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死刑合憲判決

提供:Wikisource

○判示事項

死刑と日本国憲法(残虐な刑罰)

○主 文

本件上告を棄却する。

○理 由

 弁護人西村眞人上告趣意第一点は「原判決は法令の解釈を誤りて適用した違法な判決である。即ち原判決は被告人に対し、刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑の言渡をしたが、これは憲法違反である。何となれば新憲法第三十六条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」と規定している。而して死刑こそは最も残虐な刑罰であるから新憲法によって刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである。

 然るに原判決は被告人に対し新憲法によって絶対に禁止され、従って又当然失效した刑法第百九十九条同第二百条に於ける死刑の規定を適用して、被告人に死刑を言渡したのであるから、法令の解釈を誤りて適用した違法な判決として、当然免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷嚴な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊嚴な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。現代国家は一般に統治権の作用として刑罰権を行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対して死刑を科するか、またいかなる方法手続をもって死刑を執行するかを法定している。

 そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人に死刑を科するか他の刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑の判決は法定の方法手続に従って現実に執行せられることとなる。これら一連の関係において、死刑制度は常に、国家刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判と考慮が払われている。

 されば、各国の刑罰史を顧みれば、死刑の制度及びその運用は総ての他のものと同様に、常に時代と環境とに應じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたということが窺い知られる。わが国の最近において、治安維持法、国防保安法、陸軍刑法、海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のごときは、その顯著な例証を示すものである。

 そこで新憲法は一般的概括的に死刑そのものの存否についていかなる態度をとっているのであるか。弁護人の主張するように果して刑法死刑の規定は、憲法違反として效力を有しないものであろうか。まず、憲法第十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする旨を規定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているものといわねばならぬ。

 そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊重といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明かに定められている。すなわち憲法は現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。

 言葉をかえれば、死刑の威嚇力によって一般予防をなし、死刑の執行によって特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもって社会を防衛せんとしたものであり、また個体に対する人道觀の上に全体に対する人道觀を優位せしめ、結局社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性を承認したものと解せられるのである。弁護人は、憲法第三十六条が残虐な刑罰を絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法死刑の規定は憲法違反だと主張するのである。しかし死刑は、冒頭にも述べたようにまさに窮極の刑罰であり、また冷嚴な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条いわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。

 ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条に違反するものというべきである。前述のごとくであるから、死刑そのものをもって残虐な刑罰と解し、刑法死刑の規定を憲法違反すとる弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。


 同第二点は「原判決は審理不盡の違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙者ではないかとの疑顯著なものがある。これを記録に徴すると左の如くである

(一)問(裁判長)「先に言った様に母や妹が食糧不足の事を辛く当り被告人が真面目に働かず、それに米を取った事等喧しく云ったとしてもその為めに殺すと云う事は普通人には到底考えられぬ事だが他に事情でもあったか」答(被告人)「他には別にありませんでした」との記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其の原因は被告人にあることでそれが為め殺す気になると云うのは普通考えられぬ事だがどうか」答えずとの記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論告に於て被告人は「一見精神ニ異常を来し居りたるに非ずやと疑わしめるものあり云々」との記載(記録第一八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種の精神病に冒され居りたるに非ずやとの懸念を生ぜしむるものあり」との記載(記録第一八七丁表)抑〃被告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事項に屬するのであるから本件の如く被告人の精神状態に付き顯著なる疑いある場合は当然進んで職権を以って鑑定人の鑑定に付するか、又は裁判官自ら之を調査して被告人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなければならぬ。

 然るに原判決はこの擧に出でず漫然被告人を死刑に処したのは審理不盡の不法あり、此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人に精神障礙のあったことを疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人に精神障礙のないことを認めて判決したのであるから、原審が被告人の精神状態につき鑑定その他の審査をしなかったとしても、審理不盡の違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決は判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て弁護人は被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人の精神に障礙あるを以って法律上本件犯罪の成立を阻却すべき事由たる事実上の主張を為したのであるから、原判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特に判断を示すことをして居ない。これは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決であるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は公判の弁論において、被告人に精神病の懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点について判断を示さなかったからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由がない。よって裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条により主文のとおり判決する。

以上は裁判官全員の一致した意見である。

なお上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである。

裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見。

 憲法は残虐な刑罰を絶対に禁じている。したがって、死刑が当然に残虐な刑罰であるとすれば、憲法は他の規定で死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科しうることが窺われるので、憲法は死刑をただちに残虐な刑罰として禁じたものとはいうことができない。しかし憲法は、その制定当時における国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。

 ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免れないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがって国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。

 かかる場合には、憲法第三十一条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。しかし、今日はまだこのような時期に達したものとはいうことができない。されば死刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決の違法を主張する弁護人の論旨は採用することができない。

