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北國紀行

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北國紀行

堯惠法印


文あきらけき年の十七の秋。みのの國平賴數しる所の山亭に下り蘇息せしに。秋風の催す比都を思ひ出侍て。

 雲路こす都は西のをとは山せきのこなたも秋かせそ吹

かくて明るとしの十八のさ月の末に。飛驒の山路をしのぎ。あづまの方へをもむき侍りぬ。位山をみるに。千峯萬山重りて。いづこをかぎりともしらず。

 こすゑ吹あらしも高き位やまひはらか下にかゝる白雲

名にきくほそえの方を遙にみやり侍りて。

 峯こゆる月もうつりぬ夏山やひたのほそ江の夕闇の空

立山のふもとを過て越中の國にうつりぬ。

 むかし誰なつより道をたて山の雪に消せぬあとは殘れる

田子の浦はいづちなるらんと思ひやり侍り。

 行方をたちへたつなよみぬ人の爲とそきゝし田子のうら波

とをきわたりにふせの海ありときゝしかば。

 夏草の茂れるすゑもふせのうみを吹こす風の色かとそみる

早槻川をすぎて霧雨いまだはれず。

 たひの空晴ぬなかめにうつる日もはやつき河をこゆる白浪

長雨なをはれやらず。四十八ヶ瀨とやらむをはるばるとみわたせるに。をつと云所に侍りて。

 四十あまり八のせなから長雨にひとつうみともなれる比哉

六月十三日越後府中海岸につきぬ。京路にして相なれし正才法師を尋てあまのとまやによをかさぬ。此なぎさちかき所に神さびたるやしろあり。參詣しておがみ侍りしにかの社務はながきさといふ老翁出てこの御神はむかし三韓御進發のときより北海擁護の神たり。居多明神と申奉る。手向すベきよし申侍しかば。

 天の原雲のよそまて八嶋もる神や凉しきおきつしほ風

此國の太守相摸守藤原朝臣上杉房定のきこえに達せしより後は。旅泊の波の聲をきかず。剩旅館を宸勝院といへるにうつされ。樹陰の凉虱袖にあまるほどなり。七夕にいたり。星の手向せしに。當國の歌の濱の名も。梶のはをかさぬベきかずの秋。かぎりしられず覺えて。七夕祝。

 手向せむ幾萬代かこしのうみにとるかちのはの歌のはま風

十四十五夜には善光寺に詣て御堂に通夜し侍る。則彼寺務の宿老。內陳へ導き侍しかば。此身をかへずして淨刹にいたれるかと覺ゆるに。彌陀本願のこゝろを。

 ふり分の草木の雨のすゝしさもむかふるかたの秋の初かせ

をば捨山はいづれの嶺を隔て侍るぞとたづね侍るに。いたりてとをくは侍らねども。山川雲霧かさなりて。此ごろいとあやしき事の侍る道にてなど聞えしかば。只堂前の峯の上よりはるかにながめ侍りて。

 よしさらはみすとも遠くすむ月をおもかけにせん姨捨の山

ちくまがはは御堂の東に流れたり。

 やとり行浪のいつくかちくま河岩まも淸き秋のよの月

明れば越後の府中にをもむきて旅情をなぐさむる事數日になりぬ。八月の末には又旅立。柏崎といへる所まで夕こえ侍るに。村雨打そゝぎぬ。

 梢もる露に聞ともかしは崎下はに遠き秋のむらさめ

かくて重れる山つらなれる道を過行程。曠絕無人ともいふべし。越後信濃上野のさかひ三國峠といへるを越て侍るに。諏訪のふしおがみあり。

 諏訪の海にぬさとちらさは三國山よその紅葉も神や惜まむ

重陽の日。上州白井と云所にうつりぬ。則藤戶部定昌旅思の哀憐をほどこさる。十三夜には一續侍しに。寄月神祇。

 越ぬへき千とせの坂のひかしなる道まもる神も月やめつ覽

是より棧路をつたひて。草津の溫泉に二七日計入て。詞もつゞかぬ愚作などし。鎭守の明神に奉りし。又山中をへていかほの出湯にうつりぬ。雲をふむかとおぼゆる所より淺間嶽の雪いたゞき白くつもり初て。それよりしもは霞のうすくにほへるがごとし。

