死霊解脱物語聞書

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動


死霊解脱物語聞書上

かさねさいご之事

すぎにしくわんぶん十二ねんはるしもうさのくにおかだこほりはにふむらいふさと に。右衛門ときこゆるのうみんいつしきくと申むすめに。かさねと いへるせんぼ〔さきのはゝ〕しれうとりつき。ゐんぐわことはりあらわし。天下 のじん口におちて。ばんみんのみみをおどろかすこと侍りしか。 そのゆらいをくわしくたつぬるにかさねと云にふばうかほ かたちたぐひなきあくぢよにしてあまつさへ心ばへまでも。かだ ましきゑせもの也。しかるにおやのゆづりとしててんばく 少〻たくわへもつゆへに。与右衛門といふまづしおとこかれいゑに 入むこしてすみけり。あはなるかないやしきものゝとせいほと。はぢがましきことはなし。此女をまもりて一しやうおくらん 事。りんかの見る目ほういうのおもわく。あまりほひなき わざに思ひけるか。もとよりゐんぐわわきまふるほどのにし あらねば。なにとぞ此つまがいし。ことおんなをむかゑん とおもひきわめて。有日の事なるにふうふもろともはたけ に出て。かりまめと云物をぬく。ぬきおわつてしたゝめ からげ。の女におほくおふせ。其せうせおくれちかくなるまゝに。いゑぢをさしてかへる時。かさねがいふ やう。わらわがおひたるははなはだおもし。ちと取わけて もち給へとあれば。おとこのいわく今少しきぬがはへんまで。ゆけかしこよりわれかわりもつべしとあるゆへに。ぜひなくくるしげ ながらやうきぬへんにいたるとひとしく。なさけなくも 女を川中へつきこみ。男もつゞゐてとび入り。女のむ ないたをふまへ。くちへはみなぞこすなをおしこみまなこをつ つきのんどをしめ。たちまちせめころしてけり。すなはち がいを川にてあらひ。どうむらじやうどしうほうぞうじといふ ほだいしよひゆき。とんしとことはりどさうおわんかいみやうめうりんしんによしやうほ四年八月十一日と。たしかかのてらくわこちやうに見へたり。さてそのときどうむらの者共いちりやうはい。 累かさいごありさま。ひそかに是を見るといへども。 すがたかたちの見にくきのみならず。心ばへまで人にうとま るゝほど成ければ。にもことわりさこそあらめとのみ。いゝて。あながちに男をとがむるわざなかりけり

かさねおんれうきたつきくいりかわる事

それよりじやけんる与右衛門。心にあきはてたるさい を。思ひのまゝにしめころし。本より累がしんるいきやうだいな きものなれば。あととふわざもせず。れがしよたいでんぢとういつかうおうれうし。さてによばうつ事。だん六人也。まへの 五人は何れも子なくして死せり。だい六人の女房 に。むすめ一人いでき。其名を菊と云。此娘十三の年 八月中旬に其母もつゐしきよせり。さてしも有べき ならねば。其としくれ十二月に。金五郎と云むこを取。 此きくにあわせて。与右衛門が老のたつ木にせん とす。しかる所に菊が十四のはる。子の正月四日より。れいな らずわづらひ付く。其さまつねならぬきしよくなるが。 はたしてその正月廿三日にいたつて。たちまちゆかにたふれ 口よりあわをふき。りやうがんなみだをながしあら苦しやたえ がたや。是たすけよたれはなきかと。きさけびくつう ひつはくしてすでたへ入ぬ。時にちゝおつときもひやし おどろきさわひで。菊よよび返すに。ややありて。 いき出でまなこをいからかし。与右衛門をはたとにらみ。 ことばをいらでゝ云やう。おのれ我にちかづけ。かみこ ろさんぞといへり。父がいわくなんぢきくきやうらんするやと。 娘のいわく我は菊にあらずなんぢつまかさねなり。廿六年以前きぬかはにてよくも。我におもにをかけむ たひにせめころしけるぞや。其時やがてとりころさんと 思ひしかども。我さへちうやぢごくかしやくあひひま なきゆへに。じききたる事かなわず。然共我がおんねんむくふ所。はたしてなんぢがかわゆしと思ふつま。六人をとり ころす。その上我かずもうねんむしと成て。としころなんぢこうさくをはむゆへに。人のてんばくよりも不 さくする事今おもるやいなや。我今ぢごくの中 にして。すこしひまをうるゆへに。じきて菊がから だに入かわり。さいごぐけんをあらはし。まづかくのご とく。おのれをきぬ川にてせめころさん物をといゝ。 すでにつかみつかんとする時。父もおつとも大きにおどろき あとをもかへり見ず与右衛門はほうぞうじにげゆけば。むこおやもとはしかへり。ふるひわなゝひてかくれ たり。そのときしもりんかわかき男共。二十三まちせうし。一しよにあまたあつまけるが。此あらましをつたき。さもあれふしぎなる事かな。いざひて じきに見んとて。かなたこなたもよほすほどこそあれ。村 中の者共ことく与右衛門が所にあつまり。かのによしまも り見けるに。其のくるしみのありさま。いか成しゆがうけうくわんざい人も是にはまさらじと。くつうてんどうしてたへいること たび也。其時むらきくとよばわれは。しばらく有ていふやう。何事をのたまふぞや人〻。我はきくにてはなし 与右衛門がいにしへのつまかさねと申女なり。我すがたの見 にくき事をきらひて。なさけなくも此きぬかはおしひてくび りころせし。そのおんねんをはらさんためにたれり。今与衛門 ほうぞうじかくるぞ。いそひでかれをよびよせ。我 にあわせて此事をけつだんし。おのゐんぐわことはりをしん じ。わがるてんのくるしみを。たすけてたべ。あらくるしやう らめしやといふ時。村人の中に心さかしきもの有て いふやう。今のことばの次第。中菊が心より出たる ことばにはあらず。いか様おんねんれいきしよいと 聞えたり。しよせんかれのぞみにまかせて。与右衛門を引 あわせ。事のじつふをたゞさんとて。ほうざうしに行き ひそかに与右衛門をよび出し。かくとつぐればかの男 ちんじて云やう。それは中〻あとかたもなき。そらごとなり 此娘きやうらんせるか。はたまたきつねたぬきの付そひて。あらぬ 事を申すと聞へたり。よし其まゝにてすておき給へと。色 じたいするを。やうにこしらへつれ帰り。菊にあわ すれば。累がぞんじやうことばつかひにて。かみくだんのあらまし 一〻とゞこふらず云時。与右衛門そらうそふひて。かゝるきやうしん おのれが病にほうけ。ゆくゑもなきそらごとをつく り出て。父にちじよくをあたへんとす。ひらに人〻その まゝすて置たまひ。皆〻帰らせられよといへば。かさねがいわく。やれ与右衛門其方は此人〻の中にはその時の有 様を。つぶさるものなしと思ふて。かくあらそふかや おろかなり。此村にも我がさいごの様子をほゞしれる 人一兩人も有ぞとよ。又となりむらには。たしかに見とめたる じん。一人今にそんめいせられしものをと云時。村人問てい わく。それはたれ人そやと。かさねがいわくほうおんじむらの清 右衛門こそ。まさしく此事を見られたりといへば。さしもわうたう なる与右衛門も。すでしやう人を出されて。あらそふに所な く。なみだをながし手を合せ。ひらにわびたるばかり也 其時村の人〻。扨いかゞせんとひやうぎしけるがせんずる所 此かさねがうらみは。ひだうに彼をせつがいし。わづかも其 あとをとふ事なく。あまつさへかさねが田畑のしよとくにてほしいまゝさいをもふけ。ひとりならずふたりならずこりもやらで六人 まて。つまをかさねし悪人なれば。其とかひとはとがめざれ とも。ごふじゆくする所ありて。みづから是をあらはせり。不びん なる事なれば。与右衛門にほつしんさせ。かさねがぼだい をとわせんにはしかじとて。やがていはつの身となれ 共。道心いまだおこらざれば。くどくのしるべもなきやらん 菊がくつうはやまざりき

はにふむら名主年寄かさねれうたいもんどう之事

爰にたうむらの名主三郎左衛門。同としより庄右衛門といふ 二人の者としころないけでんに心をよせ。いとさかしきものども成が。ある日の事なるに。打寄ものかたりするやうは。今 度かさねがおんれうあらわれ。与右衛門がちじよくは。そのごふ。菊がくつうのふびん成に。いさともわびことし。怨 灵すかしなだめんとて。名主年寄をはじめとして。せう村中 の男共。与右衛門が家にあつまりけり。先名主あわふき出し 苦痛てんどうせるきくにむかいて問ていわく。なんぢ累がうらみ はひとへに与右衛門にあるべし。何ゆへぞかくのごとく。よこさま に菊をせむるや。其時菊がくるしみたちまちんて。 をきなをり答へていわくおゝせのごとく我与右衛門にとり 付。そくじにせめころさんはいとやすけれ共。かれをばさて 置。きくをなやますには色〻のしさい有。其故はまづ さし當て与右衛門に。切成かなしみをかけ。其上一生のち じよくをあたへ。是を以て我がおんねんを少しはらし。又各〻 に菊がくつうを見せて。あわれみの心をおこさせ。わらわ がぼだいをとわれんため。次にじやけん成もの共の。長き見 ごりにせんと思ひ。菊にとり付事かくのことしといへば。名主 また問ていわくに尤もなりしかるに汝が此間のもの かたりを聞ば。ぢごくにおちてちうやかしやくにあいしといふ すでに地獄のこつしゆ久しき事は。しやばせんまんねんつく べからす。何のいとまありてかわづかに廿六年目に。ならくを出て 爰に來るや。怨灵答ていわく。さればとよ我いまだ地獄 のごふことつきすといへども。少のひまをうかゝひ菊に取付は別なるしさいあり。をのりやうけんにあたはじといふ時。年寄 庄右衛門問ていわく。さては汝に尋ぬる事有り。惣じて一切 ぜんあくしゆじやうみなしからはぜん人はきたつて。ぜんしよかたり。六しんほういうくわんかいし。あく人は來て。あくしよ を知らせて其身のくげんのがれん事をねがふべし 何故ぞしするものもつともおほきに。來る人はなはだまれなるや。又 いかなれば汝一人爰に來て。今のことはりをのぶるぞや おんれうこたへていわく。よくこそとはれたれ此事を。それ 善人悪人おんじうしつたい有て。死する者多しといへ共。 來てつぐる人すくなき事は。是皆くわこ善悪のごふけつ でうして。にんうんみらいほうおうくわかんきわむる故 爰にる事能わざる。あるひはしゆくせにおゐて こゝに帰りげんと思ふ。ふかねがひのなきゆへか。又は さいごの一ねんに。つよくしうしんをとめざるにもやあらん 人の事はしばらくおく。我は㝡後のおんねんよつ て來りたりといへば。名主年よりをはじめ。村人何も 尤とかんじ。さてはおんれうたいさんきたうを頼んとて。 當村のきねんしやよびよせ。にんわうほつけしんぎやうなんど どくじゆする時。怨灵がいわくやみなんよむべからず たといくへんこうつむ共。我にゑんなしうかぶべからず。只 ねんふつをとなへて。あたへたまへとあれば。其時名主 問ていわく。じゆきやうと念佛と。何のかわり有てかくはいふぞと。おんれうこたへていわく。されば念佛六字のうちには 一さいきやうくわんくとくふくめるゆへに。ばんきとくだつりやく 有と。名主又とふていわく。しからば汝すでにむじやうみやうがうの功徳をよくれり。なんぞみづから是をとな へてばつくじゆらくせざるやと。おんれうこたへていわく。おろか なりとよ名主殿。ざい人みづから念佛せば。ぢごくぎやくくを身にうけて。こつしゆをふるばかもの。一人もあ らんや。しかるにだごくしゆじやうもさかんにしてじゆくこふも久しき事は。あるいひは念佛のりやくみづからよく しるといへ共。あくごふのくるをしにひかれて。是をとなふる事 かなわず。あるひはしやうにかつてゑんなきゆへに。是を 聞かずしらざるたぐひのみおゝし。我すでに念佛の やくをよくしるといへ共。ざいしやうのおゝふところ。みづから となふる事かなわず。猶此ことばのうたがわしくは。おの ぶんをかへりみて。よくとくしんしたまへかし。さればこのごろねんぶつくわんげひろくして。じやうどのめでたき事をうらやみ ぢごくのすさまじさをよくおそるゝといへ共。つとめや すき。ごくらくわうじやうの念佛をば。けだいして。せつしやうちう たうじやゐんとうぢごくごふとさへいへば。のつかるゝ をもおぼへず。ゆんでをおそれめ手をはゞかり。心を つくしてこれをはげむに。あるいひはおやきやうだい けんをももちひす。あるひは人の見てあざけるをもかへりず。ないしざいごふのかずそうじやうして。つひにその あらため所にひきいだされ。とがきやうじうめいはくけつだんせら れて。只今ざんざいはつつけのひきすへられてもなほ 念佛する事かなわざる。ぢごくしゆじやういんぐわのほど。 よくわきまへたまひて。あわれみてたべ人〻よと。其 もなみだをうかべながら。いとねんころにぞこたへける。 其時名主をはじめあつまたるものともいくどうおんに かんじあひ。みなそでをぬらしけり。さて名主がいふ やう。しからば念佛をこうぎやうしてなんぢぼだいとぶらふ べし。うらみをのこさず。菊がくげんをやめよといへば。おん れうがいわく。我だにじやうぶつせば。何のいこんかさらにのこらん 只いそひで念佛をこうぎやうしたまへとあるゆへに。村人 すなはちそうだんし正月廿六日のばんぼたい所ほうぞうじしやうだいし。らうそく一ちやうのたつをかぎりに。念佛を ごんぎやうすゑかうの時にいたつて。かさねおんれうたちま ちさり。本のきくと成ければ。ほうぞうじをはじめ。名 主としよりあんどして。其上にむらぢうのこゝろざしを あつめ。一はんときおこなみなしんくわんぎして 各〻我が屋にかへればきくきしよくやう本ぶくす

