国体論及び純正社会主義

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   帝國圖書館藏  

北 輝次郎 寄贈本


北 輝次郎著
 

國體論及び  
 純正社會主義


 

緖 言[編集]

 現代に最も待望せられつつあるものは精細なる分科的研究にあらず、材料の羅列、事実の豊富にあらず、まことにすべてにわたる統一的頭脳なり。もとより微少なる著者のかかることの任務に堪うるものにあらざるは論なしといえども、僭越の努力は、すべての社会的諸科学、すなわち経済学、倫理学、社会学、歴史学、法理学、政治学、および生物学、哲学等の統一的知識の上に社会民主主義を樹立せんとしたることなり。

 著者は古代中世の偏局的社会主義と革命前後の偏局的個人主義との相対立し来たれる思想なることを認むといえども、それらの進化をうけて今日に到達したる社会民主主義が、国家主義の要求を無視するものにあらざるとともにまた自由主義の理想と背馳すというがごとく考えらるべきものにあらずと信ず。ゆえに、本書は首尾を一貫して国家の存在を否む今の社会党諸氏の盲動を排するとともに、彼らのごとく個人主義の学者および学説を的に鋒を磨くがごとき惑乱をなさざりき。すなわち本書の力を用いたるところはいわゆる講壇社会主義といい国家社会主義と称せらるゝ鵺的思想の駆逐なり。第一編「社会主義の経済的正義」において個人主義の旧派経済学につきて語るところ少なくして金井・田島諸氏の打撃に多くを尽くしたるごとき、第二編「社会主義の倫理的理想」において個人主義の刑法学を軽々に駁《ばく》して樋口氏らの犯罪論を論破するに努めたるごときこれなり。社会の部分を成す個人がその権威を認識さるゝなくしては社会民主主義なるものなし。ことに欧米の如く個人主義の理論と革命とを経由せざる日本のごときは、必ずまず社会民主主義の前提として個人主義の充分なる発展を要す。

 第三編「生物進化論と社会哲学」は社会哲学を生物進化論の見地より考察したるものなり。すなわち正確に名づくるならば「生物進化論の一節としての社会進化論」というべし。しかしながら今日の生物進化論はダー井ン以後其の局部的研究においては著しく発達したるにかかわらず全体にわたりてなお混沌たり。すなわち「組織」と「結論」となし。ゆえに本書はその主たるところが社会哲学の攻究にあるにかかわらず、単に生物進化の事実の発見として継承せられつゝあるものに整然たる組織を建てゝすべての社会的諸科学の基礎となし、さらに目的論の哲学系統と結びつけて推論を人類の今後に及ぼし、もって思弁的ながらも生物進化論の結論を綴りたるものゝはじめなる点において、著者は無限の歓喜を有することを隠蔽するあたわず。もとより人類今後の進化につきては今日の科学は充分なる推論の材料を与えず、かつかかるものゝ当然として著者その人の傾向に支配さるるところの多かるべきは論なしといえども、是れ慎重なる欧米思想家の未だ試むるに至らざるところ、後進国学者の事業として最も大胆なる冒険なり。しかして著者は社会民主主義の実現がすなわちその理想郷に進むべき第一歩たるべき宗教的信念としてこれを社会民主主義の宗教と名づけ、社会主義と基督教との調和・衝突を論争しつヽある欧米社会主義者と全く異なれる別天地の戸を叩きたり。由来基督教の欧米において思想界の上に専権を振るうこと今なおローマ法王のごとくなるは、あたかも日本において国体論というものヽ存するがごとし。日本の社会主義者にとりては「社会主義は国体に抵蝕するや否や」の問題にてすでに重荷なり。さらに「社会主義は基督教と抵触するや否や」という欧米の国体論を直訳によりて輸入しつゝある社会主義者のある者のごときは解すべからざるもはなはだし。しかしながら本論はもとより宗教論にもあらず、また生物進化論そのものの説述が主題にあらざるは諭なく、人類社会という一生物種属の進化的説明なり。著者は、憐れむべきベンジャミン・キッドの『社会進化論』が人類社会を進化論によりて説明せるダー井ン以後の大著なりとして驚嘆されたるごとき今日、この編を成したるにつきていささかの自負を有す。

