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中岡慎太郎全集/論策三 愚論窃カニ知己ノ人ニ示ス

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愚論窃カニ知己ノ人ニ示ス
一、非常ノ難ヲ救フ者ハ、非常ノ行ナクンバ有ル可カラズ。方今天下内外多難、加フルニ天災飢饉ノ患有リ。此ひそかニ聞ク、御両君公深ク当世ノ事ヲ御憂慮あそばされ、御節儉等被仰出、御仁政ノ思召ト某こゝニ於テ感憤激励自止ム能ハズ、いさゝカ愚論ヲ書シ時務ヲ論ズ。
右ノ如ク多難窮迫ノ今日ニ至テハ、是非上下一致、国民安堵ノ御仁政ニ非レバ不相成。是迄ノ治世政事ハ、上下隔絶シテモ、下情塞ガリテモカマワズ、将軍家ハ諸侯方ヲ推シツケ、私意ヲ以テ天下ヲ制馭せいぎよシ、諸侯方ノ其下ヲ馭スルモ亦然リ。是ニ由テ天下ノ士民、威ヲ恐レ福ヲ求メ、争フテ諂諛鄙劣てんゆひれつノ風俗ニ落入リ、習フテ常トナレリ。乍去其間正義塞滞そくたいシ、時有ツテあらはル。故ニ賢明其間ニ出デ、其隔絶ヲ近ケ、其塞滞ヲ開キ、其塞情ヲ通ジ、一朝徳ヲ以テ愛撫セラレン時ハ、忽チ其領民之ヲ仰グコト父母ノ如ク、只領民ノミナラズ、天下亦然リ。其徳ノ流行スルニ至ツテハ誰カ能ク之ヲふせガンヤ。
養徳院様奉始、水戸薩摩ノ先公等、是レ其ノ人也。然ニ其みぎりハ治安ノ時ニ有リシカドモ、方今干戈かんくわ争闘ノ際ニ至ツテ、之ヲ行フハ長州是レ也。
外国ニテハ今ノ英仏諸国能ク之ヲ行フ。故ニ彼レノ第一可恐処ハ、道也。将也。法也。勝麟太郎兵学小述ニ曰ク、丘ノ強弱ハ大道ノ明、不明ニかゝル。敢テ練兵、機器ニ非ルナリ。規則器械ノ如キハ其人ニ在ツテ役立ツ、其人ナケレバ、其規則、機械悉ク死物トナル。活用ニ適セズト。是勝氏一人ノ言ニ非ラズ。千古ノ確論ナリ。もし国ニ道アリ、人才アリ、法令好ケレバ、風俗自然ニ美ニ、士気真ニ強ク、前ニ所謂いはゆる諂諛鄙劣、恐怖虚偽ノ弊自ラ改リ可申也。殊ニ方今ニ至ツテハ宇内ニ公法アリ、公論アリ。之ヲ以テ国ノ強弱存亡ヲ計ル勢トナレバ、最モ深ク心ヲ留ムベキコト也。
一、乍恐、御隠居(山内容堂)様ニハ、万端御謀主ニ被在候ヘバ、大守様(山内豊範)ニハ御政務ハ申ニ及バズ、陸軍兵 御躬御総督ノ任ヲ真ニ御担当被遊、時々近海御運用、発砲御試ミ、陸軍練兵場等ヘハ、日々御出馬被遊、時々隊長トモ司令トモ御成リ被遊候様有之候時ハ、忽チニ実用精兵ト為ルコト疑無之、右ノ如クセザレバ中々おこなはれざる事必然ナリ。
一、御上ニ右之通被遊候テモ、国中一統之事ニ付、是非 公子様方御家老中初メ、其趣意ヲ奉行シ書生同様ノ御心持ニテ、御国中ヱおし及ボシ候様有之度事也。
