即興詩人


    初版例言


一、即興詩人は璉馬デンマルクHANSハンス CHRISTIANクリスチアン ANDERSENアンデルセン(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡〻しばしば變じ、文致の畫一なり難きをうらみ、又筆をくことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職をむなしくして、ほしいまゝに述作に耽ると謂ふ。ゑんも亦甚しきかな。
三、文中加特力カトリツク教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪かいさんすること能はず。
四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、つねに予の著作を讀むことをたしなめるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をしてはなはだ加はらざらしむることを得たり。
  明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて
譯者識す


    第十三版題言


是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATORENイムプロヰザトオレン の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることをもちゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會〻たま/\歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午うげきばうごの間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。

 大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて

譯者又識す


   わが最初の境界


 羅馬ロオマに往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造りしたる、美しき噴井ふんせいある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條のの口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常よのつねならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。かうべめぐらしてわがをさなかりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ/\なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひてむすべを知らず。又我世の傳奇ドラマの全局を見わたせば、われはいよ/\これを寫す手段にくるしめり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人よそびとのためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語をさなものがたりをありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶさがのこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子かいしの如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣食ひたり。わが最初の記念の一つは既にその芽生めばえを見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧カツプチノオの寺の前にて遊びき。寺の扉にはちひさき眞鍮の十字架を打ち付けたりき。その處はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だをさなき一人がいふやう。いかなれば耶蘇やその穉子は一たびもこの群に來て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は猶母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに屆くべきならねば、我等はかはる/″\抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を尖らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ちまり、指組みあはせてのたまふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。

 母上は隣家の女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心にかなひたり。わが罪なきことはもとよりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶさがの種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしくやはらかなる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獸におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。

 かの尖帽宗カツプチヨオの寺の僧にフラア・マルチノといへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善くそらんじて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母マドンナのこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄のほのほの上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるをけむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、けたなる形に作りたる圓柱の廊なりき。廊に圍まれたるはちさ馬鈴藷圃ばれいしよばたけにて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬リモネの木一株立てりき。け放ちたる廊には世をみまかりし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には獻身者の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロアンドレア・デル・サルトオが作を觀る心におなじかりき。

 僧はそちは心たけき童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝはわたどのより二三級低きところなりき。われはかれて級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏どくろなりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多あまた小龕せうがんに分れたり。おほいなる龕には頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には褐色の尖帽をせて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓にへづくゑ花形はながたの燭臺、そのほかの飾をば肩胛かひがらぼね脊椎せのつちぼねなどにて細工したり。人骨の浮彫うきぼりあり。これのみならず忌まはしくも、又趣なきはこゝの拵へざまの全體なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へをはりていふやう。われも早晩いつかこゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚きたり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなるわざなりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしときわづかに生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる柑子かうじのいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又聖母の畫あり。その姿は天使に擔ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母のいこひたまひし墓穴ありて、もゝいろちいろの花これをおほひたり。われはかの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。

 この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共にめること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議のあとを話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる甲斐かひにかゝる人にならばやと折々おもふことありき。

 母上は未亡人なりき。活計くらしを立つるには、鍼仕事はりしごとして得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふあたひとあるのみなりき。われ等は屋根裏やねうらの小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年わかき畫工なりき。フエデリゴは心さとく世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも/\遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとぞ。その國の名をば璉馬デンマルクといへり。當時われは世の中にいろ/\の國語ありといふことを解せねば、畫工が我が言ふことをさとらぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれはわれを可笑をかしきものにおもひて、をり/\このみをわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと畫工とは幾時も立たぬに中善くなりぬ。われは畫工を愛しき。母上もをり/\かれは善き人なりとのたまひき。さるほどにわれはとある夕母上とフラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技藝家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの異國人は地獄にちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異國人のうちにはかの男の如く惡しき事をば一たびもせざるもの多し。かのともがらは貧き人に逢ふときは物取らせてをしむことなし。かの輩は債あるときは期をあやまたず額をたがへずして拂ふなり。しかのみならず、かの輩は吾邦人のうちなる多人數の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ此の如くなりき。

 フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中をめぐりありく惡魔は、邪宗の人の所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、強ひてこれを誘はむとすることなし。このゆゑに彼輩は何の苦もなく善行をなし、罪惡をのがる。善き加特力カトリコオ教徒はこれとことにて神の愛子まなごなり、これをおとしいれむには惡魔はさま/″\の手立を用ゐざること能はず。惡魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉體にも惡魔にも誘はるゝことなしと答へき。

 母上はこれを聞きて復た言ふべきこともあらねば、便びんなき少年の上をおもひて大息といきつき給ひぬ。かたへぎきせしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて燄に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき畫をかく人なるに。

 わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人はペツポのをぢなりき。惡人あくにんペツポといふも西班牙磴スパニアいしだんの王といふも皆その人の綽號あだななりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御しゆつぎよましましき。(西班牙廣こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く廣き石級あり。この石級は羅馬の乞兒かたゐの集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)ペツポのをぢは生れつき兩の足痿えたる人なり。當時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて歩くこといと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さはすこやかなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞兒の如く憐を乞ふにもあらず。唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、いつはりありげにおもてをしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族みうちにかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば/\我に向ひて、そなたのためならば、彼につきあひおくとのたまひき。餘所よその人の此世にありて求むるものをば、かの人かたみの底にをさめて持ちたり。若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上はたのみたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたるめくら乞兒かたゐありて、往きかふ人の「バヨツコ」(我二錢ばかりに當る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵トルヲの小筒をさら/\と鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽をり動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに、錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは盜人なり。我錢をぬすやつなり。立派に廢人かたはといはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。

 大祭日には、母につきてをぢがりよろこびにゆきぬ。その折には苞苴みやげもてゆくことなるが、そはをぢがたしなめるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢと呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を與へ、果子をな買ひそ、果子は食ひをはりたるとき、迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。

 をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一には窓といふものなく、また一には壁の上の端に、破硝子やれガラスを紙もて補ひたる小窓ありき。臥床ふしどの用をもなしたる大箱と、衣ををさむる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をぢがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我をおどさむとおもふときは、必ずをぢを案山子かゝしに使ひ給ひき。母上のたまひけるやう。かく惡劇いたづらせば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝もいしだんの上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ。われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。

 向ひの家の壁には、小龕せうがんをしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前にひざまづきて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろ/\の紐、珠、銀色したるしんの臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時英吉利イギリス人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひをはるを待ちて、をさらしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるをにくみ給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の眸を垂れ給へと願ひき。

 わが餘所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は靜けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、伊太利イタリアの美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時のうつるを知らざることしば/\なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居あり)と家々のむねとを越えて、紅に染まりたる地平線のわたりに、眞黒まくろに浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狹く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にてとざされたり。庭ごとに石にてたゝみたる井ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき。緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覺えて、ここにも怪しき境ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖のさきにて窓硝子を淨め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に當りたる木々の枝には、汝が食ふべきこのみおほく熟すべしとのたまひき。


   隧道、ちご


 我家に宿りたる畫工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。畫を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作りをはりたるとき、われをさなき物語して慰むるに、かれも今はわが國の詞をして、面白がりたり。われは既に一たび畫工に隨ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戲の日まで猛獸を押し込めおきて、つねに無辜むこの俘囚を獅子、「イヱナ」獸なんどの餌としたりと聞く、かの暗き洞の深き處まで入りしことあり。洞のうちなる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火たいまつを、絶えず石壁に振り當てたる僧、深き池の水の、鏡の如くあきらかにて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて觸れ探らではかなはざるほどなる、いづれもわが空想を激したりき。われは怖をば懷かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。

 街のはつる處に、「コリゼエオ」(大觀棚おほさじき)の頂見えたるとき、われ等はかの洞の方へゆくにや、と畫工に問ひしに、否、あれよりははるかに大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色とともに寫すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、古の混堂ゆやあとを圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に揷し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側にり下げたる一束のまぐさを食ひつゝ、ひとりしづかに歩みゆけり。やう/\女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝餐あさげたうべ、岩間より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞のうちには、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨びろおどなんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたるつたの、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿間たにまなる葡萄架ぶだうだなを見る心地す。洞の前數歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今はつひえて斷礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道すゐだうなりしが、なかばはおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時猶存じたるは、聖セバスチヤノ寺の内なる穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだいくばくもあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。

 深きところには、やはらかなる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心をさなごゝろに何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つともし、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷ひとまきの絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂をよぎりぬ。こゝは始て基督教に歸依きえしたる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火ともしびさしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里ナポリに近き聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘ギリシア文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇やそ基督キリスト神子かみのこ救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕ボタンの孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこにうづくまりて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石にこしかけて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。

 われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさま/″\の奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかくよしなき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あないぶかし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれはしきりに俯して、地上のものを搜しもとむる如し。かれは又火を新なる蝋燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色けしきただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。

 この時畫工は聲を勵まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこにすわりゐよ、と云ひしが、又眉をひそめて地を見たり。われは畫工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。畫工は、そちは善き子なり、畫かきてや遣らむ、果子をや與へむ、こゝに錢もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる錢をば、ことごとく我に與へき。我はこれを受くるとき、畫工の手の氷の如くひやゝかになりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよ/\騷ぎ出し、母を呼びてます/\泣きぬ。畫工はこの時我肩を掴みて、はげしくゆすりうごかし、靜にせずば打擲ちやうちやくせむ、といひしが、急に手巾ハンケチを引き出して、我腕を縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ/\、畫工は又地上をかいさぐりぬ。

 さる程に、地上なりし蝋燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを搜しもとむる忙しさに、流るゝこといよ/\早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして歩を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸を抱きて大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりにきびしく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の間に指さし入れしに、例の絲をつまみ得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を〈[#「てへん+參」、10-下段-6]〉りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にぞ繋ぎ留められける。

 われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の暖に照りたる、天の蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴは又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀のとけい〈[#「金+表」、10-下段-13]〉を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて與へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はやこと/″\く忘れ果てたり。されど此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く聖母マドンナのおほん惠にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる絲を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝことなかれといひき。

 フラア・マルチノがこの詞と、或る知人のたはむれに、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は奈何いかなる故とも知らねど、女といふ女は側に來らるゝだに厭はしう覺えき。母上のところに來る婦人は、人の妻ともいはず、處女をとめともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひし、ひて我に接吻せむとしたり。就中なかんづくマリウチアといふ娘は、この戲にて我を泣かすることしば/\なりき。マリウチアは活溌なる少女なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、華靡はでやかなる色の衣をよそひて、幅廣き白き麻布もて髮を卷けり。この少女フエデリゴが畫の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに來て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われうけがはねば、この少女しば/\武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては猶穉兒をさなごなりけり、乳房ふくませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ慌てゝぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、兩膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう/\胸の方へ引き寄せたり。われは少女が揷したる銀の矢を拔きたるに、豐なる髮は波打ちて、我身をも、あらはれたる少女が肩をもおほはむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつゝマリウチアがなすわざを勸め勵まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、ひそかに此群をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。

 夕ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよきさがなりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き衷甸ばしやに乘りて、金色に裝ひたるしもべあまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる獻身者の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべしとおもひき。殊に願はしく覺えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に歸依せしむる事なりき。

 母上のいかにフラア・マルチノはかり給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我にちひさき衣を着せ、其上に白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで屆きて、寺に仕ふるちごの着るものに同じかりき。母上はかく爲立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗カツプチヨオの寺にゆきてちごとなり、火伴なかまの童達と共に、おほいなる弔香爐つりかうろを提げて儀にあづかり、また贄卓にへづくゑの前に出でゝ讚美歌をうたひき。總ての指圖をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる神の使の童の顏を悉くおぼえ、柱の上なるうねりたる摸樣を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戰ひたる、美しき聖ミケルを面前に見ることを得るやうになり、鋪床ゆかに刻みたる髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを見てはさま/″\の怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、惡鬼の頭を踏みつけ、鎗をその上に加へたるは、名高き畫なり。)


   美小鬟、即興詩人


 萬聖祭には衆人もろひととも骨龕ほねのほくらにありき。こはフラア・マルチノの嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆經をじゆするに、我は火伴なかまの童二人と共に、髑髏の贄卓にへづくゑの前に立ちて、提香爐ひさげかうろを振り動したり。骨もて作りたる燭臺に、けふは火を點したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ額に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた集ひ來ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我をあはれみ給へ、と唱へ出す加特力カトリコオ教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝をかゞめて拜したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦卷ける香の烟の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち目守まもり居たりしに、こはいかに、我身の周圍めぐりの物、皆獨樂こまの如くに𢌞り出しつ。物を見るに、すべて大なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘もゝばかりも、一時に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は氣を喪ひき。人あまた集ひて、鬱陶うつたうしくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩暈めまひのもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる檸檬リモネの木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。

 わが夢の裡に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆神のわざなりといひき。ひじりのみたまは面前を飛び過ぎ給ひしかど、はるかなき童のそのひかり耀かゞやけるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きといつはりて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。

 さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信おとづれ來て、救世主のうまれ給ひしは今ぞ、と笛の音に知らせありきぬ。この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な/\むるが常となりぬ。覺むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督キリストの像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの例なるが、我はことし其一人に當りたるなり。

 吾齡わがよはひはじめて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歡びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、畫工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓にはかもを被ひたり。われはよその子供の如く、そらんじたるまゝの説教をなしき。聖母のむねより血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねなりき。我順番になりて、衆人に仰ぎ見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小兒の中にて、尤も人々の氣に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず優しき姿、驚くべきまでしほらしき顏つき、調しらべ清き樂に似たる聲音こわねに、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ聲高く、あの女の子の贄卓に畫ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの女子の怪しく濃き目の色、鴉青からすばいろの髮、をさなくて又怜悧さかしげなる顏、美しき紅葉もみぢのやうなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心にはねたましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。

 鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇さうびの枝の緑の葉をついばめども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひにははりの間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば/\此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれをせざりき。

 母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しば/\ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語りかぬ間に、かれ等は早く聽きみき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人ややどれる、といひき。フラア・マルチノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内に舍れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。

 母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の晝すぎ、トラステヱエルテヱエル河の右岸なる羅馬の市區)なる友だちを訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中單チヨキの代にその頃着る習なりし絹の胸當をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾えりぎぬをば幅廣きひだたゝみたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。

 とぶらひをはりて、家路に向ふころは、はや頗る遲くなりたれど、月影さやけく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「チプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの常磐樹ときはぎ立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空にゑがきたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色、またたぐひなりき。國を去りての後も、テヱエルの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいとげに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車こひきぐるまの鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱、黒き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子をとめごさへ、扁鼓ひらづゝみ手にりて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をばいさゝか注すべし。こは單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、ねる如き早足にて半圈に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾もすそかゝぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。)サンタ、マリア、デルラ、ロツンダの街に來て見れば、こゝはまだいと賑はし。魚蝋ぎよらふの烟を風のまにまに吹きなびかせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂ラウレオの青枝もて編みたる籠に貨物しろものを載せたるを飾りたるは、肉ひさぐ男、くだもの賣る女などなり。剥栗むきぐり並べたる釜の下よりは、火燄立昇りたり。賈人あきうどの物いひかはす聲の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる爭とやおもふらむ。魚賣る女の店の前にて、母上識る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の蝋燭流れ盡むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。

 こゝに古き殿づくりあり。こゝろなく投げかさねたらむやうに見ゆる、いしずゑの間より、水流れ落ちて、月はあたかも好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯うみのかみの像は、重き石衣いしごろもを風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭らつぱ吹くトリイトンの神二人海馬を馭したり。その下には、豐に水をたゝへたる大水盤あり。盤をめぐれる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明の裡に臥したり。り碎きたる西瓜より、紅の露滴りたるが其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫じゆばん一枚、鞣革なめしがははかま一つなるが、その袴さへ、控鈕ボタンはづれて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」のいと、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又かなづること一節。農夫どもはたなそこ打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常よのつねの歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調はいとたへなり。童の歌ひけるやう。青き空をふすまとして、白き石を枕としたる寢ごゝろの好さよ。かくて笛手ふえふき二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を指したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群は、皆戀人の上安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て、サンピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の戀人の上安かれと祈りて飮まむ。又世の中にあらむ限の、の手開かぬ少女が上をも、皆安かれと祈りて飮まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髮に揷す箭をいへるにて、處女の箭には握りたる手あり、とつぎたる女の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇をひね〈[#「てへん+諂のつくり」、13-下-25]〉りて、さて母御の上をも、又その童の鬚ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讚め給へば、農夫どもゝジヤコモうまさよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明の中なる群を、寫さむとしたる畫工フエデリゴなりき。歸途には畫工と母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り戲れき。その時畫工は、かの童を即興詩人とぞいひける。

 フエデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即興の詩を作れ。そなたは固より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作のたねになりしは、向ひなる枯肉鋪ひものみせなりしこそ可笑をかしけれ。此家の貨物しろものならべ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂ラウレオの枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪の塊懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙卷きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈と共に、このまぼろしの境を照せり。我詩には、店の卓の上なる猫兒ねこ、店の女房と價を爭ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、殘ることなく入りぬ。此詩をば、幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又街をえて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテ神曲ヂヰナ、コメヂアとはかゝるものか、とぞたゝへける。

 これを手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、提香爐ひさげかうろを打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人あきうどとゞろく車の間に立ちても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる、ちさ臥床ふしどの中にありても、たゞ詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ちりて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如きことなる世ありとぞ覺えし。北山おろしはげしうして、白雪街を籠め、廣こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、我喜限なかりき。うらむらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には年ゆたかなるきざしとて、羊のかはころもきたる農夫ども、手をちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水に雨は、晴れなんとする空にかゝれる虹の影映りて。


   花祭


 六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノアルバノ山間の小都會なり。羅馬と沼澤との間なる街道に近し。)母上とも、マリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と招牌かんばん懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約をまむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの餘に、我眠のおだやかならざりしも、ことわりなるべし。

「ヱツツリノ」といふ車の門前に來しときは、日未だ昇らざりき。我等は直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ山に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身のほとりなる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もてましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。街道の靜けさ、鐵物かなものいかめしき閭門りよもん、見わたす限遙なるカムパニアの野邊に、物寂しき墳墓のところ/″\に立てる、遠山の裾をめたる濃き朝霧など、我がためにはこたび觀るべき、めでたき祕事の前兆の如くおもはれぬ。道の傍に十字架あり。そが上には枯髏されこうべ殘れり。こはつみなき人を脅したるむくいに、こゝに刑せられし強人ぬすびとの骨なるべし。これさへ我心を動すことたゞならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多あまたかけひの數をば、はじめこそ讀み見むとしつれ、幾程もあらぬに、みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。壞れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。

 アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をばかちにてぞゆく。木犀草もくせいさう(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹オリワの蔭は涼しくして、憩ふ人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子の一群笑ひ戲れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戲れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黒き橄欖の林の間に見えたるをば、神の使がたはむれに据ゑかへたるサンピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。索にてかれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた其めぐりにつどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に來て聖母の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、脊の上などにて翻筋斗とんぼがへりす。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遲るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の環飾編むを助けむとのたまへば、甲斐なかりき。

 幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたづね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミといふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。驢馬あまたそを飮まむとて、めぐりに集ひたり。

 料理屋に立ち入りて見るに賑しき物音我等を迎へたり。かまどには火燃えて、鍋の裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人も田舍人も、それに倚りて、酒飮み、醃藏しほづけにせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき薔薇花を活けたるが、其傍なる燈は、棚引く烟に壓されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる卓に置きたる乾酪の上をば、猫跳り越えたり、鷄の群は、我等が脚にまつはれて、踏まるゝをも厭はじと覺ゆ。アンジエリカは快く我等を迎へき。險しきはしごを登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を饗せられき。我心にては、國王のうたげに召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ其瓶に飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に栓がはりに揷したるは、わづかに開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我もいなともとも云ふ暇なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬をさすり、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖てさきの隱るゝまで袖を引き、又頸を越すまで襟を揚げなどして、やう/\心をやすんじ給ひき。アンジエリカは我をき兒なりと讚めき。

 食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋あづまやめきたり。細きおばしまをば、こゝに野生したる蘆薈ろくわいの、太く堅き葉にて援けたり。これ自然のまがきなり。看卸みおろせば深き湖の面いと靜なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄だな、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。彼方の山腹の尖りたるところにネミの市あり。其影は湖の底にうつりたり。我等は花を採り、梢を折りて、且行き且編みたり。あらせいとうの間には、露けき橄欖の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、たちまち草木に遮られ、乍ち又一樣なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歡喜の情は、我魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋沒したる古城の彩石壁畫ムザイコゑの如く、我心目に浮び出づることあり。

 日は烈しかりき。湖のほとりに降りゆきて、葡萄蔓えびかづら纏へる「プラタノ」の古樹の、長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔に涼しさを迎へて、編みものに心籠むることを得つ。水草の美しき頭の、蔭にありて、しづかうなづくさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上氣づかひ給へば、數歩の外には出でざりき。こゝには古きヂアナほこらあとあり。その破壞してかたばかりになりたる裡に、大なる無花果樹いちじゆくあり。蔦蘿つたかづらは隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹にぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。

〈[#「”」は下付き]〉―Ah rossi, rossi flori,

Un mazzo di violi!

Un gelsomin d'amore―“

(あはれ、赤き、赤き花よ。

すみれたばよ。

戀のしるしの素馨そけい〔ジエルソミノ〕の花よ。)

この時あやしく咳枯しはがれたる聲にて、歌ひつぐ人あり。

〈[#「”」は下付き]〉―Per dar al mio bene!“

(摘みて取らせむその人に。)

 忽ちフラスカアチの農家の婦人の裝したるおうなありて、我前に立ち現れぬ。その脊はあやしき迄眞直なり。その顏の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白紗のためにや。はだへの皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳はまぶちめん程なり。この媼は初め微笑ほゝゑみつゝ我を見しが、俄に色を正して、我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊みいらにはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくぞなるべき。彼の目にはさいはひの星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我唇におし當てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その月桂の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな當てそといふ。此時アンジエリカまがきの後より出でゝいふやう。賢き老女、フラスカアチフルヰア。そなたも明日の祭の料にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニアのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、詞をぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるときうまれぬ。名もたからも牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、くろき衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩ごま焚きて神に仕ふべきか、いばらの道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふこゝろぞ、とは心得たりと覺えられき。されど當時は、我等悉く媼が詞の顛末もとすゑすること能はざりき。媼のいふやう。あらず。此兒が衆人もろひとの前にて説くところは、げに格子のうちなる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大なる帽にあらず。さいはひの座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲの山より高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶いぶかしげにもてなして、太き息つきつゝ宣給のたまふやう。あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車よりさいはひの車は高きものを、かゝるをさな子のいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なるは上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、めぐるに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれにつまづく習ぞといふ。母上は半ば戲のやうに、さらばその福の車に、われも倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる鷙鳥してうありて、さと落し來たりしに、その翼の前なる湖を撃ちたるとき、飛沫は我等が面をうるほしき。雲の上にて、鋭くも水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く來りてつかみたるなり。刃の如き爪は魚の脊を穿うがちたり。さて再び空に揚らむとするに、騷ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと爭ひたり。鳥も打ち込みたる爪拔けざれば、今更にその獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との鬪はいよ/\激しく、湖水の面ゆらぐまに/\、幾重ともなき大なる環を畫き出せり。鳥の翼は忽ちをさまり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。數分時の後、雙翼靜に水を蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはたゝく勢に、偏翼くだけ折るゝ聲、岸のほとりに聞えぬ。鳥は殘れる翼にて、二たび三たび水を敲き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は詞もあらで、此光景ありさまを眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。

 我等は詞少く歸路をいそぎぬ。森の木葉このはのしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、夕照ゆふばえは湖水に映じてわづかにゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる單調なる物音は粉碾車こひきぐるまきしるなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカはゆく/\怪しき老女が上を物語りぬ。かの媼は藥草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ。オレワアノといふ所に、テレザといふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを戀ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髮とジユウゼツペが髮とを結び合せて、銅の器に入れ、藥草をまじへて煮き。ジユウゼツペは其日より、晝も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てゝ歸り來ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に歸り着きて、我心は纔におちゐたり。

 新に編みたる環飾一つを懸けたる、眞鍮の燈には、四條よすぢしんに殘なく火を點し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふうまきものに、善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飮み歌へり。二人代る/″\唱へ、末の句に至りて、坐客ひとしく和したり。我が子供と共に、燃ゆる竈の傍なる聖母の像のみまへにゆきて、讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりとたゝへき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給のたまふやう。そちは香爐をひさぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも傳ふべきに、今いかでかさる戲せらるべき。謝肉カルネワレの祭はまだ來ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の廣き臥床ふしどに上りしときは、母上我枕の低きを厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、たのみある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我はあさひの光窓を照して、美しき花祭の我をさますまで、穩なる夢を結びぬ。

 そのあした先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もておほひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生そのふの草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には大なる緑の葉を、帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帶の隣には又似寄りたる帶を引きて、その間をば暗紅なる花もて填めたり。これを街のかも小縁さゝへりとす。中央には黄なる花多くあつめて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭ながしらの字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花とつらね、葉と葉と合せて形を作りたり。總ての摸樣は、まことに活きたる五色のかもと見るべく、又彩石ムザイコを組み合せたるとこと見るべし。されどポムペイにありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き寶石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁をおほひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の圖を成したり。こゝには聖母とをさなき基督とをせたるうさぎうまあり、ジユウゼツペその口を取りたり。顏、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあらせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風にひるがへりたる衣を織り成せり。その冠を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き睡蓮ひつじぐさ(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケルの毒龍と鬪へるあり。尊きロザリアは深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく樂しげなり。美しき衣着裝きよそひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより來し異國人ことくにびとなるべし。街の側には、おのがじし飾り繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる噴井あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神のかうべの前に立てり。

 日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の氈を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音樂、謳歌の聲は、その近づくを知らせたり。贄櫃モンストランチアの前には、ちごあまた提香爐ひさげかうろを振り動かして歩めり。これに續きたるは、こゝらあたりの美しき少女をり出でて、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小兒等は、高卓たかづくゑの前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の來るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を印したる紐のひら/\としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、頸に懸けたり。斜に肩に掛けたる、いろどりたる紐は、黒天鵝絨びろおどの上衣に映じて美し。アルバノフラスカアチの少女の群は、髮を編みて、しろがねにて留め、薄き面紗ヴエールの端を、やさしくもとゞりの上にて結びたり。ヱルレトリの少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、圓き乳房のあらはるゝやうに着たる衣に、襟のあたりより、いろどりたるきれを下げたり。アプルツチイよりも、大澤たいたくよりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ來て、おの/\古風を存じたる打扮いでたちしたれば、その入り亂れたるを見るときは、餘所よその國にはあるまじき奇觀なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美はでやかなる式の衣を着けて歩み來たるは、「カルヂナアレ」なり。さま/″\の宗派に屬する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに隨へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後にいて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩をおさへて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ歩を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の諸聲もろごゑに叫ぶを聞きつ。我等は彼方へおし遣られ、又此方へおし戻されき。こは一二頭の仗馬ぢやうめの物にぢて駈け出したるなり。われはわづかにこの事を聞きたる時、騷ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ。目の前は黒くなりて、頭の上には瀑布たきの水漲り落つる如くなりき。

 あはれ、神の母よ、哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を憶ふごとに、身うち震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウチアは泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。側には母上地によこたはり居給ふ。これを圍みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたるまゝにて、たふれたる母上の上を過ぎ、わだちは胸を碎きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。

 人々は母上の目をねむらせ、その掌を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覺えしものを。遺體をば、僧たち寺にき入れぬ。マリウチアは手に淺痍あさで負ひたる我を伴ひて、さきの酒店さかみせに歸りぬ。きのふは此酒店にて、樂しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上のかひなを枕にして眠りしものを。當時わがいよ/\まことのみなしごになりしをば、まだくも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子くわし、くだもの、玩具もてあそびものなど與へて、なだめすかし、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥してうの事、怪しきおうなの事、母上の夢の事など語り、誰も/\母上の死をば豫め知りたりと誇れり。

 暴馬あれうまは街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡よはひ四十の上を一つ二つえたる貴人の驚怖のあまりに氣をうしなはんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼうからにて、アルバノフラスカアチとの間に、大なる別墅べつしよかまへ、そこのそのにはめづらしき草花を植ゑてたのしみとせりとなり。世にはこのおきなもあやしき藥草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らずなど云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たるしもべ盾銀たてぎん(スクヂイ)二十枚入りたるふくろを我におくりぬ。

 翌日の夕まだ「アヱ、マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞いとまごひせしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣はれぎのまゝにて、狹き木棺のうちに臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々共音ともねに泣きぬ。寺門にはひつぎを擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチアは我をきて柩のかたへに隨へり。斜日ゆふひおほはざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ𢌞りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古ほごひねりて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列のよぎりし街なり。木葉このはも草花も猶地上にあり。されど當時織り成したる華紋は、吾少時のさいはひと倶に、きのふの祭の樂と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂つかあなの穹窿をふさぎたる大石を推し退け、柩を下ししに、底なるほかの柩と相觸れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアは我を石上にひざまづかせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(祷爲我等いのれわれらがために)を唱へしめき。

 ジエンツアノを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノいたゞきめぐれり。我がカムパニアの野を飛びゆく輕き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。いくばくもあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顏を見てほゝ笑み給へり。


   蹇丐


 羅馬なる母上の住み給ひし家に歸りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マルチノカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が上にては得易からぬ寶なれば、この兒を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この兒は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香爐を提げて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう。われは此兒をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然るべき人を見立て、これにあづくるにかずといふ。マルチノ思ひ定めかねて、僧たちとはからんとていぬる折柄、ペツポのをぢは例の木履きぐつを手に穿きていざり來ぬ。をぢは母上のみまかり給ひしを聞き、又人の我に盾銀二十をおくりしを聞き、母上の追悼くやみよりは、かの金の發落なりゆきのこゝろづかひのために、こゝにはおとづれ來ぬるなり。をぢは聲振り立てゝいふやう。このみなしごうからにて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、おのれフラア・マルチノ其餘の人々とこゝの始末をば油斷なく取り行ふべければ、おのが一身をだにもてあましたる乞丐かたゐの益なきこと言はんより、疾く歸れといふ。フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアペツポのをぢとは、跡に殘りてはしたなく言ひ罵り、いづれも多少の利慾を離れざる、きたなき爭をなしたり。マリウチアのいふやう。この兒をさほどしと思はゞ、直に連れて歸りても好し。若しあばら二三本打ち折りて、おなじやうなる畸形かたはとなし、往來ゆきゝの人の袖に縋らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われこゝに持ち居れば、フラア・マルチノの來給ふまで、決して他人に渡さじといふ。ペツポ怒りて、かたくななる女かな、この木履もてそちが頭に、ピアツツア、デル、ポヽロ通衢おほぢのやうなる穴を穿けんと叫びぬ。われは二人が間に立ちて、泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう。唯だ我に隨ひ來よ。我を頼めよ。この負擔だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや。かく云ひつゝ、強ひて我をきて戸を出でたるに、こゝには襤褸ぼろ着たるわらべありて、一頭のうさぎうまけり。をぢは遠きところに往くとき、又急ぐことあるときは、枯れたる足を、驢の兩脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ體になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかくりて來しなるべし。をぢは我をも驢背ろはいに抱き上げたるに、かの童は後より一鞭加へて驅けいださせつ。途すがらをぢは、いつもの厭はしきさまにすかし慰めき。見よ吾兒。よき驢にあらずや。走るさまは、「コルソオ」の競馬にも似ずや。我家にゆき着かば、樂しき世を送らせん。神の使もえけぬやうなる饗應もてなしすべし。この話の末は、マリウチアを罵る千言萬句、いつ果つべしとも覺えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて、驢をむちうたしむること少ければ、道行く人々皆このあやしき凹騎ふたりのりに目をけて、美しき兒なり、何處よりか盜み來し、と問ひぬ。をぢはその度ごとにわが身上話を繰り返しつ。この話をば、ほと/\道の曲りめごとにさらへ行くほどに、賣漿婆みづうりばゞはをぢが長物語のむくいに、檸檬リモネ一杯ひとつきたゞにて與へ、をぢと我とに分ち飮ましめ、又別に臨みて我にさねの落ち去りたる松子まつのみ一つ得させつ。

 まだをぢがすみかにゆき着かぬに、日は暮れぬ。我は一言をも出さず、顏をおほうて泣き居たり。をぢは我を抱きおろして、例の大部屋の側なる狹き一間につれゆき、一隅に玉蜀黍たうもろこしさや敷きたるを指し示し、あれこそ汝が臥床ふしどなれ、さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし、と我頬を撫でゝ微笑ほゝゑみたる、その面恐しきことたとへんに物なし。マリウチアが持ちたる嚢には、猶銀幾ばくかある。馭者エツツリノに與ふる錢をも、あの中よりや出しゝ。貴人の僕は、金もて來しとき、何といひしか。かく問ひ掛けられて、我はたゞ知らずとのみ答へ、はては泣聲になりて、いつまでもこゝに居ることにや、あすは家に歸らるゝことにや、と問ひぬ。勿論なり。いかでか歸られぬ事あらん。おとなしくそこに寐よ。「アヱ、マリア」を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字をりて寐よ。この鐵壁をばたけ獅子しゝも越えずといふ。神を祈らば、あのマリウチア腐女くさりをんなが、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒にあたり、惡瘡を發するやうに呪へかし。おとなしく寐よ。小窓をば開けておくべし。涼風すゞかぜ夕餉ゆふげの半といふ諺あり。蝙蝠かはほりをなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に熟寐うまいせよ。斯く云ひをはりて、をぢは戸をぢて去りぬ。

 をぢの部屋には久しく立ち働く音聞えしが、今は人あまたつどへりと覺しく、さま/″\の聲して、戸のひまよりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわ/\と鳴らば、おそろしきをぢの又入來ることもやと、いとしづかに起き上りて、戸の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。卓には麺包パンあり、莱菔だいこんあり。一瓶の酒を置いて、丐兒かたゐあまたさかづきのとりやりす。一人として畸形かたはならぬはなし。いつもの顏色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。晝はモンテ、ピンチヨオの草をしとねとし、繃帶したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇をうごかすのみにて、傍にはべらせたる妻といふ女に、熱にて死になん/\としたる我夫を憐み給へ、といはせたるロレンツオは、高趺たかあぐらかきて面白げに饒舌しやべり立てたり。(注。モンテ、ピンチヨオには公園あり。西班牙スパニヤいしだん法蘭西フランス大學院よりポルタ、デル、ポヽロに至る。羅馬の市の過半とヰルラ、ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指墮ちたるフランチアは盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエエレ、トルキノ」の曲を歌へり。戸に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騷ぎ立ちぬ。あの小童こわつぱ物の用に立つべきか、身内に何の畸形かたはなるところかある、と一人云へば、をぢ答へて。聖母は無慈悲にも、創一つなく育たせしに、たけ伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なりといふ。さちなきことよ、と皆口々に笑ひぬ。めしひたるカテリナのいふやう。さりとて聖母の天上の飯をたまふまでは、此世の飯をもらふすべなくては叶はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が群に入れよといふ。をぢ。否〻母親だに迂闊ならずば、今日を待たず、善き金の蔓となすべかりしものを。神の使のやうなる善き聲なり。法皇の伶人には恰好なる童なり。人々は我齡を算へ、我がためにさでかなはぬ事を商量したり。その何事なるかは知らねど、善きことにはあらず。奈何いかにしてこゝをばのがれむ。われは穉心をさなごころにあらん限りの智慧を絞り出しつ。もとよりいづこをさして往かんと迄は、一たびも思ひ計らざりき。鋪板ゆかを這ひて窓の下にいたり、木片きのきれありしを踏臺にして窓に上りぬ。家は皆戸を閉ぢたり。街には人行絶えたり。逭るゝには飛びおるゝより外に道なし。されどそれも恐ろし。とつおいつする折しも、この挾き間の戸ざしに手を掛くる如き音したれば、覺えず窓縁まどぶちをすべりおちて、石垣づたひに地にちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。

