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民法原論


緒 論

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第1章 法律の観念

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法律は人類共同生活の要具なり。けだし人類共存の結果として必ずその間に生存競争を生ずるものとす。然るにもしその相互の関係を規律し各自の行為を制限する法則なきにおいては各自己の欲望を充たすに急なるより往々にして他人の生活を妨害し争鬩底止する所なく竟いに共同生活の安固及び発達を保全すること能わざるべし。ここにおいてが法律なるものありて吾人相互の間に侵すべからざる分界を画定しもってその結合を維持すると共に各人をして安全にその生活を遂くることを得せしむ。法律は即ち人類共同生活の秩序を保持しその円満なる発達を図る為に存する行為の準則に外ならざるなり。

然りといえども人間共同生活の規則は法律のみ非ず。道徳及び宗教また吾人の必術行為を覊束し互に遵守するべき本分を定むるものなり。殊に法律と道徳の間には最も密接な関係あるが故にその別の標準を明らかにすることを要す。然るにこの問題に関しては従来議論あり学説一定する所なし。今ここに余輩の所見を約言すれば法律なるものは畢竟統一の力に依りて強行せらるる規則に外ならずけだし上古創始の世に在りては道徳と法律とは画然分立せしに非ず。ただ血統関係より成る種族の結合を維持する必要に起きたる習俗ありしのみ。この未開時代の習俗が即ち道徳と法律との分立するに至れる素因にして進化の作用に因りその分業を来したるものなり。時世稍々進み同族相親む感念発達しここに始めて道徳の基礎定立したるものと思わる。而して当時族長はその配下の子女を統御するに必要と認めたる規則を強行せりと伝う。この法律の起原と見るべきか如し(クルセルセノイ法学原論200頁)。斯て種族の分子漸次に繁殖し更に攻略その他の事由に因りて部落相合し人間共同生活の範囲益々膨張するに従い遂に道徳をもってその団結を維持する能わざることと為り。ここに始めて法律なるもの道徳と分離するに至りたるなり。これ固より漸をもって成りたることにしてその未だ判然道徳と分離せざりし。原状はローマ以降の法学者に出でたる法律の定義に表出せるのみならず。近世に在りても尚未開国にその痕跡を見ることを得べきなり。要するに法律は統治権なる観念と離るべからざるものにして畢竟国家的共同生活の一現象に外ならざるなり。

これの如く法律は人類共同生活の必要上より統一の力(主権)に依りて存立しかつ強行せらるる規則なり。即ち吾人の承認を俟たずしてその目的とする効果を実現することを得故に又一般に外形上の制裁を具有するものとす。道徳はこれに反し主権の作用に依りて定まる法則に非ず。また外界の力をもって強行することなし。その法則は主として制束しこれを認識かつ遵守することをもって良心の判断に委す。即ち法律の如き客観的存在を有する規則に非ず。故に又これに違反するも外形上の制裁あることなし。この法律と道徳及び宗教と相異なる要点なりとす。

この見解は法律の通性を示したるに過ぎず固より法律の規定中には強行的制裁を有せざるものもこれなしとせず。殊に宗教と全然分離せざりし古代の法律にはその例多し。余輩は決してこの効力を有せざる法規は法律に非ずと言わず。故に又その効力あることをもって道徳及び宗教と区別する唯一の標準と為す説(ロガェン法理論62号)はこれを採らず。ただ普通一般にこの効力を有することは法律の一大特徴と認めて誤なきことを信ずるなり。

法律は道徳とその淵源及び効力を異にすることこれの如し。故に各自の領域もまた同一ならざるは当然とす。然りといえどもこの二者は終局の目的において径庭するものと解すべからず。何れもその主旨とする所は一にして畢竟人類の共同生活を保全しその向上発展を期するに在り。ここにおいて法律と道徳とは常に密接の関係を有しその規定の実質を異にせざること多し。例えば債務を履行し又は不法行為を為さざる義務の如きは全然道徳と一致するものにして道徳上よりするもその遵守の必要なること言うを俟たず。ただ此等の外部関係に属する法則は共同生活の保持の為め国家の権力をもってこれを強行することを要するより法律の領域に属するに至れるのみ。これと相異なりて慈善又は救助を為す義務の如きは単純なる道徳の範囲にしてその実効を励むべきこと勿論なるも法律は通常これに干渉せず。もしそれ法律において道徳の命ずる行為を禁止し又はその禁止する行為を命ずる如き。両者直接に抵触する場合は文明の進むに従い殆どその事例なきに至るべきものとす。固より斯かる場合においても法律は法律としてこれを遵奉せざるべからずといえどもこれが為め一般に道徳を阻害するは誤れり。道徳心の発達せざる社会は野蛮にして法律もまた完全に行わるることなし。両者互に相輔翼してその共同の目的を達せざるべからざるなり。

法律の本源に関しては古来学説一定せず往昔宗教と分離せざりし。時代においては一般に神意の表現なりと解し統治者もまた之に依りて人心を帰服せしめんことを図れり。時勢ようやくこの主義をもって一貫すること能わざるに至り。これに哲学上の観念に基づきて法律の本源を説明することと為れり。而してその最も著大なる勢力を有せるものは自然法説なりとす。この説は人定法以外に古今万法に通じて変わることなき理想法の存在することを認めこれをもって人定法の模範となしかつその不備を補わんとするものなり。而してその根本法の何たることに付ては見解一様ならず。普通には人類の本性に適合する法なりと曰うも所謂人性の何ものたることを究明せず。従ってその理性に基づく法則の本体もまた漠としてこれを明らかにすることを得ず。要するに自然法説は畢竟想像に起因せる断定にして実験場の根拠を缼くものと謂うべし。而もこの学説は178世紀において盛んに行われ前盛期間に編纂さられたるフランス民法その他の法典は主としてこの学説に基きたるものとす。雑然たるローマ依頼の諸法規を系統的に組織し法学の進歩を促したる功績は没すべからずといえども畢竟一種の主観的理想に過ぎず学理的研究の結果と認むることを得ざるなり。

自然法学派は永年法学界に勢力を独占したるも第18世紀の末に至りこれと相対時して起りたる一大学派あり歴史法学派即ちこれなり。この学派は歴史上より法律の原理を究明せんとするものにして前世紀の始めにサヴィニーの有力なる原論出でてより翕然学会を風靡し法学の研究上に一生面を開くに至れり。今茲にその論旨を約言せば法律は国民一般の意思を表彰する歴史の産出物にして一個立法者の主観的理想より成る製作物に非ず。ただその総意表現の直接なると間接なるとに依りて慣習法と成文法との差別あるのみ。故に法律の原理を研究するにもその歴史的淵源及び沿革を究明し始めてその目的を達することを得べしと曰うに在り。これ近世ドイツにおいて最も行はるる所に総意主義の学説なりとす(サヴィニー[羅馬法原論]仏文1巻14頁)。

この学説は先天主義の謬論を撃破し法学の研究方法を一新したることは争ふべきに非ずといえども法律の本質をもって国民の総意なりとし歴史意外にその淵源を認めざる点においては未だ正鵠を得たるものと謂うべからず。けだし法律は上来説明する如く国家的共同生活の規則にして統一の力に依り存立するものとす。国民一般の意思は多くの場においてその原動力たること疑いを容れずといえども時勢と国情に依りては必ずしも然らず。統治者は政治上の必要その他の事由に因り未だ社会民衆の間に成熟せざる思想を根拠とし又は従来慣行せられたることなき事項に付き法律を制定すること往々にしてこれあり。その例証はこれを遠きに求むることを要せず我国維新以後の法令は多くこの部類に属するものと謂うべし。また歴史派の学説はその論旨より生ずる当然の結果として慣習法をもって最良の法律と為すもこれまた均整の社会状態及び立法観念に適合せざるものとす。今や人類共同生活の範囲益々拡大し複雑なる関係を加えるに従い法律は専ら歴史的に成長せる国民の思想を表現するももって足れりとせず。然るに歴史派は過去における法律的現象の変遷にのみ着眼し立法手段に依る施設の要務を閑却するものと謂わざることを得ざるなり。

右に示す両学説の外にオースチン一派の命令説あり。即ち法律は主権者の命令なりとする説にして多少の勢力なきに非ず。然りといえどもこの見解は制定法の一部類にのみ適応し一切の法規を網羅するに足らず。即ち許容法の如き命令と称すべからざる法規少なしとせざるなり。殊にこの学説は法律の外形的要素にのみ着眼しその実質(生活関係の準基なること)を表明せざる欠点あるものと謂うべし。

以上説述する所を約言すれば法律なるものは畢竟一の政治的団体を形成する人類共同生活の秩序(準則)にして統一の力に依り保持せらるるものを謂う。而してここに準則たるや道徳及び宗教と分離せる近世に在りては何れも吾人の行為に関するものにして直接に内心を律せざるを原則とす。故に法律とは権力に依りて強行せらるる人間外部関係の規則と曰うも可なり。ここに所謂権力は一国内に行はるる法律に付ては国家の主権を指すこと言うを俟たず即ち国内法は何れも主権の作用に依りて存立するものなり。これと相異なりて国際法は国際団体に属する国家相互の関係を規律する法則にして統一の力に依る強制手段未だ完備するに至らず。従って旧来の観念に依れば純然たる法律と称すべからざる如しといえども現今の学説はその実質上より観察してこれを法律の一部類と見るに至れり。なお此等の原理は第3章においてこれを詳述すべし。

終わりに一言すべき事は法律なる語は憲法制定以来これを狭義に用うることあり。即ち帝国議会の協賛を経たる法規を意義することこれなり(憲37条)。上来法律と称するは固より広義の法律にして道徳,宗教及び社交上の大儀等に対し一切の制定法及び慣習法を謂うものなりとす。

第2章 法律の学及び術

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法律の研究即ち世上一般に法律学又は法学と称するものは1つは科学(Science)なるや将た技術(Art)なるやに付ては従来議論なきに非ず。科学とは数多の現象に就きその通素を知悉することを謂う。即ちその原因連絡等を明らかにし系統的にこれを叙述することこれなり。これと相異なりて技術とは或事を成功するに最も適当なる方法を知得することを謂う。故に技術には智巧と熟練を必要とす。この二者は平常吾人の研究する数多の学科に就き存在するものにして互に密附の関係を有し人性各般の需要を充たすに肝要なるものと謂うべし。

法律の研究にもまたこの2の目的あるものとす。同種の法律的現象に就きその通素即ち原理を究明することは純然たる法学に属す。一国の法律を解釈しこれを裁判その他の実務に応用することは法術に外ならず。法術は法学に依りて究明せられたる原理に基づくに非ざれば完全にその目的を達すること能わず。故に法学は本にして法術は未なり。もって法術家に法学の素養なかるべからざることを知るべし。

法学は法術の基本なるに由り法術以前に開けたる如くに解せらるべきも実際における両者発達の順序は反対にして法術先に開け法学後に起りたることは内外諸国の歴史に徴して明瞭なる事実とす。けだし如何なる事物と言えども先ずこれを吾人生活の需要に供する手段を求め然る後にその原理を究明しこれに依りて益々完全にその需要を充実せしむる方法を発見せんとするものなり。即ち法律的現象ありて法術先ず開け次て法学を起す端緒と為り更に法学の力に依りて益々発達したるものとす。故にこの二者は常に相扶翼して人間法律生活の進歩を促すに至りたるものと謂うべし。

法学には数多の部門ありてその研究すべき時効を一にせず或いは古今内外に亘りて法制の系統沿革等を究明する学科あり或いは一国現行法の意義又は内容の研究を目的とするものあり。また一国の法律中においても公法私法又は憲法民法と言う如くに或一部類の法律を先行するを通例とす。その研究項目の範囲如何に依りて学問たるの性質に差異あることなし。法律に関する諸科目中において専らその最高原理を究明することを目的とするものを法理学又は法律哲学と謂う。法制史及び比較法の如きも純科学たる点において同一の部類に属するものなり。民法商法その他多数の科目は学と術との両方面に渉るものとす。その条規を分析して前後の連絡関係を明らかにし更にその発見せる原理を秩序的に叙述することは一の科学たることを失はずといえども単に現行法の条文を逐うてその字義を注釈するに止まる如きは殆ど科学に値するものと謂うことを得ず。一説に「法律学は成法を対象とする科学なるが故にその研究の方法は解釈意外にこれを求むべからず。故に法律学は法律解釈学に外ならず」と曰う(石坂氏「法律学の性質」民法研究3巻1頁以下)。この見解は法学の領分より自然法及び立法論等を除外せんとする点においては正当なるも法学をもって専ら一国法律の意義を定むる学問なりとするは狭隘に失する如し。けだし法理学,法制史,比較法学等は単に解釈を目的とするものに非ず。而も法学の範囲に属すること疑いを存せざるなり。

一般科学中における法学の位置如何は科学の分類法に関する一大問題にして観察方面の如何に依りて学説一様ならず。けだし諸般の科学において研究の対象と為るべき宇宙間の現象は千種万態にして無機体に関するものあり。有機体に関する現象中においても自然界の法則に支配せらるるものと心性上の作用に属するものあり。殊に生物中の人類に関してはその生理的構造を研究する科学(人類学生理学の如き)の外に一層複雑霊妙なる精神的現象の研究を目的とするものあり。普通これを自然科学に対して精神科学と謂う。またこの種の科学中においても個々に観察せる人類の精神的現象を究明する科学(心理学の如き)と最も複雑なる社会的現象即ち社会を組織し共同生活を営むより生ずる諸般の現象を究明する科学あり。後者はこれを社会学と称する者あるも「社会学ソシオロジー」なる語は社会なる集合体その者の研究を目的とする位置科学を指すを本義とす。ここにはむしろ広義における社会学即ち「社会学的科学」の意義に解すべし。即ち法律学は歴史学,経済学,政治学等と共にこの部類に属するものとす。

惟うに法学は科学としては諸種の科学中において最も発達の後れたるものの一なりとす。けだし科学の進歩はその究明すべき現象の単簡なると複雑なるとに依りて遅速の差異なき能わず。単純なる現象に関する科学先に開け漸次複雑なる科学の進歩を来せるものと解するなり。概言すれば無機体に関する化学は有機体に関する科学に先じて開けたる如く。また生物中においても比較的緻密なる組織を具うる。人類に関する科学はその研究容易ならず。殊に社会に生存するものとしてその複雑なる社会的現象の研究を目的とする諸科学即ち史学経済学法理学及び政治学の如きは最も後に発達したるものとす。これけだしこの種の科学に在りてはその原理を究明するに物理的科学における如き実験的方法を施用すること能わざるに因るべし。故に古来個々の問題に関しては研究の到れることあるも系統的にこれを組織することなく或いは想像妄断頻に行われこれが為めに益々真理の発見を妨げることは争うべからざる事実なりとす。

法学研究の方法には理想的研究法と経験的研究法の2種あり。而して経験的法学は更にこれを分類して分析法学,歴史法学及び比較法学の3種とす。近世の観念においては法学は経験科学にして実際の法律的現象に就きその原理を究明するをもって目的とせざるべからず。故にその研究は成法に関することを要しこの基礎の上に立たざる主観的理想又は立法論の如きはその範囲に属せざるものとす。歴史に徴するも古来法律の研究方法は理想的研究法より経験的研究法に進みたることを疑いを存せず。即ち法律はこの変転に因り始めて科学の体を備うるに至れるものと謂うべし。この点において歴史法学派は従来のひろく行われたる先天主義即ち自然法の学説を撃破し法学の基礎を一新することに付き多大の功績ありしことさきに詳述したる如し。

然りといえども法学の研究は専ら歴史的方面に偏ずべきに非ずして更に広濶なる範囲にその資料を求めざるべからず。近世ようやく隆盛に向かわんとする比較法学の如きは各国又は各民族の法制を対照分類してその系統連絡等を究明する需要なる一科なりとす。または諸般の科学は互に密接の関係を有するものにして近世生物学を始めとし自然科学の発達の如きも精神的諸科学の研究上に一生面を開き大いにその進歩を促したることは顕著なる事実なりとす。

第3章 法律の分類

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法律は別異の見地よりこれを分類することを得べし。その分類中において旧来ひろく行われたる自然法と人定法との区別はここにこれを掲げず。けだし法律は総て人定法にして自然法なるものは既に詳述せりが如く一種の主観的理想に過ぎず固より法律の一部類と見るべきものに非ざるなり。

第1節 国法国際法

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国法又は国内法とは一国主権の下に行わるる法律を謂う。即ち一国内の事項に関しその国家の制定又は承認したるものを謂うなり。国際法とは国際団体に属する国家間に協定又は承認せられたる法則にしてその相互の権利義務を定むるものを謂う。故に茲に所謂国際法とは国際公法を謂うものにして国際私法を包含せず。けだし国際私法の性質に関しては従来議論なきに非ずといえども国際私法なるものは畢竟渉外法律関係に就き内外法何れも適用すべきやを定むる。国内私法なることは近時学説の殆ど一定する所なり。これその法則が国際的なるに非ずしてこれに依りて支配せらるべき法律関係が国際的即ち外国的原素を含有するものなるに過ぎざればなり。

国際公法の性質に関しても大いに議論あり。一説に国際公法は一の統治者ありてこれを強行するものに非ず。またこれに違反するも一定の制裁あるに非ざるが故に純然たる法律と見るべきに非ずして一種の国際道徳に外ならずとせり。この見解の当否は畢竟法律なりとする趨向あり。けだし歴史上より観察するときは法律は常に一国主権の下に強行せられたるものなること疑いを容れずといえどもこれ往時に在りては国家間の関係複雑ならず。従ってその行為の限界を定むる法則を必要とせざりしが故のみ。然るに近世世界交通の開くるに従い国家間においても国法と同一様の法則行はるるに非ざれば人類の共同生活を全うすること能わざるに至れり。これ即ち文明国間に国際法の起れる所以にしてその権利義務の標準を定むる点においては国法と実質を異にすることなし。ただその法則たるや未だ充分発達するに至らずして屡違犯の実例を見ることあるは事実とす。また国法における如き一の統治者ありてこれを強行するに非ずといえども数国結合せる状勢の下において不完全ながらも一種の居勢力及び制裁あることは否認すべからず。殊に現今将に成立せんとする国際連盟の発達するにおいては益々上記の欠点を補正するに至るべきこと疑いを容れざるなり。

国際条約は国際の一要部を成すものにして締盟国においてこれを公布するときはその臣民に対しても拘束力を生ずることは現今多数学者の認むる所なり。

第2節 公法,私法

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法律を大別して公法私法の2種と為すは古来の通説なり。この区別は往昔ローマ法官の職務に国家の公務と人民の法律事務との2種ありしことに起因する如し。然るにその標準に至りては学説紛々として一定する所を見ず。茲にこの問題に付き諸種の学説を細評することを得ずといえどもこの区別は古来一般に最も重要視せられ民法を説明するにもまた第一にその私生活なることを言わざる者なきが故に左にその主要なる学説を述べ併せて余輩の所見を開陳せんとす。

第1節は法律を公法に区別する標準をその目的に取る説にして公益を目的とする法律は公法なりとし私益を目的とする法律は私法なりとするに在り。この説はローマの学者ウルピアン始めてこれを唱え後世主としてローマ法系の諸国に伝われり。然るに法律の目的公益に在るとは何に憑りてこれを識別することを得べきやその基準確立せざるのみならず。本来国家と個人とは互に密接の関係を有するものなれば果して何れも利益の保護を目的とするやを決定することの困難なる場合尠しとせずむしろ一切の法律は同時に国家及び個人の利益をもってその目的とするものと解すること至当なるべし。またこの説は公法と所謂公の秩序に関する法規との差別を明らかににせざる欠点あり。世人往々にしてこの両者を混同することあるはけだしその学説の多年ひろく行われたる結果に外ならざるべし。後世この学説に多少の修正を加えてこれを主張したる者あるも近世に至りては殆どその勢力を失墜するに至れり。

第2節は区別の標準を法律関係の性質に取る説にして公法とは権力服従の関係を定むる法律を謂い私法とは平等なる権利関係を定むる法律を謂うものと為す。その要旨とする所はけだし形式上においては法律に公私の差別あることなし。何れも国家の命令をもって遵由せしむる規則に外ならず故に公法私法の区別はその実質上の区別と解せざるべからず。而してこの点においては権力関係と対等関係の外にこれあることなしと云うに在り(穂積八束博士論文集「公法の特質」外数篇参照)。この説は近来我国において頗る勢力ある如しといえども果して正当なるや大いに疑いなき能わず。けだし近世の社会においては凡て法律関係は法規に依り支配せらるる権利義務の関係にしてその間に権力関係とを画然区別すること難し。例えば親族法の一大部分即ち親子,夫婦又は戸主家族の関係の如きは主として一種の権力関係と見るべきが如しといえども現今に在りてこれを公法関係と為す者は殆どこれなきなり。また国際法の如きは国家相互の平等関係を定むるものなるも未だこれを私法と称する者あることを聞かず。この他刑法において他人の身体財産に対する罪を犯したる者に一定の刑罰を科すると民法において不法に他人の権利を侵害し又は債務を履行せざる者に損害賠償を命ずるとの間に果して上述せる如き法律関係の性質を異にする所あるや。むしろ何れの場合においても国民相互の関係に付き国家が各人に一定の行為又は不行為を命令しこれに違反したる者に或種の制裁を加うるものに非ずや。

第3節は前説に多少類似するものにして法律は総て権力関係の規定なりとしその中において人に対する権力を定むるものを公法とし物に対する権力を定むるものを私法とするに在り。この説はゾーム一派の主張する所にしてその主旨とする所は民法をもって財産法なりとし親族関係に関する規定の如きは私法の範囲に属せざるものとするに在り。然るにこの見解たるやローマ法の説明としては多少の根拠なきに非ずといえども近世の観念は親族法をもって私法の一部と為すに在ること諸国の立法例に徴して疑いを存せず。かつそれこの説の如きは何人も対人関係たることを疑わざる債権の本質を誤解し身体名誉の如き人格権の所属を明らかににせざるものと謂うべし。要するに人的権利と物的権利との区別を基本として法律の公私を分かたんとする如きは一般法律関係の性質を分析するの粗漏なるに原因する謬見と謂わざることを得ず。

第4節は区別の標準を法律関係の主体に取る説にして公法とは国家その他の公人格が少なくも一方の主体たる法律関係を規定する法律を謂い私法とは国家の単位たる個人相互の関係を規定する法律を謂うものとするに在り。これ主として仏国一般学者の主張する所にして従来最もひろく行わるる見解なりとす。要するにこの学説は法律関係を組成する主体に依りて法律の公私を区別せんとするものに外ならず。

国家又は公共団体が財産に関する契約の当事者たる如き個人と同一の資格において行動する場合においてもローマ法は尚公法の支配を受くるものと為せり。これに反して近世の観念はこの種の法律関係を規定する法律をもって私法と為し個人相互間の関係と区別せざることはつとに一定する所なり。故にここに示す学説の如きも畢竟法律関係を組成する主体の資格に依りて法律の公私を区別せんとするに在るものと解せざるべからず。

この説は前3節に比すればその結果において優る所あり。即ち公法と公の秩序に関する法規とを混同せず。また親族法の全部を私法とする如きは普通一般の観念に適合するものとす。ただその基準標準たるや形式的に失して区別の本源を明らかににせず。即ち双方又は一方の主体が国家その他の公法人なると否とに依りて法律を公私に大別する所以を知るに由なきなり。

第5節は区別の標準を法律の内容に取る説にして公法とは統治権の主体と見たる国家に関する法律関係を規定する法律を謂い私法とはそれ以外の法律関係を規定する法律を謂う。この学説の根拠とする所は凡そ法律関係にはここに示す両種のものありて截然その根本観念及び性質を異にするに在り。国家が個人と財産上の契約を為す場合の如きは統治権の主体として行動するに非ず。故に近世の観念においては当然私法の支配を受くるものとす。公共団体もまた国家の行政組織の一部を成すものなるが故にこの区別に関して国家と同一に論ずべきこと言うを俟たず。一説に公法は統治関係の法にして私法は非統治関係の法なりとするは一層簡明らかににこの論旨を言表するものと謂うべし(美濃部氏「日本国法学」上巻上183頁以下参照)。余輩はこの第5節をもって最も事理に適合しかつ普通の法律観念と一致するものと信ずるなり。

この他法律には本来公私の差別なきものとして全然これを否認する学者(オースチンの如き)もこれなしとせず。然りといえども右最後に述べたる区別の標準は概念としては既にローマ法において認められ爾後法学研究の進むに従いその区別の厳存すること益々明確なるに至れるものと信ず。今ここに国法中において何人も公法たることを争わざるものは憲法,行政法,刑法,刑事訴訟法等にして民法及び商法は私法中の主要なるものとす。但し此等の法律が公法又は私法なりと言うは唯全体より観察してその性質を言表するに過ぎずその中に包含せる各上記に通じて一貫することを得べき。標準には非ざるなり民法は私法と称するもその規定中には公法に属するものもこれあり。例えば法人成立の許可及び監督に関する規定罰則等これなり。また民事訴訟法その他の手続法は私権の保護を目的とする助法として従来仏国の学者はこれを私法の一種と見たる如きも近時ドイツの学者はこの見解を採らず手続法は国家に対して私権の保護を求むる方法を定むるものとして公法の部類に属するものと為すを通説とす。

第3節 成文法,不文法

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この分類は法源に関するものとして従来一般に認むる所なり。ここに所謂法源とは実質上より見たる法律の淵源即ち法律の実体を言うものにして法力の発源を謂うに非ず。例えば民法の法源如何と言えば民法典その他民事に関する一切の制定法及び慣習法を謂う如し。此等の法源が法律たる効力を有する所以即ちその根拠如何の問題と混同すべからず。慣習法といえども苟も法として成立する以上は制定法とその起因を異にするものに非ざることは後にこれを論述すべし。

「成文法,不文法」なる名称は文書をもってすると否とに因る法律成立の方法に関する区別たることを示すものにして法源の類別を言明するには適せずむしろ「制定法,慣習法」の区別をもってこれに代うべきが如しといえどもここにはひろく条理(1名自然法又は理法)又は判例の如き不文法の有無をも論ぜんと欲するが故に姑く上記の題名を用いたるのみ。

成文法(又は制定法)とは一定の手続を経て制定せられたる法律を謂う。何れも文書に依る故をもってこの名称あるなり。成文法には憲法皇室典範を始めとし数多の種類あり。その種類の相異なるに従い制定の手続を異にす。我憲法に依れば立法権は天皇に在るもその運用に関し一の要件あり。即ち法律(狭義における)は帝国議会の協賛を経ることを要す(第37条)。その協賛を経たる法律案は裁可に依り成立し公布に依りて遵由の効力を生じ施行期限に付き別段の定なきときは公布の日より一定の期間(満20日)を経過したる後にこれを施行するものとす(法例1条)。

憲法に所謂「法律」に対し議会の協賛を要せざる成文法を命令と謂う。命令に2種あり。元首自ら発するものを勅令と謂い行政官府の長官に委任するものは閣令,省令,府県令等の名称を有し当該長官の決裁に因りて成立す。何れもその施行の時期は法律に同じ(40年公式令11条)。ただこれと或一点において効力を異にするのみ(憲9条末文)。この他地方自治体が一定の範囲内において興べられたる立法権に基き制定する法規あり(市制10条町村制同条)。これまた成文法の一部類に数うべきものとす(松本氏「人法人及物」11頁)。

国際条約もまた公布に因りて成文国法の一種と為るやに付ては議論あり。従来の通説に依れば条約は国家間の規則にして国家をもってその当事者とし直接に臣民に対して拘束力を生ずるものに非ず。ただ法令にその規定を為すに因りてこの効力を生ずといえどもこれ条約そのものが法源たるに非ずしてこれを公布する法令の効力に外ならずと曰う(穂積八束氏論文集422頁以下,平沼氏「民法総論」44頁,松岡氏「民法論」52頁,上杉氏「帝国憲法綱領」140頁)。この説固より理由なきに非ずといえども条約の効力を実現するには臣民をしてその規定に従わしむるの必要なること言うを俟たず。故に国家は臣民に対してこれを公布しもってその実行を確保せんとするものなり。この見解より観察して条約は公布に因り成文法源の一種と為るものとする説近時大いに勢力を加うるに至れり(美濃部氏「憲法研究」2冊173頁以下,中村氏「法学通論」83頁,松本氏12頁)。

条約と法律との関係殊に法律をもって条約を変更することを得るやに付ても学説一定せず。或いは条約変更の効力あるものとし唯この場合においては国家は対手国に対して条約違反の責に任せざるべからずと説明す(松本氏13頁)。惟うにかくの如き法律は条約に別段の規定なき限り対手国に対してその効力なきものとす。これ畢竟条約の性質に基づくものにして条約法と一般国内法とその性質を異にする一点と謂うべきなり。

不文法とは成文法以外の法源を謂う。余輩の所見に依ればこの部類に属する法源としては唯慣習法あるのみ。故に先ず慣習法の原理を述べ次にそれ以外の不文法と称するものに論及せんとす。

慣習法とは慣習の事実にして法律の効力を有するに至りたるものを謂う。本来「慣習」なる語は同一行為の続行せらるること即ち慣習の事実を謂うことあり。或いは又慣習法を意義することあり。民法及び法例においては一般に慣習法の意義に用いらるといえども又慣習の事実を指す条文もこれなきに非ず(92条,142条,526条2項)。

事実たる慣習が一変して慣習法と為る所以及び時期如何は法学上の一大問題にしてこの点においては学説一定せず。ここにその主要なるものを挙くれば永続慣行説,国民意思説,国民確信説及び主権者承認説の四とす。

上記の諸説中において永続慣行説は慣習法の成立をもって単に永年間の慣行に因るものと為すも何故に永年慣行の事実のみに因りて法律の拘束力を生ずるやを解することを得ず。国民意思説は慣習の法力をもって国民の総意に基づくものと為し国民にはその慣行する規則に法力を附与する意思あることを認む。また国民確信説は国民一般が慣習を法律と確信してこれに従うことをもって慣習法成立の根拠と為すものにして前説と近接の関係を有す。この学説はサヴィニーその他歴史派の学者これを唱へ今日尚多数学者の賛同する所なり。然るにここに所謂国民一般の意思又は確信なるものは畢竟一種の架想にして事実に適合せず。仮に実在するものと為すも何故に慣習法たる効力を生ずるやを説明することを得ず。けだし法律に詳述したる如し制定法は立法者の意思即ち主権の発動に外ならざること言うを俟たず。果して然らば慣習法もまた一国の法律たる以上はその法力の発源を異にすべきに非ず。もし然らずして慣習法のみ国民の意思又は確信に因り成立するものとせば一国内において法律の本源二に分れ主権の外に更に主権の存在を認むる結果と為るべし。かくの如きは主権の性質と全然相容れざるなり。殊にこの両説は国民が立法権を有せざる国においては到底支持することを得ざるものとす。

惟ふに近世の国家においては法律は凡て主権の発動にして慣習法といえどもその法律たる効力は国家又は主権者の承認に因りて発生するものとす。即ち主権者承認説をもって正当とせざることを得ず。けだし上古法律と道徳及び風俗と分離せざりしたることすこしも疑いを容れず。笱も主権は唯一にして最高無限なりとする以上は慣習の法力もまたこれに基因するものと謂わざるべからず。また斯く解せざるときは慣習法は何故に裁判官においてこれを適用する任務を生じ又一般人民に服従の義務を負はしむるやを得る所以を明らかにするものと謂うべし(同説,石阪氏「慣習法論」民法研究1巻1頁以下参照)。

上述せる諸学説の外に法定要件説なるものあり。即ち慣習は法律に定めたる要件を具備するに因りて法力を生ずるものと為す説これなり。然りといえどもこの説の如きは独立の一説たるべき価値を有するものと認むることを得ず。けだし慣習法成立の要件如何は畢竟慣習が法律たる効力を生ずる根拠如何の問題と同一にしてその根拠は主権者の承認に在ること以上論述したる如し。換言すれば主権者の承認は慣習法成立の根本的要件にしてこの外に一定の要件を具備せる慣習の存在を必要とすることは当然とす。その要件は(一)永続せる慣行の事実即ち永年間同様なる行為の反復せられたること。(二)慣習が公の秩序又は善良の風俗に反せざることこれなり(法例2条)。この2要件にして備わるときは慣習法は主権者の承認なくして成立するには非ず。我法例第2条において慣習が或制限の下に法律と同一の効力を有することを規定したるはあたかも反対の趣旨を言明せるものにしてこれに依り主権者が明示的に慣習に法力を附与したるものと解すべきなり。

主権者承認説に対する非難は慣習法成立の時期を認定することを得べき標準を欠くと云うに在り。然りといえどもこの非難は上述せる何れの学説に対しても為すことを得るものにして国民の確信その他如何なる事項を根拠とするも同一の点なきことを得ず。本来主権者の承認は必ずしも一定の時期において為されたること。またはこれを認知するに足るべき具体的標準あることを要せず。或慣習が生活関係の規則として永年間続行せられかつ公序良俗に反せざる限りは主権者の黙認ありたるものと認定することを得べし。一説に裁判官が慣習に基き裁判を為したる時をもって慣習法成立の時期と為すは一大謬見なりとす。けだし裁判官は法律の適用を任とする者なるが故に裁判を為す際已にその適用すべき法律の存在することを必要とす。裁判は偶々慣習法の成立せりことを確認する機会と為るに過ぎざるなり。

今ここに単純なる慣習法とを区別する実益を示さば前者は当事者の意思表示を補充する効力あるに過ぎず(92条)。これに反して後者は法律に認めたる範囲内において法律の効力を有す(法例2条)。従って慣習法は当事者の照明を俟たず裁判官の職権をもって適用するべきものとす。但ししこの点に関しては現行法に特別の規定あり(民訴219条,独同265条)。この他慣習法の一大効力はこれに違反せる裁判あるときはその事実をもって上告及び破毀の理由と為すころを得るに在り。但ししこの点においても注意すべき一事は事実上の慣習といえどももしこれに依るべきものとせる規定(例526条2項)あるときはその慣習の存在することを認定しながらこれに依遵せざる判決を為すはこれ適法と認めたる契約を履行せざることを認容すると同一にして法律違反なることを疑わず。ただ慣習の存否に関して誤解を為したる判決ある場合においてその慣習が法たると否とに依りここに始めて区別の実用を見るべきなり。

慣習法の効力は古来成文法の発達と反比例を為せり。即ち往古に在りてはローマ法を始めとして一般に慣習法を重んじ当に成文法を補充する効力あるものとせるのみならずこれを改廃するの効力をも認めたり。然りに近世に至りて成文法ようやく完備し殊に法典の編纂を見るに当り主としてその規定に基き百般の場合を解決すべきものとし追次成文法をもって慣習法の効力を減縮する傾向を来せり。現今一般の立法例は慣習法に成文法を改廃し又はその規定を変更するの効力なきものとし尚進んでその補充的効力をも否認する例少なしとせず。この点に関する現行の法制は後に民法と慣習法との関係を説くに当りてこれを説明すべし。

成文法と慣習法との優秀に関しては従来議論あり。歴史派の説に依れば慣習法は少数者の制定するものに非ずして多数国民の意思の表現なるが故に民情に適合しかつ時世の進運に伴うことを得べしと云う。然りといえども慣習法の欠点は明確と統一を欠くに在り。往古交通の便開けず民俗一般に簡朴なりし時代に在りては周密なる成文法を必要とせざりしも近世社会の発達と共に契約その他の法律関係益々複雑なるに従い成文法を完備して実際生活の需要に応する必要あり。加え慣習に適合せざる法律を制定せざるべからざることもまた往々にしてこれあるなり。要するに時世開明らかに進み立法機関の整備するに従い法律は一般に不文法より成文法に移りかつ漸次精密を加うるに至りたるものと謂うべし。

なお前世紀間における立法史上の一大現象は成文法といえどもこれを錯雑なる無数の法令に散在せしむりことを不便とし各種の法規を彙類編纂して法典と為しもって立法の統一を図ると共にその規定の連絡明らかにして適用の便を達せんことを期せり。今日欧州列国中において法典を編纂せざる国は英国を除く外殆どこれなくドイツにおいてはその利害得失に付き往年サヴィニー,チボー両氏の間に一大争議を生じたるも近時遂に法典編纂の事業を完成するに至れり(穂積氏法典論8頁以下参照)。

成文法及び慣習法以外に学説及び判例をもって独立の法源に算うる論者なきに非ず。然りといえどもこの見解の誤れることは今や殆ど議論なき所なり。けだしこの二者は右両方の成立を促す原因と為ることあるも直接に法律の淵源と為るものに非ず。往昔立法権の確立せざりし時代に在りては学説及び判例は実際において法律の効力を有せし事例少なからず。現今に至るも尚或12の国においては判例の効力絶大なることを認むといえども近世の観念はこれを独立の法源と見るに非ず。苟も立法司法の分立を原則と為す以上は裁判官に法律を制定すると同一の権能あるものとすることを得ず。判例はさきに述べたる如く常に法律の存在を前提としその適用を為すものに過ぎざるなり。

ただここに一の不文法として存在を認むべきや否やに付き論及すべきもの条理なりとす。明治8年第103号布告裁判事務心得に「明文なきときは慣習に依るべく慣習なきときは条理に依るべし」とありて成文法及び慣習法以外に条理なる第三法源あることを認めたる観なきに非ず。この規則は民法実施後の今日に在りても尚効力を有すること疑いなきが故に(民施九条)現行法の説明としてもその意義を明らかにする必要あり。或一部の学者はこれを解して自然法の存在を認めたるものと為すが故に(梅氏「民法原理」9頁以下,山口氏「国際私法論」36頁)ここに先ず自然法説の近状を述べ次に余輩の所見に論及せんとす。

自然法の存在は中世以降盛に唱道せられ第178世紀の学界を風靡したるも失墜し往時一般に唱えられたる如き人類の理性に基ける万世不易の法則あることを主張する者はようやくその跡を絶たんとするに至れり。ただここに最も注意すべき一現象は最近に至りて新なる形式の下にこの説を再興せんとする者尠からず。所謂自由法説なるもの即ちこれなり。我国においても「自由法」なる名称は未だ流行せずといえども性法又は理法の存在を唱うる学者あり(梅氏前掲,美濃部氏「日本国法学総論」337頁,同氏「日本行政法」1巻80頁以下,同総論上巻16頁以下,山口氏前掲)。ここにおいて此等の学派を呼ぶに新自然法派なる名称をもってする論者あるに至れり(松本氏18頁)。

自由法説には数多くの流派系統ありてその論旨一様ならずといえども多数の論者は従来の法律解釈が成文法の包容性を過大視し形式的論理に依りて諸般の場合を解決せんとすることに慊らず。成文法に明文なき場合においては裁判官は自由討究に依りて発見したる法則を適用すべきことを主張す。而してその所謂自由発見に依る理想法の何ものたることに付ても議論少なからず。ただ従来の自然法論者が唱えたる如き人性も基ける絶対法を指すには非ずして変化極りなき社会生活に適応することを主眼とし時と処とに依りてその原則を異にすることあるものと為す点は殆ど一致する所なり。これ仏国ジェニー氏等の首唱する所にして同国法典の下においては大いにその理由なきに非ず。けだし仏国の法典は百十有余年前に編纂せられ近代の社会状態と相距ること遠きよりして裁判官は自由解釈に依り百方その不備を補い事実上において法文を改造する慣例を馴致するに至れり。ジェニー一派の説は即ちこの裁判例に学理的基礎及び組織を与えたるもの外ならず(中田氏「仏蘭西における自由法説」法学協会雑誌31巻1号及2号参照)。またこの学説は近世法典の完璧と称する民法を編纂してより日尚浅きドイツにおいても現時大いに勢力を加うる傾向あり。これ歴史法学派の論理万能主義に対する反動にして従来の類推解釈,精神解釈等を排斥せんとするものなり。甚しきに至りては裁判官に完全なる立法的権能ありとし自由発見に依る法則は成文法の規定に優先するの効力あるものと為す説もこれなきに非ず(三潴氏「独逸における自由法説に付き」同誌30官12号参照)。

この学説の起りたる近因は従来行わるる法律解釈の方法が形式に流れ実際生活に適合せざることにしてこれを一変せんとするに目的に外ならずといえどもその主因を追究するときは法典国においては必然起らざることを得ざる議論なりとす。けだし法典は如何に完備せるものといえども多少法律を固定せしめ社会の進歩に遅るることなきを得ず。仮令その編制の方法宜きを得て弾力性を具備するも早晩法律と実際との間に乖離を生じ論理解釈の濫用を見るに至ることを免れざるなり。然りといえども自由法派の主張は近世の法治制度及び法典編纂の本旨と全然相容れざるものとす。何となればその法源と認むる法則は名称の如何を問はず畢竟各自の脳裡に映する主観的理想に外ならず。即ち裁判官その人に依りて所見を異にしその結果裁判一途に出でずして公平を欠き世人一般に敵従する所を知るに由なかるべし。法典編纂の目的は即ちこの状態に代えて画一なる成文法規の下に法律生活の安定を保障せんとするに在るなり。

上記の見解にして誤らずとせば法典に明文なきときはその全体より解釈して適用すべき法則を定むべく裁判官において縦に新法源を認め立法者と同一の権能を行うことを容さず。従来の論理解釈は形式に流るる弊ありとするもこれが為めに論理解釈そのものを排斥すべきに非ず。ただ如何に完備せる成文法といえども万般の場合に該当すべき法則を包含すること難きが故に解釈の手段を画すも尚適用すべき法規を発見すること能わざる場合絶無と断言すべからず。この場合においても裁判官は法規の欠缺に藉口して裁判を拒むことを得ざるが故に裁判の準拠と為るべきものを定むる必要あり。即ち慣習法あるときはこれを適用すべく(法例2条)。慣習法もこれなきときは明治8年第103号布告に依り条理に従いて裁判を為すの外なきなり。然りといえどもここに所謂条理とは裁判官が該当事件を裁断するに付き最も公正と認むる所の主観的標準を謂うのみ。即ち条理そのものは独立の法源に非ずして法律に定めたる裁判の補充的準拠たるに過ぎず。故にこの限定せられたる範囲内においても自然法説又は自由法説とは大いに観念を異にするものとす。なお本問題に関しては卑稿「自由法説の価値」法学協会雑誌33巻4号59頁以下を参看せられんことを希望す。

以上叙述する所は民法の解釈方法至大の関係あるが故に第1編第6章に至りて更に論述する所あるべし。

第4節 固有法,継受法

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固有法とは外国法に採る所なく専ら自国の風俗慣習に基き成立せるものを謂う。これに反して継受法とは外国の法律を採用して制定したるものを謂う。何れも国法の部類たることは言うを俟たず。

古来交通の便ようやく開け国際関係の発達するに従い多少他国の法律を継受せざる国は殆どこれあることなし。而してその淵源を為したる他国の法律を称して母法と謂いこれを継受せる自国の法律を名けて子法と謂う。遠く欧州諸国にその例を求むることを要せず我国古来の法律にも大実令を始めとし隣邦の法制を採用したるもの尠しとせず。殊に維新以後に制定せられたる諸法律の如きは世界各国と交際を開きたる結果外国法を継受したるもの最も多しとす。民法を主とし諸法典の一大部分は継受法に属するものと謂うべし。

この区別は法律の理義を究明する方法に関して最も肝要なるものとす。即ち継受法はその淵源に遡りて外国の学説,判例等を攻究しこれに依りて母法の理義を闡明する必要あり。これ従来我国における法学研究の実況たるをもっても明なりとす。この事は尚後に民法に関してこれを論述すべし。

第5節 実体法,手続法

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実体法とは権利義務の所在及び内容即ち法律関係そのものに関する事項を定むる法律を謂い手続法とはその権利を実行し又は義務を履行せしむる手続きを定むるものを謂う。この区別は公法私法の区別に同じく或いは法律の全体より観察せりものに過ぎず各条の規定に付きその性質を一貫せるものは殆ど稀なり。例えば民法及び商法は実体法にして民事訴訟法,戸籍法,人事訴訟法,非訟事件手続法,不動産登記法,供託法及び競売法の如きは主として手続法に属するものなり。行政法中には土地収用法の如き同時に両種の法規を包含するするもの尠しとせず。英国の学者は一般に主法,助法なる名称をもってこの区別を言表する如し。

この区別は理論上極めて重要なるものとす。殊に手続法をもって公法なりとする近時の学説においてその価値の著明なることを認む。然りといえども適用上においては殆どその実益あることを認めず。唯一法典にして右両種の規定を包含するときは浩澣に過ぎかつ繁雑を極むべきが故に近世一般にこれを各別の法典と為すに至れるのみ。なおその規定にして相矛盾するときは全体に付き解釈を為すべきこと当然なるも手続法は運用法として通常先に適用せらるべきものと解すること妥当なるべし。

第6節 普通法,特別法

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この区別は法律適用の範囲に関するものとす。而してその標準に関しては3種の見解あり。

第1節に依れば全国内に適用すべき法律を普通法とし或地方においてのみ行うべきものを特別法とす。この区別は地域を基本とするものにして往時封建制度の行われたる時世においてはその効用甚大なりき。現今に在りては北米合衆国の如き連邦制度の国において尚その適用を見ることを得べし。

第2節は法律の適用を受くべき人に依りて区別するものにして一般人民に適用すべき法律を普通法と為し或身分を有する者にのみ適用すべきものはこれを特別法と為すに在り。例えば陸海軍刑法,華族令,家族世襲財産法の如きは即ちこの意義における特別法なり。商法の如きもこれをもって商人の権利義務を定むるものと為す主義においては同一の性質を有することと為るべし。仏国商法の如きは即ちこの主義に基けるものと見ることを得べし。

第3節はこの区別をもって法律に規定する事項の性質に依るものとし所謂一般の事項に関する法律を普通法とし或格段なる事項に関するものを特別法と為すなり。民法は各人の生活上常に発生すべき法律関係を規定する法律なるが故に普通法たり。これに反して商法の如きは商事にのみ関する特別法と見るべし。而して商人に関する規定はその一部を為すものに過ぎず。これ近来一般に行わるる所の説なり。

然りといえどもこの最後の意義における普通法と特別法との区別は単に相対的区別に過ぎず。或一の法律に対して特別法たる性質を有するものといえども他の法律に対しては普通法たることあり。即ち商法の如きは普通私法たる民法に対しては特別法なるも商事の一部類に関する法律(例えば取引所法又は銀行法の如き)に対しては普通法なりとす。

普通法と特別法とを区別する実益は特別法はその規定せる事項に関しては普通法に先じて適用を受くる点に在り。この事は民法と商法その他の特別法との関係に付きて後にこれを説明すべし。

第7節 強行法,任意法

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この区別は法規の効力に関するものなり。強行法(1名命令法)とは公益上の理由に基き吾人の意思をもって適従を免るることを許さざるものを謂う。刑法その他公法に属する法規及び私法中においても公の秩序に関する規定の如きは一般にこの効力を有するものとす。これに反して任意法とは当事者の意思をもって適用を生ぜしめざることを得るものを謂う。これ公法私法の区別と相異なりて一法律中の各条規に付き為す区別なり。而して民法の如き実体的私法に関して最もその実用を見るものとす。

近時の学者中には任意法を細別して補充法規と解釈法規の2種と為す者多し。所謂補充法規とは当事者の意思を補充する規定にして格段の意思表示なき限りはその適用あり。これと相異なりて解釈法規とは当事者の意思を解釈せる規定にして反対意思の表示なきもこれありと認むべきときはその適用なきものとす(松本氏28頁,三潴氏「法学志林」15巻2号)。この区別は理論上正当なることを信ずといえども我民法にはこれを採用せる証跡あるを見ず。これけだし意思表示は黙示たることを得ると単純なる慣習に意思補充の効力を認めたるが故にその実益殆どこれなしとの趣意なるべし(91条,92条)。

第4章 権利の観念

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法律及び権利の両観念は互に分離すべからざる関係を有するものとす。現にローマ以来仏,独等の国においてはこの二者を呼ぶに同一の語をもってし近世の学者また往々にしてその同一物なることを認め唯客観的に観察すると(法律)主観的に観察すると(権利)の差異あるに過ぎずとせり(ロガェン47頁,ミシュー「法人論」1巻2号末段,カピタン「民法緒論」17頁)。この見解の当否は姑く別問題とし両者の間に密接の関係あることはすこしも疑いを容れざる所なり。然るに権利の何ものたることは一見明瞭なる如きも今学理的にその本質及び定義を示さんとするに当りては法律の本義を定むるに同じく甚困難なきことを得ず。古来この点に付き学説紛紛帰着する所なきをもってもこれを推知するに足るべし。

法律は共同生活を保全する為め人格相互の間に一定の活動範囲を定め互に相侵されざることを保障するものなり。権利とは即ち他人よりその分解を侵ざるることなき保障を有する状態を謂うものに外ならず。その性質に関しては固より数多の説なきに非ずといえどもここに先ずこの根本的観念を明らかにしもってその観念中に包含せる二大要項を示す必要あり。即ち権利は(一)法律に因りて存在すること(二)人格の対立を根底とすることこれなり。この二点に関しても古来異説なきに非ざるが故にここに一言説明する所なきを得ず。

古来最も広く行われたる説に依れば権利(少なくも最も重要と認むべきもの)は法律以前に存在するものにして法律は唯これを承認かつ保護するに過ぎずと曰う。この見解は仏国学者の通説にして畢竟自然法に基本を汲むものなり。一旦自然法を認むる以上は又自然法上の権利あることを認むるに至るは当然の事理と謂うべし。我旧民法の如きは即ちこの主義を採用せるものなること明なり(財30条2項,293条,294条)。自然法に対する所見はさきに叙述したるが故にここに復この点に論及するの必要を見ず。要するに吾人研究の目的たる法律はこの種の法律に非ずして人定法の範囲を出でず。故に権利もまた範囲外に存在せざることを前提とせざるべからず。近世自然法を法律として認めざる学者にして尚右に示す如き説を主張する者なきに非ず(デルンブルヒ「パンデクテン」39節)。思うにこれ権利そのものと権利として保護すべき事態とを混同せる謬見に外ならざるなり。

次に権利は人格の対立をもって必要観念とす。即ち広義における対人関係にして唯一面よりその関係を言表せるものに外ならず。これ上来叙述せる法律の本旨に考へすこしも疑いを存せざる所なり。この原則は一切の権利に適用すべきものにして彼の物権といえどもその法律上の関係は畢竟一般の人に対して或利益を主張することを得るに在り。直接に物を支配することはその権利の内容たること言うを俟たずといえども他人を排してその利益を享受しこれをもって何人にも対抗することを得る点において一種の対人的関係に外ならず。決して一部学者の主張する如き物に対する関係に非ざるなり。この法理は次巻においてこれを説述すべし。

この如く権利は対人的関係の一面なりとする以上はこれと対立すべき一定の義務あるを常態とす。ただその義務の性質内容及びこれを負担する者の員数一様ならざるのみ。この権利と義務を繋ぐ人格者間の関係を称して法律関係と謂うなり。但しし普通に所謂法律関係とは物権の如き絶対権上の関係を包含せざる如しといえどもここには単純なる「事実上の関係」に対し「法律上の関係」なることを示す為め広義に解せるものとす。

権利は凡て他人に対し一定の利益を確保せらるることを言うも更に進んでその本質如何を究むるにこの点においては古来大いに議論あり。学説区々に分岐し未だ一定する所あるを見ず今ここにその最も重要なる説を挙示し聊かこれを論評せんと欲す。

仏国一般の学者は権利を解して法律に認めたる能力(Faculté-Pouvoir-Puissance)なりとせり。但ししその所謂能力の何ものたることを説明せる者は甚稀なりとす。然りといえども普通或行為を為し又は為さざる能力を謂うものとするより考うればけだし意思を基素とするものなるべし(カピタン37頁ないし39頁)。ドイツ学者の多数はこの点を明らかにし権利の本質は意思の力(Wollendürfen)なりと曰えり。この説はヘーゲルに出てサヴィニー,ブフタ,ウィンドシャイド等の諸学者これを唱え今尚著大なる勢力あり。有名なる意思主義とは即ちこれなり。その説明の方法に至りては全然一様ならずといえども要するに意思をもって権利の基素とする点は一なり。この学説に対する最も有力なる非難は嬰兒又は喪心者の如き意思能力なき者にして権利能力を有すること又意思能力ある者といえども知らずして権利を享有することあるを説明する能わざるに在り。例えば出生に因り子たる身分と共に扶養を受くる権利を生ずること又は相続権のごときは決して意思の力に非ざるなり。ここにおいて一部の学者は自然意思に代ふるに法律意思をもってし多少説明を改むる所なきに非ずといえども畢竟意思をもって権利の基素と為す。前掲の結果に外ならず然るに意思説の誤謬は権利の本体とその発動即ち行使の要件とを混同するに在り。従って権利能力と行為能力とを区別する標準を確立することを得ざるなり(デルンブルヒ39節2項)。意思は権利享有の要件にあらず。ただ意思能力を有せざる者は自ら権利を主張し又はその得喪を来ずべき行為を為すことを得ざるのみ。故にその能力なき者には法定代理人を置きこれに代わりて諸般の行為を為さしむるものとす。即ち意思は行為能力の要件に過ぎざることを知るべし。

一説に権利とは法律に許されたる行為の自由又は自由行為の範囲を謂うものとせり苟も行為と言う以上は意思主義の一派と見るべきものなる如し。この説に依れば吾人日常の言行及び些末なる身体の動作に至るまで一として権利に非ざるなきことと為るべし。然るにこの如きは権利の範囲を解すること広博に失し一定の利益に対する内容を有するものと為す通念と相容れず。思うに唯法律に禁止せざる行為の如きは或権利の成分として法律に保護する結果と為ること多きも直にこれをもって権利と見るは当を得ざるなり。

意思主義と対峙して最も勢力あるは利益主義なり。即ち権利とは法律に保護する利益を謂う説なり。この説は英国実利主義の理論に起源し近世イエリングこれを主唱し意思主義の根拠を衝撃してより翕然学界を風靡しこれに賛同する者実に尠しとせず。ここに所謂利益とは吾人生活上の利益を総称するものにして客観的方面より観察し偶々権利者その人を利せざることあるも尚利益たることを妨げず。ただ上述せる如く法律に保護する利益は凡てこれを権利と称することを得ず。殊にこの学説は権利の主要なる内容又は実質を表示する点においてその価値を認めざるべからずといえども利益をもって直に権利事態なりとするは誤れり。即ちこの説に対する一大非難は権利の目的とその本質とを混同するに在り。権利の目的は吾人生活上の利益と解すべきも権利そのものはむしろその目的を達する手段に外ならず。法律上その利益を充実することを得るに因りて権利あるものと謂うべきなり。

またここに主として意思説に反対する趣旨において唱えられたる一説あり。即ち権利とは生活資料に対する各人の持分なりと曰うに在り(デルンブルヒ39節)。この説の欠点は所謂持分の何ものたることを明示せざるに在り。けだし普通の観念において持分とは「自己に属する部分」を謂う如きもその部分なるものは果して利益なるや将た一種の力なるや全くその性質を確知することを得ず。なおこの説は物権の如き権利には多少該当する所ありとするも数多の権利に付ては愈々その意義を解することを得ざるなり。

上述せる数説の外に尚23の折衷説なきに非ずといえども何れも意思主義又は利益主義にその源を汲むものと認むるが故に逐一これを述べず。

惟うに権利の本質は法律に依りて認められたる一種の力にして一定の利益をもってその目的と為すものなり。けだし吾人生存上の必要より種々の需要を生ず。その需要を充実することは一として利益に非ざるはなし。権利なるものは即ち法律の保障の下に他人に対してその生活利益を主張し得ることを謂うものとす。故に今ここにその定義を示さば権利とは畢竟一定の利益を享受する法律上の力なりと曰わんとす。但しここに所謂法律上の力とは意思の力を謂うものに非ず。意思は自己又は他人に依り権利を主張する要具にして権利その者の内容又は要素に非ざること既に述べたる如し。権利は意思の有無に拘らず法律に依りて保障せらるる利益を享受し得ること即ちその地位に在ることを謂うものに外ならざるなり。またその所謂「力」なるものは権利の本体を成すものにして権利を享有する法律上の適格即ち権利能力と混同することなきを要す(岡松氏「権利論」内外論叢1巻1号,2号,仁保氏同誌2巻4号,鵜澤氏「法学通論」359頁以下,松本氏43頁以下参照)。

以上説明する所に依り権利の存在には三大要件の具備せざるべからざることを知るべし。その要件とは(一)法律(二)主体(三)目的(又は内容)即ちこれなり。故に本巻においては先ず民法及び私権に関する一般の観念を叙述しそれより順次に権利の二大要素たる主体及び目的に関する原理を説きもって権利の何ものたることを明らかにし最後に至りてその変動即ち得喪に関する一般の原則を論究せんとす。これ近世における民法総則の研究法にして又我民法第1編の内容に該当するものなり。仏国民法の如きはその編別順序甚宜きを得ざること後に述うる如しといえども全部に通じてその構造の基と為りたる観念は結局ここに示す所相異なるものに非ざるなり(ビューダン「民法講義」緒論70説ないし75節)。

第1巻 総 論

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第1編 民 法

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第1章 民法の本義及び性質

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民法なる語は古来我国に存せりしものにしてフランス語のDroit civil-Code civilを訳したるものなり。而してその根源はローマのjus civileに発す。然るにローマのjus civileジュス シヴィレは市民法の意義にして近世民法と称する法律とは大いその範囲を異にせり。けだし往古ローマの盛時においてその征服せる他邦人はローマ市府に来集し市民との間又はその相互の間に争訟を生ずること頻繁なりしがこれを裁判する為め一種の外事法官を置くに至れり。然るに当来ローマに行われたる法律はローマ固有の法律にしてその市民以外の者に適用すべからずとし法官は普通人情に適合すと認めたる異邦の慣例を採酌しこれに依りて裁判を為せり。この慣習法をjus gentiumジュス ジヤンシオムと称しローマ固有の法律は厳然これと区別してローマ市民に限りその適用を受くる特権を有するものとせり。この如くjus civileは当初より他国人に適用すべき法律と区別せるものなりしか。故に一方においては公法に属する規則をも包含し又一方においては私法に属する法規といえどもローマ市外の者に適用すべきものは総てこれを除外せり。今日仏国民法において尚私権なる語を用いずして市民権なる語を襲用すれば畢竟民法なる語と共にローマ法の観念を遺存せるものに外ならざるなり。

然るに時世の変遷するに従いjus civileに起源せる。民法なる語は全然その意義を一変し内国人にのみ適用すべき法律たる意義を脱却して公法に対する私法を意義する語と為り更に狭義において特別私法たる商法と区別する名称と為れり。故に今日に在りては民法とは国内私法の一部即ち私法中の普通法を謂うものとす。またその主眼とする所は各人の権利義務を定むるに在りてその実行の方法は近世一般にこれを民事訴訟法その他の手続法に譲ることと為りたるをもってこの点よりもその範囲を限画することを至当とす。故に今茲に民法の定義を示さば民法とは私法一般の原則即ち私法上の権利義務を定めたる普通法なりと解すべし。但し手続法の規定は公法に属するもの最も多きが故に民法は私法なりとする以上は更にその実体法なることを言う必要なきが如しといえどもこの点においては反対の見解もこれなきに非ざることさきに述べたる如し。

民法なる語の意義に関しては尚注意すべき一事あり。即ちこの名称は実質上及び形式上の両義に用いらるることこれなり。所謂実質上の意義における民法とは民法成典の外民事に関する一切の法令及び慣習法を包含するものとす。換言すれば民事に関する諸般の成文法及び不文法を総称するものなり。フランス語のDroit civilは多くこの意義に用うるものと解すべし。我国においても法典制定前に在りてはこの意義に用うるの外なかりき。これに反して形式上より言うときは民法とは特に民法法典を意義するものとす(フランス語のCode civil)。これ全く名称の議論に過ぎずといえども余輩は成るべく後段に示す形式上の用例に従うことを便宜かつ正当とするものなり。けだし今や法典の編纂成りてこれに民法なる公称を附せられその説明又は適用を任とする者もまた民法第何条に依り云々と名言するに至るべき以上は法典に非ざる法源にこの名称を冠せしむるは正式の用法に非ず。特別法令及び慣習の如きは各々その名称を呼ぶに何等の不便あることを見ざるなり。

民法の私法及び実体法なることはさきに法律一般の問題として説明したる如くその通性を謂うものに過ぎず。全然公法又は手続法に属する規定を包含せざる意に非ず。例えば法人に関する規定又は親族編及び相続編の規定中には官庁又は戸籍吏に申請又は届出を為すことの如き単にその規定のみを見るときはむしろ公法又は手続法に属するものなしとせず。これその主として規定せんと欲したる事項に密接の関係を有しこれと分離することの不便なるより載入せられたるものに過ぎず。この理由なきものは努めてこれを民法に掲げざる趣意なりしことは一見明瞭にして当民法とその体裁を異にする一点なり。

民法の普通法なることはその規定する事項の性質に因るものとせばこれまたその標準たるや決して明確なるものと謂うべからず。例えば商事又は工業は特別事項にして贈与又は要旨の如きは普通事項なりとはその分界果して何処に在るや理論上よりこれを明示することを得ず。思うにこれ主として沿革上の理由に基づく外立法の便宜の為めに認められたる分類に過ぎざるなり。故に民法の普通法なることは結局具体的にその条文に規定せる事項なるに依りてこれを判定するの外なかるべし(ロガエン98節)。

我民法は諸外国の法典に同じく固有法及び継受法の2原素より成るものとす。親族編及び相続編の規定は固有法に属するもの多し。けだしし我国は現今当来の家族制時代よりようやく親族制時代に移らんとする傾向あり。故に民法制定者はこの現状に考えて両制を折衷し純然たる親族的関係と共に家族的関係を規定せり。この両種の関係は互い密接して離るべからざるものとす。殊にその家族的関係に属する部分の如きは最も固有法の性質を有するが故に主として本邦従来の慣例を究明しもってその適用を誤らざることに努めざるべからず。この点において外国の法理は主要なる参考の資料と為るものに非ざるなり。

然りといえども民法の一大部分は継受法に属するものと解せざるべからず。固より或12の国の法律を模型としてこれに偏倚したるものには非ず。ひろく文明諸国の立法例及び学説を参照しその長所を採用したるものなることを認むといえども当民法の模範と為りし仏国民法殊に近世最も完備せる法典と称するドイツ民法(草案)の如きは最も重要なる参考の材料と為りたるものなり。この他伊,西,白,蘭等仏法系に属する諸般の法典及び独仏両法系の中間に在る瑞西債務法(1889年)の如きも往々有益なる資料を供したるものとす(スイス民法は当時未だ完成せず)。故に新民法の理義を究明するにはその継受法規の淵源に遡りて母法の原理及び学説を研究せざるべからず。殊に新民法は微細に亘らざるが故に母法研究の必要は益々著明なるものと謂うべし。

民法は一般に強行法又は任意法なりと断定することを得ず。けだしこの区別は緒論において述べたる如く一法律中の各条規に付き謂うものにして民法は多数の法律に同じくこの2種の規定を包含するものなればなり。即ちその如何なる部分にもこの両者を混入せるが故に全部に通じて果して何れか多数なるやをも速断することを得ず。須く各規定に付き立法の目的を探究しもってその性質を定むるの外なきなり。立法者は各条項に付き逐一その何れに属することを支持せず。故に往々にして疑問を生ずることなきに非ずといえどもその大多数は容易にこれを判定することを得べきが故にこの如き煩雑なる方法を取ることは法律の体裁を得たるものと謂うべからず。故に民法は疑義を生ずる虞あるものと認めたる場合の外は一般の標準を示すことに止めたり。即ち公の秩序に関する規定なると当事者の意思に基づく規定なるとに依りて判断すべきのみ(91条)。而して公の秩序なる観念は絶対的のものに非ずして時世の変遷に伴い永き歳月間には必ずしも変更することなしとすべからず。これまた具形的に各条規に付きその性質を一定することを得ざる所以なり。

今民法中において右両種の規定を例示せば総則中の能力は法人に関する規定及び時効に関する規定の最大部分は強行法に属するものとす。また物権編の規定は勿論親族編及び相続編の規定の如きもその夫婦財産契約等に関する比較的少部分を除く外多くは強行法に属するものなり。これに反して債権編殊に契約に関する規定の如きは各契約の本義及び権利行使の期間等を定めたるものを外にしては任意法に属するもの最も多しとす。一例を示さば法定利率に関する規定(404条)の如きこれなり。但し利息制限法は強行法なるをもって貸金の利息に付きては該法の規定に違反することを得ずべからず。要するにこの如く何れの部分にも右両種の規定混在し時としては実際において疑義を生ずることなきに非ざれば民法,商法等の解釈及び適用に従事する者は最も注意して立法の本旨を誤解せざることに努めざるべからず。

第2章 民法の沿革

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我民法は近世における欧州諸国の法律を継受せる部分最も多きが故にその部分に関しては母法たる外国法の沿革を叙述するの必要なることを言うを俟たず。然るに泰西諸国の民法はその淵源をローマ法に発し各民族固有の制度慣習と連結融和し更に学理の攻究に依りて漸次発達したるものなり。今系統的にその沿革を論述するは本書の目的とする範囲を超ゆる業なるが故にこれを略しここには我国民法編纂の概歴を叙するに止めんとす。

我国往古大宝律令の如き異邦の制度を採酌して法律を彙纂したる事例なきに非ず。民俗一般に簡素なりし当時の法律としては大い見るべきものありしこと言うを俟たずといえども近世における民法の如き一切の私法的法規を秩序的に網羅せる法典を編制したることはこれなきなり。武家政権を執りし以来戦乱相踵き北条足利の時代に重要なる律令を制定せられたる外殆ど法制の整備せるものを見ること能わざりき。徳川氏乱世の後を承け守成策として大いに法制を整備することに努め彼の成憲百個条を始めとして数多の法令を発布し遂にその力に依りて300年に近き間の治平を保つことを得たり。然りといえどもその法令たる多くは一般の網目又は準則を定むるに止まり微細なる条目は挙てこれを各藩の施設及び慣習に委ねたるものとす。積年封建制度行われて庶民同等の権利を有せず公法私法の分界また確立せしに非ず。この鎖国時代において今日行わるる如き法典の存在せざりしことはすこしも奇異と為すに足らざるなり。

明治維新以降政府は開国の国これに基きて泰西の文物を輸入し大いに百般の制度を改革せり。殊に新時世に対する一要務としてつとに法典の編纂に着手し鋭意その成功を企画したることは顕著なる事実とす。その主眼とする所紛雑不明なる各地の慣習に代わるに画一明確なる成文の法規をもってし一般人民をして整然たる国法の支配を受くることを得せしむるに在りき。また欧米諸国との条約を改正し多年我国威を毀損せる領事裁判制度を撤廃するに最も必要なる手段と認めたるなり。然るに今や国連の伸張と時世の進歩に因り条約改正の目的は既に達せられ法典編纂の事業また将にその終結を告げんとするに至れり。而して各種の法典中において最も歳月を要しかつ困難を極めたるものは民法制定の業なりとす。

回顧するに我政府において民法編纂の業に着手したるは明治3年に在り。同年3月太政官に制度取調局を置き故江藤新平氏をもってその長官と為せり。氏姓急敢果断漸をもっては立法の改革を行うべからずと為し直に仏国法典を取りてこれに僅少の改削を加えもって我国の法典と為さんことを企てり。ここにおいて故箕作博士に命じて仏国法典を翻訳せしむ。泰西諸法典の我国語に訳せられたるは実にこれをもって嚆矢とす。而してその翻訳成るや江藤氏は討議を開き逐条その採否を議定せしむ。然るに業未だ成らずして征韓問題生じ遂にその素志を果すことを得ざりき。

明治6年10月故大木伯司法卿と為るや江藤氏の遺志を継ぎ司法省内に刑法編纂及び民法編纂の2課を置き箕作氏外数名の士を挙げてその業に従事せしむ。9年6月民法の起草に着手し11年4月その草案の成了を見るに至れりと云う。然りといえども伯は民法の編纂をもって国家永年の利害に関する一大事業なりとし外国の立法例及び学説を参攻し最も整備せる法典を制定せんことを欲せり。ここにおいて更に明治12年仏国の法律学者ボアソナード氏に命じて民法の起草に従事せしめたり。

明治13年4月新に民法編纂局を置かれ法律に通せる数名の士を挙げて委員としボアソナード氏の立案に就き討議せしむ。これ実に我国民法編纂史上の重要なる一時期なりき。大木伯は総裁として切に我民情風俗に適合せる法典を完成せんと欲し特に委員を命じて各地の慣習を調査せしむる等注意頗る到れりと云う。而して明治19年3月遂に民法財産編及び財産取得編の2編を脱稿するに至れり。

明治19年民法編纂局を廃して更に外務省に法律取調委員を置き内外人中より数名の委員を命じ外交上の必要よりして急に法典の編纂を結了せんと欲し鋭意その成功を計れり。然るに翌20年に至りて早くも条約改正中止の議起り遂に法典編纂の業に一頓挫を来せり。

この時故司法大臣山田伯は法律取調委員長と為りて法典速成の方針を踏襲し元老院議官及び高等司法官より学識経験ある若干の人名を選抜して委員と為し更に外国の法律又は司法事務に精通せる多数の士を挙げて報告委員と為しもって原案の審査及び説明の任に当らしめ委員総会において逐条草案の可否を議定せしめたり。これより先き民法全典の編別を定め第1編を人事編としこれに次ぐに財産編,財産取得編の一大部分,債権担保編及び証拠編の起草はこれをボアソナード氏に命じ人事編及び財産取得編中に相続,贈与,遺贈夫婦財産契約に関する部分は特に民俗慣習を参酌する必要ある故をもって邦人をしてこれを起草せしめたり。而して各編章の草案成るや委員諸氏は日夜常の精励をもって逐条これを討議し明治21年12月遂に財産編,財産取得編の一部,債権担保編及び証拠編の成案を内閣に提出するに至れり。内閣は更にこれを元老院の審議に附し22年7月その議決を経たり。ここにおいて政府は翌23年4月法律第28号をもって前記の部分を公布し更に同年10月法律第98号をもって人事編及び財産取得編の残部を公布し何れも明治26年1月1日よりこれを施行すべきことを命じたり。

これより先き法典の発布将に近きに在らんとするや。一部の法学者は我国今日の如き百事改進の時期に際し遽に法典を編纂するの困難かつ危険なることを痛言し刻下焦眉の急あるものに限り暫く単行法をもってこれを規定し法典全部の完成は民情風俗の稍々定まるを俟ち予め草案を発表してひろく公衆の批評を徴し徐々に修正を加えもってその大成を期すべしとの意見を公表し大いに世人の注意を惹起したることあり(明治22年5月法学士会意見書)。而して翌年民法商法等の発布せらるるや学者,政治家等の間にこれを非難する者益々多くその実施の期ようやく近づくに当り延期修正の議怫然として起り遂に法律案と為りて第三帝国議会に現れ議員の内外を問わず。延期及び断行の両論者間の討議を経て両院の可決する所と為り遂に明治25年11月法律第8号をもって民法の全部は商法,法例その他の附属法と共に修正を行う為め明治29年12月31日までその施行を延期する旨を公布せられたり。

当時民法修正の為めにその実施を延期すべき理由として唱えられたる事項を挙れば凡そ左の如し。

(一) 民族慣習に悖戻せり条項多きこと。

(二) 仏,伊両民法を模範とするに止まり最も進歩せる近来の立法例及び学説を参考せず。従って理論上非難すべき規定多きこと。

(三) 商法との関係宜きを得ざること。即ち商法は民法と起案者を異にし未だ民法の編纂せられざる時に制定せられたるドイツ商法を模範としたる為め民法と重複又は抵触せる幾多の規定を包含し立法の統一を欠けること。

(四) 包括的規定を置かず主として格段なる場合を規定したる為め条文繁雑を極め重複,抵触殊に欠漏多きこと。

(五) 私法及び実体法の領域を厳守せずして公法及び手続法に属する数多の規定を載せたること。

(六) 定義,説明,引例等不必要なる無数の事項を掲げこれが為め条文更に繁雑を加えかつ法典の体裁を失ぜること。

(七) 法文一般に翻訳体に過ぎ明瞭を欠く所多きこと。

ここにおいて政府は前示法律第8号の趣旨に基き翌明治26年3月勅令第1号をもって法典調査会を設置し両院議員その他朝野の士数十名を挙げて委員と為し更に委員中より起草委員を命じて修正案起草に任に当らしめその草案の成るに従い委員会において逐条これを議定せしめたり。委員諸氏はさきに帝国議会その他の方面において唱えられたる理由に基きて修正の方針を定め非常の奮励をもって調査に従事し遂に明治28年の末に至り民法中の総則,物権及び債権の3編を議了せり。而して翌29年1月政府はその法律案を帝国議会に提出し両院においては更に特別委員を設けてこれを審議せしめ結局些少の修正を加えてこれを可決せり。ここにおいて政府は同年4月28日法律第89号をもって右3編を公布するに至れり。但しこれを実施するには残編及び附属法の制定を必要とするが故にその施行期日は別に勅令をもってこれを定むることとせり。

民法の残部は親族及び相続の2編にして明治30年の末に確定案と為り翌31年の臨時議会に提出して可決せられ同年6月15日法律第9号をもって法令及び民法施行法と同時に公布せられたり。この両編は本邦旧来の風俗慣習と密接の関係を有し現今過度の時代において急速にこれを制定するは最も困難なる事業なりとす。故にその実質に関しては両議院においても慎重なる審査を要し最も議論を生ずべかりしも改正条約の実施翌年に切迫しその実施にはこの民法の部分を発布かつ施行し置くことを必要と認めたるが故にや遂に咄嗟の間に法律と為れり。斯て民法全部はその附属法と共に同年7月16日より実施せらるるに至れり(同年6月勅令123号)。

以上述ぶる所をもって我国民法編纂の略史とす。これを要するに民法編纂は法例,商法その他附属法の制定と共に明治昭世の一大事業にして政府は多年大いにこれに尽力しもってその成功を企図したることを見るべし。今や憲政の下において議会の協賛を経てその公布を見るに至りたるは時勢に因ると共にその久しき経営の結果に外ならざることを認むべなり。然りといえども法律学の進歩未だ充分ならざる現時において短期間にこの如き立法事業の成りたるは主として政治上の必要に原因せるものなることを忘るべからず。今後学理研究の進むと共に経験の益々加わるに従い数多の不備欠点あることを発見し他日更に一大改正を必要とする時期の到来すべきことは確信して疑わざる所なり。

第3章 民法の内容及びその分類

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民法は吾人相互の私法的関係より生ずる権利義務を定むるものなり。然るにその権利義務の主格と為るには2様の状態あり。1は単に個人として他人との関係において権利を有し義務を負う場合にして他の1は家族若しくは親族なる団体の一員としてその家族的又は親族的関係より生ずる権利を有し義務を負う場合なりとす。単に個人として享有する権利義務はその範囲甚広しといえども主として財産上の権利義務に外ならず。けだし人類にしてその生活上の需要を充たすには外界の事物にその資料を取るより急務なるはなし。然るに人と外物との間に生ずる関係は単純なる事実上の関係に過ぎず。その物体上に一定の作用を為すことを何人よりも妨害せらるることなき保障ありてここに始めて法律上の関係即ち権利を生ず所謂物権とは即ちこれなり。

然るに外界の物体には自ら際限あり。人間生活の需要発達するに従い一にこれのみをもって生活の資料と為すこと能わず。巨多の場合においては他人の努力に俟つの必要なることあり。かつそれ外界の物体といえども他人の行為に依るに非ざればこれを利用すること能ざる場合尠しとせず。ここにおいてがその目的を達する必要よりして債権関係なるものを生ず。債権法は社会生活の需要進むに従い物権法と相並びて民法の一大要部を成すものなり。

また人類は孤立してその生存を全うすることを得るものに非ず。男女配合して夫婦と為り更にその間に出生する子との間に親子の関係を生ずる等血族又は姻族としてその相互の間に数多の関係を生ず。この種の関係は主として道徳の範囲に属すといえども法律の規定を要するものまた尠しとせず。また我国の如き家族制度の行わるる国においては戸主と家族及び家族相互の関係に付ても多少の規定なきことを得ず。親族法は即ち此等の関係を規定するものなり。

最後に人は死亡に因りてその整然における法律関係に著大なる変更を受けざることを得ず。その一身に専属する権利義務は生命と共に消滅すべきは言うを俟たずといえども家督及び財産上の権利義務に至りては向後その主体と為るべき者を定めてこれを継承せしむる必要あり。これ相続法の設なかるべからざる所以なり。

この他前記諸種の権利関係に共通なる総則の定なきを得ず。一般私権の主体,目的及び得喪に関する原則は即ちこの部類に属するものなり。彼の生命,身体,名誉又は信用等を保全する権利(人格権)の如きは固より普通私法たる民法の範囲に属すといえども実際規定を要する点尠きが故に諸国の法典中特にこれに関する一編章を設けたるものあるを見ず。債権法において民事犯又は不法行為と称する名目の下にその侵害に対する救済の規定を設くるをもって足れりとせり。

以上述べたる所は民法の内容及びその分類法として近世最も正当かつ便宜と認めらるる所のものとす。これ一方においては民法学研究の基礎と為り又一方においては法典編別の大本と為るものなり。

民法研究の方法としてはこの分類法はドイツにおいてつとにヒユゴ,サヴィニー等に依りて首唱せられローマ法及び自国法研究の為め近世盛に行わるるものなり。これに反し仏国においては往時ローマ法を注釈的に研究したる風俗容易に一変せず。その余弊未だ去らざる時期において法典の法典の編纂成りたる為め注釈的説明の方法一般に行われ永年間学理の究明を阻碍したるは争うべからざる事実とす。近年に至り比較研究の振興に連れてようやく民法学刷新の緊要なるを感じ遂に1895年7月24日の文部省令をもって民法講述べ新方針を訓示することと為れり。即ち細目に関しては各学者の意見に放任するも大綱としては前記の分類法を指定しここに「パンデクテン」の順序に従い民法を攻究するの端を啓くに至れり。

民法の編別はその全体の法理及び各部の関係を明らかにする等数多の点においてその重要なる一事項なりとす。故に近世の立法者はようやくこの点に注意し最も論理に適合せる方法を採らんことを図れり。然るに古来その編別の標準及び法規の分類法に関しては種々の主義なきに非ず。今茲にその沿革を論ずることはこれを略し(穂積氏「法典論」第3編参看)専ら近世一般に行わるる論理的編別法に付きその概要を述べんとす。

論理的編別法に二大種類あり。その1はローマ式編別法と称しローマの学者ガイユス及びジュスチニアン帝の法律書インスチチユトに定めたる編別を基礎とするものを謂う。即ち民法を分ちて人事法,物件法及び訴訟法の3編と為すものこれなり。然るにこの分類法たるや数多の点において欠点あり。その最も著しきは債権法の位置を定めざることなり。ローマ法を説く者はこの点に関してその所見を異にすといえども物に関するローマ人の観念及び近世所謂物権なる名称を知らざりしことの点より考えうるときは債権法はこれを物権法の一部と見たること殆ど疑いを容れず。然るに物権と債権とは大いにその関係の性質を異にする所あるのみならず。債権法は私法の一大要部を占むべきものなるが故に茫漠たる物件法の一部と為す如きは固より当を得たるものと謂うべからず。また人事法の題下において性質の大いに相異なる人格及び能力に関する事項と親族関係の規定とを混合し殊に権利の実行に関する訴訟手続法をもって民法の一部と為したる如きその他各種の権利関係に共通なる総則の一編を設けざる如きは何れも近世学者の非難を招きたる所なり。

然りといえどもこの3編分類法は欧州諸国に伝わり仏国を始めとしローマ法を継受せる国は何れもこれに基きて民法の編別を定めたり。ただ訴訟編を除き物権編の範囲を狭縮しかつ僅に債権法の地位を述べたる跡を見るのみ。第19世紀の模範法典と称せられたる仏国民法の如きはその第1編を人事編と為し第2編を財産及び所有権の変更と為し又第3編所有権取得の種々なる方法と為せり。この編別は漠然にも権利の主体,目的及び得喪の三大事項を規定せるものと見れば全然価値なきに非ずといえどもその標目及び内容を審査するときは甚だ当を得ざるものあり。殊に第3編の範囲尨大いに失し債務関係,証拠,先取特権及び抵当権の如き性質の区別相異なる事項を包含し何れもこれをもって所有権取得の方法と見たる如き全くローマ法の謬想を踏襲せる結果に外ならず。この他仏民法を模範として編纂したるオランダ,イタリア,ベルギー,スイスの一部及びスペイン諸国の民法は何れも大同小異にして畢竟ローマ式編別法を本としたるものに非ざるはなし。我旧民法の如きも人事及び財産の2編に次ぎ財産取得,債権担保及び証拠の3編を設けたるは一機軸を出だせるものと見るべきが如しといえどもこれ唯財産編の浩澣に過ぐることを避けんが為め便宜上これを分割して別編と為したるのみ。その系統は以前ローマ式にして権利関係の性質又は原因に拠る如き一定の基礎,標準を有する編別法と見ることを得ざるなり。

第2種の論理的編別法は近世ドイツに行わるるものにして民法を総則,物権法,債権法,親族法及び相続法の5編に分類するものこれなり。索遜民法に始めてこの編別の方法及び順序を採用せり。バヴァリヤ民法草案及びドイツ帝国新民法には唯債権法を第2編と為しこれを物権法の前に置きたる差異あるのみ。この5編分類法を称して即ち「パンデクテン,システーム」又はドイツ式編別法と謂う。そのローマ式編別法の欠点を矯正しこれに比して遥に優れるものなること固より論を俟たざるなり。

我民法は即ちこの編別法を採用し順次に総則,物権,債権,親族法及び相続の5編をもって組織せり。ただドイツ民法と異なりて物権編を債権編の前に置きたるは古来の通念を一変する必要なきと債権は物権の得喪を目的とすること多きが故に予め各種の物権の性質及び効力を明らかにすることを便宜と認めたるが故のみ。

この編別法を採用せる結果として旧民法その他仏法系の諸法典と大いに構造を異にする点尠しとせず。此等の諸点は以下各巻において論述する所に依りて判然すべしといえども今茲に法典全体に亘りてその最も著大なる差異と認むべきものを挙ぐれば(一)首都に総則の一編を設けて各種の権利関係に共通なる規定を掲げもってその規定の所々に散在して重複又は欠漏を来ずことを防ぎ(二)彼の大いに性質を異にしかつ各広濶なる範囲を有する物権と債権とを編別してその規定の錯雑することを避け(三)古来普通に人事編中に混入したる人格及び能力等に関する規定と親族関係の規定とを分割してその1はこれを総則編に入れ他の1はこれを別編と為しもって一には将来時世の変遷に応じてこの後編の規定を改正するに便ならしめ(四)その親族編なるものを首都と為さずして物権編及び債権編の次位に置きもって一方には親族関係よりして財産上に影響を及ぼす範囲を明らかにし又一方には各人の権利義務は往昔における如くその身分又は地位に因りて定まるものに非ざる趣意を示し(五)最後には死亡その他の事由に因る家督及び包括財産の継承に関してひろく物権,債権及び親族関係に牽連せり数多の特別規定を必要とするより相続法をもって独立の一編と為し単に財産取得の一方法と見る観念を改めたる諸点の如きは旧民法の分類法を一変したる立法全体の趣旨と見るべきなり。

以上論述せるドイツ式編別法は現今の法律思想においては最も欠点少なきものと認めたるるといえども果して間然する所なき分類法と目することを得べきやは将来の判定俟つべき一大問題なり。思うに学理上私法事項の正確なる分類法を定むることは容易なる業に非ず。仮令権利の性質に基き分類を為すべきものとするもその性質は果して如何なる標準に依りてこれを定むべきやに至りては学説一定する所なし。余輩また多少の所見なきに非ずといえども学理的分類法と立法的分類法とは必ずしも同一なるべきものと解すべからず。けだし法典を編別しその規定を配置するには唯一に高尚なる理論に基づくべきに非ず。また大いに実際の利便をも考究せざるべからざるなり。要するに論理的分類法は科学の進歩と法律思想の普及に随伴すべきものにして今日に在りては少数学者の意見に従わんよりもむしろ近世法律思想の最も進歩せる国の立法例に範を採るの安全なるに若かず。完全無欠なる編別法はこれを後世の学者及び立法者に俟つの外なきなり。

第4章 民法と慣習法との関係

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民法制定前に在りては慣習法は成文法の存せざる。多数の場合に適用せられ最も重要なる国法の一部なりしことは明治8年第103号布告第3条に成文法なるときは慣習に依るべく。慣習なるときは条理に依るべきことを規定せるをもっても明らかにして慣習法は旧来広濶なる範囲において裁判の準拠たりしことを知るべし。けだし従来は成文の法規甚少なかりしが故に吾人相互の私法関係は主として慣習法に支配せられたるものとす。これ我国においてのみ然るに非ずして古来法典の完備せざる諸国は何れもこの状態に在りき。故に民法の制定に際して慣習法は将来尚以前としてその効力を保有すべきや。また如何なる範囲内においてこれを保有すべきやは何れの国においても起生せる立法上の一大問題なりとす。

近世の立法例を見るに多くは特別法をもってこの問題を決定せる。而して実質上においては各国その主義を異にし往古に遡るに従い広博なる範囲において慣習法の効力を認めたる如し。即ちローマ法の如きは慣習法に最も強大なる効力を認めたる適例にして永年間行われざる成文法を改廃することを得るものとせり。然るに近世に至りては交通取引の発達又は国政統一の必要に促され立法機関のようやく整備するに従い一般の原則としては慣習に法律の効力を認めざる傾向を生ずるに至れり。仏,墺,蘭,独等の諸国においては民法上一般に慣習法の効力を認めず。啻に成文法の規定に先じて適用を受くる効力を認めざるのみならず。その規定なき場合においてこれを補充する効力をも否認せり。けだし法典編纂の主旨たるやあたかも区々不明なる不文法に代わるに画一明確なる成文法をもってするに在ればなり。旧来の慣習にして弊害なきものはこれを保存すべきこと当然なるが故に法典の編纂に際して慣習は各種の事項に就き充分にこれを調査しその採るべきものはこれを採り法典の一部として行われんことを計るべしといえども一旦その取捨を決して法典を制定したる以上はその規定をもって百般の場合に応ずるに足るものとしもし或場合に付き規定を欠くときは法典全体の上より解釈して適用すべき法則を発見することを要す。即ち法典そのものの精神に基きその発達を計るをもって立法の本旨に適うものと解したるなり。然りといえども又一方より考うるときは吾人の生活関係は複雑極りなきが故に仮令法典において一切の法律関係を網羅せんと欲するも尚往々にして立法者の見界に洩るるものなきことを得ず。殊に政治上の必要に迫られ急速に法典を制定する如き場合においては最もその脱漏あることを免れざるべし。故に成文法に対する補充法として慣習法の効力を認むるは必ずしもその理由なきに非ざるなり。外国においても商事に関しては慣習法に補充的効力を認めたる立法例甚だ多しとす。

我民法には私法一般の規定としては慣習法の効力を定むることなくこれを法例に譲れり。法例第2条は即ちこの問題を決定したるものにして原則としては慣習法の優先的効力(成文法の規定と相異なる場合においてこれに先じて適用を受くる効力)を認めず。法令に別段の規定ある場合を除く外は唯補充的効力を認めたるのみ。なおこの範囲内においても慣習は公の秩序又は善良の風俗に反せざることを要す。即ち公の秩序又は善良の風俗に反する慣習は一切その効力を認めざるなり。而してこの要件を具備せる慣習といえども将来にその効力を有するものは畢竟法令の規定に依りて特に認めたるもの及び法令に規定なき事項に関するものに限る。この2の制限内において慣習は法律と同一の効力を有するものとせり。要するに法例第2条に認めたる慣習法の範囲は左に説明する2点に在るものとす。

(一)法令に規定なき事項に付き効力を有すること。 即ち慣習法は成文法を補充し第2の法源と為りて適用せらるべきものとす。而してこの効力は一般的にしてその範囲に制限なきものと解すべし。ただ果して法令に規定なきや否やを決定するには一般解釈の手段を施用したる後なることを要す。直に適用すべき条文なき一事をもって当然その規定を欠くものと速断すべからず。この如き場合においては主として論理的解釈に依りて立法の本旨を究明すべし。而も尚準拠すべき原則を発見すること能わざる場合において始めて慣習法を適用すべきなり。

  商事に在りては慣習法は商法の規定に対しては補充的効力を有するに過ぎずといえども普通法には優先するの効力を有するものとす。即ち商法に規定なきときは商慣習法を適用すべき。商慣習法なき場合において始めて民法の規定を適用すべきなり(商1条)。

(二)法令中特に定めたる場合において効力を有すること。 これ慣習法の優先的効力を認めたる場合にして民法中にその例を求むれば第269条3項,第228条,第263条,第268条1項,第269条2項,第277条及び第278条3項の如きこれなり。何れも物権編の規定にして公の秩序に関するものなりといえども土地に関しては各地方に積年の規定の慣習ありて容易に画一の規定に従わしむること能わざるに由り民法は特に明文をもって慣習の先順位を認めたるものなり。

この他法律行為の通則として公の秩序に関せざる法規に異なりたる慣習は当事者がこれに依る意思を有せるものと認むべきときに限りその慣習に従うべきものとす(92条)。この条文に所謂慣習とはその全文より解釈して慣習法の効力を定めたるものと解することを得ず。ただ当事者が別段の意思表示を為さざりし場合においてその意思表示を補充するものとしてこれに依らしむる主旨に過ぎず。その条文の位置及び法例第2条の規定より推究するも殆ど疑いを容れざる所なり。但し立法論としてかくの如き規定を要するやに付ては疑いなきことを得ず。

右に列挙せる如き特に慣習法の効力を認めたる場合の外民法の規定に反する従来の慣習法は民法の実施と同時にその効力失いたるものと謂うべし。この事は法例の規定を俟たず。特別法と見るべからざる旧法と両立せざる新法は旧法を廃したるものと解すべきなり。

