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただいっすんセキもないほどんでいる。そうして互に懸命な声をげる。火は明かに向うに燃えている。

 十分ののちようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまたくみやしきぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっきって、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角にさまたげられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。

 そばに押し詰められているものは口々にどこだ、どこだとさけぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。燄は勢いを得て、静かな空をあおるように、すさまじくのぼる。……

 翌日ひるすぎ散歩のついでに、火元をみとどけようと思う好奇心から、例の坂を上って、ゆうべの路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先のまがりかどをまがって、ぶらぶら歩いて見たが、ふゆごもりと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにもみあたらない。火のがったのはこの辺だと思われる所は、きれいな杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からはかすかにことれた。



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 ゆうべよじゅう枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云うおおステーションのあるおかげである。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それをこまかに割りつけて見ると、一分にと列車ぐらいずつでいりをする訳になる。その各列車がきりの深い時には、何かのしかけで、停車場まぎわへ来ると、ばくちくのような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。

 ねだいい下りて、北窓のブラインドき上げてそとを見おろすと、外面は一面にぼうとしている。下は芝生の底から、三方れんがへいに囲われたいっけんよの高さに至るまで、何も見えない。ただむなしいものがいっぱい詰っている。そうして、それがしんとしてこおっている。隣の庭もその通りである。この庭にはきれいなローンがあって、春先の暖かい時分になると、白いひげはやしたおじいさんがひなたぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手におうむを留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡のくちばしで突つかれそうに近く、鳥のそばへ持って行く。鸚鵡ははばたきをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長いすそを引いて、絶え間なくしばかり器械をローンの上にころがしている。この記憶に富んだ庭も、今は全くきりうまって、あれはてた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。

 裏通りをへだてて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺すてっぺんでいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭くとがった頂きは無論の事、切石をふそろいに畳み上げたどうなかさえありかがまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘のはまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深くとざされた。

 表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方にちぢまったかと思うと、歩けばるくほど新しい二間四方があらわれる。その代り今通って来た過去の世界は通るにまかせて消えて行く。

 四つ角でバスを待ち合せていると、ねずみいろの空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧をおかして、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行きうときは、行き逢った時だけきれいだなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁ったくうの中に消えてしまう。ばくばくとして無色のうちに包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼をかすめてひるがえった。ひとみらして、そのゆくえを見つめていると、封じ込められた大気のうちに、かもめが夢のようにかすかに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンがおごそかに十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただおんだけがする。

 ヴィクトリヤで用をして、テート画館のはたかわぞいにバタシーまで来ると、今までねずみいろに見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。ピートいて濃く、身のまわりに流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とにせまって来た。がいとうおさえられたかと思うほどしめっている。軽いくずゆを呼吸するばかりにいきが詰まる。足元は無論あなぐらの底を踏むと同然である。

 自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらくぼうぜんたたずんだ。自分のそばを人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時このもうもうたる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれをめあてに、四歩ばかりを動かした。するとある店先のまどガラスの前へ顔が出た。店の中ではガスけている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。

 バタシーを通り越して、てさぐりをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上はしもたやばかりである。同じような横町が幾筋もへいこうして、青天のもとでもまぎれやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほどまっすぐに歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首をかたむけていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだんとおのいて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとはしんとしている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。



懸物[編集]

 だいとうろうじんは亡妻の三回忌までにはきっと一基のせきひを立ててやろうと決心した。けれどもせがれやせうでたよりに、ようやくこんにちを過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金のくめんをしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅はうらめしいほどむぞうさにそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切なかけものも、とうに融通のくものに変形したはずである。

 このかけものは方一尺ほどの絹地で、時代のためにすすだけのような色をしている。暗い座敷へ懸けると、あんたんとして何がいてあるか分らない。老人はこれをおうじゃくすいの画いたあおいだと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつふくろとだなから出して、きりの箱のちりを払って、中のものをていねいに取り出して、じかに三尺の壁へけては、眺めている。なるほど眺めていると、すすけたうちに、古血のような大きな模様がある。ろくしょうげたあとかと怪しまれる所もかすかに残っている。老人はこのもこたるとうがの古蹟にむかって、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時はかけものをじっと見つめながら、たばこを吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指をけようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、さわってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、いたずらをしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、ふくろとだなへしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内のあめやへ寄って、はっかいりの鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。せがれが晩婚なので小供は六つと四つである。

