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学問のすすめ (初編)

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學問のすゝめ 初編

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福澤 諭吉 同著
小幡篤次郎

一天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへりされば天より人を生するには萬人は萬人皆同じ位にして生れながら貴賤上下の差別なく萬物の靈たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り以て衣食住の用を達し自由自在互に人の妨をなさずして各安樂に此世を渡らしめ給ふの趣意なりされども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや其次第甚た明なり實語教に人學ばざれば智なし智なき者は愚人なりとありされば賢人と愚人との別は學ぶと學ばざるとに由て出来るものなり又世の中にむつかしき仕事もありやすき仕事もあり其むつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけやすき仕事をする者を身分輕き人といふ都て心を用ひ心配する仕事はむつかしくして手足を用る力役はやすし故に醫者學者政府の役人又は大なる商賣をする町人夥多の奉公人を召使ふ大百姓などは身分重くして貴き者といふべし身分重くして貴ければ自から其家も冨て下々の者より見れば及ふべからざるやうなれども其本を尋れは唯其人に學問の力あるとなきとに由て其相違も出来たるのみにて天より定たる約束にあらず諺に云く天は冨貴を人に與へずしてこれを其人の働に與るものなりとされば前にも云へる通り人は生れながらにして貴賤貧冨の別なし唯學問を勤て物事をよく知る者は貴人となり冨人となり無學なる者は貧人となり下人となるなり
一學問とは唯むつかしき字を知り解し難き古文を讀み和歌を樂み詩を作るなど世上に實のなき文學をいふにあらずこれ等の文學も自から人の心を悦ばしめ隨分調法なるものなれども古来世間の儒者和學者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず古来漢學者に世帶持の上手なる者も少く和歌をよくして商賣に巧者なる町人も稀なりこれがため心ある町人百姓は其子の學問に出精するを見てやがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり無理ならぬことなり畢竟其學問の實に遠くして日用の間に合はぬ證據なりされは今斯る實なき學問は先づ次にし專ら勤むべきは人間普通日用に近き實學なり譬へはいろは四十七文字を習ひ手紙の文言帳合の仕方算盤の稽古天秤の取扱等を心得尚又進て學ぶべき箇条は甚多し地理學とは日本國中は勿論世界萬物の風土道案内なり究理學とは天地萬物の性質を見て其働を知る學問なり歴史とは年代記のくはしき者にて万國古今の有様を詮索する書物なり經濟學とは一身一家の世帶より天下の世帶を説きたるものなり脩身學とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり是等の學問をするに何れも西洋の翻譯書を取調へ大抵の事は日本の假名にて用を便し或は年少にして文才ある者へは横文字をも讀ませ一科一學も實事を押へ其事に就き其物に従ひ近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり右は人間普通の實學にて人たる者は貴賤上下の區別なく皆悉くたしなむべき心得なれは此心得ありて後に士農工商各其分を盡し銘々の家業を營み身も獨立し家も獨立し天下國家も獨立すべきなり
一學問をするには分限を知る事肝要なり人の天然生れ附は繋かれず縛られず一人前の男は男一人前の女は女にて自由自在なる者なれども唯自由自在とのみ唱へて分限を知らざれば我儘放盪に陷ること多し即ち其分限とは天の道理に基き人の情に従ひ他人の妨をなさずして我一身の自由を達することなり自由と我儘との界は他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり譬へは自分の金銀を費して為すことなれば假令ひ酒色に耽り放盪を盡すも自由自在なるべきに似たれども夬して然らず一人の放盪は諸人の手本となり遂に世間の風俗を亂りて人の教に妨を為すがゆゑに其費す所の金銀は其人のものたりとも其罪許すべからず又自由獨立の事は人の一身に在るのみならず一國の上にもあることなり我日本は亞細亞洲の東に離れたる一個の島國にて古来外國と交を結ばず獨り自國の産物のみを衣食して不足と思ひしこともなかりしが嘉永年中アメリカ人渡来せしより外國交易の事始り今日の有様に及びしことにて開港の後も色々と議論多く鎖國攘夷などゝやかましくいひし者もありしかども其見る所甚た狹く諺にいふ井の底の蛙にて其議論取るに足らず日本とても西洋諸國とても同じ天地の間にありて同じ日輪に照らされ同じ月を眿め海を共にし空氣を共にし情合相同じき人民なればこゝに餘るものは彼に渡し彼に餘るものは我に取り互に相教へ互に相學び耻ることもなく誇ることもなく互に便利を達し互に其幸を祈り天理人道に従て互の交を結び理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り道のためには英吉利亞米利加の軍艦をも恐れず國の耻辱とありては日本國中の人民一人も殘らず命を棄てゝ國の威光を落さゞるこそ一國の自由獨立と申すべきなり然るを支那人などの如く我國より外に國なき如く外國の人を見ればひとくちに夷狄々々と唱へ四足にてあるく畜類のやうにこれを賤しめこれを嫌らひ自國の力をも計らずして妄に外國人を追拂はんとし却て其夷狄に窘めらるゝなどの始末は實に國の分限を知らず一人の身の上にて云へば天然の自由を達せずして我侭放盪に陷る者といふべし王制一度新なりしより以来我日本の政風大に改り外は萬國の公法を以て外國に交り内は人民に自由獨立の趣旨を示し既に平民へ苗字乘馬を許せしが如きは開闢以来の一美事士農工商四民の位を一様にするの基こゝに定りたりといふべきなりされば今より後は日本國中の人民に生れながら其身に附たる位などゝ申すは先づなき姿にて唯其人の才徳と其居処とに由て位もあるものなり譬へば政府の官吏を粗略にせざるは當然の事なれどもこは其人の身の貴きにあらず其人の才徳を以て其役義を勤め國民のために貴き國法を取扱ふがゆへにこれを貴ぶのみ人の貴きにあらず國法の貴きなり旧幕府の時代東海道に御茶壷の通行せしは皆人の知る所なり其外御用の鷹は人よりも貴く御用の馬には徃来の旅人も路を避る等都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きもののやうに見へ世の中の人も數千百年の古よりこれを嫌ひながら又自然に其仕来に慣れ上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども畢竟是等は皆法の貴きにもあらず品物の貴きにもあらず唯徒に政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて實なき虚威といふものなり今日に至りては最早全日本國内に斯る淺ましき制度風俗は絶てなき筈なれば人々安心いたしかりそめにも政府に對して不平を抱くことあらばこれを包みかくして暗に上を怨むることなく其路を求め其筋に由り靜にこれを訴て遠慮なく議論すべし天理人情にさへ叶ふ事ならば一命をも抛て爭ふべきなり是即ち一國人民たる者の分限と申すものなり
一前条にいへる通り人の一身も一國も天の道理に基て不羈自由なるものなれは若し此一國の自由を妨けんとする者あらば世界萬國を敵とするも恐るゝに足らず此一身の自由を妨けんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らずましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば何れも安心いたし唯天理に従て存分に事を為すべしとは申ながら凡そ人たる者は夫々の身分あれば亦其身分に従ひ相應の才徳なかるべからず身に才徳を備んとするには物事の理を知らざるべからず物事の理を知らんとするには字を學ばざるべからず是即ち學問の急務なる訳なり昨今の有様を見るに農工商の三民は其身分以前に百倍しやがて士族と肩を並るの勢に至り今日にても三民の内に人物あれば政府の上に採用せらるべき道既に開けたることなればよく其身分を顧み我身分を重きものと思ひ卑劣の所行あるべからず凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐むべく亦惡むべきものはあらず智惠なきの極は耻を知らざるに至り己が無智を以て貧究に陷り飢寒に迫るときは己が身を罪せずして妄に傍の冨る人を怨み甚しきは徒黨を結び強訴一揆などゝて乱妨に及ぶことあり耻を知らざるとやいはん法を恐れずとやいわん天下の法度を頼て其身の安全を保ち其家の渡世をいたしながら其頼む所のみを頼て己が私欲の為には又これを破る前後不都合の次第ならずや或はたまゝゝ身本慥にして相應の身代ある者も金錢を貯ることを知りて子孫を教ることを知らず教へざる子孫なれば其愚なるも亦怪むに足らず遂には遊惰放盪に流れ先祖の家督をも一朝の煙となす者少からず斯る愚民を支配するには迚も道理を以て諭すべき方便なければ唯威を以て畏すのみ西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なりこは政府の苛きにあらず愚民の自から招く災なり愚民の上に苛き政府あれば良民の上には良き政府あるの理なり故に今我日本國におゐても此人民ありて此政治あるなり假に人民の徳義今日よりも衰へて尚無學文盲に沈むことあらば政府の法も今一段嚴重になるべく若し又人民皆學問に志して物事の理を知り文明の風に赴くことあらば政府の法も尚又寛仁大度の塲合に及ふべし法の苛きと寛やかなるとは唯人民の徳不徳に由て自から加減あるのみ人誰か苛政を好て良政を惡む者あらん誰か本國の冨強を祈らざる者あらん誰か外國の侮を甘んずる者あらん是即ち人たる者の常の情なり今の世に生れ報國の心あらん者は必ずしも身を苦しめ思を焦すほどの心配あるにあらず唯其大切なる目當はこの人情に基きて先づ一身の行ひを正し厚く學に志し博く事を知り銘々の身分に相應すべきほどの智徳を備へて政府は其政を施すに易く諸民は其支配を受て苦みなきやう互に其所を得て共に全國の大平を護らんとするの一事のみ今余輩の勸る學問も專らこの一事を以て趣旨とせり



