倫敦塔 (小説)
二年の留学中ただ一度 を見物した事がある。その 再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが った。一度で得た記憶を二 に わすのは惜しい、 たび目に い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
行ったのは着後
もないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは より知らん。まるで の が急に日本橋の へ り出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、 に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、 安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら が神経の もついには の中の のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。しかも
は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、 ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは のため出あるかねばならなかった。 汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、 な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い を 十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである。「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。
るに なく去るに を知らずと うと めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって に帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」その物の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、 はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を したる中間が もなく明るい。あたかも闇を く稲妻の眉に落つると見えて消えたる がする。 は の夢の のようだ。倫敦塔の歴史は英国の歴史を
じ詰めたものである。過去と云う しき物を える が ずと裂けて 中の を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが しまに戻って古代の一片が現代に い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。この倫敦塔を
の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく め入った。冬の初めとはいいながら物静かな日である。空は を き ぜたような色をして低く塔の上に垂れ懸っている。壁土を し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず に動いているかと思わるる。 が一 塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつまでも同じ所に っているようである。 の大きいのが二 って来る。ただ一人の が に立って を ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の のあたりには白き影がちらちらする、 であろう。見渡したところすべての物が静かである。 げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然と二十世紀を するように立っているのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、いやしくも歴史の有らん限りは我のみはかくてあるべしと云わぬばかりに立っている。その偉大なるには今さらのように驚かれた。この建築を俗に塔と えているが塔と云うは単に名前のみで実は の から成り立つ大きな である。並び ゆる櫓には丸きもの りたるものいろいろの形状はあるが、いずれも陰気な灰色をして前世紀の を に伝えんと誓えるごとく見える。 の を石で造って二三十並べてそうしてそれを で いたらあるいはこの「塔」に似たものは出来上りはしまいかと考えた。余はまだ めている。セピヤ色の水分をもって したる空気の中にぼんやり立って眺めている。二十世紀の倫敦がわが心の から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が のごとき過去の歴史を吾が に き出して来る。朝起きて る渋茶に立つ煙りの らぬ夢の尾を くように感ぜらるる。しばらくすると向う岸から長い手を出して余を るかと しまれて来た。今まで して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余はたちまち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐいぐい く。塔橋を渡ってからは に塔門まで せ着けた。見る に三万坪に余る過去の は に するこの を吸収しおわった。門を って振り返ったとき、の国に行かんとするものはこの門を れ。
永劫の
に わんとするものはこの門をくぐれ。迷惑の人と
せんとするものはこの門をくぐれ。正義は高き
を動かし、 は、 は、 は、われを作る。我が前に
なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。この門を過ぎんとするものはいっさいの
を捨てよ。という句がどこぞで
んではないかと思った。余はこの時すでに を っている。にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは の で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に している。その中間を ねている建物の下を って へ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に が つ。 の 、 の が野を う秋の のごとく見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、 を歩む の を見て、 れ出ずる囚人の、 しまに落す の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心 れる市民の、君の 非なりとて のごとく塔下に押し寄せて めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。 る時は祖を殺しても鳴らし、 る時は仏を殺しても鳴らした。 の 、雪の 、雨の日、風の夜を何べんとなく鳴らした鐘は今いずこへ行ったものやら、余が をあげて に りたる を見上げたときは としてすでに百年の響を収めている。
