愛国者

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本文[編集]

宣戦の布告なくして、暗黒の中から不意撃をしたというて、露西亜(ろしあ)のザアーは泣言をいふ、いや強(しひ)て我国に悪名を被(き)せんとしてゐるが、宣戦の布告前に戦争をした例は、古来いくらもある。
時は千八百六年の十月十二日、普国は仏国に向つて、宣戦の布告を発した、既に其二日前に、サールゲミュンドの戦があつて、普国のルイ、フェルヂナンド親王は、あはれ戦場の露と消えた、斯(か)くて両軍は、刻々接近して、今二日経つか経たぬかの内に、「エーナー」と「アウエルシユタツト」との大戦が開始せられるといふ、恰度(ちやうど)その時、仏蘭西(ふらんす)の一軍隊は、「エーナー」から、「ワイマール」に通ずる所の、街道の右方に陣取つて居たので、その前哨は、此等(これら)の軍隊と、「エーナー」町との間にある、高い險(けは)しい山の上に立つて居たのである。
この山の上から、眼下に普軍を見下すことが出来て、日本でいへば山崎合戦に於ける天王山のやうな土地だ、されど之れに登らうとするには、たゞ三本の道があるのみで、其他いづれよりするも、容易に攀(のぼ)ることは出来ない。
普漏西(ぷろしや)の本軍は、ブラウンシユワイヒ侯が命令の下(もと)に在つて、勇気凛々(りん)として控へて居るので、素破(すは)といはゞ、常には淋しい穏かな此地方も今や漸(やうや)く風雲動いて、晴れ亘(わた)れる空にも、何となく殺気が満ちて居る。
形成既に如此(かくのごと)し、されば周囲に散在して居る村々の、住民等は、我もと難を附近の森林に避けて了つた。
其十二日の午後のことであつた、此村の間を流れて居る「ザール」川の対岸、何がし村の山の半腹に、日に焼けた色の黒い、口の大(おほき)い一人の男が、頭を長い杖(つゑ)の上に支へて、「エーナー」から街道に通じて居る谷の方に、兵卒や馬や、車などが、縦横に馳(は)せ違つて居る態(さま)を、暫くの間、一心に見下して居たのだが、その傍(かたはら)には、若い羊が余念もなく草を喰(くら)つて居る、そしてこの男の服装が、青い長い上衣を着て、大きな鍔(つば)の広い帽子を、眉深(まゆぶか)に冠つて居るのだから、この服装より察するも、一見羊飼ひといふことが分る。
この雑閊{ごた)した谷の方を、一心に見下して居た彼は、振り返つて又傍の羊を見ては、何事か考へ込むものゝやうに、時々小声で、何やら呟(つぶや)いて居るのであつた、そして其緊(しま)つた大きな口のあたりには、苦笑の筋が動いて居るのである。
傍に余念もなく草を喰つて居る羊は、その数たツた五六疋(ぴき)よりないが、実施この男の所有して居た羊は、決して此五六疋に止まるのではなかつた、けれど戦争の為め、彼も亦(また)難を避けた一人であるから、咄嗟(とつさ)の間に、漸く之れ丈けの羊を携へて来たのである。
この男の家といふのは、言ふまでもなく此谷の中にある静かな、穏かな村に在るのだが、仏国の軍隊が、こゝに陣取つて居るのだから、自分は遂に追ひ出されて、多年飼ひ馴れた僅少(わづか)ばかりの羊と共に、此山に遁れて来たのである、が此山は極めて險しいのだから、敵も此処までは来まいと、彼は聊(いささ)か安心して居るのだ、けれど村に居た頃、家族と家畜の為めに、貯へて置いた冬の食物は、悉(こと)く敵の為めに掠奪(りゃくだつ)されて了つたので、此山上に遁(のが)れたものゝ、食物はなし、眷族(けんぞく)は居ず、只此五六疋の小羊の外には、天地の間に頼むものもなく、其心細さは云ふ迄もないのだ、尤(もつと)も此男には二人の息子があつた、けれども其二人が二人とも、今度の戦争に出て居るので、杖とも柱とも頼むものが、この態(さま)であるから、之れが又此男の心を痛ましめる一ツの種であつた、あゝ自分がモー十年も若かつたら、及ばぬまでも戈(ほこ)を執つて、豪慢な仏国人を挫(くじ)いて呉れやうものを、住み慣れた自分の村に、敵軍が遠慮もなく蹂躙(じうりん)して居るのを見ては、慷慨の念に打たれて、拳(こぶし)を固めながらも、無念の眦(まなじり)を裂くのであるが、又かくも年老いて従軍さへも叶(かな)はぬのを思へば、太息(といき)と共に、つく見の味気(あぢき)なさを感ずるのであつた