裁判官井上登の意見。

 本件判決の理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思うが、私は左に法文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によってもちがって来る。例えば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪ってしまうものだから、これ程残虐なものはないのではないか」と云うふうに使う人もある。(仮りにこれを広義の使い方と云って置く)しかし、又「残虐という語は通常そう云うふうには使わないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別殘酷な傷害とかそう云う様な場合に特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではないか」と云えばそうも云えるであろう。(假りにこれを狹義の使い方と云って置く)こんなことを云って居てはきりがない。我々の当面の問題はこう云うことではないので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑(現代文明諸国で通常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居るかどうかと云うことである。(我々の問題は死刑う規定して居る刑法の条文が憲法第三十六条に違反するものとして無效な法律であるかどうかと云うことであり、つまり同条は絶対に死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題だからである)そしてこれは純然たる法律解釈の問題だから何と云っても法文上の根拠と云うものが重要である。私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狹くも使われ得ると思うから、憲法三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う。そこで憲法第十三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定して居る。

 これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法は公共の福祉の為めには法律の定めた手続によれば刑罰によって人の生命も奪はれ得ることを認容して居るものと見なければならない。之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対に死刑を許さないと云う趣旨ではないと解するのが妥当である。(即ち同条は残虐と云う語を前記狹義に使用して居るので、私は此の使い方が通常だと思うから右の解釈は字義から云っても相当だと思う)反対説は第三十一条は第三十六条によって制限せられて居るのだと説く。

 しかし第三十一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない。若し第三十六条が絶対に死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘はらず絶対に刑罰によって人の生命は奪はれ得ないことになるから第三十一条に「生命」と云う字を入れる必要はないのみならず却ってこれを入れてはいけない筈である。蓋同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釋が出て来るのは当然であり憲法の文句としてこんなまずいことはないからである。他に第三十六条が絶対に死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当たらない。

 以上は形式的理論解釈である。現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今直ちに刑法死刑に関する条文を盡く無效化してしまうことが必ずしも適当とは思われぬこと。その他実質的の理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居ると思う。

 最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云っても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」と云った様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する。この感情に於て私も決して人後に落ちるとは思わない。しかし憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから、若し死刑を必要としない、若しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし、又条文は殘って居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう。今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはないのが実情だから。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 眞野毅 裁判官 庄野理一 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

○参 照

原審判決の主文及び理由

主 文

被告人を死刑に処する 訴訟費用は全部被告人の負擔とする

理 由

 被告人は尋常小学校四年の時父に死別し家が貧しい為其の後は肩書居村の教龍寺に奉公に出され更に荒物屋の丁稚、料理店の板場、自動車会社の助手等をしていたが、最後の自動車会社で会社の金を費消した為其処を辞めさせられ、昭和二十一年二月頃肩書地の生家に帰って来たものであるが生家では母B(当時四十九歳)と妹C(当時十六歳)が手内職、日稼等をして乏しい配給生活で糊口を凌いでいたところである。

 上被告人は元来板場のような職業に興味を持ち田舎での労働を好まず、自分の力で一家を支えて行こうと言う意気込もない為、被告人方は被告人の帰宅により更に暮し難くなり且、被告人の食慾が旺盛な為食生活もより一層逼迫し母や妹はむしろ被告人の帰宅を喜ばず、之を邪魔者扱にするので兎角家庭は円満でなかったところ、同年六月頃被告人は同人方が夫迄米の融通を受けていた近所の住田精米所から二斗程の米を盗み出し、大部分を煙草等と交換したことが発覚して検挙せられ、事件は起訴猶予処分で済んだが、母のBは其のこと以来之を苦にし口癖のように「お前があんなことをしたので世間に対し恥しい。上住田から米を借ることも出来なくなった」と愚痴を言ひ、妹Cと共に被告人を冷遇するので不快に堪えず同年九月十三、四日頃には母と妹とを殺して仕舞ほうかと言う気になっていた矢先、同月十五日友人方に遊びに行き午後五時半頃帰って見ると母と妹は既に夕食を済ませていて、被告人も食事をしようとしたが食物は何一つも殘って居らず且妹のCは「仕事もせずに遊んでいる物は飯を食べなくてもよい」と放言したので、非常に腹を立て再び家を出て午後十一時頃帰ったところ、平素と異り母や妹は被告人の床を敷いて呉れて居らず二人は既に寢ていたので、一旦は自ら床を展べ横になったが空腹と腹立の余り寢つかれず、其の日夕方の二人の仕打や日頃の冷たい態度を想う内、一時に鬱憤が昂じいよいよ今夜二人を殺して仕舞おうと言う気になり、翌午前一時頃自宅納屋から重さ一貫匁余の藁打槌を取って来て熟睡している母Bの枕元に立ち右槌を兩手に握り、Bの顔面目蒐けて力任せに二度打下し之を其の場に即死せしめ、更に同様の方法で傍に寢ている妹Cの顔面と頭部を二撃し之亦其の場に即死せしめた上、其の二死体を自宅東南方数間の地点にある古井戸内に順次投込んで之を遺棄したものであって、右の各殺人と死体遺棄とは夫々犯意継続に係かるものである