 第四編「所謂国体論の復古的革命主義」はすなわち日本の基督教につきて高等批評を加えたるものなり。すなわち、社会主義ほ国体に抵触するや否やの論争にあらずしてわが日本の国家其者の科学的攻究なり。欧米の国体論がダー井ン及びその後継者の生物進化論によりて長き努力の後に知識分子より掃蕩せられたるごとく、日本の基督教もまた冷静なる科学的研究者の社会進化論によりて速やかにその呼吸を断たざるべからず。この編は著者の最も心血を傾注したるところなり。著者は今のすべての君主主権論者と国家主権論者との法理学をことごとくしりぞけ、現今の国体と政体とを国家学および憲法の解釈によりて明らかにし、さらに歴史学の上より進化的に説明を与えたり。著者はひそかに信ず。もし本書にして史上一片の空名に終わるなきを得るとせば、そはすなわち古今すべての歴史家をこぞりて不動不易の定論とせるところを全然逆倒し、書中自ら天動説に対する地動説といえるごとく歴史解釈の上における一個の革命たることにありと。この編は独立の憲法論として存在すると共に、更にはじめて書かれたる歴史哲学の日本史として社会主義とかかわりなく見られ得べし。

 第五編「社会主義の蒙啓運動」は善悪の批判の全く進化的過程のものなることを論じ、第二編「社会主義の倫理的理想」において説きたる階級的良心の説明と相待ちて階級闘争の心的説明をなしたり。しかしてさらに国家競争に論及し帝国主義がまた世界主義の前提なることを論じたり。権威なき個人の礎石をもって築かれたる社会は奴隷の集合にして社会民主主義にあらざるごとく、社会主義の世界連邦論は連合すべき国家の倫理的独立を単位としてのことなり。百川の海に注ぐがごとく社会民主主義はすべての進化を継承してはじめて可能なり。個人主義の進化をうけずして社会主義なく、帝国主義の進化をうけずして世界主義なく、私有財産制度の進化をうけずして共産社会なし。ゆえに社会民主主義は今の世のそれらを敵とせずしてすべてを包容しすべての進化の到達点の上に建てらる。かの、社会主義の理想は可なりといえどもはたして実行せられ得るやというがごとき疑惑は、今日の社会民主主義をもって人為的考案のものと解して歴史的進行の必然なる到達と考えざるがゆえなり。本書が終始を通じて社会主義を歴史的進行にともないて説き、また多く日本歴史の上にその理論と事実とを求めて論じ、ことにこの編において儒教の理想的国家論を解説したるがごときこのゆえなりとす。

 凡ての社会的諸科学は社会的現象の限られたる方面の分科的研究なるをもって、単に経済学もしくは倫理学のごとき局部のものをもって社会主義の論述に足れりとすべからず。ことに本書は煩瑣なる多くの章節項目のごとき規矩を設けず、議論の貫徹と説明の詳細を主として放縦に筆を奔らしたるがゆえに一の問題につきても全部を通読したる後ならずしては完き判定を下し得ざるもの多し。もとより一千ページにわたる大冊を捧げてかかる要求をあえてする著者の罪は深く謝するところなりといえども、全世界の前に提出せられたる大問題の攻究として多少の労力は避けざるべきなり。

 著者は弁護を天職とするいわゆる学者らにあらず、また万事を否認することをもって任務とする革命家というものにあらず。ただ、学理の導きにしたがいて維持すべきは維持すべきを説き棄却すべきは棄却すべきを論ずるにとどまる。学者の論議は法律の禁止以外に自由なり。ゆえに、著者は本書の議論が政府の利益に用いられて社会党の迫害に口実を提供するに至るとも、もしくはまた社会党それ自身の不利と悪感とを挑発するに至るとも少しもかかわりなし。たとえば、万国社会党大会の決議に反して日露戦争を是認せるごとき、全日本国民の輿論に抗して国体論を否認せるごときその例なり。政府の権力といえども一派の学説を強制するあたわず。社会党の大勢力といえども多数決を挿んで思想の自由を軽視するあたわず。一学究の著者にとりては政府の権力といい社会党の勢力といい学理攻究の材料たる以外に用なし。

