日本女性美史 第五話

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第五話[編集]

埴輪のモデル[編集]

上野公園の帝室博物館に入ると、第一室考古室に古墳時代の發掘物が陳列してある。
先づ目につく物は女の埴輪である。
古代には、貴人の死するや從者また生きながら墓に埋められる風習があつた。これは殉死と云つて、もともと、ほんとうに死者を慕ひ、あとを追ふ心のあらはれであつたが、それが風習となると、心ならずも埋められる者もあつて、嘆き悲しむ者が多かつた。
日本書紀卷第六(垂仁天皇のくだり)に、
「これは近く仕へまつりしひとをつどへて、ことごとく生きながらにして、陵域(はかのめぐり)に埋め立つ。數日にして死なず。晝夜泣きさけぶ…天皇この泣きさけぶ聲を聞きて、心にいたみます」
とある。そして老臣野見宿禰の奏上によつて、埴輪を埋め立てゝ、殉死に代へしめたまふた。
埴輪は最初、出雲國の土部(はしべ)、一百人が大和に召されて人、馬、種々の物の形を作つたのである。恐らく推古天皇の御代まで作られ、そののちは止んだらしい。今、帝室博物館に竝べてある女人の埴輪の一つは下野國河內郡にて發掘されたっものである。
私は、埴輪の中の女人の埴輪を作るのに、モデルを用ゐたと想像するわけではない。然し、埴輪の中の女の姿を現はしたものがその時代――二千年以上も昔の女人の容貌、服裝を忠實に寫したことは推察することが出來る。卽ち、大まかに時代の女人のモデルがあつたとは考へられよう。
彼女たちは簡素の中の美くしさをも知つてゐた。以下、埴輪によつて學者の考證したことを記す。
尙ほ、埴輪は遠く英京ロンドンの博物館に陳列されてゐるものをも材料として當時の助裝のさまを記す。
男子は冠や笠やうのものを被つてゐたが、ッ埴輪の女子は結髮してゐる。いつぱんには下げ髮のままでゐたが、貴人に奉仕する女たちは髮が配膳に觸れて供御をけがしてはならないとの心づかひから、結髮したものと考へられる。また、女子が良人を定めた時は一つの儀式として結髮してゐた。結髮した場合は髮抑へとして太い紐のやうなもので髮の要所を捲いてゐた。下げ髮のうち、ある埴輪では、襟のあたりで左右に別れ垂れてゐる。これは日本書紀孝德天皇のくだりに、殉死を禁ずるみことのりにつづけて、亡くなりたる人のために髮を斷つことをも禁じられてゐることから考へて、女子が未亡人になつた場合、このやうに髮を斷(き)つて二つに別つ風習があつたものと考へられる。
髮を飾るためには珠飾をつけてゐた。お齒ぐろ、入れずみの風習は埴輪からは判然としてゐないが、ある古墳から發掘した人骨の中には齒にの黑い痕がのこつてゐるから、或ひは女子の齒を染める風習があつたかも知れない。また、女子が耳輪を裝飾として用ゐてゐたことは埴輪によつて知られる。
頰紅をつける風習は男にも女にもあつた。女子は、眉のあたりから斜に頰にかけて塗るのおと、兩耳の上のあたりから斜に頰にかけて塗るのと二樣あつた。
頸飾は男女とも用ひてゐた。たいてい、小さな珠をつないで頸にゆるやかに掛け、まれには胸のあたりまで垂らしてゐた。また、腕飾としては、男子は環狀のをつけ、女子は玉類で飾つたものをつけてゐた。玉は、金、石、木、土、まれにガラス製のもあり、赤色瑪瑙の玉が多く用ひられていた。その色は綠、黃、赤、白、黑、藍、瑠璃、鼠などの色彩があつたから、簡素ながらも若い女人の裝飾はなかなかに華やかであつた。
衣服は、上着は麻、藤、木綿などにてつくつた白色のものが常用されてゐた。これは日本人の潔癖性をあらはす。染め色としては、朱、丹などの赤色が最もよろこばれてゐた。模樣は三角模樣、市松模樣、縞地などがあつた。下裳は藤布類か絹布類が用ゐられ、女子の上衣は長く膝のあたりまで垂れて下裳の上部をおほふてゐた。
はき物は、革または藁でつくつた履(くつ)を用ゐた。今日、朝鮮人のはいているやうな形の木履もあつた。男子用のは先が角張つており、女子用のものは圓くなつてゐた。
以上は埴輪の女人の姿のあらましである。彼女たちの容貌は丸顏で、無邪氣なうちにも凛然たる氣性を現はしてゐる。
彼女たちの特性と倫理とは神代の女性に見るものと變りはなかつたと思つてよろしい。たゞ、彼女たちは「もう殉死しなくてもいゝのだ」と云ふ、何かしら解放されたやうな悅びを持つてゐた。

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