ジョージ・W・ブッシュの第2回大統領就任演説

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大統領就任宣誓を行うジョージ・W・ブッシュ

チェイニー副大統領、連邦最高裁判所長官[1]カーター大統領、ブッシュ大統領、クリントン大統領、尊敬すべき聖職者諸君、来賓諸君、そして国民諸君よ。

本日我々は、法に基づき、そして儀式によって、憲法の不朽の叡智を祝うと共に、我が国を団結させる深い決意を思い起こす。只今受けた栄誉に感謝すると共に、我々が生きるこの重大な時代について心に留めつつ、先程諸君が見守る中で行った宣誓を断固遂行する所存である。

この2度目の就任式において我々の義務を明らかにするのは、私が使う言葉ではなく、我々が共に見てきた歴史である。この半世紀間、米国は遠き国境を監視することで己の自由を守ってきた。共産主義の崩壊後、比較的静かで平穏な、安息の年月が訪れた――その後、苦難の時代が到来したのである。

我々は己の脆弱性を――同時に、その最も深い根源を――思い知った。世界中が怨嗟と圧政で爆発間近である限り――そして、憎悪を煽り殺人を許容するようなイデオロギーに傾倒する限り――、暴力は集積し、破壊力を増し、堅固な国境を越え、死の脅威を高める。この憎悪と怨嗟による支配を打破し、暴君の仮面を剥ぎ、寛容な民の希望に報いることのできる歴史的な力はただ1つ、人類の自由という力を措いて他にない。

我々は、種々の事象や常識によって、ある結論に至った。即ち、我が国における自由の存続は、他国における自由の成功にますます左右されるということである。世界平和のための最も有望な方法は、自由を世界中に拡げることなのである。

米国の重大な関心と我々の深き信念は、今や1つとなった。我々は建国の日以来、地球上の全人類が権利、尊厳、及び無比の価値を有することを宣言してきた。何故なら、人類は天地の創造主の似姿を持つからである。我々は幾世代にも亙って、自治の必要性を宣言してきた。何故なら、何人たりとも支配者となり、あるいは奴隷となる必然性を持たないからである。こうした理想を推し進めるという使命によって、我が国は建国されたのである。それは建国の父らの偉業である。今やそれは、我が国の安全にとって喫緊の要件であり、当代の使命なのである。

故に、あらゆる国や文化における民主的な運動・制度の成長を求め、支援することが合衆国の政策である。その最終目標は世界の圧政を止めることにある。

これは本来、武力に頼るべき任務ではない。もっとも我々は、必要とあらば己や友を武力で守る所存であるが。自由というものは本来、国民によって選び取られ、守られ、そして法の支配と少数派の保護とによって支えられるべきである。そして、ある国の国民が最終的に発言力を得たときに生ずる諸制度は、我々とは大きく異なる慣習や伝統を反映しているやも知れぬ。米国は自国政府の方式を、それを望まぬ他国に押し付ける気はない。むしろ我々の目標は、他の諸国が己の声を見出し、己の自由を獲得し、己の道を造るのを支援することにある。

圧政を止めるという大目標は、幾世代にも亙る集中的な取り組みであった。任務の難しさは忌避の口実にはならない。米国の影響力にも限界はあるが、幸いなことに、被虐者に対する米国の影響力は相当なものである。自由という大義のため、我々は確信をもってその影響力を行使する所存である。

私にとって最も厳粛な任務とは、この国と国民とを更なる攻撃や新たな脅威から守ることである。一部の者は、愚かにも米国の決意を試すことを選び、それが揺るぎないことを思い知った。

我々はあらゆる統治者や国家に対し、選択について粘り強く説明する。ここでいう選択とは、常に誤りであるところの抑圧と、永久に正当であるところの自由との道義的選択である。米国は、「獄中の反体制派は枷を好む。女性は恥辱と隷属を歓迎する。誰でも抑圧者の為すがままに生きたいと願う」などと強弁する気は全くない。

他国の政府に対しては、「我が国との関係を成功させるには、自国民への寛大な待遇が必要である」ということを明らかにすることにより、改革を促す。人間の尊厳に対する米国の信念は、我が国の政策を導いてくれるであろう。だが権利というものは、独裁者が渋々譲歩した程度のことでは到底満たされない。それは自由な異論と被統治者の参加とによって確保されるのである。結局、自由なくして正義はない。また人間の解放なくして人権はないのである。