きくほんぶくしてめいどものかたりの事

今度ふしぎ成事ありて。与右衛門がむすめのきく。かさねと 云ものゝばうこんにさそはれ。ぢごくごくらく見しなどいふに。いざひて聞べしと。村中の男女あつまり。いろの物語 する中に。まづある人といていわく。菊よ此比かさねにさそ われて。いづくにかきし。又其かさねといふものゝすがたは。 いかやうにか有しといへば。菊こたへていわく。されば累と云 女は。まづいろくろくかたくされ。はなはひしげ。くちの はゞ大きに。すべてかほうちにはもがさのあと。所せき までひきつり。手もかゞまり。あしもかたみぢかにして にたぐひなくおそろしきらうば成しが。折〻ゆめうつゝきたり。我をさそひ行んとせしか共。あまりおそろ しくて。いろわびことしたる所に。有時又きたつて 是非をいわせず。つゐに我をひぢさげはしり ゆきしが。かたなの木かやのしげりたる山のふもとに 我をておき。其はいづ地ともなくきへうせぬ といへば。又有人とふていわく。それはまさしくけんざんぢごくとやらん にてあるべし。いかなる人やのぼりつらんといへば。菊こたへて いわくさればとよ。おとこ女はいかほどゝいふかずかぎりな き其中に。たまほうしなども。うちまじりて見ゆめ るが。ある女のうつくしく。やさしげなるかほつきし。いろ よき小そでをうちはをり。少したにおをへだてたる むかひのかたの山ぞわにて。うちわさしかざし。ゑもしれぬ 事をいふてまねく時。おいたるわかきおのこどもあるひは 法師まじりに。心もうかしく。そらになりて。我さきにはしりき。の女にちかづかんとあらそひゆくに。はやしきりかぶ さながらつるぎにてあしをつんざき。あるひはゆん の。かやのにさわれば。はだへをやぶり。しゝむらをけづる またそらよりはかぜのそよふくに。つるぎはたへずおち かゝつて。かふべをくだきなづきをとをすゆへ。ごたいよりながす事いづみのわき出るごとく。みちきくさし ほにそみ。谷のながれもそのまゝ。あかねをひたせるに 同じ。かくからくしてやふ行付くと見れば。あらぬ野 山の刀のこずゑにうそぶき。さきのごとく。人をまね きたぶらかす。かやうにおとこは女にばかされ。おふなはおの こにたぶらかされてたがひにやいばにかけ。かばねに 血をそゝくを見れば。かはゆくもあり又おかしくも有し といへば。又とふていわく。さて其つるぎやいばは。なんぢには たゝざるや。そのほかには何事か有しといへば。菊こたへて いわくさればにやかのつるぎ。我にかつてあたらず。し げれる中をわけて行くに。道のかやも外になびき そらよりふるやいばも。我が身にはかゝらず。すべていかなる 故やらん。おそろしき事すこしもなかりき。さて其山を すぎて。びやうたるのばらけば。向にあたつてけつかう 成。門がまへのいゑあり。ばんしゆとおぼしき人よきいしやうに て。あまたられしにちかづき。事のやうをたづねければ ここごくらくとうもんおほせられし。ゆかしさのまゝ。さしのぞきながめやれば。内よりそうの有が出て我が手を取て ひき入れ。所をことわけていゝきかせ給ひしが中〻けつ かうきれいなる事かたらんとするにことばをしらず 先には白かねこがねなどのすないさごをしきみて。ところ には。いろにひかるたまなどにて。かきをしわたし。さて 其あいに。さまのうへ木くさはな。うねなみよくうへそ ろへ。花も有このみも有あをばも有もみぢもあり。つぎ ほにつぎをかさね。ゑもいわぬにほひかうばしきうへき どもいくらと云数かぎりなし。さて其つぎには。たからのたま にてつつみづいたるいけの中に。はすの花のいろよく。赤く白く 青くきいろに。まんさきみだれたる花のうへに。はだへも すきとをりたる人のあそびたわむれられしなど。おもしろ くうら山しく。我ももろ共にあそびたくこそ思ひけめ さて其次には。大き成いへの門に入て見れば。ぐきやうじぶつてんなどよりも中すぐれたるかまへにて。げさ黄 衣をめされたる御そうたちの。いくらともなくなみゐたまへる に。とりに名もしらぬかざり物共をならべたて。あるひぶつじさせんなどやうの所もあり。あるいひはだんぎ ほうゑのていに見へたる所もあり。あるひはにとうと げなる僧達のおゝくあつまて。なにとも物をいわでも くとして居られしさしきも有。あるひはかねたいこふへしやく 八や。其外いろなり物共。ひやうしをそろへてひあそばるゝ座敷も有。此外いく間も有しかどもここにてたと ふる物なきゆへに。つぶさにはかたられず。さてまたそら よりいろの花ふるゆへに。是はと思ひ見あげたれば とうとやらんでんとやらん。光りかゝやく屋作りの。くもの ごとくにたちならぶ。其間〻のきれとには。いろどりなせる かけはしを。かなたこなたへ引はへて。其上をわたる人〻 の。かず袖をつらねて。行通ふ有様。あぶなげも なきていたらく月日よりもあきらかに。つらなるほしのご とくにて。かきりなきそらけしきなにともことばには のべられず。かやうにいつとなくこゝかしこを。見めぐれとも よるひるよいあかつきしやへつもなくあめかぜらいでんのさたも せず。惣して何に付てもせわしき事なく世にたぐひ なきゆたか成所にて。有しかとぞかたりける。又とふてい わくそのごくらくにては。なにをかてにはしけるぞやと。きく こたへていわくうへきに成たるだんすのやう成ものを。あたへ られしまゝ。たべたりと。又とふていわくそのあぢはひはいか様に か有しと。きくこたえへていわく。こゝにてくらはぬ物なれば 何ともことばにはかたられぬが。今に其きみは口のうちに のこりたりまことにたくさんに有しものを。いくらもひろひ て。たれにも一つあて成共。とらせんものをとわきまへも なくかたりけり。其中にさかしきものの有ていふやうは 誠にごくらくの事は。あみだによらいいんゐのむかし。大しんしつちえより。むりやうしやうふしぎけうたくあらわせる御事なれば。いかでなんぢが語りもつくさん。さて此方 へはなにとしてかへりけるぞとといければ。菊答へていわく。されさきの一人の御そう。我に仰せらるゝは。汝はいまだこゝへ 來るものにはあらねども。ことなるゆへ有てかりに此所へ きたれり。今よりしやばに帰りなば。名をめうはんひてうをとりくらはで。よく念佛申しかさねてこゝに よ。此外あまたおもしろき所どもを見せなんぞ。かまへ て本のざいしよに行き。こゝの事めたと人にかたるなとて じゆず一れんと錢百文とをくれられ。門のそとへおくり出 されし時。かのかさね此たびは引かへ。うつくしきすがたとなり 色よき小袖をきて。我に向ひ。かすに礼をのべて云やう わらわがかほどのくらゐに成事。ひとへになんぢがとくによれり 今は汝を本のざいしよかへすなり。是よりさきは ごくだうにして。におそろしき道すがらぞ。かまへてわ きひらを見るな。物をいふ事なかれ。そこをすぐれば。白き 道有。それまでは我おくるぞとて。あたりを見れば たぐひなくけつかう成しやうぞくしたる人。六人有が。おきやうかた ひらをうりてられしを一かいとり。是をかさねが我 身に打はをり。そのわきに我をかいこみ。かならず目 をふたぎ。いきをもあらくなせそといふて。あしばやに 過る時わらわが思ふやう。いか成事やらん見てまし物をとそでの内よりかいまみてければ。さてもすさましや。有所 には人をたはらに入れ。よくくびり置き。つらばかりを 出させ。はゞひろく。さきとがりもろはのついたる。のな がき刀にて。づふとつらぬけば。けふりたつとひと しく。わつとなきさけぶこゑみみそこに通りて。今に そのこゑあるやうにおぼへたり。又有所には。人をあまた くろがねのうすに入れて。かみひげもそらさまにはへの ぼり。うしのつらのごとく成ものどもが。大ぜいあつまり くろがねのきねにて。ゑいこゑ出してつきはたけば。多く のからだ。てあしたいもみぢんに成むきこのごとくに成 を。くろかねのにうつし。何か一口ものをいふてけれ ば。そくじに本の人となり。なみたをながして居るも有。又有所 を見れば。大き成いけの中に。くろがねのの。くら とわきかへりたる兩方の山の岩のはなに。なわを引 わたし。人のせなかにすりぬかだはらほど成石をせおわせ。 其外つゞらわんひつふくろにおけたぐひまで。つむり にさゝへかたにかけさせ彼のなわのうへを。いくらもおひ わたせば。よろめきながらやう中ば過るまでわたる かとみれば。ぼたりと。池の中におつるとひとしく。白く されたるかうべ。つがひばなれたる。しらぼねばかりわきかへり みぎわによるをまたおそろしきもの共が。てつのぼうを以て 彼ほね共をかきあつめ。何とかいふて一うち二うちうてばそのまゝもとのすかたとなり。なきさけんでるも有。その 外いろせめともを見侍りしが。思ひいづるも心うく。か たればむねもふさがりて。さのみはことばにのべられず。され ども世にもけうとき責めの。かず多き其中にを かしくもあり。又いとおしくもありしは。あるそうの左右のあし にかねのくさりをからげつけ。門ばしらのかさ木に引はた けてつなぎき。さかさまにぶらめかし。彼わきかへるねつ てつを。のながき口のあるひしやくにて。こうもんよりつき こめば。はらの中ににへとをりて。へそのまわりむね のどくちはなみゝ。てへんより。くろがねのの。ふりと わき出る時かのそうこゑをあげて。あらあつやたへがたや かゝる事の有べしと。かねて佛のときおかれしを知ながら。 つくりしつみのくやしさよと。さけぶ声とひとしく。く されごものおつるやうに。ほねふしつぎめ皆はな れて。めそにおちつき。なをもへあがる有様。いとふ しかりし事共なりと。なみだぐみてぞかたりける。ききゐたるもの とももともなみだをながしけり。さてぢごくかいだうことゆきすぎ。やくそくのごとく白きみちに出たる時かさね我をわき よりかい出し。是よりひとりゆけといゝてうせるが。いつしか われは爰にふせり居たるに。人ゞ大勢あつまり。念佛 ゑかうしたまひて。やれおんれうはさりたるぞとて。たち さわがれし時成とぞ。思ひ出しる日もよりあいて。只此事のみにて有しか。いとめつらしき事共也 さてもこのたびきくぢごくごくらくの物かたり。かれこれをとい きわめらるれば。あるひはしやうどゑしやうにほう。五めうけうがいけらくとう。あるひはぢごくきかいうじやう。三あくくわけう げんとう。其をしらず。その事をわきまへずといへども。あるひ はなれしむらさとうつわによそへ。あるひはちかじゐんかざりにたぐゑて。しどろもどろにかたりしをつたへ聞ばみな きやうろんしつせつかなゑりとぞ。誠成かないんぐわ必然の ことはおそるべししんすべしぶつしゆゑんよりしやうすとあれば。 此きゝかぎあわれはいあくしゆぜんのいんゑん共ならんかしと しやもんじゆくの所に至ては。ゑしんせんどくわうしやうようしうこゝろを少〻書くわへて。筆者〔某申殘壽〕ざいせうさんげのため彼の 菊が見し所のそうかしやくに因んてやそうが身に取 て。はかいむざんふじやうせつほふこじゆしんせはういつじやけん の當果をのぶるゆへ恐〻名をしるすものなり。あをぎ ねがわくは此ものがたり一覧の人〻。かのだごくそうごふゐん いかにとならば。まつたく是他の事にあらず。ひつしやざいくわなりけんしゆしたまひてせうぐ大悲のはうへんほつせかならずあい まつものなり。