 なかはよりにほふかうへの初雪をあさまの嶽の麓にそみる

一七日いかほに侍りしに。出湯の上なる千嚴の道をはるとよぢ上りて大なる原あり。其一かたにそびえたる高峯あり。ぬのたけといふ。麓に流水あり。是をいかほのぬまといへり。いかにしてと侍る往躅をたづねてわけのぼるに。からころもかくるいかほの沼水にけふは玉ぬくあやめをそひくと侍りし京極黃門の風姿まことに妙なり。枯たるあやめのね霜を帶たるに。まじれる杜若のくきなどまで。むかしむつまじくおぼえて。

 種しあらはいかほの沼の杜若かけし衣のゆかりともなれ

神無月廿日あまりに彼國府長野の陣所に至る事晡時になれり。此野は秋の霜をあらそひし戰場いまだはらはずして。軍兵野にみてり。かれたる萩われもかうなどをひきむすびて夜をかさぬ。定昌の指南によりて。藤原顯定〈關東管領。〉の旅。哀のこゝろありて。旅宿を東陣にうつされし後は。嚴霜もをだやかなり。平顯忠〈長尾修理亮。〉陣所にて會。覉中雲。

 むさし野や何の草はにかゝれとてみはうき雲の行末の空

十一月五日には佐野舟橋にいたりぬ。藤原忠信をしるべとせり。彼所を見るに。西の方に一筋たいらなる岡あり。うへに白雲山ならびにあら舟御社のやま有。其北にあさまのたけ崔嵬たり。舟ばしはむかしの東西の岸とおぼしき間。田面はるかに平々たり。兩岸に二所の長者ありしとなり。此あたりの老人出てむかしの跡をおしふるに。水もなくほそき江のかたち有て。二三尺ばかりなる石をうちわたせり。かれたる原にみわたされて。そことおもへる所なし。

 跡もなくむかしをつなく舟橋はたゝことのはのさのの冬原

十二月のなかばにむさしの國へうつりぬ、曙をこめてちやうのはなといふ所をおき出。ゆくゑもしらぬかれ野を駒にまかせて過侍るに。幾千里ともなく霜にくもりて。空は朝日の雲もなく。さしあがりたる風景肝にめいじ侍しかば。

 朝日かけ空はくもらて冬くさの霜にかすめるむさしのの原

其夜は箕田といふ所にあかして。武藏野を分侍るに。野徑のほとり名に聞えし狹山有、朝の霜をふみ分て行に。わづかなる山のすそにかたち計なる池あり。

 氷ゐし汀の枯野ふみ分て行はさ山の池のあさかせ

其日の半より漸々富士はみえ侍りぬべきを。よるのしもなごり猶かきくもりて。かぎりもしらず侍り。からうじて鳩が井のさと滋野憲永がやどりにつきぬ。廿日のよの殘月ほがらかにかれたる草のすゑに落かゝりて。朝の日又東の空より光計ほのめきたり。富士蒼天にひとしくして雪みどりをかくせり。唯それならむとおもふに。忙然として大空にむかへり。

