コンテンツにスキップ

大塚徹・あき詩集/三百年以後

提供:Wikisource


三百年以後

[編集]

昔、儂は 甘酒売りの老婆となって、
三百年、大江戸の群集のなかに棲息した。

夜更けの街の 柳の下闇などで
ひょっくりこの儂の 老婆の貌を見たものは、
流行病はやりやまいのように 三日経たぬまに黒死した。

人々の伝説に 儂は 汚濁の街の呪縛の疫神
 だった。

   ×     ×

いまも 儂は 都会の群衆のなかに棲息して
 いる。
いまはもう 儂は 甘酒売りの老婆ではない。

蓬蓬と頭髪を逆巻いて、燗々と眼光を鋭尖とが
 せて、
飢えて 血走って 儂は 搾取の街の赤き痩
 狼だ。

学者は顕微鏡を覗いて細菌たちと戯れた。
 (空間を漸次時間に換算し
政府は侵略の戦死者に名誉ある一片の勲章を
 與えた。(声明を漸次領土に換算し)

   ×     ×

やがて、街に 儂ら赤き痩狼は充満するだろ
 う。
やがて、あの幕末の安政の大獄のごとき裁断
 が頭上に下るだろう。

かくて暴風あらしは地上の万象を破壊し破壊し、
盡して
見よ!その後にきたるもの。営々と建設の黎
 明が――

その日こそ 儂は痩狼の假面を棄てて
春の街の群衆の円座に、ただひとり
しかも終焉の予言者のごとく寥然と入滅する
 のだ。

〈昭和一〇年、ばく〉