朝鮮教育要覧 (大正八年)

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動

朝鮮教育要覧[編集]

朝鮮総督府

凡例[編集]

一 本書は大正二年六月及大正四年十二月発行朝鮮教育要覧を改訂したるものなり
一 本書に掲けたる統計表の類は概ね大正七年五月末日の現在に依れり

大正八年一月
朝鮮総督府

緒言[編集]

朝鮮に於ける教育の制度は之れを別ちて内地人教育に関するものと朝鮮人教育に関するものとの二とす勿論朝鮮人教育の本義とする所も亦内地人教育と同じく教育に関する勅語の旨趣を奉体し忠良なる国民を育成するにあれど朝鮮の時勢及民度は未だ全然内鮮両者の合同教育をなすに至らず之れ其の学制に於て二系統の分立する所以なり而して明治四十四年十月二十四日曩に宣諭し給ひし教育勅語を特に朝鮮総督に下し給ひたるを以て本府に於ては之れが謄本を作成して等しく内鮮人教育をなす学校に下付すると共に又文学博士重野安繹著教育勅諭衍義を配布し又別に勅語奉釈上の注意書を作成して據る所を知らしめたり
而して在鮮内地人教育に関しては内地に於ける教育との連絡上学校規則及諸規程は文部省との連絡を保つことに努めたれども亦朝鮮には自ら顧慮すべき幾多の事情あるを以て特に注意すべき事項を明示し其の教育をして時弊の感化を受けしめざるは勿論将来朝鮮の同化の上に貢献せしむることに注意せり(第二編参照)又朝鮮人教育に在りては朝鮮教育令によりて其の大綱を明にし且普通教育、高等普通教育、実業教育及専門教育に関しては夫々当該学校規則及官制、関係諸法規等を定め以て朝鮮教育の実施に関する根底を明にせり
されど之れが成績の実現に関しては一に直接其の衝に当るべき学校教員の人格如何に存し誠意努力するにあらざれば能はざる所なり因りて更に大正五年一月四日教員心得を発布して教育者たる者の服膺すべき日常必須の事項を掲記し其の目的とする所を貫徹せしむるに遺憾なきを期せり教員心得は三條九項よりなる今参考の為之を左に掲ぐ

