机 (田山花袋)
机 田山花袋
書斎の机に坐って見る。
筆を執って、原稿紙を並べて、さていよいよ書き出そうとする。一字二字書き出して見る。どうも気に入らない。題材も面白くなければ、気乗りもしていない。とても会心の作が出来そうに思われない。もう日限は迫って来ているのだが、「構うことはない、もう一日考えてやれ。」と思って、折角書く支度をした机の
「また、駄目ですか。」
こう妻が言う。
「駄目、駄目。」
「困りますね。」
「今夜、やる。今夜こそやる。……」
こう言って、日当りのいい
T雑誌の編集者の来るのが、そうなると恐ろしい。きっとやって来る。そしてどうしても原稿を手にしない中は承知しないという
と、今度は、もうどうしても書けないような気がする。
「駄目、駄目。」
「どうしても、出来ませんか。」
妻も心配らしい顔をしていう。
「こうして歩き廻っているところを見ると、どうしても動物園の虎だね。」
「本当ですよ。」
妻も
「ああ、いやだ、いやだ。小説なんか書くのはいやだ。」
「出来なければ仕方がないじゃありませんか。」こうは言うが、妻は決して、「好い加減で好いじゃありませんか。」とは言わない。それがまた一層苦痛の種になる。 ところへ、T君がやって来る。
「どうも出来ない。今度は出来そうもないよ。」
「それじゃ困りますよ。当てにしているんですから。出来ないと、そこが
「だって、出来ないんだから。」
「じゃ、もう一日待つから。」
こう言ってT君は帰って行く。
また、机に向って見る。やはり出来ない。
妻は気にしてソッとのぞきに来る。それも知れると怒られるから、知れないように……そして筆を執って坐っていると安心して戻って行く。
「書けましたか?」
「駄目だ。」
「だって、さっき書いていらしったじやありませんか。」
「……」
ところが、ふと、夜中などに興が湧いて来て、ひとりで起きて、そして筆を執る。筆が手と心と共に走る。そのうれしさ! そのカ強さ! またその楽しさ! 見る
この著作物は、1930年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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