光厳院御集

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よもの梢かすむを見ればまだきより花の心ぞはや匂ひぬる

春をへていかなる声に鳴くなればはつ鶯のいやめづらなる

わがながめなににゆづりて梅の花さくらもまたでちらむとすらん

夕暮の春風ゆるみしだりそむる柳がすゑはうごくともなし

春の日ののどけき空はくれがたみいたづらにきく鶯の声

春雨

浅緑みじかき草の色ぬれてふるとしもなき庭の春雨

長閑なるむつきの今日の雨のおとに春の心ぞ深くなりぬる

花も見ずとりをもきかぬ雨のうちのこよひの心何ぞ春なる

夕霞かすみまさるとみるまゝに雨に成りゆく入あひのそら

何事をうれふとなしにのどかなる春のあま夜は物ぞ佗しき

散ることははやしと思ふを桜花ひらくる程のあやに久しき

軒ふかき花のかをりにかすまれてしらみもやらぬ宿の曙

くれかゝる花のにほひをしたひがほにさらにうつろふ夕日影哉

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郭公

なれも又此の夕暮を待ちけりな初ねうれしき山ほとゝぎす

思ふ事ありあけの空の時鳥わが為とてやいまき鳴くらむ

夏山や木だち涼しき村雨のゆふべを時となくほとゝぎす

夏昼

庭のうへのまさごにみちててれる日のかげみるなへにあつさまされる

夏夕

蚊遣火のけぶりまさると見る程にくれぬるならし入あひの声

夏夜

秋の夜をさびしきものと何か思ふ水鶏こゑするよひの月影

夏月

更くる夜の庭のまさごは月しろし木陰ののきに水鶏声して

照射

ともしするほぐしの松のつきもあへずは山が峯は雲明けぬ也

夕立

吹きすぐる梢の風のひとはらひこゝまで涼しよその夕立

遠近夕立

とほつそらにゆふだつ雲を見るなへにはや此の里も風きほふ也

とぶ蛍ともし火のごともゆれども光をみれば涼しくもあるか

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初秋

花もまだき草の籬のあさぼらけ露のけしきに秋は来にけり

世の色のあはれはふかく成り行くよ秋はいくかもいまだあらなくに

夕日さす梢の色に秋見えてそともの森にひぐらしの声

秋はまだあさけの庭の池の面にはやすさまじき水の色哉

秋になるねざめぞいとゞうれはしき物おもふ身にはありもあらずも

いとはやも風すさまじみそれとなき虫も籬にやゝ鳴きたちぬ

時わかぬ竹のさ枝に吹く風のおとしも秋に成りにけるかな

七夕

目にちかき面影ながら年もへぬ雲井の庭の星合の秋

おほかたの秋てふ秋のながき夜をこよひともがな星合の空

身こそあらめ花は昔をわするなよ馴れし戸ぐちの庭の秋萩

秋風ののきばの荻よなにぞこのうれへのたねを植ゑ置きにける

ほにいでて我のみまねく糸薄くる人あれなふるさとのあき

秋風によわき尾花はうごけども月にのどけみふけすめる夜半

秋夕

物ごとに我をいたむるゆゑはあらじ心なりけり秋のゆふ暮

しづむ日のよわき光はかべにきえて庭すさまじき秋風の暮

咲きやらでしばしもあれな庭の菊待つべき花の又もあらなくに

 