教員心得
帝国教育の本旨は夙に教育に関する 勅語に明示せらるる所其の内地人に対すると朝鮮人に対すると問わす均しく 聖慮に基き忠良なる国民を育成せさるへからす蓋し我か帝国は開闢以来万世一系君臣一体世界に比類なき国体を有す故に帝国臣民たるものは協心戮力祖先の美風を継承し以て天壌無窮の皇運を扶翼せさるへからす是れ実に教育の大本にして又国家か特に教育を布く所以なり故に教育の任に当る者は常に国民教育の大本に思を致し特に左の三箇条に留意して努力奮励せむことを要す
第一条 忠孝を本とし徳性を涵養すへし
忠孝は人倫の大本にして臣子の至情に出つ此の大本に基き此の至情に出てて始めて百行其の軌を謬らさるを得へし忠誠孝順能く臣子の本分を知るものは日常其の業を執ること忠実に其の産を治むること勤倹に以て身を立て世に処し国運の発展に貢献するの人たるを得へし故に教育の任に当るものは忠孝を本として徳性を涵養し以て帝国の臣民として其の本分を完うし得るの人物を教養せむことを期すへし
第二条 実用を旨として知識技能を教授すへし
教育の要は実用的人材を育成し国家の需要に応せしめむとするに在り若し国民にして徒らに空論に走りて世用に遠さかり勤労を厭ひて実行を忽にするか如きことあらは何そ能く身を立て産を興し国益を増進し以て其の本分を完うすることを得むや故に教育の任に当る者は須らく利用厚生の道に著眼し有用なる智能啓沃に務め以て国家の需要に適応する実用的人材を育成せむことを期すへし
第三条 強健なる身体を育成すへし
凡百の事業を遂行するには強健なる体力を要し国家の富強も亦強健なる国民の努力に待つこと大なり身体贏弱にして用に耐へすむは何そ能く世に処し業に服し以て帝国の進運に貢献することを得むや故に教育の任に当る者は此に留意し強健なる国民を育成せむことを期すへし
以上の三箇条は教育の大綱なり凡そ邦家の隆替は之を構成する人民の良否に由り人民の良否は其の徳操智能教育の如何に存す故に苟も教育に従事する者は其の初等教育たると高等教育たるとを問はす普通教育たると専門教育たるとを論せす常に此の大綱を念頭に置き全力を挙けて其の実現を期し以て教育の本旨を達せさるへからす而して之か実現の方法につきては特に左の九項に注意するを要す
一 生徒の性質境遇に順応して教育を施すへし
教師は先つ生徒一般の性質境遇を明かにし之を順応して適当なる教育を施ささるへからす生徒の性質及境遇の如何を究めすして漫然教育を為すか如きことあらは教育の効果を収むる能はさるのみならす或は有害なる結果に陥るへし故に教師は予め生徒の年齢体質気風習慣等を知悉して教育の資となさむことを要す又教師は生徒一般の性質境遇の外に各生徒の個性を知り之に応して善導すること猶ほ良医の応病施楽の工夫をなすかことくなるへし若し夫れ教室に於ける一般教育のみを以て能事畢れりとなし一般生徒に対しても個人に対しても特別の指導扶掖を怠るか如きことあらは未た以て周到切実なる教育と謂ふこと能はす
二 時勢と民度とに適合する教育を施すへし
教育は時勢と民度とを稽へ之に適合せむことを務めさるへからす徒らに困襲の形式に拘束せられ或は漫然事を処するか如きは教育の功を収むる所以にあらす故に教師は徳育に智育に体育に各一定の計画を立て周密なる予定を案し以て教育の方法を校量するに於て遺算なからむことを要す
三 訓育に留意し国民的性格の養成に力むへし
