孟子/盡心上

卷之十三

盡心章句上

孟子曰：「盡其心者，知其性也。知其性，則知天矣。存其心，養其性，所以事天也。夭壽不貳，修身以俟之，所以立命也。」

〈孟子（まうし）曰く、其心（そのこゝろ）を盡（つく）す者（もの）は其性（そのせい）を知（し）る。其性（そのせい）を知（し）れば則（すなは）ち天（てん）を知（し）る。其心（そのこゝろ）を存（そん）して其性（そのせい）を養（やしな）ふは、天（てん）に事（つか）ふる所以（ゆゑん）なり。夭壽（えうじゆ）貳（じ）せず、身（み）を修（をさ）めて以て之（これ）を俟（ま）つは、命（めい）を立（た）つる所以（ゆゑん）なり。〉

孟子曰：「莫非命也，順受其正。是故知命者，不立乎巖墻之下。盡其道而死者，正命也。桎梏死者，非正命也。」

〈孟子曰く、命（めい）に非（あら）ざること莫（な）きなり。順（したが）ひて其正（そのせい）を受（う）く。是（この）故（ゆゑ）に命（めい）を知（し）る者（もの）は巖墻（がんしやう）の下（もと）に立（た）たず。其道（そのみち）を盡（つ）くして死（し）する者（もの）は正命（せいめい）なり。桎梏（しつこく）して死（し）する者（もの）は正命（せいめい）に非（あら）ざるなり。〉

孟子曰：「『求則得之，舍則失之』，是求有益於得也，求在我者也。『求之有道，得之有命』，是求無益於得也，求在外者也。」

〈孟子曰く、求（もと）むれば則（すなは）ち之（これ）を得（え）、舍（す）つれば則（すなは）ち之（これ）を失（うしな）ふ。是（こ）れ求（もと）め得（う）るに益（えき）あるなり。我（われ）に在（あ）る者（もの）を求（もと）むればなり。之（これ）を求（もと）むるに道（みち）あり。之（これ）を得（う）るに命（めい）あり。是（こ）れ求（もと）め得（う）るに益（えき）無きなり。外（そと）に在（あ）る者（もの）を求（もと）むればなり。〉

孟子曰：「萬物皆備於我矣，反身而誠，樂莫大焉。强恕而行，求仁莫近焉。」

〈孟子曰く、萬物（ばんぶつ）皆（みな）我（われ）に備（そなは）る。身（み）に反（かへり）みて誠（まこと）なれば樂（たのしみ）焉（これ）より大（だい）なるは莫（な）し。强恕（きやうじよ）して行（おこな）ふ。仁（じん）を求（もと）むること焉（これ）より近きは莫（な）し。〉

孟子曰：「行之而不著焉，習矣而不察焉，終身由之而不知其道者，衆也。」

〈孟子曰く、之（これ）を行（おこな）ひて著（いちじる）しからず。習（なら）ひて察（さつ）せず。終身（しゆしん）之（これ）に由（よ）りて而も其道（そのみち）を知（し）らざる者（もの）は衆（おほ）し。〉

孟子曰：「人不可以無恥。無恥之恥，無恥矣。」

〈孟子曰く、人（ひと）以（もつ）て恥（は）づること無（な）かるべからず。恥（はぢ）無きを之れ恥づれば恥（は）づること無し。〉

孟子曰：「恥之於人大矣。爲機變之巧者，無所用恥焉。不恥不若人，何若人有？」

〈孟子曰く、恥（はぢ）の人（ひと）に於（お）けるや大（だい）なり。機變（きへん）の巧（かう）を爲（な）す者（もの）は恥（はぢ）を用（もち）ふるに所（ところ）なし。人（ひと）に若（し）かざるを恥（は）ぢざれば何（なん）ぞ人（ひと）に若（し）くことか有（あ）らむ。〉

孟子曰：「古之賢王，好善而忘勢。古之賢士，何獨不然？樂其道而忘人之勢。故王公不致敬盡禮，則不得亟見之。見且猶不得亟，而況得而臣之乎？」

〈孟子曰く、古（いにしへ）の賢王（けんわう）は善（ぜん）を好（この）みて勢（いきほひ）を忘（わす）る。古（いにしへ）の賢士（けんし）は何（なん）ぞ獨（ひと）り然（しか）らざらん。其道（そのみち）を樂（たのし）みて人の勢（いきほひ）を忘（わす）る。故（ゆゑ）に王公（わうこう）も敬（けい）を致（いた）し禮（れい）を盡（つく）さざれば則（すなは）ち亟〻（しばしば）之を見（み）ることを得（え）ず。見ることすら且（か）つ猶（な）ほ亟〻（しばしば）することを得（え）ず。而るを況（いは）んや得（え）て之（これ）を臣（しん）とするをや。〉