夜をさむみいねずてあれば月影のくだれるかべにきり〴〵す鳴く

くるゝ空に待ちつるまゝのながめよりすだれおろさぬ月のよすがら

てらすらん千里の人の秋の思ひ月にやうつす影のかなしき

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時雨

木の葉ぬれてそゝくともなき村時雨さすや夕日のかげもさながら

落葉

木の葉こそもろくもならめ夕嵐我がなみださへたへずも有る哉

さむからし民のわらやを思ふにはふすまのうちの我もはづかし

よはさむみ嵐の音はせぬにしもかくてや雪のふらんとすらん

雪はまだきたゞ冬枯の草の色の面がはりせぬ庭ぞさびしき

冬をあさみまだこほらねど風さえてさゞ波寒き池の面哉

散りまよふ木の葉にもろき音よりも枯木吹きとほす風ぞさびしき

霜にとほる鐘のひゞきを聞くなへにねざめの枕さえまさるなり

霜のおくねぐらの梢さむからしそともの森に夜がらすの鳴く

雲こほる木ずゑの空の夕附くよ嵐にみがく影もさむけし

空はしもくもるとは見えぬ朝明のしもにうすぎる世の気色哉

この夜半やふけやしぬらん霜ふかき鐘のおとして床さえまさる

冬枯の草木の時をあはれとやはなをあまねくふれる白雪

冬草

それと見えし霜のくち葉も猶落ちてふる枝ばかりの庭のはぎ原

冬暁

あかしかぬる時雨のねやのいくねざめさすがに鐘の音ぞきこゆる

かげうすき有明の月に鳴く鳥の声さへしづむ霜のをち方

霜にくもるありあけがたの月影にとほちの鐘もこゑしづむ也

冬曙

ひゞき残るとほちの鐘はかすかにて霜にうすぎる曙のそら

冬朝

おきてみねど霜ふかからし人のこゑのさむしてふきくも寒き朝明

夜もすがら雪やとおもふ風の音に霜だにふらぬ今朝の寒けさ

冬夕

嵐吹きあられこぼるゝけふの暮雪の心やちかづきぬらし

霜がれのをばなが庭に風ふれてさむき夕日はかげさえぬなり

冬夜

星きよき木ずゑの嵐雲晴れて軒のみ白きうす雪の夜半

冬月

空のうみ雲の波もやこほるらん夜わたる月の影のさむけき

さえくらすあらしに雪やちかゝらしさきだつ霰軒におつなり

雲のゆふべ嵐のこよひふりそめぬ明けなば雪のいくへかも見む

野山皆草木もわかず花のさくゆきこそ冬のかざり成りけれ

朝日さす松のうれよりおつる雪にきえがたにしもつもる木のもと

暁雪

ふりうづむ雪の野山は夜ふかきにあくるかとりのとほ里の声

曙雪

目にちかき軒のうへよりしらみそめて木ずゑかをれる雪の曙

朝雪

うつりにほふ雪の梢の朝日影今こそ花の春はおぼゆれ

風前雪

吹きみだしはらひもあへぬ竹の葉の嵐のうへにつもるしらゆき

夜雪

軒の上はうす雪しろしふりはるゝ空には星のかげきよくして

雨後雪

けさの雨のなごりの雲やこほるらんくれゆく空の雪に成りぬる

山雪

岩も木もすがたはさすが見えながらおのが色なき雪の深山べ

野雪

ながめやるかぎりも見えずかすみゆく野原が末は雪としもなし

浦雪

浪の上はあまぎる雪にかきくれて松のみしろき浦の遠方

杜雪

雪にだにつれなくてやは山城のときはの森も色かはる也

山家雪

人はとはぬみやまの庵にあはれ猶ところもわかずふれる白雪

田家雪

すゑとほきかり田のおもの雪の中にたてるや庵の見るもさびしき

閑居雪

軒の松にかよふ嵐の音だにもたえていくかの雪のふるさと

社頭雪

たのむゆゑのふかき心はへだてぬをいつかみかさの山のしら雪

松雪

ときは木のその色となき雪の中も松はまつなるすがたぞみゆる

雪中鳥

降りつもる雪の梢にゐる鳥の羽かぜもをしき庭の朝明

雪中獣

起きいでぬねやながらきく犬のこゑのゆきにおぼゆる雪のあさあけ

雪中懐旧

むかしをばうづみや残す白雪のふりにし世のみうかぶおもかげ

雪中述懐

いたづらにふる白雪をあつめもたぬわが光なみ世さへくもれる

炭竈

立ちのぼるけぶりの末をあはれともたれかはとはむをのの炭竈

除夜

年くると世はいそぎたつ今夜しものどかにもののあはれなる哉

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初恋

しらざりしながめやなにぞよしなしに物おもふ身にはならじと思ふを

忍恋

人まなみたゞにはいはぬそこの色を見しらぬにして過ぎんとやする

不逢恋

我はおもひ人にはしひていとはるゝこれを此の世のちぎりなれとや

待恋

あすのうさも我が心からかなしきにこよひよ今夜とへやとぞおもふ

互忍待恋

待つもとふもつゝむにふくる時のまよあぢきなからぬ一夜ともがな

別恋

これ程も又はいつかの別れ路をくれよのちよのやすのたのめや

偽恋

いまぞおもふたのみしうちのいくあはれかざるがうへのなさけなりける

誓恋

うきがうへになげくぞ猶もあはれなるちかひし末を人の為とて

恨恋

をしや我もあはれかなしのいくふしをひとつうらみのうちになしぬる

うきにたへずうらむれば又人も恨むちぎりのはてよたゞかくしこそ

絶恋

我やたそあやしやつひにたえはてばあらじと思ふをけふまでの身よ

