朝鮮王朝実録/1849年/6月9日/哲宗実録2

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日本語訳[編集]

大王大妃が熙政堂に進じ、主上以下時原任大臣を召見した。【領府事趙寅永、判府事鄭元容、院相権敦仁、左議政金道喜、判府事朴晦壽、都承旨洪鍾庁、記事官洪鍾雲、徐翼輔、南秉吉である。】

大王大妃殿:「今日、主上は大命を受けて、宗社は無疆なる福を受けるだろう。主上はこれが初めてであり、また君徳を成就するには、講学を受けられ、帝王学を学ばれなければ国朝の憂情を理解されないだろう。君臣一同が一つになって勉学に励み徳性を輔導することを、各々方諸大臣に期待している。予はすでに数回の喪慽を目にしており、精神が昏迷しているが、この選択を取ったのには憂事を考慮し、他に継嗣がいないので、宗廟に誓って仕方なく强作し、主上には義理の関係となってもらい、この為諸卿を召して布諭したまで。また輔導に関しては今ここにいる大臣が責任を取って指導すべし」
諸大臣一同:「我らが廷臣一同は最大限の誠意と心力を尽くして、少しでも助けになるよう努めます。このことは当然太母殿下の導きが、かかっております」
大王大妃殿:「今日は主上の即位日である。だから、予は、民を愛して、熱心に学び、勤倹節約することと、君臣を優遇し、大臣を敬う諸条、先王の教諭を聞く諸大臣は傍聴者であり、主上が後日一挙一動する際に、今読む規則に外れたら、諸大臣は必ず主上を難責して道理を正すべし」
鄭元容:「慈聖は今また重ねて社稷を安定され、君徳について勉戒し、廷臣達に飭諭する事、為国一念につながります。惻怛している慈聖に懇摯いたします。主上の為を思って、敬う諸条を奉じてはいかがでしょう」
権敦仁:「諺文教旨を閲覧させていただき、聖衷を考えさせていただきますと、慈聖は勉励で、治法と謨猷は湯の盤銘の『日日新又日新』以上のもので、廷臣一同は慶祝し、万万の徳を保たれています。」
趙寅永:「廷臣の考えでは、諺文の勉戒は一編だけを常に読んで、慎重に行うと、これは慈聖の意の威光を増せます」
主上:「私も太母殿下に謹んで奉行いたします」
鄭元容:「今の殿下のお言葉は宗社と生民の福を招かれるでしょう」
金道喜:「今、慈聖が下された諺文教旨を見ますと、殿下に訓戒したことが文字ごとに並んでおり懇惻し、我々廷臣は半分も読まない内に、感激し、涙を流すほど言葉では表せないすばらしさで、諺教の中の『民を愛し、節倹せよ』というお言葉と『経史を熱心に議論し、見習いなさい』というお言葉は、我ら主上殿下以下が心に留めて、行うべき政治であり、すぐ言教に刻んで、今後の殿下の治功と宣化がここで基礎をなすでしょう」
鄭元容:「古来の人々が太子を教える道理を論じて言った。『前後左右の非正人以外の人の正しい言葉を毎日聞いて、正しいこと行うべきである』ですが、これは朝臣に対して作った造語です。そして今、左右に進言諫言をすることに服事するべきものを新たに、慎重を期して、おくべきであります」
大王大妃殿:「全くその通りなり。人は貴賎を問わず、それぞれの賦性があるので、謙虚な人もいれば、忠節で正直な者もいる。士大夫達は何もしなくとも賢士大夫と呼ばれるが、王を輔導する者は誰一人とていない」
鄭元容:「ちなみ我ら廷臣からの質疑ですが、主上殿下はどのような本を昨今まで読まれていたか、お伺いしたいところです」
権敦仁:「今から我ら大臣一同が殿下に質疑を尋ねますので、大臣が申した後には、必ずご返答ください」
主上:「待ってくれ、かつて通鑑と小学の1巻、2巻を読んだことはあるが、近年は書物を読んだことすらない」
趙寅永:「何ですかそれは、読書と講理は聖徳をなす根幹になるのですぞ。今までに習ってきたものに温繹を加えて取り組んで行って怠っていなければ、なぜ聖賢の千言万語は小学に限られるのでしょうか」
主上:「しかし、書物は幼い時にしか読んでいないので、今は全く記憶に残っていないのだ」
大王大妃殿:「一体、主上はいくつ書物を読まれてるのか。もしや分からない、漢字や文章でもあるのですか」
鄭元容:「まあお待ちください。まず史略を学ばれて、その後に少し文理を理解させた後、経書を学ぶことがよいと存じます。それと今日の諺文教旨を承旨にでも分かられるよう翻訳させて1通ぐらいは早く御覧できるように朝報を使って頒布されることがよいでしょう」
大王大妃殿:「そのようにいたしなさい」

