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太平記/巻第二十三

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巻第二十三

203 大森彦七事

暦応五年の春の比、自伊予国飛脚到来して、不思議の註進あり。其故を委く尋れば、当国の住人大森彦七盛長と云者あり。其心飽まで不敵にして、力尋常の人に勝たり。誠に血気の勇者と謂つべし。去ぬる建武三年五月に、将軍自九州攻上り給し時、新田義貞兵庫湊河にて支へ合戦の有し時、此大森の一族共、細川卿律師定禅に随て手痛く軍をし、楠正成に腹を切せし者也。されば其勲功異他とて、数箇所の恩賞を給りてんげり。此悦に誇て、一族共、様々の遊宴を尽し活計しけるが、猿楽は是遐齢延年の方なればとて、御堂の庭に桟敷を打て舞台を布、種々の風流を尽さんとす。近隣の貴賎是を聞て、群集する事夥し。彦七も其猿楽の衆也ければ、様々の装束共下人に持せて楽屋へ行けるが、山頬の細道を直様に通るに、年の程十七八許なる女房の、赤き袴に柳裏の五衣著て、鬢深く削たるが、指出たる山端の月に映じて、只独たゝずみたり。彦七是を見て、不覚、斯る田舎などに加様の女房の有べしとは。何くよりか来るらん、又何なる桟敷へか行らんと見居たれば、此女房彦七に立向ひて、「路芝の露払べき人もなし。可行方をも誰に問はまし。」とて打しほれたる有様、何なる荒夷なりとも、心を不懸云事非じと覚ければ、彦七あやしんで、何なる宿の妻にてか有らんに、善悪も不知わざは如何がと乍思、無云量わりなき姿に引れて心ならず、「此方こそ道にて候へ。御桟敷など候はずば、適用意の桟敷候。御入候へかし。」と云ければ、女些打笑て、「うれしや候。さらば御桟敷へ参り候はん。」と云て、跡に付てぞ歩ける。羅綺にだも不勝姿、誠に物痛しく、未一足も土をば不蹈人よと覚へて、行難たる有様を見て、彦七不怺、「余に露も深く候へば、あれまで負進せ候はん。」とて、前に跪たれば、女房些も不辞、「便なう如何が。」と云ながら、軈て後ろにぞ靠ける。白玉か何ぞと問し古へも、角やと思知れつゝ、嵐のつてに散花の、袖に懸るよりも軽やかに、梅花の匂なつかしく、蹈足もたど/\しく心も空にうかれつゝ、半町許歩けるが、山陰の月些暗かりける処にて、さしも厳しかりつる此女房、俄に長八尺許なる鬼と成て、二の眼は朱を解て、鏡の面に洒けるが如く、上下の歯くひ違て、口脇耳の根まで広く割、眉は漆にて百入塗たる如にして額を隠し、振分髪の中より五寸許なる犢の角、鱗をかづひて生出たり。其重事大磐石にて推が如し。彦七屹と驚て、打棄んとする処に、此化物熊の如くなる手にて、彦七が髪を掴で虚空に挙らんとす。彦七元来したゝかなる者なれば、むずと引組で深田の中へ転落て、「盛長化物組留めたり。よれや者共。」と呼りける声に付て、跡にさがりたる者共、太刀・長刀の鞘を放し、走寄て是を見れば、化物は書消す様に失にけり。彦七は若党・中間共に引起されたれ共、忙然として人心地もなければ、是直事に非ずとて、其夜の猿楽は止にけり。さればとて、是程まで習したる猿楽を、さて可有に非ずとて、又吉日を定め、堂の前に舞台をしき、桟敷を打双べたれば、見物の輩群をなせり。猿楽已に半ば也ける時、遥なる海上に、装束の唐笠程なる光物、二三百出来たり。海人の縄焼居去火か、鵜舟に燃す篝火歟と見れば、其にはあらで、一村立たる黒雲の中に、玉の輿を舁連ね、懼し気なる鬼形の者共前後左右に連なりたり。