朝鮮王朝実録/1776年/3月10日/正祖実録2

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日本語訳[編集]

貞純王后を王大妃に封号し、恵嬪を恵慶宮に、嬪宮を王妃に冊封した。礼曹では祖母の貞純王后を尊崇すべきとあって、領議政金尚喆が「仁祖が王位に登極した際、祖母にあたる仁穆王后に大王大妃を封号されております。これは我が国の前例(典礼)であります」というので王は、「余もまた長陵(仁祖期)の故事を知っているし、宗統には継序も大切である。然るに、祖父から孫に王位を与えられ、さらに弟に譲っても、その祖父も兄の地位は禰位にあたるという法令がある。私はただそれに従って、祖父の御位を継承し、王大妃として封号しているのに、さらに大王大妃に封号しろとは行き過ぎている。遺教に従っているのだし、孝章世子は後日追尊されるので、またその時に相談したい。そもそも神聖な位の意味を遵守しなければならない」と言い儒臣に問うと異議なく王大妃にとどまった。またその後に恵嬪に恵慶宮の称号を与えた。王は「恵は先王から下賜された名なので改名できないが、ただ嬪の位を直す必要がある」と言った。

原文[編集]

尊王妃爲王大妃, 惠嬪爲惠慶宮, 冊嬪宮爲王妃。 禮曹以尊崇稱號稟, 領議政金尙喆奏曰: “仁廟登極, 仁穆大妃以大王大妃稱號, 此我家典禮也。” 上曰: “予亦知長陵故事, 而宗統大繼序重。 雖以孫繼祖, 以弟繼兄, 祖與兄當爲禰位, 今日當用此例。 予意竊附以孫繼祖之義, 非徒以未奉王大妃, 而直稱大王大妃之爲未安也。 禮意雖如此, 旣有承統之遺敎, 則孝章廟自當追崇, 伊時更爲議定, 亦可遵加號之聖意也。” 命收議百官及在外儒臣, 無異議, 乃尊王妃爲王大妃。 大臣又以惠嬪宮稱號稟。 上曰: “惠字卽先王所賜之號, 只改嬪字也。”

【太白山史庫本】1本1冊1章B面

【影印本】44本561面


先代:
1776年3月10日正祖実録第一項
朝鮮王朝実録
1776年3月10日正祖実録第二項
次代:
1776年3月10日正祖実録第三項