孟子/公孫丑上

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卷之三

公孫丑章句上


公孫丑問曰:「夫子當路於齊,管仲、晏子之功,可復許乎!」孟子曰:「子誠齊人也,知管仲、晏子而已矣。或問乎曾西曰:『吾子與子路孰賢?』曾西蹴然曰:『吾先子之所畏也。』曰:『然則吾子與管仲孰賢?』曾西艴然不悅曰:『爾何曾比予於管仲?管仲得君如彼其專也,行乎國政如彼其久也,功烈如彼其卑也。爾何曾比予於是!』」曰:「管仲,曾西之所不爲也,而子爲我愿之乎?」曰:「管仲以其君霸,晏子以其君顯,管仲、晏子猶不足爲與?」曰:「以齊王由反手也。」曰:「若是,則弟子之惑滋甚。且以文王之德,百年而後崩,猶未洽於天下;武王、周公繼之,然後大行。今言王若易然,則文王不足法與?」曰:「文王何可當也?由湯至於武丁,賢聖之君六七作。天下歸殷久矣;久則難變也。武丁朝諸侯有天下,猶運之掌也。紂之去武丁未久也,其故家遺俗、流風善政,猶有存者;又有微子、微仲、王子比干、箕子、膠鬲,皆賢人也,相與輔相之,故久而後失之也。尺地莫非其有也,一民莫非其臣也;然而文王猶方百里起,是以難也。齊人有言曰:『雖有智慧,不如乘勢;雖有镃基,不如待時。』今時則易然也。夏后、殷、周之盛,地未有過千里者也,而齊有其地矣;雞鳴狗吠相聞,而達乎四境,而齊有其民矣。地不改辟矣,民不改聚矣,行仁政而王,莫之能御也。且王者之不作,未有疏於此時者也;民之憔悴於虐政,未有甚於此時者也。饑者易爲食,渴者易爲飮。孔子曰:『德之流行,速於置郵而傳命。』當今之時,萬乘之國行仁政,民之悅之,猶解倒懸也。故事半古之人功必倍之,惟此時爲然。」

こうそんちううて曰く、ふうしみちせいあたらば、くわんちうあんしこうゆるきか。まうし曰く、まことせいひとなり。くわんちうあんしるのみ。あるひとそうせいうて曰く、ごししろいづれかまされると。そうせいしゆくぜんとして曰く、せんしおそるゝところなり。曰く、然らば則ちごしくわんちゆういづれかまされる。そうせいかつぜんとしてよろこばずして曰く、なんぢなんすなはわれくわんちうする、くわんちうきみること、かれごとく其れもつぱらたるなり、こくせいおこなふこと、かれごとく其れひさしきなり、こうれつかれごとく其れいやしきなり。なんぢなんすなはわれれにする。曰く、くわんちうそうせいさざるところなり、しかるをめにこれねがふか。曰く、くわんちうそのきみもつたらしめ、あんしそのきみもつあらはれしむ。くわんちうあんしすにらざるか。曰く、せいもつわうたるは、かへすがごときなり。曰く、かくごとくんば、則ちていしまどひますはなはだし。且文王のとく、百ねんにしてしかのちほうずるを以てしてすら、いまてんかあまねからず。ぶわうしうこうこれぎ、しかのちに大いにおこなはる。今わうたるをふこと、しかし易きがごとし。すなはぶんわうのつとるにらざるか。曰く、ぶんわうなんあたけん。たうよりぶていいたるまで、けんせいきみろくしちおこり、てんかいんするひさし。ひさしければ則ちへんがたきなり。ぶていしよこうてうし、てんかたもつ、これたなごころめぐらすがごとし。ちうぶていいまひさしからざるなり。そのこかゐぞくりうふうぜんせいものあり、又びしびちうわうしひかんきしこうかくあり、みなけんじんなり。あひともこれほしやうす。ゆゑひさしうして而る後に之をうしなふなり。せきちも其いうあらざるきなり。一みんそのしんあらざるきなり。しかしかうしてぶんわうはうひやくりにしておこる。こゝもつかたきなり。せいひとへるり。曰く、ちゑりといへども、いきほひじようずるにかず。じきりといへども、ときつにかず。今の時は則ち然しやすきなり。かこういんしうさかんなる、地未だせんりぐるものあらざるなり、而してせいそのちたもてり。けいめいくべいあひきこえて四きやうたつす。而してせいそのたみたもてり。あらたひらかず。たみあらたあつめず、じんせいおこなうてわうたらば、これとゞむるきなり。わうしやおこらざるは、いまだ此時よりながき者有らざるなり。たみぎやくせいせうすゐするは、いまだ此時よりはなはだしき者有らざるなり。きしやしよくやすく、かつしやいんやすし。こうし曰く、とくりうかうする。ちいうしてめいつたふるよりすみやかなり。いまの時にあたり、ばんじようくにじんせいおこなはばたみの之をよろこぶこと、たうけんくがごとし。ゆゑに事はいにしへの人になかばにして、こうかならず之にばいせん。たゞ此時をしかりとす。〉