其迹に色々に冑たる兵百騎許、細馬に轡を噛せて供奉したり。近く成しより其貌は不見。黒雲の中に電光時々して、只今猿楽する舞台の上に差覆ひたる森の梢にぞ止りける。見物衆みな肝を冷す処に、雲の中より高声に、「大森彦七殿に可申事有て、楠正成参じて候也。」とぞ呼りける。彦七、加様の事に曾恐れぬ者也ければ、些も不臆、「人死して再び帰る事なし。定て其魂魄の霊鬼と成たるにてぞ有らん。其はよし何にてもあれ、楠殿は何事の用有て、今此に現じて盛長をば呼給ぞ。」と問へば、楠申けるは、「正成存命の間、様々の謀を廻して、相摸入道の一家を傾て、先帝の宸襟を休め進せ、天下一統に帰して、聖主の万歳を仰処に、尊氏卿・直義朝臣、忽に虎狼の心を挿み、遂に君を傾奉る。依之忠臣義士尸を戦場に曝す輩、悉く脩羅の眷属に成て瞋恚を含む心無止時。正成彼と共に天下を覆さんと謀に、貪瞋痴の三毒を表して必三剣を可用。我等大勢忿怒の悪眼を開て、刹那に大千界を見るに、願ふ処の剣適我朝の内に三あり。其一は日吉大宮に有しを法味に替て申給りぬ。今一は尊氏の許に有しを、寵愛の童に入り代て乞取ぬ。今一つは御辺の只今腰に指たる刀也。不知哉、此刀は元暦の古へ、平家壇の浦にて亡し時、悪七兵衛景清が海へ落したりしを江豚と云魚が呑て、讃岐の宇多津の澳にて死ぬ。海底に沈で已に百余年を経て後、漁父の綱に被引て、御辺の許へ伝へたる刀也。所詮此刀をだに、我等が物と持ならば、尊氏の代を奪はん事掌の内なるべし。急ぎ進せよと、先帝の勅定にて、正成罷向て候也。早く給らん。」と云もはてぬに、雷東西に鳴度て、只今落懸るかとぞ聞へける。盛長是にも曾て不臆、刀の柄を砕よと拳て申けるは、「さては先度美女に化て、我を誑さんとせしも、御辺達の所行也けるや。御辺存日の時より、常に申通せし事なれば、如何なる重宝なり共、御用と承らんに非可奉惜。但此刀をくれよ、将軍の世を亡さんと承つる、其こそえ進すまじけれ。身雖不肖、盛長将軍の御方に参じ、無弐者と知れ進せし間、恩賞厚く蒙て、一家の豊なる事日比に過たり。されば此猿楽をして遊ぶ事も偏に武恩の余慶也。凡勇士の本意、唯心を不変を以て為義。されば縦ひ身を寸々に割れ、骨を一々に被砕共、此刀をば進すまじく候。早御帰候へ。」とて、虚空をはたと睨で立たりければ、正成以外忿れる言ばにて、「何共いへ、遂には取ん者を。」と罵て、本の如く光渡り、海上遥に飛去にけり。見物の貴賎是を見て、只今天へ引あげられて挙る歟と、肝魂も身に添ねば、子は親を呼び、親は子の手を引て、四角八方へ逃去ける間、又今夜の猿楽も、二三番にて休にけり。其後四五日を経て、雨一通降過て、風冷吹騒ぎ、電時々しければ、盛長、「今夜何様件の化物来ぬと覚ゆ。遮て待ばやと思ふ也。」とて、中門に席皮敷て冑一縮し、二所藤の大弓に、中指数抜散し、鼻膏引て、化物遅とぞ待懸たる。如案夜半過る程に、さしも無隈つる中空の月、俄にかき曇て、黒雲一村立覆へり。雲中に声有て、「何に大森殿は是に御座ぬるか、先度被仰し剣を急ぎ進せられ候へとて、綸旨を被成て候間、勅使に正成又罷向て候は。」と云ければ、彦七聞も不敢庭へ立出て、「今夜は定て来給ぬらんと存じて、宵より奉待てこそ候へ。初は何共なき天狗・化物などの化して候事ぞと存ぜし間、委細の問答にも及候はざりき。今慥に綸旨を帯したるぞと奉候へば、さては子細なき楠殿にて御座候けりと、信を取てこそ候へ。事長々しき様に候へ共、不審の事共を尋ぬるにて候。