かさねれいこんさいらいしてきくとりつく

ころ累がおんれうあらはれ。いんぐわことはりをしめし。与右衛門 か恥辱ならびにむらぢうのさわぎなりし所に。ほどなくりきほんぐわんせうみやうゑかうによつてばうこんすみやかにさり人〻 あんどおもひをなすのみぎり又あくる二月廿六日のそうてう より。かのれうきたつて菊にとりつきせめる事前のごとし時に ちゝおつとも大きにさわぎ。そうなぬし年寄にかくと告 れは。兩人おどろきすなはち彼かいゑに來て三郎左衛門 とふていわく。なんぢかさねがおんれうなるが。すでに其方が のぞみにまかせぼだいしよぢうぢせうし。其外ぢげぢう 打寄念佛をつとめ其上そうむらのあわれみを以て五錢 三錢のこゝろさしをあわせ。一飯のときそうほどこし。ぢうく ばつさいとんじやうぼだいのゑかうすでにおわつせうれうとくだつ するゆへに菊まさに本ぶくせり。今何のしさい有てか めうりんここきたらんや。おそらくは累がれいこんにあらし きつねたぬきそい成るべしとあらゝかにいへば菊がくつうた ちまち止むで。おきなをりいふやう。いかに名主との。此間の 念佛こうきやうときせんごん。村中のこゝろさし。慥に請取悦ひ 入て候さりながら。ぶつくわはいまだ成せず。その上一つ の望有て來る事かくのごとしといへば。としより問て いわく。汝まことのかさねならば。心をしづめてよく聞け。それぐわんせうみやうは。一念十念のくどくによつて。いかなる 三じうしやうの女人もすみやかに成仏し。其他八ぎやくほう むけんだごくの衆生も。かならず往生すと。ちしやがくせうたちくわんけにもたしかに聞傳へたり。しかるに先日一てうぎりの念佛は。村中こぞついくどうおんに称名する事。幾千 万といふその数を知らす。しかしなから是汝がためにゑかうす 此上に何の不足有てかふたゝび來て菊をなやま さん。但し一つのねがひ有て來れりといふ。すてに成佛 とくたつの所におゐて。しやばの願ひ有べしとも覚ず よくことわりをわきまへてすみやかに去れといへば。かさね こたへていわく庄右衛門殿今のけうけ。近比うけたまはり 事かんしんせられ候去ながら。先日きくにもことわるご とく。我地獄のくるしみをのかれ。くらゐをすこしのぼる 事。各〻念佛のとくによるゆへなり。しかれどもしやうぶつ のいまだしき事は。よく案じても見たまへよもくれんしんそくなりつだうげん。其他六通無碍のせうじやたち。直 に來り直に見てすくひたまふすら。まぬかれがたきは だごくざい人なり。しかる所に念佛のくとくは能〻 じんみめうなればこそ各〻ごとき三どくぐそくほんぶたち の廻向しんによつて。我すでちごくせめのがれ。少しくらいを すゝむ事を得たりき。さて又望みといふはべちぎにあらず 我がためにせきぶつ一たいこんりうして得させたまといへば 名主がいわく。るてんをいとひしゆつりねがふて。念仏を乞 もとむるはそのだうり至極せり。今せきぶつの望みいさゝか 以て心得られず。但し念佛の功徳より。石佛のりやく すぐれたるゆへに。かくは願ふかとたつぬれば。かさねがいわくおろかにもとわせ給ふものかな。たとひ百千のきりうとう ざうも。もしくどくせんじんを論ぜば。なんそ一ねんせうみやうに 及ばんや。しかるに今石仏をこいもとむるにはいろ さい有。先一つにはむらぢうの人〻ちうやを分たず。我を かいほうし。そのうへだいねんぶつこうぎやうして我にあたへたまふ ほうをんのため二にはわうらいゑんきんだうぞくたうむらきたり 彼の石佛をはいけんして。いんぐわの道理を信し。せうみやう さんげせば。是すなわちながけちゑんりやくおもふ。三に はかゝるしゆぜんいんゑんにより。廣く念佛の功徳を受 て。すみやかにじやうぶつとくだつせん事をねかふゆへにふたゝび 爰に來れりといへば。名主又問ていわく。のちの二は さもあらんか。はじめの一につゐて。大きにふしんありおよおんほうずといふは。おやおんこくしゆおんしうおんしゆじやうおん これみなほうすべきぢうおんなり。しかるになんぢ來てきくをせむ れば。おやの与右衛門はなはだもつてめいわくす。さてこそきくはだいふかうも のよこれはこれ汝があたふる不孝なればおやほうおんにそむ けり次にこくしゆの恩にそむく事は。一たがやさざればそのくにけ。一おらざればそのくにかんうくる。さればたみ一人にても きかんうれひかうむる事。尤こくしゆのいたむ所也しかるに 汝菊をなやますゆへに。村中の男女はうせき〔うみつむく〕のいとな みをわすれ。かしよく〔うへかる〕のはたらきをとゞめて。ちうや此事 に隙をついやす。あにきかんのもとひにあらずや。さあらば国主のおんにそむかん事ひつせり。又衆生のおんにそむ く事は。汝來て菊をせむる故に。我〻すでくらうす かくのごとく。人にをかくるを以て。しゆじやうおんほうず とせんや。上みくだんの三おん正にそむけり。汝もし主人あらば 不ちうならん事うたかひなし。さては何を以てか。ほうをんのしる べとせん。此だうりきゝわけあらぬねがひをふりすて。たゞすじごくらくへ参らんと思ひ。すみやかにこゝをはなれよとぞ おしへける。かさねにつこと打わらひて云様は。誠にそなた は。たざいしよの人なれども。おさなきよりきようなる仁と 聞及び。しうとめ御せんのこいむこになり。たうむらの名 主をもたるゝかいありて。只今一〻の御きやうけまことに 以てきくことなり。去ながらそのだうりおもむく所。たゞたうせんせうりをとつてゆうをんくわうばくなる。じんめうくどくの大ほうをんを かつて以てわきまへたまわず。我が報恩のしよそんを。よく聞 せられて。そうせきぶつて。其上に念佛くやうをと げられ。我にたむけたまへ。其故は若此石仏じやうじゆして 我ねがひのかなふならば。菊はもうぼかうをたて。其ゑん にもよほされ。与右衛門がごせをもたすくならば。これ しんじつの報恩なるべし。さてたうむらの人〻此しるしを見 るごとに。我事を思ひ出し。一へんの念仏をも。と なへたまふものならば。みづから大を得たまふべし その上此石佛のあらんかぎりは。當村のしゝそん是ぞいんぐわをあらはすせうこよと見る時は。与右衛門ごとき のあく人も。一念其心をあらため。善心におもむかば。いちねんほつ ぼだいしんせうおざうりうひやくせんとうあにこれてんかてうほうなら ずや。しからばこくしゆだいほうおんこれすぎたる事あらし。さは いへどかゝるくわうだいむへんなる。ぶつほうじんいは。おのこときの せうちせうけんにては。きひても中〻其ことはりしんする事あたわじ さあらばたち帰てたうぜんを見よ。すでに此かさね おやのゆづりを得て。もち來るでんばくこくめあり。此たはたは 村中一ばんの上田なりし所に。与右衛門一念のあく心によつ て。われをがいせし故。先度も云ことく廿六年このかたさく して。いま朝夕をおくるにまづしく。よかん甚しきはるの 空に。只一人なるむすめのわづらふにすら。くされかたびら一 のていたらく。是見たまへ一ねんあくしんにて。ながくきかん のうれひをかふむるにあらずや。さて又きくふかうつみ をあたふると云事。是なを与右衛門がじごふじとくのむくひ なれば。あながち菊がふかうにあらず。そのうへ与右衛門が たうらいのおもきこふを。今此げんぜをうけて。少も つくなふものならは。てんぢうきやうじゆのいわれゆへ。菊はかへつ て親のをすくふかうなるべし。又おの そんのためをおぼしめさば。たうぶんくろうをかへり見ず。は や我がねがひにまかせ。せきぶつをたてゝたび候へといゝ ければ。庄右衛門がいふやうは。汝がいふ所のだうりことば至極に聞ゆれ共。ねがふ所はかなひがたき望也。およそ りうとうざうじぜんしゆするには。さうおうざいさんなく てはじやうじゆせず。与右衛門がいゑまづしくしてせうぶんのたく わへなき事は。汝が知て今いふ所也。此上は名主殿の げちを以て。さいぜんのとをり村中のこらず。五せん十錢の さしつらぬきをなさるゝとも。人のこゝろざしふどうにしてある るひはおしみあるひははらたち。あるひはめいわくに思ふもの あらば。是しやうの善にあらず。しからば汝が遠きおもんはかり も。おそらくは相違せんか。只おなじくはまづはやくじやうふつ して。一切まんぞくくらゐを得。思ひのままにほうをんし心に まかせて人をもみちびけ。じせうもいまたらちあかて。い われざるほうおんけたくわんもう。せんなし。といひけれ ば。おんれうこたへていわく。其事よ庄右衛門どのじせうとく だつのためにこそ。かゝるけたねがひもすれ。且又ひんじや のかなわぬ望とは。心得られぬ仰かな。与右衛門こそひん じやなれ。かさねは正しく七石目のてんばくありこれをしろ かへ。石佛りやうになしてたべといふ時。庄右衛門いきをもつが せずさてこそよかさねどの。ほうおんしやとくはちがひた り。汝すでぢごくをのがれ出てくらゐぞうしんする事。ひと へにきくおんならずや。しからばきくをたすけおき。衣食 をあたへめぐむならば。ほうおんともいゝつべし。その上でんばく しざいは本より天地の物にして。さだまれる主なし。時にしたがつてかりに付ける我物なれば。汝がそんしやうの時 はなんぢが物。今は菊が物なり。しかるにこれをこきやくして 汝が用所につかはん事。是にすぎたるわうだうなし。かたはらい たき望み事やと。あざわらつてぞきやうけしける。其時おん れうきしよくかわつて。あゝ六ヶ敷のりくつあらそひや。なにとも いへわがねがひのかなわぬ内は。こらへはせぬぞと云こゑした よりも。あわふき出し目を見はり。手あしをもがき。五た いをせめ。もんぜつてんどうの有さまは。すさまじかりける 第なり。時に名主見るに忍びず。しばらくくつうを やめよ。なんぢが望にまかせ。石佛をたてゝたふべし。此間 みつかいどうに。石佛のによいりんそう。二尺あまりと見えたるが 其りやうをたづぬるに。金子弐分とかやこたへたり。かほどなる にてもかんにんするやととひければ。かさねこたへていふやう。 大小に望みなし。只はやく立て得させたまへと云時。じやうつかひ を呼寄せ。直に累が見る所にて。くだんせきたうをあつらへおわつ て。さては汝が望みたりぬ。すみやかにされといへば。れいこんがいわく 石佛は外の望み。我かほんいねんぶつくどくをうけて 成仏せんと思ふなり。急ぎ念佛を興行し。我をごく らくへ送りたまへ。さなくはいづくへも行所なしといゝおわつて もとのごとくせめければ。名主年寄そうだんして此上は 村中へふれまわし。一念佛かうぎやうして。大せいの男女いく どうおんに。しんじつにゑかうして。かさねがぼたいをとむらはんといふ時。一同に云けるは名主としよりへ申す。こよい村中打寄 一夜の大念佛を興行し。かさねにたむけたまはゞ。かれが 成佛。うたがひなし。しかるにかのもの廿六年るてんして。めい の事をよくしつつらんなれば。我〻が親兄弟の死果 しやうしよをも。たつねきゝたく侍るとあれば名主聞てよくこ そいゝたれ此事。我等も聞度候へば。今日はもはや日も くれぬ。明日早〻寄合んとおのやくだくきわめ。みな我が屋 にそかへりける