孟子謂宋句踐曰：「子好游乎？吾語子游：人知之亦囂囂，人不知亦囂囂。」曰：「何如斯可以囂囂矣？」曰：「尊德樂義，則可以囂囂矣。故士窮不失義，達不離道。窮不失義，故士得己焉。達不離道，故民不失望焉。古之人，得志，澤加於民；不得志，修身見於世。窮則獨善其身；達則兼善天下。」

〈孟子、宋句踐（そうこうせん）に謂（い）ひて曰く、子（し）、游（いう）を好（この）むか。吾（われ）、子（し）に游（いう）を語（かた）らん。人之れを知れども亦（また）囂囂（がう〴〵）、人（ひと）知（し）らざれども亦（また）囂囂（がう〴〵）たり。曰く、何如（いかん）せば斯に以て囂囂たるべき。曰く、德（とく）を尊（たふと）び義（ぎ）を樂（たのし）めば則（すなは）ち以て囂囂（がう〴〵）たるべし。故（ゆゑ）に士（し）は窮（きう）して義（ぎ）を失（うしな）はず。達（たつ）して道（みち）を離（はな）れず。窮して義を失はず、故に士己（おのれ）を得。達して道を離れず、故（ゆゑ）に民（たみ）望（ばう）を失（うしな）はず。古（いにしへ）の人（ひと）志（こゝろざし）を得（う）れば澤（たく）民（たみ）に加（くは）はり、志（こゝろざし）を得（え）ざれば身（み）を修（をさ）めて世（よ）に見（あら）はる。窮（きう）すれば則（すなは）ち獨（ひと）り其身（そのみ）を善（よ）くし、達（たつ）すれば則（すなは）ち兼（か）ねて天下（てんか）を善（よ）くす。〉

孟子曰：「待文王而後興者，凡民也。若夫豪杰之士，雖無文王猶興。」

〈孟子曰く、文王を待つて後に興る者は凡民（ぼんみん）なり。夫（か）の豪杰（がうけつ）の士（し）の若（ごと）きは、文王（ぶんわう）無しと雖（いへど）も猶（な）ほ興（おこ）る。〉

孟子曰：「附之以韓魏之家，如其自視欿然，則過人遠矣。」

〈孟子曰く、之（これ）に附（ふ）するに韓魏（かんぎ）の家（いへ）を以てするも、如（も）し其（そ）れ自（みづか）ら視（み）ること欿然（かんぜん）たらば、則（すなは）ち人（ひと）に過（す）ぐること遠（とほ）し。〉

孟子曰：「以佚道使民，雖勞不怨。以生道殺民，雖死不怨殺者。」

〈孟子曰く、佚道（いつだう）を以て民（たみ）を使（つか）へば、勞（らう）すると雖（いへど）も怨（うら）みず。生道（せいだう）を以て民（たみ）を殺（ころ）せば、死すと雖も殺す者（もの）を怨（うら）みず。〉

孟子曰：「霸者之民，驩虞如也；王者之民，皞皞如也。殺之而不怨，利之而不庸，民日遷善而不知爲之者。夫君子所過者化，所存者神，上下與天地同流，豈曰小補之哉！」

〈孟子曰く、霸者（はしや）の民（たみ）は驩虞如（くわんぐじよ）たり。王者の民は皞皞如（かう〳〵じよ）たり。之（これ）を殺（ころ）して怨（うら）みず、之（これ）を利（り）して庸（よう）とせず。民（たみ）日（ひ）に善（ぜん）に遷（うつ）りて之（これ）を爲（な）す者（もの）を知らず。夫（そ）れ君子（くんし）過（す）ぐる所（ところ）の者（もの）は化（くわ）し、存（そん）する所（ところ）の者（もの）は神（かみ）、上下（じやうか）天地（てんち）と流（りう）を同（おな）じうす。豈（あ）に之（これ）を小補（せうほ）すと曰はんや。〉

孟子曰：「仁言，不如仁聲之入人深也。善政，不如善敎之得民也。善政民畏之；善敎民愛之。善政得民財；善敎得民心。」

〈孟子曰く、仁言（じんげん）は仁聲（じんせい）の人に入るの深（ふか）きに如（し）かざるなり。善政（ぜんせい）は善敎（ぜんけう）の民（たみ）を得（う）るに如（し）かざるなり。善政は民（たみ）之（これ）を畏（おそ）れ、善敎は民之を愛（あい）す。善政は民の財（ざい）を得（う）、善敎は民の心（こゝろ）を得（う）。〉