先相伴ふ人数有げに見へ候ば、誰人にて御渡候ぞ。御辺は六道四生の間、何なる所に生てをわしますぞ。」と問ければ、其時正成庭前なる鞠の懸の柳の梢に、近々と降て申けるは、「正成が相伴人々には、先後醍醐天皇・兵部卿親王・新田左中将義貞・平馬助忠政・九郎大夫判官義経・能登守教経、正成を加へて七人也。其外泛々の輩、計るに不遑。」とぞ語ける。盛長重て申けるは、「さて抑先帝は何くに御座候ぞ。又相随奉る人々何なる姿にて御座ぞ。」と問へば、正成答て云、「先朝は元来摩醯首羅王の所変にて御座ば、今還て欲界の六天に御座あり。相順奉る人人は、悉脩羅の眷属と成て、或時は天帝と戦、或時は人間に下て、瞋恚強盛の人の心に入替る。」「さて御辺は何なる姿にて御座ぬる。」と問へば、正成、「某も最期の悪念に被引て罪障深かりしかば、今千頭王鬼と成て、七頭の牛に乗れり。不審あらば其有様を見せん。」とて、続松を十四五同時にはつと振挙たる、其光に付て虚空を遥に向上たれば、一村立たる雲の中に、十二人の鬼共玉の御輿を舁捧たり。其次には兵部卿親王、八竜に車を懸て扈従し給ふ。新田左中将義貞は、三千余騎にて前陣に進み、九郎大夫判官義経は、混甲数百騎にて後陣に支らる。其迹に能登守教経、三百余艘の兵船を雲の浪に推浮べ給へば、平馬助忠政、赤旗一流差挙て、是も後陣に控へたり。又虚空遥に引さがりて、楠正成湊川にて合戦の時見しに些も不違、紺地錦冑直垂に黒糸の冑著て、頭の七ある牛にぞ乗たりける。此外保元平治に討れし者共、治承養和の争に滅し源平両家の輩、近比元弘建武に亡し兵共、人に知れ名を顕す程の者は、皆甲冑を帯し弓箭を携へて、虚空十里許が間に無透間ぞ見へたりける。此有様、只盛長が幻にのみ見へて、他人の目には見へざりけり。盛長左右を顧て、「あれをば見ぬか。」と云はんとすれば、忽に風に順雲の如、漸々として消失にけり。只楠が物云ふ声許ぞ残ける。盛長是程の不思議を見つれ共、其心猶も不動、「「一翳在眼空花乱墜す」といへり。千変百怪何ぞ驚くに足ん。縦如何なる第六天の魔王共が来て謂ふ共、此刀をば進ずまじきにて候。然らば例の手の裏を返すが如なる綸旨給ても無詮。早々面々御帰候へ。此刀をば将軍へ進候はんずるぞ。」と云捨て、盛長は内へ入にけり。正成大に嘲て、「此国縱陸地に連なりたり共道をば輒く通すまじ。況て海上を通るには、遣事努々有まじき者を。」と、同音にどつと笑つゝ、西を指てぞ飛去にける。其後より盛長物狂敷成て、山を走り水を潜る事無休時。太刀を抜き矢を放つ事間無りける間、一族共相集て、盛長を一間なる所に推篭て、弓箭兵杖を帯して警固の体にてぞ居たりける。或夜又雨風一頻通て、電の影頻なりければ、すはや例の楠こそ来れと怪む処に、如案盛長が寝たる枕の障子をかはと蹈破て、数十人打入音しけり。警固の者共起周章て太刀長刀の鞘を外して、夜討入たりと心得て、敵は何くにかあると見れ共更になし。こは何にと思処に、自天井熊の手の如くなる、毛生て長き手を指下して、盛長が本鳥を取て中に引さげ、破風の口より出んとす。盛長中にさげられながら件の刀を抜て、化物の真只中を三刀指たりければ、被指て些弱りたる体に見へければ、むずと引組で、破風より広庇の軒の上にころび落、取て推付け、重て七刀までぞ指たりける。化物急所を被指てや有けん、脇の下より鞠の勢なる物ふつと抜出て、虚空を指てぞ挙りける。警固の者共梯を指て軒の上に登て見れば、一の牛の頭あり。「是は何様楠が乗たる牛か、不然ば其魂魄の宿れる者歟。」