公孫丑問曰:「夫子加齊之卿相,得行道焉,雖由此霸王不異矣。如此則動心否乎?」孟子曰:「否,我四十不動心。」曰:「若是則夫子過孟賁遠矣。」曰:「是不難。吿子先我不動心。」曰:「不動心有道乎?」曰:「有。北宮黝之養勇也,不膚橈,不目逃。思以一豪挫於人,若撻之於市朝。不受於褐寬博,亦不受於萬乘之君。視刺萬乘之君若刺褐夫。無嚴諸侯。惡聲至,必反之。孟施舍之所養勇也,曰:『視不勝猶勝也。量敵而後進,慮勝而後會,是畏三軍者也。舍豈能爲必勝哉?能無懼而已矣。』孟施舍似曾子,北宮黝似子夏。夫二子之勇,未知其孰賢,然而孟施舍守約也。昔者曾子謂子襄曰:『子好勇乎?吾嘗聞大勇於夫子矣:自反而不縮,雖褐寬博,吾不惴焉;自反而縮,雖千萬人吾往矣。』孟施舍之守氣,又不如曾子之守約也。」曰:「敢問夫子之不動心與吿子之不動心,可得聞與?」「吿子曰:『不得於言,勿求於心;不得於心,勿求於氣。』不得於心,勿求於氣,可;不得於言,勿求於心,不可。

こうそんちううて曰く、ふうしせいけいしやうくはへ、みちおこなふをば、此にりてはわうたりといへども、あやしまず。かくごとくなれば、すなはこゝろうごかすやいなや。まうし曰く、いなわれじふにして心をうごかさず。曰く、かくごとくんばすなはふうしまうほんぐることとほし。曰く、かたからず。こくし我にさきだちて心をうごかさず。曰く、心をうごかさざるにみちあるか。曰く、り。ほくきういうゆうやしなふや、ふたうせず、もくとうせず、一がうを以て人にくじかるゝをおもふこと、之をしてうむちうたるゝがごとし。はつくわんはくにもけず、またばんじようの君にも受けず。ばんじようの君をすをること、かつぷすがごとし。しよこうおそるゝ無く、あくせいいたれば、かならず之をへす。まうししやゆうやしなところや、曰く、たざるをつがごときなり。てきはかりてのちすゝみ、かつおもんばかりてのちくわいす。是れさんぐんおそるゝ者なり。しやく必ずしもつをさんや。おそるゝなきのみ。まうししやそうしたり。ほくきういうしかたり。の二ゆうは、いまだ其いづれかまされるをらず。然り而してまうししやまもりやくなり。むかしそうししじやううて曰く、ゆうこのむか、われかつたいゆうふうしけり。みづから反してなほからずんば、かつくわんはくいへどわれおそれざらんや。みづから反してなほければ、千萬人と雖も吾かん。まうししやまもるは、またそうしまもりやくなるにかざるなり。曰く、あへふ。ふうしこゝろうごかさざると、こくしの心をうごかさざると、くをべきか。こくし曰く、げんざれば、心にもとむるなかれ、心にざれば、もとむるなかれと。心にればもとむるなかれとはなり。言にざれば心にもとむるなかれとはふかなり。〉

