作者:欧陽炯
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←作者索引: お | 欧陽炯 (896年(乾寧3年) - 971年(開宝4年)) |
欧陽 炯(おうよう けい)は、字不詳。諱の「炯」は、「烱」・「迥」とも書く。益州華陽(四川)の人。中国五代十国時代に前蜀および後蜀に仕えた。前蜀の後主王衍に仕えて中書舎人となる。前蜀が後唐に滅ぼされ、後唐に降る王衍に付き従って洛陽に赴くが、孟知祥が後蜀を建てると、再び蜀に入って仕官した。後蜀の後主孟昶の広政3年(940年)に『花間集』の序を書いた。広政12年(949年)に翰林学士となり、同24年(961年)に門下侍郎兼戸部尚書同平章事(宰相)となる。広政20年(965年)、後蜀が宋に滅ぼされると、宋に降り、宋に仕えて右散騎常侍から翰林学士を歴て左散騎常侍となり、開宝4年(971年)、76歳で没した。 |
作品
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