不意に何物に驚いたか、自分の側(そば)に居た犬が、けたましく吠え立てた、この時まで呆然(ぼんやり)と考へ込んで居た彼は、初めて気の附いたやうに、はツと頭(かしら)を振り向けた、この時山の側面を上(のぼ)つて来た男が、此方(こなた)に向つて進み来るのであつた、けれど其男が何物であるやを知ることが出来なかつたので、彼は思はずも額に安からぬ浪を描(ゑが)いた。
「ボルン(羊飼の名)さん」と突然(だしぬけ)に呼びかけたのは、今上つて来た男で、年は二十五六か七八でもあらう、色の黒い、眼の鋭い一癖ありさうな男で、
「ボルンさん、お前さん其樣(そんな)に、呑気(のんき)さうにしてゐなさるが下の騒ぎつちや大変ですぜ、しかしまア斯うして命から遁(に)げて来ることが出来れば、幸福(しあはせ)なのです」と、戦争(いくさ)の模様を知らせ顔に、慌(あわたゞ)しげに語り出したのだが、
「さうですか」と羊飼ひは平気で済まして居る、
「お前さんの御子息さんは、『トルウナ』軍隊に従軍して居るのえすね?」
羊飼ひはたゞ頷(うなづ)くのみ、
「神さんと娘さんは?」と聞くのを、
「皆あすこに居ます」と、只(ただ)手を以て、「ザール」川の向ふに聳(そび)ゆる山の彼方(かなた)を指すのみであつた。
「彼処(あすこ)なら大丈夫と思つて居るのかね、彼処だツて、矢ツ張り敵は侵入するだらう」
「どうなるか分るもんか、敵が侵入して来たと同様に、又この国から追はれるかも知れないのだ」
今来た男は「ヂーレルド」といふ名で、彼は笑ひながら
「ぢやお前さん、普漏西(ぷろしや)の軍が勝つと思つて居るのかね、私は今『カーラー』と『エーナー』から来て仏蘭西勢の大した勢ひを見て来ましたぜ、何といつて十万以上もあるンだから、こいつを追ツ払ふなんてえ事は、まア出来ないことツだ。」と、その答の終らぬ中(うち)、羊飼ひは鋭く男を見遣つて、
「手前は敵に通じて居るのだな!」
「何ですツて、敵に通じて居るツて、其樣(そーん)なことが、どんなことがあるもんか……しかしナポレオンは戦争(いくさ)が上手だからね」
「うむ、ナポレオンは強い、けれども騎兵や砲兵を此山に上げることは出来まい、こいつを上げるにやア、たゞ一本の道があるばかりだが、夫(そ)れをナポレオンが知つて居る筈もなし……」
「ぢやお前さん、知つて居るの?」と、頓狂な声で尋ねた、羊飼ひは落着払つて、
「知つて居るとも、併(しか)しお前さんは何処(どこ)へ往くのか」
「『ナルンベルヒ』の方へ往(ゆく)んですが、街道筋は、兵隊や、馬車や、大砲なんかで、ごたして居て、迚(とて)も通れさうにもないから、かうして枝道を辿(たど)つて往くつもりなんで……」
言ひながら「ヂーレルド」は走り去つた。
その走り往く後ろ影を、暫くの間見送つて居た羊飼ひの眼の中には、何となく不愉快の色が現はれて居た。
やがて羊飼ひは直(す)ぐと自分の群羊を、徐(しづ)かに山の斜面に接する小さな森の中に追ひ込んで、此処で夜を明かさうと思つた。
勿論(もちろん)、この頃の夜は、冷たくツて、湿ツぽくツて、普通のものなら、迚(とて)も斯(かゝ)る森林には眠れないのだが、ボルンは若い時分から、雨や風に馴て居るので、今よりもツと寒い時分でも、露天に一夜を明したことなどは度々(どゝ)あつたのだ、この寒天(さむぞら)にも風を引くなどいふ心配は毫もないのである。