要するに現行の法制においては民事に関する慣習法は成文法即ち法例第2条に定めたる範囲内においてのみその効力を有するものとす。これ法律の本源はその成文法たると慣習法たるとを問わず。国家主権に在ることを一層明らかにするものと謂うべし(29頁以下対照)。なお成文法はその目的とする事項が全然消滅したるときは廃止せられたることと為るも久しく施行せられざる一事をもってはこれ結果を生ずることなし。これに反して慣習法は同一事項に付きこれと両立せざる新慣習法の成立するを俟たず。慣行の事実が永年間中止せらるるときはこれに因りてその効力を失うに至ることあり。これまた法律の改廃に関し成文法と慣習法と効力を異にする一点なりとす。

第5章 民法と特別法との関係

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民法は私法中の普通法なり。普通法と特別法とを区別する実用は一般の原則として特別法に規定せる事項に付ては先ず特別法を適用し特別法に規定なき場合において始めて普通法を適用すべきに在り。例えば商事に関しては先ず商法の規定を適用し商法に規定なきとき又は別段の商慣習法なきとき始めて民法の規定を適用すべきなり。故に民法は特別法に別段の規定なき範囲内において適用を有するものと解すべし。

然るに民法に優る特別法とは如何なる種類の法規を意義するや。換言せば一切の法律命令を謂うや。将た憲法に所謂法律(帝国義愛の協賛を経たるもの)のみを謂うものなるや。この問題は各種の法令の効力如何に関し主として公法上の問題に属するが故にここにおいて詳述することを得ずといえども要するに憲法実施の前後に依りて判定を異にするものとす。憲法実施後においては普通一般の命令をもって法律の規定を変更することを得ず(憲9条)。ただ憲法上の立法事項を除き法律をもって特にその事を命令に委任したる場合はこの限に在らず。故に民法の規定に抵触する命令は適法の委任ある場合を除く外特別法としてその効力なきものと解せざるべからず。

民法を通観するに「法律に別段の規定ある場合」を除外せる条文(33条,175条)は勿論特別法とある条文(240条,241条)に付ても疑義を生ずることなしといえども唯ここに論及すべき一問題は民法の「法令に別段の定ある場合」を除外せる規定(2条,43条,206条,207条等)の意義如何に在り。例えば第2条に「外国人は法令又は条約に禁止ある場合を除く外私権を享有す」と曰い又第206条に「所有権は法令の制限内において云々」とあるは命令をもって外国人の権利能力又は所有権の行使を制限し得ることを定めたるものと解すべきや。更に一歩を進め此等の事項に関しては命令をもって民法の条規に異なりたる規定を設くることを得るものとする趣旨なるや。この点においては多少の疑義なきに非ず。

惟うにこの問題に関しては立法の趣旨は後段に示す所なる如しといえども厳正なる法文の解釈としては単に上記の文辞あるのみをもっては民法の条規に異なりたる規定を設くる権能を命令に委任したるものと解することを得ず。けだし法律の委任は一種の異例なるが故に仮令一定の形式になきにもせよその趣意を明示することを要す。然るに従来上述せる如き形式において委任を為したる事例は殆どこれなきなり。然りといえども民法の規定に反せざる範囲内において憲法第9条に掲げたる要件を具備する以上は命令の効力を認めざるべからず。例えば民法第2条の場合において警察上の必要より外国人の住居権を制限する如き。また第206条の場合において民法の規定に抵触せざる限は警察命令をもって所有権の作用を制限することを得るものとす。これに反して民法中隣地関係の規定(209条以下)の如きは普通の命令をもってこれを改廃することを得ざるものと解すべし。

憲法実施前より行わるる法令は布告,規則,布達等その名称の何たるを問わず憲法に矛盾せざる限りは総て遵由の効力を有するものとす(憲76条)。故に此等の法令は民法の規定に抵触することあるも特に廃止せざる限は特別法として民法に先じ適用を受くる効力を有するものと解せざるべからず。これをもって民法制定の際において廃止する必要あるものは逐一これを指定することを要す。これ民法施行法の問題にして同法第9条において従来行われたる23種の法令を廃止したるは即ちこの理由に基づくものなり。

民法には特別法令と共に条約の規定を留保したる条文なきに非ず(2条,36条)。本来条約は国家間の規約なるをもって固より法令と性質を異する。然るに条約には往々にして臣民の私法上の権利義務に関し民法その他の法律の規定に異なりたる条項を掲ぐることあり。この場合において条約は法律との関係上において如何なる効力を有するや。殊に臣民に対して遵由の効力を生ずるには憲法に定めたる法律制定の手続を践むことを要するや。この問題に関しては学説一定せず。これ主として憲法及び国際法の領分に属するが故にここにこれを論述することを得ずといえども近時有力なる学説は条約もまた公布に依り一面には国内法の法源を為すものにして民法に対しては特別法と同一の効力を有するものと為すに在り(27頁対照)。

第6章 民法の解釈

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凡そ法律の解釈とはその意義を確定することを謂う。法律の適用宜きを得ると否とは専ら解釈の方法如何に依ることなるが故にその緊要なること言うを俟たず。けだし法律は慎重に制定せられたるものといえどもこれを百般の事実に応用するに当りては必ずや幾多の疑義を生ずることなきを得ず。殊に我民法の如きは実施依頼日尚浅きよりしてその解釈に付き疑問頻出し未だ最終の解決を経ざるもの多し。これ主として欧州諸国の法律を継受せる部分多きにも拘らずその母法たる外国法の研究未だ充分ならず。加えその編纂の方針として概括的条即を掲ぐることを主眼とし細目の規定に亘らず幾多の問題にしてその断案を学説及び判決例に譲りたるもの少なしとせざるが故に時世の進むに従い諸般の場合に応用することを得べき便益あると同時にその解釈に従事する者の労力及び責任は一層重きを加うるものと謂わざるべからず。故に今ここに普通私法として最も適用多き民法の規定を説明するに当り一般法律の解釈に関する原則を述ぶるは当然の順序なることを信ずるなり。

凡そ法律の解釈には強制的解釈と学理的解釈の2種あり。強制的解釈とは立法者自ら或法律の意義を確定することを謂う。故にこれを称して立法的解釈とも謂う。即ち法律の力をもって定むる解釈なるが故にその解釈の当否如何に拘らず。他の一般法律に同じく絶対的強制力を有するものとす。而して通常その解釈せんとする法律の発布後に生ずるものなるが故にここに所謂解釈的法規は当然前法実施の時に遡りてその効力を生ず。但し確定判決の効力を変更することなきは言うを俟たず。余輩がここに論究せんと欲するものはこの解釈法に非ざるなり。

学理的解釈とは裁判官又は学者その他の一個人が任意の攻究に依りて為す所の解釈を謂う。固より強制力を有するものに非ず。ただその解釈を為す人の学識技能に実際著大なる勢力を有することあるのみ。この解釈はその裁判官に出づると学者その他の私人に出づるとを問わず。その目的及び方法を一にするものなり。即ち何れも法律の真意を究明するを目的とし左に述べんとする学術上の方法に依り独立意見をもって為すものとす。これ強制的解釈と全くその効力を異にする所以にして畢竟その理由の確信力を有するに由りて実際に効力あるものと謂うべし。

或一部の学者は法規の解釈を公解釈と私解釈の2種に大別し裁判官に出づる解釈は立法的解釈と共にこれを公解釈と称し学者その他一個人の私解釈に対するものとせり。これけだし裁判官は或事件を判定するに付き職務をもって法律の解釈を為すものにしてその解釈に基づく判決は訴訟当事者間に法律と同一の拘束力を生ずるものなればなり。然りといえどもこの区別は解釈の発源及び効力に関する形式上の区別に過ぎず。解釈の方法に関係なき為めその原理を説明するに付き特別の価値あるものに非ず。故にここには専ら学理的解釈法に付きその概要を述べんとす。

学理的解釈には2種の方法あり。文理的解釈及び論理的解釈即ちこれなり。文理的解釈とは法律の文章及び用語に基きその意義を定むるを謂う。けだし文章用語は直接に立法者の意思を表示する要具なり。而して立法者は通常性格なる意義にこれを用いたるものと推定すべきが故に法律を解釈するには先もって文理的解釈に依ることを必要とす。もしそれ文章用語を度外視し自家の学説のみに基きて法律を解釈せんとするにおいては往々にして解釈の畛域を脱出しあたかも法律を制定するに異ならざる結果を生ずべし。法典の編制宜きを失し而もその改正の容易に行われざる国においては頻繁にこの弊害の行わるることを見る最も注意せざるべからざる一点なりとす。

然りといえども文理的解釈はその文字の示す如くに単純かつ簡易なるものに非ず。完全にこれを為すには自ら一定の方法及び原則あり。即ち先ず一国法典の文章用語には固有の特性なき能わず。故に深くこの点に注意し立法者及び立法当時における用例に考え又母法たる外国方の淵源に遡りてこれを解釈せざるべからず。或一の用語を皮相的に解してその意義を定めんとするときは甚しき誤謬に陥ることあるべし。一例を示さば民法に所謂「無能力者」とはその文字上より観察するときは全然能力なき者を謂う如くに解せらるべし。現にドイツ民法の如き全く意思能力を欠く者にこの名称を附せる例もこれなきに非ず。然るに我民法において無能力者とは唯法律行為を限定せられたる者と解せざるべからざるなり。この他特種の事項に関する専門語に非ざる限は一般に普通慣用の意義に解すべく又疑いあるときはむしろ広博にしてかつ実効ある意義に解釈すべし。変例及び処罰に関する規定は通常これを敷衍することを許さず。立法前後の法律は勿論その当時に行われたる著書の如きも時としては参考の資料と為ることあるべし。殊に注意すべきは一法典の条項たるやその全組織の成分にして前後互に密接の関係を有するものなるが故に常に彼これ対照してその連絡を考究しもって法理を発見することに努めざるべからず。単に判定すべき事件に直接の関係ありと認むる一条項を捉えその字義に拘泥して解釈を定めんとするときは往々にして立法の本旨に反し法律を死用するの結果を生ずべし。これ論理的解釈の必要なる所以にして文理的解釈は論理的解釈と分離すべからざる関係を有しこれと相俟て始めて解釈の目的を達することを得べきなり。

論理的解釈とは推理の作用に依りて法律の本義を究明するを謂う。即ちその解釈せんとする法律の系統及び各部の関係に考え又法律に関係ある他の法律の規定立法の理由その他立法当時の状況等苟も法律の精神を明らかにするに足るべき事項は総てこれを参攻することを得べし。法律の一部と為らざるその理由書又は編纂議事録の如きは直接に解釈の根拠たることを得ざるも又これを参考にして意見を定むる助具と為すことを妨げず。論理的解釈の方法として殊に肝要なるは外国法を継受せる部分に付きその淵源に遡りて母法の規定,沿革,学説及び判例等を攻究しこれに依りその法律の理義を明らかにするに在り。但し或事項に関しては完全に一国法典の規定を採用したる如くにしてその実重要なる一部を除斥したる例もまた少なしとせず(時としては充分の理由なくして)。この種の事項に付てはその採用せざりし部分をも明らかにしもって法律の解釈を定むると同時に他日改正を行うの資料と為すことを得べし。一例を示さば民法第1編中の「代理」に関する規定の如きはその最大部分をドイツ民法草案に採りたるにも拘らず。同法の骨髄たる授権の思想を容れず。意思表示に因る代理権の発生は委任契約と画然区別すべきものにして雇傭又は組合等の関係とも併立するものとしたる如し(104条ないし111条)。即ちこの点において尚旧時の委任契約と代理関係とを混同せる誤想の一部を遺存したる観なきことを得ず。この如き事例は決して少なしとせずこれ母法研究の必要なることを証すると同時に解釈者の細心注意すべき要点なるべし。

論理的解釈は注文の意義不明なるか又は適用すべき法文なき場合即ち厳格なる文理的解釈法に拠ること能わざる場合に限り用うべきものと解する論者なきに非ずといえどもこれ謬見なり。近世の観念はローマ法における如き文辞をもって解釈の唯一の基礎とするものに非ず。各場合の事情に従い両種の解釈方法を併用せざるべからず。即ち法文の意義時としては法律全体の上より定まるべき意義と相容れざること往々これなきに非ず。この如き場合においてはその法文の意義を拡張又は限縮してこれが解釈を定むることを要す。所謂拡張的解釈とは法文に当然包含せられざる意義を附加するを謂い限縮的とはこれに反して法文に包含せらるる意義を除却するを謂う。何れもその文辞と法律の真意と矛盾すること明なる場合において施用すべき方法なりとす。

民法を解釈するに当り強行法規と任意法規とを識別する必要なることはさきに説明したる如し。この他原則法と例外法とを区別することもまた肝要なりとす。所謂原則法とは或事項に関して一般の場合に適用すべき法規を謂い例外法とは原則法に対する例外を定めたる法規即ち原則法の適用を除外するものを謂う。例外法はこれを特別法と混同すべからず。特別法とは特定の事項に関する法律にしてその事項に関する原則を定む。必ずしも一般法に対する例外規定のみを包含するものに非ず。例えば商法の如きは民法に対する特別法にしてその例外法に非ざる如し。例外法は厳格にこれを解釈することを必要とし類似の場合に敷衍することを得ざるを定則とす。

法律に規定なき場合においてその補充の方法として従来最もひろく行わるるものは類推論法なりとす。所謂類推論法とは或場合に付き規定せる条文あるときは理由の同一なるに基きこれを類似の場合に適用することを謂う。その拡張的解釈と相異なる所は直接に立法者の意思を根拠とするに非ずして原因の同一なるより間接にその意思を推定する点に在り。法典編制の方法如何に依りてはこの解釈手段を用いざることを得ざる場合多しといえども我民法の如き主として一般的規定を掲げ各種の適用に渉らざるものに在りてはその必要少なしとす。殊に他の類似せる場合に関する規定を準用すべきとは特にその旨を明言することを例とせるが故に類推理論は単に事情の類似する場合は勿論更に強力なる理由ありと認むべき場合(a fortiori)においても濫にこれを用うることを許さず。ただその規定にしてむしろ疑義を防止する為めに置かれ類推の結果一般の原則を適用することと為るべき場合においてのみこれを用うることを得べし。

然りといえども又反面論法(a contrario)と称して法律に或一の場合を規定せる為めその法文に包含せられざる場合は挙て反対に決せざるべからずとするはその危険なりとす。現行民法といえども一般の原則以外には変例のみを掲げたるものと言うことを得ず。時としては疑義を生ずる虞あるよりして畢竟通則の適用に過ぎざる規定を置かれたることもこれなしとせず。この如き場合においてはむしろ拡張的解釈に依りてその原則を来すことに解釈せざるべからず。要するに反面論法は例外の性質を有する規定に付き解釈の結果として通則に復帰する場合に限りこれに依るべきなり。但しこれとても絶対的に然るものと断言することを得ず。その例外の範囲を定むるに付てもまた論理的解釈法を用い同一又は一層有力なる理由ある上にも限縮的解釈の結果立法の本旨に反すること明なるときは文意を拡張することを妨げず。一例を示さば通行地益権を設定するに当り人力車にて通行することを得ずとの制限ある為め馬車又は自動車にては通行することを得るものと解釈すべからざる如し。

成文法は如何に完備せるものといえども各個の場合に該当すべき規定を網羅するもに非ず。その規定なき場合においては主として論理解釈に依らざるべからず。けだし法律は条文の機械的集合に非ず。その規定は互に脈絡を有し綜合して分離すべからざる統一体を成すが故にその全体の関係より生ずる原理は即ち隠れたる法規に外ならず(松本氏19頁)。而してその原理を発見するには即ち論理的解釈に依るべきなり。ただ如何なる場合においてもこの方法に依りて法律中に適用すべき法則を見出すことを得べきやは最も議論ある一大問題なりとす。

従来の学説は法規の欠缺なきことを主張す。即ち法律に明文なき場合においては常に類推その他の解釈方法に依りてこれを補充することを得るものと為すなり。これ主としてサヴィニーその他歴史法学派の唱道する所なるもこの見解に対しては有力なる非難なきことを得ず。けだし吾人共同生活の状態は複雑にして常に変遷止まる所を見ず。而も立法者の能力には際限あるが故に当初その限界に入らざりし事実発生し解釈の方法を画すもこれに適用すべき法規を見出すこと能わざる場合に遭遇することなしとせず。この場合においても尚解釈に依りて法律の不備を補充せんとするは困難にして実際裁判官に立法の権能を附与すると同一の結果を来しその弊害測知すべからず。既往百年間における仏国民法実施の状態は実にその適例にして近来ジェニー一派の「自由法説」が旺に行わるるは即ち解釈の方法既に竭き法典固有の作用に依りては最早その目的を達する能わざうことを証するものと謂うべし(穂積氏「仏蘭西民法の将来」仏蘭西民法百年紀念論集77頁以下参看)。

ここにおいて近世の編纂に係る法典は大いにその構造を改め凡百の事態に対応することを得べき弾力性を具備するに至れり。従って解釈に依りてその規定の不備を補充すること能わざる場合少なく又一方において立法機関ようやくに整備し法律の改正を行うこと容易なるが故にその不備の状態を永続せしむること稀なるべし。ただ成文法は事実に遅るること常なるが故に仮令その制定の方法宜きを得るも尚適用すべき法規を欠く場合絶無と断定すべからず。斯かる場合において慣習法あるときはこれを適用すべきも慣習法もこれなきときは明治8年第103号布告に基き主観的標準たる条理に依りて裁判を為すの外なきなり(39頁)。

  近時一部の学者は従来の法律解釈が形式に流れ実際生活に適合せざるものとし成文法に直接の規定なき場合においては論理解釈を用いず直に裁判官の事由討究に依りて発見したる法則を適用すべきことを主張す。所謂「自由法説」即ちこれなり。この学説は論理解釈の弊を矯めんが為め遂に論理解釈そのものを排斥し成文法以外に茫漠たる一大法源を認めんとするものにしてその非なることさきに詳述したる如し(三八頁以下)。ただここに看過すべからざる一事は従来の解釈方法たるや現今時世の要求に促されて将に一大変改を来さんとる機運に際会せり。この点において自由法説はその積弊を指摘せることに付き多大の効果ありしことを認むるなり。

以上説明せる如く法規の解釈はその文章,用語に依りてのみこれを定むることを得ずといえども第一には法文及びその用語の意義を確定するの慣用なること言うを俟たず。而して法典の用語は従来慣用の意義にこれを解する能わざること多し。或いはその意義を変更し或いは新に造作せられたるものも少なしとせず。また母源たる外国法の沿革的用例を詳にするの必要なることも屡これあり。これ解釈者の最も注意すべき要項にしてひろく法律の原理を研究するの肝要なる所以なりとす。新民法は旧民法の如くには訳文体ならずといえどもその継受法たる部分多き一事をもっても広博なる法律上の智識を具うるに非ざれば了解に苦むべき用語甚多しとす。今ここには各語の意義を説明することを得べきに非ず。以下各編の内容を論述するに当りて自ら判然する所あるべし。ただ左に民法中において最も頻繁に遭遇すべき数語の意義を解説しもって初学生の便に供せんとす。

(一) 民法には準用なる語を載せたる条文甚多しとす。準用とは適用に対する語なり。凡そ一の法規を適用するとは本来その規定せんと欲したる場合に応用することを謂うものにして畢竟当然の結果に外ならず。ただ時としては疑義の発生を防止する必要あるより特に或場合においてその応用を為すべき旨を明示することあるのみ。これと異なりて準用とは或場合に付き設けられたる条規を取りてその場合に類似せる場合に便用することを謂うものなり。即ち立法の理由同一にして法律上の処置を異にする必要なきより同一様の法文を複載する煩を避くる為め便宜上準用なる語を採用せるものに過ぎず。或いはさきに述べたる類推論法に依りて解釈上同一の結果を得べきが如しといえども今や明文をもって諸般の法律関係を規定せる法典の解釈としては漫にこの種の解釈手段を用うることを許すべきに非ず。これドイツ民法の例に倣い準用なる語を便用しこれに依りてその目的を達せんと欲したる所以なり。但し準用と謂う以上は事理において重要することを得べき限度にその効力を止むるものと解せざるべからず。今ここに一例を示さば権利質には質権に関する規定を準用せるが故に(362条2項)譲渡すことを得ざる権利をもってその目的と為すことを得べからざるは言うを俟たずといえども(343条)債権質に関しては特にその実行の方法を定めたるをもって見るも(367条,368条)動産質に関して特に定めたる質権実行の方法(354条)に依ることを得ざるは当然なるべし。また準用の準用あることにも注意すべし。例えば第350条と第362条2項との関係における如きこれなり。即ちこの再準用に依り債権の質取主は第297条の規定に従いその債権の利息を取得することを得る等の結果を来すものとす。

(二) 民法には「看做す」と「推定す」とを書き分けこの両語を掲げたる条項多きことを見るべし。これその効力に差異あるものにして単に「推定す」とある規定は当事者の意思その他普通の事実を推測たるものに過ぎざるが故に反対の意思又は事実にして証明せられたるときは当然その効力を失うものとす。これに反して「看做す」とは完全なる推定にして反証の為めに当然転覆せらるべきものに非ず。但し立法者自ら反対の事実著明なる場合において或条件の下にその効力を消滅せしむることあるは固より妨げざる所とす。例えば民法第31条と第32条との関係における如きこれなり。

(三) 民法には「第三者」なる語を用いたる条文少なしとせず。第三者とは或法律関係における両当事者以外の者を謂う。包括名義の承継人(相続人及び包括受遺者)及び代理人は当事者と同一視すべき者にしてその他の者は総て第三者なりとす。仏法系において包括承継人中に一般の債権者を加うるは正当の見解に非ざるなり。

(四) 民法には屡対抗なる語あり。例えば或事項をもって何某に対抗することを得ずと謂う如きこれなり(16条,94条2項,98条,112条等)。この対抗力なきことは不成立又は効力の発生なきこととこれを混同すべからず。例えば不動産に関する物権の取得はその登記を為すに非ざればこれをもって第三者に対抗することを得ざるを原則とするも(177条)登記なきに拘らずその取得を目的とする行為は既に成立しかつその効力を生じたるものと解すべし。固より対抗力なき権利は実際これを有せざるに近しといえども利益相反する者との間に権利の争を惹起せざる間は法律行為は完全にその効力を生ずるものなり。またこれをもって対抗せらるることなき者よりその効力を主張することは妨げざる所なりとす。

(五) 民法には成立と効力の発生とを区別せるものと解すべし。けだしこの二者は同一義に非ず。例えば遺言の如きは正式に遺言書を作成したる時に成立するもその効力は遺言者の死亡後に非ざれば発生せざる如し(1087条)。然りといえども民法は始終この区別を一貫せず。即ち例えば第3編第2章第2節以下において各種の契約の要件を掲ぐるに当り何れも「其効力を生ず」とあるはむしろ成立の意義に解すべし。また無効なる語は従来の慣例上始めより全然不成立なることを意義するものと解すべきなり(90条,93条,94条,119条等)。

(六) 民法には善意,悪意なる語を用いたる条規少なしとせず。例えば善意の第三者又は悪意の占有者と謂うが如きこれなり。これまたその文字に表出する如き普通所謂意思の善悪に依る区別に非ずしてローマ法以来の用例に従いその意義を定めざるべからず。即ち善意とは或事情を知らざることを謂い悪意とはこれを知れる状態を謂うものとす。例えば悪意の占有者と謂えば他人の物なることを知りてこれを占有する者を謂う如し。更に他人に損害を加うる故意あることを必要とせざるなり。

上記の数例をもっても法典の用語を正解するの平易ならざることを知るべし。なおその詳解に至りては完全なる法律辞書の出版せられんことを切望す。

第7章 民法の効力

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本章の目的は所謂時,処及び人に関する民法の適用範囲を述ぶるに在り。この問題は一般法律の効力として法学通論においてこれを説明することを例とするも公法には適用すべからざる点多し。故に今ここには普通私法として最も適用多き民法に付きその概要を論ぜんとす。

第1節 時に関する効力

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法律はその施行の時より廃止せらるる時までに発生したる法律関係を支配するものとす。即ちその実施前または廃止後に生じたる事実に及ぶことなし。法律がその廃止後に発生したる法律関係を支配することなきはむしろ廃止の効果にして当然の事に属す。これと相異なりてその実施以前に発生したる事実に適用なきは絶対的法則に非ずして多少の例外あり。この消極的効力を称して法律の不遡及効と謂いその根拠及び適用範囲に関しては従来議論なきに非ず。

法律の不遡及はローマ法以来一般に認められたる原則にして諸国の法律はこれを明文に掲示せり(旧法例2条,仏2条等)。而してその意義たるや畢竟新法は旧法の下に確定したる法律関係にこれを適用すべからずと謂うに在り。仏国革命時代においては人権の保護の精神よりこの規則をもって憲法上のものとし立法者をも拘束せんことを期せり。米国憲法の如きも同一の主義を採用せり。然りといえども近世に至りては一般にこれをもって司法官に対する解釈上の準則に過ぎざるものとせり。けだし立法者は過去の事実を変更すること能わざるもその効力を変更する権能を有すべきは当然なりとす。即ち公益上必要と認むるときは何時にても遡及効を生ずべき法律を制定することを得べし。これ殆ど説明を俟たざる原則にし現に我民法施行法においても数多の事項に関し民法の規定に遡及効を生ぜしめることを見るなり。

この原則の適用せらるべき範囲はその標準と為る立法の理由に依りて多少相異なる所なきことを得ず。然るにこの点に関しては学説一定せず。従来仏国一般に行わるる説明は新法は旧法の下に生じたる既得権を奪うことを得ずと曰うに在り。然るに既得権の何たることに付ても一定の説あるに非ず。ただ普通にはこれを解して特定の事由に由りて取得したる権利と為せり。而して既得権に対するものは単純なる希望と称し固より法律の保護を受くるものに非ず。例えば或年齢に達すれば成年者と為ること。または或人にして死亡せばその相続人と為る資格を有すること。この他進行中に在る時効の利益を享くることの如き。何れも未だ権利を取得したるものと見ることを得ず。従って此等の事項を変更する法律出でたるときは固よりその適用を享けざることを得ざるなり。

この学説は私法の範囲内においても果して正当なるや大いに疑いなきことを得ず。けだし既得権なる語はその意義必ずしも明瞭ならずかつこの観念をもって説明すること能わざる場合多し。例えば旧法の下に無効の行為を為し新法において有効とする場合の如きこれなり。また既得権といえども法律の力をもってはこれを失わしむることを妨げざるが故に解釈上の原則としてもこの標準の正確ならざること言うを俟たず。この他公益に関すると否とを標準とする説なきに非ずといえどもこれまた茫然に失するものとが公の秩序に関する法規といえども一旦旧法の下において確定したる法律関係は一般にこれを変更する効力なきものと解釈すべきは当然の事と信ずるなり。

惟うにこの問題は主として法規の内容に依りて立法の目的を考究しもってこれを解決するの外なきものとす。けだし法律関係の効力は一般にその発生の当時に行わるる法律に因りて定まるべきものなること論を俟たず。もし然らずとせばその当時には法律存在せざりしと同一の結果と為り吾人の法律生活の安固は寸時もこれを保つことを得ざるに至るべし。これ畢竟不遡及効の原則と認むることの至当なる所以なり。然りといえども又この原則は始めに言える如く解釈上の標準を示すに過ぎず。立法の力をもってせば一旦確定したる法律関係といえどもその効力を変更することを得べく。而して立法者の意思は必ずしも明示なることを要せざるが故に結局その規定せんと欲したる事項即ち立法の目的に依りて判断するの外なきなり。最も疑いなき一例を示さば前法の意義を定むる法律の如きはその性質上当然遡及効を生ずるものと解すべし。また或法規にして遡及効を生ずるものと解すべき場合においてもその効力は必ずしも常に完全なるものと断定すべからず。即ち旧法時代に発生したる法律関係にして唯新法実施の時より新法に依りて支配せられその以前に生じたる効果はすこしもこれが為めに変更を受けざることあり。我民法施行法中にもその実例少なしとせず例えば同法56条の規定の如きこれなり。

これを要するに所謂不遡及の原則は解釈上の準則に過ぎずして絶対的効力を有するものに非ず。従って従来諸国の法律における如く一般の原則としてこれを明文に掲ぐることはその必要なきのみならず或いは却て適用を誤る虞なしとせず。故に我民法編纂者は最近立法の趨勢に考えこれを法例その他の条文に掲げざることと為せり。而して民法上の事項に関しては民法施行法においてその原則を適用すべき範囲を一定し疑義の発生を防止せんことを期せり。即ち同法第1条において民法施行前に生じたる事項には民法の規定を適用せずとの原則を掲げ更にその各編の規定に就き公益上遡及効を生ぜしむる必要ありと認めたるものは逐一これを指定しかつその効力の範囲を明示せり。但し実際においてはその所謂民法施行前に生じたる事項なるや否やを判定するの困難なる場合少なからざるべし。斯かる場合においては即ち上述一般の原理に基きこれを解決するの外なきなり。今や民法に対する本問題の実用はその実施後日を経るに従い減少すべしといえどもその一部の改正と見るべき特別法の発布を見ることは屡これあるべきが故にここにその要領を叙述せることは無益に非ざるべし。

第2節 処及び人に関する効力

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往昔世界交通の便未だ開けざりし時世に在りては一国の法律はその主権の行わるる地域内において内国人間にのみ発生すべき法律関係を規定する目的を出でざりき。我国の如き久しく鎖国の状態に在りて外国と殆ど交際を為さざりし国の法律は殊に然りとす。然るに近世交通機関の発達に伴い諸国の人民互に往復してその間に種々の法律関係を生ずるに際してや一国の私法は如何なる範囲においてその法律関係に適用せらるべきや。或いはその領地内において内外の人間或いは外国人相互の間に発生すべき法律関係もあり或いは内国人にして外国においてその相互間又は外国人との間に法律行為を為すこともあるべく或いは又内国において為したる法律行為にしてその目的物は外国に存在する如きこともこれなしとせず。総て此等人,物又は行為に付き外国的原素を含有する法律関係は何れの法律に依りて支配せらりべきや。これ渉外私法関係の頻繁なる現世において法域を異にする内外私法の適用区別を定むることの必要なる所以なり。国際私法なるものは即ち近世交通の開くるに従い発達したる法則にして畢竟この複雑なる諸問題の解決を目的とするものに外ならず。

凡そ一国の主権はその国内においては完全なる作用を有するものなれば裁判官をして唯内国法に依りて裁判を為さしめ渉外的法律関係に付ても外国法を眼中に置かざることを得るものとするを妨げずといえども近世に在りては文明国一般にこの主権の作用に制限を加え互に他の国家と共にその他国の法律を承認し或法律関係には外国法を適用するに至れり。この相互承認主義は畢竟国際関係の必要に起因せるものにして往時ローマ法のかつて認めざりし所なり。けだしローマにおいてはその市民に固有なる民法の外にひろく市外人に適用すべき法律を認めたるもこれ未だ他国の法律を承認したるに非ずして世界唯一のローマ国法に外ならざりき。後に日耳曼人種がローマ帝国を侵略するや種族的観念専ら行われ各人はその種族固有の法律に依りて支配せられたるものとす。これ即ち中古一般に行われたる法律属人主義にして一国の国籍を有する者は国外に在るも尚その本国法の支配を受くるものと為したるなり。

然るに時世ようやく一変して異種の民俗同一の地に永住し更に封建の制起るに及びて領地の観念発達し国法は一定の地域を基礎とする原則定立するや。ここに所謂属地主義の発生を見るに至れり。属地主義とは法律の効力をもって一国の領土内にのみ行わるるものとしその領土内に在る者は内外人を問わずこれに服従するものと為すに在り。この主義は近世国家思想の発達に依りて益々その基礎を鞏固にし法律の適用範囲を定むる一大原則と為れり。然りといえども内国に生じたる法律関係は総て内国法の支配を受け全然外国法の適用なきものとせば内外人の交通頻繁なる現時において各国人民の不便を感ずること実に少なしとせず。ここにおいて国家自らその主権に制限を加え渉外的私法関係の起れる所以にして国際関係の必要上相互承認主義に依りて属地主義の適用区域を限定せる法則と見ることを得べし。爾来この観念は益々発展し今や我国法の如きも渉外法律関係の性質に従いて準拠法を定むる形式を採ることと為れり。法例第3条以下に規定する所即ちこれなり。

国際私法はその名称の表示する所と異なり国際法に非ずして国法の一部に外ならず(16頁)。仏,伊,白諸国の学者は従来一般にこれを国際法と見るたるが如く。これと同時に本国法(属人法)主義を唱道する者最も多しとす。然るにこれ一の謬見と謂わざることを得ず。けだし国際私法なるものは畢竟一国内において或種の法律関係に何れの法律を適用すべきやを定むる国内法にしてその主たる効用は裁判官にその準拠すべき法則を示すに在り。裁判官は唯自国の法律に拘束せらるるのみ。故に或国際私法関係に外国法を適用すべき場合においても決して外国法が直にその効力を生ずるに非ずしてその準則を定めたる内国法を適用するものと解すべきなり。この原理は今日我国の如き国際私法の大部分を成文法に掲げたる法制の下に在りては殊に疑義を生ずべき余地なきものと謂うべし。ただ全然形式を離れて観察するときはその法則は主として文明国人民の共同一致に由りて成立せるものと見ることを得べきなり。これけだし前記の学説を生じたる所以なるべし。

今や国際私法は独立の一大科目と為り。所謂処及び人に関する私法の効力はその範囲に属する事項なるをもってその領域に侵入することを敢てせず。詳細なる説明はこれを該法の研究に譲り唯ここに我法例の採りたる原則を約言すれば即ち左の如し。

(一) 人の能力,婚姻その他の親族関係及びこれに因りて生ずる法律関係は当事者の本国法に依りてこれを定む(法例3条,13条以下)。

(二) 法律行為の成立及び効力に付ては当事者の意思に従い何れの国法に依るべきやを定む。当事者の意思不明なるときは行為地法に依る(同7条)。

(三) 法律行為の方式は行為地法の外その行為の効力を定むる法律に依りてこれを定む(同8条)。

(四) 動産及び不動産に関する物権はその目的物の所在地に依りてこれを定む(同10条)。

(五) 相続及び遺言は被相続人又は遺言者の本国法に依りてこれを定む(同25条,26条)。

(六) 外国法に依るべき場合においてもその規定が公の秩序又は善良の風俗に反するときはこれを適用せず(同30条)。

民法はその施行の当時における日本の全領土内に行わるるを原則とするもこの点に関しては上述せる法例の規定以外に若干の特例あり。即ち(一)沖縄県には当初民法中の不動産に関する規定の適用なきものとしたるもこの制限は後にこれを撤廃せり(民施10条,39年法13号)。(二)台湾においては法律事項は凡て台湾総督の発する律令をもって規定するものとし民法は当然施行せられず。現行律令に依り民法を施行するに至りたるも土地に関する権利その他本島人及び支那人のみの間における民事事件は一般に旧慣に依るべきものとす(39年法31号,41年律令11号)。(三)樺太は民法施行後に日本の領土と為りたるが故に民法は当然適用せらるることなく法律の施行を要する場合は勅令をもってこれを定むべきものとし爾後この規定に依り勅令をもって民法その他多数の法律を施行することを定めたり。但しし土人の外に関係者なき事項は従来の慣例に依るべきものとす(40年法25号,同年勅94号)。(四)朝鮮においても民法は当然施行せらるるに非ずして法律を要する事項は朝鮮総督の発する制令をもって規定することを得るものとし朝鮮民事令に依り原則として民法の適用を認むるに至れり(44年法30号,45年制令7号)。(五)関東州においても関東州裁判事務取扱令をもって民法を施行することを定め唯支那人の外に関係者なき民事に関する事項は当分の中従前の慣例に依るべきものとせり(41年勅213号,42年勅115号,43年勅350号)。

上述せる如く輓近領土拡張の結果として国内においても内地,台湾,朝鮮等の間に適用すべき法律を異にするが故にその各部に渉る法律関係を規定する法則なかるべからざること国際私法関係におけると殆ど相異なることなし。この点においては従来成文の準則備わらざりし為め実際不便を感じたること少なからず。近頃共通法の制定に依りて稍くこの欠点を補充することを得るに至れり(大正7年法39号)。

属地主義に依れば国法の効力は領土外に及ばざるを原則とす。然るにこの原則に対し尚一の重要なる例外あり。即ち条約に依り領事裁判権(1名治外法権)を有する一方国の人民はその在留する他の一方国の法律に従わずして自国の領事が本国法に依りて為す裁判に服従することこれなり。従来我国は暹羅において領事裁判権を有す。また支那におても本邦人が被告と為りたる場合にその適用あり。欧州諸国もまた明治32年即ち条約改正の行わるる時までは我国においてこの特権を有せしこと世人の周知する所なり。

以上叙述せる2種の特例を除く外処及び人に関する民法の適用範囲は主として国際私法の原則に依りて定まるものとす。

第2編 私権の本質および分類

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第1章 私権の本質

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 民法は私法の原則すなわち私法上の権利義務の限界を定めるものなり。故にその法理を説明するに先ず私権の本義を明らかにすることを必要とす。民法の全部は畢竟私権に関する規則に外ならざるなり。

私権とは公権に対する語りなり。公権私権の区別殊に公権の何たることに付いては議論てきに非ずといえども余輩の所見に依ればこの区別は公権私権の区別に対当するものにして畢竟公権上の権利および私法上の権利と謂う同じきものとす。然るに公権私権の区別に関してはかぞえ多の学説あることさきに述べたるごとし。故にこれにはその最も正当と認める説に基づき公権及び私権の本義を定めべきなり。

公権と私権とはその目的とする利益の公私に依りで区別すべからざることは公法私法におけると同一なり。また公権は権力関係にして私権は権利関係なりとするは正常なる見解に非ず。けだし人格相互の法律関係は総て権利関係にあらざるわなし。国家が個人に対して有する公権は権力関係なりとするもこれが為に権利に非ずと謂うべからず。権利を狭義に解して権力関係を包含するものとする如き説は余輩これを採らざるなり。かつそれ公権は必ずしも権力に非ず。個人は国家に対して公権を有することあるも権力有することなし。また反対に親権若しくは戸主権の如き私権にして権力の性質を有するものあることは既に述べたる如し。然らば権利の主体に依りで区別せんが国家その他の公法人にして財産権の主体たることあるを説明する能はず。縦令その主体たる資格に拠るべきものとする。若しくは結局統括関係に基づくと否とを標準とする外なきなり(23頁)。

この観念に基づき今これに公権私権の差別を示さめ。公権とは公法関係に基づく権利にして統括権の主体と見たる国家および公共団体に属する権利又は他人がこれに対すて有する権利を謂う。私権とは私法関係に基づく権利即ち公権に非さる権利を総称するものすとす。故に法律関係を組成する者が公法人又は一個人なるやを問うことを要せず。ただ右に示す標準を採る結果として公権は必ず公法人に属するが又は公法人に対してのみ存在するものと謂うことを得えし。またはこの区別は権利発生の原因が公法上の事実なるとに関せずかつその権利が財産上の利益に関すると否と問ふとなし。民事訴訟の保護あると否との如きも両者を区別する標準と為すに足らざるなり(松本氏52頁照)。

一般権利の本質はさきに説明したる所にしてその原理は公権及び私権に共通なるものとす。何れも一般又は特定の人に対して一定の利益を主張することを得る法律上の力に外ならず(52頁)。私権とは即ち私法関係においてその利益を享受するにつき法律の保障を有することを謂う。而してその権利を有する者を私権の主体と謂いその者が他人に対して主張することを得る利益を称して私権の目的(又は内容)と謂うなり。

第2章 私権の分離

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 私権は相異なりたる見地より様々にこれを類別することを得今これにその最も重要なるものを挙くれば即ち左の如し。

第1節 絶対権相対権

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 この区別は権利関係の在立状態に関するものにして理論上重要なるものとす。

 絶対権とは一般人の人に対して一定の地位又は状態保全する権利を謂う。即ち権利者以外の全員に対して行われ何人もその地位又は状態を傷害することを得す。または何人も権利者に対して特定の行為を為す義務を負うことなし。これに所謂一定の地位又は状態とは言少なく茫漠に失する嫌なきに非ずといえども畢竟自己又は他人(妻子の如き)の身体その他有形又は無形の物体上に有する支配力を謂うものとす(ロガェン106節)。要するに絶対権は一般の人に対する権利にして何人も一様にその妨害と為るべき行為を為さざる消極的義務を負うものなり。これ一般の人に対して行わるる方面より観察して絶対権又は対世権なる名称の行わるるに至りたすものと謂うべし。

 絶対権の主要なるものは人格権親族権の一部及び物権とす。人格権とは一個人たる直接の結果として在立する権利を謂う。例えば生命身体若しくは名誉を保全し。または氏姓を称する権利の如きこれなり。何れも一個人たる性格に基づくものとす親族関係より生ずる。或いは親族その人の上に存する権利もまた絶対権の分類に属する。また物権とは直接に或物に就き一定の利益を享くる権利を謂う。その前に二者と相異なる所は財産権たる点に在り。この他に尚財産権にして人格権の性質を混有する絶対権あり。即ち著者権,特許権又は意匠権の如き特別法に認めたる専用権(一名無体財産権)これなり。総てこれ等の絶対権に対する侵害は不法行為と為り。その普通の制裁として損害賠償の義務を生ずるものとす。

相対権とは特定の人に対して格段なる行為又は不行為を要求する権利を謂う。その主要なるものは親族権の一部分及び債権とす。これに所謂親族権とは親族関係より生ずる。親族相互間の権利即ち例えば妻又は子に対する夫又は父母の権利の如き謂う。この種の親族権は一般にその義務者の行為を目的とするものにして前段に述べたる。親族権と混同するもとなきを要す。また債権とは特定の人に対して一定の行為(給付)を要求する権利を謂う。その性質は財産権たる点においてこれに示す。親族権と相異なるものとす。而して物権に対しては財産権たる点において差異なきも相対権たる結果として第三者に対する効力を異にする所あることは次巻においてこれを説明すべし。要するに「相対権」なる語は特定の人に対する権利を意義するもこれと共にその義務の目的たる行為又は不行為の特定することを必要とす。この二点は即ち絶対権と相異する所なり。

絶対権,相対権の区別の意義及び結果に付いては大いに議論あり。近時勢力ある一説に依ればこの区別は権利の効力に関するものとす。即ち絶対権は一般の人に対抗することを得る権利にして何人もこれを侵害せざる義務を負いもしこれを侵害するときは不法行為としてその責に任せさるべからず。これに反して相対権は特定の人に対する権利なるが故にその者のみこれを侵害せざる義務を負い一般の者はこの義務を負わず。例えば債権の如き債務者において即ち第三者の侵害に因る不法行為の成立することなしと曰う(岡松氏「第三者の債権侵害」京都法学雑誌11巻11号,石坂氏「民法研究」135頁以下及び「日本民法」債権1巻10頁以下,松本氏61頁及法学志林15巻12号2頁以下,松岡氏112頁以下)。この説はドイツ学者の通説と称するも英仏の学者中にはこれを主張する者殆どこれなきが如し。

上記の見解は根底において誤れるものと信ず。けだし権利はすべて律に依りで保護せられ何人もこれを侵害せさるべからせること即ち権利はこの意義において常に義務と対立し一として絶対的効力を有せざるものなし。債権といえども一般の人においてこれを尊重せさるべからざること即ちその権利の主張又は債務の履行を妨ぐる如き侵害行為を為すを得去ることは何人も他人の所有権を害すべからざるとすこしもその理由を異にせず。この債権の絶対的効力にしてその権利と共に発生に第三者においてこれを侵害するときは不法行為の責に任せさるべからず(709条,大正4年3月10日20日大審院判決,オルトラン羅馬法制史1巻287節以下,平沼氏112頁,二上氏「相対権の絶対的効力」法学協会雑誌22巻1号,池田氏「第三者に依る債権の侵害」同誌24巻10号,団野氏「損害賠償論」73頁,鳩山氏「日本債権法」総論4頁以下,末弘氏法曹記事24巻3号,5号,拙著「契約法講義」明治2十年版緒論)。要するに一般の人において他人の権利を侵害せざる消極的義務を負うことは一切の権利に共通する状態にして絶対権の特有性に非ず。故にその義務の存否をもってこれに論述する分類の標準と為すことを得す。ただ絶対権は単独に一般に対して存在すると相対権は特定の人に対し一定の行為を要求する権利の発生によりその以外のものに対して存在するとの差異あるのみこれにおいて一部の学者は権利を対抗せらるる者の方面に着目せずして権利の目的が特定人の行為なるとその以外のものなるとに依る区別なりと論断せり(平沼氏113頁)。この見解は権利の内容上より観察するときは誤れるに非ずといえども本来権利は人格の対立をもって根本観念とし他人に対して一定の利益を主張することを得る力に外ならず。故に法律上より言えば何れも対人的関係に非さるはなし(47頁以下)。絶対権相対権の区別は即ちこの見地より権利関係の存立に上述せる二種の状態あることを示すものとしてその価値もまたこの点に存するものと謂うべきなり(卑藁「私権分類の標準」法学協会雑誌231号36項以下 参照)。この主として物権の本質を定める至大の関係あることなるが故に次巻中「物権総論」において更にこれを論述すべし。

第2節 人親権,財産権

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これに所謂身体権とは財産権と対立すべき権利を総称するものにして確然一定せる意義を有する原語あるに非ず。前節に述べたる人格権及び親族権は即ちこの部類に属するものなり。要するにその範囲は寧ろ財産権の本義如何に依りで消極的に定まるものと解すべし。

財産権の定義に関して学説一定せず普通一般の説は金銭上の価格を有する権利即ち金銭に評価することを得べきものを目的とする権利なりと謂うに在り(デルンブルセ22節,プロニオル「民法要論」2版1巻711節以下)。この金銭価格なる観念は貨幣制度の未だ行われさりし時代に適用すべからさるが故にこの時代でその目的と為すことを得るものとせり(399条)。故に右に示す財産権の定義にして正当なるものとは債権は財産権に非さる場合ことと為るべきか如し。現にこの見解を採る学者少なからずといえども本来財産権とは人身的利益に対し外界的利益の保護を目的とする権利を総称するものにしてこれを財産権と名くるは通常金銭上の価格を有するが故のみ。故に債権にして偶金銭上の価格を有せさるもこれが為に財産権たることを妨げざるものと解すること妥当なるべし(松本氏63頁参照)。一説に財産権とは各人が処分することを得べき目的を有する権利を謂うものと為すも(梅氏「民法要義」1巻360頁)。これ寧ろ上述せる性質より生ずる効果に過ぎざるものと謂うべきなり。

財産権は財産と同義に非ず普通の観念において財産とは財産権の目的たるものを総称す。然るにそのものは権利の目的物なればこそ法律上吾人の生活の用に供することを得べきが故に遂にこれを権利と混用するには至り。現に我が旧民法の如き財産は権利なりとまで明言せり(財1条)。新民法においてもこの語を両義に用ヰ或いは正面より権利を包含するものと解せさるべからさる条文あり(306条,307条,335条)。或いは目的の意義に用ヰたるも結局権利そのものに関する規定なることもこれあるなり(5条,549条)。

財産権の主要なるものは物権及び債権とす。旧民法の如きは即ちこの見解に基づき財産権を二部に大別せり。この外に尚著作権,特許権その他特別法に規定せる特種の財産権あり。また近時一部の学者は請求権を算うるも請求権なるものは従来の観念においては畢竟或権利の作用又は効力に外ならず。例えば所有権に基づける占有物返還の請求権の如きこれなり。故に仏国の学者は一般にこれを独立の権利と見す。英米学者の説に原権と救済権とを区別するも同一の観念にして独り財産権に付いてのみ生ずる事項に非さなり。なお請求権に関しては次節において論述するあるべし。

以上説明したる身体権,財産権の区別は処分の効力,事項,差押その他数多の点においてその実益あり(163条,167条,205条,264条,362条,424条,555条,710条,711条)。故に実際上においては重要なる区別なりとす。

第3節 他の分類

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私権には上述せる類別の外に尚種々の分類あり即ち左の如し。

第1 人格権,物権,債権,親族権,相続権,無体財産権,社員権
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この分類は主として権利の客体を標準とするものにして人格権,物権等の何たることは随時これを述べたる尚詳細は次巻以下においてこれを説明すべし。無体財産権は著作権法その他の特別法に譲りこれにはこれを論述せず。社員権とは社団法人の社員が法人に対しその分子として有する権利を総称す。この権利は両者間に存在する一種の従属的関係に基づくものにして普通の債権とは性質を異にする所あり。故に近時多数の学者はこれを別種の権利と為すに至り(松本氏59頁参照)。

第2 主たる権利,従たる権利
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この分類は権利存在の一状態に関するものなり。即ち主たる権利とは他の権利の存在を要件とせずして独立に存在するものを謂い。従たる権利とは他の権利に従属しその効力を確保するものを謂う。例えば地役権及び担保権は所有権又は債権の従たる権利なる如し。この区別の実益は畢竟従たる権利の存在を必要としかつこれと運命を共にする点に在るものとす。

第3 専属権,非尊属権
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この分類は譲渡し得べき権利なると否とに依るものと為す通説とす。然りといえども我が民法に所謂一身に専属する権利とは相続人にも移転することを得ざる権利を意義す(986条,1001条)。故にこの用例に依るときはひろく移転性の有無に関する分類と見るべし。人身権は普通一身に専属する権利にして財産権は或ものを除く外他人に移転することを得るを原則とす。

第4 支配権,請求権,形成権
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この分類は権利の内容又は作用に関するものとして近時一部の学者間に最も重要視せらるる所なり。所謂支配権とは直接に権利の客体を支配する権利を謂う。物権及び無体財産権の如きこれなり。請求権とは他人の行為を要求する権利を謂うその中には債権の如き相対権関係より生ずるものと絶対権関係より生ずるものとあり。例えば所有権に基づき不法の占有者に対してその占有物の返還を求むる如きは絶対権関係より生ずる物的請求権に属するものとす債権間より生ずる。請求権は債権そのものと区別すべきものなるやに付いては学説一定せず(松本氏68頁)。何れもこれを独立の権利と見るべきやに付いては大いに疑いなきを得ざること前に述べたる如し(三潴氏「民法総則提要」48頁参照)。

形成権とは一方的行為に因りで一定の法律関係を形成すること即ち主として或権利の創設,変更又は消滅を生ぜしむることを目的とする権利を謂う。例えば無権代理における追認権,選択債務における選択権及び取消権,解除権の如きこれなり。この種の権利は従来一般にこれを独立の権利と見すしで他の権利の効果又は作用に過ぎざるものとせるも近時ドイツの学者は原権と離れて別個の存在を有するものと為すに至り。但しその範囲に関しては議論なきに非ず。例えば抗弁権及び先占権の如きはその一種と見るべきや否やに付き両説あり。また社員権の如きも右に示す三種の権利の何れにも属せざるものと見るべきか如し(松本氏65頁以下,石坂氏「形成権」民法研究1巻41頁以下,三潴氏49頁参照)。

第3編 私権の主体

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第1章 汎論

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およそ権利は一般又は特定の人に対し一定の利益を主張することを得る法律上の力にして通常義務と対立し法律上の関係としてこれを見るときは何れも対人的関係なること既に再三論述したる如し。この見地より観察して所謂私権の主体とは私法上の権利関係を組成する者即ち主動的及び受動的においてその関係を組成する双方の人格権を謂うものと為す説あり(オルトラン1巻187節以下,ロガェン38節)。この見解は純理上正当なることを認めといえども従来一般に行わるは用例には非ず。普通に所謂権利の主体とは専ら主導的方面より観察して権利者たる一方のみを謂うなり。本書においてもまた便宜上この慣用の意義に従い説明せんとす。

権利の主体たることを得る者は法律上人格を有する者即ち自然人及び法人の二とす。何れも法律に依りで人格を有する者なるが故に法律上人と称すべき者なることは一なりといえども民法は便宜上世俗普通の慣例に従い人なる語を狭義に用ヰたり。即ち民法に所謂人とは法人に対し専ら自然人のみを指すものと解すべし。

権利の主体たることを得るを称して権利能力と謂う。民法に所謂私権の享有とは即ちこれなり。権利能力は法人に対してその範囲に制限ある外何人といえどもこれを有するを原則とし身分,宗旨,姓,年齢等に依りで差別あることなし。即ち私法上においては各権利の主体たることを得るものとす。而して権利の目的物たることを得す。この公の秩序に関する原則にして何人といえどもその人格を放棄することを許さざるなり。彼の奴隷及び准死の制度の如きは既に歴史上の事迹に属し近世の立法例は特にこの原則を明示することを必要とせざるに至り。但し私権を享有する程度には差別あり。或一定の身分を有すること又は受刑の結果等に因り特種の権利能力を失う場合なきに非ず然りといえどもこれ何れも特例にして人格を具有せざる一階級の者あることを認める趣旨に非さるなり。

権利能力に対するものを行為能力と謂う。行為能力とは法律上の効果即ち権利の得喪を生ずべき行為を為す適格を謂う。行為能力に法律行為能力と不法行為能力の二種類あり。何れも意思の発動に外ならざるが故に権利能力と異なりで意思能力を具えさる者はこれを有せず。例えば嬰児又は喪失者の如し民法において無能力者とは法律行為能力を制限せられたる者を謂うなり。

権利能力と行為能力とを問わず能力に関する法規は一般に強行法にして吾人の意思表示をもってその適用を変更することを得ざるを原則とす。

第2章 人

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第1節 権利能力
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第1款 人格の発生及び終了
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公権は一定の年齢に達せされは享有することを得ざるもの少なからずといえども私法の権利能力は出生と同時に発生ずるものと故に又その以前に発生ずることしてけだし人はその出生前に在りでは母体の一部を成し未だ独立の存在を有するものに非ず。故に胎児は権利の主体たることを得去るなり。旧民法は羅馬法及びこれを踏襲せる諸国の立法例に俲い胎児といえどもその利益の為目には既に生まれたる者と為せり(人2条)。学者中にもまたこれをもって法律の一原則と解する者少しとせず。然りといえどもこれの如き見解は広博に失し種々の紛争を生ずる虞なしとせず。故に新民法は原則として「私権の享有は出生に始まる」と為し(1条)。特に胎児の利益を保護する必要ある場合には別段の規定を置けり(721条,968条,993条,1065条)。これ何れも便宜に基づける規定なるをもってその目的の範囲外にこれを適用することを得す。即ち胎児の出生をもってその要件とするものと解すべきなり。

然りといえども民法は出生の外には如何なる条件をも認めす。故に出生に因りで権利能力者たるには唯(一)出生の完成すること即ち母体を離れれこと。(二)瞬息間たりとも生命を保持することをもって足れるとす。一説に生命を保つに適せざる早産は出生に非ずとする者あり。また向後生活に堪うべき機能を具ふることを必要とする立法例もこれなきに非ずといえどもこれの如き事実を証明するは往々困難なることにして紛議の基たるを免れず。この民法においてこれ等の条件を必要とせず。活きて生まれたる一事をもって足れとせる所以なり。

権利能力は死亡によりで消滅するものとす。民法は失踪の宣告をもって死亡と同一の効力を有するものと為すり(31条)。この事は住所に密接の関係あるをもって第四節に至りでこれを説明すべし。この他には羅馬法及び仏国吻旧法に認めたる如き人格消滅の原由を認めざるなり。

人格は死亡に因りで消滅するが故に或人の生存又死亡に因りで権利を有することを主張する者は一定の時期においてその人の生存又は死亡せしことを証明せさるべからず。この主として数人の者が同一の事変に際して死亡しその死亡の先後に依り権利の存否を異にする場合に生ずる問題なり。羅馬法以来この場合に関して種々なる法律上の推定を設けたる立法例少なからずといえども民法はこれを事実問題とするを適切なりとし一切これを襲用せさりしなり。

身分,宗教,年齢等は私法上の権利能力に影響せざることさきに述べたる如しといえども国籍の所在は今日尚この点に関係を有すること少しとせず。これに外国人の権利能力を説明することの必要なる所以なり。

第2款 外国人の地位
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往古世界交通の便未だあけざりし時代に在りでは各国共に他国人を疎外し私法上の権利といえども一般にこれを享有することを得せしめさり然るに時世ようやく進歩し他国人との交際頻度と為るに従い公権は尚原則として内国人の専有とするも私権は公益上に弊害なき限りは他国人にもこれを享有せしむるの至当にしてかつ便益なることを認め漸次外国人の権利能力を拡張する傾向を来せり。思うに第十八世紀下半期に至るまでは一般に禁止主義又は限定主義はれたるるも十九世紀の始まりようやくに法律又は条約に因る。相互主義を採用することと為なり。相互主義とは外国人にその本国において法律又は条約に因り自国人に与えられたれと同一の権利を認める制度を謂う然るに同世紀の一大現象として海陸運輸の便大いに開け他国人との関係益頻繁と為りたるより外国人の権利能力を認める必要更に加わり。遂にその下半期に至りでは文明国一般に平等主義を採用する域に達せり。即ち外国人は原則として内国人と同一の私権を有することを認めるに至り。今これにこの問題に関し諸外国の立法例及びその沿革を叙すれば冗長に渉るべきか故にこれを述べず。

 我が国維新以来ひろく外国と交際を開き国家の利益に背馳せざる範囲内において一般外国人の私権能力を認めたり。ただ旧条約の下において外国人は居留地外に居住し。また営業を為すことの自由を有せさりしも国法の原則としては近世の立法例に依遵して平等主義を採用し特に或権利の享有を禁止又は制限する必要あるときは必ず法令にこれを明示する方針を取りもって外国人は一般に私権を享有することを得る法制なりしことを知るべし。

 民法はこの主義に基づき外国人は法令又は条約に禁止ある場合を除く外私権を享有するものとせり(2条)。これ明治二十七年以来諸外国との間に締結せる改正条約とその精神を一にするものなり。而してこれに所謂外国人とは日本の国籍を有せざる自然人を謂う。必ずしも外国の国籍を有する者たることを要せず(国籍法7条)。また外国の国籍と共に日本の国籍を有する者を包含せず(法令27条)。要するに日本国法に依りで日本人たる者の外はすべて外国人たり。故に外国人の範囲は日本の国籍取得の原因を列学せる国籍法の規定に依りで消極的に定まるものと解すべし(松本氏91頁以下)。

 民法第2条に所謂法令又は条約に禁止ある場合とは必ずしもその規定に禁止の文字を掲くることを要せず。立法の趣意禁示に在ること明らかなるをもって足りとす。今これに現行法令において特に外国人に享有を禁止又は制限せる権利の主要なるものを学くれば左の如し。

(一)戸主文は家族たること従って家督相続人たること。

(二)土地の所有者たること(6年告18号地所質入書入規則11条,43年法51号,1条,2条)但しこの制限は近き将来において撤廃せらるべしと示す。

(三)日本銀行その他特殊銀行又は会社の株主たること(15年告32号日本銀行条例5条,20年勅29号横浜正金銀行条例5条,39年勅142号南満州鉄道株式会社に関する件2条,41年法63号東洋拓殖株式会社法3条,42年銃監府告示70号朝鮮銀行法5条等)。

(四)鉱業権者又は砂鉱権者たること(38年法45号鉱業法5条,42年法13号砂鉱法23条)

(五)取引所の会員又は仲買人たること(26年法5号取引所法11条)。

(六)日本船舶の所有者たること(32年法46号船舶法1条)。

(七)訴訟に関して日本人と同一の待遇を受けること(民訴88条,92条)。

 国籍喪失者は当然上記の権利を喪うに至るべきもこの如きは峻酷に失するが故に一年以内に日本人に譲渡することを得るの便宜を与えもってその利益を保護せり(990条2項32年法94号,43年法51号8条)。

 外国法人の意義及び権利能力は次章においてこれを説明すべし(36条)。

第2節 行為能力 
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第1款 汎論(無能力者)
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 行為能力とは自ら法律上の効果を生ずべき行為を為す能力を謂う。その一種なる不法行為能力に関すことは債権法の巻に譲り。これには専ら法律行為能力に付き説明せんとす。民法において単に能力とは即ち法律行為能力を謂うものにして仏国民法の用例を踏襲したるものなり。

 法律行為能力は権利能力に同しく何人といえども完全にこれを有するを原則とし自ら一切又は或種の法律行為を為すことを得さる者は特にこれを指定せり所謂無能力者と称する者即ちこれなり。無能力者とは単にその文字より観察するときは全然能力を有せざる者の如くに解せられべきもその実一切の法律行為を為すことを得ざるに非ず。ただ禁治産者は例外とし或人の同意又は許可あるに非されば一般又は特定の法律行為を為すことを得ざるのみ。なおこの原則といえども無制限なるに非ずして無能力者の首位に在る未成年者及び禁治産者の如き或法律行為は有効にこれを専行すること得えし(4条乃至6条,756条,774条,828条,847条,1061条,1062条)。またその同意若しくは許可なくして為したる行為といえども当然無効なるには非ずして通常無能力者たる一方よりこれを取消すことを得るに過ぎず(4条2項,9条,12条3項,14条2項,120条)。

無能力者は必ずしも意思を有せざるが為に無能力なるに非ず。換言は民法に所謂能力はこれを意思能力と混同すべからず。けだし意思は法律行為の要素なるをもって意思能力を有せざる者の行為は全く行為と称すべきに非ず。故にその未成年者又は禁治産者に出ずると否と問わず。当然無数なること論を俟たす。これその行為の当時はおける各当事者の心状如何に依りで決定すべき事実問題にして未成年者又は禁治産者なることに関係なきものとす。故に無能力者に関する規定は意思能力の有無に関せずその適用を生ずるものと解すべし。要するに我が民法上の無能力者はドイツ民法に所謂限定能力者(意思能力なき者)と同一に非ずして該法典に所謂限定能力者を謂うものとす。これ又仏国民法の例に俲い従来慣用せる語を踏襲したるものに外ならざるなり。

無能力者に二種あり一般無能力者及び特別無能力者即ちこれなり。特別無能力者とは特種の行為を為す行為なき者を謂う。通常或一定の人との間にのみその行為を為すこと得ざるものとす(792条,930条,931条,939条等)。一般無能力者とは諸般の法律行為を為す能力なき者を謂う。未成年者,禁治産者,準禁治産者及び妻これなり。旧民法は仏民法の例に俲い刑事禁治産者なる者認めたるも新民法は立法例及び学説に従いこれを採用せさりしなり(民施14条,15条)。

 右に列学せる一般無能力者中において準禁治産者及び妻に関しては保佐人の同意又は夫の許可を要する行為を制限的に列学したるが故に(12条,14条)。寧ろ特別無能力者と解すべきが如しといえども民法はこの見解を採らず。列記法を用ヰたるは唯形式上の事に属し重要なる行為は殆ど学してこれを為すことを得ざるものと為したるが故に未成年者及び禁治産者と共にこれを一般無能力者と見たるなり。これ即ち総則編中にこれに関する規定を置かれたる所以なり。

 一般無能力者に関する規定は妻の無能力に限りで少なくその理由を異にする外何れもその本人を保護する精神に出てたるものとす。故に無能力者が法定の条件を履ましで為したる行為は当然無数なるに非ずしてその無能力者の一方よりこれを取消すことを得るに過ぎず。訴訟行為に関してはこの原則に依ることを得ざる点なきに非ずといえどもこの事は民事訴訟法に譲らんとす。また取消の方法,効果及び期間等は第五編中法律行為の章に至りでこれを説明すべし。

第2款 未成年者
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 未成年者に関して第一に論究すべき問題は未成年の期間即ち成年に達する時期を定めることなり。古来年齢に依りで能力の範囲を定めるには二種の法制あり一は年齢を数段に刻み漸をもって能力を得せしむるものにして他の一は書一の成年期を定めるものとす。第一の法制は羅馬法に採用せるものにして今日尚ドイツ民法の如きはその一部を襲用したる迹あり(独104条,106条)。思うにこの制度は人生自然の発達に伴うものにして理論上非難すべきに非ずといえども実際上において不便なきを得す。故に近世最多数の法典には第二の法制を採用せり。但し何歳を成年期と定むべきやは風土人情等に依りで相異なる所なきを得す。この点に関しては立法例区々に分かるといえども英,仏,独を始めとし満二十一年をもって成年期とせる例最も多しとす。

 我が民法においては満二十年をもって成年とす(3条)。この本那従来の慣例に依りたるものなり(9年4月1日告41号)。但しこの原則には例外たきに非ず。即ち或格段なる行為に付いては二十年に達することを必要とせず。例えば婚姻又は私生子の認知の如きこれなり(765条,828条,1061条等)。多くの学者はこれを称して特別の成年期と曰えり。

未成年者は如何なる範囲内において法律行為能力を有せざるやその能力を補充するには如何なる条件を要するや。またその条件を踏むことを必要とせざる場合なきや。この未成年者の限界能力に関してこれに論究すべき問題なりとす。

未成年者は一般に法律行為を為す能力を有せず。これを為すには法定代理人の同意を得ることを要す(4条1項)。法律行為の何たることは第五編に至りでこれを説明すべし。これに所謂法定代理人とは親権を行う父若しくは母又は後見人を謂う。そのこれを法定代理人と称する。所以はけだしこれ等の者は法律の規定に依り未成年者に代わりでその財産を管理し諸般の法律行為を為す権限を有するが故なり実際においては代理人としてこれ等の行為を為すこと多しといえどもさきに述べたる如く未成年者は純然たる無能力者に非ずして或年齢に達し不完全にも意思能力を有する至りたる後は自ら法律行為を為すことを得えし。ただその能力の不完全なるを補充する為す法定代理人の同意を必要とせるなり。

 法定代理人の同意の性質に関しては議論あり。通説はこれを法律行為の一種なりとし相手方ある単独行為と見る如し。けだし同意は未成年者の能力を補充しこれをして法律行為を完成せしむることをもって目的とする意思能力なればなり。故に未成年者その者に対してこれを為すことを要す。但しその方法に関しては別段の規定なきが故に明示又は黙示たることを得。ただその特性として常に他人の行為に伴い独立の存在を有するものに非ず。従って同意せる法律行為の成立せさる間は何時にてもこれを取消すことを得えし。この一点を除く外法律行為に関する規定はすべてこれに適用せらすべきものとす(松本氏112頁以下参照)。

 同意は法律行為の完成要件なるが故に未成年者がその行為を為す前又はこれと同時に与えらるることを要す。事後の同意は相手方に対する追認以外にその方法なきものとす(19条,122条以下)。法定代理人は各個人の行為又はひろくも同種の行為に付き同意を与えることを要し。個々の行為予見せさる概括的同意を与えることを得す。けだしこの如きは未成年者の行為に付きその利害を考量せしむる趣旨に反するのみならず。次に説明せんとする民法第5条及び第6条の規定とも調和することを得さればなり。

 以上述べたる所は一般の原則なり。その例外として未成年者は或範囲内において完全なる能力を有する場合三あり(4条乃至6条)。左に順次これを述べんとす。

(一)未成年者は単に権利を得又は義務を免れべき行為を為すことを得 例えば負担なき贈与を受諾し。または債務の免除を得ること(法文に未成年者の行為とあるは用語当を失う)の如き性質上損失を生ぜざる行為は法定代理人の同意なきもその効力を有すべし。旧民法は仏民法に倣い未成年者は一般に欠損を受けるに非さればその行為を取消すことを得ざるものとせるも(財548条)。一号の有無を判定する標準は不確実にして未成年者の保護を完うするなり(4条1項但書)。

(二)未成年者は或財産に限り随意にこれを処分することを得 今これにその場合を学くれば法定代理人が目的を定めて或財産の処分を許したるとき未成年者はその目的の範囲内において随意しこれを処分することを得又は目的を定めして処分を許されたる。財産は如何なる目的にも随意にこれを処分することを得えし(5条)。これに所謂財産とは固より金銭に限らず。また処分とは所有権を移すことに限らずといえども実際の適用は金銭の消費たることを常とす。目的を定めて処分を許しとは例えば学資として毎月もし干の金額を給する如きを謂う。もしこの場合において筆紙を購う如き些細なる行為に付けも逐一法定代理人の同意を必要としその同意なきときは取消を為すことを得るものとは実に不便に堪えず。第三者は如何なる取引といえども未成年者と共にこれを為すことを拒みその結果遂に未成年者の不利益に帰すべし。故にその指定したる目的の範囲内において未成年者は随意にこれを処分することを得るもの都市たるなり。また小遣銭を与える如き一定の目的を示さす多少の金額を給することあり。この場合においてはその金額を限度とし如何なる目的においてもこれを処分すること得るものとす。

 英国法においては未成年者が必要品を購うたるときはその行為を有数とす。これその行為の性質及び目的上より無能力の範囲を限定したるものなるが故に理論上当を得たるものと謂うべし。英国の如き慣習の力に依りで法律の活用を見ることを得る国においては実際不便を感ずることなかるべしといえども所謂必要品なるや否やを判定するには確実なる標準なきをもって紛議を生ずる虞なきことを得る。故に我が民法はドイツ民法(110条)及びツューリヒ民法(670条,757条)の例に倣い前記の主義を採用したるなり。

  上述せる民法第5条の規定は旧民法他仏法系の諸法典には見ざる所なり。ただこれ等の法典は未成年者において取消権を行うに欠損あることを必要とすると現在の利益を償還すべきものとすると(財552条2項)に因り僅に第三者の利益を保護するに過ぎず。

(三)未成年者は一種又は数種の営業を許されたる場合においてその営業に関する一切の行為を為すことを得 未成年者にして成年に近つきその智能の発育著明なるときは家計上の都合に依り。または職業練習の為これをして商工業を営ましむる必要なること往々これあり。この場合においてはその営業と共にこれに関する一切の行為を為す能力あるものとせさるべからず。もしその行為を為さんとするに当り逐―法定代理人の同意を得ることを要すとは敏活に第三者と取引を為すに由なく殆ど営業を許さざるに同じ。第三者もまた未成年者と或一の行為を為さんとするに際しては先ずその法定代理人の同意あることを確知したる後に非されば安心してこれと取引を為すことを得すこの如くなるおきはその不便実に大なるべし。故に未成年者はその許されたる営業に関しては完全なる能力を有するものと為したるなり(6条1項)。

旧民法は仏民法に倣い不動産の譲渡を禁ずる如く制限を設けるるも(財550条2項)。これ全く理由なきことにして今日不動産の価格は決して一般に動産の価格を超うるものと謂うことを得す。また譲渡と担保に供する如き処分との間において殆ど危険の程度を異にすることなし。故に一旦種類を定めて営業に関する一切の行為を為す能力あるものとするの至当なること言うを俟たざるなり。

未成年者は一旦営業を許可せられたる後といえども元来年少者の事なるが故に往々失敗を招き成功を奏せざることなしとせず。故にこれの如き場合において法定代理人は許可を取消し又はこれを制限することを得えし(6条2項)。所謂営業の許可を制限するとは例えば卸売及び小売を為す許可を与え又は酒及び薪炭の販売を許可したる場合において将来小売又は薪炭の販売のその許可を限局する如きを謂う。即ち営業の種類又は方法限定することを謂うものにして或種類の法律行為を為す能力を制限する趣意に非さるなり。なお取消及び制限の方法に関しては親族編の規定を見るべし(883条2項,921条)。

 一切の商業営むことを許されたる未成年者は商事におけると民事におけるとを問わず。総て成年者と同一の能力を有するものとせる立法例なきに非ず(墺,蘭,独,瑞の一部等)。また立法問題としてはその理由あることを認めといえども我が民法はこれの如き包含的許可をもって汎博に過ぎ危険なるものと認めこれを採用せず。一種又は数種の営業を許可するとは始めよりその種類を定めて許可すべき趣意と解するなり。

旧民法は仏法系の立法例に俲い自治産をもって商工業を営む要件と為り(財550条1項)。旧商法においてもまた年齢十八歳に満ち又父母又は後見人の承諾を得て生計を立つる者に限り商を為すことを得るものとせり(旧商法11条)。民法においては総てこれ等の条件を必要とせず。けだし自治産の制は我が国にその慣習なきと未成年者の年齢に従いその能力に階級を設くるの不便なること認めたるなり。同一の理由に因りでドイツ民法に規定せる成年の宣言なる制度の如きもこれを採用するに至りさりき。

第3款 禁治産者
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 禁治産者とは心神喪失の常況に在る者にして或人の請求に因り裁判所より禁治産の宣言を受けたる者を謂う(7条)。また心神喪失の常況に在るとは精神障害に因りで平常行為の弁識力を欠くことを謂うなり。およそ行為は意思の発動なるが故に法律行為を為す。当時において意思能力を欠くときはその行為の成立せさること言うを俟たす。然りといえども心神喪失の状況はこれを確認すること決して容易なるに非ず。或時にはその状況に在るも又時として本心に復することなしとせず。然るに法律行為に当時に遡りでその事実を証明するは困難なる業にして専門の学者といえどもこれを判定する能わざること往々これあり。またその病状に依りでは相手方においてこれを識別するの容易ならざること多し。然るに後日に至りその行為を無効とすることあらんが実際不慮の損害を被る者屢これあるべし。これにおいて民法多数の立法例に俲いて禁治産なる制度を設け心神喪失の常況に在る者は時々本心に復することあると否とを問わず。裁判上これを禁治産者と為し諸般の法律行為をなす能力を失うものとせり。故に禁治産者なりしことを証明してその行為を取消すことを得えし。相手方もまた禁治産者の告知に依りで尓後禁治産者と法律行為を為すの危険なることを確知し得べきか故に決して不測の損害を被ることなかるべきなり。

 禁治産の宣告は本人,配偶者,四親等内の親族,戸主,後見人,保佐人,又は検事の請求に因り裁判所においてこれを為すことを得るものとす(7条)。けだし禁治産の請求は時としては利欲の為にこれを為す権利有するものとし。かつ裁判所は情状を審査し必ずしもその請求を容ることを要せざるものとしたるなり。喪失者自らその請求を為すことを得るは本心に復せる時において自己の利益を保護する方法を有することの必要あるが故なり。次に配偶者,四親等内の親族(725条,726条)。及び戸主に請求権あるは本人と最も近接なる関係を有しその利益を防護するに最も適当なる地位に在る者が未成年者又は禁治産者なる場合を想像したるものなり。けだし未成年者又は準禁治産者は禁治産者と同一の程度において無能力なるに非ず。未成年者は前款に述べたる如く一定の範囲内において行為能力を有することあり。準禁治産者もまた法律に限定せる以外の行為は独断にてこれを為すことを得えし(12条)。かつそれ未成年者は将に成年に達せんとするに当り心神喪失の状況に陥ることなしとせず。然るにもしその成年に達するを待ちで禁治産の宣告を請求することを要すとは或期間法律の保護欠くに至る不都合あり。この他取消権を行使することを得べき期間の起算点の如きも未成年者なりし理由をもってすると禁治産者なりし理由をもってするとに因りで差異あり(124条,126条)。故に未成年者を禁治産者と為す必要なる場合あることは明白なりと謂うべし。仏国民法等において成年者に限りこれを禁治産者と為すことを得るものとしたるは当をさるなり。但し未成年者が禁治産者と為りたれは更に他の後見人を置く必要なきこと言うを俟たす。最後に検事に請求権あるものとしたるは公益に関する事項なるが故に外ならず。なお管轄裁判所及び手続に関しては人事訴訟手続法第三章を見るべし。

 禁治産者これを後見に付し後見人をしてその身体を看護しかつその財産を管理せしむ(8条)。後見人と為るべき者及び後見人の職務権限に関しては親族編にその規定あり。この点において禁治産者は未成年者と多少地位を異にする所あるを見るべし。即ち未成年者は先ずその父又は母の親権に服し親権を行う者なきとき又はその者が管理権を有せざる場合において始めてこれを後見に付す。ただその後見人と為る者は親権を行う父又は母なること多きのみ(902条)。未成年者が後見の下に在る場合においても尚禁治産の場合相異なる所は未成年者の後見はその性質あたかも親権の延長と見るべく。後見人は或制限内において親権を行う父又は母と同一の権利を有するものとす(921条)。これと相異なりで禁治産者の後見人は被後見人の年齢如何に拘らず。主としてその療養看護に努めかつその疾苦を慰することに注意せさるべからず(922条)。また未成年者は成長するには従い漸次弁別力を具うるに至るをもって後見人は常にこれに代わりで一切の行為を為すことを要せず。未成年者自らその同意を得てこれをなすことを得えし。加これ或範囲内においては成年者と同一の能力を有する場合あることさきに述べたる如し。これに反して禁治産者は民法上常に健全なる精神を有せざるものとみなすが故に後見人の同意あれば完全なる法律行為を為すこと得す。ただ実際その同意ありたる場合においては寧ろ後見人の行為(代理行為)として有効なることあるべしこの事実問題なり。

禁治産者の行為はこれを取消すことを得(9条)。この一般の原則なり財産に直接の関係なき行為に付いては例外なきに非ず(779条,828条,852条,1062条)。さきに述べたる如くおよそ法律行為の成立には当事者の意思あることを必要とす。禁治産者といえどももし行為の当時において全く意思を有せさりしこと確質なるときはその行為は当然無数なること言うを俟たす。禁治産に因る取消は即ち意思を欠きたることの証明往々困難なるが為禁治産者保護の目的をもってその証拠問題を斥けたるものに外ならず。故に相手方といえども一般の原則に基づき事実問題として意思の欠缺を主張することは固より妨けざる所なり。

禁治産は裁判宣告に因りでその効力を生ずるものなればその原因たる事実の消滅したる 場合においてこれを取消すこともまた裁判宣告に依るべきものとす。裁判所は禁治産を請求することを得る者(実際請求したる者と解すべからず)の請求に因りその原因の止みたることを認めるときは必ずその宣告を取消すことを要す(10条)。この裁判所の義務にして禁治産を宣告する場合と相異なる一点なりとす。けだし禁治産は一般に法律行為能力を失わしむる重大なる事由なるが。故に縦令心神喪失の常況に在るものとするも果して禁治産の宣告を必要とするや万一にも不正の目的をもってこれを請求することなきやを審査する必要ありこれに反して喪心の常況みたること確質なる以上は尚無能力者と為し置く如き不当の職権あるべからずとの趣意に外ならざるなり。

第4款 準禁治産者
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心神喪心の常況に在らざるも老哀,疾病,不具合等の事由に因り精神の健全を欠き法律行為を為すに就での利害を判断するに充分なる智能を具えさる者は禁治産者の如くにこれを後見に付し後見人をして諸般の行為を代理せしむる必要なしといえども日常これに監督者を付しもって財産上最も重要なる法律行為に参与せしむる必要あり。この準禁治産なる制度を設くる所以にして保佐人とは即ち準禁治産者を補佐しその能力を補充する者を謂うなり。

準禁治産者と為るべき者は心神耗弱者,聾者,啞者,盲者及び浪費者とす(11条)。心神耗弱者とは未だ意識を喪失するに至らざるも生来又は老哀,疾病等に因り完全なる智能を具えさるものを謂う。聾者,啞者及び盲者もまた五官の一を欠く不具者にして精神の発育往々常人に劣ることあるに因り。これを心神耗弱者と同一視したるなり。浪費者に至りでは稍理由を異にすといえどもその性癖として財産を保存することを思わず平常これを濫費する結果遂に家産を蕩尽し妻子一族を困窮に陥らしめ甚だしき刑辟に触れ又は公共の救助を煩わずに至ることなしとせず。故にその能力を制限するの必要あるなり。但し浪費者の行為能力を制限することに付いては諸外国の立法例区々に分れ或いは無能力者と為さざるあり。或いは反対し未成年者と同一の程度における一般能力者と為すあり。我が民法は折衷制を採用し裁判所において必要と認めたるときはこれに対して準禁治産の宣告を為すことを得るものとしたるなり。

準禁治産の宣告に同しく未成年者に対してもまたこれを為すことを得。而してその必要あることは禁治産の宣告における如きに非ずといえども又これを許すべからざる理由を見ざるなり。

上記の者を準禁治産者と為すべきや否やは裁判官の裁量に依ること禁治産の場合に同じ而も一旦準禁治産を宣告したる以上は必ずこれに保佐人を付することを要す。民法第11条に「準禁治産者としてこれに保佐人を付することを得」とあるよりして準禁治産者には必ずしも保佐人を付することを要せずとする説多きもこの見解は正常ならず。けだし本条は旧民法(人232条)の文例を踏襲せるものにしてその意義たるや「保佐人を付すべき準禁治産者と為すことを得」と云うに在ること立法の趣旨に徴しても疑う在せざるなり(松本氏158頁参照)。為るべき者もまた禁治産者の後見人たるべき者に同じ(909条)。

準禁治産者は禁治産者と同一の程度において無能力者なるに非ず。即ち禁治産者は一般に法律行為を為す能力を有せずして後見人これを代理すといえども準禁治産者はこれに反して自ら一切の法律行為を為すこと得。ただ財産に関する重要かつ危険なる行為に限りで保佐人の同意を要するのみ。故に如何なる行為といえども準禁治産者その者の行為にして他人に依りで代理せらるるものに非ず。保佐人は準禁治産者の法定代理人に非さるなり。

準禁治産者が独断にて為すことを得ざる行為は民法第12条第1項に列記せる九種のものとす即ち左の如し。

(一)元本を領収し又はこれを利用うること。

(二)借財又は保証を為すこと。

(三)不動産又は重要なる動産に関する権利の得喪を目的とする行為を為すこと。

(四)訴訟行為を為すこと。

(五)贈与,和解又は仲裁契約を為すこと。

(六)相続を承認し又はこれを放棄すること。

(七)贈与若しくは遺贈を拒絶し又は負担付の贈与若しくは遺贈を受諾すること。

(八)新築,改築,増築又は大修繕を為すこと。

(九)第602条に定めたる期間を超える賃貸借を為すこと。

右に示す第一号に所謂元来とは果実を生ずる者を謂う。元来の領収とはその返還を受くることを謂う。例えば賃金の返還を受けくる如し。または元来の利用とはこれを銀行の定期預金と為す如き有利に使用することを謂う。何れも利息その他の果実を領収又は利用するよりも重要なるが故に保佐人の同意を必要としたるなり。次に借財とは金銭又はこれに準ずべき物を借入るることを謂う。この語は他の条文にも散見し(886条,929条)。その意義明瞭ならず。従来一部の学者及び判例はひろくこの金銭債務を負担する行為と解し約束手形の振出を包含するものと為すも(平沼氏175項,39年5月17日大審院判決)。この見解はひろきに失するものと信じ。けだし手形の振出は他の目的(例売買代金の支払)の為にすることもこれあるが故にこれには唯借財の為にする。手形の振出のみに付きその適用あるものと解すべし(梅氏,法学志林59号58項)。一説に手形行為はその原因より離脱せる独立の法律行為なるが故にこれに所謂借財即ち消費貸借に因る借入と見るべからずと曰う(松本氏166項,三潴氏93項)。この説は理論上正当なるも本条の趣旨には適合せず。けだし手形の振出もまた借財の一方法なるが故にこれにはその原因たる行為に基づき決定すべき趣旨なること殆ど疑いを容れざるなり。保証を為すとは債務者がその債務を履行せざる場合においてその履行を為すことを約するを謂う(446条以下,商497条乃至499条,529条)。

本条第三号に掲げたる行為はその範囲極めて広く不動産又は重要なる動産に関する各種の物権及び債権の得喪を目的とする一切の行為を謂うものとす。故に第一号等と重複する所あり。而も著作権,特許権その他無体財産権を包含せざるは一の欠点と謂うべし。第四号の訴訟行為とは訴の提起その他民事訴訟の為に行う一切の行為を謂う。現今の通説はこれを法律行為と見第五号の贈与とは無償にて財産を他人に与える契約を謂い(549条)。和解とは当事者が互い譲歩を為してその間に存する争う止むる契約を謂う(695条)。また仲裁契約とは第三者をして民事訴訟事件を判断せしむる契約を謂う(民訴786条以下)。第六号に所謂相続の承認とは相続人が無限に被相続人の権利義務を承継すること(単純承認)。または相続財産の限度においてその義務を負担すべきことを留保して相続を為すこと(限定承認)を謂う。また相続の放棄とは相続を為さざる意思表示を謂う(1023条乃至1040条)。第七号に所謂贈与の拒絶とは提供せられたる贈与を受けざること又遺贈の拒絶とは遺贈の利益を放棄することを謂う(1088条)。負担付贈与若しくは遺贈の受諾とは受贈者に義務を課する条款付の贈与又は遺贈を受けくることを謂う(553条,1104条,1105条)。故に一層不利を招くことある行為と謂はあるべからず。

第八号に列学せる新築,改築等の項目は建物に関するものにして何れも法律行為には非ず。故に寧ろその目的の為にする。請負その他の法律行為を謂うものと解すべし。第九号の賃貸借は長期に亘る。故をもって保佐人の同意を必要訴する者とす。本来賃貸借は元来の利用に外ならざるが故に第一号と重複する嫌なきに非ずといえども本号の期間を超える超えざるものは準禁治産者独断にてこれを為すことを得べき趣意を明らかにするためにこの明示を置かれたるなり。

以上列学せる以外の行為は準禁治産者においてこれを専行することを得るを原則とす。然るに心神の状況又は濫費の程度に依りでは更に一層その能力を制限するの必要なることあり。粉のこの如き場合において裁判所は準禁治産の宣告と同時に又は後日に至り。保佐人の同意を必要とすべき行為の種目を追加することを得(12条2項,人233条2項)。例えば重要ならざる動産に関する行為及び短期の賃貸借に付いてもその同意を必要とする如きこれなり。

上述せる民法第12条の規定は旧民法(人233条)を踏襲すたるものにしてその列記せる項目には重複及び不備の点少しとせず。例えば第三号の如きはその範囲広範なるよりして第一号,第二号,第五号等と重複する所あり。また一面において「不動産又は動産に関する権利」なる狭き文字を用ヰたる為所謂無体財産権及び記名株式の譲渡等を包含せず。この他手形行為,有価証券の得喪を目的とする行為等付いても議論なきことを得す。これ等の欠点は右に述べたる。本条第2項の適用及び論理解釈に依りでその一部を修補することを得べきも根本的にこれを改むるには立法手段にて依るの外なきなり(松本氏162項参照)。

保佐人は右に列学せる行為中或種のもの付き概括的同意を与えることを妨げず。ただ本条第一項第何号と謂うが如き広漠なる概括的同意はその効力なきものとす。要するにこの点は未成年者の行為に付きその法定代理人が同意を与える場合と殆ど原則を異にすることなし。寧ろ未成年者に対するよりも一層寛大いに解釈することを便宜とす。この他同意の性質,方法等に関してはさきに未成年者に付き論述したる所をみるべし。

前記の行為にして保佐人の同意を得ざるものは準禁治産者におけると相異なることなし(12条3項)。ただ法定代理人と相異なりで保佐人には取消権なきものとす(120条)。この点は民法の一欠点なることを認むといえども解釈上如何ともすることを得す。なお民法はこの場合においても旧民法と相異なりで準禁治産者が欠損を受けたることを要件とせず(財548条2項)。

準禁治産の宣告及びその取消を請求することを得るもの幷にその手続きは禁治産宣告の場合おけると相異なるき理由なきが故に前に述べたる禁治産に関する第7条及び第10条の規定を準用すべきものとす(13条)。

第5款 妻
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本邦古来の慣習に依り妻は夫に対して殆ど無制限なる服従の義務を負う。殊に自己に財産を有すること稀にして諸般の法律行為は夫の黙示の委任に因りその代理人としてこれを為すものと見たるが故に法律上特にその能力を制限する必要なかりき。然るに今や妻は多少の財産を有する事実ようやく多きを加えんとするに当りこれにその能力を制限する必要を生ずるに至り。

妻は単に婦女たる故にもって無能力者なるに非ず。けだし婦女といえどもその智能の発育往々にして男子に譲らざることあればなり。妻は妻として即ち婚姻の結果に因り行為能力を制限せらるるものとす。この未婚の婦女及び寡婦は男子と同じの能力を有するをもってこれを知るべし。けだし国に唯一の主権者あることを要するに同しく一家を統治する上においてもまた命令の一途に出ずることを要す。往時は欧州諸国においても家長権強大いにして一家万般の事務専ら家長の権内に在りしといえども時世の変遷と共に家長権ようやく衰えこれに代わりで親権及び夫権の確立を見れに至ることを必要とするに在り。これをもって観れば妻の無能力は夫権の効果にして畢竟一家の秩序及び利益を保持する必要に基づくものと謂うべし

妻の行為能力に関しては欧州諸国の立法例一様ならず近時英独法系においては原則としてその能力を認め唯或種の行為に付き多少の制限を存するのみ(松本氏176項参照)。これに反して仏国系において妻を一般無能力者とし多数の行為を為すには夫の許可を得ることを必要とせり(人68条,仏215条,217条)。我が民法は国情に考えこの点ては主として旧民法即ち仏法系の主義を採酌したるものなり。

 妻が夫の許可なくして為すことを得ざる行為は保佐人の同意を必要とする。準禁治産者の行為と大その範囲を異にする所なし。然りといえども又両者の間に多少の差異なきに非ず。即ち準禁治産者は主としてその財産上の利益を保護する為これを無能力者と為したるも妻の無能力は一家統治の必要上より夫権に服従すべきものとせる結果が外ならず。この理由に基き妻は夫の許可を得るに非されば前述第12条第1項第1号乃至第6号に揚げたる行為の外贈与,若しくは遺贈を受諾し又はこれを拒絶すること及び身体に羈絆を受くべき契約を為すことを得す(14条1項)。けだし負担なき贈与又は遺贈を受諾する如きは利益ありで損失なき行為も独断にてこれを為すこと得るは妻たる身分と両立せざるなり。また他人に雇わるる如き身体に羈絆を受くべき契約を為すことを得さるも同一の理由に外ならず。これに反し財産に関する行為にして妻独断にてこれを為すも夫に対する身分上の関係に影響せざるものに付いては夫の許可を得ることを不必要とし。また同条第2項の規定を準用せざる所以なり。要するに妻と準禁治産者との能力に関して上記の差異あるは畢竟その無能力の基本と為るべき理由を異にするに因るものなり。

 妻が夫の許可なくして為したる行為は他の無能力者の行為に同しくこれを取消すことを得(14条2項)。但しこの点においても取消権は上述せる理由に因り妻の外夫もこれを有するものとす(120条)。

