国士舘設立趣旨

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国士舘設立趣旨[編集]

物質文明の弊、日に甚だしく、人は唯だ科学智を重んじて、徳性涵養を忘る、今日に於て教育とは唯だ化学智の売買たるのみ、此の如きは唯だ物質文明に終る、精神文明なくして国家豈に一日の安きを得んや、蓋し精神文明は物質文明を統一指導するものなり、精巧の武器、万種羅列するも、兵士起つて之運用するに非るよりは、戦場に何の効果なからん、吾人は精神文明と精神敎育とを此際に唱道して国家の柱石たる真知識を養成せん事を期す。

一国の最高学府はまた天下に公開されざるなり、若し公開さるるゝとするも、ノート式の講果は畢竟死学のみ、其説く処高遠深邃なるが如きも、遂に之れ形式範畴のみ、何等の情熱なく、信念なし、人を化するの力なし、形式、規則、規律、試験、之れ今日の所謂教育なるものなり。

吾人茲に於てか卓落不覊、高く形式の外に立つの士に依り、膝を交へて親しく活学を講ずるの道場を開設せんと欲す、法三章、唯だ真に師たり弟たるの情誼に依つて之を維持せん事を期す、來る者は拒まず、去る者は追はず、天空海濶他の規束なく、唯だ自ら守る礼と節とを尚ぶのみ。

而して此の道場は、大自在力を孕むの契機たるを期す、陋隘僅かに膝を容るるの一小寺小屋たりと雖も、大正維新の松蔭塾たる効果あらん、一心足つて万能始めて用ゆべし、我が道場の期する処は、心学なり活学なり、信念の交感なり、理を説いて理に堕せず、術を語つて術に溺れず、舌頭万有を吐呑して、方丈裏に風雲を捲かんとするに在り。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。