 故に、著者の社会主義ほもとより「マークスの社会主義」と云ものにあらず、またその民主主義はもとより「ルーソーの民主主義」と称するものにあらず。著者は當然に著者自身の社会民主主義を有す。著者は個人としては彼らより平凡なるは論なしといえども、社会の進化として見るときにおいてほ彼らよりも五十歳、百歳を長けたる自発禿頭の祖父・曾祖父なり。

 新しき主張を建つるには當然の路として旧思想に対して排除的態度をとらざるべからず。破邪は顕正に先だつ。ゆえに本書はもっぱら打撃的折伏的口吻をもって今のいわゆる学者階級に対する征服をもって目的とす。

 著者は絶大なる强力の壓迫の下に苦鬪しつゝある日本現時の社會黨に向って最も多くの同情を傾倒しつゝあるものなり。而しながら其の故を以て彼等の議論に敬意を有ずるや否やは自ら別問題なり。彼等の多くは軍に感情と獨斷とにより行動し、其の言ふ所も純然たる直譯の者にして特に根本思想は沸國革命時代の個人主義なり。即ち彼等は社曾主義者と云はんよりも社曾問題を喚起したる先鋒として充分に効果を認識せらるぺし。著者は杜曾民主々義の忠僕たらんが爲めに同情と背馳するの議論を徐儀なくされたるを遺憾とす。

 本書征服の目的なりと云ふ學者階級に至りては只以て可憐なりと云ふの外なし。率直の美徳を極度に發揮して告白すれば、除りに鶏を割くが如くにして徒らに議論の筆を汚辱ずるに過ぎさるの感ありと雖も、それくの學説の代表者として大學の降壇に據り智識階級に勢力を有すと云ふことのみの理由によりて指定したるもの多し。言責は固より負ふ。而しながら今の日本の大學敎授より一言の辨解たも来るか如き餘地を残し置くことあらば是れ著者が義務の怠慢にして辨解其事が本書の不面目なり。故に著者は或る學者――例へは丘氏の如き――に對しは固より充分なる尊敬を以てしたりと雖も、大體に於て――特に穂積氏の如きに對しては――甚しき侮弄を極めたる虐殺を敢行したり。斯くの如きは學術の戦場にヂュ子ーヴ條約なしと云ふが爲めにあらずして、今の學者等が長き間勝ち誇れる驕傲と陰忍卑劣とが招きたる復讐とす。

 文章は平易の說明を旨としたり。而しながら寛恕を請はするべからさるなは、開放せられたる天地に論議しつゝある學者等の想像し得ざるべき筆端の拘束なり。爲めに學者階級どの對抗に當て土俵の七八分までを譲輿し、時に力を極めて搏たんとしたる腕も誠に後へより臂を制せらるゝを常とす。加ふるに今の大撃数授輩の或者の如きは口に大學の紳聖を唱へながら、権力者の椅子に縋り哀泣して掩護を求むるに至つては如何ともすべからざるなり。權力者にしてこの醜態を叱斥せざる間は決して思想の濁立なし。

 社會民主々義を讒誣し、國髄論の妄想を博播しつゝある日本の代表的學者なりとして指名したるは左の諸氏なり。故に本書は社會民主々義の論究以外、一は日本現代の思潮評論として見らるべし。

  • 金井延氏『社會經濟學』
  • 田島錦治氏『最新經濟學』
  • 樋口勘次郎氏『國家社會主義新敎育學』及び『國家社會主義敎育學本論』
  • 丘浅次郎氏『進化論講話』
  • 有賀長雄氏『國法學』
  • 穂積八束氏『憲法大意』及び帝國大學講義筆記
  • 井上密氏 京都法政學校憲法講義録
  • 一木喜徳郎氏 帝國大學講義筆記
  • 美濃部達吉氏 早稲田大學講義筆記
  • 井上哲次郎氏 諸著
  • 山路愛山氏及び國家社會黨諸氏
  • 阿邊磯雄氏及び社會黨諸氏