はにふむらの者ともおやきやうだいごしやうをたつぬる事

さるほどに二月廿七日。ひがんの入にあたりたるたつの上刻より 村中の男女とも。与右衛門が家にじうまんし。四方のかこひを 引はらひ。見物すもうののことく。ぜんこ左右に打こぞり ばうこんしやうじよをたづねんと。一〻次第のもんとうは。ぜんだいみもん の珍事なり。其時名主三郎左衛門すゝみ出て。あわふきたる 菊にむかひ。かさねとよばわれば。きくくつうたちま ちしづまり。きなをりひざまついてぞ居たりける。さて 名主のいふやうは。今日村中あつまる事へちきにあらず さくばんやくそくの通り。今夕一べちしの念佛を興行 し。すみやかに汝をうかべん。しかるに廿六年このかた。當村の 男女共。めいどにおもむくあまたあり。だんにたつぬべし くわしくかたりて聞せよといへば。れいこんこたへていわく。地獄道 も数おゝく。そのほかしやうの九かいへんなれば。おもむしゆじやうむりやうなり。何そ是をことく存じ申さんや。しかれとも 同国同所のよしみなるか。當村の人〻あらましはおぼへ たり。なを其中に知らぬもあらんかといえは。名主がいわ く本より知らぬ人は其分。知りたるばかり答へよ。まづ それがしが。しうとふうふの人はいかにとたづぬれは。かさね こたへていわく。かまへてはらばしたゝせたまふな御兩人ながら かやうとがにて。そこぢごくにおわすと云。次に年寄 問へば此りやうしんもそのとがこのとがゆへかなたこなたの ごくと答ふ次にとへば是も地獄又とへばそれも地獄と かくのごとく大方地獄〻〻と答る中に。ある若き男はらを 立て。おのれいつわりをたくみ出し。人〻の親を。みなぢごく のざい人といふて。子共のつらをよごす事きくわいなり。よし みなはともかくもあれ。我が親におゐては。かくれな き善人なり。かならずだごくでうならば。其とがを出す へし。せうこもなきそらごとをいわば。おのれせうれう 口ひつさくぞといかりける。かさねがこたへていわく。まづ しづまりたまへさるほどに。けさよりはらばし立なとことわり おく。されば汝が親にかきらず。ぢごくへおつるほどの者。つみ の證拠たゞしからぬはなきぞとよ。取分てさいぜんより。我 こたふる所の。ざいたちのつみとが。みなことめいはくに。此座 中にもる人有て。たがひにそれぞとうちうなづく。本より 汝がちゝにも。正しきつみの證拠あり。その人この人よく是をしれりとて。とがのしないゝあらはす時。さてはさにこそ とて引しりぞくもあり。惣じてこの日。かさねこたふだごくの者 ざいしやうのしな。其に有し人を。せうにんにとりて。地 獄の住所。じゆくの数〻。あきらかに是をかたるといへ ども。しうじつのもんどうなれば。つぶさに覚へたる人なし。此外せう かたりつたふる事ありしかども。たゞその中にごくぜんごくあくの二人を 出して。はことく是をりやくす。さてある若き者出て ひける時かさねひしといきつまり。汝がおやは知らずといへ ば。かのものいとはらだちて云やう。口おしき事かな。これほど 村中の人〻。みな親の生所をとへば。其せめの有さま まで。今見るやうに答ふる所に。我か父一人しらぬ事や はあるべき。いんきよかんきよの身となりて。久しく地下へも まじわらず。人かずならでおわりしを。あなどりかくいふと覚 へたり。村中一どうのせんさくに。ひいきへんばはさせぬぞよ ぜひ我が親のぢごくをば。聞ぬかぎりはゆるさぬぞと まなこにかどをたてひぢをはりてぞいかりける。かさ ね聞て。おかしきものゝいひやうかな。人はみなさだまつて 地ごくへはかりゆくものにあらず。いろのゆき所あり 汝が父はよそへこそゆきつらめ。地ごくの中にはらぬ と云に。かの男いまだはらをすへかねてたとへいづくにてもあれ かし。かほどおゝき人〻の。おやの生所をしる中に。それがし 一人聞ずしてあるべきか。ぜひかたれとつめかけたり。其時かさねしばしあんして云やう。汝が父は大かた。ごくらくにる べし。其ゆへは其方が親のしにたる年月と。其にちげんをかん かふるに。今日ごくらくまいりあるといふて。ぢごく中にみち たる。當村の罪人ども。ちうやのかしやくを。一日一夜 ゆるされたりといふにき。後にそのものゝ事をたづぬれば。 念佛杢之介と聞へて。昼夜わらなわをよりながら。念仏 をひやうしとして。年たけゐんきよのとなりては。あさごとの 送りぜんを。なかばさきけちやわんに入れおき。たくはつ のしやもんにほどこすを。久しき行とし。念佛さうぞくにて おはりたりとぞ聞へける。さてまたとしより庄右衛門問てい わく。汝今朝よりこのかた。答る所のさい人ともあくきやう ぢうぢこくの在所。そのせめの品〻までかくあきらかにしる 事は。ことく其所へき。其人のありさまをじきに見 ていへるかと聞きければ。かさねこたへていわく。いなとよさに はあらず。我がすみかは地ごくの入口。とうくわつといふ所に 在し故だごくざい人をことく見聞するなり。その ゆへはまづはじめてぢごくへおつるものをは。火のくるまのせ て。おつるごくの名をかきしるしたるはたをさゝせ。ごづめ あたりをはらひ。かうじやうによばわり。つれ行おとを聞ば あるひは此ざいいかなる国のなにがしといふもの。かやう とがにより。只今こくしやうぢこく。あるひはしゆがう ごく。あるひはせうねつぢごくなどゝ。いちことわりゆくゆへに。すべて八大ぢごくへおちるもの。みな我がとう くわつにてけんもんすれどもにち〻引もきらずとをる 事なれば。百ぶんが一つもおぼゆる事あたはず。しかれどもおなさとすみし。なじみにて有やらん。とうむらざい人。大かたはおぼへ たり。又かしやくのしなは。たがひにうさをかたりあひ。或は あぼうらせつども。人をさいなむことばのはしにて。おのづから 聞しりたりといふとき。又あるものとふていわく。我がちゝは 十六年以前なんくわついくかせしと。いゝもきらせずそれは むけんとこたへたり。とふものせきめんして。なんぢ我がおやの人にす ぐれてあたるつみのあれば。むけんとはつぐるそ。あまりに 口の聞きすぎてそさうなるいゝ事や。とがのしだいいちに かたれきかんとのゝしりけり。かさねこたへていふやう。されば とよ此事は。汝がおやのさんげめつざい。むけんのを かろめんため。此とがつぶさにかたるべしきゝつたふる人〻は。いつ へんの念佛をもかならずゑかうしたまふべしとねんころにことはり。 さるころぐきやうじりざんおしやうと聞へしのうけ。御ぢうしよくじだいざんせつと申しよけさうまむらにてたくはつし。九月下 じゆんの比をひ。あんごりやうせおふて。ぐきやうじさして かへらるゝを汝がをや見すまして。さゝはらよりはしりいで。 かのそうもつをはぎとれば。やうころも一ゑにて。ふるひ にげられしを。たれが見たるぞや。此一つのつみにても。三ぼう 物のぬす人なれば無間のごふはまぬかれず。それのみならず是成名主との。よき若衆にてありし比。しうとめ 御ぜんのいとおしみ。あわせをぬふてきせんとて。しま めんておりにし。さらしてほしおかれけるを汝が親ぬすみ とる。是をばたれ見しかども。若つげたらば汝がおや。火を つけそふなるふぜいゆへしらぬよしにてけるとき 名主どのはらを立て。村中をやさがしせんと有ければ そのおき所なきまゝに。名主のうらのみぞぼりへひ そかにふみこみおきたるが。其後日でり打つゞゐて。水 のあさせにかのもめん。五寸ばかり見へたるを。引あげて 見られければ。みなぼろとくさりたり。是はむら 中に。かくれなし。さてその外に人の知らぬつみとが。い くらといふ数かぎりなしと。又もいわんとする所に名主大 声あげて。みなたわことせんなし。おのも聞べからず 日もくるるに。念佛いざやはじめんとて。ほうぞうししやう じ。一へつじかいひやくする時。きくがくつうすこしやみけれ ば。人〻よろこひきくよかさねはかへれりやとたづぬるに。きくが いわくいなとよそのまゝ我がむねに居たりとこたふ。かく のごとく折問ふに。其よじうついにさらず。あけ ゑかうの時にいたつて。きくがいふやうかさねはいづくへか きし。見へずといゝしが。しばらくありて又きたりわきにそふ て居るといへば。法蔵寺も名主年寄も。皆〻あきれ て居られたる内に。そさいの斎を出しけれども。三人目と目を見合せ。はし取あくべきやうもなく。世にもぶきやう げなる時。きくふとかうべをもたげ。あれかさねは出て ゆくはといゝて。そのまゝおきなをり。きしよくくわいきしてけれ ば。法蔵寺も二人のぞくも。こゝろよくときおこなよろこ びいさんでみな我が屋に帰らるれば。きくがきしよくいよほんぶくして。つえにすがり村中の子共を引つれ。 だい所法蔵寺は申に及ばす。其外きんりてらだうぢやうへ。日〻 にさんけいし。いつのにならひ得たりけん。念佛しやうごの ほどひやうし。あまりとうとく聞へければ人〻不しんし あへるは。誠にじやうとぶつぼさつ。あまになれとのおゝせに て。其しゆごにもやあるらんと。皆〻きいのおもひをなし 男女らうせうあつまり。此きくをせんだつにて。ひがん中の念 佛。りんごうたごうにひゞきわたる。そのほかいへにてしゆすこと は。ちうやこんきやうしやべつなく。思ひぶつじさぜんこゝろ 心のほうじくやう。日をおつてさかんなればしよにんとくだうよきいんゑんとぞ聞へける

死霊解脱物語聞書下

かさねれう亦來る事 名主こうくわい之事

さんぬる二月廿八日ときの座せきにて。累がれいこんたちまちはなれ。 菊本ふくする故に。せうれうとくだつうたがひなしと。人〻あんど の思ひをなし。みな信心くわんぎする所に。またあくる三月 十日のそうちやうより。累がれう來て。菊をせむることれいのごとし。 時に父も夫もあわてふためき早〻名主年寄にかくとつぐれ ば。兩人おどろき則來て。菊に向ひ累は何くに在る ぞ。亦何として來るといへば。菊がいわくやくそくの石仏を もいまだ立てず。其上我に成佛をもとげさせず。大 せい打寄いつはりをかまへてもうじやをたぶらかすといふて我をせめ申といへば名主聞もあへず。是は思ひもよらぬ事 哉。かさね能聞け。そのせきぶつは明後十二日には。かならず 出來する故に。我〻昨日ぐきやうじ方丈様へ罷出。石とう かいげんの事。兩役者を以て申上げる所に。はうじやうの仰せ には。その石佛のいんゑんつぶさに聞傳へたり。出來次第に持 來れ。かならず我かいげんせんと。じきに仰せをかうむりし上は。 たとなんぢが心はへんくわして。せきとうのぞみむとても。方丈の 御意おもければ。是非明後日は立る也。かほどけつでうし たる事共を。汝知らぬ事あらじ。よし是は菊がから だの有故にゑ知れぬ者のよりそふて。いろなんだいけ。所の者に迷惑させんためなるへし。此上は じひぜんじせんなし。只其まゝに捨置き。かたく 此事取持べからずと。名主としより大きにりつふくして。各 家に帰れば。与右衛門も金五郎も。くるしむ菊をたゞ ひとり。其儘家に捨置き。のやまのかせぎに出たるは。 せんかたつきたるしわざなり。かゝりける所に弘經寺の 若とうに権兵衛といふ男。山まはりの次てに。名主がたちに行 けるが。三郎左衛門つねよりもがんしよく青ざめて物あんじすがた なり。権兵衛其故をとひければ。なぬしがいわく。さればこそ 権兵衛殿。かゝるなんぎ成事またけさより出きたれ 其故はきのふ貴方も聞給ふごとく。かさねせきぶつ十二日に は出來する故に。ごかいげんそしやうしゆびよくかなふ所に彼累今朝より來て。またきくせむる故。そのしさいを尋 ぬれば。石佛をも立てず。我が本意をも叶へすとて。ひ たすら菊をせめ候也。此上は是非なき事とて。すて置 帰り候へとも。つく此事をあんじ候に。まづさしあたり明後日。 石佛出來仕り。方丈様へ持参の上にて。何とか申上べき すでに此間地下中うちより。一べつじねんぶつにて。せうれう とくだつ仕ると。昨日申上げたる所に。またきたり候とは。ことの しじうをも見さだめず。あまりそさうなる申事と。思召 もいかゞなり。そのうへ此れうつきしよりこのかた。むらぢうものおやきやうだいあくじをかたられ。りんごうたごうの聞所しやうこ たゞしきはぢをさらす。しかれども今までは。しにさりたる ものゝあくじなれば。しそんの面をよごす分にして。たうじ させるなんぎなし。此うへにまたいかなる悪事をかいゝ出し いきたるものゝのうへぢとうたいくわんへももれきこえ。一〻せんぎ に及ぶならば。むらぢうめつぼうのもとひならんもいさしらずせん なき事にかゝあい村中へもくらうをかけ。我等もなん つかまると。くどきたてゝぞこうくわいす。権兵衛つぶさに 此事をきゝゐけるが。名主がこうくわいゑんりよだん。一〻だう しごくして。あいさつも出がたきほどなりしが。やうに もてなし。名主が所を立出て。すぐにきくいゑに行き。 そのありさまを見てあれば。たゞ一人あをさまにたをれ て。くつうする事れいのごとし。権兵衛もあまりふびんに思ひければ。にはに立ながら名主が今のものがたり。石佛 出來あらましまで。しやうこたゝしくいゝきかすれども。いつわる 物おと時〻へんたうしてくつうはさらにやまざれば。権兵衛 もあきれつゝ。うちすて寺にそ帰りける

