刑事訴訟法改正案の要旨/第二編 第一審

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第二編 第一審[編集]

刑事訴訟の目的は科刑権の存否並に範囲を確定するに在り刑事訴訟の本体は公訴の提起を以て科刑権の確定を請求するに因り開始せられ判決裁判所に於て事按を審理し審理の結果裁判を以て科刑権の存否並に範囲を確定するに因り終局を告ぐべきものなり

訴訟の本体に入る前刑罰権の確定を請求すべきや否やを決定する為め準備手続を必要とす此準備手続中検事を中枢とする捜査あり司法機関を主脳とする予審あり捜査及予審は訴訟の本体を成さざるも訴訟準備たるの性質を失わず

訴訟の本体は弾劾の方式に従うべきものあり即公訴の主体ありて被告に対して訴追を為し訴追を受けたる被告は当事者の地位に立ち防禦権の主体として之と対立し裁判所は双方の上に立て審判の職務を行うべきものなり現行刑事訴訟法は弾劾式主義を採用するも其結果たる不告不理の原則に対しては多少の例外を認めたり本案は訴訟の本体に付き弾劾式主義を貫徹し不告不理の原則に対する例外の如きは全く之を廃止せり

訴訟の準備手続は必ずしも弾劾の方式に依るべきものに非ず捜査は公訴の準備にして弾劾訴訟開始前の手続たるや明なり予審に付ては本案の定むるところ現行刑事訴訟法と大に異なれり現行法は起訴に因り予審を開始すべきものとし予審に付ても弾劾の方式を採るべきものとせり本案は予審を以て公訴提起前の手続と為し全く弾劾の方式に依らざるものとせり此点に付ては後に詳述するところあるべし

本編は刑事訴訟の本体並に其準備手続に関する規定を網羅したるものなり

第一章 捜査[編集]

第一 捜査の本質[編集]

捜査は公訴の提起及実行の為め必要なる資料を蒐集するを目的とす蓋し公訴提起前に在て其準備を為すは捜査の主要なる目的なり然れども公訴提起後に於ても公訴を実行する為め必要なる事物を蒐集することを妨けざるは言を俟たず即ち捜査は公訴提起の前後に渉りて為すことを得るものにして之を公訴提起前に限るべきものに非ず唯捜査の主要なる目的が公訴提起の準備に在るを以て之を狭義に解し公訴提起前の手続のみを指して捜査と謂うことなきに非ず文字の意義は各場合に於て必ずしも同一ならず混同せざらんことを要す

第二 捜査の機関[編集]

捜査機関の組織は裁判所構成法を以て之を定む然れども本案に於て之を補足したるを以て爰に其要点を説示す

(一) 検事 検事は捜査の中枢なり検事は公訴を提起し及実行するの職務を有し其準備として捜査の職務を有するは明なり(第二百五十二条、裁判所構成法第六条)

(二) 司法警察官 司法警察官は公訴の提起及実行に干与せざるも法律に従い捜査の職務を有す

本案に於て司法警察官として指定したる者左の如し

(甲) 警視総監、地方長官(東京府知事を除く)及憲兵司令官 此等の諸官は犯罪捜査に付き地方裁判所検事と同一の職権を有す(第二百五十三条)此規定の当否に付きては議論ありしも本案は之を必要としたり此等の諸官は司法警察官として上官の命令に服従すべきは勿論なるを以て其の平生に於て職務を行うべき範囲に付き相当の限界を定むることを得べく随て裁判所検事正と同一の職権を有するが為め命令二途に出づるが如き弊を生ずることなし而して重大なる事犯あるに当ては此等の諸官と地方裁判所検事正との間に連絡を保ちて各捜査の職務を行う必要を生ずることあり是本案に於て現行法の規定を存置したる所以なり

(乙) 警視庁及地方官庁の警察官憲兵将校準士官下士 此等の諸官は検事を補佐して捜査の職務を行うものにして総て地方裁判所検事及其上官の指揮に従うべきものなり(第二百五十四条)本案第二百五十四条と裁判所構成法第八十四条第二項との関係に付ては考究を要す

(三) 司法警察吏 巡査及憲兵卒は検事又は司法警察官の命令を受け捜査の補助を為すべきものなり(第二百五十五条)

(四) 特別の事項に付き司法警察の職務を行う者 本案は右に示したる司法警察官吏の外森林鉄道其他特別の事項に付き司法警察の職務を行うべき者を定むるの必要を認め之に関する規定を勅令に譲ることとせり(第二百五十六条)

現行の法制に於ても特別事項に付司法警察の職務を有するものあり本案の実施と共に之を改め又は之に追加するの必要を生ずることと思料す

第三 捜査の開始[編集]

検事及司法警察官の犯罪を認知するの端緒と為るべきものは千差万別なり其中法律を以て準則を示したるものは告訴、告発、請求及自首なり告訴、告発、請求及自首に付ては新規定を設け現行法の不備を補正したる点あれども事詳細に渉るを以て爰に説明を与えず読者条文に付き考究せられんことを乞う(第二百三十七条乃至第二百五十一条)

第四 捜査の手段[編集]

捜査に付ては其目的を達する為め必要なる取調を為すことを得但強制処分は別段の規定あるに非ざれは之を為すことを得ず即検事及司法警察官は強制力を用いざる範囲内に於て如何なる手段に依りても捜査を実行することを得べし(第二百五十七条)

捜査に付ては公務所に照会して報告を求むるの権あり故に公務所は正当の事由なくして之を拒むことを得ざるは明なり(第二百五十七条第二項)捜査に付ては強制力を用いざるを原則とすれども法律を以て特に許したる場合あり如何なる範囲に於て如何なる条件の下に之を許すや是重要なる問題なり左に捜査と強制権との関係を説明す

第五 捜査と強制権[編集]

凡そ判断の資料を集取するに当て強制処分を行うに非ざれば其目的を達する能わざる場合あり又其目的を達するに付き大なる困難を感ずる場合あるは明なり然りと雖も強制権の行使は個人の利害に消長を及ぼすこと鮮からざるを以て之に関する法規を設くるに当ては公益の維持と個人の保護と両方面を考慮して適当なる限度を定むるの必要あり第一如何なる時期に強制権の行使を認容すべきや第二如何なる国家機関に之を附与すべきや思うに刑罰権の行使に付き検察機関と裁判機関とを分たざる制度の下に於ては捜索処分と司法処分との間に明白なる分界なく同一の国家機関が捜索の始より訴訟の終末に至るまで強制権を行うことを得べし然るに今日の如く弾劾式訴訟を法則とし刑罰権の行使に付き裁判機関と検察機関とを分ちたる制度の下に於ては大に之と異なるものあり強制権は裁判官之を行使し得べきものにして捜査機関たる検事局及其補助機関には之を与えざるを原則とし之を用い得べき時期は予審の請求又は公訴の提起ありたる後即事件が裁判官の手に移りたる後にして捜査の時代に在る間に之を用いざるを原則とす、蓋し裁判官の取調も検事局の捜査も斉しく国家機関の行動なり強制権は裁判官に専属するものに非ず法律を以てすれば他の国家機関に之を附与することを妨げず殊に治安を維持する為め一定の範囲に於て強制権を行政機関に附与するの必要あるは言を俟たざるなり故に捜査に付ても性質上強制力を附与すべからずというを得ず独逸現行刑事訴訟法は其第百五十九条に於て検事局は捜査の目的の為め公務所に照会して報告を求むることを得又宣誓せしめて訊問することを除く外自ら各種の捜査処分を為し又は警察官署若くは警察官吏をして之を為さしむることを得べき旨を規定せり此条文には強制力を用い得べきを明言せざるも二三の学者は多数の説に反対し人に対し出頭を強制し得べしと論ぜり又仏国治罪法草案は検事、司法警察官は現行犯と非現行犯とを問わず公力を用い証拠を集取し得べきものとなしたり近世の立法並に学説に於て検事の捜査に関し強制権なきを原則とする所以のものは訴追に弾劾の方式を採るの結果起訴以後に於て検事は原告の地位に立ち被告人と全く反対の利益を保持せざるべからざるものなるに因り検事に強制権を与えて証拠材料を集取せしむるは被告人を防禦上危険に陥らしむるの憂あり捜査機関に強制力を附与するを適当とせざるの理由爰に存す然るに実際に於ては強制力を適用するに非ざれば事物の調査を遂ぐることを得ざる場合あり又急速に処分を為さざれば重要なる罪証を湮滅する虞ある場合あり斯る場合に於ては強制権を用うるの余地なしとせば必要なる資料の蒐集及保全を為すことを得ず随て捜査の目的を達すること能わざるに至るべし例えば犯人証拠を携帯して逃走せんとするとき証人疾病にて命旦夕に迫り速に其陳述を聴く必要あるとき証拠物件滅失せんとし速に検証せざれば目的を達し得ざるときの如し斯る場合には捜索の時代に於ても強制力を用いるの必要あり果して何人をして強制処分を為さしむべきや総則に示したる特例の場合には検事自ら強制処分を為すを得べし然れども検事は前述の如く後に原告の地位に立つべきものなるを以て一般の場合に之に強制力を与うべからず故に公平の地位に在る裁判官をして起訴前必要欠くべからざる処分を行わしめ公私の利益を保全するを相当とす因て本案は捜査に付ては別段の規定あるときの外強制処分を為す能わざる旨を明示すると同時に必要ある場合には予審判事又は区裁判所判事に強制処分を求め得べきことを規定し所謂裁判上の捜査処分を認めたり(第二百五十七条、第二百五十八条)