孟子曰：「人之所不學而能者，其良能也。所不慮而知者，其良知也。孩提之童，無不知愛其親者，及其長也，無不知敬其兄也。親親，仁也。敬長，義也。無他，達之天下也。」

〈孟子曰く、人（ひと）の學（まな）ばざる所（ところ）にして能（よ）くする者（もの）は其（その）良能（りやうのう）なり。慮（おもんばか）らざる所（ところ）にして知（し）る者（もの）は其良知（りやうち）なり。孩提（がいてい）の童（どう）も其親（そのおや）を愛（あい）することを知（し）らざること無し。其長（ちやう）ずるに及（およ）びて其兄（そのあに）を敬（けい）することを知（し）らざること無し。親（おや）を親（した）しむは仁（じん）なり。長を敬するは義（ぎ）なり。他（た）無し之を天下（てんか）に達（たつ）するなり。〉

孟子曰：「舜之居深山之中，與木石居，與鹿豕游，其所以異於深山之野人者幾希。及其聞一善言，見一善行，若決江河，沛然莫之能御也。」

〈孟子曰く、舜（しゆん）の深山（しんざん）の中（うち）に居（を）る、木石（ぼくせき）と居（を）り、鹿豕（ろくし）と游（あそ）ぶ、其（そ）の深山（しんざん）の野人（やじん）と異（こと）なる所以（ゆゑん）の者（もの）幾（ほとん）ど希（まれ）なり。其（そ）の一の善言（ぜんげん）を聞（き）き、一の善行（ぜんかう）を見るに及びて、江河（かうか）を決（けつ）して沛然（はいぜん）として之（これ）を能（よ）く御（とゞ）むること莫（な）きが若（ごと）し。〉

孟子曰：「無爲其所不爲，無欲其所不欲，如此而已矣。」

〈孟子曰く、其の爲（な）さざる所（ところ）を爲（な）すこと無く、其の欲（ほつ）せざる所（ところ）を欲（ほつ）すること無かれ、此（かく）の如（ごと）くせんのみ。〉

孟子曰：「人之有德慧術知者，恆存乎疢疾。獨孤臣孽子，其操心也危，其慮患也深，故達。」

〈孟子曰く、人の德慧（とくけい）術知（じゆつち）ある者、恆（つね）に疢疾（ちんしつ）に存す。獨（ひと）り孤臣（こしん）孽子（けつし）其の心（こゝろ）を操（と）るや危（あやふ）く、其の患（うれへ）を慮（おもんばか）るや深（ふか）し。故（ゆゑ）に達（たつ）す。〉

孟子曰：「有事君人者，事是君，則爲容悅者也。有安社稷臣者，以安社稷爲悅者也。有天民者，達可行於天下而後行之者也。有大人者，正己而物正者也。」

〈孟子曰く、君（きみ）に事（つか）ふる人といふ者（もの）あり。是（こ）の君（きみ）に事（つか）ふれば則（すなは）ち容悅（ようえつ）を爲（な）す者（もの）なり。社稷（しやしよく）を安（やすん）ずる臣（しん）といふ者（もの）あり。社稷（しやしよく）を安（やすん）ずるを以て悅（えつ）と爲す者なり。天民（てんみん）といふ者（もの）あり。達（たつ）して天下（てんか）に行（おこな）ふべくして、而（しか）る後（のち）に之を行ふ者なり。大人（たいじん）といふ者あり。己（おのれ）を正（ただ）しうして物（もの）正（たゞ）しき者なり。〉

孟子曰：「君子有三樂，而王天下不與存焉。父母俱存，兄弟無故，一樂也。仰不愧於天，俯不怍於人，二樂也。得天下英才而敎育之，三樂也。君子有三樂，而王天下不與存焉。」

〈孟子曰く、君子（くんし）に三樂（らく）あり。而（しかう）して天下（てんか）に王（わう）たるは與（あづか）り存（そん）せず。父母（ふぼ）俱（とも）に存し兄弟（けいてい）故（こ）無きは一樂（らく）なり。仰（あふ）いで天（てん）に愧（は）ぢず俯（ふ）して人に怍（は）ぢざるは二樂（らく）なり。天下（てんか）の英才（えいさい）を得（え）て之（これ）を敎育（きよういく）するは三樂（らく）なり。君子（くんし）に三樂（らく）あり。而（しかう）して天下（てんか）に王（わう）たるは與（あづか）り存（そん）せず。〉

孟子曰：「廣土衆民，君子欲之，所樂不存焉。中天下而立，定四海之民，君子樂之，所性不存焉。君子所性，雖大行不加焉，雖窮居不損焉，分定故也。君子所性，仁義禮智根於心。其生色也，睟然見於面、盎於背。施於四體，四體不言而喻。」