また少し行くと右手に
がある。門の上には タマス塔が えている。逆賊門とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼らが舟を捨ててひとたびこの門を通過するやいなや の太陽は再び彼らを照らさなかった。テームスは彼らにとっての の川でこの門は に通ずる入口であった。彼らは涙の に揺られてこの のごとく薄暗きアーチの下まで ぎつけられる。口を けて を吸う の待ち構えている所まで来るやいなやキーと る音と共に の扉は彼らと浮世の光りとを えに てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の となる。 食われるか 食われるかあるいはまた十年の に食われるか鬼よりほかに知るものはない。この門に につく舟の中に坐している罪人の途中の心はどんなであったろう。 がしわる時、 が に たる時、 ぐ人の手の動く時ごとに吾が命を刻まるるように思ったであろう。白き を胸まで垂れて やかに黒の を える人がよろめきながら舟から上る。これは大僧正クランマーである。青き を に り空色の絹の下に り をつけた立派な男はワイアットであろう。これは もなく から飛び る。はなやかな鳥の毛を帽に して 作りの の に左の手を け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、 げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を いて、向う側には石段を洗う波の光の見えはせぬかと首を延ばした。水はない。逆賊門とテームス河とは堤防工事の 以来全く縁がなくなった。 の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は しの りにその を洗う の音を聞く りを失った。ただ向う側に存する の壁上に なる が がっているのみだ。昔しは舟の をこの に いだという。りへ折れて血塔の門に入る。今は昔し の に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草のごとく人を ぎ、 のごとく人を し、 のごとく を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。アーチの下に交番のような箱があって、その らに の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立っている。すこぶる な顔をしているが、早く当番を済まして、例の で一杯傾けて、 にからかって遊びたいという人相である。塔の壁は不規則な石を畳み上げて厚く造ってあるから表面は決して ではない。所々に がからんでいる。高い所に窓が見える。建物の大きいせいか下から見るとはなはだ小さい。鉄の がはまっているようだ。番兵が石像のごとく突立ちながら腹の中で情婦とふざけている らに、余は を め手をかざしてこの高窓を見上げて ずむ。格子を れて古代の に かなる日影がさし込んできらきらと反射する。やがて煙のごとき幕が いて空想の舞台がありありと見える。窓の は厚き が垂れて昼もほの暗い。窓に対する壁は も塗らぬ の石で隣りの室とは の日に至るまで動かぬ りが設けられている。ただその の六畳ばかりの場所は えぬ色のタペストリで われている。 は 、模様は薄き で、裸体の の像と、像の周囲に一面に染め抜いた である。 の横には、大きな が わる。 の も れと深く刻みつけたる と、葡萄の と葡萄の葉が手足の るる場所だけ光りを射返す。この の に の が見えて来た。一人は十三四、一人は くらいと思われる。幼なき方は に腰をかけて、寝台の柱に ば身を たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の を、傾けたる顔と共に前に出して なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に にて飾れる大きな書物を げて、そのあけてある の上に右の手を置く。 を んで かにしたるごとく美しい手である。二人とも の翼を くほどの黒き を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては から の末に至るまで 共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。
兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。
「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を
い見る人こそ あれ。日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るる……」弟は世に憐れなる声にて「アーメン」と云う。折から遠くより吹く
しの高き塔を がして びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪のごとく白い の一部がほかと れ る。兄はまた読み初める。「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば
ありと頼むな。覚悟をこそ べ。見苦しき死に ぞ恥の極みなる……」弟また「アーメン」と云う。その声は
えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の へ歩みよりて の を見ようとする。窓が高くて が足りぬ。 を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ の奥にぼんやりと冬の日が写る。 れる犬の にて染め抜いたようである。兄は「 もまたこうして暮れるのか」と弟を みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が り のようにつぶやく。弟は「 に いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て として立っている。 は青白く れてはいるが、どことなく品格のよい い婦人である。やがて のきしる音がしてぎいと扉が くと内から一人の男が出て来て しく婦人の前に礼をする。
「逢う事を許されてか」と女が問う。
「
」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの なればぜひなしと めたまえ。 の 売るは安き の事にてあれど」と急に口を みてあたりを見渡す。 の内からかいつぶりがひょいと浮き上る。女は