所謂裁判所の捜査処分を認めたる立法は独、澳、洪、那等なり今参考の為め条文を左に示す(参照)独第百二十五条第一項、同第百六十条第一項独草第百十二条第二項、第百二十五条第一項、第百六十二条第三項、澳第八十八条第一項、供第八十六条、第九十八条第一項、第九十四条第二項、那第二百六十六条

捜査機関たる検事及司法警察官が自ら強制処分を為し得べき場合は総則に規定せらるるを以て爰に説明せず

第二章 予審[編集]

第一 予審の本質[編集]

判決裁判所の審理は科刑権の存否及其範囲を確定するを目的とす即判決裁判所は罪の有無を断じ罪ありと認めたるときは之に対して科すべき刑を定むべきものにして其審理は罪の有無を断ずるの基礎と為り刑罰を定むるの根拠と為るべきものなり

予審は判決裁判所に於て審理を開始すべきや否やを決する為め必要なる資料を蒐集するを目的とす即其取調は判決裁判所の審判を求むるに足るべき犯罪の嫌疑ありや否やを決する根拠と為るべきものにして之に依り直に罪の有無を断し科刑権の存否を確定すべきものに非ず故に其取調は之に依り罪の有無を判断し得るの程度に至らざるも判決裁判所の判断を求むるの前提として充分なる犯罪の嫌疑ありや否やを決するの程度に至れば可なり以上は本案に於ける予審制度の基礎と為すべき観念なり若し予審は単に判決裁判所の審理を開始すべきや否やを定むるを以て足れりとせず進で科刑権の存否を確定する為め必要なる取調を為し其取調に依り事件に対する終局の判断を為すべきものなりとせば本案に採用したる予審の制度は根柢より之を覆さざるべからず

抑も刑事に於て訴訟の客体と為るべきものは科刑権にして刑事訴訟の本体は科刑権の確定を求むるに依り始まるべきものなり其以前に在りて原被両造が攻撃防禦の方法を講じ又は原被両造の為め訴訟材料を蒐集するは訴訟準備にして訴訟の本体を成さず若し予審を以て科刑権を確定する為め為すべき裁判上の手続なりとせば予審を以て訴訟の本体と為し近世の観念を以てせば必ず弾劾の形式を以て其開始を請求せざるべからず然れども本案は前述の如く予審を以て直に科刑権の存否を確定するものと為さず科刑権を確定する為め為すべき審理は独り判決裁判所の職権に属し予審は唯判決裁判所に向て審理の開始を求むべきや否やを決する為め訴訟材料の蒐集を為すに過ぎず此基本観念を動すべからざるものとせば弾劾式訴訟は独り判決裁判所に於てのみ行わるべきものにして予審を以て訴訟の本体に入るべきものと為すは事理に反す

元来検事は弾劾訴訟に於て原告の地位に立つものにして科刑権の確定を判決裁判所に請求するの職務を有す故に職務の系統を以て論ずれば科刑権の確定を請求すべきや否やを決定する為め訴訟材料を蒐集するは総て之を検事の管掌に属せしむるを至当とす検事は多くの場合に於て其本来の職権に属する捜査に依り其目的を達し捜査の結果に依り直に判決裁判所の審理を求むるものなり然るに後に説明するが如く訴訟材料の蒐集は公判に於て原告の地位に立つべき検事の捜査を以てするより之を公平の地位に在る司法機関に委ぬるを相当とする場合あり強制権を有せざる検事の捜査に依りては目的を達すること困難にして之を強制権を有する司法機関に委ぬるを必要とする場合あり予審は即司法機関に委ねられたる訴訟材料の蒐集に外ならず即知る捜査と予審とは其形式を異にするも其目的を同うす一は検事を中枢とする訴訟材料の蒐集にして行政の系統に属し一は司法機関を主脳とする訴訟材料の蒐集にして司法処分の範囲に属す然れども両者孰れも科刑権の確定を判決裁判所に求むべきや否やを決定する為め為すべき取調なること明にして其実質を論ずれば其間に差異を存するものに非ず

前に述ぶるが如く本案に於て判決裁判所に対して科刑権の確定を求むるを公訴の提起とし之を以て弾劾訴訟を開始すべき者と為す検事は自ら為したる捜査の結果に依り判決裁判所の審判を求むることあり司法機関に委ねたる予審の結果に依り判決裁判所の審判を求むることあり何れの場合に於ても科刑権の確定を求むるものにして其請求の本質に於て差異あるものに非ず故に両者均しく之を公訴の提起と為し之を以て均しく弾劾訴訟を開始すべきものと為す予審の請求は科刑罰の確定を求むるの前提と為すべき取調を求むるものにして科刑権の確定を求むるものに非ず即弾劾の実体を具備するものに非ずして判決裁判所に対する審判の請求とは全く其本質を異にす全く其本質を異にする請求を均しく公訴と称するは其当を得ず故に本案に於ては予審の請求を以て公訴の提起と為さずして予審を以て捜査と同じく公訴提起前の手続と為したり

予審を以て公訴提起前の手続と為し科刑権の確定を目的とする取調と為さざるの理由左の如し

(一) 若し予審を以て科刑権を確定する為め為すべきものとせば予審は判決裁判所の為すべき審理の一階段と為り之に依り判決の基礎と為るべき一切の取調を完成せざるべからす此の如くなるときは事件の取調は予審に集中し予審は其名準備にして其実訴訟の実体を成すに至るべし此の如くなるときは公判は一の形式と為るに止まるか又は予審の取調を反覆するに過ぎざるに至るべし現行法制の下に於ては此観あるを免れず

(二) 若し予審の目的科刑権の確定に在りとせば予審判事は一面に於て検事の為めに証拠を集取し一面に於て被告人の為めに証拠を集取し一面事件に付判断を下さざるべからず即判決を為さざるも判決の基礎を完成せざるべからず是れ一人にして三面の働を為すものなり此の如きは予審の職務を過重ならしむるものにして当を得ず

(三) 予審を以て訴訟の客体たる科刑権の有無を確定すべきものとせば近世の観念に従い弾劾の形式に依り公訴を提起せざるべからず換言せば予審の請求即起訴とせざるべからず予審の請求即起訴なりとせば検事は充分の捜査を尽して然る後予審を求むることとなり予審処分と検事の処分とは重複を来し検事は自ら予審判事の為すべき証拠の蒐集を為すに至るべし此の如くなるときは予審の制度を設けて証拠の集取を判事の職司と為し以て公平を維持せんとするの希望は却て没却せらるるの結果を生すべし

近世の立法例に於ては予審を捜査と同じく起訴、不起訴を決するの前提と為したるもあり是れ大体に於て本案と其主義を同うするものなり(参照)那第二百七十一条第一項、第二百七十四第二百八十一条第二百八十四条、勃第九十九条、第二百八十二後、第二百九十条、第二百九十一条、第二百九十三条第二百九十五条、第二百九十六条各国の法制に就ては他日詳述するところあるべし

第二 予審の形式[編集]

捜査と予審とは其実質を同うするも全く其形式を異にす一は検事の為すべき証拠材料の蒐集なり一は判事の主宰する証拠材料の集取なり一は行政の範囲に属する国家機関の行動にして司法上の手続に非ず一は行政に対して独立の地位に在る裁判官の行動にして純然たる司法上の手続なり

夫れ検事は捜査上の主脳にして証拠を集取するの職務を有す何の故に証拠蒐集を検事の専権に属せしめずして之を裁判機関に委ぬるや是重要なる問題なり

(一) 公平を維持する為め其必要あり、証拠は公判に於て判断の資料と為るべきものなり検事は公判に於て原告の地位に立つべきものなり公判に於て原告の地位に立つべき検事の集取したる証拠を以て判断の資料に供するときは公正を維持する能わざるの虞あり公平の地位にある判事の集取したるものを以て判断の資料に供するに若かざるなり加之検事は原告の地位に立つべきものなるを以て公訴の維持に力むるは勢の免れざるところなり故に公訴を維持する為め必要なる証拠の蒐集に熱中して反証を閑却するの恐なしとせず公平の地位に在る判事をして之を集取せしむるは此弊なかるべし