夫志,氣之帥也;氣,體之充也。夫志至焉,氣次焉。故曰:持其志,無暴其氣。」「既曰『志至焉,氣次焉』,又曰『持其志,無暴其氣』者,何也?」曰:「志壹則動氣;氣壹則動志也。今夫蹶者趨者是氣也而反動其心。」「敢問夫子惡乎長?」曰:「我知言,我善養吾浩然之氣。」「敢問何謂浩然之氣?」曰:「難言也。其爲氣也至大至剛,以直養而無害,則塞于天地之間。其爲氣也配義與道,無是餒也。是集義所生者,非義襲而取之也。行有不慊於心則餒矣。我故曰:吿子未嘗知義。以其外之也。必有事焉而勿正,心勿忘,勿助長也。無若宋人然。宋人有閔其苗之不長而揠之者,芒芒然歸,謂其人曰:『今日病矣!予助苗長矣!』其子趨而往視之,苗則槁矣!天下之不助苗長者寡矣。以爲無益而舍之者,不耘苗者也。助之長者,揠苗者也,非徒無益,而又害之。」「何謂知言?」曰:「詖辭知其所蔽,淫辭知其所陷,邪辭知其所離,遁辭知其所窮。生於其心,害於其政;發於其政,害於其事。聖人復起,必從吾言矣。」

こゝろざしすゐなり。たいじゆうなり。れ志いたり、ぐ。ゆゑに曰く、そのこゝろざしし、其ばうするなかれ。すでに曰く、志いたり、ぐと。又曰く、そのこゝろざしし、其氣をばうするなかれとはなんぞや。曰く、志いつなれば則ちうごかす。いつなれば則ちこゝろざしうごかす。いま夫れつまづものはしものなり。而してかへつてそのこゝろうごかす。あへふ、ふうしいづくにかちやうぜる。曰く、げんる。かうぜんやしなふ。あへふ、なにをかかうぜんふ。曰くかたひ難きなり。其氣たるや、しだいしがうちよくもつやしなひてがいするなければ、すなはてんちあひだふさがる。其氣たるや、みちとにはいす。れなければうるなり。しふぎしやうずるところものにして、おそひてこれるにあらざるなり。おこなこゝろこゝろよからざるれば、すなはう。ゆゑに曰く、こくしは未だかつらずと。そのこれそとにするをもつてなり。かならこととするれ。あらかじめするなかれ。こゝろわするゝなかれ。たすけてちやうずるなかれ。そうひとごとかするなかれ。そうひとそのなへちやうぜざるをうれへて、而して之をものあり、ばうぜんとしてかへり、その人につて曰く、こんにちつかる。なへたすけてちやうぜしむと。そのこはしりてきて之をれば、なへすなはる。てんかなへたすけてちやうぜしめざるものすくなし。以てえきなしとしてこれつるものは、なへくさぎらざるものなり。これたすけてちやうぜしむるものは、なへく者なり。たゞえきなきのみにらず、而して又之をがいす。なにをかげんるとふ。曰く、ひじそのおほはるゝところを知る。いんじそのおちいところる。じやじそのはなるゝ所をる。とんじは其きうする所をる。其心にしやうずれば、そのまつりごとがいし、其政にはつすれば、そのことがいす。せいじんまたおこるも必ずげんしたがはん。〉

「宰我、子貢善爲說辭,冉牛、閔子、顏淵善言德行;孔子兼之,曰:『我於辭命,則不能也。』然則夫子既聖矣乎?」曰:「惡!是何言也!昔者子貢問於孔子曰:『夫子聖矣乎?』孔子曰:『聖則吾不能,我學不厭而敎不倦也。』子貢曰:『學不厭,智也;敎不倦,仁也。仁且智,夫子既聖矣。』夫聖,孔子不居,是何言也!」「昔者竊聞之:子夏、子游、子張皆有聖人之一體,冉牛、閔子、顏淵則具體而微,敢問所安。」曰:「姑舍是。」曰:「伯夷、伊尹何如?」曰:「不同道。非其君不事,非其民不使,治則進,亂則退,伯夷也。何事非君?何使非民?治亦進,亂亦進,伊尹也。可以仕則仕,可以止則止,可以久則久,可以速則速,孔子也。皆古聖人也。吾未能有行焉,乃所愿,則學孔子也。」「伯夷、伊尹於孔子,若是班乎?」曰:「否,自有生民以來,未有孔子也。」「然則有同與?」曰:「有,得百里之地而君之,皆能以朝諸侯有天下;行一不義、殺一不辜而得天下,皆不爲也。是則同。」曰:「敢問其所以異。」曰:「宰我、子貢、有若,智足以知聖人,污不至阿其所好。宰我曰:『以予觀於夫子,賢於堯舜遠矣。』子貢曰:『見其禮而知其政,聞其樂而知其德。由百世之後,等百世之王,莫之能違也。自生民以來,未有夫子也。』有若曰:『豈惟民哉!麒麟之於走獸,鳳凰之於飛鳥,泰山之於丘垤,河海之於行潦,類也。聖人之於民,亦類也。出於其類,拔乎其萃。自生民以來,未有盛於孔子也。』」