學問のすゝめ終

端書
此度余輩の故郷中津に學校を開くに付學問の趣意を記して旧く交りたる同郷の朋友へ示さんがため一册を綴りしかば或人これを見て云くこの册子を獨り中津の人へのみ示さんより廣く世間に布告せば其益も亦廣かるべしとの勸に由り乃ち慶應義塾の活字版を以てこれを摺り同志の一覽に供ふるなり

福澤 諭吉
小幡篤次郎


参考現代語訳

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(翻訳:三島堂)

初編

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天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言う。天が人を生まれさせるのは、万人は万人みな同じ地位であって、生まれながらの貴賎や上下の差別なく、万物の霊長である心身の働きで、天地の間にあるすべての物を利用して衣食住の用を足し、自由自在、互いに人の妨害をせず、おのおの安楽にこの世を渡らせたまう趣旨である。しかし今、広く人間世界を見渡せば、賢い人もあり、愚かな人もあり、貧しい人もあり、富める人もあり、貴人もあり、下人もあって、そのありさまに雲泥の相違があるのはなぜか。そのわけは、全く明らかである。実語教という書物に、人学ばざれば智なし、智のない者は愚人なりとある。つまり賢人と愚人の区別は、学ぶと学ばないことによってできるのである。

また世の中には難しい仕事もあり、簡単な仕事もある。そのむずかしい仕事をする者を身分の重い人と名づけ、簡単な仕事をする者を身分の軽い人という。すべて心を使い、心配する仕事はむずかしく、手足を使う肉体労働は容易である。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大がかりな商売をする町人、多くの使用人を使う大百姓などは、身分が重く貴い者と言うのである。