(二) 強制処分の必要あり、証拠の蒐集には強制力を要する場合多し而して原則として検事、司法警察官に強制処分を許さざるは前に述ぶるところの如し故に強制力を要する場合に裁判機関の干与を求むる必要あるや明なり

(三) 取調の集中を必要とす、或は曰く捜査に於て強制処分を必要とするときは検事は予審判事又は区裁判所判事に其処分を求むることを得べし此規定あらば捜査に依り目的を達し別に予審の手続を必要とせざるべしと是れ思わざるの甚しきものなり検事の請求に依り個個の取調を為す判事は其請求を受けたる各事項を処理するに止まり全般に渉りて事件を処理するものに非ず多くの事件に於ては之れにて捜査の目的を達することを得可し然れども煩雑なる取調を要する事件に於ては其取調を為すべき主宰者なかるべからず主宰者事件の全体を通じ全般に渉りて事実関係を講究し自己の方寸を以て必要に応ずべき諸般の取調を為し証拠材料を蒐集するに非ざれば其目的を達すること能わず是れ予審の制度を設け予審判事をして取調の全般を主宰せしむる所以なり或は言わん捜査の時代に於て捜査の全部を判事に依嘱し之を主宰者とせば可ならずやと是れ検事に代うるに判事を以て捜査の主宰者と為すというに均しく畢竟予審の名を避けて其実を存するものなり思うに判事の主宰する取調と検事の主宰する捜査とは其目的に差異なしとするも其形式を異にす名を避けて実に存し両者を混同するより実に応ずるの名を設け二者の間に明白なる区分を設くるを可とす

右の如く予審は司法機関の管掌に属する司法手続なり故に予審判事は自ら進で活動することなく必ず検事の請求に因り之を開始すべきものなり然れども前に述ぶるが如く予審を以て刑事訴訟の客体たる科刑権の有無を確定すべきものに非ずとせば之に弾劾を以て起るべき訴訟の形式を与うべからざるや明なり此点に付ては前に詳述したるを以て茲に再説するの要なし

思うに今日の法制に於て起訴に依り予審を開始すべきものとなす観念は沿革に基くものなり之を沿革に徴するに欧洲大陸に於て十八世紀の末葉に至るまで糾問主義を実行し来りしが学者並に実際家其の弊害を認め十九世紀の当初よりして刑事訴訟は必ず弾劾を基礎とすべきものと為し之と同時に口頭弁論及審理公開を以て刑事訴訟の本則と為し予審にも亦弾劾の形式を採用し之を裁判所の審理の一段階と為すに至れり然れども弾劾の形式を採る制度の下にありても実際に於て予審の実質は其形式に適応せず予審の取調は其主宰者たる予審判事の方寸に従うべき者にして当事者の攻撃防禦の方法に基礎を置かず又置くことを得ず即予審は其性質上公判の如く口頭弁論に集中する能わずして却て各個の処分を集積するに依り完了すべきものなり故に予審に於ける弾劾の形式は有名無実なり弾劾の形式を予審に採用したるは当時甚しく糾問式を嫌忌し裁判官の行動を総て不告不理の原則に従わしめんと試みたる結果に外ならざるべし

第三 予審の請求[編集]

予審は検事の請求を待て開始すべきものにして之に対して例外を認めず

現行法は検事の請求以外に予審を開始し之を進行し得べき場合を認むれども本案は之を採らず唯予審判事が予審中他罪を発見したるときは急速の処置を必要とし検事の請求を待つの暇なきことあり此場合に於ては其急に応ずる為め必要なる処分を為すことを得べし予審判事応急の処分を為したるときは之を検事に通知し検事四十八時間内に予審を請求せざるときは其処分を継続することを得ず(第二百六十六条)

予審の請求は犯罪事実を挙示することを以て必要なる方式と為す但公訴と異なり被告人を指定することは要件にあらず(第二百六十三条、第二百六十四条、第二百六十五条)

弾劾の形式に依り予審を請求する立法例に於ては予審の請求に於て被告人を指定するを要件と為すは当然なるべし然れども之を起訴前の手続と為し弾劾の形式を採らざる以上は被告人を指定するの要なし而して実際に於て被告人の知れざる内予審の開始を必要とする場合あるは明白なり殺人、放火の如き事件に於て捜査に依り人を特定し然る後予審を求むるよりは初めより予審判事其事件を担任して全体に渉りて調査の方針を定むるを適当とするは実務家の争わざるところなるべし

予審の請求其手続に違いたるときは之を却下すべきものなり(第二百六十九条)

第四 予審に於ける取調の範囲[編集]

予審は前述の如く起訴前の手続にして公訴を提起すべきや否やを決するを目的とし科刑権の確定を目的とせず故に其取調は其目的の為め必要なる事項に限るべきものなり(第二百七十条)唯予審に於ても証拠の保全に力むべきは当然なり故に公判に於て取調べ難しと思料する事項は仮令起訴不起訴を決する為め必要ならざるも之を取調べざるべからず(第二百七十条)

第五 予審の終了[編集]

予審判事事件に就き必要なる取調を終了したりと認むるときは書類及証拠物を検事に送付し検事は公訴を提起すべきや否やを決し之を予審判事及被告人に通知す(第二百七十九条乃至第二百八十三条)

予審終了したるときは判決裁判所の審理を求むべきや否やを決すべきなり此決定は予審判事之を為すべきや検事之を為すべきや本案は検事之を為すべきものと定めたり其理由左の如し

(一) 予審判事決定を為すとせば予審判事は検事と独立したる公訴機関と為り公訴を検事の専権に属せしむる主義と牴触す

現今の法制に於ては公訴を遂行すべき職司ある者は検事にして他の機関は此職司を有せず故に公訴の全責任は検事之を負うべき者にして其責任を他に転嫁するを許さず予審判事をして起訴不起訴を決せしむるは寧起訴の責任を予審判事に転嫁するの結果と為るべし即公訴遂行の職司を有せざる者に責任を帰するに至り事理に適せず若予審判事をして起訴不起訴の決定を為さしめんとせば現今の法制を改め予審判事を以て検事と独立したる公訴機関と為さざるべからず是れ公訴に付重複の系統を作成するの嫌あると同時に予審判事をして厳正なる裁判官の地位を失わしめ訴訟材料の蒐集に付き公平を維持せんとする予審制度の本旨を没却するに至るべし

(二) 予審判事決定を為すは公訴に関する任意主義と背馳す

若し公訴に付合法主義を採りたらんには公訴を提起すべきや否やは法律上の見解に依り之を決することを得べきを以て取調を為したる裁判官をして之を決せしむべしとの議論も立つべし然れども此案に於けるが如く公訴に付任意主義を取る以上は法律上の見解のみを根拠として事を決する能わず犯罪の嫌疑充分なりと見るも尚公益上起訴を相当とすべきや否やを講究せざるべからず而して公益上起訴を相当とすべきや否やは嫌疑ある犯罪の情状之に対する処分の効果其他各般の事情を考察して決せざるべからず此の如きは独り公訴の主宰者たる検事の主管に属せしむべきものにして之を他の機関に委す可からず

(三) 予審判事をして決定を為さしむべき者とせば予審判事は事実上其事件の終局に付ての責任を感ずるを以て勢終局の判断を下すべき取調を為すに至るべし

即予審は事実上準備手続たる性質を失い事件の取調は予審に集中し公判は一の形式たるに止まるの結果を生ずるに至るべし

要するに予審判事をして訴追を遂行すべきや否やを決せしむるは検事に属する犯罪訴追の権能及責任を予審判事に移すものにして其当を得ず殊に任意主義を採用したる我法制の下に於ては事理に適せず又事件の取調を公判に集中せずして之を予審に集中するの結果を生じ本案採るところの主義を没却するの恐あり

唯被告事件罪と為らず又は犯罪の証憑不十分なるとき其他本案第三百四十二条に列記したる免訴の判決を為すべき事由あるとき予審判事をして決定を為さしむるも別に本案の主義に牴触せず故に此の如き場合に於て予審判事をして起訴すべからざるものと決定せしむるの法規を設くるも強て差支無かるべし然れども本案に於ては其必要を認めざりしを以て此の如き規定を置かざりしなり

第六 予審の管轄[編集]

予審判事の管轄区域は其属する裁判所の管轄区域に従うべきは勿論なり然れども事件に対する管轄は公訴を審理すべき判決裁判所に付き生ずべきものにして起訴前の手続たる予審に付き生ずべきものに非ず故に本案は予審に管轄の規定を設けず是れ準備手続たる性質上当然のことなり止だ検事は其所属裁判所の予審判事に対するにあらざれば予審の請求を為すことを得ざるものとし(第二百六十一条)同一事件に付き数個の予審の請求競合するときは検事総長又は検事長は其孰れの予審判事に於て予審を為すべきやを指定するものと為せり(第二百六十二条)