 日露戦争の翌年春          著  者




第壹編 社會主義の經濟的正義[編集]

第 一 章       一……三〇 [編集]

所謂社會の秩序と国家の安事幸福――政府の迫害と學者の譏誣――貧困の原因――機械の發明――機械工業の結果にあらず――經濟的貴族國――經濟的勢力と政治的勢力――人格なき經濟物――奴隸制度――個人主義の舊派經濟學――個人主義の發展と歴史の誰化――個人主義經濟學の革命的任務――スミス當時の貴族國經濟組織――經濟界の民約論――個人主義の叛逆者――階級に阻害されたる自由競爭――機械と云ふ封建城廓――自由競爭の二分類――機械中心問題の社會的諸科學――個人主義は革命に至る――個人主義の理論的歸結――官許無政府黨員――所謂社會主義者に混ぜる個人主義者

第 二 章      三一……六八 [編集]

經濟的貴族國の歴史的考察――個人的勞働時代の勤儉貯蓄――マークスの價格論の誤謬――『大日本史』と『資本論』――資本は掠奪の畜積なり――經濟的土豪――資本家發達の歷史――日本の土地兼倂は資本の侵客なり――工業革命の日本――賃銀奴隷間の餓鬼道的競爭――經濟的群雄の天龜天正――恐惶――企業家の所謂『自已の責任』――恐惶を負擔するものは全社會なり――經濟的天龜天正はツラストの経済的封建制度に至る――ツラストの物便低落は經濟的兵火なきが故に事實なり――封建時代の百姓一揆とツラストに對する同盟罷工――賣買關係の私法にあらず公法の統治關係となる――經濟的封建制度は經濟史の完結にあらず――革命の發火點は權利思想の變遷にあり――社會主義は權利論によりて立つ――個人主義の掠奪せる所有權神聖の金冠――權利思想の變遷――腕力は所有權を確定すと云へる占有說の古代思想――占有の國王貴族を顚覆せる勞働說――社會主義は社會の所有權神聖を主張す――資本家の機械占有と往年の奴隸占有――機械は死せる先祖の靈魂が子孫の慈愛のために勞働す――リカドーの不備の點と地代則の說明――個人主義時代の獨斷的權利論――個人主義の權利の理想は形式に於て似たるも社會主義と混同すべからず――個人主義の法理學ば亦其の經濟學の如く現社會の辨護にあらず――權利とは社會生存の目的に適合する社會關係の規定なり――社會の利益即ち權利にして正義なり

第 三 章      六九……一五六[編集]