ボルンは、森の中へ這入(はひつ)て、自分の飼ひ馴した小羊と共に、その間へ潜るつて、ゴロリ横になつた、が夜は次第に更(ふ)けて、天も地も寂然とすれば、四辺(あたり)の静けさに、谷下の騒ぎは手に取るやうに、車の音や、大砲の音や、馬や太鼓の響きや又は人のあへぐ声など、騒しく聞えるので、中々眠られさうもない、が、ボルンは、暫くそれを聞きつゝ、種々様々な感慨を頭に浮べて、それから夫(そ)れへと考へ込んで居たのだが、夫れでも疲れと眠りとに襲はれ、何時(いつ)かうと眠つて了つた。
やがて十二日の夜が明ければ、普軍は全軍を幾つかに分けて、本軍は普王と共に、日の出に当つてザルッアーに向ひ、其日の夕方には、アウエルシユタツト公は其部下の軍隊を率ゐて、エーナーとワイマールとの間に在る山に陣取つた。
が、悲しきことには、其軍が六里以上の長い戦線に亘つて居たのだから、全陣地の一番緊要なる点、即(すなは)ち天王山なる此一嶺(みね)を占領するのを忘れて居た。
然るにナポレオンは、早くも此点に着眼した、で、その軍隊の一部を割(さ)いて自から山へ上(のぼ)つて来て直ちに之れを占領した。此山上から普軍の全陣地を見下しながら、咄嗟(とつさ)の間に、翌日の作戦計画を立てたのである。
されど惜しいかな、騎兵と砲兵がなかつた、この両兵種がなければ、流石(さすが)のナポレオンも戦を敢(あへ)てする勇気がないので、此山の高い険しい斜面に、大砲を運搬する為め、さまに方法を廻(めぐ)らして見た、が到底其策は行はれないのみならず、為めに二三日を失はねばならず、歩兵も又狭い險しい道を辿つて之れに登る其困難は非常なものである。
夜は明けた、ボルンも何時か眼を覚した、やがて再び群羊を率ゐて、山の斜面の処へ来た、そして先づ第一に谷の中を見下したのであつた。
谷の中にごたして居る多くの大砲や、多くの騎兵が、殆(ほと)んど谷を埋めて居るのを見ては、ボルンの眼には何時か涙がさしぐまれた、が其涙は悲みの涙ではなく、寧(むし)ろ喜びの涙であつた、それは敵が此山に上る道を発見することが出来ないからのことで……
で、その喜びの余りにボルンは思はず呟(つぶや)いた。
「アノ登る途をナポレオンが知つて居たら、必然登らせるンだらうが、知らないから難有(ありがた)い、この途を知つて居る者は、己(お)れより外にないんだから、先づ安心なものさ」
我知らず独語(ひとりごと)を漏した其時此時、昨日突然やつて来たヂーレルドが、ツカやつて来たので
「オイお前は昨日『ナウンベルヒ』へ行くつて言つたぢやないか」とボルンが詰問すると、
「なアに、往かうと思つたのだけれど、途が皆塞(ふさが)つて居て向ふへ往くことが出来ないから、止したのさ、併し昨日一寸好い儲(まう)け口(ぐち)を見つけたから、先づ当分は楽に暮らせる訳さ」
言ひながら、ヂーレルドは、金貨のがちや響く財布を取り出して、
「見ねえ、此通だ、不景気だツて、世間の奴等は、口癖の様に言つてるが、真実(まつたく)商買ママ〕は上(あが)つたりだ、この先き何(どう)うなることか、闇雲だが、俺(おいら)は此の儲けた金で、小さな店を開く積りだが、何か旨い考があるなら、教へて呉れないか」と、例の財布を、之れ見よがしに弄(いぢ)つて居る、が、ボルンは苦々しい顔で、
「お前の商法は、お前独りで相談するが好ぢやないか」
素気(すげ)ない返事をしたのだが、ヂーレルドは落着いた風で、
「まアさ、俺(おいら)のいふことを聞きねえ、仏蘭西の歩兵は『ランドグラーヘンベルヒ』と、それに同地の諸高地を占領して、兵隊がごた上(あが)つて来る時には、食ふものもなければ、飲むものもなく、といつて誰れも仏蘭西人の所へ売りに往くものもなしさね……だがね俺は敵を何とも思つて居ないのだから、小さな車へ、葡萄酒(ぶだうしゆ)やビールを沢山載せて、山の上へ持つて往く積りなのさ、さうすりや必然(きつと)高い銭を出して買うだらうと思つてるのだ、けれどねえボルンさん、何(ど)の途から行つたら上まで往けるか、そいつが俺にや分らねえぢやないか、其所(そこ)でだボルンさん、お前さん俺にあれを教へて呉れないか、そのお礼にやア、この金貨を一つ上げますが、何うでせう、ボルンさん」と、旨い併し針のある様な言葉に、ボルンはその言葉を仔細に注意して聞いて居たのだが、やがて徐(しづ)かに口を開いて、