第七 予審に於ける被告人の防禦権[編集]

現行法は予審に於ても弾劾の方式を採り被告人を当事者と認めたれども其地位は全く形式に止まり之をして何等の防禦権をも有せしめず本案は予審を以て起訴前の手続と為す故被告人の形式上当事者たらざるは論なきも其防禦権の主体たる地位は之を保護するに努め一面に於て予審判事は被告人を訊問して事件に付き弁護の機会を得せしめ且予審終了前被告人に嫌疑の原由を告げ弁解を為さしむべきものとし(第二百七十二条、第二百七十三条)一面に於ては弁護人の干与を認め一定の場合には予審処分に立会うことを許し又何時にても必要と認むる予審処分を予審判事に請求し得べきものとなし(第二百七十六条)因て限度ある所謂当事者公開の原則を実質に於て認めたり以上の如くなるを以て本案を目して糾問の性質を深からしめたりと為すは形を見て実を究めざるものなり

第三章 公訴[編集]

第一 概念[編集]

本案は現行法と同じく職権訴追主義を採用し犯罪の訴追を国家の事務と為し公訴権の行使を国家の代表者たる検事の専権に属せしむ第二百八十八条に「公訴は検事之を行う」とあるは此趣旨を明にしたるものなり外国に於ては犯罪訴追の権を一般の私人に属せしむるものあり又範囲を限定して之を被害者に委ぬるものあり我国に於ても現行刑事訴訟法制定以前に在ては被害者の申立に因りて公訴の起る場合を認めたり本案は現行法の原則を維持し徹頭徹尾職権訴追主義を貫き之に対する例外を認めず

研究を要する問題は被害者に訴追の権利を認めずして可なるや否やに在り若し犯罪訴追を検事の専権に属せしめ全く例外を認めざるときは被害者は告訴に依り検事の公訴堤起を促すことを得るに止まり自ら追及するの途を有せず検事公訴を提起せざる場合には司法行政の監督権を有する上司(検事正、検事長、検事総長、司法大臣)に抗告を為し得るに止り裁判所の干与を求むることを得ず思うに検事は公益の維持と共に被害者の救済を顧念せざるべからず故に専ら公益の点のみを鑑みて被害者の救済を度外視するが如きことなかるべし然れども偏し易きは人として免れざるところなり故に検事の措置当を得ざる場合に救済の途を講ずるは必要なり之を司法行政の監督に一任して可なるや裁判上の手続を喚起するの途を被害者に与うるを可とすべきや考究を要す

本案は刑事訴訟に関して弾劾式主義を採用し国家の代表者たる検事原告の地位に立ち訴追を為すに非ざれば絶対に刑事の審判を為すことを得ざるものとせり是れ職権訴追主義を弾劾の方式に依り遂行するものなり現行法に於ては此原則に対する例外を認め裁判官の職権追及の制を存し所謂附帯犯の場合の外予審判事が検事に先ち重罪又は軽罪の現行犯あることを知りたる場合並に公判廷に於て偽証罪を犯したる場合に於て検事の起訴を待たずして追及し得べきことを規定せり本案は斯る例外を存置するの必要なきものとし不告不理の原則を貫くこととせり不告不理の原則を貫徹するが故に公訴の提起に於て被告人を指定することを要し公訴は其指定したる被告人以外の者に効力を及ぼさざるものと為す(第三百条、第二百九十条)

本案は犯罪訴追に付き任意主義を採りたり現行刑事訴訟法は此点に関して明文を設けず多数の学者は第六十二条、第六十四条第二項、第百四十九条第二項其他起訴に関する規定を根拠とし我刑事訴訟法は所謂合法主義を以て訴訟の原則と為したるものと解せり然れども実際の取扱に於て久しく任意主義を行い来り好結果を得たることは争うべからざるの事実なり即我国の刑政に於て起訴に関する任意主義は最早理論の研鑽若くは討議の時期を経過し疾に実行の域に入りたるものにして将来此主義を捨つる能わざること事実の最も能く証明する所なり(統計の示すところに依れば明治四十一年度より大正四年度までの間に於て全国検事の受理件数百九十三万三千八百十件の内起訴猶予の人員六十六万一千三百九十九人なり)且夫れ現行刑法は執行猶予の制度を新設し犯罪必罰を主義とせず訴訟法に於て任意主義を採るは此精神を貫徹する為め必要なり尚近世に於ける刑事立法の趨勢を見るに合法主義を原則とする国に於ても例外を拡張し次第に任意主義に近く傾向あるを知るべし即独逸刑事訴訟法改正案は原則として合法主義を認むれども独逸現行法よりも広き範囲に於て検事に不起訴の自由を認め那威刑事訴訟法の如きも検事に不起訴の権を与えたるの範囲頗る大なり本案に於て任意主義に依ることを明示したる条文は第二百八十九条なり(参照)那第八十五条、独第四百十六条、独草第百五十三条第一項、第百五十四条第一項、第百五十五条第一項、第三百六十五条第一項、第三百七十七条

第二 公訴の提起[編集]

捜査を了り又は予審手続終了したるときは検事に於て公訴を提起すべきや否やを決定す若し被告事件其所属裁判所の管轄に属せざるものと思料するときは之を管轄裁判所の検事又は其他の相当官署に送致すべきものなり(第三百二条)

予審を経たる事件に付ては最終に書類又は証拠物の送付を受けたるときより七日以内に公訴を提起すべきや否やを決し之を予審判事及被告人に通知すべきものなり(第二百八十条)告訴に係る事件に付て起訴不起訴又は送致の処分を為したるときは之を告訴人に通知すべきものなり(第三百三条)

公訴提起の方式は第二百九十九条、第三百条に規定す即公訴の提起は公訴状を以て為すを原則とし開廷中被告人に他の犯罪あることを発見したる場合には例外として口頭の起訴を許すこととせり(第二百九十九条)公訴の提起に犯罪事実を示すべきは当然なり又被告人を指定すべきことは前に説明するところに依り明なり其他罪名を示すべきことを規定すれども之を要件と為すべきものに非ず(第三百条)

第三 公訴の取消[編集]

現行刑事訴訟法に従えば刑事事件に付一旦公訴を提起して権利拘束を生じたる以上は必ず裁判に依て之を終局すべきものとし公訴の実行に関して絶対に処分権を認めず蓋し公訴の実行に関して処分権を認めざるは永く我法曹の脳裏に印象せられたる観念にして公訴の取消を許すの制を設くるが如きは一般の期待せざるところなるべし然れども公訴の抛棄を許すべきや否やは其性質に基き論ずべき問題に非ず若し利ありとせば之を許すの制を立て可なり現に外国に於ては公訴の抛棄を認めたる立法乏しからず墺太利、洪牙利、那威、独逸刑事訴訟法及独逸刑訴草案の如きは或は概括的に之を許し或は制限を付して之を認容せり本案は研究の結果無条件に公訴の取消を許すべきものと定めたり(第二百九十一条)(参照)墺第二百五十九条第二号、洪牙利第三十八条、那第八十三条、独第百五十四条

凡そ公訴の提起に付き任意主義を採り検事の処分権を認めたる以上は公訴提起後と雖も公訴の実行に付き検事の処分権を認むるを相当とす既に公訴実行に関する検事の処分権は公訴の提起前後に於て区別を生ずべきものに非ずとせば公訴の取消権を認むるは理論上毫も非難す可きに非ず転じて実際上の見地より利害を考察して公訴取消の制を設くるの可否を観察するに公訴提起の際起訴の必要ありと思量し公訴提起後に至り新事実を発見し起訴猶予を為すべき情状ありしこと明白と為る場合あり此場合に於て若し宣告猶予の制を存すれば裁判所の処分に依り起訴猶予と同一の効果を生ずることを得べし然るに我国に於けるが如く宣告猶予を認めざる制度の下に於ては裁判所犯罪事実を認むれば必ず有罪の宣告を為さざるべからず執行猶予の制あるも起訴猶予又は宣告猶予と其効果を異にし被告をして有罪の裁判を免れしむることを得ず右の理由なるを以て起訴を猶予すべき情状あること公訴提起前分明なれば全く起訴を免れ其の後に発見せらるれば有罪の宣告を受けざるべからず其結果の公平を得ざること明なり此に於てか公訴の取消を認め起訴猶予と同様なる結果を得せしむるの必要あり是実際家の夙に主張するところにして至当の論なりというべし以上述ぶるところは本案に於て公訴取消の制を設けたるの理由なり