社會の權利即ち社會の利益――經濟的戰國の軍隊的勞働組織と經濟的公民國家の其れ――今日の公民國家の軍隊と社會主義の勞働軍――經濟史の大々的革命――社會主義に對する無數の非難を先づ現社會に提出せよ――人類の歷史は經濟的貴族國に止まるか――社會主義の國旗を濫用せる國際法違反の國家社會主義或は講壇社會主義――『社會經濟學』と『最新經濟論』――國家社會主義は學界に於ける社會主義當面の敵なり――金井博士の社會主義評――氏は社會主義を解して掠奪階級の地位を轉換する者とす――氏は資本と資本家とを混同す――氏は資本の說明と權利論につきて無學なり――田嶋博士と金井博士の人性の解釋よりする非難――人性の解釋に於て新舊經濟學の五十步百步――舊派經濟學と共に新派は公共心を解せず――社會主義時代の公共心による經濟的活動――有機的活動の生理的要求――有機的休息と今日の懶惰――將來の快樂叉は精神的快樂の動機なし――勞働は今日神聖に非らず――神聖の意義――勞働を忌避するは自由民たらんとの權利思想なり――國家社會主義は勞働を忌避せしむ――今日の貨幣は人生其者の價格を代表す――貨幣の媒介なき地位と名譽とに對する利巳心の經濟的活動――万人平等の分配は權力濫用の經濟的懸隔なからしむると共に個性發展の障害なからしめんが為めなり――田島博士の獨斷的不平等論――社會主義は個性の不平等を認め分配は不平等となる――金井博士は平等に分配さるヽ購買力と云ふことを享樂及び慾望の絶對的平等と誤まる――獨斷的平等論と獨斷的不平等論――不平等の正義なりし時代と平等の正義なるべき時代――田島博士の不平等論は自殺論法なり――平等觀發展と歴史の意義――獨斷的不平等の逆進的批判と獨斷的不平等論の粘着的辨護――元來よりの平等に非らず又元來よりの不平等に非らず――社會主義の自由平等の眞意義――『社會問題解釋法』と憐むべき一記者――田島博士の經濟的貴族國の辨護論――氏は君主國を却て共和國と云ふ――賃銀基金說の誤謬とラサールの賃銀の鐵則――勞働者は生産物の分配を豫じめ受くると云ふ新派の驚くべき空論――氏は企業的才能と利益の主體たる企業家とを同一視す――氏の外國貿易よりする非難――氏の所謂强大なる專制國――君主の目的と利益との爲めに國家が手段として存する專制國に比すべき今日の資本家制度――田島博士の所謂微弱なる共和國、金井博士の所謂生産の減退――社會主義と偏局的社會主義――令日の所謂官吏と社會主義時代の監督者――獨乙に於て社會民主義と云ふ理由――官吏專制の生産は國家社會主義其者なり――生産を減退すと云ふ非難の起る理由――社會主義は分配論に重きを置かず――今日の分配的限光と共産時代――個人的分配の理論的不能――分配は生産に伴ふ――圓滿なる理想としての共産主義――淸貧の平分にあらず上層を引き下ぐるに非らず――社會主義は大生産によりてのみ實現さる――ツラストの資本家間のみの合同を更に全社會の合同となす――ツラストの浪費なき大ツラスト――生産權が個人の財産權たる今日と賣官制度――小企業家と小資本家の尙存在し得べしと云ふ事實とツラストが社會主義に至ると云ふ事實とは別問題なり――鵺的社會主義と純正社會主義

第貳編 社會主義の倫理的理想[編集]

第 四 章     一五七……二一七[編集]