に懸けたる の を解いて男に与えて「ただ の を 見んとの願なり。 の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う。男は鎖りを指の先に巻きつけて思案の
である。かいつぶりはふいと沈む。ややありていう「 りは牢の を破りがたし。 らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう。心安く して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて と鳴る。「いかにしても逢う事は
わずや」と女が ねる。「御気の毒なれど」と
が云い放つ。「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。
舞台がまた変る。
の高い の影が一つ中庭の隅にあらわれる。 寒き石壁の からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から いて出る。 の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日ほど の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事 めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「 める時、花のような がぴりぴりと うた」「 き通るような に紫色の筋が出た」「あの った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。
空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら
と手を組んで散歩する時を夢みている。血塔の下を抜けて
へ出ると奇麗な広場がある。その が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中のもっとも古きもので しの天主である。 二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に が えて所々にはノーマン時代の さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に をせまったのはこの塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立って彼が天下に向って譲位を宣告したのはこの塔中である。その時譲りを受けたるヘンリーは って十字を額と胸に画して云う「父と子と聖霊の名によって、我れヘンリーはこの大英国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の を りて ぎ受く」と。さて先王の運命は も知る者がなかった。その死骸がポント・フラクト城より移されて ポール寺に着した時、二万の群集は彼の を ってその せる に驚かされた。あるいは云う、八人の がリチャードを取り巻いた時彼は一人の手より を奪いて一人を り二人を倒した。されどもエクストンが背後より せる一撃のためについに を んで死なれたと。ある者は天を いで云う「あらずあらず。リチャードは をして らと、命の根をたたれたのじゃ」と。いずれにしてもありがたくない。帝王の歴史は悲惨の歴史である。階下の一室は昔しオルター・ロリーが
の際 の を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を で結んだ右足を りの上へ乗せて ペンの を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えているところを想像して見た。しかしその部屋は見る事が出来なかった。南側から入って
の階段を るとここに有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴか光っている。日本におったとき歴史や小説で御目にかかるだけでいっこう要領を得なかったものが一々明瞭になるのははなはだ嬉しい。しかし嬉しいのは一時の事で今ではまるで忘れてしまったからやはり同じ事だ。ただなお記憶に残っているのが である。その でも実に立派だと思ったのはたしかヘンリー六世の着用したものと覚えている。全体が鋼鉄製で所々に がある。もっとも驚くのはその偉大な事である。かかる甲冑を着けたものは少なくとも身の 七尺くらいの大男でなくてはならぬ。余が感服してこの甲冑を めているとコトリコトリと足音がして余の へ歩いて来るものがある。振り向いて見るとビーフ・イーターである。ビーフ・イーターと云うと始終 でも食っている人のように思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。 を したような帽子を って美術学校の生徒のような服を うている。太い の先を って腰のところを帯でしめている。服にも模様がある。模様は の着る についているようなすこぶる単純の直線を並べて に組み合わしたものに過ぎぬ。彼は時として をさえ える事がある。穂の短かい の に毛の下がった にでも出そうな槍をもつ。そのビーフ・イーターの一人が余の ろに止まった。彼はあまり の高くない、 り の の多いビーフ・イーターであった。「あなたは日本人ではありませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英国人と話をしている気がしない。彼が三四百年の昔からちょっと顔を出したかまたは余が急に三四百年の えを いたような感じがする。余は して くうなずく。こちらへ来たまえと云うから いて行く。彼は指をもって日本製の古き を指して、見たかと云わぬばかりの眼つきをする。余はまただまってうなずく。これは よりチャーレス二世に になったものだとビーフ・イーターが説明をしてくれる。余は三たびうなずく。白塔を出てボーシャン塔に行く。途中に
の大砲が並べてある。その前の所が少しばかり に い込んで、鎖の一部に札が がっている。見ると の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐しきこの場所へただ えらるるためであった。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには に写らぬ先に、白き の がひらりと三尺の を切る。流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。烏が 下りている。 をすくめて黒い をとがらせて人を見る。百年 の が って の姿となって長くこの不吉な地を守るような心地がする。吹く風に の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくる。どこから来たか分らぬ。 に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を めている。 の鼻と、 を いたようにうるわしい目と、真白な を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「 が、鴉が」と珍らしそうに云う。それから「鴉が むそうだから、 をやりたい」とねだる。女は静かに「あの鴉は何にもたべたがっていやしません」と云う。小供は「なぜ」と聞く。女は長い の奥に うているような眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽います」といったぎり小供の問には答えない。何か りで考えているかと思わるるくらい している。余はこの女とこの鴉の間に何か不思議の でもありはせぬかと疑った。彼は鴉の気分をわが事のごとくに云い、三羽しか見えぬ鴉を五羽いると断言する。あやしき女を見捨てて余は独りボーシャン塔に る。倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は