とて、此牛の頭を中門の柱に結著て置たれば、終夜鳴はためきて動ける間、打砕て則水底にぞ沈めける。其次の夜も月陰風悪して、怪しき気色に見へければ、警固の者共大勢遠侍に並居て、終夜睡らじと、碁双六を打てぞ遊びける。夜半過る程に、上下百余人有ける警固の者共、同時にあつと云けるが、皆酒に酔る者の如く成て、頭べを低て睡り居たり。其座中に禅僧一人眠らで有けるが、灯の影より見れば、大なる寺蜘蛛一つ天井より下て、寝入たる人の上を這行て、又天井へぞ挙りける。其後盛長俄に驚て、「心得たり。」と云侭に、人と引組だる体に見へて、上が下にぞ返しける。叶はぬ詮にや成けん、「よれや者共。」と呼ければ、傍に臥たる者共起挙らんとするに、或は柱に髻を結著られ、或は人の手を我足に結合せられて、只綱に懸れる魚の如く也。此禅僧余りの不思議さに、走立て見れば、さしも強力の者ども、僅なる蜘のゐに手足を被繋て、更にはたらき得ざりけり。されども盛長、「化物をば取て押へたるぞ。火を持てよれ。」と申ければ、警固の者共兎角して起挙り、蝋燭を灯て見に、盛長が押へたる膝を持挙んと蠢動ける。諸人手に手を重て、逃さじと推程に、大なる土器の破るゝ音して、微塵に砕けにけり。其後手をのけて是を見れば、曝たる死人の首、眉間の半ばより砕てぞ残りける。盛長大息を突て、且し心を静めて腰を探て見れば、早此化物に刀を取れ、鞘許ぞ残にける。是を見て盛長、「我已に疫鬼に魂を被奪、今は何に武く思ふ共叶まじ。我命の事は物の数ならず、将軍の御運如何。」と歎て、色を変じ泪を流して、わな/\と振ひければ、聞者見人、悉身毛よ立てぞ候ける。角て夜少し深て、有明の月中門に差入たるに、簾を高く捲上て、庭を見出したれば、空より毬の如くなる物光て、叢の中へぞ落たりける。何やらんと走出て見れば、先に盛長に推砕かれたりつる首の半残たるに、件の刀自抜て、柄口まで突貫てぞ落たりける。不思議なりと云も疎か也。軈て此頭を取て火に抛入たれば、跳出けるを、金鋏にて焼砕てぞ棄たりける。事静て後、盛長、「今は化物よも不来と覚る。其故は楠が相伴ふ者と云しが我に来事已に七度也。是迄にてぞあらめ。」と申ければ、諸人、「誠もさ覚ゆ。」と同ずるを聞て、虚空にしはがれ声にて、「よも七人には限候はじ。」と嘲て謂ければ、こは何にと驚て、諸人空を見上たれば、庭なる鞠の懸に、眉太に作、金黒なる女の首、面四五尺も有らんと覚たるが、乱れ髪を振挙て目もあやに打笑て、「はづかしや。」とて後ろ向きける。是を見人あつと脅て、同時にぞ皆倒臥ける。加様の化物は、蟇目の声に恐るなりとて、毎夜番衆を居て宿直蟇目を射させければ、虚空にどつと笑声毎度に天を響しけり。さらば陰陽師に門を封ぜさせよとて、符を書せて門々に押せば、目にも見へぬ者来て、符を取て棄ける間、角ては如何すべきと思煩ける処に、彦七が縁者に禅僧の有けるが来て申けるは、「抑今現ずる所の悪霊共は、皆脩羅の眷属たり。是を静めん謀を案ずるに、大般若経を読に不可如。其故は帝釈と、脩羅と須弥の中央にて合戦を致す時、帝釈軍に勝ては、脩羅小身を現じて藕糸の孔の裏に隠れ、脩羅又勝時は須弥の頂に座して、手に日月を握り足に大海を蹈。加之三十三天の上に責上て帝釈の居所を追落し、欲界の衆生を悉く我有に成さんとする時、諸天善神善法堂に集て般若を講じ給ふ。此時虚空より輪宝下て剣戟を雨し、脩羅の輩を寸々に割切ると見へたり。されば須弥の三十三天を領し給ふ帝釈だにも、我叶ぬ所には法威を以て魔王を降伏し給ふぞかし。