 跳ね起きて、いづくをあてともなく、狹く曲りたるちまたを走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石をたゝき、高聲にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして廣きところに出でぬ。こゝは見覺あるフオヽルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。


   露宿、わかれ


 月はカピトリウム(羅馬七陵の一)の背後を照せり。セプチミウス・セヱルス帝の凱旋門に登るいしだんの上には、大外套被りて臥したる乞兒かたゐ二三人あり。いにしへの神殿のなごりなる高き石柱は、長き影を地上に印せり。われはこの夕まで、日暮れてこゝに來しことなかりき。鬼氣は少年の衣を襲へり。歩をうつす間、高草の底に横はりたる大理石の柱頭につまづきて倒れ、また起き上りて帝王堡ていわうはうの方を仰ぎ見つ。高き石がきは、まつはれたる蔦かづらのために、いよゝおそろしなり。青き空をかすめて、ところ/″\に立てるは、眞黒まくろにおほいなるいとすぎの木なり。こぼれたる柱、碎けたる石の間には、放飼はなしがひうさぎうまあり、牛ありて草をみたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我をくるしめざる生物こそあれ。

 月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の來り近づくあり。若し我をもとむるものならば奈何せん。われは巨巖の如くに我前に在る「コリゼエオ」にかくれたり。われは猶きのふらくしたる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くしてまたひやゝかなり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど谺響こだまにひゞく足音あのとおそろしければ、しづかに歩を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニアの野邊を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝをまもる兵土にや。はたぬすびとにや。さおもへば打物の石に觸るゝ音も聞ゆる如し。われは却歩あとしざりして、高き圓柱の上に、木梢こずゑ蔦蘿つたかづらとのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影往來す。處々にけ出でたる截石きりいしまさおちんとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。

 上の方なる中の廊を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて來ぬるなるべし。その一群のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に續松ついまつとらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ちあらはれ忽ち隱るゝ光景今も見ゆらん心地す。

 暗碧なる夜は大地を覆ひ來たり、高低さまざまなる木は天鵝絨びろうどの如き色に見ゆ。一葉ごとに夜氣を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりはげきとして物音絶えたり。この遺址ゐしのうちには、耶蘇教徒が立てたる木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に埋もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。寐られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の昔語なり。猶太ユダヤ教奉ずる囚人が、羅馬のみかどの嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獸を鬪はせ、又人と獸と相たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事、皆我當時の心頭に上りぬ。

 そも/\この「コリゼエオ」は楕圓なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十餘年の後、ヱスパジアヌス帝の時、この工事を起しつ。これに役せられたる猶太教徒の數一萬二千人とぞ聞えし。櫛形の迫持せりもち八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の周匝めぐりには八萬六千坐を設け、頂に二萬人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン卿詩あり。

このにはのあらん限は

内日うちひす都もあらん

このにはのなからん時は

うちひさす都もあらじ

うちひさす都あらずば

あはれ/\この世間よのなかもあらじとぞおもふ

 頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、つちふるひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き髯長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み疊ぬる石は見る見る高くなりぬ。「コリゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタの神の巫女みこあり。帝王の座も設けられたり。赤條々あかはだかなる力士の血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、ゆる聲聞ゆ。忽ち虎豹の群ありて我前をはしり過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共のむらがりたる間にも、幸なるかな、大なる十字架のきつとして立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、しかと抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我はた人事をしらず。

 人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。

 幾時をか眠りけん。歌の聲にむれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭をりて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、あはれめ)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。俯して我面を見るものは、フラア・マルチノなりき。わが色蒼ざめてこゝにあるをいぶかりて、何事のありしぞと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツポのをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて、我を見棄て給ふなと願ひぬ。連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。

 僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫をてうしたる房に入り、檸檬リモネ樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノは我をペツポが許へはかへさじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをばあしなへたる丐兒かたゐにわたされずとのたまふを聞きつ。

 午のころ僧は莱菔あほね麪包パン、葡萄酒を取り來りて我に飮啖いんたんせしめ、さてかたちを正していふやう。便びんなき童よ。母だに世にあらば、このわかれはあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙をおとし給ふ聖母をな忘れそ。汝がうからといふものは、その外にあらじかし。此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニアの野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて教へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチアと其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポのをぢのよりりたるべし。塵を蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿き、膝をあらはし、野の花を揷したる尖帽せんばうを戴けり。かれはひざまづきて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチアは財嚢を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆默祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染なじみの諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乘りてゆき給ふ耶蘇、贄卓にへづくゑの神の使、美しきミケルはいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏どくろにも暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、繪入の小册子をおくりぬ。

 既に別れて、ピアツツア、バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。


   曠野あらの


 羅馬城のめぐりなる大曠野だいくわうやは、今我すみかとなりぬ。古跡をたづね、美術を究めんと、初てテヱエル河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に歩をとゞめて、これを萬國史の一ひらと看做みなすなり。てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に觸るゝもの、一つとして史册中の奇怪なる古文字にあらざるなし。畫工の來るや、古の水道のなごりなる、寂しき櫛形迫持せりもちを寫し、羊の群をひきゐたる牧者を寫し、さてその前に枯れたるあざみを寫すのみ。歸りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの/\其情を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、このこがれたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ疫癘えやみに苦められたれば、唯だあしき方、忌まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に對して、いと面白くぞ覺えし。平原の一面たる山々の濃淡いろいろなる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエルの黄なる流、これをさかのぼる舟、岸邊を牽かるゝくびきひたる牧牛、皆目新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の下なるは丈低く黄なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕かたうで隻脚かたあしは猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我すみかはこゝより遠からずとぞいふなる。

 此家は古の墳墓のあとなり。このたぐひの穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身をまもるにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なきくぼみをばめ、いらぬすきまをば塞ぎ、上に草をけば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて兩層あり。せばき戸口なるコリントスがたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古はとりでにやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の半は葦簾よしすだれに枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬にんどう(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。

 こゝが家ぞ、と途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。おきなドメニカドメニカと呼ばれて、荒𣑥あらたへ汗衫はだぎひとつ着たるおうなでぬ。手足をばことごとくあらはして髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌ぜうぜつなり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル亞伯拉罕アブラハムの子)なるぞ。されどわが饗應もてなしには足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥床ふしどはすでにこしらへ置きぬ。豆もえたるべし。ベネデツトオもそなたも食卓に就け。マリウチアはともに來ざりしか。尊きてゝ(法皇)を拜まざりしか。醃豚ラカンをば忘れざりしならん。眞鍮のかぎをも。新しき聖母の像をも。舊きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオよ。おん身ほど物覺好き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ。かく語りつゞけて、狹き一間に伴ひ入りぬ。後にはこの一間、わがためには「ワチカアノ」(法皇の宮)の廣間の如く思はれぬ。おもふに我詩才を産み出ししは、此ひとつ家ならんか。

 若き棕櫚しゆろおもきを負ふこといよ/\大にして、長ずることいよ/\早しといふ。我空想も亦この狹き處にとぢ込められて、かへりて大に發達せしならん。古の墳墓の常とて、此家には中央なる廣間あり。そのめぐりには、許多あまた小龕せうがん並びたり。又二重の幅ひろき棚あり。處々色かはりたる石をたゝみて紋を成せり。一つの龕をば食堂とし、一つには壺鉢などを藏し、一つをばくりやとなして豆を煮たり。

 老夫婦は祈祷して卓に就けり。食をはりて媼は我をきてはしごを登り、二階なる二がんにいたりぬ。是れわれ等三人の臥房ねべやなり。わが龕は戸口の向ひにて、戸口よりは最も遠きところにあり。臥床の側には、二條の木を交叉くひちがはせて、其間に布を張り、これにをさな子一人寐せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ、マリア」唱へしむるとき、美しき色澤いろつやある蜥蝪とかげ我が側を走り過ぎぬ。おそろしき物にはあらず、人をおそれこそすれ、絶てものそこなふものにはあらず、と云ひつゝ、かの穉兒をおのが龕のかたへうつしつ。壁に石一つけ落ちたるところあり。こゝより青空見ゆ。黒きつたの葉の鳥なんどの如く風に搖らるゝも見ゆ。我は十字を切りて眠に就きぬ。き母上、聖母、刑せられたる盜人の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。

 翌朝より雨ふりつゞきて、戸は開けたれどいと闇き小部屋に籠り居たり。わが帆木綿の上なる穉子をゆすぶる傍にて、媼はうみつゝ、我に新しき祈祷を教へ、まだ聞かぬひじりの上を語り、またこの野邊に出づる劫盜ひはぎの事を話せり。劫盜は旅人をねらふのみにて、牧者の家などへは來ることなしとぞ。食は葱、麺包パンなどなり。皆うまし。されど一間にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとて、戸の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黄なる流となりて、いと緩やかにながるめり。さて木を刻み葦を截りて作りたるは羅馬よりオスチアテヱエル河口の港)にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまりはげしきときは、戸をさして闇黒裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乘りたる耶蘇は今面前に見ゆる心地す。聖母の雲にりて、神の使の童供にかせ給ふも見ゆ。環かざりしたる髑髏されかうべも見ゆ。

 雨の時過ぐれば、月をゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼はいましめて遠く行かしめず、又テヱエルの河近く寄らしめず。この岸は土ゆるければ、踏むに從ひてくづるることありといへり。そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは猛き獸にて、怒るときは人を殺すと聞く。されど我はこの獸を見ることを好めり。蠎蛇をろちの鳥を呑むときは、鳥自ら飛びて其のんどに入るといふ類にやあらん。この獸の赤き目には、怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又此獸の馬の如く走るさま、力を極めて相鬪ふさま、皆わがために興ある事なりき。我は見たるところをすなに畫き、又歌につゞりて歌ひぬ。媼は我聲のめでたきをたゝへて止まず。

 時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。瀦水たまりみづは惡臭を放てり。朝夕のほかは、戸外に出づべからず。かゝる苦熱はモンテ、ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我猶おぼえたり。乞兒かたゐは人に小銅貨をねだり、麪包パンをば買はで氷水を飮めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤くさね黒きは、いづれの店にもありき。これをおもへばきて堪へがたし。この野邊にては、日光ますぐに射下せり。我が立てる影さへ我脚下に沒せんばかりなり。水牛は或は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く驅けめぐりたり。われは物語に聞ける亞弗利加アフリカ沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。

 大海の孤舟にあるが如き念をなすこと二月間、何の用事をも朝夕の涼しき間に濟ませ、終日我も出でず人も來ざりき。く如き熱、腐りたる蒸氣の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は涸れたり。テヱエルの黄なる水は生温なまぬるくなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も温し。土石の底に藏したる葡萄酒もくして、半ばたる如し。我喉は一滴の冷露を嘗むること能はざりき。天には一纖雲なく、いつもおなじ碧色にて、吹く風は唯だ熱き「シロツコ」(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。涼風の少しく動くは日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この變化なき生活にみて、殆ど死せる如くなりき。風少しく動くと覺ゆるときは、蠅ぶよなんど群がり來りて人の肌を刺せり。水牛の背にも、昆蟲あつまりて寸膚を止めねば、時々怒りて自らテヱエルの黄なる流に躍り入り、身を水底にまろがしてこれをはらひたり。羅馬の市にて、闃然げきぜんたる午時ひるどきの街を行く人は、すぢの如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつといへども、これをこの火の海にたゞよひ、硫黄氣ある毒燄を呼吸し、幾萬とも知られぬ惡蟲に膚を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ樂土の客ならんかし。

 九月になりて氣候やゝ温和になりぬ。フエデリゴはこの燒原を畫かんとて來ぬ。我が住める怪しき家、劫盜ひはぎかばねをさらしたる處、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を與へて畫の稽古せよと勸め、又折もあらば迎へに來て、フラア・マルチノマリウチア其外の人々に逢はせばやと契りおきぬ。惜むらくはこの人久しく約をまざりき。


   水牛


 十一月になりぬ。こゝに來しよりもつとも快き時節なり。さはやかなる風は山々よりおろし來ぬ。夕暮になれば、南の國ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは畫工のえうつさぬところなるべく、また敢て寫さぬものなるべし。あめ色の地に、橄欖かんらん(オリワ)の如く緑なる色の雲あるをば、樂土の苑囿ゑんいうに湧き出でたる山かと疑ひぬ。又夕映ゆふばえの赤きところに、暗碧なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには、美しき神の童あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みづから涼を取るらんとおもひやりぬ。或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、はりもて穿うがちたる紙片を目にあて、太陽を覗きはじめつ。ドメニカこれを見つけて、そは目をそこなふわざぞとて日の見えぬやうに戸をさしつ。われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことをひ、ゆるしをえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戸を推し開きつ。その時一人の男あわただしく驅け入りて、門口に立ちたる我をきまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる面を見、その震ふ唇より洩れたる「マドンナ」(聖母)といふ一聲を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて、外より戸をくものあり。裂け飛んだる板は我頭に觸れんとせり。その時戸口をふさぎたるは、血ばしるまなこを我等に注ぎたる、水牛の頭なりき。ドメニカはあと叫びて、我手を握り、上の間にゆくはしごを二足三足のぼりぬ。逃げ込みたる男は、あたりを見𢌞はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは賊なんどの入らん折の備にとて、たまをこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響と共に、烟は狹き家に滿ちわたれり。われは彼男の烟の中にて、銃把を擧げて、水牛の額を撃つを見たり。獸はせばき戸口にはさまりて前にも後にもえ動かざりしなり。

 こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ。この詞はドメニカわづかにわれにかへりたる口より出でぬ。かの男。否聖母の惠なりき。我等が命を拾ひぬとこそおもへ。さて我を抱き上げて、されどわがために戸を開きしはこの恩人なりといひき。男の面は猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。その語を聞くに外國人にあらず。その衣を見るに羅馬の貴人とおぼし。この人草木の花をづる癖あり。けふも採集に出でゝ、ポンテ、モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ來しに、圖らずも水牛の群にあひぬ。その一つ、いかなる故にか、群を離れてき來たりしが、幸にこの家の戸開きて、危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて。さらばおん身を救ひしは、疑もなく聖母のおんしわざなり。この童は聖母の愛でさせ給ふものなれば、それに戸をば開かせ給ひしなり。おん身はまだ此童を識り給はず。物讀むことにはけたれば、書きたるをも、したるをも、え讀まずといふことなし。畫かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに寫せり。「ピエトロ」寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムブロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。聲は類なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の伶人もこれには優らざるべし。そが上にさがすなほなる兒なり。善き兒なり。子供には譽めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されどこの子は、譽められても好き子なりといふ。客。この子のをさなきを見れば、おん身の腹にはあらざるべし。ドメニカ。否、老いたる無花果いちじゆくの木には、かかる芽は出でぬものなり。されど此世には、この子の親といふもの、われとベネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そはまれかくまれ、この獸をばいかにせん。(頭より血流るゝ、水牛の角を握りて。)戸口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの歸るまでは、外に出でんやうなし。こを殺しつとて、咎めらるゝことあらば、いかにすべき。客。そは心安かれ。あるじの老女おうなも聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼうからなり。媼。いかでか、と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を兩の掌の間に挾みて、媼にいふやう。あすは此子を伴ひて、羅馬に來よ。われはボルゲエゼやかたに住めり。ドメニカかたじけなしとて涙を流しつ。

 ドメニカはわが日ごろ書き棄てたる反古ほごあまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は我頬を撫で、小きサルワトル・ロオザ(名高き畫工)よと讚め稱へぬ。媼。まことにのたまふ如し。穉きものゝわざとしては、珍しくは候はずや。それ/\の形明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を寫したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその儘ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年けたる僧にも劣らじと覺ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我にはく歌ひて聞せよ、と勸めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ聖母、貴き客人、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は默坐して聽きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推しはかりつ。

 歌ひをはりしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日疾くその子を伴ひ來よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く來よ。さて我は最早退まかるべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又こゝを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなるおそれなからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覺え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、梯を上りて、穴より頭を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも讓らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、とうの束積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身をかくすに便よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を契りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籘の車に追ひすがりて、百姓の群とともに見えずなりぬ。


   みたち


 牧者二三人のたすけを得て、ベネデツトオは戸口なる水牛のかばねを取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくもおぼえず。翌朝疾く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。數月の間行李の中に鎖されゐたる我晴衣はれぎはとり出されぬ。帽には美しき薔薇の花を揷したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしははきものなり。靴とはいへど羅馬のサンダラに近く覺えられき。

 カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポヽロの廣こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる石獅の口より吐ける水をむすびて、我涸れたるのんどうるほしゝが、その味は人となりて後フアレルナチプリイの酒なんどを飮みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ポルタア、デル、ポヽロの關を入りて、ピアツツア、デル、ポヽロといふ美しく大なる廣こうぢに出づ。この廣こうぢはテヱエル河とピンチヨオ山との間にあり。兩側にはいとすぎ、亞刺比亞アラビア護謨ゴムの木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今樣なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に圍まれたる、セソストリス時代の記念塔あり。前には三條の直道あり。即ちヰア、バブヰノイル、コルソオヰア、リペツタなり。イル、コルソオの兩角をなしたるは、同じ式に建てたる兩伽藍がらんなり。歐羅巴ヨオロツパに都會多しと雖、古羅馬のピアツツア、デル、ポヽロほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣やうるほはん、髮や亂れん、とドメニカは氣遣ひぬ。ヰア、リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの館に近づきぬ。我もドメニカも、此館の前をば幾度となくよぎりしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今歩を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬へんに物なしと覺えき。殊に目をおどろかせるは、窓の裡なる長き絹のとばりなり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。

 中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。はあれどこの家居のさまこそ譬へても言はれね。ひじりと世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ/\なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の𢌞廊のいと高きが、小き園をめぐれるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈ろくわい霸王樹はわうじゆなんど、廊の柱にぢんとす。檸檬樹リモネはまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘ギリシヤの舞女の形したる像二つあり。力をあはせて、金盤一つさし上げたるがその縁少しくそばだちて、水は肩にはしり落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像をおほはんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニアの瘠土に比ぶるときは、この園の涼しさ、かぐはしさ奈何いかにぞや。

 ひろき大理石の梯を登りぬ。がんあまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人間のしき處女にぞありける。(譯者のいはく。希臘のかまどの神なり。男神二人にいどまれて、嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。)飾美しき「リフレア」着たるしもべ出で迎へつ。その面持おももちの優しさには、こゝのごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき畫をてふしたり。その間々には、玻瓈はり鏡をめ、その上に花束、はなの環など持たる神童の飛行せるを畫きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま/″\の木の實をついばめるを畫きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。

 暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、大なるさとき目を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額髮を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、我面を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしとのたまひぬ。主人。否、この兒の紅なる頬を見給へ。翼の生ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母もこの兒の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この兒を失はんことは、つらかるべし。媼。げにこの兒あらずなりなば、我小家の戸も窓も塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき兒には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに來よ。歸路は月あかゝるべし。そち達はぬすびとを恐るゝことはあらじ。主人。さなり。兒をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて來よ。斯く云ひつゝ、主人は小き財嚢かねいれドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奧に入りぬ。

 奧の座敷の美しさ、賓客の貴さに、我魂は奪はれぬ。我はあるは壁に畫ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫のくつした穿ける議官セナトオレ、紅の袴着たる僧官カルヂナアレ達を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることをいぶかりぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き龍にりたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。龍の口よりは、水高く迸り出でゝ、又盤中に落ちたり。

 貴婦人のこはをぢの命を救ひし兒ぞ、と引き合せ給ひしとき、賓客達は皆ほゝゑみて、我に詞を掛け、議官僧官さへ頷き給ひぬ。法皇の禁軍まもりのつはもの號衣しるしを着たる、わかく美しき士官は我手を握りぬ。人々さま/″\の事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その詞に、人々或は譽めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り來りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に從ひぬ。士官は我に報せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飮み乾さんとせしに、貴婦人はやく傍より取り給ひぬ。我口に入りしは少許すこしばかりなるに、その酒は火の如くほのほの如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、笑を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勸めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をかつらねけん、いまは覺えず。人々はわが詞の多かりしを、才豐なりと稱へ、わが臆せざるを、心さとしと譽めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の爲せるわざの如く、でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り來りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こはもとより戲謔に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に眞面目なる榮譽もありと覺えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチアドメニカ等に教へられし歌をうたひ、又曠野の中なる古墳の栖家すみか、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は媼に引かれて歸りぬ。くだもの、果子など多く賜り、白銀幾つか兜兒かくしにさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ/″\の外、二瓶の葡萄酒をさへあがなひひ得て、さちある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎々かう/\たる望月もちづき、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海にうかびて、こがれたるカムパニアの野邊に涼をおくり降せり。

 家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の聲、寤寐ごびの間斷えず耳目を往來せり。喜ばしきは折々我夢のうつゝになりて、又ボルゲエゼの館に迎へらるゝ事なりき。かの貴婦人はわが人に殊なる性を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに對する如く、これに對して物語するやうになりぬ。貴婦人はこれを興あることに思ひて、主人の君に我上を譽め給ふ。主人の君も我を愛し給ふ。この愛は、さきはからずも我母上を、おのが車のわだちにかけしことありと知りてより、愈〻深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を踏たふしゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。

 貴婦人の名をフランチエスカといふ。我をて宮のうちなる畫堂に入り給ひぬ。美しき畫幀ぐわたうに對して、我がをさなき問、おろかなる評などするを、面白がりて笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆聲高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に滿ちたり。又畫工の來ていろ/\なる畫を寫し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君我を伴ひゆきて、畫ときなどし給ふなり。

 特に我心にかなひしは、フランチエスコ・アルバニが四季の圖なり。「アモレツトオ」といふ者ぞ、と教へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その春と題したる畫の中に群れ遊べるさまこそ愛でたけれ。童一人大なるめぐらすあれば、一人はそれにてやじりを研ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上にそゝげり。夏の圖を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに實りたるこのみを摘みとり、又清き流を泳ぎて、水をもてあそびたり。秋は獵の興を寫せり。手に繼松ついまつ取りたる童一人小車のうちに坐したるを、友なる童子二人牽き行くさまなり。愛はこの優しき獵夫さつをに、共に憩ふべき處を指し示せり。冬は童達皆眠れり。美しき女怪水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。

 神の使の童をば、何故「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。その「アモレツトオ」は、何故を放てる。こは我が今少しつばらに知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は教へ給はざりき。君の宣ふやう。そは文にあれば、讀みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど讀みおぼゆる初は、あまり樂しきものにはあらず。そちは終日たふに坐して、文を手よりかじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戲れ、友達を訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたるかぶとを戴き、長き劍をきて、法皇のみ車の傍をりゆかんとやおもふ。さらずば美しき畫といふ畫を、殘なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、はるかに面白き物語のあらん限をおぼえんとや思ふ。我。されど左樣なる人になりては、ドメニカが許には居られぬにや。また御館へは來られぬにや。フランチエスカ。汝は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家すみかをも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。このまじはりもいつかかはることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢はかなくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の樂しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが發落なりゆきを心にかくるなれ。我涙は愈〻繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯くさとされたる時、限なき幸なさを覺えき。フランチエスカは我頬を撫でゝ、我が餘りに心弱きをいさめ、かくては世に立たんをり、いと便びんなかるべしと氣づかひ給ひぬ。この時主人の君は、曾て我頭の上に月桂冠を戴せたるフアビアニといふ士官とともに一間に歩み入り給ひぬ。

 ボルゲエゼ別墅べつしよに婚禮あり。世にまれなるべき儀式を見よ。この風説は或る夕カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君はかの士官の妻になるべき約を定めて、遠からずフイレンチエなるフアビアニ家の莊園にうつらんとす。儀式あるべき處は羅馬附近の別墅なり。かしはいとすぎ桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も、羅馬人と外國人と、つねに來り遊ぶ處なり。うるはしく飾りたる馬車は、緑しげき檞の並木の道を走り、白き鵝鳥は、柳の影うつれる靜けき湖を泳ぎ、機泉しかけのいづみは積みかさねたる巖の上にほとばしり落つ。道傍には、農家の少女ありて、鼓を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は、かゞやく眼にこの樣を見下して、車をれり。我もドメニカに引かれて、恩人のけふの祝に、蔭ながらあづからばやと、カムパニアを立出で、別墅のそのの外に來ぬ。燈の光は窓々より洩れたり。フランチエスカフアビアニとは、彼處かしこにて禮をへつるなり。家の内より、樂の聲響き來ぬ。苑の芝生に設けたる棧敷さじきの邊より、烟火空に閃き、魚の形したる火は青天をかけりゆく。偶〻たま/\とある高窓の背後に、男女の影うつれり。あれこそ夫婦の君なれと、ドメニカ耳語さゝやきぬ。二人の影は相依りて、接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の詞を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカは二人の御上安かれとつぶやきぬ。烟火の星の、數知れず亂れ落るは、我等が祈祷に答ふる如くなりき。されどドメニカは泣きぬ。こは我がために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼの主人の君は、「ジエスヰタ」派の學校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニアの野と牧者のおうなとに別れて、我行末のために修行の門出せんとす。ドメニカは歸路に我にいふやう。我目の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、なめらかなる床、華やかなるかもをや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき兒なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶果敢はかなき燒栗もて、おん身が心を樂ましむることを得るなり。おん身が籘を焚く火をあふぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が目の中に神の使の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる樂をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野にはあざみ生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、なめらかなる床には、一もとの草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、つまづき易しと聞く。アントニオよ。一たび貧き兒となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいづべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乘りて、昔の破屋をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身にられしかごの中なる兒は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかづくならん。おん身は人におごるやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側に坐して栗を燒き、又籃を搖りたることを思ひ給ふならん。言ひ畢りて、媼は我に接吻し、面を掩ひて泣きぬ。我心ははりもて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既にしきゐを出でしとき、媼走り入りて、くゆりに半ば黒みたる聖母の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡〻接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。


   學校、えせ詩人、露肆ほしみせ


 フランチエスカの君は夫に隨ひて旅立ち給ひぬ。我は「ジエスヰタ」派の學校の生徒となりたり。わが日ごとのわざもかはり、われに交る人の面も改まりて、定なき演劇めきたる生涯の端はこゝに開かれぬ。時々刻々の變化のいと繁きに、歳月のうつりゆくことの早きことのみぞ驚かれし。當時こそ片々の畫圖となりて我目に觸れつれ、今に至りてかうべめぐらせば、その片々は一幅の大畫圖となりて我前に横はれり。是れわが學校生活なり。旅人の高山のいたゞきに登り得て、雲霧立ち籠めたる大地を看下すとき、その雲霧の散るに從ひて、忽ち隣れる山のさきあらはれ、忽ち日光に照されたる谿間たにまの見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け、漸く擴ごりぬ。カムパニアの野を圍める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ/″\に人を住はせ、そのところ/″\にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いづれか我に興を與へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本國なる伊太利なりき。我も一個の羅馬人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の傍に棄てられて、今はさかひの石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神聖なる記念なり、わがためには、めでたき音色に心を惱ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、希臘のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、埃及エヂプトなるヂオスポリスに立てり、日出日沒ごとに鳴るといひ傳ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風にそよぎて、我にロムルスレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本國の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞譽にあづかりぬ。

 凡そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の骨牌かるたづくゑのめぐりに寄るものも、社會といふ社會の限、必ず太郎冠者くわじやのやうなるものありて、もろ人の嘲戲は一身にあつまる習なり。學校にも亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戲のまとを見出したり。そは我等が教師多かる中にて、最眞面目なる、最怒り易き、最可笑をかしき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。元と亞拉伯アラビアうまれなるが、をさなき時より法皇の教の庭にうつされて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル大學院アカデミアの審美上主權者となりぬ。

 詩といふ神のめづらしきたまものにつきては、われ人となりて後、屡〻考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との教育は、さかしき鑛掘かねほり鑛鋳かねふきなどのやうに、これをもとめ出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より淨き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鑛山の出すものは黄金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。すゞその外いやしき金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管ひたすらに言ひくたすべきにもあらず。これを磨き、これにちりばむるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、はにもて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダアは實にその一人なりき。

 ハツバス・ダアダアは當時一流の埴瓮はにべつくりはじめて、これを氣象情致のはるかに優れたる詩人にげ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷けいせふなる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカあがむも、その「ソネツトオ」の音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人わいじん觀場なりしか。又狂人にありといふなる固執の妄想か。兎まれ角まれ、ペトラルカハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは、爭ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは我等にかの亞弗利加アフリカと題したる、長き敍事詩の四分の一を諳誦せしめんとせしかば、幾行の涙、幾下の鞭か、我等が世々のスチピオを怨むなかだちをなしたりけん。

ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その戀に引かれて、又現世げんせの詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に傳へんと、長篇の敍事詩亞弗利加をあらはしつ。今はその甚だ意を經ざりし小抒情詩世に行はれて、復た亞弗利加を説くものなし。

我等は日ごとにペトラルカ深邃しんすゐなる趣味といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。膚淺ふせんなる詩人は水彩畫師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテすら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の寸錦のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂人間地獄をさへ擔ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をばつらねたり。そのバビロン塔の如きもの、後の世に傳はりたるは、これが爲なり。されど若しその詞だにも拉甸ラテンならましかば、後の世の人せめては彼が學殖をおもひて、些の敬をば起すなるべし。さるを彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して、しゝの能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を捉へて、地獄に墮すを、手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女みこ)となり、法皇王侯のいかりおそれずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗てまのあた査列斯チヤアルス四世をあざけりて、徳の遺傳せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは敢てすなはち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹こらも及ばざるべし。考試畢りて後、彼は「カピトリウム」の壇に上りぬ。拿破里ナポリの王は手づから濃紫のはうを取りて、彼が背にせき。これに月桂ラウレオの環をわたしたるは、羅馬の議官セナトオレなりき。此の如き光榮は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。

ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテなりき。神曲に見えたるベアトリチエとの戀は、はやく九歳の頃より始りぬ。千二百九十年戀人みまかりぬ。是れダンテが女性の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を淨めおもひたかうせしなり。アレツツオピザとの戰ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。

ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテを抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花、燃ゆる薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、盡くそらんぜしめられき。ダンテが作をば生徒の目に觸れしめざりき。我は僅に師の詞によりて、そのおもなる作は、地獄、淨火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想をび起して、これを讀まんの願は、我心に溢れたり。されどダンテは禁斷のくだものなり。その味は、ぬすむにあらでは知るに由なし。

 或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる廣こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を漫歩して、積みかさねたる柑子かうじ、地にゆだねたる鐵の器、破衣やれごろも、その外いろ/\の骨董を列ねたる露肆ほしみせの側に、古書古畫を賣るものあるを見き。こゝに卑き戲畫あれば、かしこに刃を胸に貫きたる聖母の圖あり。似も通はぬものゝ伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一卷我目にとまりぬ。我懷には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣錢にせよとたまはりし「スクヂイ」の殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。(一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨、「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見逭みのがすべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽だいせんに「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、禁斷のこのみなれ。われはメタスタジオの集をなげうちて、ダンテの書を握りつ。さるにかなしきかな、この果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二「パオリ」なりき。露肆の主人は、一錢も引かずといふに、わが銀錢は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第一の書なり、世界第一の詩なりとたゝへて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下むげにいひけたれたるダンテの名譽を。

 露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/″\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火燄を踏み破りて、天堂にいたらんとす。若き華主だんなよ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき、伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや。

 嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普エソオポスが物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば、しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難をさへづり出し、その代にはいたくペトラルカを讚め稱へき。露肆の主人は聞をはりて。さなりさなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば褒むるもけなすも、遂に甲斐なき業ならずや。唯だいぶかしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞといふ。われは心にぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白状したり。主人も我が樸直すなほなるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に賣らん。その代には早く讀み試みて、本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。


   神曲、吾友なる貴公子


 何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く藏することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆ほしみせの主人が言にいどまれて、愈〻さかんになりぬ。われは人なき處に於いて、はじめて此卷をひもとかん折を、待ち兼ぬるのみなりき。

 われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは實にわがために、新に發見したる亞米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く廣大に、斯く豐饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨々たる。その色彩何ぞ奕々えき/\たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に樂み、作者と共に當時の生活をけみし盡したり。地獄の關に刻めりといふ銘は、全篇を讀む間、我耳に響くこと、世の末の裁判の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘にいはく。

こゝすぎて  うれへのまち

  こゝすぎて  歎の淵に

こゝすぎて  浮ぶ時なき

  群にこそ  人は入るらめ

あたゝかき  情はあれど

  おぎろなき  心にたづね

きはみなき  ちからによりて

  いつくしき  のりをうき世に

しめさんと  この關の戸を

  神や据ゑけん

われは飇風へうふうに捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空氣を見き。われは亡魂の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亞當アダムやからを見き。而れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし靈魂の王たる人々のこゝにあるを見るにおよびて、我眼は千行ちすぢの涙を流しつ。ホメロスソクラテエスブルツスヰルギリウス、これ皆永く樂土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は、此等の人に、地獄といふにそむかざらん限の、安さ樂しさを與へたれど、そのこゝにあるは、呵責かしやくならぬ苦、希望なき恨にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陷いるなる、毒泡迸り、瘴烟しやうえん立てる、深き池沼に圍まれたる大牢獄のうちなること、よその罪人に殊ならず。われはこれを讀みて、平なること能はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿間の人々を隨へゆかざりしか。彼は當時同じ不幸にあへるものに、同じ憐を垂れざることを得たりしか。われは讀むところの詩なるを忘れつ。沸きかへるにべの海より聞ゆる苦痛の聲は、我胸をきたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き鐵搭くまでにかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが敍事の生けるが如きために、其さま深くも我心にりつけられたるにや、晝は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語うはごとの間には、屡〻「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ詞聞えぬ。こはわが讀みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、我魂まことに惡魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教場に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の聲にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの儘に神曲をなげうたんことは、わがなすこと能はざるところなりき。

 我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて負心ふしんの人のるといふ鍍金めつきしたる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁斷の果にひ寄りて、その惡鬼に我妄想の罪をめらる。かの人をしてはほのほに入り、一たびは烟となれど、又「フヨニツクス」(自らけて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人をやぶるといふ蛇のはりをば、われ自ら我膚の上に受くと覺えき。

 わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば/\なりき。或る朝老僧の舍監を勤むるが、我臥床ふしどの前に來しに、われ眠れるまゝに眼をみひらき、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力すまひて、又枕に就きしことあり。

 わがよな/\惡魔に責めらるといふ噂は、やう/\高くなりぬ。我床には呪水をそゝぎぬ。わが眠に就くときは、僧來りて祈祷を勸めたり。此處置は益〻我心をおだやかならざらしめき。囈語うはごとの由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隱して人をあざむくことの快からぬために、我血はいよ/\騷ぎ立ちぬ。數日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたるあとの如くなりぬ。

 學校の書生おほしといへども、その家世、その才智、並に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戲に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自らほしいまゝにするさまも見えき。或ときは四層の屋のむねり、或ときは窓より窓にわたしたる板をみて、人の膽を寒からしめき。凡そこの學校國に、内訌ないこう起りぬといふときは、其責は多く此人の身に歸することなり。しかもベルナルドオこれをぬれぎぬとすること能はざるが常なりき。舍内の靜けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼がたはぶれは人をそこなふには至らざりしが、獨りハツバス・ダアダアに對しての振舞は、やゝ中傷の嫌ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれさいはひの神は、すぐなる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を朽木にげ與へしよなどいひぬ。ベルナルドオは羅馬の議官セナトオレおひにて、その家富みさかえたればなるべし。

 ベルナルドオは何事につけても、人に殊なるけんを立て、これを同學のものに説き聞かせて、その聽かざるものをば、拳もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質いたく異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに爭ふ心にとぼしきをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。

 或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たびなんぢを怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳をふるひて我面をたんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。

 わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる卓に腰掛けて、しばし故ありげなる笑をもらしつゝ我顏を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は呪水に濡らされ、身は護摩ごまの煙にいぶさるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを讀みたるを。

