謹白、時下薄暑之処、諸賢台倍々御安佳、御勉可レ被レ成奉レ賀候。僕儀過日細書差出不レ申、失敬相極候段、偏に御宥恕奉レ希候。扨々天下之事実は地ニ落ち候様恐察仕候。此節 朝廷よりは、政令一途ト称し、万事幕府へ御委任ニ相成、内ハ薩之姦臣両高崎、藤井、井上の如き者、親王及大臣大納言等を挟て、陰ニ逆威を施し、而して天下ニ邪心ナキヲ示し悪名を掩ハン為め、暫く三郎本国ニ帰ル。最初少将ニ任ゼラレ未幾なくして中将ニ進ム。私権の行ハルヽ事も是ニて可レ見、又諸藩のネタミヲ恐レテ正邪ニ不レ拘位官ヲ進ム。因備閑叟ニ至る迄也。因ハ固辞ス。願クバ御国も御辞し被レ遊度。
扨両高崎帰国の由申唱へ居候処、加州へ罷越、彼愚藩を説きニ行きシモノト見ヘタリ。昨日加州若殿上京、(過日福健等肥人及高崎佐太郎ト共ニ加州を説くの策、談じ居れり。間を入れて是を知れり、果して如レ言、可レ恐々々)努力シテ、彼方へ引入居申ス様子ニ御座候。乍レ然我方ニモ少々手懸り有レ之、彼策ヲ討ント計ル。雖レ然我ハ死地之論、彼者生地苟安之論、俗情ニ合ふ所ハ極テ彼ヲ説く也、可レ歎事ニ御座候。扨過日宮家向斬姦之事アリ、事雖レ不レ遂、大ニ姦物恐怖ヲ生ジ、中川宮ハ薩人ヲ退ケ、自ラ国事係御辞表ニ及ビ、引退テ参内セズ、近衛モ同様、是ハ薩人、藤井、井上、猶今奥向ニ侍ル。是朝廷ノ毒虫也。儀奏中野宮始、皆々御辞職御引籠リ、正親町大納言ハ御一人不レ退、是ハ極正議也。一昨日ハ有栖川宮様御父子、鷹司前関白之御息子、九条大納言等、国事係被レ蒙候。是ハ叡慮ヨリ出ルト云。此事甚以可レ賀。雖レ然姦賊如何之策アルモ難レ計ニ付、於レ是人事ヲ不レ尽、徒ニ天ニ任セ置候テハ、乍レ恐又々如何様之 叡慮ヲ奉レ悩之事ニ至候も難レ計、左候而ハ、実ニ草莽御互之罪不レ軽ト、唯々苦念ニ堪不レ申、大樹公モ当月七日東帰之訳ニて出足大坂ニ下ル。水(戸)因(州)力を極メて、是れヲ止ムト雖ドモ不レ被レ行、最早出帆ニモ可二相成一ト相察申候。斯ク切迫ニ及ビ候テハ、機会之急、間髪ヲモ不レ入、此天機ヲ失ヒ而ハ、実ニ不二相済一事ニ御座候。依レ之天下同志之士ト相約シ、来六月十日ヲ以て期限トシ、天下之浪士相集、京摂之間ニ伏匿し、団結して報効之忠ヲ致サント、相決し申候。
さりながら甚だ機密之事ニテ河野及水(戸)の山口、因(州)壱人及外両三人と相計リ申候。千屋菊、清半、今以浪華ニ在り、是等上り候はゞ、相謀り、大ニ尽力の含ニ御座候。佶馬儀ハ別策アリ候事故、書面僕ノ白ス処ト、少々相違も可レ有レ之歟ハ存不レ申候得共、僕ノ論決テ虚言ニアラズ。僕実ニ去年来出国仕居候而、今ニ至迄寸功もなく、ヲめ〳〵生ながらへ、又諸君之至ルヲ待、人ノカニ依テ事ヲ成サントスルハ、先達而脱走ノしるし相立不レ申、無二申分一赤面之至ニ御座候。