「何、道を教へろツて、馬鹿な、そんなことが出来るものか、それを教へたら、お前は直ぐに仏蘭西人の所へ内通するのだらう」
ヂーレルドは苦笑して、
「ボルンさん、お前さんは、余ツ程馬鹿正直だね、若(も)し俺(おいら)がさう思つたら、何うする、宜(い)いぢやないか、宜いぢやないか、二人でもつて、一所に大儲けをしやうぢやないか、俺は仏蘭西人と談判をして、幾何(いくばく)が呉(く)れろと請求するから、それで二人が生涯遊(あす)んで暮さうぢやないか、屹度(きつと)俺がそれだけの金を取つて見せるから」と、言葉の終らぬ中、ボルンの顔を赤くなつて、そして顔の青筋は目立つ程に現はれて来た、目には怒の色が現はれて、手は固く握り占められて居る、けれどボルンはヂツと辛抱して黙つて俯(うつむ)いて了つた、否、黙つて居たのではない、言ふだけの余裕がなかつたのだ、その言葉の意外なるに激したので
「ねえ、ボルンさん何うだね?」と、ヂーレルドは、ボルンの意中を知らずに、頻(しき)りに返事を迫る。
「手前、仏蘭西人に道案内をしやうと云ふンだな」と、言葉は激して、而かも顫(ふる)へて居る。
ヂーレルドは尚ほも笑ひながら、
「何故案内をしぢや不可(いけ)ないんだね、うまい金儲けにさへなりやア好いぢやねえか、俺が保証(ひきう)けた、何うだ、この旨い儲け口に一口乗らないか」
言葉も終らぬ中(うち)ボルンは、ヂーレルドの胸倉(むなぐら)をムヅと摑んだ。
「うぬ、タ、癡奴(たはけめ)、己れにソンな真似が出来るか出来ないか考へて見ろ、自分の国と自分の家族とを、金なんかに代へられるものか、手前のやうな国賊、手前のやうな人でなしは物を言つて聞かしても解るめえから、勝手な所へ往きアがれツ」
言ひながら、押へて居た手で、山の斜面からドンと突き落した。
ヂーレルドは、ごろ転(ころが)り落ちたが、やツと起き上つて、そして又も山の上へ登つて来て、突如(いきなり)ボルンに打つてかゝつたが、ボルンは、こゝぞ一生懸命と、杖を以て抵抗して居ると、傍らより犬が吠えながら嚙み附くので、流石(さすが)のヂーレルドも、老人のボルンを如何(いかん)ともすることが出来ず、
「覚えて居ろツ」の捨て言葉を残して、急いで山を下つて往つた。
老人の正直な質朴なッボルンの心では、ヂーレルドの心を推測することも出来ず、そのまゝ路上に腰を下して、掌(てのひら)で頭を押へながら、
「何だうて、自分の本国を敵に売るやうな奴が出来るだらう。」などゝ頻りに頭を痛めて居たのだが、又、飜(ひるがへ)つては、自分の子息(むすこ)や、娘や、妻のことなど思へば心痛に堪へない、アヽ、もう暫く遇はないが、敵は川向ふに侵入したか知らん、多分大丈夫だとは思つて居るが、若しや仏蘭西人が勝利を得るやうなことになつたら、彼等は何うなるだらう、など考へれば、胸は張り裂けるばかり、ト言つて敵に道案内をすることも出来ず、ハテ何うしたものだらう……と、一時間ばかりは、其処に坐つたまゝ、考へて居たのだが、この時突然に、後の方に人の寄せて来る足音がした、振り返つて見れば、それは仏蘭西の兵卒で、その背後(うしろ)には、先きの悪漢ヂーレルドが随(つい)て来たのである。
これを見ると、ボルンの胸中には、何となくイヤな心持がした、そして胸は遽(には)かに躍(おど)り初めた、驚いて飛びすさツて、遁げやうかとは思つたが、年も老(と)つて居るので、とても遁げ終(をは)せはせず、ソンなら抵抗して見やうかとも思つて、思はず、杖を固く握つては見たが、一人と多勢、それに老人と若者であるから、敵(かな)はぬことは知れ切つて居る、そこで止むなく虚勢を張つて、極めて落着き払つた如くに、立ち止まつて居た。