教育に於ては国民的性格の養成を期し特に訓育に力を用ひ徳性の涵養を務めさるへからすされは学科を授くる間にも実習を課する間にも其の他機会のに留意ある毎に訓育して訓誨に勉め生徒をして日常人に接するに寛容己れを持するに謹恪秩序を重んし規律を守り力行業に励み倹素身を奉し著実敦厚習ひ性となり能く国民たるの本分を完うすへき人物を教養せむことを期すへし
四 統一ある教授を行ひ錬磨の効を積ましめ生徒をして其の学ふ所を確実ならしむへし
教授を的確ならしめむか為めには各教科目の教授の目的を明かにし系統を追ひ秩序を正すと共に各教科目の間に連絡統一あらしめ散漫孤立に陥り扞格矛盾するか如きことなきを要す各教師科目を分ちて業を授くる場合には特に此の点に注意し互に連絡を保ち協議を怠らす生徒をして首尾相応し脈絡貫通する教授を受けしめむことを期すへし生徒に授くる知識技能の分量は必すしも多きを貪るへからす要は生徒をして十分に理会習熟せしむるにあり故に一旦授けたる知識技能は機に触れ物に応して反復練磨の効を積ましむへし此の如くにして始めて生徒の修得せる智能は確実なる根帯を具へ円熟なる統一を保ち自由に敏活に運用せらるるに至るものなり
五 学習に興味を感し自学自習の習慣を得しむへし
教授の際は適当なる方案により興味を感せしめ理会の透徹を図り生徒の向学心を振起すること肝要なり又生徒を教授するに当りては単に知識技能の授与を為すのみならす兼て学習の方法をも指導せむことを要す其の他実科教育に於て実習に対して興味を感せしめ生徒をして欣んて之に服せしめ勤勉の習慣と労作の趣味とを養成すへし斯くて生徒か他日業を卒へ師を離るるも遊衣徒食に安んせす尚ほ能く自学自習の習慣を保持し又各自の業務に奮勤するの気風を養成せむことを要す
六 身体の鍛錬に留意し体操と共に適当なる運動を奨励すへし
人の世に処し事を成すや強健なる体力を待たさるへからす故に身体の発育に伴ひ適度の体操を課し又季節に応し土地の状況に従ひ適当なる運動、遊戯を奨励し以て身体を鍛錬し気力を旺盛にし寒暑風雪を冒し困苦欠乏に耐へ得るの体質を養成すへし尚ほ生徒をして修学中は勿論卒業後と雖自ら進んて運動を務むるの風を養成し其の体質を強健にせむことを期すへし
七 教師は親愛と威重とを以て生徒に臨み常に率先して模範を示すへし
教師の生徒に望むや威重なかるへからす之によりて教授訓練共に凛として生気あり以て教育の効力を生む然れとも一面には温情春の如く慈愛海の如きものありて以て師弟間の親和を繋き感化薫陶の実を挙けさるへからす而して教師の生徒に求むる所のものは必す自ら率先して躬行し言行一致以て生徒の儀表たらむことを期すへし
八 教師は志操を堅実にし常に自己の修養に力むへし
教育の事業たる功を目前に求めすして之を永遠に期するものなれは教師たるものは教育を以て名誉ある天職とし屈せす撓ます終局の目標に向つて勇往邁進し斯業に殉するの操守なかるへからす又教師は其の任務の重大なる所以を自覚し修養の足らさるを以て憂とし益進みて事業を研究し経験を積み常に意を人格の修養と学芸の研鑽とに用ひ以て向上進歩に務め其の責務を完うせむことを期すへし
九 教師は同僚相親和し進んて父兄郷党に親み之を教化するの覚悟あるへし
教育の事業たる関係する所大にして独力其の効果を挙け難きものなれは教師は同僚互に親和一致し好意を以て忠告善導し優良なる校風を扶植し最善の訓化を生徒に及ほさむことを期すへし其の他教師は父兄郷党と親睦提携し相呼応して教育の事業を成就せむことを計ると共に社会の先覚を以て自ら任し之を教化誘導するの覚悟あるを要す