夫の許可は未成年者又は準禁治産者に対する法定代理人又は保佐人の同意と言わざるは妻の能力を補充するよりも主として夫権の作用と見たるが故のみ故に許可の性質に関してはさきに法定代理人及び保佐人の同意に付き説明したる所に譲らんとす。

夫は特定の行為に付きその許可を与える外数種の行為を概括してこれを許可すること妨げず(人69条)。この点は未成年者の行為に対する法定代理人の同意とその要件を異にする所にして畢竟夫の許可を必要とする理由がこれと相異なるに因るものなり。また而してその最も有用なる場合は一種又は数種の営業許可する場合なりとす。この場合において妻は独立人と同一の能力をもってその許可せられたる営業に関する一切の行為を為すことを得(15条)。然らされ第三者は安全に妻と契約と取引を為すに由なく遂に営業を許可したる実効なきに至るべし。この未成年者の為に第6条第1項の規定あるとその趣意を異にせざるなり。

許可権の行使は夫権の作用に外ならず。夫権は公の秩序に関する制度なるが故に永久にこれを放棄することを許さず。故に夫は一旦与えたる許可といえども将来何時にてもこれを取消し又は制限することを得(16条)。これまた未成年者に対して営業の許可を取消し又は制限することを得ると同一の趣意にして契約の法理をもって論ずることを得べき事項に非さるなり。ただ未成年者の場合と相異なる一点は妻に与えたる許可の取消又は制限はこれをもって善意の第三者(その事実を知らずして妻と取引を為したる者)に対抗することを得ざるに在り(同条但書)。この差別ある所以はけだし未成年者の無能力は智能の発育不十分なるに因るをもって先ずその利益を保護することを図らさるべからず。法定代理人が鑑定を誤りたるが為これをして損失を被らしむることあるべからさるなり。これに反して妻の無能力は夫権の効果なるが故に善意なる第三者の利益を犠牲に供してまでも取消又は制限の結果を生ぜしむべきに非ず。妻はこれが為に損失を受くることなきに非ずといえども元来これを無能力者と為したるはその一人の利益を保護する趣旨に非ざるをもって一般取引の安全を害せざる範囲内に非さればその無能力者を主張することを許さざるなり。殊にこの制限は一種又は数種の営業を許可したる場合のみに適用すべきに非ずして夫の許可を必要とする一切の行為に付きその適用あり加この営業に堪えさる事跡あることの如き条件を必要とせず。夫は如何なる場合においても随意にその許可の取消又は制限を為すことを得べきが故に右の制限なきにおいては第三者に被らしむる損害更に大なるべきこと言うを俟たざるなり。

夫未成年者なるきは民法第四条の規定に依りでその法定代理人の同意を得るに非ざれば妻の行為を許可することを得す(18条)。これけだし夫はこの場合においてその法定代理人の同意を得るに非ざれば自己の為に法律行為を為すことを得す。然るに妻の行為を許可するは独断にてこれを得るものとは権衡を失うべきが故に同一の条件を踏むべきものしたるなり。或いは夫が禁治産者又は準禁治産者なる場合おける如く全然その許可を必要とせざるものとすべきが如し。いえども(17条3号)夫未成年者なる場合においては妻もまた成年者なるを常とす。故に夫の許可を必要とせざるも自己の法定代理人の同意を得ることを要すべし。果して然らは寧ろ夫の能力を補充してその許可を受くべきものとすること一家の秩序及び和合を保持する上において妥当なりとす。旧民法にはこの点に関し別段の規定ながりしが為夫は独断にて妻の行為を許可することを得えしとの解釈を生ずるに至り。また仏国民法は夫が禁治産者又は失踪者なるに因りその許可を受くること能わざる場合に同しく栽培所の許可を必要とするも(仏222条,224条)。我が民法は国情に考え必要なき限は努めて裁判所の干渉を避くる主義を採りたるなり。

 夫未成年者なる場合においてその法定代理人の同意を得ることは妻の行為の完成に欠くべからざる要件なるが故にこの要件の具わらざるときは法律上全く許可なきと同一なり。故に相手方が善意なる場合においても一般の規定(14条)に従いその行為を取消すことを得べきは疑いなき所とす。但し規定は夫が妻の行為を許可する場合にのみ適用すべきこと法文に徴して明らかなり。故にその一旦与えたる許可を取消し又は制限すること独断にてこれを為すこと得るものと解すべし。これその取消又は制限は許可に対比すべき重要事項に非さるが故に法定代理人をして夫権の行使に干渉せしむることを要せずとの趣旨に出てたるものならん。

妻は夫の許可を必要とする行為を為さんとするに当りで事実上その許可を受くること能わざる場合なきに非ず。或いはこれを受くべきものとするの不当なる場合なしとせず。民法第17条は即ちこれ等の事情ある場合を限定しその何れにおいても妻は許可なくして一切の行為を為すことを得るものとせり。

今これにその例外の場合を示さんに第一は夫の生死不分明なる場合にしてこの場合においてその許可を受くることを必要とせざる。所以は畢竟事実上の不能に原由ねるものなり。第二は妻を遺棄したる場合にしてこの場合においては縦令夫婦の関係は依然総するも夫は已に夫たるの本分を尽さず。然るに尚妻をして従順の義務を守らしむるは条理に反しかつ自己及び子孫の生活を妨害する虞なしとせざるなり。第三は夫が禁治産者又は準禁治産者なる場合にしてこの場合においては夫の自ら無能力者なるに尚妻の行為を許可することを得るものとするは全く謂れなきことにして一家の利益を保護する途に非ず。或いは前述未成年者なる場合と同一に後見人又は保佐人の同意を要件とすることを得ざるに非ずといえどもその後見人又は保佐人と為るべき者は現に妻なること多しとす(902条3項)。加この他人をして夫権の行使に容喙せしむるば当を得ざるなり。第四は夫が瘋癲の為病院又は私宅に監置せらるる場合にしてこの場合において夫は無能力者に非さるも妻の行為の利害を判断すりに足るべき智能を欠くこと最も多きが故に妻の能力に加えたる制限を除きたるものなり。第五は夫が禁錮一年以上の刑に処せられその刑の執行中に在る場合にしてこの場合においては実際その許可を受けるの困難なること多しかつ又世情に通せざるに至ること必ずしもこれなしとせず。然るに尚方法を尽してその許可を得べきものとするは酷に失し。或いは生活上に害なしとせざるなり固より一年以上と定めたることに付いては確たる根拠あるに非ず一年以内といえども許可を受くるの困難なることあるべしといえども短期間に在りでは夫の出獄を俟つこと能わざるに非ず。一時の不便を慮りで夫権に服従せざることを得るものとするは至当ならずとの意に過ぎざるなり。最後に夫婦の利益相反する場合に関しては別に説明を要することなし。けだし夫に対して離婚その他の訴を提起せんとするに当りその許可を必要とする如きは実際起訴の目的を達せしめざると同一にして人権保護の大則に反すべければなり。

第6款 相手方の地位
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 無能力者かその能力の欠缺を補充するに必要なる条件を充たして為したる行為はその一方の意思をもってこれを取消すことを得べく相手方には同一の権利なきこと既に反覆述べたる如し。故に相手方は往々危険なる地位に立つものにして予め自己と取引を為さんとする者の無能力者に非さることを確むる必要あり。未成年者及び妻に対しては一見してその身分を知ることを得る場合多かるべし。なお疑いある場合においては戸籍の謄本を徴する途あるなり。禁治産者及び準禁治産者に関しては直にその身分を確認すること能わざる場合少きに非さるべしといえども禁治産者及び準禁治産者の宣告はこれを公告すべきものとせるが故に(人訴53条,67条1項)。実際その状態を明らかにすること能わざる場合においてもその公告を知らさりしことはこれを相手方の不注意に帰することを得えし。

 然りといえども取消権を永存せしむるは相手方の不利益なるのみならず。権利関係を不確実ならしむる点において公益上にも弊害あることなるが故に民法はその権利に関して特別の時効を定めたり(126条)。然るにこの取消権の範囲に関する事項は無能力の外意思表示の瑕疵に因る取消にも適用すべきものなるが故に民法はひろく法律行為の章にこれを規定せり(120条以下)。ただ無能力のみに因る取消権の範囲は右時効に関する規定ある外更に能力に関する条下においてこれを制限したるをもってこれにその大要を述べんとす。思うにこの理論に適せる配置法と言わんよりは寧ろ実際の便宜を主眼とするものなり。

 民法において無能力者の相手方を保護する目的をもって設けたる規定は主としてその催告権に関するものとす。即ち無能力者にして能力者にして能力と為り取消権を行使することを得るに至りたる。後相手方は時効期間の満了を俟たす。何時にてもこれに対して一定の期間(一ヶ月以上)内にその取消し得べき行為を追認するや否やを解答すべき旨催告することを得るものとしその解答の内容又は有無に依りで行為の運命を決定する便宜法を設けたり(19条)。旧民法その他仏法系諸国の法典には全くこの種の規定あるを見す。故に無能力者が能力者と為りたる後その行為を取消すか又はこれを追認するから決定せざる間は相手方は時効の完成に至るまで不確定なる地位に立ち損失を被ること大いなると同時にこれが為財産流通の途を塞き公益上に害あることも又少しとせず(財544条,仏1304条)。これをもって民法は近世ドイツ法系の立法例に俲い相手方をして一定の短期間に取消又は追認の解答を求むることを得せしめもって久しく権利関係の確定せさる弊害ながらしめんことを期せり(独108条)。この種の規定は取引の安全を保護する為近世一般に必要とする所にして民法中にもその類例あることを見るべし(114条,408条,547条)。

 無能力者が未だ能力者と為らざる間は相手方はこれに対して有効なる催告を為すことを得す。無能力者は縦令その催告に応じて取引又は追認の通知を為すもその通知は一般の意思表示に同じて取消し得べきものなること言うを俟たす(124条)。故に民法第19条に揚げたる一ヶ月以上の期間は能力者と為りたる後催告の時より起算すべきものと解すべし。但し未だ能力者と為らざる間といえども法定代理人の同意を得て取消又は追認をなしたるときは普通の場合と異なる所なくその行為の有効なること疑う存せざるなり。

 無能力者にして相手方が定めたる一ヶ月以上の期間内に取消又は追認を為す旨を解答は別に問題を生ずることなしといえどももし何等の解答をも為さざるとき如何民法はこの場合において取消権を行う意思なきものと認定するの外なきに由りその行為(取消さざる限は有効に成立する)を追認したるものとみなせり(19条1項)。無能力者か未だ能力者と為らざる場合において夫又は法定代理人に対して前記の催告を為したるときまた同じ(同条2項)。但しこの場合において無能力者は未だ能力者と為らざる間なるが故にその法定代理人をして短期間に行為の運命を決することを得せしむるは無能力者の為甚危険なりとす。故に法定代理人に対してはその代理権内の行為に限り催告を為すことを得るものとせり(同項但書)。これと相異なりで妻の無能力は夫権に伴うものなるをもって夫に対してはし制度を必要とせず。または保佐人の如きは準禁治産者の行為に同意を与えるのみにしてその行為を取消し又は追認する権限を有する者に非ず。即ちその法定代理人に非さるが故に固より本項の適用を受くるものに非さるなり(120条,122条)。

 夫又は法定代理人において特別の方式(例えば親族会の同意,裁判所の許可又は未成年者なる夫がその法定代理人の同意を得る如きを謂う。)を踏むことを必要とする必要とする行為に付手はその方式を踏みた旨を相手方に通知せざる限りはその行為を取消したるものとみなさる(19条3項)。また準禁治産者又は妻にして前記の期間内にその保佐人又は夫の同意若しくは許可を得てその行為を追認すべきことの催告を受けたる場合においても期間内にその同意又は許可を得たることを通知するに非さればこれを取消したるものとみなさるなり(同条4項)。けだしこれ等の場合においては催告を受けたる者は自己の意思のみをもって行為を完全のものと為すことを得ざるが故に催告に定めたる要件を充たすこと能わざる以上はこれを取消したるものとみなす外なければなり。

 以上述べたる民法第19条には「解答を発せざるとき」又は「通知を発せざるとき」とありで発信主義に依るべきことを示せり。この意思表示の通則たる受信主義の規定(97条1項)に対する例外にして畢竟相手方より挑発せる行為なるが故に発信主義に依るもこれをして不虞の損害を被らしむることなし。故に主として無能力者の保護を全たからしめんことを欲したるなり。同条に規定せる場合においても相手方が為す催告の如きは固より受信主義の原則に支配せらるるものと解しべし。

 右の外に尚相手方を保護する目的をもって無能力者の取消権を否認したる場合あり。即ち無能力者の行為にして不法行為の性質を有する場合これなり(20条)。けだし未成年者その他の一般無能力者は法律行為能力を有せずといえども不法行為に因りで債務を負うことは相異なることなし(709条)。ただ全然弁識力を欠く場合においてその責に任せざるのみ(712条,713条)。無能力者が法律に定めたる人の同意又は許可なくして法律行為を為すに当り能力者たることを信ぜしむる為詐術を用ヰたるときはこれ即ち不法行為を為したるものにして明文なきも損害賠償の義務を免れざること言うを俟たす。然るに損害賠償は金銭をもってするものなるが故に(722条1項)その数額を算定するに付き往々困難なしとせず。また行為者無資力なる場合においてその実効なきなり。かつそれその場合において相手方に賠償すべきは法律行為の取消に因りで生ずる損害に外ならざるが故に最も適切なる制裁はその取消を許さざるに在り。これ即ち民法第20条においてその取消権なきものとせる所以にして仏国法系の立法例を採用したるものなり(財549条,仏1307条,1310条)。

 これに所謂能力者たることを信ぜしむる為詐術を用うるとは例えば法定代理人の同意を得たる証書を偽造し又は人をして成年者たることを偽証せしむる如き積極的に詐欺の方略を行うことを謂う。故に自ら成年者又は寡婦なることを明言し殊に相手方の錯誤に乗じて自己の無能力者なることを告白せざる如きは取消を為す妨と為ることなし。けだしこれの如き軽微なる動作は寧ろ相手方において注意すべきものとしもって無能力者の保護を充全ならしめんと欲したるなり。

上述せる無能力者の行為はその法定代理人及び夫もまたこれを取消すことを得す。ただ妻の無能力は夫権の効果なるが故に夫には取消権を有せしむること一理なきに非ずといえども立法の主旨は相手方の利益を保護するに在り。故にこの点より観察するも夫に独立の取消権なきものと解釈せざるべからず。

第3節 住所
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住所とは法律上各人の常居と認むべき場所を謂う。民法に所謂生活の本拠とは即ちとは即ちこれなり(21条)。独民法は常住を標準とし仏民法には生活の本拠と曰うもその帰旨とする所は殊と同一なりとす(仏102条,独7条)。往時ポチエはこの二の観念を併合して住所の定義と為せり(プラニオル「仏国民法提要」1巻574節)。

住所の所在を定める方法に関して立法上二種の主義あり一は形式上より観察して各人の住所は基本籍地に在るものとし官署に届出を為すに因り定めるものとする制度を謂う。従来我が国に行われたる制は即ちこれなり(人262条)。また一は事実上における生活の中心点をもって住所と為す主義にして近世諸国の法律に採用する所のものこれなり(仏102条,独7条1項)。けだし往来交通の便未だ開けざるし時世に在りでは本籍地と生活の本拠とは常に一致せしが故に形式主義に依るも敢えて不便を感ずることながりこれに反して近世交通取引の頻繁なるに従い所謂本籍の所在と事実上における生活の本拠とは往々にして相異なるに至り甚だしきは生来曽で足踏みしたることもなき地に住所を有する如き奇異なる事例少しとせず。然るにその事縁薄き場所に付するに後に列学する如き重要なる法律上の効果をもってするは甚不便とする所にして当を得ざること言うを俟たす。これ即ち民法において実体法の原則として各人の住所はその生活の本拠に在るものとせる所以なり。

法律上各人の住所を定めることは数多の点においてその必要あり。今これにその重要なる効果を例示すれば住所は(一)裁判軸管轄を定める標準と為ること(民訴10条,人訴1条,24条等,非訟34条,38条等,破979条)。(二)国際私法関係に適用すべき法律を定める標準と為ること(法例4条,9条,12条,23条,27条,28条)。(三)国籍の取得他国籍法の適用に関係有すること(国籍法7条,9条等)。(四)債務を弁済すべき場所と為ること(484条,商278条)。(五)諸般の通知,書類の送達等を為すべき場所と為ることの如きこれなり。この他後後見,相続の開始,手形等に関して住所を定める必要あり(907条2号,965条,993条,商452条の2等)。また書面に住所を記載すべき場所少なからず殊に公法上においては住所の効用甚多しとす。この等民法その他の法律に定めたる幾多の事項に付き転輾常なき居所を標準とするが如きは確実を欠き不便甚だしきものありこの法律上生活の中心点を標準として各人の住所を一定することの必要なる所以なり。

住所は如何して定まるや通説に依れば住所の設定は生活の本拠として常住する事実とその意思を要件とす。従って意思能力なき者の如きは住所を有せざるものと為す如し(松本氏219項以下,川名氏「増補改訂民法総論」112項以下,中島氏「民法釈義」1巻73項以下,三潴氏114項以下)。この見解は普通の場合において事実と相合すること疑いを容れず。けだし住所は或身分を有する者の外任意にこれを定めることを得べきが故に常住の意思なき場所に住所を有することは殊にこれなきなり。然しといえども住所は各人これを有するものとし特に設定の行為を必要とするに非ず。民法において各人の生活の本拠をもってその住所為すは通常定住の意思を有すと認むべき外形の事実あるをもって足りとする趣旨と解す。即ち一定の場所に家族と共に居住し業務,財産等の関係を有する如き世人より見て生活の中心点と認むべき事実あることを謂う。主観的意思をもって独立の要件と為す趣旨には非さるべし。欧州諸国の法律には未成年者又は妻の如き特別の身分を有する者の為に法定住所の制を設くるが故にその以外任意に住所を定めることを得る場合にこれを住所の設定と称し常住の事実の外にその意思を要件とする理由なきに非ずといえども我が民法の如き法定住所を認めて一般に生活の本拠をもって住所する如き客観的事実の方面より観察するも生活の中心と認めることを得す。故に又意思能力なき者といえども住所はこれを有するものと解すべきなり。

要するに民法の観念において住所は生活の本拠の所在に当然存在するものとす。而してその所在定めることは原則として自由なるが故に所謂住所の設定は殊に常に住所の変更に外ならず。故に仏国民法の如きは住所の変更のみを規定し専らその場合において生活の本拠を移す意思及び移住の事実を必要とせり(仏103条)。ただ我が民法において無住所を認めるものとすれば現に住所を有せざる者が新に住所を設定する場合あることは勿論とす。この点は後段にこれを述うべし。

 住所の変更とは従前の住所を発して新住所を設定するを謂う即ち生活の本拠を他所に移転することなり。住所の変更には届出を必要とする例なきに非ずといえども(人263条,仏104条)。我が民法にはこの種の形式を定めす。単に事実問題として生活の本拠を変更したるや否やをみるべきのみ旧住所を廃棄して新住所を定めざる場合はこれを住所の廃止と謂う。仏国民法の解釈としては無住所及び数住所を認めさすものとすること通説なるが故にかかる法制の下においては住所の廃止なるものあることを得すといえども我が民法において無住所を認むべきものとは住所の廃止もまたこれあることを認めざるべからず。

 住所の設定,更及び廃止は一種の事実行為にして法律行為に非ず。この事は第五編中「法律行為」の章に至りでこれを説明すべし。無能力者は独断にてこれ等の行為を為すことを得るやに民法に何等の明文あるを見す(独8条参照)。これけだし未成年の子,妻等に付いては随意に居所を定めることを得ざる規定あるが故に実際その必要なしとの趣旨ならん欤(749条,789条,880条,921条)。この制限ある外住所の設定変更及び廃止は各人の自由なりとす。

 住所これを居所と区別することを要す居所とは事実上居所する場所を謂うし一事をもっては未だ生活の本拠と見るべからざること言うを俟たす。従って一旦その場所を去るときは直にこれを喪失するものとす。例えば現に庽居する旅館,下宿,塾舎,病院,監獄の如きこれなり。もしその民法に所謂居住とは仏語のrésidenceに該当するものとこれに列学する如き短期しもせよ多少の時間継続して居住する場所を謂う。単純なる現在所はこれを包含せざるものと解せさるべからず。通説はこの見解を採りで両者を区別し民法第22条の如き現在所には適用なきものとせり(平沼氏214項,川名氏114項,松岡氏217項,松本氏228項,中島氏176項)。ただかく解するときは一定の住所を有せざる者(浮浪者の如き)は居所をも有せざる結果と為り。実際不便なることあるべきか故に果して民法の趣旨なるや大いに疑いなきことを得す(三潴氏119項参照)。また仮令この意義に居所なる語を解すべきものとする寄留とはこれを混同せざることを要す。けだし寄留とは本籍に対する語にしてその届出を必要としかつ事実上永続して生活の本拠たる場合多し。例えば数日間旅店に宿泊する通常寄留と称せるなり。

 住所は生活の本拠なるが故に唯一なるものとす。即ち一人にて同時に二個以上の住所を有することを得す。この英仏一般の立法例なり(プラニオル1貫620節,カピタン62項)。ドイツ民法はこれに反して同国従来の通説に基づき数箇の住所あることを得るものとせり(独7条2項)我が民法はこの制度をもって錯雑を生ずる基とし苟も生活の本拠をもって住所とする以上は如何なる場合においても必ず一個に限るものとするを至当と認めたるなり。

 然りといえども特定の法律行為を為すに当り当事者の住所遠隔せる為に不便を感ずる場合少しとせず。故に民法は仏法系の立法例に俲いこれの如き場合においてその行為に付き仮住所を選定することを得るものと為しこれより生ずる法律関係即ち通知,弁済その他事項に付いては一切その場所をもって住所とみなすものとせり(24条)。要するに本住所と仮住所との差別は一般の法律関係におけると或行為に原因せる特別の法律関係に付いてのみ適用あるとの点帰着するものと謂うべし。

 外国の法律には未成年者,妻その他或身分を有する者の為特に法定住所(父母は夫の住所の如き)を認めたる例少しとせず(仏106条乃至109条,独9条乃至11条,瑞25条)。これ大いにその理由あることを認めといえども民法は普通の場合においてその必要なきものとしかつ時としては事実に反することあるが故にこれを採用せさりしなり。ただ民事訴訟法において或者の裁判籍に関する法定住所を認めるのみ(民訴11条,12条)。

 法人には住所あることを得ざる如きも既に独立の人格を有する以上はその目的たる事業の中心と見るべき場所なかるべからず。故に現行法においては法人の住所はその主たる事務所又は会社本店の所在地に在るものとせり(50条,商44条2項)。これの外商業その他の営業に関しては営業所をもって生活の本拠とす(商9条,278条)。

 我が民法は仏国学者の通説に基づき各人は必ず住所を有するものとし無住所を認めざる趣意なるが如し(21条,22条)然るに事実はこれと相異なりで生活の本拠と見るべき住所を有せざる者(浮浪者の如き。)あることを認めさるべからず。故に通説は無住所を認めたるもの解釈すること殆ど一定せる如し(平沼氏213項,川名氏120項,松本氏226項,中島氏172項)。また住所を有する者に付いてもその住所の所在を知ること能わざる場合なしとせず。然るにこれ等の者といえども法律上人格者として行動する以上はその住所とみなすべき場所なかるべからず。然からさればさきに列学せる裁判管轄その他の効果を生ぜしむる上において不便なきことを得ざるなり。故に民法はその必要に応ずる為住所の知れざる場合(及び事実上住所なき場合)においては居所をもって住所とみなすものとせり(22条)。この己むことを得ざるに出てたる規定にして多数の立法例と一致する所なり。

 また日本において住所を有せざる者はその日本人たると外国人たるとを問わず本邦における居所をもってその住所とみなすべきものとす。これけだしその者は縦令外国に住所を有するも前に述べたる数多く効果を生ぜしむるに付きその住所に依るべきものとするは実際において不便少からされはなり。但し法例において或国際的私法関係に付き特に住所地の法律に依るべきものと定めたる場合は真実の住所と解せさるべからざれが故にこれに示す特例の範囲に属するものに非さるなり(23条,法例12条,27条,28条)。

 なおこれに重要なる一事は民法と他の法令との関係なりとす。即ち民法は私法の原則としては事実上における生活の本拠をもって住所と為すこと上述せる如しといえども徴兵令その他の行政法規においても婚姻その他身分に関する一切の届出は当事者の本籍地の戸籍吏にこれを為すべきことを本則とせり(戸43条以下)。なお将来選挙その他の事項に関し住所の所在を明確ならしむる為に登録の如き方法を設備する必要なることを認めるなり。

 最後に住所なる語に付き注意すべき一事はこの語は法律上においても常に同一の意義を有せざることなり。例えば憲法第25条において日本臣民はその許諾なくして住所に侵入せらるることなしと曰い。また旧刑法第2編第3章第7節に住所を侵す罪とある如きは何れも民法に所謂住所の意義に非ずして寧ろ住居の意義に解すべきものなりたす。

第4節 失踪

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第1款 汎論
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 およそ人にして能力者なるときは自らその財産を保護することを得べく又無能力者の為には法定代理人を置きてその事務を処理せしむる如き特にその利益を保護する方法の定あり。敢えて国家がその事務に干渉することを要せず。また穏当とせずといえども人にして一旦その住所又は居所を去りで帰来せざる場合においてはその財産は往々にして減失又は杇敗する虞なしとせず。かかる場合において国家は本人及びその推定相続人又は債権者の如き利益関係人の為かつ間接には公益の為その財産の保存に適当なる処分を為さしむることを要す。また歳月を経過しその生死不分明と為りたる後は遂にこれを死亡者とみなし相続の開始その他身分上及び財産上の諸関係を確定せしむる必要あり。この古来何れの或においても失踪に関する法制を定めざることなき所以なり。

 従来失踪なる語はその用例一定せずといえども普通には住所を亡夫して行方不明と為りたる状態を称し来りたるが如し。旧民法において亡夫後音信絶止し生死不分明と為りたる者を失踪者と称したり。然るに新民法に所謂失踪者とはこれと異なり不在者にしてその生死不分明なること数年間継続ねるに因り裁判上失踪の宣告を受けたる者を謂うなり。故に生死不分明なるも未だ失踪の宣告を受けざる者殊に住所又は居所を去りたるも現に生存することの確実なる者は単にこれを不在者と称し失踪者と謂わず。民法第1編第1章第4節には失踪と題して右二種の状態に在る者即ち不在者及び失踪者を併せてこれを規定せり。同節中の第25条乃至第29条は単純なる不在者に関する規定なりとす。

 惟うに失踪なる語は本来新民法における如き特殊の意義を有するものに非ず。故に寧ろこれをもって不在者及び失踪者に共通なる総称と為し所謂失踪の宣告はドイツ民法における如く。これを死亡の宣告と称し失踪中最後の一時期と為す簡便なりしことを信ずるなり。踪なる標題を設けその内容としては未だ失踪の時期に達せざる者に関する規定をも包含せしめたるは当を得たるものに非さるなり。

 以下順次に不在者及び失踪者に関する法規の概要を説明せんとす。

第2款 不在者
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 不在者に関する規定は主として財産の保全を計りもって本人及びその推定相続人その他の利害関係人の利益を保護することを目的とするものなり。而してその要領を説明するには二個の場合を区別することを要す。

(一)本人が住所又は居所を去るに当りその財産の管理人を定め置かざりし場合 この場合においては法律上その事務に干渉する必要あり。即ちその生死不分明なると否とを問わず。裁判所は利害関係人又は検事の請求に因りその財産の管理に付き必要なる処分を命ずることを得(25条1項)。この場合において裁判所は職権をもってこれ等の処分を命ずることを得す。但しその請求権を有する者の中に検事を加えたる所以は他なし不在者の財産を保全するは本人及び利害関係人の利益を保護するが為のみに非ずして間接には公益に関することなるがなり。而してこれに所謂必要なる処分とは管理人の選定を主とし或いは財産に封印を為し或いは損敗し易き物を売却する如き総て財産の保存に欠くべからざる措置を為すことを謂う。本人が管理人を定め置きたる場合においてもその管理人の権限が後日死亡その他の事由に因りで消滅したるとき裁判所は同一の処分を命ずることを得(同項末文)。

 不在者始めに管理人を定めす後日に至り書状,電信等をもってこれを指定することなしとせず。この場合においては尓後裁判所が選定したる管理人を存在せしむる必要を見す。故に裁判所は管理人,利害関係人又は検事の請求に因り一旦命したる処分殊に前款管理人の選定を取消すことを要す(同条第2項)。

(二)不在者がその財産の管理人を定め置きたる場合 この場合においては裁判所をしてその事務に干渉せしむることを必要とせず。縦令管理人がその職務に忠実又は堪能ならざること明らかなるもその代理権の存続する間は本人の随意処分に委ぬることを当然とす。然りといえども一旦本人の生死不分明なるに至りたるときはこれに状況一変し裁判所は必要に応じて管理人を解任し更に適当の後任者を選定することを得ざるべからず。故にこの場合において裁判所は利害関係人又は検事の請求に因り管理人を改任することを得るものとす(26条)。

 管理人の任務は善意なる管理者の注意をもって不在者の財産を保存し管理終了の際においてこれを本人又はその相続人に返還するに在り(400条,644条,非訴43条)。不在者自ら管理人を定め置きたる場合においてその生存すること分明なる間は法律は敢えてその事務に干渉することを必要とせさるも裁判所において管理人を選定したる場合に在りではその監督を厳重にしもって不存在者その他の者の利益を保護する必要あり。故にこの場合において管理人は第一の職務としてその管理すべき財産の目録を調製することを要す。けだし他人の財産を管理する者は相当の注意をもってその任務を尽し他日これが返還を為ささるべからず。財産目録の調製は即ち管理人に対する最も緊要なる監督の方法にして財産の濫費を防止しかつその返還を確保する要件と見るべきなり。但しこの手続は主として不在者の為に履行すべきものなるが故にその費用は不在者の財産をもって支弁しりことを当然とす(27条1項)。なお財産目録に関する細目は非訴事件手続法第55条乃至57条にこれを規定せり。

 不在者が管理人を置きたる場合においてもその生死不分明と為りたるときは監督者を欠くに至るが故に管理人に同一の義務を負わしむる必要あり。故に裁判所は利害関係人又は検事の請求に因り不在者が定め置きたる管理人にも財産目録の調製を命ずることを得るものとす(同条3項)。

 管理人は不在者の代理人なり。而して裁判所において選任したる者はその法定代理人なること言うを俟たす。仏国一般の学者は法定代理人の外に裁判上の代理人を認むといえども我が民法はこの区別を採らず。けだし裁判所が法律の規定に拠りで選任したる者なる以上は法律上の代理人と見るべきに当然なればなり。

 管理人は本人の不在中その財産を保存する任務を有するに過ぎず。故に裁判所において選任したる管理人及び不在者が特に権限を指定せずして定め置きたる管理人は第103条に所謂権限定なき代理人にして同条に掲げたる管理行為を為す以上の権限を有せざるものとす。然るに数年の久きに亘りで管理を為す如き場合には往々にしてこの権限を超うる処分を必要とすることあり。また不在者が管理人を置くと共にその権限を定めたる場合においても生死不分明と為りたる後に在りではこれ等の処分を為さんとするに会当りで本人の許諾を得ること能わざるが故に右何れの場合においても管理人は裁判所の許可を得てその権限外の行為を為すことを得るものとす(28条)。

 管理人の職務に対する最も重要なる保障は前示の権限内において不在者の財産を管理しかつその権限消滅の際にこれを返還することに付き相当の担保を供するとは或いは保証人を立て或いは質権又は抵当権を設定する如き。所謂対人又は物上の担保を供することを謂う不在者の財産巨額に達し減失の虞ある場合においては最もその必要あるなり。故に裁判所は管理人にこの義務を課することを得るものとす(29条1項,非訴44条,45条)。この規定は裁判所において選任したる管理人にのみ適用すべきとすること通説なるも(松本氏256項,中島氏196項,三潴氏130項)法文にはひろく「管理人」とあるが故に寧ろ前条に同じく不在者が定め置きたる管理人に付いてもその適用あるものと解すること妥当なる如し。

管理人は元来煩累なる労務に服する外右に述べたる如き重大なる責任を有する者なるが故に常に無報酬にて職務を執るべきものとするは当を得す。故に裁判所は管理人と不存在との関係その他の事情に依り不在者の財産中より相当報酬を管理人に与えることを得(同条2項)。即ち不在者との親疎,管理の難易及び資産の多寡等に考え果して報酬を給すべきや否や我がその金額を定めべきものとす。

第3款 失踪者
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以上述べたる時期に在りでは縦令不在者の生死不分明なるも何時生存の報に接し又はその住所若しくは居所に帰来するや知るべからざる状態に在るものなり。故に法律は主としてその利益を保護する目的をもって財産の管理法を定めることに止めたり。然るに不在者の生死不分明なること継続して久きに亘るときは既に死亡せることの推定漸次確実に近つきかつ従ってその推定相続人の利益を保護する必要を生ずこれにおいて民法は不在者の生死七年間分明ならざるとき裁判所は利害関係人の請求により失踪の宣告を為すことを得るものとせり(30条1項)。

 失踪の宣告は(一)不在者に対すること。(二)利害関係人の請求あること。(三)不在者の生死不分明なること。(四)その生死不分明なることが七年間継続することをもってその要件とす。而してこの期間の計算法は一般期間の規定(140条,141条,143条)に依るべく。またその起算点は生死不分明の状態を生したる時(通常最後の音信ありたる時)に在りこと言うを俟たす(松本氏261項)。

 上記の期間は普通の場合に付き定めたる原則にしてこれには例外あり。即ち戦地に臨みたる者,沈没したる船舶中に在りたる者その他死亡の原因たるべき危難(水火震災等)に遭遇したる者はその死亡を推定すべき理由更に力を加うるに由り前記の期間は長きに過くるものと謂うべし。故にこれ等の場合においては不在者の生死が危難の去りたる後三年間分明ならざるときは失踪の宣告を為すことを得るものとす(同条2項)。

 失踪の宣告は利害関係人(不在者の推定相続人,配偶者等)に限りでこれを請求することを得検事は職権をもってその請求を為すことを得す。この失踪の宣告は不在者を死亡者とみなし私法上重大なる効果を生ずるものなるが故に利害関係人の請求なきに検事の干渉を容す如きは公益保護の職域を超え当を得すとの趣意に外ならざるなり。

 失踪の宣告に関する管轄裁判所及び手続は人事訴訟手続法第70条以下これを規定せり。その手続に関して最も注意すべき一事は宣告に先ず公示催告を為す必要なることにしてその催告期間内に何等の届出なきとき始めて失踪の宣告為すことを得るものとす。而してその宣告ありたるとき請求者は戸籍法の法規に従い裁判の日より十日内にその届出を為すことを要す(戸124条)。

 失踪宣告の効力はその宣告を受けたる者を死亡者とみなすに在り(31条)。即ち相続の開始その他諸般の法律関係において死亡と同一の効果を生ずるものとす。これ久しき間法律関係の確定せさることを防ぎもって利害関係人を保護する趣旨に外ならざるなり。

以上説明していた所は失踪宣告の時期及び効力に関し我が民法に規定せる所の要領にしてこの制度は主要なる点においてドイツ民法の規定を採用したるものなり(独13条以下)。旧民法その他仏法系に属する諸法典はこれと全くその主義を異にし一定の時期において諸般の法律関係を落着せしむる方法を定めす不在者の生死不分明と為りでより歳月を経過するに従いその死亡せることの推定ようやく事実に接近するもその状態にして依然存続する間は死亡者とみなすことなく唯仮の利害関係人の為適当の処分を定めるに過ぎず。即ち不在者の生死不分明と為りたる時より起算しその財産の管理人を置きたると否とに依りで相異なる。一定の年数を経過せざる間は専らその利益の為に財産保全の処置を為すに過ぎず。一旦この期間を経過せば推定相続人たる者は失踪の宣告を請求することを得べきもその宣告の効力は唯遺留財産の仮占有を得るに在るのみその時より更に三十年を経るに非されば所謂確定占有を得ざるものと尚死亡者とみなしことに至りでは幾十年を経過するもその効果の発生を認すし特に死亡せる事実の証明を必要とせり(人269条以下,仏112条以下)。故にこの主義に依れば失踪者は法律上永久に生死の間に彷徨すること為り利害関係人との権利関係は遂に確定する日なくその結果として財産の流通及び改良を妨碍しかつ紛議の基たることを免れずこの民法においてこの制度を採用せさりし所以なり。

  失踪の宣告は上述せる如き重大なる効果を生ぜるにも拘らず。その時期は原則として生死不分明なること七年間継続するをもって足りとしているはドイツ法系に属する二三の法典に十年と定めたるものを除く外(墺24条,独14条)殊とその例を見ざる所なり。これけだし交通の開けたる今日において永年間不在者の消息の知れざる如きは稀有の事実なるが故に可成短期間に利害関係人の地位を確定せしめんと欲したるものなり。前述仏国民法の制は近世社会の実況に適せざる死法なりとして一般学者のつとに非難する所なり。我が国従来の慣例に依りで不在者三年を経過したる後或点において死亡者とみなされたるも今日に在りではあたかも交通の便大いに開け遠国に渡航するが甚多きが故にこれの如き短期間の満了に由りで死亡者と推定するはこれまた当を得たるものと謂うべからず。また仏法系の立法例は不在者が管理人を置きたると否とに依りで区別するもこの区別の如きは唯帰意の有無推定すること得べき一標準たるに過ぎずもって生死を推定する根拠を為すに足らざるなり。故に新民法においては一切これの如き標準を採用せず。生死不分明と為りたる時又は死亡の原因たるべき危難の止みたる時より起算して七年と定めたるなり。ただ不在者の老幼を区別せずして一津に失踪期間を七年と定めたることに付いては立法上非難の余地なきに非ず(松本氏262項参照)。

 失踪の宣告を受けたる者は死亡者とみなさるることは単純推測即ち反証に依りで当然効力を失うべき推定に非ずしてその宣告を取消す裁判なき間は確定の効力を有するものとす(32条)。この点はドイツ民法の規定と相異なる所なり。民法第31条には「死亡せるものとみなす」とあり而して「みなす」と「推定す」との間には民法の用例上画然たる差別あることさきに述べたる如し。

失踪の宣告は死亡の宣告とも称すべき重大ねる効果を生ずるものなるが故にその効果の発生ずべき時期如何は緊要なる一問題なりとす。民法は生死不分明の継続せることを根拠として失踪の宣告に必要なる期間を定めたる趣意に基づきその宣告を受けたる者は前述法定の期間満了の時に死亡したるものとみなすことに定め(31条)失踪の宣告は遡及効を生ずるものとせり。故にその裁判は認定的のものなりとするを従来の通説とす(デルンブルヒ51節註の3参照)。然りといえどもこの点においては有力なる反対説あり。即ち失踪の宣告は死亡の確定推測を創設するものなるが故にその効力発生時期の如何に拘らず。創設的なりとする説近時勢力を有する如し(平沼氏252項,松岡氏247項,松本氏273項,三潴氏139項)。この主として理論上の問題にしてその実益は殆どこれなきものとす。

 失踪の宣告に因りで失踪者は上記の時期に死亡せるものとみなさるるが故に反対の効果としてその時期まで生存せるものとみなさるるは当然とす。これまた一の確定推測にして失踪宣告の取消なき間はその効力に変更を来すことなきなり(松本氏276項)。

 これに論述する死亡推測の時期に関しても三種の法制あり即ち(一)裁判宣告の日又はその宣告確定の日に死亡せるものとする主義。(二)法律上死亡の時期を一定せずして事実問題とし裁判所の認定に放任する主義。(三)失踪の宣告に必要なる期間満了の時に死亡せるものとする主義これなり。この三主義は各長短ありで絶対的にその得失を断定することを得すといえどもまたその間に自ら優劣の差なきに非ず。思うに第一の主義は裁判言渡と云う。明確なる事実を標準と為すものなるが故に実際便利なる如しといえども利害関係人の猾智又は裁判事務の遅速等に因りで宣告の時期を異にしもって相続その他の権利を左右することを得るの弊あり。また理論上より考うるも已に死亡者とみなすことを得べき時期に達したればこそ失踪の宣告を請求することを得るものなれば後に為す宣告の日よりその効力を生ずるものとするは当を得ざるなり。然りといえども日耳曼法系に属する法典には多くこの主義を採れり(墺278条,グラウビュンデン13条,独1草21条)。第二の主義はこれと正反対に死亡の時期を一定せずして全然証拠問題とするに在るも或人を死亡者とみなす。重大なる効果を生ずる宣告に付き明確なる標準を定めさるは権利の所在を不確実に実際少なからざる

弊害を生ずることなきを得す。然りといえどもこの主義は仏国民法及びこれを模範とする諸国の法典に採用せる所なり(仏130条,伊34条,41条,白草129条)。而してこの等諸国の法典においては死亡を推定すべき時期に付き別段の証拠なき限は亡失又は最後音信の日即ち生死不分明と為りたる初日に死亡せるものとする趣意なるべしといえどもこれの如きは決して事実と符合するものに非ず。何となれば音信絶これするも尚生存すること屢これあるべくさればこそ失踪宣告の効力如何に拘らず。その宣告を為すに必要なる期間を定めるものなればなり而して一旦これを定めたる以上は特別の状況なきにその満了前に遡りで効力を生ぜしむる理由なきこと言うを俟たす。ただ第三の主義は右両主義の欠点なきが故にこれに優るものと謂うべし。この民法においてこの主義を採用せられたる所以なりドイツ民法もその第二読会草案(7条,8条)における修正を容れず。遂に同一の主義を採るに至り。但し死亡の時期はその宣告中にこれを定むべきものとし反対の証拠なき場合においてのみ法定の期間満了の時に死亡したるものと推定する意なることを明らかにせり(独18条)。

失踪の宣告は法定期間満了の時における一切の私法的関係に付き何人に対してもその効力を生ずこれその効力の範囲に関する原則なり。今これを左の数則に分ちで説明せんとす。

 第1 失踪の宣告は何人に対してもその効力を生ず。

   およそ判決効力は訴訟当事者間にのみ生ずるを原則とすこれに反して失踪の宣告は或人を死亡者と為す判決なるが故に身分に関する判決の一種として当事者及び一般の人に対しその効力を生ず。即ち何人もその宣告を援用し又これをもって対抗せらるることを得るものとす。この点は学説の殆ど一致する所なり。

  第2 失踪の宣告は一切の法律関係に付きその効力を生ず。

   民法にはひろく「死亡したるものとみなす」と曰い従来の法律関係に付き何等の制限をも設けず。故に失踪期間満了の時における身分上及び財産上の法律関係は総て死亡の場合におけると同一様に確定するものと解せざるべからず。即ち相続開始し遺言もこれと同時にその効力を生ずべく。また失踪者の親族関係消滅するよりして婚姻の解消,親族の喪失等を来すこと勿論なり。殊に婚姻の解消に因りで配偶者は自由に再婚することを得る如き重要なる。結果を生ずるものとす。この婚姻解消の効果は仏独諸国の法制と主義を異にし立法問題としては大いに考究すべき点なるも民法は生死何れとも判明せざる状態を作ることを不可とし死亡宣告の効果を全からしめんと欲したるなり。なおこの問題に関しては「法学協会雑誌」第27巻第9号乃至第11号所載穂積氏論文をみなすべし。この他死亡に因りで発生又は消滅すべき権利義務即ち生命保険金の請求権,終身定期金の債権の如きは何れも失踪の宣告に因りで当然発生又は消滅するものとす(平沼氏256項,川名氏148項,松岡氏246項,松本氏274項参照)。

  第3 失踪の宣告は法定期間満了の時における法律関係に付いてのみその効力を生ず。

   失踪宣告の効力範囲は法定にはこれを限定せずといえども立法の理由に稽ふるときは自ら一定の限界なきことを得す。即ちその趣旨たるや一定の時期における法律関係に付き失踪者を死亡者とみなしもって利害関係人の為に相続の開始,再婚の自由等の効果を生ぜしめんとするに在り。失踪者をして将来にその人格を失わしむる趣意に非さること言うを俟たす。けだしこの如くなるときは事実上生存する場合において向後他人との間に成立すべき法律行為及び不法行為は失踪宣告の取消なき間何等の効果をも生ぜざることと為り。明らかに本制を設けられたる理由の範囲を脱出するものと謂うべし。故に失踪の宣告は法定期間満了の時における権利関係に付いてのみその効力を生し失踪者をして私法上における権利能力及び責任を失わしむるものに非ずと解すべきなり(平沼氏254項,259項,川名氏149項,松岡氏246項,松本氏275項,中島氏211項)。

  第4 失踪の宣告は私法関係に付いてのみその効力を生ず

  この制限もまた当然の事にして公法上の法律関係は本来民法の領域に属せず。故に例えば失踪者といえども刑法上人格を喪失するものに非ずして犯罪の主体たることを得るは勿論なりとす。

  失踪者が上述せる時期に死亡したるものとみなさるることは反証に因りで然その効力を失うべき推定に非さることは既に述べたる如し然りといえどもこの規定は時として事実に反することあり。即ち失踪者にして現に生存し又は法定の時期に異なりたる時に死亡せることの確実なる場合なしとせず。民法は実際に不便なき限はこれの如き事実に反する裁判の効力を存せしめざることを適当としその事実の証明ある場合において裁判所は本人又は利害関係人の請求に因り失踪の宣告を取消すことを要するものとせり(32条1項)。けだし失踪の効果を生ぜしむるに裁判宣告を必要としたる以上はその宣告を必要としたる以上はその宣告の効力を消滅せしむるにもまた同一の方法に依るべきものとすること当然なればなり。その手続は人事訴訟手続法にこれを定む(人訴70条以下,戸167条1項)。

 失踪宣告の取消は既往に遡りでその効力を生ず即ち失踪の宣告なかりし状態に復帰せしむるものとす。これその宣告が始めより事実に符合せさりしが故にして後発の自由にその因ずるものに非さればなり。故に相続の開始,婚姻の解消等すべて無効し帰するものと謂はさるべからず。

 然りといえどもこの原則には著大なる制限なきことを得す。けだし失踪の宣告は既に一度その効力を生し各利害関係人は失踪者をもって死亡者なりと信じて或いは他人と再婚し或いは相続の名義において取得したる財産したる財産を他人に譲渡す如き諸般の行為を為したることするべし。然るにもしこれ等の行為にして悉皆無効又は取消と為るものとは法律関係の安固を害すること事に少しとせず。故に法律は左に示す二個の例外を設けもって原則の適用を緩和せんことを期せり。

第1 失踪の宣告後その取消前に善意をもって為したる行為はその効力を変ぜず(32条1項末文)。

  これに所謂善意をもって為したる行為とは失踪の宣告が事実と合わざることを知らずして為したる行為を謂う。故に善意悪意の判断は行為の当時においてすべく。またこの区別は行為者の意思状態に関するものなるが故に単独行為に在りではその行為者のみ善意なるをもって足りとす。これに反して婚姻,売買等の契約に在りでは双方共に善意なることを要す。なおこれに示す例外的規定は失踪の宣告後に為されたる行為にのみ適用すべきこと明らかなるが故にその宣告前の行為は仮令法定期間の完了後善意をもって為されたるものといえどもその効力に影響を受けざることを得さるは勿論とす(松本氏280項)。

第2 失踪の宣告に因りで財産を得たる者は現に利益を受くる限度においてのみその財産を返還する義務を負う(同条2項)。

これに所謂失踪の宣告に因りで財産を得たる者とは失踪宣告の直接の結果として財産を得たる者を謂う。相続人,受遺者及び死因受贈者(554条)の如き即ちこれなり。失踪の宣告後他の事由に因りで財産を取得したる者即ち失踪者の相続人よりその取得せる財産を譲受けたる者の如きはこれを包含せず(川名氏153項,三潴氏149項)。

 上記の者は失踪宣告の取消に因りで一旦取得したる権利を失いその財産の全部を返還又は償還すべきを当然とす。然るに何等利得する所なくして既に消費又は処分したる財産に至るまでこれを償還せしむる如きは峻酷に失するものと謂わざるべからず。故に法律は現に利益を受くる限度においてのみこれを返還するをもって足りとしたるなり。即ちこの返還義務は不当利得の範囲に限るるものとす。但し不当利得の通則には「利益の存する限度において」と曰い(703条)。法文同一ならざるよりしてその適用の範囲に付き議論あり。この点は第121条の規定に関聨するが故に後にこれを論述すべし。

本条第2項は財産取得者の善意,悪意を区別せずといえどもその善意なる場合にのみ適用すべく悪意の場合には第704条に依りで返還義務の範囲を定むべきものとす。けだし立法の趣旨は上述せる如く失踪宣告取消の効果を不当利得に因る返還義務の範囲に制限するに在るが故に別段の規定なき以上は不当利得の規定に依るべきものとするを至当とす。またこの場合においても悪意の取得者はこれを保護すべき理由すこしも存せざるなり(松本氏282項,中島氏217項,三潴150項)。

なお本条の返還義務は財産取得者が取得時効の規定に依りでその財産を取得したる場合には当然消滅すること言うを俟たす。何となればこの場合において取得者は更に別個独立の事由に因りでその財産を取得したるものなればなり.もしそれ民法第192条に因る動産権の取得に付いてはその適用範囲に重要なる制限ありでこれを取得時効と同一視することを得す。この事は次巻中「占有権」の編においてこれを詳述すべし(松本氏283項参照)。

第3章 法人

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第1節 沿革

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 法人の制度は近世に起りたるものに非ず。ローマ中世において既に国庫,都市,寺院等の人格を認めたることは殆ど疑いなき事実なり。今これにその沿革を詳叙するは冗長に渉るべきをもってこれを述べず。思うにこの制度の著しく発達したるは近世の一現象社会全般の進歩に伴い一方においては国民の公共心大いに発達し。また一方において経済上の必要より規模の稍大なる事業を遂行する手段として盛に公益又は営利を目的とする。法人の設立を見るに至り。啻に法人を組織する人員の団体に人格を認めるのみならず。或目的の為に一定の財産を供しあたかもその財産が直接に権利義務の主体と為る如くその目的の下に法人を設立して公益事業を経営することを得るものとせり。即ち社団法人と共に財団法人の隆興を見るに至りたるなり。

 これの如くに法人の発達したるは近世社会の一現象なるが故に欧州何れの国の法律を見るも法人に関する規定は従来甚不備なることを免れず。仏国民法の如きにおいては直接に法人に関する規定は殆どこれなり。ただ或格段なる事項に関して間接にその存在を認めたる条文あるに過ぎず(仏537条,619条,910条)。我が旧民法においても法人に関する規定は唯1条ありしのみ(人5条)。加この近時に至るまで仏国学者の大多数は公益を目的とする法人は公法人なりとし民法の範囲に属するものに非ずとせり。即ち民法にその規定なきは欠点に非ずとの見解を採れり。然るにこれ大なる謬見とす。けだし公益法人と公法人とは全くその性質を異にするものにして公法人は国の公務の為に存在するものなるも公益法人は私の事業に属し個人に依りで設立かつ維持せらるるものなり。ただその目的が公益を図るに在るよりして国家はその設立の要件を定め又設立後といえども一定の限度においてその事業を監督するものに外ならず。公益を目的とする法人なるが故に公法人なりとし従って公法範囲に属するものと為す如きは正当の見解に非さるなり。仏国民法を模範とせる諸国の法典においても法人に関する規定は極めて不備なりとす。但し前世紀の下半期において種々の法人が勃興したる為数多く国においては実際の必要に迫られて多少これに関する規定を設けたり。即ちイタリア民法(2条)ベルギー民法草案(531条乃至554条)及びスペイン民法(35条乃至39条)の如きこれなり。仏国においてもさきに法人に関する法律案の調査に従事するに至り。法人に関する法規の稍備われるはドイツ法系に属する国の法典にしてその最も完備せるものはドイツ民法なりとす。我が民法は即ち主として同民法草案を三考してこれが規定を設けられたるものなり。而してこの実に本邦法制の一大改革と謂うべし。けだし従来学校,学会又は病院の如き団体には独立して財産を有せしめんと欲するも能わず。校長その他の理事者をもって権利の主体と為す外なかりしが故に実際大いに不便を感じ完全にその目的を達するここを得さりし民法の規定に依り始めてこれ等の団体を法人組織を為すことを得るに至りたるものなり。 

 以上述べたる如く法人に関する規定は外国の法律においても尚一般に不完全なると同時にこれに関する学説もまた未だ他の私法事項におけると同一の進歩を為すに至らせる如し。殊に法人の本質即ちその人格の基礎如何に関して今日尚議論粉々として解決を得るに至らず。従ってその能力の範囲その他数多の問題に付き学説一定する所なきは当然の事と謂うべきなり。

第2節 法人の本質

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 法人とは自然人に非ずして人格を有するものを謂う。即ち自然人と相離れて独立の存在を認められたる権利主体なり。この制度は社会生活の必要に基因するものにして自然人に限り権利能力を有するものと為す如きは稍発達せる社会に適応すべき観念に非ず。けだし個人の生命及び力には自ら制限あるが故に稍大規模の事業又は永久に存続せしめんとする事業を営むには個人以外に独立の権利主体を認めるの必要なること言うを俟たす。これ即ち法人制度の起れる所以なり然らば法人の実体如何と云うにこの点は人格そのものと混同すべからず。本来自然人といえども自然人として当然人格を有するに非ず。その人格はこれを法律に享くるものなるが故に法人の何たることを定めるに付いても自然人のみ人格を固有する如き観念を前提とすべきに非ず。また自然人は仮令意思能力有せざるも権利主体たることに妨なき以上はもまた独立固有の意思を有せるものと断定することを必要とせず。ただ人格者として活動するには何人が意思作用に依るさるべからざるのみこれを法人の意思と見るべきや否やは後に論述する如く。その組織に関する問題にして法人の根本観念及び各国法制の如何に依りで論断を異にするものとす。要するに法人の実体は結局法律が人格を賦与するに依りで定まるものにして絶対的にこれを一定することを得す。故に今これにひろく法人とは自然人以外の人格者なりと曰うに止め進んでその本質如何の問題に論及せんとす。

 法人の本質に関しては従来大いに議論あり学説紛然として未だ一定する所を見す。今これにこの問題に付き諸学者の説を学くれば大約左の三説に帰着すべし。

(1)擬制説 この説に依れば法律は自然人の為に存在するものなるが故に自然人以外に人格を有する者は本来これあるべからず。ただ社会生活の必要上より法律は擬制フィクションをもって法人なる一種の人格者を創造せるものなり。擬制とは畢竟法律が自然の状態に反して仮設したるものなること即ち自然人に非さるものをあたかも自然人の如くに観察し独立の権利主体たることを得せしめたるなりとの観念に外ならず。この説はローマ以来最もひろく行われたるものにして今日に至るまで仏国の私法学者は一般にこれを主張しドイツにおいてもサヴィニーアルンッ,プフタウィンドシャイド等多数学者の採用する所なり。我が国においても故梅博士の如きは最も熱心にこの説を唱道せる一人なりとす(同氏「民法原理」1巻164項)。

この学説は自然人以外に権利主体なきことを前提とする根本観念において誤ればものとす。即ちこの前提の如きは単純なる断定にして学理上の根拠を有することをもってその論拠と為すも(カピタン123項及註)。この権利の本質に関する意思力説と同一の観念にしてその正当ならざることさきに論述したる如し。けだし意思は人格又は権利の要素に非ずしてその活動の具たるに過ぎず世上一人として嬰児又は喪失者の人格を否認する者なし。而も未だこれを擬制と称する者あることを聞きかざるなり(ミシュー「法人論』1巻45号以下参照)。

擬制説の誤謬は畢竟人類と人格者とを混同するに在り。自然界の一生物たる人類は天然に生存し他の生物と共に自然界の法則に支配せらるるものとす。この方面より人類を研究するには生物学,人類学,生理学等の自然科学あり。法律学の領域に属せずこれと相異なりで人類が他人との関係において権利義務の主体たることを得るはその共同生活の規制たる法律の作用に因るものとす。ただ古来一般の例として自然人の人格は法律において特にこれを賦与する形式を採らざるのみ自然人といえども人格を有せさりしことあるは甞で奴隷及び准死の制度行われたるに徴してこれを知るべし由この観この人格はすべてこれを法律に享くるものにしてこの点においては自然人と法人との間にすこしも差異あることを見す。法人格に限り法律の擬制的創造に因るものとする如きは自然法の観念に因われたる謬見にして純然たる法律論に非さるなり。要するに擬制説は学理上の基礎を欠くものにして自然人と法人との間には唯人格を享有する形式及範囲を異にするに過ぎず。

およそ擬制なるものは新生の事物を既存の事物の範囲に入れ如き表面上法律の創設又は変改に依らずして実際これと同様の結果を得んとする仮定的作用に外ならず。往時社会組織と共に立法機関の未だ整備せさり世に在りでは法律と日に進む社会の需要とを調和せしむる一手段としてひろく行われたることは争うべからざる事実なりとす(メヰン「古代法」4版仏文21項以下,穂積氏「フランス民法の将来」フランス民法百年記念論集77項以下参照)。法人に対する観念もまたこの点において法律進化の法則に支配せられこれをもって自然人なりと擬制する謬見の勢力を有せしことは敢えて奇異と為すに足らざるなり(鳩山氏「法人論」法学協会雑誌26巻11号477項以下参照)。然るに近世社会全般の進歩に連れて法人の需要益増進するに従い擬制説はその結果においても社会の実況に適用せざること多言うを俟たす。殊にこの主義に依れば法人は畢竟国家の恩恵に因りで成立する一の不便少しとせず(ミシュー1巻7号以下,カピタン123項参照)。これにおいて前世紀の下半期に入りでより独仏の学者はこの学説を非難することようやく熾にして一層鞏固なる基礎の上に法人論を築かんとする趨勢を見るに至り。この趣旨よりして唱えられたる学説は主として法人実在説なるもこの外にこれと正反対なる法人不存在説ありで今尚多少の賛同者なきし非ず。

(2)不存在説 この説の要旨は法人なる独立の人格者あることを否認するに在り。而してこれを主張する学者は数派に分れその一派として法人とは或目的の為に存在する無主財産なりとする者あり(ブリンツ,ベッカー)。また法人なる独立の人格者あるは唯外観に過ぎず真実の権利主体はその裏面に匿るる自然人なりとする者少なからず。後説は更に区々に分れ或いは法人財産依りで利益を受ける者をもって権利主体なりとし(イエリング)。或いは仮装せる人格者も下に享益者の共同財産あるに過ぎずと説明す(プラニオル,ベルテルミー)。或いは又管理者を権利主体と見る論者もこれあり学説粉々帰一する所あるを見す(ミシュー1巻16号以下,サレイユ「法人」386項以下,松本氏293項以下参照)。

 法人の存在を否認するこれ等の学説は何れも自然人以外に権利主体なきことを前提とする点において誤れること擬制説と相異なる所なし。殊にその論拠として人格の基礎は意思にあるものとし法人には意思能力なきが故に独立の存在を有せざるものと為す非なることは擬制説に対して述べたる如し(ミシュー1巻32号以下,コラン及カピタン「仏民法要素」1巻651項参照)。またこれ等の諸説は殆ど法人の財産にのみ着目するも財産は法人の目的を達せずる一具に過ぎず法人は一般に単純なる財産の集合に非ずして一定の目的,組織及び利害関係を有し独立の存在を認めるに非されば到底その目的を達せずること得す。プラニオル等の所謂共同財産なるものはその分割及び従ってその性質を明らかにすることを得ざるなり(ミシュー1巻26号以下,コラン及カピタン651項参照)。

法人不存在説は法律において明らかに法人なるものを認めざる国在りでは或いはこれを認め権利義務の主体たることを得るものとせる以上はその存在せざるころを主張する余地あるを見す。

(3)実在説 この説の要旨法人は法律の擬制に因らずして自然人に同じく現実に存在する人格者なりと曰うに在り。然るはその実体如何と曰うにこの点においては種々の学説あり今これにこれを大別すれば有機体説(Théorie organiciste)と組織体説(Théorie institutionnelle)の二と為すことを得。この他にチーテルマンの純意思説あり。自然人と法人に通して権利主体は意思そのもんありとし法人にも独立の意思あることを認めこれをもってその本体と為すもこの説は架空に失し賛同者極めて少なきが故にこれを論評せず(ミシュー1巻31号以下,サレイユ517項以下,松本氏295項以下参照)。

 有機体説にも数派あり一部の学者は法人をもって全然自然人と同様なる生物的有機体なりとしその論旨を一貫せんとするもこの如き極端なる議論は現今一般に否定する所なり(ミシュー前掲,サレイユ同)。最も有力なる学説はギールケ一派の主唱する団体説にして権利主体に意思の必要なることを前提とし法人は団体として独立固有の意思を有す。即ち社団法人に在りでは法人を組織する者の意思の集合より成る統一的総意をもってその意思とす。財団法人に在りでは見解一致せずといえどもギールケの如きは尚設立意思をもって法人の意思と為せり。要するにこの学説は法人をもって一種の社会的有機体なりとし団体を構成する自然人はその組織分子として法人の一部たるに過ぎず。理事その他の代表者の如きも法人の機関にして別個の人格者と見るべきに非ず。即ち法人は団体として実在する人格者にして意思能力を具え機関に依り諸般の行為を為すことを得るものを為すなり。

この学説一度出つるや翕然学会を風靡しドイツを中心としてこれに賛同する学説甚多く遂に擬制説を凌駕するに至り。然るにこの学説もまた権利主体に意思の必要なることを前提とし法人は団体として固有の意思を有することを主張するもこの純法律論の範囲を脱せる断定に過ぎず法人に自然的意思あるや否やは社会学上の問題にしてその方面よりするも近時大いに異論ある所なり(万国社会学会年報4巻170項以下,ミシュー1巻73号及註の2参照)。もしそれ人の集団には常に独立の意思あるものとは偶一時の目的をもって集合する群集の如きも一種の共同意思を放出することあり。故に団体意思説に依るときは社団として存立を認めべき範囲を明らかにすることを得す(サレイユ528項参照)。法律上より言えば仮令団体として独立の意思を有せざるにもせよ法律に依り人格を賦与せられたるものは法人にしてこれを賦与せられざるものは如何なる団体といえども法人たることを得す。例えば民法施行前において公益上の社団及び財団が一般に人格を有せさりし如きは右の論旨に依りでこれを説明することを得ざるなり。

なおこの学説の一欠点はその着眼が社団法人に偏せることなり。近時旺に設立せらるる財団法人には集合的意思なきが故にその法人の意思を説明するに付き自然無理なきことを得す。

これにおいて近時の学説は法律上の見地より法人の実在を主張する傾向を来せり。即ち法人の実体は有機体に非ずして組織体なりとする説これなり((ミシュー1巻43号以下,サレイユ539項以下)。或いは社会的組織体なりと曰い(デルンブルヒ「独民法論」65節)。或いは法律に依り組織せられたる団体なりと説き(松本氏300項)。多少説明を異にする所なきに非ずといえども畢竟一種の組織体としてその抽象的実在を認めることを主旨とするものとす。

この学説を採る学者もまた一般に権利主体に意思の必要なること前提とし法人はその組織に依りで自己固有の独立意思を有するものと為す如し。ただ前説と相異なる所は法人の意思は自然意思に非ずして法律意思なりとする点にあり(ミシュー1巻55号,松本氏298項)。この点は有機体説に対して一大進歩なることを信ず然りといえども法人に独立の意思を必要とする意義は未だ明確を得るに至らず普通にはこれをもって人格享有の要件たる如くに説明するもこの見解は根底において誤れること既に再三述べたる如し。けだし意思は人格の基本又は要素に非ずしてその発動の用具に過ぎず。即ち人格者として権利の取得又は行使等を為すには通常自己又は自己の代表者若しくは代理人の意思に依ることを要するのみ法人はその組織(機関)に依りで独立の意思を発表するものと為すは畢竟人格実現の方法を示すものに外ならず。法人その者に固有の意思あることを必要とする趣旨には非さるなり。この原理は法人の行為能力に密接の関係あるが故に第五節に至りでこれを詳述すべし。

上述せる如くに解すれば組織体説は法人の本質に関する学説中において最も事実に適合し他の諸説に優るものとす組織体と見ることを得ればなり。然りといえども我が民法には相続人あること分明なるざる相続財産を法人と為す規定あり(1051条)。この規定は一の異例にして立法上非難なきことを得すといえども本来人格の享有は法律に因るものにして如何なるものにこれを賦与すべきやは一に立法の権能に属することになるが故に始めより法人の実体を一定してその範囲を出ずべからざるものとする如きは当を得す。故に純法律論としては法人の実体を論究することは第二段の問題とし一般に法人とは自然人以外の人格者を総称するものと為すに止むるを妥当とす。ただ法人にして一定の意思組織を有せざるときはその目的を遂行する為内外両方面において活動を為すこと能わざるが故に実際組織体以外に殆どその例を見ざるのみ余輩は即ちこの意義において組織体実在説の価値を認めるものなり。

 抑も法人実在説の起りたるは擬制説に対する反動にしてその主旨とする所は自然人以外にこれと類比すべき意思主体あることを言明せんとするに在り。即ち自然人をもって立論のその点と為す点においては両説間に差別あるが見ず。組織体説は自然意思を認めざる点においてその論旨を一新したることを看過すべからずといえども尚法人をもって自己固有の独立意思を有する組織体なりとし。その以外に存在し得えからざるものとする如きは未だ全然当初の観念を脱せざる見解にして法律上の見地よりするときは大いに議論なきことを得す。余輩は法人本質に関しては従来実在説に反対する者に非ず。ただこれを法律的の意義に解し自然人以外に人格を賦与せられたるものはすべて法人として法律上実在することを認む。即ちこれを擬制又は仮面と見ることを非とす。而してその活動の為に通常一定の法的組織を有するものと解するなり。なおこの問題に関しては田中氏稿「機関の観念」著作還暦祝賀法律論文集888項以下を参看すべし。

第3節 法人の種別

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法人はこれを大別して公法人及び私法人の2種とす。

公法人とは国家及びその統治権の一部を行うために存在する法人を言う。即ち国家の外地方団体(府,県,郡,市,町,村等)及び公共組合(水利組合,耕地整理組合等)これなり。公法人といえども私法上に於いて財産権の主体たることを得るは私法人に同じといえどもその本来の目的がこれと相違なるよりして特殊の強制手段を有し又これに関する規則は公法殊に行政法規に於いてこれを定め民法の範囲に属せざるものとす(美濃部氏日本行政法2巻574頁以下,松本氏301頁以下,三潴氏166頁参照)。

私法人とは上述せる以外の法人を言う。普通これを分類して(一)公益法人及び営利法人(二)社団法人及び財団法人とす。

(一)公益法人,営利法人 公益法人とは祭祀,宗教,慈善,学術,技芸その他公益に関する社団又は財団にして営利を目的とせざる法人を謂う(34条)。公益法人は公法人と相似て混同すべからざるものとす。けだし公益法人は公共の便益を目的とするも国家の公務を行うものに非ず。公益事業は決して国家の占有物に非ざるなり。公益法人の特性は統治の権力を有せざるに在り。唯その目的が公益を計るに在るよりして国家は一定の条件を以ってこれに人格を賦与するのみ。故に純然たる私法人なること疑いを容れず。これ即ち普通私法たる民法中に於いてこれに関する規定を置かれたる所以なり。

 営利法人とは経済上の利益を営むことを目的とするものを謂う。その主要なるものを商事会社とす。商事会社は商事を業とする法人なるものを以ってその規定は一切これを商法に譲れり。これに反して商事に非ざる営利的事業(農業,鉱業,漁業等)を目的とする法人は当然商事会社に関する規定の適用を受くべきものに非ずといえどもその目的営利に在ること同一なる故を以って設立その他の事項に関しこれに商事会社に関する総ての規定を準用すべきものとせり(35条)。総ての商事会社に関する規定とある以上は商事会社のみに関する規定の外商事総則編に掲げたる商事登記その他の事項に関する商人一般の規定もまた準用すべきものと解するを至当とす(松本氏「商法原論」115頁参照)。この点に関してはかつて議論を生じたることある改正商法に於いては明らかにこれを解決し営利を目的とする社団にして商法の規定に依り設立したるものは商行為を為すを業とせざるも全然これを会社とみなすことと為れり(商42条2項)。故に民法中の法人に関する規定は結局公益法人にのみ適用すべきものと解すべし。これ即ち設立の要件,業務の執行併に監督の方法及び解散の原由等何れも商法に規定する所と相異なる点多き所以なり。故にまたその規定は特に定款又は寄付行為を以って別段の定めを為すことを許せるものを除く外一般に強行法に属するものと解すべし。

 民法に於いては内国法人は公益法人と営利法人の2種を出でざるものと見たる如し(34条,35条)。故に一法人にして同時に公益及び営利を目的とするものなきことは疑いなき所とす。然りといえども公益を目的とせざるものは必ず営利を目的とするものと断言することを得ず。例えば産業組合,相互保険会社及び会員組織の取引所の如きはその何れにも属するものに非ざるなり。思うにこの公益及び営利なる語を以っては未だ尽くさざる所あることを証するものと謂うべし。或いはドイツ民法に於ける如く経済上の目的を有すると否とに依りて区別すること至当には非ざりしか(独21条,22条)。但し右2種中の何れにも属せざるものは各々特別法に規定せられ民法の適用を受くべきものなきが故に実際上に於いて不便を感ずることは殆んどこれなきなり。

(二)社団法人,財団法人 社団法人とは共同の事業を営む目的を以って集まる人の団体より成る法人を謂う。民法にはその員数の最低限を定めずといえども常に2人以上の社員あることを要するは言うを俟たず。これ社団法人の特性なり。而してその目的公益に在ると私益に在るとに依り公益法人又は営利法人と為るものとす。これと異なりて財団法人とは一定の目的に供せらるべき財産より成る法人を謂う。故にある目的及びこれに供すべき財産あることは財団法人の設立に欠くべからざる要件なり。この種別もまた両種の法人に適用すべき法規を異にする点に於いて甚だ重要なるものとす。

 右2種の法人中何れを設立すべきやはその目的とする事業の性質その他の事情に由りて定まるべきものとす。法律はこの点に付き一定の準則を設けて設立者の意思を拘束することを為さず。然りといえども何会又は何社なる名称を適当とするものは通常社団法人とし学校又は病院の如きものは一般に財団法人と為すことを便利とすべし。

 社団法人には公益を目的とするものと営利を目的とするものとあり。営利を目的とする法人は常に社団法人なり。これに反し財団法人は常に公益を目的とするものにして民法は営利を目的とする財団法人を認めず(34条,35条)。これけだし実際に於いてその必要を見ることなければなり。

 民法はドイツ民法の例に倣わず第1編第2章に於いて社団法人と財団法人とを一括してこれを規定せり。これけだし両者に共通なる規定多きが故にこれを別節に分載することを必要とせざればなり。

 民法以外の規定に依りて成立する私法人中には画然上記の分類に属せざるものあり。例えば社寺の如きなり。この事は次節に於いてこれを論述すべし。

第4節 法人の設立

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第一 法人の成立
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法人は民法その他の法律の規定に依るに非ざれば成立することを得ず(33条)。けだし人格は自然人と法人との間に差別なく法律の認むる所に依りて存在するものなること既に述べたる如しといえども自然人は一般に人格を有するものと為すに反して法人と為るべきものは明確にこれを一定する必要あり。即ち人格の亭有は重要なる一事項なるが故に法人の成立は特に民法その他の法律の規定によるべきものとしたるなり。

 民法以外の法律に依りて成立する法人は商法に規定する商事会社を始めとし取引所又は産業組合の如き特別法に規定せる数多くのものを謂う。社寺に関しては多少の疑義なきに非ずといえどもある種の神社を除く外これを私法人とし一種の公益法人と見るを通説とす。但し神社,寺院,祠宇及び仏道には当分の間民法の規定を適用せず。而してこれに関する特別法未だ制定せられざるが故に現今に於いては主として従来の慣例に依るべきものと解す(民施28条,35年10月8日及び40年2月14日大審院判決,織田氏「行政法講義」下巻43頁,美濃部氏「日本行政法」621頁以下,松本氏311頁,三潴氏170頁参照)。この他民法施行前より成立する社団及び財団にして公益を目的としかつ独立の財産を有するものは民法の施行と共に法人と為り民法の適用を受くるものとす(民施19条以下)。

第二 法人の設立に関する主義
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 法人の設立に関しては従来4種の法制あり。(一)特許主義(二)官許主義(三)準則主義(四)自由設立主義即ちこれなり。特許主義とは一法人を設立する毎に法律又は国種の特許を必要とするものを謂う。この主義は往時ひろく行われたるものにして仏国の如きに於いては今日尚原則としては大統領の特許を必要としこれを与うるにも予め公益調査なるものを為しかつ参議院の諮詢を経ることを要す。而して宗教団体又は私立大学を法人と為すには特に法律の制定を必要とせり。然るにこの制度たるや厳重に過ぎ近世公共事業の発達に伴わざる不便なきことを得ず。故に立法上その改正の必要なることを主張する者ようやく多きを加うる傾向あり。我が国においても日本銀行その他特別の保護を要する若干の会社に付き例外としてこの主義を採用せり。官許主義とは特個の立法行為を必要とするに非ずして規定の法律に基き行政官庁の許可を要件とするものを謂う。即ちこの場合の許可は一の行政処分に過ぎず準則主義は法律に一定の準格を示しこれに適合せる団体は当然人格を有するものと為すに在り。ドイツ民法の如きは経済上の目的を有せざる社団法人に付きこの主義を採用し一定の方式を具備せる定款を作りてこれを裁判所に備えたる帳簿に登記するに因り成立するものとせり(独21条)。自由設立主義は法人の設立に付き何等の干渉をも加えざる主義にしてその結果たるや法人濫設の幣を生じ殊に公益法人に対する国家の保護及び監督を欠くに至る虞あり。故に近世に在りてはこれを採用せる立法例殆とこれなきなり。

 我が民法は公益法人の設立に付きては公益の認定を要するが故に官許主義を採用し一定の方式を具備せる設立行為以外に主務官庁の許可を必要とせり(34条)。主務官庁とはその設立せんとする法人の目的たる公益事業を管轄する官庁を謂う。例えば祭祀,慈善に関しては内務省,学術技芸に関しては文部省の如きこれなり。但し主務省とせざるが故に必ずしも主務大臣の許可を必要とせず管制の定むる所に従いその指揮監督の下に法令の執行を司る地方官に委任するも違法には非ず(反対-35年2月27日東京地方裁判所判決)。唯法人設立の許可の如き重要なる事項を下級官庁に一任するは実際不穏当なる処置にして立法の本旨に適合せざるものと謂うことを得べきのみ。

 営利法人の設立は商事会社設立の要件に従うべきこと前に述べたる如し(35条1項)。然るに現行商法においては商事会社は株式会社といえども特別法に規定せるものを除く外一般に官庁の許可を必要とせざるが故にこの点は公益法人に関する民法の規定と相異なりて単に準則主義に拠りたるものと解すべし。この点は現に於きける多数の立法例と一致する所なり。

第三 定款及び寄付行為
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 法人の設立は一の要式行為にしてその法人の基礎となるべき重要事項を定めこれを書面に掲載することを要す。社団法人に在りては定款にこれを定め財団法人に在りては寄付行為をもってこれを定む。主務官庁は即ちこれ等の基本規定の内容を審査しこれに基づきて設立の拒否を決定するものなり。

 定款に記載すべき事項は(一)法人の目的(二)その名簿(三)その事務所(四)資産に関する規定(五)理事の任免に関する規定(六)社員たる資格の得喪に関する規定とす(37条)。但し定款にこの他の事項をも規定することは固よりこれを妨げず。即ち例えば通常総会の開期又は度数,議決の方法,解散の原由等の如きこれなり。唯以上6種の項目は法律上の必要事項にして如何なる場合においても定款に掲げざることを得ざるものとす。

 財団法人に在りては設立者はその構成分子に非ず。而して社団法人の総会に該当すべき最高機関なきが故に当初その存立の基礎と為るべき規定即ち法人の目的及び財産の如き重要なる事項を定めもってこれに関する設立者の意思を表明せしめその規定をして永く法人の最高不変の憲章たらしむること殊に緊要なりとす。これ等の事項は即ち寄付行為をもってこれを定むべきものとす。

 寄付行為とは財団法人を設立する目的をもってある財産を無償にて提供する単独行為を謂う。故にその実質は一の法律行為なるも具体的に観察するときは社団法人の定款に対当する財団法人の基本規定を掲げたる書面に外ならず。寄付者はその書面に一定の項目を記載してこれを主務官庁に差出し主務官庁はこれに準拠して拒否を決すること社団法人設立の場合に於ける定款の作用に異ならず。而してそのこれに掲載すべき事項もまた定款に記載すべき事項と大差あることなし。唯財団法人には社員なるものなきが故に前示6種の事項中に於いて「社員たる資格の得喪に関する規定」はこれを記載する必要なきものとす(39条)。なおこれら寄付行為をもって定むべき事項も限定的のものと解すべきに非ざるなり。

 社団法人を設立せんとするに当たり定款に欠くる所あるときは主務官庁は設立者に命じてこれを補充せしむること容易なるも財団法人に在りてはその設立者は必要事項中のあるものを定めずして死亡することなしとせず。殊に死後処分をもって寄付行為を為す場合に於いて最も生じ得ずべき事実なりとす。然るにもし比較的重要ならざる一事項を書きたるが為法人設立すること能わざるものとせば徒に公益事業の発生を阻妨し寄付者の奉公心を空うするに至るべき。或いは相続人又は遺言執行者をしてこれを補足せしむることを得ざるに非ずといえども本来これ等の者の利益に反する事項にして公益法人の設立に適せる方法にも非ず。故に民法は財団法人の設立者がその法人の名簿,事務所又は理事任免の方法を定めずして死亡したる場合に限り裁判所は利害関係人又は堅持の請求に因りこれを補充すべきものとせり(40条)。これに反して法人の目的及び財産に関する規定の如きは法人設立の基本たるべき要綱なるをもってその一を逸脱したる場合には裁判所においてこれを補充することを許さずこの場合に於いては財団法人は不成立に終わるの外なきなり。

 寄付行為は単独行為なり。故に生前処分としてこれを為すも贈与に非ず(549条)。またこの行為は始めより相手方なきものにして法人設立後においても寄付を受くべき当事者を生ずるものと解すべからず。何れとなれば寄付者は一定の目的に財産を供しもって当初よりその財産の主体たるべき法人を設立せんとするものにして先つ法人を設立し然る後これに財産を与えんとするものに非ざればなり。死後処分として寄付行為を為す場合においてもまた原則を異にせず即ち遺言がその効力を生ずる時(寄付行為者死亡の時)に至るも尚未だ受遺者たるべき相手方存在せざるをもって遺贈に非ざるなり。要するに寄付行為は財団法人の設立を目的とし寄付財産を受くる相手方なき点に於いて世俗普通の意義に於ける寄付と大いに性質を異にするものとす。然りといえども寄付行為は右何れの場合においても無償行為にして相続人等の利害に影響すること贈与及び遺贈と相異なる所なきをもって民法は生前処分をもってする場合に於いては贈与に関する規定を準用し又遺言をもってする場合に於いては遺贈に関する規定を準用すべきものとせり(41条)。故に例えば寄付行為をもって相続人の遺留分を害したる場合に於いては遺留分権利者はその減殺を請求することを得べし(1134条)。

 寄付行為はその目的とする財団法人設立の時に於いてその効力を生ずべきものなることを言うを俟たず。即ち寄付財産は主務官庁の許可ありたる時より法人に帰属するものと謂うべし。生前処分をもって寄付行為を為す場合に於いては寄付者は法人成立の際に生存すること常なるが故にこの原則によるべきものとするも敢て不便を見ることなし。故にこの場合に於いては寄付財産は法人設立の許可ありたる時より法人の財産を組成するものとす(42条1項)。これに反し遺言をもって寄付行為を為す場合にこの原則を適用するときは甚だ穏当ならざる結果を生ずべし。何れとなれば寄付者は官庁の許可に依りて法人の成立する時期には已に死亡せるものなるが故に寄付財産はその死亡の時より法人成立の時まで相続人に属する結果と為りこれより生じたる果実その他の利益は通常寄付者の意思に反して相続人の所有となるに至るべければなり。故に法律はこの場合において寄付財産は遺言が効力を生じたる時(1087条)より法人に帰属したるものと看做せり(42条2項)。これ固より一種の便宜法に外ならざるなり。

第四 法人の登記
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 法人は自然人の如き有形の人格者に非ざるが故にその存在及び組織を世人に公示せしむる必要あり。これ即ち一定の時期及び場所に於いて登記を為すべきものとする所以なり。而してこの登記の義務に関しては民法は専ら項目を定むるに止め微細なる手続に至りてはこれを特別法に譲れり(非訟117条以下)。

 法人の登記には設立登記,変更登記,及び解散登記の3種あり。これにはまず設立登記に関する規定を説き次に変更登記の事実を論述せんとす。

 法人はその設立の日より2週間以内に各事務所の所在地に於いて設立の登記を為すことを要す(45条1項)。而してその主たる事務所の所在地に於いてこれを為すに非ざれば法人の設立をもって他人(法人以外の者)に対抗することを得ざるものとす(同条2項)。けだし法人は官庁の許可に依りて已に成立せるものなるが故に登記はその成立の要件に非ず唯法人その他の者より法人以外の者(社員及び寄付者を包含す)に対してその成立を主張するに必要なる手続に過ぎず。故に登記なきも法人は成立するものにして他人がこれに対してその成立を援用することは固より妨げざる所なり。かつそれこの制裁たるや単に法人の主たる事務所の所在地において登記を為さざる場合に於いてのみその適用あるものとす。なおこの他に事務所ある場合には各その所在地に於いて登記を為すことを要すといえどもこれ唯理事に負わしめたる義務にして過料の制裁あるに過ぎず(84条1号)法人設立の後新たに事務所を設ける場合においても同一の手続を踏むことを必要とす。唯この場合には設立の当時に於ける如き準備を要する事なきをもって登記期間はこれを1週間とせり(45条3項)。

 登記すべき事項は(一)目的(二)名簿(三)事務所(四)設立許可の年月日(五)保存時期を定めたるときはその時期(六)資産の総額(七)出資の方法を定めたるときはその方法(八)理事の氏名,住所の数種目とす(46条1項)。もしこれらの事項に変更を生じたる時は1週間以内にその変更の登記を為すべきこと事務所新設の場合に同じ。而してその制裁は過料の外登記せざる変更をもって他人に対抗することを得ざるに在り(同条2項)。

 事務所の移転は登記事項の変更に外ならず故に1週間以内にその登記を為すことを要す。即ち登記所の管轄区域を異にする地に事務所を移転したるときは旧所在地に於いては移転の登記を為し新所在地に於いては設立の際に於けると同一に一切の登記事項を登記することを要す(48条1項)。これ畢竟法人と取引を為さんとする者を誤らしめざるが為に外ならず又同一の登記所の管轄区域内に事務所を移転したる場合に於いては単にその移転のみの登記を為すをもって足れりとす(同条2項)。

 登記事項にして官庁の許可を要するもの(定款の変更の如き)はその許可ありたる時より登記期間を起算すべきが如しといえどもかくては官庁の所在地と法人の事務所と離隔せる場合に於いて不当の結果を生ずべきに因り許可書の到達したる時よりこれを起算すべきものとす(47条)。即ちその事項に付いては受信主義を採用したるものなるも官庁の許可は法律行為に於ける意思表示と見るべきに非ざるが故に第97条1項の原則あるをもって足れりとせざるなり。

第五 法人の住所
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 主たる事務所を登記する効用は主として法人の住所を公示するに在り。けだし法人にしていったん成立せる以上はその目的の範囲内に於いて他人との間に種々の法律関係を生ずべきをもって生活の本拠と見るべき住所を定むる必要なることは自然人に於けると相異なる所なし。ただ住所なる語は無形体なる法人に適せず而してその業務の中心と為るべき場所は主たる事務所に外ならざるが故に法人の住所は即ちその事務所の所在地に在るものとしたるなり(50条)。

第6 財産目録及び社員名簿の調製
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 法人には尚一の義務あり。財産目録及び社員名簿を調製すること即ちこれなり。財産目録の調整は法人の財産を保全しかつその監督の用に供するに在り。故に法人設立の際及び毎年始の3ヶ月内又は特に事業年度を定めたる場合にはその年度の終に於いてこれを調整しかつこれを事務所に備え置くことを要す(51条1項)。また社団法人に在りては各利害関係人をしてその法人を組織する社員の何人なることを知らしむる必要あるに因り社員名簿を備え置き社員の変更ある毎にこれを訂正すべきものとす(同条2項,84条2号)。

第5節 法人の能力

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第1款 権利能力
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 法人は独立の人格者にして権利能力を有すること言うを俟たず。然りといえどもその権利能力は自然人の権利能力と範囲を異にする所あり。この点に於いては擬制説を採ると実際説を採るとに依りて多少結果を異にするといえども自然人と全然同一視すべからざることは少しも疑いを存せず。けだし法人は自然人の如く肉体を具有せざるよりしてその権利能力には自然的制限なきことを得ず。また民法上の法人は一般に公益事業を目的としこれを遂行する為に人格を享有するものなるが故にこの方面よりもその権利能力に法律上の制限を受くるものとす。要するに法人の権利能力はその性質,目的及び法律の規定に依りて限定せらるるものと謂うべし。

第一 法人はその性質上より自然人の享有すると同一の人格権を有せず。即ち生命,身体又は自由を保全する権利の如きは法人に適用なきものとす。唯身体の存在を前提とせざる人格権はこれを享有することを得。例えば名称権及び名誉権の如きこれなり。また民法第43条に定めたる範囲内に於いては他の法人の設立者又は社員と為ることを妨げず。故に法人は単に財産上の権利能力を有するものと為す。旧来の学説は狭隘に失するものと謂うべし。

同一の理由に因り法人は一般に親族権及び相続権を有せず。例えば親権,夫権,戸主権等は法人に存せざること言うを俟たず。後見人又は遺言執行者たることの如きは事実上不可能なるに非ずといえども民法上に於いては常に自然人をもってこれに任する趣旨なること殆ど疑いを存せざるなり。

法人の権利能力は主として財産権につきその適用あるものとす。即ち法人はその目的の範囲内に於いて物権,債権,著作権,特許権等の権利を享有しかつ債務を負担することを得唯他人に雇われて労務を供する如き身体を要素とする債務を負うことを得ず。また法人は他人の相続人となることを得ずといえども遺贈を受くることはこれを妨げず。要するに法人は財産権に関しては殆ど自然人と同一程度の権利能力を有するものと謂うべし。

第二 法人は法律上の制限としてはその目的の範囲内に於いてのみ権利能力を有す。けだし人格は法律にその源を汲むが故に法律は自由に法人の権利能力を限定し得ること論を俟たず。殊に民法上の法人は公益を目的とするに因りて人格を享有するものなるが故にその目的の範囲外に権利能力を認むることを必要とせず。この概念よりして民法は社団法人と財団法人の問いに差別なく凡て法人は法令の規定に従い定款又は寄付行為に依りて定まりたる目的の範囲内に於いて権利能力を有し義務を負うものとせり(43条)。故に法人がその目的の範囲外に於いて取得したる権利又は負担したる義務はこれを法人の権利義務と為すことを得ず。例えば公益法人が商業を営む場合の如きこれなり。

第三 法人はその目的の範囲内においても法令の規定に依りてその権利能力を制限せらるることあり。例えば社寺又は境界の如き法人が擅に信徒より寄付金を募集し又は巨額の負債を為すことを禁ずる如きこれなり。また法人が他人より贈与若しくは遺贈を受け又は一定の価格を超過する財産を取得するには政府の許可を必要とする如きも外国にはその例少なしとせず。わが国においても将来ある種の法人に対してはこれ等の制限を必要とすること或いはこれあるべし。現行法に於いては特に法人の権利能力を制限せる規定は殆どこれなきが如し。

法人は上述せる範囲内に於いて権利能力を有するよりして訴訟の原告又は被告となることを得。即ち訴訟法上に於ける当事者能力を有するものとす。またその目的を遂行するに必要なる範囲内に於いては公法上の権利能力を有す。例えば市町村会議員の選挙権を有する如し(市制町村制12条)。この点は主として公法の領域に属するが故にこれを述べず。

 以上論述する所は内国法人に適用すべき原則なり。外国法人の権利能力に関しては別段の規定あり(36条)。第10節に於いてこれを説明すべし。

第2款 行為能力
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 法人は行為能力を有するや否やはその本質に関する学説の如きに依りて決定を異にす。擬制説に於いては法人は法律の仮定に因る権利主体にして実在するものに非ずと為すが故にその行為能力を否認するには当然なり。従って理事の如きはその機関に非ずして別人格を有する代理人に外ならず即ち無能力者の法定代理人と性質を一にしその法律行為の効果が代理人の原則に依りて法人に及ぶに過ぎず法人不在説に於いてはその論旨一様ならずといえども法人なる独立の人格者あることを否定する主義に於いて一致す。故にこの説においても法人の行為能力を認めざるは勿論なりとす。

 これに反して従来法人実在説を主張する者の多数は法人をもって独立固有の意思を有する有機的団体なりとするが故に当然行為能力を有するものと断定す。この見解に依れば理事は意思能力者たる法人の機関に外ならず即ちその行為は法人の意思の発動にして自然人がその手足を動かすと同一なり。故に法人はその目的の範囲内に於いては法律行為能力と共に不法行為能力をも有すること自然人と少しも相異なる所なしと曰う。

 惟うに上記の両見解は何れも極端に失いし富を得ざるものとす。これその基本となる学説の誤れるに因るものなり。法人の本質に関する学説中現今最も穏当と認むるものは組織体実在説なること先に詳述したる如し。然るにこの説を採る学者中においても法人の行為能力問題を解説する方法は一様ならず。多数の論者は法人の行為能力を認む。而してその論拠とする所は法人はその組織に因りて独立の意思(法律意思)を有するものと為すに在り。この見解に対しては多少意見なきに非ずといえども(229頁以下対照)法人の行為能力はこれを認むること至当なりと信ず。