 血は我頬に上りぬ。われはいかでかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし惡魔の事は、全く神曲の中なる惡魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを厭かず聽くならん。地獄に火燄の海、瘴霧しやうむの沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も亦少からず。その底にゆきて見れば、恩にそむきし惡人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし報にて、胸を氷にとぢられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に墮ちたるは、ブルツスカツシウスユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠かはほりの如き翼を振ふ隙に、早く半身を喉の裡に沒したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、彼奴かやつ相識ちかづきになりたるが、汝はよべの囈語うはごとに、その魔王の状を、つばらに我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテを讀みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今よりすなほにて、我に眞を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覺めたる後には我を隔てんとする。我は汝が祕事ひめごとを人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて譽となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど彼書をば、汝何處にてか獲つる。我も一部を藏したれば、汝若しはやく我に求めば、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ來りぬ。われは長く机にることを好まず。神曲の大いなる二卷には、我とほ/\あぐみしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひ/\、勇を鼓して讀みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび閲しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの墮つべきを何處とか思へる。火のかたなるべきか、こほりのかたなるべきか。

 わが祕事はあばかれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交は、この時より一際ひときは密になりぬ。かたはらに人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを讀みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。

 わが買ひ得たる神曲のはじめには、ダンテが傳を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに據りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとのきよき戀、戰爭の間の苦、逐客ちくかくとなりてアルピイ山をえし旅の憂さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが靈魂天翔あまかけりて、人間地獄を見おろす一段なりき。その敍事は省筆を以て、神曲の梗概を摸寫したるものなりき。淨火は又燃え上れり。果實累々たる、樂園の木のこずゑは、みなぎり落つる瀑布の水に浸されたり。ダンテが乘りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第にのぼりゆく程に、山々は搖りうごかされたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ/″\に無上の樂を覺えたり。

 してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激稱せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を讀み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなるおもてをかすらん。面白し/\。汝が讀むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勸めらるゝに、われは手をりてうべなはざりき。ベルナルドオ語を繼ぎていふやう。さらば汝はえ讀まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を拔きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。讓るは汝が常の徳にあらずや。いかに/\、と勸めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば直にベルナルドオにわたしつ。

 今も西班牙スパニア廣こうぢの「プロパガンダ」といふ學校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、當時は「ジエスヰタ」學校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの/\その故郷の語、若くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ讀むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。

 題の認可の日に、ハツバス・ダアダアベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に違ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ばざるところなり。さればわれは稍〻やゝ小なるものをとて、ダンテを撰びぬ、ハツバス・ダアダア冷笑あざわらひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、外國の貴賓も來べければ、さる戲はふさはしからず。謝肉カルネワレの祭をこそ待ち給ふべけれ。この詞にて、他人ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか/\屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことゝ定めき。われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。

 學校の規則には、詩賦は他人の助をることをゆるさずと記したり。されどいつも雨雲におほはれたるハツバス・ダアダアが面に、ちとの日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵もとの語は、わづかにその半を存するのみなり。さて詩のつたなさは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが刪潤さんじゆんせしを告ぐ。こたび讀むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に觸れざりき。

 兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門にむらがりぬ。老僧官たちは、赤き法衣の裾をきて式場に入り、美しき椅子にり給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓にわかたれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリアカルデア、新埃及エヂプト、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈〻あやしうして、喝采の聲は愈〻盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。

 われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語はもとより賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。

 その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友はいさゝかおくれたる氣色もなく、かのダンテを詠ずる詩をしたり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦どくじゆの力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句をのこさずそらんじたり。されど今改めてこれを聽けば、ほと/\ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦しをはりし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオダンテの詩の上にかへりぬ。

 我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオがために焚ける香の烟を吸ひて、ほと/\醉へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、すなはちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時ひざまづきたるが、もろ手に面をおほひて、この冠を頭に受けたり。

 式畢りて後、われは友の側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸をいだき、我手をりていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千もゝちいばらもて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は、我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心いかでかこれに堪へん。我に勢あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て爲さざることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心にそむきて人に頼るも、そのもとは汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に對して、忍びがたき苦を覺ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。

 この夕ベルナルドオおそく歸りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を變じたりとぞ聞えし。

 ハツバス・ダアダアは冷笑の調子にていはく。彼男は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隱しゝとは、一瞬の間なりき。その學校生涯は爆竹のにはかに耳をおどろかす如くなりき。その詩も亦然なり。彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟〻つら/\これを讀むときは、畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき。全篇支離にして、絶て格調の見るべきなし。看てへいとなせば、これ瓶。さんとなせば、是れ盞。劍となせば、これ劍。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字をあますこと凡そ三たび。聞くに堪へざる平字ひやうじの連用(ヒアツス)あり。ヂアナといふ字を下すことおほよそ二十五處、それにて詩をかう/″\しくせんとにや。性靈よ、性靈よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をかし出さん。こゝに在りと見れば、忽焉こつえんとしてかしこに在り。汝は才といふか。才果して何をかなさん。眞の詩人の貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝことなかれ。その心は冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もてり碎き、一片々々にしらべ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。厭ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭兒の頭に加へし。その詩に史上の事實をめ、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆むちうこらすべきとがなるを。我はまことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。

 學校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりはにはかに寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なきもだえを覺えき。さて如何いかにしてこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。我生活我願望はこれを樂のうちに求むるとき、始めて殘るところなくあきらかなる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテが雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩はわがこんを動せども、樂はわが魂と共に、わが耳によりてわがはくうごかせり。夕されば我窓の外に、一群の小兒來て、聖母の像を拜みて歌へり。その調は我にわがをさなかりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし搖籃の曲に似たり、又或時は野邊送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聽き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末にうつりゆきぬ。我胸は押しせばめらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空より來りて我耳を襲へり。その曲は知らず識らず我唇より洩れて歌聲となりぬ。

 ハツバス・ダアダアが室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌學校にもあらず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答へず。頭を窓の縁に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。

 忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(さちあらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さへ出來ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく猛き若駒に首をげさせ、手を軍帽に加へて我に禮を施し、振り返りつゝ馳せ去りしは、法皇の禁軍このゑなる士官なりき。嗚呼、我はその顏を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。

 我生活は今彼に殊なること幾何いくばくぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる帽を取りて、目深まぶかにかぶり、惡魔に逐はるゝ如く、學校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」學校、「プロパガンダ」學校、その外この教國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年けたる、もしくはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるゝを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何とがめざりき。


   めぐりあひ、尼君


 大路おほぢに出づれば馬車ひきもきらず。羅馬の人を載せたるあり、外國の客を載せたるあり。往くあり、還るあり。こは都の習なる夕暮の逍遙あそびのりといふものにいでたる人々なるべし。銅版畫をけつらねたる技藝品鋪の前には、人あまた立てり。その衣にまつはれて錢を得んとするは、乞兒かたゐの群なり。されば車の間を馳せぬくることを厭ひては、こゝを行くべくもあらず。我が車の隙をうかゞひて走りぬけんとしたる時「ボン、ジヨオルノオ、アントニオ」(吉日よきひをこそ、アントニオ)と呼ぶは、むかし聞き慣れたるいまはしき聲なり。見卸せば、ペツポのをぢ例の木履きぐつを手に穿きて、地上にすわり居たり。この人にかく近づきたることは、この年頃絶てなかりき。西班牙スパニアいしだんを避けてとほり、道にて逢ふときは面をおほひて知らしめず、式の日などに諸生の群にありてこれに近づくときは、友の身を盾に取りて見付けられぬ心がまへしたりき。ペツポは我裳裾もすそを握りて離たずしていふやう。血を分けたるアントニオよ。そちがをぢなるペツポを知らぬ人のやうになあしらひそ。尊きジユウゼツペペツポはこの名をつゞめたるなり)の上を思はゞ、我名を忘るゝことなからん。暫く見ぬ隙に、おとなびたることよ。かく親しく物言はるゝ程に、道行く人は怪みて我面を見たり。我は放ち給へと叫びて裾を引けども、ペツポ容易たやすく手をゆるめず。アントニオよ。共にうさぎうまに乘りし日の事を忘れしか。善き兒なるかな。今は丈高き馬に乘れば、最早我を顧みざるならん。母の同胞はらからの西班牙の磴にあるを訪はざるならん。そちも我手に接吻せしことあり。そちも我宿の一束の藁を敷寢せしことあり。昔をわすれなせそ。かくかきくどかるゝうるさゝに、我は力を極めて裾ひきはなち、車の間をくゞりぬけて、横街に馳せ入りぬ。

 我胸はをどれり。こは驚のためのみにはあらず、はづかしめのためなりき。我はをぢがもろ人の前に我を辱めたりとおもひき。されど此心は久しからずして止み、これに代りて起りしは、これよりも苦しき情なりき。をぢが詞は一つとして僞ならず。われはまことにペツポが一人の甥なり。わがこれに對して恩すくなかりしは、そも/\何故ぞ。若し餘所に見る人なくば、我は昔の如くをぢの手に接吻せしならん。さるを今かく殘忍なる振舞せしは、わが罪深き名譽心にあらずや。われは自らぢ、又神に恥ぢて、我胸は燃ゆる如くなりき。

 この時サンアゴスチノ寺の「アヱ、マリア」の鐘の聲響きしかば、われは懺悔せんとて寺の内に入りぬ。高き穹窿の下は暗くして人影絶えたり。卓の上なる蝋燭は僅に燃ゆれども光なかりき。われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり。アントニオの君よ。やかたも御奧もフイレンツエより歸り來ませり。かしこにて設け給ひしをさなき姫君をも伴ひ給ひぬ。今より共に往きて喜をのべ給はずやといふ。寺の内の暗さに見えざりしが、かく言はれてその人を見れば、我恩人の館なる門者かどもりの妻にてフエネルラといふものなりき。年久しく相見ざりし人々に逢はせんといふが嬉しさに、われは共に足を早めてボルゲエゼたちにゆきぬ。

 フアビアニの君はやさしく我をもてなし給ひ、フランチエスカの君は又母の如くいたはり給ひぬ。姫君にも引きあはせ給ひぬ。名をばフラミニアといふ。目の美しく光ある穉子なり。我に接吻し、我側に來居たるが、まだ二分時ならぬに、はや我になじみ給へり。かき抱きて間のうちをめぐり、可笑をかしき小歌うたひて聞せしかば、面白しと打笑ひ給ひぬ。館は微笑みつゝ。穉き尼君を世の中の少女の樣になせそ。法皇の手づから授けられし壻君むこぎみをば、今より胸にをさめたるをとのたまふ。げにこの姫君は、白かねもて造りたる十字架に基督の像つきたるを、鎖もて胸に懸け給へり。(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、はやくより小尼公アベヂツサなど呼ぶことあり。)夫婦の君は婚禮の初、喜のあまりに始て生るべき子をば、み寺に參らせんと誓ひ給ひしなり。勢ある家の事とて、羅馬に名高き尼寺の首座をば、今よりこの姫君の爲めに設けおけりとぞ。さればこの君には、苟且かりそめの戲にものりおきてに背かぬやうなることのみをぞ勸め參らせける。小尼公は偶人にんぎよういれたる箱取り出でゝ、中なる穉き耶蘇の像、またあまたの白衣きたる尼の像を示し給ふ。さて尼の人形を二列に立てて、日ごとにかく歩ませて供養のにはに連れゆくとのたまひぬ。又尼どもは皆聲めでたく歌ひて、穉き耶蘇を拜めりとのたまひぬ。こは皆保姆うばが教へつるなり。我は畫かきて小尼公を慰めき。長き※衣けおりごろも〈[#「曷+毛」、37-下段-28]〉を着て、噴水のトリイトンの神のめぐりに舞ふ農夫、一人の匍匐はらばひたるが上に一人のまたがりたる侏儒プルチネルラなど、いたく姫君の心にかなひて、始はこれに接吻し給ひしが、後には引き破りて棄て給ひぬ。兎角する程に、はや常に眠り給ふ時過ぎぬとて、うば抱きて入りぬ。

 夫婦の君は我上をこまかに問ひて、今より後も助にならんと契り、こゝに留らん間は日ごとに訪へかしとのたまひぬ。カムパニアの野邊に住める媼が事を語り出で給ひしかば、我は春秋の天氣好き折、かしこに尋ねゆきて、我臥床ふしどの跡を見、媼が經卷珠數じゆずと共に藏したる我畫反古ほごを見、また爐の側にて燒栗を噛みつゝ昔語せばやとおもふ心を聞え上げぬ。暇乞いとまごひして出でんとせしとき、夫人は館を顧みてのたまふやう。學校は智育に心を用ゐると覺ゆれど、作法の末まではゆきとゞかぬなるべし。この子のゐやするさまこそ可笑しけれ。世の中に出でん後は、これをもゆるがせにすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そはおのづから直るべきものぞ。

 學校に還らんとて館を出でしは、まだ宵の程なりしが、街はいと暗かりき。羅馬の市に竿燈かんとうくるは近き世の事にて、其の頃はまださるものなかりしなり。狹き枝みちに歩み入れば、平ならざる道を照すもの唯だ聖母の像の御前みまへに供へたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の程の事どもを思ひめぐらしつゝ、しづかにあゆみを運びぬ。固より咫尺しせきの間もさやかには見えねば、忽ち我手に觸るゝものあるに驚きて、われはまだ何とも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にて、奇怪なる人かな、目をさへきつぶされなば、道はいよ/\見えずやならんといふ。われは喜のあまりに聲高く叫びて、さてはベルナルドオなるよ、嬉くも逢ひけるものかなといひぬ。アントニオか、可笑き再會もあるものよと、友は我を抱きたり。さるにても何處よりか來し。忍びて訪ふところやある。そは汝に似合はしからず。されど我に見現されぬれば是非なし。例の獄丁はいづくに居る。學校よりつけたる道づれは。我。否けふはひとりなり。ベルナルドオ。ひとりとは面白し。汝も天晴あつぱれなる少年なり。我と共に法皇の護衞に入らずや。

 我は恩人夫婦のこゝに來ませし喜を告げしに、吾友も亦喜びぬ。これよりは足の行くに任せて、暗路を辿りつゝ、別れての後の事どもを語りあひぬ。


   猶太ユダヤの翁


 途すがらベルナルドオの云ふやう。我は今こそ浮世の樣をも見ることを得つれ。そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓むつきの中を出でざるにひとし。冷なる學校のたふに坐して、かびえたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬にりてまちを行くを。美しき少女達は、燃ゆる如きなざしして、我を仰ぎるなり。わがかほばせは醜からず。われには號衣ウニフオルメよく似合ひたり。此街の暗きことよ、汝は我號衣を見ること能はざるべし。我が新に獲たる友は、善く我を導けり。彼等は汝が如き窮措大きうそだいめきたる男にあらず。我等は御國を祝ひて盞を傾け、又折に觸れてはおもしろき戲をもなせり。されど其戲をもの語らんは、汝が耳の聽くに堪へざるところならん。そなたの世を渡るさまをおもへば、男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二三月が程に十年の經驗をなしたり。我はわが少年の血氣を覺えたり。そは我血を湧し、我胸を張らしむ。我は人生の快樂を味へり。我唇はまだ燃え、我咽はまだかゆきに、我身はこれを受用すること醉ひたる人の水を飮むらんやうなり。斯く説き聞せられて、我はいつもながら氣はゞみて聲もかすかに、さらば君が友だちといふはあまり善ききはにはあらぬなるべしと答へき。ベルナルドオはこらへず。善き際にあらず、とは何をか謂ふ。我に向ひて道徳をや説かんとする。吾友だちは汝にあしさまに言はるべきものにはあらず。吾友だちは羅馬にあらん限の貴き血統にこそあなれ。われ等は法皇の禁軍このゑなり。たとひわづかの罪ありとも、そは法皇の免除するところなり。われも學校を出でし初には、汝が言ふ如き感なきにあらざりしが、われは敢て直ちにこれを言はず、敢て友等に知らしめざりき。われは彼輩かのともがらのなすところにならひき。そは我意志の最も強き方に從ひたるのみ。我意馬をはしらしめて、その往くところに任するときは、我はかの友だちに立ちおくるゝ憂なかりしなり。されど此間我胸中には、猶少しの寺院教育のかす殘り居たれば、我も何となく自らやすんぜざる如き思をなすことありき。我はをり/\此滓のためにいましめられき。我は生れながらの清白なる身をけがすが如くおもひき。かゝる懸念は今や名殘なごりなく失せたり。今こそ我は一人前の男にはなりたるなれ。かの教育の滓を身に帶びたる限は、その人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑へ、おのれが欲するところを制して、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、餘に饒舌しやべりて途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキヤヰカの前なり。たぐひなき酒家オステリアにて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅めぐりあひなれば、一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほしといふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々、わが禁軍このゑの士官とともに酒店にありしを聞かば奈何。ベルナルドオに酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど試に入りて見よ。外國の藝人等が故郷の歌をうたふさまいと可笑し。獨逸語あり。法朗西フランス語あり。英吉利イギリス語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。強ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし。斯くいろふほどに、傍なる細道の方に、許多あまたの人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われはこれに便を得て、友のひぢりていはく。見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕みほごらの下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め。

 我等が往方ゆくてを塞ぎたるは、極めて卑ききはの老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長きをなし、老いたる猶太ユダヤ教徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて、肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これをおきなが前によこたへ、翁にをどり超えよと促すにぞありける。

 凡そ羅馬の市には、猶太教徒みだりに住むことを許されず。その住むべきくるわをば嚴しく圍みて、これを猶太街ゲツトオといふ。(我國の穢多まちの類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太教徒は、歳に一たび仲間の年寄をカピトリウムに遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭カルネワレの時の競馬くらべうま費用ものいりをも例の如くわきまへ、又定の日には加特力カトリコオ教徒の寺に往きて、宗旨がへの説法をも聽くべし、と願ふことなり。

 今杖の前に立てる翁は、こよひ此街のをぐらき方を、靜に走り過ぎんとしたるなり。「モルラ」といふたはぶれせんと集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを見付けて、見よ人々、猶太のぢゞこそ來ぬれと叫びぬ。翁はさりげなく過ぎんとせしに、群衆はゆくてに立ちふさがりて通さず。かの肥えたる男は、杖を翁が前に横へて、これを跳り超えて行け、さらずは廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すまじけれ、我等は汝が足のすこやかさを見んと呼びたり。童等はもろ聲に、超えよ超えよ、亞伯罕アブラハムの神は汝を助くるならんといと喧しくはやしたり。翁は聖母の像を指ざしていふやう。人々あれを見給へ。おん身等もかしこに跪きては、慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何のつみをもおかしゝことなし。我髮の白きをあはれみ給はゞ、つゝがなく家に歸らしめ給へといふ。杖持ちたる男冷笑あざわらひて、聖母いかでか猶太のいぬを顧み給はん、く跳り超えよといひつゝいよ/\翁に迫る程に、群衆は次第に狹きを畫して、翁のんやうを見んものをと、息をめて覗ひ居たり。ベルナルドオはこの有樣を見るより、前なる群衆を押し退けて圈の中に躍り入り、肥えたる男の側につと寄せて、その杖を奪ひ取り、左の手にこれを指し伸べ、右の手には劍を拔きて振りかざし、かの男を叱して云ふやう。この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與たゆたふことかは。超えずは、汝が頭を裂くべしといふ。群衆は唯だ呆れてベルナルドオが面を打ち眺めたり。彼男はしばし夢見る如くなりしが、怒氣を帶びたる詞、さやを拂ひし劍、禁軍の號衣、これ皆膽を寒からしむるに足るものなりければ、何のいらへもせず、一跳ひとはねして杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを待ちて杖をなげうち、その肩口をしかと壓へ、劍のもて片頬を打ちていふやう。善くこそしつれ。狗にはふさはしき舉動ふるまひかな。今一たびせよさらばゆるさんといふ。男は是非なく又跳り超えぬ。初め呆れ居たる群衆は、今その可笑しさにえ堪へず、一度にどつと笑ひぬ。ベルナルドオのいはく。猶太のおきなよ。邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りて得させんといふ。されど翁はいつの間にか逃げゆきけん、近きところには見えざりき。

 我はベルナルドオを引きて群衆の中を走り出でぬ。來よ我友。今こそは汝と共に酒飮まんとおもふなれ。今より後は、たとひいかなる事ありても、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ。そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど我が知らぬ猶太の翁のかた持ちて、かの癡人しれものと爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん。

 我等は酒家オステリアに入りぬ。客は一間に滿ちたれども、別に我等に目をくるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りて、共に一瓶の葡萄酒を酌み、友誼の永くかはらざらんことを誓ひて別れぬ。

 學校の門をば、心やすき番僧の年老いたるが、仔細なく開きて入れぬ。あはれ、珍しき事の多かりし日かな。身の疲に酒の醉さへ加はりたれば、程なく熟睡して前後を知らず。


   猶太をとめ


 許をも受けで校外に出で、士官と倶に酒店に入りしは、輕からぬ罪なれば、若し事あらはれなば奈何いかにすべきと、安き心もあらざりき。さるを僥倖げうかうにもその夕我を尋ねし人なく、又我が在らぬを知りたるは、例の許を得つるならんとおもひて、深くも問ひたゞさで止みぬ。我が日ごろの行よくつゝしめるかたなればなりしなるべし。光陰は穩にうつりぬ。課業の暇あるごとに、恩人の許におとづれて、そを無上の樂となしき。小尼公は日にけに我になじみ給ひぬ。我はをさなかりしとき寫しつる畫など取り出でゝ、み館にもて往き、小尼公に贈るに、しばしはそれもて遊び給へど、幾程もあらぬにり棄て給ふ。我はそをさへ拾ひ取りて、をさめおきぬ。

 その頃我はヰルギリウスを讀みき。その六の卷なるエネエアスキユメエみこに導かれて地獄に往くくだりに至りて、我はその面白さに感ずること常に超えたり。こはダンテの詩に似たるがためなり。ダンテによりて我作をおもひ、我作によりて我友をおもへば、ベルナルドオが面を見ざること久しうなりぬ。恰も好しワチカアノの畫廊開かるべき日なり。且は美しき畫、めでたき石像を觀、且はなつかしき友の消息を聞かばやとおもひて、われは又學校の門を出でぬ。

 美しきラフアエロが半身像を据ゑたる長き廊の中に入りぬ。仰塵てんじやうにはかの大匠の下畫によりて、門人等が爲上げたりといふ聖經の圖あり。壁をおほへるめづらしき飾畫、穹窿をうづめたる飛行の童の圖、これ等は皆我が見慣れたるものなれど、我は心ともなくこれに目を注ぎて、わが待つ人や來るとたゆたひ居たり。おばしまりて遠く望めば、カムパニアの野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固よりかぬ眺なれど、鋪石に觸るゝ劍の音あるごとに、我は其人にはあらずやとワチカアノの庭を見おろしたり。されどベルナルドオは久しく來ざりき。

 間といふ間をむなしくめぐり來ぬ。ラオコオンの群の前をもいたづらに過ぎぬ。我はほと/\興を失ひて、「トルソオ」をも「アンチノウス」をも打ち棄てゝ、家路に向はんとせしとき、忽ち羽つきたるかぶとを戴き、長靴の拍車を鳴して、輕らかに廊を歩みゆく人あり。追ひ近づきて見ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事多ければ、共に來よと云ひつゝ、友は我をきて奧の方へ行きぬ。

 汝はわが別後いかなる苦を嘗めしかを知らざるべし。又その苦の今も猶止むときなきを知らぬなるべし。譬へば我は病める人の如し。そを救ふべき醫は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯一の頼なれ。斯くさゝやきつゝ、友は我を延いて大なる廳を過ぎ、そこを護れる禁軍このゑ瑞西スイス兵の前を歩みて、當直士官の室に入りぬ。君は病めりと云へど、面は紅に目は輝けるこそいぶかしけれ。さなり。我身は頭の頂より足の尖まで燃ゆるやうなり。我はそれにつきて汝が智惠を借らんとす。先づそこに坐せよ。別れてより後の事を語り聞すべし。

 汝はかの猶太の翁の事をおぼえたりや。聖母のがんの前にて、惡少年にくるしめられし翁の事なり。我はかの惡少年をこらして後、翁猶在らば、家まで送りて得させんとおもひしに、早やいづち往きけん見えずなりぬ。その後翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふと猶太廓ゲツトオの前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬禮せられて、我は始めてこゝは猶太街の入口ぞとさとりぬ。その時門の内を見入りたるに、黒目がちなる猶太の少女あまた群をなしてたゝずみたり。例のすきごゝろ止みがたくて、我はそが儘馬を乘り入れたり。こゝに住める猶太教徒は全き宗門の組合をなして、その家々軒を連ねて高く聳え、窓といふ窓よりは、「ベレスヒツト、バラ、エロヒム」といふ祈の聲聞ゆ。街には宗徒むらがりて、肩と肩と相摩するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端のきばには古衣、雨傘その外骨董どもを、懸けもならべもしたり。我駒の行くところは、古かなもの、古畫をひさ露肆ほしみせの間にて、目も當てられずけがれたる泥淖ぬかるみうちにぞありける。家々の戸口より笑みつゝ仰ぎる少女二人三人を見るほどに、何にても買ひ給はずや、賣り給ふ物あらば價尊く申し受けんと、聲々に叫ぶさま堪ふべくもあらず。想へ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテは書くべかりしなれ。

 忽ち傍なる家より一人の翁馳せ出でゝ、我馬の前に立ち迎へ、我を拜むこと法皇を拜むに異ならず。貴き君よ、我命の親なる君よ。再び君と相見る今日けふは、そも/\いかなる吉日ぞ。このハノホ老いたれども、恩義を忘れぬほどの記憶はありとおぼされよ。かく語りつゞけて、末にはいかなる事をか言ひけん、悉くはせず、又解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これぬる夜惡少年の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手のさきに接吻し、我衣の裾に接吻していふやう。かしこなるは我破屋あばらやなり。されど鴨居かもゐのいと低くて君が如き貴人を入らしむべきならぬを奈何せん。かく言ひては拜み、拜みては言ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のまはりに集ひ、あからめもせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪へず、我は早や馬を進めんとしたり。この時ふと仰ぎ見れば、翁が家の樓上よりさし覗きたる少女あり。色好なる我すらかゝる女子を見しことなし。大理石もて刻めるアフロヂテの神か。されど亞剌伯アラビア種の少女なればにや、目と頬とには血の温さぞ籠りたる。想へ汝、我が翁に引かれて、いろはずその家に入りしことの無理ならぬを。

 廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。木のてすりあるはしごは、行くに足の尖まで油斷せざる稽古を、怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。部屋に入りて見れば、さまで見苦しからず。されど例の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに來て何をかせん。技癢ぎやうに堪へざる我心をも覺らず、かの翁は永々しき謝恩の演説をぞ始めける。その辭に綴り込めたる亞細亞アジア風の譬喩の多かりしことよ。汝が如き詩人ならましかば、そを樂みて聞きもせん。我は恰も消化し難きせんに向へる心地して、はらのうちには彼女子今か出づるとのみおもひ居たり。此時翁は感ずべき好き智慧を出しぬ。あはれ此智慧、好き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく。貴きわたりに交らひ給ふ殿達は、定めて金多く費し給ふならん。君もにはかに金なくてかなはぬ時、餘所にてそを借り給はば、二割三割などいひて、おびたゞしき利息を取られ給ふべし。さる時あらば、必ず我許に來給へ。利息は申し受けずして、いくばくにても御用だて侍らん。そはイスラエルの一枝を護りたる君がなさけの報なりといひぬ。我は今さる望なきよし答へぬ。翁さらに語を繼ぎて。さらば先づ平かに居給へ。好き葡萄酒一瓶あれば、そをたてまつらんといふ。我は今いかなる事を答へしか知らず。されどその詞と共に一間に入り來りしは彼少女なり。いかなる形ぞ。いかなる色ぞ。髮はうるしの黒さにてしかもつやあり。こは彼翁の娘なりき。少女はチプリイの酒を汲みて我に與へぬ。我がこれを飮みて、少女がことほぎをなしゝとき、その頬にはサロモ王の餘波なごりの血こそ上りたれ。汝はいかにかの天女が、言ふにも足らぬ我腕立を謝せしを知るか。その聲は世にたぐひなき音樂の如く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯世のものにはあらざりけり。されば其姿の忽ち見えずなりて、唯だ翁と我とのみ座に殘りしもむべなり。

 この物語を聞きて、我は覺えず呼びぬ。そは自然の詩なり。韻語にせばいかに面白からん。


   なかだち


士官のいふやう。この時よりして我がいかばかり戀といふものゝ苦を嘗めたるを知るか。我が幾たび空中に樓閣を築きて、又これをこぼちたるを知るか。我が彼猶太ユダヤをとめに逢はんとていかなる手段を盡しゝを知るか。我は用なきに翁を訪ひて金を借りぬ。我は八日の期限にて、二十「スクヂイ」を借らんといひしに、翁は快くうべなひて粲然たる黄金を卓上に並べたり。されど少女は影だに見せざりき。我は三日過ぎて金返しに往きぬ。初翁は我を信ぜること厚しとは云ひしが、それには世辭も雜りたりしことなれば、今わが斯く速に金を返すを見て、翁が喜は眉のあたりにあらはれき。我は前の日の酒のうまかりしを稱へしかど、翁自ら瓶取り出して、ふるふ痩手にて注ぎたれば、これさへあだなる望となりぬ。この日も少女は影だに見せざりき。たゞ我がはしごを走りおりしとき、半ば開きたる窓のとばりすこしゆらめきたるやうなりき。是れ我少女なりしならん。さらば君よ、とわれ呼びしが、窓の中はしづまりかへりて何のいらへもなし。おほよそ其頃よりして、今日まで盡しゝ我手段は悉くあだなりき。されど我心は決してたわむことなし。我は少女が上を忘るゝこと能はず。友よ。我に力を借せ。昔エネエアスを戀人に逢せしサツルニアヱヌスとをば、汝が上とこそ思へ。いざ我をあやしき巖室いはむろに誘はずや。われ。そは我身にはふさはしからぬ業なりと覺ゆ。さはれおん身は猶いかなる手段ありて、我をさへ用ゐんとするか、かゝる筋の事に、この身用立つべしとは、つや/\思ひもかけず。士官。否々。汝が一諾をだに得ば、我事は半ば成りたるものぞ。ヘブライオスの語は美しき詞なり。その詩趣に富みたること多く類を見ずと聞く。汝そを學びて、師には老いたるハノホを撰べ。彼翁は廓内にて學者の群に數へられたり。彼翁汝がおとなしきを見て、娘にも逢はせんをり、汝我がために娘に説かば、我戀何ぞかなはざることを憂へん。されど此手段を行はんには、決して時機を失ふべからず。駈足かけあしにせよ歩度を伸べたる驅足にせよ。燃ゆる毒は我脈をめぐれり。そは世におそろしき戀の毒なり。異議なくば、あすをも待たで猶太の翁を訪へ。われ。そは餘りに無理なるたのみなり。我が爲すべきことの面正しからぬはいふも更なり、汝が志すところも卑しき限ならずや。その少女縱令よしや美しといふとも、猶太の翁が子なりといへば。士官。それ等は汝がし得ざる事なり。しろものだに善くば、その産地を問ふことをもちゐず。友よ、善き子よ。我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。たゞその學びさまを殊にせんのみ。想へ、我がいかに幸ある人となるべきかを。我。わが心を傾けて汝に交るをば、汝知りたるべし。汝が意志、汝が勢力のおほいなる、常に我心を左右するをも、汝知りたるべし。汝若し惡人とならば、我おそらくは善人たることを得じ。そは怪しき力我を引きて汝がの中に入るればなり。我は素より我心を以て汝が行をたゞさんとせず。人皆天賦のさがあり。そが上に我は必ずしも汝が將に行はんとする所を以て罪なりとせず。汝が性然らしむればなり。されど此事は、縱令成りたらんも、汝が上にまことの福を降すべきものにあらずとおもへり。士官。善し/\。我はたゞ汝に戲れたるのみ。我がために汝を驅りて懺悔のたふに就かしめんは、初より我願にあらず。たゞ汝がヘブライオスの語を學ばんに、いかなるさはりあるべきか、そは我に解せられず。いはんやそを猶太の翁に學ぶことをや。されどこの事に就きては、我等また詞を費さゞるべし。今日は善くこそ我を訪ねつれ。物欲しからずや。酒飮まずや。

 友なる士官がかく話頭を轉じたるとき、我はそのことなるなざしを見き。こはベルナルドオが學校にありしとき屡〻ハツバス・ダアダアに對してなしたる目なざしなりき。友の擧動ふるまひ、その言語、一つとして不興のしるしならぬはなし。我も快からねば程なく暇乞して還りぬ。別るゝときは友のうや/\しさ常に倍して、その冷なる手は我が温なる手を握りぬ。我はわが辭退の理にかなへる、友の腹立ちしことの我儘に過ぎざるを信じたりき。されど或時は無聊に堪へずしてベルナルドオなつかしく、我詞の猶おだやかならざるところありしを悔みぬ。一日散歩のついで、吾友の上をおもひつゝ、かの猶太廓ゲツトオに入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ、我友の怒をはら便たよりにもならんとおもひき。されど我は彼翁をだに見ざりき。かどよりも窓よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなどべたるその間には見苦き子供遊べり。物買はずや、物賣らずやと呼ぶ聲は、我をみゝしひにせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窓より窓へまり投げつゝ戲れ居たり。そが一人はすこぶる美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脱したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護うしろめたくて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脱したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。

 一とせの月日は事なくして過ぎぬ。稀にベルナルドオに逢ふことありても、交情昔のごとくならず。我はそのやさしき假面の背後に、人におごる貴人の色あるを見て、友の無情なるを恨むのみにて、かの猶太廓の戀のなりゆきを問ふにいとまあらざりき。ボルゲエゼの館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニフランチエスカの人々のやさしさに、故郷にある如き思をなしつ。されどそれさへ時としては胸を痛むるなかだちとなることありき。我胸には慈愛に感ずる情みち/\たれば、彼人々の一たびひそめることあるときは、たゞちに我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカの我性を譽めつゝも、強ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣ことばづかひきずを指すことの苛酷なる、主人の君のわが獨り物思ふことの人にえたるをいましめて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終にはしをるゝ葉に比べたる、皆我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるをばかりの事に逢ひて、必ず涙をおとすは何故ぞや。主人の君は我が憂はしげなるさまを見るときは、又我頬を撫でゝ、聖母の善き人を得給はんためには、美しき花のさるゝ如く、人も壓されではかなはぬが浮世の習ぞと慰め給ひぬ。獨りフアビアニの君のみは、何事をもをかしき方に取りなして、岳翁しうとと夫人との教の嚴なることよと打笑ひ、さて我に向ひてのたまふやう。君は父上の如き學者とはならざるべし。はた妻のやうに怜悧なる人ともならざるならん。されど君が如き性もまた世の中になくて協はぬものぞとのたまふ。斯く裁判し畢りて、小尼公アベヂツサを召し給へば、我はその遊び戲れ給ふさまのめでたきを見て、身の憂きことを忘れ果てつ。人々は來ん年を北伊太利にて暮さんとその心構こゝろがまへし給へり。夏はジエノワにとゞまり、冬はミラノに往き給ふなるべし。我は來ん年の試驗にて、「アバテ」の位を受けんとす。人々は首途かどでに先だちて、大いなる舞踏會を催し、我をも招き給ひぬ。門前には大篝おほかゞりを焚かせたり。賓客の車には皆松明まつとりたる先供あるが、おの/\其火を石垣に設けたる鐵の柄に揷したれば、火の子ほとばしり落ちて赤き瀑布カスカタを見る心地す。法皇のつはものは騎馬にて門の傍に控へたり。門の内なる小き園には五色の紙燈をり、正面なる大理石階には萬點の燭を點せり。きざはしのぼるときは奇香衣を襲ふ。こはきだごとに瓶花いけばな、盆栽の檸檬リモネ樹を据ゑたればなり。階の際なる兵は肩銃の禮を施しつ。「リフレア」着飾りたるしもべは堂に滿ちたり。フランチエスカの君はまばゆきまで美かりき。珍らしき樂土鳥の羽、組緒多くつけたる白き「アトラス」の衣はこれに一層の美しさを添へたり。そのやさしき指に觸れたるときの我喜はいかなりし。廣間二つに樂の群を居らせて、客の舞踏のにはとしたり。舞ふ人の中にベルナルドオありき。金絲もて飾りたる緋羅紗らしやの上衣、白き細袴ズボン、皆發育好き身形みなりかなひたり。その舞の敵手あひてはこよひ集ひし少女の中にて、すぐれて美しき一人なるべし。かぼそき手をベルナルドオが肩に打ち掛けて秋波を送れり。我が舞を知らざることの可悔くやしかりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオが舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。紅なるとばりの長く垂れたる背後うしろにて、我等二人は「シヤムパニエ」酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調しらべは耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なるきずは早くもえて跡なきに至りしものなるべし。友のいはく。われはその後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひなほしき。これある間は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり。友と我とは又杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオは又舞踏の群に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒どもむらがりて、松明まつより散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴つれなりしに、今堂上にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われはとばりの蔭にひざまづきて神に謝したり。