之を要するに教師たるものは帝国教育の本旨を体し之を実現する所以の方法を講し至誠を基とし努力之を遂行し以て教育の実績を挙げ帝国の進運に貢献せむことを期すへし蓋し人生凡百の行為一として至誠に基かさるはなく努力に待たさるはなし此の至誠此の努力ありて始めて能く忠良なる国民を育成し 聖旨に奉答することを得へし本総督朝鮮の教育に関し其の職に当る者に望を属するや切なり茲に教師の日常心得へきものを示し其の帰嚮する所を知らしむ

第一編 朝鮮人教育[編集]

第一章 沿革[編集]

第一節 併合以前の教育[編集]

朝鮮従来の教育は儒学を宗とし範を明清に取り主として経学の諸書を講するに止まれり教育機関として京城に成均舘及東、西、南、中の四学あり各郡に郷校あり各面洞に書堂あり書堂は所謂初等教育の機関にして書堂を経て郷校若くは四学に入り更に成均舘に進みて最高の学問を修むるを順序とせり明治二十七年(開国五百三年)科挙の制廃止せらるゝと共に此等の教育機関は著しく衰退に赴き四学自ら罷み郷校亦文廟の享祀に旧態を存するのみにして子弟の教育を行はず成均舘は依然として存在すと雖も亦旧時の盛を見ず唯全国無数の書堂のみ到る処に存在し其の命脈を保てり
明治二十八年(開国五百四年)旧韓国政府は庶政の改革を行ふと共に教育の制度を立て小学校令を始め教育に関する諸般の法規を頒布し京城に官立師範学校、中学校、日、英、独、仏、露、漢の外国語学校、医学校、農商工学校、高等尋常小学校、各地方に小学校の設立を見たりと雖も此等の制度は悉く日本の法令を模倣したるのみにして当時の時勢民度に適さざるものあり又之を運用すべき職員其の人を得ざる等の理由により効果の著しきものあるに至らざりき
朝鮮に於ける私立学校は基督教宣教師が布教の傍ら子弟を集めて教育に従事したるを以て最も古しとなすと雖も私立学校勃興の兆を呈したるは先つ明治三十二年の交にして当時京城付近に於ては相次て其の設立を見るに至り内地人の経営にかかる朝鮮人教育の学校亦此前後より漸次設立せられ大日本海外教育会及東亜同文会が朝鮮の教育事業に率先尽力したる功績や決して没す可らず而して明治三十八年(光武九年)日韓協約の締結に次き統監府設置前後より私立学校の数著しく増加し全道到る処其の設立を見ざるはなく其の数殆んど数千を数ふるに至れり
明治三十七年八月日韓協約締結せられ日本政府の推薦する財政外交の両顧問を傭聘し所謂顧問政治を開始するに至るや学部亦日本人学政参与官を置き学政顧問の府を設けて文学博士幣原坦をして教育行政の枢機に参与せしめたり超へて明治三十九年統監府の設置あり伊藤統監其の任に就くや其の指導の下に統監府書記官俵孫一命を承け学部に入りて鋭意教育の刷新に従事し法令の改廃、学校の新設等著々其の歩を進め内地人教員の配置、教科書の編纂等に至るまで制度内容共に旧態を一変したり而して学政参与官幣原坦は統監府設置後間もなく其の任を辞し後任として三土忠造来任したれども主として教科書の編纂に従事し学政事務は統監府書記官俵孫一専ら之に参与し学制全部を改革して明治三十九年九月より之を実施し同四十年韓新協約の結果同人学部次官に任せられ当局大臣を補佐して教育行政の衝に当り日韓併合当時に及べり
明治三十九年の学制改革は之を臨時学部拡張費に待てり同年三月旧韓国政府起業資金債の成立するや同政府は五拾万円を割て臨時学部拡張費に充当したり而して其の用途は重きを初等普通教育の拡張に置き旧来の官立師範学校に大刷新を加へ普通学校教員養成の機関を拡張し又在来の小学校を廃して普通学校となし京城及各道枢要の地の普通学校に内地人教員を配置し其の他官立諸学校を整理して之か刷新を図りたり而して右臨時拡張事業は明治三十九年より翌年に至る二箇年に於て畧其の業を完ふするを得たり
以上学制の整理改善により旧韓国政府は此に新教育を開始したり同政府が施設したる新教育は教育の模範を示すに存したるも因襲の久しき朝鮮教育上の積弊は容易に改善することを得ざるのみならず当時名を韓国の富強開発に藉りて各所に私立学校勃興したれども時勢に応じ民度に照して施すべき教育の如何を知らず旧弊は更に新弊を加へ少年子弟の前途を誤るもの多き情況なりし此に於てか旧政府は各道枢要の地に公立普通学校を設置し内地人教員を配置して主脳者となし新教育の模範を示さしめ更に私立学校を選択して之に補助を与へ公立普通学校に準したる教育を施さしめたり