自由を求める世界規模の訴えに疑念を持つ者もいる。しかし、この40年間に未曾有の速さで自由が進展したというのに、この訴えを疑うのは奇妙な話である[2]。米国民は、どの国民よりも我々の理想の力をよく知っているに違いない。やがてはあらゆる心、あらゆる魂に自由の呼び声が掛かる。我々は永続的な圧制の存在など認めない。何故なら、我々は永続的な隷属の可能性を認めないからである。自由は、それを愛する者の許に訪れるのである。

本日、米国は世界の人民に改めて言いたい。

圧政と絶望の中で生きる全ての民よ。合衆国は諸君への抑圧を黙殺したり、抑圧者を赦したりはしない。諸君が自由のために決起するときは、共に起つ。

抑圧、投獄、追放の憂き目に遭っている民主改革者らよ。米国は諸君を、将来諸君の母国が自由を手に入れたときの指導者として見ている。

無法な体制の支配者らよ。我々は、エイブラハム・リンカンの言葉を今なお信じている。「他者の自由を否定する者は自由を享受するに値せず、公正な神の支配下にあっては、彼らの自由は長続きし得ない」[3]という言葉を。

長きに亙る支配に慣れた政府の指導者らよ。国民に奉仕するには、彼らを信頼することを学ばねばならない。この進歩と正義の旅を始めるならば、米国は諸君と共に歩む所存である。

そして、合衆国の全同盟国よ。我々は諸君の友好に敬意を表し、諸君の助言と支援を恃みにしている。自由国家間の分裂は、自由の敵にとっての最大目標である。自由諸国が協力して民主主義を推進すれば、我々の敵を打倒できよう。

本日、私は同胞諸君にも改めて言いたい。

私は諸君全員に対し、米国防衛という困難な任務に耐えるよう求めた。諸君はそれによく応えてくれた。我が国は、実現困難な、しかも放棄すれば不名誉を蒙る義務を引き受けた。しかし、我々が偉大なる解放というこの国の伝統に基づいて行動したことにより、これまでに数千万の民が自由を得た。そして希望が希望を生むが如く、更に何百万もの民が自由を見出すであろう。しかも我々は、己の努力によって火を――人民の心の中の火を――灯してきた[4]。その火は、その力を感じる人々を暖め、燃え広がるのを阻む人々を焼き払っている。そしていつの日か、消すことのできないこの自由の火は、世界の最も暗い片隅にまで届くことであろう。

この大義のため、最も厳しい任務を引き受けた米国人たちが僅かながらいる――それは情報及び外交という地味な任務、自由政府の樹立支援という理想主義的な任務、そして我々の敵と戦うという危険かつ不可欠な任務である。名誉ある死をもって、自国への献身を示した者もいる――我々は彼らの名を、彼らの犠牲をいつまでも讃える。

あらゆる米国人が、この理想主義を目撃した。中には、初めて目撃した者もいる。若者よ、その目に映ったものを信じてほしい。諸君は米国兵の決然たる顔に、義務と忠誠を見たはずである。生命が儚いこと、悪が現実に存在すること、そして勇気が勝利することを見たはずである。己の欲望や己自身よりも大きな大義のために尽くすという選択をしてほしい――そうすれば諸君は、自身が生きている間に自国の富ばかりか、自国の気概をも増進させることができるであろう。

米国には理想主義と勇気が必要である。何故なら、我々は国内で重大な仕事を抱えているからである。それは、米国の自由という未完の仕事である。自由へと進む世界の中にあって、我々は自由の意味と約束とを示す決意をしている。

自由という米国の理想において、国民はぎりぎりの生活をしながら働くのではなく、経済的自立の尊厳と安心を見出す。これは広義の自由であり、ホームステッド法、社会保障法、及び復員兵援護法の成立を促した。そして今、我々は時代の要望に奉仕すべく、偉大な諸制度を改革し、もってこの将来像を拡大する。自国の約束や将来において全ての米国民に恩恵を与えるため、国内の学校を最高水準に引き上げ、所有者社会[5]を構築する。我々は、住宅や事業、定年後の貯蓄、健康保険などの所有を拡大する――自国民を自由社会における生活課題に備えさせるために。己の運命に対する責任を全国民に持たせ、もって米国民諸君に貧困と恐怖からのより偉大な自由を与え、社会をより繁栄し、公正で、かつ平等なものにする。

自由という米国の理想において、公益は個人の気質――清廉さ、他者への寛大さ、そして己の生活における良心の掟――に左右される。詰まるところ、自治は自己の統治に依存している。その気質の体系は家庭の中で築かれ、規範を有する地域社会によって支えられ、そしてシナイの真実、山上の垂訓クルアーンの言葉、及び自国民の様々な信仰により、国民生活の中で維持される。米国民はどの世代においても、今まで善であり真実であるとされてきたもの全て――昨日も今日も、そしていつまでも変わらない、正義と行動という理想――を再確認しながら前進するのである。