   謝肉祭


 その夜は曉近くなりて歸りぬ。二日たちて人々は羅馬を立ち給ひぬ。ハツバス・ダアダアは日ごとに我を顧みて、ことしは「アバテ」の位受くべき歳ぞと、いましめ顏にいふ。されば此頃は文よむ窓を離れずして、ベルナルドオをも外の友をも尋ぬることなかりき。週をかさね月を積みて、試驗をはる日とはなりぬ。

 黒き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人はいふも更なり、今咲き出づる「アネモオネ」の花、高く聳ゆる松のうれより空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。恰も好しフランチエスカの君は、臨時のつひえもあるべく又日ごろのつかれをも忘れしめんとて、百「スクヂイ」の爲換かはせを送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙スパニアいしだんを驅け上りて、ペツポのをぢに光ある「スクウド」一つ抛げ與へ、そのアントニオ主公だんなと呼ぶ聲をしりへに聞きて馳せ去りぬ。

 頃は二月の初なりき。杏花きやうくわは盛に開きたり。柑子かうじの木日を逐ひて黄ばめり。謝肉祭カルネワレは既に戸外に來りぬ。馬に跨り天鵞絨びろうどのぼりを建て、喇叭らつぱを吹きて、祭の前觸まへぶれする男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。をさなかりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角にたゝずみて祭のさかりを見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、「パラツツオオ、デル、ドリア」のひさしづくりの平屋根より笑ひ戲るゝ群を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。ましてや「カピトリウム」に登り、「トラステヱエル」(河東の地なり、テヱエル河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば我がことしの祭に身をゆだねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されどこれも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草つるくさとなりて、わが命の木にまとへるなるべし。

 祭は全く我心を奪ひき。あしたにはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬の準備こゝろがまへを觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窓にさらせる假粧けしやうの衣類をけみしつ。我は可笑しき振舞せんによろしからんとおもへば、状師だいげんにんの服を借りて歸りぬ。これをて云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜はほとほと眠らざりき。

 明日あすの祭はことに尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜にゆづらざりき。横街といふ横街には「コンフエツチイ」のたま賣る浮鋪とこみせのきを列べて、その卓の上には美しき貨物しろものを盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆ゑんどう〈[#「豌豆」は底本では「踠豆」]〉の大さに煉りたるなり。白きと赤きとまじりたり。中には穀物の粒を石膏泥中にまろがして作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸をなげうちて戲るゝを習とす。)コルソオの街を灑掃さいさうする役夫えきふつとに業を始めつ。家々の窓よりは彩氈さいせんを垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度日景ひかげて、とけい〈[#「金+表」、44-下段-7]〉を進退すること四分一時。所謂佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。)出窓バルコオネには貴き外國人とつくにびと多く並みゐたり。議官セナトオレは紫衣を纏ひて天鵞絨びろうどの椅子に坐せり。法皇の禁軍このゑなる瑞西スイス兵整列したる左翼の方には、天鵞絨のベルレツタを戴ける可愛らしき舍人とねりども群居たり。少焉しばしありて猶太ユダヤ宗徒の宿老おとなの一行進み來て、頭をあらはして議官の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホにぞありける。式の辭をばハノホ陳べたり。我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓にまんことをば、今一とせ許させ給へ。歳に一たびは加特力カトリコオ御寺みてらに詣でゝ、尊き説法を承り候はん。又昔のためしに沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオはしらんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟のしろ、皆かたの如くわきまへ候はんといふ。議官セナトオレは頷きぬ。(古例に依れば、この時議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今はすたれたり。)事果つれば、議官の一列樂聲とともに階を下り、舍人とねり等を隨へて、美しき車に乘りうつれり。是を祭の始とす。「カピトリウム」の巨鐘は響き渡りて、全都の民を呼び出せり。我は急ぎ歸りて、かの状師だいげんにんの服に着換へ、再び街に出でしに、假裝の群は早く我をむかへて目禮す。この群は祭の間のみ王侯に同じき權利を得たる工人と見えたり。その假裝には價極めてひくきものをえらびたれど、その特色は奪ふべからず。常の衣の上に粗𣑥あらたへ汗衫じゆばんを被りたるが、そのさんの上に縫附けたる檸檬リモネからは大いなるぼたんまがへたるなり。肩とくつとには青菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり)の假髮かづらにて、目に懸けたるは柚子みかんの皮をりぬきて作りし眼鏡なり。我は彼等にむかひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、見よ、分をえたる衣服のおごりは國法の許さゞるところなるぞ、我が告發せん折にほぞむ悔あらんとかつしたり。工人は拍手せり。我は進みてコルソオに出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞の廣間となりたり。四方の窓より垂れたる彩氈は、唯だおほいなるてすりの如く見ゆ。家々の簷端のきばには、無數の椅子を並べて、善き場所はこゝぞと叫ぶ際物師きはものしあり。街を行く車は皆正しき往還の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂ラウレオの枝もて車輪をかざりたるあり。そのさま四阿屋あづまやの行くが如し。家と車との隙間をば樂しげなる人うづめたり。窓には見物の人々充ちたり。そが間には軍服に假髭つけひげしたる羅馬美人ありて、街上なる知人しるひとに「コンフエツチイ」のたまなげうてり。我これに向ひて、「コンフエツチイ」もて人の面を撃つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭ひやを放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難しと論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降りそゝぎぬ。公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾りてらへるあり。權夫けんふ(夫に代りて婦人に仕ふる者、「チチスベオ」)と覺しき男これに扈從こじうしたり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役プルチネルラ打扮いでたちたる一群たはむれに相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我はすなはちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓にそむかざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力カトリコオの教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウスが妻なるルクレチアはづかしめを受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今いづくにか在る。君は今の女子の爲すところにならひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進せじみせしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒ものいみ〈[#「齋戒」は底本では「齊戒」]〉するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオをそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪をたゞさんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さよりすに、我は偶〻たま/\女の身上を占ひて善くてたるものならん。友なる男は、アントニオ、物にや狂へると私語さゝやぎて、急に婦人をきつゝ、巡査スビルロ、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りてのがれ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオなりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚さじき々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いとかまびすし。われは思慮するいとまあらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世にたぐひなき好事かうずにやあらん。忽ち肩尖かたさきと靴の上とに鈴つけたる戲奴おどけやつこ(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね𢌞りたり。忽ち又いと高きつぎあししたる状師だいげんにんあり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑あざわらひていはく。あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧りたり。我に代言せしむるものは、天のたすけを得たらん如し。かく誇りかに告げて大蹈歩おほまたに去りぬ。ピアツツア、コロンナに伶人の群あり。非常を戒めんと、しづかにねりゆく兵隊の間をさへ、學士ドツトレ、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演説を始めしに、書記の服着たる男一僕を隨へたるが我前に來て、しもべおほすゞならさする其響耳を裂くばかりなれば、われ我詞をし得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。我は道の傍にきづきたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオの競馬始らんとするなれば、兵士は人をはらはんことに力をつくせり。街の一端に近きポヽロの廣こうぢにつなを引きて、馬をば其うしろに並べたり。馬は早や焦躁いらだてり。脊には燃ゆる海綿をり、耳後には小き烟火具はなびを裝ひ、わきには拍車ある鐵板を懸けたり。口際に引きひたる壯丁わかものはやうやくにして馬のはやるを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こはらちにしたる索を落す合圖なり。馬は旋風つむじかぜの如くはしりて、我前を過ぎぬ。ぬさの如く束ねたる薄金うすがねはさら/\と鳴り、彩りたる紐はたてがみと共にひるがへり、ひづめの觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時彼鐵板は腋を打ちて、拍車にちぬると聞く。群衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさまともつ波に似たり。けふの祭はこれにて終りぬ。


   歌女うため


 きぬぎ更へんとて家にかへれば、ベルナルドオとぶらひ來て我を待てり。われ。いかなればこゝには來たる。さきの婦人をばいづくにかおきし。友は指をてゝ我をおどすまねしていはく。け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅いであひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきにかゝることをばなど言ひたる。れどもこのたびはゆるすべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ女王の名にて又樂劇オペラの名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃しかのみならず主人公に扮するは、嘗てナポリに在りしとき、闔府かふふの民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女うためなり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、はなはだ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ばまことならんには、汝が「ソネツトオ」のたくみを盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたるすみれの花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心にかなはゞ、我はこれをにへにせんといふ。我は共に往かんことをうべなひぬ。すべて謝肉祭に連りたるたのしみをば、つゆのこさずしてこゝろみんと誓ひたればなり。

 今は我がために永くわするべからざる夕となりぬ。我羅馬日記ヂアリオ、ロマノひらけば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオし日記を作らば、また我筆にならはざることを得ざるならん。そも/\「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵プラフオンオリユムポスの圖を寫したる幕、黄金をちりばめたる觀棚さじきなど、當時は猶新なりき。さじきごとに壁にかぎして燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦を怠ることなし。

 開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲のじよ看做みなさるべきものなり。狂飇きやうへう波をむちうちてエネエアスリユビアなぎさに漂へり。風波におどろきし叫號の聲は神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴はうふつとしてその面影を認めしめたり。忽ち角聲かりを報ず。暴風又起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室いはむろの中に入りぬ。是れ温柔郷なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛れつぱくの聲あり。幕は開きたり。

 エネエアスは去らんとす。去りてアスカニウス(エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ(晩國の義、伊太利)を略せんとす。去りてヂドを棄てんとす。憐むべしヂドはおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアスが歌にいはく。その夢は早晩いつか醒むべし。トロアスつはもの黒き蟻の群の如くえものを載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん。

 ヂドは舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客屏息へいそくしてこれを仰ぎたり。その態度、そのおごそかなること王者の如くにして、しかもかろらかに優しき態度には、人も我もたゞちに心を奪はれぬ。初めわれこのヂドといふ役を我心に畫きしときは、その姿いたく今見るところにことなりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく愛らしく、ちと塵滓じんしを留めざる美しさは、名匠ラフアエロが空想中の女子の如し。烏木こくたんの光ある髮は、美しくなかだかなる額を圍めり。深黒なる瞳には、名状すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱をゆるがさんとせり。こは未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何ゆゑいかにといふに、彼は今わづかぢやうに上りて、未だ隻音せきおんをも發せざればなり。彼はおもてに紅を潮して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調レチタチイヲオの上にあらはしつ。

 友はにはかに我ひぢりて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオよ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利めきゝは違ふことなし。われ。例のとは誰が事ぞ。友。猶太廓ゲツトオの少女なり。されど彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり。友は再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂドは戀の歡を歌へり。清き情は聲となりて肺腑よりほとばしり出づ。是時このときに當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲にさまされんとする如し。この記念は我が全く忘れたるものなりき。この記念は近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオと倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われをさなかりし時、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺にて聖誕日の説教をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ或は其人にはあらずや。

 エネエアスは無情なる語を出せり。我は去りなん。我は嘗ておん身をめとりしことなし。誰かおん身が婚儀の松明まつを見しものぞ。この詞を聞きたるときの心をば、ヂドいかに巧にその眉目の間に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚、ことばに現すべからざる痛、負心ふしんの人に對する忿いかり、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂドは今おもなる單吟アリアに入りぬ。譬へば千尋ちひろの海底に波起りて、さかしま雲霄うんせうをかさんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。しばらく形あるものにたとへて言はんか。大いなるくゞひの、皎潔けうけつ雪の如くなるが、上りては雲を裂いて灝氣かうきたゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍かうりようの居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。

 喝采の聲はいへうごかせり。幕下りて後も、アヌンチヤタアヌンチヤタと呼ぶ聲止まねば、歌女はおもてを幕の外にあらはして、謝することあまたゝびなりき。

 第二せつの妙は初齣をゆること一等なりき。これヂドエネエアスとの對歌ヅエツトオなり。ヂドは無情なる夫のせめては啓行いでたちの日をおそうせんことを願へり。君が爲めにはわれリユビアの種族をはづかしめき。君がためにはわれ亞弗利加アフリカの侯伯にそむきぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアスに向けて一せきの舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼスエネエアスの父)が靈の地下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行ちすぢに下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の我に同じきを證したり。

 エネエアスは行きぬ。ヂドは色をうしなひて凝立することしばらくなりき。そのさまニオベ(子を射殺されて石に化した女神)の如し。にはかにして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なるヂド棄婦きふなるヂドならず。彼はいきながら怨靈をんりやうとなれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をしてたちまち又共に怒らしむ。フイレンツエの博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチが畫きたるメヅウザ(おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテを作りぬ。その目のさまは言ふことをたず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。

 エネエアスが舟は波を蹴て遠ざかりゆけり。ヂドは夫のわすれたる武器を取りて立てり。その歌は沈みてその聲は重く、忽ちにして又激越悲壯なり。同胞はらからなるアンナアが彼を焚かんとて積みかさねたる薪は今燃え上れり。幕は下りぬ。喝采の聲は暴風の如くなりき。歌女はその色と聲とを以て滿場の客を狂せしめたるなり。觀棚さじきよりも土間よりも、アヌンチヤタアヌンチヤタと呼ぶ聲しきりなり。幕上りて歌女出でたり。そのはじらひを含める姿はもとの如くなりき。男は其名を呼び、女は紛※てふき〈[#「巾+兌」、47-下段-24]〉を振りたり。花束の雨はそのかうべの上に降れり。幕再び下りしに、呼ぶ聲いよ/\はげしかりき。こたびはエネエアスに扮せし男優と並びて出でたり。幕三たび下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇しかりき。こたびはすべての俳優を伴ひ出でぬ。幕四たび下りしに、呼ぶ聲猶劇しかりき。こたびはアヌンチヤタ又ひとり出でて短き謝辭をべたり。此時我詩は花束と共に歌女が足の下に飛べり。呼ぶ聲は未だまねど、幕は復た開かず。この時アヌンチヤタは幕の一邊より出でゝ、舞臺の前のはづれなる燭に沿ひて歩みつゝ觀客に謝したり。その面には喜の色溢るゝごとくなりき。想ふにけふは歌女が生涯にて最も嬉しき日なりしならん。されどこはひとり歌女が上にはあらず。我も亦わが生涯の最も嬉しき日を求めば、そは或はけふならんと覺えき。わが目の中にも、わが心の底にも、たゞアヌンチヤタあるのみなりき。觀客は劇場を出でたり。されど皆未だあへて散ぜず。こは樂屋の口に𢌞りゆきて、歌女が車に上るを見んとするなるべし。我も衆人もろひとの間にはさまりて、おなじかたに歩みぬれど、後には傍へなる石垣に押し付けられて動くこと能はず。歌女は樂屋口に出でぬ。客は皆帽を脱ぎてその名を唱へたり。われもこれに聲を合せつゝ、言ふべからざる感の我胸に滿つるを覺えき。ベルナルドオはもろ人を押し分けて進み、早くも車に近寄りて、歌女がためにその扉を開きぬ。少年の群はながえにすがりて馬をはづしたり。こは自ら車をかんとてなりき。アヌンチヤタは聲をふるはせてこれを制せんとしつれど、その聲は萬人のその名を呼べるに打ち消されぬ。ベルナルドオは歌女を車に載せ、おのれは踏板に上りて説き慰めたり。我もながえを握りてかの少年の群と共に喜びぬ。惜むらくは時早く過ぎて、たゞ美しかりし夢の痕を我心の中に留めしのみ。

 歸路に珈琲コーヒー店に立寄りしに、幸にベルナルドオに逢ひぬ。羨むべき友なるかな。彼はアヌンチヤタに近づき、アヌンチヤタともの語せり。友のいはく。アントニオよ。奈何いかなりしぞ。汝が心は動かずや。若し骨焦がれずゐ燃えずば、汝は男子にあらじ。さきの年我が彼に近づかんとせしとき、汝は實に我を妨げたり。汝は何故にヘブライオス語を學ぶことをいなみしか。若し辭まずば、かゝる女と並び坐することを得しならん。汝は猶アヌンチヤタの我猶太ユダヤ少女なることを疑ふにや。我にはかく迄似たる女の世にあらんとは信ぜられず。アヌンチヤタはたしかに猶太をとめなり。我にチプリイの酒を飮せし少女なり。少女は巣を立ちし「フヨニツクス」鳥の如く、かのけがらはしき猶太廓を出でつるなり。われ。そは信じ難き事なり。我も昔一たびかの女を見きと覺ゆ。若し其人ならば、猶太教徒にあらずして加特力教徒なること疑なし。汝も熟々つく/″\彼姿を見しならん。不幸なる猶太教徒の皆負へるカイン亞當アダムの子)が印記しるしは、一つとしてその面にあらはれたるを見ざりき。又その詞さへその聲さへ、猶太の民にあるまじきものなり。ベルナルドオよ。我心はアヌンチヤタが妙音世界に遊びて、ほと/\歸ることを忘れたり。汝は彼少女に近づきたり。汝は彼少女ともの語せり。彼少女は何をか云ひし。彼少女も我等と同じくこよひのさいはひを覺えたりしか。友。アントニオよ。汝が感動せるさまこそ珍らしけれ。「ジエスヰタ」の學校にて結びし氷今融くるなるべし。アヌンチヤタが何を云ひしと問ふか。彼少女は粗暴なる少年に車をかれて、かつおそれ且は喜びたりき。彼少女は面紗めんさきびしく引締めて、身をば車の片隅に寄せ居たり。我は途すがらかゝる美しき少女に言ふべきことの限を言ひしかど、彼は車を下るとき我がさし伸べたる手にだに觸れざりき。われ。汝が大膽なることよ。汝は歌女と相識れるにあらずして、よくもさまで馴々しくはもてなしゝよ。こは我が決して敢てせざる所ぞ。友。我もさこそ思へ。汝は世の中を知らず、又女の上を知らねばなり。今日はかの女いまだ我に答へざりしかど、我には猶多少の利益あり。そは少女が我面を認めたることなり。我友はこれより我にさきの詩をせしめて聞き、頗妙なり、羅馬日記ヂアリオ、ロオマに刻するに足ると稱へき。我等二人は杯を擧げてアヌンチヤタことほぎをなしたり。我等のめぐりなる客も皆歌女の上を語りて口々に之を讚め居たり。

 我がベルナルドオに別れて家に歸りしは、夜ふけて後なりき。床に上りしかど、いも寐られず。われはこよひ見し阿百拉オペラの全曲を繰り返して心頭に畫き出せり。ヂドが初めて場に上りし時、單吟アリアに入りし時、對歌ヅエツトオせし時より、曲終りし時まで、一々肝に銘じて、其間の一節だに忘れざりき。我は手を被中ひちゆうより伸べてち鳴らし、聲を放ちてアヌンチヤタと呼びぬ。次に思ひ出したるは我が心血をそゝぎたる詩なり。起きなほりてこれを寫し、寫しをはりてこれを讀み、讀みては自ら其妙をたゝへき。當時はわれ此詩のやゝ情熱に過ぐるを覺えしのみにて、その名作たることをば疑はざりき。アヌンチヤタは必ず我詩を拾ひしならん。今は彼少女家に歸りて半ば衣を脱ぎ、絹の長椅ソフアの上に坐し、手もておとがひを支へて、ひとり我詩を讀むならん。

きみが姿を仰ぎみて、君がみ聲を聞くときは、おほそら高くあまかけり、わたつみふかくかづきいり、かぎりある身のかぎりなき、うき世にあそぶこゝちして、うた人なりしいにしへのダヌテがふみをさながらに、おとにうつしてこよひこそ、聞くとは思へ、うため(歌女)の君に。

我は嘗てダンテの詩をもて天下にたぐひなきものとなしき。さるを今アヌンチヤタが藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やう/\にして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。


   をかしき樂劇


 翌日になりて、ベルナルドオを尋ね求むるに、何處にもあらざりき。ピアツツア、コロンナをばあまたゝび過ぎぬ。アントニウスの像を見んとてにはあらず。アヌンチヤタの影を見る幸もあらんかとてなり。彼君はこゝに住へり。外國人にして共に居るものもあり。いかなる月日の下に生れあひたる人にか。「ピアノ」の響する儘に耳そばだつれど、彼君の歌は聞えず。二聲三聲試みる樣なるは、低き「バツソオ」の音なり。樂長ならずば彼群の男の一人なるべし。幸ある人々よ。殊に羨ましきはエネエアスの役勤めたる男なるべし。かの君と目を見あはせ、かの君の燃ゆる如きなざしに我面を見させ、かの君と共に國々を經めぐりて、その譽を分たんとは。かく思ひつゞくる程に、我心は怏々あう/\として樂まずなりぬ。忽ち鈴つけたる帽を被れる戲奴おどけやつこ、道化役者、魔法つかひなどに打扮いでたちたる男あまた我めぐりをどり狂へり。けふも謝肉の祭日にて、はや其時刻にさへなりぬるを、われは心づかでありしなり。かゝる群の華かなるよそほひ、その物騷がしき聲々はます/\我心地を損じたり。車幾輛か我前を過ぐ。その御者ぎよしやはこと/″\く女裝せり。忌はしき行裝かな。女帽子の下よりあらはれたる黒髯くろひげ、あら/\しき身振、皆程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此間に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はやくびすめぐらさんとしたるとき、その家の門口より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオなり。滿面に打笑みて。そこに立ち盡すは何事ぞ。く來よ。アヌンチヤタに引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我友誼いうぎなれば。なに彼君が。と我は言ひさして、血は耳廓みゝのはに昇りぬ。たはむれすな。我をいづくにか伴ひゆかんとする。友。汝が詩を贈りし人の許へ、汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ、アヌンチヤタの許へ。かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。我。先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし。友。そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや。我。されどこのなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん。かく言ひつゝ我は衣など引きつくろひてためらひ居たり。友。否々その衣のままにて結構なり。兎角いひ爭ふほどに我等ははや戸の前に來ぬ。戸は開けり。我はアヌンチヤタが前に立てり。

 衣は黒の絹なり。半紅半碧のしやは肩より胸に垂れたり。黒髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窓の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したるおうななり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんもことわりなきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓ゲツトオにて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタも亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音こわねにて。これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオといひ、ボルゲエゼうからの寵兒なり。主人の姫は我に向ひて。許し給へ。おん目にかゝらんことは、まことに喜ばしき限なれど、かく強ひて迎へまつらんこと本意ほいなく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオの君聽かれねば是非なし。さきにはめでたき歌をたまはりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窓より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されどおん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ。ベルナルドオは戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの群の樂長なりき。又媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見るなざしはかどある如く覺えらるれど、姫が待遇もてなしのよきに、我等が興はそこなはるゝに至らざりき。

 樂長は我詩を讚めて、われと握手し、かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇オペラを作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附せさせよと勸めたり。姫その詞をさへぎりて。彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物でものなる樂劇の本讀ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリアといふ曲はかゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界くがいなるべし。樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり。君こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、さてこれを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を揷まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優は來りて、引込の前に歌ふべき單吟アリアの華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優の責にあらず。「テノオレ」うたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひてうなじを曲げ色をくし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指擿、その刪除さんじよに逢ふときは、その人いかに愚ならんも、げてこれに從はではかなはず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては曲をぐといふ。畫工はそれの畑、某の井、其の積み上げたる芻秣まぐさをばえ寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優又來りて、それの詞の韻脚はさへづりにくし、あの韻をば是非とものこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞をけづり給はんも、又いづくより阿のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほと/\元の姿を失ひたる曲をかはに掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ。拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重ちちようなるかの曲はつひに地に墜ちたりと云はむ。

 外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人はこゝの街にもかしこの辻にもみち/\たり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窓よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ又面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ちまじりて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。

 道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窓の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これにあたりたるものは、いろどりたる旗、桂の枝の環飾わかざり檸檬リモネの實の皮などを懸けたる小車に乘りうつりぬ。その旗のをかしく風にひるがへるさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭には金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を並べて作れる笠を冠として戴かせ、其手には「マケロニ(めん類の名)つけたる大いなる玩具もてあそびの柄つきの鈴をこつとして持たせたり。さて人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひてうなづきたり。やゝありて人々は自ら車の綱取りてき出せり。この時王は窓にアヌンチヤタあるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ。きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒をながえに繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手をおばしまにかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞとをさめおきぬ。

 ベルナルドオは祭の王のよしなき戲を無禮なめしといきどほり、そのまゝ樓を走り降りてむちうち懲らさばやといひしを、樂長はのひと/″\と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑をかし假粧舞フエスチノの事、詩女ムウザの導者たるアポルロン、古代の力士、圓鐵板ヂスコス投ぐる男の像等にせたる假面の事など、次をひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語にあづからで、をり/\姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物にこだはることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがためにすこしも減ぜず。このをさなき振舞はかへりてあやしく我心にかなひき。姫は譯もなき戲言ざれごとをも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうにとけい〈[#「金+表」、51-中段-7]〉を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリアのうちなる役にあたり居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。

 門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇禁軍このゑの一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだにもちゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝もさきに見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。また戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等はすこぶる相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタなることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明ぶんみやうに我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、くつした編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタは生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張やはり基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。

 この夕ベルナルドオと芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席をあがなふことを得き。いづれの棧敷さじきにも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためにはすべて夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、けだし今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆はうしなる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管ひたすら觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多あまたの俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群にまじれる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。

 喝采の聲と花束のひらめきぢやうに上りたるアヌンチヤタを迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なるわざといへど、我はそを天賦のさがとおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千のしろかねの鈴ひとしく鳴りて、柔なる調子の變化きはまりなきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目よりみなぎり出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になるくだりあり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中なかんづく姫が最低の「アルトオ」の聲を發しをはりて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリアへいの面なる舞者まひこに似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタヂドは妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中にはまゝ何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々をはさみたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜をわかてば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、うまし/\と叫びて掌をてば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒けうじほしいまゝに戲れ狂ふ如く、その聲はいにしへの希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ(伊太利畫工)が仰塵畫てんじやうゑ朝陽あさひと題せるを想出しぬ。その日輪の車をめぐりて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)のわかかりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら/\しき雜音は愈〻高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し/\、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前にひるがへりぬ。


   即興詩の作りぞめ


 この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタが家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、きも太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。

 姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナに至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタが上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、そのやはらかさ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴つれのものは覺えずかすかなる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身にやどり給へり。アヌンチヤタが出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一群を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタが我歌を喜べるさまをのみ見き。

 翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ、昨夜の火伴つれの二人三人は我に先だちて座にありき。姫のいはく。きのふ絃歌の中にて「テノオレ」の聲のいと善きを聞きつといふ。我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。それこそアントニオなれと告ぐるものあり。姫は直ちに我を引きて「ピアノ」の前に往き、ともに歌へと勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三いなみたるに、人々側より促して止まず、又ベルナルドオは聲を勵まして、さては汝切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするかと責めたり。姫に手をかれたる我は、とらへられし小鳥に殊ならず。たとひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟ヅエツトオなり。姫は「ピアノ」に指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々たん/\とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わがおそれは已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采をおしまず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。

 このときベルナルドオは汝はいつも人の意表に出づる男ぞとつぶやきて、さて衆人に向ひ、吾友には猶かくし藝こそあれ、そは即興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずやといひき。喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタが一言のたのみを待ちて、大膽にも即興の詩を歌はんとせり。この技は人と成りての後未だ試みざるものなるを。我は姫の「キタルラ」をりぬ。姫は直に不死不滅といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃をはじくこと二たび三たび、やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘ギリシアの緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典アテエンは荒草斷碑の中にあり。こゝに野生の無花果樹いちじゆくくだけ殘りたる石柱をおほへるあり。この間には鬼の欷歔ききよするを聞く。むかしペリクレエスの世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは美の祭をり行へるなり。ライス(名娼の名)の如く美しき婦人は環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黄土となりぬ。當時の民の目を悦ばしたる形は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫ぐわれきの中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人のおもかげを認めき。あはれ古人が美をかう/″\しき迄に進めて、雪の如き石に印し、これを後昆こうこんに遺したるこそ嬉しけれ。見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美いかでか死滅すべき。詩神は又波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址にきよして、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル河の黄なる水は昔ながらに流れたり。されどホラチウス・コクレスが戰ひし處には、今いかだに薪と油とを積みてオスチアおくるを見る。されどクルチウスが炎火ののんどに身を投ぜし處には、今牧牛の高草のうちに眠れるを見る。アウグスツスよ。チツスよ。汝が雄大なる名字みやうじも、今は破れたる寺、壞れたる門の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテルたけき鳥は死して巣の中にあり。あはれ羅馬よ。汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀かゞやきて、その光は全歐羅巴を射たり。既に倒れたる帝座は、又起ちてペトルスの椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣とせんしてこゝに來り、その下に羅拜せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されどペトルスの刀いかでかさびを生ずべき。寺院の勢いかでか墮つるあるべき。たとひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民にあがめられん。東よりも西よりも、又天寒き北よりも、美をうやまふ人はこゝに來て、羅馬よ、汝が威力は不死不滅なりといはん。この段のをはるや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタは靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテの像の如く、其ひとみには優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺にうつれり。こゝに技倆すぐれたる俳優あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり。歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭をれたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。かゝる俳優も歌み幕落ちて、喝采の聲絶ゆるときは、其藝術は死なん。死して美きかばねとなりて、聽衆の胸にうづめられたるのみならん。されど詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝにうづめらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん。我目はアヌンチヤタが顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、君は深く我心を悦ばしめ給ひぬといひぬ。我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。

 そも/\劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の間に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれどその倐忽しゆくこつにして滅するや、彼も此もあとの尋ぬべきなし。アヌンチヤタアヌンチヤタわざとは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能くさとり得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。

 我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭の日はいつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されどこの間われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタが我にしたる樂天主義のたまものなりき。或時ベルナルドオのいふやう。汝はやうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど汝はまだ唇を杯の縁にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭の女子の肩にらざるを。今若しアヌンチヤタまことに汝を愛せばいかに。我。思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタは我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず。彼。あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタとは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ。我。姫がやさしさ、さかしさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし。彼。汝が眞面目なるおも持こそをかしけれ。好し/\、我は汝が言を信ぜん。汝はもとより蛙なんどに等しき水陸兩住の動物なり。うつゝの世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし、わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く愛せざるべし。されど汝が姫に對する情果して戀に非ずば、今より後彼に對して面をあかめ、火の如きなざしゝて彼に向ふことをめよ。そは彼君のためにあしかりなん。傍より見ん人の心のおもはれて。されど姫はあさて此地を立つといへば、最早その憂もあらざるべし。基督再生祭の後には歸るといへど、そもたのむべきにはあらず。これを聞きたるとき、我胸は躍りぬ。アヌンチヤタを見るべからざること五週にわたるべし。彼君はフイレンツエの芝居にやとはれ、斷食日の初にこゝを立つなりとぞ。ベルナルドオは語を繼ぎていはく。かしこに至らば崇拜者の新なる群は姫がめぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば汝が即興の詩の如きも、その時こそ姫のやさしき目なざしに、汝に謝する色現れつれ、かしこにては思出さるゝ暇なからん。さはあれ一個の婦人にのみ心を傾くるは癡漢ちかんの事なり。羅馬には女子多し。野にあまねき花のいろ/\は人の摘み人のるに任するにあらずや。

 この夕我はベルナルドオと共に芝居に往きぬ。アヌンチヤタは再びヂドとなりて出でぬ。その歌、そのふり、始に讓らざりき。完備せるものゝ上には完備を添ふるに由なし。姫が技藝はまことに其域に達したるなり。こよひは姫また我理想の女子となりぬ。その本讀の曲にてのやく、その平生の擧動は、例へば天上の仙の暫くこの世に降りて、人間の態をなせるが如くぞおもはるる。そのさまも好し。されどヂドの役にては、姫が全幅の精神を見るべし。姫がまことのわれを見るべし。萬客は又狂せり。想ふにこの羅馬の民のむかし該撤カエザルチツスとを迎へけん歡も、おそらくは今宵の上に出でざるならん。曲をはりて姫は衆人に向ひて謝辭をべ、再びこゝに來んことを約せり。姫はこよひもあまたゝび呼出されぬ。歸途に人々の車を挽けるも亦同じ。我もベルナルドオと共に車に附き添ひて、姫がやさしき笑顏を見送りぬ。


   謝肉祭の終る日


 翌日は謝肉祭カルナワレの終る日なりき。又アヌンチヤタが滯留の終る日なりき。我は暇乞いとまごひにおとづれぬ。市民がその技能に感じて與へたる喝采をば、姫深く喜びたり。フイレンチエはその自然の美しき、その畫廊のそなはれる、居るによろしきところなれど、再生祭の後こゝに歸らんことは、今より姫の樂むところなり。姫はかしこの景色を物語りぬ。アペンニノの森林、豪貴の人々の別莊の其間に碁布せるピアツツア、デル、グランヅカ、其外美しき古代の建築物など、その言ふところ人をして目のあたりに見る心地せしめき。

 姫のいはく。我は再び畫廊に往かむ。我に彫刻を喜ぶこゝろを生ぜしめしは彼處かしこなり。プロメテウスが死者に生を與ふるに同じく、人間の心の偉大なるを、わが悟りしはかしこなり。彼廊に一室あり。そは最も小なる室にして、わが最も好める室なり。今若し君をかしこに在らしむることを得ば、君は能くわがむかしの喜を解し、又能くわが今日そを想起おもひおこす喜を解し給はん。この八角に築きたる室には、實に全廊の尤物いうぶつぬきんでゝ陳列せり。されどその尤物の皆けおさるるは、メヂチヱヌスの石像あればなり。かくまでに生けるが如き石像をば、われこの外に見しことなし。その目は人を視る如し。あらず。人の心の底を觀る如し。石像の背後には、チチアノの畫けるヱヌスの油畫二幅を懸けたり。その色彩目を奪ふといへども、こゝに寫し得たるは人間の美しさにして、彼石の現せるは天上の美しさなり。ラフアエロフオルナリイナ(作者意中の人)は心を動すに足らざるにあらず。されどヱヌスの生けるをば、われあまたゝび顧みざること能はず。否々、おほよそ世に彫像多しと雖、いづれか彼ヱヌスの右に出づべき。ラオコオンにてはまことに石の痛楚つうそのために泣くを見る。しかも猶及ばざるところあり。獨り我ヱヌスと美をくら〈[#「女+貔のつくり」、55-中段-5]〉ぶるは、君も知り給へるワチカアノアポルロンならん。その詩神を摸したる力量は、彼ヱヌスに於きてやさしき美の神を造れるなり。我答へて。君ので給ふ像を石膏に寫したるをば、我も見き。姫。否、われは石膏のかたばかり整はざるものはなしと思へり。石膏の顏は死顏なり。大理石には命あり靈あり。石はやがて肌肉となり、血は其下を行くに似たり。フイレンチエまで共に行き給はずや。さらばわれ君が案内すべし。我は姫が志の厚きを謝して、さていひけるは、さらば再生祭の後ならでは、又相見んこと難かるべしといふ。姫こたへて。さなり。聖ピエトロ寺の燈を點し、烟火戲ジランドラを上ぐる折は、我等が相逢ふべき時ならん。それまでは君われを忘れ給ふな。我はまたフイレンチエの畫廊に往きて君とけふ物語れることを想ふべし。われは常に面白きことに逢ふごとに、我友のその樂を分たざるを恨めり。これも旅人の故郷をしのぶたぐひなるべし。我は姫の手に接吻して、戲に。この接吻をばメヂチヱヌスに傳へ給へ。姫。さては我にとてにはあらざりしか。我は決してわたくしすることなかるべしといひぬ。我は分れて一間を出でしとき夢みる人の如くなりき。戸の外にて家のおうなに出で逢ひ、心の常ならぬけにやありけむ、われその手を取りて接吻せしに、これは善きさがの人なるよとつぶやくを聞きつ。

