同志社大学設立の旨意
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[編集]同志社大学設立の旨意
吾人が私立大学を設立せんと欲したるは一日に非す、而して之れが為めに経営辛苦を費したるも亦た一日に非らす、今まや計画略ほ熟し、時期漸く来らんとす、吾人は今日に於て、此を全天下に訴へ、全国民の力を籍り、其の計画を成就せずんば、再ひ其時期無きを信ず、是れ吾人が従来計画したる所の顚末を陳し、併せて之れを設立する所の目的を告白するの止む可らざる所以んなり、回顧すれば既に二十余年前、幕政の末路、外交切迫して人心動揺するの時に際し、余不肖海外遊学の志を抱き、脱して函館に赴き、遂に元治元年六月十四日の夜、竊かに国禁を犯し、米国商船に搭し、水夫となりて労役に服する凡そ一年間、潮く米国ポストン府に達したりき、幸にして彼国義侠なる人士の助けを得て、アーモスト大学に入リ、続いて又たアンドヴァ神学校に学ひ、前後十余年の苦学を積めり、而して米国文物制度の盛なるを観、其大人君子に接し、其議論を叩き、茲に於て米国文明の決して一朝偶然にして生したる者に非す、必す由て来る所の者あるを知る、而して其来る所の者、偏へに一国教化の敦きより生するを察し、始めて教育の国運の消長に大関係あるを信し、心竊かに一身を教育の事業に擲んことを決したりき、
明治四年、故岩倉特命全権大使等の米国に航せられしや、文部理事官田中不二麿君は、欧米諸国教育の実況を取調への為め其一行中にありき、時に余アンドヴァに在て勤学せしが、徴されて文部理事官随行の命を蒙り、理事官と共に北米中著名の大中小学校を巡視し、更に欧州に赴き、独逸、仏蘭西、英蘭、瑞西、阿蘭陀、丁抹、魯西亜等の諸国を経歴し、学校の組織、教育の制度等を始めとし、凡そ学制に関する者は、聊か之れを観察講究するを得、茲に於て愈よ欧米文明の基礎は、国民の教化に在ることを確信し、而して我邦をして欧米文明の諸国と対立せしめんと欲せば、独り其外形物質上の文明を摸倣するに止まらず、必す其根本に向つて力を尽さゞる可からざるを信し、不肖を顧みす、他日我邦に帰らば、必す一の私立大学を設立し、以て我が国家の為めに微力を竭さんことを誓ひたりき、
明治七年、余が米国より帰朝するに際し、適ま北米合衆国外国伝道会社の集会ありき、米国の紳士貴女、会する者三千余名、余の友人にして此会に集る者頗る多きにより、諸友余を要して臨会せしめ、且つ訣別の辞を求めらる、此に於て始めて平生の宿志を開陳して曰く、今まや我が日本は、社会の秩序破れ、紀綱乱れ、人心帰着する所を知らず、今日に於て、我か日本に文化の美光を来さんと欲せば、宜しく欧米文化の大本たる教育に力を用ひざる可からず、顧ふに我か同胞三千余万、将来の安危禍福は、独り政治の改良に存せず、独り物質的文明の進歩に存せず、実に専ら国民教化の力にあるを信す、陳して此処に到り、余ハ覚へす涙を飲み、更に一歩を進めて曰く、故に余若し我邦に帰りたらば、誓つて此の事業に向つて微力を尽さんことを欲す、満場の諸君余か赤心を看取し、幸に翼賛する所なき乎と、語未た尽きさるに忽ち満場の紳士貴女の激讃する所となり、即席に数千円の義捐金を得、茲に於て明治七年の末、胸中一片の宿志を齎らし、十余年来夢寐の間に髣髴たる我か本国に帰着せり、
明治八年一月、大坂に於て、適ま故内閣顧問木戸孝允君に謁し、君に向つて平生の宿志を吐露せしに君深く之を称賛し、専ら政府の間に斡旋し、余が志を貫徹するに力を藉され、前きの文部大輔田中不二麿君、前きの京都府知事槇村正直君亦た賛助せらるゝ所あり、遂に山本覚馬氏と結社し、明治八年十一月廿九日、私塾開業の公許を得、直ちに同志社英学校を設立したり、是れ即ち現今同志社の設立したる創始なり、