さいがしこうせつじし、ぜんぎうびんしがんゑんとくかうふ。こうし之をぬ。曰く、じめいおいてはすなはあたはざるなりと。しからばすなはふうしすでせいなるか。曰く、あくなんげんぞや。むかししこうこうしひて曰く、ふうしせいなるかと。こうし曰く、せいすなはあたはず。われまなんでいとはず、をしへてまざるなり。しこう曰く、學んでいとはざるは、なり。をしへてまざるは、じんなり。じんにしてなり。ふうしすでせいなりと。せいこうしすららず。なんげんぞや。むかしひそかにこれけり。しかしいうしちやうみなせいじんいつたいあり。ぜんぎうびんしがんゑんは、すなはたいそなへてなりと。あへやすんずるところふ。曰く、しばらこれけ。曰く、はくいいいんいかん。曰く、みちおなじうせず。其君にあらざればつかへず、其たみにあらざればつかはず。をさまれば則ちすゝみ、みだるればすなはしりぞくは、はくいなり。いづれにつかふるも君にあらざらん。いづれをつかふもたみにあらざらん。をさまるもまたすゝみ、みだるゝもまたすゝむは、いいんなり。以てつかくんば則ちつかへ、以てくんば則ちみ、以てひさしうすくんば則ちひさしうし以てすみやかにすくんば則ちすみやかにするは、こうしなり。みないにしへせいじんなり。われいまおこなあたはず。すなはねがふ所は則ちこうしまなばん。はくいいいんこうしけるは、かくごとはんたる。曰く、否。せいみんありてよりいらいいまこうしあらざるなり。曰く、しからばすなはおなじきことるか。曰く、有り。百て而して之に君たらば、みなく以てしよこうてうてんかたもたん。一のふぎおこなひ、一のふこころして、而して天下をるは、みなさざるなり。すなはおなじ。曰く、あへそのことなるゆゑんふ。曰く、さいがしこういうじやくは、は以てせいじんを知るにる。なるもそのこのところおもねるにいたらず。さいが曰く、を以てふうしれば、げうしゆんまさることとほし。しこう曰く、そのたいて、而してそのまつりごとり、其がくいて、しかして其とくる。百せいのちり、百せいわうとうするに、之にたがふこときなり。せいみんよりいらい、未だふうしあらざるなり。いうじやく曰く、たみのみならんや。きりんそうじうける、ほうわうひてうける、たいざんきうてつける、かかいかうらうける、るゐなり。せいじんたみけるもまたるゐなり。其るゐよりで、そのすゐく。せいみんよりいらいいまこうしよりさかんなる有らざるなり。〉

孟子曰:「以力假仁者霸,霸必有大國;以德行仁者王,王不待大,湯以七十里,文王以百里。以力服人者,非心服也,力不贍也;以德服人者,中心悅而誠服也,如七十子之服孔子也。《詩》云:『自西自東,自南自北,無思不服。』此之謂也。」

まうし曰く、ちからもつじんものたり。かならたいこくたもつ。とくもつじんおこなものわうたり。わうだいたず、たうは七十を以てし、ぶんわうは百を以てす。ちからを以て人をふくする者は、しんぷくあらざるなり。ちかららざるなり。とくを以て人をふくする者は、ちうしんよろこびて而してまことふくするなり。七十こうしふくするがごときなり。ふ、にしよりひがしより、みなみよりきたより、おもうてふくせざるなしと。れのひなり。〉

孟子曰:「仁則榮,不仁則辱。今惡辱而居不仁,是猶惡濕而居下也。如惡之,莫如貴德而尊士。賢者在位,能者在職;國家閑暇,及是時明其政刑,雖大國,必畏之矣。《詩》云:『迨天之未陰雨,徹彼桑土,綢繆牖戶。今此下民,或敢侮予?』孔子曰:『爲此詩者,其知道乎!能治其國家,誰敢侮之?』今國家閑暇,及是時般樂怠敖,是自求禍也。禍福無不自己求之者。《詩》云:『永言配命,自求多福。』《太甲》曰:『天作孽,猶可違;自作孽,不可活』,此之謂也。」