 最後の謝肉祭の日をば、飽く迄樂まむと思ひぬ。唯だアヌンチヤタと別れむことは、猶うつゝとも覺えず。又逢はむ日は遙なる後にはあらで、明日の朝にはあらずやとおもはる。假面をば被りたらねど、「コンフエツチイ」の粒ぐることは、人々に劣らざりき。道の傍なる椅子には人滿ちたり。家ごとの窓よりも人の頭あらはれたり。車のゆきかふこと隙間なく見ゆるに、その餘せる地にはうれしげなる面持したる人肩るほどに集へり。歩まむとする人は、車と車との隙を行くより外すべなし。音樂の聲は四面より聞ゆ。車の内よりも「イル、カピタノ」(大尉)の歌洩りたり。陸に海に立てたるいさをしとぞ歌ふなる。腰に木馬を結びたる童あり。首と尾とのみ見えて、四足のところは膝かけの色あるきれにておほはれたり。童の足二つにて、馬の足の用をなせるなり。かゝるものさへ車と車との間に入れば、混雜はまた一入ひとしほになりぬ。われはくさびの如く車の間にはさまりて、後へも先へも行くこと叶はず。後なる車ける馬のあわは我耳にそゝげり。わがこれにえ堪へで、前なる車の踏板に飛び乘りたるを、これに乘れる寢衣ねまき着たる翁とやさしき花賣娘とは、早くも惡劇いたづらのためよりは避難のためと見て取りぬと覺しく、娘は輕く我手背をたゝき、例の玉のつぶて二つ投げかけしのみなれど、翁の打つ飛礫つぶては雨の如くなりき。娘もこの攻撃を興あることにや思ひけん、遂には翁の所爲にならひて、持てる籠のむなしくならんとするをも厭はで唯だ打ちに打つ程に、我衣は斑々として雪をかぶれる如くぞなりぬる。われはこの地點を守りかねて、飛びおるれば、戲奴おどけやつこにいでたちたる男走り來て、手に持てる采配もて、我衣を拂ひ呉れたり。

 暫し避けてたゝずむ程に、さきの車又かへり路に我を見て、再び「コンフエツチイ」を投げかけたり。わが未だ迎へ戰ふにいとまあらざる時、砲聲地に震ひて、くらべ馬始まるをしらせしかば、車は皆狹き横道に入りて、翁と娘とも見えずなりぬ。二人は我を識りたりと覺し。奈何いかなる人にかあらん。ベルナルドオは今日街に見えざりき。かの翁は其人にて、娘はアヌンチヤタにはあらずや。

 我は街の角に近き椅子に倚りぬ。砲は再び響きて、競馬は街のたゞ中をヱネチアの廣こうぢさして馳せゆき、荒浪の寄するが如き群衆はその後に隨ひぬ。わがくびすめぐらしてかへらむとするとき、馬よ/\と呼ぶ聲俄にかまびすしく、競馬の内なる一頭の馬、さきなるらちにて留まらず、そが儘街を引きかへし來れるに、最早馬過ぎたりと心許しゝ群衆は、あわて騷ぐこと一かたならず。吾心頭には稻妻の如く昔のおそろしかりしさま浮びたり。またゝくひまに街の兩側に避けたる人の黒山の如くなる間を、兩脇より血を流し、たてがみそよぎ、口よりあわ出でたる馬は馳せ來たり。されど我前を過ぐるとき、いかにかしけむ銃もてうたれたる如く打ち倒れぬ。怪我せし人やあると、人々しばしは安き心あらざりしが、こたびは聖母やさしき手を信者の頭の上に擴げ給ひて、一人をだに傷け給はざりき。

 危さの容易たやすく過ぎ去りしは、祭の興を損ぜずして、かへりて人の心を亂し、人の歡を助けたり。これよりは謝肉祭の大詰なる燭火の遊(モツコロ)始まらんとす。今まで列を成したりし馬車は漸く亂れて、街上の雜遝ざつたふは人聲の噪しさと共に加はり、空の暗うなりゆくを待ち得て、人々持たる燭に火を點せり。中には一束を握りて、こと/″\く燃せるもあり。かちなるも車なるも燭をりたるに、窓のうちに坐したる人さへ火持たぬはあらねば、この美しき夜は地にも星ある如くなり。家々より街の上へさし出せる火には、いろ/\なる提灯ちやうちん、燈籠ありて、おの/\功を爭へり。さて人々皆おのが火を護りて、人のを消さむとす。火持たぬ人は死ね(リア、アムマツアトオ、キイ、ノン、ポルタア、モツコオリ)と叫ぶ聲は、次第に喧しくなりまされり。我が持てる燭も、人に觸れさせじとする骨折は其甲斐なくて、打ちさるゝことしきりなりければ、われ餘りのもどかしさに、智慧ある人は我にならへよと叫びつゝ、柄ながらに投げ棄てつ。道の傍なる婦人數人は、その燭を家々のあなぐらの窓にさし込みて、これをば誰もえ消さじと心安んじ、我を指ざして燭なき人の笑止さよと嘲るほどに、家の童どもいつか窖に降り行きて、その燭を吹き滅したり。又高き窓なる人々は竿に着けたる堤燈ひさげとうさし出して誇貌ほこりがほなるを、屋根に這ひ出でたる男ども竿の尖に紛※てふき〈[#「巾+兌」、56-下段-1]〉結びたるを揮ひて、これをさへ拂ひ消すめり。

 異國人ことくにびとにて此祭見しことなきものは、かゝる折の雜遝ざつたふを想ひ遣ること能はざるべし。立錐りつすゐの地なき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなりまさりぬ。忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を囘しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣ねまき纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は猶四五尺許なるとうの竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高くかざせり。彼の紛※てふき〈[#「巾+兌」、56-下段-12]〉結びたる竿のたけ足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は又娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なく「コンフエツチイ」のあられほとばしらせたり。われはこれをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘はあなやと叫び、男は石膏のたまを放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿をたわませんとせしに、竿は半ばよりほきと折れて、燭のたばははたと落つ。群衆は喝采せり。娘はアントニオ、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタが聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有らん限を我頭にげ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きてをどり下るれば、車ははや彼方へ進み、和睦わぼくのしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留りぬ。われは車を追はんとせしが、雜沓甚しきため其甲斐なく、遂にとある横街に身を避けつ。

 身の周圍の混雜收りて心落つくと共に、心に懸かるはアヌンチヤタ同乘あひのりしたる男の上なり。察するにベルナルドオ故意わざと翁に扮したるなるべし。いで二人の家に歸るを待ち受けて確めばやと人通り少かるべき横街を駈け拔けて、姫が住めるコロンナの廣こうぢに出で、戸口に立ちて待つほどに、車は果して歸り着きぬ。われは家の僮僕しもべなどの如き樣して走り寄りつゝ、車より下る二人を援けんとするに、姫は我手に縋らで先づおり立ちぬ。さて彼老神士に心を着くるに、その立ちあがりいざりおるゝ樣にて、わが推せし人ならぬは早く明かになりたりしが、寢衣の裾より出でたる褐色のを見るに及びて、姫が家のおうななることは漸く知られぬ。媼はわがさし伸ばす手に縋りて下りぬ。われは姫のともしたる人の男ならざりし嬉しさに、幸あらん夜をこそ祈れと聲高く呼びて去らんとせしに、姫進み寄りて、惡しき人かな、早くフイレンチエのがれ行かばやといひつゝも、手さし出せるを握るに、かなたも親く握り返しつ。嬉しさに嬉しさの重なりたる我は、火持たぬ手うち振りて、火持たぬ人は死ねと叫び行きぬ。我心の中には姫が徳を頌する念滿ちたり。その車の傍なる座をば、樂長にも許さず、吾友にも許さで、彼媼を伴ひしこそ、姫が心の清きあかしなれ。彼媼は又かゝる遊を喜ぶべき人とも見えぬに、男寢衣を身に着けて供せしを思へば、もはら姫を悦ばせんがために心をつくせるものなるべし。唯だ姫が側なる人をベルナルドオならんと疑ひしとき、我心のさわがしかりしは、ねたみなるかあらざるか、そはわが考へ定めざるところなりき。

 われは殘れる謝肉祭の時間を面白く過さんとて、假粧舞フエスチノにはに入りぬ。堂の内には處狹ところせまきまで燈燭を懸け列ねたり。假粧けはひせる土地ところの人、素顏のまゝなる外國人と打ちまじりて、高き低き棧敷を占めたり。平土間より舞臺へ幅廣きはしごをわたしたるが、樂人の群の座はその梯の底となりたり。舞臺には畫紙をり、環飾わかざり紐飾を掛けて、客の來り舞ふに任せたり。樂人は二組ありて、代る代る演奏す。今は酒の神なるバツコスとその妻なる女神アリアドネとの姿したる人を圍みて、貸車の御者ヱツツリノに扮したる男あまた踊り狂ふ最中なりき。われは梯を踏みてその群に近づき、引かるゝまゝに共に舞ひしが、心樂しく身輕きに、曲二つまで附き合ひて、夜更けたる後ねぐらに歸りぬ。

 眠りしは短き間にて、翌朝は天氣好かりき。姫は今羅馬を立つにやあらむ。華かにして賑はしく、熱して騷がしかりし謝肉祭は、今我を殘して去りぬ。外に出でゝ風に吹かれなば、心寂しきけふを慰むるに足ることもやと思ひて、獨り街に立ち出でぬ。家々の戸は閉されたり。物賣る店もまだ起き出でざりき。昨日は人の波打ちしコルソオの大道には、往き交ふ人まばらにして、白衣にあゐ色の縁取りしをたる懲役人の一群、あられの如く散りぼひたる石膏のたまを掃き居たり。塵を積むべき車のながえには、骨立ほねたゝしたる老馬の繋がれつゝ、側なる一團の芻秣まぐさを噛めるあり。とある家の戸口には、貸車の御者立ちて、あき箱あき籠あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李のくぼくなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。この車は横街より出でたる、同じ樣にこり載せる車と共に去りぬ。ナポリにや行くらん。フイレンチエにや行くらん。耶蘇更生祭の來ん日まで、羅馬は五週間の長眠をなさんとするなり。


   精進日、寺樂


 事なくして靜に日を暮せば、その永さの常にもあらで覺えらるゝと共に、謝肉祭の間の珍らしかりし事、その事の中心をなせる姫が上のみ心頭に往來せり。墳墓の如き靜けさは日ごとに甚しくなりぬ。わが胸の空虚は書卷の能くうづむるところにあらざりき。ベルナルドオはわが無二の友なり。然るに今はその音容に接することのいとはしくなれるぞ怪しき。嗚呼我等二人の間にはアヌンチヤタの立てるなり。たとひ友を失はんも、彼君のためには惜からじと一たびは思ひぬ。されどつら/\思ひ返せば、友は我に先だちて姫と交を結びぬ。わが姫と相識ることを得しは、全く友の紹介のたまものなり。われは友に對して、我が姫に運ぶ情の戀にあらず、藝術上の感歎なるを誓ひたり。ベルナルドオはわが無二の友なり。われは今これを欺かんとす。悔恨の棘は我心を刺せり。されどわれは遂にアヌンチヤタを忘るゝこと能はず。

 アヌンチヤタを懷ふはアヌンチヤタの我に與へたる歡喜を懷ふなり。されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念をび起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人なきひとの肖像の笑へるが如し。その笑はたま/\以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ人の世途の難を説くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀につにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタは尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりといへども、われいてこれに從はゞ、その形迹世の蕩子たうしえらぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之しかのみならず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりはまた我を憐み給はざるべし。いはんや此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタの心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭ぬかづき、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭を擧げしに、何ぞはからむ聖母のおもては姫の面となりて我を悦ばせ又我を苦めむとは。我はたとひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。

 我は嘗ていにしへの信徒の自らむちうち自らきずつけしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所にならはんと欲するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をそのひやゝかなる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだをさなき時の心安かりしことよ。母の膝下しつかにて過す精進日せじみびは、常にも増してたのしき時節なりき。四邊あたりの光景は今猶きのふのごとくなり。街の角、四辻などには金紙銀紙の星もて飾りたる常磐木ときはぎ草寮こやあり。處々に懸けし招牌せうはいには押韻あふゐんしたる文もて精進食せじみしよくの名を列べ擧げたり。夕になれば緑葉の下にいろどりたる提燈ひさげとうれり。雜食品賣る此頃の店は我穉き目に空想界を現ぜる如く見えにき。銀紙卷きたる腸詰肉を柱とし、ロヂイ産の乾酪かんらくを穹窿としたる小寺院中にてブチルロもてねたる羽ある童の舞ふさまは、我最初の詩料なりき。食品店の妻は我詩を聞きて、ダンテの神曲なりと稱へき。當時われは不幸にして未だこのほまれある歌人のいかに世を動かしゝかを知らず、又幸にして未だアヌンチヤタが如き才貌ある歌妓のいかに人を動かすかを知らざりしなり。嗚呼、われは奈何いかにしてアヌンチヤタを忘るゝことを得べきぞ。

 われは羅馬ロオマの七寺を巡りて、行者ぎやうじやともに歌ひぬ。吾情は眞にして且深かりき。然るをこれに出で逢ひたるベルナルドオは、刻薄なる語氣もて我に耳語していふやう。コルソオの大道にて戲謔能く人のおとがひを解きしは誰ぞ。アヌンチヤタが家にて即興の詩をそらんじ座客をおどろかしゝは誰ぞ。今は目に懺悔の色を帶び頬に死灰の痕を印して、殊勝なる行者と伍をなせり。汝はいかなる役をも辭せざる名優なるよ。此の如きは我が遂にアントニオに及ばざるところぞといひぬ。吾友の言ふところは實録なりき。されど當時我をやぶること此實録より甚しきはあらざりしなり。

 精進せじみの最後週は來ぬ。外國人は多く羅馬に歸りつどひぬ。ポヽロ門よりもジヨワンニ門よりも、馬車相驅逐して進み入りぬ。水曜日午後にはワチカアノシクスツス堂にて「ミゼレエレ」(ミゼレエレ、メイ、ドミネ、憐を我に垂れよ、主よの句に取りたるにて、第五十頌の名なり)の樂あり。われは樂を聽きて悶を遣らんがために往きぬ。聽衆は堂の内外に押し掛け居たり。前なる椅榻こしかけには貴婦人肩を連ねたり。色絹、天鵝絨びろうどもて飾れる觀棚さじきの彫欄の背後うしろには、外國の王者並び坐せり。法皇の護衞なる瑞西スイス隊は正裝して、その士官はかぶと唐頭からのかしらはさめり。この裝束は今若き貴婦人に會釋せるベルナルドオには殊に好く似合ひたり。

 われ裏面よりらちに近き處に席を占めしに、こゝは歌者の席なる斗出としゆつせる棚に遠からざりき。背後には許多あまた英吉利イギリス人あり。この人々は謝肉祭カルナワレの頃假粧けはひして街頭を彷徨さまよひたりしが、こゝにさへ假粧して集ひしこそ可笑しけれ。推するにその打扮いでたちは軍隊の號衣ウニフオルメに擬したるものならん。されど十歳ばかりわらべまでこれを着けたるはいかにぞや。その華美ならんことを欲することの甚しきを證せんがために、こゝに一例を擧げんに、其人の上衣は淡碧うすみどりにして銀絲の縫ひあり、長靴には黄金をちりばめ、扁圓なる帽には羽毛連珠を着けたり。英吉利人のかゝる習をなしゝは、美しき號衣ウニフオルメき座席を得しむる利益を知りたるためなるべし。我傍よりは笑を抑ふる聲洩れたり。されどわがそを可笑しと見しは、唯だ一瞬間なりき。

 老いたる僧官カルヂナアレ達は紫天鵝絨の袍のえりエルメリノの白き毛革を附けたるを穿て、埒の内に半圈状をなして列び坐せり。僧官達の裾を捧げ來し僧等は共足元にうづくまりぬ。贄卓にへづくゑの傍なるちさき扉は開きぬ。そこより出でたるは、白帽を戴き濃赤色の袍をまとへる法皇なりき。法皇は交椅に坐したり。侍者等は香爐を搖り動したり。紅衣の若僧の松明まつ取りたるもの數人法皇と贄卓との前にひざまづけり。

 讀誦どくじゆは始まりぬ。(絃歌に先だちて十五章の讀誦あり。壇上に巨燭十五を燃やしおきて、一章終るごとに一燭を滅す。)われは心を死せる文字の間に濳むること能はず、魂を彼のミケランジエロが世にまれなる丹青の力もて此堂の天井と四壁とに現ぜしめたる幻界に馳せたり。その活けるが如き預言者等の形は一個々皆大册の藝術論の資をなすに餘あるべし。その力量ある容貌風采とこれを圍める美しき羽あるちごの群とは、我眼を引くこと磁石の鐵を引く如くなりき。こは畫にあらず。活ける神人なり。エワこのみを夫に贈りし智慧の木は鬱蒼として彼處かしこに立てり。父なる神は、古の畫工の作れる如く羽ある童に擔はれたるにはあらで、その肢體の上、その風にひるがへる衣裳の上に、許多あまたの羽ある童を載せつゝ、水の上を天翔あまかけり給ふ。われはけふ始めて此畫を觀たるにあらず。されど此畫の我心を動かすこと今日の如きは未だ有らず。われはけふの群集のためにや、わが熱したる情のためにや知らねど、此畫中に限なき詩趣あるを認めたり。或は想ふにこは我が抒情の興多き心を畫中に投じ入れたるにはあらずや。そは兎まれ角まれ、此畫に對して此情をなすは、恐らくは獨り我のみならず、こは我に先だてる幾多の詩人の亦免れざるところなりしなるべし。

 けはしきを行くことたひらかなる如き筆力、望み方嚮はうかうに從ひて無遠慮なるまで肢體の尺を縮めたる遠近法は、個々の人物をして躍りて壁面を出でしめんとす。昔基督の山上に在りて言語もて説き給ひし法(馬太マタイ五至七)は、今此大匠によりて色彩と形象ともて現されたるなり。吾人はラフアエロと共に膝を此大匠の技倆の前に屈せんとす。此數多き預言者は、一つとして同じ人の石もて刻める摩西モセスに劣ることなし。何等の魁偉くわいゐなる人物ぞ。堂に入るものゝ心目は先づこれがために奪はるゝなり。

 吾人はこゝに心目を淨めをはりて、さて頭を擧げて堂の後壁に向ふなり。下は大床より上は天井に至るまで、立錐りつすゐの地をあまさゞるこの大密畫は、即ち是れ一くわの寶玉にして、堂内の諸畫は悉くこれをうづめんがために設けし文飾あるわくたるに過ぎず。これを世のすゑの審判の圖となす。

 判官たる基督は雲中に立てり。使徒と聖母とは不便ふびんなる人類のために憐を乞はんとて手をさし伸べたり。死人は墓碣ぼけつを搖り上げてたんとす。惠に逢へる精靈は拜みつゝ高くかけり、地獄はそのあぎとを開いて犧牲を呑めり。宣告を受けたる同胞の早く毒蛇に卷かれたるを、雲に駕せる靈のたすけ出さんとするあり。悔い恨める罪人の拳もて我額を撃ちつゝ、地獄の底深く沈み行くあり。天堂と地獄との間には、或は登り或は降る神將力士あまたありて、例の大膽なる遠近法もて寫し出されたり。優しく人をめぐみがほなる天使、再會して相悦べる靈ども、金笛きんてきの響に母の懷に俯したる穉子をさなごなど、いづれ自然ならざるなく、看るものは覺えず身を圖中にきて、審判のことばに耳を傾く。ミケランジエロは蓋し能くダンテの歌ひしところを畫けるなり。

 恰も好しまさに沒せんとする夕日はそのなごりの光を最高列の窓より射込みたり。圖の下の端なる死人の起つあたり、ふなよそひせる羅刹らせつの罪あるものをき去るあたりは、早や暗黒裡に沒せるに、基督とその周匝めぐりなる天翔あまがける靈とは猶金色に照されたり。日の入ると共に最後の燭は吹きされて、讀誦は全く果てたり。暗黒は審判の圖の全面を覆へり。絲聲肉聲は又湧きて、世のすゑの審判の喜怒哀樂皆洋々たる音となりつゝ、われ等の頭上を漲り過ぐ。

 法皇は式の衣を脱ぎて、贄卓にへづくゑの前に立ち、十字架を拜せり。金笛の響凄じく、「ポプルス、メウス、クヰツト、フエチイ、チビイ」の歌は起りぬ。低階の調にまじやはらかなる天使の聲は、男の胸よりも出でず、女の胸よりも出でず、こは天上より來れるなり。こは天使の涙の解けて旋律に入りたるなり。

 われはこれを聽きて、力づきよみがへり、この頃になき歡喜は胸に滿ちたり。われはアヌンチヤタを愛し、ベルナルドオを愛せり。この瞬時の愛はかの天上の靈の相愛するにことならざるべし。祈祷の我に與へざりし安慰は、今音樂にて我に授けられたるなり。


   友誼と愛情と


 式終りてベルナルドオが許を訪ひぬ。手を握りえりひらきて語るに、高興は能辯の母なるを知りぬ。けふ聞きつるアレエグリイ(寺樂の作者)が曲、我が夢物語めきたる生涯、我と主人との友誼は我に十分なる談資を與へたり。けふの樂はいかに我憂を拂ひし。未だ聽かざりし時の我疑懼ぎく、鬱悶、苦惱は幾何いくばくなりし。われは此等の事を殘なく物語りしが、唯だこれが因縁をなしゝものゝ主に我友なりしか、又はアヌンチヤタなりしかをば論じ究めざりき。我が今友に對してべ開くことを敢てせざる心のひだはこれ一つのみなりき。友は打ち笑ひて、さて/\面倒なる男かな、カムパニアの羊かひの頃よりボルゲエゼの館に招かるゝまで、女子の手して育てられしさへあるに、「ジエスヰタ」派の學校に在りしなれば、斯くむづかしき性質にはなりしならん、切角せつかくの伊太利の熱血には山羊の乳をぜられたり、「ラ、トラツプ」派の僧侶めきたる制欲は身を病ましめたり、馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝をび、夢幻境を出で現實界に入らしめざるこそうらみなれ、汝が心身の全くえんは人なみになりたる上の事ぞといひぬ。われ。我等二人の性は懸隔すること餘りに甚し。然るを我は怪しきまで汝を愛せり。折々は共に棲まばやとさへ思ふことあり。友。そはたゞに我等を温めざるのみならず、却りて何時ともなくこの交を絶つべし。友誼と戀情とは別離によりて長ず。我は時に夫婦の生活のいかに我をましむべきかを思へり。斷えず相見て互に心の底まで知りあはむ程興なき事はあらざるべし。さればおほかたの夫婦はいくばくもあらぬにき果つれども、名聞みやうもんはゞかると人よきとにて、其えにしの絲は猶繋がれたるなり。我は思ふに、我情いかに一女子のために燃えんも、その女子の情いかに我に過ぎたらんも、そのほのほの相合ふ時は即ち相滅する時ならん。愛とは得んと欲する心なり。得んと欲する心は既に得て止むべし。われ。若し汝が妻アヌンチヤタの如く美しく又賢からむには奈何いかん。友。其薔薇花の美しき間は、わが愛づべきこと慥なり。されど色香一たび失せたらむ日には、われは我心のいかになり行くべきを知らず。汝はわが今何事を思ひしかを知るや。この念は忽ち生じ忽ち滅すれど、今始て生ぜるにはあらず。われは汝の血のいかに赤きかを見んと願ふことあらむも計られず。されどわれには智あり。汝は我友なり。わが潔白なる友なり。縱令よしやわれ等二人同じ女に懸想けさうすることあらんも、相鬪ふには至らざるべし。斯く言ひつゝ友は聲高く笑ひ、我首を抱きて戲れながらにいふやう。我に馴れたる小鳥ありて、その情はいとこまやかなれど、この頃はすこし濃かなるに過ぎて厭はしくなりぬ。思ふに汝には氣に入るべし。こよひ我と共に來よ。親友の間には隱すべきことなし。面白く一夜を遊び明さむ。さて日曜日にならば、法皇は我等が罪を洗ひ淨め給ふべきぞ。われ。否、我は共に往かざるべし。友。そは卑怯なり。汝は汝の血を傾け盡して、只だ山羊の乳のみを留めんとするか。汝が目は我目に等しく耀かゞやくことあり。われは嘗てこれを見き。汝が鬱悶、汝が苦惱、汝が懺悔ざんげ、是れ畢竟何物ぞ。われあからさまに言ふべきか。是れ得んと欲して得ざるところあるなり。その得ざるところのものは、赤き唇なり、軟なる膚なり。汝が假面のかぶりざまつたなければ、われは明白に看破せり。いざ往いてその得んと欲する所のものを得よ。汝否といはゞ、そは卑怯なり、臆病なり。われ。止めよ。そは餘りなる詞なり。そは我をはづかしむる詞なり。友。されど汝はそのはづかしめを甘んじ受けざること能はざるべし。これを聞きしとき、我血は上りて頭をきしが、我涙も亦湧きて目に溢れたり。いかなれば汝はかくまでに無情なる。我は汝を愛し汝は我を弄ぜんとす。アヌンチヤタと汝との間にわれ立てりと思へるにはあらずや。アヌンチヤタの我を視ること汝より厚しとおもへるにはあらずや。友。否、決して然らず。わが空想家ならずして思遣おもひやり少きは汝も知りたらん。されど女の事をばしばらくく置け。唯だ心得がたきは、汝がいつも愛々といふことなり。我等二人は手を握りて友となりたり。その外には何も無し。我は汝と共に夸張くわちやうすること能はず。我をばたゞ此儘にてあらせよ。對話はおほよそ此の如くなりき。ベルナルドオ毒箭どくやは痛く我胸を傷けしが、別に臨みて我に握らせたる手は、遂にわれ等が交情を滅するに至らずして止みぬ。


   をさなき昔


 翌日は木曜の祭日なりき。鐘の音は我をサンピエトロの寺に誘ひぬ。嘗て外國人とつくにびとありて此寺の堂奧はこゝに盡きたりとおもひぬといふ、いと廣き前廳まへにはに、人あまたれたるさま、大路おほぢの上又天使橋の上に殊ならず。羅馬の民はけふ悉くこゝに集へるなり。されば彼外國人ならぬものも、おなじ迷を起すべう思はる。何故といふに、人愈〻おほくして廳は愈〻ひろしと見ゆればなり。

 歌は頭の上に起りぬ。伶人の群をば棚の二箇處に居らせて、其聲相應ずるやうにせり。群衆は洗足の禮の今始まるを見んとて押し合へり。(此日法皇老若の僧徒十三人の足を洗ひ、僧徒は法皇の手に接吻して、おの/\「マチオラ」の花束をたまはり退くことなり。)偶〻たま/\貴婦人席より我に目禮するものあり。誰ぞと視ればアヌンチヤタなりき。彼君は歸りぬ。彼君は此堂にあり。我胸はいたく騷げり。その席幸に遠からねば、我等は詞を交すことを得たり。姫は咋日歸りしかど、樂ははや果てし後にて、僅に「アヱ、マリア」の時此寺には來ぬとなり。

 姫。此寺の光景はきのふ暗くて見しかた、けふのめでたきにも増してめでたかりき。聖ピエトロの墓の前なる一燈の外には何の光もなく、その光さへ最近き柱を照すに及ばざる程なるに、人々跪ひざまづきていのれば、われも亦跪きぬ。緘默かんもくうちに無量の深祕あるをば、その時にこそ悟り侍りしかといふ。側にありし例の猶太ユダヤ婦人は、長き紗もて面を覆ひたれば、今までそれと知らざりしに、優しく我に會釋しつ。式は早や終りぬれば、姫はおのれを車に導くべき從者や來ると顧みたれど、その影だに見えず。若き人々の姫を認めて耳語さゝやき合ふもあれば、姫は早くこの堂を出でんとおもへる如し。われは車に導かんことをひしに、猶太婦人は直ちに手を我肘に懸け、姫は我と並びて行けり。我は姫に我肘にらんことを勸むるたんなかりき。されど表口の戸に近づきて、人のみ合ふこと甚しかりしとき、姫は手を我肘に懸けたり。我脈には火のめぐり行くを覺えき。車をば直ちに見出だしつ。わが暇を告げんとせしとき、姫今は精進せじみの時なれば何もあらねど、夕餉ゆふげ參らすべければ來まさずやと案内したるに、おうな快手てばやくおのれが座の向ひなるこしかけに外套、肩掛などあるを片付け、こゝに場所あり、いざ乘り給へと、我手をりぬ。共に車に載せんといひしならぬを、媼の耳うとくしてかく聞き誤りたるなれば、姫ははしたなくや思ひけん、顏さとあかめたり。されど我は思慮するいとまもあらで乘りうつり、御者ぎよしやも亦早く車を驅りぬ。

 膳は豐なるにはあらねど、一として王侯の口にのぼすとも好かるべき贅澤品ならぬはなし。姫はフイレンチエにての事細かに語りて、さて精進日の羅馬はいかなりしと問ひぬ。こは我がためにはあからさまに答ふべくもあらぬ問なりき。

 われ。土曜日には猶太教徒の洗禮あるべし。君も往きて觀給ふべきか。此詞ははからず我口より出でしが、われは忽ち彼媼の側にあるを思ひ出だして、氣遣はしげにかなたを見き。姫。否、心に掛け給ふな。御身の詞は聞えざりき。されど聞ゆとも惡しく聞くべうもあらず。唯だ彼人の往かんはおだやかならねば、我もえ往かざるべし。そが上コンスタンチヌスの寺なる彼儀式は固より餘りでたからぬ事なり。(この儀式は歳ごとに基督再生祭に先だつこと一日にして行へり。猶太教徒若くは囘々フイフイ教徒數人すにんをして加特力カトリコオ教に歸依きえせしめ、洗禮を行ふなり。羅馬年中行事に「シイ、アフ、イル、バツテシイモ、ヂイ、エブレイ、エ、ツルキイ」と記せり。)僧侶は異教の人の歸依せるをもて正法の功力くりきの所爲となし、看る人に誇れども、その異教の人のまことに心より宗旨を改むるは稀なり。われもをさなき時一たび往きて觀しことあり。その折の厭ふべき摸樣は今に至るまで忘られず。き來りしは六つ七つばかりの猶太人の童なりき。櫛の痕なき頭髮の蓬々たるに、寺の贈なる麗しき素絹の上衣を纏へり。靴とくつしたとは汚れ裂けたるまゝなり。後にきて來たるは同じさまに汚れたる衣着たる父母なりき。この父母はおのれ等の信ぜざる後世ごせのために、その一人の童を賣りしなるべし。われ。君はをさなき時この羅馬にありてそを見きとのたまふか。姫。然なり。されど我は羅馬のものにはあらず。われ。我は始て君が歌を聽きしとき、直ちに君のむかし識りたる人なることを想ひき。そを何故とも言ひ難けれど、この念は今も猶することなし。若しわれ等輪𢌞りんね應報の教を信ぜば、われも君も前生は小鳥にて、おなじ梢に飛びかひぬともいひつべし。君にはさる記念なしや。何處にてか我を見しことありとはおぼさずや。姫は我と目を見あはせて、絶てさる事なしと答へき。われ詞を繼ぎて。初めわれ君は穉きときより西班牙スパニアに居給ひぬと思ひしに、今のおん詞にては羅馬にも居ましゝなり。我惑はいよ/\深くなりぬ。君既にをさなくして此都に居給ひきといへば、若しこゝの稚き子等と共に、「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ひしことあらずや。姫。あり/\。まことにさやうなる事はべりき。さてはかの折人々の目に留まりし童はアントニオ、おん身なりしか。われ。いかにも初め目に留まりしは我なりき。されど勝をば君に讓りしなり。姫はげに思ひも掛けぬ事かなと、我兩手をりて我面を見るに、媼さへその氣色けしきの常ならぬをいぶかりて、椅子をいざらせ、我等が方をうちまもりぬ。姫は珍らしき再會の顛末もとすゑを媼に説ききかせつ。われ。我母もその外の人々も暫くは君が上をのみ物語りぬ。その姿のやさしさ、その聲の軟さをば、穉き我心にさへねたましきやうに覺えき。姫。その時君はかね控鈕ボタン附きたる短き上衣を着たまひしこと今も忘れず。その衣をめづらしと見しゆゑ、久しく記憶に殘れるなるべし。我。君は又胸の上に美しき赤きひもを垂れ給ひぬ。されど最も我目に留まりしはそれにはあらず。君が目、君が黒髮なりき。人となり給へる今も、そのおもかげは明に殘れり。始て君がヂドに扮し給へるを見しとき、われは直ちにこの事をベルナルドオに語りぬ。さるをベルナルドオはそを我迷ぞといひ消して、却りておのれが早く君を見きと覺ゆる由を語りぬ。姫、そは又いかにしてと問ひしが、その聲うち顫ふ如くなりき。われ。ベルナルドオが君を見きといふは、いたく變りたる境界なり。惡しくな聞き給ひそ。ベルナルドオも後に誤れることを覺りぬ。君が髮の色濃きなど、人にしか思はるゝ端となりしなるべし。君は、君はわが加特力教の民にあらず、されば「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ふ筈なしとの事なりき。姫は媼の方を指ざして、さては我友とおなじ教の民ぞといひしなるべしといふ。われは直にその手を取りて、わが詞のなめしきを咎め給ふなと謝したり。姫微笑みて、君が友の我を猶太少女とおもひきとて、われいかででか心に掛くべき、君は可笑しき人かなといひぬ。この話は我等の交を一と際深くしたるやうなりき。わが日頃の憂さは悉く散じたり。さてわが再び見じとの決心は、生憎あやにくにまた悉く消え失せたり。

 姫はふと基督再生祭前のこの頃閉館中なる羅馬の畫廊の事を思ひ出でゝ、かゝる時好きつてを得て往きば、いと面白かるべしといふに、姫の願としいへば何事をも協へんとおもふわれ、幸にボルゲエゼの館の管守、門番など皆識りたれば、そは容易たやすき事なりとて、あくる朝姫と媼とを伴ひ往かんことを約しつ。かの館は羅馬の畫廊のうちにて最も備れる一つなり。フランチエスカの君のをさなき我を伴ひ往き給ひしはかしこなれば、アルバニが畫の羽ある童は皆わが年ごろの相識なり。