斯くの如くにして同志社ハ設立したり、然れとも其目的とする所ハ、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さんことを勉めたりき、而して斯くの如き教育ハ、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非す、又た既に人心を支配するの能力を失ふたる儒教主義の能くす可き所に非す、唯た上帝を信し、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道に存することを信し、基督教主義を以て徳育の基本と為せり、吾人が世の教育家と其趨を異にしたるも茲に在り、而して同志社が数年荊棘の下に埋没したるも亦た茲に在り、
此時に際して、吾人の境遇ハ実に憐れむ可き者にてありしなり、茫々たる天下実に一人の朋友なき有様にてありしなり、基督教主義の徳育ハ、独り愚民の為めに嫌悪せらるゝのみならず、又た世上の大人君子よりも非常なる冷遇を蒙りしなり、然れとも吾人同志者ハ、真理ハ最後の戦勝者なるを信し、互ひに相助け、相励まし、着実に、穏当に、堅確に、余念なく吾人が志す所の者を実行し来りしに、幸にして天下の輿論ハ一変し、躬親から基督教を信ぜざる人にても、基督教ハ実に一国の道徳を維持する勢力あることを識認し、天下の興論基督教を賛成するの勢ひとなり、又た一方に於てハ同志社教育の実効漸く顕はれ、其教育の懇篤にして親切なる、其学校の徳育智育二つながら並行して、決して偏僻なる教育に陥らざるの事は、漸く世上の識認する所となり、同志社は実に書生を托するに足るの学校なりとの信用漸く世上に行はれ、十四五年の頃ひに至つては、学校の規摸漸く大に、入学の子弟漸く多く、業を卒はる者漸く増し、学科の程度漸く高きに進み、而して中には父兄をして独り普通科のみならず、其上に専門科を加へんことを請求する者あるに至らしめたり、是に於て吾人が宿志たる私立大字の基礎漸く成れりと云ふも、敢て誇張の言に非ざる可し、
然りと雖も私立大学は、実に大事業なり、之れを設立するには、多くの人を要するなり、多くの金を要するなり、吾人は誰れに向つて此志を談し、誰れと共に此事を行はんや、幸ひにして或る部分の人の信用を得たりと雖も、吾人が当時の有様は全く孤立にてありしなり、然れども黙して止む可きに非ざれば、比時より同志相議し、頻りに同感の士を天下に求めたりき、而して各地往々其賛成を得たるを以て、遂に明治十七年四月、始めて京都府会議員を招待し、数回の演説を為し、私立大学創立の目的を発言し、其重立たる人々の賛成を得、茲に於て明治専門学校設立の旨趣と題し、大学創立の目的を記したる小冊子を発行して、賛成を天下に求めたり、是れ私立大学設立の第一着手にてありしなり、
幸ひにして此企ては天下諸名士の賛成を得たるに拘はらず、当時天下一般の不景気に際し、賛成者あれども、寄附者なく、寄附金の約束あれども、納金なく、吾人の企ても殆んと中止の有様にてありしなり、而して余は此間再ひ海外に航し、同志社大学設立の事業は、同志諸氏に托し、比間唯た徐々其歩を進め、別に差したる程の事あらざりしなり、之れを要するに十七年六月より二十一年四月迄、該校設立の為めに集りたる金高は、其約束と納金とを合せて、殆んと壱万円に達したり、而して其大いに力を大学設立の事に尽せしは、実に本年にてありとす、
本年は実に吾人が計画に取つて幸福なる年にてありつるなり、本年四月、西京に於ては、智恩院にて一大会を開き、六百五六拾名の京都府下諸紳士を招き、私立大学の設立の賛成を得んことを求め、而して北垣京都府知事の如きも、熱心比挙を賛成せられ、自から賛成し、併せて府民の賛成せんことを求むるの演説を為され、爾来京都倶楽部に於て、理事委員会を開き、今まや既に資金を募集し居れり、其金高は未だ明白ならざるも、思ふに京都府民の諸君は、必す吾人が希望を空しくせざる可しと確信す、