旧韓国政府が内地人参画の下に新制度を立て官公立学校を設置するや種々の誤解は地方民間に生じたり其の著しきもの二三を挙くれば大要左の如し
一、官公立学校に対する誤解 旧政府に於て新に学校を経営し授業を開始するや是れ官学なり政府の利益の為に設くる学校なり我等の子弟は私学に於て学ばしむべく官学に於て学ばしむべきものにあらずとなし試に地方学校経営者に対し其の校舎を提供せしめ補充拡張して設備を整へ教員を派遣し完全なる教育を施さしめんとするも彼等は美名を藉りて自己の学校を掠奪せんとするものなりなど唱へて容易に応するものなかりしが如き亦以て地方人民が従来悪政の結果如何に政府を誤解したるかを知るに足るべし
二、内地人に対する誤解 学校経営の主脳たる内地人教員に対しても当初は一般内地人に対すると同一なる嫌悪の念を抱き内地人教員に子弟を託するを屑しとせざるものあり然るに各教員が生徒に対する懇篤を極め熟誠職務に忠実なるを見るや寧ろ奇異の感を抱き歳月と共に漸次尊敬と信頼とを払ふに至れり
三、教科目特に国語に対する誤解 官公立学校の教科目が従来書堂其の他に於けるものと著しく異り読書算術、国語を始めとし日常必須の教科を授くるや漢文の時間少きを難し教授時数僅少なりと評し特に国語を以て主要なる一教科目となすや是れ韓国の言語を変更せんとするものなり卒業後日本に拉致して兵卒たらしめ若くは従僕奴隷たらしむるものなりなどの風説流布し民心の帰向を得ること頗る困難の状況を呈したり
以上の如き誤解は庶政刷新の際固より免れざる所特に日韓当時の関係を喜はさるものの如きは力めて此等の訛伝を流布し民心の帰趨を誤らしめんとするもの少らず此等の誤解の為地方公立普通学校にありては生徒の募集上著しく困難を来し書籍器具を給与し授業料を徴収せざるに拘らず中流以上の子弟は容易に入学せず却て設備整はず教養の実なき私立学校に入学するもの多く公立普通学校は貧民学校なりとの悪評を受くるに至れり此を以て生徒の募集頗る困難を呈し東奔西走集め得たる生徒は多くは是れ貧家の子弟而も入退頻繁にして朝に入りて夕に去るの状態にあり此等の事情の下に経営の任に当る内地人教員にありては内経営の苦心名状すへからざるものあるのみならず民情未だ一般に内地人を歓迎せず加ふるに習慣風俗を異にし僻陬地に在勤する者の如きは交通不便にして内地人の居住するもの未だ稀なる寂寞たる境涯に身を投し物資の不足、医術の欠乏、風土の不適等生活の困難と戦ひつつ努力奮闘克く其の職を竭したり此等の困難の為め或は妻子を失ひ或は自ら二竪に斃れ或は暴徒の襲撃に遭遇し生死の間に処し来りたるが如き其の例少らざるは事実にして今日朝鮮教育の発展を見るに至りしは此等先任者の努力に俟つ所多しと謂はざる可らず
此の如くにして開始せられたる新教育は如上幾多困難の存するものありしと雖も歳月と共に自ら民心の帰趨を制し特に地方普通学校の如きは漸次生徒の入学を増加し至る処校舎の狭隘を告くるに至りたるのみならず力めて奨励したる勤倹力行の美風漸く其の萌芽を発し軽佻浮薄、空論横議の弊習亦自ら矯正されつつあるの傾向を呈し一般子弟の志望実業方面に向ふ現象あると共に私立学校の経営者に対しても聊か覚醒を促し徐々として模範の実を示しつつあるの状態を呈したり而して京城に於ける官立学校の如きは学生の入学せんとするもの頗る多く例年選抜入学を許すものは志望者の幾分を満たすに過ぎず概して民心の状況之を創始当時に比すれば殆んど隔世の観を呈したり
旧韓国政府が施設したる教育は重きを普通教育に置き次て実業教育を奨励し更に師範教育、高等普通教育並に或種の専門教育を施すにありたり明治三十九年学生を改革するに当り総て旧来の制度を改め普通学校、師範学校、高等学校、外国語学校、高等女学校、実業学校の諸学校令及同施行規則並に私立学校令等相次て発布せられ京城及各道所在地より始めて漸次官公立普通学校を設置し京城に成均館、法学校、師範学校、高等学校、外国語学校、高等女学校平壌に高等学校の各官立学校を置き而して釜山、仁川其の他枢要地点に官立又は公立の実業学校を設置し此等の施設は年々拡張と改善とを加ふると共に漸次民心の帰向する所となり以て併合当時に及べり而して以上の諸学校は旧韓国政府学部の所管に属し右の他水原農林学校、大韓医院医学校、工業伝習所等何れも相当の設備を有し且良好の成績を挙げたり
明治三十九年学制改革以来併合当時に至る旧韓国政府学部所管に属する教育施設の状況を概記すれば左の如し