 法人は一定の目的のために存在す。故にその存在の目的を達する方法なかるべからず。これに於いて通常その一分子として機関を置きもって一切の事務を処理せしむるものとす。然りといえども法人はこれが為に自然人と同様なる意思主体と為るに非ず。即ち機関に依りて行動すると言うよりもむしろ独立の人格者としてその存在の目的を遂行する手段を与えられたるものと見るを適当とす。機関説はドイツ学者の案出せるものにして組織的に法理を説明する点に於いて多大の価値あることを認むるといえどもこれに所謂機関説は普通の意義に於ける機関と大いに性質を異にする所あることに注意せざるべからず。本来機関とは有機体の一部として機械的に動作するもの(手足の如き)を謂うもこれにはその状態に類似せる所あるよりかく称するのみ。代表機関の行為は実際その者(自然人)の行為なり。唯その資格に於いてする限り法律はあたかも法人がこれを為したるものと看做しもって法人存在の目的を達成することを得せしむ。従来一般に慣用する「法人の行為」又は「法人の意思」なる語は畢竟法人なる人格者を認めたる結果としてその代表者の行為の効果を完全に言明せんとする趣意に外ならず即ちこの意義に於いて法人は行為能力を有するものと謂うことを妨げず。これ一種の法制にして始めより法人に意思能力あることを必要とする観念に非ず。また無能力者の如くに早晩意思能力を有し得べき者と見たるにも非ざるなり。

 要するに余輩は説明の方法に関しては法人実在論者の説に服せざる所なきに非ずといえども理事その他の代表者をもって法人の機関と為し別個独立の人格者たる代理人と見ざる趣旨は理論上正当なるものと信ず。これ殊に国家その他の公法人に付き適切なることを感ずといえども私法上の法人に付いても法理を異にすることなし。即ちこの点に於いて機関説に賛同するものなり。けだし法人の代表者は寸時も欠くべからざる法人の一要部にして設立行為に因りてこれと同時に発生し決して法人以外にその事務を代理せしむる為別人格者を置くの観念に非ず。現に理事は無能力者の法定代理人よりも広潤なる権限を有しかつ代理の如く法律行為のみに関せずしてひろく一切の事務に付き法人を代表する所位は主としてこの理由に基づくなり。唯これを機関と称するも普通自然人に付き言う機関とは同一の意義に解すべからず。即ち自然人の機関とはその手足口舌の如き身体の生理的部分を謂う。法人の期間もまた法人の一部を為すものにして設立行為に因りて存在すること自然人に於けるとその状態を異にすることなしといえども自然人に在りては自然人自ら意思能力を有すること常にして機関は全然その意思能力または感覚に因りて動作する消極的具に過ぎず。これに反し法人の機関は固有の意思を有する者にして一面機関としては独立の人格者に非ずとするも他面に於いては個人としてその人格を認めざるべからず。かつそれ法人は機関と離れては何等の意思をも有せず。所謂法人の意思と称するものは畢竟機関の意思にしてこれ以外に法人の意思と認むべきものなし。即ちこの点は普通の意義に於ける機関と反対にして唯形式上よりかく称するのみ。これ原理より左に掲ぐる結果を生ず(ミシュー1巻138頁参照)。

 (一) 法人の機関の行為に付いては2種のものを区別せざるべからず。即ち自己の行為と見るべきものと法人の行為と見るべきものこれなり。この区別は行為の目的その他の事情に考えこれを為すべきものとす。自然人とその機関との間には固よりかくの如き問題を生ずることなし。

 (二) 法人とその機関との間に法律関係の生ずることを認めざるべからず。即ち機関としては法人の一部なるも期間の任務に服する個人としては法人に対し種々の権利を有し義務を負うものとす。一例を示さば報酬を受くる権利を有する如し。これまた自然人の機関に付き生ずべからざる問題なり。

一 法律行為能力

 法人は以上論述せる意義に於いて法律行為能力を有す。即ちその機関たる者が法人の目的の範囲内に於いて為したる行為は法律上これを法人の行為と看做しもってその存在を全うすることを得せしむ。この機関は普通の場合に於いてこれを理事と称し法律行為その他法人の事務に付き法人を代表するものなり(53条)。理事は法人の代表機関にしてその代理人と見るべきに非ざること既に述べたる如し。この見解は我が民法の文辞には適合せずといえども(44条54条57条)立法の趣旨は独民法に同じく理事の本質を決定せんとするに非ずして唯法定代理人の地位を有する者とし代理の規定に従わしめんとするに在るのみ(独26条2項参照)。即ち学理上の問題に触れずして専ら実際の必要に応ずる趣意と解するを妥当とす。

二 不法行為能力

 法人に不法行為能力あるや否やは近時最も議論ある問題なり。擬制説を採るサヴィニーその他の学者は何れも法人にこの能力あることを容認す。けだし何人といえども不法行為の責に任ずるには故意又は過失なかるべからず。然るに法人は法律の仮設物にして意思能力を有せざるが故に不法行為能力を有すること能わず。また法人の業務執行者は不法行為に付き代理権を有せざるが故に代理の原則に依るもその者の不法行為より法人に責任を生ずることなしと曰う。この過失責任論はローマ法以来ひろく行わるといえども近世交通機関その他工業の発達に因りて頻生する危害を救済するに足らざるよりしてその基礎に変動を生じ所謂結果責任主義に依るべき場合を認むること漸次多きを加うるに至れり。仮令原則としては尚過失を必要とするもその過失は従来の主観的標準に依らずして客観的標準に従い行為者その人に過失無きも一般の人望むべき注意を欠きたるに因る。損害に付いてはその責に任ずべきものとする傾向あり(ミシュー2巻214頁以下参照)。今これにはこの広範なる問題を論全とするに非ず(詳細に関しては岡松博士「無過失損害賠償責任論」を看るべし)。我が民法は多数の立法例に倣い故意又は過失をもって不法行為の用件と為すが故に(709条)法人の責任能力を定むるに付いてもこの原則に依るべきものとす。然りといえども擬制論者の主張する如き法人には主観的過失あることを得ざるが故に不法行為の責任なしとするは誤れり。けだし法人はあたかも固有の意思を有せざるが故に始めより機関を置くことを必要としもってその人格を実現せしむるものなり。故に苟も機関として行動することを得べき範囲内に於いては過失の有無の如きも機関に付きこれを判断しその過失をもって法人の過失と見るべきものとす。また債務不履行の場合と結果を異にすべき理由もこれなきなり。

 上記の見解に反して法人実在説を採る者は一般に法人の不法行為能力を認む。但しその説明の方法は一様ならず。有機体実在説に於いては法人は独立固有の意思を有するものと為すが故にその代表機関の不法行為は現実に法人の意思が発動せるものと見るは当然とす。また組織体実在説に於いてはかくの如き極端なる見解を採らずといえども法人には法律意思ありとしその代表機関が法律の事務に付き為したる一切の行為は法律上これを法人の行為と見るが故に法人に不法行為能力ありとするは一なり。余輩はその根本の理由に関しては多数論者の説に服従せざる所なきに非ずといえども大体に於いてこの見解を可とすること既に述べたる如し。即ち代表機関が職務の執行に関しその資格に於いて為す限りは適法行為と不法行為との間に差別を設くべき理由を見ざるなり。

 現今の立法例は法人の代表者がその職務の執行に関して他人に加えたる損害に付き法人に賠償の義務ありとすることに殆ど一定せる如し(独31条,86条,89条,瑞54条,55条,仏判例,コラン及びカピタン2巻366頁)。唯一一般にその基礎となる主義を決定せずしてこれを学説に委ぬるが故に上記の議論は依然として行われその主義の如何に依りて責任の性質及び範囲を異にするに至るは当然とす。

 我が民法にも「法人は理事其他の代理人が其職務を行ふに付き他人に加へたる損害を賠償する責に任す」」とあり(44条1項)。この規定は民法に所謂不法行為の責任のみに関するものに非ずして故意又は過失を要件とせざる加害行為に付いてもその適用あるものと解すべし。但し実際上に於いては主として不法行為に付きその適用を生ずること言うを俟たず。

 本条の法理上の根拠に関しては大いに議論あり。多数の学者はこの規定をもって法人の不法行為能力を認めたるに非ずして単に第三者を保護する為の便宜的規定に過ぎずと為す如し(梅氏「民法原理」201頁,岡松氏「民法総則講義」79頁,川名氏198頁以下,中島氏1巻272頁以下)。この解釈は法文に「理事其他の代理人が云云」と曰い不法行為に関しては法人をもって一種の無能力者と為したる観あるに由り一見妥当なる如しといえども余輩はむしろ上来叙述せる理由に基づき我が民法においても理事はこれを純然たる法定代理人と断定したるには非ずして法定代理人に準じ代理の規定に従うものとする趣旨に解せんと欲す。唯その不法行為に付いては代理の規定を準用することを得ざるが故にこの特別規定を必要としたるのみ(独,瑞前 掲,松本氏315頁)。要するに理事は法人の代表機関(代理の規定に従うべき)に外ならず従ってその職務の執行に付き生じたる不法行為はこれを法人の行為と看做してその責に帰するものと為すこと法人制度の本旨に適合するものと信ず。即ちこの意義に於いて法人の不法行為能力を規定せるものと解すべきなり。而してこの規定は商事会社その他の営利法人に準用すべきものなりとす(商42条2項,62条2項,105条,170条2項)。

 今これに上述せる観念に基き民法第44条第1項の趣旨及び適用範囲を明らかにせんとす。これ第715条との対象上特に重要とするところなり。

(一) 法人は理事その他の代表機関の加害行為に付いてのみその責任に任ず。理事以外の代表機関とは民法に所謂仮理事,特別代理人及び清算人を謂う。何れも代表機関なるが故にその行為は法律上これを法人の行為と見るなり。これ自己の行為に対する責任にして監督を怠りたるに基づく他人の行為に対する責任に非ず。故にその損害が選任又は監督の不行届きに原因せざることを証明して責任を免るることを得ず。即ちこの点は民法第715条の規定と全然その根拠を異にするものなり(サレイユ「債権論」322節参照)。

これに反して代表機関と見るべからざる者(例,雇人)の不法行為に付いては法人に直接の責任なきものとす。委任による代理人に付いては議論なきに非ずといえども同一に論ずること至当なるべし(鳩山氏,法学志林19巻10号42頁以下-「反」三潴氏194頁)。但し代表機関がその職務の範囲内に於いてある人を雇入るる如き法律行為を為さばその法律行為はこれを法人の行為と見るべく。従って法人は使用者としてその者の不法行為に付き賠償の義務を免るることを得ず。これその監督を怠りたる過失に因る責任にして第715条の適用範囲に属するものとす。この点は法人とその代表者との関係に於けると大いに法理を異にするものと謂うべし。

(二) 法人の代表者がその職務を行うに付き他人に加えたる損害なることを要す。これに所謂「職務を行ふに付き」とは「職務を行ふに際し」と言うよりも狭義にして職務上の行為よりその結果を生じたることを必要とす。但しひろく職務云々とある以上は法人の為に法律行為を為す場合なることを要せず。代表者がその職務に属する法人の事務所を行うに付き他人に加えたる損害なることをもって足れりとすべし。今ここに12の例を挙ぐれば理事が法人の業務を行うに当たりて他人の著作権又は特許権を侵害し或いは法人の為に他人と契約を為すに当たりて詐欺若しくは脅迫を行いたる如きは職務上の加害行為と見るべくこれに反して法人の事務所を行う機会に於いて他人を殴打創傷し又は他人の物を窃取したる如きは固よりこれに説明する部類の行為と見るべきに非ず。要するにこの要件の適用範囲は明確にこれを指定することを得ず。裁判官は実際の状況に考え果して職務上の行為なるや否やを判断すべきなり。

    上記の問題は一般の被用者に付いても頻繁に生ずるものにして注文もまた殆ど相同じく唯被用者に付いては「事業の執行に付き」とあるのみ(715条)。然りといえども両制度の根本観念は同一なるに在らずして被用者の不法行為に対する使用者の責任は他人を監督する任務ある場合に於いてその監督の不行届きに基づくものとす。従ってその責任の範囲は理事の如き機関の行為に対する法人の責任よりも多少汎きにこれを解し苟も事業の執行中に生じたる損害は仮令職務上の行為即ち使用者の利益の為にする行為に原因せざるも尚使用者の責に帰するものと解すべし。例えば雇人が執務中に喫煙して火災を起こしたる場合の如きこれなり。

(三) 被害者は直接の加害者たる代表者に対しても損害の賠償を求むることを得るや。これ問題は第715条の場合に於いては積極的にこれを決すべきこと言うを俟たずといえども本条の場合は機関の行為なるが故に疑いなき能わず。法人実在説を採る者は法人にのみ責任あるものとすること当然なる如しといえどもこの点に於いては議論あり。団体説の代表者ギールケの如きも両者に責任ありとし最近の立法例もまた機関には自己の過失に対する責任あることを明記せり(瑞55条3項)。けだし機関は法人の一部なりとはある一面より観察せるものにして全然独立の人格を失う意義に非ざること先に詳述したる如し。また実際問題としても法人に賠償の資力なき場合に於いて被害者を救済する途なきに至るは不当と謂わざるべからず。この点は法人の代表機関がその資格に於いて適法の契約その他の法律行為を為したる場合と同一に論ずることを得ず。何れとなれば法律行為に付いては相手方は専ら法人との問いに法律関係の成立することを期待したるものなればなり。

    法人は被害者に賠償を為したる場合に於いて実質上の行為者たる代表機関に対し求償を為すことを得るやに付いても疑義あり。法人実在説を採るときは第515条の場合と反対に全然求償権を否定すべきが如しといえども(同条3項)これまた前問題に同じく主として機関の意義即ち法人とその代表機関との関係の性質如何に依るものとす。通説は求償権を認むるに在り。

 以上説明せる規定は法人の代表者がその権限に属する事務を執行するに付き他人に加えたる損害の責任に関するものとす。これに反して法人の目的の範囲内に在らざる行為に因りて生ぜしめたる損害は全く職務の執行に関するものに非ざるが故に法人の責任に帰すべからざること言うを俟たず。この場合に於いてはその事項の議決を賛成したる社員,理事及びこれを履行したる理事その他の代表者連帯して賠償の責に任ずべきものとす(44条2項)。けだし議決を賛成したる者は実行者と共に損害の原因者なるが故にその責を免るることを得ず。また各自連帯して賠償の義務を負うものとしたるは共同不法行為の例に従い被害者の保護を全からしめんとする趣旨に外ならざるなり(719条参照)。

第6節 法人の機関

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第1款 汎論
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 法人は自然人と異なりて自身に活動すること能ざるが故にその組織の一部として内外の両方面に向かい活動の任に当たるべき機関を具有することを必要とす。その機関はこれを2種に大別することを得業務執行の機関及び業務監督の機関即ちこれなり。

 業務執行の機関はこれを理事と称す。理事は内部に在りては一切の業務を処理し外部に対しては諸般の法律関係に付き法人を代表するものなり。この機関は法人の活動に寸時も欠くべからざるものなるが故に常設の機関として必ずこれを置くことを要す。業務監督の機関はこれを監事と称し理事の業務執行を監督するをもってその任務とす。但し監事は業務の性質,範囲又は社員の数等に依りその必要なきことあるが故に必ずしもこれを置くことを要せず。この他社団法人に在りては共同事業の経営者として最も重きを置くべき社員の総会なる最高機関あり。もって理事を指揮監督し諸般の業務を統括するものとす。なお法人解散の場合に於いては精算人なるものありてその残務を処理す。清算人は清算の目的の範囲内に於いては理事に同じく執行機関として法人を代表するものなり。

 以上列挙せる法人の機関は何れも法定の機関なり。この他法律の強行的規定に違反せざる範囲内に於いては定款又は寄付行為をもって特別の機関を設くることを得。例えば財団法人の重要なる事務を議決する為に評議員を設くる如きこれなり。

 理事,監事及び精算人の職務に対する制裁は5円以下の過料に処するに在り(84条,非訟206条以下)。この他職務の懈怠にして不法行為を構成するときは更に損害賠償の制裁を免れざること言うを俟たず。民法は公益に関する規定の実効を確保する為に特に過料の制裁を定めたるものなり。

第2款 理事
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 法人は自然的意思を固有する者に非ざるが故にこれを代表してその一切の業務を執行すべき機関なかるべからず。一の行為を為さんとする毎にその代表者を選任せしむる如きは実際煩に堪えざることにして法人の目的たる事業を完成する方法に非ず。また社団法人に於いて総社員又は各社員に業務執行の権限あるものとする如きも社員稍々多き団体に於いては業務の執行上に一致を欠き紛雑の基たることを免れず。これ即ち民法に於いて理事なる常設の代表機関を置くことを必要としたる所以なり。

第一 理事の員数

 理事は1人又は数人たることを得るものとし法律にその員数を一定せず。法人の目的たる事業の性質又は状況に従い定款,寄付行為又は総会の決議をもって適宜にこれを定むることを得。而して理事数人ある場合に於いて法人の事務を処理する方法の如きも定款又は寄付行為の定むる所に依るものとす。唯別段の定めなきときは如何。この場合に於いて理事は単独に一切の事務を裁断することを得るものとせんが法人の事務は統一を欠きその管理を全うすること能わず。これに反して総社員の一致を必要とせんが些細なる事務に付いても一人の反対又は故障ある為にこれを決行することを妨げられ法人の事務は渋滞して甚だしき不便を見るに至るべし。故に民法は便宜上より折衷制を採り法人の事務は理事の過半数をもってこれを決定すべきものとせり(52条,独28条,70条,86条)。

第二 理事の任免

 理事の任免は定款又は寄付行為の定むる所に依る(37条,39条)。社団法人に在りては社員総会に於いてこれを選任すること常なるも定款をもって社員又は第三者の指名に委ずることを妨げず。また理事は社員外よりもこれを選任することを得。これ等の点は株式会社取締役の選任とその方法を異にする所なり(商164条1項)。選任の性質に付いては単独行為説なきに非ずといえども(梅氏,法学志林12巻8号1頁以下,36年8月26日大審院判決)法人と被選者との間に契約関係成立するものと為すを通説とす。従て被選者の承諾を必要とすること言うを俟たず。唯如何なる契約成立するやに付き多数の学者は委任説(643条,656条)を採るもこの点に於いては議論あり(デルンブルヒ「獨新民法論」1巻77節,青木氏「会社法論」494頁,松波氏「新日本商法」478頁,松本氏「会社法講義」343頁,松岡氏296頁,三潴氏201頁参照)。我改正商法に於いては法人と取締役との関係は「委任に関する規定に従ふ」とし実際上よりこの問題を解決せり(商164条2項)。

第三 理事の権限

 理事は外部に対しては法人を代表してその一切の事務を処理す。即ち総括権限を有する法定代理人の地位に在る者なり。我が民法にはこれを法人の代理人と曰うもその本質は代表機関にして唯法定代理人に準じ代理の規定に依らしむる趣旨と解すべきこと先に説述したる如し。而して代理の通則に依れば権限の定めなき代理人は単に管理行為を為す権限を有するに過ぎずといえども(103条)かくては自身に活動力を有せざる法人の事業を遂行すること能わざるが故にこの例に依ることを得ず。故にまた代理人と相異なりて法律行為のみならず実質上の行為(例えば財産目録又は社員名簿の作成の如き)に付いても権限を有す。但し定款,寄付行為又は総会の決議を持って理事の権限を制限したるときはその制限に従うべきこと当然なりとす(53条,独26条2項)。

 然りといえども理事を拘束すべき総会の決議は法令及び定款に違反せざるものなることを要す。何れとなれば法令又は定款に違反せる決議は決議としてその効力なければなり。理事は法人の代表機関にして社員の機具に非ず。故に法人の準拠すべき規定に違反せる決議に盲従する義務なきことは言うを俟たず。而してその果して法令又は定款に違反せる決議なるや否やは理事自らその責任をもってこれを査定すべきものとす。故に不法行為に因りて他人に損害を加えたる場合に於いては総会の決議に依りたるときといえども賠償の義務を免るることを得ず(商177条参照)。

 法人の代表権は理事数人ある場合に於いて何人に属するやは解釈上一の疑問なりとす。この問題は民法第53条に所謂「理事」の意義如何に関し一般の原則に依りて決定すべきものと信ず。今この点に関する学説を示さんに大凡2説あり。その一は同条に所謂理事とは各理事員を謂うものとし理事は各自法人を代表するものと断定す。従って定款,寄付行為又は総会の決議をもってその中のある一人に代表権を与え又はその全員若しくは過半数の同意を必要とする如きは民法54条に所謂「理事の代理権に加えたる制限」なりと説明す(川名氏219頁,中島氏295頁,三潴氏200頁,田中氏「法学新報」28巻2号1頁以下)。これ現今多数学者の採る所なり。第二説は理事の過半数に依るべきものとし前述第52条第2項の規定をもって理事の代表行為にも適用あるものと為すに在り(梅氏「民法要義」終版122頁,平沼氏313頁)。

 この両説は何れも正当ならずと信ず。先つ第一説に於いては理事とは各理事員を謂うものと為すもこの点に関する民法の用例は明らかに一定せるものと謂うことを得ず。第52条の如きはかく解するの外なしといえども第53条,第54条,第63条等に所謂理事とはむしろ機関の意義に解すべきには非ざるか。果して然らば結局代表権を有する理事如何の問題に復帰すべし。惟うに理事数人ある場合においても法人の代表機関は一にしてその全員より構成せられ各理事はその期間の組織分子と見るべきこと理論上殆ど疑いを容れず。数人の理事を置きたる趣旨もまたこれを一体として法人の事務を処理せしむるに在るべし。これ殊に公益法人に付きその理由あることを認むるなり。故に第三者の便益を図らんとする如き理由に因り各自法人を代表すとの明文(商61条,170条の如き)を置かざる限りは代表権は理事の全体又はその決議に基づき適法に権限を有する者に属すと謂わざるべからず。

 次に第二説の謬点は法人の内部関係と対外関係とを区別せざるに在り。けだし法人の事務は定款又は寄付行為に別段の定めなきときは理事の過半数をもってこれを決すべきも(52条2項)この規定は理事会の決議に関するものにしてその実行の問題と混同すべからず。従って多数決をもって直に代表行為を為すものと解するは当を得ず。その決議に基づきある理事が有効に代表行為を為すことを得るや否やは一に権限の有無に関す。多数の場合に於いてはある一人にその権限を授くることならん。例えば理事長,総理事又は専任理事と称する者の如きは通常これを授与せられたるものと推定するを当然とす。もしそれ一理事の行為が適法の決議に依りて与えられたる権限に基づかざるときは無権代理の規定(113条以下)を適用すべきなり。

 要するに民法第53条に所謂「理事」とは代表機関たる理事を意義す。即ち理事1人なる場合に於いてはその1人又数人ある場合に於いては理事団又はその決議に依りて代表行為を為す権限を与えられたる理事員を指すものとす。ドイツ民法に於いては法文明瞭なる為これ等の点に付き殆ど疑義を生ずることなし。唯我が民法の解釈として上記の見解を採るときは法人に対する催告その他の意思表示は理事の一人に対してこれを為すをもって足れりとする強硬的規定なきを遺憾とす。これ第三者保護の点に於いて一の欠点と謂うべきなり(独26条,28条参照)。一説にはあたかもこの受働代表に関する規定なきをもって単独代表制を採りたる論拠と為すも(田中氏前掲)これ第三者保護の一面より推断せるものにして法理上の根拠と為すに足らざるべし。かつそれ理事の氏名はこれを登記することを要するが故に(46条)第三者に於いて多少の注意を為さば不測の損害を被ることあるべからざるなり。

 定款,寄付行為又は総会の決議をもって理事の代表権に制限を加えたる場合に於いてはその制限は法人に対して理事を拘束すること論を俟たずといえども第三者は必ずしもその制限あることを了知するものに非ず。むしろ理事に包括的代表権あることを信じてこれと一切の取引を為す場合多かるべし。然るにもしその制限をもって当前第三者に対抗することを得るものとせばこれをして往々不測の損害を被らしむることと為り取引の安全を阻害すること少からざるべし。この弊害を生ぜしめざるには左に列挙する三の方法あり。

(一)理事の代表権に加えたる制限は全然これをもって第三者に対抗し得ざるものとすること。 この方法は第三者を誤る危険なしといえども法人の為には往々必要とする制限を設くること能わざる不便あり。これ立法上採用することを得べき方法に非ざるなり。

(二)代表権の制限をもって第三者に対抗するにはその登記を必要とすること。 この方法は前示の制に反して第三者を保護する点に於いて欠くる所あり。けだし法人と取引を為さんとする者は予め登記簿を検閲するの煩累あり。故に進んで理事と取引を為すことに躊躇しその結果法人の為にも不利益を来す虞あるなり。然りといえどもドイツ民法には原則としてこの制を採用せり。但し登記あるも尚第三者に於いて過失なくしてその制限あることを知らざりしときはこれをもって対抗せらるることなきものとしたるに因り登記は唯その悪意を推定するの原由と為るに過ぎず(独64条,70条)。故にその結果に於いては次説と大差なきものとす。

(三)第三者の善意なると悪意なるとに依りて区別し代表権の制限はこれをもって善意の第三者に対抗し得ざるものとすること。 この方法は即ち我が民法に採用せる所のものにして全両制の幣を矯正せんとするものなり(54条,商62条2項,170条2項)。

第四 理事以外の代表者

 代理の通則に依れば法定代理人は如何なる事務に付いてもその責任をもって複代理人を選任することを得べしといえども(160条)公益法人に在りて特に理事その人の技量に重きを置きこれを信任したるものなるが故に包括的にその事務の全部又は一部を他人に再任することを得ざるものとする必要あり。唯疾病その他一時已むことを得ざる事情ある場合に対する処置として定款,寄付行為又は総会の決議をもって禁止せざる限りは特定の行為に限りてその代理を他人に委任することを得るものとす(55条)。これまた理事に準用すべき代理の規定に対する例外と謂うべし。而してその禁止は理事の代表権に加えたる一の制限に外ならず故にこれをもって善意の第三者に対抗することを得ざるものと解すべきなり。

 死亡その他の事由に因りて理事の欠けたる場合に於いては定款又は寄付行為の定むる所に由りその後任者を選定すべきこと論を俟たずといえどもこれが為に時日を要し一時法人の事務を曠廃することなしとすべからず。故にこの場合に於いて遅滞の為損害を生ずる虞あるときは(例えば急速に時効中断の行為を為さざるときは権利を失うべき場合の如き)裁判所は利害関係人又は検事の請求に因り仮理事を選任すべきものとす(56条)。而してここに所謂理事の欠けたる場合とはその全く欠けたる場合の外数人の理事共同して法人の事務を行うべきものとせるにその理事中に欠員を生じたる場合を謂うものなり。

 法人と理事との利益相反する事項に付いては理事は代表権を有せず(57条)。これ代理の通則たる第108条の規定と同一の趣旨にして畢竟法人の利益を保護する為に外ならず。但しその適用は更に広く理事が法人と法律行為を為す場合のみならず法人を代表して第三者と法律行為を為さんとする場合にもその適用あるものとす。然るにこれ等の場合においても法人の為にその行為を為す方法なかるべからざること言うを俟たず。故に民法はこれに云う事項に付いても利害関係人又は検事の請求に因り裁判所に於いて特別代理人を選任すべきものとしたるなり(同条末文)。

第3款 監事
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 理事は広汎なる権限を有するよりして必ずしも専横の所為又は傲慢なきことを保せず。これに於いてその業務執行の当否を監査する機関を常設するの必要あり。監事とは即ちその機関を謂うものにして商事株式会社に監査役を置き又後見人の傍に後見監督人を置くとその理由を異にせざるなり。但し法人の目的たる事業の種類その他の事情に依りてはこの機関の設置を必要とせざる場合なしとせず。故に監事は定款,寄付行為又は総会の決議をもって1人又は数人を置くことを得るものとし必ずしもこれを置くことを必要とせず(58条)。これ株式会社に於けるとその規定を異にする所なり(商123条,133条)。この他監事の任免及び監事と法人間の法律関係は先に理事に付き述べたる所と相異なることなし(同189条参照)。

 監事の職務は理事の業務執行を監督するに在り。即ち法人の財産及び業務執行の状況を監視し不正の行跡あるときはこれを社員総会又は主務官庁に報告し又その報告を為す為め自ら総会を招集することこれなり(59条)。監事にしてこの職務を行うに付き失行あるときは過料に処せらるるものとす(84条4号)。

 監事数人ある場合に於いて上記の職務を執行する方法に関しては民法中何等規定する所なしといえどもその職務の性質上より各自独立してこれを行うものと解すべきが如し。けだし監事は執行機関に非ざるが故に理事数人ある場合の如く過半数の決議に依るべきものとする必要なければなり。但し定款,寄付行為又は総会の決議をもって別段の定めを為したるときはこの限りに在らず(松岡氏304頁)。

第4款 社員総会
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 社団法人は社員より組織せられその主要なる事務は社員総会の決議に依りて行うものとす。故に今これに社員総会に関する事項を説明するには先つ簡約に社員の地位を論述することを要す。

第一 社員の地位

 社員は社団法人の組織分子にして独立の人格を有する者なること言うを俟たず。従って社員と法人との間に特殊の権利義務を生ず。これその団体の一員たる地位に伴う権利義務にして一般個人として有する権利義務(売買又は賃借上の権利義務の如き)とは大いに性質を異にす。またこれをもって社員と法人間に存する債権債務の関係と見るべからず。この特殊の権利関係を総称して社員権及び社員義務と謂う。

 社員権及び社員義務に2種あり。その一は法人の目的を遂行する為各社員に認められたるものにして例えば総会に於ける議決権の如きこれなり。他の一は社員1個の利益の為に存するものにして例えば剰余財産の配当を受くる権利の如きを謂う。この2種の権利は何れも社員権に属すといえどもその性質及び効力に於いて相違なる所あり。その詳細に関しては松本博士著「会社法講義」(52頁以下)を参看すべし。

 社員たる資格の得喪は定款の定むる所に依る(37条)。最初法人の設立者は法人の成立と同時に社員の地位を取得すること言うを俟たず。法人成立の後に於いてこの資格を取得するは入社に依らざるべからず。入社は定款をもって特にその要件を定めざるときは総会の決議に依りて行わるるものとす。公益法人に在りては承継的入社即ち譲渡又は相続に因りて社員の地位を取得することは原則としてこれを許さず唯定款中にその規定ある場合に於いて有効とす。

 社員たる資格の喪失は退社に因りて生ず。退社の原因は退社の意思表示,死亡及び定款に定めたる除名をもってその主要なるものとす。意思表示に因る退社は定款をもってこれを禁止することを得ず。但しその時期の如きはこれを制限することを妨げず又死亡及び譲渡の場合に於いて定款に別段の定めあるときは相続人又は譲受人は当然社員の地位を承継すること前項に述べたる如し。唯譲受人が他の社員なると社員外のものなるとに依りて多少その効果を異にする所あるのみ。

第二 社員総会の本質

 社団法人は共同事業を営むことを目的とする社員の集合より成るものなるが故に最も重きを社員一同の意思に置き各自をしてその事業に干与するの方法を有せしめざるべからず。一般社員権の首位を占むるものは即ち法人の事業に干与する権なりとす。然るに人員稍々多き団体に在りては社員は一個独立の資格をもって各自にその権利を行うこと困難なるのみならず。総社員の一致は到底臨むべきに非ず。これに於いて社員総会なる最高機関を設け決議の方法に依りて法人に関する諸般の事項を議定すべきものと為すに至れり。これ社員の共同意思を発表する唯一の機関にしてこれ以外の方法に依りては仮令全員が同一の意思を発表するもその効力なきものとす。法人にはその活動の為に一定の意思組織を必要とする以上は社員総会は社団法人の意思を決定する機関と称すべきものなり。

 社員総会は社員の全部をもって組織せらるる必要機関なり。この点に於いては反対説なきに非ずといえども(岡松氏「民法総則講義」101頁及び「法政時論」4巻14号1頁以下)通説は殆ど一定せる如し。けだし総会は社団法人の構成分子たる総社員の共同意思を表明する最高唯一の機関にして社員その人に重きを置きこれをして法人の業務執行に干与せしむるものに外ならず然るに定款をもってこれを設置せず。または一部の社員に表決権なきものとする如きは総会の本質に反すること明らかにして法律の特別規定なかるべからず。民法にはかくの如き明文なきのみならず。第38条,第60条,第63条,第69条等はむしろ反対の趣旨を言明するものと謂うべし。但し立法論としては各地に亘りて巨万の社員を有する社団法人に在りては総社員を会合すること実質上困難なるが故に総会に代え又は総会として各地方の社員を代表すべき一定数の社員をもって組織する議事機関に於いて法人の事務を議決し得るものと為すの便利なることを認む。第63条に所謂「役員」とは総会に代わりて一切の事務を決議することを得べき機関と解することを得ざるなり。

第三 社員総会の種類

 社員総会は一定の時期にこれを開きもって理事及び監事の報告を聞きかつ重要なる事項を決議する必要あり。故に理事は少なくも毎年1回定款又は便宜に定めたる時期(定款に定なきときは)に於いて社員の通常総会を開く義務を負うものとす(60条)。これまた定款をもって変更することを得ざる強行的規定なること疑いを容れず。これ毎年1回と云う点は独民法の規定と相異なる所なり(独36条)。

 理事は一切の業務を処理するものなるが故に定期の通常総会以外に於いて臨時業務の状況を報告し又は総会の決議を経ることの必要なしとせず。故に理事に於いて必要と認むるときは何時にても臨時総会を招集することを得又理事に非ざる社員といえども必要と認むるときは随時その召集を請求することを得るものとす。但しもし干の同意者なきときは徒に業務の進行を妨げ煩に堪えざるべきが故に定款に別段の定なき限りは総社員の5分の1以上より会議の目的を示してこれが請求を為すことを要件とす(61条)。

第四 社員総会の招集

 総会の招集は開会の日より少なくも5日前に会議の目的たる事項を示し定款に定めたる方法に従いてこれを為すことを要す(62条)。この規定に違反せる召集は無効とす。これ畢竟各社員に調査及び考究の時間を与えかつ議題の軽重に応じて出席すべきや否やを決定せしめしが為に外ならず故にこの趣旨より言えば所謂5日前に為すべき召集は受信主義に依るべきが如しといえども召集は法律行為に関する意思表示に非ざるが故に第97条第1項の規定に依ることを得ず。惟うに法律には「召集を為す」と曰い多数の人に開会の事実を通知せしむる規定に過ぎざるが故に単に召集の手続きを為すことを命じたるものと解すべきが如し。即ち書状又は新聞広告等に依り右期日内に召集の事を発表するをもって足れりとすべし。但し5日前と云う如き期間をもっては遠隔の地に在る社員に対して告知の目的を達する能ざること往々これあるべきが故に立法問題としては短期に失するものとす(商156条参照)。この欠点は定款又は理事の裁量に依りてこれを矯正するの外なし。ドイツ民法に於いてこの点に付き何等の規定をも設けざるはけだし各場合の便宜に委する趣意なるべし。

 召集の要件として各社員に告知すべき会議の目的たる事項とは会議に於いて決議すべき題目を謂うものなり。而してこれを表示するには一定の標準なきが故に各場合に於いて世間一般の見解に基きこれを決定するの外なかるべし。唯決議すべき事項と決議の為め承知することを要する事項とを混同すべからず。決議の準備事項としては財産目録その他の材料あり。逐一これを告知することを要せずこれに一例を示さば「事務所に充用すべき建物購入の件」とあれば即ち決議事項を示したるものと見るべく更にその建物の所在,構造及び代価等を示すことを必要とせざるべし。この問題は株式会社総会の目的及び決議事項の表示法に付き頻繁に生じたるものにして全く同一の原則に依り決すべきものとす(商156条2項)。然るに従来の判例に於いて反対の見解を確執せることあるは意外とする所なり(35年7月8日及び37年5月2日大審院判決)。

第五 社員総会の権限

 総会は社団法人の構成者たる社員の共同意思を表明する最高機関なるが故に法人の業務執行に関しては最も広汎なる権限を有するものとす。即ち社団法人の事務は定款をもって理事其の他の役員(特設の議事機関の如きを謂う)に委任したるものを除く外凡て総会の決議に依りてこれを行う(63条,独32条1項)。故にその決議は法人の内部関係に於いては理事その他の役員及び総社員を拘束する効力を有す。また定款の変更及び法人の解散の如き重要事項は必ず総会の決議に依るべきものとす。但し総会といえども定款の拘束を受くることは言うを俟たず。従って適法に定款を変更せざる間はその規定に違反せざる範囲内に於いてのみ議決権を有すること先に述べたる如し。

第六 社員総会の決議事項

 総会に於いて決することを得べき事項は予めこれを社員に告知することを必要としたる結果としてそれ以外の事項に付き決議を為すもその効力なきこと当然なりとす。然りといえども法人の目的たる事業の性質又は社員相互の関係等に依りては各社員に通知したる以外の事項に付いてもまた決議を為すことを得るの便利なる場合なしとせず。故に民法は定款に別段の定めある場合に於いては右の原則に従わざることを得るものとせり(64条)。

第七 社員総会の決議方法

 民法には総会の決議法を定めずといえども第65条の規定より推断するときは行使せられたる表決権の過半数をもってすべきものと解すべし(商161条1項,独32条1項参照)。但し定款の変更及び解散の決議は定款に別段の定めなき限り特別の決議法に依るべきものとす(38条,69条)。また定足数に付いても何等の規定なきが故に少数の社員出席するも総会の成立に妨げなきものと解すべきなり。

 公益法人は社員の出資の多寡に依りてその表決権に差等を設くべきに非ず。故に社員の表決権は平等なるものとす(65条1項)。即ち各自1票を有する者と解すべし。これ株式会社における株主総会の決議法とその原則を異にする所なり(商162条)。但しこの規定は強行法に非ずして定款に於いて別段の定めを為すことを妨げず(65条3項)。唯定款をもって一部の社員に全く表決権なきものとするを得ざることは前に述べたる如し。

 社員は公務,疾病その他の事由に因り総会に出席する能わざることなしとせず。この場合に於いては書面又は代理人に依りて表決を為すことを得(65条2項,商161条3項,独32条2項参照)。これ殊に民法上の法人に在りては至当の規定と謂うべきなり。但しこの規定もまた強行法に非ずして定款に別段の定めを為すことを妨げず(同条3項)。

 社団法人とある社員との関係に付き議決を為すべき場合に於いてはその社員は表決権を有せず(66条,独34条)。例えば理事を解任すべきや又はある社員に対して訴訟を提起すべきや等の問題を決定せんとする場合の如きこれなり。これ畢竟偏頗なる表決又は失当なる嫌疑の発生を妨ぎもって議決の公正を保たんが為に外ならず。

第7節 法人の監督

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 公益法人の設立を許可したる主務官庁は行政上より法人の業務を監督しもってその目的に背馳することなからしむる必要あり。けだし法人には監事なる監督機関なきに非ずといえどもその目的たるや法人の為に理事の職務執行を監督するに在りて法人全体の業務に対する公益上の監督に非ず。かつそれ監事は必ずしもこれを置くことを要せざるのみならず縦令これを置くもその監督或いは寛に失し職責を全うせざることなしとせず。甚だしきに至りては理事と通謀して不正の所業を為すことなきを保せず。これが為に法人をしてその目的たる事業を完成することを得せしめざる虞あり。これ公益法人に対しては主務官庁の最高監督を必要とする所以なり。

 主務官庁の監督権は主として何時にても職権をもって法人の業務並びにその財産の状況を検査すること(67条)及び設立の認可を取消すこと(71条)の両方法に依り行わるるものとす。而してこの設立許可の取消は最後の手段にして法人解散の原由と為るものなり。

 法人の業務は公益に関するをもってその執行中に在りては行政官庁の監督を受くること当然なるも法人にして一旦解散したるときは最早行政監督を継続する必要を存せずその残務に対しては主として私権の保護を必要とするが故に解散及び清算は裁判所の監督に属するものとし裁判所はその監督に必要なる検査を為すことを得るものとす(82条)。

第8節 法人の変更

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 法人の組織は法令の規定及び定款又は寄付行為に依りて定まる。定款及び寄付行為は法人の基本規定にして強行的法規に違反せざる限度に於いてその組織及び行動に関する諸般の事項を定むることを得。然るに業務の状況その他の事由に因り一旦定めたる事項に変更を加うるの必要を生ずることあり。この場合に於いては厳格なる条件の下に定款又は寄付行為を変更することを得せしめざるべからず。法人組織の変更は即ちこの場合に於いてのみ生ずるものとす。

 社団法人における社員の入社,退社その他社員に付き生じたる変更は法人組織の実質に変更を来すべきも法人その者の変更を生ずるものに非ず。唯社員に生じたる変更に因りて法人存続の要件を欠くに至りたる場合に於いて法人解散の原由と為るのみ。例えば死亡その他の事由に因りて全社員の欠亡せる場合の如し(68条2項)。然りといえどもかくの如きは社員に生じたる変更が直接に法人の存在を妨害せるものと解すべきに非ざるなり。

第1款 定款の変更
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 定款は社団法人の基本規定にして設立者一同の合意より成るものなるが故にこれを変更するにもまた総社員の同意を必要とすべきが如しといえども業務の状況その他の事情に由り定款の条項を変更するの必要ある場合に於いて常に総社員の一致を要するものとせばその目的を達すること容易ならずして実際上不便少なからざるべし。故に民法は総会の決議に依りて定款の変更を為すことを得るものとせり。唯定款の変更は重要事項なるが故に特にその手続きを厳重にし定款に別段の定めなき限りは総社員の4分の3以上の同意あることを必要とす(38条1項)。なお定款の変更は社団法人の本質及び法律の強行的規定に反すべからざること言うを俟たず。

 ここに所謂「4分の3以上」とは法文に明示する如く総社員の4分の3以上を謂うものにして出席者の数より割出すべきものに非ざること疑いを存せず。即ち出席者の数は問う所に非ず。またかくするも不便なきものと認められたる所以は公益法人に於ける表決権行使の方法寛大なるが故なるべし(65条2項)。但しこれに言う多数決の数は定款をもってこれを変更し或いは総社員の同意を要するものとし或いは総社員または出席者の過半数をもって足れりとすることを妨げず。なお法文には単に「総社員の4分の3以上の同意」とあるも社員総会の決議を要すること疑いを容れず。けだし総会は適法に総社員の意思を発表する唯一の機関なればなり。

 定款の変更とは総て定款に掲げたる規定を変更することを謂う。その実質上の変更たると文字上の変更たるとを問わず又従来の規定と相容れざる条項を設くることに限らずその規定の不備を補足し又は単に意義を明らかにする如きも総てこれを包含するものとす。唯法人の目的の変更は法人の生命を一変する重要事項なるが故に普通の定款変更と趣を異にし一旦解散の手続きを為さざるまでも総社員の同意を必要とする理由なきに非ず。(独33条1項,瑞74条)。然りといえども我が民法には別段の規定なきが故に通説はこれを他の定款変更と同視し上述せる手続きに依りてこれを行うことを得るものと為す如し(平沼氏325頁,松岡氏312頁,中島氏253頁,三潴氏178頁)。定款中に定款を変更せずとの規定ある場合に付いても同一の見解なきに非ずといえども(三潴氏179頁)果して至当なるや大いに疑いなき能わず。

 定款の変更は右に示す総会の特別決議に依る外主務官庁の認可を受くるに非ざればその効力を生ぜず(38条2項)。けだし定款は設立許可の憑拠たりし以上はこれを変更するに付いてもまた同一の手続きを履むべきは行政監督の必要上当然の事なればなり。

第2款 寄付行為の変更
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 民法には寄付行為の変更に付き規定する所なし。故に一旦寄付行為をもって定めたる事項はこれを変更することを得ざるを原則とす。けだし財団法人には社員総会の如き設立者と法人との関係を継続すべき最高機関なきが故に当初設立者の定めたる寄付行為をもって永く法人の基本規定たらしむることを要すればなり(梅氏1巻92頁,松本氏307頁,中島氏260頁参照)。

 寄付行為の変更は財団法人の設立者が寄付行為をもってその方法を定めたる場合に於いてのみこれを為すことを得。例えば重要なる事項の変更は評議員の決議によるべきものとしそれ以外の事項はこれを理事に一任する如きこれなり。要するにこの問題は結局寄付行為の解釈如何に帰着することにしてその解釈は努めて実際の便宜を参酌することを要す。主務官庁においても当初寄付行為の内容を調査するに当たり不備の点ありと認むるときは設立者に相当の注意を為すべきなり。なお寄付行為の変更は定款の変更に準じ主務官庁の許可を受くべきこと当然なりとす(平沼氏326頁,松岡氏312頁)。

第9節 法人の解散

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 自然人に生,存,亡の3時期あるに同じく法人もまた同一の時期を経過するものとす。而してその生,存の両期に関する法理は以上述べたる如し。故に今これには法人の死亡と見るべき解散及びその善後処分たる清算に関する法規を説明せんとす。

第1款 解散の原由
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 法人解散の原由6つあり(68条)。或いは設立者又は社員の意思に基き(同条1項1号,2項1号)或いは法人の性質又は業況に基き(同条1項2号3号,2項2号)或いは又国家の監督権に基づくものとす(同条1項4号)。左にその各目に付き略述せんとす。

(一) 款又は寄付行為をもって定めたる解散事由の発生 これに所謂解散事由の発生とは例えば一定の存続期間の満了又は解散の繋がれる条件の成就する如きを謂う。この原由に関しては別に説明を要することなし。

(二) 法人の目的たる事業の成功又はその成功の不能 法人は一定の事業を目的とするものなるが故にその目的たる事業にして成功したるか又は法令の改正その他の事由に因りて成功不能と為りたるときは最早法人を存続せしむる謂れなきをもってその解散を来すべきときは当然なりとす。

(三) 破産 法人にしてその債務を完済する資力なきこと確実なるに至りたるときはこれを破産者としてその無資力の現状を明らかにしもって利害関係人殊に債権者の為成るべく公平にその財産の処分を為すの必要あり。故にこの場合に於いて裁判所は理事若しくは債権者の請求に因り又は職権をもって破産の宣告を為すべきものとし尚理事はその職務として破産宣告の請求を為すことを要するものとす(70条,84条5号)。事ここに至らば法人は已にその事業を継続すること能わざるが故に当然解散するものとしたるなり。破産宣告の手続き及び効力は破産法の説明に譲らんとす。

(四) 設立許可の取消 主務官庁は公益上の理由に基き法人の設立を許可したるものなるが故に法人にしてその目的以外の事業を為し又は設立許可の条件に違反しその他公益を害すべき行為を為したるときは行政上の監督権をもって一旦与えたる許可を取消すことを得(71条)。従って法人はこの場合に於いて当然解散すべきこと言を俟たざるなり。

(五) 総会の決議 社団法人は最初社員と為るべき者の意思をもって設立したるものなるが故に又社員の意思をもってこれを解散することを得べきは当然とす。而してその設立にして設立者一同の同意に成れるものとする以上はこれを解散するにもまた総社員の同意を必要とすべきが如しといえどもかくては最少数の社員が私利の為妄に不同意を表する一事をもって正当の理由あるにも拘わらず遂に解散を為すに途なかるべし。縦令然らざるも現に社員の大多数が解散を望むに強いてその事業を継続せしむる如きは実際頗る困難なるべし。故に法律は主務官庁の許可を要することなく社員総会に於いて解散の決議を為すことを得るものとしたるなり。唯その事項たるや極めて重大なるに由り定款変更の場合に同じく定款に別段の定めなき限りは総社員の4分の3以上の承諾あることを必要とす(69条,独41条)。

(六) 社員の欠亡 ここに所謂社員の欠亡とは死亡その他の事由に因りて社員一人も存在せざるに至ることを謂う。これ前述総会の決議と共に社団法人に付いてのみ生ずべき解散の原由なりとす。而してこの解散の原由に関しては立法例及び学説区々に分れ或いは社員その人に重きを置くローマ法以来の観念に基き一人欠亡するも直に解散するものと為すあり。仏民法及び我旧民法の如きは民事会社に付きこの主義を採用せり(取144条5号,仏186条3号,5号)。或いは一定の員数に減ずることを要件と為すあり。例えば独民法には社員の数3人以内に減少したる場合に於いて裁判所の宣告に依り人格を失うものとする如きこれなり(独73条)。或いは一人に減じたる場合に限るものと為すあり(商74条5号)。或いは又全員欠亡するも尚解散せざるものと為す例もこれなしとせず。スイス新民法に於いて解散の原因を指定するに当たり何等この種の事由を掲げざるはその一例と見るべきが如し(瑞76条乃至78条)。

前記の諸法制中に於いてフランス法系の主義は今日の実際に適合せず。唯社員一人に減じたる場合に社団法人を存続せしめざる主義はその法人の性質上より考え大いに理由なきに非ずといえども法人の設立とその存在とは自ら別問題にして必ずしもその条件を一にすることを要せず。法人にして一旦存立する以上は各社員と相離れて独立の人格を有するものなるに由り縦令その設立には二人以上の社員を要するもその存続には必ずしもこれを緊要とせず。社員逓次に減少して僅かに一人を余するに至るも法人の目的たる事業の成功に妨げなき限りはこれを解散せしむるは無盆に公益事業を頽廃せしむるに過ぎず。然りといえども全員欠亡するに至るも尚法人を存続せしむる如きは社団法人の性質に悖戻すること甚だしく已に法人の意思とみなすべきものなきは勿論設立者の意思にも反するものとす。これ民法に於いて全社員の欠亡をもって解散の原由と定めたる所以なり。但し定款をもって一定の員数に減少したる場合に解散すべきものと定むるは固より妨げざる所にしてこの場合は即ち先に示したる解散事由の発生に外ならざるなり。

民法には社員の欠亡を来す原由を示さずといえどもその所謂欠亡は主として退社又は死亡に因るものと解すべし。但し定款をもって如何なる程度にまで社員の退社権を制限することを得るやは一の問題なりとす。また民法上の社団法人に在りては社員権は定款に別段の定めなき限りはこれを他人に譲渡し又は相続することを得ざるものと解すべきが如し(282頁)。惟うにこれ等の要点に関し何等規定なきは一の欠点と謂うべきや(独38条乃至40条参照)。

 以上列挙せる6種の原由は制限的に定められたるものにして定款又は寄付行為をもって特に定めたるものを除く外他の事由に因りて解散することなきものとす。例えば財団法人にして全く財産なきに至るもその事業を続行するに妨げなき以上はこれが為に当然解散するものに非ざるなり。

第2款 残余財産の帰属
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 法人は自然人と異なりて相続人を有せざるが故に解散の場合に於いてその財産は純理上主体なきものと為るべし。然るにこの如きは法人設立者の意思に反しかつ公益事業を廃絶せしむるに至るや明なり。これに於いて民法は主として設立者の意思に基きかつ成るべく公益事業に続用する目的をもって左の順位に財産の帰属者を定めたり(72条,ドイツ45条,46条,88条)。

(一) 解散したる法人の財産は定款又は寄付行為をもって指定したる人に帰属す(72条1項)。これけだし設立者の意思を貫徹せしむると同時に公益事業を奨励するに最も適当なる方法なればなり。この点に於いては諸国の法制皆一致するものとす。定款又は寄付行為をもって理事又は総会に帰属権利用者の選定を一任する如きもまたその効力あること勿論なるべし。

(二) 定款又は寄付行為をもって帰属権利者を指定せず。またはこれを指定する方法を定めざりし場合に関しては諸国の立法例その揆を一にせず。或いは設立者又はその相続人に帰属すべきものとするあり。或いは国庫又は市町村の収入と為す。法制少なしとせず。然るに第1の方法は多数の場合に於いて設立者の意思に反しかつ公益を目的とする法人の財産を処分するに適せざること明なり。また第2の方法は一定の目的を有せし法人の財産をもって一般公共の用途に供する点に於いて設立者の意思に協わざるものと謂うべし。最も適当なる処分法は解散せる法人の目的と同一又は類似の事業に用うるに在りとす。而してこの目的を達するためには用途指定の財産として国庫に没入するものと為す。立法例なきに非ずといえども我が民法は簡便を旨としこの法制を採用せず。理事は主務官庁の許可を得かつ社団法人に在りては総会の決議を経て類似の目的に処分することを得るものとせり(同条2項)。この処分をもって理事の専断に任ねざる所以はけだし如何なる事業が果たして類似の目的を有するものなるやを判断すること往々困難なる場合あるが故に外ならざるなり。

(三)  前記の両方法に依りて処分せられざる財産は国庫に帰属す(同条3項)。これ当然の結果と謂うべし。而して法律はこの場合においても便宜上その財産の用途を指定せざるが故に国庫は如何なる目的にこれを充用するも妨げなきなり。

 以上列挙せる各個の場合に於いて帰属権利者は何れの時に残余財産を取得するやに付き多少の疑義なきことを得ず。或いは残余財産あること確定したる瞬時にこれを取得するものと為す説あるも(中島氏332頁以下)残余財産の帰属は相続と同一視すべきに非ず。法人は生産の結了するまで存続するものと看做さるるが故にその財産は依然法人に属し帰属権利者はその引渡しを求むる債権を有するに過ぎず。清算の最終行為としてその引渡しあるに因り始めて帰属権利者に移転するものと為すこと妥当なるべし(78条,松岡氏327頁,三潴氏227頁)。

第3款 清算
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 法人は解散に因りて人格を失うに至るといえどもその残務として解散前に発生したる法律関係を始末する必要あり。即ち主として債権を実行し債務を弁済しかつ残余財産を帰属権利者に交付することこれなり。個の手続を称して清算と謂いその任に当たる者を名けて清算人と謂う。清算は法人解散の結果として必ず開始せらるべき事務なりとす。

 清算の目的を達するには解散したる法人といえどもその目的の範囲内に於いては尚存続するものとみなす必要あり。然らざれば債権者の如きは突然法律の保護を失うことと為り最初より独立の人権を認めたる趣旨を貫徹することを得ざるなり。縦令清算人を置きもって法人の残務を処理せしむるも清算人は最早その代表者と見るべきに非ざるが故に債務の弁済,訴訟の提起等総て清算人の住所に於いてこれを為さざることを得ず。また監事及び総会をして清算を監督することを得ざらしむる等数多の不便あり。故に民法は便宜上近世の立法例に倣い解散したる法人といえども清算の目的の範囲内に於いてはその事務の結了に至るまで尚存続するものと看做せり(73条,商84条,105条,234条,独49条2項)。即ち清算事務を行うに必要なる限度に於いては清算人は法人の代表機関たることは勿論その他の点においても法人は解散せざりしものと見るべきなり。

 商事会社に在りては清算人は特にこれを選定することを常とするも公益法人に在りてはこの方法に依ることの不便なる場合多しとす。殊に財団法人に在りては最も困難なるべし。故に民法は原則として理事直に清算人と為るものとせり。但しこの規定は強行法に非ず。定款若しくは寄付行為をもって別段の定めを為し又は総会の決議をもって理事以外の者を選任することは固より妨げざる所なり。また法人が破産に因りて解散したる場合には破産管財人を置くべきが故にこの場合においても清算人を定むる必要なきものとす(74条,商87条乃至89条,105条,226条,234条,独48条1項)。

 清算人の選任に付き定款又は寄付行為に別段の定めなき場合に於いて理事の死亡若しくは解任等に因り清算人と為る者なきとき又は中途にその欠員を生じたる為損害を生ずる虞あるときは特に清算人を選任する必要あり。この場合に於いては裁判所は利害関係人若しくは検事の請求に因り又は職権をもって清算人を選任することを得るものとす(75条)。また清算人は容易にこれを更迭せしむべきに非ずといえどもその職務を昿廃する如き重要なる事由ある場合に於いてはこれを解任するの必要なること言うを俟たず。故にかかる場合に於いては裁判所は右に示したる者の請求に因りてこれを解任し更にその後任者を選定することを得(76条)。

 清算人の職務は清算に着手する前の職務,清算中の職務及び清算後の職務にこれを区別することを得。

 清算人は清算事務の為に置かれたる法人の代表者なるが故に法人と契約取引を為さんと欲する者はその何人なること及び如何なる事由に因りて法人の解散したることを詳知するに付き正当の利益を有すること言うを俟たず。主務官庁もまたその最高監督者たりし故をもってこれ等の事項を知るの必要あり。故に清算人は清算前の職務として解散後1週間内にその氏名,住所及び解散の原因,年月日の登記を為しかつ何れの場合においてもこれを主務官庁に届出づることを要す。但し破産の場合に於いては破産法の規定に依りて破産の宣告を公示すべきが故にこの手続を履行する必要なきものとす。また清算人に更迭ありたる場合に於いて清算中に就任したる者も就職後同一の期間内にその氏名,住所の登記を為しかつこれを主務官庁に届出づることを必要とす(77条,84条1項,商90条,105条,234条,独78条2項)。

 清算人の主たる職務は清算そのものに関する事務を行うに在り。その事務は(一)現務の結了即ち既に着手したる事務を終了すること(二)債権の取立及び債務の弁済(三)残余財産の引渡即ち債務を引去りたる後残余財産あるときはこれを帰属権利者に引渡すことなりとす。而して清算人はこれ等の職務を行う為に必要なる一切の行為を為す権限を有するものとす。例えば現務の終了又は債務の弁済に必要なる範囲内に於いて財産を売却する如きこれなり。また必要と認むるときは社員総会を招集することを得べし。要するに清算の目的の範囲内に於いては理事と同一の権限を有するものにして第103条に規定せる権限の定めなき代理人と見るべきに非ざるなり(78条,商91条,105条,234条,独48条2項,49条1項)。

 前記清算人の職務中に於いて債務の弁済をなすことに付いては一定の手続を踏まざることを得ず。けだし法人清算の場合に於いてはあたかも破産又は相続の限定承認の場合に於ける如く現在の財産をもって成るべく公平に総債権者をして弁済を受けしむる方法を採らざるべからず。然るに法人の債務には種々あり。逐一帳簿に明示せるものに非ざるが故に知られざる債権者を発見しかつ相当の期間内に清算を結了することを計らざるべからず。法律は即ちこの目的をもって清算人に命ずるにその就職の日より2ヶ月内に3回以上の公告をもって債権者に対し一定の期間内にその請求の申出を為すべき旨を催告することをもってしその期間は第一回の公告より起算し2ヶ月を下ることを得ざるものとせり。而して毎回の公告には債権者が期間内に申出を為さざるときはその債権は清算より除斥せらるべき旨を付記することを必要とす。但しこの公告は債権者を探知するため已むを得ざる出たる方法なるが故に知られたる債権者の権利に影響することあるべからず。その債権者には各別に一回その申出を催告することを要すといえどもこれ唯請求の申出を為す機会を与えかつ清算人をしてその債権の原因及び数額等を確知することの便を得せしめんが為に外ならず。故に縦令期間内に申出を為さざるもこれを除斥することを得ざるものと解すべきなり(79条,84条6号,独50条,52条)。

 清算人は上記の公告期間内に於いては一部の債権者に弁済を為すことを得ざるものとするか又は少なくも弁済を拒むことを得るものとするに非ざれば立法の目的を貫徹すること能わざるべし。然りといえども現にその規定なき以上は破産の場合と相違なりて公告期間内に在る一事をもって弁済を拒むことを得ざるものと解すべきが如し(反対-42年3月27日東京地方裁判所判決)。これ立法の本旨に適合することを疑うも解釈上かく決するの外なきなり。惟うに立法論としては清算人は期間の満了前に弁済を開始することを得ざるものと為すこと至当なるべし(1030条,1050条2項,旧商244条参照)。

 清算人は右の期間内に申出たる債権者及び知られたる債権者に弁済を為し尚残余財産あるときはこれを帰属権利者に引渡すべきものとす。而して期間内に申出でざる債権者はその権利を主張することを怠りたるものと看做し残余財産の引渡しを受けたる帰属権利者に対してその還付を請求することを得ず。けだし丁重なる3回以上の公告に依りその申出を促したる後なるをもってこの峻厳なる制裁あるなり。唯未だ帰属権利者に引渡さざる財産に対してのみ請求を為すことを得(80条)。ドイツ民法に於いては一層債権者を保護し解散の公告後一年間は帰属権利者に残余財産の引渡を為すことを得ざるものとせり(独52条)。

 以上述べたる催告手続は畢竟債権者同一をして公平に弁済を受けしむる趣旨に外ならずといえども法律はその弁済の順序方法等を規定せず。故に法人の財産にして一切の債務を弁済することを得べき場合に於いては敢て不当なる結果を生ずることなきももし清算中に於いて法人の財産がその債務の完済に不足なること分明なるに至りたるときは更に厳密なる手続を踏み債権者間に最も公平なる配当を為すことを計らざるべからず。故にこの場合に於いては清算人は直に清算を中止して破産宣告の請求を為しかつその旨を公告することを必要とす(81条1項,84条5号,6号)。而して破産宣告の結果として破産管財人の選任ありたる後は最早清算人を留任せしむる必要なきが故に清算人は破産管財人にその事務を引渡しこれに因りてその任務を終わりたるものとみなす(81条2項)。もしこの場合に於いて既に債権者に支払い又は誤りて帰属権利者に引渡したるものあるときは破産管財人はこれを取戻すことを得。然らざれば破産宣告の目的に違い厳正に各債権者の利益を保護すること能わざるなり(同条3項)。

 清算事務は裁判所の監督に属すること既に述べたる如し(82条,291頁)。また清算人が上述せる登記又は公告を為すことを怠りたる如き場合に於いては過料の制裁を受くるものとす(84条)。

 法人は最初主務官庁の許可に依りて存立し爾後常にその監督の下に在りたるものなるが故に清算結了して全然人格なきに至りたるときは清算人はこれを当該官庁に届出づることを必要とす(83条)。これその最後の職務なり。

第10節 外国法人

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 外国法人はある種のものを除く外人格を有せざるを原則としその人格を認められたるものといえども内国法人と同一の範囲内に於いてこれを有するものとせざるが故に(36条,商255条乃至260条)内外法人を区別する標準を定むることは民法その他の法規を適用する上に於いて緊要なる一事項なりとす。

 およそ法人の国籍を決定する標準に関しては数多くの学説あり。その主要なるものは(一)設立地主義(二)設立者国籍主義(三)準拠法主義(四)住所地主義の4つとす。前2説は近時殆ど勢力を有せず最もひろく行わるるものは後の2説にして殊に住所地説優勢なる如し。但し住所の所在地を認知する標準に付いては学説一定せず。

 この問題は従来常に営利法人即ち会社に付き論究せられ一部の学者は営業の中心点に依らんとするも現今国際私法学者は一般に本店所在地説を採るに至れり。殊に1891年ハンブルクに開かれたる国際法学会に於いて株式会社の国籍は詐欺に因らずして設定したる本店の所在地に依りて定まるものと決議したるは注意すべき事実なりとす(山田氏「外国法人論」穂積先生還暦祝賀論文集877頁以下参照)。今や商事会社には原則として官許を必要とせざるを普通の例としその設立の要件大同小異なるが故にここに所謂本店所在地主義は当事者の意思をもって左右することを得ざる事実を標準と為す点に於いて最も実際に適応するものと謂うべし。

 然りといえども今理論上より言うときは法人を設立するに付き準拠したる国法の内外に依りてその国籍を定むべきものとするを正当とす。即ち内国法に依りて成立したる法人は内国法人にして外国法に依りて成立したるものは外国法人なりとす。殊に民法上の法人を設定するには主務官庁の許可を必要としその要件を充たすと否とに依ることなるが故にこの主義に基きその国籍を定むるの当然なること疑いを容れず。唯我が民法及び商法の規定に依れば法人の設立をもって第三者に対抗するにはその主たる事務所(又は本店)の所在地に於いて設立の登記を為すことを要す(45条,商45条)。即ちその前提として日本に主たる事務所(又は本店)を有することを必要とす。故にこの点より観察するときは住所地主義を採りたる観なきに非ずといえどもこれむしろ内国法人たるには日本に住所を有することをもってその一要件と為す我が国法に準拠するの結果と謂うべきなり。なお商法第258条の規定に付いては更に論議すべき事なきに非ずといえども民法の範囲に属せざるが故に今ここにはこれを述べず(青木氏「会社法論」675頁以下参照)。

 準拠法主義は簡明なる事理に基づくものにしてこの点に於いては深く論ずるの必要を見ず。けだし人格は法律の認むる所に依り始めて存立するものなること既に再三述べたる如し。故に法人はその成立を認めたる法律と同様に他国に於いて当然成立するものに非ず。即ち内国法人たるには我が国法に於いて法人と認めたるものなることを要しこの要件を充たすには我が国法に随いてこれを設立するの必要なること言うを俟たず。殊に公益法人の如きは各国その利害に関して所見を異にしある一国に於いて有益と認むる事業も他国に在りては却て有害と目すること往々これあり。故に外国法人なるものは畢竟外国法に依りて成立するものなることを原則とすべし。内国法の認むる所に依り始めて人格を有するもこれが為に外国法人たる性質を失うものに非ざるなり。

 民法はこの理由に基き原則としては外国法人の成立を認許せず。唯国際関係殊に通商の必要上よりある種の外国法人に限りて人格を有するものとせり。而してその成立を認められたる法人は国,その行政区画,商事会社及び法律又は条約に依りて特に認許せられたるものとす(36条1項)。この例外中に実際最も必要とする外国商事会社を加えられたると外国公益法人を加えられざりし2点は特に注意を要する所なるべし。

 上記の外国法人は我が国法に於いてその成立を認許せるものなるが故にその人格の範囲もまた必ずしもその本国法に定めたると同一なることを要せず。故に民法は何れも日本に成立する同種の法人と同一の権利能力を有するものとせり。但し外国人が享有することを得ざる権利は外国法人もまたこれを享有することを得ざるは当然なりとす。例えば日本船舶の所有権又は鉱業権の如きは外国人にその享有を許さざると同一の理由に因り外国法人もまたこれを享有することを得ず。また法律若しくは条約をもってある外国法人に日本に成立する同種の法人が享有することを得ざる権利を認め或いはその法人が享有することを得べき権利中のあるものを享有せしめざる如きは固より妨げざる所なり(同条2項)。

 内国法人と外国法人とを区別する標準はその成立の基因たる国法の内外に依るべきものとする以上は法人を設立又は組織する者の国籍如何は問う所に非ず。縦令外国人に依りて設立せられたる法人といえども苟も日本の法律に依りて成立せるものなる以上は日本法人たること言うを俟たず。従って外国人又は外国法人が享有することを得ざる権利といえども総てこれを享有することを得べし。唯その法人の解散に際し残余財産を分配する場合に於いてその分配を受くべき者は外国人なるが故にこの部類の財産は現物をもってこれを分配することを得ず必ずやこれを売却して金銭に換価すべきなり。

 外国法人が日本に事務所を設くる場合に於いては日本法人と同一の登記を為すことを要す。けだし日本の法律に依りて許可せられたる外国法人といえども日本に事務所を有せざる間はその登記を強制すること難しく又これを強制する必要なきも日本に事務所を設くる場合に於いてはその外国法人は将来日本に於いて事業を営まんと欲するものと見るべきが故にこれをして登記を為さしめもってその法人の目的及び組織等を公示せしむる必要あり。然らざれば世間一般の者は安全にこれと諸般の取引を為すことを得ざるなり。故にこの場合に於いては登記を為すことを必要としその登記事項,期間及び制裁等に関しては総て内国法人を主眼として定めたる規定を適用すべきものとせり。但し外国に於いて生じたる事項(例えば資本の増滅又は理事の更迭の如き)はその通知の日本に到達するまではこれを知るに由なきが故にその到達の時より登記期間を起算すべきものとす(49条1項)。

 また外国法人が始めて日本に事務所を設けたる場合に於いては内国法人設立の場合と相異なる所なきが故にこの場合に於いては登記の義務に対する制裁を同一にし新たに設けたる事務所の所在地に於いてその手続を履行するまでは何人といえども法人の成立を否定することを得るものとせり(同条2項)。これその法人と取引を為さんとする者を保護しこれをして不測の損害を被ることなからしむる趣意に外ならず故に縦令この手続を怠るも法人は設立せざるに非ず。他人よりこれに対してその成立を主張することは固より妨げざる所なり。

 以上述べたる登記に関する規定は外国商事会社よりも主として法律又は条約に依りて認められたる外国公益法人にその適用あるものと解すべし(但しその実例は未だこれあることを知らず)。外国商事会社に関しては前示商法第255条乃至第260条の規定あり。また商法施行前より存在するものに付いては商法施行法第92条及び明治32年6月15日勅令第272号並びに第273号を見るべし。

第4編 私権の目的

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第1章 汎論

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 およそ権利にはその主体の外に一定の目的(objet)なかるべからず。これに所謂「権利の目的」とは法律に依りて保護せらるる利益を謂う。権利は一定の生活資料に対する利益を充たすことを得る法律上の力に外ならずこの利益を称して即ち権利の目的と謂うなり(52頁,松本氏44頁参照)。故にこの意義に於ける権利の目的はその主体と共に一般権利の要素を為すものとす。これここに「権利の主体」と題せる編に次き本編を設くる所以なり。

 従来「権利の目的」又は「権利の客体」なる語の意義に付いては学者各所見を異にせり。普通の見解に依れば権利の目的とは法律に保護する利益に非ずしてその利益を充たす要具たる生活資料を謂うものとす。例えば建物の所有権に付きその目的如何と言えば即ちその建物なる如し(平沼氏344頁以下,川名氏246頁以下,三潴氏233頁以下)。故にこれを「権利の物体」と称する説もあり(岡松氏「民法総則」116頁)。民法においても「権利の目的」なる語をこの意義に用いたる条文あるが故に文字論としては必ずしも不当の見解と謂うべからず。然りといえども今ここに一般権利の一大要素として所謂目的なるものはその内容の全部を謂うものと解せざるべからず。前例の如き場合に於いて単に建物と謂うのみをもっては殆ど無意義にして権利主体とその建物との関係を知ることを得ず。一般的にその建物を支配又は利用し得ることをもって所有権に依りて享受する利益と解すべく建物はその内容の一部たるに過ぎずしてその上には同時に他の権利の存在することもこれあるなり。要するにこの意義における「権利の目的」とは畢竟法律の力に依りて充実することを得る利益を謂うものとす。但しその利益を充たす要具たる生活資料(物の如き)といえども決して度外視すべきには非ず。法律の規定を要するはむしろこれに関するもの多きが故に民法にも物に関しては第85条以下の規定あり。余輩従来一を目的と称し他の一を目的物と曰い来れり。次章以下に説明する所もまた物に関する原則なりとす。

 今ここに主要なる財産権たる物権及び債権に付き上記の趣旨及び民法の文例を説明せんに先つ債権関係に在りては債務者は引渡又は保管の如き物に関する給付を為すべき場合多しといえども物に関せざる行為又は不行為の義務を負う場合もまた少なしとせず。この場合に於いては債務者に対して要求することを得べきものは一定の行為又は不行為に外ならずこれに於いて仏国学者の多数は債務の目的をもって物又は行為なりとせり。然るにこの見解の誤れることは多言うを俟たず。けだし物に関する債務に在りても債務者はその引渡を為す如き。畢竟一の行為を給付すべきものにして物に関せざる債務に於けるすこしも相異なる所なきなり。物に関する債務はその物をもって目的とし物に関せざる債務は債務者の行為をもってその目的とする如きは論理に反する見解と謂うべし。故に債権の目的は如何なる場合においても必ず債務者の格段なる行為又は不行為に帰着するものと解すべきなり。民法においてもこの意義に債権の目的を解したる条文なきに非ず(400条,483条等)。然りといえどもその用例は一定せるに非ずして直接に債務者より給付として受くべき物をもって債権の目的又は目的物と称する条項もまた少なしとせず(401条,402条,422条等)。これ畢竟その物に関して規定を要することあるより便宜上これを呼ぶに目的又は目的物なる語をもってしたるものに外ならざるなり。

 物権に関しては多少の議論あり。けだし物権の目的如何は物権の本質に関する学説に依りて相異なる所なきを得ず。物権とは直接に物を支配する権利にして一般の人に於いてこれを妨害することを得ざるは唯その効果に過ぎずとする議論は何れも物をもってその目的と為す。これと相異なりて物権の本質は絶対権なりとする者は一般の人の消極的行為をもってその目的と為す如し。この両説の当否を論ずることはこれを次巻に譲ることとし所謂目的なる語に関する我が民法の用例は第一の見解に該当するものとす(179条,343条,356条等)。而してその物権の目的と為りたる物を指示せんとするときは前述債権の場合に於ける如くこれを目的物と称せり(304条,344条等)。但し民法に於いて物とは有体物のみを謂うものとせる。結果として物権の目的物は有体物に限ることを原則とするもこの観念は終始これを一貫せず実際の必要上より無体物たる権利もまたその目的と為ることを認めたる場合少なしとせず(179条,205条,264条,306条,362条乃至368条,369条2項)。これ債権関係の場合に同じくその物又は権利に付き数多くの規定を設くる必要ある為これに一定の名称を付することを便利としたるものと解すべきなり。

 要するに民法に於いて権利の目的とは或いは物又は権利を謂い或いは行為を意義しその用例区々一定せずといえどもこれにはひろく権利主体が一定の生活資料に付き有する法律利益を謂うものとす。例えばここに地上権の目的如何と言えば即ち他人の土地に於いて工作物又は竹木を所有する為安全にその土地を使用することを謂い又買主の債権の目的如何と言えば買主をして一定の代金を支払わしむることを謂うものなり。これ等の場合に於いて土地又は支払を為す行為を目的と称することを得ざると同一なり。この2者をを連結したるもの即ち権利の目的なりと解すべし。

 然りといえども法典は実用を主旨とするが故にその規定する事項及び用語の如きは必ずしもこれに論述する所と一致することを要せず。即ち物そのものは正確なる意義に於いて権利の目的と称すべきに非ずといえども物権は勿論債権に付いてもその目的の一部と見るべき場合最も多く従ってこれに関し種々の規定を設くる必要あるが故に便宜上これを目的又は目的物と称したるなり。而してこれある一種の権利に付いてのみ生ずる事項に非ず。少なくも物権及び債権に共通のものなるが故に民法の総則中にこれが規定を置かれたるものなり。一説に物は多数の場合に於いて債権の間接の目的なりとするはけだし同様の観念に基づくものなるべし。

 目的なる語は時としては権利そのものに付着せずして権利の発源に繋がることあり。即ち法律行為の目的又は契約の目的と謂う如きこれなり(90条,534条,551条,552条等)。而してこの場合においても直接にその内容の一部と為る有体物を指すときはこれを目的物と称せり(535条1項,566条1項等)。この意義に於ける目的物は前に述べたる権利の目的物と相異なる所なしといえども法律行為の目的と権利の目的とは全く同一なるに非ず。例えば債権関係に付いて言えば契約の目的はある債権を発生せしむるに在り。而してその債権にもまたその目的と為るものあることは既に述べたるが如し。但し外国においても立法上の用例は常に一定せるに非ず(フランス1126条乃至1130条)。これその区別の実益殆どこれなければなり。けだし権利の目的の一部と見るべきものにして法律上の要格を具えざるときはその給付を目的とする債権は固より発生することなく又債権の発生を目的とする法律行為も成立することなきは言を俟たざるなり。

 この他民法に於いて目的なる語は法律行為の当事者が達せんと欲したる目的の意義にこれを用いたる条項あり(542条,566条)。この場合に於ける目的は術語としての意義を有するものに非ず。故に法文にも契約の目的と言わずして「契約を為したる目的」と言いもって前項に述べたる場合との差別を明らかにせり。

第2章 物

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第1節 物の意義

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 以上説明したる如く物は数多くの場合に於いて権利の目的の一要部を為すが故にその性質及び状態は権利の存否又は得喪上に重大なる関係を有するものとす。故にここにこの語の意義及びこれに関する民法の原則を示す必要あるなり。

 およそ物なる語には広義2義あり。世俗普通の見解に依れば物とは有形と無形とを問わず一切の事物を謂うものとする如し。ローマ法においても有体物,無体物の区別を認めたること明なり。然りといえどもこれ有体物と所有権とを同一視したるものにしてその所謂無体物とは所有権以外の財産権を意義せるものに外ならず近世の観念に於ける物の区別と見るべきに非ざるなり。後世の学者往々にしてこの区別を敷術し無体物なる名称の下に一切の権利をもって物の一種と為すに至りたるは権利とその目的物とを混同せる謬見と謂わざるべからず。殊に我旧民法に於いてはその所謂物とは無体物即ち各種の財産権を包含するものとせる結果として一切の物権及び債権は所有権の目的たることを得るものとし例えば地上権又は債権を有すと言えばその所有権を有するに外ならずとせり(財6条,30条1項,取24条1項及草案注釈書参照)。然るにこの見解の如きは一般権利の種別殊に財産権の一大分類とせる物権と債権との区別(財1条)をして紛淆錯雑せしめ遂にこれを識別する標準なきに至らしむるものと謂うべし。

 新民法に於いては上記の用例を改め物とは専ら有体物即ち一定の空間を占むる物体を謂うものとせり(85条,独90条)。故に権利,名誉,信用又は行為の如きは物と称せず。各これを呼ぶにその特有の名称をもってすべきなり。これ主として立法上の便宜に出たることなるもこの改正の結果として所謂物権とは有体物を目的とする権利と見るに至れり。然るに今学理上より考うるにこの点に於いては大いに疑いなき能わず。けだし債権と相対して財産権の一大部類たるべき権利を解することこの如くなるは狭隘に失するものと謂わざるべからず。現に民法に於いて準占有,権利質その他数多くの変例を認めざることを得ざりしをもってもこれを知るべし(322頁)。惟うにこれ物権の観念及びその名称の当否と共に私法一般の分類法に関係を有する一大問題にして今後尚研究を尽すべきものたることを信ずるなり。

第2節 物の適格

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 およそ宇宙間に一の空位を占むる物体は一として物に非ざるはなし。必ずしも定形を有することを要せず。例えば瓦かくの如きは一の物なること疑いを存せず。然りといえども旧民法の如くに総て吾人の感官に触るるものを有体物と為すは誤れり(財6条2項)。例えば薫香,音響,暖気又は電気の如きは物と見るべきに非ざるなり。但し電気は現今に至りては物と一様にその専用権を保護するの必要なること論を俟たず。これ特別法の問題なり(刑245条参照)。

 法律上財産権の目的たることを得べき物は第一に吾人の支配力の範囲に属するものなることを要す。例えば日月星辰の如き吾人の権力に服従せしむることを得ざる物は物理上一の物なるも法律上の物即ち権利の目的たるを得べき物に非ざること言うを俟たず。

 ローマ法に於いては私権又は取引の目的物と為すことを得ると否とに依りて物を融通物,不融通物の二種に区別せり。近世に在りても尚一般にこの区別を襲用するといえども絶対的に不融通なる物は殆どこれを認めざることと為れり。彼の何人も占有することを得ざる公共物(例えば空気,光線又は海水の如き)は性質上の不融通物なることに付きかつて異論あるを聞かず。但し公共物といえどもその一部を分取してこれを占有することは固より妨げざる所なり。生存者の身体もまた一種の不融通物なる如きもむしろ権利主体の組成分として法律上物に非ずと見るを至当とす。屍体に至りては議論なきに非ずといえどもこれまたその目的(埋葬)の範囲内に於いては不融通物の部類に属するものと見るべし。これに反して学術研究等の為にその一部分をもって財産権の目的と為すことはこれを妨げず。屍体と共に埋葬せる物に付いても一定の説なし。多数の学者はこれを相続人の所有物と為す如きもむしろ先占の目的物と為ることを得ざる一種の無主物と見ること妥当なるべし。

 不融通物には公益上の理由に基づくものあり。通常これを分かちて公有物及び禁制物の2種とす。広義に於ける公有物とは国家又は公共団体の所有に属する物を謂う。その中に於いて公共の目的に供せらるる物(狭義に於ける公有物)はその性質を失わざる間一種の不融通物と為り妄にこれを私人の所有に移すことを得ず。公有物は更にこれを公衆の使用に供せらるる物(公用物)とそれ以外の物とに区別することを得。

 公用物の性質に付いても多少の議論なきに非ず。厳格なる意義に於ける公用物とは法令の規定に依りて公衆の利用に供せらるる物を謂う。例えば公道,公園,下水,河港の如きこれなり。公用物にして法令の規定に依ること及び公衆の使用に供せらるることの2条件中その一を欠くときは公用物たることを得ざるか又は公用物たる作用を開始することを得ず。例えば事実上公衆の通行に供用せらるる私道の如きは第1の部類に属し既に道路に指定せられたるも未だ開通せられざる土地の如きは第2の部類に属するものとす。旧民法に於いて総て公用に供せる物をもって不融通物の一種と為したるは(財22条,26条2項)汎きに失し謬見たることを免れず。けだし公用物といえども一私人に属する場合の外は国又は公共団体の所有物に外ならず唯公用に供せらるる点に於いて公法に支配せられ公法上適法の処分に依りてその公用を廃したる後に非ざれば私法上これをもって取引の目的と為し又はその物に付き強制執行を為すことを得ざるのみ。これまた性質上の不融通物と称すべき物に非ざるなり。

 公衆の使用に供せられざるも公共の目的に供せらるる公有物(城壁,兵営,砲台,軍艦,監獄等)はこれを行政財産と称し前記の原則に支配せらるるものとす。その他の公有物(山林,鉱山,現金,有価証券等)は収益財産又は財政財産と称し一般私法の支配を受け取引及び強制執行の目的と為ることを得るは勿論とす。

 この他行政上の必要より取引の目的と為すことを禁止し又は制限せる物あり。但しその物といえどもある目的の為特定の人に限りてその所有,占有又は処分を許す場合はこれなきに非ず。例えば偽造貨幣,阿片煙その他の毒薬又は火薬,風俗を害すべき図昼の如きこれなり。これ等の物は禁制物と称し公益上よりこれを私権又は取引の目的と為すことを禁ずるものにして法律の規定に基づく不融通物なりとす。

 以上列挙せる不融通物の外に尚私権の目的たることを得るも譲渡,差押等の処分を許さざる特殊の物あり。例えば系譜,祭具,及び墳墓(987条),華族の世襲財産(大正5年法45号華族世襲財産法16条,18条),特別保護建造物及び国宝(30年法49号古社寺保存法5条)等これなり。これまた単に取引能力(権利能力に対する)を欠如せる物にして法律の規定に因る一種の不融通物と見るべきものとす。

 最後に権利の目的たることを得べき物は現に存在するか又は少なくも存在し得べきものなることを要す。例えば来年ある土地より生ずべき収穫物の如きは固より契約の目的物たることを得べし。また物に付き権利を取得するには少なくもその種類及び数量の定まれること又はこれを定め得べきことを要す。例えば単に獣畜と云いその種類を知ること能わざるが如き又単に米と云い全くその分量を知ること能わざる場合に於いては一定の目的を欠くに因り権利は発生することを得ず。但しその品等の定まれることは必要ならざるなり(401条)。これ等の原則は主として債権関係に付きその適用を見るものにして物自体に関する問題に非ざるが故にここにはこれを詳述せず物権の目的に至りては一般の原則として特定物たることを必要とし単に種類及び数量の定まれることをもって足れりとせざるなり。

第3節 物の種別

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 およそ権利の目的物たることを得べき物は種々にこれを区別することを得べし。旧民法の如きは物に関し何れの国の法律にも見ざる多数の区別を列記したるも(財5条乃至29条)新民法にはこれのごとき煩雑なる規定を不必要とし唯適用最も頻繁にしてかつ疑義を生ずる虞ある種別に限りその標準のみを掲げられたり(86条,87条)。

 本節においても物の一切の種別を説明する必要を見ざるをもって左に普通一般の例に従い数個の種別に就きその概要を示さんとす。最も重要なる種別は第1款乃至第3款に論述する所のものにして第四款以下の項目は同一の価値なきものと謂うべし。なお一般の学者は物の種別中に前述融通物と不融通物との区別を加うるも融通物の種別を論ずるこそその実用あることなるが故にここにはその方法を採らず不融通物は法律上物には具わることを要する性格を欠如せる物としてむしろ前節中にこれを論述することを適当と認めたるなり。

第1款 不動産,動産
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 不動産とは変更すること能わざる位置に在る物を謂う。但し他力をもって位置を変更することを得べき物といえどもその変更の困難なる為又はこれを変更することの不能若しくは困難なる物に付着せる為にこれを不動産と見る場合なしとせず。これ不動産と動産との分界即ちその各自の範囲に関して立法例及び学説の相分かるる所以なり。

 上記の定義に拠れば純然たる不動産の性質を有する物即ち自他の力に依りて全然移動することなき物は唯土地のみ。建物の如きはその位置を転せしむること決して不能なるに非ず。然りといえども通常一時の目的をもってするに非ずして土地に密着しこれと一体を為すものなるが故に比較的多大の労力を用うるに非ざれば土地と分離せしむることを得ず。かかる位置に在る物はこれを不動産と見ざる限りは実際に於いて不便少なからざるべし。故に何れの国の法律においてもこれを不動産と為さざるはなし。唯これを不動産と為すことに付いての観念一様ならざるのみ。我が民法は定着の事実をもって標準とし土地及びその定着物を不動産と為せり(86条1項)。

 民法には定着物の定義及び種目を示さざるよりして往々疑義を生ずることなしとせず。この点は各種の不動産を列挙せる旧民法等と趣を異にする所なり(財7条以下,仏517条以下)。惟うに「土地の定着物」とは本来の目的に従い継続して土地に固着する物を謂う。故に定着物には左に掲ぐる性質の具わることを要す。

第一 土地に固着する物なること

 定着物は土地に固着する物なることを要しこれに接触するのみをもっては足れりとせず。而してこの標準の下にその付着の程度を決定することは畢竟事実問題にして裁判官の認定に委するの外なしとす。必ずしも土地又はその物を毀損するに非ざればこれを土地より分離し又は他に移転せしむること能わざる場合に限ることなし(35年1月27日大審院判決-「反」川名氏260頁,松岡氏360頁)。また付着の事実は自然的に生じたると人工的に成りたるとを問わざるなり。

 定着は一の事実状態なるが故に当事者の意思をもってこれを左右することを得ず。唯事実上定着物が土地と分離して独立の存在を有するに至りたる時に始めて不動産たる性質を失うものとす。故に例えば崩壊すべき建物又は立木の売買の如きは不動産の売買たること言うを俟たず(32年4月12日及び33年2月16日大審院判決)。仏国一般の学説及び判例に於いてこれを動産の売買と為すは誤れり(ボードリー「仏国民法綱要1巻147節,プラニオル1巻835節乃至837節」)。但し定着物にして土地と分離せざる間は買主はその土地の上に地上権又は賃借権を有せざる限りその物の所有権を取得することを得ずして単にその引渡を受くる債権を有するに過ぎず(デルンブル78節注の2)。この点は次巻に於いてこれを説明すべし。

 定着物は直接に土地そのものに付着することを要す。故に例えば建物に付着する物(戸,障子,庇,瓦,畳,建具等)は建物の構成部分又は従物にして土地の定着物に非ず(民法には建物の定着物を認めず)。

第二 継続して土地に付着する物なること

 この性質もまた「定着」の文字に包含せらるる所にして定着物たるに欠くべからざる一要件なりとす。故に一時の用に供する目的をもって土地に付着せしめたる物即ち例えば建築用の小屋,支柱,足場の類又は仮植の草木の如きは何れも土地の定着物に非ざること言うを俟たず。

第三 本来の目的に従い土地に付着する物なること

この要件もまた定着物に具わらざるべからざることは勿論とす。故に例えば地中に埋蔵せる金銀宝石の如き所謂物の用方に従わずして不自然的に土地に付着する物は定着物に非ざるなり。

 以上列挙せる要件の外土地の定着物は土地と別個の存在を有する不動産なることをもってその主要なる一性質と為すを通説とす。然るにこの点に関しては多少の疑いなきことを得ず。けだし定着物の首位を占むる建物及び立木は別個独立の不動産なること疑いを存せずといえども(登14条1項,42年4月法22号「立木に関する法律」2条)その他の定着物(樹木,橋梁,障壁,地上地下の水管及び瓦斯管等)に付いては立木の趣旨明瞭ならず民法第86条に「土地の定着物はこれを不動産とす」とあるはその動産に非ざることを言明するも総て別個独立の不動産たることを示す規定と断言することを得ざるなり。然りといえども普通にはこれを土地の構成部分(溝渠,築山,泉水,雑草等)と区別し別個の存在を有するものと為す如し(平沼氏364頁,川名氏260頁,松岡氏359頁,中島氏388頁,三潴氏248頁-「反」岡松氏129頁)。余輩もまた法文上より考えこの見解を妥当とする者なり。唯定着物は何れも土地に定着するが故にこれを不動産と為す以上はその事実を無視して全然別物たるの作用を生ぜしむることを得ず。即ち建物及び立木以外の定着物はその性質を失わざる間は土地と分離して単独に所有権又は抵当権等の目的物たることを得ざるものと解す。これ不動産登記法中にその登記に関する規定なきをもってもこれを推断することを得べし。もしそれ多数学者の言う如くに定着物は別個独立の不動産なること当然疑いなきものとし而して建物及び立木以外の物は一般観念上より土地の一部なるや将たその定着物やるやを決定すべきものとするもその結果は殆ど同一なるべく唯定着物と称すると否との差異あるのみ。果して然らば結局土地の構成分以外に定着物なるものを認むる必要なきことに帰着すといえどもこの点は立法論の範囲に属す。なおこの事は物権の目的物如何の問題に至大の関係を有するが故に次巻中物権総論に於いてこれを論述せんとす。

 上述せる土地の定着物に関する規定は他国の法制と大いに相異なる所あり。即ち民法は土地の外具体的に不動産の種目を掲げざる点に於いてフランス法系の立法例と趣を異にす。而も又独民法の主義を採用したるにも非ず。けだし独民法に於いては不動産は土地に限るものとし別に物の構成分なるものを認め建物及び植物の如きは土地と分離せざる間はこれを土地の構成分と看做し徹底この主義をもって一貫せり(独93条乃至95条)。惟うにこの制度はローマ法以来の観念に基き一切の地上物殊に建物をもって土地の一部と見たる点に於いて本邦旧来の慣習に適合せず。これ民法にこれを採用するに至らざりし所以なり。