原文[編集]

大王大妃殿, 召見時原任大臣于熙政堂。【領府事趙寅永, 判府事鄭元客, 院相權敦仁, 左議政金道喜, 判府事朴晦壽, 都承旨洪鍾應, 記事官洪鍾雲、徐翼輔、南秉吉】大王大妃殿曰: “今日主上, 誕受大命, 卽宗社無疆之福。 且主上之厥初也。 君德成就, 惟在講學, 人君不學則何以爲政事乎? 君臣上下, 一心交勉, 期於輔導德性, 深有望於諸大臣矣。 予屢經喪戚, 精力澌綴, 今又當不忍見之境, 何以强作, 而宗社至重, 主上新嗣, 又此召卿等布諭。 此後輔導之責, 惟在諸大臣矣。” 寅永等齊聲曰: “臣等固當殫竭誠力, 以爲一分裨補之地, 而亦惟在太母殿下, 自內提撕之如何耳。” 大王大妃殿曰: “今日, 主上御極之一初也。 予以愛民勤學節儉禮群臣敬大臣諸條, 先爲敎諭, 而召諸大臣傍聽者, 主上他日一動一事, 若有違於此訓, 則大臣, 須以予言, 難責可也。” 元容曰: “慈聖, 今又有重安社稷之功, 而又此勉戒君德, 飭諭臣等者, 爲國一心, 惻怛懇摯。 主上豈不敬受而力行乎?” 敦仁曰: “伏覩諺敎, 伏想聖衷, 亦必淬勵警惕, 而治法政謨, 不啻若湯盤之 ‘日新,’ 臣不勝慶祝萬萬矣。” 寅永曰: “臣謂只以此一編諺戒, 銘心常目, 慥慥力行, 則此可以仰答慈意矣。” 上曰: “謹當依此奉行矣。” 元容曰: “殿下此答, 宗社生民之福也。” 道喜曰: “卽伏覩慈聖殿下內下諺敎, 所以訓戒我殿下者, 字字懇惻, 言言切當, 臣奉讀未半, 而自不覺感淚之橫流也。 至若諺敎中 ‘愛民節儉,’ 與 ‘討論經史, 孜孜聽從,’ 首尾三四件, 無非我殿下所宜服膺而力行者也, 亟取此諺敎而紬繹之, 體行之, 則他日之聖神功化, 其基於此矣。” 元容曰: “古人論早諭太子, 之道曰, ‘左右前後, 罔非正人, 日聞正言, 日行正事,’ 此則指朝臣而言也。 今必新置左右服事之類, 亦爲愼擇好矣。” 大王大妃殿曰: “果然矣。 夫人, 無論上下貴賤, 各自有賦性, 雖微賤之人, 亦不無愚忠正直者矣。 士大夫則輒稱賢士大夫, 而其中亦或有以非道導其君, 而竟使歸過於君上, 豈不可歎哉? 此所以人無貴賤, 惟在擇用而已。” 元容曰: “臣陪從二日, 而雖欲知前日之魯讀何書, 然路次不敢仰問, 今可以言矣?” 敦仁曰: “自今諸大臣仰奏之後, 必爲賜答焉。” 上曰: “曾讀《通鑑》二卷, 《小學》一二卷, 而近年則無所讀矣。” 寅永曰: “讀書講理, 固爲作聖之基。 若於此已學之數編中, 常加溫繹, 力行而不倦, 則自古聖賢千言萬語, 豈有外於《小學》一書乎? 上曰: “然而兒少時泛忽讀過, 今則黯黯不能記憶也。” 大王大妃殿曰: “若始讀則當自何書爲可乎?” 元容曰: “始讀則自《史略》, 而稍鮮文理後, 繼讀經書好矣。” 又曰: “今下諺敎, 使承旨翻繹一通進覽, 又頒布於朝紙好矣。” 大王大妃殿曰: “依此爲之。”

解釈[編集]

語録 ハングル 意味
太母殿下 태모전하 大王大妃の敬称
慈聖 자성 ここでは大王大妃を指す。
主上 주상 目上の者が王を指すとき。この時期は勢道政治が行われていたので、大王大妃に限らず、国舅、摂政も使う場合がある。
聖衷 성충 君主の考えや意見。

【太白山史庫本】1本1巻1章A面

【影印本】48本547面

先代:
1849年6月9日哲宗実録第一項
朝鮮王朝実録
1849年6月9日哲宗実録第二項
次代:
1849年6月9日哲宗実録第三項