況乎薄地の凡夫をや。不借法力難得退治。」と申ければ、此義誠も可然とて、俄に僧衆を請じて真読の大般若を日夜六部迄ぞ読たりける。誠に依般若講読力脩羅威を失ひけるにや。五月三日の暮程に、導師高座の上にて、啓白の鐘打鳴しける時より、俄に天掻曇て、雲上に車を轟かし馬を馳違る声無休時。矢さきの甲冑を徹す音は雨の下よりも茂く、剣戟を交る光は燿く星に不異。聞人見者推双て肝を冷して恐合へり。此闘の声休て天も晴にしかば、盛長が狂乱本復して、正成が魂魄曾夢にも不来成にけり。さても大般若経真読の功力に依て、敵軍に威を添んとせし楠正成が亡霊静まりにければ、脇屋刑部卿義助、大館左馬助を始として、土居・得能に至るまで、或は被誅或は腹切て、如無成にけり。誠哉、天竺の班足王は、仁王経の功徳に依て千王を害する事を休め、吾朝の楠正成は、大般若講読の結縁に依て三毒を免るゝ事を得たりき。誠鎮護国家の経王、利益人民の要法也。其後此刀をば天下の霊剣なればとて、委細の註進を副て上覧に備しかば、左兵衛督直義朝臣是を見給て、「事実ならば、末世の奇特何事か可如之。」とて、上を作直して、小竹作と同く賞翫せられけるとかや。沙に埋れて年久断剣如なりし此刀、盛長が註進に依て凌天の光を耀す。不思議なりし事共也。


204 就直義病悩上皇御願書事

去程に諸国の宮方力衰て、天下武徳に帰し、中夏静まるに似たれ共、仏神三宝をも不敬、三台五門の所領をも不渡、政道さながら土炭に堕ぬれば、世中如何がと申合へり。吉野の先帝崩御の後、様々の事共申せしが、車輪の如くなる光物都を差して夜々飛度り、種々の悪相共を現じける間、不思議哉と申に合せて、疾疫家々に満て貴賎苦む事甚し。是をこそ珍事哉と申に、同二月五日の暮程より、直義朝臣俄に邪気に被侵、身心悩乱して、五体逼迫しければ、諸寺の貴僧・高僧に仰て御祈不斜。陰陽寮、鬼見・泰山府君を祭て、財宝を焼尽し、薬医・典薬、倉公・華佗が術を究て、療治すれ共不痊。病日々に重て今はさてと見へしかば、京中の貴賎驚き合ひて、此人如何にも成給なば、只小松大臣重盛の早世して、平家の運命忽に尽しに似たるべしと思よりて、弥天下の政道は徒事なるべしと、歎ぬ者も無りけり。持明上皇此由を聞召し殊に歎き思食しかば、潜に勅使を被立て八幡宮に一紙の御願書を被篭て、様々の御立願あり。其詞云、敬白祈願事右神霊之著明徳也。安民理国為本。王者之施政化也。賞功貴賢為先。爰左兵衛督直義朝臣者、匪啻爪牙之良将、已為股肱之賢弼。四海之安危、偏嬰此人之力。巨川之済渉、久沃眇身之心。義為君臣。思如父子。而近日之間、宿霧相侵、薬石失験。驚遽無聊。若非幽陵之擁護者、争得病源之平愈乎。仍心中有所念、廟前将奉祷請。神霊縦有忿怒之心、眇身已抽祈謝之誠、懇棘忽酬、病根速消者、点七日之光陰、課弥天之碩才、令講讃妙法偈、可勤修尊勝供。伏乞尊神哀納叡願、不忘文治撥乱之昔合体、早施経綸安全之今霊験。春秋鎮盛、華夏純煕。敬白。暦応五年二月日勅使勘解由長官公時、御願書を開て宝前に跪き、泪を流て、高らかに読上奉るに、宝殿且く振動して、御殿の妻戸開く音幽に聞へけるが、誠に君臣合体の誠を感じ霊神擁護の助をや加へ給けん。勅使帰参して三日中に、直義朝臣病忽平愈し給ひけり。是を聞者、「難有哉、昔周武王病に臥て崩じ給はんとせし時、周公旦天に祈て命に替らんとし給しかば、武王の病忽痊て、天下無為の化に誇に相似たり。」と、聖徳を感ぜぬ者こそ無りけれ。又傍に吉野殿方を引人は、「いでや徒事な云そ。神不享非礼、欲宿正直頭、何故か諂諛の偽を受ん。只時節よく、し合せられたる願書也。」と、欺く人も多かりけり。