実は一権道相行可レ申ト相考、清半等ト相謀リ、已ニ心不帰ヲ誓て出門之事も、両度に及び候得共、事不幸ニして遂に不レ成、天下之人ニ対し面目更ニ無二御座一候。セメテハ 天朝へ乱入歎訴シテナリトモ、一身ヲ清メ申さんと、長人四五名相約し候得共、今日の機に鑑み候ては、今一策可レ有レ之ト申ニ相成、只今の策ニ相決し申候。此上勢ノ動キ様ニより右一決も又〻無キニモ限ラズ、乍レ然とても四五名、右ノ策に出候のみニてハ、只今之事決して運び不レ申、是非々々大決断ニ出不レ申てハ不二相成一様奉レ存候。右ニ付独眼龍組ハ出可レ申ニ付、城中及中郡之勢ハ、成丈ケ其土地之豪傑衆より、御引廻シヲ以テ、御打立ニ相成、樋真先生ハ西郡御引卒ニ而急々御上り奉レ願候。着所の儀ハ、過日も申上候得共、猶御聞取奉二願上一候。御国之儀ハ兼而ヨリ三藩ト唱ヘ、勤王藩ノ名望天下ニ流れ居候処、水長素より益々盛にして、天下ヲ以て自ラ任ジ、国力ヲ尽して 王事ニ勤ム、宍戸、宇都宮、壬生之三藩モ決心尽力、因、備、津和野モ亦然り。備ハ君公ヨシ、下に人材無くシテ、左のみ確乎タラズト雖ドモ、其志大ニ好し。因津和野に至てハ、頗ル確乎憤発ス。此時ニ至て独リ我藩悠々無為ナリ、三藩ノ名ニ背クノミナラズ、対二天地神明一、コレヲ何トカ言ハン。唯今御国之勢ヲ以考ルニ、純策ニ出候ハヾ、民公子御上京(是も是非来月中旬を過ては不二相成一、)乾退(助)組随従。其余同志之士、不レ残同断如レ此ナレバヨシ、若し然ル事不レ能ンバ、公子上京有レ之トモ言不レ被レ行。仮令乾退随フトモ、外同志不レ随バ不レ被レ行。兎テモ我輩同志ノ志ヲ達スル日ヲ、内ニテ待候而は、決シテ百年待テモ其期有レ之間敷ニ付、同志中、国ニ先達テ報効し候時ハ、天下ヨリ見候而も矢張、土左国之盛事ニシテ、則忠孝ニも相成可レ申哉。兎モ角モ今日天下の事ヲ成ザレバ成ルノ日無レ之、幾重も〳〵日夜相継御苦心之上、急々御決策奉レ願候。願くバ虚喝ト不二思召一、能〻御察読奉レ願候。且又其上ニテ乾君抔随従ニテ、公子御上京相成候ハヾ、是又宜事と奉レ存候。此度は小南猿四郎君、宮川君なども御出張、祈る処ニ御座候。右ノ通り大挙候時ハ、却テ御国之勢モ張リ可レ申、其上時宜ニより、生残りたる人ハ、又帰国モ可二相成一、何分ニモ早ク天下ヲ瓦解致サセズシテハ、憂、土崩に至り、殆ド難レ救カラント奉レ存候。一旦干戈動キ、人心改り不レ申テハ、中々攘夷モ何モ出来不レ申、過日千屋虎之助長崎より帰り、清国の模様ヲ聞き候に、北京トカ彼本国、大ニ此節盛ニ相成候趣、兎角大敗モ取らねば、行かぬものと見へ申候。癡念切迫後 前不レ分、冀ハ御推読之程是祈候。万機期二拝眉辰一候。恐僅謹言
樋口様 上田様
門田様 諸君子足下
右之通り相考相認候得共、国ニ死し候事素より御銘々之御論ニ従ひ、御処置有レ之候事は少しも御止め不二申上一候。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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