京都に於て斯くの如く着手するに際し、東京に於ても亦た聊か着手したる所の者なきに非ず、本年四月、余出京し、大隈伯、井上伯、青木子等に見へ、宿志を開陳し、大いに其賛成を得たり、殊に大隈伯、井上伯の如きは、本年親しく同志社英学校を実視せられ、親しく其学校の模様を閲覧せられ、大いに其成績を称賛せられ、従つて其位置を進めて専門科を設くる事に就ては、一層吾人が志を翼賛せられたり、加之余は京浜の紳商諸氏に向つて平素の宿志を陳したりしに、幸にして彼の紳商諸氏も、大いに之れを賛成せられ、遂に東京に於て本年四月より本月に到る迄、左記の如き寄附金額を得たり、
| 千円 | 大隈伯 |
| 三千円 | 岩崎久弥君 |
| 千円 | 井上伯 |
| 二千五百円 | 平沼八太郎君 |
| 五百円 | 青木子 |
| 二千円 | 大倉喜八郎君 |
| 六千円 | 渋沢栄一君 |
| 二千円 | 益田孝君 |
| 六千円 | 原六郎君 |
| 二千円 | 田中平八君 |
| 五千円 | 岩崎弥之助君 |
而して後藤伯、勝伯、榎本子の如きも、皆な吾人が志を翼賛せられ、未た其金額は確定せられざれども、必す多少の寄附金を為す可しと吾人に向つて約せ
翻つて現今同志社の位置を察すれば、吾人が企ての決して架空の望みに非ざるを知る可し、今や同志社ハ社員を増加し、通則を設け、其学政の上に於て、不朽の基ゐを定めたり、而して本社に属する諸学校ハ、同志社英学校、同志社神学校、同志社予備校、同志社女学校、別に一個の病院あり、之れに附属する看病婦学校あり、其詳細の統計ハ、左の一表を見て明白なる可し、
而して現今同志社英学校の位置を挙けて高等中学同様に為すは、既に一年を出ざる可し、今や我か同志社は斯くの如き位置に達せり、今日に於て此の普通学科の上に専門学科を設くるは、是れ実に止むを得ざるの勢ひなり、是れ実に避く可からざるの勢ひなり、今日は最早大学を設立せざる可からざるの場合に達したりと謂ふ可し、大学は学問の仕上け場なり、既に普通の学科を修めて余力ある者は、必す茲に学ばざる可からず、大学は教育の制度に於て、絶頂の位置を占むる者なり、今まや同志社は既に高尚なる普通学科を教ゆるの学校となれり、之れに加ふるに専門学科を以てせざるは、所謂る九仭の功、一簣に欠くるなり、然らば則ち同志社今日の位地は実に私立大学を設立するの時期に迫りたりと云ふ可し、吾人は以上に於て、私立大学を設くるの顚末を陳したり、是れよりして聊か吾人が目的とする所を陳せんと欲す、吾人は教育の事業を挙けて、悉く皆政府の手に一任するの甚た得策なるを信ぜず、苟も国民たる者が、自家の子弟を教育するは、是れ国民の義務にして、決して避く可き者に非ざるを信ず、而して国民が自から手を教育の事に下して、之を為す時に於ては、独り其国民たるの義務を達するのみならず、其仕事は懇切に、廉価に、活潑に、周到に行き届くは、我れ自から我事を為すの原則に於て決して疑ふ可きことに非ず、我が同志社は不肖なりと雖も、今日迄斯くの如くにして接続し来れり、若し幸に天下同感人士の賛成を得ば、愈よ斯くの如くにして之れを拡めんと欲するなり、吾人は日本の高等教育に於て、唯た一の帝国大学に依頼して止むべき者に非ざるを信ず、思ふに我が政府が帝国大学を設立したる所以んは、人民に率先して其模範を示したる事ならん、思ふに日本帝国の大学は、悉く政府の手に於て設立せんとの事には非ざる可し、吾人は豈に今日に於て傍観坐視するを得んや、吾人は政府の手に於て設立したる大学の実に有益なるを疑はず、然れども人民の手に拠つて設立する大学の、実に大なる感化を国民に及ほすことを信ず、素より資金の高より云ひ、制度の完備したる所より云へば、私立は官立に比較し得可き者に非ざる可し、然れども其生徒の独自一己の気象を発揮し、自治自立の人民を養成するに至つては、是れ私立大学特性の長所たるを信ぜずんば非ず、
