光厳天皇遺誡

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本文[編集]

一、老僧滅後、莫尋常式、以煩荼毗等儀式。只須山阿収瘞。松栢自生於塚上、風雲時往来者、為予之好賓、甚所愛也。如其山民村童等欲聚砂之戲縁、構小塔、不尺寸、亦不之。此一節、只為衆人其労力。但要省略耳。其或便力、則火葬又可也。一切法事不之。

一、中陰仏事不一場一衆也。専修大円覚之場、是修予追福之場也。堅持仏禁戒之人、是修予追福之人也。但此小院依檀信、令衲衆止住者、現前同伴、一箇両箇、耐閑者、宜于茲禅誦作息。以故自中陰、及大小祥等諸忌辰、除霊供諷経等之外、不更経営斎会。倘於老僧一分追修報恩之人、但只在宴寂蕭疎之中、人々各以平生弁道、最為吾所庶幾。千万於是足也。抑苟欲暫仮静縁一片参祖道之輩、不必待吾所_誡。若別有檀施投嚫物忌陰者、先須法施仏及僧、有余力者、宜以補当寺之資縁。是則所以護惜常住也。可以為老僧志、莫必尽点心数多斎料而後報吾也。勉之。

書き下し文[編集]

一、老僧の滅後、尋常の式にならひ、以て荼毗だび等の儀式を煩ひ作すること莫れ。ただすべからく山阿に就いて収瘞しゅうえいすべし。松栢自ら塚上に生じ、風雲時に往来するは、予の好賓こうひんたり、甚だ愛する所なり。し其れ山民村童等聚砂しゅさ戲縁ぎえんを結ばんと欲し、小塔を構ふること、尺寸に過ぎざれば、亦之を禁ずるに及ばず。此の一節、只衆人を動かして其の労力を労するを欲せざるが為なり。ただ省略を要するのみ。其れ或いは力を省すに便なれば、則ち火葬又可なり。一切の法事は之を為すをもちひざれ。

一、中陰の仏事は一場をぼくし一衆を結ぶことを必せざるなり。専ら大円覚を修するの場は、れ予が追福を修するの場なり。堅く仏禁戒を持するの人は、是れ予が追福を修するの人なり。ただ此の小院に檀信に依り、衲衆なふしゅうを止住せしめば、現前同伴、一箇両箇、閑を守るに耐ふる者、宜しくここに在りて禅誦息を作すべし。故を以て中陰より、大小祥等諸忌辰に及ぶまで、霊供諷経等を除くのほか、更に斎会の経営に由らざれ。もし老僧に於いて一分の追修報恩を存ぜんの人、ただ宴寂蕭疎えんじゃくしょうその中に在りて、人々各平生の弁道に励むを以て、最も吾が庶幾する所と為す。千万是に於いて足るなり。そもそもいやしくも暫く静縁を仮りて一片祖道に参ぜんと欲するの輩、必ず吾が誡める所を持たず。し別に檀施の嚫物しんもつを忌陰に投ずる有らば、先ず須らく法のごとく仏及び僧に施すべし、余力有らば、宜しく以て当寺の資縁に補すべし。是則ち以て常住を護惜する所なり。以て老僧の為に志を養ふべし、必ず点心数多を尽くし斎料を添へて而る後に吾に報ずると謂ふ莫れ。之に勉めよ。


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