万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第十三
3221 冬こもり 春さり来れば
夕へには 霞棚引く 泊瀬のや
右
3222
右一首。
3223
雁がねも
垣つ田の 池の堤の
打ち手折り
3224 独りのみ見れば恋しみ神奈備の山のもみち葉手折りけり君
右
3225 天雲の 影さへ見ゆる
浦無みか 船の寄り
よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 磯はなくとも
沖つ波
反し歌
3226 さざれ波たぎちて流る泊瀬川寄るべき磯の無きが
右二首。
3227 葦原の 瑞穂の国に
神奈備の 三諸の山は 春されば 春霞立ち
秋ゆけば 紅にほふ 神奈備の 三諸の神の
帯にせる 明日香の川の
岩が根に 苔生すまでに
事計り
反し歌
3228 神奈備の三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
3229
右
3230
朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば 古へ思ほゆ
反し歌
3231 月日はゆき変はれども久に
右二首。
3232 斧取りて
み吉野の
反し歌
3233 み吉野の滝もとどろに落つる白波
右二首。
3234 やすみしし 我ご
聞こしをす
山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し
そこをしも うらぐはしみか ここをしも まぐはしみかも
かけまくも あやに畏き
内日さす 大宮仕へ
朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも
春山の
百敷の 大宮人は 天地と 日月とともに 万代にもが
反し歌
3235 山辺の五十師の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも
右二首。
3236 そらみつ 大和の国 青丹よし 奈良山越えて
万代に あり通はむと 山科の
右一首。
3237 青丹よし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り
くれくれと 独りそ
反し歌
3238 逢坂をうち出て見れば淡海の
右三首。
3239 近江の
あり立てる 花橘を ほつ枝に
中つ枝に
右一首。
3240 大王の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて
真木積む 泉の川の 速き瀬に 棹さし渡り
ちはやぶる 宇治の渡の
近江道の 逢坂山に 手向して
道の
いや遠に 里
剣大刀 鞘ゆ抜き出て
反し歌
3241 天地を嘆き乞ひ
右二首。
3242 ももづたふ
月に日に 行かまし里を ありと聞きて 我が通ひ
かく寄れと 人は
右一首。
3243 処女らが
朝凪に 満ち来る潮の 夕凪に 寄せ来る波の
その潮の いやますますに その波の いやしくしくに
我妹子に 恋ひつつ来れば
浜菜摘む 海人処女ども うながせる
手に巻ける 玉もゆららに 白妙の 袖振る見えつ
反し歌
3244 阿胡の海の荒磯の上のさざれ波
右二首。
3245
反し歌
3246 天照るや日月のごとく
右二首。
3247
右一首。
3248
藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし
君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を
反し歌
3249 磯城島の大和の国に人二人ありとし
右二首。
3250
然れども
玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸安からず
恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずば
我が命の 生けらむ極み 恋ひつつも
真澄鏡
反し歌
3251 大舟の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし
3252 久かたの都を置きて草枕旅ゆく君をいつとか待たむ
柿本朝臣人麿が
3253 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国
然れども 言挙げぞ
反し歌
3254 磯城島の大和の国は
右
3255 古よ 言ひ継ぎ
玉の緒の 継ぎては言へど 処女らが 心を知らに
そを知らむ よしの無ければ
反し歌
3256 しばしばに思はず人はあらめどもしましくも
3257
或ル本、此歌一首ヲ以テ、紀ノ国ノ浜ニ寄ルチフ鮑玉
ナリトス。具ニハ下ニ見エタリ。但シ古本ニヨリテ亦
茲ニ累載ス。
右三首。
3258 あら玉の 年は来去りて 玉づさの 使の来ねば
霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし
たらちねの 母の飼ふ
松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば
白妙の 我が衣手も 通りて濡れぬ
反し歌
3259 かくのみし相
右二首。
3260
間無くそ 人は汲むちふ 時じくそ 人は飲むちふ
汲む人の 間無きがごと 飲む人の 時じきがごと
我妹子に
反し歌
3261 思ひ遣るすべのたづきも今は無し君に逢はずて年の経ぬれば
或る
3262
右三首。
3263
上つ瀬に
斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け
真玉なす
ありと いはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰が故か行かむ
古事記ヲ検ルニ曰ク、件ノ歌ハ、木梨之輕太子、自ラ
反し歌
3264 年渡るまてにも人はありちふをいつの
或る
3265 世の中を
右三首。
3266 春されば 花咲き
速き瀬に 生ふる玉藻の 打ち靡き 心は寄りて