蓋し本案に於て無条件に公訴の取消を認めたるは理論上より観察し又実際上の見地より利の在るところを考究したる結果なるべし然れども利の在るところ弊之に伴うは数の免るべからざるところなり法を立つる者は予め時勢の推移を慮らざるべからず利の存するあらば之を採る可なり然れども之に伴う弊は可成之を鮮くするの途を講せざるべからず立法は必ずしも理論を一貫することを要せず公訴の取消を認むるは固より可なり然れども無条件の取消必ず弊なしと断言するを得ず或は時を以て制限を付し或は場合を示して限界を設くるの途なきに非ず是大に講究を要すべき点なりと思考す

公訴取消の効果に付き一言せん本案に於ては公訴の取消ありたるときは決定を以て公訴を棄却し其事案に付き再び公訴を提起し又は予審を請求することを得ざるものとす(第三百三十七条、第三百三十八条)

第四 時効[編集]

科刑権の確定後に於ける時効(所謂刑の時効)は科刑権の実体を消滅せしむるものなり科刑権の未だ確定せざる場合に於ける時効は直に科刑権の実体を消滅せしむるものなりや或は形式上の公訴権を消滅せしめ其反射効として科刑権を消滅せしむる者なりや或は直接に科刑権及び公訴権を消滅せしむる者なりや学説の分るる所なり本案に於ては敢て是等の学説を解決せんと試むることなく時効は其直接の効果たると其反射的の効果たるとを問わず科刑権の消滅を来すものなりとの点に注目して之を規定せり即公訴の章に於ては時効の期間並に其の中断停止のことを規定し(第二百九十二条、第二百九十三条、第二百九十四条、第二百九十六条、第二百九十八条)公判の章に於て時効の完成したる事案に付ては免訴の判決を為すべきことを規定す(第三百四十二条第五号)抑免訴の判決は有効なる公訴の存在せざる場合に於て為す公訴棄却の判決と其性質を異にするものにして科刑権の実体存在せざる場合に於て為すべきものなり故に時効完成したるとき免訴すべき旨を規定したるは間接に科刑権の消滅することを示したるものというを得べし現行法第六条には公訴権は時効に因り消滅する旨を明言すれども本案に於て此の如き規定を置かざりしは如上の理由に基くものなり

第四章 公判[編集]

第一 概論[編集]

公判は判決裁判所に於て科刑権を確定する為め行わるるものにして刑事訴訟手続の中枢たり

刑事訴訟手続の本体を成すべき公判に於ては必ず弾劾の方式を基礎とし形式上三箇の訴訟主格を認めざるべからず即検事は訴追者の地位に立て科刑権の確定を請求し被告は防禦権の主体として検事と対立し裁判所は其間に立て審判を為すべきものなり蓋し検事と被告人とは形式を以て論ずれば民事訴訟に於ける原告及被告と同一の地位に立つべきものにして之を当事者と称して不可なかるべし然れども検事は国家を代表して公訴権を実行すべき機関にして其の実体を論ずれば訴訟主体に非ず即之を当事者と為すは全く形式上の観察に基くものにして其実体を表示したるものに非ず本案に於て私訴に付てのみ当事者なる文字を用い刑事訴訟に付き此の文字を使用することを避けたるは実体上の観察に符合せざる用語を法文に示すことを欲せざりしに由るものなり

本案は公判に付き厳正に弾劾の方式を貫徹する為め不告不理に対する一切の例外を廃止し裁判所は如何なる場合に於ても検事の公訴提起あるに非ざれば審判を為すことを得ざるものとせり即公判は常に公訴と終始し公訴の提起あるに非ざれば絶対に公判手続を開始することなく公訴存続するに非ざれば絶対に公判手続を進行することを得ざるものとせり

公判は期日に於ける審判を以て其の本体と為す即公判の本体は期日に公判廷を開き三個の訴訟主体会合して弁論を為し其の弁論に基き裁判を為すに在り換言せば公判廷に於て原被両造相対立して攻撃防禦の方法を尽し裁判所双方の陳述を聴き其職権に属する取調を為し之を基礎として裁判を為すに在り

公判手続中には期日に於ける審判の外其準備と為るべき手続あり又は之に附随する手続あり此等の手続は公廷に於て為すべきものに非ず然れども之が為めに公判手続の一部たるを失うことなし

本案は現行法と同じく職権主義実体的真実発見主義及自由心証主義を審判の基礎とせり即裁判所は公判の開始に付ては不告不理の原則に従うべきも公訴の提起に因り公判を開始したる以上は審判を為すに付き毫も原被告の処分権に羈束せらるることなく自ら訴訟の進行を計り自ら訴訟材料を集取し自ら進で事実の真相を発見するの職権及職務を有す而して事実の認定を為すに当て証拠に依ることを要するも其の証明力は一に裁判所の主観的判断に一任すべきものにして法律を以て之に拘束を加うべきものに非ず(第三百二十一条、第三百二十二条)

本案は現行法と同じく口頭弁論主義に従い書面審理を以て裁判の基礎と為すことを許さず此法則を絶対的のものと為すは実情に適せずとの議論あり其当否研究を要す

本案は現行法と同じく直接審理主義を排斥するものに非ず然れども絶対に直接審理を貫徹せんとするは一の理想に過ぎず公判の審判に於て可成直接に認識するの方法に依らしめんとするは素より至当なるも総て間接に認識するの方法を排斥せんとするは実情に適合せず本案は此の観念に従い予審に於て作成したる各般の調書其他の証拠書類は之を朗読し又は其要旨を告げて裁判の資料と為し得べきものとし直接審理の原則を貫徹せざりしなり

本案に於ける公判の規定は現行法の形式を改め面目を一新したりと雖ども其実質を論ずれば現行法の定むるところと大差なし唯実際の必要に鑑みて現行法の欠点を補正したる重要なる点あり之を略述せば先ず本案に於て最も考慮を費したるは事案に付き裁判官の脳裏に総括的印象を得せしむる為め訴訟材料の集中を図り成るべく公判の審理を連続して行わしむることとし公判に現われたる事実及証拠に付き裁判官の記憶を消失せざる間に訴訟を終結せしめんとしたる点に在り此目的を達する為め一面に於て公判準備の手続を規定し期日前に於て十分に公判の材料を整理せしむることとし一面に於て弁論更新の規定を設け如何なる事由に因るも引続き十五日以上開廷せざるときは弁論を更新することを要するものと為し尚お他の一面に於て計算其他繁雑なる事件に付き受命判事をして公判廷外に於て訴訟材料を整理して報告を為さしむるの制を新設して取調の便を計りたり思うに此等の規定は口頭弁論主義の利益を保持する為め最も必要なるは勿論職権主義並に実体的真実発見主義の貫徹を期する為め最も有効なるものにして現行法に改正を加えたる主要の点に属するものなり次に本案に於ては闕席判決の制を廃止し原則として被告の出廷を以て公判開廷の要件と為したり是れ一は被告の防禦権に重きを置き一は実体的真実発見を主義とする精神を貫徹せんとするの意に出でたるものなり其他中間判決の制を廃して無用に審判を遅延せしむるの弊を除き弁護の制に変更を加えて防禦権の拡張を計りたるが如き亦注目すべき改正の点なり此等の事項に付ては尚後に説示するところあるべし

第二 公判の開始[編集]

本案に於ては検事の公訴提起あるに非ざれば公判を開始することを得ず本案に於て不告不理の原則を貫徹し之に対する例外を認めざりしこと、並に予審の終結に依り公判を開始するの制を採らざりしことは前に述ぶるが如し

裁判所は其受理したる公訴に付き直に審判を為す場合の外管轄に関する規定に従い上級裁判所又は同等裁判所の移送に因り公判を開き又上訴に関する規定に従い上訴裁判所の差戻又は移送に因り公判を開くことあり管轄の章と上訴の編とを参照すれば明なるを以て別に説明を与うるの要なし

第三 公判の準備[編集]

公判の準備は公判期日を定め公判の取調に付き必要なる人を召喚し証拠の準備及保全の為め適当なる処分を為すに在り現行法に認めたる公判準備の手続は公判期日の指定被告其他訴訟関係人の呼出、証人の呼出及一定の場合に於て為す検証並に旧刑法の重罪に該る事件に付き為す下調なり本案は現行法の不備を補う為め準備手続に属する条項を増設し之を本章の始に配置せり今之を左に説明す

一、期日の指定 公判期日は裁判長之を定め必要あるときは職権を以て之を変更するを得

期日の変更は訴訟関係人之を請求し得べきは勿論なり然れども其請求を却下したる場合に其命令を送達するの必要なきものと認め其旨を規定せり(第三百四条第一項、第三百六条)

