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作者:菅原文時

提供:Wikisource
作者索引: す 菅原文時
(昌泰2(899)- 天元4(981))
菅原 文時(すがわら の ふみとき)は、平安時代中期の文人・政治家。右大臣・菅原道真の孫で、大学頭・菅原高視の次男。官位は従三位・式部大輔。菅三品と称される。文章博士から内記・右中弁・式部大輔などを歴任。十余年の内記の時代に諸国に祭られている神祇名号について訛りや位階の誤りを正すなどの業績がある。弁官に任じられてからは、詔命に従い『叙位略例』と目録の撰纂、『撰国史所』などの仕事に携わる。957年(天徳元年)村上天皇が諸臣に政治に関し意見を求めた際、『意見封事三箇条』を提出した。『本朝文粋』のほか『扶桑集』『和漢朗詠集』に作品が残されている。また、歌人として『拾遺和歌集』に1首が入首している。— ウィキペディア日本語版菅原文時」より。
菅原文時

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