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曼殊院本古今和歌集

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本文

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古今和歌集巻第十七
  雜 七十首

わかうへに露そお
くなるあまの川
とわたるふねのか
いのしつくか

おもふとちまとゐ
せるよはからにし
きたゝまくをしき
ものにさりける

うれしきをなに
にくつけて[1]むからころ
もたもとゆたかに
たゝましものを

かきりなきゝみか
ためにとをる花
はときしもまたぬ
ものにそありける
---
    なりひらの朝臣
むらさきのいろこき
時はめもはるに
のなるくさきもわか
れさ[2]りけり

   右大臣
いろなしとひとやみる
らむゝかしよりふ
かきこゝろにそめて
しものを

  みは[3]るのさたのり
かしはきのもりの
わたりをうちすきて
みかさのやまにわれは
きにけり[4]

     業平朝臣
おほはらやをしひ
のやまもけふしこ
そかみよのことを
---
おもひしるらめ

   よしみねのむね
        さた
あまつかせくものか
よひちふきとちよ
をとめのすかたし
はしとゝめむ

  かはらの右大臣
ぬしやたれとへと
しらたまいはなくに
さらはなへてやあ
はれとおもはむ

  としゆきの朝臣
たまたれのこかめは
いつこゝゆるきのいそ
のなみわけおきに
いてにけり

  けむけい法師
かたちこそみやまか
くれのくちきなれ
こゝろはゝなになさ
はなりなむ
---
かゝみやまいさたちよ
りてみてゆかむ
としへぬるみはお
いやしぬると

  なりひらかはゝ
おいぬれはさらぬわか
れもありてへはいよゝ
みまくほしきゝ
みかな

  かへしなりひら
よのなかにさらぬわか
れはなくもかなちと
せといはふひとのこ
のため

しらゆきのやへふり
しけるかへるやまか
へるゝゝもおいにけ
るかな

おいぬとてなとて
わかみをせめきけむ
おいすはけふにあは
ましものか

ちはやふるうちのは
しもりなれをこそ
あはれとはおもへと
---
しのへぬれは

われみてもひさし
くなりぬすみよし
のよしのひめまつい
くよへぬらん

すみよしのきしの
ひめまつひとなくは
いくよかへしとゝふ
へきものを

あつさゆみいそへの
こまつたかよにかよろ
つよかねてたねを
まきけむ

かせふけはなみこ
すいそのそなれまつね
にあらはれてなき
ぬへらなり[5]

かくしつゝよをやつ
くさむたかさこのを
のへにたてるまつなら
なくに

たれをかもしるひとに
せむたかさこのまつ
もむかしのともなら
なくに
---
      貫之
あしたつのたてる
かはへをふくかせに
よせてかへらぬなみ
かとそみる

      伊勢
みつのおもにうかへる
ふねのきみならは
こゝそとまりといはま
しものを

    しむせい
     ほうし
宮こまてひゝきゝこ
ゆるからことはなみの
をすけてかせそひ
きける

  ありはらのゆきひら
こきちらすたきしら
たまひろひおき[6]
よのうきときのなみた
にそする

  なりひらのあそん
ぬきみたるひとこそ
あるらしゝらた
まをまなくもちるか
そてのせはきに

たかためにおりてさら
せるぬのなれはよを
---
へてみれとゝるひとの
なき
---
行成真筆 料紙八枚
     哥数三十九首

 新院御本自勝浄
 僧正至勝穢十三代相傳
 其後為妻女被譲畢
 正安第一之暦孟秋初日之候
        右金吾記

脚注

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  1. 「けて」に「ゝま」の傍書
  2. 文脈上「さ(ざ)」だろうが「左」には見えない。「千」に見えるが「ち」だとおかしい。書き間違いか。
  3. 「不」に見えるが、とりあえず「者(は)」と読んでおく
  4. 流布本とは違う歌
  5. 流布本にはない歌
  6. 「おき」に「ては」の傍書


この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。