 倅と相談をした翌日、老人は桐の箱をふろしきに包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へけて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、らっかんがないとか、げているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。

 倅は道具屋はしになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱をかかえて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼のかない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんなにせものだ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。

 二月の初旬に偶然うまつてができて、老人はこのふくを去るこうずかに売った。老人はただちやなかへ行って、亡妻のために立派な石碑をあつらえた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほどおくれて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もういっぺん見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前にはとおるようなろうばいけてあったのだそうだ。老人はそこで御茶のごちそうになったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。



紀元節[編集]

 南向きの部屋であった。かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭をそろえて、ぬりばんを眺めていると、廊下から先生がはいって来た。先生は背の低い、眼の大きい、せた男で、あごからほおへ掛けて、ひげじじむさえかかっていた。そうしてそのざらざらした顎のさわる着物のえりが薄黒くあかづいて見えた。この着物と、この髯のぶしょうに延びるのと、それから、かつてこごとを云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。

 先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。

 すると、うしろから三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生のテーブルそばへ来て、先生の使った白墨を取って、ぬりばんに書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、そのわきへ新しく紀とにくぶとに書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。

「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。

 記を紀と直したものは自分である。明治四十二年のこんにちでも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなのこわがっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。



もうけぐち[編集]

「あっちはくりの出る所でしてね。まあ相場がざっとりょうに四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、しょうに一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。うまく行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵こしらえて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、よろしいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さいっけんもあろうと云う大きなたるを持ち出して、水をその中へどんどんみ込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、ひょうをほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえやつは本当に食えないもんだとあとになって、ようやく気がついたんです。栗を水の中にち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎ざるでしゃくってね、ペケだって、ひょうの目方から引いてしまうんだからたまりません。私はそばで見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫がってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんなうっちゃって来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。

「それからさつまいもを買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのがつきなかば、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、いや契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三すすめるもんだから、ついその気になりましてね。――いえいもは支那へ行くんじゃありません。アメリカでした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉からかわごえの方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実にこうかつやつがいるもんで、やくじょうがきのうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はそのじょうかんを応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっともてづけは四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、むこうでは芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまりごうはらだから、千円の保証金を納めましてね、げんぶつとりおさえを申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました」



行列[編集]

 ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間にか〈[#「いつの間にか」は底本では「いつの間か」]〉、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所はからめいたてすりさえぎられて、上にはガラスどが立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、のきばはすに、硝子を通して、えんがわの手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底にかげろういたように、春の思いがゆたかになる。

 その時この二尺あまりのすきまに、くうを踏んで、てすりの高さほどのものがあらわれた。赤に白くからくさを浮き織りにしたリボンを輪に結んで、額から髪の上へすぽりとめた間に、かいどうと思われる花を青い葉ごと、ぐるりとした。黒髪のうすくれないつぼみが大きなしずくのごとくはっきり見えた。割合に詰ったあごの真下から、ひとひだになって、ただ一枚のむらさきえんまでふわふわと動いている。そでも手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。あとから、――

 今度は少し低い。しんくの厚い織物を脳天から肩先までかぶって、余る背中にすじかいささの葉の模様をしょっている。どうなかにただひとはけしずみいろの中に取り残された緑が見える。それほど笹の模様は大きかった。廊下に置く足よりも大きかった。その足が赤くちらちらと三足ほど動いたら、低いものは、戸口の幅を、音なく行き過ぎた。