〈孟子曰く、廣土（くわうど）衆民（しうみん）は君子（くんし）之（これ）を欲（ほつ）す。樂（たの）しむ所（ところ）は存（そん）せず。天下（てんか）に中（ちう）して立（た）ち四海（かい）の民（たみ）を定（さだ）む。君子（くんし）之を樂（たの）しむ。性（せい）とする所は存せず。君子の性とする所は大に行ふと雖も加へず。窮居（きうきよ）すと雖も損（そん）せず。分（ぶん）定（さだ）まるが故なり。君子の性とする所は、仁義（じんぎ）禮智（れいち）心（こゝろ）に根（ね）ざす。其の色（いろ）に生ずるや、睟然（すゐぜん）として面（おもて）に見（あら）はれ、背（せ）に盎（あふ）れ、四體（たい）に施（し）き、四體（たい）言（い）はずして喻（さと）る。〉

孟子曰：「伯夷辟紂，居北海之濱，聞文王作興，曰：『盍歸乎來！吾聞西伯善養老者。』太公辟紂，居東海之濱，聞文王作興，曰：『盍歸乎來！吾聞西伯善養老者。』天下有善養老，則仁人以爲己歸矣。五畝之宅，樹墻下以桑，匹婦蠶之，則老者足以衣帛矣。五母雞，二母彘，無失其時，老者足以無失肉矣。百畝之田，匹夫耕之，八口之家，足以無饑矣。所謂西伯善養老者，制其田里，敎之樹畜，導其妻子，使養其老。五十非帛不暖，七十非肉不飽。不暖不飽，謂之凍餒。文王之民，無凍餒之老者，此之謂也。」

〈孟子曰く、伯夷（はくい）紂（ちう）を辟（さ）けて北海（ほくかい）の濱（ひん）に居（を）り、文王（ぶんわう）作興（さくこう）すと聞（き）き、曰く、盍（なん）ぞ歸（き）せざる、吾（われ）聞（き）く西伯（せいはく）は善（よ）く老（らう）を養（やしな）ふ者（もの）と。太公（たいこう）紂（ちう）を辟（さ）けて東海（とうかい）の濱（ひん）に居（を）り、文王（ぶんわう）作興（さくこう）すと聞（き）き、曰く、盍（なん）ぞ歸（き）せざる、吾（われ）聞（き）く西伯（せいはく）は善（よ）く老（らう）を養（やしな）ふ者（もの）と。天下（てんか）に善（よ）く老（らう）を養（やしな）ふあれば則（すなは）ち仁人（じんじん）以て己（おのれ）の歸（き）となす。五畝（ほ）の宅（たく）墻下（しやうか）に樹（う）うるに桑（くわ）を以てし、匹婦（ひつぷ）之（これ）に蠶（さん）せば、則（すなは）ち老者（らうしや）は以て帛（はく）を衣（き）るに足（た）れり。五母雞（ぼけい）二母彘（ぼてい）其時（とき）を失（うしな）ふ無くば、老者（らうしや）は以て肉（にく）を失（うしな）ふ無きに足（た）れり。百畝（ほ）の田（でん）、匹夫（ひつぷ）之（これ）を耕（たがや）せば、八口（こう）の家（いへ）を以て饑（う）うる無（な）かるべし。所謂（いはゆる）西伯（せいはく）善く老（らう）を養（やしな）ふとは其（その）田里（でんり）を制（せい）し、之に樹畜（じゆきく）を敎（をし）へ、其妻子（さいし）を導（みちび）き其老（そのらう）を養（やしな）はしむ。五十は帛（はく）に非（あら）ざれば暖（あたゝか）ならず。七十は肉（にく）に非（あら）ざれば飽（あ）かず。暖（あたゝか）ならず飽（あ）かざる之を凍餒（とうたい）と謂（い）ふ。文王（ぶんわう）の民（たみ）凍餒（とうたい）の老（ろう）無しとは此（これ）の謂（いひ）なり。〉

孟子曰：「易其田疇，薄其稅斂，民可使富也。食之以時，用之以禮，財不可勝用也。民非水火不生活，昏暮叩人之門戶，求水火，無弗與者，至足矣。聖人治天下，使有菽粟如水火。菽粟如水火，而民焉有不仁者乎？」

〈孟子曰く、其（その）田疇（でんちう）を易（をさ）め其（その）稅斂（ぜいれん）を薄（うす）くせば、民（たみ）は富（と）ましむべきなり。之（これ）を食（くら）ふに時（とき）を以（もつ）てし、之を用（もち）ふるに禮（れい）を以てせば、財（ざい）勝（あ）げて用（もち）ふべからざるなり。民（たみ）水火（すゐか）に非（あら）ざれば生活（せいくわつ）せず。昏暮（こんぼ）に人（ひと）の門戶（もんこ）を叩（たゝ）きて水火（すゐか）を求（もと）むるに與（あた）へざる者（もの）無し。至（いた）りて足（た）ればなり。聖人（せいじん）の天下（てんか）を治（をさ）むる、菽粟（しゆくぞく）有る水火（すゐか）の如（ごと）くならしむ。菽粟（しゆくぞく）水火（すゐか）の如くにして、民（たみ）焉（いづくん）ぞ不仁（ふじん）なる者（もの）有らんや。〉