朝露の
反し歌
3267 明日香川瀬々の玉藻の打ち靡き心は妹に寄りにけるかも
右二首。
3268
反し歌
3269 帰りにし人を思ふとぬば玉のその夜は
右二首。
3270
打ち折らむ
あかねさす 昼はしみらに ぬば玉の 夜はすがらに
この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
反し歌
3271 我が心焼くも
右二首。
3272 うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ その
標結ふと 聞きてし日より 立たまくの たづきも知らず
居らまくの
草枕 旅寝のごとく 思ふそら 安からぬものを
嘆くそら 過ぐし得ぬものを 天雲の ゆくらゆくらに
葦垣の 思ひ乱れて 乱れ
反し歌
3273 二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
右二首。
3274 白たへの 我が衣手を 折り返し 独りし
ぬば玉の 黒髪敷きて 人の
大舟の ゆくらゆくらに 思ひつつ
反し歌
3275 一人
右二首。
3276a あしひきの 山田の道を 敷妙の
物言はず 別れし来れば 早川の 行方も知らず
衣手の 帰るも知らに 馬じもの 立ちてつまづき
3276b 為むすべの たづきを知らに もののふの 八十の心を
天地に 思ひ足らはし
立ち止り いかにと問はば 言ひ遣らむ たづきを知らに
さ
あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我を
反し歌
3277
右二首。
3278 赤駒の
そを飼ひ
高山の 峯のたをりに
反し歌
3279 葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ
右二首。
3280 我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば
ぬば玉の 夜も更けにけり さ夜更けて あらしの吹けば
立ち待つに 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ
今更に 君来まさめや さな葛 後も逢はむと
慰むる 心を持ちて み袖もち 床打ち払ひ
うつつには 君には逢はじ 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
或る本の歌に曰く
3281 我が背子は 待てど来まさず 雁が音も
ぬば玉の 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けば
立ち待つに 我が衣手に 置く霜も
降る雪も 凍りわたりぬ 今更に 君来まさめや
さな葛 後も逢はむと 大舟の 思ひ頼めど
うつつには 君には逢はじ 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
反し歌
3282 衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずは独りかも寝む
3283 今更に恋ふとも君に逢はめやも
右四首。
3284 菅の根の ねもころごろに
言の忌みも 無くありこそと
いたもすべなみ
反し歌
3285 たらちねの母にも
或る本の歌に曰く
3286 玉たすき 懸けぬ時なく
天地の 神をそ
反し歌
3287 天地の神を祈りて
或る本の歌に曰く
3288 大船の 思ひ頼みて 松が根の いや遠長く
天地の 神にそ
右五首。
3289
行方無み
な
池の底
反し歌
3290 いにしへの神の時より逢ひけらし今心にも常忘らえず
右二首。
3291 み吉野の 真木立つ山に
ねもころに
後れたる
言はむすべ せむすべ知らに あしひきの 山の
はふ蔦の 別れのあまた 惜しくもあるかも
反し歌
3292 うつせみの命を長くありこそと
右二首。
3293 み吉野の
時じくそ 雪は降るちふ その雨の
その雪の 時じきがごと
妹が
反し歌
3294 み雪降る吉野の嶽に居る雲のよそに見し子に恋ひ渡るかも
右二首。
3295 うちひさつ 三宅の原ゆ
夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ
通はすも
うべなうべな 父は知らず
抑へ刺す 敷妙の子は それそ
反し歌
3296 父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ
右二首。
3297 玉たすき 懸けぬ時なく
あかねさす 昼はしみらに ぬば玉の 夜はすがらに
反し歌
3298 よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ
右二首。
3299 見渡しに 妹らは立たし この方に
思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに
さ
榜ぎ渡りつつも 語らはましを
或ル本ノ歌ノ頭句ニ云ク、こもりくの 泊瀬の川の
右一首。
3300 押し照る 難波の崎に 引き上る
そほ舟に
言ひづらひ あり否みすれど あり否み得ずぞ 言はれにし我が身
右一首。
3301
夕凪に 来寄る
俣海松の また行き帰り 妻と 言はじとかも 思ほせる君
右一首。
3302 紀の国の
朝凪に 来依る深海松 夕凪に 来依る
深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引かば絶ゆとや
梓弓
放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく
右一首。
3303
もみち葉の 散り乱れたる 神奈備の その山辺から
ぬば玉の
うらぶれて
反し歌
3304 聞かずして
右二首。
3305 物
躑躅花 にほひ
荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
反し歌
3306 如何にして恋やむものぞ天地の神を祈れど
3307 しかれこそ 年の