身分が重くて貴ければ自然にその家も富み、しもじもの者から見れば遠く及ばないようだが、元を見ればただその人に学問の力があるないかによって違いができるだけで、天の定めた決まり事などではない。ことわざに、天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与えるという。ならば前に述べたとおり、人は生まれながらに貴賎や貧富の区別はない。ただ学問に勉め、物事をよく知る者は貴い人になり富裕になるし、無学な者は貧乏人になり下層となるのである。

学問とはただむずかしい字を知り、わかりにくい古文を読み、和歌を楽しみ詩を作るなど、世間での実益のない文学を言うのではない。これらの文学もおのずから人の心を楽しませ、ずいぶん結構なものだが、昔から世間の儒者和学者が言うほど尊いものではない。古来、漢学者に家計運営の上手な者も少なく、和歌がうまくて商売に巧みな町人もまれである。このため分別のある百姓町人の中には子が学問に精出すのを見て、やがて財産を失うのではないかと親心から心配する者がある。これは、無理もないことである。結局その学問は実用に乏しく、日常に間に合わない証拠である。

ならば今、このような実益のない学問は後回しにしてもっぱら勉強するべきなのは、人の普通の日常に近い実学である。例えばいろは四十七文字を習い、手紙の文句、簿記の仕方、そろばんの稽古、てんびんの取扱いなどを覚え、そこからまた進んで学ぶ科目は、はなはだ多い。地理とは日本国中はもちろん、世界の万国の風土の案内である。物理学とは天地の万物の性質を見て、その働きを知る学問である。歴史とは年代記のくわしいもので、万国の古今のありさまを研究する書物である。経済学とは一個人や一家の世帯から、天下の経営を説くものである。倫理学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡る天然の道理を述べたものである。

これらの学問をするのに、西洋の翻訳書を調べ、たいていのことは日本のかなで間に合わせ、あるいは年少で才能のある者へは横文字も読ませ、一科一学も実際を踏まえ、事柄により物に従ってことの道理を身近に知り、現時点の必要を満たすべきである。以上は人間の普通の実学であり、人である者は貴賎や上下の区別なく皆がたしなまなくてはならない心得である。これを身につけた後に、士農工商など各自がその立場を尽くし、めいめいの家業を営み、自身も独立し家も独立し、天下国家も独立すべきなのである。

学問をするには分を知ることが肝心である。人の自然の生まれつきは、つながれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女で自由自在なのであるが、ただ自由自在とだけ唱えて分をわきまえなければ、わがまま放蕩におちいることが多い。そしてその分とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨害をせず、自分の自由を達成することである。自由とわがままとの境界は、他人の妨害をすることとしないことの間にある。たとえば酒色にふけり放蕩を尽くすのも、自分の金を使ってやることだから自由なようだが、けっしてそうではない。一人の放蕩は万人の手本になり、ついに世間の風俗を乱して人の教育の妨げになるために、使う金はその人のものであっても、その罪を許すべきではないのである。

また自由独立は人の身の上にあるばかりでなく、国の上にも存在する。わが日本はアジアの東に離れて存在する一個の島国で昔から外国と交わりを結ばず、自国の産物だけを消費して不足に思うこともなかったが、嘉永年間にアメリカ人が渡来して外国交易が始まり、今日のようになったのである。開港の後もいろいろと議論が多く、鎖国攘夷とやかましく言った者もあったが、その視点はおよそ狭く諺に言う井の中の蛙で、その論理は取るに足りない。日本も西洋諸国も同じ天地の間にあって、同じ日に照らされ同じ月を眺め、海をともにし空気をともにし、情緒も同じ人民である。よってここで余るものは彼らに渡し、彼らに余ったものはわれらが取り、互いに教え互いに学び、恥じることも誇ることもないのだ。互いに利益を得て、互いにその幸いを祈り、天の道理と人の道に従って互いに交わりを結び、道理のためにはアフリカの奴隷にも恐縮し、正しい道のためにはイギリスアメリカの軍艦も恐れず、国の恥辱があれば日本国中の人民が一人残らず命を捨ててでも国の威光を落とさないことこそ、一国の自由独立と言うべきなのである。

しかし支那人などのように、自国のほかには国がないように外国人を見ればひとまとめに夷狄夷狄と呼び、四本足で歩く動物のように卑しめ、これを嫌い、自国の力も考えず、みだりに外国人を追い払おうとしてかえってその夷狄に苦しめられる始末などは実に国の身の程を知らず、人で言えば生来の自由を達成せずにわがまま放蕩におちいった者と言うべきだ。王制が一新して以来わが日本の政治は大いに改まり、外は万国の公法をもって外国と交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、平民に苗字乗馬が許されたようなことはわが国始まって以来の快挙、士農工商の四民の地位を一様にする基礎がここに定まったと言うべきである。 そこで今後は日本国中の人民に生まれついた身分などと言うものは一応なくなり、その人の才能とその居場所による地位があるだけだ。たとえば政府の官吏を粗略に扱わないのは当然だが、これはその人自身が尊いのではない。その人が才知によって役目を勤め、国民のために貴重な国法を取り扱うから尊いだけである。人が尊いのではない、国法が尊いのである。旧幕府の時代、東海道をお茶壺が通行したのは、よく知られている。そのほか幕府御用の鷹は人間よりも貴く、御用の馬は往来の旅人も道を譲るなど、すべて御用の二字を付ければ石でも瓦でも恐ろしく尊いもののように見え、世の中の人も数千百年の昔からこれを嫌いながら自然にそのしきたりに慣れ、上下が互いに見苦しい風俗を形成した。結局これらはみな法律が尊いのではない、品物が尊いのではない、ただいたずらに幕府の威光をふるって人をおどし、人の自由を妨げようとする卑怯な方法で、実体のない虚勢というものだ。今日になり、もはや日本国内にこのような浅ましい制度や風俗は絶えてなくなったはずである。人々は安心し、政府に対してかりに不平があれば、隠してひそかに政府を恨むことなく、方法を探しその筋目により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべきである。天の道理と人の情にさえかなうことなら、命も投げ出して争うべきで、これがすなわち一国の人民である者の分限と言うものだ。