孟子曰：「孔子登東山而小魯，登泰山而小天下。故觀於海者難爲水；游於聖人之門者難爲言。觀水有術，必觀其瀾。日月有明，容光必照焉。流水之爲物也，不盈科不行；君子之志於道也，不成章不達。」

〈孟子曰く、孔子（こうし）東山（とうざん）に登（のぼ）りて魯（ろ）を小（せう）とし、泰山（たいざん）に登（のぼ）りて天下（てんか）を小（せう）とす。故（ゆゑ）に海（うみ）に觀（み）る者は水（みづ）を爲（な）し難（がた）く、聖人（せいじん）の門（もん）に游（あそ）ぶ者（もの）は言（げん）を爲（な）し難（がた）し。水（みづ）を觀（み）るに術（じゆつ）あり。必（かなら）ず其瀾（そのなみ）を觀（み）る。日月（じつげつ）明（めい）有り。容光（ようくわう）必（かなら）ず照（て）らす。流水（りうすゐ）の物（もの）爲（た）るや、科（あな）に盈（み）たざれば行（ゆ）かず、君子（くんし）の道（みち）に志（こゝろざ）すや、章（しやう）と成（な）さざれば達（たつ）せず。〉

孟子曰：「雞鳴而起，孳孳爲善者，舜之徒也。雞鳴而起，孳孳爲利者，跖之徒也。欲知舜與跖之分，無他，利與善之間也。」

〈孟子曰く、雞（とり）鳴（な）きて起（お）き、孳孳（じじ）として善（ぜん）を爲（な）す者（もの）は舜（しゆん）の徒（と）なり。雞（とり）鳴（な）きて起（お）き孳孳（じじ）として利（り）を爲（な）す者（もの）は跖（せき）の徒（と）なり。舜（しゆん）と跖（せき）との分（ぶん）を知（し）らんと欲（ほつ）せば、他（た）無し、利（り）と善（ぜん）との間（あひだ）なり。〉

孟子曰：「楊子取『爲我』，拔一毛而利天下，不爲也。墨子『兼愛』，摩頂於踵利天下，爲之。子莫『執中』，執中爲近之。執中無權，猶執一也。所惡執一者，爲其賊道也，舉一而廢百也。」

〈孟子曰く、楊子（やうし）は我が爲（ため）に爲（す）るを取（と）る。一毛（まう）を拔（ぬ）きて天下（てんか）を利（り）するも爲（な）さざるなり。墨子（ぼくし）は兼（か）ね愛（あい）す。頂（いたゞき）を摩（ま）し踵（きびす）に至（いた）るも、天下（てんか）を利（り）するは之（これ）を爲す。子莫（しばく）は中を執（と）る。中（ちう）を執（と）るは之（これ）に近（ちか）しと爲（な）す。中（ちう）を執（と）りて權（けん）なきは猶（な）ほ一を執（と）るがごとし、一を執（と）ることを惡（にく）む所（ところ）の者（もの）は、其（そ）の道（みち）を賊（そこな）ふが爲（た）めなり。一を舉（あ）げて百を廢（はい）すればなり。〉

孟子曰：「饑者甘食，渴者甘飮，是未得飮食之正也，饑渴害之也。豈惟口腹有饑渴之害？人心亦皆有害。人能無以饑渴之害爲心害，則不及人不爲憂矣。」

〈孟子曰く、饑（う）ゑたるものは食（しよく）を甘（あま）んじ、渴（かつ）する者は飮（いん）を甘んず。是（こ）れ未（いま）だ飮食（いんしよく）の正（せい）を得（え）ざるなり。饑渴（きかつ）之（これ）を害（がい）すればなり。豈（あ）に惟（たゞ）に口腹（こうふく）の饑渴（きかつ）の害あるらんや。人心も亦皆害有り。人能く饑渴の害を以て心の害と爲（な）すこと無ければ、則ち人に及ばざるは憂（うれへ）と爲さず。〉

孟子曰：「柳下惠不以三公易其介。」

〈孟子曰く、柳下惠（りうかけい）は三公（こう）を以て其介（そのかい）を易（か）へず。〉

孟子曰：「有爲者，辟若掘井。掘井九軔而不及泉，猶爲棄井也。」

〈孟子曰く、爲（な）すこと有（あ）る者は辟（たと）へば井（ゐ）を掘（ほ）るが若（ごと）し。井を掘ること九軔（じん）にして泉（いづみ）に及（およ）ばざれば猶（な）ほ井（ゐ）を棄（す）つとなす。〉