 靜なる我室に歸りて、つら/\物を思ふに、ベルナルドオはまことに彼君を戀ふるに非ず。卑しき色慾を知りて、高き愛情を解せざる男の心と、深けれども能く澹泊たんぱくに、大いなれども能く抑遜よくそんせる我心とは、日を同じくして語るべからず。さきの日の物語の憎かりしことよ。彼はたゞ驕慢けうまんなり。彼はたゞ放縱なり。かくて飽くまで我を傷けたり。そはアヌンチヤタの我に優しきをねたみてなるべし。初め我を紹介せしは、いかにも彼男なりき。されど今その心をすゐすれば、好意とはおもはれず。おのが風采態度のすぐれたるを彼君に見するとき、その側に世馴れぬ我を居らせて反映せしめんためにはあらずや。さるを我歌我詩ははしなく彼君の心にかなひぬ。妬の心はこれよりきざせるならん。さて我を又姫に逢はせじとて、かくは我を脅しゝなるべし。幸にわれ好き機會を得て、今は姫との交いと深くなりぬ。姫は我を憐めり。加之しかのみならず姫は我戀を知りたり。かく思ひつゞけつゝ、我は枕に接吻せり。さるにても口惜しきは、わが意氣地なき性質なり。いかなれば我は先の日直ちに彼の無禮を責めざりしぞ。かの詞にはかく答ふべかりしなり。かのはづかしめをばかくそゝぐべかりしなり。我血は湧き上りたり。無上の快樂に無比の慙恨打ち雜りて、我は睡ること能はざりしが、曉近くおもひの外におだやかなる夢を結びぬ。

 翌朝ははやく起き、管守を訪ひてあらかじめことわりおき、さて姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。


   畫廊


 畫廊はわが穉かりしとき、惠深き貴婦人の我を伴ひ往きて、おろかなる問、いまだしき感の我口より出で我言に發するごとに、面白しとてたのしみ笑ひ給ひしところにして、又わが獨り入りて遊び暮らしゝところなれば、今アヌンチヤタを導き往くことゝなりたる我胸には、言ひ知らず怪しき情漲り起れり。既に入りて畫を看れば、ふくごとに舊知なるごとく思はる。されど姫は却りてこれを知ること我より深かりき。姫は生れながらの官能に養ひ得たる鑒識かんしきをさへ具へたれば、その妙處として指し示すところは悉く我を服せしめ、我にその神會しんゑの尋常に非ざるを歎ぜしめたり。

 姫はジエラルドオ・デル・ノツチイの名ある作なるロオトソドムに住みしハランの子)とその女兒との圖の前に立てり。われはをゝしき父の面、これに酒を勸むる樂しげなる少女の姿、暗く繁りあひたる木立のあなたに見ゆる夕映の空などめでたしと稱へしに、姫我ことばをさへぎりて、げに/\奇なる才激せる情もて畫けるものと覺し、作者の筆の傅色ふしよく表情の一面はまことに貴むべし、さるを此の如き題(ロオトは其女子と通じたり)を選みしこそ心得られね、畫にも禮儀あり、品性あらんは我がつねに望む所なり、コルレジヨオダナエなども、己れは人のづらんやうには愛でず、少女(ダナエを謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス黄金の雨となりてき給ひ、ペルセウスを生ませ給ふ)の貌はいかにも美しく、臥床ふしどの上にて黄金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す、ラフアエロの大なるはこゝにあり、わが知れる限は、その採るところの題、つねに高雅にしていさゝかけがれだになし、かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれといふ。われ。仰せは理あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし。姫。そはきはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、清淨醇白じゆんぱくなるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く鋭くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向ふごとに、必ず心の底に徹する如き念をなせり。この高潔といふものは、その作畫者のために缺くべからざること、度曲者ときよくしやに於けると同じ。名作中こゝかしこに稍〻過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と看做みなして、ゆるすこともあるべけれど、その疵瑕しかは遂に疵瑕たることを免るべからず。わがまことに愛づるは無瑕の美玉にこそ。われ。さらば君は變化を命題の間に求めんことをば是とし給はずや。いかなる大家鉅匠きよしやうにても、幅ごとに題を同うせば人の厭倦を招くなるべし。姫。否々、そは我が言はんと欲せしところにあらず。わが本意は畫工に聖母のみ畫かせんとにはあらず。めでたき山水も好し。賑はしき風俗畫、颶風ぐふうあらがふ舟の圖も好し。サルワトオレ・ロオザが山賊の圖もいかでか好からざらん。われは唯だ藝術の境に背徳を容れじとこそ云へ。わが趣味より視れば、かの「シヤリア」宮なるシドオニイの畫の如きすら、その巧緻その汚穢をわいおほふに足らず。君は猶彼圖を記し給ふや。うさぎうまりたる農夫二人石垣の下を過ぐ。垣の上に髑髏どくろありて、一鼷鼠けいそ、一蚯蚓みゝず、一木蝱きあぶこれに集り、石面には「エツト、エゴオ、イン、アルカヂア」と云ふ〈[#「アルカヂア」と云ふ」は底本では「アルカヂアと」云ふ」]〉四つの拉甸ラテン語を書したり。われ。その畫はラフアエロの「ヰオリノ」きの隣に懸けられたるを、われも記憶す。姫。さなり。そのラフアエロ落欵らくくわんの見苦しき彼圖の上邊にあるこそうらみなれ。

 既にしてわれ等はフランチエスコ・アルバニイが四季の圖の前に來ぬ。われは昔穉かりし日にこゝに遊び、この圖の中なる羽ある童を見て感ぜし時の事を語りぬ。姫は君が穉くて樂しき日を送り給ひしこそ羨ましけれといひて、憂をかくすやうなるさまなり。昔の身の上にや思ひ比べけんと、あはれに覺ゆ。われ。君とても樂しき日少なからざりしならん。わが初めて相見しときは、君は幸ありげなるをさな子なりき、人々に感覆めでくつがへられたるをさな子なりき。わが再び相逢ふ日は、羅馬全都の君がために狂するを見る。餘所目よそめには君、まことに樂しく見え給へり。さるを心には樂しとおもひ給はずや。かく問ひつゝ、我は頭を傾けて姫の面をし視たるに、姫はそのそこひ知られぬなざしもて打ち仰ぎ、そのめでくつがへられたるをさな子は、父もなく母もなきあはれなる身となりぬ、譬へば木葉落ち盡したる梢にとまる小鳥の如し、そをの内に養ひしは世の人にいやしまれうとまるゝ猶太教徒なり、その翼を張りておそろしき荒海の上に飛び出でたるはかの猶太教徒の惠なりといひかけて、忽ち頭をり動かし、あな無益むやくなる詞にもあるかな、由縁ゆかりなき人のをかしと聞き給ふべき筋の事にはあらぬをといふ。由縁なき人とはわれかと、姫の手首とりてさゝやくに、暫しあらぬ方打ち目守まもりてありしが、その面には憂の影消え去りて、微笑の波起りぬ。否々、われも樂しかりし日なきにあらず、その樂しかりし日をのみ憶ひてあるべきに、君が昔話を聞きて、端なくもわが心の裡にられたる圖を繰りひろげつゝ、身のめぐりなるめでたき畫どもを忘れたりとて、姫は我に先だちて歩を移しき。

 わがアヌンチヤタ老媼おうなとを伴ひて旅館にかへりしとき、門守る男はベルナルドオが留守におとづれしことを告げたり。我友はこの男の口より二婦人を連れ出だしゝものゝ我なるを聞けりといふ。友の怒は想ふに堪へたり。かゝる事あるごとに、我はさきの日には必ず氣遣ひ憂ふる習なりしが、アヌンチヤタに對する戀は我に彼友に抗する心を生ぜしめき。さきには友我を性格なし、意志なしと罵りき。今はわれ友にしめすに我性格と我意志とをもてすべしとおもひぬ。

 姫が猶太教徒の籠の内に養はれきといふ詞は、絶えず我耳の根にあり。依りておもふに、友がハノホの許にて見きといふ少女はアヌンチヤタなりしならん。されど又姫にそを問ふ機會あるべきか、心許こゝろもとなし。

 あくる日往きしときは、姫は一間にありてそれの役をさらひ居たり。われはおうなに物言ひこゝろみしに、この人はおもひしよりも耳疎かりき。されどそのさま我が詞を交ふるを喜べる如し。われはさきの日即興の詩を歌ひしとき、この人のたのしみ聽けるさまなりしをおもひ出でゝ、その故をたづねしに、あやしとおもひ給ひしもことわりなり、君の面を見、君の詞の端々を聞きて、おほよそにしたるなり、さてその解したるところはいとめでたかりき、平生アヌンチヤタが歌うたふを聽くときも亦同じ、耳の遠くなりゆくまゝに、目もて人の聲を聞くすべをば、やう/\養ひ成せりといふ。媼はベルナルドオが上を問ひ、そのきのふ留守の間におとづれて、共に畫廊に往くこと能はざりしを惜みき。われ媼がベルナルドオを喜べるゆゑを問ふに、かの人の心ざまには優れたるふしあり、われそのあかしを見しことあればよく知りたり、猶太の徒も基督の徒も、神の目より視ば同じかるべければ、彼人の行末を護り給ふならんといふ。やうやくにして媼はことば多くなりぬ。その姫を愛でいつくしむ情はいと深しと見えたり。物語のはし/″\より推するに、姫が過ぎ來し方のおほかたは明かになりぬ。姫は西班牙スパニアに生れき。父も母も彼國の人なり。穉くて羅馬に來つるに、ふた親はやく身まかりて、頼るべき方もなし。猶太の翁ハノホは西班牙に旅せしころ、彼親達を識りつれば、孤兒を引き取りて養へりしに、故郷なるそれの貴婦人あはれがりて迎へ歸り、音樂の師に就きて學ばしめき。その頃某の貴公子この若草手に摘まばやとてさま/″\のてだてを盡しゝに、姫の餘りにつれなかりしかば、公子その恨にえたへで、果はおそろしきはかりごとをさへめぐらしつ。その始末をば媼深く祕めかくす樣なれど、姫の命もあやふかるべき程の事なりきとぞ。姫は彼公子にたづね出されじとて、再び羅馬に逃れ來たり。かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓ゲツトオに濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオが逢ひしは此時なり。いくばくもなくして彼公子身まかりぬ。姫はこれより一身をミネルワの神(藝術の神)に捧げまつりて、その始て桂冠を戴きしはナポリにての催しなりき。媼はその頃より姫のほとりを離れずといふ。語り畢りて媼は、姫の才あり智ありて、敬神の心いよ/\深きを稱ふること頻りなりき。

 旅館を出でしは祝射しゆくしや眞盛まさかりなりき。玄關よりも窓よりも、小銃拳銃などの空射をなせり。こは精進日の終を告ぐるなり。寺々の壁畫をおほへる黒布をば、此聲とゝもにりて落すなり。鬱陶しき時はけふ去りて、蘇生祭のうれしき月はあすよりぞ來るなる。その嬉しさはアヌンチヤタと媼とを祭見に誘ひ得たるにて、又一層を加へたり。


   蘇生祭


 祭の鐘は鳴りわたれり。僧官カルヂナアレを載せたる彩車はサンピエトロの寺に向ひてはしりゆく。車の後なる踏板には、式の服着たる僮僕しもべあまた立てり。外國人の車馬、ところの子女の裙屐くんげきに、狹き巷の往來はむづかしき程になりぬ。神使の丘のいたゞきには、法皇の徽章、聖母マドンナの肖像を染めたる旗閃き動けり。ピエトロの辻には樂人の群あり。道の傍には露肆ほしみせをしつらひて、もろ手さし伸べたる法皇授福の木板畫、念珠などを賣りたり。噴水の銀線は日にかゞやけり。柱弓せりもちの下にはたふあまた置きたるに、家の人も賓客も居ならびたり。群衆は忽ち寺門よりみなぎり出でたり。供養の儀式聲樂を見聞き、磔柱たくちゆう鐵釘てつてい、長鎗などありがたき寶物を拜み得しなるべし。廣き十字街は人の頭の波打ちて、車は相倚りて隙間なき列をなせり。傖父さうふ少童には石像のだいいしぢ上れるあり。全羅馬の生活なりはひの脈は今此辻に搏動するかと思はる。既にして法皇の行列寺門を出づ。藍色の衣を纏へる僧六人にかせたる、華美なる手輿てごしに乘りたるは法皇なり。若僧二人大なる孔雀くじやくの羽もて作りたる長柄のえいを取りて後に隨ひ、香爐搖り動かす童子は前に列びてぞゆく。輿に引き添ひて歩めるは

僧官カルヂナアレ達なり。行列の門を出づるや、樂隊は一齊に聲を揚ぐ。輿を大理石階の上に舁き上げて、法皇の姿廊の上に見ゆるを相圖として、廣き辻なる老若の群集はひざまづけり。隊伍をなせる兵士もこれにならへり。こゝかしこに立てる人の殘りしは、新教を奉ずる外國人なるべし。アヌンチヤタは停めたる車の内に跪きて、その美しき目を法皇の面に注げり。われは見るべからざる法雨のこの群の上に降りそゝぐを覺えき。廊の上より紙二ひらひるがへり落つ。一は罪障消滅の符、一は怨敵調伏の符なり。衆人はその片端を得んとてひしめきあへり。鐘の音再び響き、奏樂又起りぬ。われ等の乘れる車の此辻を離るゝとき、ベルナルドオが馬、側を過ぎたり。馬上の友はアヌンチヤタと媼とにゐやして、我をば顧みざりき。姫は君が友の色の蒼さよ、病めるにあらずやとさゝやきぬ。われはたゞさることはあらざるべしと答へしが、我心は明に友の面色土の如くなりし所以ゆゑんを知りたり。而してわれは我決心の到れるを覺えき。

 わが姫を慕ふ情は甚だ深し。姫にしてわれを棄てずば、我は一生を此戀にゆだぬとも可なり。われは嘗て我才の戲場によろしくして、我のんどの喝采を博するに足るをためし得たれば、一たび意を決して俳優の群に投ぜば、多少の發展を見んことかたからざるべし。ベルナルドオ畢竟何爲者なにするものぞ。その年ごろ姫に近づかんとする心にして、公正なる情ならば、われ決してこれが妨碍ばうげをなさじ。友と我との間にえらばんは、一にアヌンチヤタが寸心に存ず。姫我を取らば友去れかし。友を取らば我退かん。この日われは机にむかひて書を裁し、これをベルナルドオが許に寄せたり。筆を落すに臨みて舊情を喚び起せば、不覺の涙紙上に迸りぬ。發送せし後は心やゝ安きに似たれど、或は姫を失はんをりの苦痛を想ひ遣りて、プロメテウスの鷲のくちばしに刺さるゝ如きおもひをなし、或は姫に許されて戲場を雙棲のところとなさん日の樂奈何いかなるべきと思ひ浮べて、獨り微笑を催すなど、ほとほど心亂れたる人に殊ならざりき。


   燈籠、わが生涯の一轉機


 夕の勤行ごんぎやうの鐘響く頃、姫と媼とを伴ひて御寺みてらの燈籠見に往きぬ。聖ピエトロ伽藍がらんには中央なる大穹窿、左右の小穹窿、正面の簷端のきば、悉く透きとほりたる紙もて製したる燈籠を懸け連ねたるが、その排置いと巧なれば、此莊嚴なる大廈は火燄の輪廓もて青空に畫き出されたるものゝ如くなり。人の群れつどへること、晝の祭の時にも増されるにや、車をば並足なみあしにのみ曳かせて、僅に進む事を得たり。神使の橋の上より、御寺の全景を眺むるに、燈の光は黄なるテヱエル河の波を射て、遊びたのしむ人の限を載せたる無數の舟を照し、こゝに又一段の壯觀をなせり。樂の聲、人の歡び呼ぶ聲の滿ちわたれるピエトロの廣こうぢに來りし時、火を換ふる相圖あひづ傳へられぬ。御寺みてらの屋根々々に分ち上したる數百の人は、一齊に鐵盤中なる松脂環飾やにのわかざりに火を點ず。小き燈のかず/\忽ち大火燄と化したる如く、この時サンピエトロの寺は羅馬の大都を照すこと、いにしへベトレヘムの搖籃の上に照りし星にもたとへつべきさまなり。(原註。寺院もそのめぐりなる家屋も、皆石もて築き立てたるものなれば、この盤中の火は松脂の盡くるまで燃ゆれども、火虞くわぐあるべきやうなし。)群衆の歡び呼ぶ聲はいよ/\盛になりぬ。アヌンチヤタこの活劇を眺めたるが、にはかに我に向ひていふやう。かの大穹窿の上なる十字架に火皿を結び付くる役こそおそろしけれ。おもひ遣るに身の毛いよつ心地す。われ。げに埃及エヂプトの尖塔にも劣らぬ高さなり。かしこにぢしむるにはきもだましひ世の常ならぬ役夫を選むことにて、あらかじめ法皇の手より膏油の禮を受くと聞けり。姫。さてはひと時の美觀のために、人の命をさへするなりしか。われ。これも神徳をかゞやかさんとての業なり。世には卑しき限の事に性命を危くする人さへ少からず。かく語るうち、車の列は動きはじめたり。人々はモンテ、ピンチヨオの頂にゆきて、遙かにかゞやく御寺と其光をむる市とを見んとす。われ重ねて。御寺に光を放たせて、都の上に照りわたらしむるは、いとめでたき意匠にて、コルレジヨオが不死の夜の傑作も、これよりや落想しつるとおもはる。姫。さしがましけれど、そのおん説は時代たがへり。彼圖は御寺に先だちて成りたり。作者はくうりて想ひ得しなるべく、又まことに空に憑りて想ひ得たりとせんかた、藍本らんぽんありとせんよりめでたからん。モンテ、ピンチヨオは餘りに雜遝ざつたふすべければ、やゝ遠きモンテ、マリヨへ往かばや。こゝより市門まではいと近ければといふ。われは馭者に命じて、柱廊の背後を𢌞らしめ、幾ほどもなく市外に出でたり。丘の半腹なる酒店の前に車を停めて見るに、穹窿の火の美しさ、前に見つるとはまた趣を殊にして、正面ののきこそは隱れたれ、星をつらねたる火輪の光の海にたゞよへるかとおもはる。この景色は四邊あたりのいと暗くして、大空なるまことの星の白かねの色をなして、高く隔たりたる處に散布せるによりて、いよ/\その美觀を添へ、人をして自然の大なるすら羅馬の蘇生祭には歩を讓りたるを感ぜしむ。鐘の響、樂の聲はこゝまでも聞えたり。

 われは車を下りて、些の稍事せうじを買はゞやと酒店の中に入りぬ。店の前には狹き廊ありて、小龕せうがんに聖母をいつきまつり、さゝやかなる燈を懸けたり。わが店を出でんとて彼龕の前に來ぬるとき、忽ちベルナルドオが吾前に立ち塞がりたるを見き。その面の色は、むかし「ジエスヰタ」派の學校のこゝろみの日に、桂冠を受け戴きしをりに殊ならず。眼は熱を病める如くかゞやけり。物狂ほしく力をめて我ひぢを握り、あやしく抑へしづめたる聲して、アントニオ、われは卑しき兇行者たらんを嫌へり、然らずば直ちに此劍もて汝が僞多き胸を刺すならん、汝は臆病ものなればいなまむも知れねど、われは強ひていさぎよき決鬪を汝に求む、共に來れといふ。われはられたる臂を引き放さんとすまひつゝ、ベルナルドオ、物にや狂へると問ふに、友は焦燥いらだつ聲を抑へて、叫ばんとならば叫べ、男らしく立ち向ふ心なくば、人をも呼べ、この兩腕の縛らるゝ迄には、汝が息の根とめでは置かじ、えものはこゝにあり、我に恥ある殺人罪を犯させじとおもはゞ疾く來れといひつゝ、拳銃一つ我手にわたし、われを廊の外にき行かんとす。われは遞與わたされたる拳銃を持ちながら、猶身を脱せんとして爭へり。友。彼君は淺はかにも汝になびきしならん。汝は誇らしくも、そを我に、そを羅馬の民に示さんとす。われを出し拔きしは猶忍ぶべし。いかなれば我に弔辭くやみめきたる書を贈りて、重ねて我を辱めたる。われ。ベルナルドオ、そは皆病める人の詞なり。先づその手をゆるめずや。われは力を極めて友の體をね退けたり。

 その時われは銃聲の耳邊に轟くを聞きたり。我右臂には衝動を感じたり。烟は廊道わたどのみちに滿ちたり。われは又叫ぶに似て叫ぶにあらざる一種の氣息を聞きたり。この氣息の響は我耳を襲ふよりは寧ろ我心を襲ひき。發したるは我手中の銃にして、黒く數石を染めたる血にまみれて我前に横れるは我友なり。われは喪心者の如く凝立して、拘攣こうれんせる五指の間にかたく拳銃をつかみたり。

 わが此不慮此不幸の全範圍を感ぜしは、酒店の人の罵りさわぎつゝ走り寄りアヌンチヤタと媼との我前に來るを見し時なりき。わがベルナルドオと叫びて、そのからだに抱き付かんとするに先だちて、姫は早くもその傍に跪き、鮮血湧き出づる創口を押へたり。姫はかく我友をいたはりつゝ、血の色全くせたる面を擧げて、我を凝視せり。媼は我臂を搖り動かして、く此場をと呼べり。

 われは胸裂くるが如き苦痛を覺えき。われは叫び出せり。思ひ掛けぬ怪我なり。殺さんと欲せしはかれなり。銃は他の我にわたしゝなり。われは身を脱せんとして撥條はつでうに觸れたり。アヌンチヤタ聞き給へ。我等二人は命に懸けて君を慕ひしなり。君がために血を流さんことは、われも厭はざるべきこと、我友と同じ。われはおん身が一言を聞きて去らん。おん身は我友を愛し給ひしか、我を愛し給ひしか。

 友の介抱に餘念なき姫は、詞のあやもしどろに、疾く往き給へといひて、手をりたり。姫は往き給へと繰反したり。われは心もそらに再び、友なりしか我なりしかと叫びたり。

 その時われはアヌンチヤタが友の上に俯して唇をそのひたひに觸るゝを見、その聲を呑みて微かに泣くを聞きたり。

 次第に集りたる衆人の中より、忽ち邏卒々々らそつ/\と呼ぶ聲を聞けり。われは目に見えぬ幾條の腕もてき去らるゝ心地して、此場をのがれたり。


   基督の徒


 愛せられしは友なり。この一條の毒箭どくやは我渾身の血を濁して、人を殺せり友を殺せりといふ悔悟の情の頭をもたぐるをさへ妨げんとす。灌木雜草を踏みしだき、いばらに面をきずつけられ、梢に袖を裂かれつゝも、幾畝の葡萄畠を限れる低き石垣を乘り越え乘り越え、指すかたをも分かでモンテ、マリヨの丘を走り下るに、聖ピエトロの御寺の火は、昔カインはしりしとき、同胞のからだを供へたる贄卓にへづくゑの火のゆくてを照しゝ如くなり。(譯者云。カイン亞當アダムが第一の子にして、弟を殺して神に供へき。)この間幾時をか經たる、知らず。わが足をとゞめしは、黄なるテヱエルの流の前をさへぎるを見し時なりき。羅馬より下、地中海の荒波寄するあたりまで、この流には橋もなし、またもとむとも舟もあらざるべし。この時我は我胸をむ卑怯のうじの兩斷せらるゝを覺えしが、そは一瞬の間の事にて、蛆はたちまちよみがへりたり。われはたいかなる決斷をもなすこと能はざりき。

 われはふとかうべめぐらしてあたりを見しに、我を距ること數歩の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びしつかに比ぶれば、大さは倍して荒れたることも一入ひとしほなり。くづちたるついぢの石に、三頭の馬を繋ぎたるが、皆おの/\顋下さいかりたる一束のまぐさを噛めり。

 墓門より下ること二三級なる窪みに、燃え殘りたる焚火を圍める三個の人物あり。その火影の早く我目に映らざりしにても、我が慌てたるを知るに足るべし。火の左右に身をよこたへたる二人は、たくましげに肥えたる農夫なるが、毛を表にしたる羊のかはごろもを纏ひ、太き長靴を穿き、聖母の圖をけたる尖帽を戴き、短き烟管きせるふくみてむかひあへり。第三個は鼠色の大外套にくるまり、帽をまぶかに被りてついぢにりかゝりたるが、その身材みのたけはやゝ小く、へいを口にあてゝ酒飮み居たり。

 わが渠等かれらを認めしとき、渠等も亦我を認めき。肥えたる二人はひとしく銃をりて立ち上り〈[#「立ち上り」は底本では「立り上り」]〉たり。客人は何の用ありてこゝに來しぞ。われ。舟をたづねて河をこさんとす。三人は目を合せたり。甲。むづかしきたづねものかな。げ持ちて旅するものは知らず。こゝ等には舟もいかだもなし。乙。客人は路にや迷ひ給ひし。こゝは物騷なる土地なり。デ・チエザアリ夥伴なかまは遠き處まで根を張れば、法皇はいかにすきり給ふとも、御腕の痛むのみなり。甲。客人はなどて何の器械えものをも持ち給はぬ。見られよ、この銃は三連發なり。爲損しそんじたるときの用心には腰なる拳銃あり。丙。この小刀こがたなも馬鹿にはならぬ貨物しろものなり。(かの身材小さき男はこほりの如き短劍を拔き出だして手に持ちたり。)乙。早くさや〈[#「革+室」、67-下段-23]〉に納めよ。年若き客人は刃物は嫌ひなるべし。客人、われ等に逢ひ給ひしは爲合しあはせなり。若し惡棍わるものなどに逢ひ給はゞ、素裸にせられ給はん。金あらば我等にあづけ給へ。

 われは今三人の何者なるかを知りたり。我五官は鈍りて、我性命は價なきものとなりぬ。諸君よ、わが持てる限の物をば、悉く贈るべし、されどおん身等をかしむるに足らざるこそ氣の毒なれと答へて、われは進寄りつゝ、手を我衣兜かくしにさしみたり。われは兜兒かくしの中に猶盾銀たてぎん二つありしを記したり。而るに我手に觸れたるは、重みある財布なりき。き出して見れば、手組てあみの女ものなるが、その色は曾てアヌンチヤタが媼の手にありしものに似たり。落人おちうど盤纏ろようにとて、危急の折に心づけたる、彼媼の心根こそやさしけれ。三人ひとしくさし伸ぶる手を待たで、われは財布の底を掴みて振ひしに、焚火に近き匾石ひらいしの上に、こがねしろかね散り布けり。眞物ほんものぞと呼びつゝ、人々拾ひ取りて勿體なき事かな、盜人などに取られ給はゞいかにし給ふといふ。われ。貨物しろものはそれ丈なり。く我命を取り給へ。生甲斐なき身なればすこしも惜しとはおもはず。甲。思ひも寄らぬ事なり。我等はロツカ・デル・パアパに住める正直なる百姓仲間なり。同じ教の人を敬ふ基督の徒なり。酒少し殘りたり。これを飮みて、かく怪しき旅し給ふ事のもとを明し給へ。われ。そはわが祕事ひめごとなり。かく答へて我は彼瓶を受け、かわきたる咽を潤したり。

 三人は何事をかさゝやきあひしが、小男はあざみ笑ふ如き面持して我に向ひ、あたゝかき夕のかはりに寒き夜をも忍び給へといひて立ちぬ。かれ驅歩かけあしの蹄の音をカムパニアの廣野に響かせて去りぬ。甲。いざ客人、船を待ち給はんは望なき事なり。我馬の尾にすがりておよがんこともたやすからねば、鞍の半を分けて參らすべし。渠は我をうしろざまに馬の脊に掻き載せて、おのれは前の方に跨り、水におとさぬ用心なりとて、太き綱を我胸とひぢとのめぐりに卷きて、脊中合せにしかと負ひたり。我には手先を動かす餘地だになかりき。逞ましき馬は前脚もてさぐりつゝ流に入りしが、水の脇腹に及ぶころほひより、巧に泳ぎて向ひの岸に着きぬ。かれは河ごしは濟みたりと笑ひて、綱をゆるむる如くなりしが、こたびは我脊をきびしく縛りて、その端を鞍にひつけ、鞍をしかと掴みておはせ、墜ちなば頸の骨をやくじき給はんといひて、靴の踵を馬の脇に加ふれば、連なる男も同じく足をはたらかせたり。かくて二匹の馬三個の人は、つるを離れし矢の如くカムパニアの原野を横ぎりたり。前なる男の長き髮は、風に亂れて我頬を拂へり。くづれたる家の傍、斷えたる水道の柱弓せりもちほとりを、夢心に過ぎゆけば、血の如く紅なる大月たいげつ地平線よりまろがり出で、輕く白きもや騎者のりてかうべめぐりてひらめき飛べり。


   山塞


 友を殺し、女に別れ、國を去りて、兇賊の馬背にいましめられ、カムパニアの廣野をす。一切の事、おもへば夢の如く、その夢は又怪しくも恐ろしからずや。あはれ此夢いつかはめん、醒めてこの怖るべき形相ぎやうさうは消えほろびなん。心を鎭めて目を閉づれば、ひやゝかなる山おろしの風は我頬をめぐりて吹けり。

 山路にさしかゝると覺しき時、騎者のりては背後なる我を顧みて詞をかけたり。程なく大母おほば蔽膝まへだれの下にやすらふべければ、客人も心安くおぼせよ。良き馬にあらずや。この頃サンアントニオはらひを受けたり。小童こわつぱの絹の紐もて飾りてき往きしに、經を聽かせ水をあびせられぬれば、今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん。

 岩間の細徑に踏み入る頃、東の天は白みわたりぬ、つれなる騎者馬さし寄せて、夜は明けんとす、客人の目疾めやみせられぬ用心に、涼傘ひがささゝせ申さんと、大なる布を頭より被せ、頸のまはりに結びたれば、それより方角だにわきまへられず。諸手もろてをばいましめられたり。我身上みのうへは今や獵夫さつをに獲られたる獸にも劣れり。されど憂に心くらみたる上なれば、苦しとも思はでせくゞまり居たり。馬の前足は大方仰ぐのみなれど、ともすれば又暫し阪道を降る心地す。茂りあひたる梢は頻りに我頬をてり。道なき處をやり行くらん覺束おぼつかなし。

 久しき後馬よりおろして、我を推して進ましむ。かれこれ復た隻語せきごを交へず。狹き門を過ぎてはしごを降りぬ。心神定まらず、送迎いそがはしき際の事とて、方角道程みちのりよくも辨へねど、山に入ることはなはだ深きにはあらずと思はれぬ。わがその何れの地なるを知りしは、年あまた過ぎての事なり。後には外國人とつくにびとも尋ね入り、畫工の筆にも上りぬ。こゝはいにしへツスクルムの地なり。栗の林、丈高き月桂ラウレオ村立むらだちある丘陵にて、今フラスカアチと呼ばるゝ處の背後にぞ、この古跡はあなる。「クラテエグス」、野薔薇などの枝生ひ茂りて、重圈をなせる榻列たふれつの石級を覆へり。山のところどころには深き洞穴あり、石の穹窿あり。皆草叢くさむらおほはれて、迫り視るにあらでは知れ難かるべし。谷のあなたにそばだてるはアプルツチイの山にて、沼澤せうたくを限り、この邊の景に、物凄き色を添ふ。あはれ此山のかたちよ。この故址こし斷礎の間より望むばかり、人を動すことは、またあらぬなるべし。

 騎者等の我をき往くは、とある洞窟の一つにて、その入口は石楠エピゲエアの枝といろ/\なる蔓艸つるくさとに隱されたり。我等は足をとゞめつ。しづかに口笛吹く聲と共に、扉を開く響す。再び數級の石磴せきとうを下る。數人すにんの亂れ語る聲我耳に入りし時、頭にまとへる布は取り除けられぬ。わが身は大穹窿のうちに在り。中央なる大卓の上に眞鍮しんちゆうの燈二つ据ゑて、許多あまたの燈心に火を點じ、逞しげなる大漢おほをとこ數人の羊のかはごろも着たるが、圍み坐して骨牌かるたもてあそべり。火光の照し出せるおもざしは、にがみばしりて落ち着きたるさまなり。人々は生面の客あるを見ても、絶て怪みいぶかることなく、我にこしかけを與へて坐せしめ、我にさかづきを與へて飮ましめ、さかなせんとて鹽肉團サラメをさへりてくれたり。その相語るを聞くに、方言にて解すべからず、されど我上にかゝはらざる如くなりき。

 我は飢を覺えずして、たゞ燃ゆる如き渇を覺えしかば、酒を飮みつゝ四邊あたりを見たり。隅々には脱ぎ棄てたる衣服と解き卸したる兵器とあるのみ。一角にがんの如く窪みたる處あり。その天井には半ば皮剥ぎたる兎二つり下げたり。初め心付かざりしが、その窪みたる處には一人の坐せるあり。年老いたるおうなの身うち痩せ細りたるが、却りて脊直せすぐにすくやかげなる坐りざまして、あたりに心留めざる如く、手はゆるやかに絲車を𢌞せり。銀の如き髮の解けたるが、片頬にちかゝりて、褐色なる頸のめぐりに垂るゝを見る。その墨の如き瞳は、とこしへに苧環をだまきの上に凝注せり。きさしたる炭の半ば紅なるが、媼の座のほとりにちりぼひたるは、妖魔の身邊に引くといふくすしきとも看做みなさるべし。まことに是れ一幅クロトの活畫像なり。(譯者云。古説に三女ありて人生運命の泰否をつかさどる。性命の絲を繰るをクロトと曰ひ、これを撮みたるをラヘシスと曰ひ、これを斷つをアトロポスと曰ふ。姉妹神なり。)

 人々の我事にかゝづらはざりしは、久しからぬ程なりき。忽ち糺問きうもんは始まりぬ。職業は何ぞ、資産ありや否や、親戚ありや否やなどいふことなりき。我はしづかに答へき。わが帶び來たるところのものをば、最早君等に傾け贈りぬ。かくてこの身はやうなきしろものとなりぬ。たと羅馬ロオマわたりに持ち往きてらんとし給ふとも、盾銀たてぎん一つ出すものだにあらじ。かどある生活なりはひわざをも知らず。頃日このごろ拿破里ナポリに往きて、客に題をたまはりて、即座に歌作りてうたはんと志したり。斯く語るついでに、われはこたび身を以て逃れたる事のもとさへ、包みかくさずして告げぬ。唯だアヌンチヤタが上をば少しも言はざりき。さてわが物語の終は、この上殊なる望なければ、この身を官府に引き渡して、襃美にても受け給へといふことなりき。

 一人の男のいはく。さりとては珍らしき望なるかな。想ふに羅馬市には、黄金こがね耳環みゝわを典して、客人をあがなひ取ることををしまざる人あるならん。拿破里ナポリ旅稼たびかせぎは、その後の事とし給はんもさまたげあらじ。さはあれ強ひて直ちに拿破里に往かんとならば、あぶなげなくさかひを越させ申さんことも、亦我等の手中に在り。留りて此樂園に居らんとならば、それも好し。こゝに在るは善き人々なるをば、客人もく悟り給ひしならん。されど此等の事思ひ定め給はんには、先づ快く一夜の勞をいやし給ふに若かず。こゝにとこあり。それのみならず、來歴ある好きふすまをも借し參らせん。巽風シロツコ吹く頃の夕立をも、雪ふゞきをもしのぎし衾ぞとて、壁よりはづして投げ掛くるは、褐色なる大外套なり。牀といふは卓の一端の地上に敷ける藁蓆わらむしろなり。その男は何やらん一座のものに言置き、「ヂツセンチイ、オオ、ミア、ベツチイナ」(り來よ、やよ、我戀人)と俚歌ひなうた口ずさみて出行きぬ。


   血書


 われは眠ることを期せずして、身を藁蓆の上にたふしゝに、さきの日よりの恐ろしき經歴は魘夢えんむの如く我心をおびやかし來りぬ。されど氣疲れ力衰へたればにや目眶まぶたおのづから合ひ、いつとは知らず深き眠に入りて、終日復た覺むることなかりき。

 醒めたる時は心地さはやかになりて、前に心身を苦めつる事ども、唯だ是れ一場の夢かと思はるゝ程なりき。然はれそは一瞬の間にして、身の在るところを顧み、四邊なる男等のしかみたる顏付を見るに及びては、我魘夢の儼然としてうごかすべからざる事實なるを認めざることを得ざりき。