ゆうてんおしやうかさねくわんげし給ふ事

さるほとに権兵衛ぐきやうじかへみちすがら思ふやう。まこと や祐天和尚かの累がおんれうのありさま。ぢきに見て ましとおゝせられし。よき折から人もなきに御ともみせ 参らせんと思ひ。帰りける所に。寺のもんくわいいせん きやうでんざんおうなどゝ聞えし。しよけしう五六人なみゐたまへ るに。かくといへばよくこそ知らせたれ。祐天和尚の御 出あらば我も行んとて。みなよういをぞせられ ける。さて権兵衛は祐天和尚のりやうき。かやう の次第にて。さいわひたゞいま見る人も御座なく候に。 門前にられししよけしうをも。御つれあそばし。羽生へ 御こしなさるべうもやあらんといへば。和尚聞もあへた まわず。よくこそつげたれいざゆくへしとて。すでに出んと したまひしが。まてしばしと案じたまひて仰らるゝは いかなる八ごくざいにんも。じきさうおうぐわんりきあをぎ 一心に頼まんに。うかまずといふ事あるべからず。然る所 に。さいさん念佛のくどくをうけて。とくだつしたるれいこん。たち 帰りとりつく事は。何様石仏ばかりのねがひならず。外にしさいの有と見へたり。もしまたげだうてんませうげか。 そのゆへは羽生村のもの共。たまゐんぐわのことはりを わきまへ。ぼだいみちにおもむくを。さゑんとて來れ るか。さなくはきつねたぬきのしわざにて。おゝくの人をたぶ らかさんために。取つくにもやあらんに。せんなき事に かゝりあひ。我がいちぶんはともかくも。ししやうの名までくだし なば。しうもんかきんなり。只そのまゝにすておき。所化 共も行べからずと。ていきんくわへたまへば権兵衛も もつともしごくして。爾者所化衆をもとめ申さんとて。もんぐわい さして出てく。あとにて和尚おぼしめすは。すでに 此事はせきたうかいげんまで。方丈へうつたへ。そのれうでう有上は たとひ我〻捨置とも。ついには弘經寺がくらうに成べ き事共也。そのうへ権兵衛がはなしのてい。村中のなん 此事にきわまるとあれば。いとふびんの次第なり。 我行てとぶらはん。累がれいこんならばいふに及はず。その ほかてんまはじゆんのわざ。又はちみもうりやうしよいにも せよ。だいぐわんごうりきほんぜいしよぶつごねんかびりきいちだい きやうくわんきんもんむなしからじ。其上わかんりやうちやうしよでんのする所。いか成三しやうをもたゞちにしりぞけ。 じゆんしとくだつの證拠すたあり。さいわひなるかなじきさうおうたりき 本願。ぶつりきほうりきでんじゆりきいかてかもつてしるしなからん。ただし今 までりやうどの念仏にて。いまたらちあかできたる事。恐は疑心名利のしつ有て。とぶらふ人のあやまりならんか。我佛 せつまなこをさらし。諸人にこれをおしふといへども。みなきやうろんでんせつにて。ぢきげんしやうあらはす事なし。よいかなやこの 次てに。きやうくわんだらにとくをもためし。そのうへには 我宗ひさくの。ほんぐわん念仏のくどくをもこゝろみんもし それぢきやうみつしゆのしるべもなく。また證誠のじつごん むなしくして。称名の大あらはれず。菊がくつうもやま ずんば。ふたたびさんゑちやくせじものをと。ひかふる衆をふり すて。まもり本尊くわいちうし。あんぎやゑ取て打かけ。門外 さして出給ふは。つねの人とは見えずとぞ。さて門前に 居られたる。しゆそうに向てのたまふは六人はかへり。権兵衛 一人は。我をあんないして累が所につれ行けとあれば。六 僧のいわく。我〻も御とも申行んといふに。和尚のたま わく。いなとよじぶんはふかき所存有故にかくごして 行也。なんぢらとゞまれとあれは。いせんのいわく。きそうは 何ともかくごして行たまへ。我〻は只見物にまからん といわれしを。和尚打ほゝゑみ給ひ。尤〻いざさらば とて。以上八人のれんしゆにて。羽生村さして行たまふ いそぐにほどなく行つき。かのいゑを見たまへば。ほうし くづれては。日月さうろももるべくごうへきやぶれては らうくらんふうしのぎがたきに。どまにはおとるふるむし ろの。目ごとにしげきのみしらみしりざしすべきやうもなく。をのすそをつまどり。あとやまくらにたゝずみて。菊が つうを見たまへば。のみしらみのおそれもなく。けがれ不 じやうもわすられて。みなにぞつき給ふ。さてだうし まくらちかよりたまへば。何とかしたりけん。菊がくつうたちまち やみ。大いきつゐてぞ居たりける。時に和尚といたまわく 汝は菊か。累なるかと。病人こたへ云やう。わらわは菊 で御座有が。累はむねにのりかゝつて。我がつらをながめ 居申と。和尚又問たまわく。いか様にして汝をせむるや と。菊がいわく。水とすなとをくれて。いきをつがせ申さぬと。 和尚又問ひたまわく。累はなんといふて。のごとくせむ るぞやと。菊がいわくはやくたすけよといふてせめ 申と。いとあわれなるこはねにてたえしくぞ答へける 其時和尚聞もあへたまわず。いざさらば各〻。としころしよぢきやうだらに。かゝる時のしよようぞと。まづあみだきやう三 巻。ちうこゑどくじゆし。ゑかうおはつて。扨累はととい給へは。菊 がいわく。そのまゝむね申と。次に四ぜいけもんへん じゆじ。ゑこうして又問たまへば。今度も同じやうにぞ こたへける。扨其次にしんきやう三反じゆじ已て。前のごとくたづね たまへば菊がいわく。さてくどき問ごとや。それさまたち の目にはかゝり申さぬか。それほどそれよ。我むねにのりかゝり 左右の手をとらへて。つらをなかめてるものをといふ 時。和尚又すきまあらせず。こうみやうしんごんへんくり。ずいぐだらに七反みてゝ。度ごとに右のことく問たまふに。いつ もどうへんにぞこたへける。其時和尚六人のしゆそうむかつて のたまわく。是見たまへよかた。今じゆする所の經陀 羅尼は。一代けんみつの中におゐて。何れもぢんじんみめうな れ共。じきふさうおうなる故か。少分もけんやくなし。此上は わがしうじんひてうせべつぐわんしやうみやうぞ。我にしたがひとなへよ と。六づめの念佛。七人一どうちうおんにて。はんじばかり となおわつて。さて累はと問たまへば。また右のごとくにこたへ けり。其時和尚けうをさましぜんごをかへり見たまへば 。いつのほどよりあつまりけん。てん手にあんどうともしつれ。村 中の者ども。とうまちくいなみゐたるが。一人和尚 に向ひ。なにはたれそれがしはこれと。一〻名字をなのり。様〻 しぎのぶる事。いとかまびすしく聞へければ。和尚いら つてのたまはく。あなかしがまし人〻今此所にして汝等が 名字を聞てせんなし。たゞそこもとを分けよ。我れようじべんするにとてたちたまへば。ひぢをたをめをそ ばだて。おめしくぞ通しける。和尚すなはち外に 出て。いぢれうげを述られしは。物すさましくぞ聞 ける。其詞にいわく。じつこうしやうがくの阿弥陀佛。てんがんてんに の通を以て。我がいふ事をよく聞れよ。ごこうしゆいぜんぎやうにて。てうせべつぐわんあらはし。ごくぢうあくにんむた はうべんゆいしやうみやうじひつしやうがかいほんぐわんは。たれがためにちかひけるそや。またじやうざいれうぜんしやかくどんも。みゝを そばたてたしかに聞け。みだぐわんいあらはすとて。ぜい じんなんせつべ。がけんぜりのそらごとは。何の やくを見けるぞや。それさへ有に。十方ごうじやしよふつまで くわうちやうぜつさうじつごんは。何をしんぜよとのしやうぜうそや。かゝ るふじつなるぶつけう共が世にるゆへ。あらぬそらごとの 口まねし。誠の時に至てはげんしやう少しもなきゆへに。か ほどの大ちぢよくに及ぶ口をしや。ただし此方にあや まりありて。そのりやくあらはれずんば。佛をめり法をそしいそひでしゆごじんをつかはし。只今我身をけさくべし。それ さなき物ならば我こゝにてげんぞくしげだうの法をまなび て佛法をはめつせんぞと。こうしやうよばわりたけつて。本の 座敷になをり給ふ時は。いかなるおんれうしつたいじんあしをた むべきとは見へざりけり。されども累はととひ給ふに。又もとのご とくこたふる時。和尚きつと思ひ付たまふはわれら あやまりたり。そのたうにんのなき時こそ我〻ばかりのしやうゑかうも。くんほつじきしゆつにかなわめ。すでざいにんここに 在り。かれにとなへさせて爾るべし。是ぞ観きやうとくところの 十あくぎやくのざい人。りんじうちしきけうけひ。いつしやうじうねんこうによりけつじやうわうじやうと見へたるは。こゝの事ぞとおもひ きわめ。菊に向てのたまふは。なんぢわがことばにしたがひ十 たび。念佛をとなふべしとあれば。菊がいわく。いなとよさやうの事いわんとすれば。累わがくちをおさへとなへさせず といふ時。左右にひかへたる百しやう共。ことはをそろへていふやう。 それは御むように候。そのもの念佛する事かなわぬしさい 候。いつぞやもきたりし時。是成三郎左衛門。今のごとくにすゝめ られ候へば。かさねが申やう。おろか成云事や。ごくちうにて念仏が 申さるゝ物ならば。たれざいにんぢごくにしてこつしゆをへんと 申候と。いゝもはてさせず和尚いらつてのたまわく。しづま れなんぢら。口のさかしきに。其事も我よくけり。そ れはよな。累來て菊がに。じきに入かわりしゆへにこそ となふる事かなわざらめ。今はしからず。累はすでにへちて。我に向ひものをいふはきくなり。しかれば累が名 代に。菊にとなへさするぞとのたまへば。みな尤とうけに けり。さてきくに向ひ。かくとのたまへば。菊がいわく。何と仰ら れても。念仏となへんとすれば。いきぐるしくてといふとき。 和尚さては累がれいこんにあらずきつねたぬきのしわざなり そのゆへはまことのかさねがれうならば。菊がとなふる念仏にて をのれが成佛せん事のうれしさに。すゝめてもとなへさすべき が。おさゆるはくせものなり。しよせんは菊かからだのある ゆへに。ゑ知れぬものゝよりそひて。村中にもなんぎをかけ。 我〻にもちぢよくをあたゑんとするぞ。よし此ものを我に くれよ。たち所にせめころし。我もこゝにていかにもなり。萬 人のくらうをやめんとのたまひて。かしらかみを引のばし。ゆん手にくる打まとひ。かうべとつて引あげたまふ時。菊はわなゝく こゑを出し。あゝとなゑんといふ時。和尚のいわくさては累が しかととなへよといふかときゝ給へば。きくこたへて中さ申といふ故 に。爾はとてかみふりほどき手をゆるしがつしやう叉手して十念 をさづけ給へば。一おわんぬ。さて累はとといたまへば。菊がいわく 只今我がむねよりおりて。右の手をとりわきに侍ると。又十念を さづけてとい給へは。いまこゝさつまとかうしにをうちかけ。 うしろ向ひてたてるといふ。またじうねんをさづけて問たまへ ば。その時きくきなおり。四方上下を見めぐらし。 よにもうれしげなるかほばせにて。累はもはや見え申 さぬといへば。其時中のもの共。皆一とうこゑをあげ。近比御手 からといふ時。又菊いとわびしきこわねを出し。それよそれさま のうしろへ。累がまたきたる物をと云う時。和尚はやくも心へ たまひ。まもほんぞんを取出し。とびらひらき菊に指けて 累がつらはかやう成しか。と問たまへば。菊がいわくいなと よかほをば見ざりしかといふて。のびあがり。あなたこなた を見まはし。わかれいづちへか行きけん。たちまち見へずと いふ時。おしやうきくに十念をさづけたまひ。近所よりたゝきかね を取よせ念佛しばらくつとめ。ゑかうして帰らんとしたまひ しが。名主としより兩人に向てのたまふは。此れいこんのさり やう。いささか心得がたき所有。しかしながらまことに累が灵魂なら は、もはやふたゝびきたるまじ。若又きつねたぬきのわざならば。またきたる事も有べきか。そのやうだいを見たく思ふに。こよひ一 ばんをすへて。かわる事も有ならば。早〻我に知らせ てたべと有ければ。名主年寄かしこまつて。我〻兩人ぢきに罷 有らん。御心やすおぼしめせとかたくりやうぢやう仕れば。よろこびいさん で和尚をはじめ。以上八人の人〻。皆〻寺へぞ帰られける。 是時いかなる日ぞや。くわんぶん十二年三月十日の夜。こくばかりに。累が廿六年のおんじうことく散じ。しやうじ とくだつほんぐわいたつせし事。しかしながらこれほんぐわんわうしをさくの りやくたゞ恐はけつぢやうしんだうしの手にあらんのみ