前条に述べたとおり、一個人も一国も、天の道理によって自由であるから、もしこの一国の自由を妨げようとする者があれば、全世界の万国を敵としても恐れるに足りず、一身上の自由を妨げようとする者があれば、政府の官吏でもはばかることはない。まして最近は四民同等の基本も確立したことであるから、みな安心し、ただ天の理に従って存分に事を行うべきだ。とは言ってもおよそ人にはそれぞれ身分があり、またその身分に相応の知性や品性がなくてはならない。知性や品性を備えるには、物事の道理を知らなくてはならぬ。物事の道理を知ろうとするには字を学ばなくてはならない。これがすなわち学問が急務な理由である。 昨今のありさまを見れば、農工商の三種の身分は以前に百倍して士族と肩を並べる勢いになり、すでに今日でも農工商のうちに人材があれば政府に採用される道も開けているのだから、よく身分を振り返り、自己の身分を重いものと思い、卑劣な行動をしてはならぬ。世の中に無知文盲の民ほど哀れで忌わしいものはない。無知が極度になれば恥を知らないことになり、自分の無知のため貧乏になり飢えや寒さに迫られれば、自己を反省せず他の富める人を恨み、はなはだしいのは徒党を組んで強訴一揆などといって乱暴を働くこともある。恥を知らぬとも法を恐れずとも言わねばならない。身の安全を天下の法律に頼り一家の渡世をしながら、頼るところだけは頼り、私欲のためにこれを破る。前と後が不都合ではないのか。あるいは身元が確かで相応の資産がある者でも金銭を貯めることを知って、子孫を教えることを知らない。教えを受けない子孫なら、愚かなことも不思議ではない。しまいには怠惰放蕩に流され、先祖の資産を煙にする者も少なくない。

このような愚民を支配するのはとても道理で教える方法はないから、ただ威光でおどかすだけだ。西洋の諺に愚民の上に苛酷な政府ありとはこのことである。これは政府が酷なのではない、愚民がみずから招く災いである。愚民の上に苛酷な政府があるのならば、良民の上にはよい政府がある理屈だ。そのため今のわが日本国でも、この人民があってこの政治があるのだ。かりに人民の道徳が今日よりも衰え、さらに無知文盲に落ちることがあれば、政府の法律も今より一段と厳重になるだろう。また人民がみな学問に志して物事の道理を知り、文明の風に向かうことがあれば、政府の法もなおまた寛大になるだろう。法の苛酷さと寛容さとは、ただ人民の徳不徳によって自然に加減があるだけだ。いったい誰が苛政を好み善政を憎もうか。自国の富強を望まず、誰か外国の侮辱に甘んじる者がいようか。これは人間の普通の感情である。今の世に生まれ報国の心がある者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配はしない。ただその大切な目標は、この人情に基づいてまず身の行ないを正し、固く学問に志し、広く事を知り、めいめいの身分に相応した知識や品性を備えて、政府の政治を行いやすくし、諸人民はその支配を受けて苦しみのないよう、互いにその所をわきまえて、ともに全国の太平を守る一点のみである。筆者の勧める学問も、もっぱらこの一点を目的とする。

端書

このたび筆者の故郷の中津に学校を開くにつき、学問の趣旨を書き記して同郷の旧友へ贈るため一書を書いた。ある人がこれを見て、この冊子を中津の人ひとりへ示すより、広く世間に配布すれば利益も大きいと勧められた。そこで慶応義塾の印刷機で印刷し、同志の閲覧に供えるものである。

明治四年未十二月 福沢諭吉 記

小幡篤次郎 

十編 前編のつづき、中津の旧友に贈る

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前編に、学問の本質を二つに分けて論じた。その議論を概説すれば、人はただ自分や家族の衣食を自給し、それで満足すべきではない、人の天性にはこれよりも高い目的があるのだから、社会の仲間に入り、その中の一人の立場で世のために勉めることがなくてはならないとの趣旨を述べたのである。

学問をするからには、志を高くしなくてはならない。飯を炊き風呂の火を焚くのも学問である。天下を論じるのもまた学問である。だが一家の家計は簡単であり、天下の経済は難しい。およそ世の物ごとで、簡単に得られるものは尊くはない。物が尊いのは、得るのが難しいためである。内心で思えば、今の学者が困難を捨てて易きにつく弊害に似ている。昔の封建時代は、あるいは学者が得意の所があっても天下のことはなんでも窮屈で、その学問を実践する場所がない。やむをえず学んだうえにもまた学問し、その学風はよろしくないといっても、読書勉強してその博識なこと、今の人の及ぶところではない。今の学者はそうではない。したがって学べば、それを実地に適用すべきである。たとえば洋学生が三年の修業をしてひととおりの歴史・物理書を知れば、洋学教師として学校を開くべきであり、また人に雇われて教授すべきであり、あるいは政府に仕えて大いに働くべきである。

