御臨終の時門弟等に示されける御詞 (法然上人全集)

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御臨終の時門弟等に示されける御詞

一。建暦二年正月三日戌の時。病床の傍成人。御往生の實否を問奉りければ。我もと天竺國に在りし時は。聲聞僧に交りて頭陀を行じき。今日本にしては。天台宗に入て一代の教法を學し。又念佛門に入て衆を利す。我もと居せし處なれば。定めて極樂に歸り行べしと仰られければ。勢觀。上人に申さく。先年も此仰侍りき。抑聲聞僧とは佛弟子の中には何哉と申せし時。舎利弗なりと答へ給ふ。

〈九巻傳。臨終祥瑞記等に出づ。〉

一。有時上人の給はく。髙聲に念佛を唱へよ。阿彌陀佛の來給へり。南無阿彌陀佛と唱者は一人としても極樂に往生せずといふことなしとて。念佛の功績をほめ給へり。

〈十六門記に出づ。勅修御傳及九巻傳に。十一日の辰時の御物語とあり。〉

一。十一日の巳時にかたりての給はく。おほよそこの十餘年よりこのかた。念佛功つもりて。極樂の莊嚴及佛菩薩の眞身をおがみたてまつる事つねの事也。しかれどもとしごろは秘していはず。いま最後にのぞめり。かるがゆへにしめすところなりと。

一。廿日の巳時に弟子等申さく。このうへに紫雲あり。御往生のちかづき給へるかと。上人の給はく。あはれなるかなや。わが往生は一切衆生のためなり。念佛の信をとらしめんがために瑞相現ずるなりと。

〈勅修御傳。臨終祥瑞記等に出づ。〉

一。廿二日氣髙く氣よげなる女房の車にのりて來臨して。上人の見参に入べきよしを申されける。乃至淨土の法門はいかにと御定め侍るぞと申されければ。選擇集と云文をつくりて候へば。此文に違はずと侍るらんこそ。源空が義なるべしと返答せられけり。云云

〈九巻傳に出づ〉

一。御臨終の時。上人頭北面西にふし給ふ。門弟等申て曰。只今まで端坐念佛し給へるに。命終の時に至りて臥し給ふこといかゞ。上人微笑して曰。我今此故を述んと思ふ。汝等よく問り。われ身を娑婆に宿す事は淨土の徑路をひらかんがため。今神を極樂にかへす事は往生の軌則をしめさんがためなり。我もし端坐せば人定めて是を學ばんか。若然は病の身起居輙からじ。をそらくは正念を失ひてん。此義をもての故に我今平臥せり。端坐叶はざるにはあらず。本師釋尊旣に頭北面西して滅を唱へ給ふ。是また衆生のためなり。我いかでか釋尊にまさるべき。

〈九巻傳に出づ〉

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