 第三のずきんは白とあいべんけいこうしである。まびさしの下にあらわれた横顔は丸くふくらんでいる。その片頬の真中がりんごの熟したほどに濃い。尻だけ見える茶褐色のまみえの下が急に落ち込んで、思わざるあたりから丸い鼻がふくれた頬を少し乗り越して、先だけ顔の外へ出た。顔から下は一面に黄色いしまで包まれている。長い袖を三寸余もえんいた。これは頭より高いごまだけつえを突いて来た。杖の先には光を帯びた鳥のをふさふさと着けて、照る日に輝かした。縁に牽く黄色い縞の、袖らしい裏が、銀のように光ったと思ったらこれも行き過ぎた。

 すると、すぐ後から真白な顔があらわれた。額から始まって、平たい頬を塗って、あごから耳のつけねまでさかのぼって、壁のように静かである。中にひとみだけが活きていた。くちびるべにの色を重ねて、青く光線を反射した。胸のあたりははとの色のように見えて、下はすそまでばっと視線を乱している中に、小さなヴァイオリンをかかえて、長い弓をおごそかにかついでいる。二足で通り過ぎるうしろには、背中へ黒いしゅすの四角なきれをあてて、その真中にあるきんしぬいが、一度に日に浮いた。

 最後に出たものは、全くさい。手摺の下からころげ落ちそうである。けれども大きな顔をしている。そのうちでも頭はことに大きい。それへ五色のかんむりいただいてあらわれた。冠の中央にあるぽっちが高くそびえているように思われる。身には井の字の模様のあるつつそでに、ふじねずみびろうどの房のさがったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤いたびを踏んでいた。手に持った朝鮮のうちわからだの半分ほどある。団扇には赤と青と黄でともえうるしいた。

 行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、むなしい日の光を、書斎の入口に送って、えんがわに幅四尺のさびしさを感じた時、向うのすみで急にヴァイオリンをこする音がした。ついで、小さいのどが寄り合って、どっと笑う声がした。

 うちの小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんないたずらをしている。



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 ピトロクリの谷は秋のましたにある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空のはんとくるんで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、やまむこうへ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずにかすんでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年のむかし、二百年の昔にかえって、やすやすとびてしまう。人は世にれた顔をそろえて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山のかせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。

 自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。いくねん十月の日が射したものか、どこもかしこもねずみいろに枯れている西の端に、一本のばらいかかって、冷たい壁と、暖かい日の間にはさまった花をいくつか着けた。大きなべんは卵色に豊かな波を打って、がくからひるがえるように口をけたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。においは薄い日光に吸われて、二間の空気のうちに消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這いのぼって行く。鼠色の壁は薔薇のつるの届かぬ限りを尽くして真直にそびえている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上のもやの奥から落ちて来る。

 足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届くはるかの下が、ひらたく色でうずまっている。その向う側の山へのぼる所は層々とかばきばが段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。あきらかでびた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横にうねって動いている。でいたんを含んだたにみずは、そめこいたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。

 うしろから主人が来た。主人のひげは十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。なりも尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。くるまひざかけのようにあらしまの織物である。それをあんどんばかまに、ひざがしらまでって、たてひだを置いたから、ふくらはぎは太い毛糸のくつたびで隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝とももの間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。

 主人は毛皮で作った、小さいもくぎょほどのがまぐちを前にぶら下げている。夜だんろそばへ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、たばこを出す。そうしてぷかりぷかりとよながを吹かす。もくぎょの名をスポーランと云う。

 主人といっしょにがけを下りて、おぐらみちはいった。スコッチ・ファーと云うときわぎの葉が、きざこんぶに雲がいかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろとりすが長く太った尾をって、のぼった。と思うと古く厚みのついたこけの上をまた一匹、ひとみからけ抜けたものがある。苔はふくれたまま動かない。栗鼠の尾はあおぐろほっすのごとくにって暗がりに入った。

 主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷をゆびさした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へさかのぼるとキリクランキーのはざまがあると云った。

 ハイランダースローランダースとキリクランキーのはざまで戦った時、かばねが岩の間にはさまって、岩を打つ水をいた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。