菊人〻のあわれみかうぶる事

さるほどゆうてんおしやうあまりの事のうれしさに。かりねゆめむす びたまはず。まだ夜ふかきにりやうをたち。そうもんさして出給ふ もんばんあやしみ夜もいまだあけざるに。いづへかおはしますと いへば和尚のたまわく。我は羽生へ行なり。夜中に何 共さうやなかりしかととひたまへば。もんもりがいわくさればやぜんおゝせにより。づいぶんこゝろかけまち候へ共。いまに何のたよりも御座 なく候。羽生への道すがら。山いぬもいで申さん。それがしも御とも 仕らんとぞ申ける。和尚のたまはくなんぢをつれゆけばあとの 用心おぼつかなし。とかふせば夜もあけなんに。ゆくさきはべつぎ あらじ。かたく門をまもれとて。たゞ一人すごと羽生 村にゆきつきくだんの所を見たまへば。菊をはじめ二人のばん 衆前後もしらずして有。和尚たちながらかうしやう十念したまへば。二人の者をさまし。是は御出候かとて おきなおる時。和尚のたまわく。おのは何のためのばん ぞや。いねたるなとおおせらるれば。二人の者申やう。いかでし ばしもやすみ申さん。よひのまゝにて菊もしやうたいなくいね申 候。其外何のかわたりたるも御なく。もいまだあけ やらず候まゝ。しばしやすらひ御さうも申さまじなど。かれこれ いふ内に。菊も目さましうづくまり。ぼうぜんたるていなり 和尚そのありさまを見たまへは。あらしさむきあけがたの。内も さながらそと成いゑに。かきかたびらのつゞれひとへ。目も 當てられぬていたらく。たとしれうものゝけははなれたり共 かんきはだへをとをすならば。何とていのちのつゞくべき と思しめし。名主年寄をはぢしめ。各〻はあまり心づきなし。 いかで此菊に。ふるぎひとへはきせたまわぬ。かれがおつとはいづく に在ぞとよびたまへば。金五郎よろをい出て。ふるむしろ を打はたき。菊がうへゝおゝはんとすれば。菊がいわくいや とよおもしきすべからずといふ時。なぬしとしより申すやうは そのぶんはたつて御くらうになさるまじ。所のものゝならひ にて生れなから。みなかくのことしといへは。和尚のたま わくそれはたつしやにはたらくものゝ事よ此女はまさしく 正月はしめよりわつらひつき。ものもくらはでやせおとろへたるもの なれば。とにかくに各が。めぐみなくてはそだつまじ 万事頼むとのたまへば。二人のものかしこまつて此上は。ずいふん見づぎ申べしと。ことうけすれば。其時和尚もきげんよく いそぎ寺にかへりつゝ。すぐにはうぢやうへ行たまひ。なつしよきやうてん に近付。やぜんれいこんはいよ去。菊はほんぶくしたれども ゑじきともまづしければ。命をさそふるたよりなし。爾るに かれをぞんめいさするならば。おほくの人のけやくなるへし。なに とぞ命をたすけたく思ふに。まつをのふるぎのあらば 一つあてとらせよ。我も一つはおくるべし。さて方丈の御ぜん 米をかゆにたかせあたへたく思ふなどしてりやうかへり給ふ時 方丈はらうかにたちやすらひ。此事を聞し召なつしよちか つけ仰せられしは。にもかのものゝいふごとく。此女のいのち は大切なるぞや。それよういしてつかはせ。さて是をは だにきせよとてかたしけなくも上にめされしさやの御 こそでを。ぬがせたまひ下しつかはされける時。名主年寄 兩人を急度めしよせられ。じきに仰らるゝは。汝らよくがつ てんして。菊が命をまもるべし。そのゆへは我〻きやうしやくをつ たへて。せんまんにんすれども。みなこれだうりしごくぶんにし て。いまだげんしやうあらはさず。爾るに此女は。直にぢこくこく らくを見てよくゐんぐわを顕す者なれば。ばんけやくしやうこなり。ずいぶんせつかいほうせよ。なをざりにもてなし なせたるなど聞ならば。此ぐきやうじおんねんなんぢらにかゝる べし。とはげしくけうくんしたまへば。二人の者どもなみだ をながし。かしこまつて御前を立。急き羽生へ帰りつゝ。方丈の仰せども一〻にかたりつたへ。扨下しつかわされたる御小 袖をきせんとすれば。菊がいわく。あらもつたいなし何 とてか。ぐきやうじさまの御小袖を。我等がにもふれら れんといへば。けにもつともなりとて。後日に是をうちしきにぬい。ほう ぞうじぶつてんにぞかけたりける。扨ゆうてんおしやうの御ふるぎ 其外人〻よりあたへられたるきるものをも、いろじたいせし がとも。かれこれとぬいなをし。さまはうべんしてこそきせ たりけれ。さてまた。弘經寺より。下されたるじきもつは申に およばず其外のしよくじをも一ゑんにくらわず。たま少も しよくせんとすればすなはちむねにみちふさがり。あるひは ひふをそんさす。惣じてこのれいびやううけし正月始のころより 三月中旬にいたるまて大かた水のたぐひのみにてく らせしかども。さのみつよくやせおとろへもせざりけれ ば。人〻是をふしんして問けるに。何とはしらず口中 にあぢはひ有て。外のしよくもつのそみなしといへば。扨はごくらくおんじきを。時〻しよくするにもやあらんとて。さながらじやうど よりけらいせる者かと。あやしみうやまひめぐむ事。かぎ りなし。

石佛かいげん之事

同三月十二日せきぶつすでに出來していゝぬまぐきやうじきやく てんにかきすゆればすなはちたうはうぢやうみやうよたんつうしやうにん 御出有。そのほか寺中のしよけ衆など。おもひにふだうす。ときにはうぢやうふでとり給ひ。めうりんをあらため。 理をくせうていとかいみやうしせうくやうをとげられつゐ に。はにふむらほうざうじの庭にたてて。ぜんだいみもんのしやう ぜきのこす。ながのしるし是なり。きなるかな此物かたり あるひはげんざいのゐんくわをあらはし。あるひはとうらいくらくをしらせ。あるいひはじゆきやう念佛のりやくを あらそひ。あるひはしおんほうしやぶんざいをたゞす。かくの ごとくだんの事有て。ついちゑじひはうべん。三じゆ ほたいもんに入り。のうじよさうわうして。きほうがうぜんたい たちどころしやうじしうこくしゆつりし。直にねはんじやうせつわうげいする事。まつたく是。たりきなんじのぜんぎやうほんぐわん ぐうの方便也。しかりといへともぐわんりき不思げんしやうあらは す事。かつ恐はだうしけつぢやうしんほつとくによるものなる をや。しからば此けつぢやうしんの人。いづれをかもとめんと ならば。たんじきこうしんしやうみやうねんぶつぎやうじやこれ其人也 此人におゐていか成とくあるぞやとならば。ずいじゆんぶつぐわんずい じゆんぶつけう。随順ぶつい。是其とく也。かくのごとくこゝろうる時 はたうそくきせんらうにやくなんによによらす。たゞいつかうに信心称名 せば。げんとうりやく是よりあらはれんか

右此かさねがおんれうとくだつものかたりせけんるふして人の口に在といへとも前後次第こゝろことば色〻にみだれ其事慥かならす爰に〔某申〕かのしれうだうし
けんよ上人はいがんみぎり度〻こんぼうしきの御はなしふかみゝそこにとゞむといへとも本よりぐちもうまいなればかくありかたきけんしやうふしきの事ともを日をんまゝあとなく癈ばうせんほいなさにことはのつたなきをかへりみずかきしるおくものなを此外にもかさねと村中とのもんどうにはきゝおとしたる事あるべきか。
けんよ上人すけれいこんとふらひ給ふ事