なおこれよりも簡単なことがある。その時流行の翻訳書を読み、世間を走り回って内外の新聞を開き、機会をうまく捉えて官職につけば、すなわち立派な官吏である。このような状況が風俗になれば、世の学問はついに高い領域に進むことはないだろう。筆がいささか下世話になり、学者に向かって言うべきことではないが、銭勘定でこれを説明する。学校に入って修業するのに一年の費用は百円に過ぎず、三年の間に三百円の元手を投資し、それで一か月に五、七十円の利益を得るのは、洋学生の商売である。先の耳学問で官吏となる者はこの三百円の元手もかけないので、貰う月給は正味手取りの利益である。

世間のいろいろな商売のうちに、このような割のいい利益を得るものがあるだろうか?高利貸すらこれに遠く及ばないほどだ。もとより物価は世間の需要の変動により相場があるもので、昨今政府をはじめ各方面で洋学者が至急に必要であるため、この景気が生じたものである。ならばその人をあえて狡いととがめる事ではないし、またこれを買う者を愚かとそしる事もない。ただ筆者の考えでは、この人がなお三、五年の苦労に耐え、真に実学を勉強した後に実務につくのなら、大いに成果もあるかもしれぬと思うだけだ。そうあってこそ日本全国に分布する知恵の力を増し、はじめて西洋諸国の文明と競争することになるのではないか。

今の学者は何を目的として学問に従事するのか。不羈独立の大義を求めるといい、自主自由の権利を回復するというではないか。自由独立と言うときは、その字の中にまた義務の考えがなくてはならない。独立とは、一軒の家に居住して他人へ衣食を頼らないとの意味ばかりではない。それは、ただ内向きの義務である。一歩を進めて外向けの義務を議論すれば、日本国にいて日本人たる名を恥ずかしめず、国中の人とともに力を尽くし、日本国に自由独立の地位を得させ、はじめて内外の義務を全うするというものだ。したがって一軒の家にいて単に衣食する者は、これを一家独立の主人と言えばよいが、独立の日本人と言うべきではない。

ためしに見るがよい。昨今の天下の形勢、文明は名前があってもいまだに実質が見られない。外形は備わっても、内の精神は空虚である。今の日本の海陸軍をもって西洋諸国の兵と戦うべきか?けっして戦うべきではない。今の日本の学術で西洋人に教えられるか?けっして教えられるものではない。かえって先方に学び、遠く及ばないことを恐れるばかりだ。外国に行く留学生があり、国内に雇いの教師があり、政府の省・寮・学校から、諸官庁・各地の港に至るまで、大概みな外国人を雇わないものはない。あるいは私立の会社・学校のたぐいでも、新たな計画を立てる者は必ずまず外国人を雇い、多額の給料を与えて依頼する者が多い。口先ではあちらの長所を取って自分の短所を補うとは言うが、今のありさまを見ればこちらはすべて短、あちらはすべて長であるようだ。

もとより数百年来の鎖国を開き、文明人にとみに交わることであるから、その状態は火と水が接したようなものである。この違いを平均させるためには、外国の人物を雇い、あるいは外国の品々を買い、もって急場の不足を補い、水火が接触したような動乱を鎮めるのはやむをえない。ならば一時の供給を外国に仰ぐのも国の失策と言うべきではない。しかし他国の物でわが国の必要を満たすのは、もとより永久の話ではない、ただこれを一時の供給とみなし、みずから慰めるのみだ。しかしその一時とは、いずれの時に終わるのだろうか?供給を他に頼らず、みずから作り出す方法をどうして会得するのか。

これを期待することは、はなはだ難しい。ただ今の学者の学業成就を待ち、その学者でわが国の必要を満たすほか手段はないのだ。これがすなわち学者の身に引き受けた義務なら、その責任は重大である。いまわが国が雇い入れた外国人は、日本の学者が未熟なのであるから、しばらくその代理を勤めさせるものである。今わが国内に外国の品々を買い入れるのは、自分の国の工業が稚拙であるから、しばらく金銭と交換して必要を満たすものである。人を雇い物品を買うために金を支出するのは、わが国の学術がいまだ外国に及ばないために、日本の財産を国外へ捨てることである。国のためには惜しむべきであり、学者の身としては恥ずべきである。

また人間は、前途に希望がなくてはならない。希望がなければ努力する者は世間にない。明日の成功を望んで、今日の不幸に耐えるのである。来年の楽を望んで、今年の苦を忍ぶのだ。昔は世の物事はみな格式に制約されて、志のある者でも希望を養う目的もなかったが、今やそうではない。この制限を一掃した後は学者のために新世界を開いたようで、天下のどこにでも仕事の場のないことはない。農民となり、商人となり、学者となり、官吏となり、書物を著わし、新聞を書き、法律を作り、芸術を学び、工業も起こすべき、議院も開くべき、いかなる事業も、行わなくてよいものはない。しかもこの事業を成しとげて、国中の兄弟が互いに争うのではない、その知恵を争う相手は外国人である。この頭脳の戦いに勝利すれば、わが国の地位は高くなり、負ければわが国の地位は落ちるのである。希望は大きく、目標は明確と言うべきである。むろん天下の事を実際に実行するには前後も緩急もあるだろうが、この国に絶対に無くてはならない事業は、人々の都合からいま研究をはじめないということがあってはならぬ。いやしくも社会における義務を知る者はこの時に当たり、状況を傍観する道理があるだろうか。学者は努力を惜しんではならない。