 然りといえども今立法問題として考うるに我が民法に於ける定着物の規定は前段に述べたる如く疑義を生ずる虞あるが故にむしろ土地及び建物を不動産としその何れかに定着する物はこれをその構成分とみなす規定に改むること即ち建物を別個独立の不動産と為す外独民法に規定する如き制を採ること簡明にして当を得たるものと謂うべし(立法に関しては特別法の規定あるをもって足れりとす)。

 旧民法は仏民法の例に倣い用方に因る不動産なるものを認め「動産の所有者がその土地又は建物の利用,便益若しくは装飾の為永遠又は不足の時間その土地又は建物に備え付けたる動産」を不動産と為したるも(財9条,仏524条,525条)これ我が国に於いてその慣習なきのみならず現に従物に関する規定(87条)ある以上は敢てこの種の動産を不動産とみなす必要あることなし。けだし用方に因る不動産なる物は畳建具類の如き多くは従物と見るべき物なるが故に主物の運命に従い当然これと共に処分せらるべく従って主物の定着物と見ることを得ざる場合においてもこれをして動産の性質を保たしむることに付き実際何等の不便あることを見ざればなり。

 土地及びその定着物以外のものは総て動産とす(86条2項)。その容量及び移動の難易如何を問うことなし。故に例えば船舶の如き又土地に付着する工作物といえども上述せる定着物の要件を完備せざるものは何れも動産なること言うを俟たず。定着物といえども一旦土地と分離したる後また同じ。

 動産,不動産は物の種別なること言うを俟たず。然るに中世以降権利に付いてもまた一般にこの区別を認むるに至れり。現に旧民法の如き無体物の一種として「法律の規定に因る動産,不動産」なるものありとし動産又は不動産たる権利を認めたるは新民法と大いにその制を異にする所なり(財10条,13条,仏526条,529条,独96条)。固より物に関する規定を権利に準用することの便利なる場合は少なしとせず。故に民法はこれの如き場合に於いては特に明文をもってその目的を達せんことを期せり。例えば第205条,第321条2項,第326条2項等に規定せる場合の如き即ちこれなり。

 然りといえどもこの原則には一の例外あり。無記名債権(例えば無記名式の手形,公債,社債,乗車券又は商品切手の如き)即ちこれなり。けだし無記名債権の本質は債権なるもその債権の得喪及び行使は証書の占有と密接の関係を有し証書即ち債権なる如き観あるが故に法律は直にこれを動産と看做し当然これに動産に関する規定を適用すべきものとしたるなり(86条3項)。これ固より便宜的規定に過ぎず無記名債権はこれが為にその性質を一変して動産と為るに非ず。唯その債権の譲渡,質入その他一切の点に於いて動産に関する規定を適用するの結果を来すのみ。従って債権は依然として存在しその行使を怠るときは時効に依りて消滅すること勿論なりとす。

 動産,不動産の区別は古来諸国の法律に於いて最も重要と認められたるものなり。その主たる理由はけだし往時に在りては世人一般に不動産を貴重なるものとし動産を賎視したることに在る如し。然るに近世に至りては人民資産の状況一変し船舶,有価証券等日に多きを加え動産の価格は決して一般に不動産の価格に下るものと断言することを得ず。故に今日仏国法系に属する諸国の法典に於いて尚両者の間に旧時の思想に基ける数多くの差異を認むるは当を得ざるものと謂うべし。然りといえども今各個の物に付きその価格を比照せば不動産は概して動産よりも貴きものと見ることを得べし。故に民法においても処分の能力及び権限等に関しては尚多少不動産に重きを置きたる規定あることを見るなり(12条1項3号,14条1項1号,886条3号,4号,929条)。

 今日に在りて尚動産と不動産を区別することの必要なるは価格の点に於いてよりもむしろその性質の相違なることに基因するものとす。即ち不動産は一定の所在を有し通常その位置を変することなきに反して動産はその所在一定せず短時間に数人の手に移ることあり。従って公簿に依りその権利状態を公示すること能わざる等の不便あるが故にこの二者に同一の規定を適用することを得ざる点少なしとせず。例えば裁判管轄(民訴22条),国際私法に属する規定(法例3条3項),時効又は占有に因る権利の取得(162条,163条,192条乃至195条),物権の得喪又は変更をもって第三者に対抗する要件(177条,178条)その他先取特権,質権,抵当権,強制執行及び競売の方法等に関する規定を異にする如き数多くの点に於いて両者を区別することの必要なるは即ち主としてその性質を異にするに基づくものと謂うべし。

第2款 主物,従物
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 主物,従物の区別は二物相互の間に於ける一定の関係を基礎とするものなり。而して其の効用たるや従物は主物と運命を共にする点に在り民法には従物とは「或物の所有者が其物の常用に供する為自己の所有に属する他の物を以ってこれに付属せしめたる場合に於て其の付属せしめたる物」を言う。(87条1項)故にこの性質を具有せずして独立に自己の効用を発揮する物は総て主物と解すべし。

 従物は旧民法にいわゆる用方による不動産に該当す(財9条,15条2項)。民法にはこの種の不動産を認めざること既に述べたるごとし,かつまたその名称の下に列挙せる各種の物を以って当然従物なりとせず。これ蓋従物は主物の処分に従ふものとするが故にその,結果に於て往々従来の慣習に違反し不測の損害を被る者あるへければなり。要するに民法においては従物の種目を掲げることを為さずして唯標準を示すに止めその適用に至りては事實問題としてこれを裁判官の認定に一任したるなり。故にこれ点はドイツ民法とも多少その制を異にするものと謂うべし(独98条)。

 主物,従物の区別二物相互の関係に基づくものとす。故に従物の第一要素として主物と別個の物なることを必要とす。民法に前示従物の定義を掲ぐるに当りこれ用件を明治せる所以は蓋數多の外国法典に於て尚羅馬法の概念を襲用し謂従物の中には果實及び添付に因る付合物の如き物をも包含するものと為し学者また往々にして其差別を明示せざるか為誤解を生ずる虞あるが故なり(財15条草案詿釋書,仏546条)。蓋果は未だ元物と分離せさる間は元物の構成部分を成し一たびこれと分離したる後は已に従たる関係を有せざる独立の動産に外ならず付合物もまた同一の性質を有するものとす(242条)。即ち何れも物質上の結合に因りて物の一部分を組成しこれと別なる物と見るべきに非ず。従って従物の部類に属するものと為すは當を得ざるなり。要するに従物は主物に對して物質的関係に於て付着するに非ずして唯用方的関係に於てこれに付属するものと解すべし。独逸民法はこれ点を明にし従物とは一物を構成する部分を含まざることを規定せり(独97条1項)。

 次に主物兩物は同一の所有者に属することを要す蓋法律上に於て物の主従を定むることの必要なるは畢竟主物の処分は反對の意思表示なき塲合に於て当然従物の処分を來すべきか故なり。故に若従物の何たることを指定するに当り主物と同一の所有者に属することの要件を示さざるに於ては或いは物に関する事項なるを根據とし所有者の何人たるを問わず或物用に供する為めこれに他の物を付属せしめたる事實のみを以って当然これを従物なりとし其結果主物と共に処分せらるべきものと解するに至ることなきを保せず。例えば土地若くは建物の賃借人又は占有者に於て其土地又は建物の便用に供する為これに或動産,建具の如き)を付属せしめたるときは遂に其動産の所有権を失ふに至る如き結果を生ずべし。然るにこれの如き結果は固より是認すべきに非ざるなり(242条)。

 最後に従物は主物の常用に供する為めこれに付属せしめたる物なることを要す。即ち或物の経済的効用を全からじむる為めこれに付属せしめたる物と解すべし是實に従物の従物たる所以にして其最も重要なる性質なりとす故に或物か他物の従物たるには

 (一)他物の用に供せらるることを要す。従って其所有者一身の便益に供する為めこれに付属せしめたる物は従物に非ず。例えば時計の鎖は従物なるも其鎖に付着せる印形は従物に非ず又書幅の箱は従物なるも其箱を装置せる臺は従物に非ざる如し。これ他掛物及び室内に展列せる美術品の如きも家屋の従物と見るべからざること言うを俟たず。但従物の付属するは通常主物の保存,便益又は粧飾の為めなるも其目的の何たるを問ふことなし。

 (二)他物の常用に供せらるることを要す故に一時の用に供する為め或物に付属せしめたる物は従物に非ず。例えば家屋の鍵は従物なるも家屋修繕の為めに設置せる足場の如きは従物に非ざるなり舊民法に於ては永遠の用に供する物なることを要件とし(財9条,仏524条末項)斯の如くに供用期間の久しきに亘ることを必要とすべき理由あることを見ず。唯付従関係の一時的ならざることを以って足れりとす。又修繕の如き一時の目的を以って主物より分離することあるもこれが為めに従物たる性質を失ふことなきは勿論とす(独97条2項)。

 (三)他物に付属せしめたることを要す。従って物の性質上及び事実上に於て付従の関係に在らざる物は従物に非ず。例えば一對の書畫又は花瓶は互に従物と為らざる如し。但一物か他物に付属するもこれと一體を成すに非ざることは前段に述べたる如し。是従物と物の構成分と相異なる所にして或場合に於てはこれ二者を区別するの困難なることあり。例えば畳,建具の如きは慣習上建物の従物と見るべき場合最も多しといえども又一部と見るべき場合もこれなきに非ず。

 従物は通常動産なるも特に動産に限るものとする必要なきが故に民法は独瑞民法の例に倣はずしてひろくこれを物とせり(独97条1項,瑞644条2項)。又主物は不動産なる場合最も多しといえども固より不動産に限ることなし。

 主従の区別は物の外権利に付てもまた存在するものとす。即ち地役権(281条)及び擔保物件の如きは従たる権利なり。唯これ等の権利は其従たる意義に於て従物と大に相異なる所あることは第二巻に於て説明すべし。

 物を主従に区別する實用はさきに述べたる如く従物は当然主物の処分に伴ふものとする点に在り87条2項)。但これ効果は強行法に属するものに非ざること言うを俟たず蓋従物は主物と一體を成すものに非ずして単に経済的関係に於てこれに付属せるものなるか故に独立に其一を処分することは固より妨げざる所なりとす。唯取引上別段の意志を認むることを得ざる場合に適用すべき規定として従物は主物と共に処分せらるるものとしこれ一点に於てのみ両者を単一物の如く取扱ふに過ぎず。

 従物は主物の処分に隨ふ結果として或建物に付き設定したる抵当権の効力は通常其従物と見るべき畳,建具類に及ふものとす故に其抵当権を實行するに当りては建物と共にこれ等の従物をも競売に付することを得ふべきは言を俟たざる所なり(35年12月13日東京地方裁判所聯合會決定,大正3年12月7日東京區裁判所判決,同4年12月20日東京地方裁判所判決-「反」35年9月15日及36年12月23日東京控訴院決定但抵当権設定後に於手従物の滅失,朽廢,改造に因りこれに代はりて従物と為りたる物に抵当権の効力が及ぶべきやに付ては法文不備の為め大に疑なきことを得ず(370条對照)。

 民法には従物の要件を定むること上述せる如しといえども実際に於ては果して或者の常用に供する為めこれに付属せしめたるものなるや否やを判定すること困難なる場合少しとせず。これ等の場合に於て其物が従物なるや否やを判断するには主として取引上の概念及び慣習を参酌することを肝要とす。尚立法論としては不動産の従物は譲渡又は抵当権設定の当時に於てこれを目録に掲載し其登記を為すに非ざれば上記の効果を生ぜざるものとすることもまた一策なるべし。是実際問題として考究すべき点なりとす(38年法54號工場低当法参照)。

第3款 特定物,不特定物
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 特定物とは或一の種類中に於て当事者が特個に指定せる物を謂ふ。即ち当事者は特個の物に着眼しこれを以って契約取引の目的物と為さんと欲したるものなり。例えば何町何番地何号の地所若くは家屋又はこれ机,彼の馬と謂ふ如し。これに反して不特定物とは種類及び数量のみを以って指定せる物を謂ふ。例えば千円又は肥後米百俵と言ふ如し。故にこれ区別は畢竟当事者の意思に依るものにして物の性質に基づくもに非ざるなり。

 ローマ法に於ては物の性質上より同一の種類中に於て交互代用することを得ると否とに依りてこれを代替物,不代替物に区別し今日尚これ区別を採用する学者及び立法例甚だ多し(財18条,332条,520条,取178条,仏1291条,独91条,607条)。即ち金銭,有価証券,米,酒の如きは代替物にして家屋,机,馬の如きは不代替物なる如し。今これには物の種別を説明することを主眼とするが故にこれ方面より観察すること至当なる如しといえども法律上に於ては絶対的に代替性又は不代替性を有する物を認めず。これ性質を有すると否とは結局取引上に於ける当事者の意思に依りて定まるものなるが故に物の性質上の区別としてこれを認むることは殆ど其実益なく唯普通の場合に適用すべき解釈上の標準たるに過ぎず法律行為の当事者に於て或いは性質上の不代替物を不特定物と為し(例えば若干坪の土地又は若干頭の馬と謂う如き)或いは反対に性質上の代替物を特定物と為すこと(例えば封金又は或倉庫中の米悉皆と謂う如き)は固より妨げざる所なりこれ他当事者に於て其行為の目的物の代替性に一定の制限を設くることを得べし。例えば或厩中に在る馬匹の一頭と謂う如き一定の範囲内に於て性質上の不代替物を不特定物と為すことあるべく又反対に或田地より収穫すべき米何石と謂う如き性質上の代替物に付き其代替性の範囲を限定することなしとせず故に各種の場合に於て法律行為の効力を定むるに当たりては結局当事者の意思如何によるの外なきなり。

 特定物,不特定物の区別は民法の適用上に甚だ重要なるものとす。即ち所有権其他の物件の得喪を目的とする法律行為は当事者の意思表示のみに因りて其効力を生ずる規定(176条)は特定物に非ざれば其適用なきものとす即ち物件の目的物は一般に特定物に限るものと解すべし。これ他特定物又は不特定物にのみ適すべき規定少しとせざるなり(400条,483条,484条,534条等)。

第4款 消費物,不消費物
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 消費物とは用方に依る使用に因りて消尽する物(動産)を謂う。例えば飲食品の如き是なり。不消費物とはこれに反して自然の使用に因りて形体を失うに至らざる物を謂う。例えば机又は椅子の如き是なり金銭の如きは一回の使用に因りて其形体を失うものに非ずといえども其所有者に対しては自然の消尽と同一の結果を来すべきが故に通常これを消費物と見るなり。

 これ区別は殆ど其実益あることを見ず。唯仏法系の立法例に於て消費貸借の目的物は消費物たることを要するものとせるより今尚これ区別を認むる者少しとせず(仏1892条)。

第5款 可分物,不可分物
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 可分物,不可分物の区別は其文字の示す如く物の分割性に関する区別なりとす。然るに物の分割には形体上の分割と思想上の分割とありこれには主として形体上の分割性を論ずべきものとす。

 凡そ物は形体上一般にこれを分割することを得べきか如しといえども真正の分割なるものは単に或物を二個以上の有体部分に割裂することを謂うに非ず。物の本質を滅失せしむることなくして其分割せられたる各部分に尚同様の作用を保たしむることを必要とす。例えば一等の乗馬又は時計たる性質,作用を失うに至るべし是物を分割するに非ずしてこれを毀壊し又は滅失せしむるものに外ならざるなり故にこれ種の物は不可分物の部類に属するものと謂うべし。

 今これに形体上一般に分割し得べき物を例示せば土地又は或敷量より成る動産の如き是なり。土地は境界を画するに依りてこれを分割することを得べく建物は我民法に於ては土地の一部と見ざるが故にこれを土地と分離せしむるは分割に非ず。建物其のものは敷棟と為る場合の外は通常不可分物とみること当然なるべし。米殻又は酒,油の如きは分割に因りて唯其分量を変更するに過ぎず。故に可分物たること言うを俟たず一個の特定動産といえども其分離せられたる各部分にして尚従前の効用を為すことを得べきとは固より可分物なるべし。

 以上述べたる所は民法に所謂性質上の可分物及び不可分物及び不可分物なり。但性質上の可分物といえども当事者の意思をもってこれを不可分物をみなすことを妨げず(428条)。例えば封金の如き是なり。又其分割を為すの不利なる場合即ち分割の為に巨額の費用を要し又は著しく其価格を損するに至るべき場合に於ては法律上これを不可分物をして処置することなきに非ず(243条,245条,258条2項)。これ区別の実益は主として債権者又は債務者数人ある場合に存在するものとす(427条乃至431条)。又共有物分割の方法及び付合又は混和より成る物の所有者を定むるに付ても前項末段に示したる如き区別の効用あることを見るべし。

 思想上の分割は数人の者が或物に付き一定の割合に於ける権利(持分)を有する場合即ち共有関係に於て生ずるものとす。これ種の分割は可分物と不可分物とを問はず一切の物に付き存立すること得べし。

 可分,不可分の区別は権利に付ても存在するものとす但権利の可分,不可分は普通其目的物の可分又は不可分なるに因るものと解すべし(427条乃至431条尚地役権及び担保物権の不可分は特定の意義を有するものなり(282条,296条,305条,350条,372条)。其の説明はこれを次巻に譲らんとす。

第6款 単一物,合成物,集合物
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 単一物とは形体上独立の一体を成す物を謂う。例えば樹木,牛,馬等是なり。其天然に形成せられたること又は同一種類の物質より組成せられたることを必要とせず。故に盆栽の如きも単一物なること論を俟たず。又一個のものとして価値なき物は其若干の量を集合して一物と見ることあり。例えば米殻の如きは物質上数多の単一物より成るといえども法律上に於ては必ず一定の量をもって取引の目的と為すものなるが故に其全量を単一物と見るべきなり。

 合成物とは独立せる数個の物の結合より一体を形成する物を謂う。例えば建物又は宝石をもって飾りたる金銀の器具の如きなり。是等のものを組成せる各個物は必ずしも其結合前に有せし性質を失うものに非ずといえども其各部分をして法律上同一の処置を受けしむる為めこれを単一物と見るなり(242条乃至247条)。故に合成物は畢竟単一物の一種にして縱令其構成部分に変更を生ずるも法律上尚一体たることを失はざるを原則とす。

 集合物とは物質的に結合せざる数多の単一物の集合を謂う。例えば群蓄,書庫又は店舗の商品の如き是なり。集合物は本来数多の単一物を総称せるものに過ぎず。故に原則としては一部つと見るべきに非ず。唯取引上或程度にまでこれを単一物とみて取扱うことあるのみ是畢竟当事者の意思解釈に依りて決定すべき問題なりとす。然るに旧民法に於て常に澮減し得べきことをもって集合物の本質と為したるは当を得ざるものと謂うべし(財16条3号)。

 これ他法律上の集合物と称し物及び権利を一括してこれに一定の名称を付することあり。例えば相続財産の如き是なり(財16条4号)。これ種の集合物も固より物の一種とみるべきに非ずして唯法律の規定又は取引上の便宜上これを一括せる名称の下に処置するに過ぎず。

第4節 果実

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 果実の何たることを定むるは主として二個の点に於て其必要あるものとす。即ち一は果実権利者の取得すべきものを明にし又一は果実の価格を償還すべき場合に於て其義務の範囲をさだむることを得るに在り。即ち占有権(189条,190条,196条)留置権(297条)質権(350条,356条)売買(575条)賃貸借(601条)等数多の事項に関して其実用を見るべし。

 旧民法其他仏法系に属する諸法典に於ては果実の性質及び帰属に関する通則を設けず唯用益権の如き格段なる場合に付きその取得に関する規定を掲げこれを他の場合に準用せるに過ぎず。これに於て果実の本質及び取得に関して種種の疑問を生じ学説一致を缺くに至れり。本来果実なるものは物の算出物の一種にしてこれに関する規定は数多の法律関係に適用せらるべきものなるが故に苟も民法の総則中に物に関する一般の規定を置く以上は併せて果実に関する事項を規定するの至当なること言うを俟たず。是民法第88条及び第89条に於て果実に関する通則を掲げたる所以にしてこれ点は独逸民法の例に倣びたるものなり(独99条乃至102条)。

 果実は元物より未だ分離せざる間は其物の一部分を成すものに外ならず従ってこれと相異なりたる所有権其他の物権の目的物と為ることを得ず。而していったん元物と分離したる後は独立の動産なること言うを俟たず。唯元物に対して其産出物たる関係あるのみ。故に果実と元物とはひろく物の一分類として論ずべきものに非ざるなり。

第1款 果実の分類及び要素
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 世俗普通に果実と称するものは有体物より直接に産出する物を謂う。即ち米麥,果物の如き是なり。然るに法律上に於ては果実なる語を広義に用い或法律関係に基き他人をして物を使用せしむる場合に於て其使用の対価として受くべきものをも包含するものとすこれに於て天然果実と法定果実とを区別するひつようあるなり。

 仏国民法は天然果実の外に人工的果実なるものを認むといえども(仏547条)人口の加はると否とに依りて区別する如きは同民法の下に於ても全く其必要あるに非ず。我民法に於ては固よりこれの如き区別を採用せず法定果実に非ざるものは総て天然果実と見るべきなり。

(一)天然果実

 天然果実とは物の産出物の一種なり。故に産出物と見るべからざる構成部分は果実に非ず。然るに如何なる産出物を天然果実と解すべきやに就いては古来学説一定せず。今これに果実の本質に関する見解を示さば左の三節に帰着するものとす。


(一)定期に収穫する産出物なりとの説

 これ説は仏国一般学者の主張する所にして畢竟収穫の時間に依り其収穫する物の性質を定めんとするものに外ならず(ボードリー1巻1481節)固より天然果実は一定の時期に収穫する物多しといえども又随時に収穫する物にして一般に果実たることを争はざるものもこれなきに非ず。例えば鉱物又は石材の如きなり。又犢の如きも定期に収穫するものとみることを得ざるべし。要するに定期収穫は多数の場合に於て物の果実たることを認知する資料に過ぎず。然るに其収穫の方法をもって直に果実の性質を定めんとするは本末を転倒するものにして其一切の種目を網羅するに足らざるは当然の結果と謂うべきなり。

(二)原質を消耗せずして収取する産出物なりとの説

 これ説を主張する学者もまた少からずといえども果実に対する概念の狹隘に失することは前説と相異なるところなし。蓋これ説の如きは有機的産出物に関しては誤る所なしといえども近世一般に果実と称する物は其部類に属する物のみに非ず。即ち前項に例示せる鉱物及び石材の如きはこれを採掘するに従い漸次元物を消費するに至るべきも普通に果実の一種と認むることは疑いなき所なりとす。

(三)物の用法に従い収取する産出物なりとの説

 これに所謂用方に従うとは物の経済上の目的に適応せる方法に依ることを謂う。例えば田地を耕作して穀物を収穫し牧牛を飼養して乳汁を搾取する如き是なり。これに反して伐採の目的に供せられざる森林の樹木又は荷車用の牛より生じたる乳汁の如きは果実と称すべきに非ず。物の用方は物の性質に依り自然的に定まるを常とするも然らざる場合に於ては果実権利者の定むる所に依るに外なきなり。これ第三節は我民法に採用せる所にして(881条1項)独逸民法の例に倣いたるものとす(独99条1項)。近時仏国の学者中にも定期収穫と共にこれ用方に依ることを要件とする者なきに非ず(プラニオル1巻909節)。


 民法は物の用方に従いて収取することを唯一の要件とし収穫の時期及び元物の永存を必要とせざること明なり。然りといえども其収取する物の産出物なるべきことは言うを俟たず(88条1項)。これ点は普通一般の立法例及び学説と相異なる所なきなり。所謂産出分とは厳格に言えば物の有機的作用に因りて産出せざる物を謂うものなるべし。従て鉱物,砂利,粘土,又は石材の如き有機的に産出せざる土地の構成部分は産出物と見るべからざる如しといえども民法は近世一般の概念に基き産出物なる語を広義に解してこれ等の分出物をも包含するものとせること疑を容れず(独99条2項参照)。

(2)法定果実

 法定果実は或物より直接に産出すつ物に非ずといえども土地又は樹木より産出する天然果実に同じく必ず元本ありてこれを生じ且其権利者に交付せらるる時に在りては已に物と為るか故にローマ法以来諸国の法律に於てこれを一種の果実と為したるなり。

 法定果実の本質に関しては明快なきが如し。仏国の学者は一般に擬制的果実と称し明確なる定義を与えず。独逸民法には法律関係に基き発生する収益と曰えり(独99条3項)我民法はこれを解して物の使用の対価として受くべき金銭其他の物とせり(88条2項)。即ち他人をして或物を使用せしめ其報酬として受くるものを謂うなり。これ見解は仏国アコラス氏の主唱せる「物より生ずべき便益の代表価格」なる定義に殆ど相同しきものとす(同氏「民法提要」1巻579頁)。是法律上よりもむしろ経済上より観察せるものと謂うべし。

 物の使用の対価として受くべき物とは利息,地代,小作料又は賃貸の如きを謂う。故に元本の返還又は所有権移転の対価の如き総て使用の対価と見るべからざるもの(年賦償還,売買代金,配当金等)は法定果実に非ず。又二物共に金銭に限らずといえども物たることを必要とす。故に例えば労務若くは或権利の行使を許容せられたることに対する報酬又は物の使用の対価として供する労務の如きはこれを包含せざるものと解すべきなり。

第2款 果実の取得
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 民法には所有者以外の者にして果実を取得する数多の場合を規定せり。即ち善意の占有者,永小作人,留置権者,質権者及び賃借人の如き是なり。これ等の果実権利者は何れの時期に於て果実を取得するやを定むる必要あり。是主として其権利者の更迭する場合に於て適用を見るべき問題なりとす。

 旧民法は各種の場合に付き規定し且其規定を異にせる所あり(財52条,126条,194条)。然るに是全く理由なきことにして苟も適法の原由に因りて果実を取得する者なる以上は其権利の内容に差別あるべからざるなり。故に我民法は独逸民法の例に倣いて果実の取得に関する通則を定めたり(89条,独101条)。これ点に於ても天然果実と法定果実とを区別することを要す。

 天然果実は未だ元物より分離せざる間は其一部にして独立の存在を有せず。従て元物の所有者と相異なる人の所有に属することなきは論を俟たず。故に元物にして収益権を含む権利の目的と為りたる場合に於ても果実権利者は分離前に於てこれを取得することを得ず。其分離の時に始めてこれを取得するものとす(89条1項)。是ローマ法の主義にして仏独其他諸国の民法に採用する所なり(財52条,仏585条,独101条,瑞643条)。但分離の自然的なると人工的なると又果実の成熟せると否とは問う所に非ず。これに一例を示さば賃借人は其賃借権の存在期間賃借物より生ずる果実を収取する権利を有すといえども若分離に先ちて賃借物を返還するに至りたる場合に於ては其果実は賃借人に属する如し是畢竟分離の時には已に果実権利者に非ざればなり。

 上記の原則は強行法なるやまた任意法なるやに付ては多少議論なきに非ずといえども本来公益に関する規定に非ざるが故にこれと異なりたる特約の効力を認むること妥当なるべし(中島氏416頁,三潴氏266頁)。これ特約に依り土地の賃借人の如きは借地機関満了の時に未熟の作物ある場合に於て其成熟を待ちてこれを採取することを得るの便あるなり。独逸民法の規定はこれ点に於て最も疑義を生ずることなし(独101条)。

 法定果実は元本の使用せらるる間毎時に発生するものなるが故に其権利の存続期間に応じてこれを取得するものとす。支払時期の如きは其権利に影響すべきものに非ざるなり。故に民法に於て法定果実はこれを収取する権利の存続期間日割をもってこれを取得するものとせり(89条2項,財54条,仏586条,独101条)。是襲来一般に行はるる慣習に依りたるものにして日よりも短き時間を基点とせざるは計算上の煩雑を避くるが為めに外ならず今これに前記賃貸借の例を取りて言えば賃貸人が賃借権の目的物を他人に譲渡したる場合に於て其譲渡の日以前の借賃は事故にこれを取得すべきも其日以後の借賃は譲受人に属する如し利息を生ずべき債権の譲渡其他の場合に於てもほうりを異にする所なきなり(38年12月19日大審院判決)。

 上述せる規定もまた天然果実の取得に関する条文に同じく任意法に属するものにして当事者間にこれと異なりたる特約なき場合に於てのみ其適用あるものと解すること妥当なりとす(38年12月19日大審院判決,独101条,中島氏416頁,三瀦氏267頁参照)。

第5編 私権の得喪

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第1章 汎論

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 前二編に於ては権利の二大要素たる主体及び目的に関する法理を説明せり。即ち権利其ものに付き論述したるなり。本編に於ては権利の外部事項とも称すべき其得喪及び変更に関する一般の原則を究明せんとす。

第1節 権利の取得

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 権利の取得とは主動的に其主体と為ることを謂う(134頁)。平易に言えば自己にこれを有するに至ること是なり。従来一般の学者は其方法を大別して原始的取得方法と継受的取得方法との二種と為せり。

 原始的取得とは他人の権利に基因せずして独立に発生するものを謂う。例えば先占点付又は時効に因る取得の如き是なり。一説にこれ取得方法を協議に解して何人にも属せざる権利を取得するに限るものとし時効に因る取得の如きは継受的取得の部類に属するものと為すは一の謬見と謂うべし。若これ説に従うときは先占に因りて無主物の所有権を取得する外には殆ど原始的取得の場合なきことと為り従来一般に重要と認むるこれ区別の効用を解すること能はざるに至るべきなり。

 継受的取得とは他人の権利に基きて権利を取得することを謂う。例えば売買に因りて或物の所有権を取得する如き是なり。これ場合に於て従前の権利者を称して前主と謂い其取得を為す者を名けて承継人と謂う。継受的取得に移転的取得と創設的取得の二種あり。

 移転的継受取得とは既に存在せる権利が其性質及び名称を変せずして承継人に移ることを謂う。例えば売買に因りて或物の所有者より其所有権を取得し又は抵当権者より其抵当権を譲受くる如き是なり。これ等の場合に於て承継人の取得する権利は前主の権利と全然同一なるものにして其内容及び名称少しも相異なる所なく唯権利主体の変更あるに過ぎず。

 創設的継受取得とは前主の権利に基き新たなる名称の下に其内容の一部を取得することを謂う。即ち前主の権利を消滅せずして其権利に基きこれと相異なる権利を取得するに在り。例えば所有者が地上権,永小作権,質権等を設定する場合の如き是なり。これ等の場合に於て設定者は斯の如き名称の権利を有せしに非ず唯完全なる所有権の一部として有せる占有,使用又は収益の利益を割き右に言える如き異種異名の権利を新設するものなり。故にこれを継受的取得と称するは当たらざる如しといえども其権利の性質はこれを所有者より承継するものにして何れも設定者の権利に其源を汲むものとす。故に広義に於ける移転として継受的取得の部類に加うべきなり(デリンブルヒ1巻81節)。民法は物権に関しこれ区別を明にせんが為に設定及び移転なる語を分用せり(176条)。

 又継受的取得には特定名義に於ける取得と包括名義における取得とあり特定名義の承継とは特個の財産を取得するを謂い包括名義の承継とは資産の不分的全部又は一部を取得するを謂う。前者は生存者間に於ける契約其他の事由に基因するものにして後者は法定又は遺言相続の場合に生ずるものとす。故に普通の立法例及び学説に於てはこれ区別をもって生存者間に於ける権利承継と死亡に因る権利承継の二種と為せり。然りといえども我民法の下に在りては死亡のみをもって包括承継の原因と為すことを得ざるなり(964条)。

 包括名義に因る取得は相続人に於て被相続人の権利と共に其義務をも継受するを原則とす(986条,1001条,1092条)ローマ法は其固有の概念に基き相続人は被相続人の人格を継続するものとせり。思うにこれ権利と共に義務を承継するは一点は即ち特定承継との区別の著大なる実用なりとす。固より生前行為をもっても或相続人の遺留分を害せざる限度に於て財産の全部又は一部を譲渡すことを得ざるに非ずといえどもこれの如きは包括的移転に非ずして其財産の各個に付き譲渡を為すものと解すべし。故に例えば登記の如きも各不動産に付きこれを為すことを要す。これ場合に於て権利と共に義務の移転することなきは言を俟たざるなり。

 継受的取得は前主の権利に基ける取得なるが故に前主に属せし権利を限度とするものとす。是何人といえども其有する以上の権利を他人に移すことを得ざる原則の適用に外ならざるなり故に

(一)承継人は前主が有せざりし権利を取得することを得ず創設的継受取得に在りても其取得の基と為るべき権利の設定者に属せることを要す。是原始的取得に見ざる要件なり。

(二)承継人に於て其の取得したる権利を主張するには前主の権利の存在せしことを証明せざることを得ず。

(三)承継人は前主の権利と共に基従たる権利をも取得すべし。然りといえども前主の権利に優れる権利を取得することを得ず。従って前主の権利に付著せし制限,負債及び瑕疵は当然これを承継するものとす。

 これ他継受的取得は他人に移転することを得ざる権利(例えば親権,夫権又は公益法人の社員たる権利の如き)に付き其適用なきこと言うを俟たず。

 私権の取得方法は其取得する権利の種類に依りてもまたこれを区別することを得べし。或いは物権と再建とに共通なるものあり。或いは各種の物権又は再建に特別なるものあり。旧民法の如きは最もこれ点に重きを置きもって財産取得編なる一編を設け且其編の目次を定めたりといえども其主義を一貫せずして或いは財産編中に或いは債権担保編中に其取得方法の一部を規定せり。新民法は主として権利関係の性質に基き其編別を定めるが故に総則編に於ては一般の権利又は少くも物権及び債権の取得方法を規定し第二編以下に於ては各其編に規定せる権利取得方法を定めたりもって其分類法の相異なることを見るべし。

第2節 権利の喪失及び変更

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 権利の喪失とは従来の権利主体が権利関係より離脱すること即ち其権利を有せざるに至ることを謂う。権利の喪失にも二種あり。

(一)主観的又は相対的喪失

(二)客観的又は絶対的喪失

即ち是なり。

 主観的喪失とは他に主体と為る者あるに因りて権利を喪失することを謂う。即ち権利の移転又は承継にして権利其ものは消滅することなく単に主体の変更あるに過ぎず。例えば譲渡に在りては譲渡人は権利を喪失すべしといえども是主体に関する権利の変更にして権利自体の存在を絶止することなし。近世の法理は特定任相互の関係たる債権といえども其主体の変更に因りて当然消滅するものと見ず。普通権利の消滅に対し単に喪失と称するは即ちこれに所謂主観的喪失の意義にして権利自体は存在するものとし唯これより従来の主体を分離せしむることを謂うものと解すべきなり。

 客観的喪失とは権利が絶対的に存在せざるに至ること換言すれば他に取得者あるに非ずして権利主体たることの終止する状態を謂う。簡短に言えば権利の消滅なり。例えば地上権又は永小作権が其存続期間の満了に因りて消滅する如きを謂う。これ場合に於て所有者はこれ等の権利を承継するものに非ず。唯所有権が其内容の一部を殺かれたる状態より完全なる状態に復するに過ぎざるなり。又債権及び其担保は弁済,免除等に因りて消滅するもににして代位弁済の場合(501条)を除く外他人に移転することなし。これ他権利の目的物が滅失したる如き場合に於ても其権利の消滅すべきは勿論とす。総てこれ等の場合に於ては其消滅事由の意思作用に基づくと否とを問わず権利者の方面より観察すれば権利の喪失に外ならずといえども前項に述べたる場合との区別を明にする為めこれを消滅と称すること妥当なるべし。

 権利の喪失と混同すべからざるものあり権利の変更なり。権利の変更とは其存立の基本を失うことなくして其内容又は主体に変更を生ずることを謂う。

 内容に関する変更は或いは目的物の分量に付き生ずることあり。例えば添付に因りて生じたる土地の膨張又は債務の一部免除の如し。或いは種類の変更なることあり。例えば特定物の引渡を目的とする債務の履行が債務者の過失に因り不能と為りたる場合に於て金銭を目的とする損害賠償権に変する如き是なり。これ場合に於ては権利の内容一変するが故に従前の権利は消滅し更に新たなる権利を生ずる観なきに非ずといえども普通にはこれ見解を採らず。原債権は依然存在するものと為し従って保障其他の担保もまた消滅せざるものとみるなり。これ他債権履行の時期又は場所を変更する如き権利の効力に変更を生ずることあり。例えば一定の期間債務の履行を請求せざることを約する如き是なり。是また権利其ものを消滅せしむることなきは言うを俟たず。

 主体に関する変更は権利の移転即ち承継の場合に生ずるものとすこれ場合に於ては主体の員数にも変更を生ずることあり。例えば遺産相続に因りて従来一人に属せし権利が数人に属する如き其相互間に共有関係を生ずる等権利を有する状態に変更を来すことなきに非ず。然るに其何れの場合に於ても従来の権利は消滅することなくして承継人に移転するものとす。但更改はこれと性質を異にするものと解すべし(513条乃至518条)

 権利の消失又は変更は当事者の意思に基因すること多し。而して其最も重要なる原因は放棄及び譲渡の二とす。

 放棄とは将来に向て権利を遺棄する意思表示を謂う。其意思の作用に因る点は譲渡に同じといえども権利の消滅を来す点に於てこれと其効力を異にするものと謂うべし。

 然りといえども放棄無制限にこれを為すに非ざれば全く権利を消滅せしむる効力なきものとす。単に其目的の範囲又は行使の時期に制限を付する如きは権利の変更に過ぎず例えば債務の一部免除は一定の期間債務の弁済を請求せざる意思表示の如きは一部の放棄と称することを得べきも債権其ものを消滅せしむることなきは言を俟たざるなり。

 放棄は権利者の意思表示を必要とすること勿論なりといえども特定の法律関係に於て其一方の意思表示をもって足れりとすべきや又はこれ外に他の一方の承諾を必要とすべきやに付いては古来立法例一定する所なし。ローマ法に於ては凡そ権利は其成立したると同一の状態に於て消滅すべきを原則としこれを放棄するにも一般に契約を必要とせり。殊に債権は特定人相互の関係なる故をもってこれに関してはこれ主義を一貫し債権者一方の意思をもってこれを他人に譲渡し又は放棄することを得ざるものとせり。これ主義は譲渡に関しては近世一般にこれを襲用せすといえども債権の放棄即ち債務の免除は今日尚諸外国の法律に於て契約をもってすることを必要とせり。我民法はこれ点に於て普通の立法例に倣はずして片意の放棄を認めたることは後にこれを述ふべし(519条)。物権の放棄は一般に片意的なること疑なき所とす。殊に所有権の放棄(所有物の遺棄)の如き特定の法律関係に基かざる権利の放棄は其最も著明なるものと謂うべきなり。

 放棄は必ずしも明示たることを要せず黙示即ち権利者の行為又は不行為に依りてもまた成立することを得。是一般意思表示の通則なり。例えば取り消しの原因あるにも拘らず履行の請求に対して異議を述べざる如きは取り消しの放棄と為ることあり。但一般の原則としては単純なる積極的行為のみに依りて放棄の意思あるものと推定することを得ず。

 投棄は現に有する権利のみならず将来に有すべき権利に付てもまたこれを為すことを得べし。但未だ完成せざる時効の利益又は未だ開始せざる相続を放棄する如きは無効とす(146条,986条,1001条,1088条)。是公益上の理由に基づく制限なり。これ他現に有する権利に付いても放棄は一般に財産権を目的とし人身権に関しては殆ど其適用を見ることなし(90条,130頁)。

 譲渡とは権利を他人に移転する意思表示を謂う。故に放棄と異なりて一方に権利の喪失あると同時にかならず他の一方に其取得あるものとす。普通の場合に於ては主体の変更に過ぎずして権利の諸滅を来すことなし。而して其意思作用に基づく点は時効,相続等に因る権利の得喪と相異なる所なり(時効は原始的取得又相続は包括承継の原由なる点に於ても同一ならざることはさきに述べたる如し)。又一般に双方行為たる点に於て更に放棄と性質を異にするものと謂うべし。

 創設的継受取得(369頁)は実質上譲渡の一種に外ならず。故に広義に於ける譲渡と称することを得べし。但普通の用例には非ざるなり。

第3節 法律上の事実

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 権利の発生,消滅及び変更は必ず一定の事実に原因するものとす。凡そ宇宙間に発生する現象は一として事実に非ざるなし。其無数の事実中に於て特に権利の得喪または変更を来すものを称して法律上の事実(又は法律事実)と謂う。法律上研究すべき事実は即ちこれ範囲を出てざるなり。

 法律上の事実よりして権利の得そう又は変更を生ずるを称して法律上の効果と謂う。法律上の事実は法律に依りて定まるといえども法律が創造するものに非ずして吾人の意思又は自然界の出来事に起因するものなり。これに反して法律上の効果は全く法律の作用に因るものにして唯吾人の意思をもって生ぜしむることを得るものと其意思の有無に拘らずして生ずるものとの二種あるのみ。

 法律上の効果殊に権利の発生すべき時期を定むることは物権の取得其他数多の点に於て重要なる事項なりとす。然るに其時期は往々にしてこれを確定することの困難なる場合あり。殊に其効果の発生が時を異にして生ずべき数多の事実に関係する場合に於て最も疑義なきことを得ず。思うにこれ点に於ては先権利其ものの発生する時期と其効力の発生する時期とを混同せざることを要す。蓋権利は必ずしも其発生の時期より完全に其効力を生ずるものに非ざればなり。例えば一年後に弁済期の到来すべき債権を取得したる者は其期日に至るまではこれを行使することを得ずといえども債権其ものは即時に存立せること少も疑いなきが如し。

 凡そ権利の取得其他法律上の効果は其発源たる事実が完全に生じたる時に於て発生することを常態とす。然りといえども或場合に於ては其効果の発生するも其発生は外の事実の生ずることを要件とし其要件にして充たされたるときは前事実の発生したる時に遡りて其効果を生ずることあり。例えば民法第42条第2項の場合の如き是なり(245頁)。これ他胎児は相続権を有すといえども活きて生まるることを前提とし其要件完成するに於ては相続開始の時に遡りて相続人と為る如きも其一例と見るべし(968条,1065条)

 法律上の事実は従来一般にこれを大別して意思に基づくもの即ち行為と意思に基かざるもの即ち事実との二種とす。ひろく言えば行為もまた一の事実に外ならずと言えどもこれには事実なる語を協議に解して専ら好意に対するものと為すなり。

 一般に行為に非ざる事実は法律の規定に因る権利得喪の原由なりとし意思に基づく事実と法規に基づく事実とに区別する者あり。然るに意思に基づく事実といえども法律が認めてこれに権利得喪の効果を生ぜしむるものなるが故に法規に其源を汲む点に於ては結局両者の間に差異あることなし。故にこれ区別の如きは正確なる根拠を有するものと謂うことを得ず。

 上述せる「行為と事実」の類別は最も重要のものなること言うを俟たず。唯「行為」なる語は内心的現象を包含せざる弊あり。然るに法律は吾人の内心的現象に一定の効果を付する場合なきに非ず。例えば或事を知り又は知らざることの如き是なり。而してこれ場合には行為に於けると同様なる問題(例,能力)を生ずるが故にこれを単純なる事実と同一視することを得ず。これに於て近時の学者中には広く心的作用を含む事実をもって単純なる事実と対立せしめ更にこれを区別して内心的現象と行為の二種と為す者少からず(岡松氏「法律要件及法律事実」京都法学舎雑誌6巻10号 7頁以下,曄道氏「日本法要論」1巻43頁以下)

 法律上の事実たる行為には積極と消極との二種あり。蓋吾人の意思は専ら或事を為すに依りて表現するもに非ず。又或事を為さざるに依りても発動することあり。例えば債務を履行すべき起源にこれを履行せざる如きは一の不行為にして損害賠償の原由と為る如し。

 又行為には単純なる意思表示と他の事実の連結を要するものとあり。其大半は単純なる意思表示に依りて成立すといえども先占又は消費貸借の如きは意思表示の外に尚占有の事実を必要とす。但これ等の行為といえども其一要素たる意思表示に重きを置き其全体を称して意思表示と謂うこともこれあるなり。

 私法上の効果を生ずべき行為は法律が其効果を生ぜしむる理由の如何に依りこれを適法行為と違法行為の二種に大別するを通例とす。所謂適法行為とは法律に違反せざる行為にして其重要なるものは法律行為なりとす。法律行為とは当事者が私法上の効果の発生を欲望したるに因りて其効果を生ずる行為を謂う。例えば売買其他の契約の如き是なり。詳細は次章に於てこれを説明すべし。

 法律行為以外の適法行為(法律上の行為又は法的行為と曰う)は何れも当事者が欲望せると否とを問はず法律上一定の効果を生ずるものを総称す。これ部類に属する行為には種類のものあり。其範囲及び分類の方法に付いては学説一定する所なし。普通にはこれを準法律行為と事実行為に種別す。所謂準法律行為とは一定の心理状態の表現に法律上の効果を付せられたるものを曰う。例えば或事実の通知(62条,381条,522条等)又は報告の如き是なり。其心理状態の表現は法律上の効果発生の基因たらざる点に於て法律行為的意思表示と相異なるも適法なる心理現象の表示たる故をもって法律行為に準し各々其性質の容す範囲に於てこれに法律行為の規定を準用すべきものとす。催告,弁済の提供其他これに類する一方的行為は法律行為なるや又は準法律行為なるやに付き議論多し近時の学説は右に示す標準に基きこれを法律行為と見ざる傾向あり。但何れにも法律行為の規定を準用すべきこと疑なきが故にこれ議論の実益は甚少しとす。これと相異なりて事実行為とは単に或事実状態の成立を来す故をもって法律上の効果を生ずるものを謂う。故に法律行為とは著しく性質を異にし当然これに其規定を準用することを得ず。例えば住所の設定は変更,付合,混和,加工,占有の取得,事務管理等是なり(岡松氏前掲14頁以下,鳩山氏「法律行為乃至時効」19頁乃至28頁及45頁以下,曄道氏前掲参照)。

 違法行為とは法律の規定に違反する行為を謂う。即ち行為者の欲望の如何を問わず其行為の違法なる点に法律上の効果を付し損害賠償等の責任を負担せしむ私法上に於ける違法行為の主要なるものは不法行為及び債務の不履行なりとす。何れも債権編に規定せる事項なり。

 行為に非ざる事実は出生,死亡,添付,埋蔵物の発見等数多あり。これに一括して其種目を示すことを得べきに非ずといえども其中に於て最も広濶なる作用を有するものは時即ち期間なりとす。但期間其ものは単独に権利の得喪又は変更を来す事由と見るべきに非ず。通常他の事実と連結して初めて法律上の効果を生ずるものなり。例えば一定の期間権利なきとは其権利は予定期間の満了又は時効に因りて消滅するが如し。而して其適用は或一種の権利の権利に付いてのみ生ずるに非ず。是民法第1編に於て期間及び時効に関する規定の設ある所これなり。其他の事実にいたりては或いは包括名義に於ける権利の取得に関し或いは特種の権利の得喪に関するもの最も多きが故に第2編以下に其規定あることを見るべし。

 以上述べたる各種の区別の外法上の事実は其効力の方面より観察して更にこれを得権事実,喪権事実及び変権事実の三種に区別することを得べし。然るにこれ差別は上来説明せる所に依りてこれを知悉することを得べきが故にこれに改めてこれを論述するの必要をみざるなり。

第2章 法律行為

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 人間生活上の需要は主として其欲望する法律上の効果を生ずべき行為に依りて充たさるるものなり苟も法律に定めたる限界を遵守する以上は各々意思活動の自由を発揮し他人との間に諸般の法律関係を自定することを得ざるべからず。法律行為は即ち其手段にして畢竟私法的生活を送るの一台要具に外ならず其行為中には或いは売買,賃借,雇用の如き吾人日常の生活に寸時も缺くべからざる財産権の得喪を目的とするものあり或いは婚姻又は養子縁組の如き身分上に変更を来すものあり。或いは又相続の承認又は遺言の如き頻繁には発生せざるもきわめて重要なる効果を生ずるものも少しとせずこれ等の行為は各々これに関する法規の支配を受くべきこと言うを俟たずといえども又或性質の下にこれを一括して其全体又は多数のものに通用すべき原則を定むることを得ざるべからず。是これに一般法律行為に関する法理を論究する所以にして其理論の深遠且根本なると其適用の広汎なるとは実に私法全体の中枢と称するも過言に非ざるなり。

 仏法系に属する諸法典に於ては法律行為に関する通則を設けず本章に於て説明せんとする民法第1編第4章に規定せる事項は法律行為の一種目たる契約に関する条下にこれを規定し学者もまた時としては法律行為(actes juridiques)なる語を用きざるに非ずといえども右事項の如きは通常契約に付きこれを論及するを例とす。法律行為なる概括的概念の下に諸般の私法的関係を自定する方法に関する原理を攻究するに至りたるは主として近世独逸法系に於ける法学研究の結果なり。而して民法に総則の1編を設けてこれに関する通則を掲げたるは即ち独逸式編別法の一大長所と見るべき点となりとす。

第1節 法律工の本質及び分類

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第1款 法律行為の本質

 法律行為の意義に関しては学説一定せず。今これに従来の通説及び民法の概念に基き其本質を究むるに法律行為とは私法上の効果を生ぜしめんと欲する私法的意思表示にして表意者がこれを欲したるが故に其効果の発生を認められたるものを曰う。即ち私法上の効果の発生を欲したるに因りて其効果を生ずる意思表示なり。然るにこれ定義の一部に対しては異論なきに非ざるが故に左にこれれを分析して少しく説明を加える所あらんとす。

(一)法律行為は意思表示なること

 法律行為は一定の内容を有する意思表示より成ること疑を存せずといえども更に進んで両者の関係如何と云うにこれ点に於ては近時大いに議論あり。サヴィニー,ウィンドシャイド等に依りて唱えられたる従来の通説は右に示す如く意思表示をもって直ちに法律行為と為すに在り。独民法及び主としてこれに則りたる我民法もまたこれ観念に基き両者を同一視せること殆ど疑なきが如し(独逸民法理由書1巻126頁,デルンブルヒ「独逸民法論」106及107号参照)。然るに近来の学説はこれ二者をもって別異の観念なりとし意思表示は法律行為の一要素に過ぎず法律行為とは私法上の効果を付したる事実の全体を謂うものと為す学者少からず。或いは法律行為とは「意思表示を缺くべからざる要素とする法律事実」なりとするあり(中島氏432頁以下,鳩山氏31頁以下)或いは法律行為とは「意思表示(または意思実現)を缺くべからざる組成部分とする法律要件」に外ならず。即ち一個の法律事実に非ずして意思表示其他の事実の集合なりとする説あり(岡松氏前掲14頁及「法律行為論」4頁以下,曄道氏293頁)或いは又法律行為とは「意思表示を要件とする法律的行為」なりとする説もこれなきに非ず(岡松氏403頁)。何れも意思表示をもって単に法律行為の一要素と為すものにして法律行為其者の本体に付いては学説必ずしも一定せざる如し。

 これ学説は単純なる意思表示の外に外の事実を要する法律行為あるに徴し至当の見解なることを否定する能はず。例えば踐成契約(消費貸借,使用貸借及寄託)の成立に物の引渡を必要とする如き是なり。又凡て契約は単に意思表示に依りて成立するに非ずして其合致を必要とする如きも意思表示と契約なる法律行為とを同一視すべからざる證徴と見ることを得べし。然りといえども本来「意思表示」なる語は二様の意義に用いられ或いは法律行為の一要素を指すことあり。或いは総ての法律行為に通し其基本的要素なるよりして法律行為全体を意義することあり。従来の通説に法律行為は意思表示なりとは即ちこれに示す第二の意義に用いるものにして畢竟其主たる要素に重きを置きたるが故に外ならず蓋行為とは意思の外部に表はれたるを曰う。而して法律行為もまた一の行為なる以上は右の如くに観察すること必ずしも失当と断言すべからず。契約に付いても「意思表示」なる語を単数的に用い合致せる意思表示と解することを妨げざるなり要するにこれ問題に関しては強いて民法及び従来の観念を非難することを要せず殊に法律の適用上より言えば深く論ずるの価値なきものと謂うべし(中島氏444頁,鳩山氏33頁参照)。

 尚民法中には同一の語にして法律行為を意義する外これに因りて生じたる法律関係を指示することあり。例えば売買の会場,賃貸借の終了又は婚姻の解消と言えば即ちこれ意義に用うるものと解すべきなり。

(二)法律行為は法律上の効果を生ずべき意思表示なること

 これに所謂法律上の効果とは或法律関係の発生,変更又は消滅即ち私権の得喪又は変更を来すことを謂う。これ効果を生ずべき意思表示に非ざれば道徳上の拘束を生ずることあるも法律行為とは称せず。例えば或友人と共に観劇又は散歩を為す約束の如き又親戚知友に婚姻,死亡等を通知する行為の如きは法律行為に非ざるなり。然りといえども法律上の効果を生ずべき意思表示は其効果の何たるを問わず総て法律行為たることを得故に承認,取り消し,解除,婚姻,養子縁組,私生子の認知,遺言等何れも法律行為たること疑を存せず。

(三)法律行為は私法上の効果を生ずべき私法的意思表示なること

 法律行為なる語は術語として其意義一定し且普通私法たる民法に其規定ある以上は私権に関する私法的意思表示と解するを当然とす。故に裁判其他官廳の命令の如きは実際に私法上の効果を生ずることなきに非ずといえども其基本たる性質に於いて私法上の行為と見るべきに非ず。これの如き主権の作用にぞくする公法上の行為は勿論個人の公権に関する行為といえども法律行為に非ざるなり。例えば恩給を受ける権利を放棄し又は営業免許を出願する如き是なり。但国家其他の公法人といえども私法的意思表示を為すことを得るは勿論とす。

 訴訟行為の性質に付いては議論あり。我民法はこれを私法上の行為と見たる如きも(12条1項,14条1項)法律行為と明言せるには非ず。且これ問題の如きは主として一般の理論上より解決すべきものなり余輩は訴訟行為其ものは法律行為に非ざることを信ずといえども今これにはこれを論ぜず(鳩山氏52頁以下参照)。

(四)法律行為は私法上の効果を生ぜしめんと欲する意思表示なること

 これ要件は最も重要なるもにして法律行為の基本的観念と見ることを得べし。是前段に例示せる道徳上又は社交上の約束と相異なることを示すのみならず適法行為の一部(殊に事実行為)及び違法行為とも其性質を異にする要点なり。故に法律上の効果を生ずべき行為といえども其効果は必ず行為者が欲望せるものなることを要す。

 然りといえどもこれに所謂行為者の意思作用に基きべき効果の範囲に付いては誤解なきことを要す即ち其効果は一定の法律関係を発生,変更又は消滅せしむることにして例えば売買又は婚姻を成立せしむる如きを謂う。其事実が更に如何なる効果を生ずるやわ主として法律の規定に依りて定まるものとす。唯其規定中に別段の意思表示を容れざるものとあるのみ別段の意思表示を許すものといえども(例えば買主に担保の義務あることの如き)実際其意思表示を為さざるに於ては縦令当事者が了知又は希望せざるも其効果は当然発生するものと謂うべし。

 要するに法律行為は必ずしも当事者が予期したる効果のみを生ずるものに非ず。又其予期したる一切の効果を生ぜざることもあり。尚其終局の目的とする効果を実際に生ぜざることあるも(例えば条件付合行為又は取消得べき行為の如き)法律行為たることを妨げるなり。

 又法律行為は直接に権利の発生,変更又は消滅を目的とすることを要せず。例えば債務履行の催告又は承認の如き権利の行使又は保全を目的とする行為といえども法律行為たることを得。但催告に付いては反対説多きこと既に述べたる如し。

 尚法律行為は必ずしも法律上の効果の発生のみを目的とすることを要せず。これと同時に又は主として其以外の結果を生ぜしめんとするも従来の多数説に於ては法律行為なりとする如し。例えば先占又は事務管理の如き是なり(デルンブルヒ「パンデクテン」91節3項カピタン210頁詿)。然りといえどもこれ等の行為が法律上の効果を生ずるは表意者の欲望に基因するものに非ざるが故にこれを法律行為とみることに付いては大いに異見なきことを得ず。

(五)法律行為は私法上の効果の発生を欲したるに因りて其効果を生ずる意思表示なること

 従来の通説に依れば法律行為は私法上の効果を生ぜしむることを目的と為す意思表示なりとするをもって足れりとする如し。然りといえどもこれ定義にては未だ蓋さざる所あり。尚これ外に其効果を生ぜしむることを欲して為したるが故に法律上これれを生ぜしむるものと解することを要す。換言せば行為者の欲望と其効果の発生との間に必要的因果の関係なかるべからず。是法律行為を自治行為と称し其主要なる特性として近時一般に認むる所なり(サレイユ「意思表示論」378頁,川名氏301頁以下,中島氏432頁以下,鳩山氏33頁参照)故に不法行為の如き縦令損害賠償の義務を負わんと欲してこれを為すも法律行為と為ることなし。又これ見解に従えば先占,遺失物の取得,付合(243条),混和(245条),加工(246条),住所の設定又は事務管理の如き法律上の効果の発生を欲望せると否とを問わず其効果を生ずべき行為は事実行為にして法律行為に非ざるなり。

第2款 法律行為の分類

 法律行為には数多の種別あり。左に其主要なるものを示さんとす。

(一)一方行為,双方行為

 一方行為とは一当事者の意思表示に因りて成立する法律行為を謂う。例えば承認,追認,取消,解除,遺言の如き是なり。民法はこれを称して単独行為と曰えり(118条)。単独行為は相手方たる人に対してこれを為すこと最も多しといえども又何人にも対せざることあり。寄付行為,相続の承認又は放棄,遺言等是なりこれ区別の実用は例えば第93条但書及び第96条第2項の適用に付きこれを見るべし。

 双方行為とは両当事者の合意に因りて成立する法律行為を謂う。民法にはこれを契約と称せり。契約なる語は従来Contractusの訳語として債権の発生を目的とする合意の意義に解したること多きも(財296条,仏1101条)民法はこれ実益なき概念を採らずして最も広き意義にこれを用い総て私法上の効果の発生を目的とする行為を謂うものとせり(例えば第113条乃至第117条の如き)但第3編第2章に所謂契約は尚仏法系の立法例に従い債権の発源として規定せるものと解すべし。

 上記の区別は旧来ひろく行はるるといえども果して一切の法律行為を両分し得るものなるや大いに疑なき能はず。近時の学説は一方行為及び双方行為の外に合同行為なるものを認め例えば法人の設立又は決議の如き同一の方向及び内容を有する二個以上の意思の合致はこれを契約と区別するの傾向あり(岡松氏「法律行為論」71頁以下,鳩山氏37頁参照)。

(二)生前行為,死後行為

 生前行為とは自己の死亡の際に於ける関係を定むることを目的とするに非ざる行為を謂う。故に其効力の発生は行為者の死亡に関係なきものとす。これに反して死後行為とは死亡の場合に於ける財産の処分其他の事項を定むる行為を謂う。故に其効力は必ず行為者の死亡後に発生するものと謂うべし。吾人日常の生活上に於て最も頻繁に生ずる売買其他の法律行為は一般に生前行為にして死後行為の著しきものは遺言なりとす何れも財産の処分に関すること最も多きが故に其方面よりして生前処分,死後処分と称することあり(42条)。

(三)有償行為,無償行為

 有償行為とは対価を受けて財産上の給付を為す法律行為を謂う。例えば売買,賃貸借,雇用,担付贖与の如き是なり。無償行為とは報償を受けずして其給付を為す行為を謂う。使用貸借,負担なき贖与もしくは遺贈の如きは其部類に属するものとす。これ区別は主として契約に付き其適用あり。而して数多の事項に関し法規を異にする点に於て其効用あるものとす(12条,559条,929条)。

(四)要式行為,無式行為

 要式行為とは書面其他一定の方式に依りて意思表示を為すに非ざれば其効なきものを謂う。例えば婚姻又は遺言の如き是なし。これに反して無式行為とは如何なる方法に依りて意思表示を為すも其効あるものを謂う。近世一般の法制に於ては法律行為は無式を通則とし特定の形式を要するものは例外とす。意思表示に外の事実(物の引渡しの如き)の加はることを要する行為(弁済又は寄託其他の踐成契約の如き)は要式行為と称せざるなり。

(五)主たる行為,従たる行為

 主たる行為とは其成立に外の法律関係の存在を必要とせざるものを謂う。これに反して従たる行為とは外の法律関係の存在を要件とするものを謂う。例えば消費貸借に於て担保を供すること又は婚姻に際して夫婦財産制を定むることの如き是なり。これ区別の実益は普通の場合に於て主たる法律関係が存立せざるときは従たる行為もまた当然成立せず。これに反して従たる行為の無効なることは主たる法律関係の存立に影響せざるに在り。又従たる法律関係が消滅することあるも主たる法律関係はこれと其運命を共にせざるを原則とす。

第2節 法律行為の成立

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第1款 汎論

 法律行為には左に掲げる三種の原素あり。其成立及び効力に関する作用を異にする点に於て重要なる区別なりとす。

(一)要素

 これに所謂要素とは法律行為の本質を組成する原素を謂う。故に其一を缺くときは法律行為は成立することを得ざるものとす。

 要素に一般要素と特別要素との二種あり。一般要素とは一切の法律行為に具はらざるべからざるものを謂う。其種目は次款に於てこれを述ふべし。特別要素とは特種の法律行為に必要なるものを謂う。例えば売買契約に於て其目的たることを得べきもの代金及びこれ二者に付き双方の合意を必要とする如し。若これ要件にして具はらざるときは外の法律行為を組成することあるも売買契約は成立せざるなり。

(二)常素

 常素とは通常法律行為の性質又は効力を為すも別段の意思表示をもって変更又は除去することを得るものを謂う。例えば売買契約に於ける担保の義務の如き是なり。買主は特約なきも当然是を負担せざるべからずといえども又特約をもって其責任を軽重し或いは法律に定めたる制限内に於て全くこれを免除することを得べし(572条)。要するに其特約なき限は常に存在するものなるが故にこれを常素と名くるなり。

(三)偶素

 偶素とは法律行為の本質又は常性を為すに非ずして当事者が特にこれに付加したる条款を謂う。例えば売買契約に於ける買戻しの約款又は代金支払いの期限の如き是なり。


 法律行為の本質を組成する要素は法律の定むる所にして当事者の意思をもってこれを変更することを得ず。即ち例えば各種の契約の成立要件を定めたる規定(549条,555条等)の如きは強行法に属するものと謂うべし。是他の二原素と全く其性質を異にする所なり。然りといえども法律行為は其法定要素の具はるをもって足れりとせず尚当事者が必要条項と為したる一切の点に於て缺点なきことを要す。即ち当事者が特に或常素を変更もしくは除去し又は或偶素を付加したる場合に於ては其条款は通常法律行為の内容を為すものにして法定要素に付き錯誤なきも法律行為は成立せざることあり。これ事は後にこれを詳述すべし。

第2款 法律行為の要素

 一般法律行為の要素は法系及び学説に依りて其分類法を異にし殆ど一定せる所なし。然りといえども今これに其成立に缺くべからざるものを挙げれば(一)意思表示(二)目的の二に歸著すべし。但これ二要素は各一定の要件を具備せざるべからざることは後段にこれを述べんとす。

 多くの学者は当事者又は其行為能力を一般要素中に算入すべきものとせり。是観察点の相異なるに因るものにして広義に解するときは失当の見解に非ずといえども当事者の如きは直ちに法律行為其ものの要素とみるべきに非ず。殊に主観的方面より観察するときは当事者の何人たることは意思表示の効力を定むるに付き必ずしもこれを問うことを要せざるが故にこれ点に於て或いは誤解を生ずる虞なしとせず。これ事は後に錯誤に関する法理を説くに当たりてこれを詳述すべし。又能力の如きも意思能力は法律行為の成立に缺くべからざること論を俟たずといえども是意思表示の一要件と見れば可なり其他の行為能力(民法に所謂能力)に至りては法律行為の成立要件に非ざるなり。

 法律行為の成立要件は其完成要件と混同すべきに非ず。蓋法律行為が上記の要素を具へて成立するも未だ完全に成立すること能はずして取消し得べきものなることあり。これに於てか其瑕疵を帯びずして完全に成立するには更に別種の要件なきことを得ず。其要件は我民法に依れば(一)意思表示に瑕疵(詐欺又は強迫)なきこと(二)行為能力を有すること(3条以下,123頁以下)是なり若それ法律行為の要素なるものを広義に解して其完成要件をも包含するものとせばこれに所謂行為能力をも其一に算入せざるべからず。而して意思表示に瑕疵なきことは有数なる意思表示の一様件と為すことを得べし理論上より言えばこれ見解或いは至当なるべしといえども各種の要件の効力,作用に付き更に区別を為すことを要し粉雑を生ずる虞あるが故に余輩はむしろこれを純然たる成立要件の意義に解し完成用件と区別線と欲す。但其要件を缺きたる行為といえども普通法律行為とは称するなり。尚不成立(又は無効)と取消との差異は第5節に於てこれを説明すべし。

 意思表示は法律行為の一要素なると同時に基本体を成すものとみるべきが故に特に時節に於てこれに関する法理を詳述することとしこれには主として法律行為の第二要素たる目的に具はらざるべからざる用件を論究せんとす。

 法律行為の目的とは当事者が私法上の効果として発生せしめんと欲したる事項を謂う。即ち其意思表示の内容を組成するものなり。法律行為の目的は法律の保護を受くべき性質のものなることを必要とす。今これに普通の観念に基き其要件を示さば目的は(一)可能なる事(二)適法なる事を要す。故に不能又は不法の事項を目的とする法律行為は当然成立することを得ざるなり。

(一)目的は可能なるべきこと

 これ要件を具へざる不能の目的とは絶対的に発生すること能はざる事項を謂うものとす。これに反して主観的又は一時的不能の事項は一般に法律行為の成立を妨ぐることなきを原則とす。したがって再建関係を生ずべき行為に在りて假令債務者に於て履行を為すこと能はざるも其行為は成立するが故に不履行の責に任ぜざることを得ざるなり。一説には絶対的に不能なる事項なしとするも斯の如きは人事の常態に反する見解と謂うべし。法律上においては唯現代に於ける吾人智識の程度を標準として判断すべきのみ。

 当事者が不能の事項なることを知りつつこれをもって法律行為の目的と為す如きは殆ど兒戲に等しき行為にして必ずしも目的の不能を理由と為すことを要せず法律関係を生ぜしむる意思を缺く故をもっても通常其行為は無効なるべし。実際に於て不能の目的なるが為に法律行為を無効とすべきは当事者が不能の事項なることを知らざりし場合なりとす。例えば特定の売買に於て其物が既に滅失せしことを知らずしてこれを契約の目的と為したる場合の如き是なり。

 第三者をして或行為を為さしむべき契約は其目的不能なるが為に無効なりとは旧来仏法系の学説及び立法例の挙げて認むる所なり(財322条2項,仏1119条)。然るに其行為といえども第三者に取りては可能なるべきが故に絶対的不能の事項と称することを得ず。故に畢竟意思解釈の原則に依りて其効力を定むべきものと解すべし即ち当事者にして意思能力を有する以上は必ず一定の効果を生ぜしむる目的をもって其行為を為しめたるものと認定すべきが故にむしろ其効力あることに解釈するを当然とす。即ち第三者の行為を約したる者は普通の場合に於て其者をしてこれを為さしむることに努むる義務を負う意思を表示したるものと解すべし故に若其結果を得ることに付き成功せざるときは不履行として其損害を賠償すべきものと決定するを至当とす。

(二)目的は適法なるべきこと

 法律行為の目的が不法なる為めに其行為を無効とすべき場合二あり。左にこれを述べん。

(イ)法令に禁止せる事項を目的とするとき

 法令に或事項を禁止するは即ち其事項の発生を認容せざるものなるが故に特別の制裁を定めるは限は直接又は間接に其発生を目的とする好意の無効なるべきこと言うを俟たず。而して其禁止の方式如何に依りて差別なきもとす。或いは其行為はこれを為すことを得ずと規定することあり。或いは刑法の如き一定の行為を為す者に対して刑罰の制裁を掲ぐることあり。必ずしも特に禁止の明文あることを要せず立法の趣旨に疑なきをもって足れりとすべし。又法令に命ずる行為を為さざることを目的とする場合も同一に論ずべきものとす何となれば間接にこれを為さざることを禁止するものに外ならざればなり。

 然りといえどもこれに所謂法令に禁止せる事項とは強行的法規に違反する事項に限ること勿論なりとす。蓋任意的法規は当事者の意思をもって適用を生ぜしめざることを得るものなるが故にこれに敵従せざるは固より禁止事項と見るべきに非ざればなり(91条,独134条,44頁)

(ロ)公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とするとき

 これに所謂公の秩序又は善良の風俗に反する事項とは法令の明文をもって禁止せざるも普通の観念に於て共同生活を保全するの妨と為るべき一切の事項を謂うものなり。故に其範囲広漠にして無数の場合を包含するものとす。是実に已むことを得ざるに出でたる法則にして何れの国の法律にもこれ趣旨に基ける規定を見ざることなき所以なり。蓋法律に於て保護すべからざる事項は千種萬別にして逐一これを条文に明示するは到底不可能の事に属す故に立法者は一の抽象的標準を示し其凡百の適用に至りてはこれを裁判官の認定に一任したるものなり(90条)。然りといえどもいったん其事実にして確定せば公序良俗に反するや否やは最早事実問題に非ずして法律問題なること疑を容れず(鳩山氏79頁参照)。

 公の秩序と善良の風俗との間には明確なる分界あるに非ず。其一に反する事項は通常他の一にも反するものと見ることを得べし。即ち其何れを標準と為すも不可なき場合最も多かるべし唯一は主として公安又は公益なる見地よりし又位置は社会道徳上より観察したるものにして畢竟これ両種の方面より共同生活の事件に背馳すべからざることを言明しもって運用の全からんことを期したるものに外ならざるなり。例えば親権其他の身分権を放棄又は制限すること(31年3月17日大審院判決)永久他人に讓与せざるを条件として或財産を贈与すること(32年3月15日同院判決)終生何地に於ても或職業を営まざる契約を為すこと(34年11月16日同院判決)婚姻又は養子縁組の予約(35年3月8日同院判決,36年4月1日東京地方裁判所決定)買淫を為す為め婦女に金銭を与え又は終身他人と結婚せざることを約せしむることの如きは何れも公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする行為と謂うべし。これ他報酬を与えて法律に命ずる行為を為し又は禁ずる行為を為さざることを約せしむる如きもまた其無効なること言うを俟たず。これ種の事例は実に無数にして逐一これに列挙することを得べきにあらざるなり。

 一説に曰く民法第90条に「公の秩序又は善良の風俗に反する事項とあるは当を得ず法律上無効なる行為は公の秩序に反するものに限るべく善良の風俗に反する行為の如きは畢竟公の秩序に反するが故に無効なるのみ単に善良の風俗に反する事項なるが為に法律の干渉を要すべきに非ず」と(梅氏「民法要義」1巻終版200頁)思うにこれ見解は「公の秩序」なる語を広汎なる意義に解するに非ざれば法文に包含せしめんと欲する一切の場合を網羅することを得ず。故にむしろ両様の標準を示すの安全なるに若かす。例えば未婚の男女私通を目的とする契約の如きは必ずしも公の秩序に反すと謂うべからざるも善良なる風俗に反するものとして無効なること勿論なるべし(鳩山氏67頁)蓋法律は常に道徳上の本分を守るべきこと勿論なるべし(鳩山氏67頁)蓋法律は常に道徳上の本分を守るべきことを命せずといえども又進んでこれに反する行為を保護すべきに非ず。即ち其本分に対して強制力又は外形上の制裁なきとこれに違背せる行為の効力を認めざるとは自ら別事にして共同生活を保持する為に一はこれを必要とせざるも他の一はこれを必要とすることあるべければなり(4頁参照)。固より善良の風俗に反する行為とは日常見る所の軽微なる非行をまで謂うものに非ず。其果してこれに反するや否やは各場合に於て国民一般の思想に基きこれを定むること至難の業に非ざるべし。現に独逸民法の如きは法律の禁止に違背する行為の外には却って善良の風俗に反する行為のみを掲げ公の秩序を加えず(独134条,138条)。是仏民法の説明としてもまた聞く所なり(プラニオル1巻293節)

 法律行為の目的と混同すべからざるものあり其縁由即ち是なり。縁由とは或法律行為を為す意思を決定するに至りたる理由にして当然其内容を成すに非ざるものを謂う。蓋吾人が各種の法律行為を為すは必ず一定の希望を充たさんと欲するが故に外ならず。例えば或物を売却しまたは金銭を借入るる目的は或いは更に他の物品を買入れ又は商業を開始する為なることあるべく或いは債務を弁済し又は貧困なる親戚知友を救助そ其他慈善事業に使用する為なることもこれあるべし。当事者は通常これ等の動機即ち縁由に促されて法律行為を為すに至るものなり。果して然らば縁由は千差万別にして当事者の内心に伏在すること最も多く法律行為の性質に依りて其何たることを判定し得べきに非ず。故に縁由は一般に法律行為の成立に影響することなきを原則とす。縦令一定の縁由存在せざるか又は縁由に錯誤あるも通常これが為に法律行為の成立を妨ぐることなし。例えば某者に贈与する為或物を買入れたる場合に於て其者既に死亡せるも売買はこれが為に無効と為らざるなり。又法律行為の目的は公の秩序又は善良の風俗に反せざることを要するは既に述べたるが如しといえども縁由の不法なるが為に其行為を無効とすべきに非ず。例えば人を殺傷する為に凶器を購買し又は醜業を開く為に家屋を賃借する如き是なり。

 縁由はこれを相手方に通告したるがために当然法律行為の要件と為るものに非ず。唯其実行をもって法律行為の内容(条件の如き)と為す意思を表示したる場合はこれ限に非ざるなり。

 茲に又縁由と区別せざるべからざるものあり原因即ち是なり。抑も法律行為(殊に契約)成立の一要素として原因なるものを認むるは旧来一般の観念とす。現に仏法系に属する諸法典に於ては真実且適法の原因をもって契約(むしろ契約上の債務)の一要件たることを明記せざるはなし(財304条,仏1108条,1131条)。而して其本質如何については学説一定せずといえども普通の見解に依れば原因とは当事者が債務を約するにいたれる直接(又は法律上)の理由を謂うものとす。往時原因論の首唱者ドマは双務契約,踐成契約及び無償契約の区別に基き原因の何たることを論述せり。其説に双務契約(売買の如き)に於ける各当事者の債務の原因は相手方の債務に外ならず踐成契約(消費貸借,寄託等)に於ける返還債務の原因は相手方より一定の給付を受けたることを謂う。又贈与に於ける贈与者の約因は報恩,賞功,慈善等の縁由に帰著すと曰えり(ドマ「民法論」1巻1編1章5節,6節)。これ見解は後にポチエこれを傅唱し遂に仏国民法に襲用せられたることは其編纂議事録に徴して明なり爾来学者の通説に原因は縁由と異なりて契約の要素を成し同種の契約に在りては常に後逸なるものとせり是縁由を間接の目的と為すに反して原因はこれを直接の目的と為す所以なり。

 独逸に於ても従来一般の学者は財産の出捐を目的とする行為に付き其成立に原因の存在を必要とすると否とに依りこれを有因行為と無因行為に区別し債権契約には原則として原因の必要なることを唱え単純なる債務約束は一定の形式を具備する場合に限り無因行為として其効力を認む(独780条,781条)。又物権契約,債権譲渡等の処分行為もこれを無因のものと為すを通説とす。而して原因の意義に付いては結局仏国学者と見解を異にせず唯法律行為の一分類として無因行為を認むる点に於て仏法と観念を異にするのみ(石坂氏「民法研究」1巻245頁以下,鳩山氏41頁以下参照)。

 然るに近時仏国に於ては原因をもって契約の一要素と為す旧来の学説に反対を唱える学者少しとせず。其理由は必ずしも一様ならずといえども余輩の所見に依れば上述せるドマ及び仏法系の学説はローマ法に於ける債務原因の観念を踏襲せるものにして其債務原因と称せしものは特別の意義及び沿革を有し直ちにこれをもって近世法の説明と為すことを得ず。蓋双務契約に於て双方の債務が互いに原因を為すとは其契約の性質として両債務が互いに従属的関係を有し相離るべからざることを意義す。随ってこれ概念は同時履行の抗弁権(533条)又は不履行に因る解除権(540条以下)を説明するには適当なるも双務契約の成立事項と見るべきに非ず。むしろ各自の債務は其契約より同時に発生するものにして其間に因果関係を存せず。若有数に存在せざることありとせば是契約が適法の目的又は意思表示を缺くが故に外ならず又践成契約に於ける物の給付は其契約の性質上必要とする所にして特に原因なる成立要件を認むることを要せず其欠缺の為に返還債務の発生せざるは畢竟契約の不成立に基因するものなり。無償行為に在りても単純なる縁由の適法なることをもって其成立要件と為すべきりゆうあることを見ず。これに於て多数の学者は贈与の原因をもって無償に財産を与える意思に外ならずとするも是聞祖ドマノ説に非ず。且これ見解に依るときは原因は贈与を為す意思と混同し益々其必要なきに至るべし(ローラン「民法原論」11巻506節,16巻107節以下,プラニオル2巻1037節以下,中島氏454頁以下,石坂氏前掲271頁以下参照)。

 上述する所は仏国学者の示す三種の債権契約に関すといえども其他の法律行為に付いても同様にして特に原因なる成立要件の存在を認むることを得ず。我民法中原因に関し何等規定する所なきをもって見るもこれを必要とせざる趣旨と解すべきなり(草案理由書85頁,440頁)唯これに疑問と為るべきは一定の原因を示さずして或給付を約し又は債務を承認したる場合なりとす。例えば或人に若干の金額を支払うべき一事を記載せる証書ありとせんにこれ場合に於て其給付を約したるには一定の原因(売買代金の支払又は借金の返還の如き)なかるべからずはこれ約束の有効なることを明言すといえども(仏1132条)其意義に関しては議論あり。通説及び判例はこれ規定をもって挙証の責任に関するものとし債権者より進んで適法の原因を証明することを要せず唯債務者に於て其存在せざることを証明して債務を免るることを得るものと為すに在り。蓋発狂者に非ざる限りは原因なくして給付を約する者なきが故に上記の場合に於ては必ず一定の原因存在するものとして其約束を有効としこれに示す意義に於て証書の効用を認めたるものとす。唯独法と相異なる所は独法に於ては特に無因の債務約束を認め当事者の意思が単純に債務を負担するに在るときは原因の存在を推定するに止めずして直ちに約束其ものをもって原因と同一視するに在り。我民法にはこれ点に関し何等の規定なき為多少の疑義なきに非ずといえども近時の学説は当事者の意思に反せざる限り無因の債務約束を認めんとする如し(石坂氏前掲,鳩山氏42頁,三潴氏297頁)。或いは前例の場合に於て債権者は原因を示さざる証書のみに基き訴訟上債権を主張することを得ずして請求の原因を証明せざるべからず(民訴190条,484条)。故に少くも訴訟法上に於ては原因の必要を認むべきが如しといえども是法律行為の要素として必要なるに非ず。其所謂請求の原因とは請求の基本たる法律関係を商事たる事実を謂うものにして民法学者の所謂原因と同一なるに非ず。債務約束といえどもこれを有効とする以上は其約束が即ち請求の原因にして原告は其存在を証明するをもって足れりとすべきなり。

 思うに現今の法制に於て一般法律行為の内容は意思表示に依りて定まるものと為す主義を採る以上は法律上縁由に大して特に原因なる成立要件を認むる必要は殆どこれなきに至りたるものと謂うべし。蓋純然たる意思主義に従えば当事者が法律行為に依りて達せんと欲したる目的は千差万別にして假令外部に形はれざるものといえども其実行あることひつようとせざるべからず。然るにこれ主義を一貫せんとするときは其弊害底止する所なく取引の安全は片時もこれを保つこと能はざるべし於是乎従来一般に当事者が法律行為を為すことに決意したる理由中に於て遠近の差別を設け所謂直接の目的はこれを原因と称して成立の一要件と為し其他のものは縁由なる名称の下に総てこれを顧慮せざることと為したるなり。故にこれ方面より観察するときは原因は畢竟意思主義及び裁判官の権能に対する一種の制限に外ならざるものとす。然るに近時法律行為は私法上の自治行為と称し其内容は法律よりも主として意思表示に依りて定まるものと為すが故に所謂原因と縁由との差別は結局意思表示の内容を成すと否とに存することと為るなり。唯其内容は法律の保護を受くべきものなることを要するのみ。

第3節 意思表示

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第1款 意思表示の要件
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 法律行為の本質は意思表示なり意思表示とは意思を外形に表彰することを謂う。意思外形に顕れれて始めて行為と為るものなり。故に意思表示には必ず意思及び表示の両原素具はらざるべからず。意思なくして単に其表示なきは人心内部の作用に過ぎず故に是また法律の領域に非ざるなり。民法に意思表示とあるをもっても意思と共に其表ぞを必要とする趣旨なることを知るに足るべし是従来一般に認むる所の原則にして所謂意思主義といえども全く表示を不必要とするには非ず。其表示主義と相異なるは畢竟意思と表示と一致せざる場合に於て其何れに重きを置きもって意思表示の効力を定むべきやに在るなり。

 今これに意思表示の成立に缺くべからざる用件を示さば左の三とす。

(一)意思

 意思は法律行為の其素なるが故に意思の欠缺は其行為の成立を妨げる一大原由なること言うを俟たず。故に法律行為を為すときに於て意思を決定する能力なき者は有効なる意思表示を為すことを得ず。例えば嬰児,瘋癲者又は泥酔者の如き是なり。

(二)表示

 意思は其表示あるに因りて始めて法律上の効力を生ずるものとす。而してこれ表示は表意者が現に為さんと欲して為したるものなることを要す。これに於てか近世の学者は行為意志と共に表示意思の存在することを必要とせり。

(三)意思と表示との一致

 意思表示とは一定の意思を表示することを謂うものなるが故に其意思と表示との一致せざるべからざること当然なりとす。若表示せられたる意思にして真意と付合せざるときは真正の意思表示あるものと謂うべからず。随って其意思表示は如何なる場合に於ても当然無効なるべきが如しといえども他人の真意を知るの方便は一に其表示に存するが故に法律はこれ一変の理論に偏せずして大に実際の取引上に及ぼす影響をも考察せざるべからず。これに於てか意思と表示との一致せざる場合に於て其何れに重きを置くべきやに付き左に列挙する三の主義生ぜり。

(イ)意思主義

 これ主義は真実の意思に重きを置き表示せられたる意思が真意に非ざるときは其意思表示は全く無効なるものと為すに在り。是主として仏法系の諸法典に採る主義にして独逸に於ても従来サヴィニーを首とし多数学者の採用する所なり。

(ロ)表示主義

 これ主義は表示に重きを置き表意者の真意に反することあるも取引上の通念に依りて意思表示の意義を定め其表示したる意思に依らんとするに在り。是近世ようやく勢力を得るに至れる観念にして畢竟取引の安全を維持する必要に基づくものなり。独逸民法(殊に第二讀會草案より)の如きは少くも財産権を目的とする行為に付き大にこれ主義に傾けるものとす。

(ハ)折衷主義

 これ主義は右の両主義を折衷して其中庸を得んとするに在り。即ち一般には真意と表示との一致を必要とするも数多の点に於て其適用を制限し表示せられたる意思に依らんとするものなり。蓋真意と符号せざる意思表示といえども其外形に缺くる所なき以上は何人といえどもこれを目して真意の表示せられたるものと解しこれに基き種類の準備,計量を為すことあるべし。然るに若表意者の主観的状態(或いは其過失に原因する)よりして其真意と符号せざるが故に無効なるものとせば凡て他人の意思表示を信用するに由なく一般取引の安全鞏固は得て期すべからざるなり。故に一方に於ては意思を表示せざりし当事者を保護すべきも又一方に於ては過失なき相手方を保護しもって取引の安固を図ること必要なりとす。是即ち我民法に採用せる主義にして其主要なる点は独逸民法に則りたるものなり。


 以上列挙せる三要件の外意思表示の完成には更に其任意なること即ち他人の不正なる干渉に基ける瑕疵なきことを要す。これ要件にして具はらざるときは意思表示は成立せざるには非ずといえども無能力者の意思表示に同じく取消すことを得るものとす。詳細は第三款に至りてこれを述うべし。

第2款 意思表示の方法
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 意思はこれを表示するの必要なること前款に述べたる如しといえども其表示には一定の方式なきを通則とす。故に言語,書面,容態等一切の方法に依ることを得べく又明示と黙示との間に効力上の差別あることなし。これ明示,黙示の区別は旧来普通に認むる所なるも其意義に付いては数多の説あり。通説は主観客観の両説に岐れ主観説に依れば明示とは表意者が或効果意思を発表する為特に用いんと欲したる外形の方法に依ることを謂い黙示とは間接に其意思を推断せしめんと欲する方法に依ることを謂う。客観説に依れば明示とは社会的見解上其意思表示に適当なる方法即ち一般的常用手段に依ることを謂い黙示とは其以外の実質(行為又は不行為)より意思を認知し得ることを謂うものとす。然りといえどもこれ等の学説は何れも茫漠に失し明確なる分界の標準を缺くの非難なきことを得ず。故に近時に於ける学説の趨向はこれ区別をもって単に明確なる程度の如何に依るものとし学理上の根拠と共に何等の実益なきものと為す如し(サレイユ3頁,4頁,鳩山氏11頁以下,曄道氏1巻308頁以下参照)

 沈黙は通常意思表示とみるべきに非ず。例えば契約の申し込みに回答せざる如きはこれを承諾したるものと謂うべからず。唯当事者間に行わるる取引上の慣習に依り特に,承諾の意思表示を必要とせざる如き場合はこれ限りに在らず。

 往古ローマ法に於ては一般に方式を尊重し多数の法律行為は煩雑なる方式を踏むに非ざれば成立することを得ざるものとせり啻に物権の設定又は移転を目的とする契約のみならず債権契約といえども其多数は特種の形式を履行することを要件とせり。仏独諸国に於ては当初ローマ法の原則を踏襲したるも中世取引交通の開くるに従い漸次形式主義の不便を感じ近世に至りては一般の原則としてこれを必要とせざるに至れり。これ変遷は主として中世に於ける仏国北部の慣習法に起源し遂に其南部地方に行はれたるローマ法の主義を圧倒して1804年の民法典に採用せられたるものとす。爾後更に欧州諸国の法制上に影響を及ぼしたることまた少しとせざるなり。

 我民法に於てもこれ法制を採用して法律行為は方式の必要なきを通則とし普通一般の場合に於ては意思表示の方法を限定せず(176条,549条等)。又其方法の如何に依りて意思表示の効力を異にすることなきを原則とす(550条の如きは例外なり)。唯或種の法律行為に限り特定の方式に従い明示の意思表示を為すべきものとせり。すなわち遺言,婚姻其他身分の変更を目的とする数多の行為及び手形行為の如き是なり。是何れも当事者をして慎重又は明確に其意思を表示せしむる特別の必要ある由るものなり。

第3款 意思表示の不成立及び瑕疵
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第1項 汎論
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 法律行為の基本たる意思表示は意思と表示との二原素より成るものなるが故に其一を缺くときは意思表示の成立すべからざること既に述べたるが如し。然るに単に意思又は表示を缺く場合には困難を生ずるこなしといえども最も頻繁に且種類の状態に於て現出する意思の欠缺にして特に論究せざるべからざるは意思と表示との一致せざる場合なりとすこれ場合に於ては真の意思は表示せられず表示せられたる意思は真の意思に非ざるが故に苟も意思の必要を認むる以上は有効なる意思表示は成立すべきに非ざるなり我民法はこれ原則を認むると同時に取引の必要上より其適用を制限し或限度に於て其意思表示を有効とせり。本款に於て論究すべき事項は即ち主として其適用の範囲なりとす。

 これ重要事項に関して最も注意すべきは意思表示の解釈問題なり。抑も意思と表示と一致せざるは意思の欠缺に外ならずといえどもこれの如きは異例なるが故に其証明を必要とするは勿論又容易にこれを許容すべきに非ず。然りといえども近世法は形式に重きを置かざるが故に意思表示の意義を確定するには其文言に拘泥せずして表意者の真意を探求するの必要なること言うを俟たず。唯遠く意思表示以外にこれを探索せずして其意思表示を為すに至れる外形の事情より其意義を究明することに努むべきのみ我民法は多数の立法例(財356条乃至360条,仏1156条乃至1164条,独133条,157条等)に反して意思表示の解釈法に関する規定を設けざるが故に裁判官は一層細心なる注意を為すの必要あるものと謂うべし。

 意思と表示と一致せざる場合はこれを左の二に大別することを得。

(一)表意者が不一致を知りて意思表示を為したる場合

 これ場合に又二あり。

(イ)相手方に対して真意を隠蔽したる場合(心裡留保)

(ロ)相手方と通じて真意に非ざる意思表示を為したる場合(虚偽表示)

(二)表意者が不一致を知らずして意思表示を為したる場合(錯誤)

 これ他意思と表示と全然一致せざるには非ざるも意思表示は他人の不法なる干渉に因りて任意に成立せざる場合二あり。詐欺及び強迫に因る意思表示即ち是なり。これ二の場合に於ては意思の欠缺あるに非ずして意思表示に瑕疵を生じたるに過ぎず故に民法は普通の観念に基き其意思表示はこれを無効とせずして単に取消し得べきものと為せり。

 以下項を分ちて順次に右五種の場合を説明せんとす。

第2項 心裡留保
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 心裡留保とは故意に真意に非ざる意思表示を為すことを謂う。即ち意思表示を為すに当たり其表示行為に対応する行為意思なきことを認識する状態なり。而して其目的は必ずしも相手方を欺罔し又はこれを害するに在ることを要せず。或いは戯虚に出つることもこれあるべし。又外の法律行為を成立せしむる意思を有すると否とを問うことなし。例えば甲者が乙者に対して其歓心を買わんが為これに多大の金額を贈与すべきことを約し実際にこれを贈与する意思を有せざる如き是なり。これ場合に於て意思と表示とは全然一致せず。即ち真正の意思表示なきがゆえに其意思表示は理論上無効なるものと謂わざることを得ず。