 自分はあす早朝キリクランキーの古戦場をおうと決心した。崖から出たら足の下に美しいばらはなびらが二三片散っていた。



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 とよさぶろうがこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物のかたづけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。あくる日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急にいどころが変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりにのこぎりの音がする。

 豊三郎はすわったまま手をのばしてしょうじを明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせとあおぎりの枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、おしげもなくまたの根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらいおびただしくなった。同時にむなしい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机にほおづえを突いて、なにげなく、ごとうの上を高く離れた秋晴を眺めていた。

 豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、なつかしいふるさとの記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点ははるかのむこうにあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。

 山のすそに大きなわらぶきがあって、村から二町ほどのぼると、路は自分の門の前で尽きている。門をはいる馬がある。くらの横にひとむらの菊をゆわいつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高くむねを照らしている。うしろの山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。たけの時節である。豊三郎は机の上で今ったばかりの茸のいだ。そうして、とよ、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。

 豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。するとさっき見たごとうの先がまたひとみに映った。延びようとする枝が、ひとところり詰められているので、またの根は、こぶうずまって、みにくいほど窮屈に力がっている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐をへだてて、垣根の外をみおろすと、きたない長屋が三四軒ある。綿の出たふとんが遠慮なく秋の日に照りつけられている。そばに五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。

 ところどころしまの消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、ともしい髪を、大きなくしのまわりに巻きつけて、ぼんやりと、枝をかした梧桐のてっぺんを見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔はあおくむくんでいる。婆さんはれぼったいまぶちの奥から細い眼を出して、まぼしそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。

 三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほどわらくくって貰って、とくりのようなかびんけた。こうりの底から、ほあしばんりの書いた小さいじくを出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎はざぶとんの上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、とよとよと云う声がした。その声が調子と云い、ねいろといい、優しいふるさとの母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓のしょうじをがらりと開けた。するときのう見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日をひたいに受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼をひるがえして下から豊三郎を見上げた。



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 げきれつな三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全くいやになった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょにまで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱつまって、いかにも苦しい。そこで帽子をかぶってくうこくしの所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたようなうらないしゃみたような、妙な男である。むへんざいの空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知がわれわれの眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。

 空谷子は小さなかくひばちもたれて、しんちゅうひばしで灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今かねの事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。

「金は魔物だね」

 空谷子の警句としてははなはだちんぷだと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸をいて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。

「これが何にでも変化する。きものにもなれば、くいものにもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」

「下らんな。知れ切ってるじゃないか」

いや、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。

「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通がき過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」

「どうして」

「どうしても好いが、――たとえば金をごしきに分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」

「そうして、どうするんだ」

「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、かわらかけら同様まるで幅がかないようにして、融通の制限をつけるのさ」

 もし空谷子が初対面の人で、初対面のさいさきからこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のあるろんかくと認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。

「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、ひし相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万トンの石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるにひとたびこの器械的の労力が金に変形するや否や、急にだいじざいじんずうりきを得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界がかくらんされてしまう。不都合きわまる魔物じゃないか。だからいろわけにして、少しそのぶんを知らしめなくっちゃいかんよ」

 自分はいろわけせつに賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。

「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」

「そうさな。今のようなぜんちぜんのうの金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」

 自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。



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 二階のてすりに湯上りのてぬぐいけて、日の目の多い春の町をみおろすと、ずきんかむって、白いひげまばらにやしたげたの歯入が垣の外を通る。古いつづみてんびんぼうくくりつけて、竹のへらでかんかんとたたくのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんがすじむこうの医者の門のわきへ来て、例のそこなった春のつづみをかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえにむこうの方へ廻り込んで見えなくなった。鳥はひとはばたきに手摺の下まで飛んで来た。しばらくはざくろの細枝にとまっていたが、落ちつかぬと見えて、二三度ぶりをえるひょうしに、ふとらんかんりかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上がけむるごとくに動いたと思ったら、小鳥はもうきれいな足で手摺のさんまえている。

 まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合がいちじるしく自分の心を動かした。うぐいすに似て少ししぶみの勝ったつばさに、胸はくすんだ、れんがの色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。そのあたりにはやわらかな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。おどすのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身をうしろへ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分はなかば無意識にめてを美しい鳥の方に出した。鳥はやわらかなつばさと、きゃしゃな足と、さざなみの打つ胸のすべてをげて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手のうちに、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……のあとはどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にそのあとひそんでいて、総体を薄くぼかすように見えた。この心の底一面ににじんだものを、ある不可思議の力で、ひとところに集めてはっきりと熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分はただちかごの中に鳥を入れて、春の日影のかたむくまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。

 やがて散歩に出た。きんきんぜんとして、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、にぎやかなおうらいを行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人のあとから、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いてもにぎやかで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。知らない人に幾千人となくであうのはうれしいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。するとどこかで、ほうれいが落ちてひさしがわらに当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先のこうじの入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんなまげっていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻とまゆと額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年ののちまで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙ってうしろを向いた。追いついて見ると、小路と思ったのはろじで、ふだんの自分ならちゅうちょするくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へはいって行く。黙っている。けれども自分に後をけて来いと云う。自分は身をすぼめるようにして、露次の中に這入った。

 黒いのれんがふわふわしている。白い字が染抜いてある。その次には頭をかすめるくらいに軒灯が出ていた。真中にさんがいまつが書いて下にもととあった。その次にはガラスの箱にかるやきあられが詰っていた。その次には軒の下に、さらさこぎれを五つ六つ四角なわくの中に並べたのがけてあった。それから香水のびんが見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺ほど前にいた。と思うと、急に自分の方をふり返った。そうして急に右へ曲った。その時自分の頭は突然さっきの鳥の心持に変化した。そうして女にいて、すぐ右へ曲った。右へ曲ると、前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。自分は女の黙って思惟するままに、この細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥のようにどこまでも跟いて行った。



変化[編集]

 二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後のこんにちまでも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢でしたしらべをした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、まどしょうじを明け放ったものである。その時窓の真下のうちの、たけごうしの奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿もきわだって美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらくみおろしていた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。

 女の顔は今は全く忘れてしまった。ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。無論ながやずまいの貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人のねおきする所も、屋根に一枚のかわらさえ見る事のできない古長屋の一部であった。下にはがくぼくと幹事をぜて十人ばかり寄宿していた。そうしてさらしの食堂で、げたいたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだまずいものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉のあぶらが少し浮いて、肉のはしからまって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事がこうかつで、うまいものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。

 中村と自分はこのしじゅくの教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところがみいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。

 二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃにぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭そくばくを引いて、あまる金をふところに入れて、そばしるこすしを食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。

 予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。

 中村がボートきょうそうのチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様のすきなものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの論文とさおうのハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。

 学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるでわなかったのが、偶然ロンドンの真中でまたぴたりとでくわした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前とかわって、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。

 日本へ帰ってからまたわなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地のしんきらくまで来いと云って来た。ひるまでにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事をひかえていた。さいに電話をけさせて、あすじゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちもいそがしいから……と云うところで、電話が切れてしまった。いくら、どうしてもかからない。おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。それでとうとう逢わずにしまった。

 昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説をいまだかつて一ページも読んだ事はなかろう。



クレイグ先生[編集]

 クレイグ先生はつばめのように四階の上に巣をくっている。しきいしの端に立って見上げたって、窓さえ見えない。下からだんだんと昇って行くと、ももの所が少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。幅三尺足らずの黒い戸にしんちゅうノッカーがぶら下がっているだけである。しばらく門前で休息して、この敲子のかたんをこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。

 開けてくれるものは、いつでも女である。ちかめのせいか眼鏡をかけて、絶えず驚いている。年は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸をたたくのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。

 はいると女はすぐ消えてしまう。そうしてとっつきの客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分のはいって来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、むこうではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそしたらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけなしわだらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。

 この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めてった時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七シルリングじゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。君、少し金がるから払って行ってくれんかなどと云われる。自分はズボンかくしから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手をひろげて、ちょっとてのひらの上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へそうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。