やがて兵卒は接近して来たが、敢て老人(としより)を傷けやうともせず、たゞ覚束(おぼつか)ない独逸(どいつ)語で、後から随(つい)て来いと命じた。
「何処へ往ゆくのです」と、ボルンは反問した。
「元帥(げんすゐ)の所へ」
「何の用があるのか」
ボルンは躊躇して、ヂーレルドを指(ゆびさ)しながら、
「屹度(きつと)、彼奴(あいつ)がお前達をこゝへ引ツ張つて来たのだらう」
兵卒は只頭で肯(うなづ)いた、然らば疑いもなく山へ登る間道を教へよと言ふのだらう、と心に悟れば、思はず身慄ひをした。
けれど、死をさへ覚悟すれば、及ばぬながらも抵抗は出来るのだ、思ひ切つて死ぬまで抵抗して見やうか、と思つても見たが、イヤ馬鹿なことだ、と思ひ返して、仕方なく兵卒の後(うしろ)に随て山を下(くだ)つた。
ヂーレルドも、無論(もちろん)、後に随て来た。
「やいボルン、最前(さつき)手前(てまへ)に言つたことをまさか忘れやしめえ、俺(おら)は彼(あ)の時手前(てめへ)に途(みち)を言はせることが出来なかつたが、いはさうと思やア、他に幾らも工夫はあるんだ、」と、毒々し気に言つた、が、ボルンは其言葉を耳にもかけず、たゞ黙つて、其後(うしろ)に随ひ往くのである。
ボルンの胸の中には、いろさまのことで、切(しき)りに躍つて居る、若し敵に途を知らせなければ、或は自分も自分の家族も、無論不幸に陥るらねばならず、さりとて強情を張つて居れば、敵は威力で責めるに相違ない、不幸を遁れ、苦痛を免れんとすれば、是非とも白状せねばならず、白状をするは今であるけれど自分が白状すれば、普漏西(ぷろしや)一国は敵の為めに蹂躙せられて、或は滅亡(ほろび)るかも知れぬ、言ひ換ふれば、普漏西の運命は、全く自分一人が白状すると否とに在るのだ自分一人が此秘密を守つて居れば、人は何と言つても、この秘密を取り出すことは、出来ぬのだ、白状しやうか、白状せまいか、アヽ何うしたら好いだらう、と切(しき)りに胸を痛めて居る中、兵卒は早くも捕虜なるボルンを引き立てゝ、元帥の本営へと来た。
やがて元帥は、この羊飼ひのボルンを、暫くの間見詰めて居たのだが、徐(おもむ)ろに口を開いて、
「馬や大砲をこの山へ上げる途を知つて居るか」と、厳(おごそ)かに尋ねた。
「存じて居ます。知つて居るのを知らないとは申しません、又知らないといはうとも思ひません。」
ボルンは、極めて明瞭に答へた。
「ソンなら其途を教へて呉れ、その代りに御前に賞金を遣るから」
ボルンは暫時(しばらく)黙つて考へて居たが、其心の中は、さながら嵐が波を掻き揺(うご)かすが如く、上下(じやうか)左右に転動して居る、が、思案に思案を重ねた末、国を売ることは何うしても出来ぬ、又してはならぬのだと心の奥深く堅くも誓つた。
「早く途を教へぬか」
元帥は急(あせ)りながら、鋭く詰問した、が、ボルンは、凛(りん)とした声を放つて、
「イヤです、私は自分の同胞の不利益になるやうなことを行ふことは出来ません」
「イヤといふのか」
元帥は、再び声を励しながら、
「貴様は、自分が言はなければ、我々は途を発見することが出来ないと思ふのか、馬鹿な!諸方へ人を出して捜しさへすれば、其途は直ぐに分るのだ、けれど我軍の為めには今日只今その途を知る必要があるのだ、だから貴様に尋ねるのだ」
「でも告げる訳には参りません」
「何うして言はんのか、己れが貴様が欲すれば、貴様を威力で拷問(がうもん)しても聞くことが出来るといふことを知らないか」
「誰れでも私を威力で強(し)ふることは出来ません」