 然りといえども相手方に於ては通常表意者の意中を知ること困難にして実際表示せられたる意思を真実の意思と誤信すること多きは当然とす。然るに其意思表示にして無効なるものとせば相手方はこれが為に不慮の損害を被るに至り取引の安全を害すること少からざるべし。故に法律はこれ場合に於て相手方を保護する趣意よりして其意思表示を有効とせり。即ち意思表示は表意者が其真意に非ざることを知り手これを為したる為其効力を妨げらるることなしと規定し不確実なる損害賠償の救済に代えて直ちに其意思表示を真意の表示と看做したるものなり(93条,独116条)

 要するにこれれ規定は意思と表示との一致を必要とする原則に対する一の例外を定めたるものとす。故に其適用の範囲はこれ制限を必要としたる理由の外に出つべからず。即ち相手方が表意者の真意を知りたるとき又は過失に因りてこれを知らざりしときは一般の原則に復し其意思表示は無効とす(同情但書,独116条末文)。蓋これ場合に於ては特に相手方を保護する必要なければなり。

 これ理由に依れば表意者の真意を知らざりし相手方は縦令後に其真意を知ることあるも意思表示の無効を主張することを得ざるものと解すべし。何となれば其意思表示の有効なるは即ち善意者として其予期せる結果を得たるものに外ならざればなり。法文にはひろく「其効力を妨げらるることなし」と曰い又但書にも「知り又は知ることを得べかりしとき」と過去に属する文章を用いたるをもって見るも意思表示の冬至に於ける状態に基き絶対的に其効力を定むる趣旨と解せざることを得ず。

 相手方が表意者の真意を知り又はこれを知ることを得べかりしや否やは事実問題にしてこれに一定の標準を示すことを得べきに非ず。例えば表意者の平生に徴し其意思表示の戯虚に出でたることを用意に知り得べき場合に於てはこれを有効とすることを得ざるなり但これ場合に於て表意者に対し損害賠償の請求を生ずることはこれあるべし。

 相手方が表意者の真意を知りたること又はこれを知り得べかりしことは無効を援用する者(通常表意者)よりこれを証明せざるべからざること言うを俟たず。是心裡留保の有効なることに対する一の例外に外ならざればなり。

 上記の場合に於て意思表示の無効はこれをもって善意の第三者に対抗することを得るやは一の疑問なりとす。思うに本条但書の適用に付き第94条第2項の如き制限なき以上は積極的に解決すること妥当なるべし。是蓋当事者間に通謀の事実なきが故なるべしといえども立法論としては疑なきことを得ず。何となれば善意の第三者を保護するの必要なることは同一なればなり。若それ第三者は第192条其他の規定に依りて保護せらるべきが故に弊害なしとせば虚偽表示に付いても第94条2項の如き規定を必要とせざるべし。

 以上説明したる第93条本文の規定は或身分上の行為を除く外(778条,851条)各種の意思表示に適用すべきものとす或人に対する意思表示と何人にも対せざる意思表示(私生子の認知,相続の承認又は放棄,遺言等)との間に差別あることなし。唯実際には相手方ある意思表示に付き其適用を見ること最も多きのみこれに反して同条但書の規定は専ら或人に対する意思表示に適用すべきものなること言うを俟たず。但双方行為を組成すべきものに限らず解約,取消,追認等の如き一方行為にもまた其適用あるものと解すべきなり(エンデマン民法論1巻281頁,コザック同147頁,176頁)。

 相手方が表意者の真意を知り又はこれを知ることを得べかりしときは其意思表示の無効なること以上述べたる如しといえどもこれと同時に隠蔽せられたる真の意思が其効力を生ずべきや否やは問題なりとす。これ問題は表意者が外の種類の法律行為を成立せしめんと欲したるか又は同種の法律行為といえども其表示したる以外の条件をもってこれを為さんと欲したる場合に生ずるものにして如何なる法律行為をも成立せしむることを欲せざる場合には其適用なきものとす民法はこれ点に関して特に規定する所なしといえども理論上より言えば真の医師は表示なきが故に其効力なきものと謂わざるべからず。且相手方に於ても表意者の真意を知りたればとて必ずしも其真意に従い法律行為を成立せしむることを欲したるものと解する能はざるなり。然りといえども表意者の真意に従うことに付き当事者間に暗黙の意思表示ありたるものと認定するは固より事実裁判官の職権内に在るものとす。唯法律問題として表示なきも仍其行為が成立せるものとするは違法の見解たることを免れず。

第3項 虚偽表示
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 虚偽表示とは相手方と通謀して為したる假装の意思表示を謂う。心裡留保は通常相手方に対して行わるといえども虚偽の意思表示は第三者を欺罔し又は不法の目的を達するが為常に相手方と通応して為すものなり。而して表意者の真意は如何なる法律行為をも成立せしむることを欲せざるが或いは外の種類の法律行為を成立せしめんと欲するか或いは又同様の法律行為といえども其表面に顕はれたる以外の条件をもってこれを為さんと欲するに在り。例えば債務者が債権者より其財産を差押えらるることを免れんが為表面上これを他人に譲渡す如き或いは選挙資格を得んが為名義上に於てのみ他人の土地を譲り受くる如きこれ他登記量を減納せんが為売買の代金額を減少して証書に記載する如き何れも虚偽の意思表示なりとす。

 虚偽の意思表示は無効とす(94条1項,独117条1項)是蓋真意の表示に非ざるのみならず心裡留保の場合と相異なりて相手方との共同行為なるが故にこれをして不測の損害を被らしむる弊害なければなり。故に当事者相互の間は勿論第三者もまた何時にでも其無効を主張することを得べし。例えば前例の財産差押を免れんが為虚偽に其譲渡を為したる如き場合に於ては債権者は其譲渡の無効なることを主張し執行の手続きを為すことを得べきなり。

 然りといえどもこれ原則には一の制限あり。即ち虚偽表示の無効はこれをもって善意の第三者に対抗するを得ざること是なり(94条2項)。例えば前例の場合に於て虚偽の譲受人より事情を知らずして同一の財産を譲受けたる者は有効に其権利を取得すべく表面上の買主はこれに対して売買の無効を主張することを得ざるべし是畢竟取引の安全を保護するの精神に出てくるものに外ならざるなり。

 虚偽の意思表示は往々にして異種又は異条件の行為を隠匿することあり。例えば売買に装いて貸借を為し或いは売買証書に虚偽の代金を記載する如き是なり。これ場合に於て其隠蔽せられたる行為は当然無効なるに非ず。苟も法律上の要件を具備せる以上は其行為に関する規定に従いて効力を生ずるものと解すべきなり(独117条2項)。但これをもって善意の第三者に対抗することを得ざるは本条第2項に規定より生ずる当然の結果なりとす。

 然りといえども表示なき意思が其効力を生ずるは一般の原則に反することなるが故に隠匿行為といえどもこれを為すの意思なりしことを証明するのみをもっては足れりとせず更に其意思が暗黙にも表示せられたることを証明するの必要あるものと解すべきなり(サレイユ10頁)。

 旧民法其他仏法系に属する諸法典は虚偽行為をもって証書に関する問題と為し反対証書をもって本証書の効力を変更又は滅却する場合に付てのみ規定せり(証50乃至52条,仏1321条)然りといえどもこれ見解は狭益に失するものと謂わざることを得ず。蓋意思表示は書面の外一切の方法に依りてこれを為すことを得るものにして虚偽表示の場合にもこれ原則を適用すべきことは論を俟たざればなり。

 これに虚偽表示と多少相似て而も混同すべからざるに二種の行為あり。信託行為及び脱法行為即ち是なり。左に其何ものたることを約述しもって虚偽表示との差別を明にせんとす。

 信託行為とは或目的を達せんが為に其目的に超過する効果を生ずべき法律行為を為すを謂う。例えば債権担保の為に所有権を譲渡し又は債権取立の為に債権の譲渡を為す如き是なり。信託行為は当事者に於て其内容を希望し行為意思を有する点に於て虚偽行為と相異なるものとす。従って其有効なることを疑わず唯これ行為の特質は其終局の目的に超過せる効果を生ぜしめんとする点に存し受信者は其内容たる権利を取得し且これを処分することを得べきも当事者間に於てはこれ権利移転の効果を制限して其目的以外にこれを行使せざることの契約関係成立するものと解すべし。

 信託行為の効力に関しては従来議論なきに非ずといえども近時一般にこれを有効とするに至れり。但其説明の方法は一様ならず多数説は内外関係を区別し外部に対しては譲渡はかんぜんなる効果を生じ受信者は有効に其取得したる所有権又は債権を処分することを得るも内部関係即ち当事者間に於ては権利移転せずして単に委任関係あるに過ぎずと為す如し余輩はむしろ内外何れの関係に於ても権利は受信者に移転せるものとし唯当事者間に其効果を制限する付随の債権契約あるものと為す見解を至当とするものなり(2巻423頁,鳩山氏127頁参照)。

 脱法行為とは法律に禁ずる法律行為を為すと同様なる結果を得る目的をもって為す法律行為を謂う。即ち表面上禁止法に違反することなくして其適用を免れんとする行為なり。例えば利息制限法を潜る為に利息の一部を手数料の名義とし又は流質の禁止を免るる為に所有権の条件付譲渡を為す如しこれ等の行為は何れも当事者に於て其効果を希望し行為意思を缺くことなきが故に虚偽行為に非ず又与信の事実なきが故に信託行為にも非ず。脱法行為は間接に法律に禁ずる行為を為さんとするものなるが故に其手段のみを禁ずる場合の外一般に無効なること言うを俟たず。

第4項 錯誤
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 錯誤とは不慮に真意に非ざる意思表示を為すことを謂う。即ち表意者が真意と表示との不一致を知らざる点に於て前二項の場合と相異なるものとす。

 錯誤に関するほうりは法律行為の成立問題を決定するに付き最も困難なる一事項にして諸国の立法例及び学説區々に分れ殆ど一定するところなきが如し。然りといえども其基礎と為る観念に於ては一致する点なきに非ず。即ち法律行為の成立を妨ぐべき錯誤は意思と表示との不一致を来すもの換言すれば意思の欠缺を生ずべき性質及び程度のものに限ること是なり。蓋吾人が日常各種の取引を為すに当たりては往々にして多少の錯誤なきことを得ず。而して其錯誤は屢々自己の過失に起因することあり。然るに若表意者の意思を過重し軽微なる錯誤といえども其意思表示の効力に影響するものとせば取引の安全は寸時も保つこと能はざるべし。故に極端なる意思主義に依るべきに非ず。左れはとて又全然表示主義に基き真意を度外視することを得べからざるは勿論とす(表示主義を一貫せんとするときは錯誤は一般に意思表示の効力を妨ぐることなき結果と為るべし)。即ち適当なる範囲内に於て錯誤の効力を認むることを要す。思うに是何れの国の法律に於ても法律行為の効力に影響すべき錯誤の性質を定め且或程度にまで重要なるものに限り其効果を生ずるものと為す所以なり。唯其範囲及び降下を定むることに付き立法例一様ならざるのみ。

 今これには諸国の法制を類別して其異同を詳述することを得べきに非ず或いは錯誤が法律行為の如何なる部分に付き生じたるやに依りて其無効なる場合と取消し得べき場合とを区別するあり(財309乃至311条,仏1110条)。或いは其反対に錯誤の種目を列挙することを為さずして画一の標準を定めもって其標準に適合する場合には意思表示は無効(独1草98条)または取消し得べきもの(同現行119条)と為すあり。或いは又錯誤の種目を列記し挙て取消の事由と為す例もこれなきに非ず(瑞債18条,19条,28条)。これ23の例をもっても如何に法制の一様ならざるかを窮知するに足るべし。余輩は先つ法律行為の効力に影響すべき錯誤の何たることを究明し次に其効果に論及せんとす。

 我民法は近時の立法しそうに基き錯誤の種目を列挙することを為さずして概括的に意思と表示との不一致を来すことの最も著しきものを指定する方法を採れり。即ちこれ趣旨をもって意思表示は「法律行為の要素に錯誤ありたるときは向こうとす」と規定せり(95条)。故に民法の解釈として法律行為の成立を害すべき錯誤の何たることを知るには本条に所謂「法律行為の要素」の意義を闡明すること最も緊急なりとす。

 法律行為の要素に付き錯誤あるとは何ぞや語簡に過ぎて意を蓋さず。普通に所謂法律行為の要素とは其成立に缺くべからざる要件を謂うものにして其定め方に付いては学説一定せずといえども意思表示をもって其一に算ふべきことは争うべからざる所なり。然るに広く意思表示に錯誤あると云う如きハ漠として殆ど意義を成さず。然らば畢竟目的に関する錯誤を謂うものと解せんが斯の如きは目的なる語の通義に適合せずして世人を誤る虞なしとせず。例えば当事者の如きは一般にこれを目的の一部と見ず。而も当事者に関する錯誤にして法律行為の成立を妨ぐる場合あることは後にこれを議論すべし。現に右の条文に「目的」と明言せざるをもってもこれ見解の妥当ならざることを知るべし。又当事者をもって法律行為の成立要素と為す説に従うもこれに関する錯誤は意思表示の効力に影響なき場合少からざることを説明する能はざるなり。尚他の点より考ふるも本条に所謂法律行為の要素なる語は到底普通の意義に解すべからざることは後にこれを詳述すべし。故に政党の解釈を定めんとするには其文字に拘泥せずして近世の法学思想上より其本義を攻究しもって意思表示の効力を妨ぐべき錯誤の性質を明にするの必要あるなり。

 凡そ錯誤が法律行為の成立を妨ぐるは畢竟意思の欠缺を来すが故に外ならざること既に述べたるが如し果して然らば如何なる錯誤が其効力を生じ又如何なるものがこれを生ぜざるやを識別するには必ず一定の標準なかるべからずこれ点に付いては従来法律行為其ものに関する錯誤(意思の錯誤)と縁由の錯誤とを区別することを必要とせり。縁由の錯誤とは表意者が意思を決定するに至りたる動機の錯誤を謂う(407頁)。例えば他人に寄託せる乗馬の斃れたることを聞きこれに代わる為更に一等の馬匹を買入れたるに其虚報なりしことを確知したる場合の如き是なり。縁由の錯誤は法律行為の効力を妨ぐることなきを原則とす。蓋其錯誤ありたるに拘らず法律行為上の意思は適当に表示せられたるものにして意思と表示との一致を缺くことなければなり。唯縁由をもって条件と為したる場合及び詐欺に因りて縁由に錯誤を生じたる場合に於て其効力に影響するものと為すのみ。

 これ区別は従来一般に認むる所なりといえども所謂意思の錯誤と縁由の錯誤との分界確立せざる為実際に於てこれ両者を識別すること甚困難なる場合少しとせず。例えば後に説明すべき当事者又は目的物の性状に関する錯誤の如きは其何れに属するやに付き大いに疑義なきことを得ず。これに於てか近時の学者はこれ心理的標準に代わるべき明確なる法律的標準を得んとし遂にこれを発見するに至れり。其標準は即ち意思表示の内容に関すると否とに依りて錯誤の効力の有無を判定するに在り。是現に独逸民法に採用せる主義なりとす(独119条)。意思表示の内容に関する錯誤は左に掲ぐる二の場合に生ずるものとす。

(一)意思表示の行為を誤りたる場合

 意思表示の行為を誤るとは表示の意義を誤解せざるも全く其文言に於ける表示を欲せざりしことを謂う。即ち其表示に対当する行為意思及び表示意思共にこれを缺くものなり。例えば百法と記せんと欲したるに誤りて百圓と記し賃借権と言わんと欲して不圖地上権と言いたる如き是なり。これ場合に於て挙証の問題は別とし意思と表示とは全然一致せざるが故に其意思表示の無効なること最も著明なるものとす。

(二)意思表示の内容を誤りたる場合

 表意者は前示の場合に反して其為さんと欲せし意思表示を為したるも其表示の内容を誤解し表示に相当する行為意思を缺くことあり。例えば意思表示の意義を誤解して百法と百圓とは同一なりと信じて百法を百圓と記し或いは地上権と賃借権とは同種の権利なりと解して賃借権と言うべきに地上権と言いたる如き是なり。学者は前の場合を表示上の錯誤と言いこれ場合を内容上の錯誤と称せり。何れも意思表示の内容に関する錯誤にして意思と表示と一致せざることは一なりといえども前の場合に於ては全く其内容を有する表示を為すことを欲せざるもこれ場合に於ては其意思は存在し唯其内容を誤解したる差異あるのみ。これ第二種の錯誤は其範囲広濶にして常に表示意思を缺くことなきが故に果して内容上の錯誤なるや否やに付き疑義を生ずる場合少しとせず。例えば後に論ずべき目的物の品質に関する錯誤の如き即ち是なり。本条に規定せんと欲したるは主としてこれ第二の場合なりとす。


 意思表示の内容に関して錯誤ありたる場合に於ては意思と表示との一致を缺くが故に其意思表示を無効ならしむる結果と為り取引の安固を害すること甚少しとせず。故に内容に関する錯誤中に於ても或程度にまで重要なるものに限り意思表示の効力を妨ぐるものと為さざるべからず。

 然るに如何なる錯誤が果して重要なるやを決定するは至難の問題にしてこれ点に於ては主観的標準と客観的標準あり。主観的標準説とは専ら表意者の意思に重きを置き其者が事情を知りたらんには意思表示を為さざりしならんと認むべき場合に於て重要なる錯誤あるものと為すに在り。これに反して客観的標準説とは其意思以外の標準に依らんとするものと為すあり。或いは取引上の慣習其他の標準に基き錯誤の程度を定むべきものと為すあり。単純なる主観的標準は外部より窮知すべからざる表意者の意思を過重しすこしも相手方の利益を顧慮せざるが故に取引の安全を保全するに足らず。又客観的標準説の中に於て錯誤の目的たることを得べき事項を限定する如きは其軽重を鑑別するに周到を缺き実際の事情に適合せず是また決して採用すべき主義に非ざるなり。思うに客観的標準として最も正確と認むべきものは取引上の通念に依りて重要なる程度を定むるに在り(デルンブルヒ102節)固よりこれ標準のみに依らんとするときは錯誤の効力を定むるに付き表意者の意思を度外視し錯誤の本義を没却するに至るべし故に第一著には主観的標準に依らざるべからざること言うを俟たず。

 近時の学説及び立法の趨勢は即ち右主観客観の両標準を結合して一の折衷的標準を定むること換言すれば客観的標準をもって主観的標準を制限することに在り。現に独逸民法はこれ概念に基き「表意者が事情を知り且合理的にこれを最良したらんには其意思表示を為さざりしならんと認むべきときは云々」と規定し(独119条1項)。もって主観的標準の外に表意者が其場合の特別なる事情の下に於て正当に判断する人として尚其意思表示に影響したるべきとき換言すれば事理を辨えたる者が表意者の地位に在るものと仮定せば其意思表示を為さざりしと認むべき場合に限り重要なる錯誤あるものとせり。而してこれ点は意思主義に基きて専ら主観的標準に依らんとせる普通法の学説及び第一讀會草案の規定(同1草98条)を改正したるものなり(エンデマン8版1巻347頁,348頁,コザック209頁,サレイユ23頁)。

 我民法は簡単に「法律行為の要素に錯誤あるとき」と曰い錯誤の重要なるや否やを判定するの標準を明示せずといえども錯誤の本質上主観的標準を斥くるの趣意に非ざること言うを俟たず。然りといえども又其標準のみに依るべからざることは「法律行為の要素」なる語に徴するも殆ど疑なき所とす(草案理由書84頁)。果して然らば結局主観客観の両標準を採用したるものと解するの外なきなり。蓋「法律行為の要素」なる語は其普通の意義たる法律行為の成立要件と解すべからざることは既に述べたるが如し。又意思表示の内容たる一切の事項を謂うもににも非ざることは勿論なりとす。思うに法律行為の要素とは其内容中の要部と曰うと同一にして畢竟表意者が其部分に付き有する利益(主観的及び客観的)の軽重に依りてこれを決するの外なかるべし。即ち其利益が意思表示の内容に関係し若其点に於て錯誤なかりせば意思表示を為さざりしものと認むべく且これを為さざりしことは世上一般の観念よりするも正当と認むべき場合に限り法律行為の要素に錯誤ありたるものと解すべきなり。

 これ見解にして正確なるものとせば法律行為の内容に関する重要なる錯誤(即ちこれ見解にして正確なるものとせば法律行為の要素に関するもの)あるや否やを判断するには其行為の如何なる部分に付き生じたるに依るべきに非ず。これ点に於て従来一般の学者は解釈を誤るものと謂うべし。蓋錯誤は法律行為の成立要件に関すると否とに依りて必ずしも其効果を異にするものに非ず。例えば目的物は法律行為の一要素にしてこれに関する錯誤は通常其無効を来すべしといえども今受贈者が其思考せるよりも高価なる物を得たる如き場合はこれに所謂要素の錯誤と謂うべからず。目的物の実質又は数量に関する錯誤の如きも法律行為の効力に影響せざることあり。又当事者に関する錯誤も同様にして相手方其人を主眼とせる場合(贈与,免除,信用売買等)に於てのみ無効の原因と為るべく彼の現金売買の如き通常相手方の何人たることを問はずして為す行為に在りてはすこしも意思表示の効力を害することなし。これに反して条件,履行の時期もしくは場所,法律行為の効果,従物の給付の如き法律行為の成立要件に非ざる事項といえどもこれに所謂法律行為の要素たることあり。即ち法律行為の偶素又は縁由の如きものといえども当事者がこれをもって其意思表示の内容と為したる場合に於ては其錯誤は重要なることあるべし。是畢竟各場合に於て当事者がその点に付き有する利益の如何に依るなり。

 要するに民法第95条は其所謂「法律行為の要素」なる語に拘泥してこれを解釈することを得ず。法律行為の内容は法律に依りて客観的に定まるものに非ずして畢竟表意者の意思如何に関するものとす。唯其意思は表示せられたるものなることを要するのみ。而して其意思表示の内容事項に付き前期の標準に依りて認定すべき程度の錯誤あるときは即ち法律行為の要素に錯誤あるものにして意思表示の効力を害する結果と為るべし。是錯誤に関する近世の法理にして其原則は極めて簡単なり。唯裁判官がこれを凡百の場合に応用して誤なきことを得るには最も慎密なる注意を要すべきこと言うを俟たず。

 これに最も議論あるは当事者又は目的物の性状に関する錯誤なりとす。思うに当事者又は目的物に一定の性格又は品質の具はることは表意者が其意中にこれを欲望したる一事をもって意思表示の内容を成すものに非ず。其欲望する性状が意思表示の一部としてこれに包入せられ始めて其内容を成すに至る。従ってこれに関する錯誤は意思と表示との不一致を来すことを得るものとす。其他の場合に於ては所謂縁由の錯誤に過ぎざるものと謂うべし。是現に多数学者の主張する所にして余輩もまた従来これ見解を至当とする者なり。唯実際上に於て人又は物の性状が果たして意思表示の内容を成すや否やを決定すること困難なるが故にこれ点は結局取引の慣習に依りて客観的にこれれを決するの外なかるべし。即ち社会取引上其性状が具はらざるときは全く別種のものと見るべき場合に於ては表意者は通常其性状のものを得んとする意思を黙示したるものと見ることを得。従って其意思表示の内容に錯誤ありたるものと解すべし。而して其錯誤が既に示したる程度にまで重要なる時は即ち要素の錯誤と為るものとす。例えば書家に揮毫せしめんと欲したるに書家に非ざりし如き又は純金の品を買わんと欲して鍍金の品を得たる如き場合は一般に内容上の錯誤と見ることを得べし。物の由緒,時代,作者等の如き無形の性状に関する錯誤もまた物質上の錯誤と其効果を異にすることなし。これに反して非凡なる書家と信じて揮毫せしめたるに凡庸なりし如き又は甲国製の品と信ぜしに乙国製の品なりし如き或いは鍍金の厚薄に付き錯誤ありたる如きハ通常品等の差異に過ぎずして取引上別種のものと見るべきに非ざるべし。人の姓名又は商号に関する錯誤の如きに至り手は一般に意思表示の効力に影響することなきは疑を存せざるなり。

 以上説明せる目的物の性状に関する錯誤に付いては立法例もまた一定せず仏法系は所謂ものの原質に関する場合に於て取り消しの原由と為せり(仏1110条1項)英国法に於ては物の品質,数量,価格等は買主の責任をもって鑑定すべきものとし其錯誤に対して救済を与えざるを原則とし(レール「英国民法要綱」513頁)独逸民法には即ち右に述べたる客観的標準に基きて内容上の錯誤なるや否やを定むべきものとしもって従来の疑義を解決せり(独119条2項)我民法には独民法に於ける如き明文なきが故に上述せる解釈を採らざる者多きは当然とす。蓋純理上より言えば特に意思表示の内容と為さざる性状,品質の錯誤は全く其効力なきものとすること至当なればなり。

 錯誤には事実の錯誤と法律の錯誤あり。法律の錯誤とは意思表示を為すに当たり其法律上の性質又は高価を誤解することを謂う。例えば連帯債務と保証債務とは其効力を異にせざるものと誤解し実際保障債務以上を負担する意思なきに連帯債務を約する如き是なり。これに反して保証債務を約せんと欲せしに誤て連帯債務を約したる如きは事実の錯誤に外ならずある一部の学者は「法律の不知は寛容せず」との格言に基き法律の錯誤に対しては救済なきことを主張すといえどもこれ格言は唯法律を知らざるを口実として其適用を避くることを許さずと云う公益上の準則に過ぎず何人といえども実際法律を知るものとみなすには非ず。法律を誤解して意思表示を為すも意思と表示と一致せざる点は事実の錯誤と同一なるが故に等しく法律の保護を受くることを得ざるべからず(財311条,独1草146条1項)我民法に於ても現に右両種の錯誤の間に区別を為さざる以上はこれ見解を採るの至当なること言うを俟たず。唯法律の錯誤は多数の場合に於て表意者の重大なる過失とみることを得べきが故に実際に於ては事実の錯誤と其結果を異にする所あるのみ(95条末文)。

 以上説明したる法律行為の要素に関する錯誤は意思の欠缺を来すものなるが故に其結果は意思表示を無効とするに在り(95条)是意思と表示と共にこれを必要とする主義を採りたる結果にして理論上当然の事と謂うべし。故に錯誤(詐欺に原因せざる)の結果としては取消の場合あることなし是多数の立法例と相異なる所なり。

 然りといえども民法は取引の必要上よりこれ原則に一の制限を置き表意者に重大なる過失ありたるときは表意者自ら無効を主張することを得ざるものとせり(同条末文)。是往々にして不確実なる損害賠償に代わるに素運外の原因を除去することをもってしたるものに外ならざるなり。故にこれ一点に於ては最近の立法例(瑞債23条,独122条)よりも一層取引の安全を保護するに努めたることを見るべし。尚十台なる過失なき場合に於ても表意者は一般の原則に依りて損害賠償を為さざるべからざること言うを俟たず。但表意者の錯誤を知れる相手方又は第三者に対しては右の規定を適用すべき理由なきが如し。

 以上述べたる錯誤の高価に関する規定は主として独逸民法第1讀會草案に則りたるものなり(独1草98条,99条1項)。然るに同民法第2讀會草案に於ては大にこれ点に修正を加え錯誤の効果は単に取消に止まるものとし且覺知後直ちに其請求を為すべきものとせり(独119条,121条)。これ改正は表示主義の一大勝利と見るべきものにして錯誤に陥りたる一方の当事者以外の者に其錯誤を援用することを許すの実益なきことは其有力なる一理由なりしが如し。尚一派の論者は更に進んで相手方が錯誤を知りたるとき又はこれを知ることを得べかりし場合に限り取消を許すべきことを主張したるもこれ一点は錯誤の原理に反するものとして採用せられず相手方が取消に因りて受くべき損害を賠償せしむるをもって足れりとせり(同123条)。要するに独逸民法は主として錯誤の効果を制限するに依りて取引の安全を保持せんと欲したるものと謂うべし。

 これに反し我民法は主として錯誤の目的,程度(法律行為の要素)に関して大いに其適用の範囲を狭縮せんと欲したるも其効果は意思の欠缺に因るものとして最もこれを強くする趣意なりしこと明なり(草案理由書84頁)。然るに錯誤の範囲は独逸民法と略同一の意義に解釈したるが故に結局其効果に付き彼これ相異なることに帰著すべし是立法問題としては大いに考究すべき点なりとす。

 終わりに臨み錯誤の一場合又は錯誤に準ずべき一場合たる不正の傅達に関して一言せんとす所謂不正の傅達とは表意者の意思表示が中間の人又は傅達期間に依りて相手方に誤傅せらるるを謂う。是主として使者,郵便又は電信に依りて意思表示を為す場合に起こる事実なり。これ場合に於て其誤傅の性質及び降下に関しては学者間に議論あり。故に独民法には明文を置き其意思表示は錯誤と同一の条件の下にこれを取消すことを得るものとせり(独120条)。

 仲介者に依る意思の誤傅は種類の原因より生ず。或いは仲介者をもって表示行為の機関と為すことあり。これ場合に於て仲介者を誤れる表示を為したるときは表示行為の錯誤として其効力に影響すべきは殆ど疑なき所とす。例えば電信局員が伝聞を誤記したる場合の如き表意者自ら誤信,誤記を為したると同様にして意思と表示との不一致を来すものと謂うべし。或いはこれと相異なりて仲介者をもって単に,傅達の機関と為すことあり。例えば信書を郵便に投じ又はこれを使者に託する如しこれ場合に於て仲介者の行為に依る意思表示の誤傅は純理上これを表示行為の錯誤と謂うことを得ず。然りといえども当初完全なりし意思表示が傅達方法の為に実際欲望せざる意思表示と為る点は同一なるが故に表示上の錯誤に準じ其誤傅が法律行為の要素に関するときは意思表示を無効とすべきものとす。これ点に於て我民法に何等の規定なきは一の缺点なるべしといえども立法の趣旨は誤傅の原因の如何を問はず何れの場合も錯誤の原則に従うべきものと為すに在ることを信ずるなり。

 上述せる場合に於て意思表示の無効は不法行為に因る損害賠償の請求を妨げることなし。即ち表意者又は傅達者は相手方に対して其行為又は過失の責に任ぜざるべからざること勿論なりとす。

第5項 詐欺
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 詐欺とは故意に他人をして事実を誤信せしむる行為をいう。今これに法律行為の効力に影響する点より詳言せば他人をして錯誤に陥らしめその錯誤によりて法律行為上の意思を決定表示せしむる意思をもって虚偽の事実を真実なりと表示し又は真実なる事実を隠蔽し現にその結果を生じたることをいう。左にこれ定義中に包含せる要件を叙述しもって詐欺の性質及び効果を明らかにせんとす。

 (1)詐欺は常に錯誤を生ずること これ性質はもっとも明瞭なるものにしてむしろ詐欺による錯誤か意思表示の効力に影響するものとみるを至当す(財312条)。而してその錯誤か法律行為の要素に関するときは意思表示は無効なること前項において述べたる如しこといえどもその他の場合においては詐欺は一般に意志の欠陥を来すものとなさずゆえその任意に成立することを妨ぐるに過ぎさるものとし意思と表示とは一致するものと見るなり古来諸国の法律は即ちこれの観念に基づき詐欺をもって単に意思表示の瑕疵を成すものとし取消の原因と為すに止めざるはなし。但し我が旧民法の如き補償名義における取消と明言するに至りては1の異例と謂はざることを得ず(財同条3項)。由これ観の詐欺は常に錯誤を生ずといえども意思表示の効力に影響する事由としてはこれと重複するものに非ざることを知るべし。即ち錯誤のみにては意思表示の効力を妨ぐることなき場合においてその錯誤か詐欺に原因するときは取消すことを得べきなり例えば縁ゆえの錯誤の如きはその適例と謂うべし。尚詐欺は取消権の有無に拘わらずこれを行いたる者に損害賠償の義務を生ずることあるは言うを俟たず。

 (2)詐欺には事実の虚示あること これに所謂事実とは客観的事実を謂うものして二様あることなし即ち故意にその事実に違いたることを表示するを謂う。故に例えば純金を鍍金と思惟して鍍金なりと言うも詐欺に非ず。固より外形上の事実なることを要せず。例えば、支払いを為す意思なきにその意思あることを表示する如きは詐欺たること言うを俟たず又事実の虚偽なることを確知する必要なし。その真偽を探知せざりし場合も尚詐欺たることを得べし。最も注意すべきは事実と意見とを混同すべからざることなり意見の陳述は事実と相違することあるも詐欺とならず。例えば、価格の騰貴すべきことを預言する如きこれなり。

 詐欺は言語書面その他の積極的行為に依りて生ずるを常とす。単純なる沈黙は通常詐欺と為ることなし。但し法律又は取引の慣習上相手方に通知せざるべからざる事項を通知せざる如きは黙示の詐欺と見ることを得べし。

 (3)詐欺は錯誤に因りて法律行為上の意思を決定表示せしむる意思をもってすること

 この要件は最も重要なるものにしてもしこれの意思に出でず。他の目的をもって事実を虚示するも詐欺を構成することなし。但し詐欺に因りて損害を受くべき者は表意者たることを必要とせず。又刑法上の詐欺と事なりて財物奪取の手段たることようせざるなり(刑246条)。然りといえどもこれの最後の点においては誤解なきことを要す。けだし詐欺には本来二種あることなし。その民事におけると刑事におけるとを問わず常に他人を欺罔する不法の行為に非ざるはなし。唯その犯罪を構成する要件と民法上の効果を生ずることとは各その法律の定むる所にして刑法上罰すべき場合においてもその法律行為に及ぼす影響は民法に依りてこれを決定すべきものとす。或一部の論者は刑法上において罰すべき詐欺と民法上の詐欺とを区別し民法は唯犯罪を構成するに至らざる詐欺のみを規定せるものとし刑法上の詐欺に因る法律行為は当然無効なることを主張すといえどもこれ一大謬見と謂うべし。刑法に罰する行為は詐欺の手段に依りて他人の財物を奪取すること即ち盗罪の一種に外ならず民法は同一の手段に依りて法律行為上の意思を決定表示せしめたる場合においてその意思表示を取消得べきものと為すなり。両者異種の見地よりして同一詐欺の作用に関する要件及び効果を定め互いにその領域を侵ざるることなし故に犯罪と法律行為とは絶対に両立し得べからざるものに非ず。犯罪としてはその行為を為したる者を処罰するをもって足れりとすべし。私法上における法律行為の効力問題は専ら民法の領轄に属するものと謂うべきなり(ユック「民法釈義」7巻35節卑見法學志林18号75頁)この問題に付き大審院は嘗て反対の意見を採りたることあるも遂にその判例を改むるに至れり(36年5月12日同院刑事総合部判決)。

 (4)詐欺は現に錯誤に因りて或意思を決定表示せしめたること

詐欺はこれの要件を具えうるに因り始めて民法上の効果を生ずるものとなり即ち詐欺なかしせば意思表示を為さざりしことを必要とす。民法第96条第1項に「詐欺に因る意思表示はこれを取り消すことを得」とあるは畢竟これの意義に外ならざるなり。要するに民法上においては詐欺の未遂なすものなし故に詐欺は(イ)法律行為の成立後又はその要部に付きさきに意思表示ありたるとき(ロ)相手方において事実の虚構なることを知るとき(ハ)その虚構なきも尚意思表示を為したるべきときはその効力を生ぜざるものとす縦例詐欺の為め一層不利益なる条件をもって意思表示を為したるものとするもその取消を為すことを得ずして唯その条件の訂正及び損害賠償の問題を生ずべきのみ。けだし詐欺は日常諸般の取引において多少これあることを免れず。然るにその意思表示の存立に関係なき軽微なるものといえども取消の原由と為るものとせば取引の安全を保持する。脳はさること単純なる錯誤の場合におけると相違なることなし。これ即ち意思表示の原因と為りたることを要件とする所以なり。これの他詐欺は或人に対する意思表示に付いては相手方がこれを行いたることをもって取消の要件とす(96条2項)。これ諸外国の法律においても強迫の場合とその規定を異にする所なり。けだし詐欺は絶対的に予防し得べからざるものに非ずして被害者の不注意に出つること稀なりとせず。然るに第三者が詐欺を行いたる場合において相手方に対し取消を為すことを得るものとせば過失なき者にその責を帰する事となり取引の安固を害するに至るべし。故にこれの場合においてはむしろ相手方を保護し法律行為を完成せしむべきなり。但し被害者は詐欺を行いたる第三者に対して損害賠償の請求を為すことを得べきは勿論なりとす。然りといえどもこれの原則には一の制限あり即ち第三者が詐欺を行いたるも相手方においてその事実を知りたる場合に適用なきことこれなり。けだしこれの場合において相手方は詐欺者と共謀したるやしるべからず。然らざるも他の一方がその術中に陥りたるを奇貨としこれと法律行為を為したるものなるか故に法律の保護を必要とせず。縦令被害者においてその行為を取り消すことを得るも相手方はこれが為に不測の損害を被るものと謂うべからず。故にこれの場合においては第三者の詐欺といえども取消の原因となるものとしたるけり(同条同項)。払法系に属する諸法典にこれの規定なきは一の欠点と謂うべし。これに反して独法系の立法例は更に一歩を進め相手方が詐欺の事実を知るべかりし場合においても尚取消権あるものとせり(独123条2項瑞債25条)。上述せる第96条第2項の規定は或人に対する意思表示(契約と単独行為とを問わず)にのみ適用すべきものとす。これに反して相手方なき単独行為(394頁、427頁)に付いては何人か詐欺を行うもその取消を為すことを得るものと解すべきなり。詐欺に因る取消は第三者にその効果を及ぼすやこれの点においては立法例一様ならず。我が民法は実際の必要上より制限主義を採り取消はこれをもって善意の第三者に対抗することを得ざるものとせり(同条3項、財321条3項、独123条2項)。例えば甲者詐欺を行い乙者より一の不動産を買い受け更にこれを丙者に譲渡したる場合において丙が詐欺の事実を知らざりしときは乙はこれに対してその取戻しを為すことを得ざる如し。これけだし詐欺は全然予防すること能はざるものに非ずして多少不注意の結果たることを免れざるが故にむしろ善意の第三者を保護しもって取引の安全を保護せんと欲したるものなり。ドイツ民法はこれの点においても悪意と過失とを同一視し第三者にして詐欺の事実を知り得べかりしときはこれを保護せざるものとせり(独同条)。

第6項 強迫
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 およそ暴行に二種あり一は絶対的暴力を施す行為にして例えば腕力をもって他人の手を押さえ強いて契約書に署名捺印せしむる如きを謂う。これの場合においては被害者は他人の機具と為りたるに外ならざるが故にその意思表示は自己の意思表示に非ず。即ち全然意思の欠陥を来すものにしてその意思表示の無効なること言を待たざるなり。民法はこれの種の暴行に関しては何らの規定をも設けずこれ全くその必要なきが故にして旧民法にこれの場合を規定せるは殆ど唯一の立法例と謂うべし(財313条1項)。これと異なりて今一種の暴行は即ち民法に所謂強迫にしてこれに説明せんとする所のものなり右二種の暴行は大にその性質及び効果を異にするものなれば決してこれを混同することなきを要す。

強迫とは他人をして或意思を決定表示せしむる意思をもって不法に害悪を表示しもってその人に畏怖を生じせしむることを謂う。而して現にその目的とせる結果を生じたる場合に限り意思表示の効力に影響すること詐欺と相違なる所なきものとす。例えば白刃を提けて金銭の借用証文を示しこれに署名捺印せざるときは即座に斬殺すべしと脅嚇する如きこれなり。古来の通説に依れば脅迫も詐欺に同じく意思の欠陥を来す事由に非ず。けだし表意者は縦令抵抗又は逃避すること能はざりしものとするも尚強要に慶すると害悪を被るとの間においてその一を選択せるものなるが故に真実の意思表示たることを失わざるものとせり(ポチェ「債務論」21節サヴィニー3巻106頁)。唯その意思表示は脅迫の為に瑕疵を幇ひたるものなるが故に法律は被害者を保護しその取消を為すことを得せしめたるなり(96条1項財313条3項仏1111条独123条)。而して詐欺の場合に同じく表意者に重大なる過失ありたるもその効果の発生を妨げざることは単純なる錯誤に付き規定する所と相違なる一点なりとす。

 強迫は被害者に畏怖を生ずるに因りてその意思表示の瑕疵を成すものとす。猶恰も詐欺か取消の原由と為るよりもむしろ詐欺に因る錯誤かその効果を生ずるものと見るの正当なるに同じきなり。果たして強迫に因りて意思を決定表示したるや否やは一に事実問題に属す。法律は危害を被るべき者の自己たると自己の親族その他の者たるとを区別することなし。又生命身体自由財産等の何れを害せられんとするを敢えて問う所に非ざるなり。唯知覚ある人に畏怖心を生じたる事を要するのみ普通には危害の重大にしてかつ切迫せることを必要とするもこれ多数の場合において畏怖の事実を認める。標準たるに過ぎず甲者に対して畏怖を生ずる事項といえども乙者に対してはこれを生ぜざることあり。要するに危害の大小感覚の程度は老幼男女身体の強弱貧富等に依りて相違なる所あるべし。故に畢竟被迫者その人の現状に付きこれを決定するの外なきなり。仏法系に属する諸法典においてこれの点に関し種種微細なる規定を設けたるはその当を得ざるものと謂うべし(財313乃至317条仏1112乃至1114条)。父母後見人等の威厭の如きは当然強迫と見るべからざること言うを俟たず。英国法は不当の威迫と称し後見人等との関係よりして強迫あるものと推定すべき場合を認むといえども我が民法には一切これの種の規定を設けず。如何なる場合においても表意者より強迫即ち恐怖に因りて意思を決定表示したることを証明するの必要あるものと謂うべし。

 強迫は不法なることを要す故に例えば債務者に対しその債務を弁済せざるにおいては強制執行を為すべしと威嚇する如き権利実行の予告に過ぎざる行為は強迫と為らず。但し適法の手段といえどもこれに依りて不正の目的を達せんとする場合はこれの限りに在らず。例えばもし干の金額を興へざるにおいては犯罪を告発すべしと云うが如きこれなり。要するに強迫は単にその手段の方面より観察すべきに非ず。尚これに依りて達せんとする目的の如何を究むること必要にして結局これの両方面より観察せる行為が法律上許容すべからざるものなるときは取消の原因と為るものとす(鳩山氏183頁以下参照)。

 強迫による意思表示とはその意思表示を為さしむる意思をもって実行したる強迫の結果を謂うものとす。故に目的に出てざる危害に誘発せられたる意思表示はその部類に属せざるものと謂うべし。例えば水火その他の危難に遭遇し又は他人が自己の生命身体に暴行を加んとするに際し救助者に過額の報酬を約する如きその一事をもっては未だ強迫に因る意思表示を見るべきに非ず。学者往々強迫の場合としてこれを論ずるは誤れり。これの場合においてその意思表示の効力如何に付いては無効説(財313条1項)取消説事務管理説実費償還説等数多くの説あり便宜上より言えば裁判官においてその報酬を過度と認めるときは相当の額に減少しうるものとする説(ポチェ二4節1887年4月27日仏国大審院判決)或いは妥当なるべしといえども法律に別段の定めなき以上は原則としてその意思表示の効力を認めざることを得ず。唯災害の急迫なりし為意思の欠陥ありたるものと認むべきときはその無数なること勿論とす。又救助者が救難に乗じて過度の報酬を強要したる如き場合においては強迫と為ることあるべし。

 強迫は相手方の行為たることを要せず。何人かこれを行うも取消の原由と為るものとす。又その取消はこれをもって第三者に対抗することを得べし。これ詐欺の場合とその原則を異にする所なり。けだし強迫は詐欺と異なりてこれを避くること能くること能はざるが故に表意者の過失に帰することを得るず。故に法律の保護をすべからしめんと欲したるなり。これの点においては仏独法系に差別なく古来立法例の一定する所なり。但し学者中には稀にこれの差別を不当とする者なきに非ず。或いは意思表示に瑕疵を生ずる点は一なりとし表意者を保護する趣意よりして詐欺に関する制限を失当と為す者あり(ラロンピエール「債務論」1116条注8節)或いはこれに反して他人の行為に付きその責に任ぜしむるを非理とし強迫といえども相手方に出でたる場合に非ざれば取消の原由と為すべからざることを主張する者あり(アコラス2巻756節760節)然りといえども普通一般には右の区別の至当なることを認める如し。

 最後に一言すべきは強迫に因る取消と民法第90条との関係なり。およそ法律行為は強迫に因りて意思表示を為したる一事をもって当然公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とするものと謂うべからざること言うを俟たず。然りといえども強迫に依りて公の秩序又は善良の風俗に反する意思表示を為さしめたるときは(例えば私通を約せしむる如き)その意思表示は強迫に原因すると同時に第90条の適用を受くべきものとす。而して第90条は公益上より法律行為を無効とするものにしてその効果一層重大なるが故に強迫に因る取消を待たず。その意思表示の不成立を来すものと解すべきなり。

第4款 意思表示の効力発生の時期
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 およそ法律行為を組成すべき意思表示は何れの時よりその効力を生ずるやは諸国の立法例及び学説共に一定する所なき一大問題なり。而して今これを論究するには種種の方面より観察してその範囲を明らかにするを慣用とす。

 先ずこれの問題は相手方ある意思表示に付きその適用あるものとす。不特定人に対する意思表示は相手方あるものとみるべきやもししくはその一種なりとせば何れの時よりその効力を生ずるやに付き大いに議論あり(サレイユ「意思表示論」148頁以下)今これにはこれの難問題を論ぜんとするに非ず。民法は唯一種の広告に関して特別の規定を設けその行為ありたる時より一定の効力を生ずるものとせり(529条以下)。

 これの問題は意思表示に一定の効力を生ぜしむる為これを相手方に通知することを必要とする一切の場合に生ずるものにしてその単独行為なると双方行為なるとを問わざるなり。然るに従来諸国の法律及び学説においては本問題をもって単に契約の成立即ちその申し込みに対する承諾の効力を生ずる時期に関する問題と見たるは狭きに失する見解と謂うべし。固より契約の成立は後に説明する如く単独行為の完成とその趣を異にし同一の原則に支配せられざるものと為す理由はなきに非ずといえども意思表示の一種に過ぎざることは言うを俟たず。故に契約の承諾に関しては特別の規定を設くべきものとするも尚これに一般の意思表示に付き本問題を決定するの緊要なること論なきなり。これ即ちドイツ民法の例に従い法律行為の通則として意思表示の効力発生の時期を定められたる所以にして殊に各種の単独行為に適用すべき原則を明らかにし疑義の発生を防止いたるは旧民法その他仏法系の立法例と大に趣を異にする所なりとす(97条)。又これの問題は隔地者に対する意思表示に関するものと為すを普通の見解とす。我が民法もまたこれの見解を襲用し隔地者に対する意思表示に付いてのみ規定せり(97条526条)。故に今これに隔地者のなんたることを示す必要あり。所謂隔地者とは必ずしもその文字の示す如き離隔せる地に在る者を謂うに非ず。旧民法に遠隔の地とありしは(財308条)その失当と謂うべし。惟ふに隔地者とは表意者より直ちにその意思表示を了知することを得べき地位に非らざる者を謂う。即ち郵便電信又は使者の如き仲介者に依りて意思表示を為す場合にその適用あるなり。故に結局意思表示とその了知との間に経過する時間の問題に帰著し僅かに数町又は数棟を隔つる近隣の者といえども隔地者たることなしとせず。これに反しこれ等の通信機関に依らずして直接に意思表示を交換することを得べき関係に在る者はこれを対話者と称し隔地者と区別せり(商269条エンデマン1巻67節注)電話に依る意思表示に付いては議論なきに非ずといえども普通には距離の遠近を標準とすべからざる観念よりしてこれを対話者間の意思表示と為すことに疑いを溶れず(独147条)。故に数百里を隔つるも尚対話者たることあるを得べし。

 惟うに本問題をもって隔地者に対する意思表示に限るものとするは理論上失当の見たるべし。けだし対話者間に在りては通常意思を表白する瞬間に相手方はこれを了知することを得べきが故に実際表白又は了知の何れし因りてその効力を生ずるやを定むる必要なしといえども或場合においては同一の問題を生ずることなしとせず。即ち例えば聾者又は睡眠中の者に対し意思表示を為す場合の如きこれなり。而してこれの場合においては了知主義に基づき相手方の了知なき故をもってその効力を生ぜざるものと断定すべきことは僅かにも疑い容れざる所なりとす。けだし特定の人に対する意思表示は相手方をしてこれを了知せしむる為にその通知を為すことを必要とするが故に当事者相互間においてその目的とする法律上の効果を生ずべき時期は即ち相手方が現にその意思表示を了知したるときならざるべからず。唯表意者においてその意思表示を了知せしむるに必要なる手段を尽したるにも拘わらず相手方が故意にこれを了知することを拒む行動に出てたるときは仮令現実の了知なきも了知ありたるものと認定することを妨げざるべし(サレイユ173頁参照)。又これの問題は書状その他の方法に依る明示の意思表示に付きこれを論ずるを通例とす。民法第97条の規定に依るも黙示の意思表示にはその適用なきものと解すべきが如し。果たして然らば黙示の意思表示に付いては一般の法理に基づきその効力発生の時期を定むるの外なしとす。即ち上記の理由に依り了知の時と為すべきなり(独1草74条1項)。但しこれの点において学者間には大いに議論あり。近時の学説はむしろ明示と黙示を区別せずして了知可能の状態即ち到達の時をもって意思表示の効力発生の時期と為す規定を適用せんとする傾向なきに非ず(サレイユ118頁以下鳩山氏210頁)尚契約の承諾に関しては特別の規定あることを見るべし(526条2項)。

 隔地者に対する意思表示がその効力を生ずる時期如何は適用極めて廣き問題なるが故に余輩は先ず理論上よりこれを論究し次に我が民法の規定に及ばんとす。これの問題については数多くの主義あり。普通これを類別して左の四とす。

 (1)表白主義 これの主義においては意思表示が単に外見上の形跡を具えたる即時をもってその効力発生の時期とす。例えば書状を封緘し何時にてもこれを発送することを得べき状態に置きたる時の如し。

 (2)発信主義 これの主義においては表意者がその意思表示を自己の管理外に置きたる時をもってその効力発生の時期とす。即ち書状を郵便箱に投入し又は電報を電信局の受取口に差し出したる時の如し。

 (3)受信主義 これの主義においては意思表示の通知が相手方に到達したる時をもってその効力発生の時期とす。即ち通常の場合において相手方が意思表示を了知することを得べき状態に置かれたる時を謂う。故にこれの主義を称して到達主義と謂うなり。

 (4)了知主義 これの主義においては相手方が意思表示の通知を受領したる後更にこれを了知したる時をもってその効力発生の時期とす。故に書状又は電報を受け取りたる上にこれを開封かつ閲読したるに非ざれば意思表示はその効力を生ぜざるものとす。

 以上四主義の外に尚数多くの法制及び学説なきに非ずといえども何んれも前期の主義を折衷したるものに過ぎず或いは意思表示の効力を生ずる時期とその取消し得べからざるに至る時期とを区別し意思表示はその通知を発したる時より効力を生ずるも相手方がこれを受領したる時に初めて取消し得べからざるものと為すあり。或いは表意者に対しては発進の時相手方に対しては受信の時よりその効力を生ずるものと為すあり。或いは又意思表示の種類(申込及びその取消承諾及びその取消)に依りて法規を異にする例もあり。これの他到達に因りて効力を生ずるもその効力は発進の時に遡るものと為す法規もこれなきに非ず。何れも契約の成立に関する立法例にして今これに論究すべき事項に非ざるなり。

 今これに理論上より観察するときは唯二大主義あるのみ。表白主義及び了知主義即ちこれなり。単純なる表白主義と発信主義とは畢竟同一の観念にして発信は即ち確実なる表白に外ならず。けだし表意者においてその意思表示の通知を発送せざる間は尚自己の掌中に在るものにしてこれを変更すること自由なるが故に未だ確定に意思表示を完了したるものと謂うことを得ず。故に実際の必要に慶するには発信の時よりその効力を生ずるものと為すべきなり。要するに表白主義と発信主義とは唯抽象的に観察すると具形的に観察するとの差異あるに過ぎず。決して根底において相違なるものに非ざるなり。例えば書状を認めてこれを閉封する如きは或いは後に意思を確定する準備の為なるやも知るべからず。これの如き不確定なる事実をもって意思表示の完了と認めかつその効力発生の時期と為す如きは甚失当と謂うべし惟うに単純なる表白主義なるものは畢竟一部学者の空想に過ぎず。実際これを採用せる立法例は殆どこれあることを知らざるなり。

 了知主義と発信主義との区別に付いても同様の論断を為すことを得べし。けだし純理上より観察するときは意思表示の通知が相手方に到達したる時よりその効力を生ずるものとするに充分なる理由あることなし。本来意思表示を相手方に通知することを要するは畢竟これをしてその内容を了知せしむる為に外ならず。故に理論上より言えば了知の時をもってその効力発生の時期となさざるべからずといえども絶対的にこれの主義を一貫せんとするときは実際に不都合なる結果を生ずることなきを得ず。例えば相手方が怠りてその受取たる信書を披見せざる間は意思表示はその効力を生ずること能はす。即ち意思表示を有効ならしむると否とは全く相手方の方寸に在ることとなり自己の為に不利益と認めるときは故意にこれを了知せざることを主張すべし。表意者においても了知の如き無形の事実はこれを証明すること甚困難なるが故に到底取引界の需要に適応することを得ず。故に理論上においては了知主義を採るべきにもせよ立法上においては了知の事実と通常時を隔つることなき到達の時を標準とするの妥当なる所以なり。由これ観これ受信主義なるものは畢竟便宜上より了知主義の変形せられたるものと見ることを得べし。

 これを要するに氷炭相容れざる両主義は表白主義又は発信主義と了知主義又は受信主義に帰著すべし。而して其れ何れを正当とすべきやに付いては大いに議論なきに非ずといえども理論上においては了知主義に依るべきものなることを疑わず。その理由はさきに述べたる如く通知を必要とすることに微して明瞭なるものと謂うべし。発信主義を採る者は唯意思表示が表意者一方の行為なることを根拠とし嫌らしくも表意者においてその権力内に在る行為を尽了せば意思表示の完成すべきことを主張すといえどもこれの問題は単に意思表示の存立時期を定むることを目的とするものに非ず。けだし意思表示がその効力を生ずることを謂うものなり。即ちこれをして或いは権利を失うに至らしむることあるべく或いは義務を負わしむることなしとせず。然るに未だその意思表示あることを知る能はざる間に忽然これ等の効果を生ぜしむる如きは実に不条理と謂わざるべからず。故に近時の学者は催告その他或人にたいする一方行為における意思表示はこれを意思通告と称し相手方がこれを受領するをもってその効力を生ずる要件と為せり(デルンブルヒ「バンデクテン」1巻92節及び注2サレイユ120頁)。これのの相手方ある各種の単独行為に付いては当然の事理にして唯立法上より言えば相手方の了知を必要とせず。実際意思表示を了知することを得べき状態の成立したる時にその効力を生ずるものとなすを妥当とすべきのみ。然るにこれの種の行為に付いてまで発信主義を主張する者あるは殆ど了解する能はざる所なり。

 我が民法はドイツ民法の例に従い意思表示の通則として受信主義を採用し隔地者に対する意思表示はその通知が相手方に到達したる時よりその効力を生ずるものとせり(97条1項独130条)但し契約の承諾に関しては第三編に別段の規定あるが故に(526条)これの通則は主として各種の単独行為に適用すべきものと解すべし。即ち承認追認催告解約取消その他諸般の通知等にして発信主義に依ることを得ず。ドイツ民法において官公に対する意思表示にもこれの通則を準用せり(独同条3項)。これの他契約の申込み及びその取消の如き同一の原則に依りてその効力発生の時期を定むるべきものとす。又現に発信主義に依るべきものとせる立法例あることを知らざるなり。

 契約の承諾に付いては発信主義を採ること一理なきに非ず。けだし承諾は申込人よりこれを求め適当の期間内に回答あるべきことを予期したるものなるが故に発信主義に依るも申込人に取りて全然不慮の結果と見るべからず。故に承諾者においてその権力内に在る行為を完了する以上は直ちに合意あるものと見なし寸時も速に契約を成立せしむること取引上或は便利とする所なるべし。而しも尚急報をもってその意思表示を取消すことを得ぜしめざる如き無制限なる発信主義を採れる立法例及び学説は殆どこれなきなり承諾の効力に関する民法第526条の意義は第三巻においてこれを述ぶべし。

 我が民法においては単独行為に付いても特に発信主義に拠るべきものとせる意思表示なきに非ず。即ち第19条の場合において無能力者がその相手方の催告に対して為す確答の如きこれなり。けだしこれの場合における確答は契約の承諾に同じく相手方より挑発したるものなるが故に発信主義に依りてその効力発生の時期を定むるも数多の単独行為における如く相手方をして不測の損害を被らしむることなし故にその確答の為に定めたる期間の効用を全からしめたるものなり(182頁)。又第522条及び第527条に規定せる通知の如きも一旦原則として申込がその効力を失い又は契約が成立したる後において尚取引上相当の注意を為さしむる為に一種の義務を負わしめたるものに過ぎず。故に発信の一事をもってその効力を生ずるものとしたるは必ずしも不当とすべきに非ざるなり。

   惟うに民法において意思表示の通則として受信主義を採用したるにも拘わらず契約の承諾に付き第526条第1項の如き例外を設けたるは立法問題として大いに議論なきことを得ず。尚商法において更に多数の意思表示に付き発信主義を採りたることに注意すべし(商37条270条271条286条288条308条等)但しその規定の大部分は右に示す民法第522条及び第527条の如き特別の理由に基ずくものとす。

 隔地者に対する意思表示は相手方に対してこれを為すことを要す。独座壁に向かい又は第三者との談話中にその意思を発表するも有効の意思表示とならざること言うを俟たず。又その通知は表意者の意思に依りてこれを為すことを要す。故に例えば或人が表意者の委任なきにその机上に在る書状を相手方に送致し又は偶然その意思を聞知してこれを通知するもその効なきこと勿論なりとす。

 民法に通則として受信主義を採りたる結果を挙ぐれば左の如し。

 (一)意思表示の通知が相手方に到達する前に在りては表意者において何時にてもこれを変更し又は取消すことを得べし。而してその変更又は取消の通知もまた受信主義に拠るべきこと勿論なるが故に遅くも前の通知と同時に相手方に到達することを必要とす。これ書状に依りて通知を発したる後電報電話又は急使をもってこれを取り消す場合に起きるべき問題なり。これの場合においては発信主義に依りて無益に表意者を拘束するの必要なきこと言うを俟たず。契約の承諾に付いてもこれの点において発信主義に拠るべきものとせる。立法例は殆どこれを見ざることさきに述べたる如し。

 (二)意思表示の通知が途中において紛失し又は延著したる場合においてはその紛失は表意者の負担に帰するものとす。これ契約の承諾に付いては最も議論在る所にして普通に英国法が発信主義を採るものとするは畢竟これの点に付き反対の判例あるが故なり。(Household Fire Insur. Co. c Grant. 1879 4 Ex.D.216)

右の外受信主義の結果として意思表示の通知が相手方に到達する時において表意者さきに死亡又は能力を喪失せる時は意思表示は無効又は取消得べきものと為るべきが如しといえどもこれの如きは実際不便とする所なり。殊に相手方においてはその事実を知らざること多く従いてその通知に基づき種種の準備計画を為すことあるべし。然るにその意思表示にして無効又は取消と為ることあるものとせば相手方は自己の過失なきに往々不測の被るに至るべきなり。故に民法においては未だ到達の事実なきも表示行為の完了即ち発信に依りて意思表示はさきに独立の存在を有するものとしその効果として表意者が通知を発したる後に死亡し又は能力を失うも意思表示はこれが為にその効力を妨げらるることなきものとせり(97条2項独130条2項)。即ち表意者の死亡又は能力喪失後をいえども意思表示の通知が適当の時期をおいて相手方に到達するときは意思表示は爾後完全にその効力を生ずるものとす(サレイユ127頁)但し契約の申込については別段の規定あることに注意すべし(525条)。

 意思表示の相手方がその通知を受けたる時に無能力者なるときはその効力に影響なきことを得ず。然らざれば自ら法律行為を為すに付きこれを無能力者と為しもってその利益を保護せんと欲したる趣旨を貫徹すること能はざるなり。故に民法はその通知受領の時期において相手方が未成年者又は禁治産者なるときはその意思表示をもってこれに対抗することを得ざるものとせり(98条)。未成年者及び禁治産者のみに付きこれの制限を設けたる所以は他なし準禁治産者及び妻はこれとその無能力の程度を異にし或重要な行為についてのみ補佐人の同意又は夫の許可を必要とするに過ぎず故に他人がこれに対して為す意思表示の効力を制限する必要なきものと認めたるなり。

 これの規定は未成年者及び禁治産者を保護する趣旨に出でたるものなるが故にその受けたる意思表示は当然無効なるに非ずして独断に為すたる行為に同じく自己の意思に依りてその効力の有無を決定することを得べし。即ちその意思表示をもってこれに対抗することを得ざるものとしたる所以なり。故に無能力者において利益と認めるときはこれを援用することを得べく。もしこれに反して不利益と認むれば本条の規定に拠りて表意者の要求を?くることを得べし。但し未成年者及び禁治産者には通常法定代理人ありてその利益を保護するが故にその法定代理人が意思表示ありしことを了知したる場合においては法律の保護を必要とせず。故にこれの場合においてはその了知の時より効力を生ずるものとせり(同条末文独131条)。

第4節 代理

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第1款 汎論
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 およそ法律行為はその性質が許さざるものを除く外他人をして自己に代わりてこれを為さしむることを得ざるべからず。これ日常の生活上避くべからざる必要に基づくものにしてこれの方法に依ること能はざるにおいては実際甚だしき不便を成すべきこと言を待たざるなり。加これ幼者の如き無能力者の為には法律においてその代理人を定むる必要あるもんと謂うべし。これ近世諸国の法律において代理の制度を認め交通取引の頻繁なるに従いその発達を見るに至れる所以なり。

 往時ローマ法は近世に行はるる如き代理の制度を認めず。これけだし当時の観念において或人の行為が直接に他人の利害においてその効果を生ずるをもって奇異とせると意思表示の方法に付き形式主義を採用せるけっかに外ならざるべし。尚ローマの家族制においては家長はその配下の子女及び奴隷に依りて財産を取得することを得たるが故に実際不便を成すること少なかりしか如し後に交通取引の発達するに従い漸次その不便を認め種種方法に依りてこれを矯正するに至れり(ブラニオル1巻300頁)。要するに代理の制度は近世の発達に係るものにして今日尚立法例学説共に一定するに至らざる点少しとせず。殊に仏法系に属する諸法典の如きは最も不備であること言わざることを得ざるなり。

 代理に関しては三種の法律関係を区別することを要す(一)本人と代理人との関係(二)本人と第三者との関係(三)代理人と第三者との関係即ちこれなり。第一種の関係は法律の規定又は代理権の発源たる法律行為に因りて定まるものにして代理関係と見るべきに非ず。代理とは第二種の法律関係を謂うものにして一般法律行為の規定と離るべからざるものは即ちこれの種の法律関係なりとす。第三種の法律関係に至りては本来代理関係に非ずといえどもこれと密接の関係を有し広義においてはその範囲に属するものと見ることを得べし。故に我が民法はドイツ民法の例に従いこれに主として第三者と本人との関係を規定し併せて第三者と代理人との関係を規定したるなり。

 旧民法は委任の章において委任者と代理人との関係及び第三者と委任者又は代理人との関係を併せて規定せりこれの如くに純然たる代理関係に属する規定を掲げたるは仏国民法等にこれして一の進歩たることを認むべしといえどもその規定の大部分は依然として委任者と代理人との契約関係に属し第三者と本人及び代理人との関係に至りては其条規極めて不備なりとす。これ畢竟ローマ法の旧套を脱せざる所以にして遠く沿革上の理由にその源を汲むものと謂うべきなり。

第2款 代理の性質及び要件
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 代理とは通常他人の為にすることを示して直接にその他人において効果を生ずべき法律行為上の意思表示を為し又は代理人として第三者よりその意思表示を受くることを謂う(99条100条)これ近世一般に行わるる直接代理の観念なり(瑞債36条独164条)。

 これの定義に依れば代理の性質を明らかにするには主として三の事項を論究することを要す(一)代理における意思表示は代理人(又は相手方)の意思表示なること(二)通常本人の為にすることを示してその意思表示を為すこと(三)その意思表示は直接に本人においてその効果を生ずること即ちこれなり。左に逐次これの三点を述べんとす。

 (一)代理に依る意思表示は代理人の意思表示なること

 およそ他人に依りて法律行為を為すには二の方法あり。代理及び意思伝達これなり。而してこれ二者を区別する標準は畢竟その他人が自己の意思を表示すると否とに在り代理人とは即ち自己の意思をもって直接に他人において効果を生ずべき法律行為を為す者を謂う。これに反して伝達者(使者の如き)は単に本人の意思を伝達する者にして畢竟意思表示の補助を為すに過ぎず。故にウィンドシャイド意思の代理と表示の代理とを区別しもってこれの差別を明らかにせり(同氏「バンデクテン」1巻73節注2)即ちその所謂表示の代理なるものは単純なる意思伝達にして代理に非ざるなり。又イエリングの如きは実質上より観察して代理人とは特に法律上の行為を為す者を謂い伝達者とは実質上の労務を供する者を謂うものとせり。惟うにこれの区別は代理の本質を明らかにするものにして近世ドイツ法系において授権の目的と委任の目的とを書然分別するに至りたるも畢竟これの観念に基づくものなり仏国の学説は従来ローマ法の旧套を脱せず。今日尚一般に代理人は本人の手足に過ぎざる如くに説明するは代理に関する法理の進歩せざる証徴と謂うべし。

 代理人は更にこれを代表機関と区別することを要す。これの区別は別個独立に二人人格が併存すると否とに依る観念の差異に在ず。即ち代表機関は事実上自己の意思を表示するも法律上においては恰も本人自らその意思を表示するものとみなす。これに反して代理人は全く自己の意思を表示する別人格者にして唯その意思表示の効果が本人に及ぶのみ法人の理事は代理の規定に従うといえども法人の代表機関と見るべきものとす。但しこれの点においては我が民法の解釈上大いに議論なきに非ず。

 代理は代理人の意思表示なるが故に意思の状態よりして意思表示の効力に影響を生ずべき場合においては専らの代理人の意思に付きその事由の有無を判断すべきものとす。即ち意思の欠陥(例えば錯誤)詐欺強迫又は或事情を知りたることもししくはこれを知らざる過失ありたること(例えば心理留保の場合)に因りて意思表示の効力に影響を来すべき場合においてその事由の有無は代理人に付きこれを定べきなり(101条1項独166条一項)。これの規定は近世における代理の本質を明らかにし代理行為は代理人の意思表示なることを証ずるものと謂うべし。

 然りといえどもこれの原則には一の制限あり即ち特定の法律行為を為すことを委託せられたる場合において代理人が本人の指図に従いその行為を為したるときはその効力は代理人の意思の状態如何に由りて定まること右に述べたる如しといえども本人はその自ら知りたる事情又は過失に因りて知らざりし事情に付き代理人の不知を主張することを得ざるものとす(101条1項独166条1項)。例えば本人において代理人の相手方がその真意に非ざる契約の申込を為したることを知るに拘わらず代理人にその申込を承諾すべき旨を指図したるときは代理人がその事情を知らざりしことを理由として第93条の規定を援用することを得るざるが如し。

 代理における意思表示は代理人の意思表示なる結果として本人は意思能力を有せざることあるべしといえども(例えば嬰兒又は瘋癲者の如き)代理人として自ら代理行為を為すには常にこれ能力を有することを要す。法人に関しては議論非ずといえども法人はその機関に依りて他人の為に代理行為を為すことを得は疑なき所とす。

 然りといえども代理人は民法に所謂能力を有することを必要とせず。けだし民法に所謂無能力者とはさきに詳説せる如く限定能力者の謂にして畢竟自己の為に完全なる効果を生ずべき行為を専行することを得ざる者を意義す。而して其これに関する規定は無能力者其者を保護する趣旨に出たるものに外ならず(143頁以下)。然るに代理人の意思表示は直接に本人の利害においてその効果を生ずるものなるが故に代理人にこれ行為能力あることを必要とす理由なし。故に民法には一般の原則として代理人は能力者たること要すせずと為せり(101条取234条独165条)。但しこれの規定に関しては左の二点に注意することを要す。

 (一)これ規定は任意代理と法定代理に共通なるものとす。但し或法定代理人に付いては特別の規定あり(例908条)不在者の財産管理人及び法人の理事等に付いては法律上何らの制限をも設けず唯実際上において未成年者又は禁治産者の如き者を選任することなかるべきのみ。

 (二)これ規定はさきに所謂広義における代理関係(480頁)即ち本人及び代理人と第三者との関係に適用すべきものにして本人と代理人との関係にはその適用なきものとす。故に例えば無能力者に代理を委任したる場合においてその無能力者は本人に対しては能力に関する通則に従い委任契約を取消すことは固より妨げざる所なり。但しその取消前に為したる代理行為は第121条の原則あるに拘わらず本条の規定に依りて有効なるものと解すべし。

 代理行為における意思表示は代理人の意思表示なるが故に代理に依る法律行為の当事者は代理人にして唯その行為の効果が本人におよぶものとするは近世の通説なり。然りといえども往時に在りては本人行為説盛んに行われ仏国学者の多数は今日においても尚代理人は本人の機具に過ぎずとすることさきに述べたる如し。これの見解誤れることは論なしといえども代理人の意思表示は法律の擬制に依りて本人の意思表示とみなすべきものとするサルヴァー二一派の説は未だ全然勢力を失墜するに至らず。又近時丙説の中間に在りて多少の賛同者を有するはその共同行為説なりとす。これ説に従えば代理行為の当事者は主として本人にして代理人はその権限内において本人と共同の働作を為すに過ぎず故に本人を第一者と為し代理人を第二者と為すなり(デルンブルヒ117節)。惟うにこれ等の説は直接代理の要素として代理人は本人の名において法律行為を為すことを根拠とするものとす。然りといえども本人の名においてすることは代理の効果を生ずる要件にしてこれが為に本人が代理行為を為したる見るには非ず。けだし代理人は本人に付き法律関係を成立せしめんと欲して自己の意思を表示し法律はその意思表示の効力を認めるに外ならず表意者とその意思表示の効果を受くる者とは必ずしも同一人なることを要せざるなり。これの法理は法定代理の場合を観察するときは最も明瞭なるべし。要するに本問題は「代理行為の当事者」意義如何に関すといえどもその行為を組成する意思表示を成立せしむる者を指すとすれば代理行為の当事者は代理人なること疑いを容れず。唯その行為に因りて生じたる法律関係の当事者は本人と見るべきものとす。即ち結果上より観察すれば自らその行為を為したると相違なる所なきなり。

 代理における意思表示は法律行為上の意思表示なることを要す。即ち代理は法律行為に付いてのみ成立するものと謂うべし。これ代理に関する規定及びその位置に考え殆ど疑いを容れざる所なり(反対デルンブルヒ「独新民法論」161号の4)。故に不法行為は論外とし他人の為に法律行為に非ざる事務を虜理すること(656条)は代理に非ず。但しその事項の性質に従い代理の規定を準用するはこれの限りに在らず又占有に関しては別段の規定あることを見るべし(181条以下)。

 法律行為は一般に代理人をしてこれを為さしむることを得べしといえども又その例外なきに非ず。即ちその行為の性質上本人自らこれを為すことを要するものあり。例えば婚姻養子縁組私生子の認知又は遺言の如きこれなり。代理の制度は主として財産上の行為に付きその実用あるものと謂うべし。これ外格段なる理由に因り法律上特に代理を禁止せる場合なきに非ず(57条108条888条)。

 (二)代理における意思表示は本人の為にすることを示して為すべきこと

代理は本人の為にする意思あるをもって足れりとせず。その意思あることを示して意思表示を為すとを要す。これ相手方をしてその代理行為なることを知らしむるに最も必要とする所なり。故に従来諸外国の法律及び学説においても代理は常に本人の名においてするものとせり(取229条仏1984条瑞債36条独164条)但し本人の名を明示することを要する趣意には非ず(デルンブルヒ「バンデクテン」117節)。我が民法は誤解の生ぜんことを怖れたる故にやこれの文例を踏襲せず本人の為にすることを表示(明示又は黙示)するをもって足れりとせり(99条)。右原則の結果として代理人が本人の為にすることを示さずして意思表示を為したるときは代理の要件を欠くに因り本人に対してその効力なきことは勿論とす。又自己の為にする意思をも有せざりし以上は自己の為にする行為としても無効なること屡これあるべし。これの点においては故意をもってしたると否とに依りてその結果を異にするものとす(93条95条)。然るにこれの心理上の鑑別を為すことは実際甚だ困難なるが故に相手方を保護する為の特別規定なかるべからず。けだし代理人が他人の為にすることを示さざる場合においては相手方は通常その意思表示をもって自己の為に為したるものと解すべきこと当然なればなり。故に法律はこれの場合において代理人の意思表示は自己の為にこれをなしたるものと見なしもって第三者を保護せり(100条独164条2項)。

 然りといえども右の場合において相手方が本人の為にすることを知り又はこれを知ることを得べき情状ありしときはその意思表示は代理上の効果を生ずるものとす(同条末文独同条1項)。例えばその代理人なる者が本人の番頭又は後見人にして日常本人に代わりて同種の法律行為を為すこと明らかなるときは相手方は本人の為にせることを知るか又は不注意に因りてこれを知らざりしものと見るべし。故に縦令或行為に付き特に本人の為にすることを示さざるもその行為は代理上の効果を生ずるものとしたるなり。これ全く事実問題なりとす。

 これの第100条末段の規定は著しく代理の範囲を拡張したるものと謂うべし。これ実際の必要に出でたるものにして代理表示の意思ありたると同視すべきことに付いては従来異論なき所なり(デルンブルヒ117節)。而も代理の原則として本人の為にすることを示すの必要はこれが為にその根基を失ものに非ざるなり。

商法においては商行為の通則として代理人が本人の為にすることを示さざるときといえどもその行為は本人に対してその効力を生ずるものとせり(266条)。即ち商法は代理に関する民法の原則を採用せず前示第100条の規定あるをもっても足れりとせざりしことを見るべし。これけだし商行為は営利を目的とし通常相手方の何人なるやを問うことなきが故に本人の為にすることを示す如きは簡便迅速を貴う商取引に適合せず。但し本人の名を示すことは往々不利なることありとの趣意なるべし。然りといえどもこれの規定の如きは直接代理の通念に反する一大異例と見るべきなり。商法上においても一般の商行為に付き欺の如き汎博なる規定を設けたる実例は極めて稀なりとす(旧商342条)故に立法上異にして至当と認むべきやに付いては大いに疑いなきことを得ず。

 (三)代理における意思表示は直接に本人の利害においてその効果を生ずるものなること

 代理は直接に代理人の相手方と本人との間に法律関係を生ずるを本旨とす恰も本人自らその意思表示を為し又はこれに対して意思表示ありたる如く相手方に対して権利を得義務を負う者は本人にして代理人に非ず。代理人は瞬息間といえどもその権利を得義務を負うことなし。決して一旦その身に生じたる権利義務が本人に移転するものに非ざるなり。これ実に近世における代理の効力にして往時ローマに行われたる如き間接代理と全く趣を異にする所なりとす。

然るに代理行為がこの効果を生ずるには本人の為にすることを表示する外代理権の範囲内においてすることを要す(99条1項独164条1項)。故に代理権に基かざる行為は本人に対してその効力なきを原則とす。然りといえども本来代理権の存在は代理の観念に欠くべからざる要件には非ず。所謂無権代理といえども近世の通念においては代理の部類に属するものと謂うべし。これさきに代理の定義を示すに当りてこの要件を掲げざりし所以なり。

以上代理の性質及び効力を説明するに当り余輩は常に代理人が自己の意思を表示して法律行為を為す場合(主働代理)を眼中にせり。然りといえども第三者が代理人に対して催告契約の申込その他の意思表示を為す場合(受働代理)もまた同一の原則に依るべきものとす。即ちその意思表示は代理人の権限内において本人の為にすることを示してこれを為すに非ざれば直接に本人に対してその効果を生ぜざるものと解すべきなり(99条2項独164条3項)

第3款 代理の種別
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代理は観察の方面を異にするに従い種々にこれを区別することを得べし。これにその主要なる区別を示さば即ち左の如し。

(一)直接代理間接代理

直接代理は近世における代理にしてその定義はさきに示したるが如し(481頁)。従来の学説に依れば直接代理とは本人の名においてするものとし直接に本人に対して効力を生ずるはその結果に過ぎとせり(デルンブルヒ117節)。然りといえども近来代理の性質を論究する者はむしろその効果に重きを置き主としてこれの方面より観察する傾向あり。但しその要件間接代理とは自己の名において他人の為に法律行為を為すことを謂う。例えば問屋業の如きこれなり(商313条)故にその行為に因りて相手方に対し権利を得義務を負う者は 代理人にして本人に非ず。本人と相手方との間にその効果を生ずるには更に他の行為に依りてこれを本人に移付することを要す。唯本人と代理人との関係においてその法律行為の結果は本人の利害に帰するものと謂うことを得べきのみ。近世に在りては間接代理は代理と称せざるを通例とす。

 (二)主働代理受働代理

 これの区別は代理人が本人に代わりて自ら意思表示を為すと第三者よりこれを受くるとに依るものとす。受働代理は代理人の意思表示に非ざるが故にさきに述べたる代理の本質(482頁)相容れざる如しといえども代理人として意思表示を受くる点において広義における代理の範囲に属することは学説及び立法例の挙げてこれ認するところなり。

 (三)法定代理任意代理

 これの区別は代理権の発源に関するものなり。詳細は次款において説明すべし。

 (四)有権代理無権代理

 これの区別は代理権の有無に関するものとす。さきに述べたる如く代理上の意思表示にしてその効果を生ずるには代理人の権限内においてすることを要す。さきに代理に関する規定の最大部分は有権代理に付きその適用あるものと解すべきなり。無権代理に関する法理は末款に至りてこれを論述すべし。

 (五)一般代理特別代理

 これの区別は代理権の範囲に関するものにして特にその権限の定めあると否とに依る差別に外ならず。故に有権代理の細別と見るべきなり。これまた第五款において説明すべし。

第4款 代理権の発生
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 代理における意思表示が代理上の効果を生ずるには代理権の存在することを必要とす。代理権とは即ち有効にその効果を生ずべき意思表示を為し又はこれを受け得る資格を謂う。換言すれば直接に相手方と本人との問いに法律関係を生ぜしむる法律上の権能を謂うなり。

 従来の通説に依れば代理権は二個の原因より発生す(一)法律の規定(二)被代理人の意思表示即ちこれなり。第一の原因に基づく代理はこれを法定代理と称し第二の原因に基づくものはこれを任意代理と名く。これの区別は学理上確たる根拠を有するものなるや疑いなきに非ずといえども民法にもこれを採用しかつ多少規定を異にする所あるが故にこれにその標準 を示すの必要ありとす。

 法定代理の意義及び範囲に関しては議論なきに非ず。直接に法律の規定に因りて代理人たる者即ち親権を行う父母及び或後見人(902条903条)の如きは法定代理人たること僅かも疑いを存せず。裁判所又は親族等において選任する後見人又は財産監督人は勿論とし法人の理事清算人の如きもまた法律の規定に準拠して選任するものにして選任は本人自ら代理権を授興する法律行為と見るべからざるが故に法定代理人に準ずべきものとす遺言に因る後見人又は遺言執行者の如き法律行為に因りて指定する代理人はこれを法定代理と称すること当たらざる如しといえどもこれまた被代理人の法律行為に基づくものに非ざるが故に任意代理人と見ることを得ざるなり。由これ観これ法定代理人に付き完全なる定義を示すことは甚だ困難なりとす。普通に法定代理とは直接又は間接に法律の規定より生ずるものと為すも固より漠然たることを免れず。むしろ消極的に凡て被代理人の意思表示に基づかざる代理権を有する者と為すこと至当なるべし(岡松氏法学志林19号57頁鳩山氏228頁以下)。

 任意代理権の発源たる法律行為の何たることに付いては更に議論なきことを得ず。従来汎く行われたる観念に依れば代理権は委任契約に因りてのみ生ずるものとし其れ以外に代理権の淵源を認めず。これ主義は仏国法を中心として最多数の法典に採用する所なり(取229条仏1984条)。固より仏国民法においても代理を委任する意思表示(procuration)と委任契約(Mandat)とを区別し委任事務を虜理する義務の伴わざる代理権は一見単独行為たる意思表示に因りて成立するものとせる観なきに非ずといえども一般の学者はこれの見解を採らずしてその意思表示は委任契約の申込に過ぎずとし如何なる効力をも生ぜざるものと解せり(ボードリー3巻905節)。要するにこれの主義においては委任契約と代理権の発生とは因果の関係を有するものにして委任契約は代理権の授興を目的とするものと見るなり。これの他少数の学者に依りて唱えられたる無名契約説もこれなきに非ず。 

 然るに近世ドイツ民法系の観念においては委任契約と代理権の発因とは全然別種のものなりとし委任契約は他人の為に或事務を虜理することを目的とし代理権の発源としては別に授権なる単独行為の成立ことを認む授権は委任契約と共に成立すること最も多しといえどもこれ受任者がその契約上の義務を履行し委任の目的を達するに必要なるが故のみ両者劃然その性質を異にするものにして委任契約は法律行為の代理を目的とするものに非ず。その成立と共に代理権が発生する場合においてもこれより生ずる法律関係は本人と代理人との契約関係に外ならず代理権はその契約の結果に非ずして授権なる別種の行為に因り発生するものなり。もって委任契約あるも必ずしも代理権の授興あるに非ざることを知るべしかつそれ授権は委任契約なき場合においても成立することあり。例えば雇用請負又は組合に因る法律関係と共に成立する場合の如きこれなり。要するに授権は委任その他の契約に基因するに非ず。純然たる単独行為にして代理人となるべき者の承諾あることを必要とせず。その者又は第三者に対する本人の意思表示に因りて成立するものと為すなり(独167条同商58条67条瑞債39条)但しドイツ法系においても普索澳ツェーリヒ等の諸法典は旧主義に基づき委任と代理との分界を明らかにせざる如し。

 我が民法において右の両主義中何れを採用したるやは代理権の発源を明示せる条文なきが故に多少疑義なき非ずといえども「委任」なる語は法律行為を為すことを委託する一種の契約を指すものとし(643条)而して代理に関する第104条乃至第106条及び第111条等において委任に因る代理に付いてのみ規定したるをもって見れば立法の趣意は委任契約以外に代理権の発生し得ることを認めず。その雇用又は組合等の法律関係と併立する場合においても暗黙に委任契約成立せるものと為すに在るべし。これ近世の観念に背馳しかつ説明に苦しむ条規(102条671条)なきに非ずといえども解釈としては己むことを得ざる見解と謂うべきに本問題に関してこれに説明せざるべからざるは第109条の規定なり。同条には「第三者に対して他人に代理権を興へたる旨を表示したる者はその代理権の範囲内においてその他人と第三者との間に為したる行為に付きその責に任ず」とあり。これに所謂「第三者に対して」とは特定の人に対すると新聞広告等に依りて世間一般の人に対するを区別せず。「表示」とは明示と黙示とを併称すること勿論なりとす。又「その責に任ず」とは単に損害賠償を為すべきことを謂うに非ずして恰も表示者自らその行為を為したる如くに履行の義務あることを定めたるものなり。これ規定たるや一見単独行為に因る代理権の発生を認めたる観なきに非ずといえどもその文面及び前後の規定に考えうるときは唯第三者を保護せんが為恰も代理権の発生せる如くにみなす便宜的規定に過ぎざるが如し。即ち「代理権を興へたる旨を表示したる者」云々と言いまた「その責に任ず」として権利を取得しうることを規定せざる如き特に迂曲せる文字を列ねたるをもって考えうれば純然たる代理権の発生を認めたるものと解すること困難なるべし。立法の趣旨はけだし自己の行為に因りて第三者を欺きこれをして不測の損害を被らしめざる為普通の損害賠償に代わうるにこれの有力なる方法をもってしたるものと思わる。故にその適用上においても制限的解釈を用いその文面以外に出でたること解釈としては至当なるべし。

 以上述べたる所に依りて考えあるに民法は表面上代理と委任とを明らかに区別ものにも拘わらずこれに説明する任意代理権の発源に関しては尚きゅうらいの誤想を脱せずして二者を混同したる観なきことを得ず。察するに立法者は代理権といえども自己の承諾なくしてこれを取得することあるを不当と認めたるに由るべし。然るに欺きの如きは代理権の本質を誤解せるものと謂わざるべからず。けだし代理権なるものは代理人に義務を負わしむるものに非ず。唯直接に本人に対して効力を生ずべき行為を為すことを得るの権能即ち法律に認めたる一種の地位を有せしむるものに過ぎず。故に縦令契約に基づくべきものとせざるも敢えて不当なることなし。むしろこれの権能を授興せんとする一方の意思表示に依りて成立するものと為すこと日常の取引上便利とする所なるよりして授権なる制度を認めるに至るものと謂うべし。要するに我が民法は代理に関する条規の一大部分をドイツ民法草案に採りながらその骨とも構ずべき授権の観念を容るるに至らざりしはこれに遺憾とする所なり。

第5款 代理権の範囲
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 代理権の範囲は法定代理と任意代理とに依りて相違なる所あり。法定代理人に関しては通常法律にその権限を定めたるが故に殆ど疑義を生ずることなし(例28条53条以下78条884条以下923条以下)又任意代理人の権限は委任契約に依りて定まるが故にその契約の内容を解釈してこれを決定するの外なきなり。

 然りといえども代理権の範囲が明瞭に定められざる場合において代理人の行為が果たしてその権限内に在るや否やを判定するには一定の準則なきこと得ず。けだし他人の行為が直接に事故の利害においてその効果を生ずるは本来異例に属することなるが故に代理権の発源たる法律の規定又は委任契約はむしろ限縮的に解釈すべきものとす。故に例えば弁済を為し又はこれを受くることを委任せられたる者は相殺の意思表示を為すことを得ざるべし。然りといえども代理権を行使するに必要なる行為又はその当然の結果と見るべき行為はこれを為す権限あるものと解釈せざるべからず。例えば債権の譲渡を委任せられたる者はその証書の交付と共に第467条に定めたる手続きを為すことを得べきが如し。商法には商行為の委任に付き更にその範囲を拡張したることを見るべし(商267条)。

 法律又は委任契約において代理権の範囲を定めざる場合には代理人は如何なる権限を有するものと解すべきや。これの問題は法定代理に付いては実際殆ど生ずることなかるべしといえども委任に因る代理人に付いては汎博なる範囲をもってその権限を定ること往々にしてこれあり。従来総代理人と称する如きもの即ちこれなり。 明治6年布告代人規制依ればこれの種の代理人は本人に代わりてその身分及び財産に関する一切の行為を為すことを得るものとせり。然るに欺きの如くなるときは代理人は屡々本人の意思に反して殆ど無限の代理権を有することとなりその弊害少なからざること言うを俟たず。故にこれの規定の如きは民法施行法においてこれを廃しせり(民施9条1項7号)。多数の外国法典は上示の場合において代理人に単に管理行為のみを為す権限を有するものと為し処分行為に関しては特別の委任あることを必要とせり(取233条仏1988条瑞債394条2項)。ドイツ民法にはこれの区別を採用せずして代理権の範囲は一に授権行為の解釈に依りて定まるものとし別段の規定を設けたることを見ず。

 我が民法は仏法系の立法例に従い権限の定めなき代理人が為すことを得べき行為を限定せり。但し管理行為なる語は漠としてその解釈を異にする処あるが故に広義における管理行為と見るべき行為を列挙する方法を採れり(103条)その行為は即ち左の二種とす。

 (一)保存行為

 保存行為とは例えば将に崩壊せんとする建物の修繕に必要なる行為時効の中断又は損敗し易き物の売却の如き所謂物又は権利の保全を目的とする行為を謂う。

 (二)代理の目的たるもの又は権利の性質を変せざる範囲内においてその利用又は改良を目的とする行為

 これに所謂代理の目的たる物又は権利の性質を変するとは例えば耕地と宅地と為し又は地上権に代うるに賃借権をもってする如き異種のもの又は変更することを謂う。欺の如き変更を生ぜずしてその物を賃貸し又はこれに相当の装飾を施すが為に売買雇用等の契約を為す如きは所謂代理の目的たる物又は権利の性質を変更せざる範囲内においてその利用又は改良を目的とする行為にして代理人の権限に属するものなりとす。

 右二種の行為を除く外権利の喪失を来すべき行為(処分行為)は特にその権限を興へられざる限りは代理人においてこれを為すことを得ざるものと解すべし。

 代理人は一定の制限に従い複代理人を選任することを得複代理人とは代理人がその権限内の行為の全部又は一部を為さしむる為に選任したる本人の代理人を謂う代理人は自己の名において複代理人を選任するものなるが故に代理行為を為すものと解すべからず。即ちこれの選任権は代理権の内容には非ずしてむしろこれに伴い発生する権利と見るべし。近時の立法例は代理そのものに関してはこれに該当すべき規定を設けずして委任事務に付き複委任の事を規定せり(瑞債396条397条独664条)今これには専ら民法における複代理人の選任に関する要件及びその効果を説明すべしこれの点においては委任に因る代理人と法定代理人とを区別することを要す。