種別 明治三十九年 同四十年 同四十一年 同四十二年 同四十三年
普通学校 官立 九
公立 十三 四一 五〇 八二 一〇〇
法学校 官立 一
師範学校 官立 一
高等学校 官立 一
外国語学校 官立 七
高等女学校 官立 一
実業学校 官立 一
公立 三 十四
実業補習学校 公立 四
備考 本表には私立学校を掲けず但し公立普通学校中には補助指定普通学校を含むも乙種公立普通学校を除外す

第二節 併合以後の教育[編集]

明治四十三年八月韓国か日本帝国に併合せらるるや時の統監寺内子爵は施政の綱領を示して朝鮮上下の民衆に諭告せり其の教育に関する節に曰く

教育の要は智を進め徳を磨き以て修身斉家に資するに在り然るに諸生勤もすれは労を厭ひ逸に就き徒に空理を談して放漫に流れ終に無為徒食の遊民たる者往々にして之れ有り自今宜しく其の弊を矯め華を去り実に就き懶惰の陋習を一洗して勤倹の美風を涵養することに努むへし

と朝鮮教育の綱領炳として明なりと謂ふへし同年十月朝鮮総督府官制発布せられ諸般行政の組織一新せられ百事維新の実を挙げたりと雖も独り教育の制度は事根本の問題に属し慎重審議将来の大計を劃するの必要あるを以て軽々しく改廃を行はす暫く旧制を存続し時勢に伴ふ当然の改廃を施し以て新政に悖る所なからしむるに止めたり
韓国の併合は極めて不穏の間に決行せられ新政の施行は一の滞る所なく 皇沢誠に全土を潤せり併合当時に於ける民心の傾向は中外の注目したる所特に民心と直接関渉を有する教育施設に対する民心向背の状況に関しては杞憂を抱くもの少からさりしと雖も京城に於ける官立諸学校の生徒か不安の念に駆られ一時幾分の減少を身たる外地方公立普通学校の如き殆と何等の影響を見す一百の公立及準公立普通学校は著々として其の施設を進むることを得たり試に併合前後に於ける官公立諸学校の状況を調査するに大要左の現象を呈したり

学校名 学校数 併合前後の生徒数 備考
七月(前) 九月(当時) 十二月(後)
法学校 一五四 一八三 一五四
官立漢城師範学校 二八〇 二五二 二五一
官立漢城高等学校 二七五 二一七 一八三
官立平壌高等学校 一一七 一二六 七二
官立漢城外国語学校 四七一 四四六 三四四
官立漢城高等女学校 二一二 二一三 一八五
一、五〇九 一、四三七 一、一八九
官立普通学校 二六二 二五〇 二三〇 官立普通学校は師範学校付属普通学校とす
公立普通学校 一〇〇 一六、三八六 一五、七九四 一五、一一六 公立普通学校中には補助指定(準公立)普通学校五十 校を含む
一〇一 一六、六四八 一六、〇四四 一五、三四六
合計 一〇七 一八、一五七 一六、二九四 一五、五七六
備考 併合は明治四十三年八月なるも同日は夏季休暇中に付九月末現在数を以て之に代ゆ

併合後一面教育制度の調査研究を進むると共に諸般教育機関の内容の充実を期し特に著しき進歩を来したるは公立普通学校の拡張なり韓国の併合行はるるや我 先帝陛下は授産教育及凶歉救済の資に充つる為め臨時恩賜金として一千七百余万円を下賜せられ其の利子五分の一、五を教育特に普通教育の資に充当することに定められたり此を以て直に地方当局と交渉して公立普通学校の増設を企劃し右恩賜金利子を基礎とし国庫及地方費の補助、郷校財産の収入等を合し翌明治四十四年度に於て一百三十四校を増設し従来一百校に過きさりし公立普通学校は一躍二百三十四校を有するに至れり
此の如く教育機関の刷新拡張を図ると共に新制度の調査此に成り明治四十四年八月朝鮮教育令発布せられ同十月関係諸法規を発布し共に同十一月一日を以て実施するに至れり朝鮮教育令の実施せらるるや寺内総督は特に諭告及訓令を発して法令の精神を明にし其の施行に関し違算なきを期せしめ各種教育機関の施設、其の改廃、職員の任命等新令の施行は何等滞る所なく行はれ爾来著々改善拡張の歩を進め大正七年五月末現在に於て官立の専門学校四、高等普通学校四、女子高等普通学校二、公立実業学校二十、公立簡易実業学校六十七、公立普通学校四百六十二校を有するに至り此等の施設に対する民心の傾向亦頗る良好にして到る処生徒を増加し教化自から郷党に及び一般の成績大に見るべきものあり

第二章 学制[編集]

第三章 普通教育[編集]

第四章 実業教育[編集]

第五章 専門教育[編集]

第六章 私立学校[編集]

第七章 書堂[編集]

第八章 教科用図書[編集]

第二編 内地人教育[編集]

第三編 雑[編集]

付録[編集]

出典[編集]

この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。

  1. 法律命令及官公文書
  2. 新聞紙又ハ雑誌ニ掲載シタル雑報及時事ヲ報道スル記事
  3. 公開セル裁判所、議会並政談集会ニ於テ為シタル演述

この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。