教育は実に一国の一大事業なり、此一大事業を国民が無頓着にも、無気力にも、唯政府の手にのみ任せ置くは、依頼心の最も甚たしき者にして、吾人が実に浩嘆止む能はざる所なり、凡一国文化の源となる者は、決して一朝一タに生したる者に非す、米国の如きは清教徒が寂寞人なく、風吼へ、濤怒る、大西洋の海岸に移住してより十五年を出でざるに、早やハーワルド大学の基ゐを開けり、而して今日に至つては、其学校の教員一百拾人、書籍拾三万四千巻、其資金は一千四百八拾五万四千三百七拾弐弗に達せりと云ふ、思ふに米国人が自治の元気に富むも、豈に此の大学の如き者、関りて力なしとせんや、独逸の如きは我邦足利の時代より続々と大学を設け始め、今は既に三十有余の広大なる大学あり、伊太利の如きも既に十七個の大学を有せり、而して我邦に於ては、唯一の政府の手に依頼して建てたる帝国大学あるに止まるは、国民教化の目的に於て欠乏する所なきか、国民が教育に注意するの精神に於て欠乏する所無きか、国家将来の命運を慮るに於て欠乏する所無きか、是れ吾人が不肖を顧みず、我邦に私立大学を設立せんと欲する所以んなり
教育とハ人の能力を発達せしむるのみに止まらず、総へての能力を円満に発達せしむることを期せざる可からず、如何に学術技芸に長したりとも、其人物にして、薄志弱行の人たらば、決して一国の命運を負担す可き人物と云ふ可からず、若し教育の主義にして其正鵠を誤り、一国の青年を導いて、偏僻の摸型中に人れ、偏僻の人物を養成するが如き事あらば、是れ実に教育は一国を禍ひする者と謂はざる可からず、
今まや我邦に於ては、欧米の文化を輸入するに際し、独り物質上の文明を輸入し、理論上の文明を輸入し、衣食住を輸入し、鉄道を輸入し、蒸気船を輸入し、法律を輸入し、制度を輸入し、文学科学の思想を輸入し来たれりと雖も、要するに其の文明の由つて来る大本大体に至つては、未た着手する所の者あらざるが如し、故に人心自から帰向する所を失ひ、唯た智を翫ひ、能を挾み、芸を衒して世を渡らんとするに至り、而して此の弊風を矯めんと欲する者無きに非ざれども、唯た国民文弱の気風を矯むるに汲々とし、所謂る角を矯めて牛を殺し、枝を析いて幹を枯すが如く、文明の弊風を矯めんと欲して、却って教育の目的は、人為脅迫的に陥ゐり、天真爛慢として、自由の内自から秩序を得、不羈の内自から裁制あり、即ち独自一己の見識を備へ、仰いて天に愧ず、俯して地に愧ず、自から自個の手腕を労して、自個の運命を作為するが如き人物を教養するに至つては、聊かか欠くる所の者なきにあらず、是れ実に吾人が遺憾とする所なり、吾人の見る所を以てすれば、欧州文明の現象弊多なりと雖も、概して之れを論すれば、基督教の文明にして、基督教の主義ハ、血液の如く、万事万物に皆な注人せざるはなし、而して我邦に於ては、唯た外形の文明を取つて之れを取らざるハ、是れ猶ほ皮肉を取つて血液を遺す者に非すや、今まや我邦の青年ハ、皆な泰西の文学を修め、泰西の科学を修め、我邦を扶植する第二の国民とならんとせり、然れとも其教育たるや、帰着する所なく、皆な其岐路に彷徨する者あるに以たり、吾人ハ之れを見て、実に我邦将来の為めに浩歎に堪へざる者あり、吾人の不肖決して為す所なしと雖も、皇天若し吾人に幸ひを下し、世上の君子、吾人が志を助くることあらば、吾人不肖と雖も、必す今日に於て此の不肖を忘れ、此の大任に当らんと欲す、之れを要するに吾人は敢て科学文学の智識を学習せしむるに止まらず、之れを学習せしむるに加へて、更に是等の智識を運用するの品行と精神とを養成せんことを希望するなり、而して斯くの如き品行と精神とを養成するハ、決して区々たる理論、区々たる検束法の能く為す所に非す、実に活ける力ある基督教主義に非ざれば、能はざるを信す、是れ基督教主義を以て、我か同志社大学徳育の基本と為す所以ん、而して此の教育を施さんが為めに、 同志社大学を設立せんと欲する所以んなり、