 けさみれははや慰みつふしのねにならぬ思ひもなき旅の空

廿三日には角田川のほとりに鳥越といへる海村に善鏡といへる翁あり。彼宅に笠やどりして。閑林にあがめ置る金光寺に在宿し侍。同十九年元日に。

 おさまれる波をかけてやつくはねの大和嶋根に春の立らん

五日立春。

 春はけふたつともいはしむさしのや霞む山なき三吉野の里

同月の末。武藏野の東のさかひ忍岡に優遊し侍。鎭座社五條天神と申侍り。おりふし枯たる茅原を燒侍り。

 契り置て誰かは春のはつ草に忍ひの岡の露の下もえ

ならびに湯嶋といふ所有。古松はるかにめぐりてしめのうちにむさしのの遠望かけたるに。寒村の道すがら野梅盛に薰す。これは北野御神としかば。

 忘れすは東風吹むすへ都まて遠くしめのゝそての梅かか

二月の初。鳥越のおきな艤して角田川にうかびぬ。東岸は下總西岸はむさしのにつゞけり。利根入間の二河おちあへる所に彼古き渡りあり。東の渚に幽村あり。西渚に孤村有水面悠々として雨岸にひとしく。晚霞曲江にながれ。歸帆野草をはしるかとおぼゆ。筑波蒼穹の東にあたり。富士碧落の西に有て絕頂はたへにきえ。すそ野に夕日を帶。朧月空にかゝり扁雲行盡て四域にやまなし。

 浪の上のむかしをとへはすみた川霞やしろき鳥の淚に

廿日過る比鎌倉山をたどり行に。山徑の柴の戶に一宵の春のあらしを枕とせり。

 都思ふ春の夢路もうちとけすあなかまくらの山のあらしや

あくれば鶴岡へまいりぬ。靈木長松つらなりて森々たるに。玉をみがける社頭のたゝずまゐ。山比の濱の鳥居。はるかにかすみわたりて誠に妙なり。

 吹のこす春の霞もおきつすにたてるや鶴か岡の松風

かくて疊々たる巖をきり山をうがち。舊跡の雲につらなれる所を過て。三浦が崎のとをきなぎさを扁々として行に。蒼海のほとりもなき上に。ふじたゞ太虛空にひとりうかベり。柬路のいづくはあれどけふこそ眞實ふもとよりなり出けんすがたもみえ侍るかとおぼえて。

 春の色の綠にうかふふしのねはたかまの原も雪かとそみる

此浦のあしなといふ所の磯の上に平常和〈東下野守常緣二男。〉侍り。こゝにかさなれる岩を枕としておほくの浪のこゑをきゝあかす。

 難波なるあしなはきけとかけもみす三浦かさきの浪の下草

やよひ半になりぬ。常和にいざなはれて。扁舟に浦づたひし。又かまくらにいたり。建長圓覺兩寺巡見して。雪の下といふ所を分侍るに。門碑遺跡かずしらず。あはれなる老木の花。苔の庭におちて。道をうしなふかとみゆ。

 春ふかき跡あはれなり苔の上の花に殘れる雪の下道

日暮てみなの瀨川近き所にやどり侍しに。嚴頭波しきりにしてよるの雨をきゝあかす。

 水あさき濱のまさこを越浪のみなのせ川に春雨そふる

是より三浦が崎にかへりて又姑洗の過るほどなるに。常和と同じく孤舟に棹さして江嶋へ詣で侍り。西のかたの渚ちかく下りて。はるかなる岩屋有。內に兩界の垂跡功德天まします。則こゝをも蓬萊洞といへる。深祕ありときこゆ。いはほの苔をしきて手向し侍りしに。嶋花。

 ちらさしと江の嶋守やかさすらんかめの上なる山さくら花

其暮澳中より風はげしく海あれて。舷をこす浪大山をかづくがごとし。大悲の弘誓をたのむこゑしきりにして。又光明寺のなぎさへよせ侍り。そのよも猶風雨やまず。

 たのますよ三浦か崎の浪まくらさらてもあたの春のよの夢

翌日淨妙寺に入てみるに。臺あれて春の草にかたぶき。ひはだ朽て苔のみどりにひとし。今は少室一花開。五葉の遺薰もきぬるかとおぼゆるに。宿智のまゆ白き出てかたる。此山に杉の木だかき社は稻荷明神也。白狐あらはるゝ時は寺家に佳瑞あり。門外の叢祠は鎌を手向せり。往古の緣起うせて何の御神ともしらずといへり。さては此御社は大織冠の御鎭座也。やまなる鎭守は彼靈劔の鎌を治められし鎌倉山是なりとおぼえて。

