日本女性美史 第三十四話

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第三十四話[編集]

明日の女性[編集]

日本女性の美くしい特性は、神代よりはじまつて永久に人類の中に輝く。しかも、それは時代につれて、生々發展して行くのである。
私は現代日本の女性が、みづからこの時代の特異なる性格を認識し、各自の個性を生かして行くであらうことを信じてゐる。それがやがて明日の日本女性の姿である。
これより私の描かんとする女性の姿は、要するに女性自身の考へてゐることの綜合である。これは女性指導の標準ではなくて、共通の目標の描寫である。


明日の女性の把握せねばならぬものは、第一に科學である。第二に詩である。第三にすべての民族と調和する精神である。第四に永遠に創造する力への思慕である。さうして最後に、男の心である。
科學とは何であらう。現代の敎養ある人々が、學校敎育においこ[ママ]胃擴張になるほど、實驗や方程式や標本や自然觀察によつて敎へ込まれた科學が少しもお互の叡智の中に溶け込んでゐない。試驗の答案として完璧に近い文章と數字を書き得た者が、やはり、科學を身近には感じてゐない。これは科學の罪でなくて、科學者の罪である。但しこれには多くの例外がある。その罪といふのは、科學を人間生活と感情とから切りはなすからである。
文部大臣は國民に「科學する」ことを敎へた。これは深い意義を持つてゐて、もつぱら理性の方面から說かれる。然し、同時にまた、科學を悅ぶと云ふ感情の方面からも考へられてよいであらう。科學は詩である。詩の領域が宇宙と生命とであるが故に、科學もまた詩の領域のうちにふくまれてゐる。たゞ問題はその表現である。
これは決して突飛な考へではなく、從つてまたむづかしいことでもない。すべての女性の持つてゐる叡智と感情とで充分事足りることなのである。
アランの「人間論」と云ふ本は(鈴木淸氏譯)斷片的に氣のきいたことを書いてあるので、こんな場合の引用にまことに都合がよい。目次「女子の天性」といふ一項を發見した。その中に彼はさながら、私の言葉に唱和するかのやうに、オーギユスト・コントの言葉を引用してゐる。
「コントに從へば、子供は十二歲ごろまでは母親だけに敎育を受けること。且つ、これは感情だけの敎育に限られること。この敎育には自國語と鄰國語の現存語を用ひ、特に偉大な詩人の作品を用ひる。詩人は人間的調和、生理的調和の證人である。(さういふ調和を示してくれる人間である――私の補記)この詩人の作品による感情敎育が終ると、總明な男子が(原文。發明的で革新的である男子が)子供にあらゆる科學、卽ち數學、星學、物理、化學、生理學、社會學を、あの有名な百科的順序(コント獨特の科學の順位を云ふ、卽ち抽象的なものから具體的なものへ順々に進むのであつて、社會學がその最高段階に置かれてゐる)に從つて敎へる」
これは立派な思想である。これだけのことを云つただけでもコントの使命は果されてゐる。見よ、女性はこの「子供」のうちに含まれており、彼(アラン)はコントの敎育を行ふ方法として、「十六の少女は男子に敎へられる方が效果的だ」とさへ云つてゐる。この引用した言葉の精神は、要するに、詩は科學の出發點だといふことである。詩の次は數學なのだ。若いシユーベルトが小學生に、二プラス二、ヱコール四と覺えさせる間に、それを音譜にうつして、いつの間にか、數學の敎室が音樂の敎室に變ることは、あなたが映畫でごらんになつたことと思ふ。音樂が數學のお鄰に位してゐる世界に、どうして詩が數學の出發點であり得ないだらう。
すべての科學は詩をもつて書かるべきである。
詩は星と星座とを歌ふからには、北極星の質量が太陽のそれの約四分の一である、とも歌つていゝわけである。天文學はすでにギリシヤ神話に屈伏してその命名を世界的ならしめてゐるではないか。詩が天文學と親しみ、「天文學的數字」が詩の表現の一つである時少女らは科學の持つ情感をとらへるのである。
それを最も身近に引き寄せる時、例へば、食物の科學が戀愛と結びつく。食物は科學であり、戀愛は詩である。科學者によれば、姙婦たる母の日常食物は一日二合の牛乳と若干の胚芽米を適當とする。それが數字で現はされると科學であり、愛をもつて歌はれると詩になる。
考へて飮みはじめたる一合の二合の酒の味のよろしき
これは若山牧水の詩である。酒をたゝへたる歌は萬葉集にも見える。この歌の持つ素朴の感情はまさに牧水の詩の泉である。然し牧水はかくもよろこべる酒のために早く死んだ。
詩を悅ぶと同じやうに科學を悅び、科學する生活をたゝへるものは、酒を悅ぶ歌を詩の一つの境地として味はふけれども、詩の源泉とまではしないのである。もつと進んで云へば、健全なる民族の詩はいやしくも頽廢的であつてはならないのであつて、その故にいたづらなる酒の禮讃などはしない方がよいのである。
コントのいはゆる、詩による敎育から科學への敎育方法は、詩の內容までは觸れてゐないのであるが、敎育される者を少年少女としてゐる上から、それが情痴的な詩や頽廢的詩でないことは考へられる。私が少女にすすめる詩は更に積極的に、その內容において健全優雅なる情感が盛られてあることを要求するのであつて、そのやうな詩が新らしい詩人によつて作られることを期待するのである。私は曾てこころみられたラヂオの國民歌謠はこのやうな主旨にも適應してゐたと思ふ。
詩はある程度からは天分である。然し、日本女性は萬葉人と云ふ光榮ある先祖を持つてゐる。おそらく、すべての女が詩人であつた。それはおそらく傳承文學の影響であらう。神々の御名がすでに詩的でありユーモラスでさへある。樂しんで傳へた歷史はその表現において散文的でなく詩的であつたに違ひない。「古事記」の編纂者が散文の天才であつたことは、「古事記」を偉大ならしむるとともに系統的史書たらしめ得なかつたゆえんである。「日本書紀」は內容よりも形式であつた。
昔の女性の家庭で受けた敎育は、まさしくコントの敎育法と合致してゐた。近接せる國は支那であつた。紫式部や淸少納言はその少女時代の敎育を詩によつて初められたのである。「源氏物語」のほんの五字、七字の引用や盜用が、讀者にはすぐ、ははあ、あの歌かとわかつたのであつた。今や、少女の持つ詩は少なく、市井の若い女性の詩は餘りにも卑俗であり、主婦はすでに詩を失ふや久しい。これ、女流歌人あるゆえんである。明日の日本女性は詩から科學への敎育によつて、この二つのものを把握せねばならぬ。