 先生はアイヤランドの人で言葉がすこぶる分らない。少しきこんで来ると、東京者がさつま人とけんかをした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。

 その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分にく似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいらじゅうむしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。ひげなどはまことに御気の毒なくらいこくびゃくらんせいしていた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、むちを忘れたカブマンかと思った。

 先生のしろシャツしろえりを着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでもしまのフラネルをきて、むくむくしたうわぐつを足にいて、その足をストーブの中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝をたたいて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪をめていた。――時にはたたく代りにももこすって、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によるときのうきょうで両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあでたらめで、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいでまとまった規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。もっとも先生の頭も、そのひげの代表するごとく、少しは乱雑にかたむいていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。

 先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには顔から肩のあたりかげろうのように振動する。――うそじゃない。全く振動した。その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物をひざの上に伏せて、はなめがねをわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。

 先生は自分を小供のように考えていた。君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどとにもつかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急にどうはいあつかいに飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかるのち耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減なあいさつをした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝をたたいて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。

 ある時窓から首を出して、はるかの下界をいそがしそうに通る人をみおろしながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、かわいそうなものだ。いったいイギリスじんは詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くとアイヤランドじんはえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩をあじわう事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。自分はこの先生においていまだじょうあいというものを認めた事がない。全く器械的にしゃべってるおじいさんとしか思われなかった。

 けれどもこんな事があった。自分のいる下宿がはなはだいやになったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例のけいこを済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまちひざたたいて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。もとより四階裏のひとすみだから広いはずはない。二三分かかると、見る所はなくなってしまった。先生はそこで、元の席へ帰って、君こういううちなんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。昔ホイットマンが来て自分の家へしばらくとうりゅうしていた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読みすごしているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。だから……

 書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。自分はただなりゆきに任せてへえへえと云って聞いていた。何でもその時はシェレーが誰とかとけんかをしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。

 先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれがみあたらないと、大いにきこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、ぎょうさんな声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。

「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」

 婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応しょだなを見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指できたない表紙をぴしゃぴしゃたたきながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へさがって行く。先生は二分も三分も「ウォーズウォース」を敲いている。そうしてせっかくさがして貰った「ウォーズウォース」をついに開けずにしまう。

 先生は時々手紙を寄こす。その字がけっして読めない。もっとも二三行だから、何遍でもくりかえして見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。先生から手紙がくればさしつかえがあってけいこができないと云うことと断定して始めから読むてすうはぶくようにした。たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。その時ははなはだよく分る。先生は便利な書記をかかえたものである。先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。そうして君の方がよほど上手だと云われた。

 こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資格があると思う。先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりしてすましている。のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけたしょげんを読まされた事がある。その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。しかしその時はさほどにも感じなかった。しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。

 客間をかぎに曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかりならべて、先生はまがなすきがな、かみぎれに書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、けちんぼうが穴のいたぜにためるように、ぽつりぽつりとやして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙がさおうじてんの原稿であると云う事は、ここへきだしてしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子をなげうって、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七シルリングの御弟子をそまつにするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜ばんかんほうはくしているのみである。

 先生、シュミッドのさおうじいがある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさもけいべつを禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁としてかんぷなきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものをこしらえるくらいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指をそろえて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃたたき始めた。

「全体いつごろから、こんな事を御始めになったんですか」

 先生は立って向うのしょだなへ行って、しきりに何かさがし出したが、また例の通りれったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンのありかを尋ねている。婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーとたしなめて帰って行くと、先生は婆さんのいっさつにはまるでとんじゃくなく、ひもじそうに本を開けて、うんここにある。ダウデンがちゃんと僕の名をここへげてくれている。特別にさおうを研究するクレイグ氏と書いてくれている。この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。

 自分はそのしばらくして先生の所へ行かなくなった。行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授はらんかね。僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。

 日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。さおうの専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、ほごになってしまったのかと考えた。

この作品は1927年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。