 一客あり。灰色の外套を偏肩に引掛け、腰に拳銃を帶びたるが、馬にりたる如く長椅にまたがりて、男等と語れり。穹窿の隅の方には、彼の雜種あひのこいろしたる老女の初の如く坐して繰車くりぐるままはせるあり。黒地くろぢに畫ける像の如し。座のめぐりには、新き炭を添へて、その煖氣は室に滿ちたり。われは客の、たまは脇を擦過かすりたり、いさゝかの血を失ひつれど、一月の間には治すべしといふを聞き得たり。

 わが頭をもたげしを見て、われを鞍にばくせし男のいふやう。客人醒め給ひしよ。十二時間の熟睡は好き保養なるべし。こゝなるグレゴリオは羅馬より好きたよりをもて來たり。そはおん身の喜び給ふべき筋の事なり。手を下しゝはおん身に極つたり。時も所も符を合す如し。おごりたる評議廳の官人は、おん身がために、容赦なくその長裾ちやうきよを踏まれぬと見えたり。お身の大膽なる射撃に遭ひしは、評議官の從子をひなりき。これを聞きてわれは僅に、命にはさはらずやと問ふことを得き。グレゴリオの云はく。先づ死なで濟むべし。醫者はしか云ひきとぞ。鶯の如きのどありといふ、美しき外國婦人の夜をとほして護り居たるに、醫者は心を勞し給ふな、本復ほんぷく疑なしといひきとぞといふ。我を伴ひ來し男の云はく。われおもふに、君は男の身をあやまり射給ひしのみにあらず、女の心をも亦錯り射給ひしなり。雌雄めをは今ならび飛ぶべし。君は唯だこゝにいませ。自由なる快活なる生計たつきなり。君は小なる王者たることを得べし。而してその危さは決して世間の王位より甚しからず。酒は酌めども盡きざるべし。女は君をあざむきし一人の代りに、幾人をも寵し給へ。同じく是れ生活なり、餘瀝よれきを嘗むると、滿椀を引くと、唯だ君が選み給ふに任すと云ひき。

 ベルナルドオは死せず。我は人を殺さず。この信は我がために起死の藥にひとしかりき。獨りアヌンチヤタを失ひつる憂に至りては、終に排するに由なきなり。われは猶豫することなく答へき。我身は只君等の處置するに任すべし。されどわが嘗て受けし教と、げんいだけるけんとは、俘囚とりこたるにあらずして、君等が間に伍すべきやうなし。これを聞きて、我を伴ひ來し男の顏は、忽ちおごそかなる色を見せたり。盾銀たてぎん六百枚は定まりたる身のしろなり。そを六日間に拂ひ給はゞ、君は自由の身なるべく、さらずば君が身は、生きながらか、殺してか、我物とせではおかじ。こは此處のおきてなれば、君が紅顏も我丹心も、寛假くわんかえにしとはならぬなるべし。六百枚なくば、我等の義兄弟となりて生きんとも、彼處かしこなる枯井の底にて、相擁して永く眠れる人々の義兄弟となりて終らんとも、二つに一つと思はれよ。身のしろ求むる書をば、友達に寄せ給はんか、又彼歌女に寄せ給はんか。おん身の一撃なかだちとなりて、二人はその心を明しあひつれば、さばかりの報恩をば、喜びてなすなるべし。斯く語りつゝ、男は又から/\と笑ひて云ふ。やすき價なり。この宿の客人に、還錢かんぢやうのかく迄廉きことは、その例少からん。都よりの馬のしろ、六日の旅籠はたごを思ひ給へ。われ。我志をば既に述べたり。我はさる書をも作らざるべく、又君等が夥伴なかまにも入らざるべし。男。さて/\強情なる人かな。されどその強情は憎くはあらず。我彈丸たまの汝が胸を貫かんまでも、その心をば讚めて進ずべし。命惜まぬ客人よ。生くといふには種々あり。少年の心は物に感じ易しといふに、吾黨がかくわずらひなくさはりなき世渡するを見て、羨ましとは思はずや。そが上おん身は詩人にて、即興詩もて口を糊せんといふにあらずや。吾黨の自由不羇ふき境界きやうがいを見て心を動すことはなきか。客人試みに此境界を歌ひ給へ。題をば巖穴の間なる不撓ふたうの氣象とも曰ふべきならん。客人若しこれを歌はゞ、彼生活といひ性命といふものゝ、樂む可く愛す可きを説かざることを得ぬなるべし。その杯を傾けて、歌ひて我等に聽せ給へ。出來好くば六日の期を一日位は延ばすべしといふ。男は手をさし伸べて、壁上なる「キタルラ」を取りて我に授けつ。賊の群は立ちて我席をめぐりたり。

 われはそをりて暫く首を傾けたり。課する所の題は巖穴山野にて、こは我が曾て經歴せざるところなり。前の夜こゝに來し時は、目をおほはれたれば甲斐なし。昔見しところを言はゞ、羅馬のボルゲエゼパムフイリの兩苑に些の松林ありしに過ぎず。まことの山とては、幼かりし程ドメニカが家の窓より望みしより外知らず。已むことなくば只だ一たび山を見き。ジエンツアノの花祭に往きし途すがらの事なり。ネミ湖畔の高原を歩みしに、道は暗く靜けき森林の間を通じたり。彼祭はわが爲には悲き祭なりければ、湖畔の道にて花束つくりしことをさへ、今猶忘れでありしなり、景は心目に上り來れり。今かく物語する時間の半をだに費さずして、景は情を生じ、情は景を生ずるほどに、我は絃をはじきたり。情景は言の葉となり、言の葉は波起り波伏す詩句となりぬ。且我が歌ひしところを聽け。深き湖あり。暗き林はそをめぐれり。湖の畔なる巖はそばだちて天を摩せんとす。こゝに暴鷲あらわしの巣あり。母鳥は雛等に教へて、をさなき翼を振はしめ、またその目を鋭くせんために、日輪を睨ましめき。さて母鳥の云ひけるやう。汝達は諸鳥の王なるぞ。目はく、拳は強し。いでや飛べ。飛びて母の側を去れ。我目は汝を送り、我情は彼の死に臨める大鵝たいが簧舌くわうぜつの如く汝が上を歌ふべし。その歌は不撓の氣力を題とせんといひき。雛等は巣立せり。一隻ははねを近き巖の頂にをさめて、晴れたる空の日を凝矚ぎようしよくすること、其光のあらん限を吸ひ取らんと欲する如くなりき。一隻は高く虚空にかけりて、大圈を畫し、林樾りんゑつ沼澤を下瞰かかんするが如くなりき。岸に近き水面には緑樹の影を倒せるありて、その中央には碧空の光をひたすを見る。時に大魚の浮べるあり。その脊はくつがへりたる舟の如し。忽ち彼雛鷲はいなづまの撃つ勢もて、さとおろし來つ。やいばの如き利爪とづめは魚の背をつかみき。母鳥は喜、色にあらはれたり。然るに鳥と魚とは力相若あひしくものなりければ、鳥は魚を擧ぐること能はず、魚は鳥を沈むること能はず、打ち込みたる爪の深かりしために、これを拔かんとするも、亦意の如くならず。こゝに生死の爭は始まりぬ。今まで靜なりける湖水の面は、これがために搖り動され、大圈をなせる波は相重りて岸に迫れり。既にして波上の鳥と波底の魚と、一齊にしづまり、鷲の翼の水面みのもおほふこと蓮葉はちすはの如くなりき。忽ち隻翼は又そばだち起り、竹をく如き聲と共に、一翼はひたと水に着き、一翼ははげしく水をしぶきを飛ばすと見る間に、鳥も魚も沈みて痕なくなりぬ。母鳥は悲鳴して、巖角なる一隻の雛を顧みるに、こもいつか在らずなりて、首を仰いで遠く望めば、只だ一黒斑の日に向ひて飛ぶを見き。母鳥は悲を轉じて喜となしたり。その胸は高く躍りて、その聲は折るれどもたわまぬ力を歌ひぬ。我歌はこゝに終り、喝采の聲は座に滿ちぬ。獨り我はまたゝききもせで、がんの前なる老女をまもり居たり。そは我が歌ひて半に至りし時、老女の絲繰る手やうやく緩く、はては全くみて、暗き瞳の光は我面を穿うがつ如く、こなたに注がれたればなり。又我が能く少時の夢をび起して、この詩中に入るゝことの、かくまで細かなることを得しは、この老女の振舞あづかりて力ありければなり。

 おうなは忽ち身を起し、すこやかなる歩みざまして我前に來て云ふやう。能くも歌ひて、身のしろをち得つるよ。のどの響はやがて黄金こがねの響ぞ。鳥と魚との水底に沈みし時にこそ、このうばは汝が星のやどるところを見つれ。鷲よ。いで日に向ひて飛べ。老いたる母は巣にありて、喜の目もてそを見送らんとす。汝が翼をば、誰にも折らせじといふ。我に勸めて歌はせし男うや/\しく媼の前に磕頭ぬかづきて、さてはフルヰアの君は此わかうどを見給ひしことあるか、又その歌を聞き給ひしことあるかと問ひぬ。媼。そは汝の知らぬ事なり。われは早く幸運の兒の身と光と眼の星とを見き。兒はむかし花の環を作りぬ。後又愈〻美しき花の環を作るならん。そのひぢいましむべきことかは。六日が程は巣にあれかし。脊に爪打ち込みしにはあらず。六日立たば、汝この雛を放ち遣りて、日の邊へ飛ばしめよ。斯くつぶやきつゝ、媼は壁の前なるはこを探りて、紙と筆とを取り出でつ。あな、やくなし。墨は巖の如くなりぬ。コスモよ。人の上のみにはあらず。汝が腕の血を呉れずやといふ。コスモばれし彼男は、一語をも出さで、刀を拔きて淺くその膚をりたり。媼はその血に筆を染めて我にわたし、「ゆく拿破里ナポリ」と書して名を署せしめて云ふ。好し好し、法皇の封傳てがたに劣らぬものぞとて、懷にをさめつ。傍なる一人の男、その紙何の用にか立つべきとつぶやきしに、媼目を見張りて、うぢのもの言はんとするにや、大いなる足の蹂躙ふみにじらんを避けよといふ。コスモかうべれて不敢いかでか不敢いかでか汝の命は神璽しんじ靈寶にも代へじといひき。人々と媼との物語はこれにて止み、卓を圍める一座の興趣は漸くに加はりて、へいは手より手にと忙はしく遣り取りせらるゝことゝなりぬ。さて食を供するに至りて、賊の中にはわが肩を敲きて、皿に肉塊を盛りて呉るゝもありき。唯だ彼媼はもとの如く、室隅に坐して、飮食の事にはあづからざりき。賊の一人は火をその坐のめぐりに添へて、大母よ、汝はこゞゆるならんといひき。我は媼の詞につきて熟〻つら/\おもふに、むかし母とマリウチアとに伴はれて、ネミ湖畔に花束作りし時、わが上を占ひしことあるは此媼なりしなるべし。我運命の此媼の手中にありと見ゆること、今更にあやしくこそ覺えらるれ。媼はわれに往拿破里と書かしめき。こはもとより我が願ふところなり。されど封傳てがたなくして、いかにして拿破里には往かるべきぞ。又縱令よしやかしこに往き着かんも、識る人とては一人だに無き身の、誰に頼りてかなりはひをなさん。前にはわれ一たび即興詩もて世を渡らんとおもひき。されど羅馬にて人を傷けたりと知られんことおそろしければ、舞臺に出づべきこゝろもなし。されど方言をばよく知りたり、聖母のわれを見放ち給ふことだにあらずば、ともかくもして身を立てんと、強ひて安堵の念を起しつ。あはれ、あやしきものは人のこゝろにもあるかな。この時アヌンチヤタが我をしりぞけて人に從ひし悲痛は、却りて我心を抑し鎭むるなかだちとなりぬ。我がこの時の心を物に譬へて言はゞ、商人のおのが舟の沈みし後、身一つを三版はぶねに助け載せられて、知らぬ島根に漕ぎゆかるゝが如しといふべき

 かくて一日二日と過ぎ行きぬ。新に來り加はる人もあり、又もとより居たる人の去りていづくにか往けるもあり。ある日彼媼さへ、ひねもす出でゝ歸らざりしかば、我は賊の一人とこの山寨さんさいの留守することゝなりぬ。この男は年二十の上を一つばかりも超えたるならん。顏は卑しげなるものから、美しき髮長く肩に掛かり、そのなざしには、常にいと憂はしげなる色見えて、をり/\は又手負ひたる獸などの如きおそろしき氣色けしき現るゝことあり。我と此男とは暫しむかひ坐して語を交ふることなく、男は手を額に加へて物案ずるさまなりしが、忽ち頭を擧げて我面をまもりたり。


   花ぬすびと


 若者はふと思ひ付きたる如く。おん身は物讀むことを能くし給ふならん。此卷の中なる祈誓の歌一つ讀みて聞せ給へとて、懷より小き讚美歌集一卷取出でたり。われいと易き程の事なりとて、讀み初めしに、若者の黒き瞳子ひとみには、信心の色いと深く映りぬ。暫しありて若者我手を握りて云ふやう。いかなれば汝は復た此山を出でんとするか。人情のいつはり多きは、山里も都大路みやこおほぢも殊なることなけれど、山里は爽かに涼しき風吹きて、住む人の少きこそめでたけれ。汝はアリチアの婚禮とサヱルリ侯との昔がたりを知るならん。むこは卑しき農夫なりき。よめは貧しき家の子ながら、美しき少女をとめなりき。侯爵の殿は婚禮のむしろにて新婦が踊の相手となり、宵の間にしばし花園に出でよと誘ひ給へり。壻この約を婦に聞きて、婦の衣裳を纏ひ、婦の面紗おもぎぬを被りて出でぬ。好くこそ來つれと引き寄せ給ふ殿の胸には、匕首あひくちの刃深く刺されぬ。これは昔がたりなり。われも此の如き貴人を知りたり。そはなにがしといふ伯爵の殿なりき。又此の如き壻を知りたり。唯だ婦は此の如く打明けて物言ふさがならねば、新枕にひまくらの樂しさを殿に讓りて、おのれは新佛しんぼとけの通夜することゝなりぬ。刃のいつはり多き胸を貫きし時、はだへは雪の如くかゞやきぬとぞ語りし。

 わが心中には畏怖と憐愍と交〻こも/″\起りぬ。われは詞はなくて、若者の面を打まもりしに、若者又云ふやう。彼も一時なり。此も一時なり。われを女の肌知らぬものと思ひ給ふな。英吉利イギリスの老婦人ありて、年若き男女と共に、拿破里ナポリへ往かんと、此山の麓を過ぎぬ。我等は此一群を馬車よりおろしたり。我等は三人をとりこにして、財物をかすめ取りつ。少女をとめは若き男の許嫁いひなづけよめなりしならん。顏ばせつやゝかに、目なざし涼しかりき。男をば木にくゝりたり。女は猶處子なりき。われはサヱルリ侯に扮することを得たり。つぐのひの金屆きて一群の山を下りし時、少女の顏は色せて、目は光鈍りたりき。深山は蔭多きけにやあらん。

 この物語にわれは覺えず面をそむけしかば、若者は分疏いひわけらしく詞を添へて、されど新教の女なりき、惡魔の子なりきとつぶやきぬ。われ等二人はしばし語なくして相むかへり。若者は今一つ讀み給へと乞ひぬ。われは喜びて又尊き書を開きつ。


   封傳


 夕ぐれにフルヰアの媼歸りて、われに一裹ひとつゝみ文書もんじよ遞與わたして云ふやう。山々は濕衾ぬれぶすまかつきたるぞ。巣立するには、好き折なり。往方ゆくては遙なるに、禿げたる巖のおもてには麪包パンの木生ふることなし。腹よく拵へよといふ。若者のかひ/″\しく立ち働きて、忙しげに供ふるぜんに、われは言はるゝ儘に飢をしのぎつ。媼は古き外套を肩に被き、手をりて暗き廊道わたどのみちを引き出でつゝ云ふやう。我雛鷲よ。さかひつはものも汝が翼を遮ることあるまじきぞ。その一裹は尊き神符にて、また打出の小槌なり。おのが寶を掘り出さんまで、事くことはあらじ。黄金も出づべし、白銀しろかねも出づべしといふ。媼は痩せたるひぢさし伸べて、洞門をおほへる蔦蘿つたかづらとばりの如くなるを推し開くに、外面とのもは暗夜なりき。濕りたる濃き霧は四方の山岳をめぐれり。媼の道なき處をはしるに、われはその外套の端を握りて、やう/\隨ひ行きぬ。木立草むらを左右に看過して、媼は魔神の如くわれを導き去りぬ。

 數時の後挾き山のかひに出でぬ。こゝに伊太利イタリアの澤池にめづらしからぬ藁小屋一つあり。とうに藁まぜて、棟より地までき下せり。壁といふものなし。燈の光は低き戸の隙間洩りたり。媼は我をきて進み入りぬ。小屋のうちは譬へば大なる蜂窩はちのすの如くにして、一方口より出で兼ねたる烟は、あたりの物を殘なく眞黒まくろに染めたり。梁柱うつばりはいふもさらなり、籘の一條ひとすぢだにうるしの如く光らざるものなし。の中央に、長さ二三尺、幅これに半ばしたる甎爐せんろあり。かしぐも煖むるも、皆こゝに火焚きてなすなるべし。炭と灰とはあたりに散りぼひたり。奧に孔ありて小き間につゞきたるが、そのさま芋塊に小芋の附きたる如し。その中には女子一人こやして、二三人の小兒はそのめぐりによこたはれり。隅の方に立てるうさぎうまは、頭を延べて客を見たり。主人なるべし、腰に山羊やぎの皮を卷き、上半身は殆ど赤條々あかはだかなる老夫は、起ちて媼の手に接吻し、一語を交へずして羊の皮をはふり、驢を門口にき出し、手まねして我にれと教へぬ。媼は我に向ひて、カムパニアの馬にまさるべき足どりの駒なり、幸運の門出は今ぞとさゝやきぬ。われはその志の嬉しければ、媼の手に接吻せんとせしに、媼は肩に手を掛け、額髮おし上げて、冷なる唇を我額に當てたり。

 老夫は鞭をうさぎうまに加へて、おのれもひたと引き添ひつゝ、暗きみちせ出せり。われは猶媼の一たび手もてさしまねくを見しが、その姿忽ちかさなる梢に隱れぬ。心細さに馬夫まごに物言ひ掛くれば、聞き分き難き聲立てゝ、指を唇に加へたり。さてはおしなるよと思ひぬ。いよ/\心もとなくて媼の授けしつゝみ引き出すに、種々のかきものありと覺ゆれど、夜暗うして一字だに見え分かず。兎角して曉がたになりぬ。路は山の脊に出でゝ、裸なる巖にはすこし許りなる蔓草つるくさ纏ひ、灰色を帶びて緑なる亞爾鮮アルテミジアの葉は朝風に香を途りぬ。空には星猶輝けり。脚下には白霧の遠く漂へるを見る。是れ大澤たいたくの地なり。此澤はアルバノ山下に始まりて、北ヱルレトリより南テルラチナに至る。馬夫のしばし歩を留めし時、われは仰いで青空の漸く紅に染まりゆきて、山々の色の青天鵝絨びろうどの如くなるを視き。偶〻たま/\山腹に火を焚くものあり。その黄なる燄は晴天の星の如くなりき。われは覺えず驢背に合掌して、神の惠の大なるを謝したり。

 われは漸くにして媼のたまものを見ることを得き。その一通の文書は羅馬ロオマ警察封傳てがたにして、拿破里ナポリ公使の奧がきあり。旅人の欄には分明に我氏名を注したり。一通は又拿破里フアルコネツトオ銀行に振り込みたる爲換かはせ金五百「スクヂイ」の券なり。これに添へたる紙片に二三行の女文字あり。手負ひたる人の上をば、みこゝろ安く思されよ。遠からぬ程にゆべしと申すことに侍り。されどしばらくは羅馬に歸り給はぬこそよろしく侍らめとあり。フルヰアは我を欺かざりき。わがためには、これに増す神符あらじとおもひぬ。

 道は少したひらかになりぬ。とみれば一群の牧者あり。草をきて朝餉あさげたうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。水牛の乾酪と麪包パンとにて飮ものには驢の乳あり。われは快く些の食事をしたゝめしに、馬夫まごは手まねして別を告げたり。さて牧者のいふやう。このこみちを下りゆき給へ。只だ山を左に見て行き給はゞ、小河の流に逢ひ給はん。そは山より街道に出づる水なり。霧晴れなば、そこより街樾なみきの長く續けるを見給ふならん。流に沿ひて街樾の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後うしろに出で給はん。その寺今は「トルレ、ヂ、トレ、ポンテ」とて旅籠屋はたごやとなりたり。目の暮れぬ内にテルラチナに着き給ふべしといひぬ。我は此人々にむくいせんとおもふに、拿破里にて受取るべき爲換かはせの外には、身に附けたるものなし。されど財布をこそ人にやりつれ、さきに兜兒かくしうちに入れ置きし「スクヂイ」二つ猶在らば、人々に取らせんものをと、かい探ぐるにあらず。馬夫にはえりなる絹の紛※てふき〈[#「巾+兌」、74-上段-18]〉解きて與へ、牧者等と握手して、ひとり徑を下りゆきぬ。


   大澤、地中海、忙しき旅人


 世の人はポンチネ大澤たいたく(パルウヂ、ポンチネ)といふ名を聞きて、見わたす限りの曠野あらのに泥まじりの死水をたゝへたる間を、旅客の心細くもたどり行くらんやうにおもひすなるべし。そはいたく違へり。その土地の豐腴ほうゆなることは、北伊太利ロムバルヂアに比べて猶優りたりとも謂ふべく、茂りあふ草は莖肥えて勢さかんなり。廣く平なる街道ありてこれを横斷せり。(耶蘇ヤソ紀元前三百十二年アピウス・クラウヂウスの築く所にして、今猶アピウス街道の名あり。)車にて行かば坐席極めておだやかなるべく、菩提樹の街樾なみきは鬱蒼として日を遮り、人に暑さを忘れしむ。路傍は高萱たかがやと水草と、かはる/″\濃淡の緑を染め出せり。水は井字の溝洫かうきよくに溢れて、處々のよどみには、丈高き蘆葦あし、葉ひろ睡蓮ひつじぐさ(ニユムフエア)を長ず。羅馬の方より行けば左に山岳の空にそびゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の間に亂點して、城郭かとあやまたる。左は海に向へる青野のあなたに、チルチエオみさき(プロモントリオ、チルチエオ)のたかく起れるあり。こは今こそ陸つゞきになりたれ、古のキルケが島にして、オヂツセウスが舟の着きしはこゝなり。(ホメロスの詩に徴するに、トロヤの戰果てゝ後、希臘ギリシアイタカオヂツセウスこの島に漂流せしに、妖婦キルケ舟中の一行を變じてゐのことなす、オヂツセウス神傳の藥草にて其妖術を破りぬといふ。)

 霧は歩むに從ひて散ぜり。さらせる布の如き溝渠こうきよ、緑なるかもの如き草原の上なる薄ぎぬは、次第にかゝげ去られたり。時はまだ二月末なれど、日はやゝ暑しと覺ゆる程に照りかゞやきぬ。水牛は高草の間に群れり。若駒の馳せ狂ひて、後脚とももて水を蹴るときは、飛沫高くほとばしり上れり。そのはやき運動を、畫かく人に見せばやとぞ覺ゆる。左の方なる原中に一道の烟の大なる柱の如くあがれるあり。こはこの地の習にて、牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を燒きて、瘴氣しやうきを拂ふなるべし。

 途にて農夫に逢ひぬ。その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏うらうへにて、つかを出でたる枯骨にも譬へつべし。くろうまりて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛をて返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその幾何いくばくといふことを知らず。草むらを見もてゆけば、はからず黒く醜き頭と光る眼とを認め得て、こゝにも臥したるよと驚くこと間々あり。

 道に沿ひて處々に郵亭を設けたり。その造りざま、小きながら三層四層ならぬはなし。こは瘴氣しやうきを恐るればなり。亭は皆白壁なれど、いしずゑより簷端のきば迄、緑いろなるかび隙間なく生ひたり。人も家も、べて腐朽の色をあらはして、日暖に草緑なる四邊あたりの景と相容れざるものゝ如し。わが病める心はこれを見て、つく/″\人生の頼みがたきを感じたり。

「アヱ、マリア」の鐘響くに先だつこと一時ばかりにして、澤地のはづれに出でぬ。山脈の黄なるいはほは漸く迫り近づきて、南國の風光に富めるテルラチナの市は、忽ち我前に横りぬ〈[#「横りぬ」は底本では「花りぬ」]〉。三株の棕櫚樹しゆろのき高く道の傍に立てるが、その實は累々として葉の間に垂れたり。山腹の果圃くわほは黄なる斑紋ある青氈あをがもに似たり。その斑紋は檸檬リモネ柑子かうじなどの枝たわむ程みのりたるなり。一農家の前に熟し落ちたる檸檬をうづたかく積みたるを見るに、餘所にて栗など搖りおとして掃き寄するさまと殊なることなし。岩石のはざまよりは、青き迷迭香まんねんらふ(ロスマリヌス)、赤き紫羅欄花あらせいとうなどのぼりたるが、そのいたゞきにはチウダレイクスが廢城の殘壁ありて、猶巍々ぎゞとして雲をしのげり。(譯者云。東「ゴトネス」族の王なり。西暦四百八十九年東羅馬帝の命を奉じて敵を破り、伊太利を領す。)

 我心は景色にたれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に横はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃るりをなせり。島嶼たうしよ碁布きふしたるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ、ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には青く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、つゞみの如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず歩をとゞめたり。わが滿身の鮮血はとろけ散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兒の如く啼きて、涙は兩頬に垂れたり。市に大なる白堊しろつちの屋ありて、波はそのいしずゑを打てり。下の一層は街に面したる大弓道をなして、その中には數輛の車を並べ立てたり。こはテルラチナの驛舍にして、羅馬ロオマ拿破里ナポリの間第一と稱へらる。

 鞭聲べんせいの反響に、近き山の岩壁を動かして、駟馬しばの車を驛舍の前にとゞむるものあり。車座の背後うしろには、兵器うちものを執りたる從卒數人すにん乘りたり。車中の客を見れば、痩せて色蒼き男のまだらに染めたる寢衣ねまきを纏ひて、ものうげにり坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬をぎ替へたり。さて護衞の士兵ありやと問へば、十五分間には揃ふべしと答へぬ。こはゆくての山路に、フラア・ヂヤヲロデ・チエザレの流を汲むものありとて、當時こゝを過ぐる旅客の雇ふものとぞ聞えし。(前者は伊太利大盜の名にして、同胞魔君の義なり。實の氏名をミケレ・ペツツアといふ。千七百九十九年夥伴なかまひきゐて拿破里王に屬し、佛兵と戰ひて功あり。官職を授けらる。後佛兵のためにとりこにせられて、千八百六年拿破里に斬首せらる。後者も亦名ある盜なり。)客は英吉利語に伊太利語まぜて、此國の人の心鈍く氣長き爲に、旅人の迷惑いかばかりぞと罵りしが、やうやく思ひあきらめたりと覺しく、大なる紛※てふき〈[#「巾+兌」、75-中段-15]〉を結びて頭巾となし、兩の耳も隱るゝやうに被り、眼を閉ぢて默坐せり。馭者の語るを聞けば、この英人は伊太利に來てより十日あまりなるべし。北伊太利、中伊太利をばことごとく見果てつ。羅馬をば一日に看盡したり。此より拿破里にゆきて、ヱズヰオに登り、汽船にて馬耳塞マルセイユに渡り、南佛蘭西を遊歴すべしとなり。士兵八騎はいかめしく物具して至れり。馭者は鞭をふるへり。馬も車も、忽ち黄なる岩壁にそひたる閭門りよもんを過ぎ去りぬ。


   一故人


 客舍の前にはたけひくたくましげなる男ありて、車の去るを見送りたるが、手に持てる鞭を揮ひて鳴らし、あたりの人に向ひていふやう。護衞はいかに嚴めしくとも、兵器うちものの數はいかに多くとも、我客人となりて往くことの安穩なるにはかじ。英吉利人ほど心忙しきものはなし。馬はいつも驅歩かけあしなり。氣まぐれなる人柄かなとあざみ笑へり。われこれに聲かけて、おん身の車には既に幾位いくたりの客人をか得給ひしと問へば、隅ごとに眞心まごころ一つなれば、四人は早く備りたり、されど二輪車の中はまだ一人のみなり。ナポリへと志し給はゞ、明後日は旭日あさひのまだサンテルモ城(ナポリ府を横斷する丘陵あり、其いたゞきの城を「カステル、サンテルモ」といふ)に刺さぬ間に送り屆け參らすべしと答ふ。爲換かはせありて現金なき我がためには、此勸めのいと嬉しく、談合は忽ちに纏まりぬ。(原註。伊太利の旅を知らぬ人のために註すべし。彼國の車主エツツリノは例として前金を受けず、途中の旅籠はたご一切をまかなひくれたる上、小使錢さへ客に交付わたし、安着の後決算するなり。)

 車主は客人も零錢こぜにの御用あるべければとて、五「パオリ」の銀貨一枚つまみ出して我に渡しつ。われ。さらば食卓の好き座席と臥床ふしどとを頼むなり。明日はとゞこほりなく車を出してよ。車主。勿論にこそ候へ。サンアントニオと我馬との思召だにくるはずば、正三時には出で立つべし。されど明日はむづかしき日にて候ふ。税關の調べ二度、手形の改め三度あるべし。さらば、平かに憩はせ給へとて、車主は手を帽庇ばうひに加へ、輕く頷きて去りぬ。

 誘はれたる部屋は海に向へり。折しも風輕く起りて、窓の下には長き形したる波の寄ては又返すを見る。こゝの景色はカムパニアの景色とは全く殊なるに、いかなれば吾胸中には、少時の住家の事、ドメニカおうなの事など浮び出でけん。世の中は廣けれど、眞ごゝろより我上を氣遣ひ呉るゝ人、彼媼の如きはあらじ。近きところに住みながら、屡〻往きて訪ふことだになかりしは、我と我身の怪まるゝばかりなり。彼フランチエスカの君の如きは、我を愛し給はざるにあらねど、凡そ恩をきるものと恩をきするものとの間には、未だ報恩の志を果さゞる限は、大なる溝渠ありて、たとひ優しきなさけの蔓草の生ひまつはりて、これをおほふことあらんも、能く全くこれをうづむることなし。漸くにして、ベルナルドオアヌンチヤタとの上に想ひ及ぶとき、われはの邊のうるほふを覺えき。涙にやありし、又窓の下なる石垣にあたりし波の碎け散りて面にそゝぎたるにやありし。

 翌日は夜のまだ明けぬに、車に乘りてテルラチナを立ちぬ。領分境に至りて、手形改めあるべしとて、人々車を下りぬ。此の時始めて同行の人を熟視したるに、よはひ三十あまりと覺しく、髮の色あか瞳子ひとみ青き男我目にとまれり。何處にてか見たりけん、心におぼえある顏なり。その詞を聞けば外國音とつくにおんなり。

 手形は多く外國文とつくにおんもてしたゝめたるに、境守る兵士は故里ふるさとの語だによくは知らねば、檢閲は甚しく手間取りたり。瞳子青き男はてふ一つ取出でゝ、あたりの景色を寫せり。げに街道に据ゑたる關の、上に二三のとがれる塔を戴きたる、その側なる天然の洞穴、遠景たるべき山腹の村落、皆好畫料とぞ思はるゝ。

 わが背後うしろよりさし覗きし時、畫工はわれを顧みて、あの大なるほらの中なる山羊やぎの群のおもしろきを見給へと指ざし示せり。その詞未だをはらざるに、洞の前に横へたる束藁たばねわらは取りけられたり。山羊は二頭づゝの列をなして洞より出で、山の上に登りゆけり。殿しんがりには一人の童子あり。尖りたる帽を紐もて結び、褐色かちいろの短き外套を纏ひ、足には汚れたるくつしたはきて、わらぢくゝり付けたり。童は洞の上なる巖頭に歩を停めて、我等の群を見下せり。

 忽ち車主エツツリノの一聲の因業マレデツトオを叫びて、我等に馳せ近づくを見き。手形の中、不明なるもの一枚ありとの事なり。われはその一枚の必ず我券なるべきを思ひて、滿面に紅をしたり。畫工は券の惡しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。

 我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戸を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を伸べ、四五人の匍匐はらばふ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、えらさうなる一人頭をもたげて、フレデリツクとは誰ぞと糺問きうもんせり。畫工進み出でゝ、御免なされよ、それは小生わたくしの名にて、伊太利にていふフエデリゴなりと答ふ。吏。然らばフレデリツク・シイズとはそこなるか。畫工御免なされよ。それは券の上の端に記されたる我國王の御名なるべし。吏。左樣か。(と謦咳せきばらひ一つして讀み上ぐるやう。)「フレデリツク、シイズ、パアル、ラ、グラアス、ド、ヂヨオ、ロア、ド、ダンマルク、デ、ワンダル、デ、ゴオト。」さてはそこは「ワンダル」なるか。「ワンダル」とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや。畫工。いかにも野蠻人なれば、こたび開化せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリツクなり、フエデリゴなり。(「ワンダル」は二千年前の日耳曼ゲルマン種の名なり。文に天祐に依りて璉馬デンマルクの王、「ワンダル」、「ゴオツ」諸族の王などゝ記するは、彼國の舊例なり。)書記の一人語を揷みて、英吉利人なりしよと云へば、外の一人冷笑あざわらひて、君はいづれの國をも同じやうに視給ふか、券面にも北方より來しことを記せり、無論魯西亞ロシア領なりといふ。

 フエデリゴ璉馬デンマルク、この數語はわが懷しき記念を喚び起したり。璉馬の畫工フエデリゴとは、むかし我母の家に宿り居たる人なり、我を窟墓カタコムバに伴ひし人なり。我がために畫かき、我に銀※ぎんどけい〈[#「金+表」、76-下段-22]〉おくりし人なり。

 關守る兵卒は手形に疑はしきかどなしと言渡しつ。この宣告の早かりしにはフエデリゴひそかに贈りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。塔を下るとき、われフエデリゴ名謁なのりしに、この人は想ふにたがはぬ舊相識にて、さては君は可哀かはゆき小アントニオなりしかと云ひて我手を握りたり。車に上るとき、人に請ひて席を換へ、われとフエデリゴとは膝を交へて坐し、再び手を握りて笑ひ興じたり。

 われは相別れてより後の身の上をつゞまやかに物語りぬ。そはドメニカが家にありしこと、羅馬に返りて學校に入りしことなどにて、それより後をばすべて省きつるなり。我は詞を改めて、さてこれよりはナポリへ往かんとすと告げたり。

 むかし畫工と最後に相見たるは、カムパニアの野にての事なりき。その時畫工は早晩一たび我を羅馬に迎へんと約したり。畫工は猶當時の言を記し居りて、我にその約をまざりしを謝したり。君に別れて羅馬に歸りしに、故郷の音信おとづれありて、直ちに北國へ旅立つことゝなりぬ。その後數年の間は、故里ふるさとにありしが、伊太利の戀しさは始終忘れがたく、このたびはいよ/\思ひ定めて再遊の途に上りぬ。こゝはわが心の故郷なり。色彩あり、形相ぎやうさうあるは、伊太利の山河のみなり。わが曾遊の地に來たる樂しさをば、君もおもひ遣り給へといふ。

 彼問ひ我答ふる間に、路程の幾何いくばくをか過ぎけん。フオンヂイの税關の煩ひをも、我心には覺えざりき。途上一微物に遭ふごとに、友はその詩趣を發揮して我心を慰めたり。この憂き旅の道づれには、フエデリゴこそげに願ひても無かるべき人物なりしなれ。