 委任に因る代理人の複任権に関しては二の主義あり仏法系においては代理人は本人の禁止なき限りは複代理人を選任することを得るものとす(取235条1項仏1994条1項)。我が民法はこれの主義を採用せずして代理人にその権限なきことを原則とせり(104条旧商47条347条瑞債396条独664条)。これけだし委任者は通常受任者その人を信用しこれをして自ら委任事務を処理せしめんと欲したるものと解すべきを当然とす。受任者の鑑定をもって適当と認めたる者に再任することに付いてまでこれを信用したるものと見るべきに非ざるなり。

 然りといえどもこれの原則は公益上の理由に出でたるに非ずして恰も本人の意思に基づくものなるが故に自ら一定の制限なきことを得ず。即ち(一)本人の許諾ある場合(二)疾病その他己むことを得ざる事由ある場合においては複代理人を選任することを得るものとす(同条瑞債396条)。けだし後の場合においては通常本人の許諾ありたるものと認めること至当なればなり。

 複任権に関し自由主義を採る法制においては代理人は複代理人の行為に付き自己の管理におけると同一の責任免れざるを原則となすも(取235条1項仏1994条1項)我が民法の如くに制限主義を採用する以上は自己の過失に付いてのみその責に任ずるものと為さざるべからず。但しその過失の程度に関しては立法例必ずしも一様ならざるなり(瑞債397条2項独664条1項)。

 我が民法に定めたる委任代理人の責任は即ちこれの観念に基づくものなり。けだし右に列挙せる二個の場合においても代理人は自己の判断をもって複代理人を選任したるものなるが故に本人に対して相当の責任を負うべきこと当然なりといえども元来本人の許諾又は己むことを得ざる事由あるに因りて選任したるものなるが故にその責任を過重すべきに非ず。故に代理人は複代理人の選任及び監督についてのみその責に任ずべく卑しくも適任者を選任しかつ相当の監督を怠らざりしときはその行為に付き一切責任を負わざるものとせり(105条1項)。尚本人の指名従い複代理人を選任したるときは更にその責任を軽くし単に複代理人の不適任又は不忠実なることを知りてこれを本人に通知し又はこれを解任することを怠りたる場合に限りその責に任ずるものとす(同条2項取235条2項)。

 上述せるに二の場合以外において複代理人の選任ありたるときはその選任は不適法なるが故に複代理人の為す行為もまた代理権なき者の行為と見ざるべからず。従いて本人の追認なき間はその効力を生ぜざるものと解すべし。これ複代理に付き原則として禁制主義を採りたる当然の結果に外ならず。

 法定代理人の復任権に付いては委任に因る代理人の復任権とその範囲及び要件を異にする所あり。けだし法定代理人は通常総括的代理権を有する者にして自ら一切の事務を処理すること困難なる場合多きのみならず。委任に因る代理人の如くに本人の許諾を得ること能はざる場合もまた少なしとせず。未成年者禁治産者又は不在者の法定代理人の如き皆然らざるはなし故に一般に復代理を許すの必要あるなり。然りといえどもその権限を拡張すると同時にその責任を厳重にするに非ざれば本人の利益を犠牲に供する虞とせず故に法定代理人は自己責任をもって包括的に又は特定の行為に付き復代理人を選任することを得るものとしその選任及び監督の外復代理人が為したる一切の行為に付き責任を負うものとせり。但し己むことを得ざる事由ありたるときは委任に因る代理人とその責任を異にすべき理由なきが故にこれの場合においては専ら選任及び監督の責に任ぜしむるに止めたり(106条)。但しこれ一般の原則にしてこれに対しては特別の規定あることを知るべし(55条)。外国の法律においてはこれに説明せる如き広闊なる範囲において法定代理人の復任権を認めたる実例あるを見ず。これその性質上理由なきに非ずといえども実際上においては多少の不便なきことを得ざるべし。右両種の代理人に依りて適法に選任せられたる復代理人と第三者との間に成立したる意思表示は代理人の行為に同じく直接に本人に対してその効力を生ずるものとす。換言すれば復代理人は代理人の代理人に非ずして本人を代表するものなり(107条1項)。但しこれの効果を生ずるには一般代理行為に必要なる条件の具わらざるべからざること言うを俟たず。即ち復代理人はその権限内において本人の為にすることを示して意思表示をなすことを要す(99条100条)。仮令代理人の権限に属する行為なるも復代理人に委任せられざるものにはこれの原則を適応することを得ず。又本人の為にすることを示さず代理人の名において為した三者との間に法律関係を生ずることなきなり。

 復代理人と本人及び第三者との間においてもまた直接の法律関係を生ず。即ち復代理人はこれの両者に対して代理人と同一の権利義務を有するものとす(107条2項)。けだし代理人と復代理人との間には委任関係成立すること疑いを容れずといえども本人復代理人間には本来如何なる法律関係も成立せるに非ず。然るにもしこれ両者間に直接の法律関係を生ざざるものとせば復代理人は代理人に償還の資力なき場合においてその総債権者と対等の地位に立ち損害を被る危険あるは勿論本人と第三者との間に直接代理関係を生ずるものとせる上記の規定とも矛盾するに至るべし。これ本人との関係上復代理人をもって代理人(法定又は委任に因る)と同一の地位に在るものと為す特別の規定を必要としたる所以なり。故に例えば委任に因る代理権の全部又は一部を復任したる場合においては双方互いに自己の名義をもって委任上の権利を行うこと得べし。即ち普通に所謂直接訴権を認めたるものなり(取236条仏1994条2項瑞債397条3項)。又復代理人は本人の代理人として第三者(相手方)に対しても代理人と同一の権利義務を有すべきは当然なりとす。例えば第100条及び第117条に定めたる代理人の責任を負換せざるべからざる如きこれなり。

 これに復代理人と混同すべからざる者あり。代理人と交替して本人の代理人と為りたる者即ちこれなり。けだし復代理の場合においてはその名講の示す如く代理人は全然代理上の関係を離脱するものに非ず。これに反して委任者の承諾を得て他人に代理権を移転する場合においては従前の代理権は消滅し更に新たなる代理権を生ずるものと解すべし。仏国学者中には往々これ二の場合を混同するものなきに非ずといえども我が民法に所謂復代理なるものは決して欺きの如き効果を生ずるものに非ざるなり。

 又復代理人はこれを補助者と混同すべからず。けだし代理人がその責任をもって補助者を用うるは一般に妨げざる所にしてこれが為代理上の関係に何らの変更をも来すことなし。補助者は復代理人に非ざること言を待たざるなり。

 代理権には一の重要なる制限あり即ち或人の代理人はその資格をもって自己又は自己が代表する他の者と法律行為を為すを得ざることこれなり。換言するば同一の法律行為に付きその相手方の代理人と為り又は当事者双方の代理人と為ることを得ず(108条)。惟うにこれの事たるや代理の性質上不能なるには非ずといえども完全に代理人たるの任務を尽くすことを得ぜしむる為便宜上これを禁じたるなり。けだし代理人において一方の利益を計らんと欲せば自然他の一方の利益を軽視する虞あり殊に自己と法律行為を為さんとする場合において然りとす。これ即ち一人にして利益相反する両当事者の資格を兼ねることを得ざるものとしもって本人の利益を保護せんと欲したる所以なり。但し債務の履行は債務者において当然為さざることを得ざる行為にして他人に依りてこれを為すが為特に不利益を来す理由なき故に代理人にその権限あるものとするも前記の弊害あることなし故に例外としてこれを許容せり(同条末文)。

 民法第108条の禁止的規定は上記の理由に基づくものにして代理の性質より生ずる必然の結果に非ざるが故に本人又は当事者双方の許諾ある場合にはその適用なきものと解すべきが如し。これ点は独民法第181条の如くにこれを明示せざる為多少疑いなきに非ずといえどもその条文を継受せること明らかなるが故に同一の趣旨に解釈すること至当なるべし。又これの規定に違反する行為の効果に付いても議論あり。独民法第2読層においては無効説多数なりしか如し(仏政府版「独民法」一巻240項)これの見解は法文にも適合すといえども学者中には無権代理として本人の追認を有効ならしめんとする者もまた少なしとせず(鳩山氏319頁参照)。

   本条の規定は各種の代理人に共通なるものとす。但し或法定代理人又はこれに準ずべきものに付いてはこれ他に別段の規定あり(57条888条930条931条商176条)。外国の法律においてもこれ種の禁止的規定を設けたる例なきに非ずといえども通常或代理人が或種類の代理行為を為す場合に付き規定せり(取37条旧商407条仏1596条独1草45条468条1561条)。一般代理人に付き本条の如き広汎なる規定を設けたるはドイツ民法のみにして第二読層草案を採用したるものなり(独181条)。

 代理権に基がざる代理行為は本人に対してその効力なきを一般の原則とす。然りといえども第三者保護の必要よりして特にその効力を生ずるものとせる場合ありさきに説明したる第109条の場合は即ちその一なり今これに述べんとずる権限愉悦の場合もまたその一に算ういべきものとす。代理人がその権限外の行為を為したる場合において第三者がその権限ありと信ずべき正当の理由を有せしときは本人は代理人と第三者との間に生じたる行為に付きその責任に任ずるものとす(110条)。これ規定は畢竟第三者をして不測の損害を被らしめざる趣旨に外ならず。然りといえども本来権限外の行為に代理上の効果を生せすむる点においては一大異例にして本人の為に甚だ危険なるものと謂わざることを得ず故に立法者は厳重にその要件を定め単に第三者が善意なりしこと即ち権限ありと信じたるのみをもって足れりとせず。尚客観的にその権限ありと信ずるに足べき正当の理由あることを必要とせり。故に本人には過失なくして却て第三者に過失ありたる如き場合においてはこれ規定を適用すべきに非ず(36年7月7日大審院判決)。これ畢竟実質問題なり。例えば代理人が平常同種の法律行為を為し来りたるに本人においては嘗てその履行を拒みたることなきが如き或は委任状を訂正せずして委任事項を制限したるが如きはこれ規定の適用を見るべき場合なるべし。もしこれ等の場合において第三者は代理人と法律行為を為さんとする毎に予めその権限の有無を調査せざる得べからざるものとせば実際その煩に堪えざるのみならず難きを責むるものと謂はざることを得ず。むしろ自己の権限を厳守せざる如き不注意者を選定したる者の過失に帰するを至当とすべきなり。これ理由は多数の法定代理人には適中せずといえども取引の安全を保つ為には第三者の保護を主要とする民法一般の精神と符号するものと謂うべし(取250条2項旧商45条2項416条独商43条)。

 これ規定は便宜上の理由に基づける一の変例なるが故にその条文及び立法の目的以外にこれを適用することを得ず。即ち「代理人の権限外の行為」とあるが故に全く代理権なき場合に適用なきは勿論第三者より代理人に対して為す意思表示にもその適用なきものと解すべきが如し。又「権限ありと信ずるに足べき正当の理由」とあるが故に単に相手方が過失なくして権限外の行為たることを知らざりし場合においては代理人に対してのみその権利を行うことを得るものと解すべし(117条)。尚前条の準用に依り「第三者との間に為したる行為に付きその責に任ず」との規定なるが故に専ら本人と第三者との関係を定めたるものと解すべくその代理人との関係においては代理権ありしものとみなすに非ず。故に代理人又は復代理人に対して損害の賠償を求むることを得べきは疑いを容れざる所なり。

第6款 代理権の消滅
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 代理権消滅の原由には法定代理人と委任に因る代理とに共通なるものあり。又その各者に特別なるものあり。法定代理権に特別なる消滅の原由は本人が能力者と為りたること法定代理人たる資格の喪失その解任又は辞任等にしてこれに逐一これを列挙することを得ず。又委任に因る代理に特別なる消滅の原由は第三巻においてこれを説明すべし。これには主として両種の代理に共通なる原由を述べうるに止めんとす。

 およそ代理は普通の場合において代理人又は当事者相互の信用を基礎とするものなるが故に一旦その信用を持続すること能はざるに至るときは代理権は消滅せざることを得ず。これ他一定の原由に因り又は一定の期間に限り代理権の存立せる場合においてはその原由の消滅又はその期間の満了と共に代理権の消滅すべきは当然なりとす。これ代理権の消滅に関する一般の原則なり。

 民法において法定代理と委任に因る代理とに共通なる消滅の原由と定めたるものは左の種目とす(111条1項)。

 (一)本人の死亡

   法定代理人に在りては本人死亡するときは将来代理人を存置する必要なきが故に代理権の消滅すべきは当然とす。委任に因る代理は双方の信用に基づくが故に本人にして死亡せるときはその相続人に対して代理権を存続せしむべきに非ず。これ古来一般に認める所の原則なり(653条)。但し近世取引の頻繁なるに従いこれ原則に依ることを不便とする傾向なきに非ず。主に商事に関して最もその理由あるものと謂うべし(商268条独671条)。

   本人の能力喪失は法定代理権発生の理由と為ることあるも代理権の消滅を来すべき理由あることを見ず(「反対」取251条3号)。又本人の破産は委任に因る代理権消滅の原由と為るも(653条)法定代理に在りてはむしろ代理人あることを必要とする場合大きが故に一般の原則としてはこれ場合において代理権を消滅せしむべき理由なきものと謂うべし唯破産の為本人の人格が消滅する結果として代理権もまた当然消滅することあるは別段とす(68条)。

 (二)代理人の死亡禁治産者は破産

   代理権は代理人其人を主眼とするものなるが故に代理人の死亡に因りて消滅すべきは当然とす。次にその禁治産に因りて消滅するは行為能力損失の結果に外ならず。始めよりその能力なき者を代理人と為し得ること(102条)と矛盾するものには非ざるなり。又代理人の破産に因りて代理権の消滅するは畢竟代理の基礎たる代理人其人に対する信用の断絶に原因するものと謂うべし。

 委任に因る代理権は以上列挙せる原由の外委任関係の終了に因りて消滅するものとす(111条2項)即ち委任の解除(651条)委任者の破産(653条)及び委任事務の終了又は任期の到来これなり。民法第111条は代理権の発源に関しドイツ民法と主義を異にする結果として委任契約の解除以外に代理権の取消なるものを認めず(独168条)。また解釈上において任意代理権は一に委任契約より生ずるものと為す根拠の一と為るものと謂うべし。

 代理権は上述せる事由の一が発生するに因りて消滅すべしといえども代理人の取引を為す第三者においてはその事実を知らざることなしとせず。然るにもし其消滅をもってこれに対抗することを得るものとせば第三者はこれが為めに不測の損害を被ることと為り取引の安全を妨げること少なからざるべし。故に民法は代理権消滅の効果に制限を加えその消滅はこれをもって善意にしてかつ過失なき第三者に対抗するこいとを得ざるものとせり(112条)。これに所謂善意とは代理人と行為を為す当時において代理権の消滅を知らざりしことを謂う。又過失なきとはその事実をを知らざりしことが相当の注意を欠きたるに原因せざることを謂う。これ制限を必要とすることに付いては立法例殆ど一致するところなり(取258条仏2005条2009条独169条)唯代理権の消滅を第三者に告知したると否とに依り或は委任状ある場合においてこれを取る戻したると否とに依りてその結果を異にするものと為す例なきに非ず(瑞債41条43条独170乃至176条)。民法は第三者の保護を全からしむる為に一切これ等の区別を設けずして事実問題と為せり。即ち代理権の消滅はこれをもって善意の第三者に対抗することを得ざるを本則とし唯第三者が過失に因りてその事実を知らざりし場合を除外したるなり。故に第三者より代理権の消滅をもって本人に対抗するは固より妨げざる所とす。

 これ規定の適用に関しては學証の責任者を明にする必要あり我が輩は仏国多数の学者と所見を異にし善意は常に推定するものと解せず。然りといえども本論の場合は法文及び立法の趣旨よりして第三者の利益に解すること至当なるべし。故に第三者において代理権の消滅を知らざりしことを主張するきときは本人よりその者の悪意又は過失を証明せざるべからざるものと解するなり。

第7款 無権代理
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 代理権に基づかざる行為にして特に代理上の効果を生ずる場合あることは前三款において述べたる如し(109条110条112条)。これ等の場合は何れも第三者において代理権あることを誤信すべき理由あるよりして法律上これを保護せんが為本人に対してその効力を生ぜしむるものに外ならず。所謂表見代理とは即ちこれなり(中島氏613頁以下鳩山氏321頁)。本款においては其意外に代理権を有せざる者(権限を愉悦したる者をも包含す)と第三者との間に生じたる法律行為の効力を論述せんとす所謂無権代理に関する民法第113条以下の規定は即ちこれ範囲内においてその適用あるものと解すべし。

 およそ代理行為がその効力を生ずるには代理権あることを要するは一般の原則なり(99条)。故に代理権を有せざる者が他人の代理人として(他人の為にすることを示して)法律行為を為すもその行為は本人に対してその効力なきものと謂わざるべからず。又自己の為にする意思なきこと明らかなるが故に自己と相手方との間にも其効力を生ずべきに非ざるなり。然るに代理人としてその行為を為し相手方においてもまた代理人たる者とこれを為さんと欲したるものなるが故にもし本人においてその行為に代理上の効力を生ぜしむることを欲せばその方法を有せしむること甚だ便利なりとす。決して何人にも損害を被らしむることあらざるなり。これ即ち諸国の法律において代理権に基づかざる行為に対し追認なる制を認める所以なりとす。

 仏法系に属する諸法典においては追認に依りて代理権の欠陥を補充することを得ろものとせる。外に殆ど規定する所なし(取250条2項1号仏1998条2項)唯僅かに事務管理に関する規定を応用し実際の不便を矯正するに過ぎずこれ固より不完全なる法制にして近世取引の需要を充たすに足らざるものと謂うべし。けだし追認に関してはその要件効力及び追認なき場合において相手方に対する自称代理人の責任等を規定する必要あればなり故に我が民法はドイツ民法の例に従いこれに代理権なき代理行為の結果に関して詳細なる規定を置くに至れり(113乃至118条瑞債46乃至49条独177乃至180条)。

 民法は代理権に基づかざる行為が契約なると単独行為なるとに依りてその規定を異にせり、故に以下これ二の場合を区別して説明せんとす。

 (一)契約

 我が民法においては無権代理人が為したる契約は絶対的無効なるに非ず。これ一点は仏法系の立法例とその主義を異にする所なり。先づその契約よりして代理人と相手方との間に一定の法律関係を生ず。即ち代理人は相手方に対して全くその責を免るることを得ざるなり相手方もまた或範囲内において拘束を受くるものとす。唯代理行為として本人に対しその効力を生ずるには本人においてこれを追認することを必要としその追認なき間は本人に対してその効力を生ぜざるのみ(113条1項瑞債46条独116条1項)。但しこれ点においても契約は全然無効なるものとするに非ず。追認に因りて始めより有効なりしと同一の効果を生ずるものとし追認又はその拒絶なき間はむしろその効力を停止せられるものと解すべきなり。即ちその効力の生否が不確定なる状態に在るものと謂うべし。

 追認は代理権に基づかざる代理行為に付き代理権を興へたると同一の効力を生ずる単独行為なり。而してその目的と為ぬべき行為に関する要件は無権代理人が現に生存する特定人の代理人として為したる行為なることかつその行為は本人においても適法に為し得べきなることを要す。その行為ありたる後において本人死亡する如きことあるもその一身に専属する権利を目的とするに非ざる限りは追認権に影響することなきを原則とす(独1草123条4項)。

 追認の拒絶  追認を為さざる意思表示にして追認権を有する本人の単独行為なり。本人は追認を為す義務を有せざるは勿論これを為さざる間は無権代理人の行為に結束せらるることなしといえども自己より進んで追認を拒絶したる場合との間にはその結果に差異あり即ち一旦追認を拒絶したる後においては最早有効に追認を為すことを得ず。故に追認の拒絶は追認権の破棄と解すべきなり。

 追認は契約の一部に付きこれを為すことを得ず。けだし或行為を追認することはその行為全体の効力を認めることなるは言うを待たざればなり。一部の追認は普通の場合においてむしろ追認の拒絶とみるべく。而してこれと同時に新たなる申込をなしたるものと解することを得べし。但し契約に包含せる事項中外の部分と分離することを得べき部分に関しては意思解釈に依りて有効と見るべき場合にきに非ざるなり。追認及びその拒絶には一定の方式なし即ち明示又は黙示たることを得るべし。又相手方と代理人との何れに対してもこれを為すことを得るものとす。然りといえどもこれをもって相手方に対抗するには相手方に対してその意思表示を為すことを要す。これけだし追認又はその拒絶は直接に本人と相手方との間にその効果を生ずるものなればなり。但し相手方が代理人より通知を受けたる等に因り追認又はその拒絶ありたることを知りたるときはこれ限に在らず。即ちこれ場合においては相手方に対してその意思表示をなしたると同一の効力を生ずべきなり(113条2項)。ドイツ民法においては追認及びその拒絶は相手方に対する法律関係を定る行為なりとの見解に基づき必ず相手がに対してこれを為すべきものとせり(独117条2項)。

 無権代理人が為したる契約はその追認又は追認の拒絶なき間は不確定なる効力を有するものなることさきに述べたる如し。然るに欺きの如き不確定なる法律関係を永続せしむることは相手方に取って甚だしき不利益と謂わざるべからず。故に法律は無能力者と契約を為したる場合に同じく相手方の為にその関係を確定する方法を規定せり。即ち相手方は相当の期間を定めその期間内に追認を為すや否やを確答すべき旨を本人に催告することを得るものとす。而してもし本人がその期間内に確答をなざざるときは追認を拒絶したるものとみなすなり(114条瑞債47条独177条2項)。これ権利は無能力者の相手方が有する催告権に酷似すといえども無能力者に対しては一定の期間内に確答なきときは行為を追認したるものとみなす(19条)に反しこれ場合においては確答なきときは追認を拒絶したるものとみなす点においてその結果を異にせり。これけだし無能力者の行為これを取り消さざる限りは有効に成立するに反して無権代理人の行為は本来その効力を有するものに非ず。唯便宜上これを追認することを得るものと定めたるに由るなり。而してその確答は普通の場合と異なりて相手方に対し明示にてこれを為すことを要す。又その効力発生の時期の如きも無能力者の確答と異なりて受信主義の通則(97条1項)に拠るべきものと解すべし。

 相手方は通常本人の追認を希望すべきが故に上記の催告権を行使して速に本人の意思を確知す方法を探ることなるべし。然りといえども又無権代理人と為したる契約の制約を欲せざることなしとすべからず。けだしその契約は本来代理上の効果を生ずべからざるものなるも一旦本人においてこれを追認することを得ものと為したる以上その追認の意思なきこと確定するまでは一種の効力を有するものと見ざることを得ず。然るに相手方にして代理権の欠陥を知らざりし場合においてはその契約は代理行為として有効に成立せるものと確信したるにも拘わらずその効果を発生せず而も尚これに拘束せらるべきものとするは甚だ不適当と謂うべし故に法律は本人の追認なき相手方においてその契約を取り消すことを得るものとせり(115条独178条)。而してその取消の方法に関しては別段制限なきをもって本人又は代理人に対してこれを為すことを得べし。但し相手方が代理権の欠陥を知りてその契約を為したるときは始めより本人の追認を賭してこれを為したるものと見るべきが故に無能力者の相手方とその地位を一にし自己よりその取消をなすことを得ず(同条但し書き)。唯本人に対して前述の催告を為す権利を有するのみ代理人が代理権の欠陥を表明して契約を為したる場合の如きは即ちその適例と謂うべし(独1草理由書123乃至125条注)。

 追認の効果は無権代理人が為したる契約に代理上の効果を生ぜしむるに在り。而してこれ効果は契約の当時に遡りて発生するものとす(116条)。即ち始めより代理権を有する者がこれを為したる者とみなすなり。民法にこれ条文を置きたるは如何なる法律行為といえども別段の規定なき限りはこれを為したるときよりその効力を生ずべきものと見たるが故なるべし。然りといえどもこれ見解は誤れりけだし追認なるものは既往に生じたる法律行為そのものを有効と為す行為に外ならず即ちその性質及び当事者の意思において当然遡及効を生ずべきものにして法律の明文を待つ事項に非ざるなり(31年4月19日大審院判決)。瑞西債務法及びドイツ民法等に同一の規定なきは畢竟これの理由に出でたるものなるべし。然りといえども追認の遡及効には左に掲ぐるに二の制限あり(同条)。

 (一)別段の意思表示ある場合に適用なきこと

   これに所謂別段の意思表示ある場合とは本人が相手方の同意を得て追認の効力を遡及せしめざる意思を表示しり如き場合を謂うものとす。けだし追認の効力に関する第116条の規定は公益に基づくものに非ざるが故に明文なきも別段の意思表示の有効なること言を待たざるなり。

 (二)第三者の権利を害すべからざること

   追認の遡及効に因りて第三者の権利を害する場合とは例えばこれに甲なる者乙なる者の代理人と自講しその所有物を丙者に譲渡したる場合において乙は更にその者を丁者に譲渡し後に至りて前の契約を追認するも丙は丁に対してその所有権を主張することを得ざる如し民法はこれの場合において第三者たる丁の善意なること必要とせず。故に丁は縦令自講代理人においてすでにその者を丙に譲渡せしことを知してこれを譲受けたるも尚法律の保護を受けくるものと解すべし。

他人の代理人として契約を為したる者がその代理権を証明せるとき又は本人の追認を得たるときは相手方に対して何等の責任なく本人と相手方の間に直接の法律関係を生ずべきこと言うを俟たず。これに反して無権代理人において代理権を証明すること能はず。又は後に至りて本人の追認を得ざるときは相手方に対してその責に任せざるべからず。然るにもし法律に別段の規定なしとすれば代理人は一般の原則に従い専ら不法行為に因る損害賠償の義務を負うに止まり自己の名においてせざる契約を履行する義務なきこと論を待たず。現に多数の立法例はこれ原則に基づき単に賠償の義務を負わしむるに止めたり(取244条仏1120条瑞債48条)。然りといえども相手方においてはその損害を証明すること往々困難なるのみならず。代理人に賠償の資力なき場合には実際救済なき結果と為り取引の安全を保持するに足らず。けだしこれ場合における相手方の損害は主としてその有効と誤信したる契約の無効なることに在るが故に直接にその契約の履行を得せしむること最も適切なる救済法と謂わざるべからず。但し相手方においては履行よりもむしろ損害賠償を受くることを便益とする場合なしとせず。これ場合においては代理人は強いて履行を提供してその当然の義務たる賠償を免るることを得べからざるは言うを俟たず。故に法律はドイツ民法の例に従い代人は相手方の選択に従い履行又は損害賠償の責に任ずるものと為せり(117条1項独179条1項)。即ちこれ点においては選択債務の規定(406条以下)に依るべきものとす。

上述せる責任の根拠に関しては議論あり従来の観念に依ればこれ責任は無権代理人の過失に基づくものとす。而してその過失は証明を要せず当然存在するものと見るべきなり。余輩も又さきにこれ見解を探りたるも近時の学説はむしろ過失の有無を問はず。信用保護の理由に基づける特定の責任としてこれを説明する傾向あり(鳩山氏364頁以下華道氏1巻484頁参照)。これ他に担保黙約説あるもこれ説の如きは巧妙に過ぎ殊に代理人が代理権の欠陥を知らざりし場合を説明することを得ず。

これに所謂履行とは有効に成立せる契約の履行を謂うには非ずして代理権ありと仮定せば本人と相手方との間に成立すべき契約と同一の内容を有する契約関係が相手方と無権代理人との間に成立するものと為しその履行を請求することを得るの趣旨に外ならず。又損害賠償の如きも相手方が代理人との間に契約の有効なる場合において享くべき利益を代表するものに非ずしてその契約が本人に依りて履行せられざるより生ずる損害の賠償を指すものと解すべし。但し一旦履行請求したるも代理人がこれに応ぜざりし場合においては本人に依る不履行の結果を標準とせずして代理人が履行をなさざる場合に受くべき全損害の賠償を謂うものとす。

 要するに民法は取引上の必要より特に無権代理人の責任を重くしその者が代理権の欠陥を知りたると否と問わず賠償の外に履行の義務あるものとそいたるは最も注意すべき点なりとす(唯代理権なきことを知れるときは通常詐欺に依る不法行為となるべきが故に賠償額に影響することあるべし)。ドイツ民法はこれの点においてその第一読層草案及び商法の主義を変更し善意の代理人は単に或限度において相手方が代理権ありと信じたるより生ずる消極的利益に対してのみ責任を負うものとせり(独179条2項同1草125条及び理由書同商55条298条2項)これ立法問題としては大に考究すべき点なりとす。

 以上述べたる無権代理人の責任は畢竟過失なくして代理権ありと誤信せる相手方を保護する趣旨に出でたるものに外ならず。故に相手方が代理権の欠陥を知りたるときは上記の権利を有することなし。けだしこれ場合においては本人の追認を賭して故意に不完全なる契約をなしたるものと解すべければなり。相手方が過失に因りてその事実を知らざりしときまた同じこれ畢竟取引上の必要に基づくものにして悪意と過失とを同一視するは決してこれ場合に限らざるなり。例えば代理人が契約をなすにあたり代理権なきことを相手方に通知したるも相手方においてその信書を披見することを怠りたる如きはその一例と謂うべし。唯これ場合において相手方は前述第115条の取消権を行うことを得べきのみ。

 これ他代理人として契約をなしたる者がその能力を有せざりし場合もまた同一に論ずべきものとす。これ無能力者保護の趣意に出でたるものと謂うべし。けだし無能力者は自己の為めに為したる行為といえどもこれを取り消すことを得るに他人の為に為したる行為に付きその責に任ずべからざるものとせば立法の目的を貫徹せざればなり。唯法定代理人の同意を得てその能力を補充したるときはこれ限りに在らず(117条2項独179条3項)。又不法行為に因りて損害賠償の義務を負うことあるは別問題りとす(712条713条)。

 (二)単独行為

 無権代理の効力を認める必要は主として契約に付き存在するものとす。これに反して無権代理人が或人に対して催告その他の単独行為を為したる時は相手方はこれに関興したるに非ず。即ちその行為に非ざるなり、然るに本人一個の意思表示たる追認に因りて双方間にその効力を生ずるものとするは本人の為には甚だ便利なるべしといえども相手方はこれが為に不確定なる地位に立ち不当に損害を被る結果と為るべし。故に民法においては無権代理人が為したる単独行為は無効なるを原則とし唯その当時相手方が代理人と称するものの代理権なくしてこれを為すことに同意し又は少なくもその代理権を争はざりしときに限りその行為を承認したるものと見なし以上説明せる契約に関する規定(113乃至117条)を準用するものとせり而してこれに所謂(代理権を争わざりし時)とは代理権なきことを知りて争わざりし場合のみを謂に非ずしてその争わざらりし理由如く何を問わず凡て代理権の欠陥を主張せざりし場合即ち自構代理人に対して反対の意思を表示せざりし一切の場合を包含するものと解すべきなり(独180条)。

 或人が代理人に対してなしたる単独行為はその代理人の同意を得たる場合に限り上記の効果を生ずるものとす(同条末文)。けだし代理人は本人の為にする意思を有せざるべからざるが故に代理権なくして本人の為に単独行為の相手方たらんとする場合においてもまたこれ意思を有せざるべからず。これ前項の場合と異なりて単に代理権の欠陥を主張せざりしのみをもって足れりとせざる所以なり。故に又これに所謂代理権を有せざる者の同意は必ずしも相手方の需給に応じて興へたるものなることを要せざるべし。

 以上述べたる第118条の規定は相手方ある単独行為のみに適用すべきものたること明らかなり。故に一定の人に対せざる単独行為例えば寄付行為の如きは全然その効力なきものと解するを至当とす。

第5節 法律行為の無効及び取消し

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第1款 汎論
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 法律行為の無効とはその成立要件を欠きたる為法律上存在せざることを謂う。又その取消とは一旦成立したる行為が或瑕疵を帯びうるため初よりその効力なきに至ることを謂う。

 一般法律行為の成立及び完成に欠くべからざる要件は本章第二節及び第三節並びに第三編第二章第二節において説明したるが故に今これにこれを再述にせず。本節においては主としてその要件の欠陥せる結果(119条乃至126条)を論ぜんとす。無効の行為と取消得べき行為とを区別することは数多くの点において肝要なるものとす。けだしこれ両者は大にその性質を異にするが故にその効果にもまた著大なる差異なきことを得ざればなり。今これを人身に譬えて言えば無効の行為は生命を具有せず。恰も死体にて生まれたるに同じこれと異なりて取消得べき行為は身体の健全を欠くものにして恰も病者と一様なり従いてその法律上の結果における際もまた死体と病者との間におけると同一様の関係に外ならず。即ち死体は如何なる名薬又は手術用うるも又幾年月を経るも蘇生することなきに反して病者はその疾病の為に斃れるまで者たること論なく又治療もしくは時日の作用に因りて健康回復することあり。これと同一に無効の行為は当然不成立にして永世有効のものと為ることなしといえども取消得べき行為はその取消なき間は有効に存立しかつ追認又は時効に因りて完全なる行為たることを得べし。唯取消ざれたる場合において初より無効なりしものと見なさるるは病者と同視すべからざる一点なりとす(拙著「契約法講義」明治10年版2 45頁以下)。

 以上述べたる所は一般の原則なり。然るに法律は自然界の法則と性質を異にし常に書一の観念をもって貫くことを得ず。即ち無効の行為といえども特別の理由よりしてその絶対的効果を制限する場合ありこれ事は次款において述ぶべし。

第2款 無効の行為
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 無効の原因は甚だ多しといえども要するに法律行為の一般又は特別の要素を欠くに在り(399頁)。一般の成立要件はさきに説明したる如し(400頁以下)。特別の成立要件に至りて各種の法律行為に付き論究すべき事項なるが故に今これにはこれを述べず。例えば婚姻又は遺言の如き要式行為における方法の欠陥(778条1067条以下)及び法律において特に或行為の無効なることを規定せる場合(例470条末文)の如きこれなり。

 無効の行為は当然成立せざるものなるが故にその不成立を主張するに付き利益を有する者は何人といえどもこれを主張することを得べく又何人に対してこれを主張することを要せず。唯実際のその無効なることに付き争あるときは裁判を待たざるべからずといえどもその目的とす所は単に無効の事実を認定せしむるに在りその事実は訴訟の結局に至るまで何時にてもこれを主張することを得又裁判官においては職権をもってこれを審査せざるべからざるを原則とす。

 然りといえどもこれ絶対的効果に制限なきに非ず。即ち無効の行為といえども或人に限りてその無効を主張することを得ざる場合(例95条但し書)又はこれをもって或人に対抗することを得ざる場合(例94条2項)ありこれにおいて多数の学者は絶対的無効と相対的無効とを区別せり。但しこれに例示する如き場合は何れも変例にして特別の理由に基づき無効の結果を制限したるに過ぎず。

 無効の行為は直接に如何なる効果を生ずることなしもし誤りてこれに基づき給付したるものえるときは一般の原則に従いその返還を求むることを得べし又これよりして損害賠償の義務を生ずるには不法行為の成立せることを証明するが又は法律に別段の規定あることを要す。何れを無効の行為そのものがこれ効果を生ずるには非ざるなり例えば或契約がその目的の不能なるが為無効なる一事をもっては損害賠償を請求することを得ず。必ずや不法行為即ち過失に因る権利の侵害あることを証明せざるべからずこれ点は立法問題としてその当否を論ずることを得ざるに非ざるといえども解釈上においては殆ど疑いを存ぜざる所なり。

 又無効の行為は当事者の意思をもってこれを有効のものと為すことを得ず。換言すれば追認に因りてその効力を生ずることなし(119条)。然らばその追認は如何なる効果をも生ぜざるやと云うにこれの点は別問題にして民法においては他の効果を生じ得ることを認めたり。即ち当事者がその無効なることを知りて追認をなしたるときは新たなる行為を為したるものと見なせり(同条但し書独141条)。これけだしこれ場合において当事者の意思は無効の行為と同一の内容を有する行為を為さんとするに在ること疑いを存せず。果たして然らばその行為の内容にして法律上の要件を具有する以上はこれを有効と為すも僅かにも防あるべからざるなり。

 旧民法その仏法系の諸法典においては無効の行為より自然義務を生ずることを認めこれを追認して法律上の義務と為すことを得るものとせり。新民法にはこれの観念を踏襲せざりしこと僅かにも疑いを存せず。けだし自然義務なるものはローマ法が極端なる形式主義を固守せるより起こりたる制度にして今日にこれを遺存せしむべき理由なければなり。故に本条に所謂新たなる行為は旧行為と如何なる関係をも有せず。即ち普通の意義における追認と相違なりて旧行為を追認するに非ず。従いてこれを為したる時に法律上の要件の具わることを必要としかつその時より将来に向かいてその効力を生ずるものと解すべし。これ単に理論上の差異に止まらず所有権及び危険(534条)の移転すべき時期を異にする如きその実益少しとせるなり。

 最後に無効の行為は歳月を経過するに因りて有効と為ることなし。換言せば各利害関係人は永久にその無効を主張することを得べし。即ちこれ権利は時効に因りて消滅することなきなり。但しこれの点においても無効の行為が機層と為りて他の事由に因りその効力を有するに等しき結果を生ずることはこれなきに非ず。例えば無効の行為に基づきて或物の占有を得たる者は取得時効又は占有の効力に因りてその所有権を取得する如きこれなり(162条163条192条)。

 以上述べたる所は法律行為が当初よりその成立要件を欠くに因りて無効なる場合を眼中にせるものなり。又無効の行為とは通常これ場合を謂うものと解すべし。然るに法律行為が一旦成立したる後においてその無効の原因たるべき事実の発生することなしとせず。例えば法律行為の目的物がその行為の成立後に至りて不融通物と為りたる如きこれなり。これの場合においては無効の原因が法律行為の成立後その効力に発生前に生じたるとその以後に生じたることに依りて結果を異にする所あるべし。その効力の発生後に生じたる場合においては単に履行の不能を来すに過ぎずこれに反してその効力の発生(例えば停止条件の成就又は遺言者の死亡)前に生じたるときは無効の原因中において更に区別を為すことを要す。即ち意思能力の喪失は法律行為を無効ならしむることなしといえども法律行為の内容(目的)が法律上の要件を具備せざるに至りたる場合(例えばその目的が不融通物と為りたる如き)においては法律行為は遂にその効力を生ぜざるに終わるべし。

 又法律行為の無効にはその全部の無効と一部の無効とあり。けだし法律行為は数多くの意思表示を包含することなきに非ずといえども通常その意思表示は各自分立するに非ずして相合して単一なる行為を組成するものと見るべし。故に一部の無効は全部の無効を来すべきを通則とす。唯当事者においてその無効なる一部なきも尚法律行為を成立せしむる意思なりことを証明するときはこれの限り在らず。故に畢竟は意思表示の解釈問題に帰著すべし(独139条参照)         

第3款 取消得べき行為
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第1項 取消権の発生
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 取消し得べき行為は以上述べたる諸点において無効の行為とその性質を異にするものなり。けだしこれ種の行為はその成立要件を具備するものにして未だ取消されざる間はその一切の効果を生ずること完全なる行為と相違なる所なし。唯一定めの瑕疵を帯びうるよりして或人にこれを取り消すこと即ちその効力なきものとする権利を興ふるのみ故にその行為は取消権の行使(法律行為の全部に付き)ありて始めてその効力を失うに至るものとす。故に又追認に因りてこれの権利を拠棄し又は時効に因りてこれを喪失したるときはその行為はこれに完全なる行為たることに確定するものなり。

 取消の原因は法律行為に瑕疵あるに存ず。而して一般の法律行為に共通なるものと或種の行為に特別なるものとあり。第一種の原因は(一)意思表示の瑕疵即ち詐欺及び強迫(二)無能力の二とす(401頁)又第二種の原因はその数甚だ多く何れも民法各編の範囲に属するものとす(424条550条779条以下852条以下等)今これに説明すべき通則(120条以下)はこれ等の特別規定に抵触せざる範囲内においてのみその適用あるものと解すべきなり。

 取消得べき行為は無効の行為とその性質を異にし何人といえどもこれを取り消すことを得るに非ずして取消の原因存ずるが為に法律上保護すべき一方の当事者及びこれと同一視すべき者のみこれ権利を有するものとす。民法は即ち列挙する者に限り取消権を有するものとせり(120条)。

 (一)無能力者又は瑕疵ある意思表示を為したる者

 (二)承継人 これに所謂承継人とは無能力者又は瑕疵ある意思表示を為したる者よりその取消得べき行為に因りて生じたる権利義務を承継したる者を総称す。即ち一般承継人(相続人及び包括受遺者)は勿論特定承継人(買主受贈者等)をも包含するものとす。但し取消し得べき行為に因りて取得したる権利の譲渡は後に説明する如く追認の事由と為るべきが故に(125条5号)特定承継人が取消を為すことを得るは特に取消権を留保したる場合(同条但し書)なるべし保証人は正確なる意義における承継人に非ずといえども主たる債務を履行する義務を負う点のにおいて広義における承継人と見なし取消をもって抗議と為すことを得るものと解すべきが如し。民法は一般承継人中に債権者を包含せしめざること僅かにも疑いを存せず(104頁)但し債権者は第423条の規定に依りて取消権を行うことを得るは勿論とす。

 (三)代理人 これに所謂代理人とは無能力者又は瑕疵ある意思表示を為したる者の代理人を謂うものにして本来自己に取消権を有する者に非ず。唯本人の為にその行為を取り消す代理権を有するのみ固より法定代理人と委任に因る代理人との間に差別あることなし。思うに代理人が取消権を行使し得べきことは一般承継人に同じく殆ど疑いなき所なるも法文に取消権を有する者を限定したる結果として疑義の生ぜんことを妨ぐが為これを明示したるに過ぎず。

 代理行為において代理人の意思表示に瑕疵あるときはその事実は代理人に付きこれを判定すべきことさきに述べたる如しといえども(484頁)本人がその行為を取り消すことを得るやは一の問題なるべし。もしそれ本人をもって代理行為の当事者なりとする説を採らば僅かにも疑いを存せずといえども現今の通説たる代理人行為説及びこれに説明する第120条の文面に依るときは本人には取消権なしとの説なきことを保せず。然りといえども代理行為の効果は直接に本人に帰し恰も本人がその行為を為したると同一視すべきが故に取消権もまた当然これに属するものと解するを至当とす(491頁)。

 (四)夫 妻が夫の許可なくして為したる行為は妻自身の外夫もまたこれを取り消すことを得(120条2項)これその無能力の基本たる夫権の効力に外ならざるなり夫の代理人がこれの権利を行うことを得やに付いては本条第1項に照応して聊か疑いなきに非ずといえども一般の原則に従い積極に決するを妥当とす。但し夫の取消権はその一身に専属する権利と見るべきが故にその承継人及び債権者(423条)はこれを行うことを得ざるものと解すべし。

 以上列挙したる者の外何人といえども取消権を有することなし殊に相手方にこれ権利なきことは最も注意すべき一点と謂うべし。唯無能力者の相手方は第19条に定めたる催告権を行使しもって不確定なる法律関係を永続せしめざることを得るのみ(177頁以下)これ他取消の原因が当事者双方に存在する場合においては各取消権を有することを言を待たざるなり。

第2項 取消権の行使
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 本項においては取消権行使の方法及び効果を述べんとす。

 (一)取消の方法

 旧民法においては取消はこれを裁判所に請求することを必要とせる如し(財544条)。これ外国にもその例少なからずして確実を趣旨とするものに外ならずといえどもこれの制たや煩き過ぎ本邦の風俗慣習に適合せざるが故に民法にはこれを採用せず単純なる意思表示をもって足れりとせり。即ち書面その他一切の方法に依りてこれを為すことを得べしこれ特にこれ場合においてのみ然るに非ずして履行の請求契約の解除その外数多の行為に付き採用せる主義なり。而してこれ意思表示は契約その他特定の相手方ある行為に付きてはその相手方に対してこれを為すことを必要とす(123条独143条)。これ畢竟相手方に対してその効力を生ずるものなればなり。これに反して特定の相手方なき行為に付いては第530条に規定せる場合の外は如何なる方法に依りてもこれを為すことを得べし何れの場合においても取消は一方行為なること言うを俟たず。

 これの他には取消を為す方法に制限あることなし。故に取消権を有する者は自己より進んでこれを為すことを要せず。相手方より履行を請求せられたる場合に抗弁としてこれの権利を行使するも固より妨げざる所なり(35年11月25日及36年6月27日大審院判決)惟うに実際においてはこれの方法に依りて取消権を行うこと最も多かるべし。

 又取消を為す時期に関して何等の制限なきが故に追認を為す場合の如くに取消の原因たる状況に止みたることを要せず(124条)。追認又は時効に因りてその権利の消滅せざる間は何時にてもこれを為すことを得るものと解すること妥当なるべし(35年11月6日大審院判決)。

 (二)取消の効果

 取消得べき行為は未だ取消さざる間は全然有効なるものにして一切の効果を生ずといえども一旦取り消されたるときは既往に遡りてその効果を失い初より無効なりしものと見なざる(121条独142条)。惟うにこれ遡及効は法律の擬制に非ずしてむしろ当然の効果と見るべきものとす。けだし取消の原因たる瑕僅は法律行為を為したる時よりさきに存在するものなるが故に一日たりともその効果を有せじするものとするは取消権を認めたる趣旨に背馳すればなり。

 惟うに法律上において取消なる語はその用例常に一定せるに非ず遡及効を生ずる場合と将来に向かいてのみその効力を生ずる場合とあり。余輩は或一部の学者と説を異にし一の行為が遡及効を生ずる場合は凡て変例なりとせず。主要とする所は取消の原因及び目的を明らかにするに在りこれに所謂取消得べき行為の如きはさきに

説明したる失踪の宣告の取消(213頁)及び代理権に基づかざる代理行為の追認(527頁)に同じくその性質上遡及効を生ぜざるべからざるものとす。これに反して禁治産の宣告の取消(10条13条)又は法人の設立許可の取消(71条)の如きその原因の事後に発生したるものはこれ効力を生ぜざること言うを俟たず。これに説明する第121条の如きは唯疑義の生ずることを防止すると取消の効果に対する制限(同条但し書)を示す為に置かれたるものと見るべし。

 取消は遡及効をもって法律行為を無効と為すが故に発生したる法律上の効果は凡て消滅して当然旧状に復するものとす。故に当事者間においては各その行為に基づきて受たる利益を返還又は償還せざることを得ず。但しこれ返還義務範囲に関しては議論あり。現今の学説は全部返還説(平沼氏599頁川名氏451頁)不当利得返還説(梅氏1巻終版314頁)及び折衷説(鳩山氏412頁以下)の3つに岐かれ何れも根拠あることを認む。惟うに全部返還説は理論上正当なる如しといえども善意の当事者に現存利益以上の返還義務あるものとするは過酷の感なき能はす立法の趣旨はむしろ法律上の原因なき利得とし不当利得の規定(703条704条)に従いその利益の存する限度において返還をなさしむるに在る如し。故に例えば受取たる物の一部が火災等に因りて消滅したるときはその残部を返還し又その物の価格が相場の下落等に因りて減少したる場合においては現状の価格においてこれを返還又は償還するをもって足れりとす。

 これの効果は当事者間においてのみにならず第三者に対してもまた発生するものと謂うべし。即ち取消し得べき行為に因りて取得したる権利を第三者に譲渡したる場合においてその権利は取消の効果に依り更に移転の行為を要せずして当然前主に帰属することと為るなり。但し詐欺に因る取消の場合はその例外とす(96条3項)又時効もしくは占有の効力に因りて第三者がその権利を取得することあるは固いより妨げざる所とす(162条163条192条)。

 然りといえども上記の原則に対しては一の制限あり即ち無能力者はその取消たる行為に因りて現に利益を受くる限度においてのみ償還の義務を負うことこれなり(121条但し書財552条1312条)。これけだし無能力者は往々思慮なくしてその受けたるものを消費することあるが故にこれを保護せんが為にして畢竟その取消権を認めたる趣旨を一貫せんと欲したるものに外ならざるなり。故に例えばその受取たる金額の一部を消費したる場合においてはその残額のみを返還するをもって足れりとすべし。但し法文に「現に利益を受くる限度において償還の義務を負う」とあるが故に現物の全部又は一部が現存する場合に限りて返還の義務あるものとは解すべからず。例えばその受取たる金銭をもって物品を購入したる如き場合は勿論医師治療を受けて全治したる如き無形の利益を受くる場合においても尚相当の費額を償還する義務あるものと解すべきなり。

  一説に依ればこれ無能力者の償還義務の範囲は不当利得の原則(703条)の適用に過ぎずして取り消されたる行為に因りて得たる利益の全部を返還すべきものとする第121条本文の例外と見るべきものとす。これ見解は主として前段に述べたる全部返還論者の主張する所にして理論上の根拠なきに非ずといえども返還の義務重きに過ぐる結果を来すが故に果たして立法の本旨に適合するや大に疑いなきことを得ず。むしろ不当利得の原則に依る外更に無能力者の為に特別規定を設けたるものと解すること妥当なる如し。欺く解する時はその所謂「現に利益を受くる限度」における償還義務の範囲は第703条の所謂「利益の存ずる限度」と全然同一なるに非ず。即ち無能力者はその受取りたる金銭を消費し又はこれを他人に贈興したる場合において償還の義務を負うことなきも能力者に在りては通常自己の財産をもってもこれ等の処分を為したるものと見るべきが故に結局その財産の減少を免れたる点においてその金額に相当する利益の遺存するものと見なざるべし。故にこれの点においてはむしろ本条但し書が不当利得の例外と為るべきなり。唯法文明瞭を欠く為異論多きは当然とす。

第3項 取消権の消滅
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 取消権は追認及び時効に因りて消滅するものとす。

 (一)追認

 (イ)追認の性質  追認とは取消得べき行為を完全なる行為と為す意思表示を謂う。即ち取消権の拠棄する一方行為なり故にさきに示したる取消権を有する者に非ざんはこれを為すことを得ず(122条独144条1項)。かつ一旦これを為したる後はその意思表示を取消すことを得ざるは言うを俟たず。

 民法は無権代理の行為と取消得べき行為とに通じて「追認」なる語を用いたるは聊か当を得ざる如し余輩は従来前者を追認(Ratification)と称し後者に対しては確認(Confiemation)なる語を用いたり。これ唯文字上の議論に過ぎずといえども初より追認者を拘束せざる行為に対するとその拘束力を確定するとは大に性質を異にするものなることさきに述べたる所に依りて明らかなるべし。

 (ロ)追認の要件 追認は取消得べき行為を完全のものと為す行為なるが故にその要件として(一)単に取消し得べき行為に対すること(二)取消権を有する者がこれを為すこと(三)取消の原因を了知しかつその瑕疵を除去する意思をもってこれをなすこと(四)取消の原因たる状況の止みたる後にこれを為すことを要す。(124条1項)これの最後の要件は追認を為すことを得べき時期に関する重要なるものとす。即ち瑕疵ある意思表示に付いては詐欺の事実を覚知し又は強迫に因る畏怖が止みたる後又無能力者に在りては能力者と為りたる後なることを要す。これその以前に在りては追認はその完全のものと為さんとする行為と同一の瑕疵を帯うるが故なり。従いてその追認もまた取消し得べきものなるべしといえども欺ては徒に煩雑を加えて追認の目的を達することを得ざるが故にこれ要件を具えざる追認をもって全くその効力なきものと為したるなり。

 然りといえどもこれの規定は無能力者の行為に付いてはその者が独断にて追認を為さんとする場合にのみ適用すべきものと解すべし。もしそれ無能力者がその法定代理人もしくは保佐人の同意又は夫の許可を得て為したるときはその追認は完全なる効力を生ずべきことを言うを俟たず。何となればその同意又は許可あるにおいては何時にても完全にその行為を為すことを得べければなり。

 禁治産者は一旦禁治産の宣告が取消ざれたるときは直に能力者と為るもその時までは精神障害の常況に在りし者なるが故に前に為したる行為を記憶せざること多かるべし。故に唯能力者と為りたる一事をもっては足れりとせず。更にその行為を了知したる後に非ざれば追認を為すことを得ざるものとす(同条2項)。惟うにこれの規定は全くその必要なきが如し何となれば追認は如何なる場合においても取消の原因たる事実を了知するに非ざればこれを為すことを得べからざるは論を待たざればなり。察するに立法者は次二条の適用に関しこれの規定を必要としたるものに外ならざるべし。

 無能力者の法定代理人及び夫は自己の権利として取消を為すことを得るものなるが故に本人が能力者と為るを待たず。何時にても追認を為すことを得べし(同条3項)。否その以前のおいてこそ実際その適用あるものと謂うべきなり。但し法定代理人が追認を為すには新たにその行為を為すに必要なる条件の具わざるべからざること勿論なりとす。例えば或種類の行為に付いては親族層の許諾を得ることを要する如きこれなり(886条929条)。

 (ハ)追認の方法 追認は明示又は黙示にてこれを為すことを得

 明示の追認はさきに述べたる取消と同一の方法に依りてこれを為すことを得即ち裁判上の請求は勿論旧民法に定めたる如き証書をもってすることをも必要とせず(財555条)。単純なる意思表示に依りて成立するものとす。これ近世普通の立法例なるなり。唯特定の相手方ある行為に付いてはその者に対する意思表示を必要とするのみ(123条)但し実際においては証書を作成すること常なるが故にその証書の証拠力を生ずる要件としてこれに記載すべき事項を規定せる立法例は少なしとざるなり(仏1338条1項伊1309条1項)。黙示の追認は追認の意思表示と認むべき事実ある場合に成立するものとす。民法は左の場合においてその意思表示最も著明なるものと認め証明を待たずして当然追認を為したるものと見なせり(125条)。

 (一)全部又は一部の履行(取消得べき行為より生じたる自己の債務に付き)

 (二)履行の請求(その行為より生じたる相手方の債務に付き)

 (三)更改(その行為より生じたる債権又は債務に付き)

 (四)担保の供興(その行為より生じたる自己の債務に付き)

 (五)取消し得べき行為に因りて取得したる権利の全部又は一部の譲渡

 (六)強制執行(相手方に対して為すと相手方より受くるとを問わず)

 上記の事実は何れも単純なる推定と異なりて反証を容れざるものとす。これ法文に「追認を為したるものとみなす」とあるに徴して明らかなり。即ち法律上絶対的に取消権の拠棄ありたるものと見なしその発生の当時において取消の原因を知れると否とを問わざるものと解すべし。果たして然らばこれを黙示の追認と講ずるよりもむしろ法定の追認と称すべきが如しといえども(鳩山氏441頁)立法の趣旨は通常追認の意思あるものと見たるに外ならず。故にその効力を生ずるにはさきに述べたる追認を為すことを得べき時期後に生じたることを要す。又その行為の当時において取消権を拠棄する意思なきことを留保したる場合にはその効力なきものとす(同条財556条仏1338条2項)。右に列挙せる以外の事実(履行の提供更改の申込担保の受領等)といえども黙示の追認と為ることなきに非ず。唯一般の原則に従いその意思を証明することを必要としかつ反証を挙ぐることを妨げざるのみ。これ別段の規定を要する事項に非ざるなり。

 (二)追認の効果 追認の効果は取消得べき行為を完全のものと為すこと即ち将来に取消権を消滅せしむるに在りその行為は本来有効に成立せるものにして追認に因り始めてその効力を生ずるに非ず。然りといえども一たいこれを追認するときは恰も当初より完全なる行為の如くにその効力が確定するに至るものなり。民法第122条に「初より有効なりしものとみなす」と日い恰も追認の遡及効に因りて有効の行為と為る如くに規定せるは聊か語弊なきに非ずといえども立法の趣旨は従来有効の行為として生ずたる効果に僅かにも変更を来さざることを示すに在るものと解すべし(122条1338条3項148条1項)。

 然りといえどもこれの原則には一の制限あり第三者の権利を害するべからざること即ちこれなり(同条但し書仏1338条3項末文独148条2項)。例えばこれに甲なる未成年者乙者に或不動産を売却し成年に達したる後更にこれを丙者に売却し後に至りて前の売買を追認したりと仮定すべし。もしこれ追認が第三者たる丙に対してもその効力を生ずるものとせば丙は不当にもその取得したる権利を失うに至るべしとの理由に因りこれ制限を設けられたるなり。これ果たしてその当を得たるものなるやに付いては多少の疑なきに非ずといえども甲にして詐欺者に非ざる限りは後の譲渡に依りて丙の為暗黙に追認権を拠棄したるものと見ることを得べし。然りといえどもこれ単に第三者を保護する為に追認の効果を制限したるものに過ぎず当事者間において追認そのものが無効と為るには非ず。故に前例の場合においても甲は乙に対して追奪担保の責任を免るることを得ざるなり(560条以下)。

 (二)時効

 取消権の消滅時効に関しては二の場合を区別することを要す。

 (一)取消権は追認を為すことを得る時より5年間これを行わざるときは時効に因りて消滅す(126条上段)。これ時効期間の起算点は消滅時効の通則(166条1項)に対する一の変例と見るべし。何となれば取消権は追認を為すことを得る時を待たずしてこれを行使することを得ればなり。惟ふにその以前より在りては事実上取消権を為す能はざること多きが故に第124条に依りて有効に追認を為すことを得る時より起算すべきものとしたるに外ならず。即ちその時効に達したるに拘わらず5年間も取消権を行使せざるはこれを拠棄するの意思なるものと見ることを得べきが故なり。但し一般の時効に同じく強行的規定なるが故にその意思なきことの反証を容れざることは勿論なりとす。

 同一の行為に付き取消権を有する者二人以上ある場合においては時効は各自に対して別個に進行すべきは当然とす。故に法定代理人又は夫の取消権がさきに消滅したる後に本人又はその承継人の取消権は尚多年間消滅せる如きことは往々これあるべきなり。

 これ時効の期間を5年と定めたることもまた時効の通則(167条2項)に対する例外とす。欺く期間をせる所以は他なし。取得し得べき行為ありたる時よりその取消権を為す時までには往々永き年月を経過し当事者間殊に第三者との間に種種の法律関係を生ずることなしとせず。然るにその法律関係は何時取消に因りて消滅するや知るべからざるものとせば当事者及び第三者の地位甚だ不安にして取引の安全を害すること少なしとせざるなり。唯無能力者の相手方は第19条に定めたる催告権を行うことを得ざるに非ずといえどもこれ無能力の場合にのみ適用すべき規定にしてこれの権利の如きも実際これを行うこと能はざる事情ある場合屡これあるべし。これこれに一般取消権に付きこれ短時間時効を設くるに至りたる所以なり。諸外国の法典においても一般の消滅時効期間を30年とするに拘わらず取消権の時効期間は或はこれを10年と為すあり(仏1304条)。或はこれを5年と為すもあり(財544条伊1300条)或は又詐欺もしくは強迫に因る取消権は1年間これを行わざるに因りて消滅するものとし無能力者に対しては相手方に上記の催告権あるをもって足れりとし特別の時効期間を定めざる例もこれなきに非ず(瑞債28条独108乃至111条124条)。要するに何れも永年間法律関係の確定せざる弊害を妨ぐことを必要とせるはなし。我が民歩はこれ点に関し主として旧民法の規定を襲用したるものなり。 

 右5年の期間は固定期間に非ずして時効期間なることは法文に明らかなる所とす。これ現に多数の立法例にして取消権を有する者の為に時効の中断及び停止を認める必要なることは普通の場合と相違なきなり。尚其他の点においても時効の通則を適用すべきことは言うを俟たず。

 (二)追認を為すことを得べき時より未だ5年を経過せざるも取消得べき行為ありたる時より20年を経過したるときは取消権は時効に因りて消滅す(126条末文独124条3項)これ規定は全く黙示の追認なる観念に基づくものに非ずして唯公益上法律関係の不確定なる状態を永続せしめざる趣意に外ならず。又その期間及び起算点の如きも時効の通則(166条1項167条2項)に反することなし。むしろ本条上段の規定あるが為に明文を置かれたるものと解すべきなり。

第6節 法律行為の付款

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 およそ法律行為の効果は法律に依りて定まるといえどもこれ畢竟法律が吾人の欲する所に従い各般の法律関係を自定することを得せしめんが為に外ならず。即ち普通の場合に生ずべき効果を定めたるものなり。故に吾人は又必要に応じて任意にその法律上の効果を変更又は制限することを得ざるべからず。この目的をもって法律行為の効力を一定の事実に繋がらしむる条款を称して条件及び期限と謂う。何れも特別の場合を除く外一般法律行為に付加することを得るものなるが故に民法は法律行為の通則としてこれに関する規定を設けたり。この他に負担と称して実際ある種の法律行為に付き稍々頻繁に行わるる一種の付款あり。民法はこれに関する通則を設けずといえどもその概念を示すこと無益に非ざるが故に末款において簡略にその大要を述べんとす。

 条件及び期限はこれを法律行為に付することを得るを原則とす。然りといえどもまたその例外なきに非ず。即ち法律行為の性質上これを付することを得ざるものあり。例えば婚姻,養子縁組,私生子の認知,相続の承認又は放棄等は公益上よりこれに条件又は期限を付することを得ず(90条)。又解約,取消,追認,催告等の一方行為も不確定なる状態において相手方を拘束すべからざる故をもって一般に除外すべきものとす(鳩山氏468頁以下)。この他同一の理由に基づき法律の規定をもって特にこれを禁じたるものあり(例,506条1項,商469条2項)。これらの場合においては通常その付款のみ無効なるに非ずして法律行為全体が無効と為るものとす(541頁参照)。

第1款 条件
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第1項 条件の性質
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 条件とは法律行為の任意的付款にして不確定なる事実の発生のその効力の発生又は消滅を繋がらしむるものを謂う。

 今これに条件付法律行為の一例を示せば甲者が乙者に対し一定の期日内に丙者よりある家屋を買取ることを得ば現在の住家を贈与すべきことを約する如き。或いはその家屋を買取ることを得ざれば現に贈与する家屋は自己の所有に復すべきことを約する如きこれなり。これらの場合においてその「何々の事実が生ずれば」と云う部分は即ち条件にしてこれを付する目的は畢竟法律行為の当時に予定すること能わざる事実の生活に依りてその効力を定めんとするに在り。或いは甲,乙に対しもし乙が丙と結婚せばこれにある財産を与うべきことを約する如き利益の提供を手段として間接に他人の行為又は不行為を要求するに在ることもまた少しとせず。何れも将来における不確定なる事実の発生如何に依りて法律行為の効力を発生又は消滅せしめんと欲するに非ざるはなきなり。

  条件に関する法理は近世大いに議論ある所にして殊にドイツ学者の研究は最も緻密に亘るが如し。然りといえどもまた所説往々にして空微に失し本来簡明なる事項を紛雑ならしむるに過ぎずとの

 非難もこれなきに非ず(イエリング「羅馬法精神論」仏文4巻162頁以下)。この議論多き事項に関するドイツ民法の規定の極めて簡約にして徒に学説を覊束することを避けたるは特に注意すべ 

 き一点と謂うし本書においては努めて細密に亘らざることを期し最も正確と認むる観念に基きて民法の原則を述べるに止めんとす。

以下上記の定義を分析しもって条件の性質を究明せんとす。

(一)条件は法律行為の付款なること

条件は不確定なる事実に法律行為の効力を繋がらしむることを定めたる条項なり。故にその実質は1の意思表示(正確に言えば条件付法律行為を組成する意思表示の一部)と見るべきものとす。然りといえども条件なる語には本来2の意義ありてその用例一定せずしばしば法律行為の効力を不確定ならしむる事実そのもの指称することあり。仏国学者の如きは一般に条件を解するにこの第二の意義をもってせり。我が民法第1編第4章第5節の標題に「條件及ヒ期限」と言い又第127条以下に「條件附法律行爲」とある如きは畢竟法律行為の1条款即ち不確定なる事実にその効力を繋がらしむる意思表示の一部と解するを妥当とす。これに反して「條件の成就又は不成就」と言う如き場合はむしろ事実を意義するものと解すべし。

 条件は付款なりとは唯当事者が法律行為に付加したる条款なることを謂うに過ぎずその行為に付従の関係あることを意義するには非ざるなり。従来仏法系を始めとし多数学者の説に依れば条件付法律行為とは条件の付随せる法律行為にしてその行為と条件との間に分離すべからざる関係あることを認めざる如し(デルンブルヒ116節)。惟うにこの見解は誤れるものとす。けだし条件は法律行為の効力即ち権利義務の存立に繋がるものなることは近世立法例及び学説の殆ど一致する所なり。果して然らば所謂条件付法律行為とは普通の場合に比して制限せられたる効果を生ずる行為に外ならず。即ち条件の付随せる行為と見るべきに非ずして一種の内容を有する特殊の行為と見るを正常とす。要するに条件はその行為の内容を成すべきものと解すべきなり。現に民法においても条件の成否未定の間に在りてその法律行為は特殊の権利義務を生ずるものとせる如き(128条乃至130条)。また条件に錯誤ありたる場合又は条件が不法なる場合において法律行為全体を無効とする如き(399頁,132条)は何れもこの見解を確かむるものと謂うべし。この他立証問題に関しても条件付法律行為はこれを単一の行為と見て挙証の責任者を定むべきものとす。これに由りてこれを観れば「附款」なる語は甚だ当らず唯未だ簡便なる名称を発見せざるが故に姑くこれを用いたるのみ。

(二)条件は法律行為の任意的付款なること

 法律行為に条件を付することは畢竟各人が法律の規定に従い法律関係を自定することを得るの結果に外ならず。故に条件は常に当事者の意思に出づることを要す。即ち法律行為の性質又は法律の規定より生ずべき条件は真の条件に非ず。例えば遺贈がその効力を生ずるには遺言者の死亡の時に受贈者の生存することを要する如き(1096条)はこれに所謂条件と混同すべきものに非ざるなり。

(三)条件の事実は不確定のものなること

 条件と為す事実の不確定なるべきことは古来一般に条件の特質として認むる所なり。条件と期限との差異は主としてこの点に在るものと謂うべし。然るにその所謂不確定の意義に関しては二様の見解あり。客観的不確定及び主観的不確定即ちこれなり。

 ローマ法以来の通説に依れば条件は未来なる観念を基素とし実際確定せる過去又は現在の事実にして単に当事者の知らざるものはこれを真の条件と認めず。即ち客観的に不確定なることをもって条件の本義と為せることは疑いなき所なり。これ今日に在りても尚英仏法系を始めとしドイツ一般学者の認むる所なり(財408条,仏1168条イエリング4巻163頁,デルンブルヒ105節,107節)。

 然るに近時この通説に対して所謂主観的不確定説を唱うる学者なきに非ず。即ち条件の事実は当事者の意思において不確定なるをもって足れりとし現実に不確定なることを要せず。既に発生し又は発生せざることの確定せる事実といえども当事者においてこれを知らざる限りは尚条件たることを妨げずと為すものなり。その論拠とする所はけだしある事項が不確定なるとは人に対して不確定なることを謂うに過ぎず。天地の自然より将来の事実といえども既に確定せるものにして唯吾人の知識未だこれを知ること能わざるのみ。故に客観的に言えば時に依りて確定,不確定の差別なしと謂うに在り。而してこの主義は我が民法第131条に採用せる所なりとの説多きが如し(梅氏1巻328頁以下)。

 惟うにこの見解たるや理論上より観察するときは一理なきに非ずといえども条件の性質はローマ法以来つとに一定せる所にして今日特に新たなる思想に基づきその意義を一変するの必要あることを見ず。将来の事実といえども客観的には確定せるものなりとの見解の如きは人間以上の見地より観察せる議論にして吾人普通の観念に背馳するものと謂うべし。或いは主観的標準に依るべきものとせざるにおいては実際不便なりとの説あらんも当事者が過去又は現在の事実を条件となしたる場合の処置如何は別個の問題にしてその事実といえどもこれを条件と同一様にみなしもって当事者の法律関係を定むべきことは普通一般に認むる所なりとす(仏1181条,独1草137条)。故にこの点は旧来の通念を変更するの理由と為すに足らざるなり。

 我が民法はドイツ民法の例に倣い条件の定義を示さず。また直接にその性質を確定するに足るべき明文なきが故に本問題に関しては古来一般の観念に拠りたるものと解すること穏当なるべし。仮に第131条は主観的不確定説を採る趣意に出でたるものとするも(草案理由書119頁)この種の規定は現に他国の法典にもこれあり(仏1181条,独一草137条1項,2項)。而も尚一般に客観的不確定説を採るをもって見ればその条文に基づきかくの如き解釈を下すことを得ず。同条に「條件カ伝伝」とあるはあたかも無数の法律行為を法律行為と称することあるに同じく唯便宜上の用例にして重きを置くに足らざるなり。惟うにこの規定はむしろ反対に客観説の根拠たることを得べし。何となれば条件の成否が法律行為の当時既に確定客観的にせるときは縦令当事者においてこれを知らざるもその行為の効力は直に決定すべく(同条1項,2項)又当事者がその成否を知らざる間は第128条及び第129条の規定を準用すと曰い(同条3項)便宜上特に純然たる条件と同一視する文意と見ることを得べければなり。故に余先は我が民法の解釈としても旧来の通説に従いて条件の性質を定むべきものとし既に確定せる事実は単にその報知を得るに止まり条件の成就と見ざることを妥当とする者なり。

(四)条件は法律行為の効力の発生又は消滅に繋がるものなること

 条件付法律行為において何が条件に繋がるやに付いては学説一定せず。サヴィニー等一部学者の説に条件はに繋がるものとするは誤れり。けだし意思は内心の作用にして一旦これを決定するときは直に存在し将来の出来事の因りて変更を受くることなし。即ち存否何れかの1を出でず。縦令条件は成就せざるも意思は既に存在し唯その効果が不確定なるに過ぎざるなり。

 条件は意思を不確定ならしむるものに非ずして意思の作用に依り法律行為の効力を条件に繋がらしむるものなり。即ち停止条件に在りてはその成就に因りて法律行為はその効力を生じ解除条件に在りてはその成就に因りて法律行為はその効力を失うものとす(127条)。換言すれば当事者が終局の目的と為したる権利義務の発生又は消滅すると否とが条件の成否如何に因りて定まるものと謂うべし。この原則は近世一般に認むる所なり(財408条,仏1168条,瑞債171条,174条,独158条)。

 条件が法律行為の効力発生又は消滅に繋がることはその本質にして強行的規定に属するものと解すべし。故にそれ以外の事項に条件を付するも条件付行為には非ず。一部学者の説に条件は法律行為の成立に繋がるものとなすは誤れり。けだし当事者は後日不確定なる事実の成否を見て始めて法律行為を為さんとするに非ず。その意思たるや法律行為は条件付行為として今より成立し条件成否の一事をもってその効力を確定するに在ること疑いを存せざればなり。また一説に条件は履行に繋がるものとするも正当ならず。けだし履行とは債務に関する事項なるが故に債権関係の発生を目的とせざる行為(例えば物権又は債権の移転を目的とするもの)に適当せず。しかのみならず債権的行為の付いても履行は債権の内容にして履行せらるべきや否やの不確定なる債権の成立は法理上これを認むることを得ざればなり。故に例えば売買契約をなすに当たり一定の事実が発生せばある種類の有価証券にてその代償にてその代価を払うべきことを定むる如きをもって条件付契約なりとする説(デルンブルヒ1巻106節3号)には同意することを得ず。惟うにかくの如きは債務の更改と為る場合(513条)は別とし単に履行の方法に付き一種の特約を為したるものと解すべきなり。

 条件には一定の形式なし。或いは「何事実が発生せば何物品を贈与すべし」と言うことあり。或いは「何物品を贈与することを約す。但し何事実が生じたる後においてすべし」と云うが如き方法を探ることもこれあり。要するにその文例は区々一定せずといえども常に不確定なる事実に法律行為の効力を繋がらしむるものに非ざるはなし。縦令その事実は必然発生すべきものなる如くに示さるるともその性質にして発生することの確定せざるものはこれを条件とみなすべし。例えば「汝の結婚の日」又は「汝が成年に達する時」と云うが如きこれなり。けだしかくの如きは期限の形式を具えといえどもその実質においては一般に条件とみるべければなり(独1草143条)。

第2項 条件の種類
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 条件には数多の種別あり。その中には真にこの名称を付する価値なきものもこれなきに非ずといえども便宜上これに一括してその概要を述べんとす。

(一)停止条件,解除条件

 停止条件とはその成就するまで法律行為の効力の発生を停止するものを謂う。例えば「もし君が今年中に高等間に任ぜらればこの時計を贈与すべし」と謂う如きは停止条件付法律行為なり。これに反して解除条件とはその成就に因法律行為の効力を失わしむるものを謂う。例えば汝にこの時計を贈与す。但し余にしてもし本年中に高等官に任ぜらればその時計は再び余の所有に帰すべし」と云うが如きは解除条件付行為なりとす(127条)。

 今純理上より観察するときは条件には本来2種あるに非ずして常に停止条件の1に帰著し唯法律関係の発生を停止するとその消滅を停止するとの差異あるものと見ること或いは正当なるべし。惟うに解除条件をもって別個独立の一条件と為すに至りたる所以は普通の場合において当事者は即時に効力を生ずべき行為に後日その効力を消滅せしむることあるべき第二の意思表示を付加する観あるより起りたるものなるべし。然りといえども実際上においてはこの区別を認むること甚だ便利なりとす。何となれば両者は数多の点において大いに法律上の効果を異にすればなり。なお両者は何れも条件付行為なる単一の意思表示の一部を成すものなることさきに述べたる如し(565頁)。

(二)積極条件,消極条件(一名有的条件,無的条件)

 積極条件とはある事実の発生に因りて成就するものを謂う。例えば「汝もし結婚せば」と云うが如し。これに反して消極条件とはある事実の不発生に因りて成就するものを謂う。例えば「汝もし本年内に結婚せざれば」と云う如きこれなり。この区別は唯条件の成否を認定する標準を異にする外には殆どその実用あることを見ず。

(三)偶成条件,随意条件,混合条件

 偶成条件とはその成否がすこしも当事者の意思に関せざるものを謂う。即ち自然界の出来事又は第三者の意思に依るものこれなり。これに反して随意条件とは条件の成就が当事者一方の意思に関するものを謂う。仏国学者の通説に依れば随意条件に2種あり。単純随意条件及び純粋随意条件即ちこれなり。単純随意条件とは例えば「汝もし1週間内に大阪に旅行せば」と云う如き全く当事者の意思のみに関せざるものを謂う。けだしこの場合においてその一方の当事者は発病その他の出来事に妨げられ予定の期間内に旅行を為すことを能わざるや知るべからざればなり。この種の随意条件を付したる法律行為は固より有数なるものとす。これに反して純粋随意条件とはその成就が全然当事者一方の意思に繋がるものを謂う。例えば「もし余が欲せば」と云う如きこれなり。この条件といえどももし債権者一方の意思に繋がるときはその効力あることすこしも疑いを存せず。彼の試味売買の如きは即ちこの部類に属するものなり。もし反対にその条件が債務者一方の意思に繋がるときは法律行為は無効なることあり。けだし「余が欲せば売らん」と云う如きは真にその行為に覊束せられんとする意思を表示したるものと見ること能わざればなり。ただ解除条件に在りては法律行為は直にその効力を生ずべきが故にもし債務者において解除の意思を表示せずして死亡する如き事実あるときは法律行為は永久にその効力を保持する結果と為るべし。果して然らば始めよりこれを無効と為すの必要なきなり。故に民法は純粋随意条件といえどもその条件が債務者一方の意思に繋がりかつ停止条件なる場合に限り法律行為を無効とせり(134条,仏1173条,独1草138条)。

 混合条件とはその成就が当事者一方の意思と第三者の意思に繋がるものを謂う(仏1171条)。例えば「汝もし某婦人と結婚せば」と云う如し。惟うにこの条件は単純随意条件と画然区別すべきものに非ず。何となれば何れも当事者の意思のみに関せざることは一にして唯その問に程度の差異あるに過ぎざればなり。仏国学者の所謂単純随意条件といえども同時に偶成の事実に繋がる割合に応じてその随意なることの程度は決して一様なるに非ず。然るに同時に第三者の意思に繋がるものを別にする如きは理論上根拠なきものと謂うべし。要するに所謂純粋随意条件に対するものは総て混合条件なりとす。即ち何れも多少偶生の事実に関するものにして第三者の意思もまたその一と見るべきなり。故に理論上より言えば純粋随意条件に対しては唯一の混合的随意条件を認め当事者の意思以外に他の事実を要するものは一切これを包含するものと為すことを至当とす(デルンブルヒ106節)。

(四)仮装条件

 (イ)既定条件

 条件を分かちて将来の事実に関するものと過去又は現在の事実に関するものとの2種と為す者あり。然るにその過去又は現在の事実に関するものは真正の条件と見るべからざることさきに述べたる如し(567頁)。故にこれに条件の一種別としてこれを示すことは理論上正当ならざる言うを俟たずといえどももし当事者の意思これに在るときは本来公益に関する事項に非ざるが故にその意思はこれを度外視すべきに非ず。即ち真の条件と同一様なる効果を生ずるものと為す必要あるなり。故に民法はこの仮装的条件が停止条件なると解除条件なるとに依りて区別し停止条件なる場合において法律行為の当時既に成就せるときはその行為は無条件なるものとしこれに反してその条件の成就せざることが既に確定せるときはその行為は無効なるものとみなせり。また解除条件に在りては反対にその条件が既に成就せるときは法律行為は始めより無効なるものとしこれに反してその不成就が確定せるときは法律行為は無条件とみなし確定にその効力を保持するものとせり。而して右何れの場合においても当事者が条件の成就又は不成就を知らざる間は後に説明すべき条件(純然たる)の成否未定の間における当事者の権利義務の関する規定を準用すべきものとす(131条,仏1181条,独1草137条)。

 既定条件は過去又は現在の事実そのものを条件と為すが故に真正の条件たることを得ざるものとす。これと相異なりて当事者その事実といえども当事者がこれを知りたらばと云うことをもって条件と為す場合は了知と云う不確定なる将来の事実に関するものなるが故に仮装条件に非ざること言うを俟たず。

 (ロ)不法条件

 不法条件とは公の秩序又は善良の風俗に反する事項その他強行法の規定に違反する事項を目的と為すものを謂う。例えば「汝もし某者を殺害せば」と云うが如し。普通にこれを条件の一種類として論ずるは固より形式上の観察なるに過ぎず。けだし不法条件は法律上条件たることを得るものに非ず。従ってこれを内容とする法律行為の無効なること言うを俟たざればなり(90条)。ただ或いはその条件とこれを付したる行為とを分離して無条件の行為とみなす如き解除の生ずることなきを保せず。現に贈与及び遺贈に付きこの見解を探れる立法例及び学説なきに非ざるが故に(仏900条,サヴィニー3巻194頁)民法はその行為の無効なることを明示したるのみ(132条)。一説に依れば適法の行為又は不行為といえどもこれを条件と為したる為法律行為に不法の性質を帯わしむることあり。例えば「余もし汝と結婚せば汝は余に金若干円を与うべし」との契約は不法条件を付したるものとみなすべしと曰えり(デルンブルヒ107節5号)。然りといえどもかくの如きは不法条件に非ざるは勿論不法の目的を有する行為(90条)と見るべきやに付いても大いに疑いなきことを得ず。

 不法行為を為さざるをもって条件とせる場合においても法律行為は無効とす(同条末文)。例えば「余もし某者を殺害せざれば汝は余に金若干円を与うべし」と云う如きこれなり。この条件はその結果むしろ非行を防遏するに在るが故に法律行為の有効なるべきことを主張する者なきに非ずといえども不法行為を為さざることは吾人の本分にして報酬を俟つべき事項に非ず。もしそれ本文を守るに付き報酬を得る権利あるものとせば或いはその報酬を得んが為に悪事を企つる者を生ずる弊害なしとすべからず。故に民法はこの種の条件付行為をも無効としたるなり(406頁)。以上述べたる所は停止条件及び解除条件に共通なる規定なりとす。或いは不法行為を為すをもって解除条件と為すことは弊害なしとの説あらんもその行為を為さざるを停止条件とする場合と相異なる所なきが故に民法は一切かくの如き区別を為さず。ある国の法律においては贈与又は死後処分に不法又は不能の条件を付するもその条件のみ無効なるものと為すといえどもこれ単に沿革上の理由に基因するものに過ぎず。我が民法においてはかくの如き変例を認めざることすこしも疑いを存せざるなり。

 (ハ)不能条件

 不能条件とは事実上又は法律上成就することを能わざるものを謂う。故にその条件付行為の無効なるべきこと不法条件付行為と同一なるが如しといえどもその範囲に関して相異なる所あり。即ちこれをもって停止条件と為したる場合においては法律行為は全くその効力を生ずること能わざるが故に当然無効なること論を俟たず。例えば「汝もし天に昇らば」と云うが如し故にこの点は不法条件の場合と相異なることなし(133条1項)。これに反して不能の事項をもって解除条件と為したる場合においては法律行為全体を無効とする理由なくその行為は完全に成立し到底解除せらるべき時期なきが故に無条件の行為とみなし確定にその効力を生ずるものとす(同条2項)。

第3項 条件の効力
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第1目 条件の成否未定中の状態

 条件付法律行為の効力はその条件の成否未定の間においては不確定の状態に在るものなり。即ちその効力の発生又は存続が条件の成否の決定するまで確定せざるものとす。故に

(一)停止条件付行為に在りてはその当時者が目的とせる権利義務は未だ発生せず。従って債務はその履行を請求することを得ず消滅時効もまた進行することなし。もし錯誤に因りて履行を為したる

  ときはその給付したるものを返還せしむることを得(705条)。また物権の設定その他権利の処分に在りてはその権利は依然前主に属し特約なき限りはその目的物の引渡を求むることを得ず。

  危険もまた権利者に移ることなし。但しこの最後の点は第3巻に至りてこれを詳述すべし(535条1項)。

(二)解除条件付行為に在りてはその目的たる権利義務は直に発生すといえども条件の成就に因りて当然消滅すべき運命に罹るが故に将来にその効力を保つべきや否や確定せず。故にその条件の成否 

  未定中においてはあたかも無条件の行為と同一の効力を生じ条件成就する場合に始めてその権利義務の喪失を来すものとす。

 要するに条件の成否未定の間に在りてはその成就の効果として成立すべき法律関係は未だ発生せずして唯将来に発生することを得べき状態に在るのみ。果して然らば条件付法律行為はその状態の存在する間条件の成就に因りて利益を受くべき者の為に何等の効果をも生ぜざるや是此に論究すべき問題なり。

 往時ポチェ一派の説に所謂条件付権利者はその条件の成就するまでは単純なる希望を有するに止まり未だ権利を有せざるものとせり。然るにこの見解たるや条件の成就に因りて成立すべき権利に付ては正確なること言うを俟たずといえども如何なる権利も発生せずとの意義なりとせば甚だ当を得ざることにして条件付法律行為を認めたる趣旨に反すべし。けだし条件付行為といえども既に有効なる法律行為としてこれを認むる以上はその条件の成就又は不成就に因り利益を受くべき者の為に一定の効果を生ずるものとしもってその利益を保護せざるべからず。当事者においてもまたその将来に享受することあるべき利益を保全せんと欲するは当然の事と謂うべし。故にこの正当なる希望は当初より一種の権利としてこれを保護するの必要なること論を俟たざるなり。

 民法第128条乃至130条は即ちこの権利の内容を定めたるものにして畢竟条件成就の場合においてその条件に繋がれる効果(権利の取得若しくは回復又は債務の免除)を利得することを保障するものとす。「條件附権利」なる語はむしろこの意義に用いられること多し。この権利は条件の成就に因りて発生又は消滅すべき権利とは別種のものにして条件付行為の成立と同時に発生し条件が成就し得べき間に非ざれば存在せず。かつ条件の不成就に因りて消滅するものなり。これ決して単純なる希望に非ずして純然たる一種の権利たること疑いを存せず。具体的に言えば民法第128条乃至第130条の規定に従い条件の成否未定の間その成就に因りて生ずべき利益を保全する権利を謂うものとす。而してこの権利と対立する義務は即ちその利益を害せざる相手方の義務に外ならざるなり。近時の学者はこの権利を称して期待権又は希望権と曰い当事者の意思をもって条件に繋がらしめたる権利の如何を問わず法律の規定に因りて生ずる画一性の権利なりと説明せり(鳩山氏476頁,509頁以下,中島氏739頁参照)。

 左にこの「條件附権利」の内容及び効力を説明せんとす。 

 (一)条件付法律行為の各当事者は条件の成否未定の間において条件の成就に因りその行為より生ずべき相手方の利益を害することを得ず(128条,瑞債172条1項)。

 この規定は条件の成否未定中における各当当事者の主たる権利を定めたるものにして停止条件付行為と解除条件付行為との間に差別なきなり。その所謂「相手方の利益を害することを得ず」とは相手方が条件の成就に因りて取得若しくは回復すべき権利又はその目的物に付き事実上又は法律上の処分を為すを得ざることを謂う。而してこの義務に違背せる行為に対する制裁はあたかも条件の成就後にその行為を為したると同一視するに在り。

 これに所謂事実上の処分とは停止条件付にて譲渡したる物又は解除条件付にて譲受けたる物を滅失若しくは毀損する如き行為を謂うものにしてその行為を為したる一方は条件成就の場合において相手方に対し損害の賠償を為さざることを得ず(160条)。また法律上の処分とは条件付行為の目的と為りたる権利または物を譲渡し或いはその上に質権その他の権利を設定する如き処分行為を為すことを謂うものとす。もし条件付法律行為の目的が債務を負担するに在りしときは(例えばある物を使用貸する如き)後に為す譲渡は固より無効に非ずして唯条件成就の場合において損害賠償の義務あるに過ぎず。これに反して停止条件付にて譲渡したる物又は解除条件付にて譲受けたる物を第三者に譲渡したる如き場合においてはその処分行為は登記問題等の為にその効力を保持するに至る場合の外(177条,178条,467条)条件の成就に因りて当然無効と為るものとす。強制執行及び債権差押の如きもまた任意上の処分と相異なることなし(独161条)。仏法系においては条件成就の遡及効に因りて上記の結果を生ずるものと為せり。

 然りといえどもこの原則には1の制限なきことを得ず。即ち法律上の処分行為は条件成就の効果を放棄又は制限する範囲内においてのみ無効とす(独同条)。例えば第2抵当権の設定は次順位において有数なる如し。この他第三者は占有の効力(192条)または時効に因りてその取得したる権利を失わざることあるは言うを俟たず。

 要するに上記の処分行為は絶対的に無効なるものとす。単に債権関係を定めたるものと解すべきに非ざるなり。

 (二)条件の成否未定の間における当事者の権利義務は一般の規定に従いこれを処分,相殺,保存又は担保することを得(129条)。

 上述せる第128条の規定において一種の権利義務の成立することを認めたるが故にこれには直に当事者の権利義務と言えり。けだし条件付権利といえども既に一種の権利なりとする以上は無条件の権利と法律上の処置を異にすべき理由なきものとす。故に一般の権利義務に関する規定に従いこれを処分,相殺,保存又は担保することを得るものとしたるなり。

 条件付権利を処分するとはこれを他人に譲渡し又は質入する如き一切の生前及び死後処分を為すことを謂う。固よりその運命が条件の成否に因りて確定すべき状態においてこれを処分することを得るに過ぎず本条に所謂「一般の規定に從い」とは即ち登記,質物の交付又は債権譲渡の通知の如きその処分行為の種類に従い現に条件に繋がれる権利の処分に関する規定に従うべきことを謂うなり(財410条)。また条件付行為の各当事者が死亡したる場合においてもその相続人は相続に関する規定に従い当然その権利義務を承継するものとす。この他時効の中断又は仮登記の如きその権利を保存すべき行為を為し又は質権,抵当権若しくは保証人をもってこれを担保することを得べし。これらの効果は何れも近世諸国の法律に認むる所にして殆ど明文を俟たざる事項なりとす。故にドイツ民法の如きはその草案中よりこれに関する規定を除くに至れり。

 (三)条件の成就に因りて不利益を受くべき当事者が故意にその条件の成就を妨げたるときは相手方はその条件を成就せるものとみなすことを得(130条)。

 およそ条件の成否は主として当事者の意思に基づきこれを決定すべきを原則とす。民法はこれに1の特例を設け上述せる条件付義務に違反する行為の制裁として条件が当然成就したるものとみなさるる場合を定めたるものなり。けだしこの場合においては故意に条件の成就を妨ぐることなきも条件は成就せざりしや知るべからず。然るに一般不法行為の責任と異なりてかくの如き特別の制裁を定めたるは当を得ざる観なきに非ずといえどもあたかも一方の当事者においてその成就を妨げたるが為に損害の範囲を確定すること能わず。従って適当にその賠償額を定むることを得ざる虞あるが故にこの変例を設けもって確実に相手方の権利を保護せんことを欲したるものなり。

 ただこれに1の注意すべきことは諸外国の法典はこの場合において条件は当然成就せるものとみなすといえども(仏1178条,瑞債176条,独162条)我が民法においては条件を成就せるものと為すと否とは1にこれを相手方の1選択に任したり。これ本来相手方を保護する為に定めたる1の異例に外ならざるが故にその不利益と為る場合にまで当然適用あるものとする必要なきに由るなり。またドイツ民法においては本条に規定せる場合の外に条件の成就に因りて利益を受くべき者が故意にこれを成就せしめたるときはその条件は当然成就せざりしものとみなすことを規定すといえどもこの場合の如きは頻繁に生ずべきにも非ざるが故に同一の制裁を定むる必要なきものと認めたるなり。故に一般の原則に従い損害賠償の義務を生ずることあるに過ぎざるものと解すべし。

第2目 条件の成就

 条件は停止条件と解除条件とに差別なく積極なるときはその条件と定めたる事実の発生に因りて成就しその事実の発生せざることが確定するに因りて不成就と為るものとす。故にもしその条件の一部としてある期間を定めたるときは(例えば何某が1年内に結婚すればと云う如き)その事実到来せずして期間を経過したる一時をもって不成就とみなすべきなり。また消極的条件はその条件と定めたる事実の発生せざることが確定するに因りて成就しその事実の発生するに因りて不成就と為るものとす。故にその条件の為ある期間を定めたる場合(例えば何某が1年内に結婚せざればと云う如き)においてその事実到来せずして期間を経過したるとき又は期間内に条件と定めたる事実の発生せざることが確定したるとき(例えばその者が結婚前に死亡する如き)は条件成就したるものとみなすべく(プラニオル1巻315節末段)もし反対にその事実到来したるときは不成就とみなすべきなり。

