富士歷覽記
富士歷覽記
入道中納言雅康卿
明應八年五月三日。富士歷覽のために都をおもひ立侍りて。江州柏木鄕にとゞまりて。四日の朝にたち侍るに。社頭をふしをがみ奉りて。
柏木に跡たるゝよりも里のうちにさこそ葉守の神も守らめ
內白川。外白川。きのふの雨に水まさりて人々わたりかね侍れば。心のうちに祈念侍りし。
我たのむうちとの神にまかすれはこの白川もやすく渡らん
山中と申所にてほとゝぎすをきゝて。
よふこ鳥それかと聞は山中におほつかなくも鳴ほとゝきす
關民部大輔盛貞在所につきて。先在所の寺にとゞまりけるに。今夜はあやめのまくらしく夜なりとて。しき侍りて。
都にも思ひはいつやかりねしてあやめの枕ひとりしくよを
七日。雨によりて逗留し侍りしに。民部大輔のもとよりよみてをこ
みやこ人さこそ心のうかるらむいふせき里に雨やとりして
返し
五月雨は心ありけり雨宿りたよりしなくはことのはもなし
八日。宿所にまかりて。歌まり張行し侍りしに。十五首の題をさぐりて。初春。
道をおこし世はまつりことすなほにて國樂める春はきに鳬
柳風
これもやはふくとはいはむ春風に朝つゆゆらく玉のを柳
秋田
をのつから神や心を作る田のしめをはこえぬさを鹿のこゑ
逢戀
猶のこる恨とや思ふきぬ〳〵をかねてなけきのよはの淚そ
松
名にしおへはかめのうへなる山風も松にこたふる萬代の聲
此在所かめ山といふ也。十三日國府。佐渡入道誠泰在所にまかりて。兩道あり。ー續の中に。
郭公
みやこをはきかて出しにほとゝきすいせまて誰か待と思はむ
納凉
結ひあくる岩井の水のすめら世を思へはひさこくみも盡さす
恨戀
いつのまにとはれぬ身とて恨むらむ交す契りも一夜二夜を
十六日。太神宮に代官の人をまいらせけるによみてたてまつりける。
五十鈴川深くいのらは四の海かへりくまてに浪たつなゆめ
十七日。尾州大野に着侍りしに。伊豆の早雲
今そしるするかの海のはまつゝらくる人厭ふうきな
十八日。うたの郡緖川水野右衞門大夫爲則が在所に着侍り。まづ此處にしばらく休足すベきよし懇切に申ければ。心しづかに閑談し侍る。數日の間種々の興遊あり。廿首つらぬる歌に。山霞。
春にあけていくその人のことのはのはなその山は霞そむ覽
旅
けふいくか宮こをうつす旅の宿は道の外なることわさもなし
祝
たてそむる軒はの松は鶴の子のすくふ後まて影さかへとそ
けふ。かゝりの切立をし侍り。又各二首の歌よみ侍しに。
夏月
朝かほの花と月とをくらふれは盛みしかき夏のよの月
祝言
松のうへにくるてふ糸のいく結ひ玉のを川の末かけてみむ
十九日。八はしを見に。人々さそひまかりてみ侍れば。きゝをよびしよりかたちもなくあれはてゝ。かきつばたなども心うつくしくみえ侍らず。あはれなるこゝちしてよめる。
かつらきの神は渡さぬ八橋もたえてかすなきくもて也けり
かきりあれは思ひわたりしやつ橋を七十ちかき齡にそみる
杜若みなからたえてむらさきの一もとのこる花たにもなし
廿四日。を河より舟にて三河へ行侍しに。風かはりてしま〴〵にとゞまり侍るに。ある所にて手づからみるをとり。いせなる人のもとにつかはしける。
君をいつかみるめかるとて袖ぬれぬいせおの蜑に有ぬ我身も
かへし。後日によみてをこせ侍し。
君はいかにみるめもからぬ我袖は誰ゆへぬるゝ心とかしる
大濱といふ所へ舟よせてある堂舍にしばらくやすみて。本尊の御前にてよみし。
おほ濱の波ちわけぬと思ひしにはやかの岸に舟よせてけり
こよひは船中にてあかし侍りて。夜一よ船子ども枕のうへをわうへむし侍れば。おもひつゞけ侍る。
難波江にあらぬ舟路もあま人のあしの下にそ一よあかせる
廿五日。又佐久嶋といふ所へ舟よせて。八德菴といふ小庵にやどりてみるに。山水のたえだえなるをうけて。まことに山の井の躰もさびしく見え侍れば。
斯しても世はすまれけり山住の雫をさへにまたてやはくむ
廿八日。船をいだし侍るに。右のかたにあたりてたかし山なりといふをみれば。山としもなき岡のはるかに見わたされて。
昔よりそのなはかりやたかし山いつくを麓峯としもなし
漸順風になりていよ〳〵やほなどいふをかけそへて。ふねのはしりければ。