ここから考えれば、今の学者という者はけっして普通の学校の教育で満足すべきではない、その志を高くして、学術の最高点に達し、不覊独立して他人を当てにせず、同志がないなら一人でもこの日本国を支える気力を養い、世のために尽くさなくてはならぬ。筆者はむろん和学漢学の古学者連中の、人には教えながら自分の修行を知らない者を好まない。これを好まないからこそ、この書の初編から人民の同権利を主張し、人々は責任を持ち、みずから自活することの大切を論じてきたが、自力で生活するだけではいまだ学問の目的が完結したとは言えないのだ。

例えば、ここに酒色におぼれる放蕩無頼の子弟がいるとする。これをどう扱うべきなのか。これを指導して真人間とするには、まずその飲酒を禁じ、遊興をやめさせ、しかる後に相当の仕事につかせることである。その飲酒、遊興を禁じないうちは、仕事について語ってはならない。人が酒色にふけらなければ、その人の徳と言うべきではない。ただ世間に害を与えないだけで、いまだ無用の長物の名は免れがたいのだ。その飲酒、遊興を禁じ、それから正業につき、わが身を養い家のためになって、はじめて十人並みの若者と言うべきなのである。

自活の話もまた同じことだ。わが国で士族以上の人は数千百年の旧習に慣れて、衣食とは何なのかを知らず、金がどこから来たのかをわきまえぬ。傲然としながら無為徒食して、これを当然の権利と思い、その状態はまるで遊びふけって前後を忘れた者のようだ。今の時に当たり、このような人々に何を言えばよいか。ただ自活の話を説いて、その酔いを覚ますほかに手段はない。この手の人に向かい高尚な学問を勧められようか。社会に貢献する大義を説くことができるだろうか?たとえ説明し薦めても、夢うつつで学問に入れば、その学問もまた夢の中の夢でしかない。すなわちこれが、筆者がもっぱら自活を主張して、真の学問を勧めなかった理由である。つまりこの説は徒食する連中にあまねく告げるもので、学者に諭すべき言葉ではない。

しかし最近、たまに中津の旧友で学問する者のうち、学業いまだ半ばにならないのに早くも就職の道を求める人がいると聞く。生計はむろん軽く考えるべきではない。その人の才能に向き不向きもあるから、後の方向を決めるのはまことに結構だが、もしこの風潮を互いに見習い、ただ就職の先を争う勢いになれば優秀な若者が未熟で終わる恐れもある。本人のためにも悲しむべきだし、天下のためにも惜しいことである。生計は困難といっても一家の経済をよく計画すれば、早く一時の銭を稼ぎ、これで目先の安心を買うより、努力して倹約をし、大成の時を待つにしくはない。学問の道に入ったなら大いに学問すべきである。農民ならば大農民となれ、商人になるなら大商人となれ。学者は目先に安住してはならぬ。粗衣粗食し、暑さ寒さを苦にせず、米も搗けばよいし、薪も割ればよい。学問は、米をつきながらでもできるものだ。人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を食べ、味噌汁をすすり、もって文明のことを学ぶべきである。


十七編 人望論

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十人が見、百人が指して誰それは確かな人だ、たのもしい人物だ、この処理を託して必ず間違いはないだろう、この仕事を任しても必ず成功するだろうとあらかじめ人柄を当てにされ、世間一般の望みをかけられる人を、人望のある人物という。人間の世界に人望の大小はあっても、かりにも他人に当てにされる人でなければなんの用にも立たぬものだ。小さい方から言えば十銭の銭を持たせて町へ使いにやる者も、十銭だけの人望があって十銭だけは人に当てにされる人物である。十銭より一円、一円より千円万円、ついには幾百万円の資金を集めた銀行の支配人となり、または省庁の長官となって、ただ金銭を預かるばかりか人民の用向きを預かり、貧富を預かり、その面目すらも預かることがある。このような大任に当たる者は、必ず平生から人望があって、人に当てにされる人でなければとても仕事を行うことはできないだろう。

人を当てにしないのはその人を疑うからである。人を疑えば際限がない。見張りを見張るための見張りを置き、監視を監視するために監視役を命じ、結局なんの取締りにもならず、無駄に人の意欲を害した奇談は、古今に例が甚だ多い。また三井や大丸の品は正札で大丈夫とばかり品物を確かめずに買い、馬琴の作品なら必ずおもしろいと表題だけ聞いて注文する者も多い。そこで三井大丸の店はますます繁盛し、馬琴の著書はますます流行し、商売にも著述にも甚だ都合がよいことである。世の評判を得るのが大切なことは、これをもっても知れるのである。

十六貫目の力がある者へ十六貫目の物を背負わせよ、千円の財産がある者へ千円の金を貸せと言うときは、人望も名声も無関係、ただ実物を当てにするようであっても、世の中の事はそう簡単にあっさりゆくものではない。十貫目の力がない者が座ったまま数百万貫の物を動かし、千円の財産がない者も数十万の金を運用するのである。 ためしに今、名の高い富豪のある商人の帳場に飛び込み、その時点の諸帳面の精算をしてみれば、収支を差引きして幾百円、幾千円が不足する場合もある。この不足はすなわち財産のゼロ以下の不足であるから、無一文の乞食に劣ることは幾百円幾千円であっても、世間は乞食のように見ないのはなぜか。他にはない、この商人に世の評価があるからだ。そこで評価とは、もとから力量によって得られるものではない、また財産が富豪なだけで得られるものでもない。ただその人の活発な才知の働きと正直な心の品性により、しだいに蓄積して得られるものである。