現行法に於て期日の指定及変更を認むるは疑を容れず唯之に関して明文を置かざりしを以て本案は之を補充せり

二、被告人其他訴訟関係人の召喚 期日には口頭弁論の原則に依り原被両造其他訴訟関係人の出廷を要するが故被告人弁護人補佐人を召喚し検事に期日を通知すべきものなり此点は現行法と異なることなし止た現行法の規定具わらざるところあるを以て補正を加えたるに過ぎず(第三百四条二項)

第一回の期日と被告人に対する召喚状の送達との間に於ける猶予期間は現行法に於ては二日なるも本案に於ては之を三日とせり而して区裁判所に於ては法律上猶予期間を与うるの必要なきものとし又被告人異議なきときは地方裁判所に於ても猶予期間を与うることを要せざるものとせり(第三百五条)

三、期日前に於ける人証の準備 期日前に於ける人証の準備に付現行法の規定するところを案ずるに第百九十二条に検事被告人等の請求に因り呼出す証人の氏名目録は開廷日より一日前之を相手方に送達すべしとの規定(第百九十二条)あるに止まり頗る不完全なり本案は此点に関して明確なる規定を置くの必要を認め裁判所は公判準備の為め期日前証人鑑定人通人翻訳人に対し召喚状を発することを得べき旨を規定し且つ召喚したる者の氏名は直に之を訴訟関係人に通知すべきものとせり右召喚は職権を以て為し又は検事被告人弁護人の請求に依り為すべきものなり而して検事被告人弁護人請求を為したる場合に於て其の請求を却下するときは決定を為さざるべからず(第三百八条第一項乃至第四項)

証人鑑定人通事翻訳人の召喚は第一回期日に於ける取調準備の為め之を為すことを得べきは勿論第二回以後の期日に於ける取調準備の為めにも之を為すことを得べし(第三百八条第五項)

前に示したる規定を活用するは公判に於ける取調の連続を計り事件の終結を迅速ならしむる為め最も必要なり今日の如く公判を開廷し被告人を訊問したる後初めて証人召喚の決定を為すときは多くの場合に於て一回の開廷を以て事件を終了することを得ず而して第一回期日と第二回の期日との間の多数の日子を置くの必要を生じ公判の審理を遅延すると同時に其連続を妨げ遂に口頭弁論の実を失うに至るの虞なき能わず

四、期日前に於ける証拠書類の準備裁判所は各期日に於ける取調準備の為め期日前証拠物及び証拠書類の提出を命ずることを得(第三百八条第一項)而して証拠準備に付き強制処分を必要とするときは急迫なる場合に限り期日前に於て押収捜索を為すことを得べし(第三百十二条)

右証拠物若くは証拠書類の提出を命ずるは裁判所の職権を以て為し又は検事、被告人、弁護人の請求を却下するときは決定を為すべきものとす(第三百八条第三項、第四項)

検事被告人及弁護人は期日前自ら証拠物又は証拠書類を裁判所に提出することを得即物証は必ずしも開廷を待て提出すべきものに非ず公廷に於ける取調の準備の為め予め之を提出して裁判所の検閲に供することを得べし(第三百九条)

右物証の準備に関する規定も人証の準備に関するものと同じく審理の連続を図り口頭弁論の実を収むる為め必要あるものなり

五、被告人の予備訊問 現行法は重罪事件に付被告人の予備訊問を要件と為したれども実際に於ては必ずしも予備訊問を為すの要なき場合あると同時に之を重罪事件に限るの謂れなきを以て本案に於ては総ての事件に付き予備訊問を為し得べきことを定め之を裁判所の裁量に委ねたり即裁判所は第一回期日に於ける取調準備の為め期日前被告人の訊問を為し又は部員をして之を為さしむることを得べき旨を規定して叙上の趣意を明にせり(第三百七条)

六、期日前の証拠調 期日前に於て証拠調を為すは公判の本旨に反するものなるを以て之を為さざるを原則とす然りと雖ども特別の事由の存するが為めに之を必要とする場合なきに非ず殊に証拠保全の為めに之を為さざるを得ざることあり故に本案は右の原則に対して例外を設け証人疾病其他の事由に因り期日に出頭すること能わざる者と思料したるときは期日前之を訊問することを許し又急迫を要する場合に於て期日前鑑定を為さしめ又検証を為し得べきことを認めたり(第三百十条、第三百十一条、第三百十二条)

以上、一乃至六に述べたる準備手続は公判の一部を為すものなり然れども何れも判決の基礎と為るべき取調に非ず判決の基礎と為るべき取調は公判廷に於て為すべきものなり即期日前に提出したる証拠物並に証拠書類(裁判所の提出を命じたるものと訴訟関係人の任意に提出したるとを分たず)並に其期日前為したる証拠調の結果を裁判の資料と為すには公判廷に於て証拠調の方式に従い取調を為さざるべからず即之を公判廷に於て取調べざれば之を裁判の根拠と為すことを得ざるなり又訴訟関係人は之を攻撃防禦の方法に用うるの権利を有するを以て之を放棄せざる限りは之を取調べざるべからず即訴訟関係人も之を援用するの意なく裁判所も之を裁判の資料と為すの意なきときは之を取調べざるも可なり(第三百二十六条)

第四 開廷[編集]

期日前の準備手続並に従たる手続は公判廷に於て行うべきものに非ず期日に於ける取調は公判の本体を為すものにして必ず公判廷に於て行うべきものなり(第三百十三条第一項)

公判廷には三個の訴訟主体在廷するを弾劾の方式とす即ち公判は判決裁判所を構成する判事検事裁判所書記の外被告人其他の訟訴関係人在廷して之を行うを原則となす

一、判事、検事及裁判所書記の列席判事、検事及裁判所書記は公判の全部に列席せざるべからず弁論の期日は勿論宣告の期日にも其一を欠くときは開廷するを得ず(第三百十三条第二項)

公判は同一の判事引続き出廷して之を為すことを要す是れ口頭弁論主義の精神を貫徹する為め必要なり判決の宣告を為す場合には同一の判事出廷するを要せず審理に干与せざる判事判決に干与すべき謂われなきも単に其宣告の為めに出廷するは何等口頭弁論主義の精神に牴触することなきを以てなり此点に付ては本案の規定するところ敢て現行法と異なるに非ず唯現行法に明文なき為め疑を生ずるの虞あるを以て之を補足して争を生ずるの余地なからしめたり(第三百三十六条)

二、被告人の出廷 本案は現行法に定めたる闕席判決の制を認めず凡そ闕席判決は啻に口頭弁論の原則に反するのみならず実体的真実発見主義と矛盾する虞あり素より闕席判決に於ても実体的真実を以て裁判の基礎と為すものなれども被告人在廷せざるときは審理形式に流れ易く又検事の主張のみを聴きて被告の弁解を聴かざるものなるが故に所謂片言を聴て獄を断ずるものにして事実の真相を穿つ能わざる場合多かるべし

右の理由に由り本案は原則として被告人の在廷を必要とし例外として(一)被告事件罰金以下の刑に該るべき場合又は罰金以下の刑に処すべき者を認むる場合(第三百四十五条)(二)被告人出廷して陳述を肯せず若くは裁判長の許可を受けずして退廷し又は秩序維持の為め退廷を命ぜられたる場合(第三百四十四条)に於て被告人在廷せざるも公判を開くことを得べきものとせり尚お弁論終結の後単に判決言渡を為す場合(第三百四十六条)には被告人の出頭なくして開廷するを得此点に付ては後段第五の二三を参照すべし

三、弁護人の出廷 弁護人の出廷は死刑、無期又は短期一年以上の自由刑に該るべき事件に付き之を必要とす但判決の宣言を為す場合には之を必要とせず

強制弁護の制は官選弁護の必要を生ず官選弁護は今日に於て形式に止まる場合多きを遺憾とし本案に於ては幾分之を補正するの途を設けたれども之に依り十分なる結果を得べしとは信ぜず官選せられたる人の徳義に待つの外なかるべし(第三百十八条)

強制弁護の場合の外裁判所に於て必要と認めたる時其裁量を以て弁護人を附すべき場合あり大体現行法と大差なきも本案は被告人七十歳以上なるときの一場合を加えたり是れ老衰者を保護するの精神に出でたるものなり(第三百十九条)

第五 公判の審理[編集]

一 期日に於ける弁論[編集]

公判の審理は期日に於ける弁論を以て本体と為す其順序を略言せば裁判長は先ず被告人の人違なきや否やを確め検事の被告事件の陳述に依り弁論を開始し被告の訊問及証拠調之に次ぎ事実及法律の適用に付ての意見の陳述並に被告人若くは弁護人の之に対する答弁を以て終る両造は迭に弁論を為すことを得れども被告人又は弁護人に最終に陳述するの機会を与えざるべからず