205 土岐頼遠参合御幸致狼籍事付雲客下車事

同九月三日は故伏見院御忌日也しかば、彼御仏事殊更故院の御旧迹にて、執行はせ給はん為に、持明院上皇伏見殿へ御幸なる。此離宮はさしも紫楼紺殿を彩り、奇樹怪石を集て、見所有し栖■なれ共、旧主去座を、年久く成ぬれば、見しにも非ず荒はて、一村薄野と成て、鶉の床も露滋く、八重葎のみ門を閉て、荻吹すさむ軒端の風、苔もり兼る板間の月、昔の秋を思出て今の泪をぞ催しける。毎物曳愁添悲秋の気色、光陰不待人無常迅速なる理、貴きも賎きも皆古に成ぬる哀さを、導師富楼那の弁舌を借て数刻宣説し給へば、上皇を奉始旧臣老儒悉直衣・束帯の袖を絞許にぞ見へたりける。種々の御追善端多して、秋の日無程昏はてぬ。可憐九月初三の夜の月、出る雲間に影消て、虚穹に落る雁の声、伏見の小田も物すごく、彼方人の夕と、動静まる程にも成しかば、松明を秉て還御なる。夜はさしも深ざるに、御車東洞院を登りに、五条辺を過させ給ふ。斯る処に土岐弾正少弼頼遠・二階堂下野判官行春、今比叡の馬場にて笠懸射て、芝居の大酒に時刻を移し、是も夜深て帰けるが、無端樋口東洞院の辻にて御幸にぞ参り合ける。召次御前に走散て、「何者ぞ狼籍也。下候へ。」とぞ罵ける。下野判官行春は是を聞て御幸也けりと心得て、自馬飛下傍に畏る。土岐弾正少弼頼遠は、御幸も不知けるにや、此比時を得て世をも不恐、心の侭に行迹ければ、馬をかけ居て、「此比洛中にて、頼遠などを下すべき者は覚ぬ者を、云は如何なる馬鹿者ぞ。一々に奴原蟇目負せてくれよ。」と罵りければ、前駈御随身馳散て声々に、「如何なる田舎人なれば加様に狼籍をば行迹ぞ。院の御幸にて有ぞ。」と呼りければ、頼遠酔狂の気や萌しけん、是を聞てから/\と打笑ひ、「何に院と云ふか、犬と云か、犬ならば射て落さん。」と云侭に、御車を真中に取篭て馬を懸寄せて、追物射にこそ射たりけれ。竹林院の中納言公重卿、御後に被打けるが、衛府の太刀を抜馳寄せ、「懸る浅猿き狼籍こそなけれ。御車をとく懸破て仕れ。」と、被下知けれ共、牛の胸懸被切て首木も折れ、牛童共も散々に成行き、供奉の卿相雲客も皆打落されて、御車に当る矢をだに、防ぎ進らする人もなし。下簾皆撥落され三十輻も少々折にければ、御車は路頭に顛倒す。浅猿しと云も疎か也。上皇は只御夢の心地座て、何とも思召分たる方も無りけるを、竹林院中納言公重卿御前に参られたりければ、上皇、「何公重か。」と許にて、軈て御泪にぞ咽び座しける。公重卿も進む泪を押へて、「此比の中夏の儀、蛮夷僭上無礼の至極、不及是非候。而れ共日月未天に掛らば、照鑒何の疑か候べき。」と被奏ければ、上皇些叡慮を慰させ御座す。「されば其事よ。聞や何に、五条の天神は御出を聞て宝殿より下り御幸の道に畏り、宇佐八幡は、勅使の度毎に、威儀を刷て勅答を被申とこそ聞け。さこそ武臣の無礼の代と謂からに、懸る狼籍を目の当見つる事よ。今は末代乱悪の習俗にて、衛護の神もましまさぬかとこそ覚れ。」と被仰出て、袞衣の御袖を御顔に押当させ御座せば、公重卿も涙の中に書闇て、牛童少々尋出して泣々還御成にけり。其比は直義朝臣、尊氏卿の政務に代て天下の権柄を執給ひしかば、此事を伝へ承て、「異朝にも未比類を不聞。況て本朝に於ては、曾耳目にも不触不思議也。其罪を論ずるに、三族に行ても尚不足、五刑に下しても何ぞ当らん。直に彼輩を召出して車裂にやする、醢にやすべき。」