以上の事実は犯意継続の点を除き

一、被告人が田舎での労働を好まず自分の力で一家を支えて行こうと言う意気込もなかった点から、其の母や妹が被告人を邪魔者扱にし、家庭が圓滿でなかった点迄の事実を除き、被告人の当公廷での判示と同旨の供述

二、原審第一囘公判調書中被告人の供述として、自分方は米麦は一切耕作して居らず配給生活であったので、自分と妹の日稼による收入丈で生活していた、自分は板場を働き度いと思って居り日稼仕事其のものが面白くなかったので、母や妹には私が横着のように見え夫に加え自分の食慾が旺盛なので、不足勝の食糧は逼迫の度を加え、母や妹の気嫌が悪く家内は円満でなかった、自分が帰ってからは母や妹は自分を邪魔者扱にし、食物に付ても自分が居る為に不足するように言っていたとの記載

三、強制処分での予審判事の証人Dに対する訊問調書中同証人の供述として、自分は被告人方の近所に住んでいるので同人方に出入して交際しているが、被告人方は被告人と其の母及妹の三人家族であるが、昭和二十一年九月頃から其の母と妹が居らぬようになり、不思議に思って被告人に訊ねると二人共山県郡の親族の家へ行って居るとのことであったが、祭が来ても正月が来ても帰らず其の内山県郡の方へは行って居らぬことが判ったので、一体どうしたのかと思っていたが昭和二十二年一月十七日被告人方へ遊びに行ったとき友人の寺本修も来たので自分と寺本は被告人に母や妹を搜さずに居ては申訳ないではないかと言うと、被告人は黙り込んでいたが、帰るとき寺本が何の気もなしに被告人方の畠の中にある井戸の蓋を除けて見たところ何か変なものがあると言うので自分も覗いて見ると、人の死骸らしいので之は大変だと思い、其処迄一緒に出て来て居た被告人の顔を見ると顔色が悪くなり遂には泣き出したので寺本と相談し、同人が駐在所へ届け自分は被告人の守をしていたとの記載

四、強制処分での予審判事の証人寺本修に対する訊問調書中同人の供述として自分は幼時から被告人を知っている、同人は昭和二十年頃働先から帰って来て日稼をしていたが余り仕事は好きでなく金遣も荒いように聞いている、其の母や妹も他家に雇はれ日稼をしていたが何れもおとなしく評判はよかった、被告人は仕事に余り熱心でないので母親の気嫌も悪く時々喧嘩のあるような話を聞いたことがある、昨年九月頃から何時も自分方へ話に来ていた其の母親がぱったり来なくなり母も妹も被告人方から見えなくなったので不思議に思っていたが昭和二十二年一月十七日被告人方へ遊びに行くとDも来ていて被告人の母と妹の話が出て色々問ひ糺したら被告人は顔色を変えていたが自分は兎に角被告人方前の井戸にでも落ちているかも判らぬから一度井戸を見ようと言うと被告人はいよいよ青くなって今晩自分の家へ相談に行くからと言ったが自分は何んだか井戸が是非見度い気になりDを誘ひ井戸のところへ行った、被告人も一緒に井戸のところへ来たが井戸の蓋を自分がとりDを呼んで中を見て貰うと人間の手が見えると言うので大騒になったとの記載

五、鑑定人香川卓二作成の昭和二十二年二月十五日付鑑定書中邑神B同Cの死体は死後数ヶ月経て居て、死因は詳でないがBの前頭部前下方と右上顎骨部、Cの右側頭骨鱗状部の前上部と右前頭顴骨聨接部に夫々鈍体による打撲に基く骨折があり、若し右の損傷が生前に生じたものであったならば、被害者等は何れも負傷後直ちに或は間もなく鬼界に入るべき程度のものである旨の記載を綜合して之を認め犯意継続の点は被告人が前記各同種の行為を引続いて行ったことに徴して之を認定する

 法律に照すと右の内Bを殺害した点は刑法第二百条に、Cを殺害した点は同法第百九十九条に、その二死体を遺棄した点は夫々同法第百九十条に該当し以上は夫々犯意継続に係るものであるから、同法第五十五条第十条により殺人罪に付ては法定刑の重い尊属殺の一罪として死体遺棄に付ては犯情の重いBに対する死体遺棄の一罪として処断すべきところ、右二罪は同法第四十五条前段の併合罪であって尊屬殺人罪に付死刑を選択するを相当と認めるので、同法第四十六条第一項を適用し、他の刑を科せず被告人を死刑に処し訴訟費用は刑事訴訟法第二百三十七条第一項に従い全部被告人に負擔せしむべきものである

仍て主文の通り判決する

この著作物は、日本国の著作権法第10条1項ないし3項により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。(なお、この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により、発行当時においても、著作権の目的となっていませんでした。)


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。