被告人の訊問を分析せば事実の訊問と証拠に関する訊問とあり証拠に関する訊問は訊問中に入るべきや証拠調中に入るべきやに付議論する人あれども別に重要なる問題とも思われず元来公判廷に於ける訊問は前に示したるが如く被告人をして弁解を為さしむるを主眼とするものなり事実に付ても弁解を為さしめざるべからず証拠に付ても弁解を為さしめざるべからず実際の手続に於て事実に対する弁解と証拠に対する弁解とを明白に区別すべきものにあらず両者錯綜して差支なきのみならず其区別に拘泥するときは形に流れて実を失うの虞あり法の求むるところは事実及証拠に付て被告に弁解を為すの機会を与うるに在り而も証拠調に関しては各個の証拠に付き取調を終りたる毎に被告人に意見ありや否やを問うべき旨を明示し尚お被告人に対して其利益と為るべき証拠を差出すことを得べき旨告ぐべしと規定せり此等の規定は被告人の訊問に付き前に説明したるところと相俟て当事者訴訟の実質を完成するものなり(第三百二十八条乃至第三百三十一条)

公判に於る被告人の訊問及証拠調は裁判長之を為す裁判長が被告人の訊問及証拠調を為すは其の独立の職権を行うものに非ずして裁判所の一機関として之を為すものなり(第二百二十三条一項)

被告人、証人及鑑定人は前示の規定に従い裁判長之を訊問すべきものなれども陪席判事も亦裁判所の一員として補充の訊問を為すことを得べし訴訟関係人も亦必要ある事項に付き裁判長に訊問を求むることを得現行法に従えば検事は直接に訊問を為し得べきも本案は之を改め検事は弁護人と同じく訊問を求むるを得るに止まるものとせり(第三百二十三条)

裁判長は裁判所の機関として証拠調を為すものなり故に如何なる範囲に於て証拠の取調を為すべきやは裁判長自ら決すべきものに非ずして裁判所の決定に依るべきものなり然れども即時に為し得べき証拠調に付ては決定を為さしむるの要なきを以て止だ証拠調の請求を却下する場合及新期日の指定其他別段の手続を必要とする証拠調に付てのみ決定を為すべきものとせり(第三百二十七条)

期日前訴訟関係人より提出したる証拠物及証拠書類並に期日前裁判所に於て集取したる証拠の取調に付ては前に説明したるを以て再述せず(第三百二十六条)

現行法は地方裁判所の公判に於ては被告人其罪を自白したるときと雖も仍お証拠を取調ぶべき旨を規定し区裁判所の公判に於ては被告人の自白ありたる場合に訴訟関係人異議なきときは他の証拠を取調ぶることを要せる旨規定せり思うに職権主義及実体的真実発見主義を基礎とする法制に於て此の如き規定を置くは事理に適せず依て本案は之を除きたり

二 受命判事の取調[編集]

公判の審理は期日に於ける弁論を本体と為すと雖ども計算其他繁雑なる事項に付き公判廷に於て取調ぶることを不便とするときは民事訴訟法の計算事件に於けるが如く受命判事をして公判廷外に於て其取調を為さしむることを得此場合に於て受命判事は予審判事と同一の職権を以て事件の取調を為し其結果を判決裁判所に報告し判決裁判所は其報告に基き審判を為すべきものなり現行法には斯る規定を設けざるを以て錯綜極りなき事項に付ても常に公判廷に於て取調ぶることを必要とし裁判所及訴訟関係の不便を感ずること鮮しとせず本案に於て叙上の法則を設けたるは此欠点を補正し実際の必要に応じたるものなり受命判事の取調は予審の如く訴訟材料の集取を以て主たる目的とせず訴訟材料を整理して事件の関係を明ならしむるを以て主たる目的とす然れども既に集取したる材料を以て充分ならずとするときは新なる取調を為すことを妨げず(第三百三十三条)

三 公判手続の停止[編集]

被告人心神喪失の状態に在るとき及疾病に因り出廷すること能わざる場合に於ては其故障の継続する間公判手続を停止すべきものとす但法定代理人又は特別代理人総則の規定に依り被告人を代表したる場合及罰金以下の刑に該る可き事件に付き代人を出廷せしめたる場合を除く(第三百三十四条)

現行法は公訴不受理又は管轄違の申立に対して中間判決を為したる場合には本案の弁論を停止すべきものとし公判に於て附帯犯又偽証罪を予審に送致したる場合に於ては本案の弁論を停止することを得べきものとすれども此草案の規定するところに依れば此の如き場合を生ずることなし従て之を停止原因と為したる規定は総て之を廃止せり

四 公判手続の更新[編集]

公判手続の更新を要する場合左の如し

(一)被告人の心神喪失に因り公判を停止したるとき(第三百三十五条)口頭弁論主義より生ずる当然の結果なり

(二)引続十五日以上開廷せざりしとき(同上) 此規定を置きたる理由は前に述べたり

(三)開廷後判事の更迭ありたるとき但判決の宣告を為す場合には審理に干与したる判事列席することを要せず(第三百三十六条)是亦口頭弁論主義に基くものにして前に説明せり

五 弁論の再開[編集]

現行法には弁論再開の規定なしと雖ども実際に於ては必要に応じて之を行い其適法なることを疑わず本案に於ては此趣旨を法文に明示したり(第三百三十二条)

第六 裁判[編集]

一 裁判の種類[編集]

公判に於ける裁判は事件を終局する裁判と事件の終局前に為す裁判とあり

(甲)終局前の裁判

終局前の裁判は管轄に関する規定に依る裁判と訴訟手続に関する諸般の裁判とを包含す此等の裁判中公判の弁論中公判廷に為すものと其準備手続又は之に附随する手続として公判廷以外に為すものあり皆決定を以て為す可きものにして判決を以て為す可きものにあらず

現行法に於ては中間判決の制を認め管轄違又は公訴受理す可らざるの申立ありたる場合に之を理由なしとするときは事件に対する終局判決を為す前中間判決を以て其申立を却下するを得べきものと為す本案は此規定を廃止し全く中間判決の制を認めざることとせり即裁判所は終局判決を以て管轄違又は公訴棄却の言渡を為し得るは勿論なるも管轄違又は公訴受理す可らざる申立を理由なしとする場合に於ては事件に付終局の判決を為すまで其申立に付き裁判を為すべきものに非ず

(乙)終局の裁判

本案に於ては事件を終局するに決定を以てする場合と判決を以てする場合とあり左に之を示す

 (イ)決定 決定を以て終局す可き場合は第三百三十七条に定む即左に掲ぐる場合には決定を以て公訴を棄却す

一、公訴の取消ありたるとき 現行法は公訴の取消を認めざるを以て此場合に該当すべき規定を存せず
二、被告人死亡したるとき 現行法に依れば此場合には別に裁判を為さずして当然事件を終局すべきものとすれども本案に於ては死亡の事実を認めて事件を終局するには裁判の形式を以て之を表示するを適当と認めたり
三、第九条、第十条の規定に依り審判を為す可らざるとき 現行法に従えば此の如き場合に於ては管轄違の判決を為す可き者なり然れども本案に於ては管轄の章に示したるが如く上級裁判所又は先着手の裁判所は下級裁判所又は後着手の裁判所の管轄を奪うものに非ざるを以て管轄違を言渡すべき理由なく唯公訴が不適法に下級裁判所又は後着手裁判所に繋続するを以て之を棄却す可きものとす

右に示したる三個の場合に於ては公訴の消滅し又は不適法に繋属すること明白にして別に口頭弁論を経て判決を為すの必要を見ず故に公判廷を開かず決定を以て終局すべきものとせり

第二号及第三号の場合に於ては同一事件に付き再び公訴を提起し又は予審を請求することを妨げず即被告人の生存すること明白と為りたるとき又は上級裁判所又は先着手の裁判所に提起せられたる公訴が或る事由の為め消滅したるときは同一事件に付き公訴を提起し又は予審を請求することを得べきものにして前の為したる公訴棄却の決定は決して其妨と為ることなし第一号に依り公訴を棄却したる場合は之と異なれり即公訴を取消したるときは同一事件に付き再び公訴を提起し又は予審を請求することを得ず

 (ロ)判決 事件を終局すべき判決の種類左の如し

一、管轄違の言渡を為す判決(第三百一二十九条)
二、刑の言渡を為す判決(第三百四十条)
三、無罪の言渡を為す判決(第三百四十一条)
四、免訴の言渡を為す判決(第三百四十二条)
五、公訴棄却の言渡を為す判決(第三百四十三条)