恋涙

こひあまり我がなく涙雨とふるやこのくれしもの雲とづる空

恋契

うしとすつる身をおもふにも更に猶あはれなりける人に契りよ

恋恨

あさくしもなぐさむる哉と聞くからにうらみの底ぞ猶ふかくなる

思ひつくしあはれに物のなりたちてすべて涙のおちもとまらぬ

思ひつくす思ひのゆくへつく〴〵と涙におつる燈のかげ

恋獣

里の犬のこゑをきくにも人しれずつゝみし道のよはぞ恋しき

寄春恋

いろねにもうれへのすゝむたねとして我に物うき花鳥の春

寄冬恋

とぢつもる氷も雪も冬のみをとけむごもなき我が思ひ哉

寄暁恋

今も此の有明のそらに鳥はなけどわかれし人にまたあはぬ哉

寄朝恋

如何になるけさのながめぞこよひ我がみるとしもなきゆめのなごりに

寄夕恋

にしの山にくだる夕日の影みればけふはたくれぬ妹をみなくに

寄風恋

なにぞこのうはの空より吹く風の身にあたるさへ物のかなしき

寄雨恋

いもがうへにおもひうらぶれねずてあかす此の夜すがらの雨の音はも

寄霜恋

あさ霜のむすびもはてぬ契ゆゑさてこそけなめ知る人をなみ

寄煙恋

我が恋よけぶりもせめてたちななんなびかぬまでも君に見ゆべく

寄山恋

あはれ今はかくて契やつくば山しげきうらみの我もそふ比

寄松恋

人やうきさもいはしろのむすび松むすばぬ世々の身の契りこそ

寄庭恋

妹待つと時ぞともなきながめして蓬が庭も霜がれにけり

寄苔恋

そのまゝにはらはぬ庭の苔の色にたえにし人の跡も見えけり

寄鶏恋

わかれましつらからましと聞くもつらし八こゑの鳥の明方のこゑ

寄鴉恋

月に鳴くやもめがらすは我がごとく独りねがたみつまやこひしき

寄犬恋

人しれずわがたちすまむ宿のあたりとがむる犬もせめてなつかし

寄人恋

思ひとりしその偽のならひゆゑ人にもひとの猶たのまれぬ

寄夢恋

ゆきてかよふ夢てふもののあるならばこよひの心見えざらめやも

寄心恋

うきはさぞなあはれなるさへくるしきよ人に心のなべてならなん

寄言恋

人を思ふ世にふりざらむことのはの君にはじめていはまほしきを

寄鏡恋

思ふ色のいはれぬきはをうつしみせむかゞみもがなや君が心に

寄衣恋

こひしとてかへさむとはたおもほえずかさねしまゝの夜の衣を

寄燈恋

さぞやげにわれぞつれなき待ちよわる明方の窓にきゆる燈

寄書恋

見しぞかしかゝることの葉そのふしとさらに涙もふるき玉づさ

恋といふ名のみはなべてふりぬめり我が思ひをばいかゞいはまし

恋しきはしのびがたきをいかゞせんうきは身をしるなぐさめもあり

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雲の色星のひかりも同じ空の長閑になるやあかつきになる

もゝしきや庭に見馴れし呉竹のみじかきよこそ猶あはれなれ

よどみしも又立ちかへりいすゞ川ながれの末は神のまに〳〵

とまる名はながらの橋のはしばしら朽ちてのちしも猶残りける

たびにして妹を恋しみながめをれば都の方に雲たなびけり

さ夜ふくる窓の燈つく〴〵とかげもしづけし我もしづけし

心とてよもにうつるよ何ぞこれたゞ此のむかふともし火のかげ

むかひなす心に物やあはれなるあはれにもあらじ燈のかげ

ふくる夜の燈のかげをおのづから物のあはれにむかひなしぬる

過ぎにし世いまゆくさきと思ひうつる心よいづらともし火の本

ともし火に我もむかはず燈もわれにむかはずおのがまに〳〵

雑暁

かねのおとに夢はさめぬる後にしもさらに久しき暁の床

雑夕

鳥かへるそともの森のかげくれてゆふべの空は雲ぞのどけき

山家

聞き侘びぬ枕の山の夜のあらし世のうきよりは住みよけれども

軒につゞく檜原が山に雲おりてくるゝ木ずゑに雨おちそめぬ

田家

伏見山かど田の末は明けやらで松のこなたの空ぞしらめる

懐旧

しのぶべきむかしはさりな何となく過ぎにし事のなぞあはれなる

述懐

たゞしきをうけつたふべき跡にしもうたてもまよふ敷島の道

舟もなく筏もみえぬおほ川にわれわたりえぬ道ぞくるしき

花のうちにあそぶこてふのもゝ年よさむるうつゝは猶やみじかき

風になびく竹のむら〳〵末見えて夕日にはるゝ遠の山本

山松の梢をわたる夕嵐軒の檜原に声おちぬなり

あつき

庭の日は木陰も見えずてりみちて風さへぬるみ暮れがたき比

はかなき

我もさぞあすともなしのけふの世にあればあるてふさゝがにの露

おもしろき

時にふるゝなさけのうちも心すむは月にしらむる糸竹の声

物名[編集]

紅葉のが

おりみだれよもの山べに雲もみち野風はげしみ雨になる暮

ほたる

ふりうづむ雪に日数はすぎのいほたるひぞしげき山陰の軒

藤ばかま

ふるさとやちくさが庭の花の秋かきねの露に松虫の声

たけかは

ことし又はかなく過ぎて秋もたけかはる草木の色もすさまじ

やどりぎ

月影はまだなか空にのどけきをはやとりきこゆあけぬこのよは

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。