次には、すべての民族と調和する精神である。これは言葉の惡戲であつて、內容はもつと簡明である。日本人と滿洲人、日本人と支那人、日本人とビルマ人が情感と表現とで親しみ得るならば、これを更に深めて、民族精神――日本民族全體の心構へとなし得ない筈がない。それを云ふのである。
今日、滿洲にはもう二代目が生長してゐる。新京で生れて奉天で女學生になり、ハルピンで働らいてゐる若い日本の女性が何人もある。實質的に滿洲の延長と見られる關東州の大連にはもつと多くの二代目がゐる。それらの女性はこの民族精神を把握してゐる。いはんや、上海やハワイの女性はもつとひろやかな精神としてゐるであらう。尤も、相手方の異邦人が日本の女性を異邦人として見てゐることは否みがたいであらう。然し、それでも女性は男性よりもやさしく、そして調和的である。天性の表現技巧がそれを助長する。民族の調和は女性によつて基礎づけられるであらう。
それには、明日の女性がもつと異邦人に對して大膽であり、開放的であり、そして品位と敎養とを見せるべきである。上海で曾て、日本の大會社、大銀行の高級社員の婦人が支那の上流の家庭婦人と一緖にテイ・パーテーを催したことがある。支那の婦人がさかんに話しかけ、獨唱し、笑ふのに、日本の婦人はうつむいてばかりゐた。これはもう十數年も前のことであるが、今日でも、日本の婦人が國際的社交に馴れてゐないことは否むべくもない。否鄰同志でも交際は實に下手である。挨拶と遠慮とで垣をつくり合つてゐる。虛飾と虛禮のうちにもがく中年の女性に耻あれ。明日の女性はもつと明るく、開放的であつてよろしい。


