大津浪記念碑

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原文[編集]

大津浪記念碑

髙き住居は
 児孫の和樂 [1]
想へ惨禍の
 大津浪
此処より下に
 家を建てるな

明治卄九年にも
昭和八年にも津
浪は此処まで来て
部落は全滅し生
存者僅かに前に二人
後に四人のみ
幾歳經るとも要心何従 [2]

脚注[編集]

  1. 防災科学技術研究所の読みでは「児孫和樂(こまごともにわらく)」
  2. 最終2文字をどう読むかは資料により異なる。国土交通省の石碑情報アーカイブは「要心をせ」。中央防災会議や防災科学技術研究所は「要心何従(なにより)」。IBC岩手放送、草間、児島などは「要心あれ」。

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。