一、海軍之事。
此儀ハ別テ不案内ナレドモ、窃ニ思フニ大ニ開カントスレバ、其船ヲ養仕法肝要ナルガ故ニ、大坂辺ノ豪商ト結ビ、洋商公会ノ法ニ習ヒ、商会ヲ結ビ、下ノ関、大坂、長崎、上海、香港等ヘ其局内ノ者ヲ出シ、大ニ国財ヲ養ヒタラバ、海軍ノ助ニナルベシ。
其余ノ事ハ思案無之。
一、糧食ノ乏シキハ官ノ罪ナリ、器械不利ハ官ノ罪ナリ。隊長役々其任ニ堪ヘザレバ、亦是官ノ罪ナリ。
今天下長州ヲ強兵ト云。然レドモ其風土人気ヲ見レバ、実ニ弱ナリ。其之ヲ強トシ恐ルヽハ食足リ器械利、隊長役々其任ニ当レルニ由テ也。畢竟ハ野ニ遺賢ナク、政堂人有ルニ由リ、第一ハ侯ヲ以テ行フニ基ク。西郷吉之助ノ話ニ、今会津ヲ強ト云フ人アレドモ、我少シモ恐ロシカラズ、何トナレバ謀主人物ナキ故也。長州ニ至ツテハ実ニ恐ル可シ。謀主ニ豪物アリ、故ニ事々非常ニ出ルト云フ。然レバ糧食、器械ノ本モ亦人材ニ在ル乎。
一、凡ソ各藩軍ヲ境外ニ出シテ事ヲ為スニハ、其国現兵三分ノ一ヲ出スト云コトアリ。然ルニ其国ノ地形ニ因ル事ニテ、御国(土佐)ノ如キハ、陸地皆嶮山ニテ、士勇ヲ以テ守ルニ足ル、真ニ割拠ノ地。故ニ陸路ノ恐レ甚ダ少ク、南面百里ノ海岸有リト雖ドモ前ニ島嶼ナク、風浪極メテはげしく、繋船ノ場モ少ナク、故ニ海軍亦自由ニ寄ルコトナシ。故ニ出軍ノ時ハ、現兵三分ノ二ヲ出シ、其一ヲ留メテ可ナリ。故ニ兵ヲ置クニモ其考ニテ、務メテ少数ニテ精兵ナルコト肝要ナラン。
一、総テ御国中一円銃砲隊ニ成シ、御馬廻以下、家来又者またもの等ニ至ル迄、皆一様ノ兵ママニナシ、何番隊何ノ某ト唱ヘ、兵ニ入ル者ハ皆苗字帯刀草履御免ごめん仰付おほせつけられたき事。
一、大砲小銃トモ、世界第一等ノ利器ヲ御求メニ相成リ、願クハ本込隊ニ成リ度シト思フ。大砲御国ニテハ陸軍ニハ不用程ノ事ナリ、出軍ノ砲数ハ四門或ハ八門ニテ十分ノコトナリ。是モ最早ヤ旋条砲本込もとごめ等ニテ非レバ、当時ノ用ニ立タズ。故ニ是迄ノ丸玉銃砲ハ、御国必要ノ分ヲ去ルノ外ハ、悉ク御売払ニ相成、尚又御軍用銃砲丸玉ノ分、向後製造不相成旨、御国中ヘ屹度きつと仰出度、是等尤急々可行コト也。
一、小身下輩ニ至ツテハ、稽古難儀ノ子細モ有之、中ニ迷惑ヨリ不平ヲ生ジ候者多シト聞ク。右ハ尤ノコト也。先ヅ軍局ニ入ル者ハ大抵十六七歳ヨリ三十歳ヲ限リトシ壮士ヲ撰ミ着実ヲ本トシ、其局ニ入リシ人ハ、実ノ戦士ニテ、国家ノ軽重存亡ヲ為ス大兵ナレバ、給料十分遣ハサレ、内職スルヨリ、兵ニ入リシ方ガ、助ケニ成リ、難有ト云様ニ有之度、如此シテ一隊一致、其長ニ服シ、隊中互ニ親ミ運動能ク熟シ、的射能ク当ルヲ以テ精兵トス。何卒軍兵ト名附ク柄ハ、悉ク精兵ニ有之度コト。
