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吉利支丹文学抄/はしがき

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はしがき


編者は、專門の吉利支丹硏究家たる資格を有する者ではありません。たゞ、平生、我國文化の歷史的方面からの硏究にたづさはつてをりますところから、この敎を通じての東西の思想的交涉といふ事について、かねて多少注意してをりました。倂し、固より獨學固陋、公私の文庫に祕籍を探るといふこともせず、隨つて專ら一般通行の典籍に賴り、この方面の根本資料たる吉利支丹古典については、纔かに先輩諸氏の紹介によつて、間接に利用したに過ぎませんでした。然るに數年前、偶ま外遊の機を得て、英佛の大文庫所藏の二三の代表的文獻に親しく接するを得ました。それらの書は、夙く內外の學者に依つて紹介されたものでありますが、いづれも殆んど傳來唯一といふべき稀覯書で、かつ件の紹介も素より槪して簡略であつたので、我國の硏究者の間にも、一般には未だ書史的以上精しく知られるには至らなかつたと言へます。このたび、その際の筆錄から選び、之に我國に存在し、再刊されて、一部學者間に知られてゐる同種の古典からの拔抄を加へ、別に序論附錄をそへて、本書を公けにする事としましたのは、全く此方面の硏究者の爲に、資料を提供しようといふ目的に外なりません。たゞ、編者が筆錄の際の疎漏、又天主敎そのものや關係外國語に對する無素養の爲に、思はぬ誤謬を傳へたものあらむかと、偏に恐れます。或は再訂の機を得て、或は大方の敎へに依つて、修正し得む事を希ひます。

本書脫稿の後、新聞紙の報道によつて、東洋文庫が、どちりなきりしたん〈序說所收表中の二〉の、大阪每日新聞社が、吉利支丹叢書の出版の企圖について知りました。編者は、前者については直接の知識を有しませず、後者についてもそのうちの小數を除いては全然知る所がありません。閱讀するを得ましたら、編者の本書に於ける所說等にも、補正すべきものが幾分あらうと思ひますにつけても、その刊行の事の早からむことを願ひなほ今後、諸文庫や諸家に祕藏さるゝこの種文獻が續々世に出でゝ、學界公共の資料とならむことを、學徒の一人として切望します。


大正十五年二月
仙臺にて
編 者