孟子曰：「堯舜，性之也；湯武，身之也；五霸，假之也。久假而不歸，惡知其非有也？」

〈孟子曰く、堯舜（げうしゆん）は之（これ）を性（せい）にするなり。湯武（たうぶ）は之を身（み）にするなり。五霸（は）は之を假（か）るなり。久しく假りて歸（かへ）さず。惡（いづく）んぞ其の有（いう）に非（あら）ざるを知（し）らんや。〉

公孫丑曰：「伊尹曰：『予不狎于不順。』放太甲于桐，民大悅；太甲賢，又反之，民大悅。賢者之爲人臣也，其君不賢，則固可放與？」孟子曰：「有伊尹之志，則可；無伊尹之志，則篡也。」

〈公孫丑（こうそんちう）曰く、伊尹（いいん）曰く、予（よ）不順（ふじゆん）に狎（な）れずと。太甲（たいかふ）を桐（とう）に放（お）く。民（たみ）大に悅（よろこ）ぶ。太甲賢（けん）にして又之を反（かへ）す。民大に悅ぶ。賢者（けんじや）の人臣（じんしん）たるや、其君不賢ならば則ち固（もと）より放（お）くべきか。孟子曰く、伊尹の志（こゝろざし）有らば則ち可（か）なり。伊尹の志無くば則ち篡（うば）へるなり。〉

公孫丑に曰く、詩（し）に曰く、素餐（そさん）せずと。君子（くんし）の耕（たがや）さずして食（くら）ふは何（なん）ぞや。孟子曰く、君子の是（こ）の國（くに）に居（を）るや、其君（そのきみ）之を用（もち）ふれば則ち安富（あんふ）尊榮（そんえい）、其子弟（してい）之に從（したが）へば則ち孝弟（かうてい）忠信（ちうしん）、素餐せざること、孰（いづ）れか是（これ）より大（だい）ならん。

〈王子（わうじ）墊（てう）問（と）ひて曰く、士（し）何（なに）をか事（こと）とする。孟子曰く、志（こゝろざし）を尙（たか）くす。曰く、何をか志を尙くすると謂（い）ふ。曰く、仁義（じんぎ）のみ。一無罪（むざい）を殺（ころ）すは仁（じん）に非（あら）ざるなり。其有（そのいう）に非ずして之を取（と）るは義（ぎ）に非ざるなり。居（きよ）惡（いづく）にか在（あ）る。仁（じん）是（これ）なり。路（みち）惡（いづく）にか在る。義是なり。仁に居り義に由る、大人（たいじん）の事（こと）備（そなは）れり。〉

孟子曰：「仲子，不義與之齊國而弗受，人皆信之，是舍簞食豆羹之義也。人莫大焉亡親戚、君臣、上下。以其小者，信其大者，奚可哉？」

〈孟子曰く、仲子（ちうし）は不義（ふぎ）にして之に齊國（せいこく）に與（あた）ふるも受（う）けず。人（ひと）皆（みな）之を信（しん）ず。是（こ）れ簞食（たんし）豆羹（とうかう）を舍（す）つるの義（ぎ）なり。人（ひと）親戚（しんせき）君臣（くんしん）上下（じやうか）を亡（ばう）するより大（だい）なるは莫（な）し。其小なる者を以て其大なる者を信（しん）ず、奚（なん）ぞ可（か）ならんや。〉

桃應問曰：「舜爲天子，皋陶爲士，瞽瞍殺人，則如之何？」孟子曰：「執之而已矣。」「然則舜不禁與？」曰：「夫舜惡得而禁之？夫有所受之也。」「然則舜如之何？」曰：「舜視棄天下，猶棄敝蹝也。竊負而逃，遵海濱而處，終身欣然，樂而忘天下。」

〈桃應（たうおう）問（と）ひて曰く、舜（しゆん）天子（てんし）たり。皋陶（かうえう）士（し）たり。瞽瞍（こそう）人（ひと）を殺（ころ）さば則（すなは）ち之（これ）を如何（いか）にせん。孟子曰く、之を執（とら）へんのみ。然（しか）らば則ち舜（しゆん）禁（きん）ぜざるか。曰く、夫（そ）れ舜惡（いづく）んぞ得て之を禁ぜん。夫れ之を受（う）くる所（ところ）有るなり。然らば則ち舜之を如何にせん。曰く、舜天下を棄（す）つる視るがこと猶ほ敝蹝（へいしよう）を棄つるがごとし。竊（ひそ）かに負（お）ひて逃（のが）れ、海濱（かいひん）に遵（したが）ひて處（を）り、身（み）を終（を）ふるまで欣然（きんぜん）として樂（たのし）みて天下（てんか）を忘（わす）れん。〉

