和協覚書

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和協次第書[編集]

東洋宣教会日本ホーリネス教会の紛争に於いては誰しもその和協解決の早からんことを希望して居たところ、今回機熟し、委嘱を受けた我々和協委員も微力を尽くし、両者の互譲と相俟って此に和協の成立を見るに至った事は実に同慶の至り、感謝の極みである。

本和協に当り、我々は当初両者が一切の過去は過去を以って葬り、旧ホーリネス教会に復帰せんことを企図したのであったが、紛争の真相を研究するに、其の基因全く信仰問題に発足して、現状に於いて到底復帰不可能なる事を認めたので、両者の合一を将来に期待し、別紙覚書の通り和協分離に到達した次第である。

此の和協分離に対する我々の態度は、終始至誠公平を念とし、両者の現在に則して分工作を施すを最も妥当と認め、錯雑せる利害関係は幾多の困難を招来したるも、両者の陰忍互譲、特に聖書学院所在地不動産に対しては委員側の基督教的寛容の態度により、本和協を可能ならしめた事を茲に明記して、深く感謝する次第である。

尚両者間に別紙覚書の通り、和協分離の諸方針を決定したるも、之が実行方法その他に於き多少の問題起こる事あらんにも、両者は我々の正義公平に信頼し、一切本和協の精神に則り、和協委員の合議決定に委ねられん事、及び本覚書に使用せる用語の内容は、和協委員の解釈によらん事を求むる次第である。

昭和十一年十月十九日

和協委員

阿部義宗 星島二郎 松山常次郎 渡辺善太

右の次第真実なることを承認す 甲 中田重治 乙 車田秋次

覚書[編集]

東洋宣教会ホーリネス教会の紛争に関し監督の側を甲、委員側を乙と称し、和協委員斡旋の下に本覚書を作成し、両者に於いて之が実行を誓約す

第一、甲、乙は将来再び昭和八年十月以前の平和なる日本ホーリネス教会に復帰合一せんことを冀望しつつ信仰上融和し難き溝渠ある現状を認識し、一応分離決別す

第二、分離にあたっては教会並びに教会維持財団所属財産を、現状に則して二分することを原則とす。

(一)個々の教会はその現在の所属に従いその使用しつつある不動産は、その所属に帰するものとす。

(ニ)財団基金は甲乙二分するものとす

(三)甲使用の聖書学院所在地不動産に就いては、乙は譲歩し、右不動産を甲に於いて占拠使用する事に何事異議なき事を表明す。

第三、両団体は今後旧名称を用いず、新に自己の教会並びに財団の名称を選定使用す。

第四、日本ホーリネス教会は昭和八年十月、甲の信仰に帰一することを得ず、紛争を見るに至りたるが、乙と雖も甲が創立後、右紛争に至るまで、監督として教会の指導発展に尽瘁したる功績恩義を感謝するに吝しならなざること此に表明すると共に、甲も右紛争を招来したる監督として責任を自認したり

而して旧日本ホーリネス教会を解消し、両団体が新たなる発足をなすにあたり、近く大会を開き、双方一同に会し、両団体の誕生を宣言し、且つ互に其の前途を祝福し、向後争を絶ち、紳士的態度を以って本和協を結実せしむることを誓約すべし、本大会には双方幹部の外、一教会より福音使、信者各一名出席することを得

第五、本覚書に基づく具体的法律的、分離工作に就いては、和協委員の誠意公平に信頼し、其の決定によるものとす。

昭和十一年十月十九日

甲代表  東京市淀橋区柏木三ノ三ノ三九一 中田重治 乙代表  東京市淀橋区柏木三ノ三ノ三九一 車田秋次 和協委員 東京市渋谷区緑岡町二ニ     阿部義宗     

誓約書[編集]

別紙和協成立覚書の通り今回和協したるにより、甲乙は互いに民事、刑事の訴訟を取り下げ、尚将来如何なる理由があるとも訴訟の提起をせざることを誓約し、甲乙は本和協成立と同時に訴訟を取下げ、委任状を和協委員に託し、其の取下行為を委任す。

甲代表 中田重治 乙代表 車田秋次

出典[編集]

  • 米田勇『中田重治伝』中田重治伝刊行委員会、1959年