比はぐわんぶん十二年。いゝぬまじゆきさんぐきやうじにて。四月ちうしゆんけつげより。大しゆ一同のほうもん。十七日にはじまり。三そくめあたつ て。十九日のさんだいは。ほつしやくにふげんせつはなれば。おのしんじうりけんひつさけ。せけりしやうぢんとうにおゐて。ほつせんでうひはなをちらし。うわうさわうせうぶをあらそひ。たんとうじきにふの はたらき。たがいひまなき折から。ゆうてんおしやうけさよりすどの かけあいに。せいりきもつかれたまひ。しばらくいきをやすめて。むか ひをきつとながめたまへば。はにふむらの庄右衛門。只今一だいじ の出來し。のんどにせまるふぜいにて。祐天和尚の御かほをあから めもせず。守りたり。おしやう此よし御らんして。いかさま此もののつらつきは。今日さいしにのぞむか。さてはきわめ たる一大事。しゆつたいせりと見へたり。何事にてもあれかし。この ほつせきはたつまじものをと。見知らぬていにもてなし。くわつこ としてぞおわしける。庄右衛門が心の内。此日のほうもんすくる事。 とせをまつにことならじと。おしはかられて知られたり。扨やうほうもんはて。大衆もみなたいさんすれば祐天和尚も しよけりやうさしてかへり給ふに。庄右衛門やがてしりにつき。そゞ ろあしふんで來る時。和尚りやうきど口にて。うしろをきつ とかへりたまひ。いかにぞや庄右衛門殿。ようありげに見ゆるは 何事にかあらん。おぼつかなしとのたまへば。庄右衛門かしこまり さればとよ和尚様。かさねがまたきたり今朝よりせめ 候が。もはや命はつゞくまし。急き御出有べしと。所まだら にいゝちらす。和尚聞もあへたまわず。さては其方はさきへ け。我もおつつけ行べしと。しやうぞく召かへ出給ふがなにとも りやうけんしたまわず。もんぐわいの松原まで。たゞうかとゆき 給ふを。庄右衛門まちうけ申やう。何となさるゝぞや和尚様 はやこし候ひて。十念さづけ給へといふに。和尚のたま はく。何とかさねが來るとや。そのようじよ何事にかあらん。また せめのやうだいはいか様なるぞと問たまへば。庄右衛門申様 今朝の五つ時より。かさねがまた参りたりとて。与右衛門 も金五郎も。名主と我等につげしらせ候ゆへ。早〻兩人参り て。そのありさまを見候に。まづくるしみのていたらく。ひごろにはばいして。中にもみ上げてんとうし。五たいもあかくねつなふ して。まなこの玉もぬけ出しを。兩人いろかいほう仕り。累 よ菊よとよばはれともうむの返事もならばこそ。只ひら ぜめのくつうなればおほかたいのちは御座あるまじ。せめて の事に十念を。体になり共さづけ給ひ。ごしやう御たす け候へと。なみだくみてぞかたりける。和尚此よし聞し めし。いよ心おくれつゝ。たゞぼうぜんとあきれはてゆめぢを たどる心地にて。あゆみかねてぞ見へたまふ。時に庄右衛門。 ことばあらゝかにいふやう。こはきたなし祐天和尚たとひ てんまのしわざにて。菊が命をせめころしきそうのち じよくに及びつゝをいかやうになしたまふとも。名主それ がし兩人は。命かぎりに御供せんと。やくだくかたく相きわめ 此そうだんけつてうして名主をあとにとめ置き。それがし一人 御むかひにまいりたり。此上は貴僧いかやうに成給ふ共 我〻兩人御供仕らんに。何のあやうき所かおわせん。は やいそぎ給へといへば。和尚あざわらつてのたまはく おろか成庄右衛門。なんぢら二人我かともとは。それ何のためそや。 汝はいそぎさきへけ。我はこゝにてしばらく。きぐわんする ぞとのたまひて。心中にちかひたまわく。しやかみだ十方のしよ ぶつたち。たとひでうごふかぎり有て。菊がいのちするとも 二度こゝおしかへし。我けうげにあわせてたべ。かれをすておき 給ひて。我をげだうに成し給ふな。ぶつほうじんりきこのたひぞと。决定のちかひたておわつて。いさみすゝんでゆき給へ ば。庄右衛門も力を得。ちどりあしをかけてぞいそぎける。やう 近付与右衛門が家を見渡せば。四方のかこひ。はしらばかり をのこしおき。ことひきはらひ屋敷中はせきぢもなく らうにやくなんによみちたり。其外大のうへ木のえだこゝかしこ の大ほくまて。のぼりつれたるけんぶつ人。かくばかり此村に。人多く はなけれ共。前〻よりのふしぎなど。ゑんきんにかくれなく。聞 つたへし事なれば。又今朝よりせむるぞと。つげわたるにやある らん。みちたはたひらおしに。皆人とこそ見へたりけれ。かく て祐天和尚と庄右衛門は。いそぐにほどなく与右衛門が家 ちかつき給へとも。いづくをわけて入給ふべきやうもなく。人の うへをのりこへふみこへやうとして。菊がまくらもとにちかづき たまへば。されどもたゝみまいじきほど。座をわけまちゐたるに やかてちやくざし給ひ。あせおしのごひあふぎをつかひ。し ばらくやすみ給ふ時。なぬしいと心せきがほにて。まづ はやく菊にじうねんをさづけ給ひ。いとまをとらせ給ふべし とくにとおち入る者にて候ひしが。きそうの御いであいまつ と見へ申と云時。おしやうのたまわくまてしばし。十念もさづく まじ。ちと思ふしさい有とて。ながるる御あせをおしのごひ 菊がくつうを見給へは。にもみちすがら庄右衛門がいふご とく。床より上へ一尺あまり。うきあがり中にて五たいを もむこと。人だうの中にして。かゝるくけんの有べしとは。何れきやうしやくに見へけるぞや。是ぞはじめの事ならんと。見るに 心もしのびす。かたるにことばもなかるべしと。あきれはてゝ ぞおわしけるいかなるつみのむくひにて。さやうのくつうを うけしぞと。つたへ聞さへあるものを。ましてそのに居給ひ て。まのあたり見られし人〻の心の内。さぞやと思ひはかられ て。ふでのたてどもわきまへず。其時なぬしこらへかね。和尚 に向ていふやう。ひらにじうねんさづけ給ひ。はやいとま をとらせ給へといふに。和尚の給わく何としてさはいそぐぞ とのたまへば。名主がいわく和尚は御心つよし。我〻 はかゝるくげんを見候ひては。きもたましゐもうせはつる 心地して。中たへがたく候ふといへば。おしやうの給わく。さのみ きづかいしたまふななぬし殿。何ほどにくるしむとも。めたと するものにあらず。さて此せめるものは。しかとかさねと申か 又何ののぞみ有てきたれりと申かと問たまへば。名主こたへ ていわくさればけさより。いろたづね候へ共。一ことも物 は申さず只ひらぜめにて候といふ時。おしやう扨こそまづ 其あいてを聞さだめ。しさいをよくといきわめずは。十 ねんさづくまじとて。きくがみゝのもとにより。なんぢきく か累なるか。また何のために來るそや。我はゆうてんなる が見しりたるかと。かうしやうに二こゑ三声すきまあらせで 問給ふに。くつうは少しやみけれども。うむの返事はなか りけり。しばらく有りてまた右のごとく問たまえへば。たまのぬけ出たるも。ひきいりいろのあかきもたちまちあをく成り たゞまじと和尚の御かほをながめ。なみたをうかべたる はかりにて。いなせの返事はせざりけり。其時和尚いかりを あらはし左の御手をさしのべ。かしらかみをかいつかみ。床の上 におしつけ。おのれたいろくてんまわうめ。人の物いふに何とて 返事はせぬぞ。只今ねぢころすが。ぜひいわざるやと。しば ししづめてきゝたまへば。其時いきの下にてたへしく。何か一 くちものをいゝけるを。和尚のみゝへはすとばかり入けるに。名 主はやくも聞つけ。すけと申わつはしで御座あると申と いふ時。こはなにものの事そとといたまへば。名主がいわくこゝ もとにては。六つ七つばかり成男の子を。わつはしと申と いゝけれは。和尚菊に向てのたまはく。そのすけといふものは しゝたるものかいきたる物かと聞給へば。またいきの下に てこたふるやう。かてつみにゆくとて。まつばらどてから きぬかわへさかさまにうちこふだといふを。おしやうやう聞 うけたまひ。さては聞へたりとて打あをのき。名主に向 てのたまふは。いかに其方はいやなる所の名主かな。今の ことばを聞たまひたるか。さては此わつはしは。大方おやのわ ざにて。川中に打こふだりと聞へたり。いそひで此おやを せんさくしたまへと有ければ。名主承り。尤仰せかしこ まつて候へ共。かつてあとかたもしれぬ事なれば。何とか せんぎ仕らん。たゞそのまゝにて御とふらひあれといふ時。和尚のたまはくよくがつてんし給へ名主殿すでに此れうつく 事は。そのおんねんをはらさんために。きたるにはあらずや しからばかれがほんもうをもとげさせず。ぜひなくとふらふた ればとて。何としてかうかぶべき。早〻せんぎしたまへと有 れば。名主またいわく。御もつともにては候へ共今此大 ぐんの中にて。なにものをとらゑいかやうにかせんぎ仕らん と。一向せうゐんせざる時和尚いかつてのたまはく。さては その方は我がいふ事をうけぬと見へたり。よし我今 寺に帰り。ぐきやうじをおしかけ。ぢとうだいくわんへつげしらせ きつとせんぎをとぐべきが。それにてもなを所のものを かばい。せんぎ成まじといわるゝかと。あらゝかにのたまへ ば。名主十方にくれ。さては何とかせんぎ仕らん。庄右衛門 はいかゞ思はるゝぞといふ時。庄右衛門がいわく。とかくたゞ 今和尚のたつね給御ことばと。菊がこたふことばを。少も のこさず此大せいの中へ。だんにふれまわし。一〻人の へんたうを。きくより外の事あらじといゝければ。此もつとも しかるべしとて。名主一つのほうげんを出し。ゐだけたかに のびあがり。かうしやうにふれまはすは。おこがましくはありながら とふとかりけるせんぎなり。其ことばにいわく。只今 ゆうてん和尚。菊をせむものは何ものぞとたつね給へば れいこんこたへには。すけといふわつはしなるが。かてつみに ゆくとて。松原のどてより。きぬ川へさかさまに。打こふだとこたへたり。然るあひだその打こみたる人を御尋あるぞ。 たとひ親にてもきやうだいにても其外しんるいけんぞくにても。 ありのまゝにさんげせよ。若又たにんもんにてもあれ。此 事におゐて。かすかに成共けんもんしたるともがらは。まつすぐ に申出よ。たうぶんにかくしき。後日のせんぎにあらはれな ば。きつとむつかしかるべしと。だんにいゝつぎ。いち次第に ふれまわす。庄右衛門がことわりには。すこしも此しる人あら ば。そう申出られよ。まづはそのざいしやうさんげごしやう ぼだいのためなるべし。かつはもうじやおんねんはらし。すみやかじやうぶつさせんとの御事にて。祐天和尚の御せんぎぞや。 たのむぞ人〻と。かなたこなた二三べんつげわたれ共。みな しらずといふ中に。東の方四五間ばかりへだてたる座中より。 らうばのあるがのびあがり。其事は八右衛門に。御たつねあれとぞ うつたへける。名主此よし聞よりも。それ八右衛門は何くにある ぞとよばはれば。けさよりあれなる木の下に見えけるが 今は居らずといふによりでうづかひにいゝ付こゝかしこと尋 出し。やうにつれきたるを。名主ちかくめしよせ。かくの次第と といければ。八右衛門よこをはたと打。さてはそのすけがま いりて候かや。是にはながき物語の候ものおと。なみだをながし ながらいちしだいにかたりけり。まづ其すけと申わつぱ しを。川にうちこみ捨たる事は。六十一年いぜんの事。それがし はことしちやう六十にて。みしやういぜんの事なれども。親どものいんぐわはなしを。よく聞覚へたり。此度御とむらひなされたる かさねがじつふさきの与右衛門。やもめにてありし時。たむらより 妻をめとる。その女房なんし一人つれきたれり。その子のかたち はめつかいててつかいで。びつこにて候ひしを。与右衛門がいふ やう。かくのごとくのかたわもの。やういくして何かせん。いそひたれにもくれよといへば。はゝおやのいふやうはおやだにあきし 此子をば。たれの人かめくまんやといへば。与右衛門かいふやう さてはその方共に出てゆけと。おりせめていゝけるゆへ。 はゝおやが思ふやう。子をすてるふちはあれ共。すつやぶなしとて。只今かれが申とほりかてつみにつれ行まつばらどてより。川中へなげこみ。おつとにかくとかたれは。与右衛門 もうちうなづき。それこそ女のはたらきよとて。中よく 月日をおくりしが。つゐに其年くわいにんし。よくねんむすめへいさんす。とりあげそだて見てあれば。めつかいてつかい ちんばにて。おとこ女はかわれども。すがたは同しかたわ もの。むかしのいんぐわたらいふちをめぐるときゝしが 今のいんくわはりさきをめぐるぞやと。おやどもの一つ はなしにいたせしを。たしかによくきゝおぼへへたり。さてその かたわむすめは先与右衛門がじつしなるゆへに。すてもやらて やういくし。先度のれいこんかさねとは。此かたわ娘の事 なるぞや。さて此かさねせいちやうし。りやうしんともしにはて。みなしこと なりしを。代〻ひやくしやうの家をつぶさしとて。おやなぬしのあわれみにて。今の与右衛門に入むこさせておき給ひしが。 つゐに与右衛門がにかゝり。かのかさねも此きぬがはしづはてしは。是もいんくわのむくひならんと。思ひあはせて見る 時は。今の与右衛門もさのみはにくき事あらしと。す すりなきをしながら。いとめいばくにかたれば。きゝゐたる ひとも。みなもつともかんしつゝをのなみだをながしけり。 さて此八右衛門がはなしにて。かさねが年の数と。すけが 川へながされし。年代をかんごふれば。先すけが川のみく づと成しは。けいちやう十七年みつのへねに當れり。またかさねが 年のかずは。三十五のあきなかばきぬかわにてころされし とは見へたり。さて八右衛門が物語おわつて。祐天和尚きく に向てのたまはく。なんぢすけがさいごのゆらい。つぶさにもつ てきゝとゞけたり。しかるに今きくとりつくこと。何ゆへ有てきたる ぞやと。きくいきの下にて答るやう。累がじやうぶつしたるを 見て。我もうらやましく思ひきたれりと。おしやう此よし聞しめし 名主に向てのたまふは。これは人〻の。ふしんをはらさん ためなれば。我がふことばと。すけこたふあいさつを。一〻 にふれたまへとあれば。名主御もつともと立あがり。だいおんじやうにて。さき のごとく。いゝつたへければちかくもとをくも一どうに。こゑをあげ てぞなきにける。さて其つぎといたまふは。六十一年の間いづ くいか成所にありて。何たるくげんをうけしとあれば。すけが いわく。川の中にてちうや水をくろふて居申たりと。また此通りを名主ことはれば。わかきもの共のさゝやくは。さては このわつはしは。れうぜんじぶちとしころすむなるくわつはぞや。あめ のそぼれば。かはなみにさかふて。松原のとてにあがり をなぐるふぜいして。なきさけぶ有様をおり見付し ものをとて。みなくちにぞつぶやきける。さてそのつぎに祐 天和尚問たまはく。しからばけさより人〻のたづぬる時。右の 通りをのべずして。なにとてみなに。きつがひをさせけるぞ と。助答へていわく。さいふたればとてたすけてくるゝ人 あらじと思ひ。せんなきまゝにかたらずと云へは。又此おもむき を先のごとくよばわる時。みなことわりとぞうけにけり。 さて和尚といたまわくしからばわれほんぐわんゐりきを頼み 汝をたすけにきたりて。いろに問ふ時。何とてものを いわさるやと。すけ答へていわくたすからふと思ふたれば。あまり うれしさのまゝに。何とも物が申されぬを。むたひにひきつめ給ひ しとあれば。其時和尚もふかくになみだをながしたまへば。名 主としよりはじめとして。とをくもちかくもみな一どうこゑをあ げ。なげきわたりしそのひゞき。てんちもさらにかんどうさうもくまでもあいたんすとぞ見へにけり。これぞ誠にみだ ほんぐわんゐりきを以て。父子さうこうして大に入り。すなはちだうのくげんをとい給へばしゆくみやうつうさとりにて。いちいち むかしかたる中に。ぢごくぎやくくひまなくして久しく。 きちくくほうおもくしていやしく。人げんには八けむりたへず。天上には五すいつゆかわかず。すべて三かい なれば。何くかやすき処あらんと。心げに申す時。みだ を始めたてまつり。ごうしやじんじやの大しゆたぢまで。みな一 同になげきあはれみたまふらんも。此ぎしきかはらじ 思ひ合て見る時は。其おりのあはれさを。いか成ふで にかつくされん。さて和尚やゝよくなげき給ひて。いざ 成佛とげさせんと。名主方よりりやうしを取寄。たんとう しんにふかいみやうし。庄右衛門におほつけられ。にしのはしらに おしつけんとて。たつつ時。ぜんごさうなみゐたる者共。一 どうにいふやうは。それよ庄右衛門殿。かのわつはしが。そでに すがりゆくはと云時。和尚をはしめ。名主年寄も。これ はとおもひ見給へば。日もくれがたの事なるに。五六歳 成わらんべ。かげのごとくにちらりとひらめいて。今かき たまへるかいみやうに。取付とぞ見へける。其時和尚ふかく に十ねんしたまへば。むらかりたるらうにやく男女。みな 一どうなむあみだぶつと。となふるこゑうちに、四はう しきを見わたせば。何とはらずひかりかゝやき。きゞこずゑにうつろふは。ほうじゆほうりんながめられ。人〻の有様 は。みなこんじきのよそほひにて。ぶつめんぼさつぎやうへんにのぼりたる。おのこどもは。しよてんやうがうすがたかとぞ 見えけるとなん。是そぶつちこまふなる。たうしよごくらく とは聞へたりさて此けしきをおかむもの。名主年寄を始め。其にあつまる老若なんによ。百人とこそきこ へけれ。其時おしやうかいみやうに向て。心中にきせいしたまはく りおくしやうていたんとうしんにふも。此菊がとくにより。しやうぶつし たまふ事なれば。かならず。此ものゝいのちまもり諸人のうた がひをさんじ給へと。ふかくたのみ。十ねんゑかうおわつて。いそぎりやう に帰り給へば。どうりやうの人〻。心もとなくまちゐられしが。いそ ぎたち向ひ。なにごと候やおぼつかなく候ふと申せば 和尚いと心よげにてかゝることの有しそや。かいみやうかき 直しぞ。心あらばふぎんせよと仰らるれば。皆人〻かんじ あひて。おいたるわかしよけしふ。思ひふぎんにこそは 行れにけり。さてまた祐天和尚は。いそぎきんじよ しやをよびよせ。菊がりやうちをたのみ給へば。いしやかしこ まつていそぎはにふむらき。菊がみやくをうかゞひ。す なはちかへつて和尚に申やう。かれが脉のしやうたいなく候へば。 中りやうぢはかなひ申さず。そのゆへくすりをもあたへず罷 帰り候といへば。祐天和尚聞給ひ。何をかいふらん。菊が いのちをばわれしよぶつへたのみおき。そのうへたんとうしんにふなどへ よくやくそくし置し物おと。おほしめししからばぜびなし。其 くすりばこひらき。ゑききとうを七ふくてうがうし。我にあたへ 給へとあれば。かしこまつて候とて。すなはちてうがうして参らせ 御いとま申てかへられたり。和尚其あとにていそぎかの薬を せんじ給ひ。一はんばかりをぢさんにて。其やちうはにう行き。きくにあたへたまひて。名主年寄にたのみき。 りやうに帰らせたまひしが。あとにてだんくすりをあたへあくる 廿日に成しかば。えききとう二ふくにて。菊がきぶんほんぶく して。次第にひふもとゝのひけり

