新体詩抄/社会学の原理に題す（丶山仙士）

• 底本：外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎撰『新体詩鈔 初編』（再版）丸屋善七、1884年12月15日。

社會學の原理題す

丶山仙士

宇宙の事は彼此の	別を論ぜず諸共に
規律の無きはあらぬかし	天に懸れる日月や
微かに見ゆる星とても	動くは共に引力と
云へる力のあるゆゑぞ	其引力の働は
又定まれる法ありて	猥りに引けるものならず
且つ天體の歴廻（めぐ）れる	行道とても同じこと
必ず定まりあるものぞ	又雨風や雷や
地震の如く亂暴に	外面は見ゆるものとても
一に定まれる法はあり	野山に生ふる草木（そうもく）や
地をはふ虫や四足や	空翔けりゆく鳥類も
其組織より動作まで	都て規律のあるものぞ
又萬物は皆共に	深き由來と變遷の
あらざる物はなきぞかし	鳥けだものや草木の
別を論ぜず諸共に	親に備はる性質は
遺傳の法で子に傳へ	適するものは榮えゆき
適せぬものは衰へて	今の世界に在るものは
桔梗かるかや女郎花	梅や櫻や萩牡丹
牡丹に縁の唐獅や	菜の葉に止まる蝶てふや
木の間囀る鴬や	門邉にあさる知更鳥や
雲居に名のる杜鵑	同じ友をば呼子鳥
友を慕ひて奧山に	紅葉ふみわけ啼く鹿や
譯も分らで貝の音に	追はれてあゆむ牛羊
羊に近き猿はまだ	愚なことよ萬物の
靈とも云へる人とても	今の體も腦力も
元を質せば一樣に	一代増に少しづゝ
積みかさなれる結果ぞと	今古無雙の濶眼で
見極はめたるはこれぞこれ	アリストートル、ニウトンに
優すも劣らぬ腦力の	ダルウ𛅤ン氏の發明ぞ
これに劣らぬスペンセル	同じ道理を擴張し
化醇の法で進むのハ	まのあたりみる草木や
動物而己にあらずして	凡そありとしあるものは
活物死物夫而己か	有形無形夫〳〵の
區別も更になかりしを	真理極めし其知識
感ずるも尚あまりあり	されば心の働も
思想智識の發達も	言語宗旨の改良も
社會の事も皆都て	同じ理合のものなれば
既にものせる哲學の	原理の論ぞ之に次ぐ
生物學の原理やら	心理の學の原理をば
土臺となして今更に	社會の學の原理をば
書にものさるゝ最中ぞ	此書に載せて説かるゝは
そも社會とは何ものぞ	其發達は如何なるぞ
其結構に作用に	社會の種類如何なるや
種族と親と其子等の	利害の異同如何なるや
男女の中の交際や	女子に子供の有樣や
取扱の異同やら	種々な政府の違ひやら
違ひの起る源因や	僧侶社會のある故や
其變遷の源因や	儀式工業國言葉
智識美術や道徳の	時と場所との異同にて
遷り變りて化醇する	其有樣を詳細に
論述なして三卷の	長き文にぞせらるべき
最とも目出度き美擧にこそ	既に出てたる一卷を
讀たる者は誰ありて	此書を褒めぬ者ぞなき
實に珍らしき良書なり	社會の事に手を出して
何から何とせはをやく	責任重き役人や
走り書きやらからしやべり	舌も廻はらぬくせにして
天下の事は一と飮みと	法螺吹き立てゝ利口ぶる
新聞記者や演説家	此書を讀みて思慮なさバ
人をあやまる罪とがの	少しは減りもするならん
月日の事や星の事	動植物や金屬や
夫等の事はさて置きて	凡そ天下の事業は
疊一枚させばとて	足袋を一足縫へばとて
長の年月年季入れ	寐る眼も寐ずに習はねば
出來る事にはあらざるに	濁り社會の事計り
年季も入らず學問も	するに及ばぬ譯なれば
新聞記者や役人と	成るは最と最と易けれど
か樣な者が多ければ	忽ち國に社會黨
尚ほ恐しき虚無黨の	起るは鏡に見る如し
揉めに揉めたる其上句	虻蜂取らずの丸潰れ
秩序も建たず自由なく	泥海にこそなるべけれ
再び浪風靜まりて	大平海と成る迄は
百年足らず掛らんは	革命以後の備蘭西の
有樣見ても知れたこと	そこに心が付きたらば
妄に手出しする勿れ	妄にしやべること勿れ
廣き世界の其中に	恐るべきもの多けれど
盲目（めくら）同士の戰に	越したるものはあらぬかし
覘ひきまらぬ棒打の	仲間入りこそあやふけれ
今の世界は旋風（つむじかぜ）	烈しく旋る時なるぞ
烈しき中へつい一寸	絡（ま）き込まれたら運の盡
足も据はらず瞑眩（めくるめ）き	頭はいとゞぐら付きて
ぐる〳〵〳〵と廻はされて	すき間もあらず廻はされて
上句のはては空中へ	絡き上げられて落されて
初て悟る其時は	早遲蒔の辣椒
後悔先きに立ぬなり	颶風烈しく吹く時は
其吹く中へ過ちて	舩を入れぬが楫取の
上手とこそは云ふべけれ	政府の楫を取る者や
輿論を誘（さそ）ふ人たちは	社會學をば勉强し
能く慎みて輕卒に	働かぬやう願はしや