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中岡慎太郎全集/論策四 時勢論

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ひそかニ古今宇内ノ盛衰得失ヲ察スルニ、一治一乱ハ勢ノ止ヲ不得者也。一張一弛ハ治国ノ要務也。非常ノ難ヲクモノハ、常道ヲ以テ処スベカラズ、非常ノ行ヲ為スモノハ、常眼ヲ以テ見ルベカラズ。そもそも和漢古今及、西洋各国其国政ノ張ルヤ、必大英断ヲ施シ、大危難ヲ経、一朝其旧弊ヲ除キ、始テ其軍備政教一新ヲ見ルベク、国体こゝニ於テヤ立ツ。未ダ周旋ト議論トニ終始シテ国ヲ興シ、難ヲ釈ク者ヲ聞カザル也。近世往々議論周旋スルモノ有リ。其言ニ曰、皇国一和以テ政教ヲ立ル也。武備充実以テ国威ヲ張ル也。信義ヲ以テ外国ニ接スル也ト。議論いよいよ密ニ周旋甚ダ極リ、而テ未ダ其実効ヲ見ザル也。何トナレバ、是其実言フ可クシテ不行ノ理アリ。抑モ癸丑以来、
皇国一和、武備充実、紛々説アリ。始メ三港条約ノ成リシ時、久坂玄瑞ナルモノ回瀾条議ヲ著ス。其説ニ曰ク、今已ニ三港条約ノ成リシ上ハ、広ク有志ノ士ヲ海外ニ遣シ、西洋諸学諸芸及工商ノ術ヲ学バシメ国体制度ヲ一新シ、大ニ海陸ノ軍備ヲ張ルベシ。如此ナラザレバ以テ外侮ヲ絶ニ足ラズト。爾後幕政益々妄乱、諸藩日々因循、曽テ其実効ヲ見ザルニ至ル。茲ニ於テ始テ其言ノ空論施スベカラザルヲ知リ、壬戌ノ年ニ至リ、玄瑞又、解腕痴言ヲ著ス。其説ニ曰ク、今日
天朝勅諭確々ほうぜざるべからずト。断然攘夷ノ説ヲ決シ曰、いやしくモ吾輩節義ヲ以テ天下ヲ動力シ、一死ヲ以テ
皇恩ニ報ヒ、一朝不測ノ難ヲ神州ニ引受、百戦ノ危難ヲ経、豪傑其間ニ興ルニ非レバ、何ヲ以テ土崩どほうノ患ヲ防グニ足ラント。高杉東行亦曰、今日西洋事情ヲ説キ、彼レヲ知ルヲ以テ自ラ負フ者、わづかニ西洋ノ一端ヲ知テ、曽テ古今盛衰ノ機ノ由ル所ヲ知ラズ、当時彼レノ盛ナル大ニ其もと之。若今日、彼レノ盛ナルヲ学バント欲セバ、英仏等ノ未ダ盛ナラザル時、内戦度度有シ事、又、魯西亜百戦危難ノ中ヨリ起リシ事ナド勘酌しんしやくシテ手本トスベシ。若シ我邦今日ノ弊勢ヲ以、彼レノ盛強文明已ニ治リタルヲ坐シナガラニシテ学バント云ハ大間チガイノ極也。故曰、宜シク奇変、英達、実行ヲ以テ天下ヲ一新スベシト。嗚呼、二士已ニ去ル。また二士ニ向テ今日ノ事ヲ議スルコト能ハズ。雖然幸ニ其言行ニ依テ、聊今日ノ治論ヲ助ルニ足ル。今其ノ一二ヲ証セン。壬戌ノ年、薩州ノ壮士英夷ヲ生麦村ニ斬ス。英軍乃チ鹿児島ニ迫ル。時評多ク曰、薩藩大ナリト雖ドモ英国ノカヲ以テ攻ルニ至テハ、決テ支フベカラズト。然ニ此ノ一戦ニ由テ士気一致、俗論漸クシ、因循固陋ノ弊大ニ破レ、所謂いはゆる攘夷家ナル者ヲ先トシテ航海練兵等ノ実用ヲ主長ママスルニ至リ、一藩ノ国是定リタリ。又長州ニテハ、屡夷船ヲ暴撃シ、甲子京師ニ敗軍シ、続テ馬関ノ大敗アリ。又追討ノ兵ヲ四境ニ受ル。此時人皆思ヘラク長州万々支フルコト不能ト。豈計あにはからンヤ、長州ハ一国ノ政事ヲ改革シ、兵制ヲ一新シ、士気大ニ奮フコト、全ク此ノ大危難ニ由テ也。凡、事ママノ間成敗ノ機常眼ヲ以テ見ルベキ難シ。夫、世間因循傍観区々トシテ、只人ノ失策ヲ求メ笑ヒ、坐シテ天下ノ機会ヲ失シ甘ジテ人ノ後ニ落ツ。如此碌々愚弱ノ徒、固リ論ズルニ不足。其他世ニ所謂有名ナルモノニ至テハ右ノ理ヲ知リ、勢ヲ弁ズト雖ドモ、未ダ其効ナキハ何ゾヤ。是亦恐クハ成敗ノ間ニ疑惑シ、事ニ望ンデ断ズルコト不能、未ダ因循苟且いんじゆんこうしよヲ脱セザルモノ也。古人曰、断大事者、先忘成敗ト。此レ実ニ不易ノ確言也。事機ノ得失、前証ノ如ク、敗もとヨリ不憂アリ。勝却テ可恐アリ。若シ真ニ此機ヲシリ着眼一定、百敗たゆマザル時ハ、天下万事成ラザル希ナリ。然ルニ国ニ大義アリ、公道アリ。戦ナルモノ求テ不得。只管ひたすら大義ヲ踏ミ公道ヲ行ヒ、一歩モ退カザレバ不已ノ機決、必ズ眼前ニ至ラン。此レ前件勢ヲ論ゼザルヲ不得処也。
誠ニ我神州危急存亡今日至テ極レリ。苟モ其国民タル者、豈傍観スベケンヤ。誠ニ古人言フ処ノ如ク、むらアル者ハ邑ヲなげうチ、家財アル者ハ家財ヲ擲チ、勇有ル者ハ勇ヲ振ヒ、智謀アル者ハ智謀ヲ尽シ、一技一芸アル者ハ其技芸ヲ尽シ、ママ明正大、各々一死ヲ以テ至誠ヲ尽シ、然ル後チ政教立ツ可キ也。武備充実スベキ也。
信義外国ニ及ブ可キ也。苟モ能ク此如クナラバ豈、皇運挽回セザルアランヤ。豈外蕃ヲ制スルノ術ナカランヤ。又吾輩豈君ヲシテ楠公タラシムルコト能ハザランヤ。満腹ノ憂念いささか書シテ君子ノ正論ヲ待ツト云爾いふのみ

丁卯夏日

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