さうして、次には、永遠に創造する力への思慕である。それが信仰であつても一向差閊えはない。更に消極的には、迷信と因習との打破であつてもよろしい。要するに神靈の高まり淨められる機緣を得ることである。これは日本女性が歷史の上に最もよく現はして來た特性である――迷信と信仰と、その區別もあいまいに、めんめんと傳へて今日にいたつてゐる。
曾て、神を祀る人々の主役は女性であつた。女性こそは、日本の神々に仕える使徒である。淸淨無垢の少女は、淸淨無垢の少年よりも美くしい。神は美くしいものなら何でもお好きである。花、水、野菜、女、着物・・・・美くしくないものもまたお好きである。
だが、明日の女性の求めるものは、觀念や形式の世界の神でなくして、靈の中なる神である。身近に神を持つ女性は幸である。日本の神道はそれを次の言葉で敎へてゐる。
「神道といふは、上御一人より、下萬民にいたるまで行ふ旦暮(あけくれ)の道なり、天神地神より相傳へ來れる中極の道を根として行ふ時は、日月の間、神道ならずといふことなし」
(「太神宮神道或問」――河野省三博士著「神道の硏究」より孫引)
日本では神を人の中にあらはした。しかも、その中に、創造の神、生成の神を含めてある。このことわりがわかれば、永遠に創作する力を神として思慕することは、新らしいことでもむづかしいことでもない。お床に天照大御神の御名を謹書した掛軸を掛けて拍手を打つことに神への思慕がある。敎養ある人々が神への思慕を欲しないのはその書かれたる言葉に叡智を求めすぎるからである。「ありがたい」といふ言葉を萬億言で表現したのが佛敎經典である。宗敎は今や言葉のうちに埋沒された。女性はその單純と素直とによつて神と親しむことができる。さうして、ここにも詩の力がある。
ある經典には、本文と同じことをもう一ど詩で表現してある。口調と云ふものはありがたいものである。なだらかに美くしく心に浸透する。
色は香へど散りぬるを
吾が世たれか常ならむ
うゐの奧山今日越えて
朝き、夢見し、醉ひもせず
である。英、米の子供はアルフアベツトを譜に合せて歌ふが、日本の子供は「いろは」を歌としては敎はつてゐない。歌だと知つた時は、もうそんな歌を素直に受け入れるには賢こすぎてゐるかのやうである。神道が立ちおくれてゐるのは民衆の詩を持たないからである。私は神道については知らないが、明日の女性を神々への思慕に向はせる希望を持つならば、神官が詩人でなくてはならぬ。
しかも、女性は男性よりも信仰に入り易く、詩に親しむ者である。ほつておくのは惜しいものである。


さて、最後には「男」である。
これは女にとつては永遠の謎である。ここには、善と惡とが交錯し、美と醜とが一つになり、昔と今とが轉倒し、賢と愚とが同色に見える。女性が男性を知る唯一の手がかりは、男性が女性をどう見てゐるかと云ふことである。それによつて、男性の思想と品位と行動と(女性に對する)要求とを推知ることができる。「父と子」のバザーロフが愛人アンナのことを自分の親友アルカーデイに云つた。
「あの貴婦人が哺乳動物のいかなる種類に屬するか、一つ見てやらうよ」
これは虛無的な思想を科學の用語で表現したもので、形式は警句である。しかも、かくのごときものがバザーロフ的ならざる、もつとあたたかい感情の男性によつて抱かれ、少なくも彼等のみの間にとりかはされる思想となつてゐることを――女性よ、注意せよ。
すべて、戀愛小說は、男性が自分を飾るための報吿書である。男性が本音を吐いた戀愛小說は商品にならない――女性が嫌惡して讀まない。女性は男性を知りたがつておりながら、男性からほめられることを望んでゐる。
私はこのやうな表現をつづけて女性を惱ますのが主旨ではなかつた。然し、明日の女性は男性に對して批判的であらねばならぬ。法律は滿二十五歲の女子に撰擇の自由をゆるしてゐる。民法第七百七十二條を見よ。
「子が婚姻を爲すには其家に在る父母の同意を得ることを要す但男が滿三十年女が二十五年に達したる後は此限にあらず」
この解說を法律家は次のやうに試みてゐる。
「女は滿二十五年に達したる後は、既に處世の經驗に富み、完全の能力を有し、或ひは父母より一層、一身一家の利害を視るの明ある場合もあれば也」
おゝ、祝福されたる二十六歲の女よ、おん身に榮光あれ。
だが、實際において、滿二十五歲は一たん成就した女性精神が衰退したり歪められたりする年齡である。ひねくれたり、情熱を失つたりしてゐる。鑵詰の空鑵のやうな女になつてゐる。だから善良にして賢明なる日本の父母はこの民法の規定を敬遠して、二十歲前後の娘にだいたいにおいて撰擇の自由、または撰まれる自由を與へてゐる。それは男性批判の能力を認めてゐるからである。而して、彼女の批判能力は、映畫と小說と友達との會話によつて深められてゐる。
明日の女性は、もつと、もつと、男性批判の能力を養はねばならぬ。そして、女性が決して、哺乳動物でないことを自覺せねばならぬ。