 以上述べたる所は一般の標準に過ぎず。この標準に従い条件が実際如何なる状態において成就すべきや又如何なる時期に成就し若しくは成就せざるやは各場合に付きその条件を定めたる当事者の意思解釈に依りて決定すべきものとす(財418条,仏1175条)。

 条件成就の効果はその停止条件なると解除条件なるとに依りて相異なる所あり。もし停止条件が成就したるときは条件付法律行為はこれに因りてその効力を生ず(127条1項)。即ちその条件に繋がれる権利義務は発生するに至るものとす。故に債務はこれを履行せざるべからず。また処分行為に在りてはその目的たる権利及び危険は譲受人に移転することと為るべし。これに反して解除条件が成就したるときは法律行為はこれに因りてその効力を失う(同条2項)。故に債務者はその債務を免れ一旦譲受人に移転したる権利は譲渡人に復帰することと為るなり。

 上記の効果は既に成立せる条件付行為に基因するものなるが故にその成就の当時において当事者は行為能力を有することを要せず。また法律のその行為の方式を変更するもこれが為条件成就の効果に影響を来すことなし。これに反して権利存立の要件(例えば目的物の存在)は条件成就の当時にも尚具わらざるべからざること言うを俟たず。

 条件成就の効果は法律上当然かつ絶対的に発生するものとす。故に例えば解除条件の成就せる場合においては単に原状回復の請求権を生ずるに非ずして法律行為は当事者の意思表示を俟たず。かつ第三者との関係においてもその効力を失うものと解すべし。即ちこの点は契約の解除と相異なる所なり(540条,545条1項)。条件成就の効果は何れの時より発生するやは立法例及び学説の一定せざる所なり。仏法系においてはその効果は条件付行為の成立せる当時に遡るものと為せり(財409条,仏1179条)。ドイツ法系においても従来学説としてはこの主義を採る者少しとせず(但し遡及効の範囲に関しては議論あり)。然りといえども近時の立法例は一般にこの効力を否認せり(瑞債171条,174条,独158条)。我が民法にもこの主義を採用し条件は停止と解除とに別なく成就の時よりその効果を生ずるを原則とす(127条1項,2項)。

 惟うにこの問題は畢竟当事者の意思を基礎として決定すべきものとす。けだし法律行為の効力が未だ発生又は消滅せざる以前において既に発生又は消滅したるものとするは法律上為し能わざることに非ず(例42条2項)。故に縦令法律に如何なる主義を採るもこれ唯多数の場合における当事者の意思を根拠とするものに外ならず仏国民法の如きは即ちこの観念に基づき条件の遡及効を認めらるものと解すべし(ボードリー2巻935節)。

 然るに普通の場合において当事者は果して条件成就の効果を既往に遡及せしむる意思を有するやに付いては大いに疑いなきことを得ず。殊に実際最も頻繁なる期限を含む条件(ある事実が1年内に発生すればと云う如き)を定めたる場合においては条件成就の時より始めてその目的とせる法律関係を成立せしむる意思なるものと解すること当然なるべし。既に条件の成否未定中よりその将来に発生すべき権利を保護する為特種の法律関係を認むる以上は縦令遡及効なきものとするも敢て不当なる結果を生ずる虞あることなし。惟うに仏法系の立法例及び学説の如きも1は往時に行われたるポチェ一派の説(582頁)に対して条件付権利者の地位を確保せんが為この効力を認むるに至りたるものと謂うべきなり。

 条件の成否未定の間より条件付権利なるものを認め原則として条件付義務者の処分行為を無効と為す以上は遡及効を認むると否とは結果において著大なる差異あることなし。然りといえども条件付義務者が条件の成就以前における果実又は利息その他物の使用の対価を償還することを要せざる如きは遡及効を認めざる一大結果と謂うべし。債権の消滅時効もまた条件成就の時より始めて進行すべきこと言うを俟たずといえどもこれむしろその以前に在りてはこれを行使することを得ざりし結果と見るべきなり(166条1項)。

 条件成就の効力が既往に遡らざることは当事者の意思に基づくものとする以上はもし当事者においてその効果を条件の成就以前に遡らしむる意思を表示したるときはその意思に従うべきものとす(127条3項)。これ例えば果実の取得に関してこの効力を生ぜしめんと欲する場合に生ずることにしてすこしもこれを禁示すべき理由なきなり。而して注文にはひろく「条件の成就以前に」とあるが故に必ずしも条件付行為の成立したる当時にまで遡らしむる場合に限ることなし。またその意思表示は一般の原則に従い黙示たることを得るは言うを俟たざるなり。ドイツ民法にも同一様の規定ありといえども条件付法律行為をもってこの意思表示を為すことを必要としかつその効力は当事者間に債権関係を生ずるに止まるものとせり(独159条)。我が民法にはこれらの制限なきが故に解釈上同一の判定を下すことを得べきやに付き大いに疑いなきことを得ず。

 以上述べたる所は条件成就の効果なり。また現に遡及効の問題を論究することの実益はその場合に存するものと謂うべし。これに反して条件の不成就が確定したる場合においては停止条件付行為は遂にその効力を生ぜざる結果と為るべく又解除条件付行為は無条件行為と同一にみなされ既に生じたる効果に変更を来すことなきは勿論将来においてもその一切の効果を生ずることを得べきなり。

第2款 期限   
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第1項 期限の性質
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 期限とは法律行為の任意的付款にして到来することの確定せる将来の事実にその効力の発生実行又は消滅を繋がらしむるものを謂う。例えば何月何日に至らばある権利を譲渡すべきこと又は若干の金額を支払うべきこと。或いは一定の期間ある物を賃貸すべきことを約する如きは何れも期限付行為なりとす。その法律行為の効力の発生又は実行を停止するものを始期と称しその効力の消滅を停止するものを終期と名づく。要するに期限は条件と異なりて到来すべきことの確実なる事実に法律行為の効力を繋がらしむるものなり。

 以下条件に付き述べたる所に倣い上記の定義に基づき期限の性質を究明せんとす。

(一)期限は法律行為の任意的付款なること

 期限は当事者の意思をもって法律行為に付加せる条款なることは条件と相異なることなし。故に法律行為の性質,法律の規定又は裁判より生ずるものはこれに所謂期限に非ず。また条件なる語に同じく二様の意義を有するものにして或いはその条項を定むる意思表示の部分を指すことあり。或いはその到来すべき時期そのものを意義することあり。すべてこれらの点においてはさきに条件に付き述べたる所とその趣旨を異にせざるものとす。

(二)期限の事実は将来到来することの確実なるものなること

 期限の事実は将来にしてかつ到来することの確実なることを要す。これ即ち条件と全くその性質を異にする点にして古来立法例及び学説の一定する所なり。但しその時期は暦日をもってこれを定むることを要せずして全く確定せざることを妨げず。ただ何れの時にか到来することの必然なるをもって足れりとす。

(三)期限は法律行為の効力の発生,実行又は消滅に繋がるものなること

 期限は如何なる事項に繋がるものなるやは始期に関して大いに議論ある所なり。これさきに論述したる条件の作用如何よりも更に一層困難なる問題なりとす。仏法系においては始期は停止条件と相異なりて法律行為の効力即ち権利義務の発生に繋がるものに非ずして単にその履行に繋がるものとすること立法例及び学説の殆と一定する所なり(仏1185条)。ドイツにおいてもこの説を採る者少しとせず(サヴィニー3巻126節,デルンブルヒ1巻114節)。我が民法は即ちこの主義に基づき始期は法律行為の履行を停止するものとせり(135条1項)。即ちこの点においては旧民法の観念を踏襲したるものと見るべし(財403条以下)。

 然るに今理論上より観察するにこの見解たるやその当を得ざるものとす。先ず物権の設定又は移転その他権利の処分は期限の到来するまでその効力を生ぜさること疑いを存せず。例えば債権といえどもある期日に至らばこれを譲渡すことを約したる場合においては期日前にその債権の移転なきことは言うを俟たず。債権の発生に付き始期を定めたる場合においても法理を異にすることなし。即ち例えば一定の期日に至らばある家屋を賃貸すべきことを約したる場合においてはその期限の到来するまで賃貸借上の権利は発生せざるものと謂わざるべからず。要するに期限と条件とはその作用において相異なるものに非ずして唯法律行為の効力の発生又は消滅が始めより確定せると否とに在るものと謂うべし。故にドイツ民法の如きは期限に条件の規定を準用するに止めたり(独163条)。然るに我が民法においては終期は法律行為の効力を消滅せしむるものとしたるにも拘わらず(135条2項)始期は単にその履行の請求権を停止するものと為し他の規定においても専ら債権関係を眼中にし(136条,137条)始期と停止条件とは著しくその効力を異にすることを示したる如きは実に奇異と謂わざることを得ず。

 然りといえども今これに当事者の意思及び実際の状況より観察するときは少なくも契約上の債権関係に付いては(現に旧民法その他仏法系の諸法典における期限に関する規定はこの範囲を出でず)期限をもって単に履行に繋がるものと為したることに付き全くその理由なきには非ず。けだし期限の事実は必ず到来すべきものなる以上は債権的行為において単にその発生を妨げられざる一種の債権を生ずと云うも又その主眼とする債権既に成立して唯その履行を請求することを得ざるものと云うも実際その間に大差なきことにして当事者の意思においてもまたこれ段階を立てず。むしろ債権は即時に発生し唯その履行の為に期限を定めたるものと見ることを得べき場合或いは多かるべし。惟うにこの一切の問題に付き抽象的理論よりも実際上の観察に傾くことを常とする仏国民及びその系統に属する立法例において上記の見解を採るに至りたる所以なり。なおこれら諸法典の一大欠点として総則及び一般法律行為の規定なきこともまたその一因に算うべきものなりと信ず。

 故に債権的行為に関しては民法の観念に従うも多数の場合においては実際不便を感ずることなかるべし。然らば権利の処分殊に物権の設定,移転に関しては如何と云うにこの点においても民法はその権利の未だ発生せざること認めざりしには非ずしてむしろ一種の観念に基づき期限は尚履行に繋がることを正当と思惟したるものなる如し。即ちこの場合においては期限の到来前といえども単にその権利の発生を妨げられざる一種の法律関係を生ずるに非ずしてその物件の設定又は移転を目的とする債権を生ずるものとし期限の到来に因りてその設定又は移転の効果を生ずるはその債権の履行と見たるものなるべし(草案理由書472頁)。余輩はこの点において異見なきに非ずといえどもこれ一般物権の設定及び移転を目的とする行為に関する問題なるが故に今これにはこれを論せず(2巻45頁以下参看)。ただこの場合における当事者の意思は寸時も債権関係を生ぜしむることなくして期限の到来と同時に物権の変動を生ぜしめんとするに在ること疑いを容れず。果して法律行為の目的たる物権関係未だ発生せざるものとする以上は期限はその効力の発生を停止するものと見ざることを得ず。

 これを要するに民法第135条第1項は停止条件付行為に関する第127条第1項の如き強行的規定と解することを得ず。もしこれを強行規定なりとせば条件にも非ず。また期限にも非ざる付款(到来すべきことの確実なる事実に法律行為の効力の発生を繋がらしむるもの)ある結果と為り旧来の通念に反するのみならず法律の一大欠陥たることを免れざるべし。ただ期限は最も多く債権的行為に適用あるものにしてこの種の行為に付いては前に述べたる如く権利の発生とその行使とを区別せざることを得べき場合多きが故に民法は畢竟多数の場合に適用すべき解釈的規定を設けたるものと見るべし。従ってもし当事者がその規定に適合する意思を有せずしてある時限まで法律行為の効力の発生を停止せんと欲する場合(譲渡の如き)においてはその意思に従うべきものとし条件に関する規定(128条,129条)を準用することを至当とす(独1草141条参照)。これ多少解釈の畛域を脱する観なきに非ずといえども法文の不備なる結果として実に巳むことを得ざるなり。故に余輩は民法の規定にもその適用を認めんと欲し期限は法律行為の効力の発生,実行(債務の履行)又は消滅に繋がるものと定義したるなり。

 期限は一般の権利に付きこれを定むることを得るを原則とす。ただ所有権に限り終期付にてこれを処分することを得ずとはローマ法以来多数学者の主張する所にして仏国の如きにおいては今日尚通説と見るべきが如し。これ所有権は永久的性質を有する結果と見たるが故に外ならざるなり。然るにこの説は根底において誤れる所あり。詳細は次巻に所有権の性質を説明するに当りてこれを述べるべし(2巻95頁以下参看)。

第2項 期限の種類
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(一)始期,終期

 始期とは前期の区別に従いその到来まで法律行為の効力の発生又は実行を停止するものを謂う。例えば「何月何日より汝はこの土地の上に地上権を有すべし」或いは「1週間後に金若干円を支払うべし」と云うが如し。これに反して終期とはその到来したる時に法律行為の効力を消滅せしむるものを謂う。例えば「本年中この家屋を賃貸すべし」と云う如きこれなり。

 この区別は停止条件と解除条件との区別に対するものなり。ただ始期は履行に繋がることある点において停止条件と相異なるのみ。また期限は常に条件と異なりてその到来すべきことが初より確定しかつ遡及効を生ずる場合なきこと言うを俟たず。

(二)確定期限,不確定期限

 この区別は到来すべき時期の当始より確定せると否とに依るものなり。確定期限は通常暦日をもってこれを定む。例えば「本月末日」又は「今より1年後」と云うが如し。不確定期限は到来時を予定すること能わざる事実をもってこれを定む。例えば「余の死亡の時」と云うが如し。この期限は往々にして確定時と併合することあり。例えば「便宜の時に代金を払うべし」と云うが如し。この最後の場合においては取引上履行に付き相当の期限あるものと解すべきなり。

(三)仮装期限

 さきに仮装条件に付き述べたる法則はこれを仮装期限に準用することを得べし。故に既に到来したる期限又は将来到来すること能わざる期限は真正の期限に非ず。

 当事者の意思に基づかざる期限(例えば法律に定めたるもの)の如きもこれに所謂期限に非ざるなり。

第3項 期限の効力
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        第1目 期限到来前の状態

 期限は到来すべきこと確実なるが故に条件の如き不確定なる期間あることなし。然りといえどもその到来前における法律関係は条件の成否未定中の状態に類似する所あり。左に各種の場合を区別して論ぜんとす。

(一)始期 更に2の場合を大別することを要す。

(イ)法律行為の効力の発生を停止する場合においてはその本旨とする権利義務は未だ発生せず。ただ将来に発生すべきことが確定せる点において停止条件と相異なるのみ。この期間における法律 

  関係を規定せる明文なしといえども第135条第1項は前に説明したる如く1の解釈的規定と見るべきが故に条件の成否未定の間におけると同一の理由に因り第128条及び第129条の規

  定を準用するべきものとす。けだし条件付権利に比してその効力強固なるとも軟弱なることあるべからざればなり。

(ロ)法律行為の効力の実行即ち債務の履行を停止する場合においては権利自体は既に発生し唯これを行使することを得ざるのみ。故に別段の規定を俟たずこれを処分,保存,相続又は担保するこ

  とを得べきは当然とす。その停止条件と最も相異なる所は目的物の滅失は債権者の損失に帰すること(534条,535条1項)及び期限前の弁済は原則として有効なること(706条)に在

  り。然りといえども権利の行使に基因する効果は発生せず。例えば消滅時効の進行せざること(166条1項)及び売買その他有償契約の場合において果実又は利息を取得するを得ざること(5

  59条,575条)の如きこれなり。

(二)終期 この期限は法律行為の効力の消滅を停止するものなるが故に解除条件とその作用を1にし法律行為は期限の到来するまでその効力を保持するものとす。ただその効力の消滅を来すべき

   ことが確定せる点において解除条件と相異なるのみ。民法は期限に関する原理を誤りたるが為この場合にも適用すべき規定を存せずといえどもさきに述べたる始期(イ)の場合における如く条

   件の規定を準用するの外なきなり。

第2目 期限の到来

 期限は将来に必ず到来すべきを本質とす。ただ何れの時に到来せるものと認むべきやは当事者の意思解釈に帰著すべし。然りといえども今これに一般の標準を示さば一定の期日又は期間を定めたる場合(確定期限)においてはその期日の到来又はその期間の満了(138条以下)をもって期限の到来時とす。またある事実をもって期限を定めたる場合(不確定期限)においてはその事実の完成したる時において到来するものとす。 

 上記の期限到来前といえどもある格段なる事実の発生したるに因りて期限の到来せるものとみなす場合あり。その場合は左の2とす。

(一)期限の放棄 期限はその利益を有する者においてこれを放棄することを得るは言うを俟たず。而して何人がその利益を有するものと見るべきやは法律行為の性質及び当事者の意思解釈に依りて

  決すべき問題とす。例えば通常無利息そ消費貸借における期限は債務者の利益,無報酬の寄託における期限は債権者の利益,利息付消費貸借における期限は当事者双方の利益の為に設けたるもの

  と解すべし。民法は債権関係に付き当事者の意思明確ならざる場合に適用すべき解釈的規定を設けたり。即ち期限は債務者の利益の為に定めたるものと推定することこれなり(136条1項)。  

   民法にはひろく「期限ノ利益ハ之ヲ抛棄スルコトヲ得」とあり(同条2項)。故に当事者双方が期限の利益を有する場合においても各一方はその利益を放棄することを得る趣旨と解すべきが如し。但しこれが為に相手方の利益を害することを得ず(同項末文)。例えば利息付貸借において債務者は期限前といえども弁済を為すことを得唯特約なき限りは期限までの利息を払うことを要する如し。然りといえどもこの点においては有力なる反対説あり。即ち本例の如き当事者双方の為に期限を定めたる場合においてはその合意に依る外放棄を為すことを得ざるものとする論者少しとせず(プラニオル2巻359節,中島氏770頁,鳩山氏555頁)。

民法は専ら債権関係に付き期限の放棄を規定せり。これさきに述べたる如く期限はその履行にのみ関するものと誤解せる結果に外ならず固より債権関係に付きその適用最も多きことは論を俟た

  ずといえども決してその場合に限ることに非ざるなり。

(二)期限の喪失 期限の利益を有する者はある場合においてその利益を喪失し期限到来したるものとみなさるることあり。当事者間に特約ある場合及びある債権関係に特別なる喪失の原因(例,6

  28条)はこれに説明すべき範囲外とし民法は一般の債権関係に付き債務者が期限の利益を失う場合を規定せり。即ち(一)破産の宣告を受けたるとき(二)担保を毀滅し又はこれを減少したる

  とき。

(三)担保を供する義務を負う場合においてこれを供せざるときこれなり(137条)。けだしこれらの場合においては破産手続を簡便にする必要ある外当初債権者が期限を与えたる信用の基礎滅失

  せるが故に債務者は当然期限の利益を主張することを得ざるものとしたるなり。

 期限到来の効果は始期付債権的行為に在りては債権は多数の場合において既に発生せるものとして直にこれを行使することを得べく又譲渡その他権利の処分はその時において効力を生ず。これに反して終期付行為は期限の到来に因りてその効力を失うものとす(135条,601頁)。

 上記の効果は法律上当然かつ絶対的に発生するものなること条件に同じ(514頁)。但し如何なる場合においても遡及効を生ずることなし。これ期限の本質にして当事者の意思をもって左右することを得ざる原則とす。即ちこの点は成否の不確定なる条件とその性質を異にする結果と見るべきなり。

第3款 負担
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 民法は仏独その他多数の立法例に倣い負担に関する一般の規定を設けず契約の通則に依る外贈与及び遺贈に付き格段なる規定を置くをもって足れりとせり(12条1項7号,553条,1104条,1105条,1129条,1141条)。然りといえどもその条件と相似て混同すべからざる一種の付款としてこれに一言その性質を述べんとす。

 負担(Mödus)とは法律行為の効力の範囲を制限又は変更する付款を謂う(オーブリー及びロー「佛国民法」7巻701節1)。即ちその行為に依りて財産権を取得する一方の当事者にある義務を課するものこれなり。負担は無償の出損行為にのみ付加する条款なりとするを通説とす。また実際においては贈与及び死後処分に付き最も頻繁に生ずるものなり。例えば贈与又は遺贈を受くる者において一定の目的にその取得する財産を供用すべきこと。またはある人に若干の終身年金を払うべきことを定むる如し。これ等の場合においてその負担付行為は有償行為の性質を帯び又負担付贈与の如きは贈与の規定に従う外双務契約の規定に従うべきものとす。

 仏法系においては負担と条件とを画然区別せず条件なる総称の下においてこの二者を混同せり(取363条乃至365条,仏953条,945条)。固より負担は単純随意条件に似たる点なきに非ずといえども又これとその性質及び効力を異にする所あり。その停止条件と相異なる点は法律行為の効力たる権利の発生を停止せざるに在り。惟うに負担はむしろ解除条件に類似するものとす。何となればその履行なき場合において法律行為はその効力を失うに至るべければなり。然りといえども負担は解除条件とも相異なりて先ずその履行を請求することを得べく(サヴィニー3巻242頁)。かつ不履行の場合においても法律行為は当然その効力を失うに非ずして当事者の意思表示あることを必要とす(540条,541条,553条,1104条,1129条)。また解除条件の如くに絶対的効力を生ずることなくして負担の利益を受くべき一方のみその権利を有するものとす。要するに負担は当事者間に債権関係を生ずるに過ぎさるものと謂うべし。但し法律行為の内容を成す点は条件と相異ならざるなり。

 負担と条件とを識別することは実際困難なる場合なきに非ず。裁判官は法律行為の文言その他の状況に基づきて当事者の意思を解釈しもって付款の性質を判定するの外なきなり。もしその性質に付き疑いあるときは条件よりもむしろ負担に止まるものと解すること妥当なるべし。何となれば負担は条件の如くに強大なる効力を生ずるものに非ざればなり。

第3章 期間

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第1節 汎論

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 行為に非ざる法律上の事実は甚だ多しといえどもその最も廣汎なる適用を有するものは時の経過とす。是此に期間に関する原則を述べんとする所以なり。

 期間とは一定の時期より他の一定の時期に至る限定時間を謂う。期間は数多の点において法律上の効果を生ずるものなり。即ち(一)一定の期間内若しくはその満了後に非ざれば権利を行使し又は有効なる意思表示を為すを得ざることあり。例えば占有の訴えを提起することを得る期間(201条)。または取消し得べき行為を追認することを得るに至る期間(124条)の如き。(二)一定の期間内にある事実の発生したること。または一定の期間の満了に因りて当然ある身分を取得し又はある権利の発生若しくは消滅を来すことあり。例えば婚姻成立の日より何日後又はその解消後何日間に生れたる子は夫の子と推定せらるること(820条2項)。または時をもって定めたる期限の到来に因りて譲渡その他の行為がその効力を生ずることの如き。(三)一定の期間ある事実状態の継続するに因りて権利を取得し又は喪失すること(時効)の如きこれなり。これらの数例に考うるも法律上期間の効用の著大なることを知るに足るべし。

 期間は法令若しくは裁判上の命令に依り又は法律行為をもってこれを定む。それ何れに原因するを問わずこれを計算するの方法を一定するは緊要なる事項とす。何となればその方法の如何に依りて権利の得喪上に重大なる結果を生ずることあればなり。然るに仏法系に属する諸法典においては期間に関する通則なきが故に実際疑義を生ずる点少しとせず。我が旧民法は専ら時効に付き期間のことを規定し旧商法もまた契約に付いてのみその規定を設けたるは立法上の欠点と謂うべし。けだし期間は右に述べたる如く法令の規定,裁判上の命令又は法律行為に依りてこれを定むること最も頻繁なるが故にその計算法に関する準則を設けることは廣汎なる範囲において必要なるものと謂わざることを得ず。これ即ち民法第1編第5章においてこれに関する一般の解釈的規定の設ある所以なり(138条乃至143条,独186条乃至193条)。

 期間に予定期間(一名固定期間又は除斥期間)と時効期間の2種あり。予定期間とは法律上固定せる期間にして中断または停止に因りて延長せらるることなきものを謂う。即ち法律が権利の速に行使せられんことを欲して特に定めたる不変期間なり(例,201条,600条)。これに反して時効期間は必ずしも継続的に計算せず中断又は停止に因りて伸長せらるることあるものとす。民法は疑義の生ずることを防止せんが為時効期間は必ず条文にこれを明示するの方針を採れり(例,126条,724条)。

 然りといえども予定期間も時効期間もそれに法律に定めたる期間にして本章に所謂期間の一種なることを言うを俟たず。従ってその計算法は次節に説明すべき民法第1編第5章の規定に依るべきこと勿論なりとす。ただ時効期間は特定の事由に因りてその進行を妨碍せらるることあるのみ。また期限の如きも期限そのものは期間にあらずといえども一定の時間の経過後に到来すべき場合においてはその時間は即ち期間にして民法第138条以下の規定に従うべきこと疑いを容れざるなり。

 期間はこれを期日と区別することを要す。期日とは一定の時点にして区分すべからざるものとす。従って時間の経過及び計算の問題を生ずることなし。例えば明日正午又は来月1日と云う如し。期日もまた権利の得喪に重要なる関係を有することあるよりしてこれに関しある準則を設けたる立法例なきに非ずといえども(独192条,193条)我が民法にはその必要なきものとし何等規定する所あるを見ず。

第2節 期間の計算法

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 およそ時は普通これを年,月,週,日,時等に区分するが故に期間を定むるにもまたこの区分法に依るを常とす。而してこれを定むるには2の方法あり。或いは一定の日時を満限としてこれを指定することあり。例えば来月15日又は明日正午と云うが如し。或いはこれと相異なりて時の区分数を限定してこれを定むることあり。例えば2ヶ年間又は3ヶ月間と云うが如し期間の計算法を定むる必要は主として後の場合に存するものとす。

 然るに期間の計算法にもまた2種あり。1を天然的計算法と称し又1を暦法的計算法と名づく。天然的計算法とはある事実の発生したる即時より起算し1日の区分数を算定してその日数を充たすまで計算する方法を謂う。故に1日を時に区分すべきは勿論更に分秒にまあ細分して精算すべきを本旨とす。而して1日は24時間,1週は7日と謂う如く事実の発生したる瞬時より細密に年,月,日等を計算するものとす。例えば2月1日午前11時に向こう10日間と言えば同月11日午前11時をもって満期と為し又向こう1週間と言えば同月8日午前11時を満期と為すべきが如し。

 暦法的計算法とは暦の定むる所に従い時日を計算する方法を謂う。即ち1日を時,分,秒に細分せずある事実の生じたる日又はその翌日より起算しもって期間を計算することを謂うなり。故に全1日は午前0時に始まり午後12時に終わる。その中間の細分時はこれを精算せざるを本則とす。この計算法は日をもって期間を定めたる場合においては殆ど紛雑を生ずることなしといえども週,月又は年をもってこれを定めたる場合においては暦に従うが故にこれを日数に換算せず週,月又は年の数に依りてこれを計算すべく従って何ヶ月又は何ヶ年と言うも月の大小又は年の平閏に依りてその中に包含せらるべき日数は均一ならざること多し。これ天然的計算法と最も相異なる所なり。

 また暦法的計算法を探るときは週月又は年の途中より期間を起算すべき場合に付き別段の規定を設くる必要あり。けだし暦法上の期間とは1ヶ月は月の初日より末日まで又1年は1月1日より12月31日までを指すものなるが故に実際最も頻繁に生ずべき右の場合においては往々永きに亘る端数の処分を定むることを要すればなり。

 上述せる所に由りて考うるに天然的計算法は精確なる点において優ること言うを俟たずといえども煩に過ぎ実際不便なることを免れず。故にこの方法は日よりも短き時をもって期間を定めたる場合の外一般の計算法としてはこれを採用せる実例極めて稀なりとす。これに反して暦法的計算法は粗略に失する欠点なきに非ずといえども便宜上近世一般に採用する所なり。ただある12の点に関して諸国の法制一様ならざるのみ今これに一例を挙げて右両主義の得失を示さば取得時効の要素たる占有が何れの時に始まりたるやを決定するに当たり十数年前に遡りて何日の何時何分何秒に始まりたることを確知する如きは実際殆ど不能なる事項とす。またこれまで精密に計算を為すの実益あることを見ざるなり。

 民法は上記の趣旨に基き期間を定むるに時をもってしたる場合に限り天然的計算法に依りて即時よりこれを起算すべきものとせり(139条)。けだしこの場合においては最小の時間に重きを置くが故に即時より起算しかつ精密なる算定を必要とすればなり。時以下の分数をもって時間を定めたる場合においても固よりその適用を異にすることなし。例えば1時20分間と言う場合にはその分数をも算入すべきが如し。この規定は殆ど明文を要せざる如しといえども日,週,月又は年をもって期間を定めたる場合においては他の計算法に依るべきものとせるが故にその差別を明らかにせんが為これを置くに至りたるものと見るべきなり。

 期間を定むるに日,週,月又は年をもってしたる場合においては先ずその起算点を定むるに付き2の方法あり。その1は端数を1日としもって初日を算入する方法にしてこれを短縮的計算法と謂う他の1にこれに反し初日を算入せず。その翌日より起算する方法にしてこれを延長的計算法と称す第一の方法は1日に満たざる時間を1日為すものなるが故にこの点において正確を失す。然りといえどもその端数を精算する如きは計算上煩に堪えざる所にして起算点を確知すること甚だ困難なるものと謂うべし。故に民法は普通の立法例に倣いむしろ初日を算入せずして末日を延長することとせり。但しその期間が初日の午前0時より始まるときは端数を生ずることなきが故にその当日より起算すべきものとす(140条,独187条)。

 上記の場合において期間の満了時を定むるに付いてもまた2種の方法あり。即ち1はその末日の始をもって満期日と為すもの(短期的計算法)又1はその日の終了を必要とするもの(延長的計算法)これなり。民法は起算日を定むるに付き初日を算入せざる制を採りたるが故に期間の満了に関してもまた延長的計算法を採用しその末日の終了をもって期間の満了と為せり。例えば1月15日午前10時において向こう5日間と言えば翌16日より起算し20日午後12時に期間満了する如し(141条,独188条)。ただ慣習上一定の取引時間ある場合においてはその時間の経過をもって期間の満了と為す例多し。例えば午後4時に店舗を閉鎖する慣習あるときは末日の同時刻までに債務の履行その他の行為を為さざるべからざる如し。然りといえどもこれ商取引以外に殆どその必要なき事なるが故に民法にはこれを採用せずして商法に譲れり(商283条,旧商312条,瑞債92条,独商332条)。

 期間の末日が大祭日,日曜日その他の休日に当たるときはその日に取引を為さざる慣習ある場合に限り期間はその翌日をもって満了するものとす(142条)。この特例を設けられたる所以は他なし。実際取引を為す慣習なきに拘わらずその日に債務の履行又は時効の中断等を為すに非ざれば不履行の責任を生じ又は権利の喪失を来すことあるものとする如きは不穏当にして末日をもって期間の満了とせる趣旨に背馳すればなり。故に諸外国の法典にもこれと類似の規定あらざるはなし。ただ欧米諸国においては日曜日及び国際日は一般に取引を為さざる慣習あるが故にその日を算入せざるを例とするも我が国の慣習はこれらの日といえども業務を休止せざること多きが故にこれを期間に算入すべきを本則とし唯反対の慣習ある場合に限りこれを除算すべきものとしたるなり。但し法文には広くその他の休日とあるが故に主として各地の慣習に依りて判断すべきものとす。例えばある地方に在りては今日尚旧暦の元日又は盆をもって業務の休日と為すは事実とす。またその所謂取引を為さざる慣習ある場合とは独り債務者の一方にその慣習ある場合のみを謂うに非ずして債権者の方に同一の慣習ある場合をも包含するものなることは疑いを存せざる所なり(36年5月5日大審院判決)。

 期間を定むるに日をもってしたる場合においては上述せる規定に従いその日数に依りて計算を為すべきが故に実際紛離を生ずることなく暦法的計算法に依るべきにもせよ天然的計算法に依るとの間に大差あることを見ずといえども週,月又は年をもって期間を定めたる場合においてはその計算法の如何に依りて多少結果を異にする所なきを得ず。この点においては古来立法例一様ならずといえども近世に在りては一般に暦法的計算法を採用し期間を日数に換算せざるを例とす。これ実際の便宜を旨とせるものにして又当事者の意思にも適合するものと謂うべし。故に民法は別段の定めある場合を除く外一般にこの計算法に依るべきものとせり(143条1項)。従って月の大小又は年の半閏の如きは計算上に全く影響する所なく何れも均一にこれを観察すべきものとす。

 期間を定むるに週,月又年をもってしたる場合においてその週,月又年の始めよりこれを起算すべきときは暦に従い計算を為すに付き何等の困難をも生ずることなしといえどもその中途より計算すべき最も頻繁なる場合においてはその端数を如何にすべきやに付き疑義を生ずることなしとせず。民法は普通の慣例に従いその端数を計算に加うべきものとし半途に在る起算日より順次に週,月又年を算して最後の週,月又は年の中においてその起算日に応答する日の前日をもって期間満了するものと為せり(同条2項)。而して期間の初日は通常これを算入せずして末日の終了をもってその満了と為すが故に初日の翌日より起算し最終の週,月又年においてその起算日に応当する日の前日の終了をもって期間の満了と為すべきものとす。例えば木曜日午後1時に向こう1週間と言えば翌金曜日より起算し次週の応当日たる金曜日の前日即ち木曜日の午後12時をもって期日の満了とす。また2月15日より1ヶ月と言えば3月15日,1ヶ年と言えば翌年2月15日の終了をもって満了と為すべきが如し。

 然るに月には大小あり。また年には平閏あるが故に月又は年をもって期間を定めたる場合においては最後の月に応当日なきことあり。例えば1月31日より起算して1ヶ月と言うときは2月には応当日なく又閏年2月29日より起算して1ヶ年と言う場合も同一なりとす。これの如き場合においてはその最後の月の末日をもって満了日と為すものとす。これ取引上一般に行わるる慣習にして又多数の外国法典に採用せる所なり(同項末文,瑞債88条,150条,751条,独188条2項,3項)。

 以上説明したる期間の計算法は年齢の計算にも準用すべきものとす。ただその起算点は民法第140条に依らずして出生に日より起算すべきのみ(35年12月2日法50号)。この事は成年期と共に能力問題を決定するに付き民法上重要なること言うを俟たず。而してこの規則は出生の月より月をもって計算すべきものとせる旧法(6年2月5日告36号)を改正したるものなり。

第4章 時効

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第1節 汎論

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第1款 時効の根基
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 時効の制度は永続せる事実上の状態を保護するの必要にその根拠を置くものなり。即ち永年間平穏に他人の物を占有する者はその所有権を取得するものと為し。また権利を行使することを怠りたる者はその権利を主張することを得ざるものと為すは法律生活の安固を保障するに欠くべからざる要件なりとす。けだしこれらの事実上の状態にして故障なく永続するときはこれよりして一種の秩序を作成し吾人生活関係の標準と為るものなり。然るにもし法律上においてその状態を尊重せず久しき過去の事実に基づき権利を主張することを得るものとせば紛争100出して殆ど底止する所なく共同生活の秩序をみだること少なからざるべし。例えば債務を弁済したる者は永久に受取証書を保存するの煩累を免るることを得ず。また積年自己の物として不動産を占有する者も何時真正の所有者と称する者よりこれを取戻さるることあるや知るべからず。この場合において占有者はかつて他人よりその権利を譲受けたることを主張するもその主張を貫徹せんには既往に遡りて前主又はこれと共に前々主の権利を証明せざることを得ず。これ極めて困難なる事にして永年間成立せる関係は却て不測の損害を招致する基と為るに至るべきなり。

  時効は時として不法の占有者又は悪意の債務者を保護する結果を生ずすことあるを免れず。故にある一部の学者(ベッカリア,ベンザム,アコラス等)は痛くこの制度を非難し法律上の掠奪に外ならずとせり。然りといえどもこれ立法の目的を達する為に避くべからざる結果にして法律生活の安全を保持するには怠慢者の利害を顧慮するに遑あらざるなり。故にローマ法以来時効は実際に欠くべからざる私法制度の1として一般にこれを認むるに至りたるものと謂うべし。

 以上述べたる所をもって時効制度の根拠と為す以上は時効に関する規定は一般に強行的のものと解せざるべからず。故に例えば時効に罹らざるものとせる権利は当事者の意思をもってこれを時効に罹るものとすることを得ず。また反対に時効に罹るべき権利を時効に罹らしめざる意思表示の如きも無効とす(146条)。この他時効の期間,起算点,中断又は停止の原因等に関する規定もまた強行的効力を有するものなること疑いを存せず。ただ時効の期間を短縮する如き時効の完成を容易ならしむることは普通一般に有効とする所なり(1898年2月2日仏国大審院判決)。但しこの点はドイツ民法における如き明文(独225条)なき為解釈上多少の疑いなきには非ず。

 時効は公益の為に設けたる制度なることは普通学者の唱道する所なり。然りといえどもこの観念は時効の性質及び目的に反せざる限度においてのみこれを認むることを要す。けだし私法上の時効は畢竟その利益を受くべき者の意思に反してその効力を生ずることなき点において純然たる公益上の制度(刑事の時効の如き)と同一視すべきに非ず。例えば(一)既に完成したる時効はこれを放棄することを得(146条)(二)時効は当事者がこれを採用するに非ざれば裁判所これに依りて裁判を為すことを得ず(145条)(三)その結果として時効は始めて上告審においてこれを主張することを得ず。何となれば当事者が援用せざる時効に依りて裁判を為さざりしは正当に法律を適用したるものにして違法の裁判と見るべきに非ざればなり。これらの点は主として公の秩序に関する刑事の時効とその効力を異にする所にして当事者の利益を度外視すべからざることを証するものと謂うべし。

第2款 時効の性質
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 我が民法において時効プレスクリプシォとはある要件の下に時の経過に因りて権利の取得又は喪失を来す事由を謂う。即ち一定の期間ある事実上の状態が継続したるに因る権利得喪の方法なり(162条,163条,167条乃至174条)。故に時効は行為に非ざる法律事実の1にして単純なる期間の満了とも相異なることを知るべし。

(一)時効は時の経過を要件とすること 時効の基素は時の経過なること言うを俟たず。故に彼の動産の占有者がある条件をもって即時にその動産上に行使する権利を取得する如き(192条)は時効に非ず。仏法系においてこれを即時時効と為すは固より失当の見解と謂うべきなり(証144条,仏2279条)。時効の期間は後にこれを詳述すべし。

(二)時効はある事実上の状態の継続を要件とすること これに所謂事実上の状態とは権利の行使又は不行使に外ならず。即ち例えば所有権を取得するには法定の要件を具えるる占有の継続を必要とし(162条)債権の消滅を来すにはその行使なきことを要する如し(167条1項)。この要件は時の経過と連結して時効制度の基礎を構成するものなり。

(三)時効は権利の取得又は消滅の方法なること 時効の性質に関しては従来議論なきに非ず。ある一派の学者はこれをもって法律上の推定と為し永年間他人の物を占有する者は正当にその所有権を取得したるものと推定し又債権を行使せざる者は既にその債権を喪失したるものと推定するに外ならずとせり。我が旧民法の如きは即ちこの観念に基づき時効をもって証拠の一種と為し証拠編中にこれを規定せり。仏民法はその条文矛盾せる為(仏1350条2号,2219条)両様の見解を生ずるに至れり。惟うに推定説は沿革上の根拠を有するものに非ず。またドイツ法系にもこれを採用せる形跡なきなり(独194条,900条,937条等)。これ畢竟時効の制度を設けたる1理由と時効そのものとを混同したる謬見に外ならず時効そのものは主としてさきに述べたる公益上の理由に基づける権利得喪の原因にして推定に非ざること民法の条文に徴してすこしも疑いを存せざるなり(162条,163条,167条以下)。けだし反対の確証あるも時効はなおその効力を生ずること論なき以上はこれを推定と称すること甚だ当らず。殊にその推定を証拠と為すに至りては最も失当の見解と謂うべし。かつそれ占有者の善意悪意に依りて取得時効の期間を異にする如きは到底推定説に依りて説明することを得ざる点なりとす。

  時効は純然たる権利得喪の原因なることは我が民法の解釈としては殆ど疑いなき所なり。然るにこの観念たるや消滅時効に関しては古来の通念に背馳し権利消滅の方法と為したることは正当な

 らざる如し。今沿革に徴するに消滅時効はその起原たるローマラオドズ2世の時より訴権に対する抗弁方法と見たること疑いを存せず(ポチェ676節)。現行仏民法の解釈としてもこの見解は尚  

 一般に勢力を有するものたり(仏2262条,プラニオル2巻690節,ボ-ドリー3巻1581節)。故に時効は完成の一事をもってその効力を生せず当事者がこれを援用することをもってその  

 要件と為せり(プラニオル2巻685節,ボードリー3巻1592節)。英国法においても債権の消滅時効は債務者の為に単純なる抗弁権を生ずるに過ぎざるものなること疑いなきが如し(レール

 「英國民法綱要」822節)。殊にドイツ民法にはこの観念を明らかにし時効は請求権(Anspruch)に対する抗弁を作るものと為せり(独194条1項,222条1項,同1草182条1項)。即

 ち時効はその完成に因りて権利の効力を減殺すといえども直接にこれを消滅せしむるものに非ず。時効を援用するに依りは始めてこの効果を生ずるものと為すなり。けだし時効の本旨は適法に存在

 する権利を剥奪するに在らず唯永続せる不行使の事実と相容れざる請求権に対し敢て本案に進入せずして自ら防御する保護手段を与うるに在り。即ち時効そのものは目的に非ずして目的に達する方

 便と見るべきなり(独1草理由書1編7章総説4項)。この観念を採れる結果として我が民法第145条の如き規定は不必要としてこれを置かず。また時効の完成後に為したる履行,承認又は担保

 の供与の如きも時効の放棄とすることを須いずして有数なることを言うを俟たず。しかのみならずその完成したることを知らずしてこれを為したる場合においてもその効力あるものとせり(独22

 2条2項)。

 上記の見解は消滅時効の性質,目的及び沿革にかんがえ正鵠を得たるものなることを信ずといえども我が民法の解釈としてはこれを採用すること困難なるべし。即ち民法第167条以下に債権その他財産権は一定の年間これを行使せざるに因りて消滅すと曰い時効は援用を俟たず完成の一事をもって権利消滅の効果を生ずるものとしたる如し。この見解果して正当なるものとせば(一)第145条は単に裁判官の職権を制限したるものと解すべし(二)然りといえどもこの制限ある為裁判官は当事者において時効を援用せざる以上は既に権利者に非ざる者を権利者なりとして裁判さざることを得ず。(三)時効の完成したることを知りて為したる弁済,承認又は担保の供与の如きは時効の放棄と見るの外なし。果して然らばその結果新たなる法律関係を創設し担保付債権に付き時効を放棄する如き場合においても担保は復活せざることと為るべし。然るにこれの如き結果は到底これを是認すべからざることは後にこれを述べんとす。(四)時効の完成したることを知らずしてこれらの行為を為したるときは時効の放棄と見ることを得ざるが故に不当利得の原則に従いその給付したるものを取戻すことを得べきは当然なりとす。

取得時効は第三者との関係その他の理由よりしてこれを抗弁方法と為すに止むべきものに非ず。故にドイツ民法の如きも厳重にその範囲及び要件を限定してこれを権利取得の方法と為せり(独900条,937条)。これと相異なりて消滅時効は理論上請求権を排斥する抗弁方法にして権利自身を消滅せしむるものと為すべきに非ざることを信ずといえども明文に制束せられ巳むことを得ず前期の見解を採るものなり。

第3款 時効の種別
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時効には取得時効と消滅時効の2種類あり。取得時効とは永続せる事実上の状態を権利に変更するものを謂う。即ち権利取得の効果を生ずるものなり。その要件は一定の期間他人の物を占有しその他財産権の行使を為すに在り。故にこれに因りて取得すべき権利は一般財産にして所有権に限ることなし(162条,163条)。また消滅時効とは一定の期間財産権の行使なきに因りてその権利の消滅を来すものを謂う(167条)。仏法系においてはこれを免責時効と称しあたかも債権に付いてのみその適用あるものと見たる如きは当を得ざるものと謂うべし。民法第1編第6章第1節(144条乃至161条)は即ち右2種の時効に共通なる条則にして取得時効又は消滅時効に特別なる規定は次2節おいてこれを説明すべし。

 取得時効は所有権その他占有することを得べき物を目的とする物権にその適用を限るべきものとするを通説とす(デルンブルヒ144節,カピタン325頁,プラニオル1巻1392節,2巻630節)。現にドイツ民法の如きも取得時効は主として物権編中にこれを規定し(独900条,937条乃至945条,1033条,2026条)総則編には専ら請求権の消滅時効を規定せり(独194条以下)。但しその所謂請求権とは債権及び物権に共通なるものと解すべし。我が民法はひろき範囲において準占有を認め(205条,478条)権利の行使なる観念に重きを置きたる結果として第1編中に取得時効の規定を置き債権にもその適用あるものとしたることは解釈上殆ど疑いなき所とす(163条)。この点は普通一般の観念と相異なる所なり。

 時効には長期時効と短期時効あり(162条,163条,167条以下)。この区別は主として期間の長短に関するものにしてその性質及び効力に差異あることなし。

 この他ある権利に特別なる消滅時効少しとせず(126条,426条,724条等)。その期間及び起算点の如きは各々その権利に付きこれを規定しあり。是此に説明すべき事項に非ざるなり。

第4款 時効の適用
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 本款においては時効の当事者及び時効に罹るべき権利の何たることを述べんとす。

(一)時効の当事者

 時効の当事者とは時効の完成に因りて直接に利益又は不利益(権利の得喪に関する)を受くる者を総称す(148条)。但し専らその利益を受くる一方の者と解すべき場合もこれあり(145条)。当事者の承継人は一般に当事者と同一視すべきものとす(148条,639頁)。

 時効の当事者は人格を有する者に限ること言うを俟たず。而して人格を有する者は総じてその当事者たることを得べし。故に自然人あると法人たるとを問わず又内国人と外国人との間に差別なきなり。但し権利能力を有する範囲内に非ざれば時効に因りて権利を取得することを得ざるは当然とす。例えば外国人又は外国法人は時効に因りて土地の所有権を取得することを得ざる如し。なお時効はその停止の利益を有する者に対して進行せざることは後にこれ述ぶべし。

(二)時効の目的たることを得べき権利

 時効に因りて取得又は喪失すべき権利は原則として財産権(128頁)に限るものとす(163条,167条)。ただ物権及び債権に共通なるが故に総則編中にこれを規定したるなり。これに反して財産権以外の権利は特に定めたる場合(759条3項,966条,1022条2項)の外時効に罹ることなし(証154条,独194条2項)。また財産権といえども法律の規定又は権利の性質に因りて時効の目的たることを得ざるものあり。詳細は次2節において説明すべし。

第5款 時効の効力
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 時効の効力は権利の取得又は消滅に在ること既に述べたる如し。故に別段の規定なきときはその効力は法定の期間満了の時より発生することと為るべし。これ時効は権利得喪の推定に非ずとせる結果なり。然るにもしかくの如しなるときは時効の起算日よりその完成の日に至る期間に生じたる錯雑なる関係を決定することを要し時効の制度を設けたる本旨に背馳する結果となるべし。例えば時効に因りてある物の所有権を取得したる者は既往10年間又は20年間その占有せる物より生じたる果実を返還することを要し又これに因りて債務を免れたる者は一時に時効完成の日までの利息を弁済せざることを得ず。果してかくの如きなれば時効の効用に遂に全きことを得ずして永続せる事実上の状態を保護しもって権利関係を確定せしめんと欲したる立法の目的を貫徹することを得ざるべし。故に法律は取得時効と消滅時効とに通じて時効の効力はその起算日に遡るものとしもって時効の利益を全からしめんことを期せり(144条)。これ特に明文を設けたる例は少なきも殆ど諸国の法律に認むる所なり(証91条,仏1402条)。

 これに所謂起算日とは取得時効に付いては占有又は権利の行使を始めたる日(162条,163条)また消滅時効に付いては権利を行使することを得べかりし初日(166条1項)を謂うものとす。但し時効の中断ありたる場合においてはその中断後更に進行を始めたる日と解すべきなり(157条)。

 時効はその起算日に遡りて権利得喪の効力を生ずる結果として取得時効に因りて権利を取得したる者はその時効の進行中に収取したる果実を返還することを要せず。また消滅時効に因りて債務を免れたる者はその完成の日以前の利息を払う義務を負うことなし。これ他取得時効の進行中に占有者が為したる譲渡その他の処分はその効力を保有することと為るべくこれに反して前主がその期間に為したる処分行為は当然その効力を失うに至るものとす。

 時効は権利得喪の原由なる以上はその利益を受くべき当事者においてこれを援用せざるも裁判所は職権をもってその完成の事実を認定しこれに依りて裁判を為すことを得べきが如しといえども民法は刑事におけると反対に裁判官にこの権能あることを認めず当事者において時効を援用するに非ざれば裁判所これに依りて裁判を為すことを得ざるものとと為せり(145条)。けだし時効の目的は故障なくして永続せる事実を保護しもって法律生活の安全を確保するに在りといえども時としてはその利益を受くべき者の意思に反してその効果を生ずることなしとぜす。然るにかくの如きは全く理由なきことと謂うべし。故に立法者は成るべくこれ不当なる結果を避けんが為に時効の効力を制限しこれを援用すると否とをもって当事者の良心に委せんと欲したるなり。当事者においては或いは時効の利益を放棄して権利者の請求に応ぜんと欲することあるべく或いは受取証書を有する如き場合には時効以外の方法(良心に恥づる所なき)に依りてその請求を斥げんと欲することあるべし。これ等の場合において裁判上強いて時効の保護を受けしめんとする如きは立法の本旨に遠いこの制度を必要とせる理由の範囲外にその効力を生ぜしむる結果と為るべし。これ即ち本条の規定ある所以なり(証96条,仏2223条,瑞債160条)。

 時効の援用はその効力発生の要件に非ずして単に裁判を為す要件に過ぎず(630頁)。然りといえどもこの規定ある結果としてもし当事者間に争訟を生じたる場合において時効の援用なきときは前権利者は未だ会えてその権利を失わざるものとして裁判を為さざるべからず。これ時効をもって権利の取得又は消滅を来す法律事実と為したる原則と相容れずといえどもあたかもその原則を一貫すること妥当ならざるが故に裁判上これを適用するに付きこの制限を設けられたるものと解すべし。但し立法論としては取得時効に付きかくの如き要件を設くるは果して至当なるや大いに疑いなきことを得ず。

 一説に依れば時効は権利得喪の原因なるも援用なき間はその効力確定せず。即ち援用なくばその効力を失うべしと言える解除条件的の状態において権利得喪の効果を生ずるものなりと曰う(鳩山氏584頁以下,605頁)。この説は権利得喪の効果と本条の規定及び時効放棄の効力とを調和せしむること巧に過ぐる如し。余輩はさきに論述したる如く時効の効力に関する我が民法の規定は理論上非難を免れずといえども法文上原則としては無条件的に権利得喪の効果を生ずるものとし唯本条をもって裁判所の職権を制限せるもの解するなり(同説,平沼氏691頁,松岡氏622頁,川名氏529頁,中島氏802頁,38年11月25日大審院判決)。この他援用をもって時効の効力発生の要件と為す説もこれなきに非ずといえども(曄道氏528頁以下)。この見解は民法の明文に適合せず。また取得時効に関し困難なる問題を生ずべし。

 時効を援用することを得ることを者は法文に当事者とあり(同条)。故に時効に因りて権利を得又は義務を免るべき者及びその代理人は勿論その承継人もまた一般の原則に従いこの権利を有するものと解すべし。連帯債務者に関しては別段の規定あり439条,458条)。保証人は主たる債務者の承継人と称すること当らざる如しといえども保証債務の従たる性質上より当然時効の利益を受くべき者なるが故に本条に所謂当事者の部類に属するものと見ること妥当なるべし。この当事者の債権者も承継人には非ずといえども第423条の規定に従いこの権利を行うことを得べきは言うを俟たざるなり(証97条,仏2225条)。

 時効を援用するには一定の方式なし。ただその意思表示たることに疑いなきをもって足れりとす。これ事実問題なり。また援用の時期に関しても別段の制限なきが故に上告審を除く外訴訟の終局に至るまで何時にてもこれを為すことを得べし(625頁,証98条,仏2224条)。

 時効の効力は右援用に関する規定の外に尚制限を受くることあり。その最も著しきは相殺に関する消滅時効の効力に対するものとす。即ち時効に因りて消滅したる債権がその消滅以前において相殺に適したるときはその債権者はこれをもって自己に対する債権と相殺することを得るに在り(508条)。この問題に関してはさきに岡松博士の明細なる論説あり(内外論業3款1号50頁以下)。これと共に消滅時効の性質をも詳にすることを得るが故に就いてこれを見るべし。

第6款 時効の放棄
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 時効の放棄とは時効の利益を享受せざる意思表示を謂う。一般権利の放棄に同じく一方行為にしてその行為に因り利益を受くべき者の承諾を必要とせず。

 時効の利益は常にこれを放棄することを得るに非ず。この点に関しては3の場合を区別することを要す。 

(一)時効の利益はその進行前なると進行中なるとを問わず予めこれを放棄することを得ず(146条)。これけだし時効の制度は単に一私人の利益を保護するのみに非ず。また社会生活の秩序を保持することを目的と為すに由るものなり。即ち時効に関する規定は一般に強行法に属するものにして当事者の意思をもってその適用を避くることを詐さず。もしそれ時効の要件具備せるにも拘わらず。なおその効力を生ぜざるべきことを予約し得るものとせば権利者は常にこれを要求し義務者は軽忽にこれを承諾すべきこと必然とす。果して然らばその結果たるや遂に時効制度の効用を滅却し立法の目的を達すること能わざるに至るべし。即ち諸国の法律にこの禁止的規定の設ある所以なり(証100条1項,仏2220条,独225条)。

    惟うに上述せる第146条の規定は仏法系に探りたるものにして甚だ不備なることを免れず。けだし未だ完成せざる時効の利益を放棄することのみ無効なるべきに非ずして凡て時効の要件を

   変更すべき意思表示(少なくもその完成を困難ならしむべき)はその効なきものとせざるべからず(625頁)。この点においてドイツ民法第225条の規定は迴に完備せるものと謂うべきな

   り。

(二)時効の進行中といえどもそれ既に経過したる期間に対する利益を放棄することは妨なき所とす。これ相手方の権利の承認に外ならずして時効中断の効力を生ずべきなり(証100条2項,3項)。

(三)既に完成したる時効の利益を放棄するは有効とす。これ一般財産権の放棄に異なることなくすこしも立法の本旨に反する所を見ざるなり。この事は明文を俟たざるものとしてこれを規定せずと

  いえども第146条の裏面より解釈して全く疑いなき所とす(証100条2項,仏2221条,瑞債159条)。普通に時効の放棄と称するは即ちこの場合を謂うなり。

  時効の放棄には一定の方式なし。即ち明示と黙示とを問わず一切の方法に依りてこれを為すことを得るものとす。黙示の放棄は時効の完成したること知りて債務の弁済若しくは承認を為し弁済の猶予を請求し又は担保を供する如き行為より成るものとす。固より推定すべき行為に非ざるが故にその意思を確認するに足るべき事実あることを要す(証101条)。これ畢竟事実問題なり。

 時効放棄の性質は権利の移転即ち贈与なりとする説なきに非ず(ローラン32巻195節)。然りといえども普通にはむしろ一種の承認に外ならずとせり(ボードリー3款1590節,プラニオル1款1505節)。これ仏国法系においては時効の援用をもってその効力発生の要件と為す当然の結果と謂うべし。然るに我が民法においては時効をもって権利得喪の原因と為したるが故に取得時効の放棄は譲渡と為り消滅時効の放棄は新たなる債務の負担と為るものと解すること一見当然なる如し。然りといえどもかくのごときなるときは担保の消滅その他不都合なる結果を生じ時効の目的及び当事者の意思に反すること明らかなるが故に到底これを採用することを得ず。惟うに我が国法の説明としては放棄は時効が一旦その効力を生じたる後においてかつてこれを生ぜざりしものと為す一種の追認と解するの外なかるべし。但しこの点においても有力なる異説なきに非ず(鳩山氏613頁以下,曄道氏532頁以下参照)。

時効の放棄は譲渡又は新たなる債務の負担に非ずとするもこれと殆ど同一の効力を生ずるものなるが故にその能力又は権限あることを要するは疑いなき所とす(証102条,仏2222条)。これ時効中断の原由たる承認とその性質を異にする所なり(156条)。

第7款 時効の中断
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 時効はある事実の発生したるに因りてその進行を止むることあり。その原因はこれを大別して2とす。中断及び停止即ちこれなり。

 時効の中断とは時効の要素(権利の行使又は不行使)と両立すべからざる事実の発生に因りその以前に経過したる期間を無効に帰せしむることを謂う。即ち過去に対してその効力を生じ中断の原由止みたる時より法律上の要件具わるときは更に新たなる時効の進行を始むるものとす。             

 時効の中断に自然の中断及び法定の中断の2種あり。自然の中断とは通常外形の事実(占有の喪失)より成るものを謂い法定の中断とは法律に定めたる当事者一方の行為より成るものを謂う。前者は取得時効に関するものなるが故に総則にはこれを規定せず(164条,165条)。故にこれには両種の時効に共通なる法定中断の原由を述べんとす。

 法定中断の原因三あり。(一)請求(二)差押,仮差押又は仮処分(三)承認即ちこれなり(147条,証109条,仏2244条,瑞債154条,独208条,209条)。但しその第二の原因は取得時効には殆どその適用なきものと謂うべし。

(一)請求

 これに所謂請求とは裁判上その他一切の方法に依り特定人に対して時効の目的たる権利を主張することを謂う。その裁判上の請求に限らざる点は仏独その他多数の立法例と相異なる所にして本邦の民情に適せしめんことを欲したるものなり。故に執達吏に依ることをも必要とせず。私書又は口頭をもってする場合においても総て中断の効力を生ずべし。しかのみならず履行の請求に対して相殺の意思表示を為す如きもまた一種の請求と見ることを得べし。ただ裁判外の請求は後日その事実を確証することを得る為執達吏に依りこれを為すことを便利とするのみ。

 請求はその方法の如何に依りて多少効力を異にする所あり。故に左に各種の方法に就きその概要を述べんとす。

(イ)裁判上の請求 これ起訴に依る最も有力なる請求の方法なり。必ずしも本訴たることを要せず付帯の訴え又は反訴に依りても成立することを得べし。或いは曰わん請求者が果して権利を有する

  や否やは畢竟判決に依りて定まることなるが故に請求そのものに時効中断の効力あるものとする必要なしとこれ誤れり。けだし新たなる時効が更にその進行を始むるは請求の時に非ずして裁判確

  定の時を俟たざるべからずといえども(157条2項)請求者の権利は請求の日に定まるが故に訴訟中に時効完成するもその効なきものとす。故にこの点において請求が中断の効力を生ずるもの

  と定むるの必要なきに非ざるなり。

   裁判上の請求が時効中断の効力を生ずるには訴えの提起即ち訴状の提出をもって足れりとし相手方に送達せらるることを必要とせず(36年5月5日及大正4年4月1日大審院判決)。但しその請求自身の効力あることを要するは当然とす。故に訴えの却下又は取下ありたるときは請求は時効中断の効力を生ぜざるなり(149条,証109条,仏2247条,独212条1項)。

   これに所謂訴えの却下とは請求の不当なるに因る却下と管轄違その他形式上の欠点に因る却下とを総称するものとす。外国の立法例を見るに管轄違の如き形式上の理由に因る却下は爾後一定の期間内に提訴するときは中断の効力を妨げざるものと為す例少しとせず(証111条,仏2246条,瑞債158条,独212条2項)。我が民法においては仮令形式上の欠点に基づく場合といえども既に違法の請求として却下せられたる以上は中断の効力を生ぜしめざるを至当とし一切これの如き特例を設けざるなり。

裁判上の請求が事実上不当なる為却下せられたる場合においては請求者は全く権利を有せざるものと認定せられ始めより請求なきに同じき結果と為るが故に時効中断の問題を生ぜざる如しといえどもこれ一面より観察したる議論に過ぎず。判決は当事者間にのみその効力を生ずる結果として訴訟当事者に代表せられざる者(例,不可分債務者)に対しては不当にも時効中断の効あることと為るべし。これ却下せられたる請求はその効力を生ぜざることを規定するの全く無益ならざる所以なり(プラニオル2巻664節)。

訴えの取下とは訴えを放棄することを謂う。1年間訴訟手続を休止したる場合もまたこれを取下とみなすものとす(民訴188条3項)。取下は却下に同じく確定に中断の効力を妨げるものにして仮令短期内に再び訴えを提起するもこれが為にその効力に影響することなし(「反」独212条2項)。

(ロ)支払命令 この請求は民事訴訟法第382条以下に規定せる裁判上の督促手続に依るものなり。即ち金銭その他代替物又は有価証券に関する請求に付き区裁判所の発する命令にしてその送達に依り時効中断の効力を生ず(民訴387条)。而してその効力は申請の日に遡りて発生するものとす(34年10月1日,大正2年3月20日及同4年5月20日大審院判決)。然りといえどももしその命令に因る権利拘束がその効力を失いたるとき即ち債務者が請求に対し意義を申立てたる場合においてその請求に付き起すべき訴えが地方裁判所の管轄に属しかつ債権者が法定の期間内に訴えを提起せざるときは支払命令は無効と為り時効中断の効力を生ぜず(150条,民訴391条2項,32年1月19日同院判決,独213条)。

(ハ)和解呼出及び任意出頭 和解の為にする呼出及び任意出頭もまた請求の1方法にして時効中断の効力を生ず。然りといえどもこの事実のみをもっては未だ権利を実行する意思あることを確認するに足らず。故に和解の謂わざる場合においては1ヶ月内に起訴するに非ざれば中断の効なきものとす(151条,民訴378条,381条,証114条,仏2245条)。この時効中断の原由は仏法系に出でたるものにしてドイツ民法にはこれを認めず。

(ニ)破産手続参加 破産手続参加とは破産手続中において財団の配当に加わる為催告に応じて債権の申出を為すことを謂う。これ又権利実行の意思を表明する行為なるが故に一種の請求方法として時効中断の効力を生ずるものとす。但しこの効力を生ずるにはその申出自身が無効と為らざることを要す。故にもし債権者において参加の申出を取消し又はその申出が却下せられたるときは時効中断の効力を生せず(152条,商1025条以下,独214条)。然りといえどもこの時効中断の効力は債権届出の効果にして破産決定の効果に非ざるが故に債権者の怠慢に帰すべからざる破産決定の取消しはその効力に影響を及ぼすことなし(36年2月10日東京地方裁判所判決)。

民法には「破産手續參加」とあるが故に未だ権利実行の行為と見るべからざる破産宣告の申立の如きは時効中断の原由と為らざるものと解すること至当なるべし(中島氏829頁,鳩山氏634頁,大正2年4月14日東京控訴院判決)。

 (ホ)催告 これ債務者に対する履行の請求にして普通に行わるる最も簡易なる方法なりとす。民法にはその方式を定めず。故に必ずしも執達吏に依ることを要せず口頭又は私書をもってこれを為すもその効あるなり。ただその方法の如何は後日挙証の難易に関係あるのみ。この他手形債務に付き手形を呈示する如き債権者の特別行為を必要とするものはその要件を充たすべきこと勿論なりとす(39年6月28日大審院判決)。

 然りといえども催告はその一事をもっては未だ確実に権利を主張する意思を表示したるものと見ることを得ず。この観念よりして民法は6ヶ月内に裁判上に請求,和解の為にする呼出し若しくは任意出頭,破産手続参加,差押え,仮差押え又は仮処分を為すに非ざれば時効中断の効力を生ぜざるものとせり(153条,証116条)。外国の法典は一般に裁判外の催告に時効中断の効力を認めずといえども我が民法は時効中断の為に訴訟を提起するのを防止せんと欲しこれを設くることを便宜としたるものなり。

(二)差押,仮差押及び仮処分

 この中断の原由は強制執行又はその準備手続にして裁判上の請求に同じく権利実行の意思を確表する行為なり(民訴564条,737条等)。故に法律上その効力を失わざる限りは時効中断の効力を生ずるものとす。これに反してその行為が権利者の請求に因り又は法律の規定に従わざるに因りて取消されたるときはその効力を生ずることを得ず(154条,証117条,独216条)。

 上記の行為が時効中断の効力を生ずるには直接に時効の利益を受くべき者に対してこれを為すか又はその者にこれを通知することを必要とす(155条,証117条3項)。例えば債務者に非ざる者が債務者の為にその財産を質入し又はこれを抵当と為したる場合においてはその財産の差押は時効の利益を受くべき債務者に対してこれを為すに非ず。然るに債務者が未だその事実を知らざる間に時効中断の効果を受くる如きは不当なるが故にこれにその通知を為すことを必要としたるなり。而して相手方が実際その事実を了知すると否とはこれを問うことを要せざるものとす。

 以上列挙せる執行上の行為は裁判上の請求ありたる後に生ずること最も多しといえども稀には公正証書に依りてこれを為すことなきに非ず。然らざるも中断後に進行すべき時効の起算点を異にすべきが故に独立の原由としてこれを認むるの必要あるなり。

(三)承認

 承認とは時効の利益を受くべき者がその利益を受くることを求めずして相手方の権利を認むる一方行為を謂う。承認は請求に同じく如何なる方法に依りてこれを為すも時効中断の効力を生ずるものとす。即ち裁判上たると裁判外たるとを問わず又明示たると黙示たるとに因りて差別なきなり。例えば一部の弁済,利息の支払,担保の提供等は何れも黙示の承認と為るものとす(独208条)。

 承認を為すに必要なる能力に関しては多少疑義なきことを得ず。けだし承認なるものは時効に因りて取得すべき権利を取得することを得ざるに至るか又はこれに因りて免るべき債務を免れざる結果に至るものなるが故に相手方の権利に付き処分の能力又は権限を有することを必要とすべきが如しといえども仔細に考うるときはこの場合は既得の権利を放棄すると同一視すべきに非ずして単に権利を取得し又は義務を免るることを得べき状態を変更するに過ぎず。即ち既に経過せる期間の利益を放棄するに止まり一切の点において相手方の権利を承認するものに非ず。故に後日受取証書を発見する如き相手方に権利なきことの確証を有するに至るときは固よりこれを争うことを妨げざるなり。なお一歩を進めて考うるに承認は期限に弁済を為すことを怠るより生ずべき賠償の義務を免れしめ或いは一部弁済の場合の如きにおいては将来に支払うべき利息の負担を軽減するの利益あるものと謂うべし。故に単純なる承認は処分行為と言わんよりもむしろ一種の管理行為と見るべきものとす。

 民法はこの理由に基づき承認を為すには相手方の権利に付き処分の能力又は権限あることを要せざるものとせり(156条,証122条)。その結果として例えば準禁治産者,不在者の財産管理人その他権限の定めなき代理人又は後見人の如きは何れも自己の意思のみをもって承認を為すことを得べし。

 時効中断の効力は既に経過したる期間を無効に帰せしめその事由の終了したる時より更に新たなる時効の進行を開始するに在り(157条1項,証104条,独217条)。而して中断の事由は何れの時に終了するものと見るべきやはその事由の何たるに依りて相異なるものとす。例えば差押はこれより生ずる一切の執行行為を終わりたる時又書面に依る催告はその相手方に到達したる時なる如し。いやしくも法律にその事由を指定せる以上はこれを定むるに付き敢て困難を生ずることなかるべし。ただ裁判上の請求は起訴,裁判又は裁判確定の時期中何れの時に終了するやに付き疑義を生ずる虞あるが故に民法は多数の立法例に倣い特に裁判確定の時をもって新たなる時効の起算点と為すことを示しもってこの場合における中断の継続期間を明らかにせり(同条2項,証113条,独211条)。

 以上述べたる法定中断の原由は何れもある人に対する行為なるが故に当事者及びこれと同一視すべきその承継人の間に非ざればその効力を生ぜず(148条,証110条)。これ自然の中断とその効力を異にする所なり(164条)。故に例えば占有者に対する占有物返還の請求は占有者よりその物を譲受けたる者に対しては時効中断の効力を生ずといえども占有者二人ある場合においてその一人に対する請求は他の一人に対してこの効力を生ぜざる如し。数人の債務者ある場合においてもその原則を異にすることなし。但し連帯債務者及び保証人はこの限りに在らず(434条,457条,458条)。

第8款 時効の停止
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 普通に所謂時効の停止とは一定の事由の存在するに因りある期間時効の進行を休止することを謂う。故に中断と相異なりて既に経過したる期間を無効と為さず。ただ一時これを保留し停止の原由消滅したる後において更にこれを参入し残余の期間を経過するに由りて時効完成するものとす。惟うに時効の停止は畢竟一定の期間その完成を防止することを目的とする制度に外ならず。我が民法において時効の停止は時効完成の際にのみその適用あるものとしたるは即ちこの趣旨を明らかにせるものと謂うべし。

 この制度を設けたる理由はある事実上の故障よりして時効の中断を為すこと能わざる場合においてその故障の存続する間時効の完成を防止しもって当事者一方の利益を保護することを必要とするに在り。故に時効の停止は時効中断の効力を生ずべき権利行使を為すこと能わざるか又はこれを為すこと困難なる場合に限り生ずるものと解すべし。

 時効停止の原因は限定的にしてこれを左の三種に区別することを得。

(一)権利者の身分より生ずる停止

 (二)権利の性質より生ずる停止

 (三)権利の行使を不能ならしむる事変より生ずる停止

      一 権利者の身分より生ずる停止

 この停止は更に分かれて2の場合と為るものとす。

 (イ)未成年者及び禁治産者の為に設けられたる絶対的停止

 一般法律行為を為す能力を有せざる者は時効中断の行為を為すこと能わざる状態に在るものなり。故に法律上これを保護する目的をもって時効停止の制度を設くることに付いては古来諸国の法制殆どその揆を一にする所なり。ただその保護すべき無能力者及び停止の期間等に関して立法例一様ならざるのみ。仏法系においては未成年者及び禁治産者はその無能力者たる間全然時効停止の利益を受くるものとせり(仏2253条)。これ無能力者保護の点においては欠くる所なしといえども時効の利益を受くべき者に取りては永年月を経過するも実際その利益を受くることを得ず。従って時効の制度を設けたる趣意を貫かずして取引の安固を害すること少しとせず。故に近世の立法者は時効の停止をもって無能力者を保護するに必要なる限度に止めもって成るべく時効の効用を全がらしめんことを図れり。但し長期の時効に限りてその停止あるものとする制(証131条,仏2278条)の如きは無能力者保護の趣旨に反し当を得たるものに非ざるなり。

 我が民法は上記の理由に基づき先ず時効停止の利益を受くべき無能力者は未成年者及び禁治産者に限るものとせり。けだし準禁治産者及び妻は一般の人に対しては自らその権利を行使すること能わざるに非ず。また法人の如きもその代表者の欠けたる場合には速にこれを補欠する規定(58条)あるが故に特別の保護を必要とせざるなり。なお未成年者及び禁治産者といえども時効の期間満了前6ヶ月内において法定代理人を有せざりし場合に限りその能力者と為りたる時又は法定代理人が就職したる時より6ヶ月間これに対して時効完成せざるものとす(158条,独206条)。これ畢竟これらの無能力者には法定代理人ありて日常その利益を擁護し財産管理の責に任ぜざるべからざるが故に時効の中断を怠る如きことは甚だ稀なるべく従って永きに亘る停止を設くる必要なきに由るなり。ただ時効の完成に近づき法定代理人を欠きたる場合においてのみ一時その完成を防止することを要するのみ。

 要するにこの規定は時効の完成前6ヶ月内といえども絶対的に時効の進行を停止する趣意に非ず。仮令その期間内といえども無能力者が能力者と為り又は後任の法定代理人が就職する以上は時効は即時にその進行を再始するものとす。ただその時より起算して6ヶ月間完成することなきのみ。これ畢竟時効に罹るべき権利に関する書類等を調査する為に相当の期間を要するが故なり。例えばこれに10年の時効が既に9年10ヶ月を経過し尚2ヶ月をあます場合において法定代理人死亡し直にその後任者を選定したるものとせば時効の完成は4ヶ月余後るることと為るべくもし又9年7ヶ月を過ぎて同上の事実生じたる場合には時効の完成僅に1ヶ月余後るるに過ぎざる如し。

 (ロ)無能力者の為に設けられたるその法定代理人及び夫に対する相対的停止無能力者はその法定代理人に対して権利を有するも実際これを行使すること能わざる場合最も多しとす。従ってその権利は遂に時効に因りて消滅すること往々これあるべし。妻が夫に対して有する権利もまたこれと相異なることなし。けだし妻は婚姻中夫の権力に服従するが故にこれに対してその権利を実行することは実際上困難なるのみならず一家の秩序和合を維持する上においても望むべきことに非ず。故に民法は無能力者がその財産を管理する父,母又は後見人に対して有する権利に付いてはその者が無能力者と為りたる時又は後任の法定代理人が就職したる時より6ヶ月間又妻が夫に対して有する権利に付いては婚姻解消の時より6ヶ月間時効完成せざるものとせり(159条)。

 この条文には無能力者の財産を管理する父,母とあり。故に親権を行うと否とを問わず唯財産を管理する者たることを要す。また父母又は後見人に対して有する権利とあるが故に請求権に限るものとす。故に取得時効には殆どその適用なきものと解するべし。但しその権利が管理より生じたること又は管理中に生じたることはこれを必要とせざるなり。

 この停止の原因に関する立法例を見るに多くはこれをもって相互の性質を有するものとし無能力者に対するその法定代理人の権利又は妻に対する夫の権利に付いてもその適用あるものとせり(証134条,135条,仏2253条,独204条)。これその理由なきには非ずといえども我が民法は成るべく自己の利益を防衛すること能わざる者を保護するに止めもって時効の効用を全がらしめんことを欲したるなり。また停止期間の如きも無能力又は婚姻の継続中とする如き永きに亘ることを避けたるは多数の立法例と相異なる所なりとす。

      二 権利の性質より生ずる停止

 この停止の原因として民法に規定する所は相続財産に関する時効の停止なりとす。けだし相続開始の場合においてはある期間相続人の確定せざることあり(1017条以下)。また相続人あること分明ならざる為一時管理人を選任して相続財産を管理せしむることあり(1051条以下)。或いは又相続財産をもって被相続人の債務を完済する能わざるより破産の宣告を受くるに至ることあり。もしこれらの場合において時効の停止なきものとせば相続人の確定せざる間,管理人の選任なき間又はこれらの者が未だ相続財産に属する権利あることを知らざる間にその権利は時効に因りて消滅することなしとせず。また被相続人に対して権利を有する者も相続人たる者判然せざる為時効を中断することを得ずして遂にその権利を失うに至ることあるべし。故に相続財産に関しては相続人の確定し,管理人の選任せられ又は破産の宣告ありたる時より6ヶ月内は時効完成せざるものとす(160条,独207条)。旧民法その他仏法系の立法例はこの停止に関しては大いに不備なる点なきに非ずといえども今これにこれを論述するの必要を認めず(証126条,127条,仏2258条,2259条)。

 また仏法系の諸法典には権利の性質より生ずる停止の一場合として停止条件又は始期付権利に対する停止を規定すといえども(証125条,仏2257条)これ消滅時効がその進行を始むることを得ざる場合にして単純なる停止と見るべきものに非ざるなり(166条)。

      三 事変より生ずる停止

 天災その他避くべからざる事変の為に実際権利を行使すること能わざる者に対して時効完成するものと為すは酷に失し不当と謂わざるべからず。故に民法は時効の期間満了の時に当たり避くべからざる事実の為時効を中断すること能わざるときはその妨碍の止みたる時より2週間内は時効完成せざるものとせり(161条)。この停止の範囲に関しては立法例一様ならずといえどもその原因は一般に認むる所なり(証136条,独203条)。仏民法の如きは別段の規定を設けずしてこれを学説に委ねたり。惟うにこの停止の適用ある場合は例えば時効が将に完成せんとするに際し裁判上の請求を為さんとするも偶々管轄裁判所火災に罹りたる為裁判事務中止せられたるが如きその他洪水震災等に因りて権利を実行すること能わざる場合を謂うものとす。而してこれら外来の事由が果して時効を中断することを妨げたるや否やは事実問題に帰著すべし仮令その結果を生じたるものとするも通常一時の妨碍にして単純なる事実に過ぎざるが故にその防碍の止みたる時より2週間を経過するときは時効完成するものとしたるなり。

 以上民法に規定せる時効停止の各原因に付き注意を要する一事あり。即ちこれら停止の原因は何れも時効期間の終末に至りて存在するの必要なることこれなり。その理由はさきに述べたる如く特別の保護を要せざる限りは徒に時効期間を延長しこれが為にこの制度の効用を滅却せしむることを防がんと欲したるに在り。この点は仏法系の立法例と著しく相異なる所にして法制上1の改良と見ることを得べし。而してこれと同時に停止の原因終了したる後において尚一定の期間時効完成せざるものとせるは時効に罹るべき権利に付き調査を為すの必要あるが為にして法律の保護を現実ならしむる趣旨に外ならず。これが為度外に時効期間を延長する如きことなきはその完成を妨げる期間の短きに徴しても明らかなるものと謂うべし。

第2節 取得時効

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第1款 汎論
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 取得時効は権利取得の方法なり(162条,163条)。従来一般に消滅時効は請求権に対する抗弁方法と見たることさきに述べたる如しといえども取得時効はこれとその性質及び沿革を異にするものなること疑いを存せず。然りといえども仏国一般の学者は尚援用をもってその効力発生の要件と為すこと消滅時効と相異なることなし(プラニオル1巻1489節,1493節,ボードリー3巻1581節,1592節)。この点は我が民法と観念を異にする所なり。

 取得時効は前主の権利に基づくに非ずして法定の要件を充備するに因り独立に権利を取得する方法なるが故に原始的取得の部類に属するものとす(367頁以下参照)。例えば法定の期間所有の意思をもって他人の物を占有する者はその物に付き完全なる所有権を取得する如し。取得時効の制度はローマ古法の Usucapio(占有に因る所有権の取得時効)に起原するものなり。爾後ようやくに発達し所有権以外にもその適用を認むるに至れりといえども尚一般に占有を内容とする物権に限るものとすることはさきに述べたる如し。ただ仏法系の観念においては占有は当然権利の行使を包含するものと為すが故に所有権以外の権利といえども一般に取得時効の目的たることを得る結果と為るべし(財180条,仏2228条)。然りといえども債権の如きはその適用の範囲外なりとするは普通の見解なりとす(プラニオル1巻1392節,2巻630節ボードリー3巻1601節末項,カピタン325頁)。我が民法はこの点において従来の観念を踏襲せずして一切の財産権に付きその適用あるものと為せり(163条)。これけだし占有の目的たることを得ざる権利に付いては準占有を認め(205条)ひろく権利行使の事実を保護する主義を一貫せんと欲したるに由るなり。所謂財産権とは金銭的価格を有する権利の総称なること既に説明したる如し(128頁)。

 然りといえども財産権にして取得時効の目的と為ることを得ざるものあり。左に列挙する権利即ちこれなり。

(一)法律の規定に因るもの この部類に属する財産権は不継続又は不表現の地役権とす(283条)。けだしこの種の地役権は取得時効の要件たる権利の行使の継続又は公然たる性質を具えざれば

  なり(163条)。

(二)権利の性質に因るもの すべて従たる権利は主たる権利と独立して取得時効の目的たることを得ず。また占有権,留置権及び先取特権の如きもその性質上この時効の適用範囲に属せざること言

  うを俟たず。親族関係より生ずる財産権(例,扶養を受くる権)もまた占有の目的たることを得ざる身分に専属するものなるが故に時効に因りて取得することを得べき性質の権利に非ず。この他

  1回の行使に因りて消滅すべき権利(取消権,解除権,買戻権等)及び1回の給付を目的とする債権の如きもこれを除外すべきものとするを通説とす。

 取得時効は所有権を目的とするものを除く外一方に権利の取得あるもこれと同時に他の一方にその権利の消滅を来すものに非ず。例えば地上権又は地役権の取得は唯所有権の内容を減殺するに過ぎ

ず準占有に因りて債権を取得する場合においても如何なる権利の消滅をも来すことなきなり。故にこの点においては消滅時効と独立なる作用を為すものと解すべし。またこの両種の時効は大いにその

要件を異にする所あるが故に仮令我が民法における如く殆どその性質及び適用の範囲を同うするものと為すもなおその法規を分置することを便とせり。故にこれにもまた各別にこれを説明するの至当

なることを認むるなり。

第2款 取得時効の要件
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 民法は取得時効の要件を定むるに付き所有権の取得時効と所有権以外の財産権の取得時効とを区別せり。故に便宜上この区別に基づき両個の場合を説明せんとす。

    一 所有権の取得時効

 時効に因りて所有権を取得するには一定の期間ある条件を具えたる占有を為すことを要す(162条)。即ち占有及び期間の2原素を必要とするものなり。

(一)占有

 占有に関する一般法理の説明は次巻に譲り(2巻611頁以下)これには専ら所有権の取得時効に特別なる点を述ぶべし。この占有は左に掲ぐる2の要件を具備することを要す。

 (1)所有の意思をもってすること 所有の意思をもってすることは自己の所有物として占有することを謂う。例えば売買又は贈与に因りて取得したる所有権の目的物を占有する場合の如し。故に権原の性質上所有の意思なきものと認むべき占有者(地上権者,賃借人質権者等)は一定の方法に依りてその占有の性質を変したる後に非ざれば自己の為時効に因りて所有権を取得するこ   とを得ず(185条,2巻632頁以下,645頁以下)。

 (2)瑕疵なきこと 占有に瑕疵なきとは左の3性質を具備することを謂うものとす。

  (イ)継続的なること 占有の継続とは日常占有の行為を続行することを謂う。けだし占有にして継続せざるときは適当に権利の行使を表示するものと見るに足らず。従って時効の基礎と為る

    べき事実上の状態として法律上の保護を受くべき価値を有せざるなり。然りといえどもこれに所謂継続は寸時も間断なく物を掌握せざるべからざる意義には非ず。これ主として占有物の性 

    質に依りて決定すべき事実問題なり。この要件は第162条にこれを明記せずといえども「20年間(中略)占有する者」とあり。かつ第164条に占有の中断を規定するをもってその必

    要なることを知るべし。

   (ロ)平穏なること 平穏とは強暴に対する語にして暴行強迫に因りて取得又は保持する占有に非ざることを謂う。但し強暴の止みたる時より有効の占有と為るものとす普通の説に依れば強暴 

     の瑕疵は相対的にしてその被害者に非ざればこれを援用することを得ず。例えば占有者がある人より暴力をもって占有を奪われたる場合において他に真正の所有者あるときは現占有者の占 

     有はこれに対してはその瑕疵なきものと見るべし(プラニオル1巻891節)。

  (ハ)公然なること 公然とは隠秘に対する語にして占有の事実を知ることに付き利益を有する者に対して特にこれを秘することを為さざるを謂う。隠秘の瑕疵もまた相対的かつ限時的性質を

    有するものなることは一般に認むる所なり。

 右平穏かつ公然なることの2要件は占有の始めに具わるをもって足れりとせず。その以後といえども常に存在することを要す(162条1項)。但し占有の公然なるべきことに付いては異説なきに非ず。

 占有は上記の2要件を具備するものと推定す(186条1項)。故に占有者よりこれを証明することを要せず。ただ継続の要件に関しては占有の始時とその終時とを証明すべきなり(同条2項,2巻643頁)。

 取得時効に必要なる占有もまた一般の原則に従い代理人に依りてこれを為すことを得べきは言うを俟たず(181条)。故に権原の性質上所有の意思なきものとする占有者(185条)は所有権に関しては自己に占有を為さしめたる者の為に所謂代理占有(占有の代理)を為すものと解せざるべからず。例えば地上権者の如きはその地上権に関しては自己の為に占有するものなること論なしといえども所有権の取得時効に必要なる占有を為すものに非ざることは前に述べたる如し。故にその目的と為れる土地が地上権設定者の所有に属せりし場合において時効に因り所有権を取得すべき者は地上権設定者なること疑いを存せず(2巻634頁)。ドイツ民法に所謂間接の占有とは即ちこれなり(独868条以下)。この法理は後に代理占有の原則を論述するに当たりて判然すべし(同巻635頁以下)。

(二)期間

 取得時効の期間は占有者の善意にして過失なきと否とに依りて相異なる所あり。原則としては動産と不動産との間に差別なく20年をもって完成するものとす(162条1項)。外国の立法例は30年となすもの最も多く稀には40年と定めたるものもこれなきに非ず。我が民法は近世交通取引の頻繁と為りたることに考えこの場合に限らず一般に法律関係を確定すべき期間を短縮する主義を採りたるなり。

 この他不動産に関しては特に短期の取得時効を定めたり即ち10年間ある条件をもって他人の不動産を占有する者は時効に因りてその所有権を取得するものとす。その条件とは前段に説明したるものの外に占有者の(一)善意なること(二)過失なきことを謂うものなり。所謂善意とは他人の所有物なることを知らざるを謂う。また過失なきとはその事実を知らざるに付き普通人の為すべき注意を欠きたることなきを意義す。例えば登記簿を閲覧することを怠りたる如きは通常その過失あるものと見ることを得べし。この2要件は前に述べたる所有の意思,平穏及び公然の3要件と異なりて占有の始めに具わるをもって足れりとす(同条2項)。

 仏法系の立法例はこの特別時効の要件として善意の外に正権原を必要とせり(証140条,仏2265条)。所謂正権原とは売買又は贈与の如き占有取得の基因と為るべき法律事実を謂う。この観念はローマ法に起因し沿革上の根拠なきに非ずといえどもその基本源を追究するときは畢竟過失なきことを認むる1の標準たるに過ぎず。占有者に過失ありたると否とに依りて法律上の保護を1にせざることは了解し得べきも単に権原の有無に依りて法律上の結果を異にすることはその理由なきものとす。これ民法においてこの要件に代うるに過失なきことをもってせる所以なり。これに説明する短期時効の適用は不動産に限るものとす。その所以は他なし。動産に関してはその占有の始め善意にして過失なきときは即時にその動産上に行使する権利を取得するものと為す規定あるに由るなり(192条)。これ時効には非ずして占有の効力と見るべきものとす(626頁,682頁以下)。

 以上述べたる所有権の取得時効に関する規定はある格段なる点を除く外主として仏法系の制度を襲用したるものなり(証138条,140条,148条,仏2229条,2262条,2265条,2269条)。ドイツ民法はこれとその主義を異にし不動産に関しては登記をもって権利取得の要件と為すが故に占有と共に登記簿に所有権として記名しあるに非ざれば取得時効は完成することを得ざるものとせり(独900条)。また動産に関しては10年間善意にてこれを占有する場合に限り時効に因りて所有権を取得することを得るものと為し占有の始めに善意なるをもって足れりとせず。而して悪意の占有者は幾10年を経過するも取得時効の利益を受くることを得ざるなり(独937条)。これらの点は仏法系の立法例と根底において法制を異にするものと謂うべし。

    二 所有権に非ざる財産権の取得時効

 所有権以外の財産権といえども取得時効の目的たることを得。而してその財産権の範囲は既に論述したる如し(632頁,664頁以下)。この取得時効の要件は前段に説明したる所有権の取得時

効に付き定められたるものと殆ど相異なることなし。ただ所有権以外の権利は占有の目的たることを得ざるもの多きが故に準占有即ち自己の為にする意思をもって権利の行使を為すこと(205条)

に因りてその効力を生ずるものとす。故に20年間自己の為にする意思をもって平穏かつ公然に行使する者はその権利を取得するを原則とし尚その行使の始め善意にしてかつ過失なきときは10年を

経過するに因りて同一の効果を生ずるものとせり(163条)。

第3款 取得時効の中断
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 所有権の取得時効は前節第7款において説明したる一般中断の事由に因る外この種の時効に特別なる事由に因りて中断せらるることあり。占有又は自然の中断即ちこれなり。この中断は占有者が任意に占有を中止し又は他人の為にこれを奪われたるに因りて生ずるものとす(164条)。けだし占有は自己の為にする意思と所持の事実より成るものなるが故に(180条)この2要素の1を欠くにおいては占有の喪失(203条)と共に取得時効の中断を来すことと為るなり。例えば所有の意思をもって他人の物を占有する者がある人に対して爾後その者の為にこれを占有すべき旨を通知したる場合においては所有権の取得時効は中断せらるべし。占有物の所持を失いたる場合も同一にして畢竟事実問題に帰著す。但し他人より占有を奪われたる場合において占有者が1年内に占有回収の訴えを提起したるときは占有は中断せられざりしものとみなすべきなり(201条3項,203条但し書き)。

 仏法系においては占有の中断とその不継続とを区別し別種の要件を欠くものと為せり(証138条,仏2225条)。この1は占有の喪失を来す点において時効の問題に属するものとし他の1は単に占有の瑕疵と見たるものなるべし(プラニオル1巻882節,883節)。この見解は固より一理なきに非ずといえども実際上において両者すこしもその結果を異にする所なきが故に民法にはこの区別を採用せざりしなり(668頁)。

 占有の中断は法定の中断と相異なりて絶対的効力を生ず。即ちその効力は一切の利害関係人に及ぶものとす。これその中断は一定の人に対する行為の結果に非ずして何人に対しても同一なる外形上の事実に基づくものなればなり(148条,証107条)。

 上述せる占有の中断に関する規定は所有権以外の財産権に準用すべきものとす(165条)。これ既にその取得時効の要件に付き第162条を準用したると同一の趣旨に外ならざるなり。故にこの場合においてはその権利の準占有者が自己の為にこれを行使する意思を放棄し若しくはその行使の事実を中止したるとき又は他人よりこれを行使することを妨げられたるときは時効の中断を生ずるものとす。例えば地上を通過する水樋に依る引水地役権を行使し来りたる者がある事情の為にその工事を廃棄するに至りたる場合の如きこれなり。

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