今こそといるかことくに梓弓やほかけそへて舟も出けり
六月一日。今橋のさとをたちぬるに。二村山のふもとをとをりけるに。くれはとりあやに戀しくとよめりしなどおもひいでられて。
をそくとくうへをく苗も二村に山のなうつすをたの面か
こよひは遠江國わしづといふ所につきて。本興寺といふ法華堂に一宿し侍り。堂の柱によみてをしつけ侍りし。
たひ衣わしつの里をきてとへは靈山說法の庭にそ有ける
二日。寺をいでてうぶみのわたりをし侍らむとて。舟まつほど。ひだりかたにいなさほそえをみやりて。
いつくにかいな
引馬の宿につきて。あしたに野のあたりをみにまかりて。
眞萩はら花さく秋にならさせはなをや心を引まのゝ露
八日。さ夜の中山につきて侍る。日坂といふ所を。よに入てたど〳〵しくも越侍るとて。
日の坂はたゝくれぬまのななりけり道ふみ迷ふさ夜の中山
おなじ夜のね覺に。曩祖雅經卿歌に。ふる里をみはてぬ夢のかなしきはふすほともなきさよの中山とつらね。續古今集に入侍しことを思ひいでて。
かくやありしみ果ぬ夢とよめりしを思ひね覺のさ夜の中山
九日。さ夜の中山にてふじを一見のほどに。雲のみかゝりてさだかに見え侍らねば。はるゝまをまちて一日とまりける間に。十首詠侍る。
大方にきゝしは物かみてそしる名よりも高きふしの高根は
遠きたにふりさけあふく富士のねを麓の里にいかゝみる覽
四方の山麓の塵に重ねてもをひ登るふしに較へやはせむ
こゝにきていよ〳〵高し都人みることかたき不二の高ねは
上をみむせめてことはの花もかな月と雪とのふしの詠に
ふしをみむと高き賴をかけ川や遠きわたりに今そきにける
たかくみしふしを都にかたるともさやは思はむさやの中山
郭公さよの中山なか空におよはぬふしのねをや鳴らん
定めをくもちのみ雪は遮莫けふまつきえぬふしの白雪
ふしのねは雪のいつくそ我にけふ忍ふの山の名をやかる覽
十三日。ひくまをたちてのぼりけるに。吉美妙立寺にて。あけぼのゝ富士。有明の月にさだかにみえ侍るに。
よこ雲の引まの里をへたてきて又たくひなきふしの曙
十
鹽見坂こゝろひかれし富士もみつ今は都とさしにこそさせ
こひの松原といふ所にしばしやすみて。
むかし誰戀の松はら待人のつれなき色に名つけそめけん
やはぎのさとを遙にみやりて。
ものゝふやおさむる國の軍みてやはきの里とこゝをいふ覽
十七日。又みづの右衞門大夫宿所に止宿侍り。やがて上洛のかくごにて侍れども。數日のきうくつを
朝蟬
旅にしてほすひもあらし薄く共蟬のは衣けさはかさなん
忍戀
さきにたつ淚のしらぬ戀ならはさすか心の色はみえしを
道のこと相傳し葛はかまなど着し侍しに。よみてつかはしける。
契るそよ君思ふより我もさは道
七月七日。關民部大夫宿所にて。人々題をさぐりて。
七夕枕
いはまくら今宵かはしてね一つのうしひき歸るあまの河波
惜月
なれぬれは人にもかゝる名殘そと更てかたふく月にしる哉
寄露戀
我命きえすはありとも何かせむ心をかるゝ露の契に
述懷
はつかしな哀むかしへありきてふ身の世かたりの一節もなし
いまだ都に中納言入道宋世ありしとき。するがの國へ下り侍るよしきこえしかば。侍從大納言實隆卿申つかはされける。
こえはまたいかに忍はむうつの山とをき昔も近きむかしも
返し
今はまた夢はかりなるあらましのうつゝになれは宇津の山越
これはむかし曩祖雅經卿ふじみ侍らむとてくだり侍りしに。宇津の山にて路分し昔は夢かうつの山あとともみえぬつたの下道とよめり。また父雅世卿かの山をとをり侍りしに。雅經卿の歌をおもひいで侍りて。むかしたにむかしといひしうつの山こえてそ忍ふ蔦の下道とつらね侍りしことを。遠きむかしもちかき昔もとよめるなるベし。
宗祇法師。たちばなといふたきものをむまのはなむけに送り侍るとて。よみてつかはしける。
末とをく立よりやかて思ひやるきみになひかむふしの煙を
返し
おもひたつふしの烟もたち花のなひく烟にまつやしるらん
三井寺のほくりむばうといへる人の本よりつかはしける。
うへもなき二の道にふしの山ならへて三のたかねならまし
かへし
ふしの山をよはぬ道は遮莫ねかひはみつのたかねならまし