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朝鮮王朝実録/1849年/6月9日/哲宗実録4

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日本語訳

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礼曹の啓告:殿下が嗣位されて内三殿に位号を加上することができません。そこで、在外儒賢らと館閣堂上らと相談しましたが、趙寅永殿が、「国朝の王后の尊称は、中国の太皇太后を模したことから始まっている。この問題については以前は大きな問題なく典礼を論ずることができないものである。そこで考えると、中国の史記には単に太后という称号だけで、○太后と徽称がつく。別に上下の関係をなくすと言っている訳ではない。中宮殿を大妃殿にするように、殿閣の名称を改称すればよいことだろう。」また権敦仁殿も「成宗期にもこの問題があったそうだが、その時と今日では、状況が大きく違ってくる。慈聖をお呼びして献議してはどうだろう」

との事で後日大王大妃殿が献議に出席される。

原文

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禮曹啓: “嗣位後內三殿位號加上事, 詢問大臣, 在外儒賢館閣堂上, 領府事趙寅永以爲, ‘謹按我朝大王大妃之尊稱, 寔昉於古昔太皇太后之號, 而外此無加隆可據之文, 何敢妄議於莫重之典禮乎? 無已則有一事之或可傍照者, 古史未嘗無單稱太后處, 或稱某太后處, 以爲別焉。 然則大王大妃殿, 王大妃殿徽稱, 不必有增於前, 只就中宮殿加上曰大妃殿, 未爲無據云。’ 判府事權敦仁以爲, ‘成廟朝三殿位號, 雖若可以旁照, 而亦興今日事面, 大有不同, 亦無以擬議。’ 云。” 大王大妃殿, 命依領府事議施行。


【太白山史庫本】1本1巻2章B面

【影印本】48本547面

先代:
1849年6月9日哲宗実録第三項
朝鮮王朝実録
1849年6月9日哲宗実録第四項
次代:
1849年6月10日第一項