の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の にかかるこの三層塔の一階室に るものはその入るの瞬間において、百代の を結晶したる無数の を周囲の壁上に認むるであろう。すべての 、すべての 、すべての と みとはこの 、この憤、この憂と悲の極端より生ずる と共に九十一種の題辞となって今になお る者の心を寒からしめている。冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と とを天地の間に みつけたる人は、過去という底なし穴に葬られて、空しき のみいつまでも の光りを見る。彼らは強いて らを するにあらずやと怪しまれる。世に というがある。白というて黒を意味し、 と えて大を思わしむ。すべての反語のうち ら知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい。 と云い、紀念碑といい、 と云い、 と云いこれらが存在する限りは、 しき物質に、ありし世を ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを ましむる の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて の身を る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ は も建ててもらうまい。肉は焼き骨は にして西風の強く吹く日大空に向って き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。題辞の書体は
より一様でない。あるものは に任せて な を用い、あるものは心急ぎてか し れかがりがりと壁を いて り きに彫りつけてある。またあるものは自家の紋章を み込んでその中に な文字をとどめ、あるいは の形を いてその内部に読み難き句を残している。書体の なるように言語もまた決して一様でない。英語はもちろんの事、 も もある。左り側に「我が望は にあり」と刻されたのはパスリユという の句だ。このパスリユは千五百三十七年に首を られた。その に JOHAN DECKER と云う署名がある。デッカーとは何者だか分らない。階段を って行くと戸の入口に T. C. というのがある。これも だけで誰やら がつかぬ。それから少し離れて大変綿密なのがある。まず右の に十字架を描いて心臓を飾りつけ、その脇に と紋章を彫り込んである。少し行くと の中に のような句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ。時も けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「すべての人を べ。 をいつくしめ。神を恐れよ。王を え」とある。こんなものを書く人の心の
はどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える は目に見えぬ縄で られて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに した人々は皆この死よりも い苦痛を めたのである。忍ばるる限り えらるる限りはこの苦痛と戦った末、いても ってもたまらなくなった時、始めて の や鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の に不平を らし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は、 、 、その他すべて自然の許す限りの 手段を尽したる なお く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとは云わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは
以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前に えておった。いかにせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼らの に起る疑問であった。ひとたびこの に るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に しかない。彼らは遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今に る大真理は彼らに えて生きよと云う、 くまでも生きよと云う。彼らはやむをえず彼らの爪を いだ。 がれる爪の先をもって堅き壁の上に一と書いた。一をかける も真理は えのごとく生きよと く、飽くまでも生きよと囁く。彼らは がれたる爪の ゆるを待って再び二とかいた。 の に肉飛び骨 ける を予期した彼らは冷やかなる壁の上にただ一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る の は を欲する の である。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に の毛穴から身の内に吹き込むような感じがして覚えずぞっとした。そう思って見ると何だか壁が っぽい。指先で でて見るとぬらりと露にすべる。指先を見ると だ。壁の隅からぽたりぽたりと露の が垂れる。 の上を見るとその りの が鮮やかな いの紋を不規則に ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思う。壁の奥の方から り声さえ聞える。唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜を るる い歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が いる。鬼の国から吹き上げる風が石の壁の れ を通って やかなカンテラを るからたださえ暗い の天井も も の で いて動いているように見える。 