 友は往手ゆくてを指ざしていふやう。かしこなるが我が懷かしききたなイトリの小都會なり。汝は故里の我が居る町をいかなる處とかおもへる。街衢がいくの地割の井然せいぜんたるは、幾何學の圖をひらきたる如く、軒は同じく出で、はしごは同じく高く、家々の並びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に殊ならず。清潔なることはいかにも清潔なり。されどかくては復た何の趣をかなさん。イトリに入りて灰色に汚れたる家々の壁を仰ぎ見よ。その窓にははなはだ高きあり、太だ低きあり、大なるあり、小なるあり。家によりては異樣に高き梯のいたゞきに門口を開けるあり。その内を望めば、繅車いとぐるまの前に坐せる老女あり。側なる石垣の上よりは黄に熟したる木の實の重げにりたる枝さし出でたるべし。この參差しんし錯落さくらくたる趣ありてこそ、好畫圖とはなるべきなれといふ。

 車のイトリに入らんとするとき、同じく乘れる一客は、これフラア・ヂヤヲロの故郷なりと叫びぬ。この小都會は削立さくりつ千尺の大岩石の上にあり。これを貫ける街道は僅に一車をるべし。こゝ等の家は、おほむね皆平家ひらやに窓を穿うがつことなく、その代りには戸口を大いにしたり。戸の内なる泣く小兒、笑ふ女子は、皆襤褸つゞれを身に纏ひて、旅人の過ぐるごとに、手を伸べ錢をもとむ。馬の足掻あがきの早きときは、窓より首を出すべからず。石垣に觸るゝおそれあればなり。時ありて出窓でまどの下を過ぐるときは、隧道すゐだうの中を行くが如し。だ黒烟の戸窓とまどより溢れて、壁に沿ひて上るを見るのみ。

 閭門りよもんを出づるに及びて、友は手をちつゝ、美なる都會かなと叫びぬ。車主エツツリノは顧みて、否、盜人ぬすびとの巣なり、警察のわずらひ絶ゆる間なければとて、一たび市民の半を山のあなたにうつし、その跡へは餘所より移住せしめしことあり、されどそれさへ雜草のくさむらに穀物の種を蒔きしに似て、何の利益もあらで止みぬ、兎角は貧の上の事にて、貧人の根絶やし出來ねば、無駄なるべしと、さとし顏に物語りぬ。

 げにも羅馬とナポリとの間ほど、劫掠ひはぎに便よきところはあらざるべし。奧の知られぬ橄欖オリワの蒼林、所々に開ける自然の洞窟より、昔がたりの一目の巨人が築きぬといふ長壁のなごりまで、いづれか身を隱し人を覗ふによろしからざる。

 友は蔦蘿つたかづらの底に埋れたる一たいの石を指ざして、キケロの墓を見よといへり。是れ無慙むざんなる刺客せきかくの劍の羅馬第一の辯士の舌をもだせしめし處なりき。(キケロ別墅べつしよはこゝを距ること遠からざるフオルミエにあり。該撤ケエザル歿後、アントニウス一派の刺客キケロを刺さんと欲す。キケロ身を以て逃れ、まさブルツスの陣に投ぜんとして、遂に刺客の及ぶところとなりぬ。時に西暦前四十三年十二月七日なり。)友は語をつぎて、車主はこたびもモラ、ヂ、ガエタ(即ち昔のフオルミエ)の別墅に車を停むるならん、今は酒店となりて、眺望好きがために人に知らるといひぬ。


   旅の貴婦人


 山嶽は秀で、草木は茂れり。車は月桂ラウレオ街樾なみきを過ぎて客舍の門にいたりぬ。薦巾セルヰエツトひぢにしたる房奴カメリエリは客を迎へて、盆栽花卉くわきもて飾れるひろきざはしもとに立てり。車を下る客の中に、稍〻肥えたる一夫人あるを見て進み近づき、たすけて下らしめ、ことさらに挨拶す。相識の客なればなるべし。夫人の顏色ははなはだ美し。その瞳子ひとみうるしの如きにて、拿破里ナポリうまれの人なるを知りぬ。

 われ等の衆人と共に、門口に近き食堂に入る時、夫人は房奴に語りぬ。こたびの道づれははしため一人のみ。例の男仲間は一人だになし。かく膽太く羅馬拿破里の間を往來ゆききする女はあらぬならん、奈何いかになどいへり。

 夫人は食堂の長椅子に、はたと身をせ掛け、いたくうんじたるていにて、圓く肥えたる手もて頬を支へ、目を食單もくろくに注げり。「ブロデツトオ、チポレツタ、フアジヲロ」とか。わが汁を嫌ふをば、こゝにても早く知れるならん。否々、わが「アムボンポアン」の「カステロ、デ、ロヲオ」の如くならんは、堪へがたかるべし。「アニメルレ、ドオラテ」に「フイノツキイ」些計ちとばかりあらば足りなん。まことの晩餐をばサンタガタにてしたゝむべし。こゝは早く拿破里ナポリの風の吹くが快きなり。「ベルラ、ナポリ」と呼びつゝ、夫人は外套の紐を解き、そのに向へるわたどのの扉を開き、もろ手を擴げて呼吸したり。(此詞の中には食單の品目に見えたる料理の稱多し。「ブロデツトオ」は卵のきみ〈[#「穀」の「禾」に代えて「黄」、78-上段-27]〉を入れたるうす肉羹汁スウプ、「チポレツタ」は葱、「フアジヲロ」は豆、「カステロ、デ、ロヲオ」は卵もて製したる菓子、「アニメルレ、ドオラテ」はこうしの臟腑の料理、「フイノツキイ」は香料なり。「アムボンポアン」は肥胖ひはん、「ベルラ、ナポリ」は美しき拿破里といふ程の事なり。)

 われは友を顧みて、拿破里は最早こゝより見ゆるかと問ひしに、友は笑ひて、まだ見えず、されどヘスペリアは見ゆるなり、アルミダしきそのは見ゆるなりと答へき。(譯者云。ヘスペリア希臘ギリシア語、晩國、西國の義なり。或は伊太利をして言ひ、或は西班牙スパニアを斥して言ふ。されどこゝには、希臘神話にヘスペリアといふ女神ありて、西方の林檎園を守れるを謂ふならん。アルミダタツソオが詩中の妖艷なる王女なり。基督教徒を惑はし、丈夫ますらをリナルドオアンチオヒアの園に誘ひて、酒色に溺れしむ。フエデリゴが詞の意は、山水を問ふこと勿れ、彼美人を見よとなり。)

 友と廊に出でゝ望むに、その景色の好きこと、想像の能く及ぶ所にあらず。脚の下には柑子かうじ檸檬リモネなどの果樹の林あり。黄金いろしたる實の重きがために、枝は殆ど地にれんとす。丈高き針葉樹の園を限りたるさまは、北伊太利の柳と相似たり。この木立の極めて黒きは、これに接したる末遙なる海原うなばらの極めてあかければなり。園の一邊かたほとりの石垣の方を見れば、寄せ來る波は古の神祠温泉いでゆあとを打てり。白帆懸けたる大舟小舟は、しづかに高き家の軒を並べたるガエタいりえに進み入る。(原註。ガエタカエタより出でたる名なりといふ。是れヰルギリウスが詩の主人公エネエアス乳媼めのとの名にして、此港を以て其埋骨の地となせるなり。)いりえ背後うしろに一山の聳ゆるありて、その嶺には古壘壁を見る。友は左の方を指してヱズヰオの烟を見よといふ。眸を轉じて望めば、火山の輪廓は一抹の輕雲の如く、美しき青海原の上に現れたり。われは小兒の情もて此景物を迎へ、心のうちに名状すべからざる喜を覺えき。

 われ等は相携へて果園に下りぬ。われは枝上のこのみに接吻して、又地に墜ちたるを拾ひ、まりの如くにもてあそびたり。友の云ふやう。げに伊太利はめでたき國なる哉。北方の故郷に在りし間、常に我おもひ往來ゆききせしものはこの景なり、この情なり。嘗て夢裡に呑みつる霞は、今うつゝに吸ふ霞なり。故郷の牧を望みては、此橄欖オリワの林を思ひ、故郷の林檎を見ては、此柑子かうじを思ひき。されど北海の緑なる波は、終に地中海の水の藍碧なるに似ず、北國の低き空は、終に伊太利のそらの光彩あるに似ざりき。汝はわが伊太利を戀ひし情のいかに切なりしかを知るか。一たび淨土を去りたるものゝ不幸は、嘗て淨土を見ざりしものゝ不幸より甚し。我故郷なる璉馬デンマルクは美ならざるに非ず。山毛欅ぶなの林の鬱として空を限るあり。東海の水のひろくして天につらなるあり。されど是れ皆なほ人界の美のみ。伊太利は天國なり、淨土なり。かへす/″\も嬉しきは再びこの土に來しことぞと云ふ。友はわれと同じく枝なる果に接吻し、又目に喜の涙を浮べて、我うなじを抱き我額に接吻せり。

 火は火を呼び、情は情を呼ぶ。われは最早此舊相識に對して、胸臆を開き緘嘿かんもくを破ることを禁じ得ざりき。われは我が羅馬に在りての遭遇を語りて、高くアヌンチヤタの名を唱へたり。人を傷けて亡命せしこと、身を賊寨ぞくさいに托せしことより、怪しきおうなの我を救ひしことまで、一も忌み避くることなかりき。友の手はかたく我手を握りて、友の眼光まなざしは深く我眼底を照せり。

 忽ち啜泣すゝりなきの聲の背後うしろに起るあり。背後はキケロ温泉いでゆの入口にて、月桂ラウレオ朱欒ザボンの枝繁りあひたれば、われは始より人あるべしとは思ひ掛けざりしなり。枝推し分けて見れば、彼温泉の入口なる石に踞して泣く女あり。そはさきの拿破里の夫人なりき。

 夫人は涙の顏を擧げて我に謝して云ふやう。我が無禮なめなるをゆるし給へ。君等の歩み寄り給ひしときは、われ早くこゝに坐して涼をむさぼり居たり。御物語の祕事ひめごとと覺しきには、後に心付きしが、せんすべなかりしなり。されど哀れ深き御物語を聞きつとこそ思ひまゐらすれ、人に告ぐべきにはあらねば、惡しく思ひ取り給ふなといふ。われはの惡さを忍びて夫人に禮を施し、友と共にくびすめぐらしたり。友は我を慰めて云ふやう。彼夫人の期せずして我等と物言ひしは、或は他日我等に利あらんも知るべからず。斯く言へば土耳格トルコ人めきたれど、われは運命論者なり。且汝の語りし所は國家の祕密などにはあらず。誰が心中の帳簿にも、此種の暗黒文字數葉なきことはあらざるべし。彼夫人の汝が言を聞きて泣きしは、或は他人の語中より自家の閲歴を聽き出し、他人の杯酒もて自家の磊塊らいくわいそゝぎしにはあらずや。涙は己れのために出で易く、人のために出で難きこと、なべての情なればといひき。

 我等は再び車に乘りに上りぬ。四邊あたりの草木はいよ/\茂れり。車に近き庭園、田圃の境には、多く蘆薈ろくわいゑたるが、その高さ人の頭を凌げり。處々の垂楊の枝はれて地に曳かんとせり。

 日のゆふべガリリヤノの河を渡りぬ。古のミンツルネエ(羅馬の殖民地)は此岸にありしなり。我好古のまなこもて視るときは、是れ猶いにしへリリス河にして、其水は蘆荻ろてき叢間の黄濁流をなし、敗將マリウスが殘忍なるズルラ追躡ついせふせられて身を此岸に濳めしも、きのふごとくぞおもはるゝ。(紀元前八十八年ズルラ政柄せいへいを得つる時、マリウスこれと兵馬の權を爭ふ。所謂第一内訌ないこう是なり。マリウス敗れて此河岸に濳み、萬死を出で一生を得て、難を亞弗利加アフリカに避けしが、その翌年土を捲きて重ねて來るや、羅馬府を陷いれ、兵をはなちて殺戮さつりくせしむること五日間なりき。)此よりサンタガタまでは、まだ若干の路程あるに、やみは漸く我等の車をつゝまんとす。馭者は畜生マレデツトオを連呼して、鞭策べんさく亂下せり。拿破里ナポリの夫人は心もとながりて、頻りに車窓を覗き、賊の來りて、行李をくゝり付けたるさくらんを恐るゝさまなり。われ等はわづかに前面に火光あるを認めて、互に相慶したり。須臾しゆゆにして車はサンタガタいたりぬ。

 晩餐の間、夫人は何事をか思ふさまにて、いともの靜なりき。さるをその目の斷えずわが方に注げるをば、われ心にいぶかりぬ。翌朝車の出づべきに迫りて、われは一盞の珈琲カツフエを喫せんために、食堂に下りしに、堂には夫人只一人在りき。優しく我を迎へて詞を掛け、われを惡しく思ひ給ふな、總べて思ひ設けぬ事なりしなればと云ふ。われは夫人を慰めて、否、あしき人に聞かれたりとは思ひ候はず、言はであるべき事をば言ひ給ふべき方ならねばと答へき。夫人。さなり。おん身はまだ我をよくも識り給はず。或は我を識り給ふあらんも知るべからず。おん身は知らぬ大都會に往き給ふといへば、かしこにて一度我家におとづれ、我夫と相識さうしきになり給はんかた宜しからん。交際は無くてかなはぬものにて、又一たび誤りてあらぬ人と相結ぶときは、悔あるべきことなりといふ。われは深くその好意を謝して、善人は隨處にありといふことわざむなしからぬを喜びぬ。夫人は我側に寄りて、兼ねても聞き給ふならん、拿破里はわかき人には危き地なりなど云ひ、猶何事をか告げんとせしに、フエデリゴへやより出でしかば、物語はこゝに絶えぬ。

 我等は又車に乘りたり。今は車中の客も漸く互に打解けて、はかなき世語よがたりなどしつゝ拿破里のまちに近づきぬ。偶〻うさぎうまりたる一群の過ぐるあり。我友はこれを見て、いたくめでたがりたり。紅の上衣を頂より被りて、一人の穉兒をさなごには乳房をふくませ、一人の稍〻年たけたる子をば、腰のあたりなるの中に睡らせたる女あり。又一家族を擧げて一驢の脊に托したりと覺しく、眞中には男騎りて、背後なる妻はひぢと頭とを夫の肩にせて眠り、子は父の膝の間にはさまれてむちを手まさぐり居たるあり。いづれもピニエルリが風俗畫の拔け出でたるかと怪まるゝばかりなり。

 空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰオの山もカプリの島も見えず。葡萄の纏ひ付きたる高き果樹と白楊との間には、麥の露けく緑なるあり。夫人我等を顧みて、見給へ、此野はさながらに饗應のむしろなり、麪包パンあり、葡萄酒あり、このみあり、最早わが樂しきまちと美しき海との見ゆるに程あらじといひぬ。

 夕に拿破里に着きぬ。トレドの街の壯觀は我前に横はりぬ。(原註。羅馬及ミラノにては大街おほどほりコルソオと曰ひ、パレルモにてはカツサロと曰ひ、拿破里にてはトレドと曰ふ。)硝子燈といろどりたる燈籠とを點じたる店相並びて、つくゑには柑子かうじ無花果いちじゆくなどうづたかく積み上げたり。道の傍には又魚蝋を焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窓ごとに床張り出したるが、男女の群のその上に立ち現れたるさまは、こゝは今も謝肉祭カルネワレの最中にやとおもはるゝ程なり。馬車あまた火山のあなより熔け出でし石を敷きたる街をひて、間〻馬のその石面のなめらかなるがためにつまづくを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸ぼろ着たる小兒をさへ載せ、又この重荷の小づけには、網床めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫ラツツアロオネのいと心安げにうまいしたるあり。くものは唯だ一馬なるが、その足は驅歩かけあしなり。一軒の角屋敷の前には、焚火して、泅袴およぎばかま扣鈕ボタン一つ掛けし中單チヨキ着たる男二人、むかひ居て骨牌かるたを弄べり。風琴、「オルガノ」の響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘ギリシア人、土耳格トルコ人、あらゆる外國人とつくにびとの打ちまじりて、且叫び且走る、その熱鬧ねつたう雜沓ざつたふさま、げに南國中の南國は是なるべし。この嬉笑怒罵の天地に比ぶれば、羅馬は猶幽谷のみ、墓田のみ。夫人は手をち鳴して、拿破里々々々と呼べり。

 車はラルゴ、デル、カステルロに曲り入りぬ。(原註。拿破里ナポリ大街おほどほりの一にして其末は海岸に達す。)同じ闐溢てんいつ、同じ喧囂けんがうは我等を迎へたり。劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を掲げたり。輕技かるわざの家あり。その群の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。をみなは叫び、夫は喇叭らつぱ吹き、子は背後より長き鞭をふるひて爺孃やぢやうを亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂りやうひぢを振りて歌へり。是れ即興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ「オランドオ、フリオゾ」を讀めるなり。(譯者云。わが太平記よみのたぐひなるべし。讀む所はアリオストオの詩なり。)

 夫人は忽ちヱズヰオと呼びぬ。げに/\廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたるいはほの山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅あんこうなり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬間なりき。車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前にまりぬ。店の隣には、小き傀儡場くゞつばあり。一人ありてその前に立ち、道化役プルチネルラ偶人にんぎやうを踊らせ、且泣き且笑ひ、又可笑をかしき演説をなさしめたり。衆人はめぐり視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅ひろく逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて説教せり。此方こなたには聽衆いと少し。

 僧は目をいからして傀儡師の方を見やりて云ふやう。斯くても精進日せじみびなるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達なんたちがためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭カルネワレならぬはなし。斯くをどり狂ひ笑みたはむれて、一歩一歩地獄に進み近づくなり。く奈落の底に往きて狂ひ戲れよといふ。僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里なまりを聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈〻大なれば、偶人にんぎやうの跳ること愈〻忙しく、群衆は舊に依りて傀儡師に面し談義僧にそむけり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の間に分け入りたり。見よ/\。これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの教を聽かんためなり。「キユリエ、エレイソン」(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)とぞ唱へける。聖像は流石さすが人に敬を起さしめて、四圍あたりの群衆忽ちひざまづけば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。

 われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴは夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、そのやはらかき兩臂は俄に我うなじを卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。


   慰籍


 友の眠に就きし後、われは猶やゝ久しく出窓に坐して、かたを眺め居たり。こゝよりはたゞに廣こうぢの隈々くま/″\迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオの山さへ眞向まむきに見えたり。夢のうちに移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易たやす臥床ふしどに上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火ともしびの數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。

 ヱズヰオの山の姿はたとへば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅あんこうなる雲の一群ひとむらはその木のいたゞき、谷々を流れ下る熔巖ラワはそのひろく張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神とおも相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤きようじゆつ、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷じんらい風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地におとすことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導ふえききやうだうの絲は分明ぶんみやうに辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神のわざはひを轉じてさいはひとなし給へるあとおほふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上をうしなひまゐらせき。されどわざとならぬ其罪をあがなはんとてこそ、車上の貴人あてびとは我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチアペツポとのわが身を爭ひて、わが全く寄邊よるべなき身の上となりしは、まことに限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニア曠野あらのに日を送ることなくば、かゝる貴人のいかでか我を認め得給はん。此の如く因果のくさり手繰たぐりもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタとの上なり。ベルナルドオが姫を得んと欲せしは卑陋ひろうなる色慾にして、たとかれ一たびその願の成らざるを憂ふとも、渠は月日を費すことなくして、その失望を慰めその遺憾を忘れしならん。わが情はいと高くいと深くして、われ若し姫を獲たらんには、此世の中には最早何の欲望をも殘さゞりしならん。さるを姫は我を棄てゝ渠を取りたり。我黄金こがねなす夢は一旦にして塵芥となりをはんぬ。こはそもいかなる故ぞや。此煩惱の間、我は忽ち「キタルラ」の音の街上に起るを聞く。見下せば肩に輕く一領の外套を纏ひて、手に樂器をり、戀の歌の一曲を試みんとする男あり。未だ數彈ならざるに、むかひの家の扉は響なくしてき、男の姿は戸に隱れぬ。想ふに此人を待つものは、優しき接吻と囘抱となるべし。われは星斗のきらめける空を仰ぎ、又熔巖の影處々にくれなゐを印したる青海原を見遣りたり。好し々々、我は我戀人を獲たり。我戀人は自然なり。自然よ。汝はわがためにそのはれやかなるそらを打明けて何の隱すところもなし。汝はそよ吹く風の優しきを送りて、我額我唇に觸るゝことを嫌はず。我は汝が美しさを歌はん、汝が我心を動す所以ゆゑんを歌はん。言ふことなかれ、汝が心のきずは尚血をしたゝらすと。針につらぬかれたる蝶の猶その五彩の翼をふるふを見ずや。落ちたぎつ瀧の水のしぶきと散りて猶うるはしきを見ずや。これはこれ詩人の使命なり。この世はつかの夢なり。あの世に到らんには、アヌンチヤタも我もきよたまにて、淨き魂は必ず相愛し相憐み、手に手を取りて神のみまへに飛び行かむ。

 氣力と希望とは再び我胸に入り來れり。わが此より即興詩人として世に立たんは、なか/\に樂しかるべき事ぞと思ひ返されぬ。只だ猶心に懸るは、恩人なる貴人あてびとの思ひ給はん程奈何いかゞなるべきといふ事なり。彼人はわれ舊に依りて羅馬にありてふみを讀めりとおもひ給ふならん。彼人のわが都を逃れしさまと我新境界きやうがいとを聞き知り給はんには、果して何とか言はるべき。われは今宵を過ごさで書を裁して、人々に我未來の事を認め許されんことをふことゝなしたり。我書には、子の母に言はんが如く、いさゝかの繕ふことなく有の儘に、我とアヌンチヤタとの中を語り、我が一たび絶望の境に陷りて後、今又慰藉を自然と藝術とに求むるに至れる顛末てんまつを敍して、さて人々の憐を垂れてわが即興詩人となることを許されんを願ひぬ。われはその答を得ん日までは、敢て公衆のために歌はざるべしと誓へり。これを書く時、涙は紙上にちてまだらをなし、われは心の中に答書の至らんこと一月の間にあらんことを祈るのみなりき。書きをはりて、われは久し振にて心安く眠に就きぬ。

 翌日フエデリゴはとある横町なる賃房かしべやに移り、己れは猶さきの獨逸ドイツ宿屋なる、珍らしき山と海との眺ある一間に留まりぬ。われは聚珍館しうちんくわん(ムゼオ、ボルボニイコ)、劇場、公苑など尋ねめぐりて、未だ三日みかならぬに、早く此都會の風俗のおほかたを知ることを得たり。


   考古學士の家


 或日房奴カメリエリは我に一封のふみをわたしたり。ひらきて讀めば、博士マレツチイと夫人サンタとの案内状にして、フエデリゴ君をも伴ひて來ませとあり。初めはわれこは屆先を誤りたる書ならずやと疑ひぬ。宿屋の人に博士はいかなる人ぞと問ふに、いと名高き學者にて、考古學とやらんにけ給ふと聞ゆ、その夫人近きころ羅馬より歸り給ひしなれば、客人は途上にて相識になり給ひしにはあらずやといふ。嗚呼あゝ、われこれを獲たり。これこそさき拿破里ナポリの貴婦人なるらめ。

 夕暮にフエデリゴを誘ひて往きぬ。いと廣き間に客あまた集へり。なめらかなる大理石の床は、蝋燭の光を反射し、鐵の格子をめぐらしたる火鉢(スカルヂノ)は、程好きあたゝかさを一間の内にわかてり。

 サンタ名告なのれる夫人は、嬉しげに我等二人を迎へて、一坐の客達に引合せ、又我等に、すこしも心をおかで家に在る如く振舞はんことを勸めたり。夫人は今宵空色のきぬを着たるが、いと善く似合ひたり。我等は若し此人をして少し痩せしめば、第一流の美人たるべきものをとさゝやきたり。

 我等は夫人に促されて坐せり。此時一少女ありて「ピアノ」にむかひ、短歌アリアうたひ出せり。その曲は偶〻たま/\アヌンチヤタヂドに扮して唱ひしものと同じけれども、その力を用ゐる多少と人をうごかす深淺とは、もとより日を同うして語るべきならず。われは只だ衆のなすところにならひて、共に拍手したるのみ。少女をとめは又輕快なる舞の曲を彈じ出せり。男客をとこきやくの三人四人は、急にかたはらなる婦人をいざなひて舞ひはじめたり。われは避けて、とある窓龕さうがんかくれたり。

 初めわれは席に入りしとき、痩せたる小男の眼鏡懸けたるが、せはしげに此間に出入するを見たり。この男わが窓龕にかくれしを見て、我前に立ち留まり、慇懃いんぎんなる禮をなせり。われはその何人なるを知らねども、しばらく共に語らばやとおもひて、ヱズヰオの山の噴火の事を説き、その熔巖の流れ下るさまなど、外より來るものゝ目を驚かす由を云ひたり。小男の答ふるやう。否。今の噴火の景などは言ふに足らず。プリニウスふみに見えたる九十六年の破裂は奈何いかゞなりけん。灰はコンスタンチノポリスにさへ降りしなり。近き年の破裂の時も、我等拿破里人は傘さして行きしが、ひとしく灰降るといふも、拿破里に降るとコンスタンチノポリスに降るとは殊なり。何事によらず、今の世は遠く古の希臘ギリシア羅馬ロオマの世に及ばずと知り給へ。澆季げうきの世は古に復さんよしもなしと、かこち顏なり。われ芝居話に轉ずれば、彼は遠くテスピスの車にさかのぼりて、(世に傳ふ、テスピスは前五四〇年頃の雅典人アテエンびとにして、舞臺を車上にしつらひ、始て劇を演じたりと)希臘俳優のかぶりぬといふ、悲壯劇の假面と滑稽劇との假面とを列擧せり。われ又近頃禁軍このゑの檢閲ありしを聞きつと噂すれば、彼は希臘の兵制を論じて、マケドニア歩兵の方陣フアランクスの操錬を細敍すること目撃のさまの如くなり。既にして彼は我に考古學又は美術史を研究し給ふやと問ひぬ。われ答へて、己れは専門の學をなさずと雖、凡そ宇宙の事は一として我研究の資料ならぬはなし、己れは詩人たらんと心掛くるなりと云へば、彼手を拍ちて喜び、ホラチウスが句を朗誦し、我琴を以てヨヰスの神の龜甲琴リラに比したり。

 忽ちサンタ我前に來て云ふやう。さては終に生捕いけどられ給ひしよ。おん身等の物語は、定めてセソストリス時代の事なるべし。(希臘傳説に見えたる埃及エヂプト王の名なり。前十四五紀の間の名ある王二人の上を混じて説けり。)客人まらうどには現世の用事あり。かしこにわかき貴婦人の敵手あひてなくて寂しげなるあり。願はくは誘ひ出して舞の群に入り給へとなり。われ逡巡しりごみして、否われは舞ふこと能はず、かつて舞ひしことなしと答ふれば、サンタ重ねて、家のあるじたる我身おん身に請はゞ奈何いかにといふ。われ。まことに濟まぬ事ながら、われ若し強ひて踊り出でば、おのれ一人つまづき轉ぶのみならず、敵手の貴婦人をさへき倒すならん。夫人打ち笑ひて、そは好き見ものなるべしといひつゝ、フエデリゴの方に進み近づき、直ちに伴ひて舞の群に入りぬ。小男は我を顧みて、氣輕なる女なり、されどかほは醜からず、さは思ひ給はずやといふに、我はまことにおほせの如く、めでたき姿なりと讚めたゝへき。此よりいかなる話のはこびなりしか知らねど、我等二人は忽ち又古のエトルリヤ人(昔羅馬の北に住みし民)の遺しゝ陶器すゑものの事を論ぜざるべからざることゝなりぬ。彼は此地の聚珍館内なるへい又は壺の數々を擧げて、これに畫きし畫工に説き及ぼし、次いでその畫工の技巧を辯明したり。此等の陶畫すゑものゑは、皆濕に乘じて筆を用ゐるものなれば、一點一畫と雖、漫然これを下すべきにあらずなど云へり。彼は猶其つまびらかなるを教へんために、不日我を聚珍館に連れ往かんと約せり。

 夫人は再び我前に來て、さては論文はまだ結局とならぬにや、以下次號とし給へと呼び、急に我手をりてき去りつゝ、聲を低うして云ふやう。おん身は餘りに人きにはあらずや。我夫はいつも此の如くなれば、うるさき時は忍びて聽き給ふには及ばず。おん身の兎角沈み勝になり給ふは惡しき事なり。人々と共に樂み給へ。いざ我身おん相手となるべければ、何にても語り聞せ給へ。こゝに來給ひてより、何をか見給ひし、何をか聞き給ひし、何をか最もめでたしと思ひ給ひしといふ。われ。兼ておん身の告げ給ひしに違はず、拿破里はいとめでたき地なり。今日のひる過ぎなりき。獨り歩みてポジリツポ巖窟いはやに往きしに、葡萄の林の繁れる間に古寺のあとあり。そこに貧しき人住めり。可哀げなる子供あまた連れたる母はなほ美しき女なりき。我は女のぎくれたる葡萄酒を飮みて、暫くそこに憩ひしが、その情その景、さながらに詩の如くなりきと語りぬ。夫人は示指ひとさしゆびてゝ、みつゝ我顏を打守り、油斷のならぬ事かな、さるいちはやき風流みやびをし給ふにこそ、否々、面をあかめ給ふことかは、君のよはひにては、精進日せじみびの説法聞きて心を安じ給ふべきにはあらぬものをとさゝやきぬ。

 夫婦の上にて、此夕わが知ることを得たるところは、いと少かりき。されどサンタさがの拿破里婦人の特色と覺しく、ことばを出すに輕快にして直截ちよくせつなる、人に接するに自然らしく情ありげなるは、深く我心に銘せり。その夫は博學の人と見えたり。共に聚珍館に遊ばんには、これに増す人あるべからず。

 われは次第に足近く彼家に出入するやうになりぬ。サンタの待遇は漸く厚く親くなりて、われは早くも心の底を打明けて此婦人に語りぬ。後に思へば、われは世馴れぬ節多く、男女なんによの間の事などにくらきは、赤子に異ならぬ程なれば、サンタの如き女に近づくことの、多少の危險あるべきを知るに由なかりしなり。サンタが夫は卑しき饒舌家ぜうぜつかならずして、まことに學殖ある人なりしこと、此往來ゆききの間に明になりぬ。

 或日われはサンタに語るに、アヌンチヤタと別れし時の事を以てせり。サンタは我を慰めて、ベルナルドオの心ざまを難じ、又アヌンチヤタさがをさへおとしめ言へり。そのベルナルドオを難ずる詞は、多少我創痍さういそゝぐ藥油となりたれども、アヌンチヤタおとしむる詞は、わが容易たやすく首肯し難きところなりき。

 サンタのいふやう。彼女優をばわれも屡〻見き。舞臺に上る身としては、たけ餘りに低く、肌餘りに痩せたりき。拿破里にありても、若き人々の崇拜尋常よのつねならざりしが、そは聲の好かりしためなり。アヌンチヤタが聲は人を空想界に誘ひ行く力ありき。而してその小く痩せたる身も亦空想界に屬するものゝ如くなりしなり。おん身若し我言をたがへりとし給はゞ、そは猶肉身なくて此世に在らんを好しとし給ふごとくならん。假令よしやわれ男に生るとも、抱かば折るべき女には懸想けさうせざるべしといへり。われは覺えず失笑せり。想ふにサンタは話の理に墜つるを嫌ふ性なれば、始より我を失笑せしめんとて此説をなしゝならんか。奈何いかにといふにサンタアヌンチヤタが品性の高尚なると才藝の人にすぐれたるとをば一々認むといひたればなり。

 或時われは詩稿を懷にして往きぬ。こは拿破里ナポリに來てよりの近業にて、獄中のタツソオ、托鉢僧など題せる短篇の外、無題一首ありき。われは愛情の犧牲なり。わが曾て敬し曾て愛しつる影像は、皆碎けて塵となり、わが寄邊よるべなき靈魂は其間に漂へり。われはサンタに向ひ居て詩稿を讀み始めしに、未だ一篇を終らずして、情迫り心激し、われは鳴咽をえつして聲をぐことを得ざりき。サンタは我手を握りて、我と共に泣きぬ。わがサンタに親むことは、此より舊に倍したり。

 サンタの家は我第二の故郷となりぬ。われは日ごとにサンタと相見て、日ごとに又その相見ることのおそきを恨みつ。この婦人の家にあるさまを見るに、其戲謔も愛すべく其氣儘も愛すべし。これをアヌンチヤタの一種近づくべからずるべからざる所ありしに比ぶれば、もとより及ぶべくもあらねど、かの捉へ難き過去の幻影には、最早この身近き現在の形相ぎやうさうしりぞくる力なかりしなり。

 或時我は又サンタと對坐して語れり。夫人。近ごろポジリツポの眺好き家と顏好き女とを尋ね給ひしか。われ。否、前後二たび往きしのみ。夫人。女は最早餘程おん身になじみしならん。子供は案内者に雇はれ、主人はすなどりに出でゝ在らざりしにはあらずや。用心し給へ、拿破里ナポリの海の底は、やがて地獄なりといへば。われ。否、我心を引くものは唯景色のみなり。かの賤女しづのめいかに美しとて、決して我を誘ひ寄すること能はざるべし。夫人。吾友よ、われは明におん身の心を知れり。さきにはその心に初戀の充牣きざしたるため、些の餘地だになかりき。われは君が初戀をいやしとせざるべし。されどその敵手あひてなる女の、君の直きが如く直からざりしは、爭ふべからざる事實なるべし。否、我話の腰を折り給ふな。さてその初戀の眞のあたひまれ、かくまれ、その君が心に充牣したるもの、今や無慙むざんにも引き放ちて棄てられ、その跡は空虚になりぬ。この空虚は何物もてうづむべきか。君は昔こそふみを讀み空想に耽りて自ら足れりとし給ひけめ、彼女優の一たび君を現實世界に引き出したる上は、君も亦我等と同じく血あり肉ある人となり給ひて、その血その肉はその本來の權利を求めでは止まざるべし。少壯幾時かある。男兒何の敢てすべからざる事かあらん。されば我に物隱さんとし給ふには及ばざるにあらずや。われ。おん説の前半は、げにさもあるべく思はれて、空虚の事などは首肯しても好し。されどそを填めん策をば未だ講ぜしことあらず。夫人。さらば君は猶我説を問はんとし給ふか。君の既に一たび空想を出でながら、猶再びこれに還りて、一個の空想人物とならんとし給ふが怪しきなり。アヌンチヤタは君が理想の女ならずや。高尚なる人物ならずや。それすら空想人物のアントニオの君を棄てゝ、人柄下りたるベルナルドオを取りしなり。アヌンチヤタも男欲しかりしなり。斯く言ひ掛けて、サンタは愛らしき聲して笑ひ、おん身の餘りに罪なきさがなるため、我に女の口より言ひ難き事さへ言はしめ給ふこそ憎けれとて、指もて我頬をはじきたり。

 旅店に還りて獨り思ふに、サンタの我を評する言は、昔ベルナルドオの我を評せし言と同じ。此頃又フエデリゴの話を聞きしに、その羅馬にありし日の經歴には、我の夢にだに知らざるやうなることもありて、いやしきマリウチアさへその事にあづかれりといふ。世の人はわが厭ひおそるゝところのものを悦び樂むにや。アヌンチヤタの我を棄てゝベルナルドオを取りしなどは、にもこれを證して餘あるが如くなり。果して然らばアヌンチヤタは我感情を愛して我意志を嫌ひしにやあらん。あらず、わが意志の闕乏けつばうを嫌ひしにやあらん、いと覺束おぼつかなく心許こゝろもとなき事にこそ。


   絶交書


 拿破里ナポリに來てより既に一月を經ぬ。さるにアヌンチヤタベルナルドオとの上に就きては、何の聞くところもあらず。或夕一封の書は到りぬ。何人のいかなる便するにかと、打ち返してこれを見るに、印はボルゲエゼ家の印にして、筆は主公の筆なり。われは心に聖母マドンナを祈りつゝ、開いてこれを讀みたり。其文に曰く。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。