「出来ない?ソンならやつて見せやう、戦ひが勝つても負ても、貴様が言ふと言はざるとに関係しないのだ、貴様は途をさへ示せば、それで十分の賞金が貰へるのだ、併し何処までも強情を張つて言はなければ、貴様の命はないのだ、此方(こつち)の命令に従ふか、又は死ぬるか、其中の一ツを撰んで見ろツ。」
ボルンは、只黙つて俯(うつむ)いて居る、トいふのも、覚悟は疾(と)くに決して居るのであるから、この言葉に臆することもなければ、顔色さへも変らない。
「こら、己れは戯談(じようだん)に貴様に言ふのぢやないぞ、抵抗すれば直ちに生命はないのだ」
元帥は更に詰責した。
「戯談に威(おど)されるのでない位は、承知して居りますよ」と、極めて平気な語調で言つたのだが、而(しか)も此際、一念一度妻子の身の上に及べば万感胸に迫つて、落ちついた顔色も、何時か変つて、手も足もワナと動き初めるのであつた、けれど国の為め、同胞の為め、といふ一念が咄嗟の間に湧き来れば、再びその態度は恢復して、而も声は更に凛然として
「私は売国奴ぢやない、又売国奴にならうと思ふ念などは、少しもありません」
「告げないんだな」と元帥が激しく叫ぶと、
「告げない」と断乎として言い放つた、其決心や動かすべからざるものであつた。
「連れて往け」と、元帥は、或将校に向ひ、
「連れて往つて、三十分間熟考の時を与へてやれ、それでも尚ほ告げなければ、直ぐに銃殺せいツ」
言ひながら元帥は奥深く入り、ボルンは兵卒に引き立てられた。
やがてヂーレルドは、ボルンの傍らに来て、
「おいボルンさん、好く考へて見ねえ、お前強情を張つて憂目を見るよりやア、生きて金を儲けた方が好いぜ」と、賺(すか)したりなだめたりして、諛(へつら)ひながら言葉を優しくするのだ、夫れも其筈(そのはず)、ボルンが強情を張つて死んで仕舞つては、自分は一文も得られないので、
ボルンは相不変(あひかはらず)の言葉を耳にもかけず、たゞ空嘯(そらうそぶ)いて居るのみであつた。
やがて将校が来て、又もいろに賺しながら、
「せめて道の方面丈けでも好いから聞かして呉れ、それも口で言ふのが厭なら手で示して呉れゝば好い、さうすりやア勿論、お前は直ぐに放免して、その上沢山の褒美を貰つてやるから」
言葉を極めて勧めたのだが、ボルンの態度は、依然として変らなかつた。


時はいつか三十分を過ぎた、けれどボルンの決心は、毫も動かなかつたので、あはれボルンは遂に両手を縛されて、山の斜面の方へ連れて往かれた、そして三名の兵卒は、ボルンの眼の前で、矢庭に其銃に玉を込めた。
何の為め?と言ふことは無論ボルンは知つて居る、三十分間熟考する余裕はあつた、けれど今は早や仕方がない、でボルンは只沈黙したまゝ、草の上に座つて、谷と高地の方(かた)に思はず眼を注いだ、こゝには彼の子息(むすこ)が従軍して居る、アヽ此瞬間、彼の胸中に往来する張り裂くばかりの苦痛は、其処に居る仏蘭西人の誰れも之れを知らないのであらう、アヽ彼処(かしこ)には自分の隅馴れた小さな家が見える、窓には赫赫(あかあか)とした麗しい旭日(あさひ)が輝いて居るけれど、再び其処に這入つて、一家団欒(だんらん)の快楽を取ることは出来ぬ、嘗(かつ)ては愛し親しみつゝあつたあたり近処の山川草木、さては谷の附近に散在する都府や村落や、森や又は此処の原彼処(あすこ)の畑と、幼き折から此老年に至る迄の間の、面白かつたことや、悲しかつたことや、嬉しかつたことなどの、幸福な、満足な其日を送つて来た数十年來の歴史を有(も)つて居る懐しき故郷であるが、アヽこの美しき、恋しき慕しき故郷も、モー僅少(わづか)にして別れねばならぬのか、と湧き来る感慨に顔色も蒼くなり、堰(せぐ)り来る涙は容赦もなく双の頬を伝うのであるが、それを拭(ぬぐ)はうとしても、手は縛されている、切(せ)めては神に祈禱を捧げんものと、天を仰いで拝せんとしたが、それさへ叶はぬのだ、一分は一分、一秒は一秒と、次第に其運命は縮まり往くので、今を最後と、やがてボルンは、心の中で神を拝しながら、口には微かな祈禱を捧げて、そして最後の覚悟を定めた、万感はこゝに消えて更に勇気や平和や快楽など、未来の幸福を思へば、その顔色は再び回復して、眼には希望の光が輝き、顔には満足の色が現はれて居る。
