初等科國語 六/水兵の母

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二 水兵の母[編集]

 明治二十七八年戰役の時であつた。ある日、わが軍艦高千穗たかちほの一水兵が、手紙を讀みながら泣いてゐた。ふと、通りかかつたある大尉がこれを見て、餘りにめめしいふるまひと思つて、

「こら、どうした。命が惜しくなつたか。妻子がこひしくなつたか。軍人となつて、軍に出たのを男子の面目とも思はず、そのありさまは何事だ。兵士の恥は艦の恥、艦の恥は帝國の恥だぞ。」

と、ことばするどくしかつた。

 水兵は驚いて立ちあがりしばらく大尉の顔を見つめてゐたが、

「それは餘りなおことばです。私には、妻も子もありません。私も、日本男子です。何で命を惜しみませう。どうぞ、これをごらんください。」

といって、その手紙をさし出した。

 大尉がそれを取つて見ると、次のやうなことが書いてあつた。

「聞けば、そなたは豊島ほうたう沖の海戰にも出でず、八月十日の威海衛ゐかいゑい攻撃とやらにも、かくべつの働きなかりし由、母はいかにも殘念に思ひ候。何のために軍には出で候ぞ。一命を捨てて、君の御恩に報ゆるためには候はずや。村の方々は、朝に夕に、いろいろとやさしくお世話なしくだされ、一人の子が、御國のため軍に出でしことなれば、定めて不自由なることもあらん。何にてもゑんりよなくいへと、しんせつに仰せくだされ候。母は、その方々の顔を見るごとに、そなたのふがひなきことが思ひ出されて、この胸は張りさくるばかりにて候。八幡はちまん樣に日參致し候も、そなたが、あつぱれなるてがらを立て候やうとの心願に候。母も人間なれば、わが子にくしとはつゆ思ひ申さず。いかばかりの思ひにて、この手紙をしたためしか、よくよくお察しくだされたく候。」

大尉は、これを讀んで思はず涙を落し、水兵の手をにぎつて、

「わたしが惡かつた。おかあさんの心は、感心のほかはない。おまへの殘念がるのも、もつともだ。しかし、今の戰爭は昔と違つて、一人で進んで功を立てるやうなことはできない。將校も兵士も、皆一つになつて働かなければならない。すべて上官の命令を守つて、自分の職務に精を出すのが第一だ。おかあさんは、一命を捨てて君恩に報いよといつてゐられるが、まだその折に出あはないのだ。豊島沖の海戰に出なかつたことは、艦中一同殘念に思つてゐる。しかし、これも仕方がない。そのうちに、はなばなしい戰爭もあるだらう。その時には、おたがひにめざましい働きをして、わが高千穗の名をあげよう。このわけをよくおかあさんにいつてあげて、安心なさるやうにするがよい。」

といひ聞かせた。

 水兵は、頭をさげて聞いてゐたが、やがて手をあげて敬禮し、につこりと笑つて立ち去つた。