以上、私は明日の女性の「かくあるべき」ことを說いた。
然しこれは原則論である。概論である。日本女性史のつながりとしても明日の女性は、この女性の創造の上に建築さるべきものである。
日本國民は、今や老若男女美醜愚賢を問はず協力して民族理想の達成に向ひつつある。これは個々の全體への融合であり、個人の國家による向上である。而して國民生活の現實の狀態、卽ち日日の生活においては、專ら女性が國家機構のうちに生き、民族精神のうちに高められてゐるのである。現代ほど女性が民族的に自覺してゐる時代は曾て無かつた。
イギリスは第一次世界戰爭において、いろいろの職場で男子の補充として働らいた。その報酬として(或ひはそれを一つの大なる前提として)戰後に婦人參政權が與へられた。日本女性の國家への融合はこのやうな必要に應じた行動でなく、また權利獲得の前提でもないのであつて、よりよき民族への發展途上における必然的な、自發的な行動である。女性は今や國家から愛せられ、わけても母性は尊重せられつつある。女性日本を發見した現代の政治家はえらい人間であると思ふ。國家はいまだ女性に多くのものを與へてゐないけれども、女性は都會、田園を通じて、協力し、勤勞し、發展しつつある。
ドイツの女性は今日の大戰に入るに當つて實に多くのものを國家から與へられてゐる。「母の家」では子供を保姆(ほぼ)に委托してゆつくり休養し、修業してゐる。「靜養所」は安くて安心のできる產院である。「託兒所」は貧しい人々の多く住む街に設けられ、働らきに行く母も安心して職場に行かせている。母乳の配達所もある。花嫁學校、若い母の學校も新設されてゐる。以上はナチス政權確立以來六年間になされた女性への贈り物である。この上に、結婚がいろいろの方法で奬勵されてゐる。
日本でも將來、母性保護の政策と施設とはますます重要視されるであらうが、女性の進んでなさんとするところは、日常生活が直に國策に伴ひ、民族理想にかなふことである。その方法として、鄰組が活用され、家庭防空の訓練が行はれてゐる。
明日の女性は鄰組の更によき組員たることである。ある鄰組では子供の勉强時間を申合せてきめ、その間はお互にラヂオを鳴らさないことにした。これは町會の傳達による回覽事項以外のことであつた。この創意はよくよくすべての主婦の、子供のために痛感してゐたことなればこそ實現されたのであるが、この種の創意は生活のあらゆる方面に現はされるであらう。例へば、小範圍の共同炊事、小範圍の共同風呂によつて多くの資材と金の節約が實現される。明日の女性はよく考へ、よく決斷して生活する女性であらねばならぬ。
若干の女性はすでに國家の直接の政治機構に參加してゐる。これは町村の自治體にあつても將來考へられるであらう。女の智惠は人情から出發する。男子の氣づかぬところに女子の注意が向けられてゐる。明日の女性の注意を生かして行く町村は必ず榮え且つ淨くなる。

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