一、所謂兵たつとび、不多ノ理ニテ、先ヅ千人ノ兵ハ五百人ニシテ、千人ノ入費ヲ与ヘ、兵粮、弾薬人夫等ニ至迄、必ズ精ニシテ省クニ利有リ。
一、御国中ニ此ノ事ヲ行ハントスレバ、第一有志正義ト唱フル者ガ、嫌フテハ不相成、此有志ガ先ニ立チ、卒伍ニ入リ、御趣意ヲ体シ、時情急迫ニ付、急々兵制ノ実用ヲ行ハネバ、大変ノコト也ト云フコトヲ、国中士民ニ知ラシムベシ。
一、右兵制変革ノ儀ハ、国情六ケ敷むつかしき儀ニ可之、然ニ西洋万国日新ノ今日ニ至テハ、昨年ノ良法モ今日ニハ迂澗ニ属スル程ノコトナルヲ矢張リ旧習ニなづミ、一新ノ出来ヌト云ハ如何ナル心底ゾヤ。外国近時南北米利堅めりけんノ戦ノ様子、又当年普魯西ぷろしやノ勝利、烈戦新器ノ事、又我ニテハ長ノ兵制変革シテ幕軍ヲ破リシコトナド、的然明拠ナリ。横浜新聞紙ニ云、長軍ハ兵制、良器、時務ニ叶ヘル故ニ、実ニ諸大名ノ能ク長州ノ兵ニ当ルコト不能ト、此レママ当ノ評論ナリ。
此度幕府モ亦敗ニ依テ、大ニ兵制変革ノ勇断ヲ行フ。此ノ敗軍ノ恥辱ヲ機会トシ、能ク行ヒ遂ゲタラバ、天下ノ兵ク幕軍ノ制ニ及ブコトナキニ至ラン。是、所謂転禍為福てんくわいふくト云フ可シ。右ノ如慕長トモ、敗ニ因テ互ニ兵制ヲ一新セルヲ見テ、何分敗セネバ兵制ハ改マラヌト云ヘバ、甚間違ノ論ナリ。畢竟因循ト固陋ノ弊ヨリシテ、敗後ニさとルコトト為リシハ、識者ノ冷笑ヲまぬがレズ。
君公ニハ御卓見ニ被在、疾ク 御洞識被遊シコトナルニ、其 御思召ヲ行ヒ遂ゲルコト不能。
因循ニ打過、他日ノ敗ヲ待ント云ハ、実ニ臣子一統罪也。古ハ名君人ノ国ヲ取リ、人ノ民ヲ収メテスラ、思フ分ガ行ハレタルニ、今日三百年恩故ママノ士民ヲ以テ、死生存亡国家ノ大事タルニ、近道ノ良法ガ、至誠ヲ以テ御躬行きゆうかう遊テ行ハレヌト云フコトハ、万々ナキ筈ノコトナリ。願クバ憂国ノ士民、明主ノ英断ヲ助ケ、御仁政ヲ本トシ、一国ヲ以テ天下ノ危難ヲ御助ケ被遊ノ 御思召ト云フコトヲ、国中ニ貫通セシメ、只一国ノミナラズ、天下ノ民、父母ノ如仰ギ奉ル様ニ有度コト也。
一、右ノ如ク兵制ノ事ヲ論ズレバ、只西洋好キニテ、攘夷ノ論ナドハ無キコトト、思フ人モ有ルベケレドモ、此ハ最モ攘夷論ノ実用也。攘夷論左ニ記スハ誰モ知ルコトナレドモ、いささカ有志輩ノ定論ヲ書ス。
一、夫レ攘夷ト云フハ、皇国ノ私言ニ非ズ、其ノ止ムヲ得ザルニ至ツテハ、宇内各国、皆之ヲ行フモノ也。米利堅嘗テ英ノ属国也。時ニ英吉利王利ヲ貪ル日々ニ多ク、米民益々苦ム。因テ華盛頓わしんとんナル者、民の疾苦ヲ訴ヘ税利ヲ減ゼン等ノ数ケ条ヲ乞フ。英王不許、爰ニ於テ華盛頓米地十三邦ノ民ヲひきヒ、英人ヲ拒絶シ、鎖国攘夷ヲ行フ。此ヨリ英米連戦七年、英遂ニ不勝ヲ知リテ和ヲ乞ヒ、米利堅爰ニ於テ英属ヲ免レ独立シ、十三地同盟合衆国ト号シ強国ト成ル。