やがて彼の運命は尽くべき時は来た、此時将軍は近く傍らへ寄つて来て、
「さア、今道を言へ、言はぬか!」と最後の質問を発した。
がボルンは一語も発せずに、只頭(かしら)を振るのみであつた、将校は遂に其動かすべからざる決心を見て、心中少なからぬ同情を表して居るのであつたが、元帥の命如何(いかん)ともする能(あた)はず、已(や)むなく遂に兵卒に眼くばせした。
やがて兵卒は銃を執つた、そしてボルンの眼を蔽うて、木の側(かたへ)に立たせた。
かくて兵卒は、号令に従つて其距離を測つた。
が、此時将校は又も前の問を繰り返した、そして其問が、実に最後の三度目であつたけれどボルンの返答(へんじ)は、例の如く頭(かしら)を振りながら黙答するのみであつた。
「打てツ!」といふ激しい号令が響くと、三発の弾丸は一時に飛んで、おそろしき響と共に、あはれやボルンの老体は前に倒れた。
兵卒は死骸を其儘(そのまゝ)にして、やがて陣営に戻つた。
アヽ健気(けなげ)なる羊飼ひは、遂に弾丸に斃(たお)れた、けれど此時は、国と国との戦争(いくさ)であつて、一個人の命を取る取らぬの場合でないのに、何故、こんな無慈悲なことをしたのであらう。
でナポレオンは遂に山の道を知ることが出来なかつたので、心甚(はなは)だ平らかならず、その結果、誰れか他に其(この)途を知つて居るものを捜(たず)ね来れといふ、厳命が下つた。
この厳命に接して、或将校の一人(いちにん)は、やがて其(その)途を知れる一人(いちにん)の男を拉(らつ)し来(きた)つた、が此男は、その詰責に抵抗し、又は否といふ程の力を有(も)つて居なかつた、で、直ちに教へた途は、一つの小川が流れて居る岩と岩との間に通じて、樹木の繁茂している小径であつた。
この川底こそ、実に其途になつて居るので、ナポレオンは、此途の上に大砲を引かせて、二三ヶ所の樹木を倒し、一二の岩石を爆発せしめてとう困難に打勝つて途を大砲の為めに通ずることが出来た。
その晩の中、大砲は半分引き上げ、半分かつぎ上げて、山の頂上へと運んだ、が、十月十四日の夜が明けた時、エーナーの戦は、砲戦が初めまる前、既に決して、普軍は全く破れて、潰走(くわいそう)したのである。
エーナーの戦争後、七年間、独逸は非常の困難に陥つたが、遂に独立戦をして名誉を回復したのである。
かくて二つの歳を取つた、勇悍(ゆうかん)なる羊飼ひの犠牲は、遂に無益であつた、そして戦の後ち二日経つてから羊飼ひの死骸は、戦死した普国人と一つに共同墓地の中へ埋葬されたのだが、数十日の後に至つて、初めてその死んだことが家族の耳に這入つた。
けれど、この勇悍にして忠勇なる老羊飼ひが忠死の事は、何の歴史にも書いてない、随つて多くの人は知らない。
只僅かにエーナー地方の二三の人にしか知られて居なかつたのであるが、併(しか)し此等の人々は、今に其忠死を物語つて居る。
このあはれなる勇者の墓が、何処にあるかといふことは、知るものは絶えて無い、之れに就て立派な記念碑なども無論ないが、只僅かに貧乏な牧者であつたけれど、死に至るまで、国の為めに尽くした事は、国民として永く記憶して居なければなるまいと思ふ。
これは独逸の愛国者の話だが、今、征露戦争の最中、日本には此様(このやう)な愛国者、は沢山にあらうと信ぜられる。

この著作物は1924年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているので、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。