評価は才知と品性に付属することは当然の道理であり、必ずそうなるはずだが、古今天下の事実としては、その反対を見ることが少なくない。藪医者が玄関を広大にして盛んに流行し、香具師が金看板で大いに売り広め、山師は帳場に空の千両箱を積み、学者は書斎に読めもせぬ原書を飾り、人力車の中に新聞を読み、家に帰って眠気をもよおす者がいれば、日曜日の午後は礼拝堂で涙を流し、月曜日の朝に夫婦喧嘩をする者がいる。天下果てしなく、真偽入り混じり、善悪は混同し、いずれを是としいずれを非とするべきなのか。極端なところでは人望のあるのを見て、本人が無能で不道徳なのを推量する者もなくはない。こうなると、やや見識の高い諸君は世間の栄誉を求めず、これを浮世の虚名としてことさらに避ける者があるのもまた無理からぬことである。君子の心がけと言うべき一項目である。

とはいってもおよそ世の物事は、その極端な一方のみを議論すれば弊害のないものはない。君子が世間の栄誉を求めないのは大いに賞賛すべき事なようだが、これを求める求めないを決める前に、まず栄誉の性質をはっきりさせなくてはならない。その栄誉というものが虚名の極点であり、医者の玄関、香具師の看板のようなものならば、むろんこれを遠ざけ、避けるべきなのは言う必要もない。しかし一方より見れば、社会の物ごとがすべて虚構で成りたつものではない。人の知や徳は花の咲く樹のようであり、栄誉や評価は、その花のようなものだ。樹を育てて花が咲くのに、なぜそれをことさら避けようとするのか。栄誉の性質を明らかにするのではなく、これ全体を投げ捨てようとするのは、花を散らせて樹木の所在を隠すようなものだ。隠すことでその功用が増すわけではない。活きた物を死蔵するのに変わらず、世間のためを考えれば大きな不便不利というものである。

ならば、栄誉や他人の評価は求めるべきものであるのか?いわくその通り。努力してこれを求めなくてはならない。ただこれを求めるのに当たり、分相応なことが肝心なだけだ。心身の働きで世間の評価を得るのは、米を計って人に渡すようなものだ。枡の扱いの巧みな者は、一斗の米を一斗三合に計りだし、下手な者は九升七合に計り減らすことがある。筆者のいわゆる分相応とは盛りもなくまた減りもなく、一斗の米をまさしく一斗に計ることである。枡の扱いに巧拙があっても、それで生じる差はわずか二、三分内外であるが、しかし才能の働きを計量するのは、その差けっして三分にとどまるものではない。巧みなら正味の二倍三倍に盛りこみ、まずければ半分に計り減らす者もいるだろう。この盛りの法外な者は法外な世間の妨げであり、むろん憎むべきであるがしばらくこれは置いて、今ここでは正味の働きを計り減らす人のため、少し論じるとする。

孔子のいわく、君子は人が己を知らないことを憂えず、人を知らないことを憂うと。この教えは当時の世間に流行した弊害を改めようとして述べた言葉であろうが、無気力な後世の腐れ儒学者どもはこの言葉を真に受け、引っ込み思案にばかり心を使い、その悪弊がしだいに増大してついには奇人変人、無言で無表情、笑うことも知らず泣くことも知らない木の棒のような男をあがめ、奥ゆかしい先生なぞと称するに至ったことは、人間世界の一つの珍現象である。今この浅ましい習慣を脱出して活発な境界に入り、多くの物事に接し広く世の人と交わり、人を知り自分も知られ、自分のためを兼ねた世のため、身に持ち前の正味分の働きを十分に発揮するためにはどうするか。

第一。話し方を学ばなくてはならない。文字に書いて意見を述べることはむろん有力であり、文通や著作の心がけもおろそかにすべきでないことは無論だが、人に近く接して自分の思うところを直接人に知らせるのには、言葉のほかに有力なものはない。したがって言葉はなるたけ流暢であり、活発でなくてはならない。近ごろ世間では演説会が開かれている。この演説で有益な事柄を聞くこともむろん役に立つが、このほかに演説者も聴衆も、ともに言葉の流暢さ活発さを得られる利益があるのだ。

また今日、話の下手な人の言うことを聞けば、その言葉数は甚だ少なく、いかにも不自由である。例えば学校の教師が翻訳書の講義なぞするとき、丸い水晶の玉であればわかりきったことと思うためか少しも説明をせず、ただむずかしい顔をして子供をにらみつけ、丸い水晶の玉と言うばかりである。もしこの教師が語彙に富み、言い回しのよい人物であって、丸いとは角の取れて団子のようなこと、水晶とは山から掘り出すガラスのようなもので甲州なぞからいくらでも出ます、この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉と解説すれば、婦人にも子供にも腹の底からよくわかるはずだが、使って不自由もない言葉を使わず不自由するのは、結局話し方を学ばない罪である。

あるいは書生で、日本の言語は不便であり文章も演説もできぬから、英語を使い英文を使うなどと、取るにも足らぬ馬鹿を言う者がいる。想像するにこの書生は日本に生まれ、まだ十分に日本語を使ったことのない男であろう。国の言葉はその国に物ごとが多様になる割合に従ってしだいに増加し、少しも不自由はないはずだ。今の日本人は何はさておき今の日本語を巧みに使い、弁舌の上達に勉めなくてはならない。

第二。顔色や見た目を好印象にして、一見して直ちに人に嫌われることのないようにしなくてはならない。肩をそびやかしてへつらい笑いし、巧言令色を使い、太鼓持ちが媚を売るようにするのはむろん避けなくてはならないが、苦虫を噛みつぶして熊の胆をなめたように、黙りこむのが誉めること、笑えば損をしたように、年じゅう胸に病気であるかのようにし、生涯父母の喪中のようであるのも避けなくてはならぬ。顔色や見た目が溌剌とし愉快なことは人徳の一項目であり、人間関係においてもっとも大切というものである。人の顔つきは、家の門口のごとし。広く人に交わって客の往来を自由にするのには、まず門戸を開いて入口を掃除し、とにかく寄りつきを好くすることが肝心なのである。