孟子自范之齊，望見齊王之子，喟然嘆曰：「居移氣，養移體，大哉居乎！夫非盡人之子與？」孟子曰：「王子宮室、車馬、衣服多與人同，而王子若彼者，其居使之然也。況居天下之廣居者乎？魯君之宋，呼於垤澤之門。守者曰：『此非吾君也，何其聲之似我君也？』此無他，居相似也。」

〈孟子、范（はん）より齊（せい）に之（ゆ）き、齊王（せいわう）の子（こ）を望（のぞ）み見（み）、喟然（きぜん）として嘆（たん）じて曰く、居（きよ）は氣（き）を移（うつ）し、養（やう）は體（たい）を移（うつ）す。大（だい）なるかな居や。夫（そ）れ盡（ことごと）く人（ひと）の子に非ざるか。孟子曰く、王子（わうじ）の宮室（きうしつ）車馬（しやば）衣服（いふく）多（おほ）く人と同（おな）じくして、王子彼（かれ）の若（ごと）きは、其居（そのきよ）之（これ）をして然（しか）りしむるなり。況（いは）んや天下（てんか）の廣居（くわうきよ）に居（を）る者（もの）をや。魯（ろ）の君（きみ）宋（そう）に之（ゆ）き、垤澤（てつたく）の門（もん）に呼（よ）ぶ。守（まも）る者曰く、此（こ）れ吾（わ）が君（きみ）に非ざるなり。何（なん）ぞ其聲（こゑ）の我が君に似（に）たるや。此（こ）れ他（た）なし、居（きよ）相（あひ）似（に）たればなり。〉

孟子曰：「食而弗愛，豕交之也。愛而不敬，獸畜之也。恭敬者，幣之未將者也。恭敬而無實，君子不可虛拘。」孟子曰：「形色，天性也。惟聖人然後可以踐形。」

〈孟子曰く、食（やしな）ひて愛（あい）せざるは之（これ）を豕交（しかう）するなり。愛（あい）して敬（けい）せざるは之を獸畜（じうきく）するなり。恭敬（きようけい）は幣（へい）の未（いま）だ將（おこな）はざる者なり。恭敬して實（じつ）なければ君子（くんし）は虛（ひと）しく拘（こう）す可（べ）からず。〉

孟子曰：「形色，天性也。惟聖人然後可以踐形。」

〈孟子曰く、形色（けいしよく）は天性（てんせい）なり。惟（たゞ）聖人（せいじん）にして然（しか）る後（のち）に以（もつ）て形（かたち）を踐（ふ）む可し。〉

齊宣王欲短喪。公孫丑曰：「爲期之喪，猶愈於已乎？」孟子曰：「是猶或紾其兄之臂，子謂之『姑徐徐』云爾。亦敎之孝弟而已矣。」王子有其母死者，其傅爲之請數月之喪。公孫丑曰：「若此者何如也？」曰：「是欲終之而不可得也，雖加一日愈於已。謂夫莫之禁而弗爲者也。」

〈齊（せい）の宣王（せんわう）喪（も）を短（みぢか）くせんと欲（ほつ）す。公孫丑（こうそんちう）曰く、期（き）の喪（も）をなすは猶（な）ほ已（や）むに愈（まさ）るか。孟子曰く、是（こ）れ猶（な）ほ其兄（そのあに）の臂（ひぢ）を紾（もと）らすものあり、子（し）之（これ）に謂（い）つて姑（しばら）く徐徐（じよ〳〵）にせよと言（い）ふがごとし。亦（また）之（これ）に孝弟（こうてい）を敎（をし）へんのみ。王子（わうじ）其母（そのはゝ）死（し）する者（もの）あり。其傅（そのふ）之（これ）が爲めに數月（すうげつ）の喪（も）を請（こ）ふ。公孫丑曰く、此（かく）の若（ごと）き者（もの）は何如（いかん）ぞや。曰く、是（こ）れ之を終（を）へんと欲（ほつ）して得（う）可からざるものなり。一日（じつ）を加（くは）ふと雖（いへど）も已（や）むに愈（まさ）れり。夫の之を禁（きん）ずる莫（な）くして爲（な）さざる者を謂（い）ふなり。〉