まうし曰く、じんなればすなはさかえ、ふじんなればすなははづかしめらる。いまはづかしめらるゝをにくんで、而してふじんるは、しつにくんでひくきるがごとし。もしこれにくまば、とくたふとんで而してたふとむにくはし。けんしやくらゐり。のうしやしよくに在り。こつかかんかときおよんで、そのせいけいあきらかにせば、たいこくいへどかならこれおそれん。ふ、てんいまいんうせざるにおよんで、さうどり、いうこちうびうす。いまこのかみんあへわれあなどるあらんや。こうし曰く、このしつくものは、其れみちるかと。そのこつかをさめば、たれへてこれあなどらん。いまこくかかんかときおよんではんらくたいがうせば、是れみづかわざはひもとむるなり。くわふくおのれより之をもとめざる者なし。に云ふ、ながわれめいに配し、みづかたふくもとむと。たいかふに曰く、てんせるわざはひく可し。自らせるわざはひく可からずとは、れの謂ひなり。〉

孟子曰:「尊賢使能,俊杰在位,則天下之士皆悅而愿立於其朝矣。市,廛而不征,法而不廛,則天下之商皆悅而愿藏於其市矣。關,譏而不征,則天下之旅皆悅而愿出於其路矣。耕者,助而不稅,則天下之農皆悅而愿耕於其野矣。廛,無夫里之布,則天下之民皆悅而愿爲之氓矣。信能行此五者,則鄰國之民仰之若父母矣。率其子弟攻其父母,自有生民以來未有能濟者也。如此則無敵於天下。無敵於天下者,天吏也。然而不王者,未之有也。」

まうし曰く、けんたふとのうつかひ、しゆんけつくらゐれば、則ち天下のみなよろこんで而して其てうたんことをねがはん。てんしてせいせず、はふしててんせずんば、則ちてんかしやうは、みなよろこんで、而して其いちをさめんことをねがはん。かんしてせいせずんば、則ちてんかりよみなよろこんで、而してそのみちでんことをねがふ。かうしやじよしてぜいせずんば、則ちてんかのうみなよろこんで、而してそのやたがやさんことをねがはん、てんふりなければ、則ちてんかたみみなよろこんで、而し之れがたみたらんことをねがはん。まことこのごしやおこなはば、則ちりんごくたみは之をあふぐことふぼごとけん。そのしていひきゐて、そのふぼむるは、せいみんりてよりいらいいまものあらざるなり。かくごとくんば、則ちてんかてきなし。てんかてきなき者はてんりなり。しかしてわうたらざるものいまらざるなり。〉

孟子曰:「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心,斯有不忍人之政矣。以不忍人之心,行不忍人之政,治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者,今人乍見孺子將入於井,皆有怵惕惻隱之心;非所以內交於孺子之父母也,非所以要譽於鄉黨朋友也,非惡其聲而然也。由是觀之,無惻隱之心,非人也。無羞惡之心,非人也。無辭讓之心,非人也。無是非之心,非人也。惻隱之心,仁之端也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。人之有是四端也,猶其有四體也。有是四端而自謂不能者,自賊者也;謂其君不能者,賊其君者也。凡有四端於我者,知皆擴而充之矣,若火之始然、泉之始達。茍能充之,足以保四海;茍不充之,不足以事父母。」

〈孟子曰く、ひとみなひとしのびざるのこゝろあり。せんわうひとしのびざるのこゝろありて、こゝひとしのびざるのまつりごとあり。人にしのびざるの心をもつて、ひとしのびざるのまつりごとおこなへば、てんかをさむること、これしやうじやうめぐらす可し。ひとみな人にしのびざるのこゝろありとゆゑんは、いまひとたちまじゆしゐどらんとするをれば、みなじゆつてきそくいんこゝろあらん。まじはりじゆしふぼるゝゆゑんらざるなり。ほまれきやうたうほういうもとむるゆゑんあらざるなり。そのせいにくんでしかるにあらざるなり。これつてこれれば、そくいんこゝろなきはひとあらざるなり。しうをこゝろなきは、ひとあらざるなり。じじやうこゝろなきは、ひとあらざるなり。ぜひこゝろなきは、ひとあらざるなり。そくいんこゝろじんたんなり、しうをこゝろたんなり、じじやうこゝろれいたんなり、ぜひこゝろたんなり。ひとしたんるや、そのしたいあるがごときなり。このしたんありて、而してみづかあたはずとものは自らぞくするものなり。そのきみあたはずとものは、そのきみぞくするものなり。およわれしたんあるものは、みなひろめて之をたすをる。はじめてえ、いづみはじめてたつするがごとし。いやしくこれてば、以て四海をやすんずるにり、いやしくこれたさざれば、もつふぼつかふるにらず。〉