­個人主義の犯罪親――先天的犯罪者の多くも先祖の社會的境遇の遺傳なり――生活の欲望と下層階級の犯罪――犯罪者の多くは家庭に於ける道德家たらんが爲めなり――カルカッタの獄に繋がれたる貧民階級――緊急狀態權と個人主義の刑法學の矛盾――高尙なる生活の慾望と上層階級の犯罪――高尙と云ふ文字の內容は今日黄金を以て充塞せらる――講壇社會主義の犯罪觀――樋口勘次郎氏の犯罪不滅論――犯罪は病的現象に非らず――社會良心――進步の先驅者と犯罪者――生體の根本的組織の革命と其れに伴ふ必然的現象たお犯罪の消滅――ヂュルクハイムの承認せる宗敎的犯罪の消滅と社會主義による經濟的原因に基く犯罪の消滅――普通良心の鋭敏と刑罰の輕減――社會良心の進化――社會主義は餘りに多くを將來に期待する空想なりと云ふ先入思想――重力落下の原則と社會進化――宗敎に關する犯罪の時代と社會良心の進化――强者の意志に反する犯罪の時代と普通良心の進化――生體の根本的組織の革命と犯罪の質の變化――犯罪の質と數――偏局的社會主義時代の社會良心と社會主義時代の社會良心――樋口氏は報復主義の刑法論を取る――社會良心の進化と死刑――法律の時代と道徳の時代――個性の變異を尊重する社會心は變異の個性を犯罪視する者に非らず――今日の多くの犯罪は各階級の各異なれる階級的良心と國家社會の利益を理想とする良心との衝突なり――良心の内容の社會的作成――國家の法律は階級的行爲を律するを得べきも社會の道德は階級的良心を責むる能はず――獨乙皇帝の階級國家時代の良心――經濟的貴族階級の良心――裸體に生れたる良心と階級的衣服――貧民階級の良心作成の狀態――一國家一社會内に地方的時代的良心を混在せしむ――社會主義と階級的良心を掃蕩の爲めに革命主義となる――階級的良心と階級鬪爭――『人は只社會によりてのみ人となる』――倫理的生物と倫理的境遇――狼に養はれて獸類に退化せる小兒の事例――獸類の如く退化する變化性は神の如く進化する變化性なり――遺傳と境遇――模倣性の說明――現代の人は凡て狼の手に養はれつゝあり――空腹即ち犯罪飽腹即ち犯罪と云ふ意味――社會主義と個人の責任――思想の獨立信仰の自由あるは其の獨立信仰を認むる社會良心あるを以てなり――社會主義の自由論の眞意義――純正社會主義は個人主義の進化を繼承す――私有財産制と個人主義――社會主義は亦私有財産制の進化を繼承す――經濟上の獨立と政治上及び道德上の獨立――私有財産制度の高貴なる意義と民主々義――經濟的貴族國の現代として政治の自由なく道德の獨立なし――現社會に個人の自由なきは其の根底たる個人の私有財産なくなれるを以てなら――社會主義時代には個人は他の如何なる個人にも屬せずして社會に屬す――忠君と愛國――個人は社會に對する經濟的從屬關係より社會の幸福進化に努力すべき政治的道徳的義務を意識するに至る――賣買廢止は亦この理由による――献身的道德の武士道と素町人の利巳的道德との差は經濟的關係に於て責任を有すると有せざるとによる――國家社會に對する經濟的從屬關係より國家社會に對する献身的道德を生ず――個入社會と社會主義とを混同しつゝある奇観

第參編 生物進化論と社會哲學[編集]

第 五 章     二一八……二八八[編集]

­ 生物進化論者と社會主義者との背馳――社會主義は生存競争說の外に立つ能はず――組織の皆無なる生物進化論――代表的學者として丘博士の『進化論講話』――其の社會主義評――今の生物進化論者は人類の生物界に於ける地位を獸類の階級に置く――滅亡すべき經過的生物『類神人』――生物進化論者は進化の跡を見て更に進化し行く後を見ず――獸類敎の迷信――優者適者强者の內容は生物種屬の階級に從ひて異なる――人類の優者と獸類の其れとを同一現す――生物進化論者は生存競爭の單位を定むるに個人主義を以てす――顯微鏡以前の個體の觀念――ヘツケルの個體の定義――個體の階級と難読社會有機體說――ヘツケルの生物學者大會の演說の奇怪――個人と社會とは同一異名の者なり――個人的利巳心と社會的利巳心――社會的利巳心による社會單位の生存競爭――人類に於て特に社會性の重せらるゝ理由――クロボトキンの相互扶助による生存競爭――生物進化論は古來の漠然たる道徳的意識に科學的根據を與へたり――偏曲的個人主義を顚覆せる生物學――高等生物の生存競爭は社會單位の相互扶助なり生物進Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/33Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/34Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/35Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/36Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/37Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/38Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/39Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/40Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/41Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/42Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/43Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/44Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/45Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/46Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/47Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/48Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/49Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/50民主々義の天國に至るべき途は階級闘争にあり個性發展に在り伏能啓發にあり自由戀愛にあり科學に在り――五人社會民主々義者は『人類』と『神類』とを繫ぐ鐵橋工事に服しつゝある一工夫なり――發狂漢は鐵橋工事を解せず――以上の歸結、今の生物進化論は凡て悉くその力を極めて排撃したる天地創造設を先入思想として生物進化の事實を解釋しつゝあり――字宙目的論の哲學と生物進化論の科學とは茲に始めて合致し相互に歸納となり縯繹となりて科學的宗致となる――『類神人』の語は生物進化論の結論なり