孟子曰：「君子之所以敎者五：有如時雨化之者，有成德者，有達財者，有答問者，有私淑艾者。此五者，君子之所以敎也。」

〈孟子曰く、君子（くんし）の敎（をし）ふる所以（ゆゑん）の者（もの）五、時雨（じう）の之（これ）を化（くわ）するが如（ごと）き者（もの）有り。德（とく）を成（な）す者有り。財（ざい）を達（たつ）する者有り。問（とひ）に答（こた）ふる者あり。私（ひそか）に淑艾（しゆくがい）する者あり。此（この）五者は君子の敎（をし）ふる所以（ゆゑん）なり。〉

公孫丑曰：「道則高矣、美矣，宜若登天然，似不可及也。何不使彼爲可幾及而日孳孳也？」孟子曰：「大匠不爲拙工改廢繩墨；羿不爲拙射變其彀率。君子引而不發，躍如也。中道而立，能者從之。」

〈公孫丑（こうそんちう）曰く、道（みち）は則（すなは）ち高し美（うるは）し。宜（よろ）しく天（てん）に登（のぼ）るが若（ごと）く然（しか）るべし。及（およ）ぶ可からざるに似（に）たり。何（なん）ぞ彼（かれ）をして幾及（ききふ）す可（べ）きを爲して日〻（ひゞ）に孳孳（じじ）せしめざる。孟子曰く、大匠（たいしやう）は拙工（せつこう）の爲（た）めに繩墨（じようぼく）を改廢（かいはい）せず。羿（げい）は拙射（せつしや）の爲（た）めに其（その）彀率（こうりつ）を變（へん）ぜず。君子（くんし）は引（ひ）きて發（はつ）せず、躍如（やくじよ）たり。中道（ちうだう）にして立つ。能者（のうしや）之（これ）に從（したが）ふ。〉

孟子曰：「天下有道，以道殉身；天下無道，以身殉道。未聞以道殉乎人者也。」

〈孟子曰く、天下（てんか）道（みち）有れば道を以て身（み）に殉（じゆん）ず、天下道無ければ身を以て道に殉ず。未だ道を以て人に殉ずる者を聞（き）かざるなり。〉

公都子曰：「滕更之在門也，若在所禮，而不答，何也？」孟子曰：「挾貴而問，挾賢而問，挾長而問，挾有勛勞而問，挾故而問，皆所不答也。滕更有二焉。」

〈公都子（こうとし）曰く、滕更（とうかう）の門（もん）に在るや、禮（れい）する所（ところ）にあるが若（ごと）し。而（しか）も答（こた）へざるは何（なん）ぞや。孟子曰く、貴（き）を挾（さしはさ）みて問（と）ひ、賢（けん）を挾みて問ひ、長（ちやう）を挾みて問ひ、勛勞（くんらう）有るを挾みて問ひ、故を挾みて問ふは、皆（みな）答（こた）へざる所（ところ）なり。滕更（とうかう）二つあり。〉

孟子曰：「於不可已而已者，無所不已。於所厚者薄，無所不薄也。其進銳者，其退速。」

〈孟子曰く、已（や）むべからざるに於（おい）て已（や）む者は、已まざる所（ところ）無し。厚（あつ）くする所の者に於て薄（うす）くすれば薄うせざる所なし。其進（すゝ）むこと銳（するど）き者は其退（しりぞ）くこと速（すみや）かなり。〉

孟子曰：「君子之於物也，愛之而弗仁；於民也，仁之而弗親。親親而仁民，仁民而愛物。」

〈孟子曰く、君子（くんし）の物（もの）に於（お）けるや、之（これ）を愛（あい）して仁（じん）せず。民（たみ）に於けるや、之を仁して親（した）しまず。親（しん）を親（した）しみて民（たみ）に仁し、民に仁して物を愛す。〉

孟子曰：「知者無不知也，當務之爲急；仁者無不愛也，急親賢之爲務。堯舜之知而不遍物，急先務也。堯舜之仁不遍愛人，急親賢也。不能三年之喪，而緦小功之察：放飯流歠，而問無齒決：是之謂不知務。」

〈孟子曰く、知者（ちしや）は知（し）らざる無きなり。務（つと）むべきを之れ急（きふ）と爲す。仁者（じんしや）は愛（あい）せざる無きなり。賢（けん）を親（した）しむを急にするを之れ務（つとめ）と爲す。堯舜（げうしゆん）の知（ち）にして、物に遍（あまね）からざるは先務（せんむ）を急（きふ）にするなり。堯舜の仁にして人を愛するに遍（あまね）からざるは賢（けん）を親（した）しむことを急（きふ）にするなり。三年（ねん）の喪（も）を能（よ）くせずて緦（し）小功（せうこう）を之（こ）れ察（さつ）し、放飯（はうはん）流歠（りうせつ）して齒決（しけつ）無きを問（と）ふ。是（こ）れ之（これ）を務（つとめ）を知（し）らずと謂（い）ふ。〉