と、大に驚嘆申されけり。頼遠も行春も、角ては事悪かりなんと思ければ、皆己が本国へぞ逃下ける。此上はとて、軈て討手を差下し、可被退治評定一決したりければ、下野判官は不叶とや思けん、頚を延て上洛し、無咎由を様々陳じ申ける間、事の次第委細に糾明有て、行春をば罪の軽に依て死罪を被宥讃岐国へぞ被流ける。土岐頼遠は、弥罪科遁るゝ所無りければ、美濃国に楯篭て謀反を起さんと相議して、便宜の知音一族共を招寄と聞へしかば、急ぎ討手を差下し、可被退治とて、先甥の刑部大輔頼康を始として、宗との一族共に御教書を被成下しかば、頼遠謀反も不事行、角ては如何と思案して、潜に都へ上、夢窓国師をぞ憑ける。夢窓は此比天下の大善知識にて、公家武家崇敬類ひ無りしかば、さり共と被憑仰しか共、左兵衛督、是程の大逆を緩く閣かば、向後の積習たるべし。而れ共御口入難黙止ければ、無力其身をば被誅て、子孫の安堵を可全と返事被申、頼遠をば侍所細川陸奥守顕氏に被渡て、六条河原にて終被刎首けり。其弟に周済房とて有をも、既に可被切と評定有けるが、其時の人数にては無りける由、証拠分明也ければ、死刑の罪を免て、軈て本国へぞ下りける。夢窓和尚の武家に出て、さりともと口入し給し事不叶しを、欺く者や仕たりけん、狂歌を一首、天竜寺の脇壁の上にぞ書たりける。いしかりしときは夢窓にくらはれて周済計ぞ皿に残れる此頼遠は、当代故ら大敵を靡け、忠節を致しかば、其賞翫も人に勝れ、其恩禄も異他。さるを今浩る行迹に依て、重て吹挙をも不被用、忽に其身を失ひぬる事、天地日月未変異は無りけりとて、皆人恐怖して、直義の政道をぞ感じける。頃比習俗、華夷変じて戎国の民と成ぬれば、人皆院・国王と云事をも不知けるにや。「土岐頼遠こそ御幸に参会て、狼籍したりとて、被切進せたれ。」と申ければ、道を過る田舎人共是を聞て、「抑院にだに馬より下んには、将軍に参会ては土を可這か。」とぞ欺きける。さればをかしき事共浅猿き中にも多かりけり。爰に如何なる雲客にてか有けん、破れたる簾より見れば、年四十余りなりけるが、眉作り金付て、立烏帽子引かづき著たる人の、轅はげたる破車を、打てども行ぬ疲牛に懸て、北野の方へぞ通りける。今程洛中には武士共充満して、時を得る人其数を不知。誰とは不見、太く逞しき馬共に思々の鞍置て、唐笠に毛沓はき、色々の小袖ぬぎさげて、酒あたゝめ、たき残したる紅葉の枝、手毎に折かざし、早歌交りの雑談して、馬上二三十騎、大内野の芝生の花、露と共に蹴散かし、当りを払て歩ませたり。主人と覚しき馬上の客、此車を見付て、「すはや是こそ件の院と云くせ者よ。頼遠などだにも懸る恐者に乗会ひして生涯を失ふ。まして我等様の者いかにとゝがめられては叶まじ。いざや下ん。」とて、一度にさつと自馬下、ほうかぶりはづし笠ぬぎ、頭を地に著てぞ畏りける。車に乗たる雲客は、又是を見て、「穴浅猿哉。若是は土岐が一族にてやあるらん。院をだに散々に射進らする、況て吾等こゝを下では悪かりぬべし。」と周章騒ぎ、懸もはづさぬ車より飛下ける程に、車は生強に先へ行馳るに、軸に当て立烏帽子を打落し、本鳥放ちなる青陪従片手にては髻をとらへ、片手には笏を取直し、騎馬の客の前に跪き、「いかに/\。」と色代しけるは、前代未聞の曲事なり。其日は殊更聖廟の御縁日にて、参詣の貴賎布引き也けるが、是を見て、「けしからずの為体哉、路頭の礼は弘安の格式に被定置たり。其にも雲客武士に対せば、自車をり髻を放とはなき物を。」とて、笑はぬ者も無りけり。