かに聞えた歌の音は にいる一人の声に相違ない。歌の は腕を高くまくって、大きな を の にかけて一生懸命に いでいる。その には一 の斧が げ出してあるが、風の具合でその白い がぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組をしたまま立って の るのを見ている。 の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、 り役も だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の が答える。これは背の低い眼の んだ の男である。「 は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが の骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤を ばす、シュシュシュと鳴る から火花がピチピチと出る。磨ぎ手は声を張り げて歌い出す。切れぬはずだよ女の
は恋の みで刃が折れる。シュシュシュと鳴る音のほかには聴えるものもない。カンテラの光りが風に
られて磨ぎ手の右の頬を る。 の上に朱を流したようだ。「あすは誰の番かな」とややありて髯が質問する。「あすは例の の番さ」と平気に答える。生える
を が染める、骨を斬られりゃ血が染める。と
に歌う。シュシュシュと が わる、ピチピチと火花が出る。「アハハハもう かろう」と斧を振り して に を見る。「 ぎりか、ほかに誰もいないか」と髯がまた問をかける。「それから例のがやられる」「気の毒な、もうやるか、 にのう」といえば、「気の毒じゃが仕方がないわ」と真黒な天井を見て く。たちまち
も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシャン塔の に と んでいる。ふと気がついて見ると に に をやりたいと云った男の子が立っている。例の怪しい女ももとのごとくついている。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いたように云う。女は例のごとく過去の と云うべきほどの とした で「犬ではありません。左りが熊、右が でこれはダッドレー の紋章です」と答える。実のところ余も犬か豚だと思っていたのであるから、今この女の説明を聞いてますます不思議な女だと思う。そう云えば今ダッドレーと云ったときその言葉の内に何となく力が って、あたかも れの家名でも ったごとくに感ぜらるる。余は息を らして を注視する。女はなお説明をつづける。「この紋章を んだ人はジョン・ダッドレーです」あたかもジョンは自分の兄弟のごとき語調である。「ジョンには四人の兄弟があって、その兄弟が、熊と獅子の に刻みつけられてある草花でちゃんと分ります」見るとなるほど りの花だか葉だかが油絵の のように熊と獅子を取り巻いて ってある。「ここにあるのは Acorns でこれは Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に が いてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです。左りの上に っているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると のような が電気でも けたかと思われるまでにぶるぶると えている。 が に向ったときの舌の先のごとくだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞を らかに した。Yow that the beasts do wel behold and se,
May deme with ease wherefore here made they be
Withe borders wherein ……………………………………
4 brothers' names who list to serche the grovnd.
女はこの句を生れてから
まで毎日日課として したように一種の口調をもって し った。実を云うと壁にある字ははなはだ い。余のごときものは首を っても一字も読めそうにない。余はますますこの女を怪しく思う。気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。
のある角を出ると に書き られた、模様だか文字だか分らない中に、正しき で、 く「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を がぬ者はあるまい。ジェーンは と の野心のために十八年の を罪なくして もなく刑場に売った。 み られたる の より消え難き の遠く立ちて、今に至るまで史を く者をゆかしがらせる。 を解しプレートーを読んで一代の アスカムをして舌を かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を するの好材料として の にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。始は両方の眼が
んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の には男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、 たくまにズッと近づいて余から五六間先ではたと る。男は前に穴倉の で歌をうたっていた、眼の んだ をした、 の低い奴だ。 ぎすました を に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き で目隠しをして両の手で首を せる台を探すような に見える。首を載せる台は日本の ぐらいの大きさで前に鉄の が着いている。台の に が散らしてあるのは流れる血を防ぐ と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる の髪を時々雲のように らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、 の形、細き 、なよやかなる の りに まで、 見た女そのままである。思わず け寄ろうとしたが足が んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。 男の子にダッドレーの紋章を説明した時と わぬ。やがて首を少し傾けて「わが ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を り越した りの髪が くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ との道に入りたもう心はなきか」と問う。女 として「まこととは吾と吾 の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、 ならば うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の んだ、 の、背の低い首斬り役が重た に斧をエイと取り直す。余の の膝に二三点の血が しると思ったら、すべての光景が と消え せた。あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に