橘の ほつ枝を過ぎて この川の 下にも長く 汝が心待て
反し歌
3308 天地の神をも
柿本朝臣人麿が
3309 物
汝は如何に
切る髪の
この川の 下にも長く 汝が心待て
右五首。
3310
たな曇り 雪は降り来ぬ さ曇り 雨は降り来ぬ
野つ鳥
さ夜は明け この夜は明けぬ 入りて
反し歌
3311 隠国の泊瀬
3312 隠国の 泊瀬小国 よばひせす 吾が背の君よ
奥床に 母は寝たり
起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし
ぬば玉の 夜は明けゆきぬ ここだくも 思はぬごとく
反し歌
3313 川の瀬の石踏み渡りぬば玉の
右四首。
3314 つぎねふ
そこ
馬買へ我が背
反し歌
3315 泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き
或る
3316 真澄鏡持てれど
3317 馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも
右四首。
3318 紀の国の 浜に寄るちふ
妹の山 背の山越えて 行きし君 いつ来まさむと
玉ほこの 道に出で立ち
夕卜の
沖つ波 来依す白玉 辺つ波の 寄する白玉
求むとそ 君が来まさぬ
久ならば いま
あらむとそ 君は聞こしし な恋ひそ我妹
反し歌
3319 杖衝き衝かずも
3320
3321 さ夜更けて今は明けぬと戸ひらきて紀へ行く君をいつとか待たむ
3322 門に
右五首。
3323 しなたつ
編まなくに い刈り持ち
置きて
右一首。
3324 かけまくも あやに
人はしも 満ちてあれども 君はしも 多くいませど
往き
天のごと 仰ぎて見つつ 畏けど 思ひ頼みて
いつしかも 我が大王の 天の下 しろしいまして
望月の
春されば
登らして 国見遊ばし
大殿の
玉たすき 懸けて偲はし み雪降る 冬の
刺し柳 根張り梓を 大御手に 取らし賜ひて
遊ばしし 我が大王を
大船の 頼める時に
大殿を 振り放け見れば 白たへに 飾りまつりて
内日さす 宮の舎人は
夢かも
麻裳よし
思へども
御袖もち
あら玉の 立つ月ごとに 天の原 振り放け見つつ
玉たすき 懸けて偲はな 畏かれども
反し歌
3325 つぬさはふ磐余の山に白たへに懸かれる雲は大君ろかも
右二首。
3326 磯城島の 大和の国に 如何さまに 思ほしめせか
連れもなき
夕へには 召して遣はし 遣はしし 舎人の子らは
行く鳥の 群れて
剣大刀 磨ぎし心を 天雲に 思ひ
右一首。
3327
水こそは 汲みて飼ひなめ 何しかも 葦毛の馬の
反し歌
3328 衣手を葦毛の馬の
右二首。
3329a 白雲の 棚引く国の 青雲の
天雲の 下なる人は
3329b 天地に 満ち足らはして 恋ふれかも 胸の病める
思へかも 心の痛き
いつはしも 恋ひぬ時とは あらねども この九月を
我が背子が 偲ひにせよと 千代にも 偲ひ渡れと
万代に 語り継がへと 始めてし この九月の
過ぎまくを いたもすべなみ あら玉の 月の変れば
せむすべの たどきを知らに 岩が根の こごしき道の
岩床の 根
夕へには 入り居恋ひつつ
3329c ぬば玉の 黒髪敷きて 人の
大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ
右一首。
3330 隠国の 泊瀬の川の 上つ瀬に 鵜を八つ
下つ瀬に 鵜を八つ潜け 上つ瀬の 鮎を食はしめ
下つ瀬の 鮎を食はしめ
投ぐるさの 遠ざかり居て 思ふそら 安からなくに
嘆くそら 安からなくに 衣こそは それ
縫ひつつも またも合ふといへ 玉こそは 緒の絶えぬれば
3331 隠国の 泊瀬の山
3332 高山と 海とこそは 山ながら かくも
海ながら しかも
右三首。
3333 大王の 命畏み 蜻蛉島 大和を過ぎて
大伴の 御津の浜辺ゆ 大舟に 真梶しじ
朝凪に
行きし君 いつ来まさむと
もみち葉の 散り過ぎにしと 君が
反し歌
3334 狂言や人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
右二首。
3335 玉ほこの 道行く人は あしひきの 山行き野行き
畏きや 神の渡は 吹く風も
立つ波も
誰が心 いとほしとかも 直渡りけむ
3336 鳥が音も 聞こえぬ海に 高山を 隔てになして
沖つ藻を 枕になして
鯨魚取り 海の浜辺に
思ほしき 言伝てむやと 家問へば 家をも告らず
名を問へど 名だにも告らず 泣く子なす 言だに問はず
思へども 悲しきものは 世の中にあり
反し歌
3337 母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
3338 あしひきの山道は行かむ風吹けば波の立ち塞ふ海道は行かじ
或る本の歌
3339 玉ほこの 道に出で立ち あしひきの 野行き山行き
吹く風も おほには吹かず 立つ波も のどには立たず
高山を 隔てに置きて
うらもなく 臥やせる君は 母父の 愛子にもあらむ
若草の 妻もあらむと 家問へど 家道も言はず
名を問へど 名だにも告らず 誰が言を いとほしみかも
敷波の 恐き海を 直渉りけむ
反し歌
3340 母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
3341 家人の待つらむものを連れもなき荒磯を
3342
3343 浦波の来寄する浜に連れもなく
3344 この月は 君来まさむと 大舟の 思ひ頼みて
いつしかと
玉づさの 使の言へば 蛍なす ほのかに聞きて
天地を 乞ひ
朝霧の 思ひ惑ひて 杖足らず
嘆けども
天雲の 行きのまにまに 射ゆ鹿
思へども 道の知らねば 独り居て 君に恋ふるに
反し歌
3345 葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし
右二首。但シ或ヒト云ク、此ノ短歌ハ防人ノ妻ガ作メル也。然レバ長歌モ亦
此ノ同作ナリト知ルベシ。
3346 見さくれば 雲居に見ゆる
こと
草枕 この旅の
反し歌
3347 草枕この旅の
或ル本ノ歌ニ曰ク、旅の
右二首。