実ニ今ヲ去ルコト八十年前ナリ。「ゼルマニア」ノ属国タリシモ、亦能国議ヲ定メ、拒絶攘夷ヲ行ヒ、戦争八年、戦フ毎ニ悉ク敗スト雖ドモ、其ノ末ニ至ツテ一戦能ク奇ヲ出シ、大イニ「イスパニア」ノ軍ヲ敗リ、爰ニ於テ「ゼルマニア」遂ニ独立ス。是ニ由テ之ヲ看レバ、西洋諸国ト雖ドモ亦能ク鎖港攘夷ヲ行フ者也。能如此スレバ主客当然、権我ニ在リ、其ノ和戦開鎖ハ、時ノ宜キニ随ヒ、国ノ利害ニ由リ只我ノ好ム所ノマヽ也。
皇国当今ノ和親開港ノ如キハ、幕吏彼ノ兵威ニ怖レ、上
天子ノ勅意ニ違ヒ、義理ノ当否、国ノ利害ヲ計ラズ、一タビ
国体の大恥ヲ宇内ニ示シ、是ヨリ往々彼ノ命ズル所ノマヽニテ、万民殆ド塗炭ニ苦ム。爰ニ於テ天子震怒シ、国体ノ大恥ヲすすギ、万民の塗炭ヲ救ヒ玉ハント、勿体ナクモ罪ヲ
玉体ニ帰シ玉ヒ、伊勢、賀茂、八幡等ノ
神廟ヘ、
御祈誓アリテ、断然攘夷ノ
叡慮ヲ天下ニ被仰出シハ、まことニ難有キコトニテ、一通リノ事ト思フテハ相済あひすまざるコトナリ。爰ニ於テ四方ノ士民、感激悲泣、身ヲ殺シテ皇国ニ報フル、実ニ此時ニ在リト決心シ、之ガ為メニ身命ヲなげうチシ者幾百人ナルヲ知ラズ。然ルニ三百年、治安因循ノ弊甚シク、未ダ其ノ
叡慮ノ貫徹ニ至ラズ、今日ニ至ツテハ邦内益々瓦解ノ勢トナリ、万民益々貧苦、或ハ開港ト云ヒ、或ハ武備充実ト云、議論紛々。然レドモ要スルニ大抵あだヲ忘レ、膝ヲ屈シテ甘ンズルノ徒也。其然ラザル者ハ固陋狭小ノ人也。又武備充実ト云モ、其実多クハ名ノミニテ、癸丑以来十余年来、矢張武備充実ノ名ヲ以テ空シク年月ヲ過シ、六十州ノ内、未ダ因循固陋ノ眠ヲ覚スコト能ハズ、右勿体ナキ叡旨ノコトハ、思ヒ出スモノモ無キコトヽ為リシハ実ニ恐レ多ク、浅間敷あさましき事ナラズヤ。是故ニ万々願クバ、天下ノ士民右
叡慮ノ徹底セズシテ済ヌト云コトヲ、能々感銘シ、たきぎニ座シ、きもムルノ思ヲ為シ、遠クハ
ママ神后
御親征ノ御偉業ヲ慕ヒ、近ク草芥ニ至ツテハ吉田松陰ノ攘夷ノ志ニ由テ海外ニ渡リ、彼ノ長ヲ取ラント企テシコトナドヲ思ヒ、其心ヲ心トシ、上下一致学術ヲ励シ、兵力ヲ養ヒ、早ク攘夷ノ大典ヲ立テ、諸港ノ条約ヲ一新シ、遠海ノ国々迄モ征服シ会稽くわいけいノ恥ヲ雪ガザレバ、死スルトモ止マズト決心スル矣。
丙寅十一月
石川清之助

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