日本女性美史 序

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日本の女性美について[編集]

序にかへて讀者に贈る言葉[編集]

                               著者

私はここに、日本女性美の歷史を語らうとしてゐる。日本の女性美は日本女性自身が最もよく知つてゐるにちがひないのだが、それを自分で語らうとしないのは、男性をして語らしめて、それを味はひたいからである。そこで私は日本男性の一人として親愛なる日本女性の眞の美くしさを語るのである。
昔の男性は率直に女性の美くしさを感じ、それを表現した。女性もまた男性に向かつてその感じをいつはらなかつた。伊弉諾尊は伊弉冉尊に、「あなうれしや、うましをとめにあひぬ」と仰せられ、伊弉冉尊は伊弉諾尊に、「あなうれしや、うましをとこにあひぬ」と仰せられた。ともに、姿と性格の美くしさに打たれたまふたのである。
この氣持は萬葉歌人の心にもつたへられた。そののち、長い間に、佛敎は女性に餘りにもかなしき身の上をかなしませ、儒敎は嚴然たる男女間の倫理と禮儀とを敎へた。それによつて日本女性は女の道を知つたけれども、また、のんびりした明るい性格を自分でおさへるやうになつた。率直にいふと、男はお友達としての女性を失うてそのかはり、妻として、母としての新らしい性格を、日本女性に發見したのである。
私は楠木正行の母について多くを知らない。然し、それは本文において特に日本外史から引用した。あの一節で足りると思ふ。日本の女性美は母においてその最もよきものを表現した。而してそれは、日本の女性が儒、佛の敎によつて鍛鍊されたる結果であると思ふ。
私は現代の女性については、多くを知つてゐる。彼女たちは日本女性の美くしさに、處女として、愛人として、妻として、母として、社會人として、國家の一員として、いまだ十分に體得しておらず、いまだ十分に表現してゐない。私は本文において、儒、佛二敎がある意味で過去の日本女性をゆがめた、とまで極論したが、それは佛敎にこつて尼になりたがつたり、儒敎の道を强いられて卑屈になつたりしたことに對して義憤を感じたのであつて、眞の日本女性は決してこの二つのものによつてあやまられてはゐなかつた。然しながら、現代の多くの若い日本女性が儒敎、佛敎、キリスト敎のいづれにも親しまず囚へられずして、ひたぶるに美くしさ、ほがらかさをこれ追ひ求め、嚴たる心の强さをつくらうとしない、そのことは實に日本女性の不幸であり、强い言葉でいへば墮落でさへある。
私は九軍神の母について多くを知らない。また多くの勇士たちの母について知らない。然し、恐らくよい母は心の强い母であつた。泣いて見送る前に、一と言「しつかりやれよ」と心から云ひ得た母であつた。汝の劍短かければ敵に迫れ、と敎へるほど劇的でなくとも、「おくれをとるな」と云ひ得た母であつた。而してそれは潛在意識にあるところの强い心――さかのぼつては日本精神の發露である。それはまた子のために心から神佛にいのる純一の心でもあつた。
ひそかに思ふに、美しくほがらなからんとする女性も、子のために神佛にいのる女性も、心は一つの日本女性であつて、ただ、その心構へが、前者は現代風の美と敎養とによつてぼかされており、後者はその單一性のために明らかになつてゐるのである。私は現代日本女性の美くしさが、敎養の豐かなことによつてむしろ更に高められるであらうことを信じてゐる。それゆえに、この本文の終において、現代の女性に、詩と科學と神への思慕と、國際心の養成とをすすめて、女性美の完成をもとめたのであるが、然しつまりは、この日本女性美史の持つ一聯の精神――日本女性美の把握、なかりせば、つひに何の用もなさないのである。この日本女性美史は、女性美の發展史であると同時に、女性美の總括である。私の、女性への要求は、歷史のしめくくりでなくて、總括されたる日本女性美への補足である。
今や、一群の文士が日本全國に、日本の母を求めて旅行しつつある。文士はおそらく身邊の女性とちがつた性格と生活の女性において眞の日本女性を發見するであらう。それが新らしい文學の素材となるかどうかは問題ではない。たゞ、彼等によつて、日本女性美の生きた姿がありのままに紹介されるならば、百の映畫千の小說、萬の逸話、十萬の訓話よりも有效に、日本女性美を國民に知らしめることとなるであらう。私はそれを橫に求めず縱に求めた。日本女性美史もまた棄つべからざるものである。

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