管轄違の言渡刑の言渡及無罪の言渡を為す判決に付ては現行法と比較し特に説明を要する点なし公訴棄却及免訴の判決に付ては注意を要する点あり左に之を説示す

判決に於て公訴棄却と免訴とを区別すべきや否や議論の存する点なり本案は此区別を認むべきものと為し公訴棄却は形式上の条件を欠如し適法なる公訴の存在せざる場合に之を言渡すべきものとし公訴棄却の判決あるも更に有効なる条件を具えて公訴権を実行することを得べし

免訴は公訴権自体の全然存在せざる場合(多くは一旦成立したる公訴権の消滅したる場合なり)に於て言渡す可きものにして其言渡ありたるときは同一事件に付き更に公訴を提起することを許さず本案に於て認めたる区別の適当なりや否や考究を要す

公訴棄却及免訴を言渡すべき各場合を左に説示す

公訴棄却の場合
一 公訴提起の手続其規定に違いたる為め無効なるとき 訴訟条件を具備せざる場合を含す解釈論としては親告罪に付き告訴なき場合は此内に入るべきなり
二 親告罪又は請求を待て罰すべき罪に付告訴又は請求の取消ありたるとき 現行法は此場合に於て如何なる判決を為すべきやを明示せず止だ第六条に於て親告罪に付き告訴の抛棄ありたることを以て公訴権消滅の一原因と為したるを以て実際の取扱に於ては免訴の判決を為すこととせり然るに本案に定むる所に依れば告訴又は請求を取消したるものは更に告訴又は請求を為すことを得ざるも其取消は必すしも公訴権を消滅せしむるものに非ず即告訴権者数人あるときは一人告訴を取消すも他の告訴権者告訴を為すことを妨げず此場合には其告訴に基き更に公訴権を実行することを得べし故に本案は告訴又は請求の取消を免訴の原因と為さずして公訴棄却の原因と為したり
三 公訴の提起ありたる事件に付き更に同一裁判所に公訴の提起ありたるとき 即同一事件に付き同一裁判所に二個以上の公訴提起ありたる場合なり第三百三十七条に依れば同一事件に付き数個の裁判所に公訴の提起ありたる場合には決定を以て下級裁判所又は後着手裁判所の受けたる公訴を棄却すべきものなり判決を以て公訴を棄却すべきは同一事件に付き同一裁判所に二個以上の公訴の堤起ありたる場合に限る
四、被告人に対して裁判権を有せざるとき 即被告人通常裁判所の裁判権に服せざるとき又は帝国の裁判権に服せざるときは公訴を棄却すべきものなり現行法は此場合に於て管轄違の言渡を為すべきものとするも本案は管轄の章に於て述べたるが如く之を相当ならずと認めたり
免訴の場合
一 確定判決を経たるとき 此場合には公訴権のみ消滅す
二 犯罪後の法令に依り刑の廃止ありたるとき 此場合には公訴権は科刑権と共に消滅す
三 刑を免除するとき 法律上刑を免除するときなり即現行法の「法律に於て其罪を全免するとき」といえる場合に同じ此場合には免訴すべきものとするは公訴権存在せざるものと為したるに囚る之を適当とするや否や議論あるべし考究を要す
四 大赦ありたるとき 此場合にも公訴権は科刑権と共に消滅す
五 時効完成したるとき 前に同じ

右に掲げたる一、三、四、五に付ては現行法にも同様の規定あり二に付ては現行法は第六条に於て之を公訴権消滅の原因と為したるも此場合に如何なる判決を為すべきものなるやを規定せず因て本案は其欠点を補正したり

二 被告人の弁論を聴かずして判決を為す場合[編集]

判決は口頭弁論に基きて為すを原則とす(第四十九条)此原則に対する例外は再審に関する第四百六十三条の規定なり即此の規定に依る場合の外必ず公判を開き弁論を経て判決を為すべきものなり

公判には検事及被告人の在廷を要し双方の弁論を聴きて判決を為すを原則とす此原則に対する例外あり即左の場合に於ては被告人の弁論を聴かずして判決を為すことを得

一、被告人陳述を肯ぜざるとき(第三百四十四条)
二、被告人許可を受けずして退廷したるとき(同条)
三、被告人秩序維持の為め裁判長より退廷を命ぜられたるとき(同上)
四、罰金以下の刑に該る可き事件被告人出廷せざるとき(第四百四十五条)此場合に於て審理の結果禁錮以上の刑に処すべきものと認めたるときは其儘裁判を為すことを得ず
五、罰金以下の刑に処すべきものと認めたる事件に付き被告人出廷せざりしとき(同上) 罰金以下の刑を選択することを得べき事件に付き罰金以下の刑を選択すべきものと認めたるときは前の場合と同じく被告の弁論を聴かずして判決を為すことを得べし

現行法は闕席判決を認め故障の制を設けたるも本案は前に示したるが如く之を全廃せり故に被告人又は其代人在廷せざる場合に審理を為し判決を言渡すも其判決の効力は被告人又は其代人在廷したるときと異なることなし即宣言に依り告知の効力を生じ被告人は法定の期間内に控訴を為すことを得るに止まり現行法の如く故障を以て不服を申立つるの途を設くることなし

三 判決の宣告[編集]

判決は総て公判廷に於て宣告すべきものなり弁論期日には原則として被告人の在廷を要するも宣告期日には之を必要とせず即被告人在廷せざるも宣告に依り告知の効力を生ずるものとす(第三百四十六条、第五十一条)

四、被告人の勾留及押収に対する判決の効果[編集]

被告人の勾留は判決前に在ては取消の決定又は保釈責付執行停止の決定あるにあらざれば之を解くことを得ざるを原則とす又判決を以て禁錮以上の刑を科したるときは其確定と共に自由刑を執行すべきものにして放免の問題を生ぜず

無罪免訴、公訴棄却、管轄違の言渡を為し又は罰金以下の刑の言渡を為したるときは別段の裁判を要せず当然放免の言渡ありたるものとす但公訴棄却又は管轄違の言渡を為す場合には其裁判所の検事再起訴を為し又は管轄裁判所の検事をして再起訴を為さしむる為め之に事件を送致する場合あるを以て裁判所は判決を為すと同時に前に発したる勾留状を存続せしむることを言渡し又新に之を発することを得べし此場合に若し検事三日以内に公訴を提起せず又は管轄裁判所の検事に事件を送致せざるときは別段の裁判を待たずして被告人を釈放せざるべからず事件の送致を受けたる管轄裁判所の検事送致を受けたる時より五日以内に公訴を提起せざるとき亦同じ(第三百四十七条)

押収は判決前に在ては還付の裁判あるに非ざれば之を解かざるを原則とす判決ありたるときは没収の言渡ありたる場合の外別に裁判を為さざるも当然還付の言渡ありたるものとす但公訴棄却又は管轄違の場合に於ては被告人の勾留に付き述べたる趣旨及条件に従い之を存続するの言渡を為すことを得(第三百四十八条)

押収物贓物なるも別段の言渡なきときは之を差出人に還付せざるべからず即被害者私訴又は民事訴訟に依り取戻を請求したる場合に非ざれば裁判所の処分を以て之に交付することを得ざるを原則とす此原則に対しては重要なる例外あり被害者に還付すべき理由明瞭なるときは之を還付するの言渡を為すべく又被告が贓物の対価として得たる物を押収したる場合に於て被害者より請求ありたるときは前同一の条件に従い之を被害者に還付すべきものなり

押収に関する規定に依り仮に還付したる物は別段の言渡なきときは当然還付の言渡ありたるものとす

前に示したる贓物又は其対価を被害者に交付すべき裁判又は仮に還付したるものを還付する処分は権利関係を確定するものに非ず故に利害関係人は之が為めに民事訴訟の手続に依り其権利を主張することを妨げらるるものに非ず(第三百四十九条)

五、刑の執行猶予を取消すべき裁判並刑法第五十二条又は第五十八条の規定に依り刑を定むべき裁判[編集]

刑の執行猶予を取消すべき場合並に刑法第五十二条又は第五十八条に依り刑を定むべき場合には公判を開きて判決を為すべきや将た公判を開かずして決定を為すべきや本案は現行法と同じく前の場合には受刑者の所在地又は最終の住所を管轄する地方裁判所の検事其裁判所に請求を為し後の場合には其犯罪事実に付き最終の判決を為したる裁判所の検事其裁判所に請求を為し裁判所は別に公判を開かず被告人又は其代理人の意見を聴き決定を為すべきものとす(第三百五十条、第三百五十一条、刑法施行法第五十三条、同第五十六条)右に示したる場合に於て裁判所は公判を開かずして決定を為すべきものなれば此等の規定を公判の章に置くは正当ならざるが如し然れども他に之を配置すべき適当なる章なく且つ此等の規定に依り決定を為すは公判に於て為したる判決を補正するものにして其実質を論ずれば公判手続の延長と見るも敢て不可なかるべし故に之を本章に配置して判決に関する規定の末尾に附加することとせり

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