 つかとりし神もますなり杉のはのときかまうつむ山の麓に

極樂寺へいたるほど。いとくらき山あひに星月夜といふところあり。むかし此みちに星の御堂とて侍りきなど古僧の申侍しかば。

 今も猶ほし月とこそのこるらめ寺なき谷のやみのともしひ

又三浦がさきにこぎかへり。巖の浪の聲を枕として。いくよともしらずきゝあかす。

 聞わひぬみうらかさきの岩たかき枕の下のうみのなみ風

雲にまぎれ浪にきゆるかと思へる大嶋をおもひやり侍り。

 住人もありとこそきけ大しまの山もうきたる五月雨の比イ

五月の末伊豆の海よりかさなれる山湧々として。ふじの空までもひとつうみのやうにみえ侍。このころより漸夕立のけしきなり。

 かさなれる雲わきかヘりいつの海の山よりうかふ夕立の空

同じ比六浦金澤をみるに。亂山かさなりて嶋となり。靑嶂そばだちて海をかくす。祌靈絕妙の勝地なり。金澤にいたりて稱名寺といへる律の寺あり。むかし爲相卿。いかにして此一もとに時雨けむ山に先たつ庭の紅葉葉と侍りしより後は。此木靑はかは玄冬まで侍るよし聞ゆる楓樹くち殘て佛殿の軒に侍り。

 さきたゝは此一もとも殘らしとかたみの時雨靑葉にそふる

六月の末角田川のほとりにて。遠村夕立。

 雲わくるひかけの末も夏草にいるまの里やゆふ立のそら

同廿八日。むさしののうち中野といふ所に平重俊といへるがもよほしによりて。眇々たる朝露をわけ入て瞻望するに。何の草ばのすゑにも唯白雲のみかゝれるをかぎりと思ひて。又中やどりのさとへかへり侍りて。

 露はらふ道は袖よりむらきえて草はにかへるむさしのの原

漸日たかくさしのぼりて。よられたる草の原をしのぎくる程。あつさしのびがたく侍りしに。草の上にたゞ泡雪のふれるかとおぼゆる程に。ふじの雪うかびて侍り。

 夏しれる空やふしのね草のうへの白雪あつき武藏のの原

ほりかねの井ちかき所にて。

 そことなく野はあせに鳬紫もほりかねのゐの草はならねと

七日に鳩が井の里滋野憲永がもとにて。秋增戀。

 きのふかは思ひし色のあさは野も木からしになる秋の夕暮

初秋の比。よふかき道をくるに。入間の舟渡りまでみをくる人あまた侍りしに。角田川の朝ぎりいづこをほとりともしらず。小舟の行ちがふかひの音のみ身にしみて哀に覺え侍しかば。彼翁かたへ申送り侍し。

 おもかけそ今も身にしむ角田川あはれなりつる袖の朝霧

九月十三夜。白井戶部亭にて。松間月。

 すみまさるほとをもみよと松のはの數あらはなる峯の月影

九月盡に長野陣所小野景賴が許にて。暮秋時雨。

 誰袖の秋のわかれのくしのはの黑かみ山そまなくしくるゝ

十一月の末に上野のさかひ近き越後の山中石白〈上杉相摸守房定于時法名常泰旅所。〉といふ所へ源房政にたぐへて歸路をもよほすべきよし侍りしかば。白井の人々餞別せしに。山路雪。

 かへるとも君かしほりに東路の山かさなれる雪やわけまし

廿七日。山雪にむかひて朝立侍。利根川をはるかにみ侍りて。

 ふりつみし雪の光やさそふらん浪よりあくるあまのとねかは

あくれば三國山を越侍るとて。木曾路の空も此かさなれる嶺よりつヾき侍らむとおぼえて。

 ふみ分てなかみちや殘る覽雪にむもるゝきそのかけ橋

  右北國紀行以高井大隅守實尹本挍正

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。