菊がていはつてうじ之事

さるほどに今度のすけれいびやうやがてほんぶくし。菊たつしや に成ければ。与右衛門金五郎もろ共に。名主年寄かたへ 行き。先此間のれいを述べさて菊がねがふやう。我をば あまになしてたまわれ。其故はいつぞやも申通りごくらくに て御僧様の仰せに。なんぢはしやばに帰りたらば。名をめう はんとつゐて。うをとりくらはで。よくねんぶつを申せとに て候ひしか。とてもの事にいづれも様の。御言葉をそへ られ。祐天和尚様のみでしになしてたまはれといへば。 名主もとしよりに是はもつとも也。よくこそのぞみた れとて。すなはち此者共を引つれぐきやうじへ参りて まづ祐天和尚のりやうにさんじ。此間の御礼をのべ。さてき くがねがひのしゆつけをこゐもとめる時。和尚のたまはく。 菊がていはつの事さらもつてむよう也。其故は。菊 よくけ。なんぢ此度かさねと助がおんれうに取付れしゆへ それ成与右衛門も金五郎も。世にたぐひなきくらううけしなり。その上に又その方しゆつけせば。いよ二人のものをかけんか。じこんいごは其もそくさいにて。与右衛門にもかうをつくし。おつとにもよくしたがひ。げんぜあんおんに くらし。ごしやうにはごくらくへ参らんと思い。ずいぶんねんぶつ をわするなと。いとねんごろにしめしたまへば。其時に きくなぬしとしよりむかいて申やう。たゞ何とぞ御そしやうなさ れわらわをしゆつけさせてたべとぞねがひける。時にりやうにん ことはをそろへ。和尚に向て又申やう。只今の仰せ御もつとも に候。さりながらおやおつとと二人の事は。我〻何とぞ さいかく仕りいか様成よめをもむかへ。金五郎にあわせ候 ひて。与右衛門をばかいほうさせ候はん。さてきくをばびくにに 仕。せうあんをもむすびあたへむらぢうときぼうずさだめ 申度候。其故は羽生村の者ども。年來ゐんぐわたうりをも。わきまへず。じやけんはういつにくらし候所に。此度 きくとくにより。みなぜんしんおこちうやごせのいとなみ を仕る事。これはひとへに此むすめの大おんにて候へば。いかにも かれがねがひのまゝに。ていばつなされ候はゝ。我々のほうおんぞんじ奉らんなどゝ。ことばをつくして申ける時和尚のたま わく。あら事くどし何といふ共。我はていはつせざるに まづはうじやうへも礼にあがり。十ねんもうけ候へとりやうを せりたて給へば。人〻ぜひなくかしこまつて候とて。すなはち方 丈に罷出。りやうやくしやを以て申上れば。みな召出さ れ。十念さづけたまひて。さて方丈の仰せには。きく よかまへて地獄極楽をわすれず。よく念佛して後世たすかれ。さてめいよの女哉と有し時。名主其 御ことばに取付申上るは。そんいのごとく菊も何とぞ 念佛さうぞくのため比丘尼を願ひ候故。拙者共も かやうまで。祐天和尚へ申入候へ共。何と思召やらん 一圓御せうゐんなく候。あわれねかわくそんぜんの御を以 て。菊がていはつの儀おゝせわたされ候はゝ。かたじけなくこそ 候はめと申上れば。方丈つく聞しめされ仰せらるゝ は。いか様めいどよりめうはんといふまてつけ來りし ものを。出家むようといふは。なにとぞかのものゝしよぞんある らんかとかく此ことにおゐては我がいろふ所にあらず たゝ祐天次第にせよと仰せらるゝ時。みなかしこまつて 御前をたちさり。又けんよしやうにんりやうきたりて。名主和 尚に向て申やう。只今方丈様にて。きくが出家の事 申上候へば。あなたにも御ふしんげに仰られ候。何とててい はつをゆるしたまわず候や。御所存いかにとたづぬれ ば。和尚のたまはく。此ものぞくにておき。しそんも ながくつゞくならば。すゑまでのよき見せしめ えいたいりやく何事か是にしかんと有ければ。名主 が云やうちかごろはゞかおゝき申ごとに候へ共。たゞいまの 仰せは。ひとへにきそうわたくしの御りやうけんさしあたつては。きく をめぐみ給はず。べつしてはぶつぼさつの仰せをそむき 給ふ所有。そのゆへは。すでに菊じやうとにまいりし時ぼさつそうの仰にて。びくにの名まで下されしを 御もどきあそばさんや。ぜひ出家させられ 候へといへば。おしやう打ちわらひたまひ。其方はりく つを以て我をいゝふせんとな。いでさらばつぶさに へんとうすべきぞや。先さしあたつきくをふびん 思ふゆへ。われしゆつけをゆるさぬなり。そのしさいざいけは在家のわざあり。しゆつけは出家のわざあ り。あとさきしらぬじやくはいものしゆしもならはぬびくに のわざ。いとふびんの事也。又たうらいじやうぶつはもと より在家出家によらず。くわんしやうさいはうの心にて。ねん ぶつだに申せばたりきほんぐわんのふしぎゆへ。十そくしやううたが ひなし。さてまた浄土のぼさつつけにより。あまになれ との仰せをそむくとは。これもつともいたむ所也。さりながら それは大かた時にしたかつて。菩薩はうへんけうけに もやあるらん。我がおさゆる心は。三世じやうぢうぶつ ちよくによつて留るぞ其故は。すでに此女三どく そくほんぶさんらんそどうの女人なり。いかでか常住の 心あらん。たとひ一たびいか成ふしぎのりやくあつかるとも。 ごふじいまだじやうべんせず。何ぞふたいの人ならん。し からば比丘尼しゆぎやう。はなはだ以ておぼつかなし。その上此菊ていはつして。けさころもちやくしつゝ。こゝかしこ とはいくわいせば。りんごうたごうの人までも。是ぞちこくごくらくを。ぢきに見たる。おびくに様よ。ありがたの人や とて。うやまひほめそやされば。本よりぐちの女人なる ゆへ。我のほどをもかゑりみず。はなの下ほゝめ いて。あらぬ事をも。いゝちらし。少〻地獄極らくにて。見 ぬ事までのうそをつき。人の心をとらかししんせ はかず身につみて。ふうきゑいくわにくらすならば ゑんりの心は出まじぞや。たまごせを思ふ時 は。我が一たび極楽へ参り。ぼさつたちぢきやくそくおきぬれは。わうじやううたがひなしと。のちお そるゝ心もなく。三どくひくにまかせ。身のゆたか なるまゝに。けだいはかいものともなり。ざんぎさんけ の心もなくは。けつでうだこくの人と成べし。此事猶もうたがはゝ。 けんせけんの人を見よ。或はふじさんゆとのさん其外しらやま たてやまなどにて。ぢごくごくらくの有様を。此ながらて 見し者も。いゑかへりてほど經ればいつの間にかわすれはて あらぬ心もおこりつゝ。地獄のこうをもつくるぞや。是も三 どくぐそくゆへ。さだめなきぼんぶならひ也。いわれぬ出家を このみつゝ。はかいねんぶつとなりて下中ぼんくだらんより ざいけあくの念佛にて。下上品にのほりたまへ。かならず お菊どの。びくに好みをしたまふなと。いとねんころにおし へ給へば。名主年寄を始として皆〻道理につめられ。菊が比 丘尼はやめてけり。爾ばせめての御事にけちみやくなり共さつ給へとあれば。それは尤とて。すなはち方丈へ仰上られ。ふしやう 妙槃ととうがうをそへ下され。もとの身がらをあらためず。念佛さう ぞくせしがかさねおん念はれし故にや。其年よりしたいてん ばくのり。いゑだんにさかへ。子供も二人まてもふけ。今に あんせんとぞ聞へける

右此助がおんれうおなきくに取つきあまつさへさきかさねしやうぶつまでいゝあらわせる事なればせんもんにそへてつひいちぐとなさんと思ひけんよしやうにんじきの御物語をさいさんちやうもん仕り其外はにうむらの者共のはなしをもほゝききあはかきしるものならし
元禄三年午十一月廿三日
本石町三丁目山形屋吉兵衛開板

この作品は1926年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。