宴皇甫兵曹宅詩序
表示
皇甫君[1]の冠冕[2]は安定に於いて、李校書の羽儀は隴西に於いて、岑正字の明目は漢南に於いて、石宮坊の抵掌は河朔に於いて、高侯邦の司は直に、齊の濫れ吹く[3]を下走[4]する。若(も)し夫(そ)れ風雲龍虎水火陰陽が、千里を隔てて之に應(こた)ふるならば、同聲に於いて潛契[5]せざること莫(な)し。聖明の千載は宇を區し、一家は八紘を掩いて以て之を得、中京に於いて會を高ませざること莫(な)し[6]。是は日[7]なり。河圖[8]は適(たまたま)海に至りて、鯨(くじら)は初めて五嶽の四瀆[9]を死す[10]。漢皇帝は其れを崇めて一日三朝[11]を望祀す。周の天子は其の莊を展び敬ふ。君臣は色[12]を慶し、朝野は心を歡す。元宴は先に生まれ、甲第[13]を開きて賓(まろうど)を留し、二三の君子は龍門[14]に赴きて讌(うたげ)を廣(ひろ)む。陰雲は已(すで)に墨(むさぼ)り、氣を肅(つつし)み、彌(いよいよ)高む。霜の寒き萬里の園の、冰(こおり)は千金の水面を納む。郊後の市は、即ち潘嶽[15]の居を為す。代を累(かさね)て家に通じるは、咸(みな)李膺[16]の客することを言う。百年の何が計(はか)られるやは、相知り我が心に於いて在り。四海の何が求められるやは、樂を為して名教に於いて止む。毫(わず)かを抽(ぬきんだ)し牘を進め、皆(みな)賦詩を請ける。日暮の途は遠く、聊(いささ)か裁(たち)て序いで引く。
補足
[編集]- ↑ 皇帝補佐
- ↑ 役人
- ↑ 濫吹(らんすい)。才があるように取り繕う無能な者
- ↑ 使い走り
- ↑ 水面下で契約
- ↑ 八紘一宇
- ↑ 日本
- ↑ 吉兆の一つ。特に聖王の治世を御するの瑞とされる。
- ↑ 中国道教における五岳から流れる四つの大河
- ↑ 史記にある徐福伝説では「鯨」ではなく「海中大神」となっている。この詩より後、李白は海中大神を「長き鯨正に崔嵬、額鼻五嶽を象(かたど)る」と詠んでいる
- ↑ 「一日三朝衛靈咒」
- ↑ 情景
- ↑ 科挙の進士の試験
- ↑ 登龍門のこと
- ↑ 西晉の文人
- ↑ 後漢の実力者
原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。