自由という米国の理想において、権利の行使は、弱者への奉仕、慈悲、及び愛情によって気高くなる。万人のための自由は、互いからの独立を意味しない。我が国は、隣人を世話したり、迷える者を愛で包み込んだりする人々を信頼する。本来米国民は、互いの命を尊重する民である。米国民は、望まれざる者にさえも価値はあるということをゆめゆめ忘れてはならない。そして、我が国はあらゆる人種差別の陋習を放棄せねばならない。何故なら、我々は偏見というお荷物と自由の伝言を同時に運ぶことはできないからである。

この就任式の日を含め、1日という見地で考えれば、我が国が直面する問題は数多くある。世紀という観点で考えれば、我々への問いは限られており、数も少ない。我々の世代は自由という大義を前進させたのか? 我々の気質はその大義に貢献したのか?

我々を裁くこれらの問いは、同時に我々を団結させる。何故なら米国民は、政党や経歴の違いや、移民であるか生来の米国人かという違いに関係なく、誰もが自由という大義のもとで互いに義務を負っているからである。我々は過去に数々の対立を経験してきた。偉大な目的を持って前進するためには、これらの対立が癒されねばならない。そして、私はこれらを癒すため、真摯に取り組む所存である。しかし、これらの対立は米国を定義するものではない。自由が攻撃に晒された時、我々は自国の結束と連帯を感じ、一心同体となって対応した。そして、米国が善なるもののために行動する時には常に、同様の結束と矜持を感じることができ、被災者は希望を与えられ、不正は正義によって阻まれ、虜囚は解放されるのである。

我々は、自由は最後には必ず勝つとの確信を持って前進する。歴史が必然性という名の車輪に乗って走っているからではない。事象を動かすのは、人類の選択なのである。我々が己のことを選ばれし民と見做しているからでもない。神がその意のままに動かし、選ぶのである。我々には自信がある。何故なら自由は人類や、暗黒の地で飢える者や、魂を求める者の永続的な希望だからである。建国の父らが未来のための新秩序を宣言したとき、自由に基づく連邦を求めるうねりの中で兵士らが戦死したとき、そして、市民が「今こそ自由を」の旗印の下、静かな憤りを胸に行進したとき――、彼らは実現されるべき古くからの希望に基づき行動したのである。歴史には、正義の盛衰がある。だが、歴史には明白な方向性もあり、自由によって、また自由の創造主によって定められているのである。

独立宣言が初めて人民の前で読み上げられ、自由の鐘が祝福の中で鳴り響いたとき、目撃者は言った。「鐘は、意味ありげに鳴り響いた」と。当代においても、鐘の音は意味を持ち続けている。新世紀を迎え、米国は全世界と全人民に対して自由を宣言する。我々は力を新たにし――試練を受けつつも倦むことなく――、自由の歴史における最大の偉業を成し遂げようとしているのである。

神の祝福が諸君にあらんことを。神よ、アメリカ合衆国を見守り給え。

訳註[編集]

  1. ウィリアム・レンキスト(任1986年 - 2005年)。
  2. 原文は「this time in history, four decades defined by the swiftest advance of freedom ever seen, is an odd time for doubt」。逐語訳をするならば、「歴史におけるこの時代、即ち見たこともないほど急速な自由の進展によって定義付けられるこの40年間は、疑うには奇妙な時代である」。
  3. リンカンのヘンリー・ピアース (Henry L. Pierce) らに対する言葉を引用。"Letter to Henry L. Pierce and others", netINS Showcase.
  4. 悪霊』(ドストエフスキー著)の一節、「The fire is in the minds of men and not in the roofs of houses」を下敷きにした表現。"Burning Bush brandishes Dostoevsky", The Guardian, 21 January, 2005.
  5. 「所有者社会 (ownership society:定訳なし)」とは、ブッシュが大統領受諾演説の際に提唱した概念。ブッシュは財政健全化のため、公的年金の規模を縮小して個人年金の運用拡大を促したり、医療保険への加入を促したりして、自助努力を奨励した。バラク・オバマはこの概念について、「彼(ブッシュ)が真に意図していたのは、『自力で何とかしろ』という社会 (‘you’re-on-your-own’ society) である」と批判した。"Obama: Beware 'you're on your own' society", USA TODAY.com, updated 27 March, 2008.


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