日本女性美史 第十二話

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第十二話[編集]

源氏物語の女性[編集]

源氏物語はその精神において「もののあはれ」であると云はれるが、その內容をなすものは眞實の戀愛であり、倫理的には戀愛の責任感をあらはしてゐる。つまり、源氏の君の戀愛がまごころをもって一貫し、あとあとのことまでの仕末をしてゐることである。もちろん、今日の嚴肅な倫理觀から云へば、そのやうに多くの女と關係のあつたことがそもそもいけないことなのであるが、それはまた時代と階級とを考へ合せて、さう云ふ生活をゆるしてやらねばならぬ。いはゆる文化の負擔者が地位と經濟とに惠まれてゐたために、男性として非難さるべきことを平氣でやつてゐたのは、いはば平安文化生活人の(中の男性の)幸福なる宿命でもあつたし、また、下世話に申す「役得」でもあつたのだ。
さて、問題は、そのやうに扱はれた時代の女性の尊嚴である。私はこのくだりに入るに當つて女性生活の旋律の高さを注意したのであるが、それは、もし男性の放縱淫亂に身をまかせた行爲の女性として一方的に見れば、まさに人間品性のドン底にあり、旋律線は奈落の底を走る暗線として現はれてもいゝくらゐのものである。しかも、この時代相にあつて、それを現實の女性から創作の世界に押し出し、客觀して、女性の生活のみによる人間の美しさと「あはれ」と表現し得た、その心の高さと技倆のすばらしさは、まさに女性の生活旋律の高さを示すものとして感嘆せざるを得ないのである。私はこの意味において、この源氏物語と、それにつづく和泉式部日記とに、女性の心の高さを把握せざるを得ないのである。
然らば源氏物語は、いかに女性を見、描いてゐるか。
源氏物語の世界は、作者の時代からさかのぼること凡そ百年前の延喜の時代である。そこである學者はこれを、歷史小說だと云ふのだが、それは時代の調子と色彩とにけぢめをつけすぎたひがごとである。たとへば、昭和の御代と御維新のころとは、凡そ百年をへだてて何もかも樣子が違ひ、維新のことを小說に書けばすべて歷史小說になるであらう。延喜の御代と寬弘の御代とは、生活樣式において多少の別はあつたかも知れない。學者は、音樂、服裝、引歌、史實などから、延喜の御代を描いたものだとするのであるが、その人情世相はさまでのけぢめは無かつたのであつて、紫式部は源氏物語を書きながら、自分の周圍を描いてゐたのだと見てよろしい。
もつとも、ある學者は寬弘の時代が藤原氏極盛期にあつて、紫式部にも目にあまる我ままぶりが感得されたと說き「延喜聖代を讃仰せよ――かう云ふ作者(紫式部)の氣持の中には、皇室に對する日本人としての永遠にかはることのない美くしい精神が認められる」とまで力說してゐるのだが(潤一郞譯源氏物語「源氏物語硏究」中の一文よりとる)私はそこまで見なくてもいゝのだと思ふ。紫式部は愛國の女性だつたであらう。然し同時に、藝文の士であり、時代を貫く女性の鑑賞、批判者であつたのだ。私は源氏物語は戀愛を扱つた純粹の小說で、そおこに描かれた世相と女性とは、さまで時代をはつきり意識したものではないと考へる。
だから源氏物語は實質において、その時代の現代小說であつたと云へないことはない。しかもその描ける世相は、本居宣長の筆をかれば、「はじめよりおはりまで、たゞ世のつねの、なだらかなる事」を描寫したのであつた。
源氏物語の主人公は一ぱんに、光源氏だとされてゐるが、ある歌人(今井邦子)は、光源氏が人間的には描かれてゐないことを擧げて、むしろ紫の上が中心となつてゐると注意してゐる。私、ひそかに思ふに、女性が男性に對して受け身に描かれてゐればゐるほど、その作品の主體は女性である。故に源氏物語の主人は一群の女性である。と云ひ得ると思ふ。しかもそれが現實の女性と脈々相通ふ人間性を持つてゐるのである。
ところで、宣長は、「たゞ世の常のなだらかなること」を書いたものだとは云つてゐるが、夕顏に關する限り、偶然だの特異の時代相だのでは解釋のしきれない怪異性がある。しかもその中にまた、受け身の女の「あはれ」さがしみじみと心に迫るほどに描かれてゐるので、これこそ紫式部の身近の女の一人であらうと思はれる。