かされたような顔をして と塔を出る。帰り道にまた の下を通ったら高い窓からガイフォークスが のような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。塔橋を渡って ろを みたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。 を針の目からこぼすような細かいのが満都の と を かして と天地を す に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人が
が五羽いたでしょうと云う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心 に驚ろくと主人は笑いながら「あれは奉納の鴉です。昔しからあすこに飼っているので、一羽でも数が不足すると、すぐあとをこしらえます、それだからあの鴉はいつでも五羽に限っています」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔を見たその日のうちに ち わされてしまった。余はまた主人に壁の題辞の事を話すと、主人は に「ええあの ですか、つまらない事をしたもんで、せっかく奇麗な所を台なしにしてしまいましたねえ、なに の落書だなんて になったもんじゃありません、 もだいぶありまさあね」と ましたものである。余は最後に美しい婦人に った事とその婦人が我々の知らない事やとうてい読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大に した で「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、そのくらいの事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何すこぶる だって?――倫敦にゃだいぶ別嬪がいますよ、少し気をつけないと ですぜ」ととんだ所へ火の手が る。これで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である。それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事にきめた。
この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ
想像的の であるから、見る人はその心で読まれん事を希望する、塔の歴史に関して時々戯曲的に面白そうな事柄を んで り込んで見たが、 く行かんので所々不自然の が見えるのはやむをえない。そのうちエリザベス(エドワード四世の妃)が幽閉中の二王子に逢いに来る場と、二王子を殺した の の場は の歴史劇リチャード三世のうちにもある。沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるる場を写すには を用い、王子を する模様をあらわすには を使って、刺客の語を り裏面からその様子を している。かつてこの劇を読んだとき、そこを に面白く感じた事があるから、今その趣向をそのまま用いて見た。しかし対話の内容周囲の光景等は無論余の空想から したもので沙翁とは何らの関係もない。それから の歌をうたって を ぐところについて しておくが、この趣向は全くエーンズウォースの「 」と云う小説から来たもので、余はこれに対して の創意をも要求する権利はない。エーンズウォースには の刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出来事のように叙してある。余がこの書を読んだとき断頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役が いでいる景色などはわずかに一二頁に足らぬところではあるが非常に面白いと感じた。のみならず磨ぎながら乱暴な歌を平気でうたっていると云う事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるに るほどの戯曲的出来事だと深く興味を覚えたので、今その趣向そのままを したのである。 し歌の意味も文句も、二吏の対話も、 の光景もいっさい趣向以外の事は余の空想から成ったものである。ついでだからエーンズウォースが獄門役に歌わせた歌を紹介して置く。The axe was sharp, and heavy as lead,
As it touched the neck, off went the head!
Whir―whir―whir―whir!
Queen Anne laid her white throat upon the block,
Quietly waiting the fatal shock;
The axe it severed it right in twain,
And so quick―so true―that she felt no pain.
Whir―whir―whir―whir!
Salisbury's countess, she would not die
As a proud dame should―decorously.
Lifting my axe, I split her skull,
And the edge since then has been notched and dull.
Whir―whir―whir―whir!
Queen Catherine Howard gave me a fee, ―
A chain of gold―to die easily:
And her costly present she did not rue,
For I touched her head, and away it flew!
Whir―whir―whir―whir!
この全章を訳そうと思ったがとうてい思うように行かないし、かつ余り長過ぎる恐れがあるからやめにした。
二王子幽閉の場と、ジェーン所刑の場については有名なるドラロッシの絵画がすくなからず余の想像を助けている事を
していささか感謝の意を表する。舟より
る囚人のうちワイアットとあるは有名なる詩人の子にてジェーンのため兵を げたる人、父子 なる故 れ いから記して置く。塔中四辺の風致景物を今少し精細に写す方が読者に塔その物を紹介してその地を踏ましむる思いを自然に引き起させる上において必要な条件とは気がついているが、何分かかる文を草する目的で遊覧した訳ではないし、かつ年月が経過しているから判然たる景色がどうしても眼の前にあらわれにくい。したがってややともすると主観的の句が
して、ある時は読者に不愉快な感じを与えはせぬかと思うところもあるが右の次第だから仕方がない。(三十七年十二月二十日)