第四編 所謂國體論の復古的革命主義[編集]

­Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/52Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/53Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/54Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/55Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/56Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/57Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/58Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/59Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/60Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/61Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/62Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/63Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/64Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/65Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/66Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/67Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/68Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/69Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/70Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/71Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/72Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/73Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/74Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/75Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/76を尊重せよと云ふてとなり――以上の槪括

第五編 社會主義の啓蒙運動[編集]

第 十 五 章[編集]

法理學上の國家と政治學上の國家とを混同するより生ずる權力階級と社會黨の惑乱――現今の國体に於て國家とは國民の全部なり――今日國家の意志たる者が上層階級なりと云ふてとを以て國家を否定すべからず――個人主義の革命論に於ては國家の否定は論理的可能なり――社會主義の革命は國家の否定にあらずして國家の意志が新たなる社會的勢力を表白することに在り――現今は經濟的階級國家の爲めに政治上に階級國家の實を表はしつゝあるなり――法律上の階級國家なと云は、論理上議會に入ることを拒絶せざるべからづ――Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/78Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/79Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/80Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/81Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/82Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/83Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/84Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/85Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/86Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/87Page:国体論及び純正社会主義 帝国図書館 北輝次郎寄贈本.pdf/88 

   帝國圖書館藏   

國體論及び  
 純正社會主義

       北 輝次郎著


 

正 誤 表  〔重要なるもののみ〕[編集]


  頁       行       誤         正
六        一        尊       尊  
一七       十三       機       機  
四六       五        流       流  
五二       七        强       强  
五九       二          實       實
七二       二          光       光
九六       三        要せや     要せ
一〇二      十四         達       達
一〇四      十三       老       老  
一二一      五        上    
一二五      十        的    
一二八      五        經 濟      經濟貴族國
一二八      十二       産       産  
一三五      三        無 意      無 意
一四一      六        力 の     か く
一四一      十          然       然
一四四      十一       經 濟      經 濟
一六三      十三       の生物    の生物
二一四      四        ナイト(キャラター) ナイト、キャラクター
二三五      十        內       內  
二六五      三        神  境     神 の 境
同        四        一元論    一元論
二七七      九        へられ     へられ
二八四      十三       人       人 性
二八七      十三       階 級 等     貴 族
三〇一      九        實  現     現  實
三〇八      三        き自由     き自由
三一一      九        繼       繼  
三一五      四        らるゝ     らるゝ
三一六      十三       昇  進     卑  近
三一九      十        禁       禁  
三三七      十          數       數(以下凡て然かり)
四〇六      十二         想       想
四一三      四        買はて     買は
四六五      十一       實  現     現  
五〇六      一        演  釋     縯  繹
五一一      十二       近代國     近代國
五一二      十一         き       き
五一四      十一       密    
八〇〇      五        系  系     系  統
五一九      五        權 利      權 利
五二二      十一         踏       踏
五九八      八        姑  姿     姑  
六〇〇      十二       淫       淫  
六四七      九        年    
六四八      八        國       國  
七二〇      十四         統       統
七三八      十二         育       育
七八二      九        君        ケ ヅ ル
同        十        主        君  主
七九三      一        退化せざるは   せざるは
七九六      十二       國 家      國 家
七九七      三        進 行      進 行
八〇九                      
八一一               掠奪の上に次行の 掠奪しの三字來る
八二三      二          義       義
八四八      十四       文       文  
八八二      二        犯    
九二六      十三       侵       侵  
九四五      七                   
九九六      九        ての      ての 
九九六      十三       云はん     云はん





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明治三十九年五月九日發行
明治三十九年五月六日印刷
正價貳圓八十五錢
 
【印紙】
新潟縣佐渡郡両津町大字湊六十一番地
著者兼
發行者
 北  輝 次 郎
 
宮城縣志田郡荒雄村福沼字長瀨廾三
印刷者  靑沼勘左衛門
 
東京市麹町區飯田町三丁目拾番地
印刷所  東  洋  社
 
大賣捌所 神田一ツ橋通  有 斐 閣
神田裏神保町  同 文 舘
神 田 神 保 町  東 京 堂


 

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