しかしながら今、人に交わろうとして顔つきを愛想よくすることに気を使わないどころか、偽の君子のようすを学んでことさら渋い顔をするのは、戸の入口に骸骨をぶら下げ、門の前に棺桶を安置するようなものだ。誰がこれに近よるというのか。世界中にフランスを文明の源と言い、知識の中心と称するのも、その理由を調べれば国民の行動が常に活発で気軽であり、言葉も容貌もともに親しみやすく近づきやすい気風があるのが原因の一つなのだ。

ある人は言うだろう、言葉や見た目は生まれつきによるもので、これは努力でどうともなるものではない、これを論じても、結局無駄だろうと。この言葉はあるいはもっともなようだが、人間性の発育の道理を考えれば、これが間違っていることは知れるのである。人の心の働きは、進めれば進まないことはない。その様子は手足を鍛えて筋肉を強くするのと同じである。話し方も見た目も人の心身の働きであるから、放置して上達するわけがない。しかるに古来より日本の国中の習慣で、この大切な心身の働きを捨ててかえりみる者もないことは大きな心得違いではないか。したがって筆者の望むところは、改めて今日から話し方や見た目を、学問とは言わないにせよ人の徳目の一項目として、その働きを無視することなく常に心にとどめて忘れないよう希望するのである。

ある人はまた言う。見た目を好ましくするとは表面を飾ることである。表面を飾ることを人間の交際の要点とするときは、ただ容貌や顔つきばかりか、衣服も飾り飲食も飾り、気にいらぬ客も招待して身分不相応の馳走をするなぞ、まったく虚飾で人と交際する弊害であると。この言葉もまた一理あるようだ。しかし虚飾は交際の弊害であり、その本領ではない。物事の弊害は、ややもすればその本領に反対するものが多い。過ぎたるは及ばざるがごとしとは、すなわち弊害と本領が反するのを表現した言葉である。例えば食物の重要さは身体を養うことにあるが、過食すればかえって栄養を損なうようなものだ。栄養は食物の本領であり、過食はその弊害である。弊害と本領は相反するものと言うべきなのである。

そこで人間関係の要点も、調和しかつ誠実なことにあるだけだ。虚飾に流れるのはけっして交際の本旨ではない。およそ世の中に夫婦親子より親しい者はなく、これを天下の肉親という。そこでこの肉親の間柄を支配するのは何か。ただ調和と誠実な真心があるのみだ。表面の虚飾をとりのぞきとり払い、これを消却し尽くして、はじめて肉親というものがあることを見るがよい。すなわち交際の親睦は誠実のうちに存在して、虚飾と並び立たないものである。

筆者はむろん今の人民に向かって、親子夫婦のように交際することを望むのではない、ただその向かう方向を示すだけだ。今日俗に言う言葉に、人を評価してあの人は気軽な人と言い、気のおけぬ人と言い、遠慮ない人と言い、さっぱりした人と言い、男らしい人と言い、あるいは口数は多いがほどのよい人と言い、騒々しくても悪い人ではないと言い、無口であっても親切な人と言い、怖いようでもあっさりした人と言うなどは、家族的な交際のありさまを表わし、調和し誠実なことを述べるものである。

第三。道同じからざれば、ともに謀らずと言う。世間の人々はこの教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少しでもその業務が違えば近づくことがない。同塾で同窓の懇意な者でも、塾を巣立ちした後に一人は民間人になり一人が役人になれば、千里を隔てて呉と越に別れたようになる者がいないではない。これは、甚だしい無分別である。人に交わろうとするのには旧友を忘れないことに加え、新しい友も求めなくてはならない。人間は会わなければ互いにその意を尽くすことはできず、意を尽くすことができなければその人物を知ることもできない。ためしに考えてみよ。世間の諸君、一度の偶然から会った人で、生涯の親友となった者があるのではないか。十人に会って一人の偶然に当たるなら、二十人に接して二人の偶然があるだろう。人を知り人に知られる始まりは、多くこの辺にあるものだ。人望や名誉なぞの話はしばらく置いても、今の世間に知り合いや友人の多いことは、差しあたっての便利ではないか。先年、桑名の渡し船で同船した人を、今日銀座の往来で見かけて双方思いがけなく便利なこともある。今年出入りする八百屋が、来年は奥州街道の旅籠屋で腹痛の介抱をしてくれることもあろうではないか。

人類は多いといっても鬼でもなければ蛇でもない。自分にことさら危害を加えようとする敵はないものである。恐れはばかるところなく心ざしを丸だしにして、さっさと応待すべきである。したがって交際を広くするの要点は、この心ざしをなるたけ沢山にして、多芸多方面、一方向だけに偏らず、さまざまの方向で人に接する点にある。あるいは学問で人と接し、あるいは商売によって交際し、書画の友もあり碁や将棋の相手もあり、およそ遊興放蕩の悪行以外のことなら友と出会う方法にならぬものはない。また特に芸も能もない者ならともに会食するもよし、茶を飲むもよし。なおそれ以外に筋骨が頑丈な者は腕相撲、首引き、足角力も一席の座興として交際の一助となるのだ。腕相撲と学問とは同じ道でもなく、ともに語るものではないようだが、世界の土地は広く、人の社会は様々であり、三尾五尾の鮒が井戸の中で月日を費やすのとは、少しわけが違うというものだ。人ならば、人を毛嫌いすることのないように。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 

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