吾人の目的斯くの如し、若し夫れ此事を目して基督教拡張の手段なり、伝道師養成の目的と云ふ者は、未た吾人が心事を知らざる人なり、吾人が志す所の者、尚ほ其上に在るなり、吾人は基督教を拡張せんが為めに大学校を設立するに非す、唯た基督教主義は、実に我か青年の精神と品行とを陶冶する活力あることを信し、此の主義を以て教育に適用し、更に比の主義を以て品行を陶冶する人物を養成せんと欲するのみ、故に吾人が先つ将来に於て設けんとする大学専門の学科は、現今同志社に在る神学科の外に於て、政事、経済、哲学、文学、法学等に在り、若し是等の諸学科を一時に設置すること能はずんば、漸次に其最も実行し得易き者よりして設置せんと欲す、吾人が目的とする所の者は、既に以上に明言したる所の者なり、去れば此の大学なる者は、決して宗教の機関にも非す、又た政事の機関にも非す、況や一地方、一党派の人の能く為す可き所の者に非さるや素より論を俟ず、
故に吾人は敢て吾人が赤心を開陳して、全天下に訴へ、全国民の力を藉り、以て吾人年来の宿志を達せんと欲す、勿論此の大学よりしては、或は政党に加入する者もあらん、或は農工商の業に従事する者もあらん、或は宗教の為めに働く者もあらん、或は学者となる者もあらん、官吏となる者もあらん、其成就する所の者は、千差万別にして、敢て予じめ定む可からずと雖も、是等の人人ハ皆な一国の精神となり、元気となり、柱石となる所の人々にして、即ち是等の人々を養成するハ、実に同志社大学を設立する所以の目的なりとす、
一国を維持するは、決して二三英雄の力に非す、実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず、是等の人民ハ一国の良心とも謂ふ可き人々なり、而して吾人ハ即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す、吾人が目的とする所実に斯くの如し、諺さに日く、一年の謀ことハ穀を植ゆるに在り、十年の謀ことハ木を植ゆるに在り、百年の謀ことハ人を植ゆるに在りと、蓋し我か大学設立の如きハ、実に一国百年の大計よりして止む可からざる事業なり、今まや二十三年も既に近きに迫まり、我邦に於てハ、未曽有の国会を開き、我か人民に於てハ、未曽有の政権を分配せらる、是れ実に我邦不朽の盛事なり、而して苟も立憲政体を百年に維持せんと欲せば、決して区々たる法律制度の上にのみ依頼す可き者に非す、其人民が立憲政体の下に生活し得る資格を養成せざる可らず、而して立憲政体を維持するハ、智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民たらざれば能はず、果して然らば今日に於て、此の大学を設立するハ、実に国家百年の大計に非ざるなきを得んや、
吾人が宿志実に斯くの如し、其志す所を以て之れを我身に顧れば、恰も斧を磨して針を造るの事に類する者なきに非す、余の如きは実に力微にして学浅く、我か国家の為めに力を竭すと公言するも、内聊か愧る所無きに非す、然れども二十年来の宿志は、黙して止む可きに非す、我邦の時務は黙して止む可きに非す、又た知己朋友の翼賛は黙して止む可きに非す、故に今日の時勢と境遇とに励まされ、一身の不肖をも打忘れ、余か畢生の志願たる、此の一大事業たる、大学設立の為めに、一身を挙けて当らんとす、願くは皇天吾人が志を好し、願くは世上の君子吾人が志を助け、吾人が志を成就するを得せしめよ、
明治廿一年十一月
- 同志社大学発起人
- 新島襄
- 京都寺町通丸太町上