孟子曰:「矢人豈不仁於函人哉?矢人惟恐不傷人,函人惟恐傷人。巫匠亦然。故術不可不愼也。孔子曰:『里仁爲美。擇不處仁,焉得智?』夫仁,天之尊爵也,人之安宅也。莫之御而不仁,是不智也。不仁不智,無禮無義,人役也。人役而恥爲役,由弓人而恥爲弓、矢人而恥爲矢也。如恥之,莫如爲仁。仁者如射:射者正己而後發;發而不中,不怨勝己者,反求諸己而已矣。」

〈孟子曰く、しじんかんじんよりふじんならんや。しじんたゞひときずつけざらんことをおそれ、かんじんたゞひときずつけんことをおそる。ふしやうまたしかり。ゆゑじゆつつゝしまざるべからざるなり。こうし曰く、じんるをす。えらんでじんらずんば、いづくんぞん。じんは、てんそんしやくなり、ひとあんたくなり。これとゞむることくして、ふじんなるは、ふちなり。ふじんふちぶれいぶぎは、人のえきなり。ひとえきにしてえきすをづるは、きうじんにしてゆみつくるをぢ、しじんにしてつくるをづるがごときなり。これぢば、じんすにくはし。じんしやしやごとし。ものおのれただしくしてしかのちはつす。はつしてあたらずとも、おのれものうらみず、これおのれなんきうするのみ。〉

孟子曰:「子路,人吿之以有過則喜。禹聞善言則拜。大舜有大焉,善與人同,舍己從人,樂取於人以爲善。自耕、稼、陶、漁,以至爲帝,無非取於人者。取諸人以爲善,是與人爲善者也。故君子莫大乎與人爲善。」

〈孟子曰く、しろひとこれぐるに、あやまちあるを以てすれば則ちよろこぶ。ぜんげんけば則ちはいす。だいしゆんこれよりだいなる有り。ぜんひとと同じくす。おのれてゝひとしたがふ。ひとに取りて以てぜんすをたのしむ。かうたうぎよより、もつているにいたるまで、ひとるにあらざものし。これを人に取りてもつぜんす。ひとぜんをなすものなり。ゆゑくんしひとぜんすよりだいなるはし。〉

孟子曰:「伯夷非其君不事,非其友不友。不立於惡人之朝,不與惡人言;立於惡人之朝,與惡人言,如以朝衣朝冠坐於涂炭。推惡惡之心,思與鄉人立,其冠不正,望望然去之,若將浼焉。是故諸侯雖有善其辭命而至者,不受也。不受也者,是亦不屑就已。柳下惠不羞污君,不卑小官。進不隱賢,必以其道。遺佚而不怨,厄窮而不憫。故曰:『爾爲爾,我爲我;雖袒裼裸裎於我側,爾焉能浼我哉!』故由由然與之偕而不自失焉,援而止之而止。援而止之而止者,是亦不屑去已。」孟子曰:「伯夷隘,柳下惠不恭。隘與不恭,君子不由也。」

まうしいはく、はくいそのきみあらざればつかへず。そのともあらざればともとせず。あくにんてうたず、あくにんはず。あくにんてうち、あくにんふは、てういてうかんもつとたんするがごとし。あくにくむのしんしすに、きやうじんち、そのかんむりただしからざれば、ばうばうぜんとして之をる、けがされんとするがごとし。このゆゑしよこうそのじめいくして而していたものありといへども、けざるなり。けざるものは、またくをいさぎよしとせざるのみ。りうかけいをくんぢず、せうくわんいやしとせず、すゝんけんかくさず、かならそのみちを以てす。ゐいつしてうらみず、やくきゆうしてうれへず。ゆゑに曰く、なんぢなんぢせ、われわれさん。我がかたはらたんせきらていすといへども、なんぢいづくんぞわれけがさんやと。ゆゑいうぜんとしてこれともにして、而してみづかうしなはず。きて而してこれとゞむればとゞまる。きて而してこれとゞむればとゞまものは、またるをいさぎよしとせざるのみ。まうしいはく、はくいあいりうかけいふきようあいふきようとは、くんしらざるなり。〉