夕顏は、どこのだれとも知れない、氣高い男に誘い出されて「院」の一と部屋に入れられ、肅條たる風景のうちに男に愛せられる。男の方でも女の身分素性がわからないのを氣にしながら愛してゐる。そのありさまを潤一郞譯から抄錄しよう。
「君はたとへやうもなく物靜かな夕ぐれの空を、お眺めになつてゐらつしやる。奧の方は薄暗くつて氣味が惡いと女が云ふので、端の方の簾を上げて、臥(ね)ころんでおいでになるのであるが、女も夕日に照り映えたお顏を見かはして、かう云ふ場所に來てゐることを今更不思議に感じながら、だん〱にくさ〲の憂を忘れて、少し打ち解けて行くけはひだが、たいそう可愛らしくもあれば、じつとお側に寄り添うて終日(ひねもす)、怯(おび)えたやうにしてゐる素振が、あどけないやうでいぢらしくもある。早くから格子を下して、燈火(ともしび)をおつけなされて、「これですつかり隔てのない仲になりましたのに、まだ隱し立てをなさるお心が分りませぬ」と、恨みごとを仰せになりながらも、今頃內裏(うち)ではどんなに搜していらつしやることか、お使の者は何處を尋ねてゐるであらうか、などゝ思ひやり給ふのは、どう云ふ御料簡なのであらうか。さう云へば六條あたりでも、どんなにか案じ煩うておでゝあらう、お怨みになるのも尤もであると、お氣の毒なと云ふ點では、第一にあのお方のことをお胸に浮べられるのであるが、かうして無邪氣に向ひ合つてゐる人を愛らしいとお感じになるにつけても、あまり思慮深く、相手の人間が息苦しさを覺える程のおん有樣を、少し取り除(の)けて上たげ〔ママ〕いものだと、心の中で比べて御覽になるのであつた」
すぐこのあとに、女の枕元に非常に美くしい女が立つので、おどろいて刀を引き寄せるやがて、女は物の怪におそはれたせいか、冷たくなつてしまふ、と云ふ筋であつて、決して宣長の云ふやうな、世の常なだらかな出來事ではないのであるが、一人の淋しい女が男の心には夫人のことなどを思ひうかべてゐるとも知らず、憂ひ氣におつとりと待つてゐる女の姿と云ふものは、實に百世に生きる女の姿であり、さうして最もこの時代にあり得た女の姿であつた。私は源氏物語を潤一郞譯で讀むのであるが、全編を通じて心に迫る女はこれである。
今一つ、これは私のむしろ嫌ひな戀愛情景であるのだが、源氏物語風の戀愛情景なので記すこととしよう。浮舟を中に、熏と勾宮とが戀爭ひをする。最初に、勾宮が浮舟の居所を家來に聞いて、夕方から山越えにその家に行き、忍び入つて、熏のこわいろまで使つてたうとう浮舟の部屋にはいる。それから二人の間にいろいろのいきさつがあり、家來同志が使に行て衝突し會ひ爭ふことなどもあつて、結局、浮舟は自分の立つ瀨がなくなり、死なうと思ふ。その切なる氣持をやはり潤一郞譯からとる。
「もうかうなつては、どうせ孰方か一方によくないことが起るのだから、我が身一つを亡きものにしてしまふより外に、圓く收める方法はないかも知れない。昔は二人の男から同じやうに懸想されて、孰方にしてよいか分らなくなつたと云ふ、たゞそれだけのことさへ思案に餘つて身を投げた例(ためし)もあるではないか、生きながらへてゐれば辛い目を見るにきまつてゐる身を、捨てるのが何で惜しからう、母上も當座こそお歎きになるであらうが、大勢の子達の世話に紛れ給ふて、自然にお忘れになるであらう、生きてゐたところで、身を持ち崩して人の笑ひ物にされながらさ迷ふてゐるのでは、死ぬにも優る御苦勞をかけねばならない、と、そんな風に考になられたのは、あどけなく、鷹揚で、弱々しさうに見えてゐるけれども、上流の世の中と云ふものをあまり覗いたことがなくて育つた人であるから、さう云ふ恐(こは)いやうなことを思ひつきもするのであらう」
源氏物語の空氣は妙に田舍々々してゐるところが多いが、そのやうな風景を舞臺として弱い美くしい女どもが受け身の戀愛生活に泣いたり樂しんだりしてゐる。樂しんでゐるのは男の方だが、心の調子は女の方が高い。これは作者紫式部の女性鑑賞の豐かさと銳さとから來るのであつて、式部その人の心の旋律の高さを想はざるを得ない。
これと一聯の女性に和泉式部がある。

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